吾国山・館岸山 燕山中腹一周 雨巻山
筑波山(みかん園ルート) [Jan 10, 2024]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
今シーズンは筑波山のバリエーションルートを重点的に歩いてきたが、今回もその続き。先だって途中から下ってきたみかん園ルートを自然研究路まで登る計画である。
みかん園ルートは推奨登山道ではないが、かつて1/25000図に掲載されていた登山道である。つくば市と桜川市の市境で国有林管理道でもあるので、廃道化している訳でもない。いまでも十分登山道の役目を果たしている。
ただし、男体山直下は急傾斜との情報であり、初見で下るのは危ないので、前回は松岩からトラバースして途中から下った。それを踏まえ、今回は麓から自然研究路まで登る計画である。
登山口はみかん園近くにあるので、筑波山市営駐車場からは遠い。同様に歩くが、下山後に登りのないつくしこ駐車場からのルートが安心である。今シーズンはじめてのつくしこスタートになる。
2024年1月10日。2、3日前まで雨予報だったが低気圧が南海上に去り、雨は降らず風もない。冷え込むとつくば市内は-4℃になるが、この朝はびっくりするほどではない。
つくしこ駐車場には一番乗りだった。支度をしていると男性がトイレに来たので、少し先の路肩駐車スペースに止めたようだ。あちらは登山口に近いが、私はトイレが近い方がいいので駐車場内に止める。
7時25分スタート。始めはみかん園沿いの舗装道路を登る。朝早いからか、どこも駐車場にロープを張ってある。みかんはちゃんと成っているけれども、地面に落ちたものも数多くある。冬鳥(ヒヨドリやムクドリ)が群がっており、私が通ると木の上に逃げた。
40分ほどで酒寄林道分岐。ここで梅林方向に少し進み、カーブミラーの前が登山口である。慣れてしまえば迷うこともない。ここは神域でないのか、「天罰下る」の貼り紙はない。
みかん園ルートも石置尾根も地主は国で国有林管理道、石置尾根が神域というならここも神域だろう。神様は登記がどうとか国土地理院がどうとは思わないはずで、思うとすれば人間であって天罰は下せない。人に天罰とか言っていると自分に跳ね返るのではなかろうか。
それはともかく、昔から地図に載っている登山道なので、急傾斜もなく危険個所もなく、迷いそうな場所もない。何ヶ所か顕著な分岐があるが、基本は尾根を外さないように進めば大丈夫である。
登山口から40分ほどで、前回通った松岩トラバース道との合流点に達した。つくしこからは約1時間半である。国有林標識の赤い+印の標石が立っている。直進すると、自然研究路まで登りつめるはずである。
ここから先は初見になるが、前回トレランの登山者が下りてきたので大丈夫だろう。と思ったら、いきなり傾斜が急になった。
みかん園コースは名前のとおりみかん園の横を登る。みかんは地面に落ちるほど成っていたけれど、残念ながらやっている店はなく、駐車場にもロープが張られていた。
この道は秋に下山で使った。昔の1/25000図に載っていた道で、岩場になるまでは高規格の登山道である。
この前は左から合流する松岩トラバース道から入った。今回は直進して自然研究路を目指す。
松岩トラバース道との合流点を過ぎると、すぐに急傾斜の岩場が現われた。
ここまで白雲橋コースや御幸ヶ原コースよりずっと歩きやすい道だっただけに、その格差に驚くほどである。そして、その難路を避けた場所から合流した前回の経路は、たいへん歩きやすかったということである。
先だってはトレランの登山者が下りてきたので安心していたのだけれど、傾斜は急だし足を置く場所もない。こんな場所を走り下りてくるのだから大したものだが、足を滑らせれば転倒・滑落の危険がある道である。
とはいえ、歩いて登り下りする分には、注意して三点確保すれば危険とまではいえない。鎖場・ロープ場・はしごもない。ただ、先ほどまで頻繁に見かけていた国有林標識を見つけられなくなったので、それなりハードな道であることは確かである。
最初のひと登りは踏み跡を辿ったけれど、正面に巨石が立ちふさがった。まっすぐ進めないので左右を窺うと、左に巻き道が見える。巨石の左まで進むとペンキマーク。そこから登れということのようだ。
そこからしばらく、ペンキマークのお世話になる。女ノ川ルートでは目印のペンキを消して歩く偏執的な人がいるのだが、ここは昔の1/25000図にある道のためかペンキが残っている。もしなかったら、もっと苦労しただろう。
このあたりまで来ると、頭上に山頂稜線が見えてくる。自然研究路まで、それほど標高差はなさそうだ。いったん岩場から草の上の踏み跡になるが、すぐまた岩場である。最初からここを下らなくてよかった。
核心部では、狭い2枚の岩盤、足元が滑る一枚岩の隘路を抜ける難所がある。リュックもつっかえるし困った、何とか登ると少し景色が開けた。
左手に黄黒のトラロープが見えるので、あの先は危険個所だろうかと近づくと、そうではなかった。トラロープでこちらに入ってこないようにしているだけで、その先は自然研究路。見覚えある傾いたコンクリ階段がその先にあった。
結局、つくしこからここまで休憩なしで約3時間。それほど汗もかかなかったし水も飲まなかった。自然研究路まで来れば、あとはいつものパターンである。富士見岩近くの東屋まで少し登り、ベンチに座ってひと息つく。
この冬の定番メニューとなった、インスタントコーヒーと奥さん手作りのサンドイッチ。鬼柚子ジャムが甘くておいしかった。
朝方はさすがに冷えたが、10時を過ぎるとそこそこ暖かく風もない。この日はメリノウールのインナーに長袖シャツ。ジャンバーは脱いで登ってきたけれど、暖かいのでジャンバーは出さなくて済んだ。
合流のすぐ上から岩場が始まる。傾斜も急になるし、進路も定かでない。トレランの人はよく下ったものだ。
最上部は、ペンキマークがないと進路に迷う場所だ。自然研究路前に、狭くて急傾斜の隘路がある。
ようやく自然研究路へ。逆光で見えづらいが黄黒のトラロープが張ってあり、危険個所と勘違いしたがロープの先は自然研究路であった。
東屋で休んでいると2、3人の登山者が「こんにちわー」と通り過ぎて行ったが、いつかの土曜日のように多くはない。下山は石置尾根(国有林管理道)から下りる予定で、「進入禁止」看板から入るのでできれば人に見られたくない。
幸い、富士見岩には誰もおらず、進入禁止を見咎められることはなかった。大きな岩を回り込んで下ると自然研究路からは見えない。この道は梅林ルート(猿田彦神社ルート)、石置尾根共通の研究路側出入口となる。
ただ、最初に登った時と2度目に登った時と、同じ経路のはずなのに違ったように見えた。左右を見て、分岐がないかどうか確認しながら慎重に下る。
ひとしきり下りると、つくしこ方向に景色が開けた場所がある。「筑波山系の山路」に(展)とある場所のようだ。まさに好展望地であるが、惜しむらくは1人立ち止まるとそれ以上は滞留できない場所である。
好展望地のすぐ下にちょっとしたピークがあり、先端の岩に赤く塗った+印が描いてあった。国有林標石である。ここから先は国有林管理道なので、標識を確認して下れば間違いがないはずだ。
標石のあるピークから15分ほど下ったり登ったりすると、見覚えのある景色が出てきた。標高およそ720m、梅林ルートから登った時見た「地図にない三角点」である。
よく見るとすぐ近くの木に林野庁の境界見出標が付けてあり、261番と番号が振ってある。林野庁の国有林データベースでみると、「前峯」とある場所のようだが、林野庁の資料に261と書いてないので確かとはいえない。
先ほどの好展望地より広いので、レジャーシートでも敷けばお昼休憩にも使えそうだ。しばらく立ち止まっていると、下から熊鈴の音が聞こえてきた。珍しい。筑波山バリルートで人に会うのは初めてである(御海で声だけ聞いたことがあるが)。
登ってきたのは、私同様シニア単独行のおじさんであった。梅林近くの200円駐車場に止めて登って来たそうだ。冬とは思えないほど風もなくいい天気ですね、と立ち話する。
これから下るのだと私が言うと、「ここを何度も登るのですが、同じ道で下れたことがない。いつも別の道になってしまう。まあ、いずれ林道に突き当たるから問題ないのだが」とおっしゃる。
確かに、猿田彦ルートにはまぎらわしい分岐がいくつもあって、石置尾根をそのまま下ったり、行き過ぎて住吉神社まで進んだりする。薮で行き止まりということもある。たいていの道では「天罰下る」に突き当たるのだが。
そうですね、私も気をつけますと答えたのだけれど、この話を聞いたのだからもっと慎重に道を確認すべきだった。なにしろ、15分か20分先の人面岩にたどり着けなかったのである。
下山は富士見岩から石置尾根へ。ひと下りすると、好展望地がある。
梅林ルートを登った時に見た「地図にない三角点」は、国有林の境界標石だった。ここで、梅林から登ってきたおじさんと立ち話。
標石付近の拡大図。ここは境界261番という場所のようだ。
261標識で立ち話したおじさんに「ここを下りる時は迷いやすい」と言われていたにもかかわらず、早々に国有林巡視の尾根道から外れてしまったのは迂闊なことであった。
ここを登る時、人面岩から上には迷うようなところはないと思っていたのだが、とんでもなかった。まるでスキー場のゲレンデで、どこを通っても下れるように見えるのだが、踏み跡のように見えるのに実はそうでもないのだ。
261標識から人面岩まで、おそらく15分か20分のはずである。さらに、猿田彦ルートとの分岐のペンキ印も見ていない。気づいた時にはひとつ北側の尾根だったから、261標識直後から道を外れていたと思われる。
スマホで現在位置を確認して、どうやら尾根が違うようだと思ったけれど、いずれ八五山ルートに向かうつもりだったので、まあ方向は合っているだろうと先に進んだ。ところが、ほとんど誰も通らないものだから、どう進んでも薮なのである。
「筑波山系の山路を辿る」でも、八五山ルートに入る道はいくつもあるのだが、基本的にすべてバリルートであり、ただでさえ分かりづらいのに誰も通らなければすぐに廃道化する。仕方がないけれども難儀なことであった。
