この図表はカシミール3Dにより作成しています。

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栗山お遍路接待所  [Oct 16, 2016]

「まっ縦」往復の後、夜中に激痛で眠れなかったので心配したが、朝になると特に痛い場所はなくなっていたので安心した。朝ごはんは7時からだが、普段通り6時前に目が覚める。お湯を沸かして、持ってきたコーヒーをいれて一息つく。部屋に湯沸かし器と冷蔵庫があるありがたさを感じる。ニュースと天気予報、テレビ体操をしてから荷物を整理する。

フロントにバスの時間を聞くと8時10分に安芸方面行があるとのこと。朝ごはんは7時からなので、食べて支度して8時に出発すればよさそうだ。朝ごはんはたいへんにぎわっていた。遍路の人ではなく普通の人、それもスポーツするみたいな人が多かったから、何か大会でもあるのだろう。

前日に神峯寺に登ってしまったので、スケジュールは楽になった。とはいえ、心配な点がいくつかある。第一に、夜中具合が悪くなったのに10kgのリュックをかついで歩いて大丈夫かということ、第二に、この日の天気予報が昼から雨であることである。幸いに、今日の宿である土佐ロイヤルホテルは唐浜から20kmの芸西村(安芸の西だから芸西)なので、雨が降り出したら先に進まずホテルに引き上げるという選択肢があるので気が楽である。

事前の計画では、少なくとも夜須(やす)、できれば野市(のいち)あたりまで歩くことができれば、翌日高知市内まで行けそうだと考えていた。次の日が高知市内スタートであれば、ごめんなはり線に乗って土佐ロイヤルホテルから直接高知リッチモンドホテルに荷物を運び、後は身軽になって歩くことができる。とはいえ、無理はできない。体調もあるし、天気はこちらの事情はお構いなしである。

ホテルすぐの法恩寺通りバス停からバスで三たび昨日の道をたどり、唐浜東バス停に着いたのは8時25分。前日は真っ暗でたいへん心細かったが、この日は明るくて安心である。すぐ横が防砂林、その先が海岸である。山の方向を見ると、コンクリで土砂崩れ防止の工事をした山が見える。この山は通らなかったと思うので、神峯寺への道はもっとずっと奥だろうか。

何枚か写真を撮って、国道55号線を安芸に向けて歩き始めた。交通量の多い幹線道路だ。海岸線にそって大きく右にスライスすると、競輪の場外売場サテライト安田が見えてきた。実はここは、仕事で何度も来た場所なのである。当時から周りに何もなかったが、いまも何もない。ただ、いよいよ困ればここで休めるし、売店があるので食事くらいはとれるはずである。

このあたり、キロポストとは別にくじらマークの距離表示が100mごとにあるのでたいへん分かりやすかった。歩き始めは㌔14分、次が12分とまずまずのペース。那佐湾での㌔18分というのは、一体なんだったんだろうと思う。その時も10kg背負ってはいたが、いまだって同じである。思うに、背中の荷物が重くても軽くても、歩く速さはそれほど変わらない。それよりも、背中とか腰の負担、ひいては全身の疲労度で違ってくるのである。

そんなふうに歩いていたのだけれど、大山岬の少し前で道が2つに分かれた。国道はこの先トンネルになり、歩道はありませんと書いてある。歩道のないトンネルの中というのはあまり楽しくないので、へんろ道を行くことにする。

海岸線なので風が強い。右前からということは北西の風だが、時折後ろからの突風になる。大気の状態が不安定である。歩き始めて1時間、道の駅大山で休憩。海の向こうに安芸市街が見える。ホテルタマイの特色ある建物は遠くからでも目立つ。あと3、4kmといったところだろう(実際は直線距離よりかなり大回りで、ホテルタマイまで5km、1時間15分かかった)。

安芸の前の駅である伊尾木のあたりから国道に復帰する。キロラップは12分、13分、12分と引き続きハイペース。市内に入ると時々信号待ちをしなければならなくなり、ホテルタマイの前で国道から離れて市街地の道に入る。安芸は高知県東部では最大の都市であり、街も広い。道路沿いにちゃんとトイレ付きの公園があるのもありがたい。田舎では、そもそも公園というもの自体がないのである。



唐浜までバスで来て、歩き始めてすぐにサテライト安田場外車券売場。ここに出張に来ていた頃には、お遍路で通ることになるとは思わなかった。



唐浜から安芸市街まではおよそ2時間。道の駅大山を越えたあたりから、ひときわ高いホテルタマイが見える。これは市内にはいって伊尾木あたりから。



安芸市街は、国道を通るより市街地を通る方が風情があります。都会だけあって、公園にはきれいなトイレもあってありがたい。

安芸市街を抜けてしばらく行ったあたりで、うどん得得を見つけて入る。11時半だから、いい時間である。ぶっかけうどん2玉680円を注文する。生卵が乗っていたので除けて食べ始める。ごく普通のぶっかけうどんなのだが、なんとなくおいしくない。これは、2日前の津照寺の門前でうどんを食べた時も感じたことなのである。

極端な言い方だが、味がないのである。冷たくてのどごしがいいのは感じるのだが、出汁の味や塩気が感じられない。味は生卵で味わって下さいということなのだろうか。でも津照寺でもそうだったから、これは歩き過ぎによる一時的な味覚障害なのだろうか。釈然としない思いで店を出て、しばらく先で国道を離れてへんろ道に入る。

こちらは、WEBではたいへんに評判のいい道である。すぐに気が付いたが、この道は自転車専用道路である。歩行者は利用可能であるので歩き遍路に問題ないのだが、この自転車専用道路、昔は大変騒がれてできた道路なのに最近予算がつかず、メンテナンスに非常に問題があるとされている道路なのである。

もともとはヨーロッパと同じように自転車専用の道路網を整備し、みんながサイクリングを楽しめるようにしようという崇高な理想で整備が始められた。推進議員連盟の会長は、長らく塩爺こと塩川正十郎議員が務められていた。その後は先般自転車事故で自民党幹事長から下ろされた谷垣禎一議員が継いだのだが、かつてのように大盤振舞で建設予算が出るという時代ではない。

そういう訳で、新規の自転車専用道路などという話は聞いたことがないのだが、道路は維持管理にもカネがかかる。自転車専用道路は幅が狭いので、ちょっとなまけるとすぐに雑草が繁茂して自然に戻ってしまう。家のそばの印旛沼自転車専用道路もそんな状況で、加えて千葉北道路の整備でところどころ一般道に迂回が指示されているくらいである。

こちらの自転車専用道路もそういう気配が感じられ、数kmにわたって「自転車及び歩行者専用」の道路標識がない。それもあって、向こうから軽トラックが走ってくるとよけなくてはならなかったのだが、ごくごく稀に道路標識が出てきて、ここが自転車専用道路であることを示しているから、軽トラで走る方がおかしいのである。

確かに、ときどき景色のいい場所に出るのでサイクリング道路としてはまずまずのロケーションではある。しかし正直言って、私はこの道をお薦めしたくはない。特に女性ひとり歩きのお遍路さんは、国道をまっすぐ進んだ方がいい。なぜかというと、歩く場所も寂しければ、人通りもほとんどないからである。

私が歩いたのは日曜日の昼間の約2時間半。天気予報は芳しくなかったが、その時点で雨は降っていない。その状況で、すれ違ったのは軽自動車・軽トラ3台(本来はダメ)、ママチャリの周辺住民2人、歩き遍路1人、本命のサイクリングは2人だけである。しかも、防波堤に沿った見通しの利かない道や国道下の暗い道、人家のほとんどない寂しい道である。

