市界尾根 元清澄山 嵯峨山
関豊愛宕山・木之根峠 [Dec 30, 2015]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
塔ノ岳を登るのに大分と苦労したので、もう一度標高差のあるところに挑戦しようと思っているうちに年末となってしまった。冬から春にかけては房総の山歩きである。
房総の山は標高はないものの、結構アップダウンがあって歩くときつい。丹沢・奥多摩のように登山道が整備されていないので、道標もあまりないし踏み跡も微かである。地図に載っていない道もあるし、短時間で距離を歩いてしまうし、他の登山客と会うこともまれなので、迷うと大変である。
それに、標高1000mでも標高200mでも、30~40mの崖があると危ないのは同じである。標高がないといっても油断大敵なのである。今回も、それを思い知らされることになったのだが、ともかくも2015年も押し詰まった12月30日、天気は上々で風もほとんどない山日和の一日であった。
今回目指したのは関豊(せきとよ)愛宕山。房総には愛宕山がいくつかあり、こちらは関豊にあるのでその名前で呼ばれている。なぜこの地域を選んだかというと、2015年12月に松丘トンネルのモルタル剥落事故があり、久留里・亀山方面は避けた方がよさそうだったからである。それに、あちらの方面には、松丘トンネル以外にもモルタル吹付の簡易補強トンネルが山ほどある。
関豊は、もともと国鉄バスの駅があったところで、付近の集落である「関」と「豊岡」からとったものと思われる。房総では国鉄バスの駅は列車と同様に規模が大きく、昔、国鉄時代にはホームのある駅もあったということである。「関豊」駅のあった付近はいまは戸面原(とづらはら)ダムがあり、富津市民の森となっている。
この日の計画は、戸面原ダム近くの市民の森駐車場をスタートして関豊愛宕山に登り、峰続きに西に進んで三角点の地蔵峰、そこから豊岡林道を引越集落まで南下し、東に折れて大山林道から木之根峠を経由し戸面原ダムに戻るというルートであった(参考:ハイキング社「房総のやまあるき」木之根峠から関豊愛宕山)。
いつものように館山道を走り、富津中央で下りて戸面原ダムを目指す。この時間、高速を下りると真正面からお日様が目に入ってまぶしいので、サングラスを着けるのが定番である。ほぼ1年振りの房総だが、ちゃんと覚えていた。7時45分頃に市民の森駐車場に着く。車は私の1台のみ。身支度をして7時55分に歩き始めた。
「パノラマ広場」の案内表示のある林道を登って行く。舗装道路だが、かなりの傾斜がある。道端に電柱が続いているのは、上に電気を使う施設があるということである。ちょっとばかり息が切れるが、それでも30分も登ると訶具土智(かぐつち)神社前の石段に到着した。本殿の隣には遊具がいくつか見える。山頂が公園になっているのだ。
年末でもあり、この日の山歩きの無事をお願いして二礼二柏手一礼。いずれにしても、こうして一年つつがなく暮らして、のんびり山歩きを楽しめるのはありがたいことである。本殿を一周して山頂表示がないかどうか調べてみたけれど、見当たらなかった。その代わりに、西側に景色が開けていて、遠く東京湾、横浜あたりまで一望できる。
低空には雲がかかっていて富士山こそ見えなかったが、間近に見える房総の山々はくっきりと見える。間近に見えるピークはこれから行く地蔵峰だろう。その向こう側の稜線は一昨年行った房総アルプスか。さらに3つ4つと稜線が重なり、一番向こうに山頂だけが三角に突き出ているのが鋸山である。鋸山がこういうふうに見えるのはこちら側からだけである。
ちなみにこの日回ったのは、西を房総アルプス、東を石射太郎から高宕山、南を津森山・人骨山にちょうどコップのように囲まれた山域で、それぞれの方向にいつか登った山が見えたのは楽しかった。
文字通りパノラマ広場で大パノラマを楽しんだ後に林道に戻る。ここから先の林道は砂利道になるが、道は一本で間違いようがない。しばらく下って少し登ると、林道の突き当りになった。このあたりが地蔵峰のはずである。見回したところ、ピークらしいのは進行方向右手の藪の上だけである。
傾斜のなだらかなところを探して斜面を登って行くと、ちょうどピクニックシートを敷けるくらいのピークとなっていた。三角点があるので、ここが地蔵峰のピークには違いない。しかしながら、ほとんど林道に削られてしまい、わずか7~8mの高さになってしまっているのは、なんだかかわいそうだった。山頂に置かれていた石仏は、お地蔵さまではなく大日如来と観音さまだった。
関豊愛宕山の山頂は、富津市民の森パノラマ公園になっています。建物は訶具土智(かぐつち)神社。
関豊愛宕山の頂上(パノラマ広場)からは、西の方向が開けています。山頂だけ見えているのが鋸山。その前には三重四重に稜線が重なっている。
コーンの向こう側が地蔵峰頂上。踏み跡をたどって斜面を登ると、なんと三角点があるのでした。
地蔵峰の三角点を確認して、豊岡林道に入ったのは9時過ぎ。まだ1時間しか歩いていないとはいえ、山道といえるのは地蔵峰の登り下り5分ほどだけである。
しかし、豊岡林道入り口には三角コーンが置いてあって「土砂崩れにより通行止め」と書いてある。WEB情報では北と南からそれぞれ工事をしていて、開通したのはつい2、3年前ということだったはず。ということは、開通して早々にまた通行止めということだろうか。いずれにしても、歩行者は大丈夫だろう(歩行者もダメだと、トラロープとかチェーンで道がふさがれる)。
それにしても、房総には林道が多い。「林道XX線」で検索すると結構ヒットすることが多く、オフロードバイク愛好者の間では好まれているようだ(この日も大山林道で二人組と会った)。そして、きちんと舗装され維持されている林道もあるけれども、荒廃し自然に還りつつあるものもある。以前、八良塚から戻るときに通った道もそうだし、安房高山から請雨山の間もそうだ。
豊岡林道を入ってしばらくは、以前から開通していた部分である。ときどき西側の景色が開けて、房州アルプスを間近に望むことができる。一番北側のピークが志駒愛宕山で、この日訪れた関豊愛宕山から直線距離で3kmほどしか離れていないだろう。尾根が違うので歩くと半日以上かかるだろうが。
路面は砂利道だったり簡易舗装だったりするけれども、基本的に四輪車が通ることを想定して作っているようで、要所要所にはガードレールも整備されている。そして、結構な起伏がある。歩いていてきついなと思って後ろを振り向くと、結構な登り坂だったりする。
20分くらい歩くと、高さ20mくらいはありそうな岩盤を切通しにして通している場所がある。このあたりから難工事でなかなか開通しなかったところかもしれない。ここの切通しの土止めは細かいネットのようなものでしてあるのだが、そのすぐ後から、数百m、あるいは1km近くの距離続いているモルタル補強の場所が現れた。
左はコンクリ、右もコンクリ、下も簡易舗装のコンクリである。思わず、「モルタル通り」という言葉が頭に浮かんだ。山の中をこんなふうにセメントで真っ白にしてまで、道路を通す意味がどこにあるのだろうか。ちなみに、林道のこの部分には人家はいっさいない。材木を運搬するような植林された地域もない。ここを通らなくても、遠回りすれば何の問題もなさそうである。
過去、林業が盛んな時代に作られたのなら分かる。奥に人が住んでいるのであれば多少の困難は克服して道路を通す意味がある。しかし、これはいただけない。なにしろ、ここを通したのはせいぜい5年前。50年前ではないのだ。もとのまま残しておいてくれればいいハイキングコースになったかもしれないのに、モルタル通りとなってしまってはわざわざ見に来る人はいない。
ではモルタル通りにしなかったらどうなるかというと、下の写真のような土砂崩れ現場となる。第一の現場では、高さ十数mにわたり表層の土砂が流れてしまっている。房総の山奥の土砂はこうした砂っぽい水気を含むと崩れやすい地盤が多い(こことかここ)。思うに、有史以来何回も噴火している富士山の火山灰の影響ではないだろうか。
なんてことを思いながら1時間ほど歩いていると、林道の右側に広い場所が現れた。平らになっていて腰を下ろすのに具合よく芝や下草が生え、その上にお日様がさんさんと降り注いで暖かそうだ。おそらく、工事の際に資材置き場か何かに使われた場所と思われた。ちょうどいい頃合いなのでここでお昼にする(結果的には、この後に昼食適地は出てこなかった)。
EPIガスでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲み、アルファ米とフリーズドライのビーフシチューで洋風おじやを作る。困ったのは途中でガスがなくなってしまい、いまひとつ加熱ができなかったことである。それでも、ほとんど風がないぽかぽか陽気で食べる暖かなお昼ごはんは、2015年を締めくくるハッピーな時間でした。
通行止めなので当り前かもしれないが、昼食休憩の1時間の間、前を通る人は誰もいなかったのも、静かで何よりのことであった。
通行止めの豊岡林道には、両側をコンクリで固めた「モルタル通り」が数百m続きます。
土砂くずれその1。砂含みのもろい地盤が、十数mにわたり地崩れ。しかしわずかな隙間をオートバイ?が走っているようです。
土砂崩れその2。土砂の下にも石垣は続いています。斜面は20mくらいの高さで、ヘアピンカーブで下りてくるとこれ。このままひと夏越したようです。
お昼を食べて出発は11時。木之根峠まで1時間、駐車場に戻るまで1時間とすると午後1時には駐車場に着いてしまうなあと考えながら歩いていたのだが、もちろんそんなことはなかったのである。
休憩場所のすぐ下が十字路になっていてここまでが豊岡林道。左右が舗装道路で直進が登山道。ここは左(東)に折れるのが正解。まっすぐ進むと山の中を進んで長狭街道まで行ってしまう。点々と農地や廃屋(だと思う)が続く中を東に進路を取る。東に進めば戸面原・金束間を結ぶ県道に突き当たるはずなのだが、なかなか出てこない。
そればかりか、1/25000図にも電子国土にも載っていない道が出てくるので、迷いに迷った。最後の方では、南や東に行かなければ少々の遠回りでもいいやと思って歩いた。帰ってからGPSをカシミールに落としてみると、そもそも林道出口が500mほど1/25000図より東で、県道に出た道も1/25000図に出ていなかった。結局、県道に出るまで1時間近くかかってしまった。
県道に出てからは、南下して郡界尾根を越え鴨川市に入る。すぐに大山林道の分岐が出てくるのでそこを左へ。しばらく舗装道路が続いたが、ここからは久しぶりの砂利道である。それほどの傾斜ではないが登り坂である。ところどころに「携帯通話ポイント」の表示があるが、房総の山で携帯が圏外になる場所はほとんどない。
大山林道に入って10分ほど歩くと、峠のような地形になった。ここから先は道は下っているので、峠というからにはこのあたりである。踏み跡をみつけて藪の中に入る。「房総の山歩き」には有志が下草を刈って行先表示も設置したと書かれているが、探したけれど見つからない。よく見ると藪の中に倒れた石碑がいくつかあるので、落ち葉を踏んで上に向かってみる。
尾根を外さないように高い方へ登って行くと、次第に踏み跡がはっきりしてきて、小高いピークの上に自然石を削った石碑が見えてきた。「嶽神」と彫ってあり、おそらく山の神を祀っているのだろう。傍らには小さな石仏の観音様もある。ここが御所覧場で、昔、里見の殿様が振り返って安房の景色を望んだ場所ということである。いまは木々が茂って展望は開けない。
さて、木之根峠はこの先なのだが、行先表示もなければ赤テープも見当たらない。唯一手がかりとなるのは頭を赤く塗った杭で、おそらく市町村の境界を示すものと思われた。コピーをとってきた「房総の山歩き」には、「自然林の尾根を少し行き、道は尾根の西側山腹をたどるようになる」と書いてあるのだが、少しというのはどの程度なのだろう。
とりあえず分岐を気にしながら尾根を進む。市町村界の杭を目印にするが、結構きつい斜面である。踏み跡もほとんどない。確かに木の根を踏みながら登るので「木之根峠」という名前となったのは分かるし、少なくとも市町村界の杭を打った人は来ているのだろうけれども、本当にこの道でいいのだろうか。でも、他にそれらしき分岐もないのである。
とうとう尾根道は、左が崖というとんでもない場所にさしかかる。見た目20mくらいは垂直に切り立っている。足を滑らせたら、ケガで済むかどうか微妙なところである。そして、足もとの木の根の間から中空が見える。どうやらオーバーハングしているようだ。
余人はともかく、体重約100kgの私が乗って木の根が折れないという保証はない。計画を断念し木之根峠はあきらめることにした。こんな危ない場所が本当に官道だったのか首をひねりながら登ってきた尾根を戻る。あるいは、ここの道はもともとヤセ尾根であったものが、大雨か何かで地崩れを起こしてしまったのかもしれない。
