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筑波山(みかん園ルート) [Jan 10, 2024]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

今シーズンは筑波山のバリエーションルートを重点的に歩いてきたが、今回もその続き。先だって途中から下ってきたみかん園ルートを自然研究路まで登る計画である。

みかん園ルートは推奨登山道ではないが、かつて1/25000図に掲載されていた登山道である。つくば市と桜川市の市境で国有林管理道でもあるので、廃道化している訳でもない。いまでも十分登山道の役目を果たしている。

ただし、男体山直下は急傾斜との情報であり、初見で下るのは危ないので、前回は松岩からトラバースして途中から下った。それを踏まえ、今回は麓から自然研究路まで登る計画である。

登山口はみかん園近くにあるので、筑波山市営駐車場からは遠い。同様に歩くが、下山後に登りのないつくしこ駐車場からのルートが安心である。今シーズンはじめてのつくしこスタートになる。

2024年1月10日。2、3日前まで雨予報だったが低気圧が南海上に去り、雨は降らず風もない。冷え込むとつくば市内は-4℃になるが、この朝はびっくりするほどではない。

つくしこ駐車場には一番乗りだった。支度をしていると男性がトイレに来たので、少し先の路肩駐車スペースに止めたようだ。あちらは登山口に近いが、私はトイレが近い方がいいので駐車場内に止める。

7時25分スタート。始めはみかん園沿いの舗装道路を登る。朝早いからか、どこも駐車場にロープを張ってある。みかんはちゃんと成っているけれども、地面に落ちたものも数多くある。冬鳥(ヒヨドリやムクドリ)が群がっており、私が通ると木の上に逃げた。

40分ほどで酒寄林道分岐。ここで梅林方向に少し進み、カーブミラーの前が登山口である。慣れてしまえば迷うこともない。ここは神域でないのか、「天罰下る」の貼り紙はない。

みかん園ルートも石置尾根も地主は国で国有林管理道、石置尾根が神域というならここも神域だろう。神様は登記がどうとか国土地理院がどうとは思わないはずで、思うとすれば人間であって天罰は下せない。人に天罰とか言っていると自分に跳ね返るのではなかろうか。

それはともかく、昔から地図に載っている登山道なので、急傾斜もなく危険個所もなく、迷いそうな場所もない。何ヶ所か顕著な分岐があるが、基本は尾根を外さないように進めば大丈夫である。

登山口から40分ほどで、前回通った松岩トラバース道との合流点に達した。つくしこからは約1時間半である。国有林標識の赤い+印の標石が立っている。直進すると、自然研究路まで登りつめるはずである。

ここから先は初見になるが、前回トレランの登山者が下りてきたので大丈夫だろう。と思ったら、いきなり傾斜が急になった。

みかん園コースは名前のとおりみかん園の横を登る。みかんは地面に落ちるほど成っていたけれど、残念ながらやっている店はなく、駐車場にもロープが張られていた。


この道は秋に下山で使った。昔の1/25000図に載っていた道で、岩場になるまでは高規格の登山道である。


この前は左から合流する松岩トラバース道から入った。今回は直進して自然研究路を目指す。


松岩トラバース道との合流点を過ぎると、すぐに急傾斜の岩場が現われた。

ここまで白雲橋コースや御幸ヶ原コースよりずっと歩きやすい道だっただけに、その格差に驚くほどである。そして、その難路を避けた場所から合流した前回の経路は、たいへん歩きやすかったということである。

先だってはトレランの登山者が下りてきたので安心していたのだけれど、傾斜は急だし足を置く場所もない。こんな場所を走り下りてくるのだから大したものだが、足を滑らせれば転倒・滑落の危険がある道である。

とはいえ、歩いて登り下りする分には、注意して三点確保すれば危険とまではいえない。鎖場・ロープ場・はしごもない。ただ、先ほどまで頻繁に見かけていた国有林標識を見つけられなくなったので、それなりハードな道であることは確かである。

最初のひと登りは踏み跡を辿ったけれど、正面に巨石が立ちふさがった。まっすぐ進めないので左右を窺うと、左に巻き道が見える。巨石の左まで進むとペンキマーク。そこから登れということのようだ。

そこからしばらく、ペンキマークのお世話になる。女ノ川ルートでは目印のペンキを消して歩く偏執的な人がいるのだが、ここは昔の1/25000図にある道のためかペンキが残っている。もしなかったら、もっと苦労しただろう。

このあたりまで来ると、頭上に山頂稜線が見えてくる。自然研究路まで、それほど標高差はなさそうだ。いったん岩場から草の上の踏み跡になるが、すぐまた岩場である。最初からここを下らなくてよかった。

核心部では、狭い2枚の岩盤、足元が滑る一枚岩の隘路を抜ける難所がある。リュックもつっかえるし困った、何とか登ると少し景色が開けた。

左手に黄黒のトラロープが見えるので、あの先は危険個所だろうかと近づくと、そうではなかった。トラロープでこちらに入ってこないようにしているだけで、その先は自然研究路。見覚えある傾いたコンクリ階段がその先にあった。