そういう人通りのない道を歩く。ルール無視の自動車が通るだけにさらに危ない。道幅がせまく眺めも開けないから、よけい閉塞感がある。八流山の岬のあたりでいったん高台に登って景色がよくなるが、再び国道下の暗い道になる。休憩所があるはずなのだが、なかなか出てこない。

寂しいところを通るのも道理で、この自転車道路はもともと土佐電鉄安芸線が走っていた軌道跡なのである。土佐電鉄安芸線は大正時代に開業した由緒ある鉄道だが、1971年経営難により廃線となった。その後、路線の多くはごめん・なはり線に転用されたが、夜須から安芸に至る路線跡は自転車専用道路となった。ごめん・なはり線は鉄橋上の場所を走って眺めがいいのに対し、この自転車道路はひと気のない狭いところを通っている。

遍路地図にある赤野休憩所は、へんろ道から階段を上がって国道沿いにある。ベンチもトイレもあるきれいな休憩所だが、自販機がない。この日は車でアイスクリンを売りに来ているおばさんがいたので、アイスクリンをいただきながら、少し休憩。

微妙な雲行きの中をさらに自転車専用道路を西へ。赤野休憩所から15分ほどで栗山映子さんのへんろ接待所に到着。天気のせいもあるが、寂しい場所だ。先客もいないし家主もおらず、人形達がさびしくお出迎えである。雨でも降ってきたらたいへんありがたい雨宿り場所であるが、休んだばかりなので写真だけ撮って先に進む。



お昼を食べた「うどん得得」の先から、自転車専用道路に入る。1971年に廃止された土佐電鉄安芸線の軌道跡という。へんろ道の表示もある。



栗山映子さんのへんろ接待所は、自転車専用道路沿いにある。遍路地図の表示よりもかなり東、赤野駅の付近と思われる。



この日はお留守で、お人形と折鶴が出迎えてくれました。天気の悪い時などにはたいへんありがたい休憩所だと思います。

遍路地図を見ると赤野休憩所・栗山接待所間の距離と、栗山接待所・琴ヶ浜間の距離は同じくらいに書いてあるのだが、実際には後者が倍以上長い。GPSに落としてみると、栗山接待所は市町村界の東側、赤野駅の近くにあり、遍路地図の表示とは1kmくらい違っている。

だから、なかなか琴ヶ浜に着かなくてたいへん不安に感じた。前回書いたように、たたでさえ軌道跡のこのへんろ道はひと気がなく寂しい上、周りから視線が遮られているところが多いのである。琴ヶ浜到着は午後2時ちょうど。野外ステージのような舞台と、トイレ・自販機がある。遍路地図を出して現在位置とこれからの経路を再確認する。

さきほど休んだ赤野休憩所でこの日の宿である土佐ロイヤルホテルに送迎時間確認の電話を入れたところ、夜須駅の送迎は14時30分、16時30分の1日2本だそうである。この時点で午後1時を過ぎていたので、8km先の夜須に午後2時半に着くのはちょっと無理。次の4時半だと1時間以上早く着くことになる。危なそうな空模様との相談になりそうだ。

空もどんどん暗くなってくるし、ちょっと寂しい道だし、案内標識もほとんどない道で位置関係や距離がよく分からないのが不安だったので、ここで国道に復帰する。復帰して間もなく、右手の丘の上にこの日の宿・土佐ロイヤルホテルが見えてきてひと安心。雨が降ってきたら早めのチェックインも想定していたが、まだ天気はもちそうだったので寄らずに先に進む。

夜須の前、手結山(てゆやま)のあたりは起伏があって、距離が長く感じた。国道に戻ってキロポストで距離が分かるのはありがたい。㌔13分台のラップとまずまずのペースが続く。丘の上あたり、社会福祉施設にへんろ休憩所が併設されていて、給茶機で冷たい水が飲めたのはありがたかった。

夜須駅前を通過したのは午後3時半くらい。いまにも降り出しそうな空だが、送迎バスは1時間先だし、体力もまだ残っていたので、1km先の香我美の駅まで歩くことにした。香我美駅まで国道に沿って歩くと、ごめんなはり線の線路の下を歩くことができるようになる。この頃にはぽつぽつ雨が落ちてきたので、たいへんありがたい。

途中でファミマがあったので寄って、アイスクリームを買う。香我美駅に着いたのは3時45分。もう一つ先の赤岡駅までは約2kmあり、それだと4時に御免を出る列車に間に合わないおそれがあったので、この日はここまでとする。駅前は広くなっていて、ベンチもあったので腰を下ろす。

さきほど買ったアイスクリームを食べながらひと休みしていると、いよいよ雨が本降りとなってきた。次の駅まで挑戦しなくてよかった。この日の歩数は47,898歩、距離は28.8kmであった。

香我美からごめん・なはり線で夜須に戻り、午後4時半の送迎バスに乗る。乗客は私ひとりだったので、運転手さんと何とか天気がもってよかったと話をする。「中央で言ってる天気予報と実際は違うから」と奥の深いことをおっしゃる。明日はどうですかと聞くと「雨は夜のうちに行っちゃうかな」とのこと。

部屋に荷物を置いて、さっそくお風呂へ。ホテルも大きいが、お風呂もたいへんに大きい。50人くらいは楽に入れそうな内風呂と、露天風呂がある。ゆっくり足をマッサージした後、ロビーで午後6時まで時間限定の海洋深層水ソフトクリーム400円を味わう。今回の区切り打ちではアイスクリンやクーリッシュが多かったので、本当のソフトクリームを食べたのは初めてであった。

さて、土佐ロイヤルホテルは部屋も風呂も結構なのだが、レストランがたいへん高いのが困りものである。コース価格が4千円以上するので、ビール込みだと5千円は楽に超える。売店に何か食べるものを売っているだろうと思っていたのだが、カップ麺が250円、おつまみが500円という価格なのに加えて、品数がほとんどない。自販機で売っている食べ物も、アイスクリームだけであった。

仕方なく、土・日限定営業のお好み焼き屋さんに入って、お好み焼きで夕食にする。この時もお客さんは私ひとりで、いろいろ面白い話が聞けたことはありがたかったが、生ビールと酎ハイ1杯ずつとお好み焼き1枚で2,480円というのは、結構なお値段であった。

[行 程]唐浜東バス停 8:25 → (4.6km)9:25 道の駅大山 9:35 → (5.2km)10:45 安芸(ホテルタマイ前) 10:45 → (2.7km)11:20 得得うどん安芸店 11:40 → (5.0km)12:50 赤野休憩所 13:00 →(1.0km)13:15 栗山映子さん遍路休憩所 13:20 → (2.2km)13:55 琴ヶ浜  14:00 → (8.1km)15:45 ごめん・なはり線香我美駅(→夜須駅→土佐ロイヤルホテル泊)

[Apr 29, 2017]



栗山さんのへんろ接待所を抜けて、琴ヶ浜を目指すがなかなか着かない。心細かったのは、遍路地図の表示が違っていたことも影響している。



琴ヶ浜から国道に出るとまもなく、右手山の上にこの日の宿・土佐ロイヤルホテルが見える。まだ天気はもっているので、寄らずにさらに先を目指す。



この日の歩きは香我美駅まで。駅に着くとちょうどぽつぽつと雨がぱらついてきた。

二十八番大日寺 [Oct 17, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さて、今回の区切り打ちにあたっては、後半に高知市を歩くことになるので、土佐ロイヤルホテルに2泊、リッチモンドホテル高知に3泊、それぞれ連泊で予約をとってあった。天候とか体調によって毎日予定どおり歩けないことは想定しなければならず、予備日として1日くらいみておかなければならない。

もう一つの理由として、ネットが通じていないと電車やバスを調べるにしても何をするにしても不便ということがある。1週間以上の歩きだから最新情報を入手することは重要だし、民宿や宿坊ではwifiがないケースもあるので(幸いに、鯖大師やうまめの木はwifiが通じていたが)、設備の整ったホテルを選ぶことになる。

