ようこそ、「常識で考える日本古代史」へ。
日本古代史の謎に、専門的知識でなく常識から迫ります。
この記事は、Blog“GO DOWN GAMBLIN”に連載しています。
ご意見・ご感想をBlogにコメントいただければうれしいです。
日本古代史の謎に、専門的知識でなく常識から迫ります。
この記事は、Blog“GO DOWN GAMBLIN”に連載しています。
ご意見・ご感想をBlogにコメントいただければうれしいです。
以前、古今著文集について考察したことがあり、鎌倉時代初期にはすでに貨幣経済が成立していて、「七半」というギャンブルが盛んに行われていたことが記録に残っている。
貴族全盛の平安時代から武士主導の鎌倉時代に移行する大きな要素のひとつが貨幣経済の進展であり、平安時代末、政治の中心が平氏という時代があったのは、宋との貿易により確保した多額の宋銭という背景があった。
そういうイメージがあるものだから、国内に大規模に貨幣が入ってきたのは平安後期以降と思い込んでいたのだけれど、その志海苔古銭のうち、約1割が唐の開元通宝なのである。
(以下)「第10部 入唐求法巡礼行記の研究」