2020年秋、長年患ってきた糖尿病や、老化に伴う諸症状の改善のため糖質制限を始めました。

糖質制限8ヶ月 HbA1c5.6グラクティブなくなる
糖質制限9ヶ月 体重85.3kg昔のメタボ健康相談
帯状疱疹 糖質制限中断!!   糖質制限再開 サプリメントの話
糖質制限1年 体重12kg減   再開2ヶ月 糖質制限中の酒

糖質制限8ヶ月 HbA1c5.6グラクティブなくなる

糖質制限を始めてから8ヶ月、1年の3分の2が経過した。体重は糖質制限前の100.2kgから7月の最低体重85.7kgまでシェイプアップした。先月よりさらに1.6kg減である。

ここまで減らしてそれほどの精神的ストレスなく毎日を過ごせるのは、糖質制限の手柄である。奥さんも、「向いているんじゃない?」と言ってくれている。

昨年11月から7月まで、白飯を食べたのは外食で出てきた場合のみで、せいぜい5回とかそんなものである。テーブルに用意されると残すのはお行儀がよくないので食べてしまう。それでも、リバウンドにはなっていない。

ラーメンは皆無、普通の食パンはやはり4~5回のみ。全粒粉スパゲティとそばを週に1度くらいと、奥さんの焼いてくれるふすまパンを毎朝食べており、炭水化物として食べるのはそのくらいである。

糖質制限前は、何かというとコーラやスポーツドリンクを飲んでいたけれど、これらの異性化糖を含む飲料は一切やめている。コーラ500mlに含まれる糖質は50gだから、日本酒五合である。だったら、酒を飲んだ方がいい。

手近のお菓子箱にブッセやらクッキー、チョコレートを満タンに詰めて食べていたのもすっぱりやめた。甘いものをまったくやめたわけではなく、週に一度くらい、ケーキとか和菓子を食べる。きりなく食べているから体に悪いので、たまに食べる分にはそれほど影響はないようだ。

むしろ、糖質をほとんど含まないからといって、チーズやナッツを食べる方がてきめんに響く。できるだけ、朝ごはんと昼ごはん、昼ごはんと夕ごはんの間は食べないようにするのがいいみたいだ。

もちろん、朝ごはんの前と夕ごはんの後は何も食べない。家の場合、朝が6時35分(テレビ体操の後)、夕ごはんは4時半には食べ終えることにしているから、まるまる14時間開けることになる。まさに断食明け(Breakfast)である。

いまでも時々思い出すのは、四国お遍路で歩いていた時、自販機をみつけるとコーラを買って一気飲みしていたことである。

その時は、暑いしバテるしがまんできなかったのだけれど、いま思うとコーラとかスポーツドリンクを一気飲みするから余計にバテていたような気もする。

朝晩の食事でも白飯をお代わりしていたし、1日の糖質量は500gを超えていたのではないかと思う。1日に20km30km歩くからといって、あれは糖質の摂りすぎだった。今更ながら反省している。

その時すでに、冷たい水が一番おいしいと分かっていたのに、水だけでは体力回復に足りないと、わざわざコーラやスポーツドリンクを飲んでいたのだった。知らないのは、恐ろしいことである。

四国お遍路で、八十八番から一番に戻る途中、数時間ぶりに山中で見つけた自販機。当時の記録をみると、いろはす500mlを買って終わりにすればいいのに、コーラも買って一気飲みしたと書いてある。それでは余計バテてしまう。

四国お遍路で、八十八番から一番に戻る途中、数時間ぶりに山中で見つけた自販機。当時の記録をみると、いろはす500mlを買って終わりにすればいいのに、コーラも買って一気飲みしたと書いてある。それでは余計バテてしまう。


7月の大きなイベントとして、印西市の集団検診があった。昨年はコロナなので自粛したのだけれど、今年のパンフレットに「検診は不要不急ではありません」と書いてある。どうやら、昨年は大勢受けなかったみたいだ。

かかりつけのお医者さんは「人間ドックと違ってたいしたこと調べないから」と言うのだけれど、個人的には、検査に備えて生活を整えることに意義があると思っている。時間はとられるけれど、費用は1100円である。

それに、お医者さんの言うことに楯突く訳ではないが、人間ドックで調べるバリウムにせよ超音波にせよ、あれで異常がみつかるとしたらかなり病気が進んでからのように思う。早期発見が大事なことは否定しないが、この歳になると手遅れで余命わずかになったとしても、普段通り生活できた方がいい。

ともあれ、検診があるので1週間前から酒を抜いて準備した。これは昨日今日始めたことではなく、かれこれ二十年以上前から続けている。少しでも数値をよくしようという姑息な側面もあるが、理由はどうあれ規則正しく生活することが悪い訳はないのである。 リタイアして、それまでの人間ドックから市の検診になったけれど、雰囲気はあまり変わらない。検査用の服に着替えないだけで、順番に並んで検査を待つところはほとんど同じである。

わが印西市では、集団検診もあるけれど人間ドック助成という制度もあり、半額を市が負担してくれる。ただ、糖尿病の通院でレントゲンや心電図はとっているし、エコーやバリウムは上に書いたように信用していない。万一よくない結果が出て、精密検査とか言われて胃カメラだの肛門触診をやられるのも嫌だ。(現役時の人間ドックでも断ったのだ)

という訳で当日、出張所に奥さんと一緒に出かけた。完全予約制という触れ込みながら、地域柄予約していない人も平気で来る。いちいちそういう人に説明しているから、受付時点ですでに密である。

しかし中に入ると、人数を絞っているだけのことはあって、人の流れはスムーズである。普段なら、受付から検診終了まで1時間以上みなくてはならないところ、30分かからずに採血まで終わった。あとは、血が止まるまで待機するだけである。

やればできるのだから、いつもこうやればいいのにと思う。完全予約制だとコンピュータやスマホの使えない年寄りが不便だというけれども、ハガキで予約することも可能だし、それしか方法がなければ何とか工夫するものである。

3週間経って、結果が戻ってきた。もっとも気になる空腹時血糖は106、ヘモグロビンA1cは5.6で、4月に医者で測った時と変わらず正常値である。

そして、冬に検査したときに増えていて気になったコレステロールが、HDLで57から56に、LDLで108から93に、それぞれ減っている。おそらくこれは、プロテインをやめたせいだろう。尿素窒素は検査項目に入っていないが、おそらく以前の数値に戻っているはずだ。

中性脂肪の数値も81で、4月の73より増えているものの正常範囲である。ただ、空腹時でも増えているということは、そろそろ摂取量と消費量が見合ってきたことを意味している。体重の減少も、そろそろ頭打ちになるかもしれない。

かかりつけ医に言わせると「たいしたこと調べないから」という市の定期検診ですが、検査前に生活をリセットすることに意義があると個人的には思っている。

かかりつけ医に言わせると「たいしたこと調べないから」という市の定期検診ですが、検査前に生活をリセットすることに意義があると個人的には思っている。


さて、ダイエットにおいて食事と併せて注意しなければならないのは、きちんと運動することである。

糖尿病になった当時、運動が大切だということをしつこく言われた。スポーツジムにも通ったのだけれど、運動だけで体重は絶対落ちないし(多くの人に同意いただけると思う)、血糖値もよくならない。体質の改善には糖質制限が何よりも効く。

とはいえ、運動しないと体重が減りにくいことは確かだし、だいいち体がなまってくる。ずっと家の中にいるとどうしても何か口に入れたくなる。いろんな意味で、運動するに越したことはない。

スポーツジムを退会してから運動といえば散歩である。1日1万歩を目標にしている。1万歩というと、大体1時間半歩くことになる。私の時間割では、お昼寝が終わって夕飯までの間に散歩に出ることが多い。

しかし、他の季節はまだしも、夏場の昼過ぎは歩くにはつらい。スポーツジムであれば、プールで1時間歩くのは涼しいし気持ちがいいけれど、里山で1時間歩いていると虫が寄ってくるし噴き出た汗が半端ない。だんだん、足が上がらなくなる。

