せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
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糖質制限3ヵ月 ~せいうち日記141

11月半ばに糖質制限を始めてから、早いもので3ヵ月が経過した。糖質制限に関する記事は別に連載しているのでそちらをご覧いただくとして、自分でも長続きするものだなと驚いている。

正直なところ、主食を抜くのは相当きついことで、ある程度のところであきらめると思っていた。なのに、ハードではなくゆるゆるの糖質制限なのがよかったのか、いまのところ禁断症状的なものはない。

糖質制限の提唱者の一人である江部先生によると、糖質制限食とは厳密には1日60g、マイルドな糖質制限でも1日130g未満に摂取を抑えるものであるが、おそらく私の場合マイルドな糖質制限にも達していない。それでも、白飯・食パン・うどんを食べず、甘いものも極力控えているので、1日当り少なくとも150gは減らせているだろう。

それだけ糖質の摂り過ぎだったということだが、1日150gとして100日で15kg糖質を体内に入れなかったということだから、考えてみればすごいことである。

減量が主目的ではないので体重に一喜一憂しないようにしているが、いまのところ過去15年間で最も軽いウェイトである。ベルト穴が3つ4つ小さくなって、きつかった暖パンが楽々入るようになった。

肝心かなめの体調だが、胃腸の調子はずいぶんとよくなった。肌の具合は一進一退といったところだが、徐々に改善に向かっているように感じられる。

これは改めて書くことになると思うが、糖質制限の影響には個人差が大きく、本に(WEBに)載っているからそのまま通用する訳ではない。だから、自分自身の体調と相談しながらやり方を取捨選択しなければならない。

江部先生によれば、精製小麦でなければ何を摂っても構わない、肉やチーズ、ナッツ類は問題ないというのだが、私の場合ナッツがあまりよくない。それに、糖質の有無にかかわらずチョコレートは肌の調子を悪くする。

逆に意外と影響ないのが和菓子で、少々であればいまのところ問題は少ないようだ。もしかすると、和菓子はご近所の和菓子店のものなので悪いものが入っておらず、市販のものは何か入っているということだろうか(保存料?バター?異性化糖?)。

いずれにしても、体に気をつけるのに年齢はあまり関係ない。体にいいことはいくつになっても試すべきだし、その効果を感じられればそれだけ健康な方向に向かったということだろう。

ともかくも3ヵ月経って、まだまだ続けられそうなのはうれしいことである。半年、一年と続けられれば、体質も腸内環境もさらに改善されるものと期待している。

[Mar 2, 2021]


64歳になった & スマホデビュー ~せいうち日記142

誕生日が来て、64歳になった。60になる前にリタイアした時はまだ先が長いと思っていたのに、65歳まであと一年を残すだけとなった。Time flies like an Arrow.中学生の頃「時間蝿は矢が好きだ」と訳したものである。

64歳になったら、もっとじいさんじいさんしてしまうのかと思っていたが、本人としては若い時と変わらない。糖質制限のおかげで毎朝の血圧が120-70だったりするので、余計にそう思うのかもしれない。鏡を見るとヒゲまで白髪混じりで、紛れもなくじいさんなのだが。

リタイアしてから5年、ポリテクを卒業してからでも4年経つ。ついこの間のような気がして、嘘みたいである。会社にいた頃は、ひとつの部署にだいたい3年。その3年が長くて長くて仕方なかった。それだけ嫌だった。

こうしてあっという間に過ぎる毎日を暮らしていると、会社が好きな連中は毎日楽しくて仕方ないんだろうなと思う。だから、定年になっても辞めたくなくて、働き続けたりするのだろう。私にはできないことである。

おカネが十分にあるとはとても言えないが、それほど差し迫ったこともなく毎日過ごせているのはありがたい。夫婦も子供達も健康で、たまには酒を飲むくらいの余裕はある。これで文句を言ったらバチが当たる。

65歳になると年金が満額出るのと、税金が少なくなるのとの相乗効果で収支相償う予定になっているが、なってみないと正確なところは分からない。いまだって、国民健康保険の負担がこんなにきついとは予想しなかった。いずれにせよ、あと1年後である。

誕生日が近づくと寒さもいよいよ終わり、衣類を冬物から春物に替える時期になる。

現役時代もスーツをこの季節に替えていたはずだが、コートで調節していたのであまり印象深くなかった。リタイアすると普段着とパジャマだけがワードロープなので、衣類を入れ替えると季節の変わり目を実感する。

これまで六十何年生きてきて、季節の移り変わりをそれほど気にしなかった。おそらく、他にいろいろ気がかりなことがあったためだろう。そういうことを考えるようになったのも、人生の終盤に差し掛かってきたということだろう。

この間も書いたけれど、今回の誕生日が免許の切り替えで、更新に来いというので年初以来続けてきた自粛を終わりにした。10年前の更新では午前中に免許センターに行って夕方から出勤だったのだが、大震災にぶち当たってしまったのだった。

これまでのように更新がすぐ終わるのは次回までで、10年後からは高齢者講習だの認知検査だの受けなくてはならない。10年前から今回まですぐだったので、10年後もあっという間なんだろうと思うとちょっと気が重い。

今年は誕生日前に運転免許の更新が必要だった。10年前は大震災当日の午前でたいへんな目に遭ったが、10年後は高齢者講習かと思うと気が重い。


64歳の誕生日を目前に、今年は自分的には大きなイベントがあった。ついにガラケーを卒業し、スマホデビューしたのである。 何回か書いているように、携帯の通話料は自分的にはムダだと思っていて、3G終了とともに解約するつもりでいた。だからauから「2022年3月でサービスを終了します」と通知が来てもシカトを決め込んでいたのである。

それが突然気が変わったのは、山(というよりも登山口まで)で道間違いをしたからであった。詳細はこれから書く山の記事を見ていただくとして、茨城に行くようになって2シーズンで道間違いは3度目である。これはいかんと思った。

