せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
アイキャッチ画像:(c)パブリックドメインQ 著作権フリー画像素材集

121連休中に歯が欠けて    122家にいろいろガタが来て    123リタイア3年経過
124ついに坊主頭    125四国お遍路結願    126秋はなくなって    127他人が気にすること
128グレンフィディック    129暖冬とコロナ    130コロナウィルスについて


連休中に歯が欠けて困った ~せいうち日記121

十連休の前半は「日本橋から千葉ニューまで歩く」イベントがあって(自分だけのイベントだが)、後半はブログでもまとめながら過ごそうと思っていたら、思わぬアクシデントに見舞われることになった。

何かの拍子に歯がガリッと言った。堅い物でも噛んだかと思って見てみると小さい石みたいだった。何かの骨だろうと思って捨てたけれど、まさか自分の骨だとは思わなかった。しばらくして口の中がざらざらするのに気づいた。触ってみたら、上の奥歯が折れてギザギザになっていたのである。

ほっぺたの内側がちょうどギザギザに当たり、そこから血が出て痛い。歯医者さんに連絡しようにも、十連休が終わるまでやっていない。こうなると、大型連休がうらめしい。別に連休にしなくたって私は毎日休みなのだ。

口の中が痛いと、ものを食べるのにも難儀なので、味がよく分からないし食欲もなくなる。酒を入れるのに不自由はないから、麻酔を兼ねてアルコールを体内に入れることになる。健康にはあまりよろしくない。

ようやく連休が明けて、歯医者さんの予約が取れた。診てもらうと、「ああ、バキッといっちゃってますね」。

「7割かぶせてある歯の残り3割のところが欠けて、金属はそのままだから尖ったところが口の中にささっていたんです。奥歯には体重分の力が入りますから、こういうこともあります」とのことであった。またしばらく、歯医者通いが必要になる。

たったこれだけのことで、連休後半は何も手に付かなくなってしまった。30年前に胆石で入院・手術した時、どこも痛くなくて何も具合が悪くないことがどんなに大切か身にしみたはずなのだが、いつのまにか忘れてしまう。忘れた頃になって、こうやって再び思い知ることになるのだ。

おカネがないとか、やりたいことができないとか、いろいろ余計なことを考えるけれども、そんなことは枝葉末節もいいところである。昔、中国の人が、「健康で、住むところがあって、今日明日食べる物があれば、それ以上何を望むことがあろうか」と言ったというが、まさにそのとおりである。

歯は一度欠けたらもう復活することはない(補修はできるとしても)。この先、体の中のいろいろな所が不可逆的に欠けていくことになる。遠からずいつか、急に、そこから先のことを心配する必要がない事態になることは間違いない。

それが十年先か二十年先か、もしかしたら目前に迫っているのかもしれない。先のことを心配するよりも、いま現在の状況を一日一日先延ばししていくしか方法はないのである。

でも、思うのだが、「普段の生活がありがたい」というと、節約とか、執着とか、いまあるものを手放したくないという発想に結びつくような気がする。ありがたいことは間違いないのだけれど、いずれすべて手放すことになるのだ。

それよりも、いま身近にあるものごとを祝福する、という方がありうべき考え方なのかなと思ったりする。”Merry Christmas” や “Happy New Year”と同じ考え方である。(最近は”Happy Holidays”と言わなければならないらしいが)

健康にせよ、住む場所にせよ、食べる物にせよ、もちろん家族もそうだが、偶然に恵まれて身近にある。本当に、信じられない確率の偶然、お経で言うところの「百千万劫難遭遇」なのだろうと思う。

[May 24, 2019]

家にいろいろガタが来て痛い修繕支出 ~せいうち日記122

6月半ばに住民税の通知が来て一区切りついたのもつかの間、今度は家の中の設備にガタが来て臨時の修繕支出を余儀なくされてしまった。

まず発覚したのは、洗面台のシンク(ボール)にヒビが入っていたことである。わが家には1階と2階に洗面化粧台があり、1階のシンクは陶器、2階はプラスチックであるが、1階の洗面台のシンクにヒビが入り、下の収納庫に派手に水漏れしていた。

ネットを調べても当該製品の品番は出てこない。20年前の製品では部品を在庫してあることはほとんどないらしい。シンクのみ交換ができない場合、洗面台全部取り換えとなり、数十万かかるとおそろしいことが書いてある。

毎月わずかながら修繕積立を行っているが、数年前に屋根と外壁の塗り替えで百数十万円の支出があり、残高がゼロになってしまった。さらに2年前と今年、1階と2階のトイレとウォシュレットの取り換えをして、再びゼロに近づいている。ここで数十万円はリタイア世代には痛い。

当面の対応として朝晩2階に上がって歯磨きをすることにして、何とかならないものか調べてみる。多くのサイトには陶器のシンク(ボール)は全とっかえと書いてあるが、江戸時代には瀬戸物すら修繕して割れても工夫して使っていたという。応急手当でも何か方法はないだろうか。

いろいろ探したところ、陶器のヒビ割れ修繕用に「浸透性瞬間接着剤・ひび割れストップ(水回り用)」というのがあった。1,200円の商品に800円の送料というのが引っかかるが、近所のホームセンターには置いてない。数十万円と二千円では全然違うし、ダメ元でさっそく頼んでみた。

ヒビに沿って瞬間接着剤を塗り込み、余計なところに漏れたのをはがし剤(シンナー?)を付けてこそげ落とす。乾いたら上から撥水剤を塗って完了である。念のため、その上から屋外用の透明テープを貼った。流したところ水漏れはしないようだ。