実はこの日、アメフトのGamedayである月曜日だったので、午前4時に起きてGamepassの中継を見ていた。ホテルの回線はたいてい細いから、おそらく画面がフリーズしてばかりいるだろうと思ったら、予想に反してさくさく動く。思わず見入ってしまった。

運転手さんの言った通り、窓に叩き付けていた雨は夜中のうちに通り過ぎ、 空はすっかり晴れて朝から青空がのぞく好天であった。こうなれば、午前中から歩くことができる。朝の送迎バスの時間が9時10分と遅いので、国道に出て7時55分のバスで香我美駅に戻ることにした。朝食は6時半からだから、余裕で支度できるだろう。

と思ったら、バイキング会場はたいへんな混雑であった。エレベーターの前から人が並んでいて、平日にこんなに客が入っていたんだと妙に感心する。配膳テーブルに行くまでに10分くらい待たなくてはならないし、おかずもほとんど残っていない。座るところもなくて、別室まで運んで行かなければならなかった。

ただ、クロワッサンやロールパンはたいへんおいしいし、サラダや牛乳、ヨーグルトやフルーツも盛りだくさんである。バスの時間があるからゆっくりしてはいられないが、翌日は時間をずらして来てゆっくり食べようと思った。(結果的にこれは、痛し痒しの事態を招くことになる)

バスの時間を気にしつつ急ぎでごはんを食べ、大荷物は置いてデイパックで支度する。ホテルを出て坂を5分ほど下りると、とさでん交通バスの西寄バス停である。とさでんバスといえば、高知市街を走っているバスである。いよいよ高知に近づいたという感じである。

15分ほど国道を西に走って、香我美駅の前、岸本東のバス停に、8時10分到着。前日と打って変わっていい天気だが、この時間からすでに暑い。国道は交通量が多いので、次の自衛隊前のバス停で右に折れて住宅街に入る。すぐに自衛隊の基地に突き当たり、左に折れる。しばらく歩くと、古い商店街に出た。このあたりが赤岡である。

古い商店の一つが店じまいするようで、片付けをしていた。瀬戸物店だったのだろうか、お皿や茶碗をトラックに積んでいる最中だった。他の店に転売するのではなく、そのまま廃棄されるようだった。いまどき、瀬戸物だけではとてもやっていけないだろうから仕方のないこととはいえ、なんとも物悲しい光景であった。

再び国道55号に合流し、民宿かとり、高知黒潮ホテルの横を通り過ぎる。ともに、歩き遍路ではよく使われる宿である。

香我美で戻らずに進んでいれば午後5時には宿に入れただろうから、こちらで泊るのにスケジュール的に問題がある訳ではない。ただ、連泊にすれば身軽に歩くことができるし、前の日のように空模様が怪しいケースもあるから、電車やバスが使えるのであれば連泊する方がリスクが少ないように思う。

黒潮ホテルからしばらく進むと、香南市役所のあたりで再び国道から離れる。このあたり、道案内もそれほど多くないし道幅も細いので、わかりにくく歩きにくい道である。市役所の先、北に向かう片側1車線の道路をまっすぐ進む。

ここから右折して大日寺に入るのだが、道案内がいよいよ少なくなり、遍路地図の縮尺が大きすぎるので、結構まぎらわしい。街中なので遍路地図に書いてあるより交差点が多いし、どの道も片側1車線ある。もちろん地元の人にとっては大日寺がどこにあるかは常識なのだが、初めて来た人は分からないのである。行き過ぎたかと思って一度は引き返したくらいである。

実際に一番分かりやすい目印というと、右手が高くなっている道路を進んで、左側に民宿きらくを通り過ぎなければいいということである。民宿きらくが見えるのとほぼ同時に、右に大日寺への右折表示がある。よく見ているとその前に、大日寺に上がる参道の石段がある。午前10時ちょうど大日寺に到着した。



雨は夜の間に通過して、翌日は朝からたいへんよく晴れた。赤岡のあたりは昔の商店街らしく、古いお店がたくさんありました。



野市にある高知黒潮ホテル。野市といえば、高知龍馬空港直近の駅ですが、この黒潮ホテルは歩き遍路の人によく利用されています。ご覧の通りのすごい天気。すでに暑い!



香南市役所のあたりは道も狭く、道案内も少ないので分かりにくい。住宅街の道路をまっすぐ進むと、大日寺への登り坂が右に分かれる。

法界山大日寺(ほうかいさん・だいにちじ)。ご本尊は大日如来である。山号の法界も大日如来にちなんだもので、大乗仏教における全世界を意味する。

「四国遍礼霊場記」にも、「天竺も日本も大日如来の下にあり、その意味で山号を法界とした」と書いてある。その一方で、寺伝では欽明天皇、敏達天皇、真言八祖の龍猛、不空などの名前が出てきて、時代的にも脈絡的にも合わないと指摘されてしまっている。

たびたび引き合いに出す五来重「四国遍路の寺」では、神峯寺から海岸伝いに禅師峰寺に行くのが本来空海が修業した道であり、大日寺はそのルートから外れると書かれている。実際歩いてみて、野市まで来たらそのまま南に禅師峰寺に向かった方が近いけれど、国分寺と一ノ宮は四国いずれも八十八に含まれているから、今日ではそのルートがへんろ道になるのは仕方がない。

朝からたいへんに暑かったので、2時間ほど歩いた後の登り坂で汗びっしょりになってしまった。夏用のいっぽ一歩堂・速乾白衣上下を着てはいたものの、それでもすぐには乾かないほどの汗であった。神峯寺以来3日ぶりの札所だが、山門はそれほど大きくない。境内まで、山門からさらに石段を上がる。

「霊場記」の挿絵はこの寺の雰囲気をよく表していて、街道から坂を登って山の上の、比較的こじんまりした境内に本堂・大師堂が並んでいる。

納経を終えて石段を下ると、門前に売店がある。自動販売機がなく店内の冷蔵ケースになるが、値段は130円で自販機より安いくらいだし、ペットボトルのお茶は強烈に冷えていた。この遠征で恒例となった500ml一気飲みで、店のおばさんに感心されてしまった。

「10月とは思えないくらい暑いですねえ。エルニーニョとかラニーニャでしょうか。12月になると急に冷え込んだりしないか心配です」とおばさんが話をする。そういえば、出発前には寒いのを心配して長袖を用意したのに、四国に来てみたらこの暑さである。店を出ると、山門前で記念写真を撮ろうとしていた自転車お遍路カップルのシャッターを押したりする。

家にいると奥さん以外とはほとんど話をしないのだが、お遍路に出るとお店の人やら通りがかりの人と話をしてしまうのが不思議である。再び急坂を下って県道に戻る。お寺の人が竹ぼうきで道を掃除している。傾斜が急なので大変そうだ。

次の国分寺へは約9km、来た方向に少し戻って、住宅街の角を西に入る。このあたり、左右に見える山が方向感覚の目安になる。以前はよく高知空港の連絡バスに乗って、国道55号線の渋滞の中を往復したものだったが、南国市内からは広い平地の北側に山が見えた。お遍路では、その山の麓を歩いて行く。

大日寺方向を振り返ると、頂上に城のような建物の建っている山が目立つ。あれは何だろうと思って帰ってから調べてみたけれど、よくわからない。山自体は金剛山といって、麓には大日寺の他、動物公園があるようなのだが。

[行 程]土佐ロイヤルホテル(→岸本東バス停→)8:10 → (7.8km)10:00 大日寺 10:20 →

[May 13, 2017]



