竹宮恵子「風と木の詩」    つのだじろう「うしろの百太郎」
徳弘正也「シェイプアップ乱」    ねこぢる「ねこ神さま」
能條純一「哭きの竜」    萩尾望都「ポーの一族」
原律子「奉仕の白薔薇」    古谷三敏「BARレモンハート」
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竹宮恵子「風と木の詩」

この作品は週刊少女コミックの大河連載で、ほとんど全部リアルタイムで(連載時から)読んだ。当時、朝毎読など全国紙にも取り上げられたほど話題になった作品である。

当時の少女マンガは(男もだが)、せいぜい単行本10巻前後で結末まで行かないといけないというような不文律があって(「ガラスの仮面」はまだ始まったばかり)、この作品も単行本20巻行かないで終わったと思う。そのせいか、部分的に展開が荒っぽいところがある。「意余って言葉たらず」(歌に詠もうという心情があり余っていて、言葉がそれに追いつかない)というのは古今和歌集で選者紀貫之が在原業平を評した言葉だが、この作品にもそれがあてはまるといえそうだ。

舞台は19世紀頃のフランス。ともに複雑な生い立ちをもつ主人公、ジルベールとセルジュは全寮制の学園に暮らしている。大体5分の1くらい読むと結末が予想できるが、その後物語は一転して二人の過去へと遡る。少年愛ありホモセクシュアルありSMあり両刀使いあり不倫あり駆け落ちありとにかく何でもありの物語なのだが、非常に絵がきれいなので上品で洗練された感じに受け取ってしまうところが恐ろしい。

作者はこの時期のマンガ家の中では最高のストーリーテラーで、学園少年愛もののこの作品の他、SFものの「地球(テラ)へ」、歴史ものの「ファラオの墓」、スポーツ&障害ものの「ロンド・カプリチオーソ」など数多くの分野ですぐれた作品を残している。特にこの作品は未だにファンが多く、私のようにいい加減なコメントを書いていると怒られる可能性もある。

また、この作品は現代まで続く「やおい」系コミックのはしりとも言われており、確かにこの作品以前の健全な男女交際マンガ(木原としえとか里中満智子とか一条ゆかりとか)とは一線を画しているし、この連載を読んだ世代くらいから晩婚化、というより未婚化が進んだような気がする。その意味でも記念碑的な作品であるが、全巻通して読むには体力と精神力が必要だ。

ちなみに、正直なところ、私がついていけるのはセルジュの物語(貴族の一人息子であるセルジュの父が、高級娼婦である後のセルジュの母と駆け落ちする)くらいである。


この作品を読むために、週刊少女コミック別名少コミまで買う羽目に陥りました。そういえばジルベールはワインに詳しいんですよね、高校生のくせに。

[May 11, 2005]


つのだじろう「うしろの百太郎」

1973年から少年マガジン連載。ちなみにつのだじろうはこの連載の直前まで、極真空手の創始者である大山倍達が主人公の「空手バカ一代」を連載していたが(原作はもちろん梶原一騎)、この連載をやめて「百太郎」と「恐怖新聞」(少年チャンピオン)に取り組んだ。そのため「空手バカ一代」は影丸穣也・画で連載を続けることとなった。

心霊研究者の父を持つ後一太郎(うしろ・いちたろう)は、さまざまの超常現象に遭い毎度のようにピンチに陥るが、そのたびに守護霊である「百太郎」(ひゃくたろう、と読む。山口百恵の全盛期には、ももたろうと読んだ人がいるとか)が現れてそのピンチを救う。当時のオカルトブームに乗って大人気を博した作品で、いまだに「うしろの百太郎」「恐怖新聞」はオカルトの代名詞といて用いられている。

私が一番よく覚えているのは、一太郎が急死してしまい(じつは仮死状態)火葬されようとするその時に、心霊研究者の父が「一太郎は必ずよみがえるから土葬に」と主張して棺桶のまま墓地に埋葬される。しかしそのままでは窒息してしまうので、地上から棺桶まで空気穴を通し、さらに連絡が取れるように胸元にひもを置いてそれを引くと鈴が鳴って生き返ったことが分かる、という仕掛けを用意しておいて、見事そのとおりに一太郎はよみがえる、という話である。