八五山ルートの名前のもとになったのは人面岩近くにある「山-85」の標識で、それを確認して下る予定だったのだが、まあ仕方がない。かなり傾斜が急だったので登り返すのも何だし、このまま下ることにした。
一時間ほど下り、休めそうな岩場があったので一息つく。あるいはここが人面岩かと思ったが、ずいぶん下なので違う場所である。おそらく、どのルートでも岩場になる標高550mくらいだったと思われる。
一息ついて落ち着いたのがよかったのか、すぐにペンキマークの岩とはっきりした踏み跡を見つけることができた。ここからはすんなり進むことができたから、なんとか八五山ルートに乗ることができたようだ。
このルートは今日登ったみかん園ルートと谷を挟んで対岸にあたり、右の坊主山が朝と同じように見える。石置尾根をそのまま下ると梅林寄りに出てしまうので、途中から八五山ルートに入る計画だったのである。
やがてこの道は水の流れる沢沿いになり、沢を渡って対岸に渡る道も見える。とはいえ、直進した先で道が太くなっているので、渡らずにそのまま進む。
車も通れるほどの道幅だが、路面はガレ場と同様で、ここを走ったら揺れて大変だろう。そして、やや登りつつ林道に合流したから、かつては沢沿いに下りる何かの必要があったのかもしれない。
林道のヘアピンカーブが登りつめるあたりで合流し、分岐点には黄黒のトラロープが張られていた。「天罰下る」は貼ってなかったので、おそらく車両通行止めの意味かと思われる。
途中で時間がかかったため、林道に出るまで自然研究路から3時間。さらにつくしこ駐車場まで45分。この日の山歩きはかなり時間がかかってしまった。
どこかのみかん園がお土産でも売っていないかなと見ながら帰ったのだが、どこもやっておらず、駐車場にもロープが張られたままだった。下に落ちて鳥に食べられるよりも、1袋200円でも300円でも露店の無人販売でもやればいいのにと思ったが、そのくらい誰も通らないのだろう。
薮に入ったりしたので、ウェルネスに寄ってひと風呂浴びてさっぱりする。ここにも産直があって秋に来た時はおばさんがいたのだが、土日限定になったらしい。帰りは暗くなってしまった。
この日の行程
つくしこ駐車場(52) 7:25
8:05 みかん園ルート登山口(225) 8:10
10:05 自然研究路(820) 10:35
12:30 岩場(570) 12:40
13:45 林道合流(305) 13:45
14:30 つくしこ駐車場(52)
[GPS測定距離 10.7km]
[Mar 14, 2024]
境界261番からなぜか人面岩に下りられず、踏み跡のようなそうでないような場所を下りる。ようやくペンキマークとはっきりした踏み跡を見つけてひと安心。
沢沿いに下りてきたから、おそらく八五山ルートに合流したのだろう。林道が近づくと車も通れそうな道幅となるが、路面は岩だらけ。
林道のヘアピンカーブのあたりで合流。ロープが張られているのは車両通行止めの意味か。
宝篋山登山道問題 ~入山禁止貼り紙と少子化
今日は女の川ルートの記事の続きを用意していたのだけれど、一昨日歩いた宝篋山で非常に疑問に思うことがあったので、予定変更してその件を先に書きたい。
筑波山の主稜線から宝篋山に向かう登山道はアンテナ塔保守のための管理道になっている。だから、登山者はここをよく通っているし、進入禁止のガードも車両進入禁止を意味していたはずである。
ところが、一昨日(1月31日)ここを通った時、目新しい目立つ貼り紙があった。「危険 立入禁止」と書いてある。以下を読むと、
ここは宝篋山への登山道ではありません。許可なく立入りはできません。
何を言っているんだと思った。ここはアンテナができる前から登山道だったはずで、管理に必要だから道路を作ったのは後からである。登山者が通ることをどうこう言うのはおかしい。
われわれが普段何気なく通っている道でも、私道であることは少なくない。しかし、ここはわれわれの道路だから、関係ない奴は通るなという主張は認められない。歩く方だって、ここは国道・県道なのか市道なのか、私道なのかいちいち気にして歩いていない。
ところが、ここにクレジットを出している防衛省、国土交通省、茨城県、千葉県、つくば市、石岡市、東京電力パワーグリッド、日本放送協会、ソフトバンク、FM茨城は、登山者はここを通るなと言っているのである。
筑波山神社が筑波山は神域だから指定された道以外入るなというのは、主張の是非はともかく言い分は分かる。しかし、国や地方公共団体が、昔からある登山道を勝手に林道にしておいて、ここは俺達の道路だから入るなというのはどうにも納得できない。
路肩が崩れていたり倒木等があるなら、危険だから対応が済むまで通れないというのは仕方ない。しかし、宝篋山までの区間に危険個所などない。お前らは日野富子か。室町時代かと思ってしまった。
いまの世の中は権利意識、損得勘定ばかりで、公共財という考えがない。くどくど説明しないが、山とか川・湖・海といった自然物は、誰の持ち物かという以前にすべての人が利用できる公共財である。
しかし、いまの時代、地主や道路を整備した者がここは俺のものだから入るなと言うと、多くの人は仕方がないと納得しているように見える。だから、ああいう注意書きを作るのだろう。
ふと思い出したのは、私の若い頃には結婚について親や親戚が口出しする風潮があり、多くの人はそれに疑問を持たなかったことである。
特定地域の出身者に対する結婚差別は論外としても、例えば家柄とか財産の有無とか学歴とか、そんなことをいちいち言っていたのである。それで結婚できなかったという話も、実際耳にしたことがある。
それから一世代経ってどうなったか。誰も結婚しなくなって、税金を使って少子化対策をとっている。少子化の原因が結婚しないことだけにある訳ではないが、大きな原因のひとつであることは確かである。
ここは俺の道だとか登山者を圧迫することをおかしいと思わない風潮は、一世代経つと廃道の山(しゃれになってしまうが)になってしまうだろう。その時になって、たくさんの人に来てほしいと言ったって遅い。まあ、私がいなくなった後の話だが。
[Feb 2, 2024]
十数年来特に問題なく使われてきたパープルラインから宝篋山への林道が、立入禁止とデカデカと書かれてしまった。ここは宝篋山への登山道ではないということだが、だったらアンテナなど建てるなという話。
宝篋山(弁慶平) [Jan 31, 2024]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
冬のいちばん寒い時期は、筑波山の頂上はアイスバーンになる。以前、男体山直下の登山道で見事に転倒し、スネにはいまだに黒く痕が残っている。
標高800mでアイスバーンでも、標高300mなら霜柱くらいである。転ぶことはあるかもしれないが、岩の上で強打するようなことはなさそうだ。ということで、この時期は宝篋山・小町山周辺を歩くことが多い。
昨年のこの時期に歩いた時、たまたま会ったおじさんが弁慶平から登ったと言っていた。どこのことなのかよく分からなかったが、調べてみると宝篋山アンテナ群の取付道路から山道に入るらしい。
ということで、今回は弁慶平を目指して歩いてみることにした。このあたりは1時間も歩くと林道もしくはサーキット道路(!)に行き当たるので道迷いはあまり心配しなくてもいい。ただし、採石場の崖があるので、むやみに薮を突き進むのは危険である。
2024年1月31日水曜日。この日は3月下旬並みの気温という予報であったが、朝は息が白く曇るほど寒い。それでも、小町の館には霜は下りていないし、もちろんアイスバーンもない。温暖化も悪いことばかりではないと思ってしまう。
家を出たのは5時40分頃だが、7時前には小町の館に着いた。筑波山系であっても、いちばん南の宝篋山近辺と、北の加波山・雨引山ではかなり違う。もちろん高速は使っていない。駐車場に着いたのは3番目だった。
身支度を済ませ、いつもの登山口から山の神にご挨拶して入山。この日はまず東城寺まで行って、国有林内の作業道を進む。小町山ボランティアの地図に弁慶平は載っていないが、なぜかGoogleに所在地が示されている。
東城寺までいくつかの尾根や谷を越える。ときどき里に下りる道が分かれるのと、そもそも登山道がまったく地図にないので分かりづらいが、迷ったとしても1時間あれば出てこられる山域である。多くは緩いアップダウンのトラバース道である。
この道は、宝篋山方面から下ったことはあるが、小町の館から登るのは初めてである。行先案内を確認しながらゆっくり歩き、1時間ほどで東城寺の大きな本堂が見えてきた。
東城寺は平安時代に天台宗寺院として開基、鎌倉時代に小田氏の庇護を受け、真言宗に改めて今日に至る。小田氏は、宝篋山をはさんで西にある小田城を本拠とした御家人である。
本堂を越える坂の前に宝篋山方面の案内表示があり、山道に入る。この道は途中から林道と合流して、採石地の横を通る。弁慶平へは、宝篋山への道と分かれて北の沢を遡上する。
さらに分岐して鬼越山に至る道と弁慶平に向かう道に分かれるが、ともに国有林の作業道で、踏み跡ははっきりしているものの行先表示はない。さらに、作業道はいろいろな方向に通っているため、迷わないよう注意する必要がある。
だから、Googleの表示はたいへんありがたかった。1度違う尾根を登ってしまったが、スマホを見ながら修正して正しい尾根までトラバースする。
朝7時に小町の館到着。まだ息が白いほど寒いが、この日は春のような暖かい日になるという予報。
小町山登山口から東城寺方向に進むが、この地域は掲示が少ない。おそらく、国有林事務所からいろいろ言われているのだろう。
東城寺まで1時間山道を歩く。ここから宝篋山に登ることも可能である。
急な登り斜面の木々の向こうから、巨大な岩が舞台のように迫ってくる。住吉神社ルートの大岩並みに大きい。これが弁慶平だな、と思った。
大岩を巻いて脇道を登る。大岩は下から見た景色が最高に迫力があり、すぐ横で見ると刀で切ったようなまっすぐの切れ目がある。通り過ぎて上から見るとなんの変哲もない岩である。