だから、夏場に限って、朝涼しいうちに歩くことにしている。

5時前に出かけて6時頃まで、近くの公園にある築山を中心に約1時間歩く。この時間の築山には、私だけでなくお散歩するお年寄りが大勢いらっしゃる。今年は、毎朝変わった体操をしているおじいさんをよく見かけるようになった。

最初は、太極拳をやっているように見えて、昔香港に行った時、朝早くにみんな太極拳をしていたっけなぁとなつかしく思い出した。でも、よく見ると剣道の素振りのような動きをしたり、四股を踏んでいる時もある。太極拳ではないようだ。

築山に登って下りて、近くの住宅街を回る。公園は遊歩道があって歩きやすいのだが、人も多いのでできれば避けたい。時節柄もあるけれど、そもそも人が近くにいるのが好きではないのである。

ただ、朝の散歩で困ることが二つほどある。ひとつは、午前6時が近くなると暑くなるので、あまり長い時間歩けないということである。だから、1日1万歩に届かない日もある。足りないからといって暑い中で歩くこともないので、まあいいかと思っている。

もう一つは、アラームをかけて起きる訳ではないので、起きる時間がまちまちだということである。最近は、家を出る時間によっていろいろのパターンを作ってそれに基づいて歩く。何回か歩くと、だいたい決まった時間に家に戻れるようになった。

近所の公園にある築山。標高40mほどあって、頂上近くは広くなっている。今年は、ここで太極拳みたいな四股を踏むじいさんをよく見かけた。


そして、7月の通院の日になった。あまり期待しないで行ったところ、なんと驚くことに、21年間続けてきた糖尿の薬がなくなったのである。

ヘモグロビンA1cの数値は、前回よりさらに改善して5.5。これより後に受けた市の定期検診が5.6だから、まあこのあたりをうろうろしているということであろう。しかし、お医者さんは分厚いカルテを見直して感心しているのである。

「最初の頃は108kgだったから、もう20kg減らしてるということですね。子供の体重一人分ですよ。ここまでできる人はそんなにいません。グラクティブの量は・・・・、最低量の半分ですか。どうです、いったん糖尿病の薬、やめてみますか?」

糖質制限の最初の目的のひとつが、薬の量を減らして家計負担を少しでも楽にすることであった。ようやく、その目標が少しではあるけれど達成されたことになる。

数年前までは、糖尿病の薬を2種類、高脂血症と高血圧の薬を1種類ずつ飲んでいた。それが、高血圧がなくなり、糖尿病が1種類になり、そして今回、糖尿病薬がなくなった。

もっとも、まだ完全に解放された訳ではなく、高脂血症の薬(アトルバスタチン)は引き続き処方されている。とはいえ、21年前に糖尿病の薬を飲み始めて以来、ようやく飲まなくてもよくなったのは何よりのことである。

薬局へ行って薬の値段を比べてみると、前回と今回とでは1,080円違う。一年にすると、8~9千円違う計算になる。糖質制限をしなければ、黙って出ていくだけのおカネが節約できるのは大きい。健保財政の健全化にも役立つだろう。

[Aug 28, 2021]

数ヶ月にわたる減量の甲斐あって、21年振りに糖尿病の薬がなくなりました。


糖質制限9ヶ月 体重85.3kg昔のメタボ健康相談

糖質制限を開始して9ヶ月が経過した。糖質制限を開始した2020年11月の最高体重は100.2kgであった。対して2021年8月の最低体重は85.3kgである。先月より0.4kg、糖質制限前と比べると約15kgのシェイプアップである。

1ヶ月前の7月、いっぺんに1.6kg落ちたので、8月の減少幅が小さくなったのは仕方がない。7月には市の定期検診があり、糖尿病の通院検査もあったため、酒を抜いた日が多く思った以上に体重が減ったのである。

前から書いているように、日々の体重増減はあまり気にしないようにしている。順調に減っている時はやる気が出るが、減らない時に気分が落ち込むからである。前日とか前週ではなく、1ヶ月前2ヶ月前の数字と比較するよう心がけている。

その点でいうと、朝の最低値は前月比0.4kgしか減っていないが、最高値は87.4kgで前月比1.4kg減である。もちろん、酒を飲んだ翌日の数字なのだけれど、それでも90kgを楽勝で割り込んでいるのは、糖質制限のたまものである。

毎朝計量時の最低体重は上記のとおり85.3kgであるが、瞬間最高風速(散歩して帰ってきてすぐとか)では84kg台という数字が出ている。7~8月は散歩するにも長時間できなかったけれど、それでもここまで落とせたのはわれながらがんばっている。

この体重になるのは平成5年、1993年以来28年振りのことになる。翌年には増え始めて、以来30代後半から60代初めまで、体重100kg台の糖尿病患者として過ごしてきた。糖質制限を始めて先月、ようやく糖尿病の薬をなくすことができた(高脂血症の薬はまだ飲んでいる)。

その時は糖質制限ではなく、節酒節食によるダイエットで、かなりきつい思いをして絞った。それでも、85kgから先は押しても引いても動かなくなり、毎日測定していたグラフがまっすぐになった。

小さい頃から80kgあった訳ではないので、それ以前もこれ以下の体重であった時代はあるはずなのだが、残念ながら記録が残っていない。かすかな記憶では、社会人になってすぐの頃80kgそこそこだった覚えがあるのだが、確かではない。

いずれにしても、85kg以下に減らなかったということは、このあたりで消費カロリーと摂取カロリーがバランスするということで、これまでのように毎月1kg単位で減ることはないかもしれない。

それでも、腹回りを見るとまだまだぜい肉がかなり分厚く残っている。BMIの目安といわれる25も上回っている。一喜一憂する必要はないけれども、せっかくここまで落としたのだから、もうひと頑張りしていいかもしれない。

100kgから85kg。ついに約30年前の最低体重に近づいた。


手許に残っている人間ドックの記録でもっとも低い体重は36歳のときの85.2kgである。会社で人間ドックを受けられるようになった35歳以降の記録でダントツに低い。記憶する限り20代はじめすでに80数kgを突破しているから、この体で四十数年過ごしてきたということである。

その、36歳のときのダイエットについて書いてみたい。その時は2度目の転職を図ろうという時期で、身体検査で落とされないためまさに身を削って体を絞ったのである。

いまでも覚えているが、リビンクの壁に体重の折れ線グラフを貼って、それに毎日の体重を記入しつつ意識を新たにしていた。スタート時点は100kgあった体重が数ヶ月のうちに90kgを割り、それ以降も確実に減っていった。

なぜ、2度目の転職を思い立ったのかというと、その時いた会社というのが非常にモラルの低い会社だったのである。もう数十年前のことで、関係する方々もいないと思うので少し詳しく説明する。

その会社は大手企業の子会社で、給料とか事務所の環境は悪くなかった。残業もぐっと少なくなり(前職はサービス残業全盛時の銀行である)、仕事もほぼ希望通りのもので、最初は転職した甲斐があったと喜んだものである。

しかし個人的に耐えられなかったのは、予算が潤沢であるのを幸い、必要のない海外出張をしたり飲み食いを会社に請求したり、果ては会社経費で個人の支出を支払ってみたり、多くの人が会社のカネを個人の懐に入れる会社だったのである。

サラリーマン生活を終えた現在であれば、そんなことは程度問題でたいていの会社がやっており、潔癖に目くじらを立てる方が変わり者扱いされることが分かったけれども、だからといっていいことではない。一歩間違えば横領とか、文書偽造を追求されかねないのである。

その時、本社の大ボスにあたる人がいた。すでに本社の重役であったが、数年後に功績が認められて社長に出世した。ところが、わずか2期4年で社長交代に至り、その後しばらくして自殺し人生の幕を閉じたのであった。

社長を追われた時の年齢はいまの私より若い。だから、体力的にはまだまだ現役でいておかしくなかったし、当時は実力者が70代になっても会社に残ることが珍しくなかった。その背景には、大会社にありがちの社内抗争が噂されたけれども、個人的にはあの会社のああいう体質が影響したのではないかと思っている。

話は戻って、何としても身体検査での競走除外は避けたかったので、夏頃から本格的に減量に取り組んだ。記憶に残っているのは酒を相当に控えたこと、昼食は外食せず、食パン半分と茹でた野菜を持って行ったことである(今にしてみれば、食パンこそ避けるべきだったが)。