大日寺山門。暑い中2時間余り歩いて来て、最後に登り坂はこたえる。



大日寺の本堂と大師堂。神峯寺から37km、2日ぶりの札所である。



しばらく行ってから大日寺の方向を振り返る。金剛山という山の麓にあり、頂上近くのお城のような建物が目印になる。

二十九番国分寺 [Oct 17, 2016]

大日寺から国分寺まではおよそ9km。大日寺を出たのが10時20分だから、普通なら12時半前後には着きそうだ。納経とお昼で4、50分、次の善楽寺まで7kmを1時間半として、善楽寺に着くのは3時くらいになりそうだ。

この日のスケジュールのポイントは、どこの駅から引き返せるかということである。最も望ましいのは高知駅まで歩いてしまうことで、そうすれば翌日は10kgのリュックを背負ってそのままホテルに荷物を置いてから歩くことができる。薊野まで歩けば、翌日は薊野・高知間、土佐一宮まで歩けば、土佐一宮・高知間、それぞれ10kgの荷物を持っての歩きとなる。

前の日と違って雨の心配はないが、夏のように強い日差しで疲れてしまうことが心配である。まだ10時を回ったばかりだというのに、ペットボトルのお茶を一気飲みしてしまうほどの暑さなのであった。

大日寺からは少し戻って西に折れる道に入る。しばらくは、新興住宅街が続く。へんろ道とは思えないようなたたずまいである。やがて古い住宅街となり、水路が現れる頃には田園地帯となって、へんろ道らしくなった。用水は道路と同じ高さを流れている。もう川が近いということである。

20分ほど歩くと、記念碑の立っている小公園のあたりで太い道に出る。前方はゆるやかに登って行く坂で、登った先が物部川を渡る橋のようである。物部川はずっと「もののべがわ」と読んでいたのだけれど、看板の振り仮名をみると「ものべがわ」が正しいようである。

物部川を越えると、あとは見渡す限りの田園地帯で、家はまばらにしか見えない。自販機は橋を下りたところに1つあったきり、休憩所やベンチもない。もちろんトイレもない。そして、基本的に真っ平で身を隠すところもないので、物陰で用事を済ましてしまうという訳にもいかない。

そういった不便な道なのだけれど、景色は申し分ない。右に山々が迫り、周囲は平坦な田園地帯、横を用水路が流れる。道はまっすぐか多少のスライス。前日に通った安芸の自転車道と比べると、開放感には雲泥の差がある。問題があるとすれば、10月後半とは思えないくらい暑いということである。

手元の温度計をみると、31℃を示している。朝の天気予報で高知県の最高気温は29℃といっていたから、体に近く日向にある温度計ならそれくらいにはなるのだろう。こういう時こそ一息いれながら歩きたいのだが、こういう時に限って休憩所もトイレもないのであった。

車通りのある直線道路と交差した後は、再び田舎道になる。1時間ほど歩いて、農家をいくつか過ぎたあたりにへんろ小屋のある松本大師堂がある。しかし、ここも休む場所だけで自販機もトイレもない。先客もいたので、一息ついてすぐに出発した。



物部川に向かっておだやかな田園地帯を行く。道路と同じ高さの疎水があって涼しげなのだが、低気圧が抜けてたいへんに暑い。



これまで「もののべ川」と読んでいたが、正しくは「ものべ川」のようだ。車道とは別に、歩道用の橋がかかっている。



大日寺から国分寺までの9kmは、ほとんど起伏がなく、景色のいい歩きやすい道。ただし、国分寺近くのコンビニまでほぼ2時間トイレなし。

松本大師堂を過ぎたあたりが、国分寺への道ではたいへん分かりにくいところである。とにかく、行先表示や遍路シールがほとんどない。山の方向で東西南北は分かるし、土讃線の線路を越えてから北に向かえばいいのだが、ひとつ間違えるとかなり違う場所に出てしまう心配がある。

松本大師堂からは、国道195号線と土讃線の踏切が目標となるのだが、遍路地図に書いてある休憩所は見当たらない。このあたりまで来ると、まだまだ空き地が多いとはいえ住宅も増えてきているようなので、壊されて宅地になってしまったのかもしれない。

やがて国道195号と踏切が見えてくる。ここまでは間違っていない。踏切を渡り、時折出てくる国分寺方面の標識を頼りに、線路から離れて西に向かう。すると、南国市内を南北に縦断する県道にぶつかる。ここを北上すれば、国分寺に向かうはずである。

南北縦断道路に入ってすぐ、太い道路と交差する。国道195号線バイパスのようだ。その交差点に、ファミリーマートとセブンイレブンがある。大日寺以来、2時間ぶりに見る休憩のとれる施設である。トイレもあるはずなので、遍路地図の推奨ルートでは7、8kmぶりにきちんと休める場所ということになる。

もう12時なので、ファミマで休んでお昼という考えが一瞬頭をよぎったが、国分寺まであと2km弱なのでがまんする。一度休んでしまうと、また歩き出すのは結構気合がいるような暑さであることがひとつと、ファミマまで行く50mの余計な歩きが難儀なのだ。このあたり、実際歩いたことのある方にはお分かりいただけると思う。

とはいえのどはかわいたので、道端の自販機で再びペットボトルの一気飲み。バイパスを抜けると、いっぺんに交通量が減った。饅頭屋さんの前を抜け、自販機が盛大に並ぶ大きな果樹園の横を抜けるが、なかなか国分寺への分岐までたどり着かない。

本当に、もう10月半ばだというのに、この炎天下は何だろうと思う。気候さえよければこんなに苦労する道だとは思えないし、快適な散歩道に違いないのだけれど、この暑さには参った。道は再び登り坂となり国分川を越える。坂を下りてようやく、左方向国分寺の標識が現れる。

しかし、曲がってもまだ国分寺は見えてこない。3、4分歩いて、ようやく門前に喫茶店Cotton Timeを見つけ、参拝の前にとりあえず入ってしまおうとドアを開ける。意外と混んでいたが、空いている席を見つけて一息。たいへんに苦労した9kmであった。

注文をした後トイレをお借りして、ついでに顔も洗ってしまう。速乾白衣はびしょ濡れで、行儀は悪いが脱いでTシャツだけになる。後から日焼け止め乳液を塗り直そうと思ってデイパックに入れてあった乳液を出してみると、乳液が熱くお湯になっていたのにはたいへん驚いた。



大日寺・国分寺のほぼ中間にある松本大師堂。休める場所はあるが、トイレは見当たらなかった。



松本大師堂の少し先で踏切を渡る。このあたり、遍路地図では休憩所があることになっているが、見当たらない。



へんろ道は国道195号バイパスを越えて、国分寺への最後の直線道路へ。バイパス交差点にファミマとセブンができている。

Cotton TimeはWEBで評判の喫茶店で、国分寺にお参りする時はぜひ寄りたいと思っていた。そして実際行ってみると分かるが、お遍路の姿はほとんどない。地元の主婦層が3人4人連れで来て、おしゃべりする場所なのであった。

昼のメニューはランチセット980円とカレーセット800円。カレーセットを注文して出てきたのが、まず手作りカレーと野菜とスパゲティのサラダ、ほうれん草のスムージー。食後にお好みのドリンクとデザート(アイスクリンとさつまいも)である。これで800円はお値打ちだろう。

残念なことに、こちらのカレーにも前日の得得うどんと同様に半熟卵が入っていて、よけて食べるのに苦労した。ほうれん草のスムージーもさつまいもとアイスクリンのデザートも絶品。地元の奥様方の中で場違いだったかもしれないが、ゆっくりさせていただいた。12時半頃にお店に入って1時までいたから、随分とゆっくりさせていただいたことになる。