あれ、これが弁慶平じゃないんだと思ってスマホで確認すると、あと20mほど標高の高い場所にマークがある。確かに斜面は続いており、「平」ではない。息を切らせながらさらに登る。
ようやく平らな場所に出たが、そこには伐った丸太を横にした簡素なベンチがあるだけで、WEBで見たようなベンチではない。WEBで見た「弁けい平」というひらがな交じりの地名標もない。しかし、Google様はここだとおっしゃっている。
帰ってから推測したことだが、林野庁では国有林の管理を厳正化していて、設置された人工物を撤去しているらしい。この日はアンテナ塔管理林道への作業道に、黄黒ロープと立入禁止テープ、「進入禁止」貼り紙で立ち入らないようにしていた。
1/25000図ではそれほど開けた場所のようでもないのだが、坊主山直下の松岩と似た地形で、下方に向けて眺めが開けている。木々の隙間から、採石場近くの貯水池が見えた。
ここが弁慶平だとすると、ここから登ってきたと言ったおじさんはどのルートで登ってきたのだろう。いずれにしてもこの近くに車を止める場所はないので、パープルラインの路肩か、麓の東城寺、私と同様小町の館からだった可能性が大である。
さて、弁慶平にはゆっくりする場所はないので、さらに続く斜面を登って行く。
作業道はちゃんと続いていて、アンテナ林道まで標高差100mくらいある。結構な急斜面で、倒木もかなりある。ただ、崖とかロープ場とか、切れ落ちた尾根などの危険な場所はなかった。
いくつかの作業道が左右から合流したり分岐したりするが、目的地がアンテナ林道ならば上に登る一択である。何度か上の尾根らしきものは見えるのだが、登ってみるとそこに林道はなく、さらに進む。
弁慶平から20分ちょっと。登り坂の向こう側に何も見えない。アンテナ林道に出た。林道を左に折れ、宝篋山に向かう。
東城寺から沢沿いを登る。行先表示が全くないのは承知しているが。
進行方向に立ちふさがる巨石群。このあたりが弁慶平のはずだが、WEBに掲載されていた地名標はみられない。
木を伐っただけの簡単なベンチがあるだけ。Google様によると、ここが弁慶平で間違いないのだが。
アンテナ管理林道に出て宝篋山に向かうつもりだったが、気が変わった。いい天気なのできっと登山者が大勢いるし、舗装道路を歩くのも気が進まない。弁慶平でゼリー飲料を補給したので、それほどお腹も減っていない。
それよりも、林道分岐を右に折れて、まだ行ったことのない438の独標点、アンテナ塔のあるピークに行ってみよう。気がついた時に行かないと、ずっと行かない。
ベンチ風に切り株が並んでいる分岐点を折れて、戻るように坂を登って行く。アンテナ塔まではすぐだった。フェンスで囲ってあり「関係者以外立入禁止」と書いてある。休む場所はなかった。
独標点はアンテナ左の薮の中だろうか。心なしか高くなっているようだ。とはいえ、フェンスと薮でその方向には進めない。独標点にはたいてい目印はなく、探すべきものはない。
アンテナ塔を撮影して、今日の最高地点はこれにて終了とする。来た道を引き返して分岐に戻る。小町山までは下り。30分ほどで着くはずだ。
ここで、見慣れない景色に出くわした。林道に自動車が止まっている。ここはアンテナ管理道で、入口には車両通行止の柵がある。近づいてみると「林野庁茨城森林管理署」と書いてある。
周囲を見回すと、林道から分岐する国有林管理道の出口に、黄黒のトラロープと「立入禁止 立入禁止」と印刷してある幅広テープ、立入禁止の注意書きを揃えて、係員がひとり、登山道封鎖の作業中であった。
林道を歩いている私と目が合ったが、特に何も言わず、私も話しかけずに通り過ぎた。林道の南側は国有林で、もともと作業道だったものが登山道として使われ今日に至っている。私がこの日登った弁慶平も国有林の中にある。
何ヶ所かある林道への出口で、ご丁寧に同じような封鎖をしている。最近管理が厳しくなったのかなと思ってパープルラインへの出口を見ると、目立つ印刷の注意書きが新たに貼られていた。
「進入禁止 ここは宝篋山への登山道ではありません。許可を受けずに通行することはできません」(2月2日のブログに写真あり)
なんと、筑波山と同様、宝篋山も世知辛く入山禁止の道路が出てきた訳である。あっという間に気分が暗くなった。ここはアンテナができる前から登山道のはずで(でなければ独標点はない)、道路を作った者以外は使えないというのは道の趣旨に反する。
パープルラインは制限速度30km/hのところ、100km/h出す車が往来するのに歩道がないので、いわゆる「サーキット退避路」を歩くのが安全である。幸いにまだ封鎖されていなかったが、鬼越山のところに黄黒ロープと注意書きが用意されていた。
茨城県とつくば市は、筑波山には車、ロープウェイ、ケーブルカーで来い。登山者は歩くなというのだろうか。だったら稜線にちゃんと登山道を整備しろと言いたい。「みんなの足跡」によると、登山者は歩道のないパープルラインを歩いているのだ。
パープルラインがまだ有料道路だった頃、環境保護に留意します、登山者・歩行者に迷惑はかけませんと言っていたはずなのだが。みんな権利意識と損得勘定ばかりである。だんだん気が滅入ってきた。
小町山でお昼をとり、小町の館まで下りた。小町山のボランティアは熱心で、案内図やベンチなどを精力的に設置しているが、塚田陶管は寛容なのに林野庁は堅苦しい。ベンチを置く必要まではないが、歩くのは大目に見てほしいものである。
この日の行程
小町の館駐車場(50) 7:05
8:05 東城寺分岐(140) 8:10
9:05 弁慶平(340) 9:10
9:30 宝篋山438ピーク(438) 9:35
10:20 小町山(361) 10:35
11:30 小町の館駐車場(50)
[GPS測定距離 9.1km]
[Apr 4, 2024]
宝篋山には寄らず、438ピークのアンテナ塔を見て小町山に向かう。
宝篋山から小町山への林道で、黄黒ロープで封鎖中の係員と出くわした。いっぺんに、楽しい気分が吹っ飛んだ。
いまのところサーキット回避路は無事だが、鬼越山のあたりに黄黒ロープと張り紙が用意してあった。この山域も、いろいろうるさいことになるのだろうか。
足尾山・一本杉峠 [Mar 11, 2024]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
この冬は、もっぱら筑波山バリエーションルートと宝篋山周辺を歩いたが、至る所に「入山禁止」「進入禁止」の貼り紙であった。もともと登山道であった道をなぜ独占しようとするのか疑問だが、来るなと言われると別に行かなくてもいいよと思う性分である。
前に足尾山へ行ったのは4年前になる。あっという間に、月日は過ぎてしまうものである。頂上から望む壮大な光景は、いまだ記憶に新しい。おそらく筑波山系の中でも、随一ではないかと思われる。
だから次は足尾山と計画してはいたものの、2024年2月はスケジュールがなかなか合わなかった。申し込んでいたマラソン大会があり、急に天候が崩れ、とうとう3月になってしまった。
3月になると三寒四温で天気が安定しない。晴れても西高東低で強風間違いなしだったりする。3月11日の月曜日は震災何年目かになるが、ようやく風も収まりそうなので、あわただしく用意して歩くことにした。
2月は山には行けなかったが、お願いしていた鈴木敏信さんの自費出版「筑波山系の山路を辿る」の増版ができたと連絡があり、こんこんギャラリーに取りにうかがった。値段は2,200円。どう考えても、この値段は原価の半分以下であろう。
デジカメで何ページか撮って参考としてはいたものの、原本があるとなおさらありがたい。筑波山系なのでもちろん足尾山や加波山も調べてある。何しろ鈴木さんは、筑波山系に800回足を運んでいるのである。
この朝は車を出そうとすると-5℃、フロントガラスが凍ってしばらく発車できないほどだった。りんりんロード真壁休憩所の予定だったからよかったが、男の川登山口とかならアイスバーンだったかもしれない。
ひたち野うしくから学園東通りを走ったら比較的スムーズで、いつもより若干早く学園都市に入った。7時過ぎに真壁休憩所着。サイクリストのおひとりに続く2台目の到着だった。身支度をして7時25分出発。快晴無風、絶好のコンディションである。
交差点をわたり、史跡真壁城址の前を進む。真壁城址の背後には筑波山。この方向からだと女体山・男体山・坊主山の3つのピークが見える。頂上直下は白くなっているから、先週の雪が残っているらしい。
そして左側を見ると、日光連山がくっきり見える。写真に撮るとぼんやりとしか写らないが、肉眼でははっきり見える。男体山の薙が雪で縞になっているし、女峰山や白根山の上の方も真っ白だ。
この冬は雪が少ないといわれていたが、先週千葉ニューでも降った雪が残っているようだ。もう3月半ば。この分でいくと、ゴールデンウィーク前の日光は厳しいかもしれない。
そんなことを思って歩いていたのだけれど、いまから登る茨城の低山でも雪で難儀するとはこの時知る由もなかったのでした。
筑波山系のバイブルともいえる鈴木敏信さんの自費出版「筑波山系の山路を辿る」、2023年版が出ました。
快晴無風、絶好のコンディション。史跡・真壁城址の背後に筑波山の3つのピークが見える。
関東ふれあいの道標識にしたがってきのこ山に向かう。麓は全く雪の気配がないのだが。
足尾山は4年ぶりだが、きのこ山は3年前に登っている。その時はきのこ山から上曽峠、湯袋峠経由筑波高原キャンプ場まで歩いた。
下りてきた時と登った時の1年の間にふれあいの道関連の標識は格段に整備され、迷うところはなくなっていた。今回も、3年前よりさらに標識が増えていた。
道に迷うところはまったくないのだが、なぜかなかなか着かない。そろそろと思っていたら、まだつぼろ台の分岐だった。実は記憶違いで、きのこ山まで1時間半で登ったと思っていたが、帰ってから調べるとつぼろ台まで1時間半だったのだ。
