鶏足山・ミツマタ群生地   筑波山(坊主山北ルート)   筑波山(梅林ルート)
筑波山(林道ルート)   筑波山(秋葉神社ルート)   筑波山(女の川ルート再挑戦)


鶏足山・ミツマタ群生地 [Mar 29, 2023]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。GPS不調により一部トラックが不正確です。

2月終わりに宝筐山に行った後、3月はマラソン大会の準備に日々を送った。ようやく大会が終わり、これから山歩きの季節である。

今年は観測史上もっとも桜の開花が早かったそうで、家の近くでも3月には満開となった。あいにく開花日前後から梅雨のような天気になって、あまりお花見日和にはならなかった。

ちょうどこの時期、ミツマタも見ごろを迎える。最近、ミツマタが評判といえば鶏足山である。鶏足山という名の山はいくつかあるようだが、もともと弘法大師の伝説に基づく。

弘法大師が夜を徹して護摩焚きをしていると鶏の声がする。まだ朝には早いがと行ってみると、鶏の形をした石だったという。石でさえ、お大師様の霊威には従うということらしい。山号に鶏足山を使っているお寺もある。

鶏足山は水戸線より北、栃茨県境にある。電車では不便な場所なので車を使う。ずっと一般道だと時間がかかるので、往路は一部高速を使うことにした。

岩間ICで下りて笠間稲荷の案内にしたがって北上する。かつて難台山の帰りに間違えて遠回りした道や、ずっと昔に焼き物を見に来たあたりを通って笠間市内に入る。国道50号から県道に入り、県境の道を目指す。

ところがこの道、付近の採石場に出入りするトラックで交通量が多い。さらに道幅が狭くまっすぐでないので、向こうから道幅一杯のトラックが来て鉢合せとなり、何度か後退を余儀なくされた。

ようやく採石場が終わって田舎道になると、間もなく鶏足山の赤沢登山口である。20台くらい止められる駐車場の他に、さらに30~40台止められる臨時駐車場を用意してくれている。しかし、トイレは男女1つずつしかない。

駐車場から見えるところに登山口があって、大きな看板に案内図が描いてある。

この山域には鶏足山・焼森山のピークの他に、峰を越えて栃木県側にミツマタ群生地があるのだが正確な位置が分からない。かなり混みあうらしいので早く着きたいのだが、それほど広い山域でもないし、まだ7時過ぎなのでまず鶏足山に向かう。

主稜線へはいくつかルートがあるが、もっとも鶏足山寄りは赤沢富士から三角点に向かうルートである。赤沢富士ルートは登山口からすぐの急登を登る。急登とはいっても奥多摩ほどではなく、少し息が切れるくらいである。

特に休みを入れるまでもなく、20分ほどで祠の前に出た。ここが赤沢富士かと思ったら、道案内には「←赤沢富士」とあって下り坂になる。ところが下り坂はすぐ林道に合流してしまう。赤沢富士がどこだったのか結局分からなかった。

林道に合流してそのまま進むと下山してしまうので(ここで間違えて5分ほど下ってしまった)、林道から分岐した急登を登る。最初は心細い道だがすぐにちゃんとした登山道になり、ここを進むと三角点に達する。

三角点は鶏足山の最高標高点であるが、ふつう鶏足山と言われるのはここではない。「見晴台(弘法大師の護摩焚石)」の案内にしたがい、いったん下ってまた登らなくてはならない。

鶏足山の赤沢登山口へ行くには、採石場の細い道でダンプとすれ違わなくてはならない。駐車場から登山口はすぐ。


赤沢富士への道は結構な急傾斜だ。鶏足山稜線へは他の経路もある。


稜線に出ると間もなく三角点。ここが最高標高となるが、ご覧のとおりそれほど眺めは開けていない。


三角点から鶏足山へは、WEBによるとすぐ近くなのだが実際はかなり下る。一瞬、間違えたかと不安になるくらいだが、分岐はなかったはずだ。やがて登り坂となり、向こう側の景色が開けた。

小さなお社があって、「鶏足山」とワープロ打ちの山名標が立てられている。ネットでよく見る弘法大師伝説の案内板は、山頂から少し下がった林の中にある。案内板も、一緒に置いてある山頂の新年神事の案内も、半ば朽ちてしまっている。

とはいえ、眺望は最高である。最高標高点ではないので360度とはいかないが、東の栃木県側、西の茨城県側ともさえぎるものがなく、山並みが幾重にも連なっている。

栃木県側は、南北に走る送電線と鉄柱の列がかわいらしい。この日は霞がかって遠くの山は見えなかったが、条件がよければ日光連山も高原山も見えるはずである(筑波山や雨引山から見えるくらいだ)。

しばし、この眺望を一人占めする。まだ時刻は8時半前で、駐車場はかなり埋まっていたが稜線ではそれほど人は見なかった。とはいえ、それほど人数いられるよう広さではないし、座ってお弁当を広げたら1、2グループで満杯だろう。

後ろから次の登山者がくる気配だったので、頂上を後にする。いったん三角点に戻り、ミツマタ群生地へは稜線を栃木県側に下りる分岐があるはずだ。

稜線に戻って5分ほど歩くと、「ミツマタの小径」と案内の立っている分岐がみつかった。右折してそちらに向かう。「小径」というだけあって歩きやすい登山道だが、ここ数日の雨でぬかるみが残っている。傾斜もあるので、派手に滑った跡も残っている。

さて、問題はどのくらい下れば群生地になるのか正確には分からないということであった。小径はしばらくなだらかに続いていたのだが、やがて傾斜のあるスイッチバックとなった。

有料の第一群生地の前に、無料の第二群生地があるらしいのだが、それすら見えてこない。もう終わってしまったのかと思った頃になって、ようやく第二群生地が現れた。

道の両脇にミツマタが咲いて、トンネルのようになっている。両脇をみると、急傾斜の山腹もかなり上の方まで咲いている。このようにまとまって他の樹木がないところをみると、自然林ではなく人工林なのだろう。

第二群生地はすぐに終わってしまったが、ミツマタが咲いているのを見たらせっかくだから有料群生地にも行ってみようという気になった。幸い、騒がしい声は聞こえてこない。まだ人出はそれほどではないようだ。

林道と合流して、右に雷神神社の鳥居を見送ると、ほどなく有料群生地のプレハブが見えてきた。稜線からは20分ほど下っただろうか。「保全協力金お願いします」と声をかけられる。1人300円である。

プレハブの横から遊歩道が始まり、園内は一方通行である。登り坂を登って、右に曲がるとすぐに満開のミツマタが目の前に広がる。谷全体にミツマタが植えられていて、それが全部咲いているのであった。

鶏足山頂上は三角点より標高は低いが、景色はずっと開けて眺めがいい。


栃木県側も茨城県側も、遠くまで望むことができる。ただ、それほど広い場所ではない。


ミツマタ群生地へは、いったん稜線に戻って「ミツマタの小径」分岐を栃木県側に入る。下山してしまうのではと思うくらい標高を下げる。


家にもミツマタは何本かあるが、奥さんによると丈夫な木なのでそれほど手間はかからないという。北側に植わっているけれど、それほど神経質になる必要はないようだ。

季節になると黄色い花がきれいだが、花が終わると愛想がないという。もともとコウゾやミツマタは和紙の材料で、花を見る目的だった訳ではないから、仕方ない面もあるだろう。

それにしても、谷一面を覆っているミツマタは壮観である。ひとつの谷にまるごとミツマタを植えたように見える。遊歩道は左岸を遡って登って行き、どん詰まりでUターンして右岸を引き返す。どん詰まりには、昔マンガンを試掘したという坑口が残されている。

まだ9時過ぎなのでそれほどお客さんは多くはないが、それでも20~30人はいるだろう。三脚を立てて写真撮影しているおじさんや、スマホで記念写真を撮る二人組がいる。

「4時に横浜をでてきたんですー」と話している。TVでやったようで、それを見てやってくる人がかなりいるようだ。

なるべく人が滞留している場所を避けて、私も写真を撮る。300円の料金(保全協力金)をとるだけのことはある。ただ、遊歩道は一方通行で立ち止まると後ろの人がつかえてしまうので、それほどゆっくりできない。

正直言って桜並木はそれほど好きではない。桜はすぐに散って、道が花びらで一杯になるのも気になる。掃除するのが大変だと思う。それよりも、山の中でつつましく咲くヤマザクラや、街中だったら枝垂桜の方が好きだ。

散っている桜をみると「自虐の詩」で、お金持ちの△△さんが花束持ってくるとみんなほめるけれど、枯れた後片づける私を誰もほめてくれないと幸江さんが独り言を言ったのを思い出す。不思議に、満開のミツマタを見ても桜とは違って散ったらどうするとは思わない。

さて、ずっと登り坂が続いたが、最後にスイッチバックで下りる場所があって、間もなく出口になる。入口より20mほど下にあるだけだった。

料金徴収係の人(おそらく町役場職員)が話していたのを聞いたら、今年は暖かかったので開花が早く、もう少しで見ごろは終わってしまうらしい。私は先週マラソン大会があったのでたまたまこの日になったのだが、グッドタイミングだったようである。

帰りは稜線まで結構な高低差がある。おそらく標高150m以上は登り返さなければならなかっただろう。下りで感じたよりも傾斜がきつく感じた。最近はむしろ逆のことが多かったのだが。

30分ほどかけて「ミツマタの小径」分岐まで戻り、次は焼森山を目指す。三角点とは逆方向に稜線を進む。

ミツマタ群生地はひとつの谷をまるごとミツマタで埋めてしまったような壮大な森。300円の保全協力金を払うだけのことはある。


朝早くから、カメラを持ち込む人や記念写真を撮るグループでにぎわっていた。


見ごろは3月中旬から下旬。まさにいまの時期しか見ることのできない風景。


稜線からはゆるやかなアップダウンである。赤沢登山口への下山路分岐がある弛(たる)み峠を過ぎて若干登るが、ピークとか峠とか大げさなものではない。

弛み峠からあと2つほど分岐を過ぎ、少し登ると焼森山のピークとなる。標高423m、鶏足山と同様、東西に視界が開けて眺めがいい。ただし、ピークは広くはなく、2、3人登ると居場所に困るくらいである。

