せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
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104行けなかったギリヤーク函館 105ブレイディと同じ時間割 106苦闘の第7次歩き遍路
107100本中2本 108雪でも心配せず 情報入力を絞ってストレスの少ない生活
109亀吉も品薄に 110山頭火一草庵訪問
50代最後の日 ~せいうち日記101
今日は4月7日、明日になると60歳になるので、50代最後の日ということになる。
さいきん髪を切りに行くと美容師さんに、「年齢不詳ですね」と言われる。「若いですね」と言われる訳ではないので、50代そこそこにも見えるが、60代後半と言われるとそうかもしれないということだろうか。微妙なニュアンスのご指摘である。
50代を振り返ると、WSOP(世界ポーカー選手権)シニアの出場権を得て、3度ラスベガス・リオリゾート&カシノでトーナメントに出ることができた。エクスカリバーに滞在し、各ホテルのトーナメントに出たり、プールでくつろいだりした。いまとなっては、なつかしい思い出である。
昨年リタイアを果たしたので、60代はどうやって生活を成り立たせていくかがポイントになりそうである。収入が少ないとシュリンクしてしまいそうだが、そこは気を確かに持って、いましかできないことを可能な限り追求していきたいと思っている。
シュリンクということでは、最近たいへん印象深い体験をした。体験といってもたいしたことではなく、もともと3月に予定されていた健康保険料の支払いを済ませたというだけなのであるが、払う前は何とか安く済ませられないか、とてもくよくよしていたのである。何しろ、支払予定の保険料は50万円近い。任意継続だからこれで済んでいるが、国保にするともっと高い。
その保険料をまとめて払ってしまったら、何とも精神的な負担が減って、毎日晴れ晴れと過ごすことができるようになったのである。50万円という金額は預金残高に占める割合が相当に高いのだけれども、払う予定で計画していたので残高が減るだけで困ることはない。差し迫ったことが何かある訳ではないのであった。
人生すべてそんなもののようで、取り越し苦労はストレスを増やすだけだし、払うものは払ってすっきりした方がいい。リタイアした時にそのあたりのことは分かっていたつもりなのだけれど、まだまだ人間ができていない。
健康保険といえば、 歯の治療が長引いている。昨年秋にスタートした上の奥歯の治療が、年内どころか3月になっても終わらず、とうとう半年を経過してしまう。昔治療した歯を治すくらいに軽く考えていたのだが、どうやら歯周病がかなり進行していたようである。別に急ぐこともないので、じっくり治療するしかなさそうだ。
6ヵ月の職業訓練も前半の3ヵ月が終わり、ボイラーと危険物、2つの資格試験をクリアして前半のノルマを達成した。後半は6月に電気工事士二級の試験がある。この試験に合格して資格を取ると、家の中の電気工事を自分ですることができる。すでに指定工具セットや受験準備のための器具・ケーブルなども購入したので、がんばるしかないのである。
その職業訓練が春休みだったので、6日間の短期だったがお遍路歩きに行ってきた。これが6回目の区切り打ちで、今回は須崎市からスタートして足摺岬まで5泊6日のスケジュールであった。1日大雨の日があり、50mm降ったのでかなりの本降りだったのだが、その中を35km歩くことができた。やればできるものである。
私のみるところ、今回行ったあたりが東京からかかる時間が日本で最も長い地域である。高知空港まで1時間半はいいとして、そこから高知市内まで30分。中村まで行く特急は1日5~6本で約2時間、そこからバスでさらに2時間近くかかってようやく足摺岬である。
そして、 窪川(JRの終着駅)の岩本寺から、足摺岬にある金剛福寺までの約80kmは四国八十八札所間の最も長い距離で、途中二泊を挟まなければならない。その一日目が大雨だった訳で、歩いても歩いてもなかなか進まない道のりが身に染みたのであった。幸いに足摺岬を歩く一日は好天に恵まれて、すばらしい景色を見つつ土佐清水まで半島を一周りした。
一方、このブログで報告している歩き遍路の体験記は、まだ室戸岬を越えたばかりである。このまま行くと実体験と一年のタイムラグになりかねないので、もう少しペースを上げてご報告させていただければと思っている。いずれにせよ、ケガもなく無事に帰って来られたことは何よりのことであった。
[Apr 7, 2017]
足摺岬付近の海。1日寒い雨の日があり難儀したが、足摺岬を往復する日には晴れて暖かくなりました。
祝!!60歳(注.ホームページのごあいさつにありましたが、こちらにまとめました)
60歳になった。リタイアと時期が前後してしまったが、とうとう本当の老後がやってきた。
還暦になったらもっと歳とってしまうかと想像していたら、それほどのことはない。鏡を見るとそれなりに年寄りだけれど、見なければ自分の歳は分からない。まだ40代かと思ってしまうことも多い。
当日は自治会の集まりがあって夜が更けるまで対応しなくてはならず、誕生日なのにばたばたしているうちに過ぎてしまったが、奥さんはケーキを買ってきてくれたし、息子は人形町の卵焼きを土産に来てくれたし、娘からはお祝いメールが来た。家族そろって健康で、住むところがあり、今日明日の食べるものにも困っていない。幸福というべきであろう。
そういえば社会人なりたての頃、将来にわたっての人生設計を試みたことがあった。当時はバブル華やかな頃で、株価が1年のうちに倍になったりした。いまだに日経平均は当時の半分の水準であるが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