結局、つくしこからここまで休憩なしで約3時間。それほど汗もかかなかったし水も飲まなかった。自然研究路まで来れば、あとはいつものパターンである。富士見岩近くの東屋まで少し登り、ベンチに座ってひと息つく。

この冬の定番メニューとなった、インスタントコーヒーと奥さん手作りのサンドイッチ。鬼柚子ジャムが甘くておいしかった。

朝方はさすがに冷えたが、10時を過ぎるとそこそこ暖かく風もない。この日はメリノウールのインナーに長袖シャツ。ジャンバーは脱いで登ってきたけれど、暖かいのでジャンバーは出さなくて済んだ。

合流のすぐ上から岩場が始まる。傾斜も急になるし、進路も定かでない。トレランの人はよく下ったものだ。


最上部は、ペンキマークがないと進路に迷う場所だ。自然研究路前に、狭くて急傾斜の隘路がある。


ようやく自然研究路へ。逆光で見えづらいが黄黒のトラロープが張ってあり、危険個所と勘違いしたがロープの先は自然研究路であった。


東屋で休んでいると2、3人の登山者が「こんにちわー」と通り過ぎて行ったが、いつかの土曜日のように多くはない。下山は石置尾根(国有林管理道)から下りる予定で、「進入禁止」看板から入るのでできれば人に見られたくない。

幸い、富士見岩には誰もおらず、進入禁止を見咎められることはなかった。大きな岩を回り込んで下ると自然研究路からは見えない。この道は梅林ルート(猿田彦神社ルート)、石置尾根共通の研究路側出入口となる。

ただ、最初に登った時と2度目に登った時と、同じ経路のはずなのに違ったように見えた。左右を見て、分岐がないかどうか確認しながら慎重に下る。

ひとしきり下りると、つくしこ方向に景色が開けた場所がある。「筑波山系の山路」に(展)とある場所のようだ。まさに好展望地であるが、惜しむらくは1人立ち止まるとそれ以上は滞留できない場所である。

好展望地のすぐ下にちょっとしたピークがあり、先端の岩に赤く塗った+印が描いてあった。国有林標石である。ここから先は国有林管理道なので、標識を確認して下れば間違いがないはずだ。

標石のあるピークから15分ほど下ったり登ったりすると、見覚えのある景色が出てきた。標高およそ720m、梅林ルートから登った時見た「地図にない三角点」である。

よく見るとすぐ近くの木に林野庁の境界見出標が付けてあり、261番と番号が振ってある。林野庁の国有林データベースでみると、「前峯」とある場所のようだが、林野庁の資料に261と書いてないので確かとはいえない。

先ほどの好展望地より広いので、レジャーシートでも敷けばお昼休憩にも使えそうだ。しばらく立ち止まっていると、下から熊鈴の音が聞こえてきた。珍しい。筑波山バリルートで人に会うのは初めてである(御海で声だけ聞いたことがあるが)。

登ってきたのは、私同様シニア単独行のおじさんであった。梅林近くの200円駐車場に止めて登って来たそうだ。冬とは思えないほど風もなくいい天気ですね、と立ち話する。

これから下るのだと私が言うと、「ここを何度も登るのですが、同じ道で下れたことがない。いつも別の道になってしまう。まあ、いずれ林道に突き当たるから問題ないのだが」とおっしゃる。

確かに、猿田彦ルートにはまぎらわしい分岐がいくつもあって、石置尾根をそのまま下ったり、行き過ぎて住吉神社まで進んだりする。薮で行き止まりということもある。たいていの道では「天罰下る」に突き当たるのだが。

そうですね、私も気をつけますと答えたのだけれど、この話を聞いたのだからもっと慎重に道を確認すべきだった。なにしろ、15分か20分先の人面岩にたどり着けなかったのである。

下山は富士見岩から石置尾根へ。ひと下りすると、好展望地がある。


梅林ルートを登った時に見た「地図にない三角点」は、国有林の境界標石だった。ここで、梅林から登ってきたおじさんと立ち話。


標石付近の拡大図。ここは境界261番という場所のようだ。


261標識で立ち話したおじさんに「ここを下りる時は迷いやすい」と言われていたにもかかわらず、早々に国有林巡視の尾根道から外れてしまったのは迂闊なことであった。

ここを登る時、人面岩から上には迷うようなところはないと思っていたのだが、とんでもなかった。まるでスキー場のゲレンデで、どこを通っても下れるように見えるのだが、踏み跡のように見えるのに実はそうでもないのだ。

261標識から人面岩まで、おそらく15分か20分のはずである。さらに、猿田彦ルートとの分岐のペンキ印も見ていない。気づいた時にはひとつ北側の尾根だったから、261標識直後から道を外れていたと思われる。

スマホで現在位置を確認して、どうやら尾根が違うようだと思ったけれど、いずれ八五山ルートに向かうつもりだったので、まあ方向は合っているだろうと先に進んだ。ところが、ほとんど誰も通らないものだから、どう進んでも薮なのである。