1/25000図をみると、大山林道の途中から戸面原ダム方面に向かう道がある。ここをたどって行けば時間はかかるかもしれないが駐車場に戻れそうである。再び「嶽神」の前を通って大山林道に戻り、来たのとは逆方向に進む。金束方面へ下る道と分岐すると、あとはほとんど一本道である。20分ほど歩くと再び分岐となるが、北方向「松節林道」という表示がある方に進む。
ここから先、5分おきくらいに農家が現れる長い道を右に行ったり左に行ったりしながら歩く。今年は暖かいせいか、ところどころで紅葉が色あざやかだった。結局誰とすれ違うこともなく歩いて、2時過ぎに駐車場に着いた。撤退地点から1時間10分で戻れたので、あまり時間的なロスはなかったようである。
家に帰ってからGPSデータをカシミールに落としてみたところ、撤退地点までは市町村界を忠実にたどっていて、行き着いた場所は1/25000図上では林道が通っているはずのところなのである。ちなみに木之根峠はその先の鞍部で、市町村界をそのまま進み標高差で40mほど下っているように見える。
いずれにしてもあそこを通るのは中高年単独行の私には難易度が高すぎるし、1日ほとんど誰とも会わなかったことを考えるともしもの時が心配である。機会があれば逆方向からチャレンジしてみる手はあるかもしれないが、今回はこれで仕方なかっただろうといまのところは考えている。
この日の経過
富津市民の森駐車場 7:55
8:25 関豊愛宕山 8:40
8:55 地蔵峰 9:00
10:05 林道資材置場跡 11:00
12:20 御所覧場 12:20
12:45 木之根峠下? 12:50
13:10 大山林道 13:10
14:05 駐車場
(GPS測定距離 15.0km)
[Jan 25, 2016]
大山林道の最高点にあたる部分から、踏み跡をたどって尾根を登ったところが御所覧場。「嶽神」の碑と石仏、石臼のようなものが置かれています。
木之根峠は本当にこの道なのだろうか。私にはちょっと無理です。
木之根峠越えは断念、松節林道をぐるっと回って戸面原ダムに戻る。暖冬のためか、まだ紅葉がとてもきれい。
鹿野山 [Feb 6, 2016]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
冬の間は、引き続き房総である。2016年1月はあまり天気に恵まれなくて、週末になると天気が崩れて首都圏でも雪が積もったりした。そうこうしているうちに2月に入り、第1週の土曜日は風もなく暖かになりそうな予報だったので、今年初の山歩きに向かうことにした。
そして、今回はもう一つミッションがあった。近々予定しているお遍路歩きに備えて、これまでは登山靴やトレーニングシューズで歩いていたのだけれど、奮発してウォーキングシューズを新調したのである。私の足ではあまりサイズがなくて、八重洲のミズノで唯一履きやすかったLD40ⅢαSW、19,000円+税を買ったのであるが、その足慣らしをしなければならない。
房総の山は登山道を歩くより林道を歩く方が多く、ほとんどが舗装道路だったりするのでお遍路歩きとよく似ている。だから靴の足慣らしだけでなく、体のウォーミングアップにもちょうどよさそうに思えたのであった。
さて、房総の山々で景色の開けたところに行くと、北の方角に横に広い鹿野山を望むことができる。左(西)にマザー牧場のある鬼泪山(きなださん)が続くのでわかりやすい。ただ、頂上にある神野寺(じんやじ)まで車道が通じているので、山登りという感じではない。それでこれまで歩いたことはなかったのだが、今回はここを選ぶことにした。テキストはいつもの「房総のやまあるき」中、「鹿野山古道めぐり」である。
例によって館山道を下る。本当は君津ICが近いのだが、節約のため姉崎袖ヶ浦ICで下りて県道を走り、「マザー牧場→」の行先案内に沿って細い道に入る。そういえば昔、子供の小さい頃マザー牧場に来たことがあるが、当時はまだ館山道が通じていなかった。海側からの登り坂も道幅が狭くて、すれ違い困難だったことを思い出した。
8時過ぎに、駐車場のある九十九谷公園に到着。駐車場も広く、トイレも新しい。前方は九十九谷が広がる。遠くの山から鹿野山が見えるということは、鹿野山からも多くの峰々が望めるということであり、山が見えれば谷も見える。ここ九十九谷公園からは、名前のとおり多くの谷を望む絶景であるが、残念ながら景色の中央はゴルフ場である。
身支度をして8時15分に出発。まずは公園から道路を隔てて反対側の白鳥神社にご挨拶。鹿野山は白鳥峰、熊野峰、春日峰の総称で、白鳥神社は白鳥峰にある。熊野峰は20分ほど歩いた神野寺付近、春日峰はさらに20分歩いて国土地理院観測所内にある。合わせて徒歩40分の広大な山頂なので、遠くからもよく見えるのであった。
白鳥神社に登る階段の途中がゴルフ場の通路になっており、ときどき放送が入って打っていいとか言っているのは、コースがドッグレッグになっているのだろうか。天気がいいので朝からお客さんが入っているようだ。私も20年くらい前まではずいぶん熱心にやったものだが、今思うとその時間と費用は節約できたのかもしれない。まだ若かったので仕方ない。
白鳥神社に参拝した後は神野寺まで歩く。いったん下ってまた登る。人家がけっこうあるのは、昔、門前町として栄えた名残りか。20分ほどで神野寺に到着。ここは私達の世代には虎騒動のイメージが非常に強いのだが、いまはひと気もなく閑散としている。
神野寺からさらに20分ほど歩く。道はどんどん下っているのでちょっと心配になるが、やがてまた平らになる。脇道に入って、国土地理院観測所までは登り坂。途中にゲートがあって閉鎖されており、「立入禁止」「監視しています」などと脅かされるが、ゲート脇に踏み跡がある。ここの三角点は日本の測量史上で最も古く指定された一等三角点なのだ。
はじめは観測所前にあるのがそれかと思ったがこれは水準点で、三角点は観測所の裏にある。東京湾まで一望できる地点にあり、ここを目印にすればかなり遠くからでも視認できるだろう。この日はやや靄がかかって東京湾観音くらいまでしか見えなかったが、空気が澄んでいれば湾岸や横浜はもちろん、丹沢や富士山まで見えるに違いない。
九十九谷公園から20分ほど歩くと神野寺。私達の世代には、虎騒動(1984年)のイメージが強い。
国土地理院観測所の裏にある一等三角点。入口に「立入禁止 監視しています」と書いてあるのでちょっとびびる。
三角点からの展望をしばし楽しんだ後、観測所を後にする。5分ほど歩くと鳥居岬の案内板があり、どうやらそこから古道に入るようだ。説明版の裏は広大な空き地となっている。ここには以前、国民宿舎鹿野山センターがあったらしい。
解体工事が平成14年に行われているので、おそらく東京湾横断道路(平成9年開通)の時にはまだ営業していたのだろう。房総のかなりの地域で横断道路特需が期待されていたのだけれど、そんなものはほとんどなかった。フラミンゴで有名だった行川アイランドも客足は回復せず、平成12年に閉鎖されている(もう15年も経ってしまった)。
さて、鳥居岬は「岬」と名付けられているように、江戸時代には遠く東京湾を望む高台にあったらしい。説明板には当時の浮世絵が載せられていて、東京湾を行き来する舟と景色を楽しむ旅人、建てられている鳥居が描かれている。
ところが10分ほど歩いて着いた鳥居岬の周囲は林と藪に囲まれていて、このような風景は全く見ることができない。残念なことである。往時のよすがとなるのは杉の巨木であるが、その根元には古い石碑が寂しく建てられている。鹿野山はそのまま書かれているのに神野寺が「神埜寺」と古い字体となっていて、寛政2年(1790年)のものらしい。
この石碑、昔(2006年)の写真を見ると真ん中あたりから真っ二つに折れていたものを、地元有志が修理したものらしい。碑の後ろ側に、修理した日時と名前が書いてある。よく見るとガーゼや石膏などの修復材が見えるし、ところどころ字が薄くなっている。石碑自体もろい素材でできているようなので、仕方のないことなのかもしれない。
鳥居岬から南に方向を変えて古道は続く。刈り払いは定期的に行われているようで、背の高い雑草はほとんどない。5分ほど歩くと、いきなり山の中に巨大な直方体のタンクが現れるのでちょっと驚く。そのタンクの脇から見える東京湾への景色はなかなかであるが、人工物の間から見ているというのが寂しいところである。
何のタンクだろうと考えていたら、その次に大きな施設が出てきて駐車場には車が何台か止まっている。「サンライフ鹿野山」というらしい(WEBをみると、いわくつきの施設である)。すでに倒産しているらしいが、車があるところをみると何かの用途には使っているのだろう。この施設から先は、舗装道路と並行して古道が続いているので、歩きやすい舗装道路に移動した。
このあたり、住民の姿がほとんど見えないのに舗装道路が縦横に通っている。別荘地として開発されたもののようで、確かにはるか東京湾を望む景色はすばらしい。そして、上下水道や電気も通じているようだが、神野寺周辺やマザー牧場あたりまで行かないと人家や商店がない。学校や役場ももちろんない。これも、横断道路特需をあてにしたバブル案件だったのだろうか。
さて、次の目標となるのは「房総のやまあるき」で言うところの彫刻家の家である。彫刻家の家から、「舗装路は右におりるが、それを行き、左手一軒家先を左に入り石段を下りるとトンネルに出、前方に古道入口がある」というのだが(w)、そもそも道路はあるけれど人家は見えない。方向は合っているから大丈夫だろうと歩いていたら、道から引っ込んだところに倉庫のような建物があった。
「家の前にオブジェがある」と書いてあるので、ログハウスを予想していたのだけれど、実際には工務店か倉庫のような建物であった。言われてみると、工房のようでもある。ただし、芸術性よりも実用性を重視しているようだ。廃墟と書かれているし実際にはツタに覆われているけれども、エントランスの周辺はきれいにしているので人手は入っているように思われた。
さて、彫刻家の家から指示どおり歩いてトンネル入口まで来た。このあたり「房総のみち」にもなっているようで、マザー牧場から石射太郎山に至るルートと道案内がある。そして、トンネルの前にピンクテープが貼ってあるのだが、その奥は「房総のやまあるき」に書いてあるヤブ気味というのではなくまさにヤブで、どこが古道なのか判然としない。
ちょっと奥に入ってみたのだが本当にヤブだし、起伏はあるし、歩いて楽しそうな場所ではない。前回も「房総のやまあるき」の指示どおりに歩いていたら危ない場所に行ってしまったので、ここは自重するべきだろうと思われた。
ではどうするか。駐車してある九十九谷公園に戻らなければならないが、方向的にはトンネルの向こう側である。ただし、1/25000図をみると等高線に沿って大きく南北に迂回しているので、距離的には相当遠回りとなりそうなのと、今回の目的地である田倉集落は通らない。かといって、来た道を戻るのは芸がない。しばらく考えた結果、トンネルの先に進むことにした。
鳥居岬は浮世絵の題材となった名所。説明書きの新しい看板の脇から田舎道に入る。
鳥居岬の周りは林と藪になってしまい、今日では江戸時代のような展望は望めません。「鹿野山」碑だけが残る。
彫刻家の家から下りたトンネルを抜けると、そこには「通行止め」のゲートが。しかし経験からいって千葉県の林道の半分は通行止めになっているけれども、車はともかく人が通るのに問題はない。実際にこの通行止め林道はほとんど問題はなく、誰と会うこともなく、南斜面のぽかぽか陽気で最高のお散歩日和となったのでありました。
しばらくすると鹿野山頂上の電波塔が見え、かなり標高が下がっているなあと思う。そしてこの林道、地図のとおりに谷を巻いて大きく迂回していて、距離はたっぷりある。その代わりに起伏はほとんどないので、私の好きなパターンであった。
1/25000図によると、この林道の途中に田倉集落に下りる登山道があるらしいので道路の右側を注意して歩いていたのだけれど、右側にはずっと「路肩注意」と書いてあり、谷に落ち込んでいるか急斜面かどちらかで、道らしいものは見当たらなかった。ただ、石射太郎への道案内はずっと続いていたので、方向的にはここを進めば、どこかで鹿野山に登る道にぶつかるはずである。
そのはずなのだが、4、50分も歩いていると、とうとう向こう側のトンネルまで行き着いてしまった。トンネルの名前はそのものずばり「鹿野山トンネル」である。ここまで来たら仕方がない。いったん次の谷まで下りて登り返せば、当初の目的地である田倉集落に着くだろう。あと1時間くらいかかりそうだがそれでもいいやと思っていたら、トンネルを出たところに右に入る道がある。
そこには「鹿野山、ゴルフ場近道」と立札があり、ご丁寧にガードレールにもそう書いてある。探している間は見つからないのに、探さないとあっさり見つかるというのは妙なものである。再び舗装道路から山道に入る。今度は正真正銘の登山道である。木の根や手ごろな枝を手掛かりに急こう配を登る。本日初めての山登りである。
トンネルの高さくらい登ったかなと思えた頃、右に方向転換。さらに急こう配を登る。左が切り立った崖になり、トラロープを引いてある部分をクリアすると、やや太くなった登山道に出た。田倉集落から鹿野山への古道「田倉みち」である。「房総のやまあるき」では田倉集落に出てこの道をたどることになっており、ここでようやく、モデルルートに戻ったことになる。