きのこ山まで、真壁から休憩なしで9時10分到着。所要時間は1時間40分である。マラソンばかりで山登りしてなかったからかなあ、ちゃんと鍛えないといけないと思ったのだけれど、実は前回より若干早かったのである。
なかなか着かないのと合わせて気になったのは、斜面に雪が残っていることであった。前の週に千葉ニュータウンでも積雪があったけれど、その日のうちに融けてしまった。
だから、暑くなる心配はしていたけれど、雪道の心配はしていなかった。チェーンアイゼンも持ってきていない。というよりも、この時点でも登山道に雪が積もっていたらどうしようとは思っていなかったのである。
朝ご飯は4時台だったので、早めのお昼休憩にする。用意したのはコモパンのチョコレートとカロリーメイト、テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れる。かなり寒かったのでコーヒーがあたたかくておいしかった。
東屋で休んでいると、筑波方面から歩いてきた単独行の人が、写真を撮ってすぐに足尾山方面に向かっていった。バックパックが私のマラソン用と同じ大きさなので、おそらく水と非常食くらいしか入れていないのだろう。
筑波山に朝登ってここまで来て、加波山・燕山・雨引山を経て岩瀬まで縦走するのかもしれない。だとしたら、ここで休んでいる訳にもいかないだろう。結構なロングコースだが、ここを歩いているとよくそういう人達と会う(この後も会うのだった)。
きのこ山から足尾山までは林道歩き。だから気軽に考えていたのだが、なんと車の轍の二本線以外は雪が道を覆っていた。歩く場所が限られることに加え、この日の好天でパラグライダーの送迎車が行き来するので、そのたびに道端で待機しなくてはならない。
鈴木さんの本にNASAとあるので何だろうと思っていたのだが、送迎車の車体にそう書いてあった。ハング/パラグライダー離陸場の運営会社なのであった。(アメリカ航空宇宙局とは無関係かと思ったら、そもそもハンググライダーの開発者はNASAだったらしい)
足尾山に近づくと、稜線の両側でみんなが機体を組み立てていた。この日はハンググライダーの会だったようで、車の上に積んできた骨組みを組み立てて、合成樹脂製の翼をかぶせて準備していた。
離陸場を過ぎるとすぐ、足尾神社の参道入口である。ここで林道と分かれ、簡易コンクリの急坂を登る。幸い、路面にそれほど雪は付いていなかった。スイッチバックして坂を登りつめると、足尾神社の鳥居が見えてくる。
境内は2、3cm雪が積もっている。本殿前に進み、二礼二拍手一礼で拝礼する。4年前は深く考えなかったが、この歳になると足腰が丈夫でいられますようにお願いしなければと思う。
社務所の前の案内をみると、宮司の方は八郷側の柿岡にお住まいのようだ。足尾山のもともとの名前である「葦穂」も八郷の地名なので、本来この山は八郷側から登るものであるらしい。ただし車でとなると、どうしても真壁からが便がいい。
きのこ山への道は意外ときつかった。そろそろかと思ったらまだつぼろ台だった。手すり柵が現われるがまだずいぶん先。
休むところもないので、がんばってきのこ山の東屋まで休憩なしで到着。尾根には雪が。
足尾山に向かう林道は雪が固まっていた。ハンググライダーを用意する人達の横を抜け足尾神社へ。
本殿の左奥から、かなり斜めった石段を登る。少なくとも昭和はじめだから百年近く前、もしかして明治に作られたとすると百五十年前ということになる。昔のものにありがちだが、段が小さくて急である。四、五世代前は足が小さかったのだ。
3ヶ所ほどの踊り場を越えると、広くなった足尾山頂である。石組みを整えたのは近年で、ちょうど正方形に石材が積み上げられている。意外にも声がする。まだ10時半、どちらのルートから来たのだろうか。
奥宮まで上がってまず拝礼。晴れわたり風もなく、周囲は四方向とも眺めが開けている。麓でも見えていた日光連山がくっきり見える。左手に彼方の山々が連なっている。
「八ヶ岳、あれは北アルプスかな。いい景色ですね」先客は女性で、私よりずいぶん若い。岩瀬から登って筑波山まで縦走するんだそうだ。岩瀬からだとこの時間には、早いパーティーでも燕山の東屋だから、ずいぶんハイペースである。
「こんなに雪だとは思わなかったので、チェーンアイゼン持って来ませんでした。加波山あたりはたいへんだったです」足尾山は627mだが、加波山は708m、燕山は702mとさらに標高が高い。傾斜も急なので、積もればさらに滑りやすいだろう。
先客がここでお昼休憩にする気配だったので、早めに休憩を切り上げる。この日は一本杉峠まで通ったことがある道だが、その先は初見である。
足尾山からの下りは北側斜面で急傾斜、いきなり積雪である。私もチェーンアイゼンは持ってきていない。いないどころか、暑くなる方を心配していたのである。滑り落ちないよう慎重にステップを切る。なんとか林道まで下りた。
林道の先に東屋があって、記憶ではその横の登山道を下ると近道なのだが、雪道は危ないしかえって時間がかかる。轍の跡だけでも雪のない林道を進む方が安全である。緩いカーブを下る。
方向転換すると、木々の向こうに丸山の風力発電施設と加波山が見えてきた。プロペラは一つだけゆっくり回り、もうひとつはまったく動いていなかった。そのくらい風のない日だった。
坂を下り切ると一本杉峠。石組みの上にベンチが見えるが、そこまでは登らない。きちんとした舗装道路はここまで来た足尾山からの道とこの先丸山へ向かう道で、交差している八郷方面への道と真壁町白井への道は砂利道で心細い。
心細いどころか、「この先車両通行不能」「路肩崩壊」と恐ろしげなことが書いてある。車両通行禁止ではなく通行不能である。さすがに登山道として使えないことはないだろうと思うが、どうなんだろう。
11時半まで立ったまま小休止して、車両通行不能の道に入る。
足尾山頂からは、日光連山、富士山、八ヶ岳を望むことができた。
足尾山からの下りは北側斜面のため、雪が残っている。急傾斜でもあり難儀した。
林道まで下りてひと安心。樹間から加波山、丸山を見て下って行く。
一本杉峠から真壁町白井に至る道は、電子国土で黄色マーカーが引かれている。凡例によると県道・主要地方道を意味していて、きのこ山から丸山に至るパラグライダー林道より高規格のはずである。
もちろん、県道が砂利道であっていけない訳ではないが、路面が平らなのは一本杉峠からわずかの間だけで、いつしか沢と道の区別がつかなくなる。
茨城県の常で、こうした道には必ずタイヤ痕がある。地図に載っていない山道でもあるくらいだから、1/25000図に載っている道なので当然ある。ただし、路面の凹凸は激しいし段差も半端ないから、2本見えるけれどバイクのタイヤ痕である。
ともあれ、タイヤ痕を追っていけば麓まで通じているはずである。そして、一本杉峠では一車線の砂利道だったはずが、道幅が狭くなり、路面にも尖った大きな岩が点在するようになる。右左を流れる沢と道との境い目も、だんだんあやふやになっていく。
そしてとうとう、道だったはずの場所に沢が流れていて、タイヤ痕はそこをさけて細い道に入っていく。登山道ともいえないような道幅であり、かつ斜めっているからよくバイクが入れたものだ。
よく見ると、道の両側には石積みの人工的な護岸があるのだけれど、かなり以前から管理を放棄されているようで、崩れた場所や陥没した場所が次々と出てくる。一度など、タイヤ痕が橋もない沢を渡って対岸に続いていた。
(後から調べたところ、この道は県道218号という有名な「険道」だそうだ。)
一時間ほど歩いただろうか。道は左右に分岐する。ここまでも分岐はあったのだが、入ってみると沢にぶつかったり森に入るのであきらめた。このはっきりした分岐が、雨引方面と白井方面と分かれる地点であったようだ。
ここを白井方向に進むと、ここまで心細い登山道だったものがにわかに道幅が広くなり路面も平らになり、やがて採石場が現われる。このあたりからようやく、軽トラぐらいなら入れる道路になった。
ただ、「車両通行不能」の麓側の表示は真壁町白井の人家に入ってからあったから、採石関係者以外に車は入らない道なのだろう。水神や馬頭尊の大きな石碑の横を通ったので、かつては足尾山に向かう人々が通った道のはずである。
民家に出てからがかえって長くて、りんりんロードを経由して真壁休憩所に戻るまで、一本杉峠から2時間以上かかった。この日歩いた距離はGPSによると15.7kmで、筑波近郊にしては長距離であった。
久しぶりにウェルネスパークに立ち寄って汗を流す。なぜかこの日はお年寄りが多く、浴室に二十人以上いただろう。そういう私も、立派なじいさんなのだが。
この日の経過
りんりんロード真壁休憩所(40) 7:30
9:10 きのこ山(527) 9:30
10:30 足尾山(627) 10:35
11:25 一本杉峠(429) 11:30
13:45 真壁休憩所(40)
[GPS測定距離 15.7km]
[May 2, 2024]
一本杉峠から西側に下りる道には「車両通行不能」の表示がある。けれども茨城県の常で、タイヤ痕が続いている。
十分も歩くと、道路か沢か分からない光景にぶつかる。オートバイはともかく、四輪車は無理。
タイヤ痕を追いかけるが、道幅が究極に狭くなったり沢を渡渉することもある。これで地理院地図の黄色(県道)である。
吾国山・館岸山 [Apr 13, 2024]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
今年も春がいつ来ていつ終わったのか分からないような状況で、結露に悩まされ湯たんぽを欠かせない日々からいきなり夏日になった。山歩きには悩ましい気候である。
近場で足の便がいい筑波山にもデメリットがあって、暑くなると登れる状況にないということである。昨年は蜂の大量発生でトレラン大会が散々な目にあったようだし、標高が低いので下界並みに暑い。
暑さもそうだが、筑波山はなにしろ人が多すぎる。それもあって非推奨登山道を選んで登ることになるのだが、人の代わりに虫や蜂、ヘビが出るのもまた勘弁である。
どうしようかなと考えていたら、例の鈴木さんの本に吾国山周辺のことが書いてあった。早いもので、吾国山・難台山を歩いてから4年経つ。久しぶりに歩きたくなった。
