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養老渓谷・大福山 [Mar 30, 2012]

4月以降時間に余裕ができる目処が立ったのはいいけれど、ここしばらくの激務で、体が大丈夫か心配である。終電後に家まで歩いたのは7年前、沖縄で炎天下を歩いたのだって3年前のことである。何をどうするにしても、基本となるのは体力と体調、という訳で、長距離を歩いてみることにした。

千葉県は高い山がないため、歩くとすると南房総の丘陵地帯。紅葉の季節ではないが、養老渓谷から大福山まで歩いて、帰りは逆方向の上総亀山に抜けることにした。目の子で約16km、約4時間の行程となる。

JR五井で乗り換えて、小湊鉄道に乗り換え。ここから養老渓谷まで約1時間。昔は小中学生で一杯だったが、この日は中高年層で一杯である。いまどきハイキングする人なんているのかなと思っていたが、立っている人が半分くらいいるのには驚いた。隣に座ったおば(あ)さん方は1時間の車中でずっとしゃべっていた。iPODを持って来るべきだったと反省。

考えてみるとこのあたりに子供達を連れてきたのは二十年近く前だし、その時は車を運転してきたから電車には乗っていない。今回電車にしたのは、現在の体力を考えると、10km以上歩いた帰りに運転するのは非常にきついし危ないと思ったからである。これからのレジャーは、安全第一を心がけなくてはならない。

さて、養老渓谷駅を10時30分頃出発。第一目的地の大福山まで直行すると1時間くらいで着いてしまう距離だったので、あえて温泉の方から遠回りして進む。ところが最初は快調だったのに、途中からの坂がなかなか登れない。やはり久々のブランクは大きかった。

標高差でせいぜい100mだから、低山ともいえないような道がなかなか進まない。それも、階段がずっと続いているならともかく基本は舗装道路である。もしかしたら、花粉症対策のマスクがいけないのかと思って外してみたが、全然変わらない。最初から丹沢とかにしなくてよかったと変なところで安心したものの、とにかく坂を上らないと目的地に着かない。

結局、大福山の休憩所に着いたのは12時半、スタートから2時間かかってしまった。最終目的地である上総亀山まであと7、8km。上り電車は2時過ぎと4時過ぎだから、もうこの時点で2時の電車はあきらめざるを得ない。しばらく休憩。景色はがんばっただけのことはあるすばらしいものであった。

小湊鉄道・養老渓谷駅。昔は小中学生が一杯でしたが、今は中高年層が一杯です。


大福山展望台からみた房総の山々。標高200~300mの低山ですが、なかなかの絶景です。


さて、養老渓谷のさらに奥まったところにある梅ヶ瀬渓谷に、日高邸跡地という場所がある。日高邸というくらいだから日高さんのお屋敷の跡で、紅葉の名所なので、森林を整備してもみじとかを植えてくれた人だろうとぼんやり思っていた。今回、大福山の先、梅ヶ瀬渓谷を見下ろす高台に、日高氏を顕彰する碑が建てられており、それを読んでようやく日高氏の業績を理解することができた。

日高誠実(のぶざね)氏は高鍋藩(宮崎県)出身で、勝海舟、伊藤博文などとも親交のあった明治時代の人物という。50歳で陸軍省を退官すると、千葉県から養老渓谷一帯を無償で借り受け(ということは無人の土地だったのであろう)、理想郷を建設すべくこの地で植樹・魚の養殖等を行う一方で、私塾を開いて近来の人々の教育にあたったそうである。

最盛期には数十人の塾生がここで暮らしていたというが、何しろ谷間の奥まった土地にあるため豪雨のたびに増水・山崩れに遭い、日高氏が大正4年、80歳で没するといつしかこの地は再び無人の地となった。後年、氏の業績をしのぶとともに、付近一帯が紅葉の名所として注目されたことから、平成11年に顕彰碑が建てられたとのことである。

さて、大福山で休憩した後は、上総亀山までの下りである。下りは上りより楽とはいえ、距離はこちらの方が長い。そして、昔の2万5千分の1地図では麓への山道があるはずなのに、大規模な工事中で山ごとなくなってしまっている。後でgoogle mapを見ると新井総合施設・君津環境整備センターとある。名前からすると、産業廃棄物の処理施設だろうか。

仕方なく一本道の林道を進む。表示をみると大福山林道から坂畑林道と名前は変わるが、林道といいつつも基本は舗装道路である。ただ、山道なので曲がりくねっていて、歩いた割には距離が稼げていないようである。さすがにここらあたりまでハイカーは来ておらず、出会ったのは工事関係者とおぼしき人達だけであった。

ようやく林道の終点に着くと、亀山ダムである。目標4時に対して3時過ぎに到着。早く着いたら日帰り温泉と思っていたのだが、疲れ切ってしまって温泉までの1kmがどうにもこうにも歩けない。駅のベンチで携帯の歩数計を見たら、27,000歩で21.0kmとなっていた。こんなに歩いたのは2年間では記憶にない。復帰第一戦としてはまずまず成功であろう。

体力も体調も心配したほどには衰えてなかったのはよかったのだけれど、最後に温泉まで歩く余力が残っていなかったのは気になる。復帰第二戦では、もう少しバテないように体調を整えていく必要を痛感したのでありました。

この日の経過
養老渓谷駅 10:30
12:30 大福山休憩所 13:10
15:15 JR上総亀山駅

[Apr 2, 2012]

梅ヶ瀬渓谷を見下す大福山に建つ日高誠実氏顕彰碑。


伊予ヶ岳・富山 [Feb 3, 2013]

雪の季節になると、丹沢や奥多摩も素人の中高年には厳しくなる。もちろん軽アイゼンくらいは用意していくが、最初からアイゼンを使わなければ登れないと分かっているのに行くのは無謀である。ということで冬の1~3月は、わが千葉県・房総の山々に向かうことになる。2月最初の週、暖かくなる予報だったので奥さんと房総に出かけてみた。

房総の山は一番高くても標高400m程度しかなく、1時間くらい登れば頂上に着いてしまう。その中で、唯一「岳」が付くのが伊予ヶ岳である。この山と西側にある富山(とみさん)を往復するルートがちょうど4~5時間と手頃なルートになるので、ここが今回の目的地である。

実は1月にもこの山を目指したのだが、電車で向かったところが内房線が強風で止まってしまい、山には登れないし1日つぶれるしでひどい目にあった。それで今回は高速道路を使って麓に車を止めることにした。最近は山に行く時は電車にしているのだけれど、それほど標高差もないし疲れ果てることもないだろう。

実際車で行くと、大層時間が節約できる。電車だと3時間半くらいはみなくてはならないところ、家を出て2時間後、8時過ぎには伊予ヶ岳の麓、平群天神社の駐車場に到着した。鳥居をくぐって進むと、奥に登山者用駐車場があって、トイレも用意されているのはうれしい。無料なので、帰りにお賽銭はあげておくべきであろう。

うちの夫婦が登山靴に履き替えていると、大人数の団体さんがどやどやと現れた。やはりこの時期、房総の山というのは中高年登山者にとってポピュラーなのだろう。一緒になってしまうと何かと大変なので、早々に出発する。

学校の裏を登山道は上っていく。階段や手すりで整備されていて、ほとんど迷いようがない。ところが、それほどきつい登りという訳でもないのに、大量に汗をかく。奥多摩で寒さのため足が攣ってしまった経験から、手袋も帽子も冬用に新調したのだが、今度は厚すぎたのかもしれない。

休憩所まではスイッチバックの階段が続くが、それほど標高差がないため、しんどいというほどではない。30分ほど登って休憩所に到着。ここには丸太のベンチがいくつか置かれていて、下の方に展望が開けている。車を止めた神社や学校のあたりがよく見えて、向こう側へ山がずっと続いている。ここから先、いよいよ鎖場(ロープ場)となる。

丹沢や奥多摩では鎖場や梯子は時々出てくるのだけれど、房総の山では、ここがほとんど唯一の鎖場であるらしい。しばらく進むと、急勾配の岩場が現れた。なるほどなかなかハードな岩場である。足掛かりとなるような段もほとんどない。登山靴がスリップしたような土の筋もたくさん見える。

上から太いロープが2本下がっている。木の隙間から頂上付近がちらっと見えて、あと標高差で数十mと思われた。ところが、霜が降りてぬかるんでいるせいか、足下が滑る。私は何とか岩に足掛かりを見つけて登って行くのだけれど、背が低い奥さんには難しくて、5分もたたないうちにあっさりギブアップとなった。

こういう時は一人で登り続けたりせず、一緒に行くのが中高年パーティーの鉄則である。鎖場を下りて引き返し、中腹の分岐点から富山をめざすことにした。

平群(へぐり)天神社から伊予ヶ岳を望む。房総随一の岩場といわれています。


山の西側からみた伊予ヶ岳頂上付近。今回は奥さんがギブで断念、富山に向かいました。


伊予ヶ岳の下りでややきつい勾配をクリアすると、あとは房総らしいなだらかなアップダウンが続く。9時を過ぎて暖かくなり、絶好のお散歩日和となった。伊予ヶ岳から富山(とみさん)は約1時間のハイキングコースである。

2万5千分の1地形図は用意しているものの、目の前に富山、後方に伊予ヶ岳が見えるのでほとんど方向は間違いようがない。唯一戸惑ったのは、畑の中を抜けようとして猪防除の電線を踏みそうになった時くらいで、下の写真のような富山を正面に望む尾根道を進んでいく。右左は下っていて、車道がかなり下に見える。

ときどき農家の人達が作業をしている横を通り過ぎるが、このルートをとる人はあまりいないのか、すれ違うハイカーはほとんどいない。あたりには水仙の花がいっぱい。出荷するのか畑にきれいに植わっているもあれば、こぼれ種(球根?)なのか草むらに群生しているのもある。このあたりは首都圏より4~5℃、奥多摩あたりと比べると10℃くらい気温が高いので、そろそろ花の季節なのである。

富山に近づくとだんだんと傾斜が急になる。舗装道路が続いているのですぐに気付かないが、振り返るとかなり急坂を登ってきたのが分かる。とはいえ、休憩をはさむほどではない。さらに進むと、道端に「お使いください」と竹の杖が置いてある。

さて、富山は滝沢馬琴「南総里見八犬伝」の舞台としても有名である。「八犬伝」は戦国大名・里見氏をモデルとした馬琴の創作なので、もちろん伏姫も八房も八犬士も実在しない。里見氏はもともと新田氏の分家筋で代々幕府に仕え、足利幕府・古河公方の家臣であったが、後北条氏に圧迫されて勢力が衰えた。

市川に里見公園という国府台城址の公園があり、船橋・市川あたりの小学生はよく遠足に行くところなのだが、ここはもともと里見氏が後北条氏と戦って敗れた場所である。(後北条氏は北条早雲が堀越公方を滅ぼして勢力を伸ばし、さらに古河公方を圧迫した。古河公方配下の関東管領・上杉氏は最後は越後・長尾氏を頼り、長尾景虎が上杉謙信となる。)

その後、後北条氏が秀吉に滅ぼされて復活したものの、江戸時代初めに改易(取り潰し)となった。この時、旧藩主に従い最後は殉死した八人の家臣(八賢士)がいて、ここから馬琴が構想を得たものである。

ちなみに、滝沢馬琴は、十返舎一九、東洲斎写楽、喜多川歌麿と同様に版元・蔦谷重三郎配下の作者グループである。従って、八犬伝と弥次さん喜多さんは同時代(文化・文政時代、19世紀前半)の作品である。富山には伏姫のこもった洞窟「伏姫籠窟」があるが、「弥次さん喜多さんお泊りの宿」と同じくらいフィクションということになる。

さて、富山の頂上までの最後の登りは結構しんどい。また、伊予ヶ岳から歩く人はそうはいないのだが、すぐ近くの駐車場から歩く人は多いので、頂上の休憩広場はいっぱいであった。ここには立派な展望台が置かれていて、皇太子殿下ご夫妻がご来山の際に整備されたとのことである。

普段なら富士山まで見える場所らしいが、冬の割に暖かくて水蒸気が多い分、遠くまでの見晴しは得られなかった。北風が強くて寒いのもつらいから、まあよかったと思うことにしよう。

もと来た道を下り、伊予ヶ岳の麓まで戻って車道を駐車場へ。1日暖かくて気持ちのいいハイキングでした。奥さんは下りが続いて太ももが痛かったそうだが、私の方はどこも痛くならなかった。やはり昨年来の山歩きの経験が生きているようで、ちょっとうれしい。

この日の経過
平群天神社駐車場 8:20
8:50 伊予ヶ岳展望台 9:05
9:20 富山分岐 9:20
10:20 富山登山口 10:20
10:50 富山頂上 11:10
12:30 平群天神社駐車場

