せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
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山で天気予報が外れる    上高地でキャンプ    老人性諸症状
久々にダイエット    第9次歩き遍路    検査数値の改善    最大のぜいたく
正月の楽しみはNFL    NFLの次は将棋    久しぶりにウイスキー


山で天気予報が外れるのは悲しい ~せいうち日記111

しばらく前から気になっていた健康保険の切り替えがスムーズに終わって、4月後半から動き回れるようになった。リタイア後の年金生活者にとってゴールデンウィークは混むばかりで出歩く時期ではないが、年金の原資は働くみなさんの納める年金保険料であり、ここは感謝しつつおとなしくしていなければならない。

とはいえ、暑くなる前に山に行かないと、せっかくの気候が無駄になってしまう。今年は3月以降不安定な天気が続いて、なかなか晴れ間が続かなかった。かと思うと真夏日になるという予報で二の足を踏む。勤労者の方々があまり行けない日時で天気予報と相談しつつということになると、なかなか候補日が調整できないのはつらいところである。

その中で、ゴールデンウィーク前は4月20日から1泊2日で丹沢に行く。大倉登山口から丹沢山・みやま山荘に登って一泊し、翌日は桧洞丸までという計画を立てたのだが、初日に足が攣ってペースが上がらず、蛭ヶ岳から東海自然歩道で姫次から東野へ下りた。こちらに下りると交通の便が悪いのが難点で、バス便が限られる上に三ヶ木、橋本経由で帰るまでが大変だった。

この山行は出発前日まで雨で、予報通り当日からは晴天だったので問題はなかったのだが、ゴールデンウィーク後に計画した5月10日からの奥多摩は大変だった。同様に前日まで雨でこれは仕方ないのだが、出発当日は雨は残っても朝の内という予報で、天気図をみても高気圧が張り出して回復するはずであった。山梨県東部の降水確率は10%、まず心配ないだろうと思っていた。

朝5時前に家を出る時に小雨がぱらついていたが特に気にせず、北総線と武蔵野線で奥多摩に向かう。立川から青梅線に入ると、通勤通学する人達がみんな傘を持っている。路面は濡れて光っていて、「朝のうち雨が残る」という雰囲気ではない。奥多摩駅に着くと雨は本降り。西東京バスを待つ人達もリュックにカバーしたりレインウェアを着たり、身支度に大変であった。

まあ、止む前には本降りになることもあるからと悠長に構えていたら、鴨沢にバスが着く頃にはいったん雨は上がり、雲の切れ間から青い空も見えた。バス停の休憩所でリュックカバーを外し、登り始める。まだ上から雨粒が落ちてくるのは、樹の上から風で水滴が落ちるんだろうと思っていた。

ところが、30分登った小袖の駐車場では、空一面が鈍い灰色となり再び本降りの雨である。山の中だから仕方がない。再びリュックカバーを付ける。木立の中だと木々に遮られて雨の直撃は避けられるものの、それでも屋根がある訳ではないからいくらかは下まで落ちてくる。それから1時間、11時を過ぎても空は明るくならない。それどころか、雷の音まで聞こえてきた。

この尾根の休憩適地は標高1150m地点で、平らに整えられて広場のようになっているが、水たまりができておりシートを敷いたくらいでは追いつかない。転がっている大きな木を見つけて、ビニール袋を敷いて座りあわただしく昼食休憩とする。と、空から小さな球形の固体が落ちてきた。春なのに木の実とはおかしいなと思っていたら、なんとそれは霰であった。

帰ってから奥さんに聞いたところによると、この日の天気予報は大外れで、わが家の方でも一日冷たい雨だったそうである。ニュースでも「予報は外れてしまいました」と言っていたそうだから、私の天気図の読み方が拙かった訳ではないようである。このくらいで済んだからよかったようなものの、もし落雷でもあれば命にかかわるところであった。

このように山で天気予報が外れて痛い目にあったものの、その分、翌日は風もなく空気もひんやりして、山を歩くには最高の陽気となった。

七ツ石小屋から急坂を登って稜線に出ると、奥多摩の山々、遠く丹沢・南アルプス、そしてくっきりと富士山が見えた。富士山が見えると浮き浮きした気分になるのは、やっぱり日本人というか、先祖代々刷り込まれたものなんだろうと思う。

そういえば、まだ学生時代のこと、大人になったら大きなビルの上の階で働くようになろうと思っていた。その後社会人になって、10数階とか20数階のオフィスで働くこともあったのだが、実際に働くとビルの何階だろうが仕事に追われて景色どころではなく、エレベーターが混んでかえって大変なだけである(震災の時は歩いて上がらなくてはならなかった)。

そうしたことを思えば、こうして山の上まで登って、まだ誰も通らない道で景色を楽しむ方がずっといい。ビルの上から地上を見ても、よそのビルの雑然とした屋上やら老朽化した公営住宅やら見たくもないものが見えて興ざめするが、山の上から見えるのは幾重にも連なった稜線であり、彼方の富士山である。残り少ない人生、できればいい景色を見て過ごしたいものである。

[May 18, 2018]

奥多摩では七ツ石小屋に初めて泊まりました。2、3年前から丹波山村営となっていて、お布団もふかふかでしたが、約12畳の部屋に一人で寒かったです。


それでも、翌朝すばらしい風景を独り占めできたのはうれしいことでした。富士山を見るとうれしくなるのは、やっぱり日本人?