「筑波山系の山路を辿る」でも、八五山ルートに入る道はいくつもあるのだが、基本的にすべてバリルートであり、ただでさえ分かりづらいのに誰も通らなければすぐに廃道化する。仕方がないけれども難儀なことであった。

八五山ルートの名前のもとになったのは人面岩近くにある「山-85」の標識で、それを確認して下る予定だったのだが、まあ仕方がない。かなり傾斜が急だったので登り返すのも何だし、このまま下ることにした。

一時間ほど下り、休めそうな岩場があったので一息つく。あるいはここが人面岩かと思ったが、ずいぶん下なので違う場所である。おそらく、どのルートでも岩場になる標高550mくらいだったと思われる。

一息ついて落ち着いたのがよかったのか、すぐにペンキマークの岩とはっきりした踏み跡を見つけることができた。ここからはすんなり進むことができたから、なんとか八五山ルートに乗ることができたようだ。

このルートは今日登ったみかん園ルートと谷を挟んで対岸にあたり、右の坊主山が朝と同じように見える。石置尾根をそのまま下ると梅林寄りに出てしまうので、途中から八五山ルートに入る計画だったのである。

やがてこの道は水の流れる沢沿いになり、沢を渡って対岸に渡る道も見える。とはいえ、直進した先で道が太くなっているので、渡らずにそのまま進む。

車も通れるほどの道幅だが、路面はガレ場と同様で、ここを走ったら揺れて大変だろう。そして、やや登りつつ林道に合流したから、かつては沢沿いに下りる何かの必要があったのかもしれない。

林道のヘアピンカーブが登りつめるあたりで合流し、分岐点には黄黒のトラロープが張られていた。「天罰下る」は貼ってなかったので、おそらく車両通行止めの意味かと思われる。

途中で時間がかかったため、林道に出るまで自然研究路から3時間。さらにつくしこ駐車場まで45分。この日の山歩きはかなり時間がかかってしまった。

どこかのみかん園がお土産でも売っていないかなと見ながら帰ったのだが、どこもやっておらず、駐車場にもロープが張られたままだった。下に落ちて鳥に食べられるよりも、1袋200円でも300円でも露店の無人販売でもやればいいのにと思ったが、そのくらい誰も通らないのだろう。

薮に入ったりしたので、ウェルネスに寄ってひと風呂浴びてさっぱりする。ここにも産直があって秋に来た時はおばさんがいたのだが、土日限定になったらしい。帰りは暗くなってしまった。

この日の行程
つくしこ駐車場(52) 7:25
8:05 みかん園ルート登山口(225) 8:10
10:05 自然研究路(820) 10:35
12:30 岩場(570) 12:40
13:45 林道合流(305) 13:45
14:30 つくしこ駐車場(52)
[GPS測定距離 10.7km]

[Mar 14, 2024]

境界261番からなぜか人面岩に下りられず、踏み跡のようなそうでないような場所を下りる。ようやくペンキマークとはっきりした踏み跡を見つけてひと安心。


沢沿いに下りてきたから、おそらく八五山ルートに合流したのだろう。林道が近づくと車も通れそうな道幅となるが、路面は岩だらけ。


林道のヘアピンカーブのあたりで合流。ロープが張られているのは車両通行止めの意味か。


宝篋山登山道問題 ~入山禁止貼り紙と少子化

今日は女の川ルートの記事の続きを用意していたのだけれど、一昨日歩いた宝篋山で非常に疑問に思うことがあったので、予定変更してその件を先に書きたい。

筑波山の主稜線から宝篋山に向かう登山道はアンテナ塔保守のための管理道になっている。だから、登山者はここをよく通っているし、進入禁止のガードも車両進入禁止を意味していたはずである。

ところが、一昨日(1月31日)ここを通った時、目新しい目立つ貼り紙があった。「危険 立入禁止」と書いてある。以下を読むと、

ここは宝篋山への登山道ではありません。許可なく立入りはできません。

何を言っているんだと思った。ここはアンテナができる前から登山道だったはずで、管理に必要だから道路を作ったのは後からである。登山者が通ることをどうこう言うのはおかしい。

われわれが普段何気なく通っている道でも、私道であることは少なくない。しかし、ここはわれわれの道路だから、関係ない奴は通るなという主張は認められない。歩く方だって、ここは国道・県道なのか市道なのか、私道なのかいちいち気にして歩いていない。

ところが、ここにクレジットを出している防衛省、国土交通省、茨城県、千葉県、つくば市、石岡市、東京電力パワーグリッド、日本放送協会、ソフトバンク、FM茨城は、登山者はここを通るなと言っているのである。

筑波山神社が筑波山は神域だから指定された道以外入るなというのは、主張の是非はともかく言い分は分かる。しかし、国や地方公共団体が、昔からある登山道を勝手に林道にしておいて、ここは俺達の道路だから入るなというのはどうにも納得できない。

路肩が崩れていたり倒木等があるなら、危険だから対応が済むまで通れないというのは仕方ない。しかし、宝篋山までの区間に危険個所などない。お前らは日野富子か。室町時代かと思ってしまった。

