せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
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181 山歩き後のお風呂はたまらない   182 結婚40周年   183 今年の冬は結露が少なかった
184 67歳になった     

  

山歩き後のお風呂はたまらない ~せいうち日記181

秋から筑波山ばかり行っている。奥多摩も丹沢も秩父も熊が出るというし、房総は車が混む。県境を過ぎるとほとんど渋滞がない筑波山方面にどうしても足が向く。

奥多摩だと家を5時に出ても登山口には8時半だが、筑波山だと7時には登り始めることができる。この差は大きい。50代なら往復7時間の移動でも大丈夫だが、60代後半では無理。行くなら泊りがけになってしまう。

さらにうれしいのは、昼過ぎに下山できるから、日帰り温泉に寄って来る時間的余裕があることである。奥多摩・丹沢でもお風呂に入らないと汚れたままで嫌だが、電車時間の制約があるので、いつも温泉に寄れるとは限らない。

筑波山周辺にはいくつか日帰り入浴施設があって、下山口によって選ぶことができる。筑波山神社近くならつくば湯、つつじヶ丘からは八郷温泉ゆりの郷、加波山まで進めばあけの健康館、そして帰りがけに寄るならつくばウェルネスが便利である。

他にも、宝篋山の近くにつくば市民研修センターなどいろいろあるが、最近ごひいきなのは上にあげた4つである。いずれも浴槽や洗い場が広いし、湯上りに休憩場所もある。値段もそんなに高くない。

正確にはつくばウェルネスは清掃工場の余熱再利用施設だけれど、温泉とはいっても単純泉だからたいして変わらない。山歩きした後に体を流して湯舟に浸かると、まさに極楽である。

若い頃ゴルフをした後もクラブハウスのお風呂に入ったけれど、このようにリラックスすることはできなかった。入浴後に打ち上げがあるし、帰りも遠い。スポーツジムの後もお風呂に入るけれど、家に近すぎるので他の用事が気になる。

筑波山くらいの距離だと、近すぎず遠すぎず、また渋滞も心配しなくて済むので、ほどよくリラックスできる。その日の山歩きを反省したり、次どこに行こうか考えたりするのは楽しい。もっとも、考えようとしても気持ちよすぎてできないのだが。

ホームページにも全国各地の温泉記事を載せているように昔から温泉は好きだが、どちらかというと硫黄泉とか鉄泉とか変わったお風呂に興味があった。お湯に浸かること自体を楽しく思うようになったのは、最近である。

あとどのくらい足腰が動くのか分からないけれど、できればもうしばらくの間は山歩きしたり温泉に入ったりしたいものである。

[Jan 17, 2024]

山歩き後のお風呂はたまらない。夏に汗を流してさっぱりするのもいいし、冬に冷えた体を温めるのもまたたまらない。若い頃はあまり感じなかったが、歳をとるごとに体が求めるのが分かるようになった。


結婚40周年 ~せいうち日記182

建国記念日は私の子供の頃にはなかった。だから学校も休みでなかった。

復活したのは1966年、東京オリンピックの後である。言うまでもなく、敗戦により廃止された紀元節を復活させたものであり、当時は天皇制打倒の立場から反対する人達が結構いた。

天皇制打倒などというスローガンを目にしなくなって久しいが、学生運動華やかなりし頃は、そういうビラが大学構内や街頭に数多く貼られていた。同じような人達が、中国・北朝鮮は労働者の楽園だと言っていた。今や昔である。

私が結婚したのは1984年なので、もう祝日に反対する人は多くなかった。しかし、当時の職場はまだ週休1日であったため、土曜日が祝日の11日を移動日にし、12日に式を挙げたのであった。職場が大阪で、式は東京だったのである。

それから40年経ち、今年は結婚40周年である。25周年の銀婚式と50周年の金婚式はみんな知っているが、40周年はほとんど知られていない。ルビー婚式だそうである。ルビコン河を渡るみたいだ。

就職については後からいろいろ考えるし、もっと他にやり様があったのではないかと思えるが、奥さんと知り合ったのは最初の職場である。同じ職場でなければ出会うこともなかっただろうから、これも縁なのだろう。

その後2度職場を替わり、住む場所も2度変わった。40年は長いけれども、過ぎてしまえばあっという間である。ともかくも、家族そろって健康で、さしあたり困ることもなく暮らしているのはありがたいことである。

昔、中国の誰かが言っていたことには、住む場所があって、今日明日食べるものがあって、家族そろって健康であれば、それ以上を求めるのは贅沢である。最初に読んだときは、それだけじゃないだろうと思ったが、さすが中国四千年の歴史で、そのとおりである。