その後に、実は死亡診断にはかなりいいかげんなところがあって、土葬が一般的なカトリックでは、死後何年かして調べてみると埋葬したときと全く違う姿勢になっている例が少なくない、などと話が続く。本当の話かどうか分からなかったけれど、生き返ったら埋められていてそのまままた死んでしまうのは苦しいだろうなあ、と思ったものである。

「根性」「体育会系」の梶原一騎と「心霊」「超常現象」のつのだじろうが合うはずがなく、この両者の確執は有名で、それが「空手パカ一代」の漫画家変更のひとつの要因とされる。だが、つのだじろう画のときの「三角蹴り」「牛殺し」がどことなく微笑ましかったのに対し、影丸穣也画の全国制覇編はやや殺伐とした印象が否めなかった。そのあたり、つのだじろうの人柄というか、画風によって救われていた面があったのではなかろうか。

ちなみに、「メリー・ジェーン」のつのだ☆ひろとは実の兄弟である。


「うしろの百太郎」「恐怖新聞」には依然としてファンが多いみたいですね。つのだじろうを超える作品が出ていないということでしょうか。

[May 24,2007]


徳弘正也「シェイプアップ乱」

ロス疑惑の三浦和義氏がサイパンで逮捕されたというニュースを聞いて、瞬間的にこのマンガを思い出した。というのは、主人公の乱子が通う高校の教師に三裏先生というのがいて、「剣道初段、柔道二段、合気道三段、書道四段」「先生、本当ですか?」「別名、疑惑の十段の三裏だ」という最高に面白いギャグがあったからである。(段の内訳は少し違ったかも)

1983年より少年ジャンプ連載。この年には「北斗の拳」も連載開始されており、少年ジャンプがある意味で黄金期を迎えた時期であった。

ウェイトトレーニングが趣味で、いつもダンベルでシェイプアップを図っている体操部所属の女子高生、寿乱子(ことぶき・らんこ)と、乱子の家に居候する浪人生(のち大学生)原宗一郎が主人公のギャグ作品である。

この作品の面白さは、最初に書いた三裏先生をはじめとする登場人物のキャラが立っていることで、思い出すだけでも、「走るためだけに生まれてきた女」華歩(かある)ルイ子、走るのだけは速いが教科書は読めないし、顔は当時のスーパーアスリート、カール・ルイスに似ているにもかかわらず英語ができない。

乱子のボーイフレンドである樋口左京くんはとてもかっこいいのだが、家が母子家庭であり非常に貧乏で、お母さんはいつも首をくくろうとしている。お茶碗を裏返してそこにご飯を盛って食べる。スポーツ万能のように見えて、まったく泳げない。無人島からの脱出の際には、得意の正拳突きで木を一本へし折って、それをカヌー代わりにした。

他にもいろんなへんちくりんな登場人物がいて、きっと今読んでも面白いのではないかと思うのだが、もう25年前の作品だけにマンガ喫茶にあるかどうか。ちなみに、乱子があこがれていたのは、当時ミスター・オリンピア(ボディビル世界選手権)を6連覇したアーノルド。いうまでもなく、後にターミネーターを経てカリフォルニア州知事となったアーノルド・シュワルツネッガーである。


華歩ルイ子はいまなら多分自粛させられてしまうそうなキャラ。

[Mar 3, 2008]


ねこぢる「ねこ神さま」

1998年に死去してからも根強い人気を維持し続ける作品。2匹のねこ神さまがいわしを手に人々の願いごとをかなえていく、というと夢のある作品のような気がしてしまうが、とんでもない。中身は毒と不条理が詰まっている。この作者の描いたねこをかわいいという人が多いけれども、私は最初見た時からかわいいと思ったことはない。

ねこ神さまの上司は神様である。神様に「お前たちもシャバの人たちの役にたたないと」と言われて、「なんであんなクズ野郎共に」と下界に行ったねこ神さまが「はーい、並んで並んで」と順番に注射していたのは「シャブの人たち」でした。

