この図表はカシミール3Dにより作成しています。

一番霊山寺   二番極楽寺   三番金泉寺

四国札所歩き遍路  一番霊山寺 [Jul 26, 2015]

定年が近くなって、なぜか四国八十八札所に行ってみたくなった。

札所の存在を知ったのは、思えばずっと昔の昭和40年頃、確か当時のNET(現在のテレビ朝日)でやっていたテレビ番組である。まだ白黒の時代で、画像も映画の画面のようにざらざらで、白装束・菅笠のお遍路さんも時代がかっていた。その頃NHKでやっていた「新日本紀行」と同様、映像に対する志の高い番組であった。

ただ、札所に行くべきだと思うようになったのは、おそらく四十年近くに及ぶサラリーマン生活の「澱(おり)」のようなもののせいだ。最初に奥さんに説明するときに「長年、いろいろな人に迷惑を掛けてきたから」と言ったところ、「あんたが一番迷惑をかけているのは私だ」と言われてしまったのだが、そういう迷惑とは少しニュアンスが違う。

まだ2年近くの現役生活が残っているので説明しにくいこともあるのだが(2年経ったら言えることはもう少し増える)、私が今こうしていられるのも、多くの人が、私の知らない人も含めて、少しずつ割を食ってきた結果のように思うのである。

もちろん、私自身、他人をおとしいれたり、足を引っ張ったり、二階に上げて梯子を外したりしたことは、されたことはあってもしたことがないことは断言できるけれども、それとはまた違う観点なのである。

きわめて単純化して言えば、私が1/10の確率をクリアしてきたとすれば、どこかで誰かが9/10を引いてくれたということである。その9/10は、私の前に現れた人かもしれないし、そうでない人かもしれない。その人にとって、9/10を引いたという自覚さえないかもしれない。しかしながら、私が1/10を引いたということは、誰かが9/10を引いた結果としてしかありえないのである。

(たとえばポーカーを例にとると、私がイン・ザ・マネーになった確率は、本来あるべき1/10よりもかなり大きい。もちろんそれなりに戦略もスキルも磨いてはきたものの、純粋な確率の要素だけ考えてもかなりの部分あるはずである。)

そうした「澱(おり)」をそのままにしておいた場合、もしかして知らない間に他人の業(ごう)のようなものを引き受けてしまい、残りの人生で確率数万分の1のアンラッキーが降りかかってしまうかもしれない。もちろん、それが必然であれば致し方ないのであるが、少なくとも「禊(みそぎ)」ぐらいはしておくべきものだろうと思ったのである。

よく考えてみれば、禊とか払いとかは仏教ではなく神道なのだが、弘法大師を信仰する真言宗の場合、そうしたことにも対応してくれるようである。△△大師と名のつくところは、大抵厄払いに効能があるお寺さんだ。厄払いができるのなら、禊もできるはずである。ちなみに、八十八札所すべてに弘法大師を祀る大師堂があり、宗派も国分寺などいくつかの寺を除いて真言宗である。

その第一歩は平成27年7月26日。出張の移動日というのが何とも腰が据わっていないところだが、本格的に回る前に、ひとまず予行演習として何ヵ寺か回ろうと思ったのである。予行演習とはいえ、当日は最高気温33度が予想される炎天下である。観光気分で歩くような気候ではない。それなりに気合いを入れて、羽田から徳島に向かったのであった。

徳島へは、出張で何度も来た。新しい空港になって少し奥になったが、空港から駅までは30分ほどで変わらない。時間がかかるのはいつも、渋滞する街中である。駅に着いたのは正午前、少し時間があるので腹ごしらえ。駅地下の惣菜屋さんのお弁当が安いのだが、何しろ暑いので、この日は駅の外に出てセルフうどん屋さんで冷たいぶっかけうどんを食べた。

駅に戻って高徳線の各駅停車に乗る。平成27年7月現在、JR徳島駅ではまだスイカが使えないので、目指す坂東駅まで切符を買って鋏(スタンプ)を入れてもらう。出発してしばらくして、列車は吉野川を渡る。河口近くなのでとても幅が広く、大河の趣きがある。札所一番から十番までは、この吉野川を遡って行くのである。いよいよお遍路の始まりである。