よく見ると、いま登ってきた弛み峠からの道と、反対側の栃木県側に下る道の他に、北方向への踏み跡がある。何人かは、ここを登ってきたのだが、1/25000図にもWEBにも載っていないのである。

ちょうど単独で来た人がいたので聞いてみると、「ここ以外から来れるんですか」と逆に驚かれてしまった。ミツマタ群生地から直接登ってくる道がこれで、普通に来るとここを通って登ることになるらしい。

群生地で保全協力金を払った時にいただいたパンフレットによると、領収証の発行元は「焼森山ミツマタ保全協議会」である。だから、焼森山に直接登ってこれて不思議ではない。

山域的には、焼森山よりも鶏足山の山麓にミツマタ群生地があるように見えるので、鶏足山・焼森山・三角点ピークを含むこの山域全体を、栃木県側では焼森山、茨城県側では鶏足山と呼んでいたのかもしれない。

さて、焼森山には休めるようなスペースがなく、その下のスペースにもカタクリらしき野草の花芽がついているので座りづらいので、倒木のある場所まで下りてひと休みしていた。すると、シニア女性が大部分の団体が登ってくるのである。

かなり多い。二十人くらいかと思っていたら、まだまだ続く。三十人以上いただろう。確かに眺めがいい山ではあるが、鶏足山も焼森山もあんな大人数がいられる場所はない。

少し下で休憩中だった地元のおじさんに聞くと、「四十人だって。東京から来たんだそうだ」とやはり驚いていた。時刻は11時。鶏足山・焼森山に登るにせよ、ミツマタ群生地を見に来たにせよ(おそらくそうだろう)、昼食や休憩なしで済ます時間とは思えない。

ミツマタ群生地自体は、四十人一度に入っても大丈夫だろうが、あそこには売店もなく、ベンチが5脚ほどあるだけでテーブルもない。トイレも仮設の移動トイレが2つ置いてあるだけである。

TVでやったところに連れてくるのはいいけれど、明らかにオーバーキャパシティである。4、5人グループが10組だったら時間的にも分散するだろうが、40人もいっぺんに来ると山道ですれ違うのも一苦労だし、偶然はち合わせたら騒がしくて仕方ない。

帰りに登山口駐車場に行くと、「大型車進入禁止」と書いてあるので路肩に大型観光バスを止めていた。まあ、採石運搬のダンプと登山客がほとんどだからお互い様ともいえるけれど、なんだかなぁという気がした。

この日は午後から雷雨に注意という予報だったので、昼前には下山した。50号線経由で岩瀬からつくばに出て、またウェルネスセンターでひと風呂浴びて帰った。

この日の行程
鶏足山登山口(181) 7:25
8:30 鶏足山(405) 8:40
9:10 ミツマタ群生地(240) 9:45
10:20 焼森山(423) 10:25
10:40 弛み峠下(410) 10:50
11:35 登山口(181) [GPS測定距離 7.1km]

[Apr 27, 2023]

再び稜線に戻り、弛み峠から焼森山を目指す。ゆるやかなアップダウンの歩きやすい道だ。


焼森山。ここもいい景色だがたいへん狭い。ミツマタ群生地から直接登る踏み跡もあるようで、そちらから何人も登ってきた。


帰りは弛み峠付近から林の中の急坂を下る。林道と合流して登山口に戻る。

筑波山(坊主山北ルート) [Apr 24, 2023]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

昨年春に筑波山に行った時、男の川ルート、女の川ルートの入口に通行禁止の掲示が貼られていて、それを見てから筑波山から足が遠のいていた。

いま行っても同じだろうし、来てほしくないところに行っても面白くないと思っていたが、筑波山第3のピークである坊主山にもいくつかバリエーションルートがあるらしい。

もちろん、バリルートなので道案内とかはないけれども、それなりに踏まれていて危険個所もないようだ。行くなら雑草が繁らないいまのうちということで、急きょ計画して行ってみることにした。

駐車場はつくしこで、途中まで薬王院コースを登る。去年から再開したランニングで鍛えたから、「天国への階段」をひいこらせずに登れるか確かめたい。そこから先、前に登ったときに見つけた踏み跡を探索する予定である。

つくしこは「つくし湖」が正しいのかと思っていたら、どうやら「つくしこ調整池」が正式名のようで1/25000図でもそうなっている。確かにダム湖ではなく霞ヶ浦から通している用水路だから、少なくとも自然地形ではない。低い土地から高い土地に通している長大な用水路の調整池である。

駐車場から関東ふれあいの道を歩く。と思ったら、駐車場を出てすぐ真新しい「薬王院コース」の案内板がある。行先は、左上の展望台を示しているようだが、寄り道するだけだと嫌なので勝手知ったる椎尾からのルートをとる。傾斜危険地の看板のある急坂だ。

車道と合流してすぐ薬王院が左に見える。この日は道が空いていて6時半に着いてしまったので、早く下りて来れたらお参りしようと思う。仁王門の少し先にふれあいの道分岐のある階段がある。

このあたり、ちょっと迷うところだが前に来ているので安心である。昔修験者が通ったルートで、その先にあるから坊主山なのだろう。別名太郎山ともいうが、これは男体山・女体山とセットの山名で、日光にもある。

林道出合までの標高差約300mはゆるやかな坂道と急階段が入れ替わりに現れる。前回は途中で休憩を入れたけれども、今回は林道まで一気に登った。休む場所がないのは分かっていたので、ここでリュックを下ろし、水分補給して屈伸運動する。

さて、林道を越えてしばらくすると急登「天国への階段」が始まる。標高差でおそらく200mほど、急傾斜の階段が続く。これがあるのは分かっているので、林道での休憩が必要なのである。ばんえい競馬の第二障害と同じである。

そして、なるべく上を見ない。上を見るとまだまだ続くのが見えて余計に疲れる。一瞬見て景色を覚えたら、あとは足元と4、5m先だけを見てひたすら登る。

このところのランニング効果なのか、2回目で目が慣れたためか、それほど息も上がらずにスイッチバックの連続階段まで登った。ここまで来ればあともう少し。

途中から左ヒザが痛んだので、ステッキを持ち換えてなるべく左足に体重がかからないようにした。そして、なるべく手すりを使わないようにしなければならない。土台が腐っていて体重を支えられないのと、棘が刺さりそうなのだ。

この日は薬王院コースなので、つくしこ駐車場に止める。「つくし湖」ではなく「つくしこ」が正式名称のようだ。


しばらく来ない間に、新しい案内表示ができていた。紫色でたいへん目立つ。


このコースの難所・天国への階段もひいこらせずに登ることができた。


スイッチバックの階段を登り切って、ようやく傾斜が緩やかになる。ここから標高600m台で、案内柱が前後して2基現れる。どちらの場所でも登山道が分岐しているが、1/25000図には薬王院コースの他に道はない。

後から現れた「標高670m筑波山頂まで940m」のすぐ後にある分岐が、方角的に見ると坊主山に直接登る道であるらしい。この先の分岐で分れても坊主山に行けるのだが、それだといったん下ってまた登ることになるのだ。

道は踏み跡というよりはっきりした登山道で、迷う場所も危険個所もない。女体山直下の岩場の方がずっと危ない。途中に林界標の杭があるから、もともと林業で使われていた道なのかもしれない。

擬木の階段もないので、かえって歩きやすい。しばらく登ると、視線の先に山頂らしき場所が見えてくる。

8時35分坊主山到着。6時45分につくしこ駐車場を出たから、1時間50分で着いたことになる。前にこのルートを来た時には2時間半かかっているから、40分短縮したことになる。

前には2度とった休憩を1回で済まし、歩くスピードも速くなったと思うけれど、40分とは予想以上である。2年3ヶ月の間に体重も絞れているし、ランニングで足腰が鍛えられたのだろう。66歳にしては上出来である。

山頂付近を見回る。たいして広い頂上ではないが、四方向すべてに踏み跡が下っている。WEBによると、1号路・2号路というのがあるらしい。ともあれ、下りの時の話だ。

まずは薬王院コースに戻って、男体山を目指す。すると、坊主山直下でへんなものを見つけた。

前に男の川ルートを歩いた時に分岐の目印となった「一五三補一」と同じような、タイルを石にはめ込んだような物体である。何の用途に使ったものだろうか。謎である。

合流してすぐに自然歩道の分岐となる。ここには「大石重ね」という旧跡があって、昔筑波山にお参りした人が麓から持ってきて重ねた石なのだそうだ。その大石重ねのすぐ上に、休憩所の四阿がある。

座ってから気づいたのだが、4つの柱のうち3つが真新しいコンクリートで補強されている。ベンチは古いままだし他には特に目新しいものもないのだが、支柱だけがコンクリで補強されている。

つくしこからここまで座る場所がまったくないので(だから前回は天国への階段に座り込んだのだ)、この日初めて腰を下ろしての休憩である。まだ朝早いけれども、これから男体山に近づくとさすがに人が多くなってくるはずである。

標高670mの案内柱先の分岐を左に進むと、坊主山に直登する。特に迷う場所はなく、林界柱が立っているので使われている道のようだ。


5分ほどで坊主山頂上に到着。道案内はないが、何ヶ所かはっきりした踏み跡が頂上から分かれている。


薬王院コースに復帰して、自然歩道休憩所でひと休み。四阿の支柱が最近コンクリで補強されていた。


自然鑑賞路は手を入れたようで、真新しい鉄のチェーンや足場板が目についた。案内板にも「この間通れません」とは書いてなかったから、復旧して1周できるようになったのかもしれない。

とはいえ、行ってみたら進入禁止では困るので、「迂回路→」の表示に沿って男体山への裏側ルートから頂上へ。こちらの方が正面から岩場の急登を登るよりかなり登りやすいのだ。