[Feb 20, 2013]

伊予ヶ岳から富山に向かう。伊予ヶ岳は登山道ですが、富山は頂上直下まで舗装道路が続いています。


富山頂上近くの展望台。この日は2月にしては暖かかったせいか、それほど遠くまでは見えませんでした。この展望台は、皇太子殿下ご夫妻のご来山の際に建てられたものです。


石射太郎・高宕山・八良塚 [Dec 29, 2013]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2013年のうちにもう一度山歩きに行きたかったが、昨年は雪が早くて12月20日過ぎには丹沢も奥多摩もアイゼン必携になってしまった。一昨年は冬至の日に三条の湯まで林道を歩いたのだが、ちょっと無理そう。冬場は軽アイゼンを持って行くけれど、ないと歩けないと最初から分かっていれば原則として回避である。

ならば房総である。いろいろ調べたら、鹿野山マザー牧場の奥、石射太郎山から高宕山にかけては富士山も望めるいい景色で、急登ありやせ尾根あり梯子・鎖場ありのスキルフルなコースであるらしい。電車・バスだと移動に時間がかかりすぎるので自動車利用で、高宕山からは八良塚(はちろうづか)を経由して戻る周回縦走コースを歩くことにした。

いずれも標高400mにも満たない低山で、縦走といっても大したことはないだろうと思っていたのだが、もちろんそんなことはなかったのである。

WEBに載っていた高宕第一トンネル前の駐車場へ。まだ朝8時だが、すでに1台先客がいる。この駐車場までは林道を2kmほど上ってくるので、道幅が狭いのではないかとちょっと心配したが、WEBで見るより広く問題はなかった。トンネルより先は車両通行止で、駐車スペースにはかなり余裕がある。

トンネルの右に石射太郎山への登山口がある。ここが急登という触れ込みだったが、それほどきつい坂ではなく、ゆっくり登れば息は切れない。登山道の脇を見ると垂直に削られた後がある。昔の石切り場である。関東大震災で被害を受けるまで、房総では鋸山と並ぶ採石場だったとのことである。

もともと山の名前も「石を射た」という意味で、昔から採石は盛んだったようである。遠くから見ると、この山だけは中腹が裸の石でよく目立つ。鋸山は南面すべて石切り場の跡という独特の風景であるが、おそらく港までの輸送の遠近で鋸山の方が規模が大きくなったのだろう。

登山口から20分も登るとマザー牧場からの道と合流し、間もなく山頂である。丹沢や奥多摩に行き慣れていると、この「あっさり感」がたまらなく楽しい。本当の山頂は危ないので立入禁止の柵がある。頂上直下はちょっとした広場になっていてベンチが置かれている。前面が開けていて、山並みが幾重にも連なっている。

ベンチの横には廃屋がある。窓ガラスが割れて、少しだけ残っている。もう何十年も放置されているようだ。中を除くと押入れのようなスペースも残っているから、倉庫ではなくおそらく売店のような建物だったのではないだろうか。景色がいいので昔はずいぶんと人が集まったに違いない。(その後WEBを調べたところ、サルを餌付けするための建物だったらしいが、詳細は不明である。)

しばらく展望を楽しんだ後、高宕山に向かう。この道は「関東ふれあいの道」として、環境省が指定した自然歩道であり、丹沢や奥多摩ともつながっている。自然歩道なので基本的にはなだらかな坂道なのだけれど、ところどころで石が露出している。それが霜解けでつるつるして、足下が大変すべりやすい。注意しながら先に進む。

最初の目標地、石射太郎(いしいたろう)山。頂上付近は立入禁止のようです。


高宕山へは「関東ふれあいの道」、基本的になだらかな起伏が続きます。


石射太郎山から自然歩道を一時間ほど。下が滑りやすいのと思ったより起伏があるので気を使ったが、まずまずのペースで高宕観音に到着。参道は長い石の階段である。左右を狛犬と、苔むした金剛力士の石像が守っている。あまり日が差さない森の中なので、ちょっと異様な雰囲気だ。

階段は標高差で7、80m近く登るのではないかと思うくらい長い。日陰のためと人があまり通らないためか、苔むして滑りそうである。その上に奥行きがあまりないので、足を全部乗せるのが困難である。ここは慎重に登らないと、滑ってケガでもしたら大変である。

と思っていたら、にぎやかなトレランの団体が何組かやってくる。狭いし滑りそうなので道を譲ると、当然のように追い抜いて行く。譲っているのだから当り前と思っているのだろうが、走るのは勝手なのだから、譲るのは当然という考えはいかがなものか。だいいち危ないと思うから譲るのだ。

いいペースで走っているのに、前が詰まってペースダウンするとつらいのは分かる。だからといって、追い抜き困難な道を走るのに自分が一番優先されると思う姿勢が腹立たしい。もともと登山道は走るためのものではない。次はわざとゆっくり歩いてやろうと思う。

高宕観音堂は切り立った岩の壁にへばりつくように建てられている。「立ち入らないでください」と書いてあるので外から見ると、中は天狗のお面や神具(仏具)などが置かれている。落書きもあるところをみると、入ってしまう人はいるようだ。お堂の前面からは、東京湾までの山並みが一望できる。

観音さまを抜けると、いよいよ高宕山である。WEB情報のとおり、梯子と鎖(ロープ)が出てくるが、それほどのことはない。ここまではトレランの連中は来ないので、静かでいい。西側は切り立った崖なので注意しなければならないが、注意しながら最後の梯子を上ると、頂上である。ここには雨乞いに使用されたという錆びた鉄の釜が置かれている。

腰を下ろすところもない狭い場所だが、展望はすばらしい。五合目の下まで雪が積もった富士山がきれいに見える。その右側には、山頂が白くなった丹沢山塊が見える。あの様子では、今日丹沢を歩くのは無理だったなあと改めて思った。左の方に薄く見えるのは伊豆大島だろうか。房総もこのあたりまで来ると伊豆大島まで意外と近い。

何しろ狭いので、10分ほど景観を楽しんで早々に梯子を下りた。時刻はまだ10時過ぎ。次の八良塚に向かう途中で小腹が空いてきたので、志組方面の表示のある分岐のベンチに座って、かにパンとコーヒーで軽くお昼にする。お昼の間に3組とすれ違った。トレラン組はもう来なかった。

苔むした石造りの阿形吽形が守る高宕観音の参道。同じく石でできた階段を延々と登ります。


高宕山からは、富士山や丹沢山塊がきれいに見えました。


関東ふれあいの道から八良塚(はちろうづか)への分岐に着いたのは11時半。まっすぐ進むと1kmほどで豊英(とよふさ)ダムとなるが、そこから駐車場に戻るのが超大回りとなる。八良塚への道は県民の森の管理で、ハイキングコースにもなっているので大丈夫だと思っていたのだが、案に相違して大変な道であった。

そもそも八良塚は、この一帯で最高の標高(それでも342mだが)なのである。加えて房総の山独特の急傾斜の連続であり、足下が石で滑る上に片側は切り立った崖というところもあった。50mくらい下まで一枚岩のつるつるトラバース道では手掛りが何もなく、あきらめて戻ろうかと思ったくらいである。

いまから振り返ると、ここの部分では誰とも会わなかったから、もし崖から落ちたら当分助けは期待できなかった。単独行のこわいところである。ああいう場合は潔く撤退して、時間をかけて遠回りすべきであった(後知恵だが、ロマンの森の日帰り入浴で時間をつぶしてバスを使えば、歩きは残り4kmくらいに圧縮できた)。

登り下りを2度ほどこなすと、標識に金つるべと書いてある休憩ベンチに着く。まだ分岐から1時間しか歩いていないのに、大変に神経を使って疲れた1時間だった。ここからの下り道はやっぱり足下が石でびびったが、先ほどとは違って鎖が張られていたので写真に撮る余裕があった。

すでに時刻は1時を回っている。8時スタートで4時間半予定のコースだが、休憩時間を入れてもコースタイムに近い。しかもまだ先は見えない。山の神というお社を過ぎ、何度目か分からない登り下りをなんとかがんばる。丹沢の下山よりもたくさん下っているような錯覚を覚えるほどである。

WEBでは208mピークという地点が目安となるのだが、どこだか分からないうちに急坂の下りとなる。どんどん下って、水音が聞こえてきた。もう沢が近い、登らなくてもいいという気がしてくると、ようやく林道との分岐点に出た。2時10分前になっていた。

展望のない登り下りをずっと続けていたせいで、思わず逆方向に進みそうになる。落ち着いて掲示板をよく見ると、駐車場へは下りてきた登山道から右方向である。北向きに歩いているとばかり思っていたのに、いつのまにか南に向かって歩いていたのである。

滑りやすいトラバースにせよ方向感覚を誤る登山道にせよ、標高の高い低いと山歩きの難易度はあまり関係ないんだなあと改めて感じた。低い房総の山だからといって簡単ということはないのである。そういえば、もう少し先の清澄山近くでは、高齢者のグループが道に迷って遭難騒ぎを起こしたことがある。

駐車場までの林道は、落石や倒木がいっぱいな上に路肩は深い谷底なので、車両通行止めである。素堀りのトンネルがあるなど結構手間をかけて作ってあるので、きっと森林作業の際には使うのだろうが、車を通す前には整備が必要なようである。林道を15分ほど歩いて駐車場に戻る。朝と違って、駐車場は一杯になっていた。

この日の経過
高宕第一トンネル駐車場 8:10
8:35 石射太郎山 8:50
9:40 高宕観音 9:45
9:55 高宕山 10:10
10:45 志組分岐(昼食) 11:05
11:30 八良塚分岐 11:30
11:50 八良塚 11:50
12:20 金つるべ 12:30
13:10 山の神 13:15
13:50 林道分岐 13:55
14:15 駐車場

[Jan 31, 2014]

金つるべあたりの鎖場。傾斜がきつい上に足下が石で滑るので、ちょっとこわい。


車両通行止めの林道には、倒木や落石がいっぱい。


津森山・人骨山 [Jan 25, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。図表黄線部は通行できません。ご注意ください。

2014年最初の山歩きは、年末に引き続いて房総である。 海抜400mくらいまでしかない房総の山でも、危ないところは結構危ないということが分かったので、今回は慎重に行き先を選んだ。人骨山(ひとほねやま)というおどろおどろしい名前の山があるが、房総のハイキングコースとしては結構有名である。近くの津森山からの巡回コースを計画してみた。

館山道の鋸南富山ICで下り、東へ向かう。目標は佐久間ダム。ここからぐるっと回るコースが大体4時間ほどで手頃である。ダム湖のまわりは公園として整備されており、駐車場もいくつかある。朝一番でどこも空いていたので、橋を渡った先の大きな駐車場に止めた。ここにはトイレがあるし、帰りに向こう側から歩いて来れるはずである。

身支度をして、渡ってきた橋を戻る。この公園は水仙の郷というのが売りで、谷間一面が水仙である。水仙は南房総の特産品で、栽培している農家も多い。このあたりの地名を大崩(をくずれ、と読むらしい)といい、ダムになっているくらいだから谷間である。その谷一面が水仙で占められているのは壮観だが、花粉症のわが身にはあまりよくないのであった。

なだらかな登り坂をゆっくり上ると、大崩の集落である。道端には、ずっと水仙が植わっている。周囲は山に囲まれている。町営バスの車庫があり、その先に集会所のような建物がある。しばらく進むと、ほとんど平坦な道となった。目の前が開けて、向こう側にこれから行く津森山への稜線が見える。

それほどきつい坂でなければ、考え事をすることが多い。この時考えていたのは、「不満があるかないかという観点から人生を見れば、それはまず上出来な人生だった。」(村上春樹「トニー滝谷」)というフレーズである。村上春樹のこの小説は何度も読んだのだけれど、今回はこのフレーズがなぜか気になっていたのである。

不満があるかないかという観点からでない人生の評価軸は、おそらく満足があるかないか、ということになるだろう。「不満のあるなし」を評価軸にとれば「やりたくないことをしない」になるし、「満足のあるなし」ならば「やりたいことをする」になる。しかし、「する」の中にはやりたいこともやりたくないこともセットでついてくるし、「しない」についても同様である。

だから、「やりたくないことをしない」ためには「やりたいこともしない」ことになるし、「やりたいことをする」ためには「やりたくないこともする」ことになる。わが身を振り返って考えると、若い頃は「する」の方向にウェイトを置いていたけれど、年を取るとともに「しない」の方向にウェイトが移ってきた。したくないことはやっぱりしたくないし、そのためにはやりたいことをあきらめざるを得ない。

