せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
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51年金の生活    52なんとか年の瀬    53久しぶりの同窓会    5416年振りの体重
55分譲地を見て    56異変    57金星・月・木星    5856回目の春
595月16日    60タイミングの合わない時   


年金の生活 ~せいうち日記51

長期間の出張が終わったと思ったらシステム障害で、休む暇もない生活が続いている。現在未取得の代休(休日出勤分)が50日近くあって、1年に直すと週休1日ということになる。30年以上にわたるサラリーマン生活で、最初と最後が週休1日制というのは、何かの因縁であろうか。

夏に始めたスポーツジムは冬になったけれど続けていて、体重はピークと比較すると約10kgの減少である。さすがにここへ来て下がり方が鈍化してきたけれど、血糖値やヘモグロビンA1cといった数字は格段に改善している。年末には人間ドックを予定しており、とりあえずそこまでは節制しなければならない。

気がついてみたら今年の夏以降、それまで暇さえあれば食べていた鯛焼きやどら焼き、羊羹、ケーキといった甘味類をほとんど全くといっていいほど食べていない。そういえば糖尿病になった40代前半には、帯広・六花亭の「白樺羊羹」を1日1本食べていたのだった。糖尿病は甘い物の食べ過ぎでなる訳ではないのだが、自分の場合はそういう相関がありそうなのはちょっとこわい。

(まったく横道に外れる話だけれど、六花亭といえば「マルセイのバターサンド」が代名詞だが、私は食べたことがない。干しぶどうが嫌いだからである。ぶどうパンも食べない。巨峰マスカットも好きではなく、グレープジュースも嫌いである。なぜワインだけ好きなのか、よく分からない。)

さて、最近の夫婦の話題は、年金である。週刊現代が始めた年金キャンペーンは週刊ポストに飛び火して、下々の関心はどうやって年金をもらえば有利かという点に集中している。奥さんの言うことには、子供の同級生の親御さんの中にはそろそろ60という人も少なくないので、たまに会うとそういう話題がタイムリーなのだそうだ。

そもそも年金制度を構築した時代は右肩上がりの経済情勢で、人口も増え続けることが想定されていたから、同じ制度をいまの時代に続けることは無理なのである。例えは悪いがネズミ講と同じようなもので、加入者が増えない以上いずれ制度として破綻するか、インフレという形で実質的な給付水準の引下げが行われるか、2つに1つなのである。

破綻なんてするはずがないと思われるかもしれないが、「3階建ての3階部分」といわれる企業年金や適格年金が、ここ数年で相次いで破綻して整理されてしまった自分自身の経験からしても、「するはずがない」よりも「しないと考える方がおかしい」の方にブラックチップを張りたいところである。

こうした中、どうやって生活を守っていくかということが極めて重大な問題になってくるだろうと思っている。まずはあまりおカネを使わなくてもいい生活に少しずつシフトしつつ、体力のある今のうちにしかできないことをどうやってしていくか。いま、来年の収支計画を立てているのだけれど、「ねんきん便り」に書いてある年間受取額の範囲で生活できないか、いろいろ試算しているところである。

[Dec 11, 2011]

なんとか年の瀬 ~せいうち日記52

今年最大の収穫の一つは、夜遅くまでやっているスポーツクラブに入ったことだ。昨日も、午後10時過ぎの誰もいないジャグジーで、思わずふふふと笑ってしまった。先週末も仕事、これから年末年始も元日まで仕事の予定だけれど、夜になると帰ってプールでのんびりできるのは何よりである。

思わず笑ったといえば、先週末のことである。九州に出張していて、朝は早く夜は移動のため、食べたものといえばカップラーメンやパン、お昼のお弁当くらいだった。その日遅くに入った宿は「スーパーホテル」。近くに東横インもあるのだが、できれば泊まりたくないので大浴場のあるこのホテルを選んだのであった。

こちらの大浴場は硫黄泉の天然温泉で、しっとり身体に絡みつくような感触である。手足を伸ばしてゆっくりできるところは、ビジネスホテルの狭いユニットバスとは全然違う。疲れた体には何よりのごちそうであった。そしてスーバーホテルのコンセプトは「ぐっすり眠れる宿」ということであり、確かにベッドも枕も心地よく、朝まで一度も起きなかった。