陶器の場合、一度割れたヒビはどんどん広がるそうなのでずっとこのままは無理としても、おカネが貯まるまでだましだまし使えたらありがたい。リタイアすると、こういう時にすぐ買い替えられないのがつらいところである。

洗面台が一段落したと思ったら、次に台所の蛍光灯が切れた。これは新築して20年間で1度しか替えていないから、年数的にそろそろ寿命だっただろう。それにしても、このタイミングは何だろう。

ケーズとかヤマダで探せば蛍光灯の在庫はまだあるだろうけれど、110cmという長尺ものである。次に切れた時に電気工事できるだけの体力が残っているかどうか分からないし、そもそも生きていないかもしれない。家じゅうの電気をLEDに付け替えしてきたところでもあり、ネットで探してみる。

すると、古い蛍光灯からのリフォーム需要というのがかなりあるようで、サイズ的にほとんど同じLEDがコイズミのカタログに載っていた。定価は3万円以上するけれども、通販では1万5千円くらいである。ついでに、流しの上に付いている手許灯も替えることにして合わせて18,125円。数十万円は厳しいけれどもこれくらいは何とかなる。

土曜日に注文したら次の木曜日には届いた。翌日の金曜日、明るくなってから作業開始。電気工事はほぼ1年振りで、これで第二種電気工事士の受験費用の元はとれただろうかと世知辛いことを考える。

キッチン天井の電気は力がいるだけで順番にやれば何とかなったが、苦労したのは流し(シンク)の手許灯である。奥まった場所に付いているものだから、本体を取り付けると接続部分が見えない。背が高くて目が悪いので、どこに1.6mm線を突っ込めばいいのか見えないのである。

苦肉の策として、デジカメで撮影し(それすらシャッターが押せなくて苦労した)、写した画面を見ながら見当を付けて押し込んだ。手応えがあって、引っ張っても取れなかった時はほっとしたが、エアコンをつけていたのに汗びっしょりである。

何とか付け替えが終わり、両方無事に点灯した時はうれしかった。実はこの電気工事、北岳3193mに登った2日後のことで、太腿は痛いし潰れたマメは痛いしという状態での作業だったため、尚更のうれしさでした。手先が不器用で若い時こんなことはできなかったのだけれど、いろいろできるようになったのもポリテクに行ったおかげである。

[Jul 3, 2019]

リタイア3年経過、サプリメントの量を減らす ~せいうち日記123

早いもので、リタイアしてから丸3年経過した。

いま考えるとリタイアした当時には相当気合いが入っていたように思うけれども、3年過ぎてしまうとこの生活が当り前である。こうやって世間と距離を置くようになって、いつか当り籤を引いておとなしく退場することになる。それでいいのだと思う。

早いリタイアというと、世間一般には経済的なことを心配する声が多い。確かに、65歳にならないと年金が全額出ないし、税金面でもあまり優遇されない。だから生活が予定どおり維持できるか心配はあったのだが、あと残すところ3年、半分過ぎた。

年金の繰上げ支給額に個人年金を含めて月々の生活費は約20万円。65歳になるとプラスして約3万円の加給年金(配偶者手当)があり、さらに3年で奥さんの年金が出るようになる。そこまで行けば、ひと安心である。

基本的に月20万円で生活している。リタイア前の数年間それで暮らせるよう準備していたことが役立っているけれども、奥さんや子供にそれほどおカネがかからないということが大きい。感謝しなければならない。

リタイアした頃は、予想に反して物入りが多く収支償わない場合にはアルバイトしなければならないかと思っていたのだけれど、いまのところそれほど差し迫った状況にはなっていない。そして、カネ儲けのためにストレスをためこむのはまっぴらである。

国民生活全体のことを考えれば、働けるだけの体力と時間があれば働いた方がいいとは思うけれど、世間の流れがそうなっていないのだから仕方がない。震災復興なり災害復興なりに協力したい気持ちはあるけれど、それをおカネでというのは無理だ。それに、そういうことを考えるのは本来、政治家や公務員の仕事である。

幸いに、体調はリタイア前よりいい。何しろストレスを感じる大きな原因がなくなったので、血圧も落ち着いているし血糖値も改善している。ウェイトコントロールがそれほど進まないのが懸念材料だが、まあ、すべてうまくいかないのは仕方がない。



体調といえば、少し前まで盛大に服用していたサプリメントだが、このところ多少控えている。

1ヵ月分で1,500円くらいするサプリメントを何種類も飲むほど余裕がある生活ではないし、サプリメントとはいえ異物には違いないから飲まずに済むものであれば飲まない方がいい。健康食品という名前だけれど、ビタミンだろうがシジミだろうが、普通に食べる以上に摂取し続ければ、悪影響が出ておかしくない。

まず控えたのが、キューピーコーワiである。一時期、パソコン画面を見ると目が痛んで仕方ないので飲んでいたのだけれど、リタイア後はパソコンに向かっている時間が減ったのと、なぜか会社の機械でないと目が痛くならないので、徐々に錠数を減らしていた。春くらいから全く飲まないようにしたのだが、今のところ痛くならない。ありがたいことである。

昨年の今頃から飲んでいたのがオルニチンだが、最近では酒量がどんどん落ちて、昔の半分なんてもんじゃないくらい減っている。春の定期検診でも、GOT18、GPT17、γ-GTP39と肝機能に関しては問題ない数字が出た。念のため、酒を飲んだ翌日に1錠飲むようにしているが、協和発酵の推奨する1日6錠ではなく何日かに1錠である。

歳とってトイレの近さが気になって飲み始めたのがノコギリヤシである。それでも、夜中に2回くらい起きる。奥さんに言わせると「9時間寝てるんだからしょうがないんじゃないの」ということで、自分でも老化現象である程度は仕方ないとあきらめていた。