そんな訳で、その計画では50代前半には1億円の金融資産を持ち、当然仕事などする必要はないから、悠々自適のリタイア生活を送ることになっていた。若干時期がずれたもののリタイアはできたけれども、資産額は2桁違う。将来の不安はないどころか大有りである。
けれどもよく考えると、物価は当時とそれほど変わってはいないし、人口の伸びも止まって人口密度はこれから下がる。外国人観光客が増えてホテルが取りにくくなってはいるけれども、探せばまだまだ穴場はたくさんありそうだ。あまり取り越し苦労をしなくてもよさそうではある。
持つモノもやることも、量的に拡大するのは年齢を考えればそろそろ打ち止めにして、徐々にフェードアウトしていかなければならない時期に来ていると思う。そう考えると、リタイアの時期としては悪くなかったようである。
[Apr 9, 2017]
モバイルフレンドリー? ~せいうち日記102
しばらく前から、ホームページへのGoogleからの流入が少なくなっていることが気になっていた。営業している訳ではないので、別に少なくなったからといって困ることはないのだけれど、せっかく書いたものがあまり読まれていないとすれば残念なことである。Blogの「カレーこいけ」ばかりが読まれていてもあまり楽しくないのである。
ある日、ふと思いついてGoogleで自分の記事を検索してみて驚いた。「この記事はモバイルフレンドリーではありません」と検索結果に色付きでコメントされているのである。あわてて調べてみると、Googleでは、インターネットでの閲覧がパソコンからモバイルに移ってきていることを重視し、モバイル用に作っていないサイトは検索順位を落としているのであった。
別にスマホで見てもらわなくても結構と思ってこれまでやってきたけれど、Googleで検索して引っかからないようではよろしくない。何しろ、いま使っているホームページが要量100MBという前時代的なものであるにもかかわらず変えなかったのは、検索サイトに引っかかる回数が減るだろうと思ったからなのである。
これには参った。どうしようかといろいろ考えた結果、面倒だけれどホームページの再構築をしなければならないと思い立った。再構築するとなると、いまや世間のデフォルトとなっている感のあるWordpressにするのがよかろう。それに、導入しているサイトが多いのでWEBを探せば使い方がいろいろ調べられるし、基本的に無料というのがうれしいではないか。
ただ、Wordpress自体は無料ではあるが、Wordpressをインストールするサーバーをレンタルしなければならないし、ドメインも自分で手当てしなければならない。ドメインの手当ては、「お名前.com」というところでやると、個人情報の公開が最低限で済みそうなのでここにした。そして、ここでサーバーをレンタルするとドメイン使用料がサービスになるのである。
いまやドメイン使用料は年間何百円の世界だから、月に千円取れるレンタル料を考えれば、サービスしても痛くないという計算だろう。いろいろ探せばもっと安く借りれるところはありそうだが、探す手間を考えれば何百円の違いなら一緒のところの方が面倒がなくていい。と考えてレンタルサーバーも「お名前.com」で借りることにした。
ゴールデンウィークは日本史の研究をするつもりにしていたが、そういう訳でWordpressへの移行作業にかかりきりになってしまった。これは1ヵ月前には予想できないことであった。いざとりかかってみると、HTMLのタグ打ちの知識が役立つことが多いし、いろいろなプラグインがあって面白い。他の人と同じようなデザインになるかと思ったが、そうでもないようだ。
という訳で、新サイト「godowngamblin.com」がスタートしたのだけれど、大々的に発表できないのには訳があって、旧ホームページのコンテンツは1000を超える数があるものだから、とても数日間で終わるような代物ではないのである。
そして、現在お世話になっている忍者ブログでWordpressが使えれば何かと便利だったのだが、それもできないときている。したがって、いちいちhtmlをメモ帳で引っ張って、不要な部分を削除して、なんてことを延々とやっている。移行が終わったのはまだ全体の15%から20%といったところで、それなりのペースで進められるのは、いま通っている職業訓練が終わる7月以降ということになりそうだ。
それまでは、現状のホームページ、プログ、工事中の新サイトの併存ということになるので、その分費用がダブルでかかってしまう。それでも、かつて払っていたniftyとかNTTのフレッツとかに比べるとかなり安く済むはずだから、いかにそうした連中に儲けさせていたかということである。
[May 23,2017]
戻ってきた平和な日々 ~せいうち日記103
6月28日をもってポリテクセンターの職業訓練が終了し、半年ぶりに平和な日々が戻ってきた。朝晩の送り迎えがなくなって奥さんも平和になったし、私も1日拘束されることがなくなった。
週に5日、朝7時過ぎに家を出て午後6時前まで戻れないという生活は、私にとってかなりハードなものであった。他の講習生の人達に聞くと楽で仕方がないという答えが返ってくるのだが、私は働いていた頃とたいして変わらない時間帯だし、日中も手元にパソコンがある訳ではないので、ペースも合わないしストレスもたまるのであった。
という訳で、先週くらいから自分のペースで時間が使えている。たいへんにありがたい。朝は6時前に起きて(講習中は家でしかパソコンがさわれないので4時半とかに起きていたのだ)、6時25分からテレビ体操、それが終わってから朝食、一休みしてゆっくりパソコンに向かう。メールチェックやブログの更新、閲覧回数のチェックをした後、お勉強の時間である。