鹿野山トンネル付近の標高は200m、鹿野山が350mだから、標高差で150mほど登る。それほどきつくはなかったが、それでも本日初めての登りで、息が上がった。
意外だったのはしばらく登ったところから、登山道の脇にU字溝(排水溝)が切られていたことであった。ところどころ壊れていて、U字溝の中にも土砂や落ち葉が堆積して使える状態ではなかったものの、登山道の脇にU字溝がつづいているのは妙なものであった。40分ほど登ると上からひとの話し声が聞こえるようになって、ゴルフコースの脇になった。
そこからコースの周囲をぐるっと周回して、熊野峰にある鹿野山ビューホテルの取り付き道路で舗装道路に出る。左に進むと神野寺の前で朝通った県道に出た。さらに20分ほど歩いてちょうど正午頃に九十九谷公園に戻った。4時間弱の山歩きで、早朝と違って自転車軍団が大勢休んでいてにぎやかだった。
さて、もう一つのミッションであるウォーキングシューズの足慣らしであるが、こちらは足にも靴にも全く問題はなく、来る遍路歩きに強力な武器を手に入れることができたのであった。一方で予想外だったのは、翌日になって花粉症の発作が出てしまったことである。気候の温暖な房総なので、そろそろ杉も活動を始めたのであろう。難儀なことである。
この日の経過
九十九谷公園駐車場 8:15
8:50 観測所(三角点) 9:00
9:15 鳥居岬 9:20
9:55 トンネル入口 10:00
10:55 鹿野山トンネル 11:00
11:35 鹿野山ビューホテル 11:35
11:50 九十九谷公園(GPS測定距離 10.2km)
[Feb 26, 2016]
車両通行止めの林道は人通りもなく暖かくて最高でした。鹿野山頂上の電波塔が見える。
鹿野山トンネルの先から田倉みちに合流。左端2本の木の間から登ってきました。
田倉から鹿野山への参拝道「田倉みち」。あとは登るだけ。
宇藤木から豊英[Jan 7, 2017]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
「この先は通れませんよ」
戸面原(とづらはら)ダム脇を歩き始めた私に、向こうから歩いてきた地元のおばさんがそう言った。確かに、ダム脇の看板にそんなようなことが書いてあって、豊岡光生園方面に迂回せよと指示していたが、その豊岡光生園がどこにあるか分からないし、迂回路の地図もない。歩きでも通れないですか、と尋ねてみると、
「どうかねえ。歩きでも無理だと思うけど・・・。この間チャリで来た子たちも引き返して行ったし」
どうもおばさんの言うのは、通行禁止と書いてあるということと、前に来た人達も引き返したということのようである。しかし、房総を歩いていると、山が崩れて道がふさがっていたことが何度もあるが、大抵の場合歩く分にはなんとかなるのである。でも、おばさんはどうしても通したくない様子である。あえて地元の人にさからっても仕方ないので、わかりました、と県道に戻る。
そういえば、以前このあたりを歩いた時(関豊愛宕山・木之根峠)に、戸面原ダムの向こう側の橋のところに「宇藤木方面」という案内標示があったような気がした。右手に関豊愛宕山への道を分けさらに県道を南下すると、左折する道に大きく「豊岡光生園」の看板と、横に「う回路 宇藤木方面」の小さな案内板が電柱の前に置かれていた。
話は戻って、この時期の山は房総である。2、3年前、上総湊からバスで戸面原ダムに出て歩くという計画を立てたのだが、折しも強風で内房線が止まってしまい、上総湊まで着くことができないどころか、1日かかって家まで引き返して終わったということがあった。そのリベンジということで、車を使わずに電車・バスでこのあたりを歩く計画を立てたのである。
千葉の山行のネタ本である新ハイキング社「房総のやまあるき」に、宇藤木(うとうぎ)から笹子塚・関豊というコースが載っている。宇藤木集落から稜線に上がって市界尾根に合流し、笹子塚を経て茶立場から関豊に下りるコースである。一見してかなりのロングコースであるので、茶立場から豊英に下り、ひと風呂浴びて帰るという計画とした。
前回と違って風もない好天、内房線はすいすい進んで午前8時過ぎに上総湊に着いた。駅を下りるとさすが房総、1月だというのに全く寒くない。駅前でバス停を探してちょっと迷ったが、駅前通りを少し進んだところにバス乗り場と書いてある建物があった。長い年月にペンキが薄くなってしまって、一目では分からないのであった。
ここからバスに乗って戸面原ダムまで30分。午前9時ちょうどに着いて歩き始める。それから5分もたたない間に、おばさんに出会って制止されてしまったのである。
県道に戻ったのはいいのだが、実はこのあたり、1/25000図の鬼泪山・金束・坂畑・鴨川の境い目にあたる場所で、地図を見ても非常にわかりにくいところである。最近の1/25000図はある程度オーバーフローして載せてあるのだが、昔のものは重なる部分がなくきっちり緯度経度で分けているので、見づらいことこの上ないのだった。
「豊岡光生園」の標示で左に折れ、ダムの周囲を延々と歩く。豊岡光生園とは特別養護老人ホームのようで、鉄筋2階建ての建物であった。その前を通り、そのまま進むと1/25000図に載っていないトンネルになって、さらに橋を渡る。30分ほど歩いて民家に出て、そこで本来の道と合流するのだが、その先は工事中となっていた。
工事中ということであれば、歩きであっても通れないだろうから、おばさんの言うことは正解だった訳である。とはいえ、そういうことだったら地図くらい掲示して、工事中の場所とか迂回路とか、分かるようにしておいてほしいものである。
合流点から宇藤木集落まで、さらに20分ほど歩く。途中で軽トラックを止めて作業していたおじさんと会う。
「高宕山に行くのかい?」
「そうです」
「神社の右の道は行けるけど、奥の道は崩れちゃって通れないよ。前は通れたんだけどね。」
なるほど、大変な道のようだ。これから行く道は「右の道」なのか「奥の道」なのかは定かでないし、おじさんのいう「前」が何年前なのかも判然としない。「房総のやまあるき」は平成23年に改訂版を出した時に歩いて確認しているはずだが、まあ、とにかく行ってみるしかない。どうしても通れなければ引き返せばいい。なんたって房総、そんなに深い山ではない。
そんなこんなで結局、宇藤木集落に着いたのは計画より30分遅れて午前10時。十数軒の小さな集落で、子供がいたら学校まで行くのが大変だろう。庄屋のような大きな門構えの脇に郵便ポスト(この家のではなく収集用)が置いてあるのが印象的だった。向こうに鳥居が見えて、そこで道が右と左に分かれている。
鳥居の奥は八坂神社だと思って近づいてみると「宇藤木集会所」の看板があった。あるいは、社殿を再建する費用を工面するのに、集会所という建前にしたのだろうか。そして右の道を進むと間もなく、「房総のやまあるき」に書いてある素掘りのトンネルを通過した。ここまでは何とか合っているようである。
県道を戸面原ダムに沿って4、500m進むと、豊岡光生園の大きな看板と、う回路の標示があった。歩き始めから、かなりのタイムロスを喫してしまった。
宇藤木集落にある八坂神社。鳥居の奥の本殿には、「宇藤木集会所」の看板がかかっている。
神社の右の道をしばらく行くと、素掘りのトンネルをくぐる。「房総のやまあるき」に書いてあるとおりである。
中洲のような楔形の位置にある神社を右手に進むと、すぐに素掘りの短いトンネルをくぐる。このあたり、左手に高宕山の稜線まで直接登る登山道があるらしいのだが、それらしき道もないし、目印となるテープもない。あるいは、おじさんの言っていた「今は通れない奥の道」はそれなのかもしれない。深い谷を回り込みながら、道は曲がりくねった谷沿いの急な坂を進む。
しかし、坂道をかなり登っても「房総のやまあるき」に書いてある最奥の農家は見えてこない。舗装道路だし、電柱と電線があるのでこの道でいいのだろうが、どんどん人里を離れてくる。10分以上登って、ようやく平坦な高台に出た。
最奥の農家はその言葉から受けるイメージとは違って、小規模な農場のようである。道路沿いには広い畑が開けていて、その奥に2軒の2階建ての家が建っている。おばさんが、畑を耕していた。最も近いお隣さんでも10分以上、心細くはないだろうか。ずっと家族だけの生活はどういうものなのだろうと想像する。
このように他の民家と離れて立地している農家の場合、牛などの家畜を飼っているいる場合が多いが、あるいは昔は飼っていたのかもしれない。「やまあるき」には農家のあたりで舗装が切れ立入禁止のロープが張られているとあるが、舗装も続いているし立入禁止とも書いていない。そのまま舗装道路を道なりに進む。
舗装道路は農家の先もしばらく続く。隣の集落に出るような道だが、この先に集落はない。最奥の農家まで坂道を登ってかなり標高を上げたはずだが、今度は坂道を下って行く。稜線に上がるのにこの道でいいのだろうか、農家のところで他に道があっただろうかと少し不安になるが、この先は川に出て渡渉のはずだから、坂を下るのは正しい道のはずである。
舗装が切れた先に物置小屋のようなトタンの小屋があり、その横に害獣除けの罠があった。房総には熊はいないので、イノシシ除けだろうか。この先で野生のシカも見たのだが、シカが入るには小さいようだ。この後は湊川源流を渡渉すると書いてあるので、川の流れている方向に下りて行く。舗装はないけれども、それらしき道のようなものはある。
5分ほどで川に下りた。渡渉というからかなりの水量があるかと思っていたら、石にかぶるかどうかというくらいで、そのまま渡ることができる。とはいえ、川幅はかなりあるので、大雨の後などはかなりの水量になるのだろう。向こう岸に赤テープが見えるので、そちらに向かって進む。
向こう岸の赤テープの付近からは、踏み跡はずいぶん薄くなる。山林境界標の赤い目印と、頭だけ出ている標石が行く方向を示しているが、傾斜が急なのと、倒木や枯れた竹が道をふさいでいるので、登るのは容易ではない。なんとか赤テープを探して、次の道を確保する。「やまあるき」には標石のFの番号をたどると書いてあるが、それらしき番号は汚れたり消えたりして分かりにくい。
危なっかしいトラバースの斜面を抜け、切り通しの場所を抜けて登ると稜線で、そこからは踏み跡がはっきりする。切り通しがあるということは、岩を砕いて道を開いたということであり、かつては道として使ったのだろうか。実際に境界標や標石がある以上、何かの用途で使ったことは確かなのだが、これだけ荒れているということは、最近は使っていないということである。
踏み跡をたどって登って行くと、杉の造成林と思われる場所に出た。かなり広い。木の間隔が一定で、下草も刈ってあり、ときどき太い幹が伐って横にしてあるので、ひと手が入っているのは間違いない。それにしても、ここで育てた木をどうやって搬出するのだろうか。あるいは、先ほど通った切り通しは、林業が盛んだった頃に作られたものだろうか。
集落から20分ほど坂道を登ると、最後の農家を通過する。さらに進むと、イノシシ除けと思われる罠が登場した。
戸面原ダムに注ぐ湊川の源流付近。渡渉して南東の稜線を目指すが、なかなか大変。
このあたり、山林境界標(正面のパイプの上の赤い目印)を頼りに進むが、次第に枯れた竹が道をふさいで行く手をふさぐ。
広い造成林に入ると、踏み跡がはっきりしなくなった。左手に稜線が見えるのだが、そちらの方向に赤テープは見当たらない。南に向かって谷沿いに歩くと次の赤テープが見つかったが、その方向に歩くと真正面から太陽がのぞいてきて、まぶしいので次の赤テープが見つけられないのである。
とはいえ、房総の山であるのでそこまで深くはない。谷沿いに下りる道がなさそうなのを確認しいったん稜線に登ってみると、中腹あたりに踏み跡とテープが見つかった。テープの木まで下りて、踏み跡を進む。このあたりで時刻は午前11時過ぎ。宇藤木の八坂神社から大体1時間かかった。
両側が切れた尾根を過ぎて、次のピークへと向かう。造成林が終わり、自然林になったので背が低く明るくなった。それでも、1/25000図には載っていない道だし、標識もなくテープ頼みなので大変である。
ピークを一つ二つと過ぎたあたりで、トラバースの道が斜めってだんだん狭くなる。しばらく前から赤テープも見当たらない。方向としては南ないし南東に向かっているので合っているはずだが、房総は15度違っても別の尾根に出てとんでもない方に向かってしまう。仕方なく赤テープのあったところまで戻ってみると、ピークから180度逆方向に道が続いていた。
そんな具合に行ったり戻ったりを繰り返していたら、眺めのいい岩のピークに出た。時刻も11時半といい頃合いなので、ここで食事にする。風もなくたいへん暖かな日で、お湯を持ってきたけれどもむしろ冷たいものがほしいくらいである。スポーツドリンクを飲みながら、あんぱんとランチパックのピーナツを食べる。