ねこ神さまのライバルは犬神さまである。「俺はクラブでDJをやるぜ」「私はアニメの声優」と夢を語る若者たちを、犬神さまは「お前らは国家の奴隷じゃワン」と建設労働者と女工にしてしまう。ねこ神さまがやってきて「なんてことするんだ。みんなの夢がかないますように」と祈ったら、日本は世界の最貧国になってしまいました。

敵軍の空襲に、「なんてことだ。空軍の大編隊が健在であれば・・・」と切歯扼腕する将軍の前に現れたねこ神さま、「どーん」と登場させたのはボンテージに鞭をもった「大変態」の方でした。

このあたりはまあ普通に面白いのだけれど、だんだんあちらの世界に近づいていく。個人的に一番この作者の性格を表しているように思うのは、きれいなお嬢さんがねこ神さまを見て、「まあ、かわいいにゃんこ。うちにもにゃんこがいるのよ。みーこっていうの」と言われてねこ神さまがお屋敷に行くと、そこにいたのは蛇の化け物で、「それ、にゃんこじゃないよ」「しーっ。こいつ、なんか普通じゃないよ」という話。

ちょっと飛んでる作者のちょっと飛んでる作品なだけに、これを心底面白いと思える貴方はちょっと飛んでいる、かもしれない。


作品中に非合法薬物が頻出するので、その影響が作品にも現れているといわれる。多分その通りなんだろう。

[Oct 24, 2006]


能條純一「哭きの竜」

この漫画を連載中に読めたのは全くの偶然である。当時はバブルの全盛期で、その日も酔っ払って帰りの電車に乗ろうとしていた。たまたま読む本がなかったので、ふと気が向いて「近代麻雀」という雑誌を買った。読んだら網棚に捨てていく本だから(サリン事件よりだいぶ前のことである)、別に読みたいものがあった訳ではなく、ただの退屈しのぎであった。

そうしたら、いきなり巻頭カラーで、迫力たっぷりの男達のどアップである。準主役のやくざの親分が自分の太股にドスを突き立てて、「気ィを沈めるんや・・・気ィをな」とにらみを利かせるや「竜、この勝負、代紋賭けて受けてやるわ!」と叫び、かたや竜が「ふっ」と笑い、得意の決め台詞「あんた、背中が煤けてるぜ」を放つ。雷鳴が轟き、竜がカン連発。三暗刻の聴牌が、三槓子リンシャンツモドラ12とかになって・・・というあのシーンである。これはすごい作品だ、とすぐに直感した。

翌月からこの作品を読むためだけに近代麻雀を何年間か買うことになった。近代麻雀の単行本など当時もかなり探さなければ見つからなかったが、急いで手に入れた(上の場面は単行本の2巻か3巻目)。そして周りの人たちに薦めまくったのだが、案の定この作品はきわめてマイナーな雑誌の連載にもかかわらず、コミック愛好者のすべてが知る人気作品となったのである。

「哭き」というくらいなので、竜はやたらとカンを連発する。ヤミテンはほとんどしないので、相手にすれば楽だと思うのだが、カンドラがもろノリだし、リンシャンからツモってしまうので手がつけられない。手が狭くなるので攻められた時にしのげないような気もするが、絶対に振り込まない。そもそもこのマンガは麻雀漫画ではなく、ヤクザ漫画なのである(当時、能條純一は麻雀のルールを知らなかったという説もある)。

当時は、なぜ親分衆が竜を手元に置きたがるのか、その意味があまりよく分からなかった。上のシーンでも、このヤクザの親分は麻雀では竜にコテンパンにやられるのだが、その間に対立派閥に対して放っていたヒットマンが襲撃を成功させ、一家の実権掌握に成功する。そこのところがいまいちピンと来ないまま年を重ねてきたのだが、カシノ歴を重ねた今ならよく分かる。ツイている奴に乗るというのはそれほど重要なことなのだ。

この作品の後、作者の能條純一は一般コミック誌に進出し、いまだに活躍中である。ただし、この作品に匹敵する迫力のある作品は実はひとつしかない。佐世保の小学校の事件があったので今なら連載自粛が確実な「翔丸」である。「哭きの竜」に話を戻すと、「あんた、背中が煤けてるぜ。」の後は、確かこう続くのである。「あんたの背中には、一人の命も背負えない・・・やめなよ、極道は」うーん、たまらないっす。