いま勉強しているのは、今月22日に予定される電気工事士の実技試験の練習と、11月に予定される危険物取扱者甲種試験の準備である。ともに、ポリテクセンターに行く以前は予想もしていなかった分野であるが、ここまで準備してきた以上一区切りつくまでやるべきものだろうと思っている。特に電気工事士は受験料支払済である。
実技練習も試験準備(問題集)も、やり始めると1時間から1時間半かかってしまう。問題集を1時間もやっていると歳のせいか頭がぼおっとしてくるので、今度は手を使って実技練習をするというのは理屈にあっている。あまり時間割とか決めずに、弾力的にやっている。
11時を過ぎると昼食である。前の日の残り物で済ませたり、インスタントラーメンを作ったりして、奥さんと食べる。ポリテクのお昼は12時10分からだったが、夕飯が午後5時なので少し早くしている。ご飯の後は1時間ほどお昼寝。お昼寝ができなかったのも、ポリテクではつらいところだった。お昼寝すると、午前中の目の疲れがすっかり取れるような気がする。
午後の時間は、午前中できなかった勉強の続きをしてから、Wordpressの移行作業である。すでに600以上の記事を移行したけれども、ようやく国内旅行記事まで移せたくらいだし、海外旅行やギャンブル、ポーカー、書評記事は手つかずである。夏までには何とかしたいと思っていたが、ちょっと難しいかもしれない。
夕飯は午後5時台。ひと休みして、週に4~5回はスポーツジム。ジムとプール合わせて1時間半くらい体を動かし、それから大きなお風呂でゆっくりする。帰ってくると、もう眠くなってしまう。午後9時半くらいにはおやすみなさいとなる。お酒を飲むのはジムに行かない日だけなので、週に多くて2回くらいである。
そんなこんなで、気になっていた古い本やアルバムの断捨離とか、水回りやエアコンのお掃除、電気系統のチェックはまだ取りかかったばかりである。それでも、1日を自分の思うとおりに使えるというのは、たいへんうれしいことである。あとは収入の範囲内でこの生活をどこまで続けられるかということだが、しばらくはそれほど差し迫ったことにはならないはずである。
[Jul 10, 2017]
7月22日に迫った電気工事士実技試験の準備。毎日がんばっています。
今年は行けなかったギリヤーク函館公演 ~せいうち日記104
意外と涼しい日が続いている。昨日届いていた電気代は前年比で2割ほど安くなっていて、リタイアした身にはたいへんありがたい。とはいえ、お米とか野菜が育たなくなっているというから、少しは夏らしく暑くなってほしいものである。もう夏至から2ヵ月経っているので、それほど酷暑にはならないと思われる。
さて、8月前半にポーカーの大会があって出かけた後は、時間割に沿った毎日が続いている。これまで電気工事士の実技試験の準備に当てていた時間が浮いてしまったので、iPADでドラクエ2をやっている。すでに独立している家の長男はドラクエ11をやっているということだが、ゲーム機本体もないしソフトも高い。30年以上前のドラクエでも結構面白いし、なにしろ500円である。
(「働かないふたり」の兄妹はおカネがないから中古ソフトのゲームばかりやっているのだが、その気持ちはたいへんよく分かる。)
それはそうと、おとといの日曜日にギリヤークの函館公演が行われたそうだ。このところマスコミに採り上げられることの多いギリヤーク師だが、今回の函館公演も地元函館新聞の他、朝日・読売でも記事にされたとのことである。下は函館新聞の記事。
このブログにも書いたように、去年・おととしと函館に足を運んでいて、去年は見事に空振りした。ギリヤーク師の場合、空振りするのも楽しみの一つであり、それはそれでいいのだけれど、現役世代ではないので懐が激しく痛む。特に去年は台風が来て帰りの飛行機が欠航となり、新幹線で帰ったのでさらに厳しいことになってしまった。
考えてみれば、月遅れのお盆でいちばん混む時期だし、去年は宿の確保にも大変苦労した。みんなが里帰りするからこそ函館市の外郭団体のイベントもある訳だし、ギリヤーク師の公演もセットされる。しかし、エアもホテルも混みあう繁忙期に、年中休みの人間が動くのはいかがなものかということで、今年はあえて手配しなかったのである。
こういう場合、世の常として予定通り公演が行われるのであった。だったら行くんだったと後悔する一方で、いまや空振りのリスクのある数万円を気軽に支出できる立場じゃないと思い直す。逆に、函館に住んでいれば新宿にはなかなか来ることができないのだ。
そういえば、昨年秋の新宿で師は車椅子の痛々しい姿で登場したのだが、春の横浜、夏の函館とちゃんと足腰は動いているようで安心した。このまま精進すれば、この秋の路上49周年公演も元気な姿を見せてくれそうである。何よりのことである。
今年の秋の区切り打ちお遍路は、ギリヤーク師の公演があるのでわざわざ体育の日が終わってから日程を組んだのである。NFLも始まっているから、10月はなかなか忙しい月になりそうである。こうなると、仕事がなくてよかったなあと思ってしまう。おカネと時間では、時間の方が大切だ。特に残り時間が少なくなると、時間の限界効用は逓増するのだ。
[Aug 22, 2017]
ブレイディと同じ時間割 ~せいうち日記105
NFLJAPANによると、ブレイディは毎晩9時に寝て朝は5時半に起きているそうだ。私と同じである。目覚ましをかけなくても起きるというのも同じ。スーパーモデルの奥さんと、コックの作った有機野菜中心のメニューで食事しているとのことだが、私も奥さんが産直から仕入れてきた新鮮な野菜を食べている。あまり違わないようなのはうれしい(どうでもいいことだが、ブレイディに「ニッテレ、ジータス」と言わせるのにいくら払ったのだろう)。
早いもので、ポリテクが終わって2ヵ月、リタイアから1年が経過した。7月後半はやけに暑い日が続いたが、8月になってやや涼しくなり、夜中のエアコンを使わなくてもいい日があったのはありがたかった。幸いに、まだ生活が窮屈になるという場面には至っていないし、体調も血圧も安定している。