運動としては、田町周辺にある会社から、昼食後に図書館、それも職場近くの三田図書館ではなく高輪図書館まで歩いていたのと、休日に家の近所を10km走っていた。運動と節酒節食しかダイエットの手段はないとされていた時代である。

1993年、36歳のときの人間ドック記録。当時の体重85.2kgは、残っている中で最も低い記録でした。もう28年前、そんなに生きてるんだ。

1993年、36歳のときの人間ドック記録。当時の体重85.2kgは、残っている中で最も低い記録でした。もう28年前、そんなに生きてるんだ。


休日の運動として、家の近所を10km走っていたところまで書いた。

当時、船橋市のマンションに住んでいて、そこからひと気のない方に向かって5kmほど走り、家まで戻ってきた。ランニングの記録もとってあったはずだけれど、処分したらしく見つからない。すでにその頃Lotus 1-2-3という表計算ソフトがあったのに、惜しいことである。

ランニングに関して手許に残っているのは、マラソン大会に出たときの記録証だけである。当時、各地で地域振興のためのマラソン大会が盛んに開催されていて、「ランナーズ」という雑誌にその情報が詳しく載っていた。

平成5年(1993年)の夏頃、次に勤める会社に願書と検診結果を提出したはずなので、ダイエットはその前から始めていると思われる。翌年4月に転職するまで1年近く、その後も1年ほどは節制したはずで、その結果が85.2kgとなった訳である。

さて、マラソンの完走記録は平成5年(1993年)10月の白井梨マラソン(親子2km)、平成6年(1994年)5月の三郷アップルマラソン(10km)、10月の白井梨マラソン(5km)、平成7年(1995年)3月の佐倉朝日マラソン(10km)で、後の3つは転職後の大会である。

この他に幕張メッセで走った記憶があるけれども、記録が見当たらない。時期的には平成6年の1月だったような気がする。

そうした大会を目標に、休日のたびに10km走ったのである。マラソンは子供の頃から苦手で、中学校の1500m走では7分台、ぶっちぎりのビリであった。にもかかわらず、参加料を出してまで走ろうというのだから、それだけ真剣だった訳である。

タイムは遅いのだが、走ること自体はそれほど嫌いではなかった。加えて、体育系の大会に選手として参加することなどそれまでなかったので、整備されたグランドやコースを走ることは新鮮であった。

いま記録を見てみると、「男子30歳代の部」とあるのはなつかしいが、タイム1時間5分台は下位10%というレベルである。

それでも、小さい頃から長距離が苦手だった1500m7分台の中学生が10km走れただけでも大したものだし、絞ったとはいえまだ80kg台だったのだから仕方ないかもしれない。

それ以降の記録がないのは節制を怠ってまた太り出し、とてもマラソン大会に出られる状態ではなくなったことによる。転職10ヶ月後の人間ドックですでに92.3kg(佐倉朝日マラソンに出た頃だ)、さらに3年後の平成10年2月には105.2kgとなり、すぐに糖尿病となってしまったのである。

当時のダイエット記録がほとんど残っておらず、あるのは人間ドックの結果報告とマラソン大会の完走証くらい。10km1時間5分は歩くようなものですが、それでもがんばったものでした。

当時のダイエット記録がほとんど残っておらず、あるのは人間ドックの結果報告とマラソン大会の完走証くらい。10km1時間5分は歩くようなものですが、それでもがんばったものでした。


さて、毎朝の測定では最低体重が85.4kgなのだけれど、瞬間最大風速では84.8kgといううれしい数字が出た。

この体重は運動後で水分補給前という条件だったので、胸を張って85kgを割ったとは言いにくいのだけれど、条件次第では28年前の最低体重を下回るということで、おそらく社会人1年目以来、40年ぶりくらいの体重になる。

前にも書いたように、今回の糖質制限では体重の測定値に一喜一憂しないで、1ヶ月2ヶ月前の体重と比べることを心がけている。8月も、毎朝の体重こそ85kgをなかなか割らないけれども、最高体重は7月の88kg台から87kg台へと、確実にシェイプアップしている。

そして、糖質制限を始めてからこれまで9ヶ月、瞬間最大風速で落とした体重までは毎朝の体重も落ちている実績がある。できれば、このジンクスが続いてほしいところである。

それにしても、ほぼ15kgになろうかという体重は、いったいどこに行ってしまったのだろう。日常生活にはまったく影響がなく、むしろ体調はよくなっているのである。

これについて、WordPress不具合でホームページの記事修正をしている中で、面白い過去記事を見つけた。10年以上前の記事なので、自分でも書いたことを忘れていた。2010年1月のせいうち日記、人間ドックでメタボ検診を受けた時のことである。

----------------- (以下、引用) ----------------
「摂取カロリーが消費カロリーよりも多くなければ、太らないんですよ。・・・普段、朝は何を食べていらっしゃいますか?」
「コーンフレークを少しと、バナナを1本。あとはコーヒーで砂糖は入れません。」
「それですと・・・400kcalくらいですね。お昼は、外食ですか?」
「家から弁当を持って行きますので、おそらく500kcalくらいだと思います」
「(問診表を見ながら)お酒を週に1、2度ですか。夕食はかなり量を取られるんですか」
「まあ、カレーライスだとお代わりしますが、ほとんど毎日家で食べますので、アルコール入れてもせいぜい1500~600kcalというところかと思います」
「それですと、太らないんですが・・・」
----------------- (引用終わり) ----------------

当時、すでに米国では糖質制限の理論は出ているし、日本でも江部先生の高雄病院では糖質制限食で効果をあげている。にもかかわらず、メタボ健康相談にして、このレベルなのである。

いまにして思えば、朝食ですでに糖質100g、お昼の弁当もご飯だけで糖質80gくらい、夕食が1500~600calということは、少なく見積もって糖質150gくらいあるだろう。とすると、1日に摂取する糖質は少なくとも300g、実際は400gとか500gあったかもしれない。

数ヶ月来取り組んでいるゆるめの糖質制限でさえ、1日の糖質は130g。1日にして200~300gは糖質を摂りすぎていたことになる。同じカロリー数でも、タンパク質や油脂に比べて糖質は効率的に熱量に転換される。余った糖質は、そのまま中性脂肪になり体重になる。

だから、1日の摂取カロリーが二千数百kcalなら太らないというものではなく、できるだけ炭水化物を避けるという工夫が必要だった。そういうアドバイスもできないのに「それだと太らない」と言い切ってしまうのだから、カネ(人間ドックの受診料の一部)を取って相談に乗るレベルになかったということである。

[Sep 25, 2021]


帯状疱疹 糖質制限中断!!!

糖質制限も10ヶ月目を迎えた。

9月の通院のとき、7月の検査結果が戻ってきた。血液検査は通院のたびに行うけれども、年2回だけ生化学検査を含む精密なもので、あとは血糖値とヘモグロビンA1cだけである。1月の検査では、ヘモグロビンA1cは下がったものの尿素窒素の数値が急増して、かなり気になっていた。

返ってきた結果は、ヘモグロビンA1cが5.3。1月の5.8、6月の5.5と比べてもさらに改善している。血糖値も108で、ぎりぎりとはいえ正常範囲上限にとどまっている。

一方、尿素窒素はというと、22.6で依然として正常上限の20を上回っている。1月の25.2というとてつもない数値よりも正常範囲に近づいたが、それでもかなり高いことは間違いない。

前回よりも正常範囲に近づいたのは、プロテインをやめるなどタンパク質の摂取を控えたことが功を奏したのだろう。とはいえ、まだ高いというのは腎臓に負担はかからないのだろうか。WEBで調べたら、江部先生の見解を見つけることができた。

「糖質制限食中は、21~30mg/dl程度に上昇することがあります」。おっと、数値的にもそのものずばり、さすが糖質制限のパイオニアである。

--------(以下引用)--------
細胞内の蛋白質が限度まで満たされると、体液中のアミノ酸は分解され、エネルギーとして使われたり、主に脂質あるいは、わずかながらグリコーゲンとして貯蔵されます。この大部分は、肝臓で行われます。