そういう変化は、自分としてはいいことのように思うのだが、もちろんそれは程度問題であろう。「しない」方に90度舵を切ってしまえば食べていくことができないし、「する」方にしたところで1日は24時間しかない。人生の残り時間だって、せいぜい20~30年といったところだろう。

なんてことを考えて小一時間歩いていたら、何となく道が山から遠ざかってきた。あれ、どこか左折する場所を見逃したかなと思い地図を確かめるが、合っているようだ。まあ、間違えたとしても人骨山に行くはずだからいいやと思ってそのまま歩いていると、右手に廃屋らしきものが見えてきた。

そういえば、WEBに牛舎の廃屋のところを左折と書いてあったと思い出す。曲がり角に、「津森山登山口」と大きく案内が書かれている。ちょっと道は細くなるが、引き続き舗装道路である。次の目印は「人家の庭のようなところを抜けていく」と「必ず吠える犬がいる」のどっちだったかなあと考えながら、なだらかな坂道を上って行く。

のどかな大崩の里を津森山に向かう。


津森山登山口。廃屋の牛舎の隣が集会所で、その前を左折します。まっすぐ行くと人骨山登山口。


廃屋前の交差点を左に入り、少しずつ登って行く。ここからは目に付くところに「→津森山」の案内カードが下げてあるので、迷うことはない。鉄骨の骨組みだけ残った廃屋の横を抜けて行く。道はアスファルトからコンクリートになり、幅も狭くなる。この上に人が住んでいるのだろうかと思っていたら、景色が開けて、家が見えてきた。

WEB情報のとおり、道が家の庭を突っ切っているように見える。犬が吠えるかもしれないと思って身構えて進むけれど、私と目があってちらっと顔を上げたのは、真っ黒な牛だった。山の上に離れて一軒だけ建っている家は、畜産農家であった。さらに進むと母屋の横に白い犬が座っていたが、ちらっとこちらを見ただけで吠える気配はない。

畜産農家のすぐ先が本物の登山口で、ここからは土の道である。道はきちんと踏まれていて、坂もきつくはない。気持ちよさそうな広い斜面を過ぎて、最後の階段を登ると頂上。登山口から10分もかからない。3基の石碑がある背面には鴨川方面への展望が開けている。振り向くと南方面で、伊予ヶ岳と富山の特徴のある山容を望むことができる。

「あと20mで富士山が見えます」という立札があるが、20m進んでも木立に阻まれて何も見えないのでご注意。さらに進んで坂を下ってから登り返し、100mくらい行くとようやく景色が開けていて、そこから東京湾越しに富士山が見える。ただ、この日は暖かかったのでちょっと霞んでいて、丹沢や伊豆半島までは見えなかった。

ゼリー飲料で栄養補給をして、9時半になったので人骨山を目指す。伊予ヶ岳の前に見えるピークが目的地なので、目の子では1時間足らずで着きそうだが、1/25000図に登山道は載っていないし、結構迷いそうな道なのである。牛小屋のある畜産農家まで戻って左に折れ、舗装道路を先に進む。

しばらく進むと結構な豪邸があるが、その他には人家はない。かなり坂を下ってきたあたりで、左右同じような道幅の分岐点に来た。左は鴨川方面、右は大崩方面とある。方向としては右なのでそちらに進む。木々の間から人骨山が見えてきた。標高差で100mほどだろうか。1/25000図の印象よりもなだらかに感じた。

左に開けて人家が見えるあたりで、近くの木に「←人骨山」のプレートがあった(もう少し先に登山口の表示がある。下りてから気付いた)。少し下って、人家の前を通り過ぎて行く。ここがWEB情報の「必ず吠える犬」の家らしく、ちょっと過ぎたあたりで茶色ぶちの犬が追いかけてきた。「怪しくないから」と言うと、ひとしきり吠えてから引き返して行った。

津森山山頂。後ろは鴨川方面の山々。立札には20m先に富士山展望スポットと書いてありますが、100m先です。


津森山から南方向を望む。左に伊予ヶ岳、右に富山、中央手前がこれから向かう人骨山。


山に近づくと要所に道案内のテープがある。水仙が栽培されている谷間を大きく迂回して登っていくと、頂上はもう少し。ロープのある急坂は、登りは使わなくてもなんとかなるが、下が堅い土で傾斜がきついので、下りは使った方が安全である。

頂上からは各方面に景色が開けている。先ほど歩いてきた津森山や頂上近くの畜産農家、下山路の豪邸もよく見える。西側には車を止めた佐久間ダム、内房の山々、東京湾の向こうには富士山が見える。津森山より頂上の木が少ない分、見通しが利く。だから三角点の設置場所にもなったのだろう。

WEBによると以前は大漁旗が掲げられていて、いまでも三角点のすぐ脇に鉄製の旗竿は残っているのだけれど、いまは旗はない。その代わりに、頂上すぐの木に原色のスカーフが結ばれていて、まるでチベットの山のようである。頂上付近は、WEB情報で書かれているほど狭くはなく、10人くらいは大丈夫で、空いていればお昼のスペースにもなりそうだ。

しばらく景色を楽しんでいたら、ちょっと騒がしい年かさの夫婦が来たので下りることにした。下りは登りよりも滑りそうなので、ロープのお世話になる。とても太くて綱引きの綱のようで、後ろ向きに下りながら昔の運動会を思い出した。

あとは佐久間ダムに戻るだけなのだけれど、これがまた大変だった。1/25000図には登山口からダム方向への点線があるのだけれど、現在この道はない(Google mapでもつながっていない)。最後の家のおばさんに挨拶しながら聞いてみると、「昔は道があったみたいだけど、今はどうだろう?」とのこと。

登り坂の上には太陽光発電パネルがたくさん置いてあって、その先は林である。100mほど先に民家の屋根が見えるので進む方角は分かるけれど、そこまでの道はあってなきが如しである。さっき道を聞いたおばさんが、「大丈夫ですか?」とわざわざ見に来てくれる。「あの家まで行けばいいんですよね。」と急傾斜の林の中を下っていく。

冬なので、藪がそれほど濃くないのが救いである。5分ほど格闘して、なんとか夏みかんの植わっている畑まで下りることができた。それから柵を2回またいだから、基本的にはひとの家の畑だったようである。これは通れない道だったなと反省したが、ともかく脱出。ここからは舗装道路である。

途中で「←人骨山」の山道が下りて来ている(調べたところによると、頂上直下から南西に下りる道があった)。さらに進むと、今度は道が陥没して片側は崖になっていて、その先に「通行止」の表示がある。通るのに問題はなかったが、車だったら無理である。宅配便の人はどうするんだろうとちょっと心配になる。家はさきほどの民家一軒だけであったが。

あとはのんびりと田舎道を戻る。途中で畑仕事をしていたおじいさんに、「ええもんやろうか?」と呼び止められる。「なんでしょう?」と戻ると、軽トラックの荷台からレモンを5個取って、「絞って焼酎に入れるとうまいから」。うれしいことである。人骨山から下りてダムに向かうことなどをちょっとお話しし、お礼を言ってお別れした。

帰ってから焼酎レモンサワーにしたら、果実の新鮮な香りがした。

この日の経過
佐久間湖駐車場 7:45
8:35 津森山登山口 8:35
9:15 津森山 9:30
9:55 人骨山登山口 9:55
10:15 人骨山 10:25
10:50 廃道 11:10
11:35 通行止め看板 11:35
12:05 駐車場

[Feb 19, 2014]

人骨山の最後の登りはロープが張ってあります。使わなくても大丈夫。


人骨山山頂。以前は大漁旗があったらしいですが、現在はチベット風の原色スカーフがたなびいています。


房州アルプス [Feb 1, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。(× 通行止、? 難)

2月は引き続き房総の山である。あまり疲れない山なら奥さんも一緒に行くと言うので、いろいろ調べて房州アルブスを選んでみた。名前はすごいが、房総のハイキングコースとしてはたいへんポピュラーなところである。

鋸南保田インターを出て長狭街道を東へ。横根峠の先を県道に入って鹿原(しっぱら)林道入口を目指すのだが、見つからない。ずいぶん先まで行ってしまってからおかしいと思って地図を見ると、通り過ぎていた。林道は県道と鋭角的に交差しているため、北からは分かりやすいが南からだと見えないのである。林道入口の反対側に、駐車スペースがある。

身支度をして山歩きのスタートである。やや時間を食ってしまったけれどまだ8時半前、お昼過ぎには下りてこられるはずである。

林道は舗装されているが、小型車しか入れないようにガードレールが狭くしてあるので、途中で1台オートバイとすれ違った他は車は通っていない。結構な登り坂で、標高差で200mくらいある。いきなり大汗をかいてダウンジャケットを脱ぐ。奥さんには、「何でそんなに汗をかくわけ?」と言われてしまった。これは体調がいい証拠で、全く問題ないのである。

風もなく暖かな日である。景色が開けると、房総のおだやかな山々を望むことができた。北に見えるのは林道の終点・鹿原集落で、20軒ほどの家々が見える。そこだけ見るとのどかな田舎の風景なのだが、山の向こう側は東京湾で、はるかに川崎あたりの工業地帯が見える。都会は目と鼻の先なのである。なんともアンバランスな印象の風景であった。

林道の登りで1軒だけ、突然という感じで比較的新しい家が現れた。他に人家は見当たらない。駐車場のコンクリートも新しいし、機械や備品も古いものではない。なのに入口にはロープが引かれ、しばらく人が通っていない気配。別荘かもしれないが、房総に別荘を建てて冬に来なければ、他に来る季節はない。

奥さんは、田舎がいいと思って家を建てたのだけれど、不便なので結局住まなくなってしまったという意見である。そうかもしれない。電気も電話も線が引いてあるし、灯油タンクやプロパンガスもある。こんな山の上にせっかくインフラを整えたのに、誰も住まないとはもったいないことである。

林道入口から40分ほど歩くと、房州アルプス登山道入口の案内板が立っている。作ったのは「まつど遠足クラブ一年さくら組」で、WEB情報では少なくとも7、8年前にはこの場所にあったようだ。字を見ると小学校1年のようなのだが、奥さんは老人クラブの1年生だと主張する。確かに、小学校1年が歩くには厳しいコースかもしれない。

房州アルプスという名前を誰が付けたのかは定かではないが、正確にはここは房州(安房)ではなくて総州(上総)である。標高200~300mの低山ではあるが山々が連なっているところから名付けられたと思われる。主峰は志駒愛宕山(225m)と無実山(267m)になるが、1/25000図には標高のみで山名は記載されていない。

しばらくは砂利道が続き遊歩道のようだ。しかし途中から、落石や倒木がやや目立つようになる。15分ほど歩いて志駒愛宕山の分岐まで来ると、WEBに出ていたのとは違った光景が広がっていた。神社に上がる鉄パイプの足場に登れないようになっていて、そこには「老朽化して危険なため撤去しました」と書いてあるのだ。

鹿原林道を登ると、のどかな山村の風景を望むことができます。山の向こうは東京湾で、川崎から羽田にかけての建物も見えるところが房総らしいところ。


志駒愛宕山への階段は、老朽化により使用できません。神社への参道も、トラロープで通行止になっていました。


志駒愛宕山の分岐点。建築現場でよく見かける鉄パイプでできた足場の階段は、下の部分が撤去されて登ることができない。足場のところには「右側50mのところから登ることができます」と書いてあるが、右側に行こうとするとトラロープが張ってあり「通行止」と掲示されている。どこが危険か不明であるが、ハイキング客は立入禁止という意味のようだ。

房州アルプスの主峰の一つである志駒愛宕山は仕方なくスルーして、先に進む。ここまでは遊歩道くらいの道幅であったが、ここからは道幅が狭くなり砂利も敷いていない。このコースは標高200m位でなだらかな稜線歩きとなるので、とても気持ちがいい。左右にはまだ秋のすすきが残っているが、日当たりがいいため緑の新芽も見える。

小ピークをいくつか越えると、左側(東)が切り立った眺めのいい場所に出る。ここを「地獄のぞき」というらしい。名前はすごいけれど、遠くまで見通しがきいて気持ちのいい場所である。正面に見えるのは、昨年末に歩いた高宕山あたりだろうか。ただ奥さんに言わせると、石が滑りそうでこわいということで、確かに足もとが心細いのでさらに進む。

無実山が近づくと、ちょっと傾斜がきつくなる。それでも大して登らないうちに頂上だ。登山道入口から約1時間。かわいい山名表示の立札があり、WEBで見たのとは違って周辺の下草を刈って手入れをしてある。何組も一緒にはいられないが、幸い他に登ってくるグループもなかったので、ここで軽く休憩をとった。