ほとんど毎日、時間割のような生活を送っている。朝起きてパソコンに向かい、6時25分になったらテレビ体操をして、それから朝食。朝はパンとコーヒー、サラダとコーンフレーク。これは単身赴任中も変わらなかった朝のメニューで、もう何年も続いている(過去のせいうち日記をみると、2008年くらいからのようだ)。
朝食の後はパソコンの続きをして、切りのいいところで勉強の時間である。いまは、11月に予定している危険物取扱者甲種の受験準備である。化学式や危険物の性質・消火、法令についての勉強は、これまでと違った脳を使うのでたいへん刺激的である。これは、半年間通ったポリテクの総仕上げという意味合いもある。
午前中に日課が終われば、午後は図書館に行ったり家にある本を読んだり、買い物をしたりすることもある。昼を食べて眠くなれば1時間くらい昼寝をするし、NFLが開幕してニュースをチェックしたり少なくなった中継VTRを見直したりする。前回のスーパーボウルをよく見ると、ATLが後半、時間をうまく使っていないなぁと新たな発見をしたりする。
午後の遅い時間かあるいは夕食後には、奥さんと一緒にジムでトレーニングである。特に用事がない限り週に5回は行くようにしている。夏なので外を出歩く機会が少ないので、トレーニングで汗を流すのは体調維持に欠かせない。トレーニング後に血圧を測ると、120-60とかになっているのでとてもうれしい。
ルーティン以外の行事ということでは、7月には電気工事士の実技試験があり、8月にはAJPC・全日本ポーカー選手権があった。電気工事士は堂々合格で、AJPCは残念ながら予選落ちであった。勝ったり負けたり、うまくいったりいかなかったりするとストレスにはなるけれども、多少は起伏がないとボケるかもしれない。
この後、10月に大きなイベントとして四国遍路の第7次区切り打ちを予定している。今回は、四国の中でも最も交通の便がよくない地域のひとつ高知・愛媛県境を歩く。エアでいうと高知に入って松山から抜けるので、過去最高13泊の長丁場である。天候は如何ともしがたいが、体調だけは十分に整えなければならない。
これから気候も涼しくなるので、山を歩くにはいい季節になる。リタイアしてしまうと通勤定期がないので、どこに行くにもおカネがかかるのは気づまりなところだが、自由になる時間はたくさんある。そして、誰かから何かを指示されなくても暮らしていけるというのは何にも代えがたいメリットである。
何年か前から思っているしリタイアしてますますそう思うのだが、今日の次に明日がある可能性は日々少なくなってきているし、いつかは間違いなく明日という日はなくなる。そうなる前に、やりたいことでできることはしておく方がいいし、やりたくなくて必要のないことはしない方がいい。
「足るを知る」という言葉は、シュリンクして自分の世界に閉じこもるということではなくて、時間とおカネ、体とストレス、その他もろもろの優先順位は日々変わっていくということのような気がする。毎日を健康でストレスなく送り、自由になる範囲のおカネでできることをするというのはありがたいことだし、そういう境遇にある幸運に感謝しなければならない。
[Sep 20, 2017]
苦闘の第7次四国札所歩き遍路 ~せいうち日記106
ギリヤーク尼ヶ崎師匠の新宿公園を観戦した後、7回目となる四国札所歩き遍路に挑戦した。今回の区切り打ちは当初は13泊の予定だったのだけれど、これまでとは全く違って本当に苦しいお遍路歩きとなったのでした。
スタートは前回歩いた土佐清水まで飛行機・電車・バスを乗り継いで行って、そこから歩く。とにかく暑い。10月半ばだというのに30度を超える暑さで、じりじりと照りつける日差しは半端でない。暑いのには慣れているはずの宿の人からも「暑いですね。夏みたいですね」と挨拶されるくらいである。日焼け止めを塗っているにもかかわらず顔は真っ赤、鼻には火ぶくれさえできた。
そんな暑さが2~3日続いた後は、1週間以上ずっと雨である。はじめの1日2日は「暑いより少々の雨の方がいいや」と思っていたのだけれど、来る日も来る日も雨。降らない時間帯もあるにはあったのだが、降水確率10%の予報でもしっかり本降りとなる引きの強さで、結局最終日までずっと雨降りが続いたのである。
そして極めつけは、季節外れの大型台風の襲来である。当初の予報では帰ってから日本に近づくはずだったのに、どんどん早くなった。まさに帰りの便を予約してある日が危ない気配である。台風接近に伴い数日前から梅雨前線が刺激されて大雨、ときおり突風が吹く中のお遍路で、最後は飛行機が飛ぶかどうか分からない、ということで予定を1日繰り上げて帰って来たのでした。
そういう次第で、今回の区切り打ちは天候に試練を与えられた2週間だったが、奥さんには「台風が接近してすごいことになってる日に、すんなり戻って来られるというのは運がいい」と言われてしまった。確かに、その日の羽田便は、ANAの午前中の便が欠航ということで朝一番から満席であり、空港はかなり混雑していた。
そういう状況でなぜ帰りのエアを押さえられたかというと、かなりのラッキーがあった。第一に、台風の状況が怪しくなった2、3日前に久万高原から松山市に入る山の中にいたのであるが、幸い遍路宿にwifiがあってネットが通じていた。だから情報収集も適確にできたし、飛行機のネット予約も可能だったのである。
そして、私がJALのサイトを照会したまさにその時、22日のエアはほとんど満席だったのに、朝一のclass Jに1席だけ空席があったのである。その時点では新幹線とか夜行バスの選択肢もあったのだが、こういう時は躊躇しない方がいい。普通料金じゃ高いと言っているヒマはない。とっさにクリックして便を押さえ、無事帰りのエアを確保したのであった。