いまの世の中は権利意識、損得勘定ばかりで、公共財という考えがない。くどくど説明しないが、山とか川・湖・海といった自然物は、誰の持ち物かという以前にすべての人が利用できる公共財である。

しかし、いまの時代、地主や道路を整備した者がここは俺のものだから入るなと言うと、多くの人は仕方がないと納得しているように見える。だから、ああいう注意書きを作るのだろう。

ふと思い出したのは、私の若い頃には結婚について親や親戚が口出しする風潮があり、多くの人はそれに疑問を持たなかったことである。

特定地域の出身者に対する結婚差別は論外としても、例えば家柄とか財産の有無とか学歴とか、そんなことをいちいち言っていたのである。それで結婚できなかったという話も、実際耳にしたことがある。

それから一世代経ってどうなったか。誰も結婚しなくなって、税金を使って少子化対策をとっている。少子化の原因が結婚しないことだけにある訳ではないが、大きな原因のひとつであることは確かである。

ここは俺の道だとか登山者を圧迫することをおかしいと思わない風潮は、一世代経つと廃道の山(しゃれになってしまうが)になってしまうだろう。その時になって、たくさんの人に来てほしいと言ったって遅い。まあ、私がいなくなった後の話だが。

[Feb 2, 2024]

十数年来特に問題なく使われてきたパープルラインから宝篋山への林道が、立入禁止とデカデカと書かれてしまった。ここは宝篋山への登山道ではないということだが、だったらアンテナなど建てるなという話。


宝篋山(弁慶平) [Jan 31, 2024]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

冬のいちばん寒い時期は、筑波山の頂上はアイスバーンになる。以前、男体山直下の登山道で見事に転倒し、スネにはいまだに黒く痕が残っている。

標高800mでアイスバーンでも、標高300mなら霜柱くらいである。転ぶことはあるかもしれないが、岩の上で強打するようなことはなさそうだ。ということで、この時期は宝篋山・小町山周辺を歩くことが多い。

昨年のこの時期に歩いた時、たまたま会ったおじさんが弁慶平から登ったと言っていた。どこのことなのかよく分からなかったが、調べてみると宝篋山アンテナ群の取付道路から山道に入るらしい。

ということで、今回は弁慶平を目指して歩いてみることにした。このあたりは1時間も歩くと林道もしくはサーキット道路(!)に行き当たるので道迷いはあまり心配しなくてもいい。ただし、採石場の崖があるので、むやみに薮を突き進むのは危険である。

2024年1月31日水曜日。この日は3月下旬並みの気温という予報であったが、朝は息が白く曇るほど寒い。それでも、小町の館には霜は下りていないし、もちろんアイスバーンもない。温暖化も悪いことばかりではないと思ってしまう。

家を出たのは5時40分頃だが、7時前には小町の館に着いた。筑波山系であっても、いちばん南の宝篋山近辺と、北の加波山・雨引山ではかなり違う。もちろん高速は使っていない。駐車場に着いたのは3番目だった。

身支度を済ませ、いつもの登山口から山の神にご挨拶して入山。この日はまず東城寺まで行って、国有林内の作業道を進む。小町山ボランティアの地図に弁慶平は載っていないが、なぜかGoogleに所在地が示されている。

東城寺までいくつかの尾根や谷を越える。ときどき里に下りる道が分かれるのと、そもそも登山道がまったく地図にないので分かりづらいが、迷ったとしても1時間あれば出てこられる山域である。多くは緩いアップダウンのトラバース道である。

この道は、宝篋山方面から下ったことはあるが、小町の館から登るのは初めてである。行先案内を確認しながらゆっくり歩き、1時間ほどで東城寺の大きな本堂が見えてきた。

東城寺は平安時代に天台宗寺院として開基、鎌倉時代に小田氏の庇護を受け、真言宗に改めて今日に至る。小田氏は、宝篋山をはさんで西にある小田城を本拠とした御家人である。

本堂を越える坂の前に宝篋山方面の案内表示があり、山道に入る。この道は途中から林道と合流して、採石地の横を通る。弁慶平へは、宝篋山への道と分かれて北の沢を遡上する。

さらに分岐して鬼越山に至る道と弁慶平に向かう道に分かれるが、ともに国有林の作業道で、踏み跡ははっきりしているものの行先表示はない。さらに、作業道はいろいろな方向に通っているため、迷わないよう注意する必要がある。

だから、Googleの表示はたいへんありがたかった。1度違う尾根を登ってしまったが、スマホを見ながら修正して正しい尾根までトラバースする。

朝7時に小町の館到着。まだ息が白いほど寒いが、この日は春のような暖かい日になるという予報。


小町山登山口から東城寺方向に進むが、この地域は掲示が少ない。おそらく、国有林事務所からいろいろ言われているのだろう。


東城寺まで1時間山道を歩く。ここから宝篋山に登ることも可能である。


急な登り斜面の木々の向こうから、巨大な岩が舞台のように迫ってくる。住吉神社ルートの大岩並みに大きい。これが弁慶平だな、と思った。

大岩を巻いて脇道を登る。大岩は下から見た景色が最高に迫力があり、すぐ横で見ると刀で切ったようなまっすぐの切れ目がある。通り過ぎて上から見るとなんの変哲もない岩である。