上高地でキャンプ、最後は泣きながらテント撤収 ~せいうち日記112

24日の日曜日から、3泊4日で上高地に行ってきた。上高地というと贅沢旅行というイメージがあるが実はキャンプ山行で、費用の多くの部分は交通費である。最終日の夜中から大雨になってしまい泣きながらテントを撤収しなければならなかったのは辛かったが、それまでは天気も良く風もなく、景色はもちろん最高で、なかなか費用対効果の大きい遠征であった。

ここ数年、春秋は奥多摩・丹沢、冬は房総を中心に歩いて来たのだけれど、夏はどうするか悩むところだった。奥多摩は暑いし、丹沢はヒルが出る。房総は暑い上にヒルが出る。夏山というともっと北に行くのが気候的にはいいのだろうが、半面費用がかさむのは年金生活者にとって厳しい。

ならば、キャンプをしたらどうだろうか。テント一式は笠取小屋で一度使ったきり、あとは災害準備用品になって数年を経過してしまった。これを実戦で使うことができれば、宿泊費は段違いに安くなるはずである。

以前上高地に行った時、バス停からすぐのところにキャンプ場があるのを見た。あそこなら、重い荷物でも無理なく運ぶことができる。あとは天気であるが、6月の終わりに梅雨の中休みで晴れ間があるらしい。ということで急きょバスの切符を手配して上高地に向かったのであった。

交通費として必要なのは、自宅から新宿までの片道1,260円と上高地行き高速直通バスの6,070円、帰りは往路と同じとすると15,000円で行って帰って来られる。丹沢の山小屋泊とそんなに変わらない。もしこれがうまくいけば、夏の山歩きの目的地拡大と費用節減をともに果たすことができる。

6月24日、日曜日の上高地行きバスは空いていて、隣の席はいない。団塊の世代がリタイアしたとはいえ、私のように天気を見てすぐに動ける年寄りばかりではないらしい。とはいえ、みんなが私のようでも混むから困る。高速道路も順調で、定時の12時05分に上高地バスターミナルに到着した。

10分ほど歩いて小梨平キャンプ場へ。創業70周年と書いてあるから、まさに戦後まもなく始まったキャンプ場である。受付で3泊分の使用料2,400円を支払う。キャンプサイトはたいへん広い。それほど混んでいないので、梓川沿いですぐ横に手頃な切り株のある一画に設営することにした。日曜日には20張以上のテントが張られていた。

それほど戸惑うこともなく設営でき、ほっとひと息つく。考えていたよりも少し暑く(あとから聞いたら、この日の東京は猛暑だったそうだ)小さな虫が飛んでいるのが気になったが、天気も良く風もなく、目の前には梓川が流れ、その対岸には岳沢から穂高への景色が広がる。半日でこの景色が楽しめるのだから、言うことはない。

このキャンプ場のいいところは、クラブハウスのお風呂と食堂である。お風呂は1回600円で、ここには毎日来た。上高地でも奥の方では石鹸・シャンプー禁止なのだが、こちらはまだ使うことができ、お風呂場にシャンプーとボディソープが備え付けてある。カランは8つあり、湯船も広くて気持ちがいい。難点は終わるのが早いこと(6時半)だけ。

食堂はやはり終わりが早い(ラストオーダー5時15分!)のだが、トンカツがとてもおいしいし、生ビールが500円と麓と同じ値段で飲めるのがうれしい。ここの食堂を3日中2日利用していたので、食糧(アルファ米やカップヌードル)を余してしまった。

お風呂と食堂で一日の疲れが取れたせいか、夜は結構しっかり眠ることができた。キャンプサイトの地面が柔らかい草地であったことと、サーマレストの伸縮式マットの空気が抜けていなかったこともよかった。今回の目的の一つがテント泊でもちゃんと歩くということだったので(なんたって60過ぎのおっさんである)、その意味では計画をちゃんとクリアしたといえる。

さて、ここをベースキャンプに、デイパックのみの軽装・日帰りで近くの山まで歩いたのだが、その報告は山歩きの記事で改めてお伝えするとして、予想外だったのは出発日の朝である。

天気予報では、出発日の27日は曇りのち一時雨で降水確率は30%、にわか雨があるかもしれないという程度であった。だから、降られる前に引き上げてしまおうという計画だったのだが、なんと夜中の1時前に早くも雨粒が落ちだした。にわか雨ならじきに止むだろうとトイレをがまんしていたのに、2時間経っても止む気配がない。外に出たら土砂降りだった。

前日まで月明りでヘッデンなしでも大丈夫なくらいだったのに、もちろん真っ暗。至るところに水たまりができて、強風でタープの支柱が倒れているテントもある。低い場所に設営してあるテントには、水が流れていってしまっている。風情があった梓川の水音も、大雨と重なると不気味であった。この日の上高地の1日降水量は40mmだから、にわか雨というより大雨である。

前日までは朝の冷たい空気の中、EPIガスでお湯を沸かしコーヒーを淹れてパンを食べたのだけれど、さすがにこの天気では外で食事は無理である。テントの中で、カロリーメイトとトマトジュース、ゼリー飲料という冷たい食事をとる。さすがに中で火を起こす勇気はない。

出発時間が迫るのに、雨は全く止む気配がない。仕方なく、テント以外の荷物をリュックにまとめ、レインウェア上下を装備して外に出る。雨も強く風もある中で、泣きそうになりながらペグを抜き、フライシートを取り、フレームを抜く。フライシートと本体、アンダーシートはいい加減に畳んでゴミ袋(ゴミではない)に入れる。この間、もちろん傘はなし。