ところが、先日ネットで調べていたら、「夜間頻尿の原因の一つは水分のとり過ぎ」と書いてあった。水分を摂らないと脱水症状につながるし、私の場合こむら返りをよくやるので意識して多めに飲んでいた。しかし、高齢者の場合、あまりよくないらしいのである。

というのは、膀胱の容量は加齢により間違いなく小さくなるし、それを脳に伝える神経も過敏になる。代謝も若い時よりも悪くなるから、同じように水分補給しても体内で使われずに尿として排出される分量が多くなる。結果、夜間頻尿で悩まされることになる。

これを読んでなるほどと思った。言われてみると、山を歩いて大汗をかいた時にはそれほどトイレに行かない。高齢者は水分を摂れとよく言われるけれども、過ぎたるは及ばざるが如しなのである。

以来、水分の摂取を意識して減らすようにしている。飲む回数はいままでどおりだが、1回に飲む量を少しずつにすることにした。ビールは350ml1缶で止め、コーヒーもおかわりしないように心掛けている。

そのせいか、夜トイレに行く回数は1回という日が増えてきたし、体重も少し減ってきている。1ヵ月分1,800円のノコギリヤシを減らすことができれば、節約にもプラスなのである。

[Aug 2, 2019]

ついに坊主頭、そしてスポーツジム退会 ~せいうち日記124

サラリーマンカットから半分坊主にしたのは5年前のことであった。

その後も頭頂部の毛根減少は続き、テレビ体操の太郎さんも引退したことだし、そろそろ念願の坊主にする頃合いかと思っていた。おりしも、10回目の四国お遍路区切り打ちが近づき、エアやらホテルやら予約する季節である。7月終わりから急に暑くなったこともあり、短くするには絶好のチャンスとなった。

調べたら、家の近くにも何ヵ所か1000円カットのお店がある。でもWEBを調べてみると、「店長が酒臭い」などというとんでもない評判の店もあるので気をつけなければならない。家から一番近い駅のショッピングモールのお店の評判が悪くないようなので、行ってみることにした。

平日の昼間にしたのだが、夏休みのせいか子供がいるし、おじいさんもいればおばあさんもいる。自販機で1200円のチケットを購入し、番号順の椅子に座る。私は7番で待っているのは6人。仕事中の店員は3名。HPのとおり1人10分とすると20分待ちである。様子をさぐるのにちょうどいい待ち時間である。

店員は男2名に女性が1名。昔はこういうお店の理容師はひどかったらしいが、見る限りみんなきちんと鋏を使っている。一人などは、左右バリカンで頭頂部のみ毛を残したモヒカン刈りなのだが、たいへん丁寧な仕事ぶりである。新橋の2000円カットと比べても遜色ない腕前に見えた。

10分では雑な仕上がりになるのかと思っていたら、実際には1人に12~3分かけており、終わってから掃除して器具を消毒して椅子をファブリーズして約15分で次の客が呼ばれる。それでも、昔のようにマンガを読んで待っているほどではない。

私の担当は女性の理容師だった。「どのくらいにしますか?」と聞かれたので、「丸刈りでお願いします。3mmにできますか」とオーダー。「3mmですね」とあっさりオーダーが通った。

3mmより短いバリカンを置いてある店も多いとWEBに書いてあるが、あまり短くすると、伸びてきた時のぼさぼさ感がひどくなって、すぐにまたカットしたくなるという説もある。だから、最初は控えめに3mmにして、様子をみてみようと思ったのである。

これまでもそこそこ短かったので、さほどの違和感はない。「人相が悪くなるから」と坊主頭に難色を示していた奥さんも、「意外と似合う」と言ってくれたので安心した。しばらく様子をみて、お遍路のときにはもっと短くしてもいいかもしれない。

これが3mmバリカンの丸刈り。「人相が悪くなる」と反対していた奥さんだが、「意外と似合う」と気に入ってくれています。


坊主頭にしたからという訳ではないが、10年通っていたスポーツジムをやめたのも8月の大きな出来事であった。

このスポーツジムは近所の大きなホームセンターの系列で、隣の高校にプールを貸しているくらいだから地域貢献とか企業のイメージアップの目的でやっているものと思っていた。

ところが実際にはカネ儲けが目的だったようで、開業10年を過ぎたというのに設備の更新もあまりせず、見るからに従業員が減ってきた。聞くところによると、お掃除のパートが集まらないそうで、いつ見ても同じおばさんが一人でやっているような状態であった。

目に余ったのはプールの係員をどんどん減らしたことである。このジムのプールは25×50mで近隣では段違いに大きいのだが、監視している従業員が非常に少ない。申し訳程度に監視用の台が置かれているが、誰かが乗っていることはほとんどない。

プールにせよジムにせよ危険が伴うもので、払っている会費には施設利用料だけでなく安全管理の費用も含まれると思っていた。ところが誰も見ていない。見ていないだけでなくきちんと説明しないものだから、目に見えてマナーが悪くなってきた。

コースの中で立ち止まってしゃべっている(泳げないで立つのではない。まさに「しゃべって」いるのである)、コースの向きを守らない、ダメと書いてあることをするなど、スポーツジム会員というよりも社会人としてのレベルに達していない。

おそらくそれは、会員の年齢層がきわめて高いことと関係しているものと思われた。このジムの平均年齢は70代に達しているのではないかと思うくらいで、「スポーツジムではなくデイケアだ」と言う人がいるくらいである。10,000円+消費税の月会費は高いというほどでもないが、老朽化しつつある設備、手薄な無料レッスンなどをみると、費用対効果の問題も多い。