頂上に着き、まず神前で参拝。無事登頂できたことをお礼申し上げる。ちょうどこの頃から晴れてきて、頂上からは西側の展望が開けた。胸がすくような絶景である。

地平線近くは霞んでしまっているが、かすかに日光連山や高原山の山影が覗いている。今年は暖かくなるのが早かったが、金精道路はまだ通行止めである。

さすがに男体山、次々と登山者が登ってきたのでそそくさと失礼する。御幸ヶ原に向けて、正面ルートを下る。このところずっと冬に来てアイスバーンだったり滑ったり苦労した場所だが、この日は路面も乾いて滑ることもなかった。

御幸ヶ原で見たかったのは、新たに設置されたオブジェであった。いろいろな登山報告に載っている、双耳峰をデザインしたしゃれた山名標である。

ちょうどケーブルカーを下りてきた正面に設置されていて、厚さはそれほどない。足元に置かれた砂利がややシャビーであるが、おそらくこれから先筑波山のランドマークになるであろう。

新しく設置といえば、男体山側のトイレも新しくなっている。外装だけでなく内部もリフォームされていて、もちろん水洗である。百名山とはいえケーブルカーもロープウェイもある観光地で、登った後心配することの少ない山である。

ちょうど開いた売店でソフトクリーム400円を買い、しばしくつろぐ。天気は下り坂という予報だが、前の週のように6月並みの気温で真夏日という事態にならなかったのは何よりである。

10時になったので下山する。この日は女体山には向かわず、再び坊主山からバリエーションルートを下る予定である。反対側の自然鑑賞路を回って薬王院コースを目指す。

男体山からはみごとに景色が開けている。日光連山もかすかに望むことができた。


御幸ヶ原に新調された筑波山のオブジェ。今後は筑波山のランドマークになりそうだ。


御幸ヶ原に着くと晴れてきて、いま登ってきた男体山がきれいに見えた。トイレも最近新しくなった。


再び坊主山へ。男の川コース分岐を過ぎるとすぐに坊主山分岐である。「こっちへ来る人は少ないんだよ」と大声を出しながら歩く高齢者2人組が出てくるのを待って分岐を入る。誰か他人が来たら、しゃべってないで早く歩けと思う。

坊主山からは1号路・2号路といったバリエーションルートが下っているらしいが、頂上から見える道はどれも踏み跡というより登山道である。少なくとも、薬王院コースから分かれてくる道と大差ない。

今回は時間があるので、帰りの距離がより長くなる北登山口を目指すことにする。頂上の三角石の正面から下りる道で、男体山から入ってきた道から見ると90度くらい右になる。

下り始めてすぐ、イノシシが掘り返したと思しき穴が道の真ん中をふさいでいたのには驚いたが、道ははっきりしていて危険個所もない。ところがしばらくすると、どう見てもマウンテンバイクのタイヤ痕が縦横に走っているのを見ることになる。

蛇口三角点からのバリエーションルートもそうだったが、なぜこんな場所までマウンテンバイクで来なければならないのだろう。下まで通っていることは確かだけれど、何よりも木がかわいそうだ。

その後は、数十m下から響いてくる大声の登山客である。男女二人組であったが、男の声だけがずっと聞こえていて、しかも静けさを破るダミ声の大声である。

筑波山の主要登山道であれば騒ぐのも仕方ないけれども、地図に載っていない道で騒ぐのはどうしたものだろう。筑波にクマはいないからクマ除けではないだろうし、静かに山を楽しみたいとは思わないのだろうか。

この下山路は急こう配もなく、登りに使うとしたら御幸ヶ原コースや白雲橋コースより歩きやすいかもしれない。少なくとも岩場はない。男の川ルートとよく似ているが、男の川ルートのように進入禁止の貼り紙もない。

男の川ルートと似ているのは、薬王院コースから分岐してほぼ並行に下っているからかもしれない。違う点といえば、男の川ルートが文字通り沢筋なのに対し、こちらのバリルートは尾根筋であることだろうか。

坊主山頂上から30分ほど下ると、景色が開けて伐採地に出る。ここから下の山腹は高い木が伐採され、まだ低い苗木や自生したものなのかヤマツツジが咲いている。その伐採地に沿って道が下り、しばらくすると林道が見えてくる。

林道に合流した地点は男の川ルートの少し先で、この伐採地は下から何度も見た覚えがある。ここから林道を歩いて、薬王院コースのある筑波山の西側まで30分ほど歩く。

さて、帰りは薬王院にお参りしたのだけれど、ちょうどそこにいた副住職といった年恰好のお坊さんに、警戒感あらわな態度を示されてちょっと興ざめした。

ちゃんと手水場で手を清めて、お賽銭もちゃんと100円納めたのに、10mほど離れたところからうさんくさげにずっと見られたのである(見張られていたというべきだろうか)。 このお寺では、駐車場に「参拝者専用・登山者は×」と貼り紙しているし、山門近くにあるトイレには「使用できることを感謝し、ご本尊に挨拶しましょう」と書いてある。おそらく、駐車場も無断使用、トイレも汚しっぱなしにする登山者にいい印象を持っていないものと思われる。

とはいえ、何も悪いことをしていない登山者に警戒感むき出しはどうなのだろう。神社仏閣に仕える者は、本来オープンマインドでなくてはならないはずである。平安時代や戦国時代の僧兵気分では、そういう人達しか集まってこない。

オープンマインドなのはむしろ新興宗教やカルトで、既存宗教がこれではどうなのだろうと思ってしまうが、私ひとりが悩んだところでどうなるものでもない。きっとなるようになるだろうと、この歳になると思ってしまうのであった。

この日の行程
つくしこ駐車場(52) 6:45
7:45 林道出合(430) 7:55
8:35 坊主山(709) 8:35
8:55 自然歩道休憩所(740) 9:05
9:20 男体山(871) 9:25
9:35 御幸ヶ原(800) 9:55
10:15 坊主山(709) 10:15
10:50 坊主山北登山口(420) 10:50
12:20 つくしこ駐車場
[GPS測定距離 10.9km]

[May 25, 2023]

坊主山から北側の踏み跡を下る。男の川ルートと並行した尾根筋を下っているようだ。特に危険個所はない。


頂上から30分ほどで伐採地に出る。林道まで伐採地に沿って下る。


帰路では薬王院にお参りする。登山者にあまりいい印象は持っていないようだ。


筑波山(梅林ルート) [Oct 24, 2023]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

7月はじめに女峰山に登って以降、しばらく山歩きができなかった。いうまでもなく、長く暑い夏のせいである。

最高気温35℃超の猛暑日では、関東圏の低山は登れる状態ではない。真夏に筑波でトレラン大会があったそうだが、蜂が多くて大変だったという記事も見た。蚊もアブも、その他たくさんの虫も寄って来る。自重するのが賢い。

昨冬に筑波山(坊主山)の記事を書いた際、他にも登山ルートがありますよとコメントをいただいた。涼しくなったらぜひ挑戦してみたいと思っていたのだが、なかなか涼しくならない。10月に入り、ようやく最低気温が20℃を下回った。

ただ、この季節になるとマラソン大会が始まる。日程を調整し、かつ天候を選ばないといけないので難儀である。落花生マラソンが終わった週、10月24日が大丈夫そうだ。春以来の懸案であった筑波山のバリエーションルートに向かう。

ネットをみると、筑波山のバリエーションルートはいろいろある。梅林からの登りに限っても、谷コースと尾根コースがあり、尾根にもいくつかあるらしい。場所によっては踏み跡が不鮮明だったり薮が濃かったりするようだ。

2023年10月23日、朝5時に家を出る。ちょっと前までランニングをしていた時刻にもかかわらず、まだ真っ暗である。本当に、秋がなくなって夏からすぐ冬になるような印象だ。6時半に市営第一駐車場着。

ここは梅の時期には満車になるはずで、ニ三百のキャパシティがあるけれども、それ以外の時期は閑散としている。この朝は私一人、下山時にも3、4台が止まっているだけだった。

坂になっている梅林の中を登っていく。早くも登山しているような雰囲気だ。梅林の最上部にある展望四阿の近くに登山口がある。四阿で身支度を整え、筑波山神社方向に少し進む。

目印がないらしいが分かるだろうかと心配していたが、「進入禁止」の貼り紙が目立つようにあったのですぐ分かった。クレジットは茨城県とつくば市である。

高峯あたりの登山道をマウンテンバイクのコースにしてしまう茨城県にとやかく言われたくないし、理由が植生保護ということなので気をつけて歩くことにする。

男ノ川ルートでコケに×印をつけたり、女ノ川ルートで高山植物を踏み荒らす輩がいるから仕方ないけれど、誰も通らなくなって昔から人々が通ってきた道が廃道になってもいいのかなあと思う。

実際このルートに入るときちんとした登山道で、岩だらけで歩きにくい御幸ヶ原コースや白雲橋コースよりずっと歩きやすい。道幅もあり、植生が衰退して貴重な植物が失われる(と茨城県・つくば市が言っている)おそれはなさそうだ。

筑波山梅林から見上げた男体山。左に続く尾根を登って行ったと思われる。


梅林最上部にある展望四阿(あずまや)。下の景色がいいけれども、梅林ルートはここから登る。


進入禁止」の奥は、きちんとした登山道。昔から歩かれていた道に違いない。


さて、今回登った梅林ルートは入山禁止の位置づけで、ヤマップだかヤマレコに登山ルートを入れようとすると、「入山禁止区域」となって表示されない。もちろん、ルート検索にも使えない。

それほど厳密にやるなら、筑波山関係のホームページとか、現地の目立つ場所にその旨表示すべきところ、そういうことはしていない。登山道に「入山禁止」と一方的に書いてあるだけである。(それは、東側の男ノ川ルート、女ノ川ルートも同じ)

もちろん、管理している自治体がそう言うのだから、尊重すべきことは尊重する。尾瀬でも丹沢でも奥多摩でも、進入禁止のところには入らない。(そもそも、ワープロで印刷した紙を貼るだけなんてこともないが)