さて下りである。頂上から急な斜面を突っ切って登山道にショートカット。そこからこれまでにない急勾配の坂道が始まる。もっとも、これまでの登りに比べれば急ということで、他の山なら普通にある傾斜である(遠くから見ると、無実山の南斜面は急で北斜面はなだらかで、ちょうど直角形の三角定規に似ている)。

急勾配を下りきると今度はやせ尾根、続いて斜めっているトラバース道である。ここは本来平らであったと思われるが、長年にわたり山側の土砂が流れてきたために、道自体が左に傾いている。まっすぐ立つことが難しく、足を滑らせると登山道から転落してしまうが、落ちても2~3m下だからちょっとは安心である。1ヵ所だけ、手がかり用のロープが張ってあった。

この斜めったトラバースが断続的に続いた後、道は大きく右に折れていく。右ということは西だ。目的地は、南ないし東だから逆方向である。道を外れてちょっと進んでみると千葉県の境界柱があり、そこから先、左(東)に道が続いている。ここがおそらく1/25000図に載っている県道に向かう登山道のはずである。

しかし進んでみると、いきなり倒木に行く手を阻まれる。これを乗り越えると、今度は道の真ん中に木が生えている。道らしきものは続いているものの、左右の木々から枝が伸びていて、かき分けて行かないと進めない。一人であれば冒険してもいいけれど、奥さん連れでは無理なので戻ることにした。

志駒愛宕山の分岐(跡)を過ぎると、山らしい道になります。


無実山の山頂。三角点があります。周辺は草刈りなどの手入れがされていて、1組くらいならお昼休憩できそうです。


旧登山道と思われた通行困難な道は、帰ってからGPS記録を調べてみると思った通り1/25000図の点線と一致したので、かつてはちゃんとした道だっただろう。このあたりの山は1時間くらいで登れる山がほとんどだから、昔は子供たちの遊び場だったのかもしれない。ちなみに駐車場近くにあった小学校は、かなり大きいのに廃校となっていた。

分岐点に戻って西に向かう。一見、目的地とは逆方向だ。こちらは道の真ん中から木が生えているようなことはないが、引き続き、斜めっている道でバランスを取るのが難しい。太い枝が折れて道をふさいでいるので、どけながら進む。5分ほど進むと、深くえぐれた道に出た。道なのか水の流れた後なのか分からないなあと思いながら進むと、木の間から水仙の畑が見える。

登山道から一段高くなっている道の脇に上がってみると、そこは斜面に作ってある畑で、周囲には夏みかんの木が、中央には水仙が栽培してあった。畑はかなりの勾配で下に広がっており、7、80m先の平らになったところに人家があった。林の奥深く歩いているように思っていたのだが、意外と人里に近かったようである。

畑の中を突っ切るのは気が引けたので、えぐれた登山道に戻る。20mも行かないうちに並行して通っている舗装道路が見えた。まだ傾斜が急なので、転ばないように気をつけてそこまで下りる。このあたりは内台という集落である。先ほど見えた畑の下の家を過ぎて、あとは舗装道路を歩けば駐車場に戻れるはずである。

これも帰ってから調べたことなのだが、実はこの日下りてきた道は正しいルートではなかったらしい。本当はもう少し東に下りるのが正しく、そうすると下山口には登山口と同様に「まつどハイキングクラブ」の立札があったらしい。えぐれた道はやはり水の流れたところだったのかもしれないが、深い林の中でなかったので大きなトラブルにはならず助かった。

ここから県道まで20分ほどかかるが、その間に人家は3、4軒しかない。左手には、今しがた歩いてきた無実山がひときわ高くなっているのが見える。穏やかな冬の陽の中でゆっくりと下り坂を下りて行くと、突然という感じで車通りのある県道に出る。

ここから、工事中の急斜面を抜け、集落の間をショートカットし、廃校前を通ると、スタート地点の鹿原林道入口に戻る。休憩を入れて約4時間と、前回の津森山・人骨山とほぼ同じ。ちょっと残念だったのは、スタートからゴールまで、ゆっくり腰を下ろして休めるスペースがなかったことである。あるいは、立入禁止の志駒愛宕神社にあったのかもしれない。

来た時は他に車はなかったのに、帰ってきたら他に3台止まっていた。さすがに、ポピュラーなコースである。

この日の経過
鹿原林道口駐車場 8:20
9:10 登山口 9:12
9:25 志駒愛宕山下 9:30
9:40 地獄のぞき 9:45
10:10 無実山 10:20
10:40 旧登山道分岐 10:50
11:00 内台 11:00
11:25 県道(日吉神社) 11:35
12:30 鹿原林道口(GPS測定距離 10.2km)

[Mar 14, 2014]

無実山を過ぎると、やせ尾根、急坂、ななめった登山道など、けっこうハードな道になります。


下山路の内台集落付近。写真上方向の森から、水仙/みかん畑の脇を通って出てきました。


坂畑から久留里 [Mar 1, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

昨年の3月には奥多摩に出かけたのだが、今年は大雪の影響で奥多摩も丹沢も歩ける状況にない。もしかすると、ゴールデンウィークあたりまでは無理なのかもしれない。したがって、引続き房総の山である。

おととし大福山から上総亀山まで歩いた時、右手はずっと高い崖になっていた。あの上はどうなっているんだろうと思っていたところ、最近のネタ本である「房総の山歩き」に坂畑から久留里に抜けるコースが紹介してあった。3月になるとヒルが出ると書いてあるし、WEB情報ではマムシがいるらしい。大雪後の状況は心配であるものの、この冬最後のチャンスであるので行ってみることにした。

市原SA経由、久留里に着いたのは7時過ぎ。駅前の商店街を抜け、久留里城の駐車場へ。朝は久留里駅まで歩いて上総亀山までJR、そこから久留里城まで戻ってくるコースである。

久留里は自噴井戸で有名で、駅まで歩く街中にも盛大に水が出ている。平成の名水百選なのだそうだが、飲んでみると少し硫黄の匂いがする。地下を通っているので仕方ないし、水質検査をしてあるので健康上は問題ないのだろうが、味覚的には好みの分かれるところだろう。JRまで歩いて20分。さらに上総亀山までJRで20分、単線なのでゆっくりと進む。

久留里線は2年前に乗った時には相当おんぼろだったのに、今回乗った列車は座席もきれいだし、車内ディスプレイもあって新しい。乗客が少ないのが難点だが、木更津の近くまで行くと住宅も学校もあるのでそれなりに乗られているのである。終点の上総亀山駅から正面を上がってメインストリートに出て、トンネルをくぐり坂畑まで。おととし逆方向から通った道である。

まだ新しいコミュニティセンターを左折してここからは未知の道である。山の上にも集落があり、家や畑を過ぎてもしばらく舗装道路が続く。素掘りのトンネルを2つ通って、犬の遠吠えが不気味な分岐点を過ぎると、いったん砂利道になる。左右は谷で深く落ち込んでおり、「不法投棄禁止」の掲示があるにもかかわらず、谷底に向かって粗大ゴミを捨ててあるのが見える。

山一つ越えたところには産廃処理場があり、WEBをみると環境保護には配慮しているらしいが、こちらはこんな状況である。処理場というとすぐに反対運動が起こるのだけれど、きちんと管理した処理場がいいのか、自然に任せて結果的に無秩序なゴミ捨て場になるのがいいのか、きれい事ばかりでは済まされない問題だろう。

さらに登っていくと、いったん砂利道になったのに再び舗装道路になる。なぜなんだろうと思って周りをみると、右も左も植林された杉林であった。おそらくは林業用として整備された道路と思われた。幹の太さからみて50年以上は前に植林されたものではなかろうか。

こういう植林をみると、なんだかなあと考えてしまう。最初に整備した人達は、杉の苗木を植えておけばいつか大木となり、材木として売ることができると思ったに違いない。おそらくは「これで一儲け」といったような浮ついた気持ちではなく、田畑が少ない山間地なので、将来家族が食べるのに困らないようにという切実な事情があったのであろう。

ところが時代が移り、国内の木材はコスト的に折り合わず、伐採されない杉林が花粉症の元凶となってしまった。家族の多くは都会に出てしまい、残されたのは年寄りばかりである。何のために苦労して山を整備して植林したのだろうと思っているかもしれない。今の時代で言えば、せっせと貯金して50年たってみたら、貯金したつもりが逆に借金になっていたようなものである。

なんてことを考えて、ふと横を見ると「坂畑77」と書かれた電柱が立っている。あれ、ここが登山口ではなかったかなと思って周囲を見回してみると、向かって左の山側、来た方向とは逆方向に鋭角的に細い登山道が上に向かっている。おお、行き過ぎてしまうところであった。房州アルプスでもこういうことがあったとふと思い出した。

小雨の中、上総亀山駅へ。2年前より電車が新しくなっていました。


坂畑集落から、素掘りトンネルのある林道を登って行きます。


舗装道路だった林道から折れて、急傾斜の山道を登って行く。考えていたよりも道幅はあるのだけれど、下の状態はかなり厳しい。初めは土だったが、次の急坂からはよく滑る石の地盤となる。

房総ではよくあるパターンで、嶺岡構造体(嶺岡地層)と呼ばれている。これらは玄武岩、蛇紋岩等の火成岩からなる地盤で、地すべりをおこしやすい地層であり、雨や雪で濡れた後に歩くとすごくすべりやすい。半月前の大雪が解けずに残っているので、その下からも雪解け水が流れている。

道幅が広いのは、ここは江戸時代のメイン街道だったからであろう。石の地盤が削れているのは、たくさんの荷車が通過してこうなったのだろうか。出発地である坂畑は武州川越藩の領地であり、目的地である久留里城は久留里藩である。現在進みつつある峠がその境界となっていて、峠には川越藩の出張所である横尾番所が置かれていた。

川越といえば、昨年暮れに行ったところである。松平伊豆守や柳沢出羽守が治めた、徳川幕府の出世コースであった。その飛び地が房総の山奥にあるというのも不思議だが、石高を合わせるためにいろいろ調整したのだろう(ちなみに、千葉ニュータウンのあたりには関西・淀藩の飛び地があった)。

番所跡は石碑が建っているだけと聞いていたが、行ってみると「川越藩 横尾番所跡」の真新しい柱が建てられていた。背面を見ると「平成二十五年」と書いてあるので昨年である。もっとも周囲はうっそうとした竹林で、往時をしのぶよすがとなるものはない。朝方から降り続いた小雨のせいで竹も湿っているし、雪解けのせいで地面も濡れている。

遠い昔のことを思う。出世コースなので家臣も期待して川越に行っただろうに、ここに割り当てられたらずいぶんがっかりしたのではないだろうか。「上総」と「下総」では「上」の方が京都に近く早く開かれた土地なのだけれど、江戸時代だからいまと同じく「下」の方が都に近い。まして川越からは江戸の反対側である。

明治時代になって九州高鍋藩出身の日高誠実(のぶざね)が、ここから山ひとつ離れた養老渓谷の開拓願いを明治政府に出した。その当時は周りに何もなかったらしい。山ひとつの差だから、ここもほとんど同じ状況だったと思われる。もっとも田舎のことだから、藩士には農民から海の物や山の物の差し入れはあっただろうし、そういう境遇を楽しんだ藩士もいたかもしれない。

ネタ本(房総の山歩き)にあったとおり、ここからは北に進む。下り坂のところで、さっそく倒木が道をふさぐ。細い木であればまたいだり押しのけたりして進むが、まるまる一本倒れている木もあるので、そううまくは行かない。そういう場所に限って雪解け水が相当の分量で流れたり、地盤が滑りやすい石だったりする。歩く速度が、かなり遅くなってしまった。

横尾番所跡に向かう山道には、2月中旬の大雪が解けずに残っていました。


川越藩・横尾番所跡には、平成25年に新しく標識が作られたようです。周囲は竹林。


倒木やぬかるみ、滑りやすい石の地盤を苦労して進む。道幅もあって起伏もゆるやかなので、天気が良ければ気持ちいい尾根道だと思うのだが、あいにくの状況である。さらに時々小雨がぱらついてきて、展望は開けない。予報では夜まで大丈夫のはずだったのだが、うまく行かない。そして、次の目的地である北向不動尊との中間点あたりで、この日一番の倒木が道をふさいでいた(下の写真)。

右手は急こう配の谷、左手は山で、何本かの木が固まって倒れ道をふさいでいる。倒れた木の上をまたいでいくには足場が悪いし、右の深い谷に落ちそうでこわい。左の山側を見ると、倒木の根元あたりの土が地盤ごと崩壊している。もともと砂混じりでもろい地盤のようだったので、今回の大雪で崩れたものと思われた。小規模とはいえ土砂崩れである。