リュックを背負い、テント一式の入ったゴミ袋を持ってバスターミナルに向かう道のりは、来た時の倍あるのではないかと思えるほど長かった。朝一番の新島々行きバスは半分以上が埋まり、その中にはキャンプ場で見かけたアメリカ人の若いカップルがいた。夜中からの大雨で急きょ引きげることにしたのだろうか。

新島々から電車、松本から新宿までバスで午後3時過ぎに家に帰ると、猛烈な突風でおそろしく暑かった。わずか3日間の上高地なのに、あちらの気温に順応してしまったらしい。毎日お風呂に入っていたのに、「臭いし汚いから早くお風呂に入って」と奥さんに言われてしまった。毎日お風呂に入っても、同じ服で同じテントにいたのではそうなるのだろうか。

河童橋付近から岳沢・穂高方面。キャンプ場からもこの景色が見えます。


小梨平キャンプ場Lエリア。奥の緑が私のテント。


4年振りに実戦で登場した私のテント。出発日は夜中から大雨で泣きながら撤収。

[Jun 29, 2018]

老人性諸症状とサプリメント ~せいうち日記113

「命に係わる高温」とTVで注意喚起する暑い日が、7月に入ってからずっと続いている。用事がなければ屋外に出ない方がいいという。

埼玉育ちの奥さんに言わせるとそれでも千葉は涼しいというのだが、連日32℃以上が続くとさすがにバテてくる。奥さんがスポーツジムで聞いてきたことだが、今年は山に行っても避暑地に行っても暑いそうだ。考えてみると6月に上高地に行った頃が最後のチャンスで、それ以来山歩きには適さない日が続いていることになる。

仕方がないので、家で毎日うだうだしている。最近はネットで将棋中継をやっているので、それを見ていると1日退屈せずに過ごせる。晩ごはんが済むとスポーツジムに行って汗を流し、大きなお風呂にゆっくり入る。夜はエアコンをつけっぱなしで寝る。原発事故の時は省エネしろとうるさかったが、最近はTVでもエアコンは消すなと言っている。

そんな毎日なのだが、体調面で少し気になることがある。最近、加速度的に酒に弱くなって、夜中に目が覚めて眠れなくなったり、翌日がたいへんつらかったりするのである。加えて、汗をかくとなんだかおしっこ臭い。いずれにしろ血液を濾したものなので似たようなものだが、これまでなかったことである。

40代で糖尿病と高脂血症になり、以来内科に通って薬を飲み続けている。それに加え、ここ数年で老人性の症状が気になりはじめて、サプリメントを飲んで対応してきた。

まず、50代で目の疲れがきた。もともと近視に乱視が加わってメガネなしではひとの顔が区別できないくらいだが、字を読むのがだんだんつらくなり、右と左で見え方が違う。しばらくは遠近両用メガネで何とかしてきたのだが、遠近の調節もだんだんきかなくなり、いつも目の奥が痛むようになってしまった。

調べると、これは加齢による目の筋肉の老化が原因で、歳をとって悪くなることはあってもよくなることはない。仕方がないので、「キューピーコーワi」を飲むことにした。3ヵ月分180錠で5000円ほどするので懐には苦しいが、目が痛いし肩こりはひどくなるので背に腹は代えられない。リタイアしてコンピュータに向かう時間は減ったが、いまも飲み続けている。

次に気になったのは夜中のトイレで、これも原因の大部分は加齢である。調べてみると、ノコギリヤシがいいらしい。1ヵ月分60錠で1500円くらい。半信半疑だったが、確かにトイレに起きる回数が減ってきた。それでも3~4時間置きに起きてしまうけれど、許容範囲内だろう。せっかく効果が出ているので、これも飲み続けている。

あとは全身の疲労感。疲れがたまると口内炎とか体調不良になりやすいので、そのつどチョコラBBとかビタミンCを飲んでいた。とはいえ、具合が悪くなる前に飲んだ方が体が楽なのは間違いないので、数年前からマルチビタミンの錠剤を飲むようにした。いろいろなメーカーから出ていて、値段もそれほど高くない。

さて、それに加えて最近の体調不良である。ネットで調べたところ、汗がおしっこ臭いのは血液中のアンモニアのせいで、肝臓の機能が落ちていることが原因らしい。酒が残るのも肝臓なので、どうやらそのあたりに老化がきているようだ。

肝臓の働きをカバーするには、どうやらオルニチンがいいらしい。通販で草野さんが奨めているオルニチンである。各世帯1回だけ、500円でお試しできるシステムがあるので、さっそく注文してみた。

こうして老人性のいろいろな症状にサプリメントで対処していると、思うのは秦の始皇帝のことである。始皇帝は中国全土を統一して望めばすべて叶う立場となったが、不老長寿の妙薬だけは手に入らず、最後は妙薬として飲んだ水銀中毒で死んだ。まだ50そこそこだったので、いまの私よりずいぶんと若い。

当時、すでに漢方薬の処方は現在と変わらないくらいあったはずなのに、それに飽き足らず水銀に手を出したのである。ノコギリヤシとかシジミエキスとか、とりあえず体調を少しでも良くする自然食品を摂っていればよかったのに、一発逆転を狙うからかえって寿命を縮めることとなった。

とはいえ、毎日満漢全席で酒盛りをしていたような皇帝だから、何をしてもダメだったかもしれない。といっても「満」の料理が入るのは中世以降で、満漢全席の確立は清に入ってからであった。でも、熊の手とかツバメの巣、フカヒレ料理は秦の時代すでにあったので、同じような贅沢料理を食べていたことは間違いない。