ただし、ここを歩くと登山口と下山口が別になってしまうのが不便なところである。まして、4月年金前は一年でもっとも資金繰りがきつい。500円の駐車場代で済むところが、電車賃で3千円近くかかってしまう。
3千円の負担増は厳しいが、なんとかなりそうな目処が立ったので、取り急ぎ準備して行くことにした。前と同じく水戸線の福原から登って、常磐線の岩間に下山する。今回は吾国山から館岸山を歩くことにした。
難台山から下りてくると、田圃をはさんで北に見える山並みが館岸山一帯である。そこを越えると笠間である。1/25000図を見ると採石場のガケ記号だらけで登山道が通じているか心配だが、鈴木さんの本によると三角点を結ぶ登山道があるようだ。吾国山を下りて道祖神峠で難台山の道と分かれる。
2024年4月13日。雨降りや夏日を避けたら土曜日になった。基本的にあまり人は多くない山域なので、大丈夫だろう。実際、朝7時に福原駅で下車した登山客は私だけだった。
道案内にしたがい小山方面に進み、踏切を渡って引き返す。福原駅の駅舎は北側にしかなく、線路の南側は待避線になっている。貨物列車のような車両が止まっていた。
北関東道の下をくぐるあたりから、前方の景色が開ける。ひときわ高いのが吾国山である。山頂に登るとこちら側の景色が開けるから、麓からは吾国山がよく見える。
はじめ舗装道路だったハイキングコースも、田舎道になり林道になり、やがて登山道になる。登山道に入るあたりでトレラン組に抜かれた。傾斜に緩急はあるが基本的に歩きやすい道で、だからトレランの練習にも使われるのだろう。
道は基本的に分かりやすいが、山頂に近づくとロープで仕切られていてどこに進むのか迷う。これはカタクリの養生のため張られているもので、上に向かえばどこを登っても山頂広場に出る。ロープの中には小さな青い花がたくさん咲いていた。朝早いにもかかわらず、見に来ている人達も何人かいた。
午前9時5分、山頂広場着。山頂には神社がありそれほど広くないので、一息つくには山頂前の広場が適している。駅から1時間40分くらい。4年前より15分ほど早く着くことができた。
JR福原駅から歩き始める。北関東道を越えるあたりで前方に見えるのが吾国山。
吾国山の頂上直下は、カタクリの花が養生され遊歩道のようになっている。
吾国山から北方向には景色が開けている。この日こういう景色が見られたのはここだけだった。
吾国山頂には田上神社がある(麓の集落名からすると「たがみじんじゃ」と読むようだ)。立派な手水鉢とお堂があり、前面には福原方面への展望が広がる。最初に来た時ここは国見山(くにみやま・自分達の故郷を見るための山)だと思ったが、実際この田上神社は古くから近在の信仰を集めた神様らしい。
私がお参りした時に先客がひとりいて、拝礼を終えて景色を見ていると2人が後から現れた。まだ9時で早いけれどこの日は土曜日、朝方トレラン組とも会ったように、多くの人が登っているようだ。
吾国山から道祖神峠への下りは、記憶していたように急斜面で、しかもつるつるの粘土質で滑りやすいので難儀する。まだ先は長いので、足を滑らせて服を泥まみれにするのも嫌だし、足でも挫いたら大変である。慎重に下る。
道祖神峠や旧洗心館に車を止めている人が多かったようで、吾国山に登るグループ何組かとすれ違った。つるつるの登山道をようやく下り切ると、林道を横切って旧洗心館。ここは茨城県内の小中学校が林間学校で使った施設だったらしい。
補修に費用がかかるというので民間に払い下げとなり、4年前には犬が吠えている正体不明の施設であった。その後、旧洗心館キャンプ場として、いまでは旅行サイトにも掲載されている営業施設である。
さて、4年前はその正体不明の施設内をハイキングコースが通っていたのだが、きちんと整備されているので入りづらい。舗装された林道が道祖神峠まで下っているので、そこを歩く。峠まで下ると注意書きがあり、旧洗心館を通っていもいいけれど施設や利用者の邪魔にならないようにと書いてあった。
道祖神峠は吾国山・難台山の山稜を横断する県道で、方向によって二輪車通行止めとなっている。吾国山方面へは、いま通ってきた旧洗心館まで車が入れる。逆方向の難台山側は、ロープが引いてあって車両通行止めである。ロープのすぐ前に、道祖神の石碑がある。
5分ほど歩くと、難台山方向と加賀田山方向が分かれる。難台山に向かう道があきらかに傾斜が急なので少しほっとするのだが、安心したのはここまでであった。
ここから先は初見の道である。1/25000図をみる限り難台山より大分標高は低いし、それほど混み入った等高線でもないので、ゆるやかな尾根歩きを期待していたのだが、それほど楽ではなかった。
鈴木さんの本に載っていない分岐がいくつも出てくる。そして、ここも国有林なので、基本的に道案内は少ない。方向は合っているとしても、本当に正しいルートである確証はない。
そして戸惑ったのは、かなりアップダウンがあることである。それも、1/25000図では登り傾斜に読めるのだが下りだったり、その逆だったりする。国有林の境界見出標識が頻繁に出てくるし、道自体ははっきりしているので間違ってはいなさそうだが。
50台から始まった境界見出標識が40台になり30台になっても、まだ館岸山はかなり先である。館岸山はおろか、その前にあるはずの加賀田山にも全然近づいていない。数少ない道案内には、「加賀田山→」とあるのだけれど。
4年前は正体不明の犬が吠えていた吾国山直下の洗心館は、キャンプ場として整備され車が何台か止まっていた。
洗心館から下ると道祖神峠。通りの反対側に道祖神の石碑と難台山方向への登山路がある。
難台山方面から左に分かれて加賀谷山、館岸山方向へ。案内はわずかで、肝心かなめの加賀谷山もよく分からなかった。
国有林管理道に入った当初は「→加賀田山」「→館岸山」の道案内はあったのだが、その後はほとんど見ない。あるのは境界見出標の赤い札だけである。それも、50台から始まってどんどん少なくなる。
道祖神峠から1時間以上歩いた11時過ぎ、ようやく最初の目印となる長沢三角点に到着した。しかし、目立つのはやはり境界見出標ばかりで、三角点は管理道から外れた一画にあった。
ゆっくりできる場所もないし、先はまだまだ長い。小休止してすぐ出発した。この境界標が20番台だっただろうか。このペースで進んだら館岸山はマイナスになってしまう。
そして、管理道はかなり急傾斜で下る。1/25000図をみると登り下りは標高差30mくらいでたいしたことがなさそうに見えるのだが、とんでもない。しっかり下ってしっかり登る。帰ってからヤマケイのサイトで計算してみたら、累積標高差は登り下りとも1000m近くあった。
ようやく下り切って峠地形の場所に着いた。少し太い道を挟んで、直後から急傾斜の登りが待ち構えている。時刻は11時半近い。このルートを歩き通したら夕方になってしまうのではないだろうか。
この太い道からエスケープできるかなと考えた。しかし鈴木さんの本によると、この道を下っても採石地に行き当たるのでそのまま下ることはできない。採石地から吾国山方向に戻るか逆方向は薮で、そう簡単に林道に出られそうにない。
結局、この屏風のように立ちふさがる急傾斜を登るしかなさそうだ。下調べの時点ではこういう道とは見抜けなかったが、自分の落ち度である。このまま進むのが一番早そうだ。
ただ、この急登の周辺が伐採中で景色が開けていた。管理道に入るとひたすら森の中を歩くので、こういう景色を楽しめる場所は限られる。ちょうどお昼でもあり、腰を下ろして昼食休憩することにした。
来た方向を振り返る場所で腰を下ろす。いちばん高いのは吾国山で、途中に道祖神峠があったはずだ。こうしてみると、標高518mの半分以上は下りてきたようだ。
暑くなると予想したので、飲み物はアーモンドミルクを用意した。あんパンとカロリーメイト、元気一発ゼリーも加えて栄養補給した。こんなに厳しいルートだとは思わなかったので、この日はあまり食糧を用意していない。
ひと息ついて、なんとか歩く元気も出てきた。そして、ちょうどお昼を食べ終わった頃、前方から単独行の若い登山者が下りてきた。挨拶してすれ違ったが、そんなに長くかからないで下山できそうだと思うと、少し安心した。
国有林管理道ははっきりした道だが、例によって道案内や標識がない。数少ない加賀田山方向の道標を頼りに進む。
1/25000図ではゆるい傾斜に読めたが、結構なアップダウンがある。道祖神峠から下りてきて再び急傾斜の登り。伐採中で眺めが開けたのでひと休み。
まだまだ加賀田山には着かない。この急傾斜を登り切っても「頂上は向こう →」と書いてある。
長沢三角点の次の目標は、383mの御殿三角点である。スマホのナビをみる限り、境界見出標12番の広くなった場所を示すのだが、三角点らしきものは見当たらない。周囲は林の中で、三角測量できそうな場所もない。
少し北に進んでみたけれど見つかりそうもないので、あきらめて先に進む。そして、次の目標である加賀田山もやはり見つからないのである。
加賀田山の名前はおそらく麓の加賀田集落からきていて、下から見ると目立つ山なのだと思う。しかし国有林管理道を歩くと眺めは開けず、ただ木々に囲まれた道というだけである。WEBでは目印の山名標があるのだが、撤去されたのかもしれない(最近、国有林の目印が次々と撤去されている)。
そもそも加賀田山に三角点はないし、管理道の中間にあって分岐点でもない。だから何も目印がなければ通り過ぎてしまうのである。登り下りが続くので、ピークらしき場所はたくさんある。もちろん、管理には境界標があればいいというのが林野庁の公式見解だろう。
次の目標は館岸山との分岐だが、ここも鈴木さんの本に載っている行先案内が見当たらなかった。しかし、スマホのナビによるとこのまま直進しても金毘羅山に行き過ぎてしまうので、それらしき踏み跡を辿る。1/25000図の道でもなかった。
とはいえ、道なりに進んで急傾斜を飛び下りると、消えかけた道案内が「加賀田山 →」と下りてきた方向を示していたから、おそらく登山者はここを通るのだろう。急傾斜の下は、太い砂利道になっている。