起きると朝食である。所定時間の6時半より10分くらい前にもかかわらず、サービスバイキングの準備はしっかりできていて、しかも係の女性が味噌汁を入れてくれる。ご飯はジャーに炊きたてが入っているし、サラダや肉じゃが、さばの文化干し、野菜の煮付けなどおかずもすばらしい。もちろんコーヒーもサービスで、あまりにうれしかったので思わず笑ってしまったのだった。

(愚痴になるが、東横インの朝食はおにぎりと簡単な惣菜だけで、しかも狭いスペースに行列をしなければならない。係の女性の愛想悪さも定評があり、前にパンを手でとっただけで怒鳴られたことがある。)

今年後半は、ラスベガスに出かけた6月以降は土・日連休すらほとんど取れなくて、仕事はストレスがたまるばかり。唯一の楽しみは、夜に奥さんと行くスポーツクラブだけという何十年かぶりのハードな毎日が続いた。果たして年が越せるのだろうかと思ったりもしたが、何とかあと1週間までこぎつけた。

仕事で忙しくするのも、一生のうちであとわずかと考えてがんばってきた。前にも書いたように、長期出張はおそらくこの秋が最後になるはずである。年末年始の出勤も、今年が最後になるとうれしいのだけれど、こちらは何ともいえないのが悲しいところである。

[Dec 27, 2011]

先週末は今年最後の出張。特急みどりから九州新幹線に乗り継ぎ、九州を縦断しました。


久しぶりの同窓会 ~せいうち日記53

昨日は高校の同窓会に行ってきた。

高校の同窓会に出るのは大学生の時以来だから、35年ぶりくらいになる。小学校や中学校の同窓会にはスケジュールが許す限り出席するようにしているが、高校の同窓会に出ることはほとんどなかった。人数が多いので知らない人が結構いるということもあるし、小中の同級生ほど密着して過ごしたという訳ではない(数人のごくごく気の合う連中を除き)からである。

それなのになぜ今年、それもほとんど休みも取れないのに行こうと思ったかというと、同期の出世頭が多忙のスケジュールをぬって出てくるらしいという噂が立ったからである。私の高校出身の有名人といえば、長らく1学年下の江川S子さんであったが、昨年わが同期生が一気に知名度を上げたのである。(それでも江川さんの方がよく知られているのではないかという意見もあるが)

同窓会の掲示板には、「受付時間厳守」「荷物検査があります」などと書かれるものものしい雰囲気。おまけに、参加費の他に大震災義損金も徴収されるというシステム(これは仕方がないかも)。それでも根がミーハーの私であるから、デジカメを持って会場に乗り込んだのでありました。

ホテルの周囲には、SPと思われるスーツ姿や地元警察らしき制服姿。ロビーに入ると、「どちらに行かれますか?」とスーツの人にすかさず尋ねられる。会場に入る前には荷物チェック。ボディチェックまではなかったが、ホールの入口にも後ろ側にもガタイのいい人達が何人かで警備している。

最初に記念撮影。百人以上の出席者が7段飾りに並ばされて、いよいよ前後左右をSPに囲まれて主賓の登場である(正式には主賓は当時の担任の先生だが、まあ実質的に主賓。それなのに主賓の後から入ってくる連中がいたのは、さすがわが同期生)。

記念撮影の後は、主賓挨拶。高校時代の思い出話から始まって、政治家を志した動機、これまでの選挙結果(県議から通算で6勝1敗、小学校か中学校の生徒会長選挙を入れると2敗だとか)、わが国の財政状況、国際政治からTPPまで定評のある演説で楽しませていただきました。

正月3が日とはいっても多忙なスケジュールをぬっての参加のため、挨拶の後は主催者や担任の先生方と歓談されて30分くらいでSPを連れて退席。とたんに警備も終了で、座はいっぺんにリラックスムードとなる。当時人気のあった女子(もうりっぱなおばさん)の周りにはひっきりなしに人垣ができる。これぞまさに同窓会である。

30年以上会っていない人ばかりなので、果たして顔が分かる奴がいるだろうか、話が続かなかったら辛いかもと心配していたのだけれど、顔を見たら思い出す人が多かったのは意外だった。もっとも名札をしていなければ、近頃はただでさえ他人の名前が出てこないだけに、大層困ったことになったに違いない。