「竜、この勝負、代紋賭けて受けてやるわ!」「あんた、背中が煤けてるぜ」麻雀にそこまで命を賭けなくても、と読んだ当時は思いましたが、ポーカーに集中してから、なるほど、と腑に落ちました。

[Jun 14, 2005]


萩尾望都「ポーの一族」

「ベルサイユのばら」でマーガレットを買い始めた私が次に向かったのが少女コミック系の人気マンガだった。当時の少女マンガ誌には、週刊でマーガレット、少女フレンド、少女コミックの3系統があり、それぞれ月刊の別マ、別フレ、別コミを出していたし、「りぼん」(マーガレット系)、「なかよし」(だったかな?フレンド系)といった系列誌を持っていた。

少女コミック系には当時、萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子といった人気マンガ家がおり、その作品のいくつかは今日でも十分通用するものである。萩尾望都の作品には、「トーマの心臓」とか「十一人いる」とか、短編で「アメリカン・パイ」とか、個人的には一番好きな「銀の三角」(この話はまたいずれ)とかがあるが、代表作というとやはり「ポーの一族」ということになるんだろう。

ポーの一族というのはバンパネラ、いわゆる吸血鬼であり、バンパネラに血を吸われることで自分もバンパネラになる(吸われすぎると死んでしまう)。主人公のエドガーは妹のメリーベルを守るためにいろいろあってバンパネラになってしまう。バンパネラは心臓を杭で打たれると消滅してしまうが、それ以外は不老不死である。だからエドガーは、中・高生くらいの年格好のままかれこれ4世紀ばかり時のはざまを漂っているのである(子供が二人で大層なお屋敷を借りたりするお金をどうやって工面するんだろうという疑問は残るが)。

私がリアルタイムで連載を読んだのは、実質的な最終話「エディス」(エドガーの兄弟の子孫エディスが登場。この子のため、エドガーの数百年の相棒アランが消滅してしまう)だったので、最後を読んでから最初を読むという変則的な読み方になってしまったが、ベルばらと同様初期の作品は絵柄も違うしストーリーもいまいち完成されていないので、かえって良かったのかもしれない。なお、このシリーズの真ん中あたりの作品「小鳥の巣」が「トーマの心臓」に発展し、さらに竹宮恵子の「風と木の詩」に影響を与えたのではないかと思っている。

萩尾望都自身はSF作家としての素質が高く、光瀬龍(百億の昼と千億の夜、少年チャンピオン連載)やレイ・ブラッドベリのSFのマンガ化も手がけているのだが、「ポー」の中でもバンパネラの科学的分析を行っている点は興味深い。いま20代半ばより下の世代は萩尾望都を知らないらしいが、当時の人気マンガ家の中でも最も性別問わず読むことのできる作者であるので、ぜひ読んでほしいと思う。自らの内面世界を広げることができるはずである。


ポーの一族シリーズでは、単行本3巻のギムナジウム舞台の話が最高傑作でしょう。首をかまれた彼はどうなったのかなあ。

[May 02, 2005]


原律子「奉仕の白薔薇」

以前ほど騒がなくなって大層よくなったバレンタインデーであるが、バレンタインデーといえば、やはりこの作品ではなかろうか。

1990年代初めにSMスナイパーという雑誌に連載されたということだが、そもそもこのSMスナイパーという雑誌自体、どこで売っているのかよく知らない。昔はどんな小さな街にでも本屋はあって、そういう小さな本屋とかで売っていたのではないかと推測しているが、ともかくそういう名前の雑誌に連載されていたのである。一方こちらの作品は結構有名であった。

まるでキューピー人形のようなかわいらしいレトロタッチの作品なのだが、内容はこれ以上ないお下劣な世界(といってしまうと身も蓋もないのだが)で、うちの奥さんは本棚の前の方、つまり背表紙を見えるように置いておくと非常に嫌がるのであった。「ぢょわうさま、ゆるして」「ばかやらう、ぶたがしゃべるか」というフレーズがあって、結構受けてよく使っていました。