若い頃は、未来はもっとすばらしくなると思っていたけれど、少なくとも株価は変わらない。誰もがうらやむ境遇なんてものはなくて、ストレスをできるだけ少なくするのが手に届く幸せである。差し迫って困ることがなければ、それ以上求めることはない。

結婚記念日にはここ数年、ワインを開ける習慣である。記念日にはプレゼント交換とかは商売をしたい人達がいうことで、お祝いするのは「モノ」よりも「経験」であり「イベント」が適している。

ボルドーは7~8年熟成させた方がおいしいので(たまに酸化させてしまうが)、新酒の時に買ってエノテカに保管してある。あと10年分くらい在庫があるので、金婚式まで大丈夫そうだ。

[Feb 12, 2024]

今年で結婚四十年になりました。結婚式の翌日も、三十周年も大雪でしたが、今年はそんなに降らなくてよかったです。


今年の冬は結露が少なかった ~せいうち日記183

冬になると気づまりなのは家じゅうが結露することである。わが家はセントラルヒーティングでないので、暖房がない夜中は冷える。特に雨戸(シャッター)のない2階は、朝になるとどの窓も結露がびっしりである。

ペアガラスになっているのだが、経年劣化のため結露はほとんど防止できない。古くなったタオルで窓枠、窓ガラスをひととおり拭くのが冬の日課であった。

3年前には最低気温が-7℃という尋常でない寒さになったが、今年は直近の観測点である我孫子の最低気温が-3.5℃、-3℃を下回った日も4日しかない。

おかげさまで、結露も少なかった。年によっては結露を通り越して凍ってしまい、サッシが開かなくなることがあるのだが、そんな日もなかった。山のように用意した古タオルも、それほど出番がなかったのはかえってうれしいことである。

先週は放射冷却で朝は冷え込む予報だったが、曇ったくらいで結露というほどではなかった。週末には初夏みたいな陽気になり、3日後には春分の日だから、そろそろ結露のシーズンも終了である。

こうして家のこまごまとした用事をするのは、リタイアしてからである。現役時には会社に行って帰ってくるだけで精一杯で、家のことまで気が回らなかった。築後二十年以上になるが、遅ればせながら手入れしてそれほど古びた家にはなっていないと思う。

外壁や内装で傷んでいるのは、新築から半年で襲ってきた雹(ひょう)による被害と、3.11大震災の影響である。雹では屋根がやられサッシも粉々に割れて保険のお世話になり、いまでもところどころへこんでいる。何しろ野球ボールくらいの巨大な雹で、その時の車は行平鍋のようになって廃車せざるを得なかったくらいである。

震災ではいろんなものが倒れて、石膏ボードがへこんだりクロスが破れたりした。しばらくして保険屋さんが来たけれども、10年経っているし少々の傷はいいですと特に請求しなかった。雹の時のように、そのままで住めない傷ではないからである。

毎朝の最低気温が比較的高かったため、電気・ガス代も安くすんだ。燃料価格が落ち着いてきたことで単価が低くなり、使用量が減ることで請求額が抑えられたのである。ウクライナ以前に比べると高いものの、地球温暖化は悪いことばかりではないと思ってしまう。

[Mar 18, 2024]

今シーズンは結露が少なく、毎朝の結露拭きが比較的楽だった。


67歳になった ~せいうち日記184

早いもので、誕生日が来て67歳になった。60代になったからなのかリタイアしたからなのか、最近時間が経つのがますます速くなった。

この冬も、マラソン大会に備えてトレーニングし、本番のレースを走っていたら半年が過ぎた。ランニングを再開して3年目、糖質制限はもうすぐ5年になる。

ジムでトレーニングして、お風呂で体や筋肉の具合をみる限り、若い頃とそれほど変わらないし、4、5年前より見栄えがよくなった。糖質制限で体重を絞ったおかげである。年齢を考えれば、がんばっていると言えそうである。

65歳を超えると死亡率は1%を超えて、統計的に言えば100人に1人以上お亡くなりになる。65歳から67歳までに当たり籤を引く確率は50分の1、トランプ1枚と同じである。ポーカーをやっていた当時、出てはいけない1枚は実にしばしば出た。

そう考えると、大きな病気もせず(糖尿病はさておき)、体を動かしていろいろ楽しめるのは、幸いなことである。日々の努力だけでなく、幸運に恵まれていることも確かである。感謝しなくてはならない。