どの程度の地盤が崩壊したか下からは見えなかったが、木の幹は太いし絡まっていたツタもあるので手がかり足がかりはありそうだ。7、8mほどの登りになるがトライしてみる。濡れた砂地でずぶずぶもぐる。靴はもちろんズボンまで泥だらけになりながら、根っこにつかまりながら倒木のさらに上、尾根になっているところまで登る。

上からみると倒れた木は20m近くの高さがあった。根っこのからんだ土は茶色いのだが、その下のうす緑色をした砂地が派手に崩壊していた。尾根に登って足場は安定したが、もともと登山道ではないので道幅は非常に狭い。それでも、2、3人は歩いたと思われる踏み跡があったのでちょっと安心。最後は2mほどずり下りて登山道に復帰した。

振り返って見てみると、向こう側から見るより木がふさいでいる距離は長く、高巻きするのが正解だったようだ。倒木はそれ以降も何回か出てきたけれど、これに比べれば楽なものだった。(一応、月曜日に、君津市役所のホームページからお知らせしておきました。)

あとは戻るだけなのだが、コースを2回ほど間違えた。1度目は北向不動尊から怒田集落への下り。ネタ本(房総の山歩き)には「ガードレールが始まるところが入口」と書いてあるので下りてみたが、どうやら道ではない。正解は、次のガードレールの切れ目の分岐から下りる。はっきり分かるくらいの道幅であった。もっとも、ずっと車道を進んでもいずれは合流するようだ。

2度目は怒田集落から久留里城に上がったところ。林の中をずいぶん進んだところで分岐があり、太い方(左)も細い方(右)も下っている。どちらも1/25000図には載っていない。安全策で太い方を選んだのだが、結局そのまま舗装道路まで下りてきてしまった。あきらめて、久留里城のすそ野をぐるっと回って駐車場まで歩いた。

そんなこんなで、1時前に駐車場に到着。上総亀山駅からは4時間以上、まったく腰を下ろすことなく立ったままの山歩きでした。まあ、座る場所がないというよりも座るとびしょびしょになるし、早く帰りたいというのもありましたが。教訓としては、やっぱりグラウンド・コンディションのよくない時には避けた方がいいということかもしれない。

この日の経過
久留里城駐車場 7:25
7:45 JR久留里駅 8:13
8:32 JR上総亀山駅 8:35
9:55 横尾番所跡 10:10
11:15 北向不動尊 11:20
12:15 久留里城入口 12:15
12:50 駐車場[GPS表示距離  10.5km]
[Mar 26, 2014]

大雪による土砂崩れで道をふさぐ倒木。道なき道を尾根まで上がって通過しました。


怒田集落から久留里城に上がる裏道(標識を右に)。途中で間違えてお城には行けませんでした。


安房高山(撤退)[Dec 31, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さて、年末の歩き納めは千葉の山である。スケジュールが空いたのが大晦日で、夜にはボクシングがあるので早めに帰りたい。そこで房総の山の中では比較的整備されている清和県民の森の近く、安房高山に行くことにした。

標高300m足らずの房総の山々だが、歩いてみるとなかなか難しい。こきざみなアップダウンがあって地図で見るよりずっと標高差を感じるし、崖とかやせ尾根など危ないところもある。また足下が石で、その上に落ち葉が積もっていたりするので油断すると滑ってしまう。そして、かつてハイキング客の大量道迷いがあったように、けっこう山は深いのである。

県民の森駐車場に着いたのは8時半過ぎ。ほとんど車は止まっていない。身支度をして歩き始めたのは9時10分前。早くに稜線に上がって、安房高山から三郡山を回って下りてくる計画である。だからもっとも時間が短縮できそうな安房高山近くまで林道を歩くコースを選択したのだが、みごとにその期待は裏切られたのであった。

駐車場から国道410号を南下する。しばらくすると左に林道が分岐するはずである。最初の分岐は産地直売所の前。舗装道路なのでちょっと入って様子をみてみたが、進む方向が違うようだし道幅も狭い。めざす林道は君鴨トンネルができる以前は国道410号線として使われていたはずだから、もっと道路っぽいはずだと思い国道に引き返す。

(あとから考えるとこの道は県民の森の中を走る作業道で、20分ほど進めば尾根道に入れたはずなので、間違えた方が目的地に到達できたかしれない)

さらに数百m歩いて、それらしい分岐に出た。脇を走る国道は交通量が多いが、脇道に入っていく車は見当たらない。ここを入って旧道のトンネル前まで行くと、すぐに安房高山というのがWEBで得た情報である。近くにある看板をみると、まさにこの道が旧国道のようだ。分岐を曲がってすぐにもう一つの林道との分岐があり、こちらは金網で厳重に立入禁止の措置がとられている。

なだらかな坂道を登って行く。さきほどの道とは違って道幅があるが、それでも何とか対向車とすれ違えるくらいだから国道規格とはとてもいえない。でも、ちょっと前まで、房総の奥の方にはこういう国道は珍しくなかったのである。舗装されているので足にはちょっときついが、車の音が聞こえないので快適である。

ところが、大きなヘアピンカーブを曲がって前をみると、道路に大量の土砂が堆積している。大きな石と土や砂、倒れた大木が道路を完全にふさいでいる。春に坂畑に行った時もこういうことがあったが、その時より土砂も倒木もかなり多い。いちおう上まで登ってみたのだが、誰かの歩いた跡もないし、かなりの高さもあるし、足下も不安定なので、引き返すことにせざるを得なかった。

(ここまで、どこにも通行止めと書いてなかった。もっとも、県民の森に書いてない限り同じことだっただろう)

地図をみて善後策を考える。山の南側から登ることをまず考えたが、君鴨トンネル自体かなり長いし登山口までも相当ありそうだ。残念ながら出発点に戻って県民の森の中を通って行くのがいちばん早そうである。仕方なく引き返す。帰りはやや下り坂なので行きよりも時間はかからなかったが、駐車場に戻ると10時15分過ぎ。1時間半近くかけてまだ出発点である。

県民の森の遊歩道を約30分かけて、安房高山への尾根道の分岐点までやってきた。1/25000図でみるとまだ距離があるし、立札には「ここからは県民の森の管理ではありません」と書いてある。これから道が整備されていないことを考えると、目的地の安房高山まで行って戻ってくるのはきびしいような気がした。あと約1時間、遅くとも正午には引き返そうと思った。

旧国道410号をふさぐ土砂と倒木。一応上まで登ってみましたが、突破は無理なので引き返しました。


県民の森遊歩道と安房高山への尾根道の分岐。向こうの立札には、「この先は県民の森の管理ではありません」と書いてある。


県民の森管理外に出てすぐ、擬木で整備してある坂道を登っていく。上まで行くとやや広くなった小ピークであるが、特に山名標示等はない。そして下りに向かうとすぐに擬木はなくなり、古くなったロープが行く手をふさいでいる。通行禁止であろうか。木の根が張ってなんとか下りられそうなところを選んでやっとの思いで下りると、下の写真の分岐に出る。

(帰りはさすがにここを登り返す気がしなかったので、「←森林館」の標示に沿って下って行くと、しばらくして元の道に戻った。向こう側にも標識を立ててあれば、無駄に登り下りしなくてよかったのに。)

さらに尾根道を進む。ところどころやせ尾根があったり、片方は崖で片方はササ藪などというきびしいルートを進む。とにかく尾根を忠実にたどったつもりなのだが、だんだん狭くなり、木の枝をかき分けて進んだり、足場のない斜面を尻セードして道のように見えるところに下りたりしているうちに、とうとう先に踏み跡らしきものがなくなってしまった。道迷い遭難か?

落ち着いてあたりを見回す。標高差で50m近く下に道らしきものが見えるのだが、道かどうか定かでないし、そもそもそこまで下りる踏み跡もない。こういう時に頼りになる赤テープもなければ、森林境界票もない。そして県民の森の領域を出てから、自分以外の人間も見かけていない。あれこれ考えると、どこかで正規のルートから枝尾根に入ってしまったようだ。

ここから引き返すのがまた大変だった。来るときは下りだったので尻セードできたのだが、登る時はちゃんと重心を乗せないと身長くらいの斜面だって上がれやしないのである。時間にして5分くらいだと思うのだが、えらく長く感じた。いくらも戻らないうちに、もと来た道の西側に下りて行く道が見つかった。おそらくこれが正規の尾根道なのだろう。

しかし、時間的にも11時半を過ぎ、先ほどの枝尾根迷い込みでかなり気分的に落ち込んでしまった。朝の土砂崩れ引き返しと合わせて2時間近くのロスである。すでに精神的にへばってしまっているし、この日は大晦日、そんなに遅くなる訳にもいかないということで、ここで撤退することにした。

さきほどの分岐(写真)に戻って、「← 森林館」の案内に従って巻き道を行ってみる。すぐに倒木に行く手をふさがれるが、朝と違って向こう側に道が見えているので乗り越えて進む。今回もいくらも戻らないうちにさっき通った尾根道と合流した。よく見ると赤テープがあるのだが、どうしたって擬木で整備してある方が正規ルートだと思ってしまうだろう。

1時間かけて駐車場まで戻り、車ですぐのロマンの森「白壁の湯」に寄って汗を流して帰った。目的地まで行けなかったのはしばらくぶりのことだけれど、撤退自体はこれまでも何度かあったし、今回は土砂崩れで道が通れなかったというアクシデントが大きかった。それにしても私が房総を歩くと、倒木、土砂崩れなどやたらとあるのはなぜだろう。

いずれにしても、このエリアは近いうちに再挑戦しなくてはならない。

この日の経過
清和県民の森駐車場 8:50
9:40 旧道土砂崩れ現場 9:45
10:15 県民の森駐車場 10:15
10:50 尾根道分岐 10:50
11:30 標高257m付近 11:40
12:25 県民の森駐車場(GPS測定距離  7.5km)

[Jan 12,2015]

尾根道にある分岐。三叉路を上に行く道は擬木があってまぎらわしいのですが、小ピークに上がるだけなので道案内どおりに巻くのが正解(なぜか向こう側には標識がない)。


とはいえ、こんな倒木もあるので油断は禁物です。


安房高山から三郡山 [Jan 17, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さて、年末に撤退した安房高山である。再挑戦ということになると、天祖山や三ノ木戸山の例があったけれど、いくら山のむずかしさは標高ではないといっても桁が1つ少ない300m級である。万難を排して今回は成果をあげなくてはならない。

前回の撤退は土砂崩れによる道路の不通が大きな理由であり、現場に来るまでそのことが分からなかったことによるものだから、そこを通らなければ心配はないはずである。ただ、再挑戦の日は午後から強い北風が吹くという予報だったので、早めに出発して早くに上がるに越したことはない。清和県民の森駐車場に着いたのは8時過ぎ。前回より小一時間早く着いた。

国道410号から林道のルートは土砂崩れ、県民の森から尾根道を行くのはやや歩きにくかったので、谷を越えてさらに東の尾根を行くことにした。この尾根を通っているのは林道であり、前回土砂崩れで行く手を阻まれた道を逆側から大回りで攻めることになる。大回りとはいっても、県民の森案内図によると4~5kmくらいだから、1時間半みれば十分であろう。

駐車場を出たのは8時10分。今回は奥に見えるトンネルをくぐって行く。しばらく林間の静かな道を歩いていくと、急にあたりが開けて、県民の森のキャンプ場・ロッジ村と大きな駐車場になる。とはいえこの季節なので、車は全く駐まっていない。左手にオートキャンプサイトを見ながら進むと、別の林道に突き当たる。ここを右(南)に折れて、安房高山を目指す。

下はアスファルトで歩きやすいが、左右にスイッチバックしながら標高を上げていくので、さすがに息が切れる。登り切ったあたりで、左からの林道と合わさる。じきに、大きな岩盤を切り開いたと思われる地点となる。「切り通し」と呼ばれる、房総ではよくある地形である。高さは10m以上はありそうだ。

いまにして思うと、なぜここに無理に道路を開かなければならなかったのだろうと思うけれど、当時はやむにやまれぬ事情があったのだろう。このあたりから、木立が途切れると向こう側の山が見えてくる。途中で見覚えのある津森山が見えた時にはちょっとうれしかった。

なかなか着かないなあと思ってるうちに進行方向にひときわ高い山が見えた。安房高山のようである。ただ、道は山を迂回して、南側に回り込むように続いている。右側の崖の上だろうなと見当をつけていると、林道が二方向に分かれた。

左の道は砂利道。右側は引き続きアスファルトながら、「この先、法面崩壊により通行止」と道路工事用コーンにプリンタ印刷された紙が貼りつけられている。法面崩落といえば、この間の土砂崩れの場所に違いない。だとすると、ここを少し進むと登山口になるはずである。