あれ、これが弁慶平じゃないんだと思ってスマホで確認すると、あと20mほど標高の高い場所にマークがある。確かに斜面は続いており、「平」ではない。息を切らせながらさらに登る。

ようやく平らな場所に出たが、そこには伐った丸太を横にした簡素なベンチがあるだけで、WEBで見たようなベンチではない。WEBで見た「弁けい平」というひらがな交じりの地名標もない。しかし、Google様はここだとおっしゃっている。

帰ってから推測したことだが、林野庁では国有林の管理を厳正化していて、設置された人工物を撤去しているらしい。この日はアンテナ塔管理林道への作業道に、黄黒ロープと立入禁止テープ、「進入禁止」貼り紙で立ち入らないようにしていた。

1/25000図ではそれほど開けた場所のようでもないのだが、坊主山直下の松岩と似た地形で、下方に向けて眺めが開けている。木々の隙間から、採石場近くの貯水池が見えた。

ここが弁慶平だとすると、ここから登ってきたと言ったおじさんはどのルートで登ってきたのだろう。いずれにしてもこの近くに車を止める場所はないので、パープルラインの路肩か、麓の東城寺、私と同様小町の館からだった可能性が大である。

さて、弁慶平にはゆっくりする場所はないので、さらに続く斜面を登って行く。

作業道はちゃんと続いていて、アンテナ林道まで標高差100mくらいある。結構な急斜面で、倒木もかなりある。ただ、崖とかロープ場とか、切れ落ちた尾根などの危険な場所はなかった。

いくつかの作業道が左右から合流したり分岐したりするが、目的地がアンテナ林道ならば上に登る一択である。何度か上の尾根らしきものは見えるのだが、登ってみるとそこに林道はなく、さらに進む。

弁慶平から20分ちょっと。登り坂の向こう側に何も見えない。アンテナ林道に出た。林道を左に折れ、宝篋山に向かう。

東城寺から沢沿いを登る。行先表示が全くないのは承知しているが。


進行方向に立ちふさがる巨石群。このあたりが弁慶平のはずだが、WEBに掲載されていた地名標はみられない。


木を伐っただけの簡単なベンチがあるだけ。Google様によると、ここが弁慶平で間違いないのだが。


アンテナ管理林道に出て宝篋山に向かうつもりだったが、気が変わった。いい天気なのできっと登山者が大勢いるし、舗装道路を歩くのも気が進まない。弁慶平でゼリー飲料を補給したので、それほどお腹も減っていない。

それよりも、林道分岐を右に折れて、まだ行ったことのない438の独標点、アンテナ塔のあるピークに行ってみよう。気がついた時に行かないと、ずっと行かない。

ベンチ風に切り株が並んでいる分岐点を折れて、戻るように坂を登って行く。アンテナ塔まではすぐだった。フェンスで囲ってあり「関係者以外立入禁止」と書いてある。休む場所はなかった。

独標点はアンテナ左の薮の中だろうか。心なしか高くなっているようだ。とはいえ、フェンスと薮でその方向には進めない。独標点にはたいてい目印はなく、探すべきものはない。

アンテナ塔を撮影して、今日の最高地点はこれにて終了とする。来た道を引き返して分岐に戻る。小町山までは下り。30分ほどで着くはずだ。

ここで、見慣れない景色に出くわした。林道に自動車が止まっている。ここはアンテナ管理道で、入口には車両通行止の柵がある。近づいてみると「林野庁茨城森林管理署」と書いてある。

周囲を見回すと、林道から分岐する国有林管理道の出口に、黄黒のトラロープと「立入禁止 立入禁止」と印刷してある幅広テープ、立入禁止の注意書きを揃えて、係員がひとり、登山道封鎖の作業中であった。

林道を歩いている私と目が合ったが、特に何も言わず、私も話しかけずに通り過ぎた。林道の南側は国有林で、もともと作業道だったものが登山道として使われ今日に至っている。私がこの日登った弁慶平も国有林の中にある。

何ヶ所かある林道への出口で、ご丁寧に同じような封鎖をしている。最近管理が厳しくなったのかなと思ってパープルラインへの出口を見ると、目立つ印刷の注意書きが新たに貼られていた。

「進入禁止 ここは宝篋山への登山道ではありません。許可を受けずに通行することはできません」2月2日のブログに写真あり)

なんと、筑波山と同様、宝篋山も世知辛く入山禁止の道路が出てきた訳である。あっという間に気分が暗くなった。ここはアンテナができる前から登山道のはずで(でなければ独標点はない)、道路を作った者以外は使えないというのは道の趣旨に反する。

パープルラインは制限速度30km/hのところ、100km/h出す車が往来するのに歩道がないので、いわゆる「サーキット退避路」を歩くのが安全である。幸いにまだ封鎖されていなかったが、鬼越山のところに黄黒ロープと注意書きが用意されていた。