ちょうど東に向いている岩だったようで、正面にこれから歩く市界尾根が広がっている。左手をたどると高宕山、右をたどると三郡山に至る尾根である。高宕山を歩いた時は八郎塚に回り、三郡山を歩いた時は尾崎から豊英に下りたので、その間の市界尾根は歩いていない。県道から見ると大きくそびえている笹子塚がその主峰である。これからそちらに向かう計画であった。
ところが、工事中の道路を迂回した影響で宇藤木まで30分多くかかってしまい、ここまで歩いた尾根でも道を探すのに手間取った。冬なので、早くに山を下りてしまわないと前回の戸倉三山の時のように真っ暗になってしまう。真っ暗になってしまえば、奥多摩も房総も同じくらい危ないのである。場合によっては、エスケープルートをとることも考えなくてはならない。
20分ほど歩いて出発。後からGPSのデータを確認したところ、「やまあるき」に書いてある眺めのよい229.2mの岩峰というのは、私の休んだピークだったようである。特に目印も案内板もない。
そして、ここからの尾根道はたいへん迷いやすい。というのは、ピークは一枚岩になっているところが多く、尾根を末端まで進むと岩が切れ落ちている。下りれば下りられなくもないが、テープも付いてないところを下りても先に続いているかどうか分からない。そういう場合は最後に赤テープのあった場所に戻るが、そうするとあさっての方向に道が続いていたりするのである。
一枚岩のピークを過ぎて振り返ると、いま歩いてきた道の脇は数十m切れ落ちた崖になっているのが見えて、こわい思いをする。そういえば、県道から見てもときどき白い岩壁が立ちあがっているので、そういう地質らしい。宇藤木集落からこちら誰とも会っていないので、万一のことがあれば誰にも見つからないだろう。房総とはいえ、危険なところは危険なのである。
あるいは、テープの先の踏み跡は斜めったトラバース道で通れるかどうか分からない。そこでピークへの道を登ってみると、やっぱりその先は行き止まりである。結局もとに戻ってトラバース道を進むと、しばらく歩いた後でようやく赤テープが出てきたりするのである。
そんな具合に迷いながら進んで、ようやく市界尾根に出た。この尾根は1/25000図にも道として載っていて、道幅もあるし赤い印やら標石やらあるので間違いなく市界尾根であることが分かる。分かるのだが、この尾根に出た時点で時刻はすでに12時40分、お昼を食べた229mピークからの距離は1kmもないはずなのだが、50分もかかってしまった。
稜線に上がると踏み跡は大分はっきりしてくる。そしてこの造成林、赤テープを目印に進むのだが、これもまた大変。
おそらくここが「房総やまあるき」の229mピーク。このあたりのピークはすべて岩で、上に登ると眺めはなかなかいい。
通ってきた尾根を振り返ると、すぐ横は切り立った崖だったりする。低山とはいえ注意して歩かないと危ない。
せっかく市界尾根に合流したのだから、とりあえず近くのピークまで登ってみる。北に7、8分歩くと尾根道より20mほど上のピークがあった。登ってみると、山名標はないけれども、赤い境界票と、三角点のような太い標石が埋まっており、「山」と彫られている。他にもプラスチックや木の杭が何本か刺さっていて、何かの目印になっているピークのようだ。
時刻はすでに午後1時10分前。「やまあるき」のコースタイムでは市界尾根合流から笹子塚まで40分、そこから茶立場分岐まで45分、合計1時間半である。そこから豊英方面に下りるのを1時間とみて合計2時間半。いまからだと午後3時半になる。山の3時半は冬だともう夕方だし、東の斜面であればもう日は落ちている。そして30分遅れただけで4時過ぎだ。
ついこの間、戸倉三山で日が暮れてヘッデンで下りてくるという思いをしたばかりである。予定どおり行っても3時半というのはリスキーである。そもそも、スタート時点で道がふさがっていた時点で、計画通りではなかったのである。またヘッデンで下りるのも嫌なので、安全策をとってエスケープルートから下りることにした。
(この判断はたいへんよかった。というのは、後日このルートの先を進んだのだが、茶立場分岐から豊英へまともに下りることができなかったのである。)
GPSで改めて現在位置を確認する。北緯は35度10分、東経139度59分55秒。間違いなく、尾崎分岐の北側である。さきほど合流した地点まで戻ってさらに南下すれば、2年前に通った尾崎分岐にぶつかるはずである。そこから東に向かえば、40~50分で麓まで下りられるはずだ。そこから国道を歩いても、2時半までにはロマンの森に着くことができるだろう。
そう決まればあとは歩くだけである。GPSで確認したとおり、合流点を過ぎて南下するとすぐに尾崎分岐になった。前回歩いた時は夕方に近かったのでもっと暗かったように覚えているが、今回はまだ1時頃なので日が当たっていてとても明るい。そして尾崎方面を示している道標は飴色の新しいものになっていた。
尾崎への尾根道は、1/25000図に載っているので、宇藤木からの尾根とは違ってちゃんと道になっているが、それでも結構なアップダウンがある。こんな道だったっけと思いながら歩く。少し北東に向いているので、左手に市界尾根が見え隠れする。木の間から見えているのは、行くはずだった笹子塚である。まあ、あわてなくてもまた来る機会はあるだろう。
道が左に大きくドッグレッグして下るあたりで、前に通った時の記憶がよみがえってきた。スイッチバックの急坂を下り、少しすべりやすい造成林の脇の道を下ると、木の間から10~20m下に流れる川が見えてくる。尾根の末端にあたるため、右に見える川からぐるっと回って左へと流れているのだ。
川まで下りると赤テープが目印に貼られている。ここは十数年前に、インターハイ登山部門の会場となったのだ。国道への登り坂はあまり人が通らないのか、草が繁茂している。登りきると尾崎の農家の畑である。
農産物直売所の前を通って国道410号に午後2時前に到着、国道を15分ほど歩いてロマンの森でこの日の行程を終了する。3時10分のコミュニティバスの時間まで、白壁の湯で汗を流すのにちょうどいい時間であった。あたたかいお風呂で手足を伸ばしながら、やっぱりお風呂に入るくらい余裕がある方がいいなあ、と思ったのでした。
この日の経過
戸面原ダムバス停 9:00
9:50 宇藤木 9:55
10:30 渡渉地点 10:30
11:00 植林地 11:05
11:30 229mピーク(昼食) 11:50
12:40 市界尾根 12:40
12:50 292mピーク 12:55
13:40 尾崎 13:45
14:15 白壁の湯
(GPS測定距離 11.2km)
[Mar 13, 2017]
ようやく市界尾根に合流したが、予想外に時間がかかったのでこの日は無名ピークで撤退。立派な標石は何だろう。「山」と彫ってあった。
南下して尾崎へエスケープルートをとる。分岐点の看板は、2年前のものから新しくなっていた。
こんな尾根だったっけ、と思いつつ2年前に通った尾崎への下り道を歩く。左手ぼんやり見えるのはこの日通るはずだった笹子塚か。
笹子塚 [Feb 12, 2017]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
木更津駅西口発鴨川亀田病院行きのバスは、中高年のグループで朝からたいへんに騒々しかった。少し離れたベンチでバスを待っている間は何とかなったけれど、バスに乗ってしまうとそういう訳にはいかない。回数券を買ったので運賃分取ってくれとか一人いくらかだとか幹事の人が大声を出す一方で、メンバーはおのおの勝手にしゃべっている。
同じ山域だったら嫌だなあと思ってひらひらさせている予定表を見ると、「安房高山」と書いてある。安房高山なら、若干離れているので大丈夫だろう。それにしても、人数二十人弱。こんな大人数で山に来て楽しいのだろうか。マザー牧場かファミレスにでも行ってくれと思ってしまうのは、あれだけ騒ぐのだからやむを得ないだろう。
1時間バスに乗って、ようやく年寄り軍団は下りた。「サンラポール」の停留所である。下りる間際になって、整理券がないだの何だのまたもや大騒ぎしている。私はもう少し先の停留所で下りればいいから、騒がしくなくてよかったと思ったのも束の間、次のバス停は「長狭中前」であった。なんと、「県民の森」バス停はコミュニティバスだけで、日東バスは止まらないのだ。
バスは県民の森を過ぎ、尾崎登山口を過ぎ、君鴨トンネルを越えてどんどん進む。長狭中前のバス停で下りると「清和県民の森6km」の標示があった。年寄り軍団のおかげで大変な失敗をしてしまったが、下調べが十分でなかった自分が原因である。それにしても、サンラポールから長狭中まで5km以上あるはずで、まるで室戸岬お遍路の野根から佐喜浜区間のようだ。
ルートを替えようかと一瞬思ったが、北上して郡界尾根を目指そうにも、このあたりの地図を持ってきていないので危険である。大山林道から三郡山のコースは歩いたことがあるけれど、再び年寄り軍団に会う危険がある。1時間余計にかかるとなると帰りの風呂をあきらめなければならないが、他に方法もないのであきらめて歩き始める。いい天気で風もないのが救いだ。
道は大きくカーブを描いた登り坂である。30分以上歩いて、ようやく郡界尾根の手前まで来た。山肌をコンクリで地滑り防止工事をしている山が二つ見える。どちらかが請雨山のはずである。すぐ下に君鴨トンネルが口を開けている。銘板によると、全長は697m。
君鴨トンネルは何度も通っているが、歩いて通るのはもちろん初めてである。お遍路歩きで慣れてしまったので、それほど抵抗なく通れるのは経験ということだろう。トンネルは途中でスライスしているので出口が見えない。請雨山の下から入って出たのは安房高山の手前だったから、考えてみれば結構な距離がある。
トンネルを出ると、右上に安房高山北尾根に向かう登山道が見えた。ここからは下り坂なので少し楽になる。かつて県民の森の施設のひとつだった森林館は閉鎖となり、現在は資材置き場に使われているようだ。その旧・森林館の横を抜け、いつもあまりひと気のない産地直売所の向かいから左に折れる。尾崎経由市界尾根への分岐である。
ここに下りて来たことは二度あるが、登るのは初めてである。ここからは山道なので、登山靴の紐を締め直し、ストックを用意する。時刻は10時40分、ここまですでに1時間かかってしまった。
小櫃川への下りは結構傾斜がきつくて、転びそうになる。歳とともに、下りを歩くのがどんどん厳しくなってきた。登りが楽になったかというとそんなことはないので、登りも下りも両方きついということである。渡渉すると森の中はかなり暗い。そして、北斜面には雪が残っている。2、3日前に降った雪に見えた。
ここまで国道歩きだったので、さすがに登山道の傾斜は応える。息が上がってしまいたびたび足を止めるが、歩かなくてもいい距離を歩いているので長いこと休む訳にはいかない。尾根に乗るまでかなりの急傾斜だが、20分ほど登ると、見覚えのあるヘアピンカーブになった。ここからは尾根のはずで、アップダウンはあるもののそれほどの急傾斜はない。
登り始めて50分ほど、11時半に市界尾根分岐に到着した。いい時間なので、ここでお昼にする。道案内のある上の方に一人くらい座れるスペースがある。幸い誰もいないのでここを占領する。おそらく半径500m誰もいないし、聞こえるのは木々が風に揺れる音だけである。心が研ぎ澄まされるような気がした。山に騒ぎに来た連中には分からないだろう。
長狭中まで乗り過ごして、清和県民の森まで6kmと表示がある。これからあの郡界尾根を越えなければならない。
1時間かけて予定ルートに戻り、ようやく小糸川を渡渉。北斜面にはうっすらと雪が残っていました。
市界尾根に復帰。小ピークのアップダウンが続くが、こういう境界標が数多くあるので安心。
さて、今回のルートであるが、そもそもの発端は前回、宇藤木からロマンの森に抜けようとして時間が足らず、尾崎へのエスケープルートをとってしまったことによるものであった。
だから、本来あるべき姿としてはできるだけ早く前回のルートに復帰すべきなのであるが、お伝えしたように年寄り軍団に気を取られて君鴨トンネルのはるか先まで行ってしまい、計画ルートに戻るまで1時間以上かかってしまった。返す返すも、迂闊なことであった。
前回、市界尾根に乗ったのが12時半過ぎ、今回はお昼を食べて12時前には歩き始めたのだけれど、それでも30分くらいしかアドバンテージはない。できれば帰りは2時半の木更津駅行きのバスに乗りたいと思っていたので、そうなるとお風呂に入っている時間はない。それどころか、2時半のバスに間に合うかどうかもかなり微妙である。
それでも、歩き始めると10分もかからずに前回歩いた無名ピークまで着いた。体力的には、前回よりかなり余裕があるようである。それと、はじめからアップダウンの多い尾根だと分かっているので、精神的にもかなり余裕がある。平らな尾根が出てこなくてもがっかりしないという悲しい余裕ではあるが。
これから向かう笹子塚は、高宕山と三郡山を結ぶ市界尾根では最高のピークであり、三角点となっている。市界尾根と並行して走る国道410号線から見ると、ひときわ高くなっているのが分かる。