安房高山への林道で出てきた切り通し。ここにどうして道路を通す必要があったんだろうと思うけれど、登山道と比べると歩くのは大分と楽である。


向こうに見えてきたのが、おそらく安房高山。


分岐を過ぎてすぐ、後ろから乗用車が3台つながってやってきた。舗装してあるとはいえ道幅が狭いので、路肩に避けてやり過ごす。こんな林道を、しかも「法面崩落により通行止」の注意書きがあるにもかかわらず、何しに来たんだろうと思っていると、しばらく先の道が分かれているところに車を駐めてがやがや騒いでいる。

下りてきたのは10人以上の中高年グループ。安房高山という単語が聞こえたので同じ目的地のようだ。それにしても、ここまで車で来てあと10分かそこら登って、何が楽しいのだろう。WEBで見るとそんなに広い山頂でもないようだし。

せっかくの休みに大騒ぎしながら登る人達と一緒になりたくはないので、ちょっと考えて道を先に進む。安房高山の登山道は、北と南の両方の尾根道があって、北の尾根道は遠回りになるが、すぐ向こうに見えるトンネルを越えて引き返すようなルートである。車3台グループは駐車した位置からすると、南の尾根を行くらしい。だとすれば私は北の尾根を行くのが正解である。

まだがやがやしているグループを背に、トンネルを越える。ここらに登山口があるはずなので周りをよく見ると、路肩の岩に「↑安房高山」とペンキで描いた跡がある。ところがかなり前のものらしくほとんど消えかけているのであった。

そしてこの先の道というのが、標示が消えかけているのも無理はないと思えるようなルートであった。足下が粘土質の赤土でよくすべる上に、傾斜がきつい。そしてやせ尾根である。切り立った尾根の片側が崖になっているところや、赤テープがどこに続くのか分からないところもあった。

方向としては、トンネルの上を登っているし、頂上と思われる方向から先ほどの大騒ぎグループの声も聞こえるので間違いはない。ときどき錆びた行き先案内が出てくるのだが、「この先キケン」みたいな表示もあってかなりビビる。ロープを下ろしてある急斜面を登りきると、少し先に頂上が見えた。トイレの大きさの何かの施設は、WEBでおなじみである。

頂上到着は9時55分。幸いに大騒ぎグループは下りたようだ。誰もいない山頂は静かである。山は静かに登りたいものである。県民の森駐車場から1時間45分。せっかくの山歩きならこれ位の時間は歩きたいものだが、無理無理狭い道を車で来て、10分やそこらで登って楽しいものだろうか。

山頂のすぐ下に広くなっているところがあり、そこでしばらく休憩。ここまでほぼ予定どおりに来たので、南の尾根道を下りて林道を西に進み、請雨(しょうう)山、三郡(みこおり)山と続く本日後半のルートに向かう。

安房高山の南尾根は、北尾根とは違って広々とした尾根道である。切り立ったところに危険防止のトラロープが張ってあるのだが、これをやるなら北尾根は全部ロープや鎖が必要だと思われるくらいである。いったん登り返した小ピークに祠があり、祠のすぐ下からコンクリで補強された急坂となる。昔はこの祠まで車で登って来ることがあったのだろうか。

急坂を下りきったところで林道に合流し、そこに馬頭観音と書かれたものなど四柱の石碑と「→安房高山」と書かれた標示がある。いまやこちらから登るのがメインルートになっているようだ。そして林道は先ほどまで歩いて来たのとは違って、もはや管理されていないように思われた。

安房高山の北尾根(w)。けっこう危ないやせ尾根があります。


北尾根から見た安房高山山頂。右手によく分からないブロック作りの倉庫様のものが見える。


下に写真を載せてあるが、ガードレールもあるし舗装はしてあるものの、道幅の半分以上はもはや雑草の領分であり、それすらしばらくすると砂利道になってしまう。県民の森を出てから人家は全くない。時々「県有林・ゴミ捨て禁止」の標示があるので、森林の管理用道路として使われているのもしれない。

ただ、歩く分には、登山道と違って急傾斜やアップダウンのない林道は快適である。30分ほど歩くと、前方に見覚えのある補強された法面が見える。ここで林道から右に分かれた愛宕神社の参道を登って行く。法面工事の時に整備したのだろうが、道自体はかなりくたびれた階段状の道である。登りきったところに、「愛宕神社」と書かれた立派な鳥居がある。ここが請雨山である。

法面補強のすぐ上にあるこの鳥居からは、南にすばらしい展望が広がっている。眼下からは君鴨トンネルを出た国道410号線が大動脈となって鴨川市内へと続き、正面には自衛隊レーダー基地のある千葉県最高峰の愛宕山、両側を山に囲まれた長狭街道が左右に走り、金束(こづか)から鴨川にかけての平野部が一望できる。

この請雨(しょうう)山、別名を勝負山ともいうらしい。眼下に大きな風景が広がるこの地で、雨ごいをしたのか、丁半博打をしたのかは定かではないが、愛宕神社というからには山の神様として昔から信仰を集めてきたものと思われる。鳥居の先には社殿はなく、祠が2つ置かれているだけというのも、かえって神様らしい。

しばらく展望を楽しんだ後、法面の逆側・西方向へと進んでいく。10分ほど細い登山道を歩くと、もと歩いていた林道に復帰する。ただし、さきほど歩いていた地点よりさらに「こなれていて」、タイヤの跡もほとんどみられないほどの状態であった。もちろん、歩くのには問題はない。

登ったり下ったりを30分ほど繰り返して、そろそろかなと思うと道端に「三郡山入口」の表示がある。しかし、道とも踏み跡とも判然としない進路は、すぐに倒木に行く手をはばまれてしまう。再び周囲をよく見まわすと、斜面の上の方に赤テープが貼られているのに気が付いた。この道で正しいようである。

次第に急斜面となる。後ろを振り返ると、山と山の間、谷間から尾根へと上がってきたのが分かる。手がかりとなる木の枝は豊富にあるのだけれど、とにかく斜面が急傾斜で足下がすべるので登りにくい。テープもあったりなかったりするので、尾根筋をたどって登る。一度など、赤テープと思って登ってみたら椿の花だった。ようやく傾斜が緩やかになり、平らな場所に出た。

三郡(みこおり)山の表示があるのでここが山頂のようだけれど、残念ながら展望はない。ネタ本である「房総のやまあるき」によれば、山頂を北に下りると好展望の休憩適地があるようなのだが、残念ながらよく分からなかった。仕方がないので、少し行ったところの小ピークに、一人二人休めるスペースがあったので腰を下ろす。

ちょうど12時になったので、チョコクロワッサンとお汁粉でお昼にする。この日は午後から風が強まるという予報だったので、いつも持ってくるガスバーナーはやめて、テルモスに温かいお汁粉を入れてきたのである。午前中はほとんど風がなく、天気予報はいい方に外れたと思っていたのだけれど、残念ながらこの時間から予報通り風が強くなってきた。

さて、三郡山まで来てしまうと、午前中に通ってきた道を引き返すのは距離的に大きなロスだし、南に下りても西に下りても駐車場まで遠い。残る選択肢は北に行くしかないのだが、ここからは林道ではなく純粋な登山道である。そして、尾根道の途中から県民の森に下る道が分かりにくいという情報もある。でも、ここを行かないと帰れないのである。

安房高山を過ぎると、林道もかなり自然に還っています。後方尾根は安房高山に連なる。


WEBで見覚えのある請雨山への法面補強。上がったところに愛宕神社の鳥居と祠がある。鳥居や階段は立派なのに、なぜか本殿がないのが不思議。


三郡山山頂。まったく展望はない。展望のいい休憩適地があるという情報だったのだが。


テルモスのお汁粉でお腹があたたまったし、急に風も出てきたので、休憩を早めに切り上げ12時20分に出発する。

さて、ここで少し迷った。めざす方向は北の尾根道のはずなのだが、磁石が示す北方向は深い谷である。尾根はほぼ90度に北西と北東、それと進んできた南方向である。ここを間違えるとまたもや枝尾根に迷い込みという危険がある。ちょっと考えて、もっとも起伏がなだらかで道の広い北東の尾根を進んだ。

ところが、2つほどアップダウンを繰り返したあたりで、続く道が見当たらない。赤テープも森林標識もいつの間にかなくなっている。進路を枯れ枝がふさいでいて、かき分けて進まないと尾根筋をたどれない。どうやら枝尾根に入ってしまったようだ。かなり道幅のある踏み跡だったので、入ってしまった人がかなりいるようである。

早めに気づいたので、スタートした休憩場所まで戻る。時間ロスは10分もなかったと思う。北東がダメだから残るは北西である。休憩場所から北西の尾根はけっこうな急傾斜の下りであった。これまではほとんど林道歩きだったのだが、ここからは登山道である。階段などの整備がほとんどない本当の山道で、登りより下りの方が足場が確保できずにつらい。

このあたりが奥多摩・丹沢と房総の大きな違いで、1年通じて入山者が途切れることのない奥多摩・丹沢は整備してある道がほとんどであり、そうでないところもしっかり踏まれている。ところが房総は入山者が基本的に少ないため、道のように見えて落ち葉が積もっているだけだったり、すでに道でなかったり、整備していない急斜面だったりするところが珍しくないのである。

先ほどの枝尾根に懲りて慎重に赤テープや森林標識を追うのだが、目印のある道は基本的にピークを忠実にたどっているので、けっこう登り下りがある。なぜかというとこの尾根を俗に郡界尾根といって、市町村の境界になるからである。見るからに歩きやすい巻き道には目印がなくて、苦労して登って下りてくると結局合流したりすることもあるのでちょっと落ち込む。

そんなこんなで1時間ほど歩くけれども、まだ県民の森分岐には到着しない。実は今回のコース、10年前の2005年のインターハイ登山競技で使われたルートであり、要所要所に「高体連」と書いた行先標示がある。また、もっと昔に、県民の森で作ったと思しき錆びた金属の標識もあるので、それなりに心強いのであるが、それすらなかなか出てこないのであった。

12時過ぎに三郡山を出れば2時には駐車場に戻れて、日帰り温泉に寄れると考えていたのだけれど、GPSの進み具合を見ても先は長い。結局、県民の森への分岐点となる「尾崎分岐」に着いたのは1時40分、休憩から1時間20分歩いてようやく着いた(計画では1時頃に着くはずだった)。ここから郡界尾根は去年行った高后山に続いているが、尾崎というのは県民の森近くの集落である。

尾崎分岐からの下り道も植林地の急傾斜といった趣きだったが、枯れ枝を組み合わせた「X」印で方向を変えると、ほどなく尾根の両側にめざす小糸川の水面が見えてくる。水音が聞こえてから谷まで、奥多摩や丹沢だと1時間近くかかるのだが、房総だと10分か15分で着いてしまうのがありがたい。

尾根末端で川岸に下りる。ここの渡渉も、迷いやすいという情報だったが、インターハイの際の整備で意外と分かりやすかった。対岸に渡って赤テープを追っていくと、カヤトの原、イノシシ除けの電線のある畑を抜けて国道410号線に戻ってくる。あとは国道沿いに駐車場まで歩いて、到着は2時40分。予定よりも40分オーバーしたけれど、前回の雪辱を果たすことができた。

思ったより道を探すのに苦労しなかったのと、小ピークへのアップダウンを繰り返した割には足にダメージがこなかったことは収穫。ところが、秘密兵器CW-Xが縫い目のところから破れてきてしまった。2年使っているのでそろそろ寿命だったのかもしれない。渋滞になると困るので、この日は人目のないのを幸いに車の中で着替えて、そのまま家に戻ったのでありました。

この日の経過
清和県民の森駐車場 8:10
9:55 安房高山 10:10
10:50 請雨山 10:55
11:50 三郡山 12:20
13:40 尾崎分岐 13:45
14:15 小糸川渡渉 14:15
14:40 県民の森駐車場(GPS測定距離  12.2km)

[Feb 5,2015]

三郡山から郡界尾根に入ると、小ピークへの登り下りばっかりです。


愛宕山方面と県民の森方面の分岐。「尾崎→」の指示にしたがって右方向へ。


尾根末端まで下りると小糸川へ。向こう岸の赤テープを目印に林を抜けると、カヤトの原。ここまでくれば国道410号線がすぐ。


清澄寺から石尊山(撤退) [Feb 11, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さて、房総ではメインイベントとも言うべき山域がひとつ残っていた。石尊山(せきそんさん)である。標高347mのこの山がメインイベントとは大げさなと思われるかもしれないが、この山は千葉県では唯一といっていい遭難騒ぎがあった山なのである。