ところが、筑波山系においては、登山道が歩きにくくて仕方がない。観光客が多すぎるうえに岩が多いし、でなければマウンテンバイクが縦横無尽に走っている道ばかりである。

本当に、貴重な植生の保護のためならば、見やすい場所に注意喚起して、理由をはっきりさせた上で協力をお願いするのが筋である。しかしそうしない。現場でいきなり進入禁止の紙を貼って問答無用である。

小町山のように、国有林の中に勝手にベンチを作られると困る場合でも、だから山道に入るなとは言わない。管理者ならまずはきちんと管理しろよという話である。

そもそもこれらの道はケーブルカーやロープウェイが通る前から使われている道で、何百年も前から多くの人が信仰のため登ってきた。道を作った人の立場からすれば、未来の人も末永く使うだろうと思い、苦労して開いてきた道である。

そんなことを思いながら山道を歩く。なだらかで歩きやすい道である。擬木もないし行先案内もないし、テープすら見当たらないが道ははっきりしている。15分ほどで分岐になるが、ここを左というWEB情報である。

さらに15分くらいで左右に道が分かれる。踏み跡の濃い左を選んだが、このあたりからやや足跡が心細くなる。やがて、大岩が次々現れる場所に出た。尾根筋に岩が連続し、WEBで見た猿田彦神社の祠があった場所によく似ている。

岩の間を探すけれども、祠は見当たらない。標高を調べると550m、猿田彦神社の高さである。祠は見当たらず、進路もはっきりしなくなった。平らな岩に座って小休止。

進路を見失ったのは、もっとも踏み跡が濃い場所を選ばずに、神社を探して大岩の近くを探したためである。WEBによると、このルートははっきりした登山道で、変な薮に入ったらそれは道ではない。

一息ついて立ち上がる。太い踏み跡を見つけて少し下ると、赤テープの目印を見つけた。ここまでは正しいルートということだ。踏み跡が何ヶ所かあったので、順番に辿っていくと行く先はすべて薮である。

仕方がない、下山するしかないかと思って岩沿いをもう一度探すと、倒木の向こうに道が続いているのが見えた。どうやら、これが正しい進路のようだ。岩を抜けると登り坂が続き、何より道幅が広いので間違いない。

一時は撤退の二文字が頭をかすめたのだが、何とか先に進めそうだ。時計を見ると、休憩と道探しで30分ほど停滞してしまったようだった。

展望四阿から15分ほどで分岐となる。左が尾根ルートとの情報なので、ここは左を選択する。


標高550mで巨石が点在する場所に出る。このあたりが猿田彦神社かと思って探したのだが見つからなかった。


30分ほど探してようやく上に通じる道を見つける。頭上の林の向こうが稜線である。しかし、ここから自然研究路までさらに30分かかった。


進路を見つけるまで苦労したが、登山道そのものははっきりしていて、特に迷う場所はない。とにかく、一番濃い踏み跡を外さないように、他の事に気を取られないことが大切である。(猿田彦神社の位置とか)

稜線に出ると、目立つ木にペンキで赤く丸印が付けられている。もう少し上の方にも、同じ印の木が見える。道ははっきりした尾根道で、足場は岩交じりでごつごつしているが、白雲橋コースほどではない。

稜線まで登ればすぐに自然研究路に合流するだろうと思っていたが、そんなに簡単ではなかった。道なりに尾根を進むと、小さなピークがあり、三角点の石柱が埋まっている。

周囲はきちんと草が刈られ、近くの木に目印の赤い札も下げられている。現在も何かに使われていて、人がここまで来ているのだろう。しかし、電子国土にも古い地図にも、ここに三角点の表示はない。

彫りは浅くなっているが三角点と読めるし変だなあと思い、帰ってから調べると、どうやら明治時代に農商務省が設置した三角点らしい。これは、国有林の管理のために設置されたとのことで、「山」という字が多く彫られているという。そういえば、反対側に山と書いてあったようだ。[出典:あの頂を越えて https://www.onedayhik.com/memomk30.htm]

位置的には男体山の南西、標高660mの場所で、昔の1/25000図で男体山の周囲に描かれている登山道の一番低い場所にあたる。ということは、自然研究路設置以前には、登山道はここまで来ていたのである。

地図にない三角点を過ぎても、なかなか自然研究路に合流しない。1/25000図では登る一方の尾根だが、登ったり下ったり巻いたりするので長く感じる。そして、ようやく向こうに自然研究路が見えた。

ロープが張ってあり、反対側(自然研究路側)には「警告 入山禁止」の板が貼られている。すぐ横が大岩の展望台であり、ここから先が推奨登山道である。その割には、コンクリートの階段が斜めっていて歩きづらい。

自然研究路休憩所がすぐだったので、リュックを下ろして一息つく。大石重ねそばの休憩所と違ってベンチも古びているが、贅沢は言えない。テルモスのお湯でホットココアを淹れ、メロンパンでお昼にする。

家で朝食を食べたのが4時、自然研究路まで登ってきたら10時ちょっと前である。道探しに30分かかったこともあるが、駐車場から丸3時間かかった。さすがにバリエーションルート、一筋縄ではいかない。

下りも別のバリルートと思っていたが、お昼を食べている間、今日はこれでやめておくかという気になった。一度は撤退を覚悟しながら、何とかリカバーして目標地点まで来た。最初から男体山頂には行かない予定だったのである。

ようやくはっきりした尾根に出る。木に印が付いているので、この先は歩かれている道のようだ。


標高650mくらいに地図にない三角点があった。周囲は整備されていて、現在も何かの用途に使われているようだ。


そして自然研究路に突き当たる。向こう側には「入山禁止」の掲示、少し先に休憩所の四阿がある。


予定では下りは別のバリエーションルートと考えていたが、登りで道探しにかなり時間をかけてしまったこともあり、御幸ヶ原に出てケーブルカーに沿って御幸ヶ原コースを下ることにした。

御幸ヶ原はさすがに人が多かったが、この日はシニアの登山客だけでなく、日本語でない大声を出しているグループもいた。

確かに、こういう人達が無闇にバリルートに入り、道に迷っただのケガをしたと言われるのも煩わしいだろうから、柵やロープで入れなくするのは仕方がない。日本語だけでなく、英語・中国語・ハングルで書かないと役に立たないが。

せっかくだから少し休憩して、ケーブルカー脇の下山路から御幸ヶ原コースを下る。いきなり、延々と続く擬木の階段である。息は切れないが、段の幅が足のサイズより短いので、踏み外さないよう気を使う。だからスピードも出ない。

さて、公式登山ルートだから安心して下りられたかというとそんなことはなかった。やけに大きな蜂と3m以上ある大蛇が現われたからである。

蜂の羽音は登りのバリルートでも聞いたけれど、下りで見た奴は擬木の階段で匂いをかいでいた。群れではなく1匹で行動していたので、近づかないよう刺激しないように通り過ぎた。

夏の盛りの活動期ではなかったから動きも鈍く、攻撃性も少なかったのかもしれない。そういえば、登山道に何ヶ所も「ハチ注意」の貼り紙があった。蠅叩きを持って登ってきた人もいたから、戦うつもりだったかもしれない。

蛇の方は登山道の右から左まで横切ってそれ以上あって、頭が通過する際には尻尾はまだ茂みの中、尻尾の先が出てきた時には頭はもう片方の茂みに入っていた。3mは楽に超えていただろう。

この蛇も攻撃的ではなかったものの、全身が横断するまで待たなければならなかった。その時一人だったので心細かったが、尻尾が見えなくなる頃に後続の登山者が現われた。「右から左まである蛇がいたんですよ」「それは怖い。まだいますか」と話になった。

ケーブルカーの山麓(宮脇)駅を過ぎ筑波山神社まで、御幸ヶ原から1時間40分かかった。神社で登山の無事をお礼し、そこからさらに30分かけて市営第一駐車場に戻った。

この日は予定した時間までに下りてこられたものの、いろいろあって緊張を強いられた山歩きだった。下山後はウェルネスパークに寄って、420円でひと風呂浴びる。

体を洗って湯舟に浸かり、一日を振り返る。一度は撤退を覚悟したけれども、何とか進路を見つけて登ることができた。とはいえ、下山路で見た蜂や蛇を見ると、温暖化の影響でまだ筑波山の季節ではないかもしれない。もう少し涼しくならないと困る。

3ヶ月半ぶりの山歩きで、標高差500mほどの登り下りにもかかわらず二、三日太ももやふくらはぎが痛んだ。

この日の行程
筑波山市営駐車場(168) 6:45
7:00 梅園最上部(240) 7:10
8:15 大岩連続場所(550) 8:50
9:45 男体山自然探求路(820) 10:10
10:30 御幸ヶ原(794) 10:40
12:20 筑波山神社(260) 12:25
12:55筑波山市営駐車場(168)
[GPS測定距離 6.8km]

[Nov 16, 2023]

御幸ヶ原はあいかわらず人が多い。日本語でない大声も聞こえた。


登りのバリルートで時間がかかってしまったので、下山は御幸ヶ原コースを選ぶ。


推奨登山道とはいえ、大きなハチがいたり、巨大なヘビがいたりするし、岩だらけのごつごつした道なので、筑波山神社まで油断ならない道が続く。


筑波山(林道ルート) [Nov 13, 2023]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

筑波山の梅林ルートを歩いた後、間を置かずに行くつもりだったが、季節外れの暑さとなった。11月だというのに25℃の夏日が続き、とても登山日和とはいえない。

無理して行けないこともないが、前回見た大蜂や大蛇が気持ち悪いし(正規登山道の御幸ヶ原コースである)、虫だって多い。あと数日の辛抱だと思って自重した。ようやく涼しくなったのは10日過ぎ。それでも平年の11月並みだから、決して寒くはない。

11月13日月曜日、前日は雨だったがこの日は晴れそうなので再び筑波山へ。最低気温が7~8℃まで下がったので、さすがに蜂や虫はいないだろう。

6時半過ぎに市営第一駐車場到着。この日登る予定なのは林道ルート。筑波山バリルートのバイブルである鈴木敏信さんの「筑波山系の山路を辿る」では石置尾根と呼んでいる尾根道である。

