弥生時代の貫頭衣
邪馬台国の住民の服装は貫頭衣であったらしい。毛皮や厚い衣服を想定させる記述はない。
出典:IPA「教育用画像素材集

2.4 3世紀における倭の風俗

2.4.1 倭人の文身(いれずみ)とその由来

さて、魏志倭人伝は邪馬台国がどこかということだけに関心が集まっている傾向があるが、倭人伝に書かれている3世紀半ばの倭の風俗にも興味深いものがある。

2.2.4で述べたように、魏志倭人伝は大きく3つの部分に分かれていて、第一部が邪馬台国の地勢、第二部が邪馬台国の風俗、第三部が邪馬台国をめぐる事件となっている。第二部の風俗について考えることで、第一部の議論(邪馬台国=九州北部説)を補足できる部分もあるのではないかと思う。

さて、第二部の冒頭を飾っているのは、次の記事である。

男子無大小皆黥面文身
男は身分の上下なく皆が顔・体にいれずみをしている。

以下、この風俗(いれずみ)は会稽(かいけい:揚子江下流)に住む人々と同じであり、そして倭は会稽のちょうど東に位置すると続く。そして、なぜいれずみをするのかというと、このように言っている。

倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽
倭の漁師は海に潜って魚や貝を捕らえるため、いれずみは危険な魚を避けるためのまじないである。

ここで二つの点に気づく。まず第一にいれずみという習慣があったということ、第二に倭の代表的な産業は漁業であること、である。この2点が魏の使節にとって非常に印象深かったからこそ、この記事が一番最初に書かれていると考えられる。

いれずみという習慣について、近現代の日本では必ずしも一般的ではないが(特に顔)、北海道のアイヌ女性や沖縄地方の女性の一部に、明治時代に入るまで成人女性の証として顔にいれずみが行われていたことは事実である。

逆に、中国文化圏や日本書紀にみられる古代の近畿地方にはこうした習慣はみられず、逆に懲罰のためにいれずみをしたと書かれている(履中天皇紀、他)。つまり、いれずみというのは、日本にもともと住んでいた縄文人の習慣であって、後に日本に入ってきた弥生人にはその習慣はないということである。



2.4.2 倭人は酒好きな民族

縄文人と弥生人とは、日本人の成り立ちについての仮説の中で最も有力な説である、古モンゴロイドと新モンゴロイドのことである。

人類の歴史の中で最初に日本列島に定住したのは、主に南アジアから南西諸島を経由して北上してきた古モンゴロイドであり、その時期は2万年前くらいからではないかといわれている。最も早い縄文文化の遺物(土器破片)が1万数千年前、その前に先土器文化があったとされ、これらの文化の担い手は彼ら古モンゴロイドであることから、縄文人ともいわれる。

一方で、縄文時代後半から弥生時代にかけて、新モンゴロイドが朝鮮半島を経由して日本列島に入ってきたといわれている。最初に書いたように、魏志倭人伝における「倭国大乱」とはこの民族流入を指すと考えているが、その結果として鉄・青銅製品や稲作農業、織物の技術などが日本列島に定着することとなった。この新モンゴロイドを弥生人と呼ぶ。

弥生人はもともと寒いモンゴルなど北アジア方面に住んでいた民族なので、寒冷地に対応した特徴を持っている。縄文人が毛深く、耳たぶが大きく、彫りが深く、二重まぶたで目が大きいのに対し、弥生人は体毛が少なく、耳たぶが小さく、彫りが浅く、一重まぶたで目が小さい。現代の日本人の多くはそれらの特徴を併せ持っていることから、縄文人と弥生人が約二千年の間に混血して現代人になったとみられている。

さて、魏志倭人伝に戻って、この点で注目すべきは次の一節である。

人性嗜酒。
倭の人々は酒が好きである。

またこうも書かれている。魏の使いが古代日本に来て、「こいつら、よく飲むなあ」とあきれた様子が目に浮かぶような記事である。

始死停喪十余日、当時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。
人が亡くなるとおよそ十日間喪に服し、その間肉を食べない。喪主は泣き、他人は歌い踊りまた酒を飲む。

さて、現代人でも酒大好きという人はいるし、そんなには飲めないがつきあい程度には飲めるという人が多い。その一方で、まったく飲めないという人もいないわけではない。この「飲めるか飲めないか」は、アルコールを分解するための酵素を持っているかどうかによって決まり、その有無はもっぱら遺伝的要因により決まる。

体内に摂取されたアルコール(エチルアルコール)は胃や小腸から吸収されて肝臓で分解されアセトアルデヒドになる。アセトアルデヒドはさらに分解されて酢酸になり、さらに二酸化炭素と水になって体内から排出される。このうちアセトアルデヒドが悪酔いの原因となり、これを分解して酢酸(酢である)にできなければずっと悪酔いしつづけることになる。

この働き、つまりアセトアルデヒドを分解して酢酸にする働きを担っているのが、ALDH、アセトアルデヒド脱水素酵素である。このALDHを両親それぞれから受け継いでいる人がGGタイプであり、このタイプは酒が強い。両親のいずれか一方から受け継いでいるのがAGタイプで、このタイプはつきあい程度には飲める。そして両親いずれからも受け継いでいないのがAAタイプで、このタイプは酒が飲めない。