本当に山の中に入ってしまえばこちらも慎重になるし、道もないようなところを歩くのである。そういう場所で間違えるのならともかく(よくないが)、細いとはいえ舗装道路を歩いていて間違えるのだからどうしようもない。

そもそも1/25000図と登山用GPSは、市街地を歩くようにはできていない。お高いGPSであれば地図も内蔵しているけれど、私のは1万円で買った並行輸入品、ログデータの保存とデジタルコンパスくらいしかないのである。

それでも、かれこれ6~7年使っているから慣れてきて、小さな画面だけれど軌跡と方向は分かるし、緯度と経度だけでも大体の位置は把握できた。ただ、それは山の中のことで、道が立て込んでいる人里では無理だ。

そもそも、事前準備でも山の中については念入りに調べるけれど、登山口まで迷うことは想定していない。昨年は、下山後JR駅までの道を90度間違えた。これは、GPSと1/25000図ではなく、スマホナビの守備範囲である。

思えば、いままで使っていたガラケーを購入したのは10年近く前のことになる。SH002というシャープの機械で、太陽電池が付いていて充電し忘れても大丈夫という携帯だった。実際には、太陽電池を使うことはなかったけれど。

auも3G打ち切りを気にしてか、無料で4Gの機種と交換してくれるという。「スマホスタートプラン」というのもあって、初年度の月利用料は980円+税からで現在より安い。コロナで営業店は予約しないと入れないので、電話窓口にかけてみた。

すると、思いのほかスムーズに話が進んで、10日か2週間で新しいスマホが届くという。データ移行や回線切り替え手続きは自分でやらなければならないが、そんな手数でもない。いざとなれば全部手作業でやってもたいした手間ではない。

10日もかからず1週間で、スマホ本体が宅配便で届いた。ところが、書いてあるとおりに回線切り替えの手続きをしたのだけれど、いつまで待っても旧ケータイのアンテナは立ったままで、新スマホはアンテナが立たない。

3日経ってだめだし、旧ケータイでは電話すらかからなくなった。問い合わせセンターに家電から電話すると、「こちらでお調べしたところ、すでに切り替わっています」とのこと。

なんと、切り替わっても旧ケータイのアンテナは立ったままで、新スマホは再起動(電源長押し)しないといけなかった。困ったときには再起動がシステム屋の心得なのに、思いつかなかったのは不覚である。

あたふたと手続きして、誕生日までに間に合わせることができた。そこで思ったのは、マニュアルだの手続きガイドだの大層な分量送ってくるけれども、知りたいことを分かりやすくは書いてないということである。

奥さんに言わせると、「若い人はいちいち調べないで、適当にいじってるうちにできるようになるのよ」だそうである。赤ちゃんでも、画面をスライドさせる指の動きができるそうだから、マニュアルとか言ってる年寄りの出る幕ではないかもしれない。

コロナ禍のさ中「すべて電話・ネットで手続きできます」という触れ込みのauスマホ切り替え。無料スマホが1週間で届いたまではよかったが、切り替えに戸惑った。まあ急がないからいいけど。


[Apr 13, 2021]


ゴールデンウィーク今昔 ~せいうち日記143

去年に続いて、今年もコロナ緊急事態で大型連休はステイホーム勧奨である。個人的には、みんなが動くときに一緒になって動くことはないという立場で、それは現役当時と変わらない。しかし昔は、そうでなかった時期もあった。

若い頃は暦通りの職場だったので、何日も連続して休むことはできなかった。天皇誕生日、憲法記念日とこどもの日、それと日曜日だけが休みで、週休2日もなく振替休日もなく、いまより3、4日休みが少なかった。

それでも、会社に行かなくていい日はたいへんありがたくて(なにしろ、午後9時まで働くのが普通の職場であった)、飛び石連休でも大事に使ったことを記憶している。

いまでも時折思い出すのは、奥さん子供連れで新潟まで日帰りのドライブをしたことである。高速が混む前に都心を抜けようと3時か4時に家を出て、関越道をひた走り、朝ご飯は越後川口SAで持って行ったお弁当を食べた。

何ヶ所か観光してお昼は改装前の新潟競馬場。おりしも家族連れ向けのミニ遊園地が開設されていて、そこで子供達を遊ばせた。帰りはまだ全線開通していない磐越道に向かったのだが、高速に入るまでに大渋滞、通過に5時間かかって帰りは真夜中になった。

この時相当懲りたので、以降ゴールデンウィークに遠出するのはやめた。そのうちに子供も大きくなって、一緒に出かけなくてもよくなったし、もともと人付き合いが少ないので友達関係もない。海外に行っていた頃は、料金の高いGWは最初から予定しない。

会社勤めの最後の頃は、土日祝日関係ない職場もあったので、率先してゴールデンウィークに出ていた。もちろん代休は制度的に必須なのだが、平日すら休むことができないような人数しかいなくて、結局週休1日以下になってしまった。(その頃のせいうち日記)

いまこうして、ゴールデンウィークでなくても毎日家にいられるというのは、あの頃の借りを返してもらっているような気もする。おカネがどうこういうのではなく、何より大切な時間があの頃は自由に使えなかった。

ずっと昔、最初に勤めた銀行の組合アンケートで、どういう質問だったか覚えていないのだが「給料や待遇だけではなく、できるだけ休みを増やして自由に使えるようにしてほしい」と回答したことを覚えている。

周囲の人達にそのことを話すと、何だか宇宙人を見るような目で見られたのだった。その時は、みんなそう思うけどそう書くと角が立つからかなと思ったけれど、実は本音でもほとんどの人はそう思っていなかったのだろう。

いま、あの立場に戻ったとしてもきっと同じことを書くだろうと思う。おカネがどうこうとか、偉くなるならないよりも、時間の方がずっと大切である。そして、ほかの人達と同じ動き方をしていたら、それだけ時間がムダに過ぎてしまうと思うのである。