[Jul 27, 2018]

久々にダイエット ~せいうち日記114

今回は本当に久々に減量について書いてみたい。

そもそもこの「せいうち日記」という題名は、あたかも「せいうち」のようなわが体格を改めようということから名付けたもので、連載当初は減量・ダイエットについて書いていた。それが、生活の変化(サラリーマンからリタイアして隠居生活)に伴い、年金生活の経済的側面やら事務的ないろいろの手続きを書くようになって今日に至っている。

とはいえ、この連載を始めた13年前は体重のピーク時で100kgを超えていたものが、現在は90kg台にとどまるようになり、並行して糖尿の薬も1/6に減らすことができたのは、われながらがんばったといえそうである。

リタイアして生活リズムが変わってきて、毎年末に受けていた人間ドックがなくなった。人間ドックがある時期には酒も食事も控えるようにしていたので、短期間とはいえ生活をリセットすることができた。

人間ドックの代わりになるのが市の特定健診だが、レントゲンやエコー、心電図がなく、医者で受けている検査とたいして変わらないので、あまり力が入らなかった。ところが、この特定健診の結果が返ってきたのを見たところ、かなり良くない数字が出ていたのである。

体重がリタイア前より2kg増えていることはともかくとして、中性脂肪が266とここ数年なかったような高い数値である。過去の人間ドックの結果と見比べたところ、体重が100kg台だったときの数値である。これはよくない。

中性脂肪の数値は他の指標以上に肥満との結びつきが強い。過去数十年の人間ドックの結果を振り返っても、中性脂肪が200を超える時期は必ず太っていて、それも、体重の絶対値よりも限界値、太る過程で高くなる傾向にあるようだ。

これがGOTとかGPTになると、体重よりは酒量と密接に関係しているようで、100kgを超えている時でも20とか30とかそんな数値だった。コレステロールは何と関係があるのか、いつも変わらず高い。ストレスと関係しているのが血圧で、これはリタイアして確実に低くなった。

たまたま、7月はスポーツジムでやっているところの「脂肪買取り」月であった。このキャンペーンは、7月に計測した体脂肪量から2ヵ月以内に1割減らすと賞品がもらえるというもので、参加料は500円、賞品はジム(だけ)で使える1000円の商品券である。

このキャンペーンは年2回やっていて、数年前から参加している。2回に1回は成功するので元は取れるし、参加時と2ヵ月後には全身の脂肪量を分析したデータをもらえるので、トレーニング効果を検証するのに参考となる。

体重ではなく体脂肪量というのがミソで、私の場合、体脂肪率が26~28%だから体脂肪量は26kg前後である。減量すると減るのはほとんど脂肪だから、3kgの減量で大体クリアできる。2ヵ月後の9月はちょうど医者の精密検査があり、これを目標として久々に本気でダイエットすることにした。



以前から気になっていたのは、リタイアして毎日の運動量は確実に減っているのに、食事の量がほぼ現役時のままであるということであった。そこで今回まず試したのは、食べる量を減らすということであった。

これまでの朝食メニューは、トーストとコーンフレーク、奥さんの作ってくれたサラダとソーセージorウィンナの焼いたもの、それにフルーツとヨーグルトといったところ。トーストにはハムとチーズを乗せていたので、総カロリーは1000kcalくらいあったかもしれない。

通勤があれば歩いたりして消費できるけれど、リタイア後は家にいるだけである。考えてみれば、これは必要とされるカロリーをかなりオーバーしている(考えなくても分かるが)。そこでまず、トーストかコーンフレークどちらかにすることにした。試しにやってみると、たいしてお腹は空かない。これまでが食べ過ぎだったのである。

また、夕食時には週に2回ワインまたは日本酒を飲んでいたのを控えて週1回だけにし、主食も控えめにした。特に日本酒は在庫が切れたのを機に新たに注文しなかった。これは節約とダイエット両方の効果がある。

そうして8月を過ごしていたら、毎朝計っている体重が徐々にリタイア前の数字に近づいてきた。2ヵ月が経過して、「脂肪買取り」2回目の計測である。体脂肪計に乗ると、体重は95.3kg。1回目に比べて4kg以上の減量に成功したのである。

ところが、体脂肪量の減少はそれほどでもなくて、2.9kgであった。つまり1kg以上筋肉が落ちてしまったということである。実は毎朝の計測で4kg近く減らせていたので1割減は楽勝だと思っていたのだが、ぎりぎりだった訳である。

これに気をよくして、「脂肪買取り」終了後もこの生活を維持することにした。1週間後には、毎朝計っている体重が95kg台に減少し、昨年秋に雨の中を連日30km以上歩いた四国お遍路直後の体重に並んだ。たいへんうれしいことである。

ちなみに、95kgを下回る体重は6年前の人間ドック、90kgを下回ったのは25年前の人間ドック以来ない。四半世紀以上この体重なのだから、内臓脂肪にもそれなりの言い分はあるかもしれない。

医者の検査もその体重で受けたので、どのような数値になるか、たいへん楽しみである。少なくとも、ダイエットの発端となった中性脂肪の数値は改善していると思うので、結果が楽しみである。

[Sep 14, 2018]