アミノ酸分解産物であるアンモニアが、そのままでは神経毒性を有するため、肝臓で尿素サイクルの代謝をうけて無害な尿素が産生されます。

尿素のほとんどは、腎臓の糸球体で濾過されて尿中に排泄されますが、その一部は再吸収され、血中に戻されます。

一部再吸収されるので、高タンパク食(糖質制限食)により血中尿素窒素(BUN)が高値となることがありますが、これは生理的な現象で、腎機能障害ではありません。

また、高タンパク食(糖質制限食)で、正常な腎臓に負担がかかるということもありません。
--------(引用終わり)--------

つまり、糖質でなくタンパク質主体でエネルギーをとることにより、必然的に尿素の産出量が増える。その結果、一度で尿にならない尿素が血液中に残存する。それが、尿素窒素の高い数値となって表れるということである。

あまり高くなるのは心配だが、21~30の範囲内で、クレアチニンが正常範囲内であれば、腎臓に悪影響はないというのが江部先生の見解である。

尿素窒素とともに増えていた総コレステロールおよびLDLコレステロールの値も1割方下がっているので、引き続きタンパク質の摂りすぎに配慮しつつ、ゆるめの糖質制限を続けてよさそうだとこの時は思った。

7月の検査結果が戻ってきた。ヘモグロビンA1cは引き続き改善して5.3になったが、半年前と同様に尿素窒素の数値が高い。江部先生によると、心配ないということだが。


という訳で、7月の検査結果を聞きに行くまではまったく順調であった。9月の最低体重は85.1kgまで落として8月を下回り、さてこれからもう一頑張りと思ったとたん、事件は起こった。何にせよ、予想もしない時にとんでもないことが起こるものである。

経過は「せいうち日記」の連載に書いたけれど、帯状疱疹に罹ってしまったのである。症状が出始めたのが9月15日、皮膚科に行って薬を飲み始めたのが17日、早期発見でよかったけれど、初めは毛虫に刺されたと思っていたのであった。

薬を飲み始めてから痛みがひどくなり、発疹も広がった。腹部に出来る人が多いらしいが、私の場合は額と頭部。これは三叉神経にウイルスが入ったということで、視覚障害や聴覚障害が残るかもしれない怖い場所である。

帯状疱疹になったら安静にするよういろいろな資料に書かれているが、私の場合は安静にせざるを得なかった。パソコンを見ても本を読んでも目が痛み、それが頭全体に電流のように走って、寝ている以外に方法がなかったのである。

症状が出始めて4~6日目が最も辛い時期で、ちょうど週末だったので競馬中継やNFL中継を見て、目が痛くなったら休むを繰り返していた。痛いのを耐えている間に1時間近く経っていることもあった。

さて、帯状疱疹の心得として安静とともに強調されているのが、バランスよく食事をとることである。糖質制限は炭水化物を極端に削るので、バランスがいいとはとてもいえない。目に後遺症が残ったらたまらないので、糖質制限は休まざるを得ない。

白飯抜きを10ヶ月間続けてきたが、久しぶりに白いご飯とみそ汁のついた夕食とする。ちょうど新米の時期なので、やっぱりお米はおいしい。お昼もおにぎり定食に変更である。

翌週になると、発疹は水ぶくれからかさぶたになった。痛みは、ピーク時を10とすると3~4に軽減されていたけれど、時間によってひどく痛む。特に、夜中から朝方にかけてひどく、痛みで目が覚めてしまうこともしばしばだった。

抗ウイルス剤は7日間で終了、鎮痛剤もロキソニンが飲めるようになった(帯状疱疹の初期には、髄膜炎のリスクがあるのでロキソニンは飲めない)。この頃から何とかパソコン画面が見られるようになり、痛みも軽くなる。

そして気づいたのだが、痛みは空腹時にひどく、食事を摂った後は軽くなる。毎日、お昼から夕方に体調がよくて、夜中から朝方に痛む。これは、食後に鎮痛剤を飲むことが原因なのか、それとも血糖値が関係しているのだろうか。

帯状疱疹は、子供の頃罹った水ぼうそうウイルスが神経節に残っていて、何かのきっかけで再び活性化し増殖することにより起こる。3人に1人が罹るといわれるが、知らなかった。(出典:マルホHP)


帯状疱疹の原因は、小さい頃かかった水ぼうそうウィルスが体内に何十年も潜伏していて、年取ったり体調が悪かったり、抵抗力がなくなったのを見計らって帯状疱疹として暴れ出すというものである。

痛みがひどい時にはパソコンも見られないし本も読めないので、目をつぶって痛みに耐えながら横になるしかなかった。考えるより他にすることがないから、いろいろ考えた。帯状疱疹のきっかけとなったのは何だろう。

私の場合、過労ということはないし、ストレスは現役時代よりずいぶん少ないはずである。糖尿病は改善しているし血圧も高くない。ここ数ヶ月で変わったことと言えば、糖質制限でウェイトを10kg以上落としていることだけである。

具合のいい時にパソコンで検索すると、私と同じように糖質制限中に帯状疱疹が発症した人のブログが出てきた。江部先生に問い合わせたところ、「聞いたことがありません」という回答だったそうである。

私が問い合わせた訳ではないので返信の全文を見ていないが、聞いたことがないとは感心しない回答である。帯状疱疹は3人に1人がかかるといわれている。その3人に1人に全く当たらないとしたら、「糖質制限で帯状疱疹にならない」ということにならないか。

高雄病院に入院中に帯状疱疹になった人はいないかもしれないが、その後に続く自宅での糖質制限中になった人がいないとは言い切れない。なった人は高雄病院ではなく皮膚科に行くからである。「聞いたことがない」とは「調べていない」と同義語であろう。

糖質制限をしても帯状疱疹の発症には関係ないかもしれないし、江部先生が知らないだけで実はリスクが高まるのかもしれない。現に私がなっているし、過去にもこうして調べると出てくるのである。

次の通院時に、初診時に調べた血液検査の結果が返ってきた。「腎臓にも肝臓にも異常値は出ていません。白血球も正常値です。発疹が出てすぐに治療を始められたのがよかったと思います」ということであった。

帯状疱疹は体内の抵抗力がなくなるのがきっかけとなるので、腎臓や肝臓の数値をみて治療の参考とする。そちらには特に問題はなかったので、通常の帯状疱疹の治療であるウイルスの増殖抑制、傷んだ神経組織の回復のための投薬を続けることになったのだが、検査結果をみてちょっと驚いた。

というのは、尿素窒素が18.6、クレアチニンが0.82というのは確かに正常値で、これだけみると腎機能に問題なしということになるのだけれど、数日前に帰ってきた1ヶ月半前の検査(→本稿1.参照)では、尿素窒素が22.6、クレアチニンが0.98だったのである。

前回検査から今回の検査まで、食生活はほとんど変わっていない。体重の減少はほぼ止まっていて、1kg以内の変動である。これをどう考えたらいいのか。

いい方に考えれば、カロリーの摂取と消費でバランスが取れて、尿素窒素の数値も正常に戻ったということになるが、体重がほぼ同じなのに基礎代謝がそれほど変わるとは思えない。それに、1ヶ月半でこれだけ変わるのも不審である。

悪い方に考えると、これまで糖新生(アミノ酸からブドウ糖を作ること)でブドウ糖の不足分をまかなっていて、それで尿素窒素が高かったものが、いよいよ体内に余分なアミノ酸がなくなってきて、糖新生ができずに尿素窒素がもとに戻ったのではないか。

帯状疱疹の際の検査では、2ヶ月しか経っていないのに尿素窒素の数値が22.6から18.6と正常範囲に低下していて驚いた。このタイミングで発症したということは何らかの関係があるのでは。


帯状疱疹と糖質制限の因果関係は不明である。単に老化に伴って発症しただけかもしれないし、急に涼しくなって体調をくずしたのかもしれない。とはいえ、約1年で10kg以上体重を落としたことにより、抵抗力・免疫力が気づかない間に低下した可能性もある。

組織に例えると、リストラで人員削減を進めた結果、何年何十年に1度必要になるかもしれない部署を整理して、本来その部署があれば防ぐことのできた事故が発生したということは考えられないだろうか。