今年のゴールデンウィークは5連休。昔だと、2・3・5の飛び石連休でしたが、それでも楽しみにしていたことを思い出す。


[May 4, 2021]


最近の毎日 ~せいうち日記144

リタイアしてもうすぐ5年になる。最近は、同じような日課で毎日を過ごしている。これまで書いたことがないように思うので、せっかくだから書き残しておこう。

朝は、アラームなしでも目が覚める。たいてい、4時から5時の間である。この頃では襖の隙間が明るくなるのが分かる。ごくたまに(2月に1度くらい?)、寝過ごして奥さんのアラームが鳴るまで寝ていることもあるが、それでも5時半である。夜9時か10時には寝るので、平均すると7~8時間睡眠ということになる。

起きてまずすることは、体調のチェックである。ヘルスメーターに乗って体重を測り、続いて体温計、血圧計と続く。高血圧になって以来、毎朝の日課である。

幸いに高血圧の薬は飲まなくてもよくなったが、血圧測定は欠かさず続けている。最近は糖質制限をしているので、ヘルスメーターに乗るのがちょっと楽しみである。毎朝体温を測るようになってから、高熱を発したことはない。

測定の後は、毎日の糖尿病・高脂血症のお薬を服用する。朝食・夕食とか食前・食後とか指定はバラバラだが、忘れてしまうので朝食前にまとめて飲んでしまう。花粉症薬だけが例外で、夜中に発作が起きないように寝る前に飲む。

サプリメントも糖尿病薬と一緒に飲んでしまう。最近はビタミン、ミネラル、DHA/EPAを日替わりで、服用量は指定よりかなり少ない。もともと薬品ではなく健康食品だから、それで不都合はないはずである。

ここまですませてから、2階の自分の部屋に上がる。パジャマから普段着に着替えて、夜の着替えを用意する。前日が雨降りで洗濯物が部屋干ししてあるときは、この時間に取り込む。それでも乾かなければ、朝一番でコインランドリーで乾かす。

コンピュータを立ち上げて、直前に測定した体重・体温・血圧とその日に服用した薬品をエクセルに入力する。こうやってパソコンで管理するようになってそろそろ10年経つ。それより前は手書きでメモしていたのだけれど、後から確認するのにパソコンの方が便利なのだ。

ここまでルーティーンを消化すると、起きてから大体30分。メールチェックをしたり前日のアクセス数を確認したりしているうちに自分のブログの更新時間である5時15分になる。

ブログの記事は最初に書いてから何度か推敲しているし、前日までには確認しているにもかかわらず、誤字とか脱字とか、気に入らない箇所が出てくるのは修業の足りないところである。2日に1回は手を入れることになる。たまにコメントがあれば返事をする。

プログ村にpingを発信したり、ついでに他の人の新着記事を読んでいると、あっという間に1時間が過ぎる。6時25分のテレビ体操で夫婦そろって体を動かすため、1階に下りる。

一番ベテランになってしまった沙希ちゃんが新人のときには見ていたから、もう7~8年になる。6時25分に家にいて、忙しい時間帯でない必要があるから、リタイア近くなるまで定期的に見られなかったのだ。

年とともにラジオ体操第2がきつくなって、みんなの体操がやりやすくなった。みんなの体操+第1で10分というのが、一番のお気に入りである。奥さんは私より3つも若いのに、1つ違いで指を折るのが苦手である。

テレビ体操が終わる6時35分から朝ご飯で、いったん消したTVを天気予報、交通情報、アンヌ・ソフィーの海外ニュースの間だけは見る。7時台トップニュースは、見出しだけしか見ない。

そんなこんなで1日が始まるが、何だか長くなってしまった。朝ご飯が終わってからのことは、またいつか書くことにしよう。

朝起きたら体重、体温、血圧を測定して、Excelに入力するのがここ10年ほどの日課です。


朝ご飯の後、7時15分から奥さんが連ドラを見るのでTV前を交代して歯磨き・洗顔へ。引き続き毎朝恒例のお掃除をする。

お掃除はリタイア後に始めた。奥さんと私では気になる場所が違うので、そういう場所を重点的にやることにしている。窓拭き(私の場合、窓の桟が気になる)、床のクイックルワイパー、トイレ掃除、2階の掃除機かけ、冬の結露拭きなどをローテーションで。1階の掃除機は昨秋以来るんちゃんがやってくれるので、お任せしている。

天気がよければ、ベランダの手すりを拭いて布団干しをする。寝室は1階、ベランダは2階なので移動がひと手間だが、夫婦2人だけなので1回の移動で済む。寝心地が違うので、干せる時には干すようにしている。

お掃除が終わると大体8時。それから11時までが朝のパソコン作業である。リタイア後はこれが仕事のようになってしまったが、もちろん収入には全然結びつかない。

ブログの原稿書きやホームページの編集、家計の管理や写真の整理をしていると、あっという間に2、3時間が経つ。月に何回か、この時間に買い物が入ったり、図書館に行くこともある。

お昼は午前11時と決めている。自分の分は自分で用意する(わが家では「各自」と呼んでいる)。私の場合は糖質制限食なので、糖質0麺、スンドゥブ、レトルトのカレーのみ、グラノーラなどの日替わりである。奥さんは、鮭とか納豆をおかずにロカボ玄米を食べることが多いようだ。

後片付けや雑用をすると正午のチャイムが鳴る。ここから1時間弱が昼寝の時間である。朝、4時頃から起きているので、お昼を食べると眠くなってしまうのである。不思議と、1時頃に目が覚める。

お布団と洗濯物を取り込み、それから風呂掃除である。そんなこんなで30分くらいかかるが、朝の掃除と昼の洗濯取り込みが家事の割り当てである。それが終わると、天気が悪くなければお散歩に行く。

以前はスポーツジムに週3~4回行っていたけれども、いろいろあってやめてしまったので、午後の散歩で体を動かしている。

すぐ近くに里山があるので、家の場合も10分も歩くと昔ながらの農村風景となる。代掻きも田植えもしないのに稲の成長を見ることができるのは、たいへんぜいたくである。東西南北、まんべんなく歩くようにしている。