同期の出世頭。


記念の色紙。収益金は震災復興に寄付されます。


[Jan 4, 2012]

16年振りの体重 ~せいうち日記54

1月も終わりに近づいたが、正月休みも満足にとれず、その後も週末出張が続いている。幸い、巷で大流行しているインフルエンザにはお近づきにならないですんでいるが、体調の管理には気を付けなければならない時期である。

さて体調といえば、昨年終わりに受けた人間ドックの結果がようやく送られてきた。このところの節制が効を奏して、体重は一昨年より10kg減。ピーク時と比較すると13kgぐらい絞れている。人間ドックの結果は35歳の時からずっと保存してあるが、この体重は38歳の時以来、かれこれ16年振りのものであった。

併せて、空腹時血糖が102、ヘモグロビンA1cが5.6、総コレステロールが155、中性脂肪が107と糖尿・肝機能関連数値もほとんど正常値になった。16年前の数値と比べてもほとんど変わらない。ということは、体自体はそれほど老化していないということで、ちょっとうれしい。

それにしても、10kg減ということは、普段買っている米袋(5kg)2袋分ということだから、大層な重さである。いま両手に米袋持って行動しろと言われたら難儀するから、相当太りすぎていたということ。ウェストも少なくとも5cmほどはゆるくなったし、靴もぶかぶかだ。去年買った5Lのワイシャツは、まだ4、5回しか袖を通していないけれど、大きすぎて着られなくなった。小さくて着られなくなったのは珍しくないが、大きすぎて着られないのは初めてである。

さて、これだけの効果を上げた最大の要因は、半年前から通っているスポーツクラブである。月に8千円、夫婦で1万6千円の投資は決して楽ではないけれど、健康維持という点からみると高い安いは言っていられない。

また、スポーツクラブに行くのは夜遅くになってからなので、必然的にお風呂に入ってきて、家では入らないことになる。これが結構大きくて、先月は水道代・ガス代が数千円ずつ少なくなってしまった。このまま医者の薬も飲まなくていいくらいに回復すれば、家計的にはプラマイゼロになる。何とかそのあたりを目指したいものである。

[Jan 28, 2012]

分譲地を見て ~せいうち日記55

千葉ニュータウンに引っ越してきて、昨年末で12年になった。

その間、特殊法人見直しやら業務仕訳けの影響やらで、開発主体であるところの都市開発整備公団(昔の住宅公団である)が開店休業となってしまったため、ここしばらくは新規の宅地分譲がお休みの状態となっていた。ようやく昨年あたりから、民間ディベロッパーを中心に開発が再開されつつある。それで最近は、開発中の新街区を見に行くことがある。

いまから半世紀前の子供の頃、同じように開発中の分譲地をよく遊び場にしていたものである。畑や林を整地して宅地になるととたんに遊びやすくなるし、当時は段差のある土地でも平気で分譲地にしていたから、ところどころに死角ができて、「缶蹴り」をするには最高の場所となった。(その次は基礎のコンクリの上で鬼ごっこをするのだ)

やがてその上に骨組みができ、そして家が建っていくのを時系列的に見ていくのは、かなり楽しかった。当時は新規分譲地には商店街がセットで付いていたので、どんな店になるのか予想して楽しんだ。そしてパン屋とか時々本屋が開店すると、わざわざ遠くなのに出かけてみたものであった。

50年後の現在は見方が世知辛くなっていて、土地の単価はどうだろうとか(大体、12年前より坪で20万円近く下がっている)、敷地は家より大きいか小さいかとか、そんなことに関心が行ってしまうのはちょっと悲しい。もっとも、ニュータウンは原則として一種住専であるので、商店街はおろかアパートもなくて、戸建ての地区はすべて戸建住宅となっている。

さて、民間分譲住宅が今日のように盛んに開発されるようになった背景としては、戦後の混乱期を過ぎて、資金を住宅金融公庫や銀行住宅ローンに回す余裕ができたことが非常に大きい。だから、私の子供の頃、高度成長時代といわれる時期が分譲住宅の出始めなのである。

高度成長時代は64年の東京オリンピックから70年の大阪万博まで。その後ドルショック、オイルショックといった停滞期をはさんで80年代のバブルにつながることになる。先日開催された高校の同窓会の参加者が現役の高校生だった頃は、トイレットペーパーがなくなったらどうするか真剣に議論していた第一次オイルショック時代なのであった。