考えさせられた第9次歩き遍路 ~せいうち日記115

10月10日から17日まで歩き遍路の区切り打ちに行ってきた。これで9回目、壬生川からスタートして善通寺まで、約180kmを歩いた。

この遠征の序盤、壬生川からスタートしてまもなく、たいへん気分の悪い思いをした。四国お遍路をしている人にはよく知られたことだが、このあたりには問題のある場所があって、それに関連することであった。

(具体的にどういうことがあったのかここでは触れない。四国遍路の記録は当ブログで連載しており、まだそこまで達するには時間があるので、どのような書き方がいいのかじっくり考えたい。)

2、3日釈然としない気持ちで歩いて、そこから数十km離れたある寺でのことである。納経を受け付けてくれたお坊さんと話していて、はじめはお寺の由来とか四国札所の霊験といったことだったのだが、突然、こういう内容になった。

「お大師様は俺のところにカネを落としてくれないなどと言っている人もいるが、そんなことはなくて、誰彼区別することなくすべての人に与えて下さる。そういう人は、余計な諍い事を起こして、自らおカネを捨てているだけのことだ。」

もちろん、私がどこそこでこういうことがあって、などと話した訳ではなく、お坊さんもどこのことだと名指ししたのではないけれども、私には例の不愉快な思いをした場所のことであるように聞こえた。

「ただ、人間それぞれに持って生まれた器がある。お大師様は分け隔てなく与えてくださるのだが、盃しか持たない人もいれば、茶碗を持つ人もいれば、盥のような大きな器を持っている人もいる。そういうことだ。」

お話を聞いて、改めて思った。これまで60年余り、自分の持ち場でまじめに暮らしてきて、他人をうらやんだり足を引っ張ったりしなかったが、そういうことをしないで済んだということは間違いなく幸せなことであろう。

会社員生活は苦労の割に報われることが少なかったけれど、カネもコネもない人間が40年間仕事をして来て、いま現在贅沢はできないけれどなんとか生活できているということは恵まれているといえなくもない。

そういうことがあってから、誰かに話しかけられた時なるべく足を止めて二言三言でも話をするようになった。自分でもなぜかよく分からないが、そうした方がいいように思えてきたからである。

お経の言葉に「百千萬劫難遭遇」とある。「劫」とはひとつの宇宙が発生して消滅するまでの間、43億2000万年のこととされる。その43億2000万年が百・千・万と重なっても、ありがたい教えに出会うことは難しいという意味である。(ちなみに、囲碁における「コウ」はこれが語源である)

出会うことが難しいのは仏様のありがたい教えだけでなく、おそらくすべてのことに通じるのだろう。私がこうしてお遍路歩きをしていられるのも無数の偶然が重なりあったもので、「百千萬劫難遭遇」に変わりはない。そんなことを思いながら、立ち止まって土地の人達とあたりさわりのない話をしたのである。

そのせいでもないだろうが、今回のお遍路歩きではいろいろな場所でご接待を受けた。一度などは、瀬戸内海を見晴らすたいへん景色のいい休憩所で休んでいると、眼下に広がるみかん畑から、わざわざ急斜面を登ってみかんを持ってきてくださった。

この時期のみかんは極早生といわれる種類で、粒は小さいのだけれど甘くておいしい。みかんもうれしかったけれど、急斜面を登ってきてくれた親切がありがたかった。私ならそこまでできただろうかと思った。

みかん畑の上にある休憩所から、瀬戸内海の景色が広がる。休んでいたら、わざわざ急傾斜を登ってきてくださって、みかんをご接待していただいた。ありがたいことです。


[Oct 25, 2018]


検査数値の改善と布団干しの効用 ~せいうち日記116

お遍路歩きから帰ってきて、前回検査した結果がどうなったか楽しみにしつつ医者に行った。結果は、期待したとおりまずまずの数字であった。

7月9日の市の定期検診では、中性脂肪266というしばらく出ていなかった高い数字が出たが、9月1日の検査では88と劇的に改善している。100を下回ったのは5年振りのことである。

併せて、空腹時血糖が123から104、HbA1cが6.6から6.1とわずか2ヵ月弱の間にびっくりするくらい数値が改善している。努力の結果がタイムリーに反映するのは、まだまだ体が若いということであろうか。

前々回のせいうち日記に書いたように、9月以降の体調管理は食事内容の見直しにより行った。概算すると朝食の摂取カロリーが400kcalほど下がっているだけだが、毎日となると意外に効いているようで、とうとう体重は7年前のダイエットによる最低体重を更新し、23年振りの水準まで落とすことができた。

150cmしかない奥さんから「小さくなった」と言われるのは気になるが、腹のあたりがスマートになったのはうれしい。家計へのダイエット効果もあるらしく、「牛乳やハム、チーズが減ったのは大きい」ということである。

奥さんといえば、しばらく前から奥さんの奨めにしたがい、コンピュータの置いてある部屋をこれまでの北東の6畳洋間から南西の8畳洋間に移動した。

しばらく前とはいつだったか正確には覚えていないが、今年(2018年)に入ってからのことである。夏の間は暑かったが、この時期になると日当りがよくぽかぽかする。ソファが置いてあるので、昼ご飯の後にお昼寝するのもこの部屋である。

コンピュータは西向きの壁際に置いてある。この向きは40年以上前、実家の勉強部屋で机に向かっていたのと同じで、ぐるっと回って最初に戻ったような感じである。右斜め前に腰の高さの窓があり、左はベランダへの掃出し窓があるのも同じである。

そんな位置だから、洗濯物や布団をしまうのも私の役目になった。天気が怪しい時には中に干し直したり、乾いたら取り込んで畳んだりする。この歳になるまでしなかったことである。