それなのに、市界尾根にある道案内のほとんどは北の高宕山と南の三郡山方向を示すのみで、笹子塚ないし笹郷山と書いた道案内はほとんどない。そもそもがバリエーションルートであるということが大きな要因だが、もう一つ、県民の森の規模が縮小しているということがある。
というのは、国道を挟んで向こう側の安房高山に至る登山道にもこちらの市界尾根にも、古いブリキの道案内があるのだが、それが案内している道のいくつかは廃道だったりするのである。前回お伝えした森林館が閉鎖となって久しく、尾崎からの登山道こそ何とか通れるけれども、それ以外に2つ3つあったはずの市界尾根への登山口が判然としない。
登山口が判然としない以上、笹子塚を目的に登る人はあまりおらず、高宕山から三郡山への尾根歩きで経由する登山者だけが通るということになり、そういう道案内になっているのであろう。そうではあるのだが、結構景色が開けている場所もあるのはうれしいことである。
笹子塚自体は展望のないピークなのであるが、その南の取り付きあたり、大きな岩が尾根から突き出た地点の景色は、この日一番といってもよかった。東京湾に向けていくつもの尾根が重なり、はるか京浜工業地帯まで望める。そして、冬の澄んだ空気が幸いして、二、三合目まで雪に覆われた富士山も見ることができたのである。
惜しむらくは、尾根に出てからかなり風が強くなってきたことで、麓では雪が残っていたくらいだから、この時期は風の通り道になっているのであろう。この展望岩からやや急な傾斜を登って行くと、双耳峰となっている笹子塚頂上となる。標高は307m。昼食休憩から1時間弱で到着した。ほぼコースタイムである。
前方にそびえる笹子塚。道案内には高宕山と三郡山しか書いてないのですが、なかなかのピークです。
笹子塚のすぐ前で、本日一番の展望。写真には写りませんが、はるかに東京湾や富士山も望むことが出来ました。
古い手作りの道案内。このブリキ板の案内は、いまはなくなった「森林館」の標示もあるくらいで、県民の森が整備された昭和時代からあるようです。
笹子塚では、三角点をカメラに収め、先を急ぐ。まだ午後1時前なので、1時半過ぎに茶立場分岐を通過して、50分ほどで国道まで下りれば、2時半のバスに間に合う計算である。間に合わないと次のコミュニティバスになるが、20分ほどしか時間がないので風呂には入れない上、途中で乗り継ぎがあるため、あまり歓迎できる選択肢ではない。
笹子塚を過ぎ、市界尾根をさらに北に向かう。引き続きアップダウンが続く道で、尾根道という感じではない。アップダウンだけならいいが、地面が微妙に斜めっていて大変歩きにくい。唯一の救いは、高宕山・三郡山を結ぶ主要な尾根であるので案内標識が豊富にあることで、市界尾根を外れるとテープさえほとんどなく踏み跡も心許ない。
景色の開けたところで小休止を入れつつ、茶立場分岐まで来たのは午後1時45分、笹子塚から50分だからほぼコースタイムだが、バスの時間まであと50分しかない。この分岐では東西南北に道が分かれていて、そのまま北上すると高宕山、左(西)に折れると関豊に下りる。豊英ロマンの森へは右折(東)だ。
豊英への登山道は電子国土にはちゃんと載っている道なのだが、WEBでは直接ロマンの森に抜ける道は廃道という情報もある。かなり心細いのだが、とりあえず案内標識は新しいし、標識すらない関豊への道より安心だろうと思って、右に折れる。バスの時間があるので、迷っているヒマはない。
そして、最初は分かりやすい尾根道なのだが、やがて植林地に入ると赤テープ頼りの心細い道になった。何とか植林帯を抜け再び尾根道に復帰して安心する。徐々に危なっかしいトラバース道に入る。ロープの引いてある急傾斜もある。
蛇だか折れた木だか分からないものが道の真ん中にあってびっくりして間もなく、日当たりのいいところでEPIガスを使ってお昼を食べている登山者に出会った。主要尾根から外れたこんな登山道にも人は来ているんだなあと思う。そのすぐ後、地下足袋を履いたおじいさんに抜かれた。この道はそれなりに使われているようである。
そして、そのままおじいさんに付いて行ければ問題なかったのだが、大変に足が速くて置いて行かれてしまった。それでも、茶立場分岐から20分ほど歩いたあたりで下にロマンの森が見えた。おじいさんが行ったから道があることは確かなので、何とかなりそうだと安心する。後から考えると、こういう時にこそ慎重にルートを確認しなければならなかったと思う。
ずっと尾根を進んできたルートが、再び樹林帯に入る。さきほど下に見えたロマンの森からそんなに距離はないはずなのに、それらしき施設は見えないし、道もはっきりしない。テープすら見えない。踏み跡をたどっているうちに、車の音が聞こえてきた。どうやら、国道の近くにまで来ているようだ。
このあたりで地図を出して確認していれば何の問題もなかったのだが、そのまま下りて国道の脇まで進んでしまう。国道のこちら側は高い崖がコンクリで補強されているので下りられそうにない。横を見ると細い隙間がトンネルの上まで続いていて、国道のあちら側に抜けることができるように見える。そこからは舗装道路が下りてきているので何とかなりそうではある。
それにしても、この時は、引き返したらバスに間に合わないという頭があったので、典型的な遭難パターンに入っていたといえそうである。房総だからいいけれども、他の山域でこういうことをしていると大変危ない。反省しなければならない(後から考えると、この時通ったのが廃道なのだろう)。
トンネル上に至る隙間道は道のように見えていたけれども、灌木や野いばらが茂っていて大変苦労する。おかげでウルトラライトダウンにかぎ裂きを作ってしまった。トンネルの真上はそれほど苦労なく通れたけれども、そこから先はなんと道がない。下の道路までは10mほどの高さがある。ロープを出して懸垂下降するという手はあるが、どんなものか。
踏み跡らしきものを進んでみる。どうにも先に進めない。これは困ったと立ち止まってあたりを見回すと、目の高さにコンクリの排水溝がある。こういう人工物があるということは、ここまで来る道もあるはずだと思ってよく探すと、さらに少し上に擬木の柵のようなものが見える。助かった。急傾斜ではあるが、あそこまで登れば普通の道に復帰できる。
急いで登って柵をまたぎ、舗装道路に出る。時刻はすでに3時35分。小走りで国道まで下りる。国道まで出て分かったのだが、さきほど上を通ったトンネルはロマンの森から2つ目のトンネルだったのだ。もうバスの時間だが、まだ来ていないようだ。ここまで来て行かれるのは厳しいなと思いながら、トンネルを駆け足で急ぐ。
ロマンの森停留所まで来た時にはバスの時刻を5分ほど過ぎていたけれども、まだバスは来ていなかった。ベンチに腰かけて、息を整える。たいへん危ない橋を渡ったけれども、何とか予定通り下山できたようである。8分遅れで来たバスに乗って、木更津駅まで戻る。先ほど破いたダウンから、羽毛がはみ出してきて大層困った。
この日の経過
長狭中学校バス停 9:35
10:40 国道尾崎分岐 10:45
11:30 市界尾根(昼食) 11:50
12:30 笹子塚 12:50
13:45 茶立場分岐 13:45
14:40 ロマンの森バス停
(GPS測定距離 11.1km)
[Apr 10, 2017]
三角点のある笹子塚ピーク。ただし展望はありません。
茶立場分岐で道は4つに分かれる。ロマンの森方向はやや心細いが、とにかく案内標示はあり、この後にも人に会ったので、それなりに歩く人はいるようです。
急傾斜でロープも出てくるが、問題はそこではなく、植林帯で道が分からなくなることでした。山の上の方は何とかなったのだが、ロマンの森が見えてから大失敗。
伊予ヶ岳 [Dec 23, 2017]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
昨年末は寒くなるのが早く、ほとんど秋らしい日がないうちに冬になった。歳とったせいで夫婦そろって寒さは体に響くので、朝晩はエアコンなしではいられないくらいである。山歩きも、本仁田山で寒気がしたのが気になって、今年は12月から房総となった。
房総については、何ヵ所かが気になっていた。ひとつは、2013年に奥さんと一緒に行ってロープ場で断念した伊予ヶ岳。ここは房総で唯一「岳」の付く山なので、ぜひ頂上まで行きたいと思っていた。もうひとつは昨年、下山途中で廃道に入ってしまい、最後は危ないところを下りてしまった市界尾根からロマンの森のルートである。
2017年12月23日、庭に工事が入るので車で出かけてよろしいという奥さまのご指示である。寒い日が続いていたがこの日は暖かく行楽日和という予報なので、午前中は伊予ヶ岳、車で移動して午後市界尾根という計画を立てた。房総は車を止める場所があまりないけれども、この二ヶ所は近くに駐車場がある。距離はだいぶあるが、車で移動すれば両方とも登ることができる。
5時半に出発して京葉道から館山道へ。家から1時間走って市原SAというのは例年と同じである。冬至の翌日で夜明けは遅く、外に出るとやっぱり寒い。ひと休みして館山道を南下、出口から東向きに走るので、朝日が正面から目に入ってたいへんまぶしい。これもいつものことである。
平群(へぐり)天神社に近づくと、間近に伊予ヶ岳の切り立った岩が見えてくる。7時半過ぎに天神社の駐車場に到着。すでに2台止まっていて、すぐ後からもう2台来た。帰りには20台近くなっていたから、房総ではたいへん人気のある山であることは間違いない。
すでに廃校となっている平群小学校の脇を通って山道へ。四国でお遍路していると廃校はよく見るのだが、首都圏で、しかも車で2時間走れば着くところで、こうやって廃校になるのである。農業や漁業に携わる人達がどんどん減っているのと、少子化の影響なのだろう。かつては名もない峰々に祠が建てられていた房総も、こうやって自然に還っていくのだろうか。
整備されている登山道をゆっくり登って行く。傾斜はそれほどでもない。途中で富山方面への道を分け、麓から40分ほど歩くと展望台のある休憩所に到着。日当りのいい展望台から、いま登ってきた小学校が見える。このピークの陰になっている休憩所から道が2つ。1つは頂上に至る登山道で、もう一つは「嶺岡中央林道」と書いてある。帰路はこちらを歩く予定である。
頂上に至る登山道には、「ここからはハイキングコースではありません。大変危険です。ロープはありますが安全を確かめたものではありません」などと脅かすようなことが書いてある。それで前回、奥様がこわがって撤退してしまったのだ。今回は単独なので、足下を確かめて慎重に先へ進む。
展望台休憩所のすぐ先から、さっそくロープの付いた急傾斜が始まる。前回は地面がぬかるんで滑りやすかった記憶があるが、今回は地面が乾き、赤土が固まった地質のせいでやはりつるつるである。それでも、ロープを使わなくても登れるくらいの傾斜である(下るのはロープがあった方が安心)。
第一陣の急傾斜をクリアした後、第二陣、第三陣と難所が続く。次第に、ロープを頼ることが多くなる。特に急傾斜の岩場がドッグレッグしている場所は手掛りのロープを間違えると全然違う方向にロープが伸びてしまう。そこは細い紫縞のロープだったので、なんだか蛇みたいで気持ち悪かった。
最後はロープと鎖のある急傾斜を登り切ると伊予ヶ岳南峰である。展望台休憩所から15分ほど、鎖場(ロープ場)の連続であった。南峰頂上はベンチやテーブルが置かれ、危険個所は柵で入れなくなるなどきちんと整備されている。わずか336m(実は、これは三角点のある北峰の高さなのだが)とはいえ、結構汗をかいた。
前回断念した展望台の先からはロープ場が連続する。なくても大丈夫なところもあるが、ないと危ないところもある。
鎖が登場すると、いよいよ頂上直下。ここを登るとすぐ先に伊予ヶ岳南峰。
伊予ヶ岳南峰頂上。テーブルとベンチがあり、休憩することができる。336.6mと書いてあるがこれは三角点のある北峰の高さで、GPSによると南峰はそれより低い。
南峰頂上からまっすぐの位置に富山が見事である。そして、現在は柵があってその先には進めないのだが、岩場のさらに先端、崖が切れ落ちているあたりが昔の雨乞い場だそうである。北峰の方向からみて鳥のくちばしのように見えるあたりだろうか。
このように南峰は整備されているのだが、頂上から続いている北峰には三角点しかない。麓から見ると伊予ヶ岳頂上は釣り鐘型の南峰とそれに続く2つのピークからなるのだが、ベンチやテーブル、案内板、柵・手すりで整備されているのは南峰だけで、あとの二つのピークは何もない。何もないけれど、景色は同じように大変よろしい。
南峰から下って登ってを2度繰り返して10分ほどの北峰からさらに踏み跡が続いていて、昔の1/25000図には点線が描いてあるのだが、現在の電子国土データには載っていない。WEBによると結構危ない道のようなので自重する。電子国土では、展望台休憩所から嶺岡林道方面への道を下ると、以前の1/25000の道である北峰直下を通過することになっている。
再び南峰に戻ると、後から登ってきた人達がいて結構にぎわっていた。中には、両親に連れられた小学校低学年の男の子もいる。まだ背も低いのに、あの岩場を登ってきたのだから大したものである。下り斜面でも、何グループかとすれ違った。暖かくいい天気で、しかも風もない。房総の山を歩くにはまさにいい季節である。