さて、67歳ということは、70になるまであと3年ということである。引いてはいけないカードは100枚中3枚。2デッキで3枚だから、結構高い確率である。

70になってもいまの体調と運動能力、頭の働きを維持できているならば、高齢化に向けて最初のハードルはクリアしたといえるだろう。このあたりに住んでいる人はたいていその年代だが、かつての職場は十指に余る先輩方が70以前にお亡くなりになっていた。

高齢化といえば判で押したように老後の生活費という話になるが、おカネより間違いなく大切なのは心身の健康である。最小限の収入が前提だと言われるかもしれないが、最小限は人それぞれだし工夫することができる。

少なくとも、老後資金2千万円とか3千万円という話はわが家には無縁だし、無理だ。現役の頃のようにいろいろ旅行したりいいワインを買ったりすることは難しくなったが、他に楽しむ手段はいろいろある。

という訳で67歳になったが、やりたいことは年齢とは関係ない。暖かくなったら山にも出かけたいし、秋になったらまたマラソンである。年甲斐もなくというわからず屋がいたら「お前だってその歳になるんだ。馬鹿野郎」と言い返すだけである。

85歳でこういう人もいるんだから、67くらいで遠慮してはいられない。


4月8日は67歳の誕生日である。この歳になって誕生日がめでたい訳ではないが、今年は諸物価高騰と資金繰り難のため誕生日間際までいろいろ工面しなければならず、めでたいどころではなかった。

やむなく電気・ガス代を未払いのままにしていて、15日の年金支給日まで安心できない日が続く。なかなか誕生日気分になれないのも無理はない。

小さい頃はお釈迦様と同じ日と言われたものだが、中学・高校と進むにつれてそれほど珍しくもないことが分かり、大人になるとそんなに偉くなれないことも分かった。

ただ、お釈迦様は出家して悟りを開いた方なので、アーリーリタイアしてストレスの少ない生活を送っている点では共通点があるかもしれない。おそれ多いことだが。

日本にはお寺は多いけれど、ご本尊として釈迦如来や釈迦三尊を祀っている寺は少ない。というのは、いま仏教といわれているのはもともとお釈迦様の教えである原始仏教ではなく、大乗仏教でもなく、日本の風土に合わせたローカルな仏教になっているからである。

ローカルな中でも、聖徳太子とか鑑真の頃はまだお釈迦様の教えに近いものの、鎌倉仏教になるとまったく違うものになる。いま日本のお寺の大半で阿弥陀如来や薬師如来、大日如来、観音菩薩がご本尊なのは、鎌倉仏教だからである。釈迦如来本尊は古いお寺だけである。

さらに明治以降となると、仏教系と名乗っているだけでもはや宗教とはいえない。病気を治す、災厄を払うというのは昔からなのでまだ分かるが、信者同士で商売したり、上納金を納めさせるなどマルチ商法というと怒られるが。

半世紀前にはまだ農村社会の名残りが残っていて、ほとんどの家はどこかの寺の檀家だったから日本人の多くは仏教徒といえたかもしれないが、現代はそういうこともない。仏壇を置くのも先祖崇拝であって、仏教ではない。

いま、こうしてアーリーリタイアして入ってくるおカネで生活しているのは、仏教系新宗教よりお釈迦様に近い生活かもしれない。少なくとも、現世利益だけに執着してはいない。

お釈迦様の修行と共通点があるとすれば、何年か続けている糖質制限とランニングである。糖質制限ではお米やラーメンだけでも控えるようにしていて、それが健康維持にかなり役立っている。

ランニングも一昨年、三十年ぶりくらいに復活したのだけれど、この歳で気づくことも多い。先だってハーフマラソンに初挑戦して、予想以上にバテてしまった。遅ればせながら走る距離を伸ばしている。

先月は、はじめて月間200kmを超えた。ハーフマラソンを走るには1ヶ月でその6倍、126kmを走ればいいというのがセオリーで、月に150km走っているので大丈夫と思っていたら、私の場合それでは無理だったようだ。

だから月に200kmに増やしたのだが、すると10kmを超えて15~16kmくらいまでそのままのペースで走れるようになったのである。もちろん練習と本番は違うけれど、この歳でも練習を増やすと効果が感じられるというのは少し驚いた。

お釈迦様も晩年になって法華経(妙法蓮華経)に到達し、これが究極の教えとされるから、人間死ぬまで修行なのかもしれない。

[Apr 9, 2024]

4月8日はお釈迦様と同じと小さい頃言われたものだが、お釈迦様は出家して修行し悟りを開いた方なので、生き方としては共通点があるかもしれない。(写真:法隆寺HPより釈迦三尊像)

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