バリルートの中では歩きやすいと評判であるが、それも道理で、男体山の南尾根を直登するルートである。普通の山であれば、一番ポピュラーな登山道になってもいい道である。

登山口は林道を酒寄方面にしばらく歩き、もっとも標高の高い所から登る。そのため、梅林を最上部まで登った後、さらに林道を登っていく。WEBで見たベンチのある場所まで約30分歩く。

右側は土手になっていて、どこから取りついていいのか少し迷う。このあたりかと思って薮を入ると、目の前の木にワープロ打ちの文書が貼られていた。

「ここは神域です 正規の登山コースをご利用下さい 天罰下る 筑波山神社社務所」

ご利用くださいと丁寧な言い回しなのに、守らなければ天罰と脅かすのはこわい。「登らせていただきます。天罰は勘弁してください」と手を合わせる。ただ、ここから登るのは間違いないようだ。

(4、5年前に、筑波山神社は宮司と氏子が内輪もめして神社本庁に解任要求する騒ぎがあった。パワハラとか経費節減が原因らしい。それと関係あるのだろうか。)

登り始めこそ少し薮だったが、しばらくすると道幅も太くなり道もはっきりする。両脇の木が刈られていて、ときどき岩に赤ペンキと林野庁の赤いカード「境界見出票」が下がっている。非正規ルートではあるが、現在も国有林の管理等に使われている道のようだ。

国有林は国民共有の財産である。むやみに植物を採取したり土地の現状を改変しなければ通行そのものはいいはずだし、少なくとも「天罰」と言われる筋合いではないような気がするのだが。

道は明らかで迷うところもないのだが、傾斜は急である。積み重なった落ち葉に前日までの雨で、非常にスリップしやすい。登りだから何とかなるが、下りで使うとずるずる滑りそうだ。

この日も筑波山梅林から登る。見返り縁台から望む景色は雄大である。

約30分で酒寄林道の最高標高点に達する。ベンチの反対側が登山口で「天罰」の警告看板が貼られている。

脅かす割には登山道は歩きやすい。それもそのはずで、ここは国有林の管理に使われている道のようだ。

1時間ほど急傾斜の尾根道を登ると、急に岩場が多くなってくる。標高550m前後、前回猿田彦神社を探したときと同じ高さが岩場になっているようだ。

これまでと違って踏み跡がはっきりしないが、尾根を外さないように進む。ありがたいことに、要所要所に赤ペンキでマークがある。「大九」とか「赤ペンキに+印」は国有林関係だと思われるが、登山者が付けた目印らしきものもある。

息を切らせて急坂を登ると、少し広くなった場所に出た。目の前に、薄い岩盤が人の横顔のように見える。WEBに載っていたところの人面岩である。約1時間半休みなしだったので、ここで小休止。

さて、このルートは自然研究路に出るまでに猿田彦コースと合流するはずなのだが、なかなか見覚えのある場所にならない。尾根を進むと岩場で、岩場を回り込むと笹原の連続である。

ところが帰ってからGPSの経路を調べると、前回通った猿田彦ルートとほとんど軌跡が同じである。WEBをみても猿田彦ルートと林道ルートは合流すると書いてあるが、私の登ったルートは微妙に違っていたように感じた。

というのは、地図にない三角点を通っていないし、自然研究路に出る場所も富士見岩展望台のすぐ横だった。前回は、もっと東屋寄りに出たように思う。

自然研究路に出るまでも、前回はアップダウンがあったりピークを巻いて研究路に出たように記憶しているが、今回は笹薮のわずかな踏み跡を登ると研究路だった。

東屋の前後には何ヶ所か「警告 入山禁止」の看板があったし、それぞれの距離は数十mしか離れていない。GPSでは誤差の範囲であり、軌跡はほとんど同じでも通った経路が違うのかもしれない。

大石重ね横の東屋まで、しばらく下って休憩する。7時前にスタートして10時まで約3時間だから、前回とあまり変わらない。テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れ、ヤマザキのスナックゴールドでお昼にする。550kcalあるから十分である。

アンダーシャツと長袖1枚で登ってきたが、動かないでいるとひどく冷える。この日の朝は冷えたので、標高700mだと5~6℃しかなかっただろう。上にジャンパーを重ね着した。

岩が多くなってくると踏み跡が分かりづらいが、基本的に尾根を辿っていけばペンキマークが見つかる。


横向き人面岩でひと休み。このあたりやや広くなったスペースがある。


富士見岩展望台の近くに出た。前回の道とは微妙に違ったようだ。


前回は登りで手間取ってしまい御幸ヶ原コースで下山したが、今回は予定通り下りもバリルートである。松岩尾根からトラバース道を辿ってみかん園ルートで下りる計画である。松岩尾根の下り口は、坊主山近くにある。

坊主山直下には、まぎらわしく赤テープが貼ってある分岐がある。これだと思って下って行くと、松岩尾根は西南西方向なのに、ほとんど真南に向かっている。違うと思って引き返した。

松岩尾根方向へは、薬王院コースがやや広くなったあたりで、左に分かれるはっきりした分岐がある。この先もいくつか踏み跡があって迷わされるが、西南西方向の尾根を辿ると、しばらくして岩場に出る。

1/25000図で、坊主山の西南西、標高600mくらいに等高線が張り出した場所に松岩がある。最初、どれが松岩か分からなかったが、いちばん先端の景色のいい場所に、岩から盆栽のように伸びた松が見つかる。

ここからの景色は、筑波山でも指折りといってもいいだろう。狭くて人数集まるとつらいが、一人で訪れるには最高の場所である。眼下には山麓、酒寄から真壁にかけての田園地帯、その向こうはかつて明野町であった地域である。

左手には、いま登ってきた男体山のアンテナ群。その前に坊主山の山体がそびえている。この景色を見られるのは、まさに松岩の手柄である。

あきらめずに探した甲斐あって、この絶景を堪能することができた。あとはトラバース道を辿ってみかん園ルートに出るだけである。

みかん園ルートは昔の1/25000図に載っている道で、つくば市と桜川市の市境でもある。ただ、研究路に出る直前が急登という情報なので、下りで使うのは一度通ってからにしたい。そこで、松岩からトラバースして合流することにしたのである。

松岩からみかん園ルートへのトラバース道も、もちろん1/25000図には載っていないし、推奨登山道以外は入山禁止扱いであるため案内標識もない。ただ、歩くと等高線に沿って踏み跡がある。

ときどき赤ペンキで木の幹や岩にマークがあるので、それなりに歩かれているのだろう。ただし道幅は狭いし、よく分からない分岐も数多くある。

特に、沢にぶつかったあたりでいちばん濃い踏み跡は下って行くルートである。下手に下って林道に出てしまうと、つづら折りのヘアピンカーブが続くのであまりうれしくない。何とかみかん園ルートまで出たいと思って同じ高さを維持する。

いよいよ森が深くなってスマホで現在位置を確認すると、目の前の尾根が市境である。ということは、尾根に上がる道を登ればいいはずである。探すと、割に太い踏み跡があった。そこを進み尾根に上がると、みかん園ルートに出た。

坊主山南西のやや広くなったあたりが松岩尾根の下り口。踏み跡が各方向に続いているが、西南西に進み等高線の幅が広くなった辺りが目標になる。


尾根を進むと、巨石が並んだあたりが突端である。いちばん前、盆栽のような松の木のあるところが松岩である。


松岩からは山麓のパノラマが見事で、振り返ると男体山・坊主山がすぐ目の前である。筑波山の中でも指折りの絶景といってもいいのではないだろうか。


あきらめずに探した甲斐あって、松岩の絶景を堪能することができた。あとはトラバース道を辿ってみかん園ルートに出るだけである。

みかん園ルートは昔の1/25000図に載っている道だし、つくば市と桜川市の市境でもある。ただ、研究路に出る直前が急登らしいので、下りで使うのはやや勇気がいる。そこで、松岩からトラバースして合流することにしたのである。

松岩からみかん園ルートへのトラバース道も、もちろん1/25000図に載っていないし、推奨登山道以外は入山禁止扱いであるため案内標識もない。ただ、歩くと等高線に沿って踏み跡がある。

ときどき、赤ペンキで木の幹や岩にマークがあるので、それなりに歩かれているのだろう。ただし、道幅は狭いし、よく分からない分岐も数多くある。

特に、沢にぶつかったあたりでいちばん濃い踏み跡は下って行くルートである。下手に下って林道に出てしまうと、つづら折りのヘアピンカーブが続くのであまりうれしくない。何とかみかん園ルートまで出たいと思って律儀に同じ高さを維持する。

いよいよ森が深くなってスマホで現在位置を確認すると、目の前の尾根が市境である。ということは、尾根に上がる道を登ればみかん園ルートのはずである。探すと、割に太い踏み跡があった。そこを進み尾根に上がると、みかん園ルートに出た。

GPSで標高をみると500mくらいだから、松岩よりかなり下ってしまった。トラバースなので同じくらいの標高を保ったつもりでいたが、思わず楽な下りを選んだようである。

みかん園ルートに合流した後は道幅もあって、高規格の登山道である。急坂や岩交じりの部分もない。そして、登り下り1人ずつの登山者と、トレランで下ってきたランナーと出会った。ということは、研究路まで走れるということである。

ただし、林道に出るまでは結構距離がある。後から気づいたのだが、林道が標高400mを通っているのは北側斜面だけで、西側は200mを越えるくらいまで低いのである。

林道との合流点だけが少し細くなって分かりにくいが、林道ルートや梅林ルートのように「進入禁止」とは書かれていない。おそらく、昔から使われてきた道だからであろう。

林道に出てから梅林までの登り下りも長かった。以前、中腹林道を一周した時にもそう思ったのだが、あの時は迎場コースから延々歩いたので疲れたと思っていた。ところが、やっぱりきつかった。車に戻ったら、林道に下りてきてから1時間経っていた。