今後、日本の人口は急激に縮小に向かうことが確定しているし、そもそも新規の宅地分譲の可能な立地は限られるから(ニュータウン法の適用など今後ないかもしれない)、半世紀後にこうして開発中の大規模分譲地を見るような機会はあまりないのではなかろうか(そもそも生きていない可能性が大きいが)。

だから開発中の分譲地を見て子供の頃を思い出すという世代も、私くらいが最後なのかもしれない。他人からみると初老のおっさんが歩いているだけにしか見えないかもしれないが、自分で自分の姿形は見えないので、昔と同じようなことをすると相変わらず子供でいるような気がするのがおかしい。

もっとも家の奥さんによると、「携帯の待受が篠崎愛で、着信音がきゃりーぱみゅぱみゅの55歳はあまりいない」とのことである。

現在分譲中の新街区。立札が立っているところが売出中の宅地。遠くに建築中なのはスウェーデンハウス。


[Feb 4, 2012]

異変 ~せいうち日記56

体調に異変を生じたのは先週のことである。

先々週の週末、朝一番でシステム障害があって電話で起こされた。会社に出てそのまま真夜中まで勤務。その日はホテルに泊まって翌日出張、次の日は4時起きで12時間勤務というハードな日程をこなして帰った後の月曜日、この日は代休をとって医者に行った。糖尿病の薬をもらうためである。

最近血圧が高くて、隙があると血圧の薬を出そうとするので、医者に行く前には1時間ほど散歩する。そうすると不思議と血圧が20くらい下がるのだ。狙い通り血圧は正常値。血糖値も100くらいで、一時期と比べると目覚ましく改善されている。「低血糖を起こすといけないから、薬の量を減らしましょう。」と言われる。ありがたいことである。

昼からはスポーツクラブに行って、プールで歩いたり泳いだり。いつもは夕飯の後に行くのだが、この日は奥さんとワインを飲む約束をしていたので、その前に運動しておきたかったのである。

そして夕刻。奥さん特製の煮込みハンバーグに、ワインは2000年のオー・メドック、クリュ・ブルジョワである。普段飲みのワインにしては決して安くはない値段なので楽しみにしていたのだが、なぜか味が薄い。奥さんに聞くと十分おいしいというので、あるいは年数がたってこなれてきたのでそう感じるのかと思った。

異変が生じたのは1時間くらい後である。何しろ起きていられない。非常にだるいのと、手足の関節と筋肉が痛む。医者に行って風邪をもらってきたかもと思ってパブロンを飲んで横になる。念のため熱を測ってみたが平熱。だんだん頭痛と悪寒もするようになった。奥さんには、「運動不足なのに、急にたくさん動いたからだ」と言われてしまう。

夜半からは、頭痛、悪寒に腹痛も加わる。トイレに行く時も寒くて仕方ないので、真夜中だけど石油ファンヒーターで廊下を暖房。あまり眠れないものの、翌日は出勤しなければならない日である。通勤途中に腹痛を起こさないように、朝食抜きで会社へ。2時間弱の通勤を何とかやり過ごして席に着くけれど、気が遠くなりそうだ。

そこにいきなりシステム障害。ここは気をしっかり持たなくてはならない。頭はぼんやりして手足には力が入らず、このままでは仕事にならない。何とかならないかと思い、そういえばかばんの中にブドウ糖があったのを思い出した。ブドウ糖は脳のエネルギー源となるので、だめもとで食べてみよう。

そしてブドウ糖の固まりを口に入れてゆっくり溶かしていると、1分もたたない間に頭の霧が晴れ、手足にもお腹にも力が入ってきた。何と昨晩からの不調は、低血糖によるものだったのである。

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低血糖とは、糖尿病治療中の患者にありがちな症状で、端的にいえば薬が効きすぎて血液の中に必要な糖分がなくなってしまう状態である。低血糖については投薬時に必ず注意を受けるし、すぐに糖分が取れるような準備を推奨される。だから私もちゃんとブドウ糖を持っていたのである。

ところが、糖尿病歴が10年にも及ぶ中で、異常に腹が減ってめまいがする以外の低血糖症状になったことがなかった。お腹がすくとくらくらするのは昔からだし(家の奥さんなどは半狂乱になって、食べきれない分量を注文したりする)、だからブドウ糖も持っているだけでほとんどほったらかしだし、はっきり言えば油断していたのである。