雨風が強くなければ、だいたい1日2時間くらい。興が乗って遠出してしまうこともあるし、真夏は暑いので朝のうちに短時間ですませるが、なんだかんだで2年以上続いているから向いているのだろう。

千葉ニューは里山が多いので、家から10分も歩くと人工物のほとんどない風景となります。散歩する場所には事欠きません。


長々と書いてしまったリタイア生活の毎日の日課、先週はお散歩に行くまで書いた。お散歩から帰るとほどなく4時、わが家の夕食は午後4時から4時半、普通のお宅と比べるとかなり早い。

会社勤めをしている時は帰宅後の午後7時とか8時、リタイア後は早くなって5時とか6時になったけれど、ここまで早くなったのは奥さんが「胃がもたれる」と言うようになったからである。

夕食から就寝まで3時間は開けるようにというのは健康法の鉄則であるが、わが家の場合は就寝時間が早いので午後6時にはすませるようにしていた。ところが、奥さんはそれでも胃が重いという。

特に、コロナでスポーツジムに行かなくなってから、夕食後に体を動かすことが極端に減ったことも影響しているようだ。私も、夕飯を早くすることに異存はないので、5時から4時半、4時半から4時とだんだん前倒しになっている。

4時台に食べ終わると寝るまで5時間ほど開くことになるので、夕食が軽いとお腹がすくこともあるが、ドクター南雲によると空腹時こそ体調を整えるホルモンが出るというから、健康のためと思ってがんばっている。朝食まで14時間ほど開くのも、たいへんいいことだそうだ。

週に2、3度お酒を飲むことがあるが、適量を超えるとたちまち眠くなるので、以下のスケジュールはほぼほぼ空白となる。この間など、午後7時に寝た。翌朝4時起きなので、全然眠れる。

頭が普通の時は、夕食後6時半までリラックスタイムである。2階の自室でAI相手に将棋を指したり(2枚落ちから4枚落ち)、散歩の時に思いついた話題でブログの記事を更新したりする。

午後6時半にお風呂が沸くように予約しておく。夏場はシャワーだけで済ませることも多い。バスタイムは大体30分、ゆっくり入る。

風呂から出て寝るまでは原則パソコンに向かわない。何かのTV番組で、寝る前にコンピュータの画面に向かうのはよくないと聞いたからである。とはいっても、YouTubeとかAbemaを見ていたら同じともいえるが。

Abemaで将棋中継がある日は、この時間がちょうど佳境にあたる。朝10時頃から中継しているけれども、優劣がはっきりするのは夕食休憩後のこの時間である。

解説者も朝からやっているので疲れてきて、言わなくても良いことを言ってしまうのも楽しい。対局者も疲れる上に残り時間が少なくなることもあって、悪手が出て一発逆転もしばしば起こる。将棋中継は、大体午後9時とか10時まで続く。

将棋中継がない時には、YouTubeで最近更新されたお気に入り番組を見る。NHKにせよ民放にせよ、TV番組はあまりにつまらなくて見ていられない。視聴率が低いものだからU局やBS放送は通販ばかりになってしまった。

AbemaもYouTubeもつまらない場合は、読書の時間にする。図書館で借りてきた本を読んだり、村上春樹や藤沢周平の何十回めになる読み返しをする。

そうやって午後9時くらいまでだらだら過ごして、今日も平和に終わったことを感謝しつつ寝室に向かう。リタイア後は仕事のストレスがなくなって、寝つきが悪いことはほとんどない。こうして、「睡眠のゴールデンタイム」(午後10時から午前2時)には深い眠りについているのでした。

[Jun 17, 2021]


毎日が早く過ぎる ~せいうち日記145

最近、奥さんが「もう1週間過ぎた。やることが多過ぎて時間が足りない」と言っている。確かに、月日の経つのが異常に早くなったような気がする。

朝ご飯の後、毎朝日替わりで掃除をしているが、あっという間に1週間経ってトイレ掃除の順番になる。月に1度の山歩きも天気がよくなる平日を待っているとすぐに1ヶ月以上開いてしまうし、この間誕生日だと思ったのにもう3ヶ月たつ。

現役時代、会社にいると1日過ぎるのがやけに長く感じた。毎日が早く終わるのは夏休みだったが、リタイアすると毎日が夏休みなのでそう感じるのだろうか。いずれにしても、ありがたいことは確かである。

昔、ビッグコミックスピリッツという雑誌に「じみへん」という作品が載っていて、その中に年をとると1日が過ぎるのが遅くなる。さんざんやることをやった頃に朝刊が来るという内容があった。実際にはそういうことはなくて、あっという間に1日が過ぎる。私だけだろうか。

きっと作者は若かったから(私と同じような歳で連載当時30代)、歳をとったらやることがないので1日が長いだろうと想像で描いたと思う。実際には、やりたいことをしていると早く時間が過ぎるし、やりたくないことをしなくてはならない時間は長い。相対性理論である。

1週間が過ぎるのも早ければ、1ヶ月が過ぎるのも早い。この間カレンダーを新調したと思ったらもう半分使った。これから暑くなって、早く涼しくならないかと思っているうちに秋になり、そのうち年末になるのである。

そういえば、今月末でリタイアしてちょうど5年になる。リタイアした時には、5年というと相当先のことに思えたものだが、過ぎてみるとあっという間である。幸い、体調的にも経済的にも困ったことにはなっていない。たいへんありがたい。

おカネとか地位とか名誉とか、誇るべき成果は何もないけれど、毎日健康で特に不安なく暮らしているならそれ以上を求めるのは贅沢だと思う。平和で安全で、家族そろって健康であればそれ以上は望まない。

この間正月だったと思ったら、もう7月である。歳をとると時間が過ぎるのが早いというのが実感である。


[Jul 8, 2021]