一応、古手の会員だったので、そういうことは気が付くたびに従業員に指摘して改善を要望してきたのだが、まったく改善の気配は見えない。よく見るとプールの監視をしなければならない連中はトイレ掃除をしている。少ないバイト料でやっていれば、自分はプールの監視や水泳指導が仕事ではなく、掃除をするために雇われていると思っても仕方がない。

健康管理とストレス解消が目的で通っているのに、来るたびにストレスの元となったのではたまらない。百年河清を待つではないが、こうなると改善されるのは望み薄であるし、だいいち自分の寿命が持つかという問題もある。

そういう訳でこのスポーツジムを退会し、毎回400~500円払って公共のスポーツジムに通うことにした。10年前も通っていた隣村のスポーツジムと、清掃工場付属の温水プールである。いまのところ、代わる代わる使いながら様子をみているところである。

清掃工場は隣駅の千葉ニュータウン中央(地元では千葉ニューと呼ぶ)の他に、数年前もう一つ先の小室に船橋市北部清掃工場ができた。ここの付属プールがたいへん新しく、特にお風呂は並のスーパー銭湯よりきれいである。

そして、隣村の公共スポーツジムに、10年前通っていた時の運動データが残っていたのには驚いた。7年ほどで更新されるのはWindowsと富士通の大型コンピュータだけで、たいていのシステムはこうやって使えるのである。

以前は1回800円の利用料だったが、10年の間に市町村合併があって同じ市になったため、1回400円と格安になった。あと3年経って65歳になると、3ヵ月定期利用3,000円という驚異的なお買い得価格となる予定である。

[Sep 6, 2019]

遍路地図の誤表示で苦しんだ四国お遍路結願 ~せいうち日記125

今月初めに四国歩き遍路の第10次区切り打ちを行い、七十六番金蔵寺から八十八番大窪寺、さらに一番霊山寺まで歩いて四国一周を果たし、高野山奥ノ院で弘法大師にご挨拶して、5年越しのお遍路が結願となった。

とはいえ、とても「無事に」とはいえなかったのは残念であった。今回の遠征中に体調をくずし、後半戦はかなり悪い状態で歩かなければならなかったのである。

なぜそうなったかというと、年々体力が落ちているのに計画がハードすぎたことがあげられるのだろうが、天候面の要因や、参考書である「遍路地図」の距離表示の違いもかなり影響したように思う。

振り返ってみると体調悪化の直接の要因は、高松近郊で4時起きして5時台に行動開始、そのまま午後6時まで歩くということを2日続けたことだろうと思う。かつてはカシノで徹夜しても平気だったことを思うと、体力が落ちたことを痛感する。

そして、どうしてそういう日程になってしまったのかというと、別格札所の海岸寺にお参りした際、遍路地図の表示と実際の距離があまりにも違っていて、それが原因でスケジュールが大幅に押してしまったのであった。

遍路地図(「四国遍路ひとり歩き同行二人」地図編第10版)の記載があてにならないことはこれまでもたびたび感じたのだが、今回の誤表示はひどかった。別格霊場の場合、道順案内や距離表示が八十八ヶ所ほど整備されていないので、遍路地図を参考にすることが多い。そして遍路地図には、「道隆寺から海岸寺まで2.9km」と書いてあるのである。

それも、道隆寺のところと海岸寺のところ、ご丁寧にも2ヶ所に書いてある。だから、金蔵寺から道隆寺の途中に海岸寺を経由しても2時間程度かかるくらいだろうと思って計画していた。ところが、それが全然違ったのである。

そもそも、それぞれのJR最寄り駅である海岸寺・多度津間の区間距離は3.8kmである。そして、それぞれのお寺は駅と反対側に1km程度離れている。さらに、道は線路に沿っている訳ではなく東西南北の碁盤目に走っているので、四角形の二辺と対角線くらい余計に距離がある。

実際に、私が歩いた距離をGPSで測ると7km以上あった。土地勘があれば多少短縮できるとしても6kmより短いことはありえない。そもそも、JRの区間距離に駅からお寺までの距離を足しただけで5km以上あるのである。

下調べしていないお前が悪いのだと言われればそれまでだが、片道2.9kmと7km以上では違いすぎる。結局これがスケジュールを圧迫した上、翌々日の朝一番から活動した五色台では大雨に遭遇し、大窪寺の登りはほとんど休みなく歩かなければならなかった。

天気が悪かったり道を間違えたりするのは修行の一部であり、一つ二つのアクシデントで予定どおり進まないのは計画の方がおかしい。とはいえ、お遍路歩き唯一といわれる参考書で、片道1時間以上所要時間が違うというのは想定をはるかに超えていた。

遠征後半、一番霊山寺への最後の登りである卯辰越の峠まで来た時、あと2時間もすればお遍路歩きが完結するのだけれど、これで最後という感慨はほとんどなかった。この日のルート選択が悪くなかったことで、少し安心しただけであった。

5年越しとか、四国八十八ヶ所とかいうロングレンジではなく、その日の予定以上のことは考えられなかったのである。

その日は大麻比古神社にお参りしてから霊山寺まで歩き、翌日は高速バスと南海電車で高野山に向かった。高野山に着いてようやく、秋らしく肌寒い気候になった。雨でレインウェアを着なければならなかったけれど、冷たい空気を吸うととても心地よかった。

そういえば、屋島寺をお参りした際、外人さんを連れたガイドさんにいろいろ質問されて、その中に「また来たいですか」というのがあった。あちらとしては、お遍路に来る人はまた来たくなるという先入観があったのだと思うが、私はとてもまた来たいとは言えなかった。