単線の一両編成の列車は、何回か駅で待ち合わせた後に坂東駅に到着した。徳島駅から乗ってきた高校生の多くはすでに下りていて、ここで降りたのは4、5人、みなさん地元の方のようだった。

無人駅なのだが、待合室は広くて座布団が置いてある。壁にはお遍路さん向けの案内が書かれている。これを見ると、一番霊山寺にはこの駅が近いのだが、歩き遍路のコースは一つ前の駅で降りて、談議所というところを経由するのがオーソドックスらしい。まあ、多少の手順違いは仕方がない。とらわれないことが大切だ。




坂東駅待合室。無人駅ではあるものの、札所第一番最寄りの駅らしく、「おもてなし」の雰囲気があります。



通りには、そこかしこに分かりやすく道案内が置かれています。真夏日の炎天下で、人通りなし。

坂東駅の前、まっすぐ伸びる道を進み突き当たりで左に折れる。門前通りと言う名前の商店街であるようだ。しかし、猛暑日の昼下がり、真上から日光が降り注ぐ中、歩いている人は誰もいない。交差点にはお遍路用の道しるべが描かれている。写真を撮ったりしながらゆるゆると進むと四つ角に差し掛かる。

右手を見ると山門。一番札所、竺和山霊山寺(じくわさん・りょうぜんじ)である。山号の竺和山とは、天「竺」から大「和」に霊山を持ってきたという意味。開山は奈良時代の高僧・行基。弘法大師空海が この地から四国を巡礼したとされる由緒ある寺院である。

それほど広くない通りの両側には、旅館や民宿が並んでいる。WEBで見慣れた「民宿阿波」「かどや椿荘」の名前もある。いよいよやってきたと気分が高揚する。山門の前には、大通りをはさんで、いくつかの遍路用品店がある。WEB情報では、商売っ気あり過ぎの店もあるらしく、注意しなければならない。でも、どれがどの店なのかよくわからない。

山門の左手、あまり人がいない店がお薦めらしいが、なにせ炎天下で、どこもひと気がないのである。試しに入ってみたところ、なれなれしく話しかけられたりしなかったので、お薦めでない店の方ではないようである。

「納経帳と経本、数珠を見たいのですが」

今回の半日遍路はあくまで予行演習である。早々と自分には不向きだと分かってしまうかもしれない。だから最初から白衣や菅笠を買うつもりはなかった。それでも、たとえ何ヵ寺か回るだけだとしても、納経帳と経本、数珠は用意すべきものだろうと思ったのである。

店のおばさん(とはいっても私より若い)の説明を聞いて、納経帳は思ったより重くはなかったので表紙が厚くて丈夫そうなものを、経本は四国遍路用に八十八札所のご本尊真言の入ったものを、数珠はプラスチックの黒色のものをお願いした。3品で6000円。決して安い買い物ではないが、ちゃんと説明もしてくれたし、他のものを薦めてくることもなかったので、結果的にはWEBご推薦のお店の方だったようである。

お店を出るとすぐに山門。一礼して境内に入る。ここまでアスファルトの炎天下を歩いてきたので、木々が多い境内にほっとする。一番札所というから、さぞ観光客が多いのだろうと予想していたら、個人やご家族の参拝客が4、5人いるくらいで、意外と閑散としていた。

参拝順序からすると、まず手水場である。本式には両手を洗い、口をすすぐのだが、略式に両手を洗うだけにした。他にもいろいろ決まりがあるのだけれど、いずれ八十八ヶ所回るとすれば長続きするやり方が望ましい。必ずしも形式にとらわれることなく、信心の本旨を大切にしたいものである。

まずは本堂にお参りする。本式にはご灯明(ろうそく)と線香を奉納するものであるが、これも省略させていただいた。電灯や空調・冷蔵庫がある現代では、もともとのご灯明・お線香の必要性が少なくなっていると考えたからである。もしかすると、そうやって自分の頭で考えてはいけないのかもしれないが、真言宗は絶対他力ではないのでそこまで堅く考えなくてもよさそうだ。