10時前に展望台休憩所まで戻り、帰路は「嶺岡中央林道」の案内にしたがい東側の斜面を下る。はじめは擬木の階段があり手すりもあるのだが、途中から山道になる。向きを左に変えていったん登り、今度は下る。細い道を抜けて行くと、急に開けた場所に出た。左側の斜面は崩落防止の工事が施され、40~50m上までコンクリで固められている。
その下は芝生が植えられた広場になっていて、ところどころに桜だろうか、まだ細い木が植えられている。建てられている林業事務所の看板によると、南峰から北峰に至る稜線の直下にあたるようだ。あるいは、以前あった北峰から下る道がなくなったのは、この工事によるのかもしれない。
工事地点から先は、かつて車も通ったと思われる太い道になる。年月が経過し道は深くえぐられていて、現在では通れそうにない。その旧工事道をしばらく下る。傾斜は緩やかなのだが、登ってきた道に比べるとたいへんに長く、しかも目的地は南なのに影の伸びる方向をみると北に歩いているようで、たいへん遠回りである。
ようやく太い道が見えてきて、今度はちゃんと現役で車が通れる林道に合流する。でも、車は全く通らない。さらに歩くと、人里近くなって小ぶりのゴルフコースが現われた。伊予ヶ岳TBGの看板が掲げられていて、ターゲットバードゴルフというゲームのようだ。何人かのグループが集まっていて、車も止まっている。そのグループの間を横切って麓に下って行く。
TBGのコースを抜けて、中古車販売店の脇を下って行くと公道に出た。いま下ってきた道の入口に林道標識があって、「伊予ヶ岳林道」というらしい。展望台休憩所の案内表示にある「嶺岡中央林道」は、国道410号線(長狭街道)の南を並行して走る林道で、鋸南と鴨川を結んでいる。伊予ヶ岳林道は、その嶺岡中央林道から南に派生している林道のようだ。
そこから平群天神社へ戻る道では、右手に伊予ヶ岳の全容を望むことができる。北峰に近いところから見えているから、相当に遠回りしたことがわかる。それでも、平群天神社に10時45分に戻ったから、展望台休憩所から下りで歩いた時間は1時間にならない。登りは昔一度通った道だし下りは初めてだから、実際かかった時間より長く感じられたのかもしれない。
この日の経過
平群天神社駐車場 7:50
8:30 展望台休憩所 8:35
8:50 伊予ヶ岳南峰 9:00
9:10 北峰 9:10
9:45 展望台休憩所 9:50
10:30 伊予ヶ岳林道入口 10:30
10:45 平群天神社駐車場
(GPS測定距離 4.9km)
[Jan 15, 2018]
南峰頂上は整備されていて、富山もよく見える。北峰は三角点があるだけだが、やはり景色はいい。
北峰へ行く途中から南峰を振り返る。鳥のくちばしのように切り立った岩が見える。すごい傾斜である。
嶺岡林道方面の道標にしたがって東斜面を下りると、ほどなく大規模に崩落防止工事をした地点に達する。広くて日当たりがいい。
ロマンの森から市界尾根 [Dec 23, 2017]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
伊予ヶ岳を無事歩いた後は、前回道を間違えたロマンの森である。平群天神社を11時前に出て20kmほど走り、ロマンの森の駐車場まで。支度が済んで11時半にはスタートできたから、時間には十分余裕がある。前回はバスの時刻に間に合わせようとあせったのがミスの一つの原因だったが、今回はそういうことはない。
さて、高宕山から三郡山に至る稜線を私はこれまで「市界尾根」と書いていたが、今回関東ふれあいの道分岐の案内表示に「三郡山・郡界尾根方面」と書いてあった。三郡山から東西に走る、内房と外房を結ぶ稜線は郡界尾根なのだけれど、三郡山から北へ伸びる稜線も含めてそう呼んでいいのかどうかちょっと疑問に思った。
もちろん、地元の人がそう言っているとしたら異議を差し挟むものでもないし、三郡山が三つの郡の境であるならば郡界尾根がT字路でもおかしくはないのだけれど、個人的には若干の違和感があるので、これまで通り富津市・君津市境にある高宕山から南に伸びる三郡山までの稜線を「市界尾根」と呼ぶことにしたい。
ロマンの森から国道410号を北上する。前回、2つ目のトンネルのこちら側を下ってきてしまったが、どうやらそれは廃道のようである。電子国土を確認したところ、現在の登山道は2つ目のトンネルの北側にある。 トンネルをくぐると左(西)にダートの太い道への分岐があり、よくみると「お茶立場」の小さな立札が立てられている。そちらの道に入る。
折れてすぐの左折は昔のトンネルがふさがった跡があるだけで、さらに先に進む。何かの建物があるフェンスの脇に、再び「高宕山方面」の案内があり、森の奥に赤テープが見える。どうやらここが登山口のようだ。ただ、あまり歩かれた形跡はなく、倒木があったりして荒れた道である。しかも北側の斜面で暗い、ともかく、テープを頼りに先に進む。
すぐに斜面に取り付くが、ここがたいへん分かりにくい。次のテープが上の方に見えるので間違いはないものの、落ち葉が積み重なって踏み跡がよく分からない。すべりやすい斜面を強引に登ってしまったが、遠回りする緩やかな道もあったようである。ひとしきり登って尾根に出る。
ここが、おそらく前回間違えた場所である。茶立場分岐から下りてきた道が再び登りになる峠のような場所で、谷側に下りる踏み跡が左右にある。そして、今回は尾根からみて北側を登ってきたが、南側からロマンの森の園内放送がよく聞こえるのだ。そういえば前回も、こうやって運動会みたいな園内放送をやっていたのを思い出した。南側に下りてしまうと廃道に至る。
尾根に乗ってからは、これまでより安心した登山道になった。しかし、下りてきた時には気付かなかったけれど、ロープ場のすぐ横は切り立った崖になっていて、横に踏み出すとそのまま数十m空中になってしまう危険箇所であった。このあたりの山域でしばしば見かける危ない場所であり、油断大敵である。
それと、前にここを下りたこの春にはなかったと思うのだが、「ロマンの森←→お茶立場」のブリキの小さな看板を何ヵ所かで見かけた。正直なところ、看板を見る人は行き先を間違いようがないし、分からない人は下りて来ないと思うので、立てるのなら私が迷った尾根の末端に立ててほしいものである(テープはあるのだが、間違って下った後では見えない)。
標高を上げていくと小さなピークが続き、それらを巻くトラバースの斜めった道を進むと、麓から約40分で茶立場分岐に到着した。そのまま進むと関豊方面、左の急傾斜を登ると笹子塚・三郡山方面、右に回り込む道が高宕山・ふれあいの道方面である。そして、ここまで「お茶立場→」の標識が続いてきたにもかかわらず、ここから先どこがそのお茶立場なのか書いてないのだ。
参考としている「房総のやまあるき」によると、お茶立場は分岐から関豊方向に少し下ったところにあるようなのだが、見たところ森林標識くらいしか見当たらないので深入りは避けた。伊予ヶ岳には結構人が来ていたのに、ロマンの森から全く人は見かけない。分岐の広くなったところにリュックを置き、EPIガスでお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。
「お茶立場」「高宕山」の表示どおり来たのに、いきなり荒れた道。正面の木の幹に赤テープがあり、これでも正規ルートです。
前回間違えた尾根の下り口を乗り越え、ようやく平和な登り坂へ。ただし横が崖の危険個所があります。注意。
昨年登った時には見なかった「ロマンの森←→お茶立場」のブリキの案内を何ヵ所かで見ました。ただ、登りではお茶立場が分からないし、下りでは廃道に踏み込む危険あり。
茶立場分岐で20分ほどコーヒーブレイクの後、市界尾根を北上する。いましがた登ってきたロマンの森からのバリエーションルートに比べて、ずいぶん歩きやすい。そして、三郡山から尾崎分岐、笹子塚を経て茶立場分岐までのかなりアップダウンのある尾根道と比べても、相当に楽である。関東ふれあいの道と比べても遜色ないくらいである。
基本的に木々の間を歩くことが多いのだが、時折景色が開けて、前方右側に八良塚の巨大な山容が見える。関東ふれあいの道は八良塚のこちら側なので、あそこまで行けば一段落である。その八良塚が見えるたびに近づいてくれるのはうれしい。
一ヵ所だけロープの垂らしてある急傾斜があるが、それを除いては特に危ない場所もないし、迷うところもない。ロープ場は傾斜が急なので特に下る時は注意が必要だが、登るときは木の根とか手掛かりになるものがあるので比較的安心である。この急傾斜を登ると、すぐに関東ふれあいの道分岐に至る。13時25分、茶立場分岐から40分弱で到着。
この分岐には4年前、逆側の石射太郎から高宕山を経て歩いてきた。そして、これで4年越しで市界尾根を石射太郎から三郡山まで踏破したことになる。たいへんうれしい。ふれあいの道分岐の三郡山方面入口には、「三郡山まで約2時間半かかります。関東ふれあいの道ではありません。道が荒れていますのでご注意ください」と書いてある。
逆方向ながら私の実績をお示しすると、ふれあいの道から茶立場分岐が40分、茶立場分岐から笹子塚が40分、笹子塚から尾崎分岐が40分、尾崎分岐から三郡山まで1時間20分、合計3時間20分かかっている。2時間半というのはかなりのハイペースで、特に茶立場分岐から南には小ピークのアップダウンが多くたいへん疲れるコースである。
ここから先、市界尾根から東に向きを変えた関東ふれあいの道は、整備のレベルが違うハイキングコースである。危ない場所には必ず柵があり、地盤は平らに整えられている。右足と左足を交互に出していれば終点まで着いてしまう、高速道路のようなコースである。さすがにここを歩いていたら、何人もの人達とすれ違った。
20分ほど歩くと八良塚への分岐があり、べンチが置いてある。4年前はここから八良塚に登ったのだが、今回はそのまま進む。さらに20分ほどで登山道の入口、民家の間を通る道に出た。あとは国道に出て、ロマンの森に向けて戻るだけである。14時35分、スタートから3時間ちょっとでロマンの森駐車場に戻ることができた。
午前・午後にわたる山歩きを予定どおり終えて、「白壁の湯」で汗を流す。一日いい天気で風もなく、最高の山日和であった。湯船から山の方を望むと、茶立場分岐から下ってくる斜面を見ることができる。「白壁」とはその斜面から切り立った崖になっている岩壁のことで、見る分にはいい景色だが、歩く分にはたいへん恐ろしい景色である。
岩壁の途中から、松の木が伸びている。岩壁のすき間に砂がたまり、雑草が生え、それが枯れて土になり、そこに松ぼっくりが飛んできて根を張り大きな木になるまでどのくらいの時間がかかったのだろうと思うと、感慨深いものがあった。
この日の経過
ロマンの森駐車場 11:30
12:25 茶立場分岐 12:50
13:30 高宕山分岐 13:35
14:15 関東ふれあいの道登山口 14:15
14:40 ロマンの森駐車場
(GPS測定距離 4.8km)
[Jan 29, 2018]
茶立場分岐から北に向かうと、しだいに八良塚が前方に迫ってくる。
関東ふれあいの道までもうすぐという所で、ロープのある急傾斜。茶立場・ふれあいの道間で唯一の要注意箇所。
関東ふれあいの道に合流すると、あとは過保護なほどのハイキングコース。危ない場所には必ず手すりがある。
元清澄山 [Jan 19, 2018]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
今年の冬はたいへんに寒く、比較的あたたかな房総とはいえ二の足を踏んでいた。1月中旬にようやく気温が上がった。翌週になるとまた寒気が下りてくるというので、1月19日の金曜日に出かけることにした。(実際に、3日後の月曜日に大雪になった)
その日は車が使えないので電車である。せっかくだから外房線で下りて久留里線まで歩く片道コースを歩くことにした。目的地は元清澄山、清澄寺から関東ふれあいの道があるので、それなりに整備されているはずだ。上総亀山へは三石山への尾根道を歩くが、電子国土に点線が載っているので迷うことはないだろう。ネタ本は千葉の山の定番「房総のやまあるき」である。
安房天津から清澄寺へのコミュニティバスに時間を合わせなくてはならないので、いつもよりゆっくり出て7時10分千葉発の外房線各駅停車に乗る。この時間なのに通勤・通学客で一杯だ。これは予想外だった。40分走った茂原まで乗車率は200%近い。
それはそうと、50年前は千葉から先は女子高生の外見が違ったものだが、現在では都会とほとんど変わらない。足首は細いし色は白い。スマホばっかりしているのも同じである。まあ、それは香港でも東南アジアでも同じことなのだが。
ようやく高校生が下りて電車が外房線らしくなったのは、1時間乗った大原であった。大原から先は一車両4~5人が乗っているだけの静かなものである。千葉からこの状態だと思っていたものだから大層面食らった。