いずれにしろ、体調をくずしたからには回復することが最優先である。皮膚科でいただいたプリントにも「安静にして十分な栄養をとることが必要です」と書いてある。ということで、開始から10ヶ月を迎えたところで、糖質制限はいったん中断することとした。

中断とはいっても、そもそもゆるめの糖質制限で1日130g程度である。10ヶ月間ほぼとらなかった白米をメニューに加えるだけで、それほど極端に増やす訳ではない。糖質にしてプラス100gくらいの日を2~3日に一度作るくらいだろうか。

せっかくここまで節制してきたのだから、食パン、うどん、清涼飲料水などは引き続き避ける。うどんはともかく、パンやスナック類、コーラやスポーツドリンクは昔の人だって摂っていなかっただろう。

もともと糖質制限によるダイエットは、加齢に伴ういろいろな体調悪化を改善するために取り入れたもので、あくまで手段である。それがもとで体調を崩しては何のためにやっているのか分からない。

もう一つ考えたのは、皮下脂肪やぜい肉を悪者扱いしてダイエットしてきたものの、皮下脂肪には皮下脂肪の言い分があって、彼らも一緒になって体を動かしてきたからこそ大きな支障なく年月を重ねることができたという見方もできる。

血糖値や血圧、肝機能、腎機能に負担になる部分は落とさざるを得ないにせよ、それ以上に削るとかえってどこかに不具合が出るのではないだろうか。そのバランスは人それぞれで、一律に標準体重がベストと言い切れるものでもあるまい。

上の例でいうと、何年何十年に一度しか使わない部署をリストラするようなものである。体の仕組みには、まだまだ分からないことが多い。必要と思ったものが実はいらなくて、いらないと思ったものが必要だったということは、十分ありえることである。

[Oct 23, 2021]

皮膚科で渡されたプリントには、帯状疱疹にかかったら安静にすること、十分な栄養をとることと書いてある。糖質制限は一時中断せざるを得ない。


糖質制限再開 サプリメントの話

すでにお知らせしたように、帯状疱疹になってしまったのでやむを得ず糖質制限を中断することとなった。

帯状疱疹というと、脇腹とか背中という例が多いのだが、私の場合は額と頭の中であった。ということは、水ぼうそうウイルスが三叉神経に入ったことを意味する。皮膚科の先生が「よくない場所ですね」というくらいである。

自分でも目が開けにくいのは分かったが、奥さんに言わせると「片目が開いてなかった」そうである。皮膚科の先生に言われて、眼科も受診しなければならなかった。

安静にするように言われたのだけれど、本を見てもパソコンのディスプレイを見ても目が痛み、それが頭の中に伝わって電気が走るように痛いので、おとなしく寝ているしかなかった。競馬やNFLの中継を休み休み見るのがやっとである。

処方されたのは、抗ウイルス剤とビタミンB12剤、肝臓の薬、それと痛み止めである。痛み止めは最初アセトアミノフェンだけだったが、あまりにも痛むので種類を増やしてもらった。

無理して目や耳に後遺症が残るのは嫌だし、顔面神経痛もつらそうである。「十分な栄養をとってください」というくらいだから、炭水化物も含めてということだろう。

もともと糖質制限によるダイエットは、加齢に伴ういろいろな体調悪化を改善するために取り入れたもので、あくまで手段である。体重が減るのはついでのようなもので、主目的ではない。それがもとで体調を崩しては何のためにやっているのか分からない。

パソコンで作業することが可能になったのは1週間過ぎたくらいで、その頃になると帯状疱疹の腫れもだいぶ引いて楽になった。それまでの1週間は、本当に自分の体が使い物にならなかった。

2週間目に発疹がかさぶたになって、一部は赤みも取れて発疹も分からないくらいに改善した。薬もかなり減って、「普段の生活に戻していいですよ」と言われるまでになった。

先生の許可が出たので、その頃からルーティーンとなっている散歩を再開した。久しぶりに歩くと、頭の中がリセットされて、これまで断線していた回路がつながっていくような感触があった。

一方で、帯状疱疹の回復期間中は、体重計に乗ると1日で0.5kgずつ増えていくのだった。いくらなんでも、1日に500gも糖質を摂っている訳ではない。体を休めて糖質制限でない普通の食事をしているだけである。

もしかすると、精神的にストレスになっていなかっただけで、体には糖質制限によるダイエットがストレスとなっていた可能性がある。でなければ、別に大食する訳でも酒を飲む訳でもないのに、0.5kgずつ毎日増えるものだろうか。帯状疱疹には酒はよくないとされている。そうでなくても、具合が悪くて飲めない。

帯状疱疹は、子供の頃かかった水ぼうそうのウイルスが何十年も体内に潜伏し、それが加齢やストレスなどによる免疫力の低下に伴って再び活性化することにより起こる。知らなかった。


休養中心に毎日を送っている間に、1日に体重が0.5kgずつ増え、9月初めに85.1kgまで落としたのに、10月には90kgを超えるまでリバウンドしてしまった。

せっかく絞ったウェイトが戻ってしまうのはくやしいけれども、帯状疱疹の後遺症は怖い。目や耳に影響が残ったり、顔面神経痛になったら嫌だ。「背に腹は代えられない」とはこういうことを言うのだろう。

体重の増加以上に気になったのは、せっかく改善した糖尿病が再び悪くならないかということであった。ようやく糖尿病薬のグラクティブがなくなり、年間約1万円にのぼる医療費を節約できたのに、元に戻るのは悔しい。

加えて、「糖尿病薬をやめたら、急に太りましたね」と言われるのも格好が悪い。帯状疱疹が原因とはいえ、タイミング的にはまさに重なっているのである。

幸い、次回の通院までまだ時間がある。落ち着いたら少しずつシェイプアップして、少なくとも80kg台に戻しておかなければと思ったのだが、もう一つ気になったのは、奥さんが言ったことである。

奥さんが言うことには、「最近はやせて爺さんみたいに見えた」というのである。もうすぐ65の立派な爺さんだから気にすることではないのだが、ものの本によると見た目が若いと脳や内臓の年齢も若いのだという。

体重計に乗ると体内年齢50歳とか出るのでかなり気をよくしていたにもかかわらず、「見た目が爺さん」と言われてしまうのは不本意である。不本意ではあるが、傍からそう見えているとしたら、自分で考えているようになっていないということである。

TVで見るところの同年配の有名人、野田元首相とか森永卓郎氏などと比べると(例に出して悪いが)、肌つやにせよ見た目にせよ自分の方が若く見えるはずである。もっとも、岸田新首相も同年配なので、やっぱり人によりけりなんだろうけど。

いずれにしても、約30年前には押しても引いても85kgより下がらず、今回もその体重まで落としたら帯状疱疹を発症したということは、このくらいの体重で体内に何かが起こるということではないかと推測される。

しつこいようだけれど、糖質制限は手段であって、健康維持が主目的である。自分の体調と相談しつつ、あまり体重を絞ることには気をつけないといけない。

タニタの体重計で「体内年齢50才」と出てくるのにかなり気をよくしてました。WEBによると、タニタの算出方法はおかしくて、15歳足すくらいが本当の数値だという説もありますが。


ということで、糖質制限中断により約5kgリバウンドした。しばらくは仕方がないので、体調回復優先で毎日過ごしていたところ、今度は何もしないのに体重が減り出したのである。

中断時には毎日0.5kgずつ増えていたのに、今度は0.5kgずつ減っていく。それも、散歩とか体を動かしたから減るのは分かるけれども、雨降りで1日家にいても減るし、驚いたのは酒を飲んだ翌日でさえ減っているのである。

5kgリバウンドしたのに対し、そこから4kgすぐに減った。差し引き1kgリバウンドしているが、そのくらいの体重増は仕方がない。90kgの大台に戻らなければ、医者で体重が増えた言い訳をどうするか心配しなくて済む。

なぜ急に増えて急に減ったのだろう。まず考えられるのは、帯状疱疹によるウイルスの増殖に対して、体が反応して増えたのが自然に減ったということである。 発疹があって腫れたのはその部分の細胞に水分がより多く含まれたということだろうし、いったんリストラした体内の抗ウイルス組織も増強されたに違いない。回復過程ではそれが通常ベースに戻ったので、腫れが引くように体重が減ったということである。