「これからまだ八十八番まで歩かなければならないし、その後一番まで長い道のりを歩かなければなりません。何とか無事に最後まで歩くことで精いっぱいで、その先のことはまだ考えられません」と答えた。歩き遍路のほとんどの人は、私と同じように思うのではないだろうか。

[Oct 17, 2019]

八十八番、一番をお参りした後、高速バスと南海線を乗り継いで高野山奥ノ院へ。


秋はなくなってしまったのか ~せいうち日記126

お遍路歩きの途中で体調を崩して、ようやく戻ってきたのは11月に入ってからだった。回復にまるまる1ヵ月かかったことになる。

リタイア生活だから体調が悪ければ家でおとなしくしていればよく、私の場合は引きこもっていても苦にならないので(奥さんはどう思っているか分からないが)、早く治そうとあせることはないが、やはり体調が悪いのはストレスになる。

今回、最後に残ったのは鼻カゼで、それも秋の花粉症とどちらか分からなかったから両方の薬を飲んで数日過ごした。効いたのが抗生物質なのか抗アレルギー剤なのか時期が来て治ったのか定かではないが、急に鼻が通って過ごしやすくなった。

さて、せっかくの秋だし、山歩きは難しいとしてもどこかに出かけようかと思っていたら、連休明け早々に盛大に結露である。家じゅうの窓で結露拭きをしなければならなかった。

結露ということは、もう冬ということである。お遍路歩きの時はぼたぼた汗を流しながら歩くような真夏日が続いたし、その後台風が続いたからまだ夏だったということである。それが終わったら、いきなり結露である。

秋はいったいどこに行ったのだろう。「秋晴れ」とか「天高く馬肥ゆる秋」という言葉は、なくなってしまったのだろうか。日本には四季があったと思ったが、これでは「夏・冬」の二期である。

家の近くでは稲の刈り取りは8月終わりから9月初めである。この時期は、どう考えても夏である。そして、ダイコンは冬の野菜なのに、畑を見るともうかなり大きく育っている。秋の野菜、ナスとか里芋とかあったはずだが、見た記憶があまりない。台風でやられたのだろうか。

ちょっと前まで秋は紅葉狩りのドライブに行くのが例年の楽しみだったのだが、もう山の上の方では紅葉は終わっているはずだ。霜注意報が出るくらいだから、下界でもそろそろ落葉である。紅葉シーズンはどこに行ってしまったのだろう。

そういえば、家の庭にヤマガラが来た。いつものシジュウカラかと思っていたら、腹がオレンジなのでヤマガラである。家の庭では初めて見た。鳥が庭に来る時期にはまだ早いのだが、もう立冬も過ぎたことだし、鳥がそう感じているということはそろそろ冬なのである。

[Nov 21, 2019]

ヤマガラ。WEBから持ってきましたが、家に来たのもこんな感じでした。


他人が気にすることに興味はない ~せいうち日記127

2019年もいよいよ12月後半である。リタイアして4度目の年末、4度目の正月を迎えることになるが、大きなストレスなく心やすらかに過ごせるのは何よりのことである。

12月13日は今年最後の年金支給日であった。予定通り入金があったことを確認する。当日は銀行のCDコーナーが混むので、すでに生活費等は下ろしてある。あとは年末年始の資金だが、これは大晦日に近くなってからでいい。

年末年始用の食材のうち、肉類はすでに購入済である。最近のお気に入りは守谷市役所近くの藤井肉店で、家から車で1時間ほどかかるが行くだけの価値がある。牛肉・豚肉合わせて5kgほど買い、小分けして冷凍した。

ここのお肉はたいへんおいしくて、値段もそれほど高くない。以前は船橋東武の人形町今半に買いに行っていたのだが、いかんせん高いのといつ行っても混んでいる。道路も混むので最近足が遠のいている。

冷凍庫に入れると味が落ちる懸念はあるけれども、これまでの経験では十分おいしい。昔、テニアンで見たお肉はすべて冷凍で、ダイナスティホテルでもそれでステーキを出していた訳だから、冷凍だからといってすべて味が落ちるということはないだろうと思っている。

魚介類は函館の魚屋さんからの直送を予約した。このお店はしばらく前に毛ガニを買ってからダイレクトメールが来ていて、年末の「おまかせセット」ではカニ、エビ、イクラ、ホタテ、数の子、昆布巻き、松前漬けなどの詰め合わせがお買い得である。今年もそれをお願いして、年末に送られてくる予定である。

カレンダーは、以前は写真工房のカレンダーを使っていたのだが、何年か前に子犬・子猫シリーズを止めてしまった。仕方がないのでホームセンターで同じような子犬・子猫カレンダーを探してきた。生きたペットを飼うのは気が進まないが、写真で見るだけなら問題はない。

年賀状はこのところ富士フィルムの年賀状サービスを使っている。歳とともに宛名書きが面倒になってきて、数年前から宛名印刷サービスを使うようになった。1枚あたりハガキ代含めて200円以上になってしまうが、年に一度のことだしたいした枚数もない。今年の写真は、お遍路結願を記念して大窪寺本堂である。

ローンはないし、年末の税金・保険料と公共料金は口座に入れてあるし、ペイジーで奥さんの年金保険料は払った。ワインもあるし、「田酒」の一升瓶も買ってある。だから、あとは突然の支出がないよう祈りながら、年の瀬を待つだけである。

リタイアする前は、ボーナスが入らなくてやっていけるだろうかと心配だったが、3年も経てばどうということもない。ちょうどボーナスの時期に中間決算の配当金が入って来て、それが1万円ちょっとなのだが、それでもうれしいくらいである。