その事件は2003年10月というから今から11年ちょっと前に起こった。「新ハイキング」主催の中高年パーティ30名が道に迷ってビバーグ、翌日全員無事で下山したものの、一晩連絡がなかったことからマスコミ等で大きく扱われてしまった。もちろん房総だって転落事故はあるけれども、雪山でもないのに大量遭難なんてありえないにもかかわらずである。

一人二人なら騒ぎにならなかっただろうし、羽根田氏の遭難本を読むと、リーダーがわざと道に迷わせて(みんなで)楽しもうという心づもりもあったようなので少し首をかしげるところだし、何人かでも下山させて無事を知らせるというのが常識的な判断だと思うが、全員お年寄りということを割り引いたとしても、それもしなかった。

現在WEBに残っているリーダーの意見をみても、被害妄想とまでは言わないがひとの意見に耳を傾けるタイプではなさそうで、あまりご一緒したくない方のように見受けられる(もっとも私は、グループで山に行く人とは基本的にご一緒したくないが)。それはそれとして、とにかく自分も行ってみるべきだろうと思っていたのであった。

このパーティーは石尊山から南へ、麻綿原天拝園をめざして進んだが(途中で清澄寺に目的地を変更。これも道迷い要因の一つとなった)、私としては清澄寺から入った方が帰りの足の確保がしやすい。わかしお1号で安房天津、そこからコミュニティバスで清澄寺まで行って、そこから天拝園を経由して石尊山という計画を立てたのである。

当日は祭日、しかも晴天予想だというのに、清澄寺行きのバス(というよりバン)に乗ったのは私ひとり。房総ではコミュニティバスが廃止されオンデマンドタクシーに切り替えられつつあるが、それもやむなしと思い知られる。廃止されればますます公共交通の需要が減るけれども、税金でやっているのだからあまりにも利用者がいなければどうしようもない。

清澄寺からは「関東ふれあいの道」なので道標が整備されているだろうと油断していたら、とっかかりのところがよく分からない。寺の境内を通ることはあるまいと思い、急傾斜の坂道を登って行くと、立入禁止のゲートとなる。ゲートを越えると看板に「東大の演習林なので一般の人はご遠慮ください。森を見たい人は関東ふれあいの道にどうぞ」なんてことを書いてある。

はて、ここはふれあいの道じゃないのかなあと思いつつ、方向的に正しいようなのでそのまま進むと、何百mか行くと例の石造りの「ふれあいの道」距離表示があった。だったら分かりにくいことを書かないでほしい。

最初の急坂の後はほぼ平坦な道で気持ちがいい。景色が開けると彼方に太平洋が見えるのもすばらしい。ただし、時折右側が切り立っていてガードレールがないので、油断して落ちないか心配である。道端に花束が置かれていたのを見た時には、さすがに背筋が冷たくなった。ときどきワープロ打ちで「一杯水林道」と表示があり、分岐のところにはそれぞれの名前(△△歩道とか)が書いてある。これも遭難事件対応のひとつだろうか。

40分ほど歩くと再びゲートがあり、これを越えると内浦山県民の森方向との分岐点となる。左折して10分ほど坂を上ると麻綿原天拝園に着いた。ここは昔からあじさいで有名なところで、急傾斜の斜面一杯に植えられているのがあじさいなのだろう。ひときわ高い場所に建てられたガラス張りのお堂には、かっと両眼を開いた日蓮上人像が、かなたに広がる大海原を見据えていた。

さて、ここからは「関東ふれあいの道」を離れて尾根道である。道案内のとおり行くと舗装道路ではなく天拝園のもっとも高い場所から尾根に入るが、しばらく行くともとの舗装道路が再び見えてきたのでそこから上がった方がかなり楽そうだった。手書きの看板には、「石尊山まで120分」と書いてある。まだ時間は10時半。お昼休憩を入れても、1時過ぎには着く計算になる。

清澄寺から一杯水林道を麻綿原へ向かう。奥多摩にありそうな名前だが、房総です。


麻綿原天拝園。西に太平洋を望む斜面にはあじさい畑があり、シーズンには賑わう。頂上のお堂はガラス張りで、日蓮上人像がはるか海の方向を拝んでいる。


尾根道に入ると、結構なやせ尾根である。その尾根を木の根が覆っていて、しかも両側が切り立った崖だったりする。根っこを踏んで足を滑らせたりしたら一大事なので、慎重に進む。

目の前に大きくそびえるピークと、右側に巻き道が現れた。前回(三郡山からの郡界尾根)も良く出てきたパターンである。今回も、この尾根が君津市と大多喜町の市町村界となっているので、標石はピークを通るが、結局巻き道に戻ってくるパターンは十分に考えられる。尾根とピークの位置を慎重に確認しながら巻き道を進むと、予想通り合流した。

木の根を越えた向こう側にお地蔵さんがあるこの風景は、雑誌や本で何度か見たことがある。ここが、新ハイキングのパーティが道に迷った曲がり角、真根坂である。私は天拝園から来たので何でもなかったが、石尊山からこちらに向かっていれば正規の登山道と間違えるかもしれない。もともと演習林の作業道なので、登山道と同じくらい広いし人の手が入っている(現在は、トラロープが張られている)。

行先標示はおそらく事件後に作られたものなので、これがなければ分かりづらいことは分かりづらい。ただ、ここで90度進路が変わって西に進むことになるので、もしかすると分かっていて清澄寺方面にショートカットしようとしたのかもしれない。まっすぐ進めばあと10分ほどで天拝園、そこからは電柱沿いの林道なので間違いようがないのに。

この分岐点からもう少し進んだところに休める場所があったので、少し早いけれどもお昼にする。リュックを下してお湯を沸かしていると、がさがさと大きな音がして黒い犬が現れたのでびっくりした。犬は2頭で、両方とも黒い。首輪をして毛並みも悪くないし、吠えることも全くないのだが、1頭が10mくらい離れたところからじっとこちらを見て動かない。

もう一頭も全く吠えることなく、伏せの体勢で彼方の谷の方向を見つめている。ようやく沸いたお湯でコーヒーを入れ、チーズブレッドを食べる間も、じっとこちらを見て動かないので気味が悪い。ゆっくりできないので、早々に片づけて出発する。そして、用意をして私が歩き出すと、その一頭がおもろに私のいた位置に来て、私が立ち去るのを睨みつけているのである。

飼い主が現れないのも変だし、遠くで銃声が聞こえたので、おそらくは猟犬なのだろう。私の座っていた場所が飼い主に指示された待機場所で、そこで獲物を待ち構えていなければならなかったのかもしれない。だがそれは犬と猟師側の事情であって、私が追い立てられるいわれはないのである。釈然としないながら、あそこには戻りたくないなあと思った。

おそらくそれが平常心を失わせる原因となっていたようで、GPSの記録を見ると昼食休憩直後から進むべき尾根とは違った尾根をたどっていたのである。実はそこにはもう一つ大きな要因があって、私の持って行った古い1/25000図にはこの山域に全く登山道表示はない(石尊山・麻綿原間の尾根も含め)。しかし現在の国土電子ポータルには、356mの小ピーク(お昼を食べたあたり)を下りてすぐ北北西と北北東に登山道が分かれているのだ。

角度にして15度か20度の開きだから、自分では正しい方向に向かっていると思っている。加えて、北北東の登山道にもきちんと標石や境界表示が続いているのである。この方向にも登山道があることを認識していればともかく、そうでなければ見分けることは困難であった。(「房総のやまあるき」によると、演習林の標識杭『N△番』を追っていけばいいらしい。もっとちゃんと読んでおけばよかった)

そして、GPSの記録で北北東の尾根道に入った時間をみると、なんと12時8分、お昼休憩から5分かそこらの間に間違えている。あの犬のおかげで・・・と思うとかなりくやしいが、歩いている時には全く間違えている認識はなく、目印を確認しながら進んでいると思っていたのだから、新ハイキングの人達を笑うことはできない。

新ハイキングの道迷い地点には、ご覧のようにトラロープが張られている。演習林の作業道なのでかなり広い道だ。


私は向こう側から来たが、確かにこちら側からみると道があるとは分からないかもしれない。上の写真でお地蔵さんの前の道が間違えた進路。


さて、結果的には12時を回ってすぐに道を間違えているのでいくら歩いても石尊山に着くことはできないのだが、自分としては仮に間違えても尾根の東側に出れば、人里に下りることができると思っていた。1/25000図をみると尾根から直線距離で500mくらいに横瀬という集落があり、そこまで道路が通じているからである。

そして第一道迷いは12時半過ぎ。進路に小ピークが見えて左右に巻き道があるいつものパターンである。まず東の巻き道を行ってみるが、下ってばかりで尾根からは遠ざかる一方だ。やっぱり正攻法と戻って小ピークに登り、急傾斜をなんとか下ると、その先で左右から巻き道が合流したので正規の尾根道に戻ったと安心したのである。

ところがその先は、道が続いているようで続いていない。再び急傾斜を登り下りするのだが、心なしか道に木の枝が張り出して歩きにくい。下がそのときの尾根道の写真だが、見た目歩けそうだし踏み跡も明らか、土の柔らかいところには足跡さえ残っているのに、その先どうやっても尾根の末端なのである。

奮闘すること10分余り、これは枝尾根に間違いないと引き返す。やっと下った急斜面を登り返し、犬に会うのが嫌だなあと思いながらさきほどの巻き道合流地点まで戻って、小ピークは大変なので東側の巻き道を戻る。と、戻ったつもりがいつの間にか進路を北に変えている。おそらくこれは、西側からの巻き道が180度以上ピークを巻いて、北側につながっていたのだろう。

(東側の巻き道を選ぶのは、間違えるなら集落のある東側という考えがあるからである。これがもとで道を間違えたといえなくもない)

なにしろ、北に向かう尾根道は石尊山に続く尾根道しかないと思い込んでいるのだからどうしようもない。標石もあるし林野庁の標識も続いているので、この時点では全く疑問に思っていないのである。もとの尾根に戻ったと安心して先を急ぐ。

このあたりで、尾根から右側に舗装道路と民家が見えた。自分としては石尊山に向かう主稜線から東を見ているものと思い込んでいたのだが、北北東の尾根からだった訳である。新しい地図を確認しなかった痛恨のミスであった。(もっとも、1/25000図にあるはずの道がないということもたびたびある、というか山の場合そのケースの方が多いようだ)

あとから思えばここを道なりに下ると横瀬の集落に至るのだが、その時は下る道は違うと思い込んでいるので、再び枝尾根に進んで第二道迷いへと入り込む。とはいえ、この枝尾根にも標石は続いており、道もちゃんとしているのであった。昼休憩から1時間半歩いたので小休止。これ以上迷ったらまずいと思っていたのだが、とっくの昔に間違えているのである。

1時45分頃、道は一面杉の伐採跡となり、どこに続くのかまったく分からない状態となってしまった。白く目印のある木を目指して歩くが、その先は崖で道は続いていない(おそらく、ここまで切るという目印なのだろう)。伐採した境を歩いてみるが、それらしい踏み跡は見当たらない。唯一続いているのは谷へ下りる下り坂だが、ひとの歩いた形跡がないし石尊山への尾根道に谷に下る箇所はなかったはずだ。

やはり10分ほど奮闘したが、この先は見付けられないと判断せざるを得ず、この時点で撤退を決断した(何度も書くが、2時間前から間違っているのに気づくのが遅すぎた) 。戻るとなると、先ほど見えた横瀬の集落だろう。1/25000図では川沿いにあるので、谷に向かう道はないかと伐採跡を登って行くと、木に赤いテープが貼ってある踏み跡がある。そこを行ったら下に谷川と民家が見えた。

滑りやすい赤土のトラバース道でちょっと怖かったが、川沿いの道に下りて民家の方向に向かっていく。着いたところは申し訳ないことに庭の裏側で、ヤギを飼っているおばさんにゲートを開けてもらい、庭を通らせてもらわなければならなかった。

おばさんの言うことには、「ここの山は国有林なので標識とかほとんどなくて、よく迷う人がいる。家の前の道を上がっていくと太い道に出るので、そこを左に行くと国道に出る。そこから養老渓谷駅に出られるが、歩いたことがないのでどのくらい時間がかかるかは分からない」とのことであった。お礼を言って失礼する。まだ2時20分、なんとかなるだろう。

追記(2020/10/14):
最近YouTubeで限界集落の動画を見ているのだけれど、房総の「地図にない村」というのはこの民家周辺のようだ。景色がそうだし、ヤギにも見覚えがある。地図にないとはいってもGoogle Mapに載っていない(らしい)だけで、1/25000図にはちゃんと載っているし、電気も来ている。