もうひとつ考えられるのは、何種類か飲んだ薬の副作用ということである。当然、上にあげた体内の反応は薬の服用で促進されたものだけれど、それ以上に副作用があったのかもしれない。

そういえば、どの薬だったか、想定される副作用の中に「むくみ」があったような覚えがある。「むくみ」と「腫れ」は紙一重。腫れだと思っていたものが実はむくみで、それが原因でさらに体重が増えていたのかもしれない。

いずれにせよ、増えるときは何も特別なことはしなくても増え、減るときもまた自然に減るというのは妙なものであった。

結局、10月の最高体重は90.7kgまで増えたのだけれど、帯状疱疹が治ってこれまでの糖質制限に戻したら10月中に85.9kgまで減った。



今日はサプリメントの話をしたい。 歳をとるにつれて体調にいろいろと不具合が生じて、数年前からサプリメントを愛用している。はじめはマルチビタミンとビタミンCくらいだったが、オルニチンが加わりEPA/DHAが加わり、さらにマルチミネラルもレギュラーメンバーとなった。

糖質制限を始めた頃は、さらにプロテインが加わったのだが、検査で尿素窒素が急上昇した際にやめた。ただし、他のサプリメントは続けている。

そのうちの一つに、ノコギリヤシがある。夜中にトイレに起きる回数は糖尿病の改善とともに少なくなってきたのだが、それでも折に触れて悪くなり、3回も4回も起きることがしばしばある。

奥さんに言わせると「早く寝すぎるからじゃないの」ということなのだが、体調によってひどい時とそうでもない時がある。あまりにも調子が悪い時には、気休めかもしれないがノコギリヤシを飲むことにしている。

このところ小林製薬の製品を続けていたのだが、ここ1~2年困ったことが出てきた。小林製薬のノコギリヤシはもともと1,300円(税抜き・60粒)であり、普及品のノコギリヤシだとその値段なのだが、他にいろいろ入ったノコギリヤシEXが2,500円、ノコギリヤシPREMIUM4,500円という高価格製品もある。

それはそれで余裕のある人が買えばいいと思っていたのだが、安いのだけ売っていたのでは商売にならないのか、ノーマルノコギリヤシの製造・販売をやめてしまったのである。

もともと、ノコギリヤシは健康食品であって薬品ではない。つまり、薬効を謳ってはいけない製品であり、飲む方もあくまで気休め的に考えなくてはならない。だから、生薬成分が入っていたり、いろいろなビタミンを含んでいなくてもいいはずなのである。

そういう高級製品を高いおカネを出して買う人がいてもいいけれども、そうでない普及品で構わないというライトファンを無視する姿勢を露骨に示されると、それは違うだろうと言わざるを得ないのである。

前回までは、仕方がないからノコギリヤシEXを買っていたのだけれど、いかんせん倍の値段というのは負担が大きい。どうしようかと思ってこの間イオンの健康食品売場を見たところ、なんとノコギリヤシが1,000円くらいで売っているのである。

1粒あたり含まれているノコギリヤシの量は全く同じで、倍以上違う値段は生薬成分とかビタミンとかによるものである。しかし、本当に困って漢方薬をとる必要があるのなら、健康食品ではなく医薬品を選ぶべきであって、内科にかかって処方してもらうのが本当なのである。

われわれがサプリメント、健康食品でとりあえず様子をみようというのは、お医者さんにかかるほどひどくはないけれども、気になるので少しでも体によさそうなものを試してみるということではないのだろうか。

小林製薬の健康食品をこれまで選んできたのは、通販会社やよく分からない100均のものだと何が入っているか分からないので、ちゃんとしたメーカーのものが安心だからである。

別に、小林製薬のものは医薬品にも使われる成分が含まれているからでも、効果が高いからでもない。そのあたりの見極めがきかないのであれば、小林製薬もバカばっかしである。売上前期比何%増などと言っているようであれば論外だし。

[Nov 20, 2021]


糖質制限1年 体重12kg減

早いもので、糖質制限を始めてから1年経った。

毎朝Excelに記録している体調メモを見ると、糖質制限を始めたのは昨年(2020年)11月中旬だから、この11月でちょうど1年である。先般、帯状疱疹で2週間ほど中断したけれど、回復後再開して今日に至っている。

1年というとあっという間のように思えるけれども、これから先何年生きていられるか考えると、それなりに長い期間のように思えるから不思議である。さて今回は、糖質制限を1年続けた結果、体重や検査結果の数字がどう変わったか振り返ってみたい。

1年前の2020年11月、月間最高体重は100.2kgだった。10月1ヶ月間の平均体重も99.1kgだから、ほとんど100kg前後で過ごしていたことになる。

1年経って2021年11月は、最高88.2kg、最低86.4kg、11月1ヶ月間の平均体重は87.1kgだから、平均すると12kg絞れたことになる。自分の体だからそんなに変わったとも思えないけれど、奥さんに聞くとかなり痩せて見えるらしい。

毎日計っているのは体重、体温、血圧だが、体重以外の数字はどうだろうか。体温はあまり変化がなく、36度台前半で推移している。血圧は、糖質制限前の2020年10月の平均を計算してみると、上が130、下が83であった。

これが1年経ってどうなったかというと、2021年11月の平均で、上が124、下が80である。上下ともおおむね5ずつ下がっている。わずかとはいえ、年取って血管が確実に老化していることを考えると、糖質制限の効果は大きいといえそうである。

血液検査では、ヘモグロビンA1cが糖質制限前の6.5から、糖質制限後は5.3に改善、空腹時血糖も121から108と低くなっている。トリグリセロイド(中性脂肪)も、121から80に改善している。

一方、前に書いたように増えているのがコレステロールで、総コレステロールが149から168に、LDLコレステロールが81から92に増えている。HDLも42から61に増えている。これは、糖質をとらない分タンパク質の摂取が増えているためと思われる。

ただし、かつて言われたところのコレステロールが増えると動脈硬化が進行するというのは原因と結果が逆のようで、最新の知見では動脈硬化が進むからコレステロールが高くなるらしい。とはいえ、血圧が下がっているので、動脈硬化の心配はそれほどしなくていいようだ。

糖質制限の後で最も気になっていたのは尿素窒素の数値が18.5から22.6に急上昇したことであったが、最近の検査では18.6と落ち着いているので、あまり気にすることはなさそうだ。

血糖値やヘモグロビンA1cの数値が改善したことにより、二十年以上続けていた糖尿病薬を飲まなくてもよくなった。かつては糖尿病だけで2種類、量もずっと多かったのが徐々に減り、とうとうなくなった。高脂血症の薬はまだ続いているけれども、この歳になって薬が減るのは何よりのことである。

糖質制限により、ピーク時には85kgと1年前と比較して15kg減量に成功した。帯状疱疹発症によりリバウンドしたが、11月現在で2kgほどの増加にとどまっている。


前回は、糖質制限前と後とで体重や検査数値がどう変わってきたかを振り返ったけれど、今週は1年間にやり方をどう変えてきたか修正点をまとめてみたい。

糖質制限開始の頃は、まだ自分に合ったやり方が分からなくて、江部先生などの本を読んで厳密に取り組んでいた。1日の糖質60gは最初から無理だと思ったのでマイルドな糖質制限130g以下にしてきたし、調味料とかアルコールも厳密には排除しなかった。

しばらくやってみて合わなかった第一は、プロテインである。ZAVASを買って飲むようにしたのだけれど、そもそもあまりおいしくない。加えて、糖質制限後の検査で尿素窒素が急上昇したので、タンパク質の摂りすぎはよくないと思ったのである。

江部先生によると、糖質制限で尿素窒素の数値が上がるのは生理的な現象で心配することはないということだが、腎臓や血管に負担が全然かからないとはいえないだろう。クレアチニンの数値が正常なら問題ないからといって、異常になってから心配しても遅い。

という訳で、プロテインはやめたのだが、同じく江部先生によると問題ないとされるチーズやナッツも、少しなら問題ないのだけれど、多めに取ると途端に肌に影響が出るのである。