だから、奥さんと子供たちには、今年もお年玉を用意することにしている。多くはあげられないが、臨時収入は金額ではなく、入ることがうれしいと思うからである。

あと今年中にやらなければならないのは、頭を刈りに行くことと、できれば山を歩きたいことである。それを除けば、週3回スポーツジムに行って、残りの日はNFLや将棋を見て過ごせば、あっという間に新年になる。

忘年会だの何だの世間の人は忙しそうだが、私はこの生活で満足である。もう少し懐が豊かであればと思うこともあるが、ストレスをためるくらいならこのままで十分と負け惜しみでなく思うのである。

カレンダーも用意して、2020年の準備はあらかた終わりました。


先週、今年の年末行事のことを書いたけれども、特に最近感じることがあるので追加で書いておきたい。

リタイアして通勤がなく、他人との交際もなく、新聞もとらなければTVもほとんど見ない生活を送っていて感じるのは、忘年会とかクリスマスとか、おそらく世間の人達が節目として気にするようなことが全く気にならないことである。

正月はそれなりに気にする。年賀状も出すしお年玉も用意するし、家族そろってご馳走を食べるのも楽しみである。そして、スポーツジムや図書館など公共施設が休みになるので、嫌でも年末年始を気にしなければならない。しかし、それ以外のことは注意を引かないのである。

暦の上では明日がクリスマスであるが、キリスト教徒でないのでミサに行かなければならないということはない。それ以外でクリスマスだと大騒ぎしているのは、それを利用して商売しようとする人達で、そうしたことに何の関心もない。

流行語大賞だの今年の漢字だの、今年の新商品とかなんたらグランプリなどということにも、何の関心もない。そもそもそうした行事は私の子供の頃にはなく、今だってなくても困らないものである。

自分自身を振り返ると、小さい時から他人と同じことをしなければならないとは思っていなかった。いつもクラスの主流派とは離れたところにいて、いじめられなかったのは単に体がデカかったからだろう。

サラリーマンになる時、会社は狩りをしている集団と同じだから、他人と合わせられなくても狩りがうまかったり、獲物の習性をよく知っていたり、地理や気象状況に詳しければ居場所はあるだろうと思ったものである。

ところが、会社というものはそういうものではなかった。獲物に逃げられても、迷子になっても、突然の嵐に見舞われても、みんなで困った困ったと言っていればそれでいいらしいのである。私には理解できないことである。

極端な言い方をすれば、彼らにとって会社というのは暇つぶしであって、獲物が多い少ないはどうでもいい。それよりも、周囲の連中とうまくやって、いっとき楽しく過ごす方が大切なのである。迷子になったり嵐に遭うと命の保証はないというのに。

余計な情報がほとんど入ってこない現在の環境は、私にとって小さい時から求めてきたものである。生涯現役だの社会参加だの、暇つぶしのためにご大層なことを言わないでほしいものである。

清潔で静かな住環境があり、贅沢はできないけれど毎日おいしくご飯を食べることができて、健康維持のためにジムやプールに行きたまに旅行もできる。それで十分ではないだろうか。

私がいればもっと獲物を捕ることができる、危険な目に遭わなくてすむといったところで、そういうことを求めていない連中と組んでろくなことはない。最低限の生活を確保できる目途が立ったら、そうした連中と関わらないのがベストである。

年とって当り籤を引く可能性が高くなってきたら、心すべきは他人にどう思われるかではなく、自分がどう思うかということである。私は、世間の多くが血道をあげていることにほとんど興味がない。そうした余計なこととは、さりげなく手を切るのが安らかに生活する上で必要ではないかと思う。

[Dec 24, 2019]

グレンフィディックとレイヴンズ  ~せいうち日記128

年が明けて久しぶりに買い出しに行った。千葉ニューのBig Houseは金曜日がヨーグルトの日で、他のスーパーだと130円以上するブルガリアヨーグルトが100円そこそこで買える。だから、4個も5個もまとめ買いするのは、うちだけではない。

そうしたら、奥さんから、「パートでボーナスが出たから、5000円以内でお酒買ってあげるよ」といううれしいお言葉。年金暮らしは余裕がないので、買ってもらえるというのはたいへんありがたいことである。

普段飲むという観点からいうと、端麗生をケースでというのが最も効用が高いのかもしれないが、それでは芸がない。少し考えて、グレンフィディックを買ってもらうことにした。値段は端麗生24本ケースと同じくらいである。

ウィスキーにはあまり深入りしなかったのだが、シングルモルトのグレンフィディックはよく飲んだ。シングルモルトの対義語はブレンドである、というのはレモンハートを読んで知った。

ブレンドはブレンドのよさがあるのだが、シングルモルトのフィディックはたいへんキレがあって、さわやかな味わいがある。昔はプラスチックの栓ではなかったし、ロゴも微妙に違っているように思うが、三角形のデザインは昔と同じである。

グレンフィディックを飲むのは、かれこれ20年以上ぶりである。ということは、21世紀に入ってから初めてということになる。あと20年経ったら、グレンフィディックを飲むどころか生きているかどうかも分からない。そう思うと何だか妙な気分である。

そして、日本時間12日の午前中であるが、Superbowl不動の本命とみられていたレイヴンスが、ワイルドカードでぎりぎり滑り込んだタイタンズに敗れるという大番狂わせがあった。

NFLを見ない人には何のことだか分からないだろうけれど、レイヴンスはレギュラーシーズン後半に12連勝、それも大差勝ちの連続でプレイオフに臨んでいた。QBラマー・ジャクソンが30点40点楽に取って、ゲーム終盤で主力を引っ込めてしまうくらいの強さだった。