結果的には、もし陸路を選択していた場合、東海道山陽新幹線は台風で遅延して夜中どころか朝まで運転していたから、大変なことになっているところだった。奥さんとも激しく同意したのだけれど、こういう場合おカネがどうこうではなく、早く確実に戻ってくることが大切である。時間もムダになるし余計なストレスがかかる。心身の疲労だって比較にならない。
もうひとつ幸運だったのは、今回は毎日持って歩く10kgのリュックの他に予備の荷物があって、それを4~5泊置いて次の宿に送っていたのだが、松山だけは同じ宿に2泊する予定にしていて、その荷物もちゃんと回収できたことである。申し訳ないことに2泊予定を1泊キャンセルすることになってしまったが、台風のせいなので勘弁してもらおう。
そしてその宿というのが松山市では街中からはやや遠い場所にあるのだが、そこを2泊押さえた理由というのが、なぜか市街中心地のホテルが2ヵ月前からみんな一杯で、予約できなかったからなのである。なぜそんなに混んでいるのか分からなかったが、松山に来てみたらなんと国体の開催中だったのであった。全く知らなかった。
そういう次第で22日の午前中には家に戻ってくることができて、何よりのことであった。今回は選挙に行けないと思っていたのに(公示前に出発したので期日前投票もできない)、きちんと投票できたのもうれしいことだし、ホテルでも見られただろうけどボクシングも開票速報も家で落ち着いて観戦できた。幸い、足の爪の具合が悪いくらいで体調は良好である。
歩いている間は毎日雨で、正直なところ気が滅入ってしまうこともあったのだが、無事に帰って来られればすべてよしとしなければならない。予定していた場所よりも数十km前で止まってしまったけれど、リカバリーはどうにでもなる。ちなみに、土佐清水から松山まで、11日間で歩いた歩数は513,177歩、GPSで測った移動距離は287.7kmでした。
[Oct 30, 2017]
今回の白眉ともいえる岩屋寺の古い行場。岩の頂上に白山大権現が祀られていて、梯子でそこまで登る。鎌倉時代に描かれた「一遍上人絵伝」と同じ場所である。
100本中2本の当たり籤 ~せいうち日記107
リタイアして2度目の正月を、健康で無事に迎えることができた。ありがたいことである。
60歳を過ぎると、100本中2本が当たりの籤を引くようなもので、籤に当たると翌年の正月は迎えられない。当たりの確率は100本中2本から3本に年々上がって行って、80歳までの20年間に当たりが出る可能性はほぼ2分の1になる。
100本中2本というとそんなに簡単には当たらないような気がするけれども、カードなら52枚中の1枚である。一時期ポーカーを集中してプレイしていて、52枚中の1枚が実にしばしば出るのを見てきた。大抵の場合、出てほしい時には絶対に出ないし、出てほしくない時には計ったように出て来る。2分の1の確率となると、とても勝てる気がしない。
いずれにしても、そのつもりで心の準備をしておくに越したことはない。世の中に流れている老後の情報をみるとカネの心配ばかりなのだが、それよりも重要かつ差し迫ったことがいろいろあると思っている。
11月19日に受けた危険物取扱者甲種の試験に合格して、職業訓練と資格取得に関わるさまざまの勉強が一段落した。だから時間ができたかというとそんなことはなくて、突然、内田百閒を読み出したり、ジャズを聴き出したりしている。どういう訳か、そうした方向に興味を持ってしまうのだから仕方がない。
こういう時、もっと若い頃から読んでおくんだった、聞いておくんだったと思うとともに、あとどのくらい残り時間があるんだろうかと心配になる。百閒を読むと酒が飲みたくなって、今度は、正月に日本酒は足りるだろうかワインは注文しなくていいだろうかと心配になる。あれこれ考えると心配ごとに切りがない。
その次にありがたいのは、差し迫った請求書も借金もなく年を越せたことである。おカネより大事なことがあるといっても、おカネの工面ができないと文字通り年が越せない。幸い、リタイアとともにローンは整理してしまったし、数々の支払いも、正月用海産物の宅配代金支払いを最後にひととおり終わった。
毎年恒例であった社会福祉協議会への寄付ができないことが気になっていたのだが、年末になってお遍路のお寺さんから施設改修の呼びかけがあり、些少ではあるが協力させていただいた。毎年無事に過ごせたことの感謝をこうした形にすることは大切だと思っているので、これも心がたいへん軽くなった。
もちろん、収入が激減したので口座にも財布にも十分な金額があるとはいえないが、ひとまず昨年一年間の生活に必要だった費用は、収入と貯金の範囲内で収まり、新年からは新たな気持ちでスタートすることができる。
一昨年来懸案となっていた年金手続きについては、年金事務所のスローモーな対応に時間がかかったものの年金受取りまでこぎつけた。あとは、企業年金連合会の手続き、確定申告と国保への切替えが終わると、めでたく年金生活へのシフトが完了する見込みである。
収入減による生活のダウンサイジングについては、思ったほどのストレスがないようなのでほっとしている。海外旅行も行かなくなって久しいけれども、行かなければ行かないで済むし、国内旅行もずいぶん減った。年に1、2回しか乗らないのにJALのグローバルクラブを続けている意味があるのかと思うだけである。
若い時は月に1、2回行っていたゴルフも、やらなければやらないで特に困ることはなかった。その時その時できることをして楽しんでいけば、人生それなりに充実して過ごせるようである。生きがいなどと肩肘張って堅苦しく考える必要はない。図書館で本を借りて読むだけでも十分楽しいし、次々と調べたいことが出て来て時間が足りないくらいである(しかもタダ)。