家からは逆方向になるが、あけの元気館の天然温泉でゆっくりする。公営施設にしては設備も整っているし、お風呂もきれいである。湯舟でゆっくりしていたら、帰りは暗くなってしまった。

幸い、中4週間しか空けていなかったので、足腰が痛くなることはなかった。

この日の行程
筑波山市営駐車場(168) 6:45
7:25 林道最高地点(328) 7:30
9:00 横向き人面岩(646) 9:10
9:50 男体山自然研究路(820) 10:20
11:15 松岩(610) 11:25
12:10 みかん園ルート合流(500) 12:10
12:50 林道合流(207) 12:55
13:55 筑波山市営駐車場(168)
[GPS測定距離 9.2km]

[Dec 14, 2023]

松岩からはトラバース道を東に進む。分かりやすい踏み跡がある。


つくば市・桜川市の市境で、昔の1/25000図にも載っているみかん園ルートは、一般登山道といっても差し支えない。


ただ、林道からの登山口はやや分かりにくい。林道コースのように「進入禁止」とは書いていないのがありがたい。


筑波山(秋葉神社ルート) [Dec 9, 2023]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

筑波山バリエーションルートの情報を探したところ、鈴木敏信さんが自費出版されている「筑波山系の山路を辿る」が質量ともに抜群の資料であるらしい。WEBで何とかご自宅の電話番号を見つけてかけてみたところ、奥様が出られた。

「あの本はいま在庫がないんですよ。近々増刷しようとは思っているんですが。『こんこんギャラリー』に置いてありますので、そちらで見ることはできますよ」

Googleで探すと、筑波山系と難台山の間、かつて八郷町であった場所である。県道沿いに看板があって、少し奥に進むと古民家風の建物がある。お聞きすると、このあたりの小字名が狐塚であったことから「こんこんギャラリー」としたのだそうだ。

陶芸家や篆刻、木工、染織などの芸術家さん達が運営されている施設で、交代で詰めているのだそうだ。鈴木さんの筑波山の本と訊ねると、すぐに見せて下さった。

「ときどき、在庫のお問い合わせをいただきますが、それほど部数も出していないのですぐになくなってしまいます。来年には増刷すると伺っています」

とのことなので、増刷されたらご連絡をいただけるようお願いした。他にも予約されている方がいるらしい。

現物は予想以上の内容で、筑波山だけでなくこの一帯の山々、雨引山から吾国山・難台山、宝篋山の小径まで調べてある。内容も紙質も、どうみても2千円前後でおさまるものではない。何とか増刷してほしいものである。

さて、この冬は筑波山バリエーションルートを続けて登っているが、今回は秋葉神社ルートである。自然研究路から御海(みうみ)と呼ばれる水場までは道があるが、それより下に登山道はないと現地の掲示板に書かれている。しかし、実際はあるのである。

御海は筑波山を開山した徳一が山中で発見したとされるが、わざわざ山頂から下りて探したはずがなく、登る途中で見つけたに違いない。ここから麓まで、住吉神社・秋葉神社という筑波山の末社(摂社)があり、いまも巡拝が行われている。

残念ながら現在では、登山口に「警告 入山禁止」の掲示がある。自己責任かつ山道を傷めないように注意して歩かなければならない。登山口は、筑波梅林先を直進するルートである。

当初予定した日は雨だった。このルートはたいへん急傾斜で滑りやすく、雨上がりは避けなければならない。12月9日は天気も良く気温も10月並みという予報。ただし土曜日なので、平日より人が多いと見込まれるのが難点である。

午前7時前、今回は第3駐車場に入る。すでに半分ほど埋まっていて、いましがた着いたグループが身支度をしている。みなさんは筑波山神社方面に向かうが、私は駐車場の奥、梅林方面への階段を登る。

ここから標高差のほとんどない遊歩道を進むと、梅林の展望東屋まで続いている。朝のジョギングをしている人はいたが、登山客は私だけだった。「入山禁止」のロープのないところから入る。これ見よがしな看板や注意書きは、ここから登山道があることを示しているのと同じような気がする。

石岡市の「こんこんギャラリー」には、筑波山バリルートのバイブルである「筑波山系の山路を辿る」が閲覧用に置いてある。200円でお菓子付のお抹茶も楽しむことができる。


第三駐車場に止めると、一番奥に梅林方向に進む階段がある。


秋葉神社ルートも、登山道そのものは歩きやすい。一番太い道を進んで、上から木が生えている巨石の場所が住吉神社。右の岩陰に祠がある。


入り口は意図的に薮にしているが、5分ほど入るとはっきりした道幅のある登山道になる。古くから使われてきた道なので、たいへん歩きやすい。御幸ヶ原コースや白雲橋コースより登山に適している道である。

10分ほど進むと、猿田彦ルートやV字谷ルートと分かれる分岐。古い写真を見ると、この分岐にもトラロープでヒステリックな通せんぼをしているが、2023年現在なくなっている。クビになった神主が関係しているのだろうか。

ここの分岐は右に進む。この先いくつか分岐があるけれど、最も太く緩やかな坂道を進む。やがて太い踏み跡が左に折れて坂が急になる場所がある。ここで初めて左に90度曲がる。

標高としては400m前後と思われるが、巨石が見えてくる。どれか巨石の足元に住吉神社があり、そこを右折ということなので注意して進む。いくつか巨石はあったが、岩の上に木が生えているほど大きいので間違いない。右の岩陰に祠があった。

住吉神社は海上安全の神様である。筑波山はかなり内陸にあるが、かつては霞ヶ浦あたりまで海だったので(土浦はほんとに浦だった)、航海の目安となることもあったに違いない。二礼二拍手一礼でお参りする。

住吉神社から斜面を登り、秋葉神社に向かう。このあたり、参道といってもいいくらい道幅が広く、傾斜はあるものの道なりといっていいくらいである。

猿田彦神社や石置尾根ルートと同様、標高550m前後に岩場があり、このあたりに秋葉神社がある。数年前までかなり古びて半壊していたというが、現在は新しくなっている。手を合わせてお参りする。

秋葉神社は「秋葉原」の地名のもととなった防火の神様である。海上運送も火災も現代では安全が当り前であるが、かつては神頼みしなければならないほど危険かつ差し迫った災害であった。

そういう神様を祀っている場所なのだから、進入禁止とか天罰とか言わずに、自己責任でお参りさせていただきたいものである。確かに登山者の中にはゴミを捨てたり自然を傷つけたりする不心得者もいるのだが、大部分は静かに山を楽しむだけである。

さて、秋葉神社より上はだんだん道が分かりにくくなる。他の山域のように、ピンクテープや赤ペンキの目印が目立つようになるが、行先表示がないのでどこに向かうか分からないのが難点である。

実際私も、いちばん太い踏み跡を辿っているにもかかわらずその先が薮になったり、踏み跡が細い上に斜面で滑り落ちそうになる場所があった。仕方がないので、引き返して通れそうな場所を選ぶ。

ただし、ここまで登ってくると自然研究路まであと少しである。薮をかき分けて巨石の下まで進むと、そこから太い道が伸びていた。その巨石は研究路沿いにある立身石で、親鸞聖人ゆかりの石碑が建てられているすぐ近くに出た。

巨石の足元に鎮座する住吉神社。筑波山神社の末社(摂社)の一つである。


住吉神社からしばらく進むと、同じく末社(摂社)の一つ秋葉神社に達する。


秋葉神社から先は進路が分かりにくくなる。ときどき、ピンクテープや赤ペンキがあるけれど、それでも薮漕ぎしなければ進めなくなったから正しいルートではなかったのだろう。


立身石があるのは自然研究路である。ロープで仕切られており、例の「入山禁止」の看板がある。土曜日で人が多かったので、ちょうど私が登ったときシニアの単独行のおじさんがいた。

「どこから登ってきたんですか」と訊かれたので、「梅林からです。ほんとはいけないんですけれどね」と当たり障りなく答える。普通の登山客は、梅林近くに入山禁止看板があることなど知らない。

少し歩いて上の東屋で腰を下ろす。10時少し前なので、3時間かかったことになる。猿田彦ルート、林道ルートを登った時と同じくらいである。

テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れて、奥さんが作ってくれたサンドイッチでお昼にする。1つはヌテラ、もう一つは手作りの鬼柚子ジャムを付けてあるが、甘くておいしかった。

お昼を食べている間も、ひっきりなしに登山客が通り過ぎる。休日なのに、シニアばっかりである。当然、平日もシニアばっかりだが、人数が違うだけで年齢層は変わらないのであった。

11月に林道ルートを登った時はウィンドブレーカーを着ないと寒い日だったが、12月なのにたいへん暖かい。この週末は全国で最高気温20℃を超えたくらいで、季節が逆に進んでいるようだった。

東屋の先にある、富士見岩展望台に上る。暖かい日なので、地表近くは霞んで見通せず、日光連山は見えない。とはいえ、山麓に広がる平野部は気持ちよく、寒いより暖かい方が平和だなあと思った。

さて、そうしている間も話し声が聞こえてくるほどの人出である。自然研究路を歩く人はそれほど多くないはずだが、朝の駐車場の混み具合をみると結構な人数が登っているらしい。ケーブルカーも動き出している時間である。

この日は土曜日なので遅くなると道路が混む。ケーブルカーで下りるのもやむなしかと思っていた。ただ、登りでは立身岩でなく御海(みうみ)に出たかったので、とりあえず御海まで下りることにした。

御海はかつての行場で、ここまでは正規の登山道である。「御海より下に登山道はありません」と注意書きがある。ところが、御海に至るまで積もった落ち葉でどこが登山道だか分からない。非推奨登山道よりよっぽど登山道らしくない。

傾斜もきつく、どこが進路か分からず迷ったが、杭がありロープが張ってあるので何とか見つけて下って行く。最後にロープで下りなければならない急傾斜があり、下りると注連縄が張られた御海であった。