まさかプレイオフ初戦で、しかもホームで、よりによってタイタンズに負けるとは思わなかった。こういうゲームを心置きなくリアルタイムで見られるというのは、この上ない喜びである。少々のカネに換えられるものではない。

プレイオフでこれと同じようなupsetをリアルタイムで見たのは、2005年シーズンのコルツがスティーラーズに負けた時である。当時コルツには全盛期のマニングがいて、ラマー・ジャクソン以上にそのオフェンスを止めることは難しいとみられていた。しかし、現実には止められた。一発勝負の恐ろしいところである。

Superbowlは本当の一発勝負であり、オッズに差があったとしても両チームともプレイオフを勝ち抜いてきた訳だから、どちらが勝ってもそれほどの驚きはない。一方、プレイオフはレギュラーシーズンの続きでもあり一発勝負でもあるから、時として全く予想外の結果が出てびっくりということになる。

だから、この日のレイヴンスを見ながら、コルツが負けたゲームのことをずっと思い出していた。2005年シーズン(プレイオフは2006年1月)というと。まだ50歳になっていない。次に同じようなことがあるとすれば、このペースだと70代半ばである。それまで、何とか丈夫でいられるだろうか。 グレンフィディックもレイヴンスも、過ぎ去った時の流れを感じさせてくれたのであった。

[Jan 22,2020]

奥さんがパートのボーナスで買ってくれたグレンフィディック。飲むのは20数年ぶり。


暖冬とコロナウィルス ~せいうち日記129

もう3月である。梅どころか桜もほころんできた。3月というと、半世紀前の高校受験の日が3月1日で、大雪が降って寒かったことを思い出す。桜が咲いてから雪が降ることは珍しくないのだが、もう本格的な寒波はなさそうである。

それにしても、今年の冬は暖冬だった。ただの暖冬というよりも、暖冬異変と表現すべき気候だったように思う。おかげさまで、冬の日課である結露拭きもそれほどせずに済んだし、電気代も灯油の消費量も増えなかったし、雪かきもなかった。

今年の冬は観測史上最も暖かだったそうで、冬日がほとんどなかった。冬日とは最低気温が0℃未満の日で、この気温になると霜が下りる。だから、霜が下りる日がほとんどなかったということである。

2月になってようやく寒波が来たけれども、中旬になると一気に暖かくなり、最低気温5℃以上という日が続いた。結露があるのは基本的に最低気温が0度近い朝だから、このくらいの気温だと結露はほとんどない。

十年くらい前に購入したドッペルギャンガーの人型寝袋は、もともとキャンプ用品なのだが、わが家では冬の防寒着として使用している。基本的にひきこもり生活なので例年この寝袋が必需品であるが、今年はそれほど使うことがなかった。

ということで今年の冬はたいへん暖かだったのだが、コロナウィルスでそれどころではない大変な騒ぎとなった。

旧正月の頃から中国では大変なことになっていて、日本でもクルーズ船の大騒ぎがあった。TV画面で見ると中国の病院では宇宙服みたいな服装で診察しているし、街じゅうを消毒するくらいのものものしさであった。

かたや日本では、クルーズ船から下船した人をそのまま電車で帰したくらいだし、街の様子をみてもそれほど緊迫した様子はみられなかった。中国とはそんなに離れていないのに、こんな調子でいいのかと思ったのは確かである。

先だって、ドラックストアの開店前に数十人の列ができていたので何かと思ったら、マスクを買う人の列であった。半世紀前のトイレットペーパー騒ぎを思い出した。個人的にも、花粉症の季節なのでマスクの品切れは相当に心細い。

とはいえ、すでにリタイアしているので通勤電車に乗ることもなく、人ごみに身を置くこともほとんどないから、感染のリスクは少ない。寒くて空気が乾燥している時になるべく外に出ないのは、いつものことである。というのが2月末までの感想であった。

ところが、2月末に安倍総理が記者会見し、学校の一斉臨時休校を発表したことにより一気に空気が変わったのである。

感染経路不明・治療法も確立されていないウィルス性疾患が国内に入っているのだから、大げさにならない程度に個人個人で気をつければいい。なのに、そう言われないとやらないし、やるとなると極端に走るのは国民性だろうか。

愛用しているドッペルギャンガー人型寝袋。今年の冬はこれを着るような寒い日も多くなかったが、コロナウィルス騒ぎでそれどころではなくなった。


昨日は、学校の一斉臨時休校発表まではマスク品薄を除くと日本中お気楽な対応で、休校発表とともにあれもダメこれもダメの大騒ぎとなったというところまで書いたが、その続き。

まあ、あの総理大臣なので、まともに検査したらおそらく万単位の感染者が出るだろうから、経済に悪影響が出るしオリンピックだってどうなるか分からないと思ったのかもしれない。本来は、百人単位の感染者で全国的な一斉休校はやりすぎである。

実は万単位の感染者ということであれば、臨時休校は感染リスク軽減のために仕方がないと思う。とはいえ、ウィルス検査の数が増えないのは、技術的な問題より保険適用するかどうかというカネの話だったらしい。命よりカネというのは、総理大臣のみならず昨今の大勢である。

少なくとも、1日何百人しか検査できない状況が2月末まで解消されなかったということは、最悪の状況を想定して準備するという危機管理の基本ができていなかったことを示している。中国や韓国だって、もっとちゃんと検査していたというのに。

でも、亀は甲羅に似せて穴を掘る。政治家や役人に知恵が足りないのは、選挙民がそうであるからだ。幸い、個人的に大きな影響がある訳ではない。あるべき論を言ってみたところで益のないことである。

現状そうなっているのだから、こういう状態でリスクの大きな場所に行くことはない。本当は2月が検査のはずだったが、医者に行くのは先延ばししている。公共交通機関も使えないので、しばらく山歩きも難しい。