ここから館岸山までは、基本的に下り坂である。通ってきた三角点が350~400m、館岸山が標高256mだから、当然そうなる。最後に一転して急坂を登ると館岸山になる。
ここも、まったく展望は開けていない。道案内の標識もいくつかあるが、みんな朽ちてしまって読むのも難しい。地元おこしでハイキングコースを作ったものの、そんなに景色もよくないし周囲は採石場になってしまったので、どんどん寂れているような気配だった。
寂れているのは中腹にある館岸城址も同様である。ここは難台山城と同時期、南北朝争乱時にできた城なのだが、もともと遺っているのは土塁とか城割だけである。おそらく整備に骨折った人達が年老いてしまったのだろう、施設も立て看板も草むらの中である。遊歩道がどこなのかも判別できない。
そして、いくつか立てられている行先案内の「下山口」を目指して歩いたのだが、いつしか道はなくなり竹藪に入ってしまった。迷ったら下りてはいけないのが鉄則だが、スマホで見ると麓の集落まですぐなので、何とか竹藪をかき分けて沢に下りた。その先に、集落から続く砂利道があった。
集落から岩間駅までは、何度か通った道である。前方に愛宕山を見て、1時間ほど歩く。最初に来た時は余計な道を4~5km歩いてしまったが、そんな失敗は繰り返さない。「大型車通行止」の先、住宅地に入ればすぐ駅前通りである。
この日の行程
JR福原駅(60) 7:15
9:05 吾国山(518) 9:25
10:05 道祖神峠(310) 10:05
11:05 長沢三角点(373) 11:10
11:40 伐採中斜面(305) 12:00
12:40 383三角点付近(383) 12:45
13:30 館岸山 (256) 13:35
14:15 西寺集落(51) 14:15
15:15 JR岩間駅(50)
[GPS測定距離 17.8km]
[May 30, 2024]
館岸山頂は山名標も朽ちていて、長い間整備されていないようだ。少し下った館岸城址も草ぼうぼうで道が分からなくなっていた。
標識通り下ってきたはずが、竹藪の中に入ってしまい難儀した。何とか切り抜けて、下ってきた方向を振り返る。
下山口から館岸山の稜線を振り返る。眺めがよさそうに見えるのだが、まったく景色は開けない。国有林の中をひたすら登り下りする山歩きでした。
燕山中腹一周 [May 4, 2024]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
ゴールデンウィークは混むのが嫌なので出かけないことにしているのだが、今年は急に暑くなってランニングにも向かなくなってきたし、GW明けから天気が崩れる予報である。
さいきん気候が変なので、このまま梅雨に入ることだってないとはいえない。GW中は日本から西に1000km晴天域が続いているそうで、せっかくなので山に行くことにした。
とはいえ、道が混むので遠出はできないし、もちろん電車もダメ。近場だと筑波山だが、混む時はつつじヶ丘まで車が動かないくらい混む。いろいろ考えて、花の入公園から燕(つばくろ)山を選んだ。
さすがにこの山が人であふれることはなさそうだが、道は混む可能性が大きい。午前3時に起きて4時出発、6時に歩き始めて午前中に下山という計画を立てた。これなら、混む前に帰途につくことができるだろう。
2024年5月4日土曜日、ひたち野うしくから学園東通りを経て、渋滞なしに花の入公園着。まだ6時前で、一番乗りだった。身支度して6時5分出発。2年前にはつばくろ山への登山口が分からず撤退したが、その後何度も来ているのでそんなことはないだろう。
いくつかの分岐を分けて、東飯田林道は続く。このまま林道を進んで三本杭方向への分岐まで行くべきだったのだが、みんなの足跡をみると林道の迂回部分をショートカットする道をみなさん歩いているようだ。せっかくだから、そこを歩いてみよう。
257独標まで数百m迂回するので、ここを歩ければ随分距離を短縮できる。そう思ったのがケチのつき始めで、国有林管理道は行先表示がないので、もっと用心深く進むべきだったのだ。
それらしき管理道分岐から国有林に入る。中に入ると道は相当にしっかりしていて、砂利の敷いてある東飯田林道ほどではないが道の形ははっきりしている。人が入っているのも確かで、両側の木にペンキで何か記号が書いてある。
ただ、途中でかなりの急傾斜が出てきたのと、なかなか林道に出ないのが気になった。20分ほど歩いただろうか。気になってスマホで現在場所を確認すると、なんと全然林道とは違う方向に進んでいる。
なぜこんなことになってしまっただろう。影が左方向に伸びていたから北に向かっているとばかり思っていたけれど、進んでいるのは南西である。確かにまだ午前6時だから普段とは違う向きだろうが、それにしてもひどい間違いである。ときどき奥多摩で秩父に進んでしまう人を「何やってるんだ」とは言えない。
いちばん近い林道復帰は、三本杭より燕山寄りに出ることになるが、そもそも管理道そのものが細く心細い。入った直後のような登山道規格ではなく、踏み跡にもならないくらいである。
左右の尾根を登ろうと試みるが、傾斜が急なうえに滑りやすく手がかりになるものもない。標高差100mはもったいないけれど、分岐点まで戻るしかない。幸い、来た方向のログはスマホに残っている。
ところが、登る時には何とか登れた急坂が、滑って下れないのである。仕方なく後ろ向きで、かつ両手を地面に付けた状態で下らなければならなかった。
ショートカットのつもりが、林道まで戻ると1時間経っており、せっかくの早出メリットがなくなってしまった。林道に戻って少し登るとチェーンが引いてある車両通行止地点である。この近くに2、3ヶ所それらしき分岐があったけれど、とてもじゃないが試す勇気はなかった。
「みんなの足跡」のショートカット道かと思い、国有林管理道に入る。これが大失策で、ここまで戻ってくるのに1時間かかった。
他の登山道と大差ないのは筑波山と同様。ただし、ここから急坂となり道も定かでなくなる。
ようやく復帰して東飯田林道に復帰する。チェーンの近くと少し先にそれらしき分岐があったが、さすがに管理道に入る勇気はなかった。
ようやく東飯田林道に復帰した後も順調にはいかなかった。林道をずっと歩けば三本杭との分岐があるはずなのに、いつまで登っても見つからない。まだかと思ってスマホを見ると、とっくに通り過ぎていた。
これは帰り道で判明したのだけれど、分岐自体は見逃すはずのないはっきりしたものである。しかし、その時ちょうど右前方に燕(つばくろ)山の頂上が覗いて、すばらしい景色なのだ。そこで右に注意が集中して、左にある分岐を見逃したのである。
気づいた時にはずいぶん先まで進んでいて、もう花の入公園からの直登ルート手前まで来ている。時刻はまだ早いが、いったん休んで体制を立て直すことにした。ちょうど合流点に、座れるように丸太がある。
お昼はファミマで買ってきた飲むレモンサラダとシャキシャキレタスサンド、それと冷凍のマンゴーである。昼食休憩は東側の巻き道を踏破して燕山直下の東屋を予定していたが、朝一番で管理道で1時間余計に歩き、いままた分岐を見逃した。こういう時は落ち着いて何か口に入れろと書いてある。
時計回りは分岐まで戻らなくてはならず論外である。燕山頂上に予定を切り替えるか、あるいは計画とは逆に反時計回りにするか。時刻はまだ9時前なのでどちらにしても問題ないが、こういう日は無難に歩くべきかもしれないと考える。
そして歩き始めると、今度は燕山直登分岐を見逃し、二輪車通行禁止の急坂も見逃した。直登分岐はああ見逃したなとショックはあまりなかったけれど、通行禁止急坂を見逃したのはかなりショックだった。朝方の見逃しがあったので注意しているのに、なぜこんなに次々と分岐を見逃すのだろう。
気がついたら前方に見覚えのあるベンチがある。「加波山神社5分」の案内看板もある。これは加波山神社への分岐である。「なんでもう加波山なんだ」と思わず声を出してしまった。
日光とかもっと山深い場所でなく、筑波連山であったことに感謝しなくてはならないかもしれない。管理道道迷いでは、北に向かうつもりで南西に向かっていた。よく遭難事故で、北に向かう計画で南に向かっていたなんて記事をみて、そんな大間違いをするなんて山をなめてると思っていたのだが、何のことはない自分がそれをやっている。
その後は、再三にわたる分岐見逃しである。光の加減で時刻によって微妙に見え方が違うし、いい景色があるとそちらに目が奪われるのは仕方がない。それにしても、注意しているつもりでまったく目に入っていないというのは、ひとの遭難事故をどうこう言うことはできないと思った。
坂道を登って加波山神社へ。この日は例祭があるのか、正装した神職さんが社務所で何か準備していた。神前に進み、二礼四拍手一礼で無事登山を感謝する。そういえば、麓の加波山神社にも四拍手と書いてあった。出雲大社と同じである。
さて、ここまで来た以上は燕山中腹反時計回りである。舗装された神社前の坂を下り、ふれあいの道を左に分け、しばらく八郷に下りる道を進む。
神職さんはここまで車で来たようで神社前のスペースに車が止まっていたが、下り坂はタイヤの乗る2筋だけコンクリ舗装で、林道と大差ない道である。そして、かなり標高を下げていく。この道は巻き道だと聞いていたが、こんな坂なら燕山に登っても大差ないのではないかと思ったくらいである。
東飯田林道に復帰して登るが、三本杭への分岐を見逃しずっと先まで行ってしまう。どうやらこの日は道間違いの日だったようだ。
花の入公園からの登山道合流点付近で、ひと息ついて立て直すことにする。
さらに東屋方面へのショートカット道も見逃し、加波山神社分岐まで来てしまう。この日は行事があるのか、神職の方が社務所で作業していた。
この日は朝からさんざん道間違いした日なので、慎重に地図と道を見比べながら進む。林道は571独標付近まで下りて、そこでT字路に突き当たるのだが、実際に右から合流するのはほとんど廃道で、道なりに左に折れる感じである。