茨城県とつくば市は、筑波山には車、ロープウェイ、ケーブルカーで来い。登山者は歩くなというのだろうか。だったら稜線にちゃんと登山道を整備しろと言いたい。「みんなの足跡」によると、登山者は歩道のないパープルラインを歩いているのだ。

パープルラインがまだ有料道路だった頃、環境保護に留意します、登山者・歩行者に迷惑はかけませんと言っていたはずなのだが。みんな権利意識と損得勘定ばかりである。だんだん気が滅入ってきた。

小町山でお昼をとり、小町の館まで下りた。小町山のボランティアは熱心で、案内図やベンチなどを精力的に設置しているが、塚田陶管は寛容なのに林野庁は堅苦しい。ベンチを置く必要まではないが、歩くのは大目に見てほしいものである。

この日の行程
小町の館駐車場(50) 7:05
8:05 東城寺分岐(140) 8:10
9:05 弁慶平(340) 9:10
9:30 宝篋山438ピーク(438) 9:35
10:20 小町山(361) 10:35
11:30 小町の館駐車場(50)
[GPS測定距離 9.1km]

[Apr 4, 2024]

宝篋山には寄らず、438ピークのアンテナ塔を見て小町山に向かう。


宝篋山から小町山への林道で、黄黒ロープで封鎖中の係員と出くわした。いっぺんに、楽しい気分が吹っ飛んだ。


いまのところサーキット回避路は無事だが、鬼越山のあたりに黄黒ロープと張り紙が用意してあった。この山域も、いろいろうるさいことになるのだろうか。


足尾山・一本杉峠 [Mar 11, 2024]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

この冬は、もっぱら筑波山バリエーションルートと宝篋山周辺を歩いたが、至る所に「入山禁止」「進入禁止」の貼り紙であった。もともと登山道であった道をなぜ独占しようとするのか疑問だが、来るなと言われると別に行かなくてもいいよと思う性分である。

前に足尾山へ行ったのは4年前になる。あっという間に、月日は過ぎてしまうものである。頂上から望む壮大な光景は、いまだ記憶に新しい。おそらく筑波山系の中でも、随一ではないかと思われる。

だから次は足尾山と計画してはいたものの、2024年2月はスケジュールがなかなか合わなかった。申し込んでいたマラソン大会があり、急に天候が崩れ、とうとう3月になってしまった。

3月になると三寒四温で天気が安定しない。晴れても西高東低で強風間違いなしだったりする。3月11日の月曜日は震災何年目かになるが、ようやく風も収まりそうなので、あわただしく用意して歩くことにした。

2月は山には行けなかったが、お願いしていた鈴木敏信さんの自費出版「筑波山系の山路を辿る」の増版ができたと連絡があり、こんこんギャラリーに取りにうかがった。値段は2,200円。どう考えても、この値段は原価の半分以下であろう。

デジカメで何ページか撮って参考としてはいたものの、原本があるとなおさらありがたい。筑波山系なのでもちろん足尾山や加波山も調べてある。何しろ鈴木さんは、筑波山系に800回足を運んでいるのである。

この朝は車を出そうとすると-5℃、フロントガラスが凍ってしばらく発車できないほどだった。りんりんロード真壁休憩所の予定だったからよかったが、男の川登山口とかならアイスバーンだったかもしれない。

ひたち野うしくから学園東通りを走ったら比較的スムーズで、いつもより若干早く学園都市に入った。7時過ぎに真壁休憩所着。サイクリストのおひとりに続く2台目の到着だった。身支度をして7時25分出発。快晴無風、絶好のコンディションである。

交差点をわたり、史跡真壁城址の前を進む。真壁城址の背後には筑波山。この方向からだと女体山・男体山・坊主山の3つのピークが見える。頂上直下は白くなっているから、先週の雪が残っているらしい。

そして左側を見ると、日光連山がくっきり見える。写真に撮るとぼんやりとしか写らないが、肉眼でははっきり見える。男体山の薙が雪で縞になっているし、女峰山や白根山の上の方も真っ白だ。

この冬は雪が少ないといわれていたが、先週千葉ニューでも降った雪が残っているようだ。もう3月半ば。この分でいくと、ゴールデンウィーク前の日光は厳しいかもしれない。

そんなことを思って歩いていたのだけれど、いまから登る茨城の低山でも雪で難儀するとはこの時知る由もなかったのでした。

筑波山系のバイブルともいえる鈴木敏信さんの自費出版「筑波山系の山路を辿る」、2023年版が出ました。


快晴無風、絶好のコンディション。史跡・真壁城址の背後に筑波山の3つのピークが見える。


関東ふれあいの道標識にしたがってきのこ山に向かう。麓は全く雪の気配がないのだが。


足尾山は4年ぶりだが、きのこ山は3年前に登っている。その時はきのこ山から上曽峠、湯袋峠経由筑波高原キャンプ場まで歩いた。

下りてきた時と登った時の1年の間にふれあいの道関連の標識は格段に整備され、迷うところはなくなっていた。今回も、3年前よりさらに標識が増えていた。

道に迷うところはまったくないのだが、なぜかなかなか着かない。そろそろと思っていたら、まだつぼろ台の分岐だった。実は記憶違いで、きのこ山まで1時間半で登ったと思っていたが、帰ってから調べるとつぼろ台まで1時間半だったのだ。