ここはもともと、開山した徳一上人が湧き水を見つけた場所で、現在も岩場に漏斗が置かれている。ただ、いまでは水は流れていない。山頂からかなり下るので湧水があっておかしくないのだが、頂上や御幸ヶ原で工事をしているので水脈が絶えてしまったのかもしれない。

そうしていると、後続のグループの話し声が聞こえてきた。ここまで下りてくる人達もいるんだと思っていたら、御海まで下りてこず、そのまま進んでいった。

話し声からするとシニアのグループで、おばさんも含まれていた。そのグループが、御海ではなくさらに進んだのである。この先に自然研究路はなく、公式には登山道はないはずである。

これは、私も行くしかない。ロープ場の急傾斜を登り返し、御海の岩場の上に出た。

ようやくはっきりした登山道に出ると、立身岩の下に通じていた。そのとき来ていたおじさんに「どこから登ってきたんですか」と訊かれてしまった。


東屋で昼食休憩。インスタントコーヒーで、奥さん手作りのサンドイッチを食べる。甘くておいしかった。


かつての行場である御海(みうみ)まで下りる。その時は、登り返してケーブルカーで帰ろうと思っていたのだが。


登りでは、秋葉神社からテープやペンキ印を確認しつつ慎重に進んだものの、結局は薮をかき分けて登山道に戻らなければならなかった。WEBに書いてあったブナの巨木も、アシカのような木も見ていない。

バリルートを進んでいるのである程度は仕方ないが、それでも通常みんなが通るルートを歩きたい。そして、先ほど声が聞こえたグループは、御海ではなくその先に下りて行った。いずれ登りで通ったルートに合流するはずである。

御海の上まで戻ると、「御海←」と書かれた立札の奥に踏み跡が続いていた。「通行禁止」とは書いてない。何よりも、今しがたシニアのグループが下りて行った。そして、ここまで下りてきた道よりずっと登山道に見える。

御海の西側に沿って下りる坂は急傾斜で、下り切ると左から踏み跡が合流する。御海から通じる道があるようだ。そこから右に進路が変わり、巨石が見える。あの巨石は立身石のはずである。

ペンキ印に従って踏み跡をたどると、やがて登山道らしく太い道幅になる。スマホで確認すると、登りの経路に復帰したようだ。やがて、WEBに出ていたブナの巨木にたどり着いた。ここは登りでは通っていないはずだ。

赤ペンキの矢印に従って下りて行く。スマホに残っている登りの経路と違うのは気にしない。登りは薮を越えなければならず、オーソドックスなルートでなかったことは確かだからだ。

一番太い踏み跡を選び、ところどころで登場する赤ペンキ印を確認しているにもかかわらず、登りよりどんどん西に進路がずれている。道が続いているので下りられないこともないだろう。

2度ほど落ち葉に足をとられ尻餅をついた。そして気がつくと、目の前に岩場の尾根が見える。迷ったら谷に向かわず尾根に登るのは鉄則である。尾根に登ると、岩場の間に道が続いている。

そして驚いたのは、そこにWEBで見た五輪塔が建っていたことである。ということは、秋葉神社ルートを下りたつもりが、V字谷東尾根ルートに出てしまったのだ。

意図した道ではなかったものの、オーソドックスな道だったので安心した。ここから尾根を下れば登りの道に合流することは間違いない。岩場の下りを避けて、尾根の見える東側の踏み跡を下る。

五輪塔から30分も下りた頃だろうか、行く手に太い道が現われた。これまでは踏み跡だが、今度ははっきりした登山道である。尾根から遠ざかる道だが、起伏もなく道幅も広い。ここを進めば登ってきた道に合流すると思われた。

すると出てきたのが「天罰下る」の貼り紙である。わざわざ手書きで進入禁止と書き足している。一瞬どうしようかと思ったが、ここから下はどこに行っても貼り紙がある。ない場所を選んでいては御海まで戻らなくてはならない。

少考した上、そのままこの道を下ることにした。進めば安全に下れることが分かっているのに、わざわざ滑落の危険があるかもしれない道を選ぶことはない。

そして、思った通り秋葉神社ルートに合流し、20分で林道、30分で駐車場まで戻ることができた。朝から混んでいたけれど、第三駐車場はすでに半分以上が埋まっていた。さすがに土曜日の筑波山である。

下山後は風返峠を越えて、やさと温泉ゆりの郷で汗を流した。休日1,040円でウェルネスより高いが、地下から引いた源泉を加温しているので温まるし湯加減もたいへんいい。混む前に高速で帰った。

この日の行程
筑波山市営駐車場(230) 7:00
7:45 住吉神社(395) 7:50
8:20 秋葉神社(594) 8:30
9:50 男体山自然研究路(820) 10:20
10:40 御海(750) 10:50
11:40 五輪塔(590) 11:45
12:55 林道合流(207) 12:55
13:05 筑波山市営駐車場(230)
[GPS測定距離 5.7km]

[Jan 12, 2024]

御海まで来ずに下りて行ったシニアグループを追って、ロープ場上の看板から踏み跡に入る。道ははっきりしているが傾斜がきつい。


途中で何度も分岐があり、踏み跡も落ち葉で分かりにくい。木の幹や岩に書かれたペンキマークが頼りだが、それでも予定した方向には進めなかった。


登ってきた秋葉神社ルートで下りるつもりが、V字谷東尾根ルートに出てしまった。尾根の岩場には、古びた石づくりの五輪塔が置かれている。


筑波山(女の川ルート再挑戦) [Dec 27, 2023]

  
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

全国的に熊が出没して、山歩きが危険になっている。普通ならこの時期冬眠しているはずだが、冬眠せずに人里を徘徊していると聞く。牛小屋に入り込んでエサを食べているというから、熊だっておこぼれにあずかりたいのだろう。

ツキノワグマはヒグマほど凶暴でないが、それでも秋田県では年間何人か殺されているし、山野井さんの例もある。秩父や奥多摩、丹沢から足が遠のくのもやむを得ない。

そういうこともあって、このところ筑波山バリエーションルートを歩いている。今回は、一昨年撤退した女の川(めのかわ)ルートに再挑戦することにした。

女の川ルート登山口には一昨年、「入山禁止」の注意書きが貼られた。その前に、男の川ルートでコケにバツ印をつけた不心得者がいたこともあり、注意書きを貼られるのも無理ないとその時は思った。

しかし、表筑波のあちこちに「入山禁止」や「天罰下る」の貼り紙がやたらとあるのを見ると、自然を壊しているのはどっちなんだと言いたくなる。基本的に、ゴミを捨てたり植物を傷つけさえしなければ、山には登っていいはずだ。

筑波山はご神体だというのなら、ケーブルカーやロープウェイも撤去すればいい。日本山岳会に運動して、百名山から外してもらうのも有効だ(おそらく反対されない)。食堂だの売店だのアンテナだのさんざん作っておいて、自然保護もないだろう。

そして、一昨年以降も、WEBをみると女の川ルートには入山記録がある。ということは、私の探し方が悪いだけで、登山道はいまでもちゃんと残っているようだ。行くのなら、厳寒期でアイスバーンになる前がいい。ということで、12月に計画した。

2023年の暮れは晴天で気温も比較的高い日が続いた。12月27日水曜日、午前5時過ぎに出発。冬至が1週間前で、まっ暗である。一般道で竜ヶ崎から牛久を経由してつくばに向かう。

以前来た時、つくば市内で車の温度表示が-4℃になったことがある。この日はつつじヶ丘に駐車する予定だったので少し心配したけれど、そこまで下がらなかったし路面も問題ない。スリップすることもなくすんなりつつじヶ丘に到着した。

つつじヶ丘駐車場に車を止めるのは久しぶりである。登山の時に来なかったのは朝は営業時間外と思っていたからで、調べると駐車場の出入りはできるらしい。7時前で入場券発券機は動いていなかったが、出る時に精算できると書いてある。(出場時に「券なし」を押すと1日分の料金で精算)

トイレに行きたかったが、凍結防止のため夜間使用不可と紙が貼ってあり、シャッターが下りている。凍結防止もあるけれど、おそらく車中泊されるのが嫌なためではないだろうか。

身支度をすませ、7時過ぎに歩き始める。東筑波コースは2度目なので、登山口を探すことはない。トイレの横から擬木の階段を下って林道である。

しばらく林道を下り、案内に従って左の細い道に入る。ここから約1kmがワイルドな山道である。「8」のマークが要所に貼ってある(8は東筑波コースの番号)けれど、微妙な踏み跡がところどころ伸びている。

ありがたかったのは、冬にしては暖かい日が続いたため、アイスバーンはないし、霜すら降りていなかったことである。足元がぬかるまないし滑らないので、安心して歩けた。

約1kmで向こう側の林道と合流する。すぐに二股に分かれるが、「国民宿舎」に向かうと山を下りてしまうので「真壁方面」へ。この林道はキャンプ場より向こうは舗装されているのだが、そこまで砂利道である。

8時15分にキャンプ場着。トイレ前のベンチで一息つく。ここのトイレも、冬はシャッターが閉まっている。駐車場に車が止まっていて、シニアの夫婦連れが林道方向に向かっていた。山頂まで見かけたのは、このお二人だけだった。

早朝のつつじヶ丘駐車場にはほとんど車は止まっていない。ロープウェイは午前9時からなので、それまで駐車場も入場券が出ない。「入場券なし」で精算する。


東筑波コースは核心部の約1kmが山道となる。「8」のマークが付けられているが、まぎらわしい踏み跡も多くある。


女の川ルート入口。2年前にあった「進入禁止」の貼り紙がなくなっている。看板の足に引きちぎられた形跡があるのは「天罰」の貼り紙か。


さて、2年前にも女の川(めのかわ)ルートは歩いているのだが、「進入禁止」の貼り紙があったためか踏み跡が薄くて、20分くらい進んだところで進路が分からなくなってしまった。