Cotton Timeのすぐ横が国分寺の山門である。山門から本堂まで参道を少し歩くが、それでも往時の規模から比べるとかなりコンパクトになっているとのこと。木々が植わっていて涼しいのには安心する。

摩尼山国分寺(まにさん・こくぶんじ)、いうまでもなく聖武天皇の勅願により設置された国分寺のひとつである。当時の土佐国府もこの周辺にあり、「国府」「内裏」といった地名が残っている。「土佐日記」を書いた紀貫之もこのあたりに住まいがあったようだ。

阿波国分寺と同様にかつては多くの堂宇を有していたが、戦国時代に一時衰退した。ご本尊は千手観音。長宗我部元親が寄進した本堂に納められている。山号の「摩尼」は摩尼宝珠。千手観音は多くの手を持ち、造形上は42本作られることが多いが、その1つに摩尼宝珠を持っている。

そして、こちら国分寺では、次の三十番一ノ宮が神仏分離で混乱した際、ご本尊である阿弥陀如来を一時お預かりしていたそうである。ということは、場合によっては香川県の六十八番・六十九番と同じように、同じ場所で二つのご朱印ということになったかもしれない。

本堂・大師堂のお参りを終えて、納経所はもう一つ門をくぐった東側にある。納経所前で中年の男性が近づいて来て、「お茶のお接待がありますのでぜひ」と言われる。普通の服だったから、お寺の人ではなく檀家の方かなあと思った。

納経所の横に給茶機があり、水・お茶・コーヒーそれぞれのホット・アイスが選べる。せっかくなので、アイスコーヒーをご馳走になる。ベンチも置かれていてひと休みできるようになっており、たいへんありがたいご接待であった。

[行 程]大日寺 10:20 →(5.0km)11:35 松本大師堂 11:40 →(4.2km)12:30 国分寺・喫茶Cotton Time(昼食休憩) 13:20 →

[May 27, 2017]



国分寺本堂。境内は木々が多く、暑い日にはたいへんありがたい。



庫裏と納経所は、本堂から門をくぐってあちら側にある。お茶・コーヒーのお接待がある。



門前の喫茶店Cotton Time。国分寺の参拝客目的というよりも、この近辺では気の利いたお店として知られているようです。そんな客層でした。

三十番善楽寺 [Oct 17, 2016]

国分寺にはCotton Timeでの昼食休憩を含め50分滞在して、午後1時20分出発。日なたに出るとやっぱり暑い。しばらく休んだ分、余計にしんどい気がする。山門からまっすぐ、刈り入れの終わった水田の間、あぜ道のようなロケーションの舗装道路を進む。

道の両脇から雑草が伸びて、ひっきりなしにばったが飛んでくる。はるか向こうまで田んぼが続き、道路の下をくぐって向こう側もまた田んぼである。このあたり農道が碁盤目に走り、曲がり角が頻繁にあるのだけれど、行先表示があまりない。電柱など構造物もないので、遍路シールもない。山を見て大体の方向感覚で進むしかない。

そして気になったのは、次の札所は善楽寺なのだが、善楽寺方向を示す表示があまりないということである。あるいは、長く札所が併存していたことが影響しているのだろうか。代わりにあるのは「岡豊城→」の案内である。岡豊と書いて「おこう」と読む。四国の覇者、長宗我部氏の本拠地である。戦国時代は、このあたりが土佐の中心だった訳である。

しかし、いまでは山に沿って農家が点在する田舎道になっている。戦国時代までは他国の攻撃を受けにくい山城が地域の中心であったが、それ以降は海運に便利な川沿い・海沿いに都市が発展したからである。阿波では国分寺はやや内陸にあって徳島は海沿いにあり、土佐もこちら岡豊は内陸で高知港は街中からすぐのところにある。

高知大学医学部のあたり、道が川と錯綜して分かりにくいが、遍路地図にしたがって、国分川を渡って西に進む。時刻は午後2時、太陽はじりじりと遠慮なく照りつける。自販機を見つけると、この日何度目かのペットボトル一気飲みである。

両側から山が迫った道を登ったり下ったりして歩くこと約1時間、よく見る造りの、丸太を組み合わせた遍路休憩所が現われた。蒲原へんろ休憩所である。へんろ小屋第五号と書いてある。この意匠のへんろ小屋は阿波海南が第一号と書いてあったが、シリーズで作っているのだろうか。

盛大に水が出ていたので、リュックを置いて顔を洗わせていただく。水が冷たくてたいへんありがたい。小屋の中にはベンチが置かれていて、「トイレ・飲料水は上の事務所にあります。お気軽にどうぞ」と書いてある。ありがたいことである。こういう天気の時は、日陰のベンチと顔を洗える水が何よりのごちそうである。

このあたり、谷間の寂しい道だなあと思っていた。帰ってから調べてみると、へんろ休憩所の左手、丘を越えたところは高知刑務所なので、その方向に入る道がないのはそういうことなのであった。遍路地図には何も書かれていない。

休憩所の先は登り坂で、しばらく進むと幹線道路と合流する。左に折れると逢坂峠で、登った後は長い下り坂である。折りしも道路工事中で、道の両側をあっちに渡ったりこっちに渡ったりしなければならなかった。峠を下りたところに遍路地図ではWCの表示があるが、工事中のためか見当たらなかった。

道路の横は整備された墓地になっていて、その脇に「善楽寺→」の表示がある。この道を進むと住宅街の中を通るが、結局幹線道路に戻ったのでどちらを進んでも同じだった。道路の向こう側に渡ってさらに住宅地を進むと、やがて大きな鳥居が見えてくる。土佐一ノ宮である。



国分寺から善楽寺へは、刈り入れの終わった水田の間を抜けて行く。バッタ多数。



このあたり、善楽寺方面の標識はなく、岡豊(おこう)城の標識を頼りに進む。



高知大学の横を抜け、山に沿った田舎道を進む。1時間ぶりに見つけた遍路休憩所。水も出ているし、トイレは上にあるという案内がうれしい。

三十番札所については、よく知られているようにいきさつがある。そもそも、真念「道指南」の三十番は「一宮」である。江戸時代の札所は、神仏習合の土佐一ノ宮であった。そして、すでに訪問した阿波一ノ宮と同様に、土佐一ノ宮はいまも存在する。善楽寺の向かいにある土佐神社である。しかし、明治時代の神仏分離令により一ノ宮は神社であって寺ではないということになってしまい、札所ではなくなってしまった。

もともと江戸時代には、一ノ宮の別当寺は百々山神宮寺であり、その名前は「四国遍礼霊場記」に残されている。ところが神宮寺は神仏分離により廃寺となった。ご本尊すら国分寺に移されたことは国分寺のところで触れたとおりである。そのご本尊は明治時代はじめに高知城のすぐ近くにある安楽寺に移され、三十番札所も安楽寺となった。

ところが明治・大正を経て昭和になってから、神宮寺の塔頭のひとつであった観音院が善楽寺として独立・再興された。その際、かつての神宮寺の山号であった「百々山」を引き継いだ訳である。そして、われこそは正当な三十番札所であると名乗りをあげたのである。

そうすると、おさまらないのは安楽寺である。何しろ明治以来、唯一の三十番札所だったのである。善楽寺が再興された昭和5年から平成に至るまで六十年以上三十番札所は併存し、善楽寺・安楽寺の双方が「三十番札所」のご朱印を押していた。最終的に善楽寺が三十番札所となり、安楽寺は奥ノ院という位置づけで確定したのは平成六年。それからまだ二十年余しかたっていない。

まあ、ご詠歌に「人多くたち集まれる一ノ宮  昔も今も栄えぬるかな」と詠われているくらいだから、本来は土佐一ノ宮に近い位置にあるのが本当だろうとは思う。単独で札所だった六十年と併存した六十年で手打ちをして、一ノ宮に近い善楽寺に一本化したのは妥当な落としどころかもしれない。ちなみに、このあたりの地名を一宮と書いて「いっく」と読む。