幸い、毎日をストレスなく送れているので心身のコンディションは非常にいい。よく眠れているしウェイトコントロールも順調で、血圧も落ち着いている。1日が過ぎるのがたいへん早く感じるのはたいへんうれしい。理屈抜きに、あの仕事場にいなくてよかったと思う。生活が多少窮屈になるくらいは辛抱しよう。
そして、何よりもありがたいのは、夫婦仲良く、子供達も揃って健康に新年を迎えられたことである。おそらく、おカネより全然大事なことは家庭が平和であることで、中国の古典にも「住むところがあり、今日食べるものがあり、家族そろって健康なら、それ以上は望むべきでない」というくだりがある。生きている間は、そうあってほしいものだと思う。
[Jan 2, 2018]
雪でも心配せずNFLを観戦できる幸せ ~せいうち日記108
1月はアメリカンフットボールの季節である。
今年はGAORAが中継せずG+もサンデーナイトしかやらないので、現地時間のデイゲーム(日本時間の真夜中)をほとんどLiveで見ることができなかった。だから、今年度初めて夜中に起きて中継を見ることがWildcard、Divisionalと2週続いて、かなり眠い思いをした。規則正しい生活をしていると、急に夜中起きようとしてもなかなかつらいものがあるのであった。
Championshipでようやく日本時間の午前5時開始となり、通常の時間に起きてゲームを見ることができた。ジャガーズが接戦に持ち込み、イーグルスは危なげなくリードを広げ、今シーズン初めて予想がちゃんと当たった気持ちのいい6時間だった。こうしてNFL中継を何の支障もなく見られるのは、考えてみると今年が初めてである。
仕事をしているとどうしたって毎週月曜日に休む訳にはいかない。SuperbowlくらいはLiveで見たいけれども、それだって思うようにはいかない。以前、レイヴンスと49ナースの時はVTRに録画していたのだが、現地で停電が起こりゲームが中断して録画が途中で終わってしまったことがあった。リタイアするとそういう心配がないのはたいへんありがたい。
心配といえばChampionshipの日、関東地方は大雪で、朝から東京では雪がちらつき、夜には関東全域で大雪になるという予報であった。千葉ニュータウンでも久々の積雪となり、当日は車で出るのが危なかったのでスポーツジムはお休みにした。翌朝は庭も道路も一面真っ白になっていたが、2014年の大雪ほどではなかった。あの時は、奥多摩の山小屋が雪で孤立したのであった。
リタイアするとスポーツジムをどうするかくらいで、大雪でも暴風雨でもたいして心配することがない。昨年はポリテクがあったので、毎日電車で四街道まで行かなければならず仕事をしているのと変わらなかったが(失業保険をいただけるのだから当り前)、今年からはいよいよ本当の年金生活で、家から出ないようにしようと思えば一歩も出ないことが可能である。
最初の頃はいろいろ考えることもあったが、いまにして思うとそこそこ健康で、頭も鈍くなっているとはいえまだそんなには衰えていない。時間の自由はこれまでとは比べものにならないくらいある。大雪が降ったりすると世間では大騒ぎだが、危なければ外に出なければいいだけのことで、奥さんに聞いたら家の中に1週間食いつなぐ位の食糧はあるそうである。
Superbowlが終わると9月までNFL中継がない。次のシーズンまで、これまでNFLを見ていた時間を他の目的に使うことができるので、ますます自由な時間ができる。やりたいことはまだまだあるが、手持ちのおカネとの兼ね合いで、できることもあるしできないことも多い。いずれにせよ、変なストレスを抱え込まないよう毎日を過ごすことが大切である。
現在の毎日の生活は、5時頃目が覚めるので起きて、朝のメールチェックや定期的なWEB閲覧をする。6時を過ぎると奥さんが起きるのでテレビ体操をしてから朝ご飯。朝食は前にも書いたがパンとコーヒー、コーンフレークの決め打ちである。ごはんを食べながら天気予報を見て、7時からはBSの「里山」と「もういちど日本」を見る。
ニュースは見ないので、国会がどうなろうがオリンピックがどうなろうが、大相撲が栄えようが亡びようが情報は入って来ないし興味を引くこともない。ネットを見ているとどうしても画面の片隅にそういう情報が入ってくるのがたいへんうるさく感じる。(仮想通貨の記事をupしてすぐに大騒ぎになったのにはびっくりした)
午前中はパソコンに向かっていろいろな作業や原稿書き。お昼を食べて昼寝して、午後は本を読んだりゲームをしたり。半年あまり楽しませてもらったドラクエ3(iPAD版500円!)は「しんりゅう15ターン」をクリアして一区切りついたので、ドラクエ4(iPAD版1,500円!)を導入。前にやったのは1990年だから、実に28年振り。BGM以外ほとんど忘れていたので新鮮である。
5時になったら夕飯、6時半から9時は週4~5回のペースでスポーツジムである。お酒を飲むのはスポーツジムのない日だけなので、週に2回くらいとこれまた健康的である。結構疲れて帰ってきて、夫婦そろって10時前にはおやすみなさいとなる。
現在のペースで毎日を過ごすようになってまだ半年余りであるので、こうやって暮らしていると退屈になって体を持て余したりするのか、よく分からない。いまのところはそういうこともないので、毎日こうやって暮らしている。これから季節がよくなれば、どこかに行ったりすることもたまにはいいだろう。
奥さんが「まるで、働かないふたりだね」と言うのだが、まさにその通りの毎日である。
[Jan 31, 2018]
1月23日の朝、千葉ニュータウンは2014年以来4年振りの積雪となりました。
情報入力を絞ってストレスの少ない生活
(注.ホームページのごあいさつにありましたが、こちらにまとめました)