この季節はやっと空気が乾燥してくるので、布団を干すのは楽しい。春は花粉の季節だし、夏は熱くなりすぎるので布団干しにはあまり適さない日が多いが、秋は干すだけ軽くなる。

でも、奥さんの言うことには、日が高いからと言って油断していると秋の陽は釣瓶落とし、すぐ気温が下がり始める。昼過ぎかせいぜい1時半、気温が下がり始める前に取り込む。そしてその夜は、ふっくらした布団でぐっすり眠るのである。

そういえば、この春上高地にキャンプに行った時、徳澤園で盛大に布団干しをしていた。何回かお世話になった丹沢みやま山荘は、いつも布団がふわふわで気持ちがいい。寝心地のいい布団でぐっすり眠ることは、幸せを何割か増やしてくれる。

もちろんおカネを稼ぐことも大切だが、こういうことに気づくことも大切だと思う。「人生に必要なのは、勇気と希望とサム・マネー」だと誰かが言った。マネーは「メニー」ではなく、「サム」で足りるのである。

(チャップリンの「ライムライト」に出て来るセリフだが、原典は”courage,imaginaton, and a little dough”なので、誰か超訳した人がいるらしい。someではなくてa littleというのがいい。)

[Nov 28, 2018]


ストレスが少ないのが最大のぜいたく ~せいうち日記117

2018年も残すところわずかである。

年内にやっておかなければならなかった年賀状はじめ年末年始の準備も一段落した。気がかりなことをひとつひとつ片付けて、心やすらかに新年を迎えられるのは何よりのことである。

今度が、リタイアして3回目の正月になる。最初の年はポリテクが始まってばたばたしたし、昨年は年金がちゃんと支給されるかどうか気になる年末だった。今年はそうしたペンディング事項もない。ありがたいことである。

サラリーマン時代には、ペンディング事項がなくなることがなかった。常にマンパワーよりも仕事量の方が多く、トラブルが絶えることはなかった。ああいう生活をいつまでも続けていたら、体を壊すか、メンタルがおかしくなるか、その両方である。

先だってぼんやりTVを見ていたら、早期退職して田舎に引っ越した人が、趣味の家庭農園の収穫を地元の産直に出して月数十万の売上をあげているという。大したものだけれど、私には到底できない。向き不向きもあるけれども、それ以前にストレスをこれ以上積み上げてどうするのかという心配が先に立ってしまう。

私と同年配であるそのリタイアおじさんは、借りている畑を耕していろいろな野菜を作り、共同で使っているポンプの故障を直し、産直に出す落花生を茹で、売り切れると追加で納品し、夜になると送られてくる売上を確認する。きっとその後に帳簿も付けているのだろう。でも、「私は農家ではなく趣味でやっています」と言うのである。

そういうことがストレスにならない人もいるだろうし、収入とのトレードオフになるだろうから一概には言えないけれども、私が同じことをしたらストレスで参ってしまうだろう。仮に農作業でなく自分の得意分野だとしても、誰かに何か言われたら対応しなければならない、何時までに何をしなければならないというサイクルには、もう耐えられそうにない。

スマホを手放せない人のかなりの部分は、ラインだのフェイスブックだので誰かが何かを言うのに即座に返事しなければならないそうだ。私はガラケーしか持っていないし、メールに返事するのも奥さんだけなのでそういう心境が分からないけれど、ストレスにならないのだろうか。

自分の時間は可能な限り自分の好きなように使いたいし、他人との関わり合いは必要最低限にしたい。それで食べていけなければともかくとして、衣食住とも足りて、健康で文化的な生活を何とか確保しているのだから、それ以上求めるのはぜいたくである。

世の趨勢をみると、「お得に」「損しないで」のオンパレードである。同じ値段で多くの品物が手に入るならいいけれども、多くの場合安ければ安いだけのことであるか、自分に跳ね返ってくるかどちらかである。加えて、その考えを推し進めると、空いている時間はおカネに還元すべきであって、そうしないのはバカだということになりかねない。

おカネというのはあくまで交換を容易にするための道具なのであって、価値そのものではない。究極の「損得」があるとすれば、限りある時間と資源とを使って、どうやってより多くのことができるかということだと思っている。

だから、おカネの損得で持ち時間を使いたい人はそうすればいいし、私は自分の時間を心安らかに、できるだけストレスなしに過ごせることに重きを置く。そして、いろいろ興味のあることを考えるのに、時間はいるけれどおカネはあまりかからないのである。

毎朝目が覚めて、さしあたってしなければならないことがなく、夜は心安らかに眠りにつくことができる。おカネが山ほどある訳ではないし、やりたくてできないこともたくさんあるのだけれど、ストレスが少なくて済む今の生活は、最高のぜいたくであると思っている。

[Dec 21, 2018]


正月の楽しみはNFLと星と鳥 ~せいうち日記118

リタイア3年目の正月となった。1月といえばNFLのプレイオフである。リタイア前は仕事があるので、プレイオフどころかSuperbowlさえ見られない時があったが(停電による試合延長でVTRすらちゃんととれなかった2012シーズン!)、リタイアするとそういうこともない。あとはSuperbowlを残すのみ。3時起きも終了である。

NFLとともに今年の冬の楽しみの一つは、星を見ることである。寒いことを除けば、虫はいないし夜は長い。午後6時には真っ暗だし、午前5時でもまだ明るくならない。空気も澄んでいるので、星を見るにはいい季節である。