安房天津で下りて、駅の向かいにあるバス停で5分ほど待つと、清澄寺行きのコミュニティバスがやってきた。10人ほど乗れるバンで、乗客は私ひとりである。そういえば、3年前も一人で乗ったことを思い出した。このコミュニティバスに乗ったのは2015年の2月、清澄寺から真綿原経由石尊山を目指した時以来である。
そのルートは、かつてシニア登山者が道に迷って騒ぎを起こした逆コースだったのだが、他人の道迷いをどうこう言っていたら自分自身が道に迷ってしまい、尾根一つ間違えて養老渓谷の方に出てしまった。その意味では、あまり縁起のいい山域とはいえない。油断しないように歩かなければならない。
清澄寺のバス停で下りて関東ふれあいの道掲示板をみると、3年前に通った真綿原へのルートは通行止めになっている。そういえば、路肩がまっすぐ谷に切れ込んでいて、結構危ない道だったことを思い出した。今回歩くのはその逆方向、元清澄山方面である。
バスが登ってきた坂道を下りて行き、途中で左に折れてゲートを通り過ぎ陸橋を渡る。このゲートは東大演習林のため車両通行止めにしてあるもので、関東ふれあいの道なので歩行者は脇から通れるようになっている。しばらくは、演習林の作業道を進む。路面は簡易舗装だったり砂利道だったりするが、平らで歩きやすい。そして、ごく最近通ったタイヤの跡が残っている。
30分ほど歩く間に、ベンチのある展望地を過ぎ、池ノ沢番所跡を通る。池ノ沢番所は江戸時代に川越藩が置いた番所の一つで、ここまでが安房、ここから先が上総の境である。この日JRを下りたのは安房天津、1日歩いた後で乗るのは上総亀山で、江戸時代であれば国境を越えることになるのであった。
たいへん歩きやすい道を1時間半歩くと、演習林の立入禁止ゲート前に出た。今度は、歩行者も入れないように道幅いっぱい金網が張ってある。関東ふれあいの道の標識は山中を示していて、ここからはいよいよ本当の登山道となる。標識に示された距離は元清澄山まで2.9km。ここまで楽に歩いてきただけに、結構長い距離が残っているなと思ったものでした。
元清澄山への関東ふれあいの道は、東大演習林の中を進む。道幅は広く傾斜は緩やかで、ほとんど危険個所はない。
30分ほどで池の沢番所跡に到着。ここは川越藩の国境警備所、つまり安房と上総の境にあたる場所である。
歩き始めて1時間半。とうとう演習所道路はゲートで封鎖される。ここから元清澄山まで約3km、これまでとは比較にならない険しい道である。
清澄寺を出たのは9時40分だったので、山歩きのスタート時間としてはかなり遅い。すでに時刻は11時15分。これから元清澄まで山道を2.9kmであれば少なくとも1時間みなければならず、到着時間が正午を過ぎることは確実である。計画では上総亀山を4時半過ぎに出る千葉行バスを予定していたので、間に合わせるにはかなり急がないといけない。
案の定、登山道に入るとこれまでの演習林作業道とは違って難易度が上がる。とはいえ、関東ふれあいの道は個人的に「高速登山道路」と呼んでいるくらい整備されている。基本的に起伏はなだらかで路面は平らであり、危険個所は手すりや柵で安全なように手当てされている。房総に付きものの小ピークの登り下りはトラバースされ、やせ尾根には注意書きがある。
この日は寒くならないという予報だったのだが、思ったより風があって寒く感じる。そしてこのあたりのトラバース道は小ピークの北側を通ることが多く、じめじめして日が当たらない。体が冷えるし時間が押しそうだということもあって、自分としてはペースを速めて歩く。何しろ高速登山道路なので、私でも、飛ばせば飛ばせないこともないのである。
実はここで大きなミスをしていて、三石山方面への分岐を見逃していたのである。いつも通りゆっくり歩いていれば見逃すような場所ではなかったのだが、先を急ごうと気があせっていたのだろう。結局そのせいで余計な時間がかかってしまったのだから、山歩きは本当に「急がば回れ」なのである。
清澄山まで1.5kmを切るあたりから徐々に傾斜が急になってきた。擬木の階段状になったアップダウンを何回か繰り返す。房総は300~400mの山しかないが、累積標高差はそれなりにある。ちょうど12時に、広い場所に出た。この先に林道があるので、建設時に資材置き場か駐車場にしたのではないだろうか。「山火事注意」のビニール製注意書きが、古くなって裏返っていた。
案内板によるとまだ元清澄山まで700mほどあるので、ここで昼食休憩にする。EPIガスでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れ、ランチパックとアンパンを食べる。景色はさほどいいとはいえないが、広くて平らな場所なのでお昼をとるにはいいところである。広場の先は行き止まりで広い道は続いていないが、赤テープが貼ってある。
あるいはここが三石山方面への登山口かと思ったが、GPSの数値を見ると200~300mほど違うようだ。ここまで三石山への分岐が見つからなかったので、帰りにチェックすることにした。25分休んで出発する。休憩地のすぐ先から林道が始まっていて、「この道は鍋石方面へは行けません」と書いてある。麓まで通じていれば何らかの手段で着くと思うが、枯れ木で通せんぼしてある。
元清澄山へは、この林道から左に分かれて登る道を行く。予想したように700mとはいえアップダウンを繰り返す道で、それも傾斜がかなりある。昼食休憩までは「今回は比較的楽に歩けたな」と思ったくらいなのだが、やっぱりそんなことはなかった。
やせ尾根を越え、小ピークを越え、700mが500mになり残り100mになって、とうとう最後は頂上直下の急登である。まるで房総とは思えないくらいのボリュームがあった。12時45分、元清澄山着。頂上にはテーブルとベンチ、三角点がある。
環境庁と千葉県が連名で建てた案内板があり、そこには、「清澄寺はもともとこの山にあり、礎石が残っています。いつしか現在の清澄山に移ったことから、この山を元清澄山と呼ぶようになりました」などと書かれていた。なるほど、清澄山はかつて多くのお堂や宿坊があったとされるから、この山では少々手狭だったのだろう。
ベンチに腰かけるのは、3時間ほど前の関東ふれあいの道の休憩所以来である。ただ、冷たい風が吹き抜けるし思ったより時間はかかったしで、あまりゆっくりすることはできなかった。5分ほど休んで登ったばかりの急傾斜を下りる。
演習林から登山道に入ると、徐々に危険個所が現れる。とはいえ、関東ふれあいの道でなければ特に注意書きもないような場所である。
元清澄山に近づくと、かなりの急傾斜となる。演習林を歩いて楽をした後ではたいへん疲れる。
元清澄山直下は、関東ふれあいの道はやめてしまったんですかというような状況。わずか300mほどの標高でも、かなりきつい。
早々に元清澄山の山頂から下りて、3つ4つあるコブを乗り越えて林道分岐に戻る。三石山への分岐はどこか方角を確認しながら探すのだが、昼食休憩した場所から頂上の間にはない。まずは休憩地の奥にあった赤テープの地点から探ってみる。
かすかに踏み跡らしきものはあるのだが、斜面をトラバースしているもので幅が非常に狭い。この日は誰とも会わなかったけれど、向こうから人が歩いてきたらすれ違いが困難である。その上、斜めっている足下を滑らしたらずっと下まで落ちてしまう斜面である。そもそも、次の赤テープが見当たらない。20mも進まないうちにこれは無理と引き返した。
関東ふれあいの道を戻りながら、分岐があるはずの北側に尾根が伸びている地形を探す。次の候補地は休憩地から100mほど戻った斜め上の尾根に上がる踏み跡で、上がってみると尾根は人の通れる幅がある。下って登ってみると、その先は切れ落ちていて先に進めない。ここも違う。
次に失敗したら清澄寺まで戻るしかないと思ってさらに100mほど進むと、北側の斜面を登る道があり、「三石山」の手作り標識がご丁寧に2つも置かれている。行きにちゃんと前を向いて歩いていれば見逃す場所ではないのだが、何をぼんやりしていたのだろう。時刻は13時30分、頂上から35分だから、分岐が分からないでロスした時間は10分くらいだったはずだ。
後から考えるとあせることは全くなく普通に歩けばよかったのだが、2度ほど間違った道に入りかけて気があせっていた。帰りのバスの時間とか、できれば日帰り温泉で温まって帰りたいなどと思って、分岐から自分としてはかなりのハイペースでアップダウンをこなす。ここはもうすでに関東ふれあいの道ではないので、手すりもなく地盤も整っていないので余計に負担がかかる。
しばらく歩いた後、何か左足にひっかかったような感触があった。枯れ枝でも引きずっているのかと思って見てみたが何もない。何もなければ急ごうとさらに進むと、一瞬左足が固まる感触が走った。これはまずい。足が攣る前兆である。とっさにあたりを窺い、横になっても大丈夫な地形であることを確かめ、枯れ葉の重なった場所に腰を下ろす。
両手で左足を押さえる間もなく激痛が来た。しばらくは息もできない。ふくらはぎは完全に攣ってしまい固まっている。「あーっっっ」と大声が出てしまい横になる。必死にリュックを下ろして横ポケットのミネラルウォーターを取る。昔Saitohさんに言われたように、攣った時はまず水分補給しなければならない。次に荷物からコムレケアを取り出して飲む。
こんなふうに山歩き中に足が攣るのは、2012年の三条の湯以来である。あの時もとても寒くて、日差しもない谷間の道を歩いてついに痙攣したのであった。今回も寒波襲来前で暖かいという予報にもかかわらず日差しがほとんどなく、最高気温は7℃くらいしかなかったのではないかと思う。ちゃんと水分は摂っていたのだけれど、こういう事態になったのは厳しかった。
痛みがおさまるまで5分くらいかかった。時計をみるとちょうど午後2時。GPSで現在位置を確認すると、三石山分岐に入って30分ほど経ったにもかかわらず、三石山までの距離の5分の1も来ていない。これでは、下山口に着くのは午後4時である。そして、当初の激痛はおさまったけれど痛みは収まっていないので、普段のペースで歩けるとは限らない。
下山口から上総亀山までさらに3km以上あるから、16時42分のバスは難しいし、日帰り温泉なんてとても無理である。そう思ったらかえって気が楽になった。久留里線の次の電車は午後5時を過ぎてからなので、何とかそれを目指して下りるしかない。
幸い、10分ほど休んで立ち上がると、痛いのは痛いけれど歩くには差し支えない。元清澄山直下のような急傾斜があると厳しいかもしれないが、ないことを祈るしかない。少しずつペースを戻しつつ、基本的にはリスクミニマムで痛みが出ないように歩く。まだ早い時間なのに、なんだかあたりがうす暗くなってきた。
元清澄山の山名標と三角点。こちら側にテーブルとベンチも置かれている。ここは最初に清澄寺が置かれた場所ということである。
関東ふれあいの道から北に、三石山への登山道が分岐している。往路では見逃して、結構迷った。
三石山への登山道は、それなりに整備されている。しかし、この写真の直後に左足がけいれんしてひどい目に遭った。
関東ふれあいの道から三石山分岐に入ったところで右のふくらはぎが攣ってペースダウンを余儀なくされ、日帰り温泉も予定したバスに乗るのも難しくなった。原点に戻って、何はともあれ無事に下山しなければならない。
幸いに、多少のアップダウンはあるものの急傾斜というほどの坂はない。わずかな登りでも先ほど攣った左足ふくらはぎがひどく痛むので、これ以上悪くならないようにゆっくりゆっくり歩く。水はまだペットボトル1本が手つかずで残っているので心配はないが、水分補給にも気を使わなければならない。
14時25分、千葉県の建てた立派な行き先案内のある分岐に着いた。ここが地蔵峠というらしい。こんな立派な道案内を道中に建てるのなら、入口にもちゃんと建ててほしいものだと言ってみても誰も聞いてくれない。そしてこの分岐、「郷台畑」と書いてある方向には通せんぼがしてあって、進めないようになっている。この先が東大演習林なので、開放日以外は通れないのだ。
東大演習林はこの一帯の広大な山林を有しており、方々で立入禁止にしている。東大がおカネを出して買ったのならともかく(それだって元は税金だが)、この山林は明治維新の際に新政府が江戸幕府から接収したもので、いわば米軍基地の明治政府版である。やたらと立入禁止にしないで、愛宕山の自衛隊くらいには自由に歩けるようにしてほしいものである。
ただ、そこから30分ほど歩くと、民間の土地にしておくとこうなるという悪い見本が現われた。ずっと林の中のうす暗いところを歩いてきて、ようやく明るくなったと思ったその時、目の前に広がったのは、見渡す限り太陽光発電装置の置かれた広大な敷地であった。
昔、昭和45年に測量された1/25000図では、ここはちゃんと起伏のある山林となっている。記号が針葉樹林だったり広葉樹林だったりしているのは、多くは自然林だったということであろう。それがその後の地図では「ゴルフ場造成地」となり、現在の電子国土ではまっ平らなのっぺりした地面に整地されている。
電子国土だけ見ていると、土砂採掘場にでもなったのかなと思っていたし、実際に遠くの方ではトラックが行き来していたのだが、そのほとんどは太陽光発電のパネルが敷き詰められ、山を埋め尽くしている。ある意味絶景といえなくもないが、よく考えると恐ろしい風景である。ゴルフ場だって自然破壊だが、それ以上ともいえる。