そして、基本的に世界中の人種はGGタイプなのだが、ほとんど唯一例外的にAG、AAタイプがいるのがモンゴロイドなのである。



2.4.3 大和朝廷を構成する弥生人は酒が得意でない

弥生人(新モンゴロイド)が縄文人(古モンゴロイド)と違う特徴を持っているのは寒冷地対応とされている。例えば、目や耳たぶが小さいのは冷たい外気に触れないため、体毛が薄いのは発汗により体毛が凍りつくことを防ぐためと考えられている。

冷たい空気や体毛の凍結がなぜ寒冷地において具合が悪いのかというと、それは体を冷やすことにより風邪などの病気にかかりやすくなるからと考えていいだろう。そしてアルコールの摂取ができなくなる体質(アセトアルデヒド分解酵素を持たない体質)も、同様に寒冷地における対応として発達してきたらしいのである。

酒を飲んで酔っ払い寒いところで寝たまま凍死してしまう人は、現代でもいないわけではない。死ぬことはなくても寒いところで飲みすぎれば、風邪をひきやすくなるだろう。また酒を飲むと体が温まり汗をかきやすくなるが、この汗を乾かさないままでいると防寒上望ましくない。登山で肌着素材として用いられるダクロンという繊維は、汗を吸い取りすぐに乾かすことで皮膚との間に空気の層を作り、体が冷えることを防ぐのである。

話が長くなったが、そういう事情で弥生人(新モンゴロイド)には酒を飲めない体質の人がいるのだが、その比率はどのくらいであろうか。2000年に筑波大学の原田勝二助教授がALDH(アセトアルデヒド分解酵素)を持つ人の割合を全国で調査したところによれば、おもしろい結果が出ている。

1位 秋田、2位 岩手、3位 鹿児島、4位 福岡、5位 栃木、
・・・・・・43位和歌山 44位岐阜 45位石川 46位愛知 47位三重。

1位の秋田は先に述べたGGタイプ(両親からALDHを受け継いでいる)が8割近いのに対し、三重県では約4割にとどまる。また上位・下位5位までには含まれていないが、北海道・沖縄はもちろん上位10位以内だし、大阪、奈良は下位10位以内である。繰り返しになるが、GGタイプは酒飲み、AGタイプは付き合い程度、AAタイプは酒が飲めない。つまりこの順位は、酒好きの順位でもある。

古事記によれば、大和朝廷は九州から進出して畿内に入り、神武天皇が奈良県で支配を固めたことになっている。そして、その動きと呼応するように、縄文人(古モンゴロイド)の遺伝子を濃く持っている人は北海道・東北・九州・沖縄に多く、弥生人(新モンゴロイド)は中部・近畿・中四国に多い

そして、魏志倭人伝の時代から1800年経った現代においても、縄文人の血を引く地域と弥生人の血を引く地域では、酒飲みの割合がこれだけ大きく異なる。1800年といえばおよそ70~80世代になるだろうか。これだけの世代で通婚(混血)が起こってもなお差があるということは、古代において酒を飲めない弥生人(AAタイプ)は相当の割合であったに違いないし、飲めたとしても付き合い程度(AGタイプ)が多かったと思われる。

だから、もし邪馬台国が近畿にありその後の大和朝廷につながっているとすれば、その多くは弥生人(新モンゴロイド)だったはずであり、みんなが酒好き(人性嗜酒)ということは考えにくいのである。



2.4.4 気候からみても邪馬台国は奈良県ではない

他にも倭人の風俗としてさまざまの内容が書かれているのだが、もう一つ注目してみたいのは倭の気候である。

倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。
倭の地は温暖であり、夏冬とも生野菜を食べることができる。皆はだしである。

倭は暖かいというのが魏の使節の第一印象である。また、その衣服についても次のように書かれている。

男子,其衣橫幅,但結束相連,略無縫。婦人,作衣如単被,穿其中央,貫頭衣之。
男は、横長の布を体に巻きただ結んでいるだけで、縫っていないようだ。女は、一重の衣を作り、その中央に穴をあけそこから頭を入れて着ている。

これを読む限り、布を一枚程度のことであり、重ね着しているようには読めない。もちろん、楽浪郡の置かれている現在の北朝鮮や、帯方郡のおかれている現在の韓国に比べると、日本は暖かい。暖かいのだが、それは決して全国一律ではない。例えば1月の気温を調べると次のような違いがある。

福岡市 最高気温 9.8℃ 最低気温 3.2℃ 12-2月真冬日 6.6日
長崎市 最高気温 10.3℃ 最低気温 3.6℃ 12-2月真冬日 5.9日
佐賀市 最高気温 9.5℃ 最低気温 0.8℃ 12-2月真冬日 21.4日
奈良市 最高気温 8.7℃ 最低気温 -0.3℃ 12-2月真冬日 46.8日
資料:気象庁HP、データは1970-2000年の30年平均。

一目見て分かるのは、九州北部と奈良の気候の違いである。真冬日とは最低気温が0℃を下回る日のことだが、冬期間3ヵ月のうち福岡、長崎はごくわずかの日が真冬日であり、佐賀市でも月に7日程度である。しかし奈良市ではその倍を超える46.8日が真冬日である。

もちろん九州北部にしても、せいぜい1、2枚の布でしのげる寒さではないかもしれないが、冬の期間半分以上の日に池が凍ってしまう、霜が下りてしまう土地を指して、温暖というのかどうか。そして霜が毎日下りてしまうと、基本的に野菜はとれないのである。

このことからも、倭地は九州北部である可能性が大きいと考えられるのである。



[Feb 29, 2008]

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