後から調べたところ、低血糖を招く要因としては、

1.必要な食事をとっていないこと。
2.過度な運動。
3.アルコールの摂取。
4.下痢。
5.投薬量が必要な分量より多い。

といった点があるそうで、そのままぴったりこの日の私の条件にあてはまる。このまま糖分を補給しなかった場合、意識不明となり最悪は死に至るというから、笑い事ではなかったのである。

なぜかブドウ糖のことを思い出したおかげで、体調は急速に回復した。すぐにパソコンで低血糖を調べたところ、具合がよくなったら食事をとって速やかに栄養を補給すること、お昼までがまんしようなどと思ってはいけないと書いてあったので、すぐに早いお昼へと向かったのであった。

この低血糖のせいで、2、3日はお腹に力が入らず、手足に血が通っていないような感覚があり、考えがなかなかまとまらない状態が続いた。もっとも、「低血糖を恐れてはならない。なぜなら、高血糖による悪影響の方がはるかに大きいからだ」そうなので、この日以来、車の中や会社の机など、あらゆる場所にブドウ糖を置いてもしもの時に備えることにしたのである。

[Feb 29, 2012]

金星・月・木星 ~せいうち日記57

3月26日の夕方、西の空に金星・月・木星が縦一列に並んだ。

この春は木星が見ごろで、しばらく前は金星と横に並んできれいに光っていた。何しろ、夜空でもっとも明るい星は(月を除くと)金星なのである。ただし、シリウスやペテルギュースといった冬の一等星がいつも決まった場所にあるのに対し、金星や木星は毎日少しずつ現れる場所が違う。太陽系の星を”惑”星とは、なるほどよくできた名前である。

3月後半になって、今度は金星が上、木星が下と縦に並んだ。国立天文台のホームページによると、この縦一列の真ん中に三日月が来るというので楽しみにしていた。日食や月食もいいけれど、月や惑星が集まるのも結構珍しいものなのである。

さて、26日は冬のように寒い日で、夕方からの気温は5度以下となった。空気が冷たいと星空はきれいである。そして西の空に、金星・月・木星が縦一列になって現れた。

こういう景色をみると、田舎に住んでいてよかったなぁと思う。成田空港に近いわが家では、空をさえぎる建築物がほとんどなく、空がやたらと大きいのである。それでも最近は灯りが増えて夜空が見づらくなってきたのだけれど、今回はマイナス1等星以上の明るい星なので、非常に目立つ。

まるで、金星と木星から糸を通して、三日月を吊っているようである。と思っていたら、一緒に見ていた奥さんも同じような感想であった。大変感激した奥さんは、空を見るようにみんなにメールしていた。翌日の読売新聞にも載っていたので、かなり注目されていたようだ。

さて、壮大な星の夕べとともに個人的には大きなニュースがあって、過去2年間にわたり24時間365日の緊張を強いられてきたシステム関連の仕事から離れることとなった。この2年間は本当にハードで、仕事以外に使える時間がほとんどなかったのだけれど(何しろ、未消化の休日出勤代休が40日もあるのだ)、4月からは元に戻れる目処が立ってきたのはうれしいことである。

とはいっても、生活リズムを急に戻せるかどうかちょっと自信がないが、残り少ないサラリーマン生活そしてリタイア後に向けて、いろいろ考えて過ごしたいものである。

上から、金星、月、木星。携帯のカメラなのでちょっとぶれてますが、この日は冬並みに寒かったので、とてもきれいでした。



[Mar 28, 2012]

56回目の春 ~せいうち日記58

56回目の春が来た。4捨5入すると60になってしまった。社会人33年生、いまの会社になって19年目となる。またもや異動になって、24時間365日のシステム関連の仕事から外れたのは大変結構なのだけれど、この年になって新しい(全く経験のない)仕事である。

考えてみると、就職してから今日まで、短くて2年、長くても4年の間に転勤や異動があって、その度に違う仕事をしてきた。たいていの人は「○○畑」というように同じ種類の仕事を回るのだけれど、私の場合はそんなことはお構いなしである。まあそんなことを言っても仕方がないが。