土佐一ノ宮である土佐神社と向かい合って、十一面観音菩薩像の立っているところが善楽寺である。境内はコンパクトで、観音像のすぐ横に本堂、駐車場の側に大師堂がある。他に、子安地蔵堂や脳の病に霊験ありとされる梅見地蔵がある。歴史が新しい分、いろいろ経営努力をしている。

納経を終え、土佐神社にもお参りして、時刻は午後3時35分。午前中には午後3時に善楽寺を出られれば高知市内まで歩いてしまおうと考えていたが、何回も繰り返すように10月とは思えない30℃の炎天下で、ペースが上がらなかった。1日炎天下を歩いて疲れたし、これから高知まで歩いても安楽寺に5時までに入ることは難しそうだ。

そこで、プランBを採用して土佐一宮からホテルに帰ることにした。土佐一宮へは南に1.6km、4時前に到着して奈半利行の列車を待つ。この日の歩数は48,663歩、歩いた距離は26.2kmで、平坦なところを歩いた割には距離は伸びなかった。

という訳で土佐一宮経由でホテルに帰ったのだが、夏並みの暑さは思考能力も奪っていたようだ。というのは、一ノ宮から土佐一宮に向かうのと薊野(あぞうの)に向かうのとではたいして時間は変わらず、結局乗る列車は同じになるから、薊野に向かう方が翌日が楽だった。けれどもその時は炎天下で頭がやられていて、高知まで歩いても仕方ないから土佐一宮と思ってしまったのは迂闊なことであった。

[行 程]国分寺 13:30 →(6.9km)15:15 善楽寺 15:35 →(1.6km)15:55 JR土佐一宮駅 (→ごめん・なはり線夜須駅→土佐ロイヤルホテル泊)

[Jun 3, 2017]



善楽寺は土佐一ノ宮の正面、十一面観音像が目印だ。



善楽寺本堂。十一面観音のすぐ奥にある。



道路の反対側が土佐一ノ宮。阿波一ノ宮・大日寺と同じ位置関係だが、幹線道路でないので交通量は少ない。

番外霊場安楽寺 [Oct 18, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

昭和から平成初めに至るまで、三十番札所が併存していたことは善楽寺の項で書いたとおり。逆に言えば、明治から大正、昭和初めまで半世紀以上にわたり、唯一の三十番札所は安楽寺だったのである。

もう一つ指摘しなくてはならないのが、真念「道指南」の道順である。「道指南」では、三十番土佐一ノ宮から三十一番五台山まで、「あぞうの村」「かうち城下」を経由しているのである。

現在、善楽寺から五台山(竹林寺)に行くのに、わざわざ薊野や高知城下を経由する必要はない。ほぼ一直線に南下すれば五台山である。江戸時代に高知城下を経由しなければならなかったのは、道指南にも書いてあるように「往来手形改」のためと考えられるが、国分寺から安楽寺を経て五台山へのルートは結果的に江戸時代のへんろ道と変わらなかった訳である。

さて、現在の三十番札所善楽寺を打ち終わった後、土佐一宮に引き上げて夜須にある土佐ロイヤルホテルに向かった。前の日に泊まって、ホテルの売店・飲食店は高くて品数もないのが分かったから、土佐一宮のローソンでカップうどんやおつまみを買って帰った。

4時21分に土佐一宮を出た奈半利行快速は、御免からごめん・なはり線に入り4時54分に夜須に着いた。30分ほど待ち時間がある。手持ち無沙汰なので駅前にある道の駅の売店に行くと、ありがたいことにビールやお酒、ジュース、牛乳とかも売っている。日本酒にゆずエキスを加えたゆず酒や、野菜ジュースを買えたのはありがたかった。

もうホテル送迎バスの時刻は過ぎているので、路線バス(とさでんバス)に乗る。奇しくも朝乗ったバスと同じバスで、運転手さんに、「朝も乗ってましたね」と言われてしまった。

ホテルに帰ってCW-Xを脱ぐと、足首から膝の裏にかけてあせもで真っ赤になっているのに気が付いた。1日炎天下で大汗をかいたので、いくら水分を放出するCW-Xとはいっても蒸れてしまったのだろう。幸いに、痛みやかゆみはない。室戸のあたりでは足の裏に豆ができかけていたが、こちらの方は悪化せずにおさまったのはありがたいことであった。

コインランドリーに洗い物を突っ込んでからお風呂に行き、ゆっくりお風呂に入る。あまりお遍路さんが来る宿ではないのか、コインランドリーが空いているのはありがたい。部屋に戻り、ゆず酒で一杯やりながら翌日の計画を再確認。この日の朝、混み過ぎでバイキングが満喫できなかったのが残念だったので、朝食時間を遅らせて7時半からにすることにした。

ごめん・なはり線は本数がないので、8時45分の路線バスでも9時10分ホテル発の送迎バスでも乗る列車は同じ。だったら30分ほどゆっくりできる送迎バスである。となると、土佐一宮に着くのは10時半頃になるが、この日は街中の歩きだから大したことはないだろうと思った。この甘い見込みが後から響くことになる。

時間に余裕があるので、翌朝は朝風呂にも入る。広い湯船にあまり人がいないのは最高で、この遠征で最後の温泉を満喫した。朝食バイキングも7時過ぎに行くと余裕で、料理を取るのも食べるのもゆっくりできた。

送迎バスは、おとといの運転手さんが運転していた。「昨日は雨が残らなくてよかったですね」「でも、かなり暑かったですよ」などと話をしながら夜須駅まで。夜須からはごめん・なはり線、そのままJR土讃線に乗って土佐一宮へ。駅に着いたのは10時20分。

引き続き日差しは強いが、前日は低気圧が行ったばかりだったので、それに比べるといくぶん涼しい。この日は2日ぶりに10kgのリュックが背中なので、歩き始めはやっぱり重い。まず土佐一宮から安楽寺を経て高知市内まで10kgの負担重量、その後はホテルに荷物を預けて2、3kgの負担重量で五台山、禅師峰寺の山登りである。



土佐ロイヤルホテル。ごめんなはり線夜須駅から送迎バスがある。でなければ路線バス西寄バス停から歩く。



夜須(やす)駅前は、道の駅夜須になっていて、買い物に便利。ホテルのビールは高いのでここで買う(w



土讃線土佐一宮駅。「いちのみや」でなく「いっく」と読む。無人駅。

妙色山安楽寺(みょうしきさん・あんらくじ)、明治時代には唯一の三十番札所であった。現在は善楽寺の奥ノ院という位置付けで、奥ノ院の多くは遍路地図に道順が載っているのだが、なぜか載っていない。 安楽寺を載せないものだから、遍路地図には高知市内の地図が駅前~はりまや橋のホテル一覧と、五台山から東と南の地図しか載っていない。大変わかりにくい。奥ノ院の中でも安楽寺に行く人はたいへん多いと思われるのに、不親切なことである。

という訳で、善楽寺より西の遍路地図空白地域に入る。ここで軽率だったのが、リュックの中に安楽寺へのGoogle Mapを入れておいたのに、出すのが面倒で記憶に頼って歩き始めてしまったことである。前日までのようにデイパックだったら、すぐに地図を確認できたのだが。

薊野通過が午前11時。ここから安楽寺は、幹線道路をイオンの先までまっすぐ行って、そこで曲がるのが分かりやすい。交通量はたいへん多く、しかも信号待ちがある。イオンの先を左に折れて、橋を渡る。このあたりは愛宕通りという商店街で、ますます信号待ちが多い。