2019年の年初はいい天気の日が続いた。スポーツジムから帰る頃には、南の空にオリオンが高く上がり、オリオンを囲むようにおうし座のアルデバラン、ぎょしゃ座のカペラ、ふたご座のカストルとポルックス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスと1等星が並ぶ。

そして朝起きる午前5時過ぎでも、余裕で星空を見ることができる。寒いけれども、ベランダに出て星を見る。この時期南天に高く昇っているのは金星で、金星を追いかけて木星。この二つが圧倒的に明るい。月ほどではないが、金星も木星も動くのがよく分かる。2つの惑星はだんだん近くなり、1月終わりには大接近した。

金星の先に、うしかい座のアレクトゥールスとおとめ座のスピカ、しし座のデボネアが冬の大三角形を作っている。デボネアから台形にしし座の胴体部分が並び、頭のところが1等星のレグルスである。その先には、宵の口に東にあったカストルとポルックスが西に傾いている。

大三角のアレクトゥールスから天頂方向に首を思いっきり倒すと、北斗七星のひしゃくが並んでいる。いまや、日本古来の星座のほとんどが顧みられなくなってしまったが、北斗七星だけはおおぐま座というより通りがいい。あるいは、「北斗の拳」のおかげだろうか。

天文年鑑を毎年買っていたくらい昔から星を見るのが好きだったのに、いまだに一目で星座を見分けることができない。だから、iPADで星座表を見ながら勉強している。千葉ニュータウンはまだまだ田舎なので空が広く、4等星くらいまでは見ることができる。ありがたいことである。

十年前、よくテニアンやケアンズに行っていた頃、南半球の星を見るのを楽しみにしていたのだが、テニアンではやたらと雲が多い上にホテルの前はライトアップされてしまっていたし、ケアンズは街中で星を見るのが難しかった。でも、工夫次第では何とかなったはずで、いま考えると残念なことであった。

夜の間は星だが、昼間の楽しみは鳥である。冬になると食料が乏しいのか、わが家の庭にも野鳥がエサを探しにやってくる。今年はなんとかメジロを呼びたいと思ってみかんを枝に差して誘っていたのだが、近頃定期的に来るようになった。

半分に切ったみかんくらいの大きさしかないメジロが、一生懸命つついているのは大変かわいい。家の奥さんは、庭雑誌と同じだと言って喜んでいる。最初は警戒心が強く物音がするとすぐ飛び去っていたのだが、最近は少々の物音では驚かずずっとみかんをつついている。

それどころか、残り少なくなると「おかわりください」みたいに家の中を覗き込むように見ている。年金暮らしなのでみかんは1日1個しかあげられないが、年末に箱で注文した愛媛みかんがあったし、あんまりおいしそうにつつくのでもうひと箱注文してしまった。

メジロの他に、大きめの冬鳥がやってくる。彼らが来るとみかんを地面に蹴散らすのはかわいくない。千両や万両の実を食べに来るのはホオジロである。昨年よく来たスズメやシジュウカラの姿があまり見えないが、これから春にかけてまた見られたらうれしい。

1月25日朝、東の空に金星と木星、接近。


みかんを食べに庭に来るようになったメジロ。下の巣箱には興味がないようです。


[Jan 30, 2019]


NFLの次は将棋 ~せいうち日記119

2月第1週にSuperbowlが行われ、今シーズンのNFLはペイトリオッツ6度目の制覇で幕を閉じたが、その後頻繁に見るのは将棋である。

しばらく前にNHK-BSで順位戦最終局をライブ中継したときにはたいへん興奮したものだが、時代は移り、TV放送ほどのコストをかけなくてもインターネット中継ができるようになった。加えて将棋中継の興趣をいちじるしく引き上げたのは、ソフトによる評価値がリアルタイムで出ることである。

以前は、どの手が勝負を決めたのかは感想戦を経なくては明らかにならず、後日の新聞記事や将棋雑誌を待つしかなかった。ところが現在では、指している棋士本人には分からないのに、見ている人間にはリアルタイムで形勢が数字で示されるのである。

いまの局面でどちらが有利か、どちらが勝ちそうなのか途中経過が数字で出て来る。だから、スポーツ中継と同様、見ていて臨場感があり、ライブの迫力がある。その点において、新聞記事では太刀打ちできないのである。

将棋といえば最近は藤井君である。いくら才能があっても四段になってプロ入りするのは相当難しい。何しろ、毎年4~5人しかプロになれないのである。その中で藤井君は、初めて参加の三段リーグで三十数人のうち上位2名に入り、中学生にして四段昇段を果たした。

いまや、赤旗街宣車までもが、「藤井君の活躍する新人王戦も、赤旗で読むことができます」とアナウンスしている。藤井君も共産党の宣伝に使われるとは思わなかっただろうが、彼の受け取る対局料の一部であるので仕方がない。

その藤井君が2月のC級1組順位戦で、近藤誠也五段に敗れて自力昇級を逃した1戦など、+400とわずかながら優勢であった藤井君が、詰みがないのに踏み込んでいった1手でいきなり1000点以上のマイナスとなった。こういうことがあると、やっはりライブで見なければということになる。

そして先週は、そのC級1組の最終局であった。C級1組からB級2組への昇級は2名、最終局前の段階で8勝1敗は、藤井君を含めて4人。勝ち星が同じ場合、昇級できるのは前期成績(順位)が上の棋士である。前期は下のクラスであった藤井君は、最も条件が厳しい。