八郷に下りる林道はここだけ車が通れる。しかし、そこから左への分岐が迷わされた。というのは、そこは廃道と思われるような草ぼうぼうの道だったのである。
それでもこの道で合っていると思ったのは、三相三線と電話線まで付いた立派な電線と電柱が続いていたからである。ただし、路面は岩だらけで、落石にしか見えない巨大な塊もある。とてもじゃないが、四輪車が通れる道ではない。
この間、茨城県屈指の「険道」(一本杉峠から県道218号)を歩いたが、そこと大差ない道である。ここは県道ではないようだが、電線と電柱が続いている。メンテナンスする人達はどうやって作業するのだろうと思うくらいだった。
規格からみて、この電線は加波山神社の社務所だけでなく、燕山のアンテナ群に電気と通信(ケーブル)を供給しているのだろう。燕山のアンテナは、雨引山と違い現役ばりばりである。にもかかわらずこの電線は危ない場所を通っている。
随分進んでから、道幅半分にわたって路肩が崩壊しており、谷に沿って崩落している場所があることが判明した。反対方向からは「車両通行止」の表示がある。そして通行止め以降落石をそのままにしているから、この状況になっているものと思われた。
いずれにしても、ここが1/25000図の実線の道とは思えない。さきほどの分岐で入らずにそのまま進んでも、遠回りになるが近くまで達するので、道路自体いまは使われていないのかもしれない。電柱も電線も、あるだけで使われていない可能性もある。
スマホで進路を確認するのだけれど、このあたり道が接近していて正しいルートかどうかよく分からない。分岐はなかったと思うし、電柱・電線が続いているので大丈夫だろうが、この日は分岐をいくつも見逃している。
心細い道路をかなり歩いて、ようやく前方に合流点が見えた。麓に向かう道は車が通れる道で、左に分かれる道にはチェーンが引いてある。立札があるので近くに寄って見てみると「車両進入禁止」ではなく「みんなで環境保護」と書いてあった。
そして、ほっとしたのはいつものタイヤ痕を見つけたからである。ここまでの半廃道では路面が岩でごつごつしていたこともあるけれど、タイヤ痕はひとつも見えなかった。
チェーンが引いてあるので本当は自転車であっても進入禁止のはずだが、茨城県の常で自転車は構わず侵入してくる。関東ふれあいの道をタイヤでえぐっているのも、おそらくここから入ってきた自転車であろう。
さっきまでのように電柱や電線もないけれど、ずいぶん安心して歩くことができたのはありがたいことでした。
加波山から八郷側は、車も入れるけれど基本的に林道。右から合流する道は1/25000図にある道だが、あまり通られていないように見えた。
そこから分岐してさらに心細い林道に入る。電柱・電線がなければ、ここが道だろうかと疑ってしまう。
路肩からは雑草が生い茂り、路面には落石がそのまま。崩壊している箇所もあった。電柱・電線は続いているのだが、どうやって保線作業をするのだろう。
チェーン封鎖地点からしばらく進むと、右手の樹間から景色が開けてきた。見えるのは雨引山方面である。雨引山から燕山の稜線で、このように景色が開けた場所は記憶する限りない。
稜線から少し離れてこういう眺めが見られるとは意外だった。雨引山から燕山はいったん稜線が下がって、向こうの景色が見える。ということは、関東ふれあいの道はかなり標高を下げているということになる。
と同時に、方向に間違いなく西に向かって歩いていることが確認できた。いま歩いている燕山中腹道は稜線の下がったところよりずいぶん高いが、それでも自転車のタイヤ痕が続いている。おそらく、このまま関東ふれあいの道まで続くものと思われた。
とはいえ意外と稜線まで遠く、その前に登山道は分岐して右に伸びる道がある。1/25000図にもみんなの足跡にも載っていない(鈴木さんの本にもない)道だが、どこに通じているのだろうか。
やがて傾斜のないトラバース道になり、向こうから登山者が歩いてきて関東ふれあいの道に合流した。考えていたのとは違って、稜線上にはっきりした分岐があった。急登の始まる地点よりかなり前である。
ふれあいの道に合流すると、例のタイヤ痕でえぐれたすべりやすい道である。タイヤ痕は自転車タイヤの幅しかないので登山靴だと狭くて歩けないし、そこを外すと滑ってどうしようもない。特にここを下る登山客には迷惑なタイヤ痕である。
思うに、いま私が歩いてきた道をMTBで来て、ふれあいの道で急降下するのだろう。かなり危険だが、それでますます道がえぐれてしまうものと思われた。だから、三本杭に「二輪車通行禁止」と書いてもほとんど意味がなく、看板を出すのならいま来た道であろう(「みんなで環境保護」の立札あたり)。
つるつるの坂道は歩行者すれ違い困難で、登りの人をお待たせしてしまった。坂道が終わると三本杭で、案内看板や二輪車通行禁止の立札がある。稜線から外れて10mほど進むと、東飯田林道の支線に出る。
ここからは以前も通った道で、ほどなく林道の本線に出る。1時間弱で花の入公園に戻った。お昼少し前だったが、まだ駐車場は半分くらい空いていた。しかし、帰りにゆりの郷に寄ったら駐車場が満杯だったから、さすがゴールデンウィーク。筑波山はさぞかし人が多かったんだろうと思った。
この日の行程
花の入公園(105) 6:05
6:35 林道ゲート付近道迷い(250-350) 7:35
8:30 登山道合流点付近(478) 8:45
9:15 加波山神社(630) 9:25
10:40 三本杭(435) 10:45
11:40 花の入公園(105)
[GPS測定距離 13.9km]
[Jun 27, 2024]
東側巻き道後半はチェーンの進入禁止から始まる。「みんなで環境保護」もいいが、二輪車通行禁止と注意喚起するならここだろう。
進入禁止から入ってすぐ、雨引山方向への展望が開ける。三本杭に向かっていることを確認できて安心する。
道なりにタイヤ痕を追っていくと、ふれあいの道と合流する。三本杭過ぎのMTBつるつる坂のすぐ上。記憶になかったがはっきりした分岐だった。左が巻き道。右がふれあいの道。
雨巻山 [May 22, 2024]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
5月下旬は泊りがけで日光の予定だったが、どうも天気がはっきりしない。昨年は予報が晴れだったのに出かけたところ雨で、一泊余計に泊まらなければならなかった。諸物価高騰の折、できればそういう事態は避けたい。
そして今年は逆に、雨予報が晴れになった。ただ、南に梅雨前線がいることは確かなので、泊りがけはリスクが大きい。いろいろ考えて栃茨県境の雨巻山に行ってみることにした。
雨巻山は仏頂山・高峯の西にある山塊で、足尾山・三登谷山(みつどやさん)などの峰々と連なる。県境とはいえ山頂は栃木県にあり、茨城県は稜線の途中までになる。両県どちらからでも登れる。車を使う場合は駐車場があるのは栃木県側で、茨城県からだと路肩に止めることになる。
仏頂山・高峯はマウンテンバイクに荒らされてひどい状況であったが、雨巻山一帯は模範的ハイキングコースと筑波山系の達人・鈴木さんも言っている。WEBを見ても評判は悪くないので楽しみにしていた。
ただし、千葉ニューからだとやや遠いのがネックである。奥多摩・丹沢は家から3時間以上かけないと登山口にたどり着けないが、筑波山だと2時間かからない。それに慣れてしまうと遠いように思うのだが、泊りがけで行くほどの距離でもないのは確かである。
2024年5月22日水曜日、4時半過ぎに家を出発。もちろん一般道で、ひたち野うしくからつくば経由。このルートには道の駅がないので、サイクルロードの雨引休憩所で一度休憩して県境に向かう。登山口への県道は一車線しかなく、山道なのに上からスピードを出した車が何台も下りてきて怖かった。
ほぼ3時間かかって大川戸の登山口着。五十台ほど止まれる駐車場がある。ガイドに「釣り堀」とか「流しそうめん」とあるので寂れた雰囲気を予想していたら、最近建て替えられた新しい建物だった。ただし、トイレは仮設である。(筑波山もところによりそうだが)。
休憩ベンチで、朝早くから食事しているカップルがいた。登山前の腹ごしらえだろうか。珍しいことである。確かに一時期ほど暑くなくなって、朝方は涼やかな気候である。
舗装された林道をまっすぐ進むと三登谷山(みつどやさん)方向、喫茶雨巻の建物横から山道を沢沿いに入ると足尾山方向である。この日は、足尾山から雨巻山、三登谷山と時計回りに歩く計画である。広い休憩場所は雨巻山にしかないので、周回コースをとるならこの方がいいかもしれない。
沢沿いの道はすぐに林間の登りになる。ひとしきり標高を上げた後で、尾根コースと沢コースの分岐となる。一筆書きにするなら沢コースなのだが、下りて登るのが嫌なので尾根コースをとる。コースタイムはたいして変わらないが、沢コースは一枚岩の滑りやすい場所があるというWEB情報もある。
いくつか分岐があるが、案内があるので迷うことはない。主稜線まで上がるとほどなく御嶽山である。「おんたけさん」と読むようだ。一段下に古い手水鉢(江戸時代か)があったので御嶽信仰に関わる山だと思うが、社殿や祠は見つからなかった。
山頂にあるのは案内板の他、テーブル付のベンチが一脚。ここまで登ってはじめて展望が開けた。稜線の東側の山々である。筑波山に慣れているとすぐ海のような気がするけれど、栃茨県境まで来ると茨城県を横切らなければ海にならない。この日は地表近くに雲が多く、とても海まで見えなかった。
大川戸駐車場から足尾山方面への登山口は、茶店雨巻の横を入る。
噂通りコースの整備は整っていて、刈り払いや案内板もきちんとしている。案内の番号は、ホームページに載っているコースガイドと同じである。
御嶽山までずっと林の中で、山頂ではじめて景色が開ける。一段下に古い手水鉢があったので、おそらく御嶽信仰の山だろう。
さて、この日の服装は、半袖のアンダーシャツにモンベルの薄手長袖シャツ、ズボンは十年以上履いている夏物で、下にモンベルのタイツである。
虫が嫌なので夏でも上下長袖で、これ以上涼しい服装はない。耐えられないような暑い山には行かないようにしている。2024年5月は連休から夏日・真夏日となったが、この日の朝方は20℃を下回る過ごしやすい陽気であった。