リタイア5年経過 ~せいうち日記146

5年前の7月末に会社を辞めてから、満5年が経過した。

いままさに、WordPressの不具合でホームページと写真のリンクが切れてしまい、ひとつひとつアップロードし直している最中なのだが、10日かかってようやく5年前までたどり着いた。

5年前の今頃、ちょうどリオデジャネイロのオリンピックをやっていた。あれから4年でなく5年である。ポリテクにも行ったし、八十八ヶ所歩いたし、山にもたくさん行った。あっという間のような気がするけれども、実は長かったのだと改めて思った。

先月は、トイレの水漏れでひやひやしたけれども、東京ガスのおかげをもって1週間以内に対応が終わった。ついでに、リビングのカーテンがボロボロだったのを買い直した。以前は数万円かけていたけれども、今回はホームセンターで1万円以内で収めた。

コロナもあったし梅雨が長く続いたので、春シーズンの山は終了となった。市の定期健診のため1週間ほど酒をやめていたこともあって、酒類の在庫は比較的潤沢である。こまごまとおカネが出て行かないので、余裕があるように錯覚してしまう。

5年前のことをつらつら思い出すと、65歳までの長期資金計画も立てたし、どのくらい節約が必要かも試算していた。とはいっても、日々その計画を念頭において生活していた訳ではない。

ところが実際には、計画に合うように生活を切り詰めてきたし、旅行とかおカネのかかる贅沢は最小限にしてきた。これは、たまたまそうなったのか、それとも意識しないだけで頭の片隅にあったのだろうか。

コロナで外出が自由にできなくなるような事態は想定していなかったし、計画にも当然入っていない。でも、現実にはコロナで出たくても出られない生活になってしまったし、それで支出が抑えられたことは間違いない。

リタイアした時には、65歳までの5年+アルファをどうやって打たれ越すか悩ましかったが、どうにかこうにかここまでやってきた。家にとじこもるだけでどこにも行けないのは嫌だと思っていたけれど、幸か不幸か、コロナがやってきておカネがあってもなくてもステイホームである。香港・マカオは危なくて行けないし。

あるいは、手もとに用意してある余裕資金をすべて使い果たして65歳を迎えることになるかもしれないと覚悟していたけれど、何とかそういうことにならずに済みそうである。あと8ヶ月、油断せずに過ごさなくてはならない。

何よりよかったのは、心身ともに余計なストレス、ダメージを受けずに5年間を過ごすことができたということである。心身さえ健康であれば、あとから取り戻すことはできる。本当にそう思う。

[Aug 4, 2021]


お盆に梅雨が来た ~せいうち日記147

暑い日が続き、トリプル台風が発生して、8月はこのまま熱帯夜で終わるのかと思っていたら、いきなり梅雨に逆戻りしたような雨の日がしばらく続いた。

梅雨というのは比喩ではなくて、本当に前線が停滞して、天気予報でも梅雨末期のようだと言っていた。本州・四国・九州に次々と雨雲が流れ込み、特に九州北部では72時間雨量が観測史上最高となり、各地で水害が発生した。

これで何年連続になるだろう。お遍路で歩いたばかりの十夜ヶ橋が水没し、奥多摩や丹沢が被害を受け、広島で土砂崩れがあって、球磨川や最上川が氾濫した。立て続けに起こるので、いつがどこだったのかすぐには思い出せない。

千葉ニュータウンも例外ではなく、しばらく前に東京湾に進入した台風で多くの地域で停電が長引いたが、今年も防災放送で避難所開設のお知らせが流れた。市内で7、8ヶ所の避難所が開設されたようだ。

ニュータウン地域は比較的高台にあるのだが、市役所のある木下から小林にかけての旧市街は利根川や印旛沼が近く、埋め立てられる以前は湿地帯であった。本埜村であった地区は、2階建ての土蔵がいまでも多く残っている。

オリンピック連休もお盆も、外出の予定はもともとなかったが、毎朝のお散歩もできなくなって強制的なステイホームとなった。コロナ感染急拡大の折柄、人流が減ることは不幸中の幸いかもしれない。

現役世代のお盆休みが終わる頃、ようやく関東地方の雨が上がった。久しぶりに朝の散歩に出ると、蝉の声が小さくなって虫の声が大きくなっている。日が昇るのも遅くなり、ゆっくりだけれど確実に秋は近づいている。

例年であれば、そろそろ涼しくなって山に出かける算段を始める時期なのだが、今年はコロナでどうなるか分からない。いま以上に自粛が強化されるおそれがあり、昨春のように山小屋が営業休止する懸念がある。

いっそのこと、学校は休み、施設は強制的に閉鎖というクルーズ船直後のような状況になればあきらめもつくが、おそらくそうはならない。政府に、休業補償をするつもりがないからである。

バスも動いている、山小屋も宿泊定員を減らして営業しているとなれば、感染対策をして出かけることになる。わが国では陰性証明やワクチン証明を求められていないから(あっても、気休めにしかならない)、自己責任でということになる。

かれこれ去年春から1年半にわたり、「不要不急な外出はしない」「密を避けマスク着用」「大人数で会わない飲まない」と言われているけれど、そう指示しているお偉いさんがGo Toをやりオリンピックをやり、いままたパラリンピックを盛り上げようとしている。

そういえば、この間カシノにいる夢を見た。聞き覚えのあるBGMがかかっていた。起きてから考えてみると、あれはテニアンダイナスティカシノで流れていたBGMに違いない。ちょうど今、WordPressの不具合で過去のブログ記事を修正しているので、脳のどこかが刺激されたのかもしれない。

楽しいことをする時間は限られている。指図している連中も自分に都合のいいことは結局やるのだから、バカ正直に残り人生の何分の1を浪費しても仕方がない。

2021年は盛夏から一転して梅雨前線が停滞、九州・中国地方に線状降水帯が発生してこれで何年連続になる水害となった。


[Aug 19, 2021]