かえって、糖質制限では避けるべきとされるケーキや和菓子の方が、肌に現れる影響は少ないように感じられる。だから、チーズやナッツは控えめにして、週に1度くらいならケーキや和菓子を食べるようにした。いまのところ、大きな問題はないようだ。

以上が糖質制限開始直後とは変えた点だが、当初から変わらず続けているのは、白米、食パン、異性化糖の入った食品はなるべく食べないという点である。

白米を食べるのは、外食とか限られた場合だけで、家ではほとんどとらない。あれだけ好きだった海苔巻きもいなりずしもカレーライスも、1年間全く食べていない。そんなに長いこと食べていなかったっけと思うくらいである。

帯状疱疹の後、お寿司だけは月に1度くらい食べるようになった。それでも、1人で2人前も食べることはなくなり、1.5人前を奥さんと分けるくらいである。量が少なくなると、不思議とネタのいいものを食べるようになるから不思議だ。

食パンは糖質制限後買っていない。朝食は奥さんの作ってくれるブラン(ふすま)の入った手作りパンで、1食の糖質は20gほど。許容範囲内である。小さなパンに、チーズや蜂蜜、ジャム、マーマレード、ヌテラなどをちょっとずつ付ける。以前は6枚切りを2枚ずつ食べていたことからすると、糖質は比較にならないほど少ない。

あれほど飲んでいたコーラやファンタ、スポーツドリンクも1年間飲んでいない。なぜか、全然飲みたいと思わない。山登りの時など、塩分とミネラルを補給するためにスポーツドリンクを飲むべきだと言われるのだが、水だけで問題ないし、かえって喉も渇かない。

アルコールについては、糖質制限開始直後からあまり気を使っていない。よく言われるのが糖質を含まない焼酎やウイスキー、スピリッツ類にすべきだということだが、量をあまり飲まなければそれほど気にすることはない。日本酒2合の糖質は18g、白飯お椀半分にもならないくらいの糖質なのである。

こんな具合にゆるゆるの糖質制限でも、1年続けた結果かなりの効果があった。奥さんによると、そういう話をしていたらご近所の奥様が同じようにゆるめの糖質制限をして、体重も減って血圧も下がったそうである。

糖質制限後の朝食。コーヒーカップの前にあるのが、奥さんお手製のブランパン。小さいけれど、これ1つで十分お腹いっぱいになる。


糖質制限によって予想以上に体が絞れたので、さすがに100kg超の時に買ったウェアが合わなくなってきた。

ベルト穴を詰め、ウェストが締まるものは限界ぎりぎりまで締めて何とかしてきたのだけれど、いかんせん10kg以上の体重減には対応できない。そして、奥さんいわく「だぶだぶの服を着ていると、年寄り臭くて貧弱に見える」そうなのである。

その要因のひとつは、加齢とともに筋肉が重力に逆らえなくなってきて、全体に下へ下へと垂れ下がっているせいではないかと思うのだけれど、いずれにしても、みっともないのはよくない。

これも奥さんの言うことだが、「若い時は安いものを着てもみすぼらしくないけれど、年取ると余計にしみったれて見える。ボケた人が老人ホームから脱走してきたように見える」のだそうである。

印西市の防災放送で、もっとも多いのが60代から80代の迷子のお尋ねである。「身長170cm、髪型は白髪、グレーのジャージにサンダル」の男女が、しょっちゅう放送される。白髪は髪型じゃなくて髪の色だろうと突っ込んでいるのだが。

さて、そんな風に見られるとしたらよくないので、先日、奥さんとモンベルに行って新しいパーカーを探してきた。ギアとか小物は通販購入するのだが、ウェアだと着てみないと体に合うかどうか分からない。

そして、実際に体に合わせてみると、以前はXXLでないと余裕がなかったのに、いまではXLがゆるゆるなのである。これは驚きであった。いくつか試着して、着心地がもっともよかったパウダーホップ・パーカーを購入した。

2万円を超すお値段は厳しいけれど、長く着続けられればその方がいい。なにしろ、これまで来ていたユニクロのウルトラライトダウンは安売りで4,000円くらいなのを7年間、ジャスコで買った薄手のジャンパーはやはり3,000円くらいを十数年来ていたのだ。

考えてみると、2万円の私服を買うことは本当に久しぶりである。サラリーマン時代はスーツやコートが仕事着なので何万円かはしていたけれど、私服にはそれほどおカネをかけなかった。

そういえば、CW-Xもレインウェア上下も高かった。山用品は命にかかわるから、値段が張るのは仕方ないかもしれない。立山でもトムラウシでも、大量遭難した中高年グループでは、防寒着をちゃんとしていた人が助かっているという。

さっそく、散歩で里山を歩くときに着ているが、風が強くて寒い時でも中はぽかぽかである。糖質制限で皮下脂肪が薄くなっているから、ありがたみも増すのであった。

モンベルで新調したパウダーホップ・パーカーXL。糖質制限で体形が変わったせいで、余裕をもって着ることができたのには驚いた。


さて、糖質制限を1年続けて自分でもがんばったと思うし体重や検査結果も改善したのだけれど、来年はどのあたりを目標にしていこうか考えている。

9月に帯状疱疹を患って以降、コロナワクチン接種も控えていたこともあってペースを落としていた。その結果、11月の最低体重は86.4kgと10月を少しだけ上回ってしまった。

ワクチン2回目も無事終わったことだし、来年は再び30年来最低体重の85kgにチャレンジしたいと思っている。

もちろん、何度も書いているように体重減は結果であって目的ではない。糖質制限の目的は、老化に伴う体の不具合を改善して、できるだけ長く健康で過ごすことである。

だから、体調の変化を注意深くみながら、必要なときにはきちんと栄養(炭水化物を含む)をとって体を休めることも必要である。

最近気になることが、手足の冷えを以前より感じることである。この秋の気候はおかしくて、9月10月に冷えて11月に暖かい日が続いた。成長期に気温が低かったものだから、りんごが不作だという。

そうしたことを考えると、来年の最大の目標は大きな病気をしないことである。帯状疱疹の時は、1週間体が使い物にならなかった。そういうことのないように、日ごろから体調を整えることが重要である。

ここで少し不安になるのは、最近甘いものが食べたくなったり、酒を飲みたくて仕方なかったりするのが、妙に増えたことである。

糖質制限から1年経って、とうとう禁断症状的な症状が出てきたのかもしれない。この1年、白飯を食べなくても食パンを食べなくても平気だったのに、急にそうしたことが増えたのはどういうことなのだろうか。

糖質制限を続けていて思ったのは、「体が欲しがる」もののすべてを本当に体が要求している訳ではなく、実は「脳」が要求している場合が多いことである。

だから、そのあたりの見極めが重要で、後者の場合実は糖分は足りているので、要求にしたがっていればリバウンドが待っている。

そうしたことからすると、来年の目標としては大きなことは言わないで、現状維持、病気をしないというあたりにとどめておいた方が賢いのかもしれない。

それにしたところで、規則正しい生活、適度な運動、糖質をできるだけ制限した腹八分目の食生活は大切である。しつこいけれど、減量は目的ではなく手段、体調を整えることが最大の目的なのである。

[Dec 25, 2021]

甘いものはアルコール同様に依存症のおそれがある。体が求めているか脳が求めているかの見極めは重要である。


糖質制限再開2ヶ月 糖質制限中の酒

帯状疱疹で糖質制限を中断したが、この年末で再開2ヶ月となった。

12月の最高体重は88.5kg、最低体重は86.0kgと、11月と比べて0.4kg減。帯状疱疹前の9月に記録した最低体重85.1kgには届かないものの、帯状疱疹直後に90kgを超えたことを考えると、まずまずのレベルにまで落としてきた。

あまり急激にダイエットして体によくない影響があるといけないので、最近は体重を見ながらほどほどの糖質制限にとどめている。1日糖質130gも、おそらく月の半分くらいしかできていないかもしれない。

白飯・食パン・うどん・ラーメンといった炭水化物をなるべく避けることは引き続き心がけているが、週に1度くらいお寿司をちょびっととか、食パンに奥さん手作りのゆずジャムを付けて食べるとかしている。幸い、いまのところ急激にリバウンドすることはない。