節約記事で書いた通り、新聞の宅配をやめた。TVも決まったもの以外はほとんど見ないので、メールとかWEB以外からはニュースも入って来ない。そんな生活をすでに4~5ヵ月送っていたら、いつの間にかストレスが減っていたことに気が付いた。
現役の時には通勤があり、電車の車内広告や駅売りの新聞の見出しもあるし、そもそも会社の回覧でいろいろ回ってくるから見ないという訳にはいかない。そうやって望むと望まざるとにかかわらず情報が入ってくるのは避けられなかった。われわれ自身の生活にはほとんど関わりないとはいえ、知れば感想を持つのは仕方ないし、いろいろ考えが発展するのは脳の構造上やむを得ない。
それがどんなにストレスになり、心身の健康を損なう要素となっているかリタイアするまで分からなかった。しかしこうしてそういうことから離れてみると、なんと余計なことに心身をすり減らしていたんだろうと改めて感じる。
最近のことを言えば、大相撲の騒動なんてものにはまるっきり興味がないし、ついでに時々見ていた大相撲中継も見るのをやめてしまった。だからと言って何も困ることはない。モンゴル部屋が仲間内で暴力沙汰を起こそうが、誰が責任をとってやめようが、そんなことは知ったこっちゃない。相撲と大相撲はレスリングとプロレスくらい違う。大相撲は前の天皇陛下が個人的にお好きだったから、国技といっても誰も文句を言わないだけだ。
韓国のどこぞでやっていた冬のオリンピックも全く見なかった。古くからやっている競技は歴史もありスポーツとして見る価値があるとしても、ショートトラックあたりからおかしくなった。モーグルだのスノーボード、カーリング、スケート団体競技の金メダルが、アルペン3種目やアイスホッケーと同じ価値があるというのは、米ドルと途上国通貨を1対1の為替レートにするくらい馬鹿げたことだ。
つい最近、家から半径500mくらいの近くで殺人事件があり、ワイドショーやら何やらで大騒ぎしていたそうだが、奥さんがスポーツジムのサウナで聞いてくるまで夫婦とも知らなかったのには笑った。ご近所にとって笑い事では済まないことだが、家から出なければ知らなくてすむことである。治安の悪化や青少年の風紀の悪さを私が憤ったところで何も変わらない。
あと人生の残り時間は20年±アルファといったところである。知らなくてもいいこと知っていてもどうしようもないことで頭を使い心を煩わせるよりも、読みたい本を読み書きたい文章を書いた方がいい。その意味で、新聞をやめたことには節約以上の意味があったと自画自賛している。
[Mar 8, 2018]
田酒に続き亀吉も品薄に ~せいうち日記109
冬の間の日課だった朝の結露拭きが、2月下旬になるとようやく一段落してくる。気温の低い日はあるものの氷点下の冷え込みは少なくなり、毎日何枚も雑巾が必要になるほど結露がひどいということはなくなる。抗アレルギー薬「ザイザル」、点鼻薬・点眼薬が欠かせなくなるのもこの時期である。いよいよ春が近づいてきた。
昨年の春は毎日ポリテクに通っていたので、リタイアしたといっても半分くらいサラリーマンの生活をしていた。その意味では、初めて過ごすのんびりした春になっている。
さて、そんなのんびりした春に、悩まされていることの一つが日本酒の銘柄選びである。週に2~3回、スポーツジムのない日に奥さんと晩酌をするのがリタイア生活の大きな楽しみなのだが、収入が限られるので贅沢は言っていられない。若い頃はいろいろな酒を飲んでいたけれど、最近ではエビスビールor淡麗生350mlを1本ずつとワインor日本酒というのが定番である。
ワインについては、幸いなことに現役時代に仕入れたワインがエノテカのワインセラーにまだ何年分かはあるので、普段飲みのチリワインを月1度買うくらいで済むけれども、日本酒はちょっと難しい問題がある。青森の「田酒」と「亀吉」がごひいきなのだが、いずれも品薄で入手が難しくなっているのである。
日本酒の銘柄では、十五年くらい前まで「久保田千寿」を愛飲していた。たまに新潟に出張があると、新潟駅の売店で安く売っているものだから1升瓶を2本買って帰ってきたことも何回かあった。久保田の場合、「百寿」ではもの足りないし「萬寿」は高い上にそれほどおいしいと思わないので、「千寿」がちょうどいい頃合いなのであった。
ところが、2004年に起こった新潟県中越地震で蔵元が被害を受けてしまった。その後再開して現在に至っているが、味が変わっているのとあまりに大量生産しすぎなような気がして、以来久保田からは離れて現在に至る。
次に気に入ったのは「田酒」である。田圃の酒という秀逸なネーミングだが、実は「西田酒造店」の真ん中の2字を取っただけというシンプルさもまたいい。名前よりも何よりも、味わいがまたすばらしいのである。きりっとした淡麗辛口で、アルコールくささが全くなく、冷酒にして飲むと何とも言えない滋味が広がる。夫婦そろっていっぺんに気に入ってしまった。
あまりに気に入って、青森まで行って飲んできたくらいである(飲む話食べる話「田酒の旅」)。ところがこの記事を上げたあたりですでに品薄だったものが、最近はさらに入手困難となり、普通に買うと1本1万数千円するというのでは、リタイア後の懐には厳しすぎる。たまに何とか入手するものの、コンスタントに飲むという訳にはいかなくなった。
そんなふうに困っていた時、当時の記事を探すと2015年だから3年前になる。やはり青森に出張した際に店で見かけた亀吉という酒がたいへんにおいしかったのである。風味としては田酒に一歩譲るかもしれないが、アルコールくさくなくきりっとしたところは田酒以上ともいえるくらいである。何より、価格が3千円以下で庶民的なところがよい。
折りしもリタイア間際の支出切り詰め時期にあたっていたものだから、この亀吉を2~3本ずつ地元の酒屋さんから送ってもらって飲むという生活が2年ほど続いていた。しかし、その状況は長くは続かなかった。とうとう亀吉も、品薄状態となってきたのである。