きのこ山まで、真壁から休憩なしで9時10分到着。所要時間は1時間40分である。マラソンばかりで山登りしてなかったからかなあ、ちゃんと鍛えないといけないと思ったのだけれど、実は前回より若干早かったのである。

なかなか着かないのと合わせて気になったのは、斜面に雪が残っていることであった。前の週に千葉ニュータウンでも積雪があったけれど、その日のうちに融けてしまった。

だから、暑くなる心配はしていたけれど、雪道の心配はしていなかった。チェーンアイゼンも持ってきていない。というよりも、この時点でも登山道に雪が積もっていたらどうしようとは思っていなかったのである。

朝ご飯は4時台だったので、早めのお昼休憩にする。用意したのはコモパンのチョコレートとカロリーメイト、テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れる。かなり寒かったのでコーヒーがあたたかくておいしかった。

東屋で休んでいると、筑波方面から歩いてきた単独行の人が、写真を撮ってすぐに足尾山方面に向かっていった。バックパックが私のマラソン用と同じ大きさなので、おそらく水と非常食くらいしか入れていないのだろう。

筑波山に朝登ってここまで来て、加波山・燕山・雨引山を経て岩瀬まで縦走するのかもしれない。だとしたら、ここで休んでいる訳にもいかないだろう。結構なロングコースだが、ここを歩いているとよくそういう人達と会う(この後も会うのだった)。

きのこ山から足尾山までは林道歩き。だから気軽に考えていたのだが、なんと車の轍の二本線以外は雪が道を覆っていた。歩く場所が限られることに加え、この日の好天でパラグライダーの送迎車が行き来するので、そのたびに道端で待機しなくてはならない。

鈴木さんの本にNASAとあるので何だろうと思っていたのだが、送迎車の車体にそう書いてあった。ハング/パラグライダー離陸場の運営会社なのであった。(アメリカ航空宇宙局とは無関係かと思ったら、そもそもハンググライダーの開発者はNASAだったらしい)

足尾山に近づくと、稜線の両側でみんなが機体を組み立てていた。この日はハンググライダーの会だったようで、車の上に積んできた骨組みを組み立てて、合成樹脂製の翼をかぶせて準備していた。

離陸場を過ぎるとすぐ、足尾神社の参道入口である。ここで林道と分かれ、簡易コンクリの急坂を登る。幸い、路面にそれほど雪は付いていなかった。スイッチバックして坂を登りつめると、足尾神社の鳥居が見えてくる。

境内は2、3cm雪が積もっている。本殿前に進み、二礼二拍手一礼で拝礼する。4年前は深く考えなかったが、この歳になると足腰が丈夫でいられますようにお願いしなければと思う。

社務所の前の案内をみると、宮司の方は八郷側の柿岡にお住まいのようだ。足尾山のもともとの名前である「葦穂」も八郷の地名なので、本来この山は八郷側から登るものであるらしい。ただし車でとなると、どうしても真壁からが便がいい。

きのこ山への道は意外ときつかった。そろそろかと思ったらまだつぼろ台だった。手すり柵が現われるがまだずいぶん先。


休むところもないので、がんばってきのこ山の東屋まで休憩なしで到着。尾根には雪が。


足尾山に向かう林道は雪が固まっていた。ハンググライダーを用意する人達の横を抜け足尾神社へ。


本殿の左奥から、かなり斜めった石段を登る。少なくとも昭和はじめだから百年近く前、もしかして明治に作られたとすると百五十年前ということになる。昔のものにありがちだが、段が小さくて急である。四、五世代前は足が小さかったのだ。

3ヶ所ほどの踊り場を越えると、広くなった足尾山頂である。石組みを整えたのは近年で、ちょうど正方形に石材が積み上げられている。意外にも声がする。まだ10時半、どちらのルートから来たのだろうか。

奥宮まで上がってまず拝礼。晴れわたり風もなく、周囲は四方向とも眺めが開けている。麓でも見えていた日光連山がくっきり見える。左手に彼方の山々が連なっている。

「八ヶ岳、あれは北アルプスかな。いい景色ですね」先客は女性で、私よりずいぶん若い。岩瀬から登って筑波山まで縦走するんだそうだ。岩瀬からだとこの時間には、早いパーティーでも燕山の東屋だから、ずいぶんハイペースである。

「こんなに雪だとは思わなかったので、チェーンアイゼン持って来ませんでした。加波山あたりはたいへんだったです」足尾山は627mだが、加波山は708m、燕山は702mとさらに標高が高い。傾斜も急なので、積もればさらに滑りやすいだろう。

先客がここでお昼休憩にする気配だったので、早めに休憩を切り上げる。この日は一本杉峠まで通ったことがある道だが、その先は初見である。

足尾山からの下りは北側斜面で急傾斜、いきなり積雪である。私もチェーンアイゼンは持ってきていない。いないどころか、暑くなる方を心配していたのである。滑り落ちないよう慎重にステップを切る。なんとか林道まで下りた。