仕事自体は前任者の引継ぎだから、すでに今年前半のスケジュールは埋まっている。そのスケジュールをみてみると、なんとAJPC(全日本ポーカー選手権)の日も、WSOP(ポーカー世界選手権)の日も仕事である。何ということでしょう。これまで皆勤のAJPCをお休みすることになってしまった。

初めての仕事では非常に神経を使う上に、もともとデスクワークは得意だけれど人と会って話したり調整したりするのは苦手だから、1日仕事するともうくたくたである。少しは時間に余裕ができるからいろいろやろうと思っていたけれど、とてもそんな余裕はないのであった。

だからこの頃、時間が経つのが遅い。今週もかなりへばってしまったのに、まだ水曜日である(朝書いている)。時間がなかなか経たないから、給料日もなかなか来ない。実は今年の夏ボーナス前は、財政的に非常に厳しいのである。

なぜかというと昨年末に、老後のことを考えて(定年後はボーナスはなくなるから)、住宅金融公庫のボーナス返済をなくし、全部月々の返済に変えてもらったからである。毎月の返済が増えて給料は変わらないから、やり繰りは大変に厳しい。これが夏のボーナスまで続く。

還暦だの年金だのはずっと先の話だと思っていたら、もうすぐなのである。

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この間書いたとき、ちょっと書き足りなかったこと。老後の問題というと、すぐに年金とかおカネの問題に結びつけてしまう風潮があるが、個人的にはそれよりも何よりも健康と、その裏付けとなる生活リズムが大事なのではないかと考えている。

いま55歳で会社の定年が60。その後どうやって暮らしていくか。いろいろな本を読むと、「定年後は朝から酒を飲んでアル中に」とか「頼まれもしないのに会社に行く」とか「付き合う人がいなくて引きこもり、とうとううつ病」とか困った事例が書かれている。病気にならなくても、一日家でテレビを見ているのはかなり寂しい。

だから、言うならば「定年後の時間割」をどう作っていくかということが重要なような気がする。振り返ってみると、若い頃浪人も留年もしなかったせいで、学校時代は時間割のある生活をずっと続けてきた。大学の後半は自分で履修科目を選ぶことができたけれど、必修科目がありゼミもあるので、すべて自由に選べた訳ではない。

その後はすぐに就職して、会社は替わったけれど基本的に朝出勤して夕方まで仕事をする生活である。二十数年前の最初の転職の時に少し自由な時間ができたが、それも2ヵ月ほどのことだから長い夏休み程度のものであった。それが、あと5年ほどで朝から晩まで予定のない毎日になるのだから、やはり生活リズムを整えるのは重要である。

ちょっと前は、定年退職したら学校に入り直して勉強したいと思っていた。学生の時と違って卒業し就職しなければならない時間的制約はないから(試験だって嫌なら受けなければいいのだ)、好きなペースで好きな勉強ができる。ところがここへきて、それが資金的にかなり難しくなってしまった。

その意味では、退職金減額や年金制度崩壊の影響は大きかったのだけれど、学校に行かなければ勉強できないという訳ではない。いまやインターネットで相当深いレベルにまで検索可能になっているし、たいていの参考文献は地元図書館に取り寄せ可能である。「歴史」とか「宗教」とか「哲学」とか、時間をかけて調べたいことは山ほどある。

そして「体育」の時間は、いま週に3~4回通っているスポーツクラブがある。定年後は家事の半分はやらないといけないから、「家庭科」の時間もある。もちろん一日一度は「掃除」の時間もある。健康のためにも、食事の時間は決めた方がいいだろう。いろいろあるから、テレビゲームは時間を限ってやらなければならないなあ。

そういうふうに定年後を有意義に過ごすためには、何より健康。今日(4月21日)も、これから医者に行ってきます。体重は今年に入って2kg減とペースは落ちたが、ピークと比べると15kg減。とりあえずの目標は、あと5kg減らして、20年前の体重に戻すことである。

[Apr 21, 2012]

5月16日~せいうち日記59

昔から、5月と11月に最も資金繰りが苦しい。そして16日が来るのが非常に待ち遠しくなる。この日以降のクレジットカード決済が、ボーナス後になるからである。

最初に就職したのが銀行だったので、入社してすぐにクレジットカードを作らされた(クレジット会社は、現在も銀行の関連会社である)。今は、学生でもクレジットカードを持っている人はずいぶんいるけれど、当時はそんな人は少なく、社会人になって初めてクレジットカードを持つことになったのである。