普通に楽天とかで買うと5~6千円に値上がりしている。なじみの酒屋さんならこれまで同様の値段で買えるのだが、1回に1本しか買えない。1本だけでも2本でも送料は変わらない上に、1本の場合はパッケージ代が取られるのでたいへん割高である。たいへん困った事態になってしまった。
という訳で、去年の終わりくらいから新たな銘柄探しに右往左往しているのである。田酒も亀吉も青森なので青森の銘柄なら口に合うものがありそうだが、なかなかそううまく行かず、結局飲みづらくて料理酒にするということを繰り返している。そういえば内田百閒が、灘の大吟醸が口に合わず料理酒にしたと書いていたが、同じような悩みをかかえている今日この頃である。
[Mar 12, 2018]
最近品薄となっている亀吉。グレードはいろいろありますが、普通の「特別純米辛口酒・精魂一途」が個人的には一番好きです。
山頭火一草庵訪問&奥多摩のお粗末な遭難 ~せいうち日記110
3月は意外と活動的だった。12日から15日まで3泊4日で四国の歩き遍路区切り打ちをし、25日には丹沢の梅ノ木尾根を歩いてきた。リタイアすると現役時と違って、資金的な余裕がなくなる上に定期券がなくなるので出歩くのに勇気がいるが、それでも時々は遠出をすると心身の刺激になる。
四国歩き遍路はこれが第8次になる。現役時代の2015年からスタートして今年で4年目、ペースが上がったのはリタイアしてからで、昨年は須崎からスタートして松山まで400km以上歩いた。今回は松山から今治まで3泊4日のスケジュール。前回は1週間以上続く雨降りで大変な目にあったので、早めにもう一回歩いておこうと思ったのである。
幸い天候に恵まれ、松山市内では札所以外に山頭火一草庵に寄ることができた。ここは自由律俳句の巨人・種田山頭火終焉の地で、すぐ近くにある護国神社の祭礼で一杯ご馳走になった後、大いびきで眠ったまま「コロリ往生」した。享年58。いまの私より若いが、長年の不摂生で歯は1本も残っていなかったという。
山頭火の一生を振り返ると、いろいろ考えさせられる。防府の大地主の家に生まれ、早稲田大学の一期生になるくらいだから頭も悪くなかったはずなのに、酒癖が悪く生活能力もなく、妻子はほったらかしにして離婚され、最後は無一文になって後援者の世話になって生きた。わがまま放題でしょっちゅう居場所を替え、借金は返せないまま世を去った。
それでも俳句の才能は抜群であった。明治以降の俳人で、すべての小中学校教科書に採り上げられているのは山頭火だけだそうである。生前は時代背景(亡くなったのは昭和15年である)もあって一部の評価にとどまり、無一文で周囲の援助で生き延びていたが、戦後、人気が高まった。いまや句碑の数は芭蕉に次いで多く、防府駅前に銅像も建っている。
常々、才能と人格はリンクしないと思っているが、山頭火の場合も社会常識に欠けるところが多く、付き合う人達はかなり困っただろうと思う。自らは、1日4時間ほど托鉢すると泊まって1杯飲むくらいは難なく集まり、「袈裟の功徳と行乞の能力」と書いているが、実際には息子から仕送りがあり、後援者には小遣いをもらい、さらに借金までしているくらいであった。
生きているうちに評価され勲章をもらったり名声を得るのがいいのか、生きている間は不遇であっても後世に残る仕事をする方がいいのか、難しいところである。両方手に入れられれば一番いいのだろうが、生きている間に名声を得る人に限ってすぐに忘れられる傾向があるような気がしてならない。
そして、お遍路から帰ってきて天気がぐずつき、春分の日に山では雪になり、奥多摩・八ヶ岳と関東近辺で全国配信される事故のニュースが続いた。
この二つの遭難を山岳事故としてひとまとめにするのは気の毒なくらいである。八ヶ岳の遭難を脱線事故に巻き込まれたようなものとするならば(天候・積雪の条件、そもそもこの時期に八ヶ岳に登るスキルがあったかどうか検証が必要にせよ)、奥多摩の方は遮断機の下りた踏切に突っ込んで電車を止めたようなものである。全く同情の余地がない。
なぜあと3、4日待てなかったのだろう。好天に恵まれた週末であれば、何の問題もなかったはずである。中国人がいたからスケジュール的に難しかった?だったら高尾山でも御岳山でも登ってろという話である。金副隊長(元青梅警察署山岳捜査隊)がいたら、そんな遅い時間にあんな天気で登るなら、ビバーグの用意くらいしておけと激怒するところだ。
幸い、私の方は暖かくなって、25日の日曜日に丹沢に行った。ヤビツ峠のバスが途中までしか走らないという情報なのでちょっと心配したが、標高の低いところを選んだので特に問題はなく登山道も乾いていた。昨年歩いた時に道を間違えて危ない目にあったコースなので慎重に歩き、予定通りちゃんと登って下りることができた。
山の報告はこの間から書かせていただいているが、 うれしかったのは足腰の痛みがほとんど出なかったことである。以前は、春になって標高の高い奥多摩とか丹沢に行くと、4~5日はふくらはぎや太ももが痛くて、階段の上り下りがきつかったくらいである。
ところが、このところ定期的に山歩きをしてブランクをあまり作らなくなったのがよかったのか、あるいは歩き遍路で足腰が鍛えられたのか、いまのところ山歩きの後遺症に悩まされることはない。次の予定は山小屋泊の1泊2日だが、これもクリアして新たな山域に挑戦したいと思っているところである。
[Apr 6, 2018]
山頭火終焉の地、道後温泉から歩いて15分ほどの一草庵。現在は公園として整備されていて、こちらの建物はトイレ兼資料展示スペース、後方が昭和初めの建物を再現したものである。
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せいうち日記91-100
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