オリ・パラが終わって日常が戻った ~せいうち日記148

オリンピック期間中、1日中見たくもない番組を流していたNHK-BSがようやく元に戻った。 何しろ、毎時5分間のBSニュース以外24時間ぶっ通しでオリンピックを中継していて、アンヌ・ソフィーの海外ニュースすら流さなかった。フランスTV局F2のアニメ、力士が棒高跳びから不知火型土俵入りで締めるオリンピックイメージはとてもよかったのだ:けれど、もう二度と見ることはできない。

BSだけでなく、Eテレもオリ・パラ特別番組になって、日曜午前の将棋中継が真夜中に移動した。オリ・パラに興味のない視聴者にとって、生活リズムが乱れるだけで何もいいことはない。さっさと終わってくれないかと思っていた。

デジタル放送なのだから、その気になれば視聴料を払った番組だけ見るというシステムにすることに技術的な問題は何もない。せめて、見たくない番組は見ないことで視聴料を割り引きすべきであろう。ガースー退陣の時だって、予定通りパラリンピックを放送していたのだ。誰が見るの?

9月の声を聴いて、おもむろに復活したのが山歩きである。今年は6月に日光男体山再挑戦があって、7、8月は例年通り夏場で休み。コロナがなければ尾瀬か上高地なのだが、山小屋はともかく行き帰りの電車・バスに気が進まない。

これだけ大騒ぎしているのに、あえてリスクの高い行動をとることはない。山に行ってしまえば大概の場所は密ではないし、自家用車で移動すれば最高の感染対策である。CO₂削減はこの際勘弁してもらおう。

7日の火曜日だけ晴れるというので、急きょ準備して那須に行ってきた。同じように考えた人が多かったようで、かなりの人出であった。バスでやってきた小学生の団体もいて、稜線は人がうごめいているような状態である。3密回避とか言っていられない。

緊急事態下というのに、老人会で来たらしい団体は谷を挟んであっちとこっちで叫び合っているし、登山道管理の腕章を付けたじいさんはマスクも付けずに相方の若い女の子にずっと話しかけていた。若い子はほとんどしゃべっていないのに。

こういう状況をみると、私より少し年上の、団塊の世代とか全共闘世代とか言われる連中は、若い人よりずっと始末に負えないと思う。半面、こういう状況で山に来て私だけ責められることはなさそうだと少し安心した。

そして、9月となるとNFLが始まる。オリ・パラは全く見なかったけれども、NFLは見逃す訳にはいかない。今年もDAZNを契約した。1ヶ月1,925円の負担は小さくないが、これで週3日楽しめると思えば高くはない。

開幕戦は日本時間10日の午前9時過ぎスタート。開幕戦らしく、双方ミスが多い接戦で、昨年のチャンピオン、バッカニアーズが逆転勝ちした。来週からは毎週月・火・金にゲームがある。これがあるから、9月初めにあわただしく山に行ったのだ。

ともかくも、いつもの日常が戻ってきてほっとしている。NFLを見ていると、本当にあっという間に来年である。そろそろ、年越しの心配をしなければならない時期がやってくる。

フランスF2のキャスター、アンヌ・ソフィー。深刻なニュースでも最後に口角を上げてしまうので、「お前はローラか」と言っています。


こちらが奥さんご贔屓の「アラン・ドロン」ことローラン・ドゥラウース氏。本職はアンヌ・ソフィーと同様ジャーナリストで、映像作家でもあるらしいです。それにしても、フランスのTV局はよく美男美女を見つけてきますね。


[Sep 14, 2021]


青天の霹靂!! 帯状疱疹に罹る ~せいうち日記149

奥さんの2回目のコロナワクチン接種と前後して、私の方にトラブルが発生してしまった。なんと、帯状疱疹に罹ってしまったのである。

帯状疱疹は子供の頃の水ぼうそうウィルスが体内に潜伏して、それが何かのきっかけで再び活動し始めるものである。3人に1人が罹るといわれ、発症年齢は50代以降に集中しているが、迂闊にもそうしたことはほとんど知らなかった。

きっかけとなるのは、過労、ストレス、他の病気による体力低下等であるが、もっとも大きいのは老化であるとされる。だから、若い年齢層で発症が少なく、50代を超えると増えるのである。

原因の考察(10ヶ月間行っている糖質制限との関係など)は別の機会に書くことにして、今回は実際に罹ってから回復するまでの経過を中心に書いてみる。

毎朝の体重・血圧測定の結果をExcelに入力しているが、9月15日のメモに「頭が少しちくちくする」と書いてある。全く気付かなかったが、この時点で帯状疱疹が活動し始めたものと考えられる。

翌16日、依然として頭がちくちくする。奥さんにそう言うと、「何かに刺されたみたいに腫れてるよ」。鏡を見ると、細かいぶつぶつが眉毛の上あたりに出来ていて、頭の中にもそれらしきものがある。

「毛虫に刺されたんじゃないの。広がるようだったら医者行った方がいいよ」と奥さん。確かに数日前から散歩の範囲を旧本埜村地域に広げていて、蜘蛛の巣をはらったり虫に刺されそうな一帯も歩いている。ただ、帽子もかぶっているし頭を刺されることはあまりないはずだが。

その晩はよく眠れず、起きて鏡を見るとぶつぶつが広がっている。眉毛の上からこめかみにかけて、頭の中も別の個所に広がっている。6時予約開始の皮膚科に予約を入れて、午前中のうちに診てもらった。

先生は診たとたん「帯状疱疹ですね。痛むでしょう。ちょっと場所がよくないかな」とおっしゃる。ウイルス検査や尿検査、血液検査をして、頭と額に薬を塗り、4日後の火曜日に来るように言われる。処方された飲み薬や塗り薬は結構あって、4日分で5千円弱かかった。

「すぐには効きませんし、痛くなって広がると思いますが、きちんと飲み続けてください。悪くなって入院するケースもあるので、気をつけて」と念押しされた。その言葉どおり、その日の午後からさらに痛くなった。夕方には、歩くたびに頭に響くようになった。