林道の先に東屋があって、記憶ではその横の登山道を下ると近道なのだが、雪道は危ないしかえって時間がかかる。轍の跡だけでも雪のない林道を進む方が安全である。緩いカーブを下る。

方向転換すると、木々の向こうに丸山の風力発電施設と加波山が見えてきた。プロペラは一つだけゆっくり回り、もうひとつはまったく動いていなかった。そのくらい風のない日だった。

坂を下り切ると一本杉峠。石組みの上にベンチが見えるが、そこまでは登らない。きちんとした舗装道路はここまで来た足尾山からの道とこの先丸山へ向かう道で、交差している八郷方面への道と真壁町白井への道は砂利道で心細い。

心細いどころか、「この先車両通行不能」「路肩崩壊」と恐ろしげなことが書いてある。車両通行禁止ではなく通行不能である。さすがに登山道として使えないことはないだろうと思うが、どうなんだろう。

11時半まで立ったまま小休止して、車両通行不能の道に入る。

足尾山頂からは、日光連山、富士山、八ヶ岳を望むことができた。


足尾山からの下りは北側斜面のため、雪が残っている。急傾斜でもあり難儀した。


林道まで下りてひと安心。樹間から加波山、丸山を見て下って行く。


一本杉峠から真壁町白井に至る道は、電子国土で黄色マーカーが引かれている。凡例によると県道・主要地方道を意味していて、きのこ山から丸山に至るパラグライダー林道より高規格のはずである。

もちろん、県道が砂利道であっていけない訳ではないが、路面が平らなのは一本杉峠からわずかの間だけで、いつしか沢と道の区別がつかなくなる。

茨城県の常で、こうした道には必ずタイヤ痕がある。地図に載っていない山道でもあるくらいだから、1/25000図に載っている道なので当然ある。ただし、路面の凹凸は激しいし段差も半端ないから、2本見えるけれどバイクのタイヤ痕である。

ともあれ、タイヤ痕を追っていけば麓まで通じているはずである。そして、一本杉峠では一車線の砂利道だったはずが、道幅が狭くなり、路面にも尖った大きな岩が点在するようになる。右左を流れる沢と道との境い目も、だんだんあやふやになっていく。

そしてとうとう、道だったはずの場所に沢が流れていて、タイヤ痕はそこをさけて細い道に入っていく。登山道ともいえないような道幅であり、かつ斜めっているからよくバイクが入れたものだ。

よく見ると、道の両側には石積みの人工的な護岸があるのだけれど、かなり以前から管理を放棄されているようで、崩れた場所や陥没した場所が次々と出てくる。一度など、タイヤ痕が橋もない沢を渡って対岸に続いていた。

(後から調べたところ、この道は県道218号という有名な「険道」だそうだ。)

一時間ほど歩いただろうか。道は左右に分岐する。ここまでも分岐はあったのだが、入ってみると沢にぶつかったり森に入るのであきらめた。このはっきりした分岐が、雨引方面と白井方面と分かれる地点であったようだ。

ここを白井方向に進むと、ここまで心細い登山道だったものがにわかに道幅が広くなり路面も平らになり、やがて採石場が現われる。このあたりからようやく、軽トラぐらいなら入れる道路になった。

ただ、「車両通行不能」の麓側の表示は真壁町白井の人家に入ってからあったから、採石関係者以外に車は入らない道なのだろう。水神や馬頭尊の大きな石碑の横を通ったので、かつては足尾山に向かう人々が通った道のはずである。

民家に出てからがかえって長くて、りんりんロードを経由して真壁休憩所に戻るまで、一本杉峠から2時間以上かかった。この日歩いた距離はGPSによると15.7kmで、筑波近郊にしては長距離であった。

久しぶりにウェルネスパークに立ち寄って汗を流す。なぜかこの日はお年寄りが多く、浴室に二十人以上いただろう。そういう私も、立派なじいさんなのだが。

この日の経過
りんりんロード真壁休憩所(40) 7:30
9:10 きのこ山(527) 9:30
10:30 足尾山(627) 10:35
11:25 一本杉峠(429) 11:30
13:45 真壁休憩所(40)
[GPS測定距離 15.7km]

[May 2, 2024]

一本杉峠から西側に下りる道には「車両通行不能」の表示がある。けれども茨城県の常で、タイヤ痕が続いている。


十分も歩くと、道路か沢か分からない光景にぶつかる。オートバイはともかく、四輪車は無理。


タイヤ痕を追いかけるが、道幅が究極に狭くなったり沢を渡渉することもある。これで地理院地図の黄色(県道)である。


吾国山・館岸山 [Apr 13, 2024]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

この日の行程
JR福原駅(60) 7:15
9:05 吾国山(518) 9:25
10:05 道祖神峠(310) 10:05
11:05 長沢三角点(373) 11:10
11:40 伐採中斜面(305) 12:00
12:40 383三角点付近(383) 12:45
13:30 館岸山 (256) 13:35
14:15 西寺集落(51) 14:15
15:15 JR岩間駅(50)
[GPS測定距離 17.8km]

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