ところが、使い始めるとこれが非常に便利なのである。何しろ、現金の持ち合わせがなくてもカードがあれば飲みにいけるし、買い物もできる。ただし、翌月になると支払いが回ってくるので、結局のところ楽だったのは最初のひと月だけで、後は同じことになるのであった。

幸いに当時はリボ払いや分割払いがなかったので、支払能力以上に残高が積み上がることはあまりなかった。それでも、カードの支払いが回ってくるのは結構大変なことだった。折しも時代はバブル最盛期。会社が終わったらニュートーキョーに飲みに行って、それからカラオケスナックに行って、ラーメン屋で締めて、タクシーで帰るなんてことをすべて自費でやっていた時代である。(ああいう時代は、もう二度とやって来ないであろう)

それらの支払いがきれいになるのはボーナス後くらいのもので、後は支払い限度いっぱいまでカードを使ってしまう。だから、5月15日(支払いが6月10日になる)、11月15日(同じく12月10日)を過ぎると、心安らかにカードを使うことができたのである。

それから30年近く経って、最近はさすがにボーナス前にきつきつになることはあまりなかったのだけれど、今年はちょっと状況が違った。というのは、昨年暮れに住宅金融公庫の返済方法をボーナス併用から月々の返済のみに変更したのである。

当然、月々の返済は増えるけれど、ボーナスがもらえるのもあと10回くらいだし、そろそろ老後の生活パターンを考えていかなければということでそうしたのだが、何しろ夏のボーナスが入るまでの期間が非常に苦しい。給料は全然増えないのに、ローンの支払いだけが増えたからである。

もちろん、給料を見込んだカード払いもなかなかできなくなる。最近は、お店で買うより通販の方がいいものを手軽に入手できるから、食料品やお茶、お酒などはネットで注文することが多い。結果として30年前と同様に、ボーナス前がいちばん苦しくなってしまった。

我慢の甲斐あって、ようやく5月16日がやってくる。とりあえずワインを注文して、稲庭うどんを注文して、クールビズ用の夏服も新調しなければ。何しろ昨年より10cm近くウェストが縮んでいるので、いまの在庫はみんなぶかぶかなのである。(おお、ようやくダイエットの話題に落ち着いた)

[May 14, 2012]

タイミングの合わない時 ~せいうち日記60

6月半ばである。去年の今頃はラスベガスだった。今年も週末にはWSOP(ポーカー世界選手権)のシニア・チャンピオンシップなのだが、残念ながら行くことができない。異動前から決まっている出張のためである。

長年サラリーマンをやっていると、こういうことがよくある。流れが合うときにはいつでも都合がつくし(昔、年間8回海外遠征したことがあった)、合わなければ1年に1回も都合をつけることができない。半日で用事が済んであと半日を自由に過ごせる出張もあれば、仕事が終わるとすぐに移動しなければならない出張も多い。今回は後者である。

こういうケースでは、どうしたらいいのだろうか。いろいろな本を読むと、「うまく流れている時に幾分かの余裕を残しておくことが重要」という説が有力である。マタギの世界(昔、東北地方にいた狩猟を業とする人たち)では、次から次へと獲物がとれる時にもすべてとってしまわずに、次の猟のためあえて残しておいたそうである。

その伝でいうと、以前やたらと海外遠征していたツケを、今になって払わされているということになる。それはそれで仕方がない。ただ私の場合、すべてがプラスになる時とすべてがマイナスになる時の振れ幅が他人より大きいので、気をつけていてもこうなっていたような気がする。

仕方がないので、仕事を一生懸命やることにした。別の見地から考えれば、仕事が好きで仕方なくて仕事がないことが何より辛いという人も世の中にはいるかもしれないので(私の周りにはいないが)、そういう人になったつもりでがんばろうと思う。いずれあと何年かで仕事をしたくてもできなくなるのである。

今週はこれから大阪、明日は名古屋、いったん東京に出て家には戻らず、羽田から北海道。しばらくスポーツジムに行けないので、せっかく減ってきた体重が戻らないかちょっと心配である。

今日の宿からは、富士山がきれいに見えます。


[Jun 14, 2012]

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