飲み薬には、鎮痛剤やビタミンB12、肝臓を守る薬などがあるが、もっとも高い薬はアメナリーフという抗ウイルス薬である。帯状疱疹では、発症した直後から抗ウイルス薬を飲むことにより、早期回復と後遺症の予防を図ることができる。

読んでおくよう渡されたプリントには、顔や頭の発疹はウイルスが三叉神経に入って起きたもので、視覚障害、聴覚障害、顔面神経障害の原因となると書いてある。先生が場所がよくないと言ったのはそういう意味だったのだ。

この日、奥さんは夕方までのパートだったのだが、毛虫ではなく帯状疱疹だとメールしておいたので、たいそう心配して帰ってきた。

普段は「痛い」といっても大げさに言ってるだけだと相手にしてくれないのだが、この日は薬を付けたりガーゼを絆創膏で貼り付けたりするのを手伝ってくれた、頭の上の方なので、自分では見えにくい場所なのである。

帯状疱疹は子供の頃の水ぼうそうウイルスが体内に潜伏し、それが何かのきっかけで活性化して帯状疱疹になる。老化や過労、ストレスがきっかけになるとされる。(図表出典:マルホHP)


帯状疱疹と聞いたからなのか、それとも痛む時期だからなのか、薬を飲み始めたその晩が一番痛かった。患部をさわると痛みが増すようだ。就寝前の薬は抗うつ薬にも使われる薬で鎮痛作用もあるとのことで、痛いと思っている間に寝入ったようだ。

翌朝起きてガーゼを取ると、発疹はさらに広がって腫れもひどくなっている。「すぐには薬は効きませんし、発疹もまだ広がるし痛みも強くなるかもしれません」と先生の言った通りである。

いただいたプリントに安静にするよう書いてあるので、本を読んだりパソコンをしたりいつもと同じと軽く考えていたが、とんでもない話だった。細かい字を見ているとすぐに目が痛くなり、それが神経を通じて頭に電流が流れるほど痛いのだ。

特に痛むのは左のこめかみから眉のあたりで、腫れているものだから目が開けにくい。不定期に電流が流れるように痛んで、頭のてっぺんから鼻や目の奥、奥歯のあたり、のどまで痛い。目をつぶって横になっているのが一番楽で、本もパソコンも全然無理だった。

帯状疱疹が発生する部位としては頭・顔は約2割、半分近くが腹部とか背中である。よく出てくる写真もそのあたりなので、帯状疱疹とは腹とか背中にできるものだと思っていた。3人に1人が罹患し、発症年齢も50代以降になると急増するという。なぜこの病気に、ほとんど関心がなかったのだろう。

土日月の3連休、天気もよくてお出かけ日和だったが、部屋で横になっている他なかった。土日は競馬中継、月曜日はNFLがあったのがせめてもの救いで、10分TVを見て20分休んでを繰り返した。痛みが引くのを待っていたら1時間経ってしまったこともあった。

明けて火曜日に通院である。4日前に細かいぼつぼつだった発疹が、水ぶくれになって一部は破れている。範囲も広がって頭や額が赤くただれひどい状態である。痛みがつらいので、痛み止めを増やしてもらう。タリージェという薬で、神経に直接作用するということである。

目の上の腫れもひどいので、眼科にも行くよう指示がある。翌日眼科に行くと、「帯状疱疹は目には来ていない。アレルギー性点眼薬を出しておきます。目に異物が入ったようなゴロゴロ感があるようでしたらすぐに来てください」ということであった。

眼科を受診した次の日は23日秋分の日。発疹から8日、薬を飲み始めて7日目で、ようやく電流の走るような痛みはなくなった。発疹も水ぶくれは残るもののかさぶたになっている場所もあり、薬をつけてくれる奥さんによると範囲も狭まっているようだ。

ただ、電流は走らないもののずきずきする痛みはこめかみを中心に残っていて、薬が切れるせいなのか夜中から朝方に痛くなる。痛くない時間もあるので、鎮痛剤のカロナールを時間をずらして飲む。

このカロナールはアセトアミノフェンという薬品で、帯状疱疹用に使われる。ロキソニンを帯状疱疹初期に使用すると、髄膜炎等のリスクがあるということである。

24日の通院日には発疹周辺の腫れが引いて、目が開けやすくなった。少しの間なら本やパソコンを見られるようになったのもありがたい。この日までで、抗ウイルス剤の処方はなくなった。WEBによると、抗ウイルス剤は原則7日間のようだ。

この抗ウイルス剤がなくなることで、薬局への支払いが2千円ほど安くなった。ずいぶん高い薬だったのである。抗ウイルス剤がなくなるのと併せて、鎮痛剤がカロナールからロキソニンに代わった。ロキソニンなら家にも在庫があるので、痛い時に追加で飲むことができる。少し気が楽になった。

帯状疱疹は3人に1人が罹るといわれ、発症年齢は50代以降に集中しているが、迂闊なことにそういうことを全然知らなかった。(図表出典:マルホHP)


3回目の皮膚科通院の後になってようやく痛みが薄れてきた。鎮痛剤がロキソニンに変わったので、飲むタイミングを自分で調整することもできる。私の場合、毎食後よりも痛む時に飲んだ方がいいみたいだ。

4回目の皮膚科通院は27日の月曜日。痛みが出てから13日、発疹が出てから12日目である。水ぶくれはなくなり、腫れとかさぶたが残るだけとなった。「順調ですね。次は7日後でいいでしょう。薬も1種類減らします。徐々にふだんの生活に戻していいですよ」

普段の生活でいいということなので、この日から散歩を再開した。安静にして食事も普通にしていた間に、体重が1日0.5kgずつ増えていたのである。

外を歩いていると、頭の中の回路がセッティングされて、再接続していくような感触があった。手足の関節も、始めはぎこちなかったがしばらく歩くうちにスムーズになった。天気も暑くも寒くもなかったので、2時間歩いてしまった。