さて、この作品でなぜバレンタインデーかというと、おそらく2月号の掲載だったのであろう、「女王様のチョコ」という作品があるのだ。女王様だから、当然Sである。そして、奴隷であるところのMをいじめるのである。「うー゛」「今のチョコには何が入っていた?」「○○○みたいな・・・」「ぢゃあ、今度は聖水のを食べるんだよ」ちなみに、作り方も図解入りである。

この作品以降、原律子は第一線から退いてしまって、今はどうも専業主婦をしているらしい。亭主を地下室に閉じ込めていないか(そういう作品もある)、とても心配である。ちなみに、彼女の作品によくゲスト出演していた吉田戦車は今でも結構活躍している。だから、原律子で検索すると泌尿器科の先生が出てきてしまうのだが、昔は原律子と言えば、泣く子も眉をひそめる(?)かなりの有名人だったのでした。


Wikipediaによると、その後離婚して居酒屋経営などしているらしい。

[Feb 14, 2006]


古谷三敏「BARレモンハート」

年の瀬である。気がついてみると今年も残すところ2週間を切った。昔と違って正月も普段の日もあまり変わらないようになってきたのだが、そこはやはり正月。お盆がただの夏期休暇になってしまった今でも年末年始というのはまた格別の感慨がある。そして年末といえば紅白歌合戦。かつては紅白の価値は今と比べ物にならないくらい高くて、大晦日に紅白を見ないなんてことは考えられなかった。そんな時代背景とともに思い出すのは、この長期連載作品である。

作者の古谷三敏は赤塚不二夫のアシスタント出身で、出世作「ダメおやじ」はまさに赤塚チックなのだが、1980年代後半から漫画アクションに連載されたこの作品は、打って変わってのうんちくマンガである。BAR「レモンハート」は冴えないマスターが一人でやっている場末の酒場なのだが、和洋中問わず何の酒を頼んでも出てくるという信じられないBARなのである(一度、「カストリはないだろう」と言ってきた地上げ屋に、「それがあるんです。カストリの味がわかるお客さんが来るのを待っていたんです」と返した場面は印象的だった)。

そのレモンハートに来る客の中で、「泣きの反」こと反流行(そり りゅうこう)というドサ回りの演歌歌手がいる。確か持ち歌が「涙の連絡船」で、歌っているうちに感極まって涙を流すのが有名なのだが、その反が奥さんに、「俺も長いこと歌手をやってきたが、いっぺん紅白に出てみたいもんだなあ」という場面がある。

一緒にいたマネージャー兼務のかみさんが、「何いってんだい。丈夫で一年歌って来れたんだから何よりだよ」と言ったのに続いて「それよりあんた。事務所から”涙の連絡船”が売れたからって、ボーナスが出たよ。3月たまってた家賃を払って、バンマスに借りてた5万も返して、今年はもう借金がないよ。どうだいおまいさん、寿司でも食べていかないかい?」「そいつは豪勢だね」というやり取りがある。いかにも年の瀬という会話で、なんとも言いようのない風情を感じた。

そして、その年の紅白は麻薬騒動などで辞退者が相次ぎ、なんと反にNHKから電話が入るのだが・・・、という話で、いまでもたいていのマンガ喫茶にはある作品なので、続きはぜひそちらで。他にも作品には「リレミト!」「ルーラ!」とか言い合ってるドラクエ2の頃のものとか(なんせその頃はホイミとべホイミくらいしか復活呪文がないのだ)ある。BARのマンガだけあって作品ごとに一つの酒が題材となっているのだが、泣きの反の回は「杏露酒」、ドラクエはなんだったかな~?「まほうのすず」の形のウィスキーなんだけど・・・。(メーカーズ・マーク)

そういえば、「いちばんドライなマティーニは」なんてメガネさんが講釈を垂れる回もあったなあ。二番目は「ベルモットの瓶をちらっと見てジンだけ飲む」、一番は「ベルモットの瓶を思い浮かべながらジンだけ飲む」だそうです。こういう話だと止まらなかったりして。


「美味しんぼ」が食の薀蓄をCOMICSに持ち込んだ時期に、この作品が酒の薀蓄を取り入れました。でも雁屋哲とは違って、自然保護より人情という作品です。

[Dec 19,2006]

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