昇級候補4人の相手はいずれも強敵である。順位戦はその年の成績が翌年の昇級を左右するから(実際、藤井君も星は同じなのに31位という順位が効いてしまっている)、相手だって必死である。午前10時から始まった戦いは、例によって深夜まで続いた。

結果は昇級候補4人とも勝って、藤井君の昇級はお預けとなった。とはいえ昇級した面々と同じ勝ち星なので順位は今年の31位から来年は3位(B2から降級する先崎九段・同じく9勝1敗の船江六段の次)にランクアップし、たいへん有利な位置につけることになる。

ボクシングでも思うことだが、「最年少」だの「最短」だのという記録にはほとんど意味はない。勝敗という見地だけ考えても、大切なのはどれだけタイトルをとったか、A級に何年いたかということであって、「早く」ランクを上げることは、それだけ「長く」活躍できることにおいて意味がある。(もちろん、勝つことだけに意味がある訳ではない)

藤井君の歳であれば、普通はまだ無給の奨励会員で切磋琢磨している時期であり、同い年の集団の中で五本の指に入る才能があったとしてもそうなのである。当然、どうして勝てないのか、プロになれるかなれないのか悩む時期でもあるはずだ。

そうした中から飛びぬけた才能の持ち主として、藤井君には将棋の奥義にできるだけ近づいてほしいと思う。コンピュータの進化によりソフトが人間より強くなってしばらく経つが、それでも人間と人間の対戦する将棋には血が通った迫力がある。

江戸時代と現代の将棋は違うし、戦後まもなくと現代とも違う。ここ二、三十年でも大きく様変わりしている将棋が、私の生きている間どう変わっていくのか、たいへん楽しみにしている。そして、その先頭に立つ一人は間違いなく藤井君なのである。

[Mar 13, 2019]


久しぶりにウイスキーと甲類焼酎を買う ~せいうち日記120

春が近づいたと思ったら急に寒くなって、冬物をしまったり出したり忙しい季節である。そして、4月といえば私の誕生日である。もはや誕生日だからどうということはないが、年金が満額出るまであと3年となるのでその意味ではうれしい。

この間、いつもの純米酒「亀吉」を飲んだら、なんだか風味が違う。妙に甘くていつものキレがない。最近開けたばかりの瓶だし、この前まで寒かったのだから保存に問題があった訳ではない。

奥さんも、「なんだか甘い。もう飲まない」と言うから、私だけの感覚でもない。日本酒はデリケートなお酒で、麹の気分次第でこういうことがあるのかもしれない。あるいは酒屋の問題だろうか。

いずれにせよ、高いおカネを出してうまくない酒を飲むことはない。かといって田酒に戻すのは、年金節約生活を送っている身には厳しいものがある。ましてこれから暑くなる。日本酒を保存しておくには向かない季節である。

そういえば、しばらく前から奥さんが、「たまには日本酒じゃなくて、甲類焼酎が飲みたい。ウイスキーでもいい。炭酸水やコーラで割るの」と言っていたので、気分を変えてそうすることにした。

結婚以来35年。新婚当時は聖子ちゃんの「Sweet Memories」がはやってタコハイ(缶入りチューハイ)をケースで買った。それからプレミアムビールの時代があって、その後ワインになり、ドイツワインからボルドーに移って現在に至る。

その間、レモンハートの影響を受けてアクアヴィットやシャルトルーズを飲んでみたり、シングルモルトを飲んだ時期もあったけれど、最近はワイン、日本酒、焼酎/泡盛、それにビールをメインに10年以上過ごしてきた。

思えば、さすがに1万円を超えるワインや日本酒には二の足を踏んだけれども、それほど値段を気にすることなく長年飲んでこれたのはありがたいことである。淡麗生は旨いから飲むのであって、安いから飲んでいる訳ではない。スーパードライよりおいしいと思うし、淡麗生でなければエビスである。

という訳で、さっそくスーパーに行ってみた。正直なところ、炭酸やコーラで割るのなら味にこだわる必要はなく、普通に売っているもので十分であろう。かといって、大五郎4リットルはダメというのが奥様の注文である。冷蔵庫に入るくらいの瓶でよさげなものを探す。

結構な品揃えがある。いまCMで盛んと宣伝しているバーボンの品数は多いし、以前飲んでいたグレンフィディックもある。若い頃はオールドとかリザーブとかが主流だったが、同じサントリーでも角とかトリスが売れ筋のようである。

特価販売中のホワイトホースと、甲類からはトライアングル25度を買ってみた。2本合わせてお値段は1,450円。エビスビール6本セットとたいして変わらないし、そもそも「亀吉」の半分くらいである。

昨年の支出を確認したところ、日本酒の購入にかかった費用は約32,000円であった。もしこれから日本酒を買わないようにすれば、この費用が浮く。毎月ウイスキーと甲類焼酎を買ってもかなり余る(毎月買わないし)。

年金の範囲内で暮らそうとすると、お酒に回すおカネの余裕がないというのが本音である。そうした中で、節約しようとした訳ではなく、口に合わないので飲む酒を替えて、結果的に安く済むのであればありがたい。

外で酒を飲む機会はほとんどないので、家で飲むだけである。できれば懐をあまり気にしないで、体調だけ心配して飲みたいものである。でも、やりくりしながら味わうのも、それなりに趣があるのではないかと思う62歳の春である。

久しぶりに買ったスコッチウイスキーと甲類焼酎。合わせてエビスビール6本組と大して変わらない値段。


[Apr 12, 2019]


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