幸い、普段の生活リズムに戻しても悪化するということもなく、発疹は毎日引いていった。1週間後の通院で一応終了となり、この秋最大のイベントとなった帯状疱疹も、めでたく中締めとなったのであった。

後から奥さんと話したのだけれど、偶然とはいえ17日の金曜日に毛虫だと思って皮膚科に行ったのがベストのタイミングだったのである。

もし様子をみてしまったら、翌週は敬老の日と秋分の日があるので、いつ診てもらえるか分からない。抗ウイルス剤を飲むのが遅れたら、発疹が顔中に広がって目や耳に影響があったかもしれない。

自分自身としては、1週間にわたって「使い物にならない状況」になったのは不本意だったけれど、連休中に発疹が広がって救急病院ということになれば1週間ではすまなかったかもしれない。運がよかったのである。

運がよかったといえばもう一つ。2年前に坊主刈りにしているので、頭の中にできた発疹に塗り薬をつけるのが簡単に済んだことである。

サラリーマンカットのままであれば、薬がつけにくかっただけではなく、治りも遅かったものと思われる。円形脱毛みたいに、そこだけ剃らなければならなかったかもしれない。しかも、床屋に行って間もなくだから、1㎜以下で最も毛のない時期なのもよかった。

とはいっても、発疹が水ぶくれになってただれてしまったので、いつものように洗うことはしばらくできなかった。さわっても痛くなくなり石鹸をつけられるようになったのは、10日経った後くらいである。

さて、帯状疱疹は老化、過労、ストレス等がきっかけとなって発症すると言われている。過労やストレスはリタイア以来縁遠くなっているが、老化は着々と進行している。

しかし、一点気になるのは、ここ10ヶ月糖質制限をして、体重を15kg近く落としていることである。9月には、過去40年間でもっとも低い85kgを切る数字も出ている。まさにそのタイミングで発症したというのが、大変気になる。

そのあたりの考察は、毎週土曜の「糖質制限編」で改めて書いてみたいと思っている。

[Oct 5, 2021]

ネズミ捕りにひっかかる ~せいうち日記150

先週、奥さんと一緒に買い物に回っている最中、ネズミ捕りに捕まってしまった。

わが家の近辺は住宅街とはいえ、ショッピングセンターがあるので他の市町村、他府県ナンバーを見かけることが多い。だから取り締まりをしていることも珍しくないのだが、この日は病み上がりのせいかぼやっとしていたようだ。

何しろ、家からショッピングセンターに向かう途中で、何の用もなさそうなパトカーが2台、交差点で分かれ分かれになるのを見ているのである。春秋の交通安全週間も間近であり、10月初めのこの時期は取り締まりが多いと奥さんと話していたのにこの始末である。

ケーズデンキから裏道を抜けて、幹線道路に合流する場所である。ここは見通しがよくないので、横断歩道まで進んで止まり左右を確認したところ、そこに止まっていたのはパトカーであった。

ここ10年間でネズミ捕りにかかるのは2度目で、前回も一時停止違反であった。確かに、「止まれ」の停止線で一時停止するのが規則だけれど、そこで止まっても左右が確認できない。歩行者がいなければ横断歩道の前まで行って止まるのが普通である。

でも、そんなことを取り締まり中の警察官に主張したところで時間の浪費である。向こうだって、仕事で来ている以上ノルマを達成するまで帰れない。いずれ交通安全協会を通じて幹部の飲み代に使われるのだが、現場の警察官が使う訳ではない。

奥さんが、「こんなものはさっさと払って忘れた方がいい」というので、その足で郵便局に行き、奥さんが3,000円、私が4,000円の合計7,000円を払って終わりにした。財布が空っぽになり、次の年金支給日まで小銭とWAONしかなくなったが、あと1週間の辛抱である。

住宅街の見通しの悪いところでネズミ捕りというのはアンスポーツマンライクだが、意外と腹が立たなかった。その理由の一つが、おカネが出ていくときはこんなもので、下手にじたばたしない方がいいという経験則である。

直前にケーズデンキに行ったのは、2007年から14年間使っていた洗濯機がとうとう壊れてしまったので、買い替えるためであった。国民健康保険の引き落としが8月から始まって、だんだんと資金繰りが厳しい時期を待ち構えていたように事件は起こる。

「耐用年数はだいたい7年ですよ」とケーズで言われるくらい持ってくれた洗濯機なので、ご苦労様と言う他ないし、そのための積立金も用意してある。とはいえ、おカネが出ていくのはなんとも心細い上にこれである。

腹が立たないもう一つの理由は、連日海外ニュースでアフガニスタンの現状を見ているからだと思う。

ほとんどTVを見ない私がTVの前にいるのは、6時25分のテレビ体操から7時15分頃までで、その時間見ているのは交通情報、天気予報、日本のニュースの見出しと、アンヌ・ソフィーの海外ニュースである。

いまアフガニスタンでは、米軍が撤退してタリバンが政権を奪還しており、市民生活に多くの影響が出ている。一部では、食べるものが十分にないという状況という。それに比べれば、警察がネズミ捕りに多くの人員を割いている日本は、平和そのものである。

千葉県警だって、半世紀前には成田空港紛争で連日にわたり大変危ない目に遭っており、死者・負傷者も出ている。そうやって、何かあった際には体を張って市民生活を守ってくれる警察なので、7,000円くらいは差し上げてもいい。

とはいえ、この7,000円は7,000円だけで済まない。自動車保険の保険料は上がるし、免許書き換えの際の拘束時間も増える。またネズミ捕りにかかって点数が貯まれば、免停になってしまうかもしれない(理論的には)。7,000円ももちろん痛いし、鷹揚に構えてばかりもいられないのである。

ぼやっとして、ネズミ捕りにひっかかってしまいました。ネズミだったら死んでいるところです。人間なので7,000円払えば助かりますが、年金生活者には痛い出費です。


[Oct 14, 2021]


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