追記.ネットで、この土地の2010年頃の状況がレポートされているのを見つけた(山さ行がねが廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡)。2013年頃には放置され、進入路である橋は骨組みだけになっていたが、2016年に橋の床板が再建されたという。となると、私が見た2018年1月まで2年の間に、太陽光発電施設が完成したらしい。
森があって水があれば多くの生き物が暮らしていけるし、ゴルフ場だって鳥や小動物くらいは住むことができるが、太陽光パネルは電気を作って機械を動かすだけである。山は人間が排他的に利用していいものではないし、ましてや地主が好きにしていいはずがない。植物や動物の命を削って電気にする、つまりカネにするというのは人間の傲慢だと思う。
私の住む千葉ニュータウンでも宅地化が盛んに行われるようになり、方々でタヌキが交通事故に遭っている。いまの世の中は、カネに換算できるのが正義という考え方になっているけれど、過ぎたるは及ばざるが如しという。カネを媒介として便利に快適に生きていけるのはいいことに違いないが、カネのためにカネを求めるのはやり過ぎである。
原子力がダメならクリーンエネルギーといって太陽光発電が推進されているけれど、こうやって山をつぶしてパネルを並べるのが正しいとはとても思えない。でも、山の持ち主もカネが欲しいからゴルフ場に売ったり、こうしてパネルを並べるくらいしか方法がないのだろう。だったら、立入禁止でも東大演習林にして管理を任せた方がまだましということではないだろうか。
太陽光パネルは走って下ればすぐのところまで山を埋め尽くしている。いざとなればここを下りれば楽な道になるかなあと思う一方、こうした施設は背の高い金網で入れないように囲っていて、出入口は施錠してある。そして大抵の場合、無人の機械警備である。下りたはいいが、どこまで行っても金網で囲われていたのでは生還できない。
太陽光パネルに沿って30分ほど歩き、方向を変えて再び山の中に入り、急な斜面を上り下りすると唐突に下山口の階段に出た。房総特有の滑りやすい石を削った階段であり、傾斜も急なので慎重に下りなければならない。ようやく下りると目の前は三石山観音寺の入口で、軽トラの屋台が出ていたので何時間ぶりに人の姿を見た。
ここのお寺は登山者に冷淡と評判で、WEB情報によると登山者が車を止めると文句を言いに来るそうだが、合計すると2~300台は駐車できるスペースに対して停まっている車はゼロだった。岩場に色とりどりの布がはためく奥ノ院は一見の価値があるが、一度見れば十分である。三十年ほど前に見に来たので、もう見る必要はない。登山者に冷たい寺に挨拶するのも業腹である。
三石山観音寺前に着いたのは15時30分。足を痙った時には4時過ぎることを覚悟したので、それよりも大分早かった。そこから上総亀山までは下りの舗装道路を4kmほどであり、16時43分の千葉行バスに間に合う時間だったのだが、足が痛む上に途中でまたもや道を間違えてしまい、結局駅に着いたのは17時15分、久留里行き電車にギリギリ間に合った。
足は痙ったけれど歩けないという事態にはならず、人里まで下りてきた時には正直ほっとした。この日、東大演習林を歩いていた時には、これでは山歩きのトレーニングにならないなどと不遜な感想を持っていたのだが、終わってみるとハードな1日だった。攣った後で無理して歩いた左足ふくらはぎの痛みは、その後1週間近く引きずることになったのでした。
この日の経過
清澄寺バス停 9:40
10:35 池の沢番所跡 10:40
11:10 演習林ゲート前 11:15
12:00 林道分岐下広場 12:25
12:45 元清澄山 12:55
13:30 三石山登山道分岐 13:30
13:55 313独標前(左足けいれん) 14:05
14:25 地蔵峠 14:25
15:30 三石山登山道口 15:40
17:10 上総亀山駅
[GPS測定距離 19.1km]
[Feb 26, 2018]
ふれあいの道から30分以上歩いて、ここが地蔵峠というらしい。この分岐の郷台畑方面は、演習林のため立入禁止のゲートが。
三石山に近づくと、ある意味絶景ポイントに到着。四半世紀前はゴルフ場予定地だったが、いまはこの状態である。
三石山からさらに1時間歩き、5時近くなってようやく人里に達した。この日はハードでした。
嵯峨山 [Feb 18, 2018]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
2018年は2月下旬に再び雪が降るという予報であった。また積もるとしばらく山歩きは無理なので、あわただしく計画を立てて房総に行くことにした。今回はそれほど長丁場にはならないので奥さんを連れて登り、帰りに「かなや」に寄る予定である(結果的にこの週は雪が降らなかった)。
朝5時半に家を出発して、市原PA経由で鋸南保田ICを出たのは7時過ぎ。気温はまだ2℃しかなく、かなり寒い。しかも風があるので体感温度はさらに低い。ICからヤマト運輸の前を通って内陸に向かう。WEBで見覚えのある小保田のバス停をいったん通り過ぎて、引き返す。
小保田バス停から入る道は、予想以上に道幅が狭い。車ですれ違うのが難しい上に、ガードレールのない場所が多いので運転には神経を使う。しかも道なりに進んだら養蜂の巣箱の置かれた場所に出てしまい、カーナビの画面を見ると一つ違う谷を遡ったようなのでまたもや引き返す。嵯峨山への道は途中で西側に分岐する道で、手作りの小さな標識が貼ってある。
WEBによると嵯峨山登山口の駐車場には仮設トイレが置いてあるのだが、2018年2月現在そういうものはなかった。駐車場というよりも駐車スペースといった方が近く、最初は退避場所かと思ったくらいである。しかし、そこから先に車は進めないのでそこに止めるしかない。朝は最初の一台だったが、帰りには3台と、農作業中の地元の方の軽トラが2台駐まっていた。
さて、車を止めて支度したものの、風が強くて思ったよりもかなり寒い。久しぶりに一緒に行った奥さんが寒くて手に感覚がないというので、当初の予定から短縮して嵯峨山への往復とした。もともとはネタ本である「房総のやまあるき」に載っている、籠田山から嵯峨山のコースを計画していたのだが、私にしても寒くて前回のように足でも痙ったら大変である。
嵯峨山への順路は、いくつかの手作り標識が駐車場の奥方向を示している。舗装道路は駐車場からさらに坂を登って行く道なのだが、ここはひとまず指示に従っておく。結果的にはこの道が山の向こう、釜の台との間を結んでいるかつての通学路だったようで、林道と呼ばれてはいても車が通れないのはちょっとびっくりである。
谷沿いの細い道は斜めっている上にすれ違い困難なほど狭く、谷にかかっている丸太橋は半ば腐ってしまっている。その奥には田圃があるし、宅地の跡らしき平地もあるので百年くらい前にきっと人が住んでいたのだろうが、いまでは水仙畑が少し残っている他は荒地となっている。そこから上は深くえぐれた登山道である。
20分くらい登ったあたりで左から尾根が合流してきた。標識等はない。その少し先に今度は標識がいくつか立った場所に出る。右手に急斜面を登るのが嵯峨山方向とあり、まっすぐ進む道には、「この先、道が荒れています。迷いやすいのでご注意ください 富津市」という注意書きが立てられている。(後から気付いたが、この先が釜の台集落なのであった)
標識にしたがって急斜面を登る。左右にトラロープが張られ、足下は乾いていて滑りやすい。2つ3つコブを越えると、大きな石碑の立ったピークに出た。南側の谷に向かった斜面には水仙が植わっているので、ここが水仙ピークなのだろう。残念ながら水仙の盛りは過ぎてしまっていた。
水仙ピークから先はアップダウンのある尾根道を進む。房総を歩いているとよくある尾根道だが、奥さんによると「足が冷え切って感覚がないから、こわかった」そうである。やがて、なだらかな緩斜面の林の中の登り坂となり、「嵯峨山頂上」の手作り看板が見えた。
駐車場を出たところから。後方、水仙ピークと嵯峨山。
釜の台への分岐を過ぎて、道はかなり急傾斜となる。トラロープが張られているので特に迷う場所はない。
石碑のある水仙ピークを越えて嵯峨山頂上。この日は風が冷たくて、長居はできませんでした。
せっかく嵯峨山の頂上まで来たのだけれど、風が冷たくてゆっくりできる雰囲気ではない。せっかくだからコーヒーでも飲もうとEPIガスを持ってきていたのだが、風が強いので立ち止まると寒い。ミネラルウォーターをひと口飲んで、早々に下る。
山頂から少し下ったところに「金平神社」の石碑のある祠がある。土台をコンクリで固めてあって、「上に乗らないでください」と注意書きがあるところをみると、上に乗ってお昼でも食べていた登山客がいたのだろうか。山の上にある碑や祠は、この土地に住む人達が長年大事にしてきたものなのだから、敬意を持って接したいものである。
このあたり、標高が少し下がっただけでずいぶん風がなくなった。そして、東京湾に向けて景色の開けた場所を下る。ちょうど海が見えるあたりが下り坂の途中なのでゆっくりできないのが残念だったものの、風が強くて寒いので空気も澄んでいるせいか、対岸の三浦半島が間近に見えたのはもちろん、レインボーブリッジも富士山もくっきりと見えた。
さらにスイッチバックの林の中を下って行くと、石碑の立った高台のような場所に突き当たった。いま風に石材店の作ったものではないが、墓石であった。いちばん大きいものは2mほどの高さがあり、「陸軍伍長」と彫られている。近くには寄らなかったので細かく見られなかったが、第二次大戦ではなく日露戦争のものかもしれない。
大きな墓石の周囲にいくつか古い墓石も置かれていて、お参りした形跡は残されていたけれども、最近という訳ではなさそうだった。斜面に、お参りに使っただろうバケツが転がっているのが物悲しい。私有地と思われるので、登山道から手を合わせてさらに下る。
やがて景色が開け、梅と蜜柑の木が植わっている民家の裏手に出た。梅もきれいに咲いているし蜜柑もなっていたのだけれど、車が見えなかったのでいまも人が住んでいるかどうかは分からない。ようやく登山道から舗装道路に出た。「←小保田方面」とあるので帰り道は左の方向である。
奥さんが「案内図があるよ」と言うので近づいて見てみると、それは「地滑り禁止区域」を示す千葉県の標識であった。このあたりが釜ノ台集落だと思うのだが、下りてきた民家と同様あまり人の気配がない。「山菜を取らないでください 地主」とか「立入禁止」と書かれた標識はいくつかあるのだが、よく見ると民家の入口にはロープが張ってあったりする。
道なりに集落を過ぎて行く。いくつかある家は瓦も立派で、もちろん電線も通じていて、最後に改築してから二十年も経っていないと思うのだが、どれもひと気がないのは同じである。このあたりの子供が学校に通ったのが、これから駐車場に戻る峠道という。
舗装道路から左へ、急坂を登る登山道の入口がある。どうやらここを通って戻るようだ。舗装道路を通って戻れるといいのだけれど、このまま進むと白狐川に沿って竹岡まで下ってしまうようだ。竹岡といえば鋸山を挟んで反対側なので、ICで二つ違う。
この坂がまたきついスイッチバックの登りで、これがかつての通学路というから驚きである。奥多摩の大根山ノ神の登山道も奥集落の子供達が通学路にしていたというが、毎日通っているとたいして苦にもしなくなるのだろうか。そういえば私の子供の頃でも、1時間近くかけて通ってくる同級生は結構いたから、昔なら普通のことだったのかもしれない。
この登り坂を登りきったところが水仙ピークへの登り口で、往きに通った「この先道が荒れています 富津市」の標識を逆側から来たのであった。そのまま下った頃には気温も上がってきて、駐車スペースのあたりの南斜面はたいへん暖かかった。
そのまま「漁師料理かなや」に向かい、奥さんはヅケ丼とあなご天ぷら、私はあなご天丼とお寿司をいただいて、たいへんおいしかった。大きな窓にはタンカーが行き交い、山の上と同様に対岸の三浦半島がよく見えた。ここの日帰り入浴を楽しみにしていたのだが、残念ながら「水温が低く大浴場は休止させていただきます」の貼り紙が貼られていたのだった。
往路の高速代が2000円もかかってしまったので、帰りは一般道で帰ったのでした。
この日の経過
下貫沢駐車場 7:50
8:35 水仙ピーク 8:35
8:50 嵯峨山 8:55
9:20 釜の台 9:20
10:30 下貫沢駐車場
[GPS測定距離 3.7km]
[Mar 26, 2018]
嵯峨山から釜の台に下る途中、東京湾への視界が広がっている場所がある。この日はすごく空が澄んでいて、三浦半島も富士山も鮮やかに見えました。(写真に写らなかったのは残念)
人家はあるがひと気のない釜の台集落を過ぎ、小保田への分岐。左の山道を行かないと駐車場へは戻れない。
峠を越え水仙ピークへの分岐を経て駐車場に戻る。梅がきれいに咲いていました。