さて、実際にはJRの鉄橋先、接骨院の角を右に折れるのだが、見逃してしまい整形外科の角を曲がる。小さな林が見えたのであれだと思って行ってみると、古民家の保存施設であった。再びリュックを下ろして地図を確認。引き返して接骨院を見つけ、角を曲がる。

そんなふうにうろうろした結果、安楽寺到着は11時55分と、土佐一宮から1時間半以上かかってしまった。おそらくここで30分くらいロスしたのだが、その時は地図がないから仕方がないとそれほど気にしなかったのが不思議である。高知市内のど真ん中のせいか、道案内はまったくない。

山門の柱に、「四国第三十番霊場」「土佐一ノ宮安楽寺」と彫ってある。札所とせずに霊場としたのは善楽寺との取り決めだろうが、土佐一ノ宮と書くところにかつての札所の意地がみえる。

ご本尊の阿弥陀如来は、神仏分離により一時国分寺に預けられていたが、明治のうちに安楽寺に移された。ということは、真念「道指南」の時代に一ノ宮にあったご本尊である。国の重要文化財に指定されている。

さきに納経所に急いで「お昼休みですがいいですか」とお願いすると、「お昼休みはいいんですが、こちらは札所ではないんですけどよろしいですか」と丁寧にお返事される。いまは、四国札所朱印帳にはあらかじめ寺名が書かれているので、こちらに来る人は分かって来ているはずであるが、親切なことである。

私がご朱印をいただいて帰るまでの間に次のお遍路の人が来て、同じ説明を受けていたから、そういう人はいまでも結構いるのだろう。本堂・大師堂を回ると、ちょうどご住職がお墓参りのお勤めをされていた。お墓参りの人達に混じって、ベンチでリュックを下してひと休みする。このように地元と密着していれば、ご朱印の収入がなくてもやっていけるはずである。

[行 程](土佐ロイヤルホテル→西分駅→)JR土佐一宮駅 10:15→(6.5km)11:55 安楽寺 12:10→

[Jun 10, 2017]



安楽寺山門。「四国第三十番霊場」「土佐一ノ宮安楽寺」と彫られている。



安楽寺本堂。街中なので建て込んでいるが、それでも規模の大きい本堂である。鉄筋コンクート造。



納経所は山門を入って右手にある。「札所ではありませんが、よろしいですか」と注意喚起される。

三十一番五台山 [Oct 18,2016]

安楽寺からリッチモンドホテルまでは10分ほど。高知市内は何度も来たことがあるので、安楽寺からさらに南に下ると見覚えのある一角に出た。ホテル到着は12時半。、ここまでの8.6kmは10kgのリュックを背負っての歩きだったが、ホテルに荷物を預けて身軽になり、ついでにトイレで顔を洗う。10分ほどで再び出発、五台山に向かった。

遍路地図では五台山に至る道として善楽寺からのルートしか載っていないし、道案内シールも同様なのだが、江戸時代に真念「道指南」が通ったルートは高知城下を経由する。山田橋というところに番所があり、往来手形改めをしければならなかったからである。

今回私のとったルートは旧三十番安楽寺を経由したので、真念の時代と同じルートをとったことになる。「道指南」にも、「町はずれよりつゝみ(堤防)」と書かれているから、海沿いの道を通った方が昔の雰囲気に近いだろう。

問題は、道案内がないということである。善楽寺からだと、まっすぐ南下して路面電車を渡り、牧野植物園の中を通って五台山に登るのだが、安楽寺を経由して五台山となると、山の反対側に回って登る感じになるのでかなり遠回りになる。Google mapで徒歩ルートを検索すると高知市街から国分川を渡る道を指示されたので、ここを行ってみることにした。

国分川を渡る橋が細く書いてあったので歩道があるかどうか心配だったけれど、実際には幹線道路で橋にも歩道はちゃんとあり、五台山への登りは車両一方通行だが一般道路なので歩行者が歩いても問題はない。

このあたりは高知市内の中心部になるため、交通量も多いし信号待ちが頻繁にある。菜園場町(さえんばちょう)のあたりで市電通りを外れて、堤防側に歩いて行く。やがて、行く手に緑色の山が見えてくる。五台山である。見た目そんなに高いという印象はないが、標高差は105mあるらしい。

1時35分、青柳橋を越えて五台山の車両一方通行登り口に着く。信号待ちがあったため、ここまで1時間以上かかってしまった。車道はかなり曲がりくねって登る。傾斜はそれほどのこともない。時折後ろから来る車に抜かれながら15分ほど登ると、駐車場のある広場に出た。ここから高知市内の眺めが開けている。

さて、ここからの道がよく分からない。五台山の頂上はさらに上にあるようで、坂道を登って「展望台・竹林寺↑」と書いてある。ただ、どう考えても竹林寺は山を登って下りる道にあるようだ。車道は頂上を巻いて続いていて、こちらにも「竹林寺山門→」とある。ちょっと考えたが、展望台に寄る理由はあまりないので、引き続き車道を歩くことにした。

この車道がまた遠回りで、なかなか竹林寺に着かない。さらに、ひとしきり進むとまた道は左右に分かれていて、竹林寺と竹林寺山門とに分かれている。ここも山門を選んで右へ。しばらく歩いてようやく竹林寺山門のところに出た。到着は2時5分。登り口から30分かかった。標高差100mにしては、かなり時間がかかる山である。



青柳橋を渡っていよいよ五台山へ。このあたり、浦戸湾が入り込んでいる場所で、真念が「右は入り海行きてたるみの渡し」と書いたあたりである。



ひとしきり登って、駐車場の広場から高知市街を望む。




竹林寺へは、さらに山上の道路を進む。

五台山竹林寺(ごだいさん・ちくりんじ)。高知市街に位置するこの霊場は、寺号で呼ぶよりも山号の五台山の方が札所にふさわしい。というのは、もともと唐にあった五台山を模して造られた霊場だからで、聖武天皇が五台山に詣でる夢をみて行基に開創させたものという。

真念「道指南」でも、竹林寺の名前はなく単に五台山である。別名がある場合には「東寺又は最御崎寺」のように両方の名前を載せるのが真念のやり方だから、おそらく江戸時代には単に「五台山」と呼ばれていたものと推測される。

現代人からすると五台山という名前には特に印象はないが、唐では三大霊場のひとつとして大変な信仰を集めたといわれる。したがって、同時代の人物である聖武天皇や行基、空海にとってもちろん常識であったろうし、空海より少し後の時代に、最澄の弟子・円仁が「入唐求法巡礼記」でわざわざ訪れているくらいなので、江戸時代の学僧であった真念にとっても特別の存在であったに違いない。

唐の霊場には、それぞれ守り本尊がいらっしゃって、五台山の守り本尊は文殊菩薩である。だから、日本の五台山である三十一番竹林寺のご本尊も普賢菩薩である。ご詠歌にも「なむもんじゅ 三世の佛の母と聞く」と詠われている(文殊菩薩は男だが)。

ただ、中国の竹林寺は円仁が滞在したお寺であるが、入唐求法巡礼行記にも「この寺は五台山に属していない(此寺不属五台)」と書かれているように、五台山の本山である大華厳寺とは別の系統である。なぜ、寺号をつける際に大華厳寺とせずに竹林寺とつけたのか、いろいろ考えると楽しい。

この竹林寺。山門からひとしきり石段を登って庫裏・納経所のあるレベルに着き、さらにもう一回石段を登ってようやく本堂・大師堂のあるレベルに到達する。山の上にあるにしては、かなり広いお寺である。そして、境内はきれいに手入れされていて、参道の左右はみごとな苔が整えられている。参道の他にも庭園があるようだが、拝観料を払わないと入れない。