こうしたことから考えると、1日に袋菓子1袋食べたり、コーラやスポーツドリンクをやたらと飲んだり、白飯や食パンを大食するから体重が増えたのであって、普通に節制を心がけていれば糖尿病にならなかったのかもしれない。

先月も書いたけれど、十数kg体重が落ちたものだから、以前のワードロープが合わなくなってしまった。仕方がないので、財政の許す範囲で少しずつ服を新調し、古いのを処分している。再び太ったら、着るものがない。

12月には定期の通院もあったのだけれど、秋以来糖尿病の薬(グラクティブ)を飲んでいないにもかかわらず、血糖値は106、ヘモグロビンA1c5.6で。帯状疱疹直後のリバウンドにもかかわらず、検査数値は正常範囲に入っているのは何よりのことであった。

秋以来糖尿病の薬(グラクティブ)がなくなったにもかかわらず、血糖値、ヘモグロビンA1cは正常範囲内。糖質制限の効果は大きいと感じる。


さて、この時期もっとも気になることと言えば、年末年始でどうしても飲む量食べる量が増えて、ダイエットとは逆方向に向かわざるを得ないことである。

昔に比べると、ワインを1人で2、3本とか日本酒1升なんてことはなくなって、二日酔いで苦しむこともほとんどなくなったけれど、それでも普段よりも多く飲みかつ食べるし、まっ昼間っから飲むこともしばしばである。

まあ、正月くらいしか家族が揃うこともないし、ある程度は仕方がない。ちゃんと新年を祝わないと年神さまに悪いし、あと何年こうして楽しめるか分からないのである。

大晦日に飲みかつ食べ、元旦にも飲みかつ食べた。とはいっても、1日に飲める量は知れていて、ワイン1本にビールくらいである。普段の倍は飲んでいるけれども、アルコール量としては100g少々、150gは行かないだろう。

若い頃は日本酒だったら1升、ビールだったら5リットルは飲めた記憶があるから、200gは超えていたはずで、それから比べると半分もいかない。まあ、厚生労働省の基準は1日20gだそうだから、それは楽に超えている訳だが。

そんなこんなで、新年の一連の日程が終わる頃には、89kgまで体重が増加してしまった。一喜一憂しないとはいえ、再び90kg目前まで来たとなると心中穏やかではない。三ヶ日が過ぎると、節制を心がけた。

ところが、その頃の気候はというと、毎日風が強くて散歩するのも厳しい日が続いた。そして、6日には首都圏に大雪が降った。最初は1cmとか3cmとかの予報だったのに、昼前には5cm予想に増え、結局千葉ニューでは10cm以上積もった。

前回山に行ったのは12月15日だから、通常の間隔であれば年の暮れか年明け早々には次の山の予定なのだが、年末は風が強かったし、年明け早々この雪である。これでしばらく山に行けなくなった。

山に行くのは減量のためではないが、1日歩くと体重が大きく落ちることも確かである。そんなこんなで、年末年始に増えた体重を戻すには、かなりの日数が必要になったのである。

2022年は新年早々大雪となり、増えた体重が戻らず苦労した。


さて、正月でもあるので改めて糖質制限中の酒について書いておきたい。

糖質制限の権威・江部先生によると、糖質制限していてもアルコールの摂取はしてもかまわないし、むしろ酒飲みの方が糖質制限のストレスが少ないということである。

ただし、飲んでいいのは糖質の含まれないスピリッツ類である焼酎やジン、ウォッカなどに限られ、日本酒やビールは避けるべきであるとされている。

江部先生に逆らうようであるが、この1年間糖質制限をしてきた自分の経験からすると、量さえ飲まなければ、アルコールで白飯や食パン、ラーメン並みの糖質をとるというのは至難の技で、あまりこだわる必要はないというのが実感である。

日本酒2合の糖質は約18g、ビール350mlだと約11g、ワインボトル半分で約6gである。最も糖質が多い日本酒にしたところで、白飯でお碗半分にもならない。(これについては、以前書いた)

それでも、少しでも控えた方がいいので、ビールは一番搾り糖質0にしている。そして、このところ冷え込んでビールという気分ではないので、代わって贔屓にしているのが、麒麟特製レモンサワーである。

サワー類ではこれまで氷結を飲んでいたのだが、ビール同様冬にはちょっと適さない飲み物である。ところがこのレモンサワー、レモンの味が際立っていて味わいがある。ウォッカベースなのだけれど、ウォッカ独特のくさみもない。

アルコール度数が9%あるので氷結より濃いのだけれど、値段はほとんど同じで1本100円程度。一番搾り糖質0よりも4割方安い。考えようによっては天然のレモンなどほとんど使っていないのかもしれないが、酒の場合半分以上は税金だから、税率の低いところで工夫していると解釈しておこう。

同じキリンで「一番搾り糖質0」があるのに、こちらは「糖類0」と微妙に使い分けしているところが気になるところだが、炭水化物でも100ml当り最大1.2g、すべて糖質としても1本で3~4gにしかならないので、やはり白飯や食パンとは比較にならない。

ちなみに、糖質は炭水化物から食物繊維を除いたもの、糖類は糖質のうちブドウ糖などの単糖類・二糖類を指す。でんぷんやオリゴ糖などの多糖類、キシリトールなど糖アルコールは、糖質には含まれるが糖類でない。

ラカントSで有名な天然甘味料エリスリトールも糖アルコールなので、ラカントが糖質制限に有効であれば、糖類0でも糖質0でも糖質制限上の効果には違いはないということになる。

何はともあれ、おいしくなくては長続きしない。最近、年々酒量が落ちてきていることをしみじみ感じるので、できるだけおいしく飲みたいものである。

最近贔屓にしている麒麟特製レモンサワー。レモンの香りがすばらしくよい。糖質0でなく「糖類0」なのだが、糖質でも1本当り3g程度。


糖質制限2ヶ月を迎えて、最近いい意味で意外だったのは、夜中トイレに起きる回数が少しだけれど減っていることである。

糖質制限で体重を約10kg落としてからも、夜中にトイレによく起きるのはあまり改善しなかった。夜9時に床に就くと、だいたい12時前後、遅くなっても1時頃には1回目のトイレに起きる。奥さんによると、9時に寝るのが早すぎるということなのだが。

12時、2時、4時の3回か、少ない時で1時、3時の2回。夏でも冬でもあまり変わらないが、冬は廊下に出ると寒いので体に響く。そして、たいして量も出ないのである。歳とともに膀胱にがまんがきかなくなったのかと思っていた。

ところが1月になって、夜中のトイレが1回だけという日が何日か出てきた。ありがたいことである。毎日の記録で確認すると、すでに7、8回ある。ここ数年ほとんどなかったのに、これは顕著な改善である。

糖質制限を始めて1年なので、その効果がようやく現れてきたのだろうか。それ以外にここ1、2ヶ月で始めたことといえば、ノコギリヤシをイオンの健康食品に代えたのと、掻巻を頭にかけて寝るようにしたことだけである。

ノコギリヤシに小林製薬とイオンで違いがあるとは思えないから(イオンの方が安いし)、効果があったとすれば掻巻である。頭寒足熱というから頭は冷やした方がいいのかと思っていたが、どうやらそうとも言い切れないようである。

毎日の記録と夜中のトイレの関係をみてみると、前日に酒を飲まない日の方がトイレが少ない傾向にあるけれども、酒を飲んでもトイレに起きない日もある。

山歩きに行った晩は疲れて夜中起きることが少ないが、1万歩くらいの散歩では起きたり起きなかったりする。それでは寒さが主因かというと、夏でトイレが近いのをどう説明したらいいのだろうか。

いずれにしても、トイレに起きた時でもそれほど量が出る訳ではないから、年取って神経が過敏になってきているのと、生活リズムの問題だろうと思っていた。

しばらくこのままの傾向が続いて、夏になればもう少しはっきりした答えが出るかもしれない。とにかく、夜ぐっすり眠るのが健康に重要なことは、間違いないのである。

[Jan 29, 2022]

ありがたいことに、最近夜中トイレに起きる回数が減っている。寒いのにありがたいことである。寝るとき掻巻きを頭の上に置いているのがいいのだろうか。


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