市川でスポーツジムの集団感染があったし、普段使っている公共スポーツ施設がすべて臨時休館となってしまった。そうでなくても時節柄まずいと思っていたけれども、強制的に自粛ということになった。

ジムやプールが使えないので、どうしても運動不足になる。だから近くの里山でも歩いて、少しでも足腰を動かさなければならないのだが、折あしくスギ花粉がピークである。長い時間歩くと目がかゆくなるので、これもまた気が進まない。

市立の図書館も軒並み臨時休館となってしまった。ジムに加えて図書館もやっていないということになると、花粉をがまんして外に出たところですることがない。

ということでどうしても体重が増えてしまうので、このところ何回かプチ断食をしている。もともと、胃腸を休めようと思って1度やってみたのだが、コロナウィルスの大騒ぎで運動不足のため、週に一度の夕飯抜きが続いている。

まだ3週しかやっていないのでこの先長続きするかどうかは分からないけれども、いまのところ体重増加に歯止めがかかっているようである。

さて、天下無敵の年金生活者とはいえ、ほとんど外に出られないのは結構なストレスである。無観客開催の影響で無料となった競馬や競艇中継を見て暇をつぶしているが、しばらく遠ざかっていたのであまり熱中できないのはやむを得ない。

プリンセスプリンセス号(wに乗っていた人も、かなりストレスだったろうと思う。クルーズ船なのでカシノがあったはずだが、あの状態で営業されていたとは考えにくい。TV画面でキノだけやっていたのだろうか。

それに比べれば、少なくとも家の中や近所だけでも自由に動けるだけましなようである。コロナウィルスか花粉か、どちらか早くなくなってほしいところである。

[Mar 5, 2020]


里山を歩きながらコロナウィルスについて考える ~せいうち日記130

誕生日が来て、63歳になった。あと2年で年金が全額出る65歳になる。いまさら誕生日がめでたいとは思わないけれど、もう少しで収入が増えると思うとちょっとうれしい。

コロナウィルスの影響で公共スポーツジムが臨時休業したままで、体重が徐々に上向いている。週に何回か2~3時間歩くようにしているのだが、あまり効果はあがらない。プールやジムだと1回1時間くらいの運動量でウェイトコントロールができるのに、歩くだけではダメなようである。

それでも、この季節に歩くのは気持ちがいい。田圃は田おこしの最中で真新しい土が見え、いくつかの区画には薄く水が入っている。あぜ道にはナズナやタンポポ、スミレをはじめ、色とりどりの小さな花が咲いている。後方の林では、新芽が芽吹いている。

遠くにトラクターに乗って作業するおじさんを見ながら、穏やかな田舎道を進む。花や新芽で足を止め、このところのコロナウィルスについていろいろ考えながら歩いていると、あっという間に時間が過ぎる。

こうなることがあらかじめ分かっていたらどうだったろうと考える。同じようにしただろうし、リタイアの決断も、リタイアした時期も、絶妙のタイミングであった。

もしいまの状況で仕事をしていたとしたら、契約が済んでいるのに払えないから減額交渉したり、生身の人間なしで仕事をやりくりさせられたに違いない。普段以上にストレスをかかえて仕事して、給料・ボーナスはカットされる。やってられない。

退職後の手続きや年金受け取りまでの手続きも同じである。ポリテクがこういう状況でやっているのかどうか分からないけれども、ハローワークや年金事務所に足を運ばない訳にはいかないだろう。感染リスクもあるし、余計なストレスをかかえたことは間違いない。

こうしてみると、割を食ったと思うことは少なくなかったけれども、それほど運が悪くなかったのかもしれない。山中教授が「500人に1人必ず死ぬアトラクションに乗りますか」と言ったそうだけれど、みんなが出口に押し寄せる前に目立たず下りることができたのは、いま思うとラッキーなことであった。

ジムやプールに行けないので、奥さんが見ているTVを横で見る時間も少し増えた。TVの期末特番も、集まって何かやるのが難しいようで、過去のVTRを持ってきて編集した番組が多かった。

すると、美空ひばりの20代の映像というのが出てきた。あまりに老けているので驚いた。奥さんに「あれで20代?鹿女(多部未華子)だって30でしょ。深キョンなんて40近いんじゃないの。全然若く見えない」と言ったくらいである。なぜ深キョンと鹿女かというと、直後にUQ(いいでしょ有給)のCMが入ったからである。

昔のVTRを見ていたらなつかしくなって、この1週間のトレンドはYouTubeで昔の映像を探すことである。さだまさしの東大寺コンサート(1980)など、若い頃見て鳥肌が立つくらいすごかったのを覚えているけれど、ちゃんとYouTubeにある。しばらくは、楽しませてもらえそうだ。

暖かくなったらやりたかったことはたくさんある。去年南アルプスだったので今年は上高地にしようかと楽しみにしていたのだけれど、こういう状況では厳しい。極端から極端に振れるこの国の人達にはあきれるけれど、だからといって大勢に逆らっても仕方がない。直接の被害がないのだから、めったにないことだと楽しむぐらいしかないのかもしれない。

さて、体重が増加傾向にあるものだから、前回の「せいうち日記」で書いた週に1度夕飯を抜くプチダイエットが続いている。今週も、6日月曜日は夕飯抜きであった。寝るまではたいへんお腹が空いてさみしいのだが、いったん寝てしまえば特に空腹は感じないものである。

[Apr 9, 2020]

こういうご時世ですが、春の里山を歩くと木々の新芽や春の花が目を楽しませてくれる。


ページ先頭に戻る    せいうち日記111-120    せいうち日記131-140