房総の山を歩いていると、こうした一軒家をいくつか見かける。静かに暮らしているのだから、あまり興味本位で採り上げるのはどうかと思う。そもそも、地図にないというのは誤りだし。


見た目以上にきびしい登り坂を上がって太い道に出ると、そこが「房総ふれあいの道」で(関東ふれあいの道とは別)、清澄寺と養老渓谷・小田代とのちょうど中間であることが分かった。あとは案内表示にしたがって、延々と養老渓谷駅まで舗装道路を歩く。

ほとんど休まずに歩いたにもかかわらず、養老渓谷駅に着いたのは5時15分。そして次の電車は6時37分というのは大きな誤算だったが、道迷いしたにもかかわらずちゃんと帰れたのでよしとしなければならない。すっかり日が暮れて冷たい風が吹いてくる待合室で、新ハイキングのひとのことは言えないなあと反省しながら、帰りの電車を待ったのでした。

この日の経過
清澄寺 9:40
10:35 麻綿原天拝園 10:45
11:40 356mピーク付近(昼食)12:05
12:25 枝尾根(道迷い1) 13:00
13:40 伐採跡(道迷い2) 14:00
14:20 横瀬集落 14:30
15:10 筒森分岐 15:15
16:15 小田代 16:15
17:15 養老渓谷駅(GPS測定距離  19.8km)

[Mar 2,2015]

なんとか進めそうな尾根道。でも、この時点ですでに間違えている。


ついに進退きわまった伐採跡。この先はすぐに谷で、尾根から見えていた集落に下りることができた。結果的には、すでに2時間前から間違えていた。


石尊山再挑戦 [Feb 21, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。今回は赤線往復。前回間違えたのが紫線

さて、前回は見事に失敗してしまった石尊山(せきそんさん)、早めに行かないと春の房総はヒルの出るのも早い。2月後半の晴れた休日に、再挑戦することにした。 前回は電車だったが、今回は奥さんも来るというので車を使う。車が使えれば小回りが利く。もっとも紛れの少なそうなコースを検討した結果、石尊山頂上直下の電波塔の下まで車で入ってしまい、歩いてすぐの頂上から麻綿原に向かって稜線を南下していくことにした。

WEB情報では電波塔への道は4m幅ということであったが、実際にはそんなに幅はなく、1台通るのがやっとですれ違いは無理である。そしてずっと急勾配の登り坂で、もし対向車が来たらちゃんと止まれるだろうかと心配になるくらいである。加えて、最後の人家を過ぎると簡易舗装のコンクリだけで、両側から雑草という状態である。

幸いにゲート前の駐車ゾーンは、工事車が入るためかなり広くなっている。ここに駐車させてもらい、電波塔の間を縫って坂道を登って行く。最後の電波塔の横が通り道になっていて、そこから登山道が始まる。5分も登らないうちにもう頂上である。三角点があって、その奥の平らなところに大小の石の祠が置かれている。

しかしWEB情報と違ったのは、頂上付近に道標がまったくないのである。情報では、「→札郷方面」と書いてある道標があるということだったのだが、そんなものはない。木につるしてある板に消えそうな字があるので懸命に解読を試みたが、どうやら「わたしは何という木でしょう?」と書いてあるようだ。仕方なく、いったん電波塔まで戻って道を探す。

三角点から頂上に登る道の他には、途中から下る「大多喜方面」の道しか標示がない。この道は、七里川温泉から上がってくる正規の参道のように思われた。これから進む方向は南なのだが、南側は傾斜が急で踏み跡も見当たらない。2度3度行ったり来たりした後に、三角点から祠の横を抜けてまっすぐ抜ける尾根道がそれらしいので、ここを下ることにした。

はじめに見た印象は前回しくじった枝尾根とよく似ていたけれど、歩き出してみると結構広く踏み跡がある。奥さんも「ここが道っぽいね」と言うので、結構な傾斜を下って行く。傾斜が緩やかになったあたりにようやく標識発見。左が麻綿原方面である。そして、この標識の書体が前回麻綿原で見たものと同じである。どうやら正規ルートに出ることができたようだ。

その後は標識にしたがって2度ほど方向転換し、ちょっと崩れたトラバース道を経て、おそらく頂上の南側、1/25000図にある分岐点に到着した。ここまで来れば、あとは南への一本道である。WEBに載っていた手書きの地図が貼り付けてあって大多喜方面に崩れた道があるということだが、ちょっとわかりにくい図で、いま来た道がそうなのか、分岐から東に行く道がさらに崩れているのかはよく分からなかった。

頂上からここまでは、例の新ハイキングのグループもかなり時間を浪費した場所である。南に下る道はなくていったん北に下りて回り込んだと書いてあったと記憶している。帰ってからGPSのデータをカシミールに落としてみたところ、私と奥さんが実際に歩いたコースは1/25000図の点線の道ではなかった。全部を回った訳ではないので、もっと安全な道があるのかもしれない。

このあたりで道端に、東大演習林の標識を発見。「N14」と書かれていた。ただし、「房総のやまあるき」に書かれていたほどには分かりやすくない。というのは、長い月日の間に、標識も泥だらけに汚れているし、インクも取れて読めなくなっているからである。とはいえ、進路を確認する上では非常に役に立った。このルートは演習林標識をたどるのが正解である。

石尊山直下の電波塔。携帯会社のものも含めて4基のうち、もっとも上のアンテナの横を抜けて行きます。


石尊山頂上の祠。大山阿夫利神社から勧請されたということなので、雨乞いの神様でしょうか。


分岐点から南はわかりやすい尾根道である。歩き始めてすぐに西の方角が大きく開けるが、見通しのいいところは結局ここ位しかなかったように思う。あとは林間で眺めが開けない道を進む。稜線だから仕方ないが、小ピークが結構多い。はじめは忠実に尾根をたどっていたが、結局巻き道と合流してしまうし、道標が巻き道の方に付いていたりするので、そちらを行くことにした。

ここでびっくりしたのは、前回昼飯の邪魔をして道迷いの原因になった(と思っている)2匹の黒犬が、ここでも現れたことである。特に吠えることもないし悪さもしないのだけれど、放し飼いというのはよろしくない。もしかしたら演習林の監視犬だろうか。まあ、前回から2週間経っているのに相変わらず毛づやはよさそうだから、どこかでエサをもらっていることは間違いないのだけれど。

20分くらいの間に小ピークを3つ4つ越えて、小広くなった鞍部に出た。稜線の東側にある小倉野集落への分岐のようだ。ここから北方向が開けていて、出発点の石尊山の電波塔が見える。結構な距離があり、もうこんなに来たのかと思う。ここから演習林の看板の前を通って、さらに南に進む。すぐに眺めのいい平地に出るが、お昼休憩にはまだ早い。

演習林の「N△」の標識を追っていくとたいへん分かりやすい。ただ、この標識はハイキング客のためにある訳ではなく、演習林の管理のためにあるものだから、ときどき番号が飛んでいたり、分岐点になかったりするのは仕方がない。N33番あたりで、大岩壁の前を通る。奇観と言うべき大岩であるが、残念ながら座って休むところがないので、写真を撮ってすぐに通過する。

この岩壁が中間点と書いてあった記憶があったものだから、ここまで歩いた約1時間と、標識にある「石尊山←→麻綿原 120分」の記載と合わせて、あと1時間歩けば着くだろうと思っていた。だから休憩も取らなかったのだけれど、このコース、それほど簡単ではなかったのであった。

N40番台に入ると、大きなモミの木が登場する。石尊山寄りが「もみじ郎(次郎)」、麻綿原寄りが「もみ太郎」で、ともに名札がついている。尾根をふさぐほど太く、樹齢二~三百年にはなっているだろう。幹はまっすぐ空に向かい、はるか数十メートル上で四方に枝を伸ばしている。「ごみを捨てないでね」と環境保護を訴えているところがかわいい。

もみ太郎を過ぎたあたりから、起伏が大きくなり道が谷に向かって下って行く。そして、倒木や土砂崩れで進む方向が紛らわしくなっている。ただしピンクテープがこまめに貼ってあるので、これを追っていけば道に迷うことはない。結構登り下りがあって息が切れる。

それにしても、なかなか麻綿原に着かないのが不思議である。進行方向左(東)に続く枝尾根が見えるたびに、あれが間違えたところだろうとGPSを確認するとまだまだ先である。石尊山から休みをとらずに歩いたのに、もみじ郎を過ぎ、もみ太郎を過ぎ、もう一つ保護樹木を過ぎて坂を登って、ようやくGPSの表示は前回間違えた地点にたどり着いた。

演習林のN番標識が何番まであるか確かめてこなかったので、50番台、60番台と続くといつまで続くんだろうと思ってしまう(麻綿原の林道から登った地点がN72)。結局、大岩壁から前回間違えた横瀬分岐まで1時間、麻綿原までさらに1時間かかり、石尊山から麻綿原まで、120分と書いてあるのに3時間かかってしまった。

歩きはじめは気持ちいい尾根道が続きます。が、ぬかるんだトラバースが多くて難儀する。


石尊山・麻綿原の中間点にあると書かれている大岩壁。中間というよりも、1/3かなあ。


さて、前回間違えた分岐である。GPSの記録によると、下の写真のところで間違えて尾根をそのまま進んでしまっている。

石尊山から麻綿原に南下してくると、写真左から谷を上がって来てこの分岐になるから間違いようがない。いってみれば、新ハイキングのパーティーが間違えた真根坂と逆バージョンである。分岐点にはまったく標識が見当たらないが、よくよく地面をみると、粉砕された標識の破片が残されていて、分岐点ということは分からなくもない。

それにしても、ここは間違えるだろうなと思う。最新の地図を確認してここに分岐があると分かっていなければ、見たとたんに尾根道に進む。今回のように演習林のN番標識をこまめにチェックすれば何とかなったかもしれないが、そうでなければ尾根を北に進めばいいと思ってしまうだろう。演習林だから標識はいらないと言わずに、何とかしてほしいものである。

じつは、今回道迷い対策として、主要な確認ポイントの緯度・経度のデータを前もってメモしておき、GPSのデータと確認しながら進んだ(わがGPSは並行輸入の普及品なので、地図データが入らないのだ)。GPSの測定には若干の誤差があるが、10秒単位で違うことはほぼないから、前回のような500m違う尾根を歩いていたような大間違いには有効である。ちなみに、地球1/4周=1万kmだから、経度1度は約100km、1分は約1.5km、10秒は約250mとなる。

12時過ぎにようやく麻綿原に到着。天拝園(妙法生寺)にお参りした後、お手洗いをお借りし休憩所で休ませていただく。休憩所脇に自動販売機があったので何か買おうと思ったのだけれど、シーズンでないためか電源が入っていなかった。4時には車のあるところまで帰りたいので1時前には出発する。

ところが、帰り道は非常に快調だったのである。歩いた時間でいえば往路が3時間に対して復路は2時間くらい。疲れ方はそれ以上に違っていて、私も奥さんも余力を残したまま石尊山に戻ることができた。

なぜかというと、往路は登りが多く復路は下りが多いということがあるだろうし、同じ道を通って目が慣れたということもあるだろう。天気も良かったので、朝よりも道が乾いて歩きやすかったということもあるかもしれない。そして奥さんによると、演習林のN番標識が、往路は番号が増えていき、復路は番号が減っていくのが微妙に疲れに影響しているというのである。

確かに帰りはN72あたりからスタートしてN14くらいまで、カウントダウンしながら歩くと正しい道かどうか確認できるし、あとどのくらい残っているか分かる。そして、番号が少なくなっていくので達成感がある。そういう精神的なことが大きいということはあるのかもしれないと思った。

分かりにくいという評判の尾根道だけに、往路と同じ道だというのに、2度ほど行き先に迷う場所があった。この稜線歩きに限っては、小ピークにこだわらずに太い巻き道を進んだ方が迷わないような気がする。

この冬の房総は撤退を2度やってしまった結果、2つの山にしか行けなかった。今年は去年のような大雪にならなかったので、そろそろ1000m級(w)に向かう季節である。

この日の経過
電波塔 8:30
8:45 石尊山 9:00
9:15 山頂南分岐 9:20
10:10 大岩 10:12
11:30 横瀬分岐 11:35
12:20 天拝園(昼食) 12:50
13:50 もみ太郎先(coffee) 14:20
16:00 電波塔(GPS測定距離  14.0km)

[Mar 23,2015]

前回間違えた分岐。写真中央の尾根を右に進んだが、それは横瀬方面で、正解は谷に下る左の道。石尊山から来る際には間違えようがない。


小倉野分岐のあたりまで戻って来ると、石尊山のアンテナが見える。石尊山・麻綿原間には景色の開けている場所はあまり多くない。

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