御嶽山頂はT字路になっていて、登ってきた方向からみて左に下ると足尾山、右に下ると雨巻山方向である。まず足尾山なので左に進むが、すぐに急傾斜の鎖場である。
筑波山によくあるなんちゃって鎖場やロープ場とは違って、太くて重い金属チェーンである。しかも、距離が結構ある。中間に踊り場があって一息つけるが、登山者が多く混みあっていたら難儀しそうな鎖場であった。
鎖場も急斜面も、登るより下る方が気を使って時間もかかる。左手には巻き道のような踏み跡が見えるのだが、行ってみると滑りやすい急斜面で、結局鎖場を下りることになった。
鞍部まで下りて登り返すと足尾山である。周囲は木々が繁って展望はない。ベンチも1脚だけ、崩れかけであった。
Googleによると、この近くにタイタニック岩という場所があるらしいが、名前からして絶壁に突き出た岩に違いないので探さなかった。山名標と7番の案内板を写真に撮って引き返す。
鎖場は下るより登る方が安心である。鎖には頼らないのが原則で、ここの斜面もホールド/スタンスは見つけやすい。三点確保に気をつけて登ると、下りよりかなり早く御嶽山頂に着いた。ちょうど9時だった。
山頂をまっすぐ進んで今度は南側、雨巻山に向かう。すでに標高433mまで来ているから、あとはなだらかな稜線を期待したのだけれど、なかなかそうはいかない。急下降の後は急登坂、緩斜面はわずかしか出てこない。
ただ、地面は筑波山周辺とは違い、比較的柔らかな土が多い。ところどころ木の根が張り出してうるさい場所はあるが、鳴虫山ほどではない。そして、主稜線を進むと頻繁に赤い札、境界見出標が現われる。ここも国有林なのだ。
石柱もよく見る小振りのものだけでなく、三角点のような立派なものもあった。この稜線には独標だけで、雨巻山の他に三角点はないから、国有林か御料林の管理のために作られたものなのだろう。
表示をみると日光森林管理署と書いてある。茨城県と違い、栃木県は国有林の利用に寛容だなあ、さすが日光の地元と思ったのだが、そうでもなかったようだ。
後ほど雨巻山の山頂に行くと張り紙があり「ここは所有者と益子いくべ会が管理しています。許可なく設置したものは撤去します」と書かれていた。そこにあったのは「栃木百名山」の小さな手製立札だったが、2024年6月までに撤去するそうだ。茨城同様、栃木県も世知辛いようである。
御嶽山直下はこのコースの難所・鎖場。早朝他に人がいなかったからよかったが、混雑していたら渋滞必至であった。
足尾山からは展望が開けない。大川戸駐車場からこの奥経由で登ることもできるが、沢筋の1枚岩で歩きやすくなさそうだ。
鎖場を登って再び御嶽山に戻る。この後はなだらかな稜線歩きを期待したのだが、そういう道は長くは続かなかった。
さて、益子いくべ会作成の雨巻山登山マップによると、御嶽山(おんたけさん)から峠までの所要時間は23分である。にもかかわらず、実際には30分近くかかった。というのは、峠までだから下るだけではなく、アップダウンがあるからである。
正直、登ったりまた下ったりを繰り返すうちに、なんだか疲れてきた。御嶽山のベンチでエネルギーゼリーで補給したものの、足りなかったのかもしれない。峠といっても鞍部というより、大川戸への林道にショートカットする道である。
そして、もうひとつの難所・猪転げ坂(ししころげざか)が現われた。真ん前にスイッチバックの急坂があるのだが、途中から上は木々に隠れて見ることができない。とはいえ、奥多摩のスイッチバックに比べれば、何ということもない。
はじめは2、3歩進むとスイッチバックだったのが、だんだん間隔が開いて行く。上部では20~30m行ったり戻ったりする。最後は顕著なピークまで登る。でも、猪が転がるほどではなかったような気がする。
しかし、問題はこれからであった。大層な名前の急坂を越えたらほどなく雨巻山かと思っても、なかなか着かない。1/25000図を見れば明らかだが、猪転げ坂の上のピークは453mの独標で、御嶽山と20mしか変わらない。雨巻山は533mである。
雨巻山まで、まだ小ピーク5つか6つある。とはいえ、歩きながらそれは予想していた。この後歩く予定の、三登谷山(みつどやさん)に至る稜線が右から合わさるはずなのに、ちっとも見えてこないからである。
ようやく雨巻山に近づいたのが分かったのは、沢コースとの分岐があったからである。ここにも看板と貼り紙があった。「沢コース下り危険」「沢を下り滑落、頭部を含む打撲で動けず、防災ヘリを呼ぶ事故がありました。別ルートを強く推奨します」
6月とあるので、2023年6月のことだろうか。どんな低山であっても滑落のリスクはあり一概に責められるものではないと思うし、状況によって防災ヘリを呼んでもいいとは思う。ただし、それは十分な準備・装備をしていたという前提であって、昼過ぎからヘッデンも持たずに登り、暗くなって滑落というケースだとしたらそれは登山者の心得違いだろう。
この掲示からひと登りでベンチが見えてきた。雨巻山頂である。いくべ会のコースタイムは71分だったが、結局1時間半近くかかり10時半になってしまった。
山頂には山名標と案内表示、ベンチが5、6脚あって先客が2組休憩中だった。国有林だからベンチにもいい顔はしないはずだが、益子町や観光協会のお声がかりでもあるのだろう。きちんと手続きすればできるようでもあるが、もしかすると新規は一切認めないのかもしれない。
ベンチの前、東方面への展望が開けている。この山域は国有林なので、御嶽山以降眺めのいい場所はまったくなかったが、ここは絶景である。稜線が3つ、4つと向こう側に見え、その向こうは霞んで見えない。
1/25000図からすると、2つ目の稜線が鶏足山あたりか。西側だと日光連山、南側だと筑波山が目立ってよく分かる目標であるけれども、東側だとなかなか同定しずらい。
景色を楽しみながら、お昼をとる。この日はコモのあんパンと、フルーツジュース、それとカロリーメイトである。朝食が3時台だったので、だいぶお腹が空いた。最近思うのだが、こういう時に間違いなくおいしいのはあんパンである。クリームとかチョコ、サンドイッチよりも、当たり外れが少ない。
雨巻山の登りの難所は猪ころげ坂。スイッチバックがはるか上まで続くが、急登はここだけで終わらない。まだ5つ6つ小ピークを越えなければならない。
ようやく雨巻山頂に到着。ベンチが何脚か置かれている。ただ、営林署はうるさいようで、栃木百名山の立札に「6月末に撤去します」と書かれていた。
雨巻山頂からは東側の展望が広がる。2つ目の稜線が鶏足山あたりか。
雨巻山頂上からは、「三登谷山 →」「展望台 →」の二方向に案内がある。まず展望台に行ってみる。
頂上からかなりの傾斜で下りるので大分遠いのかと思ったら、すぐに登りとなる。雨巻山は南北の双耳峰となっているようで、展望台のある南峰の方が広いように見えた。
はじめは大きいベンチしか見えなかったのだが、「展望台」という立札が立っている。木々に囲まれて、高さ5mほどの木組みの塔があった。展望台というより物見やぐらといった方がイメージに合う。
8段ほどの梯子を登ってやぐらの上に立つ。塔全体も木々に囲まれているが、やぐら上部も茂みの中で、展望はあまり開けない。繁った葉の向こうに、少しだけ山が見えた。
WEBによると、かつてこの展望台から筑波連山が見えたということだが、残念ながら木々が繁りすぎて展望は開けていない。雨巻山には東側と西側の展望が開ける場所があるので、南側も望めればいいのだが、なかなかうまくいかないようだ。
再び雨巻山頂に戻り、いよいよ三登谷山(みつどやさん)に向かう。これまでと同様登ったり下ったりのハードな稜線歩きである。2ヶ所ほど、林道経由で大川戸に戻るショートカット道がある。
四、五十分歩くと、展望コース分岐という場所になる。ここは西山麓の栗生(くりゅう)への登山道で、大川戸に行く途中通った集落である。大きな駐車場はないが、展望コースというくらいで景色はいいのかもしれない。
そして、この分岐に展望の開けている場所がある。御嶽山や雨巻山より雄大かもしれない。そして、ここからは西側の眺めが広がる。日光連山が見えるはずであった。しかしこの日は水平線間際が霞んでいて、残念ながら見ることはできなかった。
展望コース分岐から5分ほどで三登谷山頂である。山頂にはベンチが置かれているが、狭くて2脚しか置いてない。この日も先客がお昼休憩中、私が水分補給していたので、次のグループが休めなかったのは気の毒であった。
三登谷山から大川戸まで、ようやく下り基調の道となった。この日はなだらかな稜線歩きを期待していたらアップダウンが続き、累積標高差は900m近くなった。とはいえ、コースそのものは整備されていて、薮漕ぎしたり岩がごつごつということもない。
しばらく下っていくと、傾斜がゆるやかになり道端にもシダが目立つようになり、沢が近い雰囲気になったのはうれしかった。いったん林道に出て石造りの橋を渡ると大川戸駐車場。朝は5、6台しか駐車していなかったが、下山した時は20台以上止まっていた。平日なのに、なかなか人気あるコースである。
この日の行程
大川戸登山口(190) 7:25
8:20 御嶽山(433) 8:30
8:45 足尾山(413) 8:45
9:00 御嶽山(433) 9:00
10:25 雨巻山(533) 10:50
11:55 三登谷山(433) 12:00
12:40 登山口(190)
[GPS測定距離 8.0km]
[Aug 1, 2024]
雨巻山展望台は双耳峰の南峰にある。展望台というより物見櫓という感じ。付近にはベンチがいくつかあり、雨巻山ベンチがいっぱいの時は使えそうだ。
雨巻山から三、四十分で三登谷山(みつどやさん)。ここからは西、日光連山側の景色が広がる。テーブル付とテーブルなしと二組しかベンチがない。
三登谷山からは急下降して大川戸登山口に戻る。傾斜が緩くなってシダ類が目立つようになると、もうすぐ麓である。
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