さて、ここで困ったのが目につくところにトイレがないことである。本堂の近くにも納経所の近くにもない。それほど差し迫ってもいなかったので山門下の駐車場に下りたが、ここにも見当たらない。売店の脇に休憩所があったが、ここでも見当たらない。

そうこうしているうちに、ソフトクリームを売っているお店を見つけたのでゆずソフトを購入。この日はお昼を食べていなかったので、お昼代わりである。すると売り子のお姉さんが「歩き遍路の方ですか?」と聞くのでそうだと答えると、「お接待です」とクッキーをくれた。どちらかの先達の人が差し入れてくれたものだそうだ。

ソフトクリームを手にトイレという訳にもいかないので、そのまま下山口に向かう。案内があまりなくてよく分からなかったので、ここも車道を使うことにする。こちらも結構曲がりくねった道で、下田川まで下りてくるのに30分かかった。ただし、眺めはとてもよかった。

[行 程]安楽寺 12:20→(1.4km)12:35 リッチモンドホテル 12:50 →(5.7km)14:05 五台山 14:30 →

[Jun 24,2017]



竹林寺山門。「五台山」の金色の額がなんともいえない。



竹林寺本堂。本堂と大師堂は一番高い場所にある。



境内を納経所へ向かう。苔がとてもきれいに整えられていました。

三十二番禅師峰寺 [Oct 18, 2016]

五台山から禅師峰寺まで歩くのに、遍路地図には5.7km1時間30分と書いてあるが、私の足では8.1km2時間かかった。五台山からの下りで車道を通ったのはタイムロスだったとしても、そもそも五台山を下りた下田川から1時間半かかっているのだから、どうやっても1時間半で着くはずがない。

おそらくその大きな理由は、遍路地図に点線で書いてある山麓の道が、高速道路工事中で通れないということである。この高速道路のおかげで、高知市内から空港まではたいへん早く着くことができるようになったのだが、どこがへんろ道なのか全く分からなくなってしまったのには困った。

五台山からの下り車道を下りると、いきなり工事中。しかも信号待ちである。 信号をまっていたら余計に時間がかかるので、川を向こう岸に渡る。すると、トンネルの左右は大規模な工事中で、どこで道がつながっているのかどうか分からない。そこで、川と工事個所との中間くらいに位置する細い道を歩き始めた。

信号がないし、「武市半平太旧宅→」の道標があるから向こう側につながっていることは間違いないのだが、禅師峰寺への道案内や遍路シールがない。ということは、この道は遍路地図の点線の道ではないらしいのである。

そして、20分歩いても30分歩いても、曲がり角が見えてこない。ようやく左右に交差する太い道に出たのは3時35分、五台山の下から40分も歩いた後であった。ここで右に行っていいのか少し迷ったが、遍路地図では山の方に入る道を進むことになっているので、少し登りになっている右に曲がる。しばらくして「禅師峰寺→」の標識があってやっと安心する。

五台山と禅師峰寺の間も、休憩所やトイレがほとんどない道である。五台山でトイレがみつからなかったものだから、ちょっと厳しかった。自動販売機は山ほどある。特にこのあたりで目立ったのは100円ドリンク。見たことのない銘柄のメロンサイダーを売っていた。

登り坂を左右にスイッチバックしながら歩いて行くと、峠になっているあたりで道が二つに分かれる。その分岐の左側の道が、すぐ石土トンネルにつながっている。トンネルを出ると住宅地。かなり大規模である。このあたりになると、ようやく禅師峰寺への道案内が登場する。

やがて大きな池が見えてくる。石土池である。時刻は午後4時。池のほとりに東屋が見えるが、トイレはないようなので先に進む。池を囲む遊歩道も長い。回り込んだ向こう側の山が禅師峰寺だろうか。また登りかとくじけそうになる。それにしても、距離が長い。五台山・禅師峰寺間が1時間半なんてことはないと思いながら歩いていた。

後からGPSのデータを調べてみたところ、下田川を渡ってから石土トンネルまでの距離が3.9km、石土トンネルを出てから禅師峰寺までが2.1kmで、これだけで6.0kmになる。普通に平坦な道を歩いても1時間半かかるのに、実際には下って登って下ってまた登る苦しい道のりである。1時間半で着くはずがない。空はだんだん暗くなってきた。



五台山山上から南方向を望む。山沿いは高速道路の工事中で、空港に行くのは便利になったが、遍路地図の道はよく分からなくなった。



東の方向へひたすら歩いて行く。次のトンネルはなかなか現れない。



ようやく石土トンネルを越えて石土池に出る。あの山の上が禅師峰寺かと思ったらため息が出た。

もしかしたら、納経時間の午後5時に間に合わないのではないかとさえ思った。石土池を反対側まで回って、さらに古い住宅地に入る。禅師峰寺への最後の登りはまだ見えない。坂をいくつか登って、ようやく禅師峰寺への入り口に着く。

最後の坂を登り切ったのは4時半。なんとか間に合ったという印象であった。取るものも取りあえずお手洗いをお借りし、次に自販機でいろはすを買って一気飲みをする。時間ぎりぎりなので先にご朱印をいただき、その後に本堂・大師堂にお参りする。最後はとどめのように、またもやきつい石段の登りだった。

お手洗いと自販機のある場所が駐車場になっていて、もう午後5時近いのにマイクロバスや自家用車が10台近く止まっている。駐車場の下に、海岸線を走る道路と海が見える。方向からすると東になるので、2日前に通った野市のあたりであろうか。もう日が暮れかけて、暗くなってきた。

八葉山禅師峰寺(はちようざん・ぜんじぶじ)。山号の八葉とは八葉蓮華のことである。真言宗で大変に重視される胎蔵界曼荼羅の中央に配置されているのが、八つの花びらのある蓮の花つまり八葉蓮華である。

「四国遍礼霊場記」の挿絵は、いまの様子と言っても通じるほどよく似ている。坂を登ったところに庫裏(納経所)があり、本堂・大師堂はさらに山の上にありその間にけわしい岩肌が見えるところ、眼下に海や浜、民家を見下ろすところなど、江戸時代と変わらないのではないかと思われるくらいである。

ご本尊は十一面観音。「霊場記」によると、空海が寺を開いたとき、空から梵字の「キャ」が落ちてきた。「キャ」は十一面観音を象徴する文字なので、これを本尊としたという。秘仏である十一面観音像は弘法大師の御作と伝えられる。

思い起こせば、阿波から室戸にかけて、大師伝説が伝えられる札所ばかりであった。ところが、神峯寺は神功皇后、大日寺は欽明天皇、国分寺・五台山は聖武天皇、一ノ宮は神代の神様と、空海以前に創建されたと伝えられる寺社が続き、それにしたがって大師伝説も少なくなっていた。

こちら禅師峰寺の大師伝説は、神峯寺の山麓・唐浜における食わず貝以来であり、五大重氏のいうように、空海の修業した道は室戸・神峯から海岸沿いに禅師峰寺ということだったのかもしれない。

すっかり日が暮れて山を下りる。下り坂の途中で午後5時になった。泊まりがホテルなので時間の制約はないとはいえ、これから渡船のある種崎まで歩くとなると遅くなりそうだなあと心細くなる。そして、実際は考えていたよりさらに遅くなるのだった。

[行 程]五台山 14:30→(4.6km)15:30 新端山橋 15:30→(3.5km)16:30 禅師峰寺 16:55 →

[Jul 4, 2017]



禅師峰寺へは、石土池をぐるっと回りこんだ向こう側から登る。標高差80mとは思えないくらいきつい。



境内に入ってからもさらに登る。「四国遍礼霊場記」の挿絵によく似た岩である。



夕やみ迫る禅師峰寺本堂。暗くてちょっと手ブレしてしまいました。

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