その時にGPSを見たところ、目的地である女体山ではなく、男体山に向かう深峰林道のすぐ近くまで歩いているので、これはどこかで間違ったかと思ったのである。

しかしWEBを見るとその後も入山記録はある。そして、深峰林道直下の谷まで進むのはまさに女の川の流れに沿ったもので、それは等高線を見れば見当がつくのであった。これは再挑戦しなければと思っていた。

キャンプ場から女の川案内板まで10分ほどで着く。近づくと、2年前にあった「進入禁止」の注意書きがない。そして、案内板の足に貼ってある何かを手荒に剥がした痕が残っていた。

残っている切れ端を見ると、どうやら「天罰下る」の貼り紙のようだった。神様でない人間が「天罰」などとワープロで打つのは僭越だと私でも思うくらいだから(神社関係者だって人間である)、神様が破ったのかもしれない。何にせよ見た目が大層すっきりしてよかった。

はっきりした踏み跡を進む。特にまぎらわしい分岐はない。だんだん右手の稜線が迫ってきて、20分ほどで見覚えのある地点まで来た。

WEBによると、このあたりで崖のような急斜面を登るのが女の川ルート唯一の難所である。ネットでは木に赤ペンキで目印があるのだが、見当たらない。よく見ると、木の幹にペンキを吹き付けて消した跡がある。ここがその場所のようだ。

2年前はここで進路が分からなくなったのだ。私の背より少し高い一枚岩を注意して登ると、そこから踏み跡が続いていた。登るのは何とかなるが、下る時が大変そうである。

テキストによっては「左岸を登る」と書いてあるが、私の登ったのは右岸である。この先に出てくる古い取水施設は対岸(左岸)にあるので、そちらから登る道があるのかもしれない。

(右岸・左岸は川上から見た右左なので、登る時には左が右岸となる。なお、2023年12月現在、この後しばらく右岸に踏み跡が続く。)

斜面をトラバースして進むと、対岸に取水タンクがあった。ということは、この道で合っているということである。踏み跡は取水タンクの近くは通らず、しばらく右岸を進む。

踏み跡ははっきりしていて、崖の前よりもむしろ登山道らしいくらいである。取水タンクがあるように水量豊富だったのだが、だんだんと水音は小さくなっていく。

女の川ルート唯一の難所。左奥に見える岩を登る。手前の木に付けられていた赤マークを消した跡が残っている。


岩を登った後に踏み跡は続いている。対岸に見える取水タンクは、ルートが合っていることを示している。


女の川右岸に沿って踏み跡が続く。何回か渡渉するが、急傾斜や薮はない。


急斜面の難所は女の川ルートの前半3分の1ぐらいの場所にあり、女の川はここから流路を北西に変えて女体山に向かう。登山道は女の川の右岸に続く。

水量が少なくなり後半の3分の1に入る頃、踏み跡は対岸に渡り、再び戻る。このあたりで気になったのは、木の幹や岩の目立つところに何か消した跡がいくつも残っていたことである。

木の幹や岩にペンキでマークを付ける行為はあまり褒められたものではないが、それをさらにペンキで消したところで自然保護になる訳ではない。まして、標識もない場所なのだから、目印を消したら遭難につながりかねない。

茨城県やつくば市、桜川市は、遭難の危険より自然保護と思っているのだろうか。繰り返しになるが、頂上近くまでケーブルカーの通っている筑波山で自然保護とは笑わせるが。筑波山神社は遭難しても天罰と言いそうだ。

それよりも、入山禁止と注意している山中に自分が入り、執拗にマークを消して歩く行為は偏執的であり、正常でないものを感じる。何となく、「天罰下る」の貼り紙と同質なものを感じる。お近づきになりたくないタイプである。

私としてもリスクは避けたいので、かわいそうにペンキを2度塗りされた木や、白く塗られた岩のあるところで進路を慎重に見極める。目印があるということは、渡渉とか選ぶべき進路とか、何かを示すことが多いからだ。

源流が近づくと、岩の間を進むようになる。右岸とか左岸ではなく、女の川源流のガレ場である。そして、沢筋の定石どおり、傾斜がもっとも急になりスイッチバックの急坂が続く。

そして、標高が高くなったこのあたりで、とうとう霜柱が現われた。北斜面のこのあたりは筑波山でもっとも冷える。かつて、女体山からキャンプ場に下りた時はアイスバーンだったくらいである。滑らないよう注意しながら進む。

あたりを見ても一面の冬枯れで、コケの他には緑も見当たらないが、季節になるとニリンソウやカタクリの群落ができるそうである。だから自然保護というのも分からないではないが、注意喚起すればいい話である。

そうこうする間に、前方に峠地形が見えてきた。前半1/3の場所では右側の尾根が迫ってきたが、ここでは左側の尾根がすぐそばである。無理やり登っても、キャンプ場コースがあの尾根に通じているはずである。

岩の間の踏み跡を登っていくと、突き当りに岩屋のような大きな巨岩がある。注連縄や案内板こそないものの、行場に使われそうな岩屋である。そこから先は太い登山道となり、推奨道のキャンプ場コースまで続いていた。

キャンプ場コースを下りた時に思った通り、明らかな三叉路が女の川ルートの出口だった。キャンプ場コースの最後にあるスイッチバックの急坂を登りつめると、女体山御本殿のすぐ下に出る。10時少し前、キャンプ場から約1時間半で女体山到着。

御本殿にお参りして登山の無事をお礼する。5日後の元旦に備え、参道整理の準備なのか機械音がしていた。さすがに筑波山、3組4組と登山者が登ってきた。女の川ルートでは誰とも会わなかったのだが。

女体山にひと休みする場所がないのは、かねてから承知している。登った後で一度も座っていないけれども、そのまま白雲橋ルートの岩場を下る。

踏み跡は左岸になったり右岸になったりして続く。木に付けられた赤ペンキが執拗に消されている。


いよいよ源流に近づくと岩場となる。WEBによるとニリンソウやカタクリが生えているそうだが、季節が違うためか見当たらなかった。


稜線が近づくと例によってスイッチバックの急坂。由緒ありそうな巨岩に突き当たり、そこからキャンプ場ルートまではっきりした登山道となる。


白雲橋ルートは連続した岩場で、すれ違い困難な場所が続く。ただでさえスピードが出ないのに登山者が多く、いつ来ても渋滞してすれ違い待ちの時間が余計にかかる。

この日も、中高生の団体客やおば(あ)さんの団体シニア客が30人ほどつながって登ってきた。その他に単独行もいれば家族連れ、4~5人グループもいる。おばさん達はただでさえ遅いのに、しゃべるから余計時間がかかる。あれで休んでいるのをごまかしているのだろうか。

ようやく平らな場所に出ると、見慣れない立て看板がある。振り返って見ると「この先、登山道渋滞ポイント」と書いてある。通常15分のところ、渋滞時には女体山まで60分かかると書いてある。

そんなに大勢登ってきたところで、女体山頂上に人はいられない。売店にとっては一年一度の書き入れ時なのだろうが、基本的にオーバーキャパシティなのである。

御幸ヶ原コースはまだ道幅があるけれども、男体山に登ろうとするとやはりすれ違い困難な場所がある。信心深い人ならこれも修行と思ってくれるが、大部分は物見遊山である。指定登山道しか登らせないというのは、ここでも破綻している。

頂上直下の急傾斜が一段落すると、ロープウェイの支柱で広くなったあたりに摂社のひとつ安座常神社(あざとこじんじゃ)がある。このあたりから、有名な奇岩と、いくつかの摂社・末社のお社が続けて出てくる。

奇岩には、北斗岩、出船・入船、大黒岩、胎内くぐり、弁慶の七戻りなどがあり、お社も稲村神社などがある。住吉神社や秋葉神社と同じ規格の小さなお社も2、3見たが、神社のお名前が薄くなって読めず、手を合わせただけで失礼した。

何度か通過待ちをしたけれども、弁慶茶屋まで45分、さらに20分と前回来た時より大分早くにつつじヶ丘上の休憩ベンチに着いたので、ここでようやく座って昼食休憩にした。

テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れ、奥さんに作ってもらったハム&チーズサンドでお昼。この日は女の川ルートを登って休憩なしで下山、お昼も遅くなったけれど、2年前に撤退した女の川ルートを完登できたのは何よりのことであった。

つつじヶ丘から八郷町に下り、ゆりの郷の日帰り温泉で体を流す。下山直後は汗くさかったが、お風呂に入って着替えたらさっぱりした。ゆりの郷へは、前回はカーナビにえらく細い急坂へ誘導されたが、今回は旧国民宿舎の道を選ぶ。走りやすいし、ゆりの郷に道なりで着く。

そういえば、下山時に弁慶茶屋跡でほどけた靴紐を結び直したのだけれど、避難小屋風の真新しい休憩小屋 BENKEI HUT ができている。そこの柱に「ゴミはお持ち帰りください 筑波山神社」と貼り紙があるのだが、ワープロの字体が「天罰下る」と同じだった。

さすがに指定登山道の施設に、ゴミを捨てると「天罰下る」とは書けなかったようである。実は弁慶茶屋跡からもバリルートがあって黄黒ロープで通せんぼしてあるのだが、そこにも「天罰下る」は貼っていなかった。筑波山神社がそう書いているとバレるのは嫌なようである。

この日の行程
つつじヶ丘駐車場(530) 7:10
8:15 キャンプ場(500) 8:20
9:55 女体山(875) 10:05
10:50 弁慶茶屋(720) 10:55
11:15 休憩ベンチ(630) 11:30
11:40 つつじヶ丘駐車場(530)
[GPS測定距離 6.6km]

[Feb 15, 2024]

下山路は白雲橋~おたつ石コース。女体山御本殿は正月仕度の最中で、登山道には渋滞注意の立て看板が立てられている。


奇岩が続く岩場の道は面白いが、すれ違いできないので登る人がいると待たなくてはならない。この日も中高生やおばさんツアー客が大勢登ってきた。


弁慶茶屋跡は避難小屋風になっている。小屋内に「ゴミはお持ち帰りください」と筑波山神社の貼り紙。書体が「天罰下る」と同じだったが、天罰とは書いてなかった。


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