読経については、今しがた求めたお経本の順序に従って読めばいいと思っていたのだが、たくさん書かれていて勝手がよく分からない。それに、懺悔文とか三帰・三竟、十善戒とかはご本尊に唱えるというよりも遍路である自らへの戒めのように思ったので、黙読するにとどめ、合掌礼拝、開経偈(かいきょうのげ)、般若心経、ご本尊真言あたりを中心に読経させていただいた。

事前の予想としては、本堂の前で何人か般若心経を唱えている人がいるのだろうと思っていたのに、炎天下のためか私ひとりであった。遠慮して、本堂の左端で読経したのだけれど、後から調べたところそれが礼にかなったやり方であるらしい。読経の後、用意してきた札を納める。ご本堂の正面中央に、分かりやすく箱が置かれていた。

本堂に続いて、大師堂である。ここでは般若心経の後、ご本尊真言の代わりに、「南無大師遍照金剛」のご宝号をお唱えし、札をお納めする。こうして、一番札所の礼拝を完了したのでありました。




いよいよ一番霊山寺への直線コース。左右にはガイドブックで見慣れた遍路宿の名前が。



霊山寺の山門。とても木々の多いお寺さんで、炎天下歩いた後はほっとしました。前に置かれている遍路人形(?)は他でも見た。記念写真用か?

お参りの後は、いよいよ納経帳に印をいただかなければならない。本堂横に納経所と書かれており、中には遍路用品が置かれている他、奥で菅笠に筆でお寺の名前を書いている人がいる。靴を脱いで中に入り、筆を握っている人のところに「お願いします」と納経帳を差し出す。

「納経ですか?」「はい」

納経帳を出して願っているのだから納経に決まっているだろうと思ったが、よく考えてみたら、この時の服装は普通の長袖シャツと登山用のパンツであった。とりあえず、炎天下を歩ける恰好ということで用意してきたのだけれど、考えてみればお遍路のスタンダードとはかなりずれている。やはり、服装は重要だと思ったものである。

手元には墨汁のたっぷり入った硯と、細い筆が置かれている。筆に墨汁を含ませると、三行に分けて一気に筆を走らせる。達筆である。最後の行は「霊山寺」と書いてあるのが分かったが、前の二行がよく分からない。しばし乾かした後に、朱肉に付けた印を押す。印は3種類あって、右上、中央、左下に押印された。

横の壁には、それぞれの方法ごとにいくらかかるか書かれている。納経帳の場合300円と書いてあるので、300円をお納めする。できれば、お釣りのないようにするのが好ましいように思って、あらかじめ100円玉をたくさん用意しておいた。

納経帳への記入が終わると、前のページに染みないように古新聞をはさんで返してくれる。その際、「お姿です」と、ご本尊の描かれている小さな紙がいただける。その時にお姿を入れる袋もいただけるのだが、この袋に二番札所以下のお姿も入れることになるので、なくさないように気を付けなければならない。

最後に山門で再び一礼して、一番札所の参拝を終えた。木陰が多くて直射日光は避けられたものの、汗が額から頬から滴り落ちたのは、暑さだけでなく緊張のためであろう。

さきほど遍路用品を求めた門前一番街の店の前が無料の休憩所になっているので、一休みして荷物を整理する。坂東駅を出たのが12時45分頃、時間は現在1時半である。買物をしたり不慣れだったことを考えれば、たいへんスムーズにここまで来ているようだ。リュックから遍路地図を取り出し、次の行程を確認する。

ここから二番極楽寺まで幹線道路沿いに1.4kmだから、距離的には大したことはない。ただし、これからまさに一日で一番暑い時間である。駅からここまで歩いてきて、木陰の多いお寺さんにお参りしただけで、すでに滝のように汗が流れている。果たして予定通りお遍路ができるのか、若干の不安を抱きつつ二番極楽寺へと歩き始めたのでありました。

[行程]JR板東駅 12:45 → 13:00 一番霊山寺(遍路用品購入、参拝、納経)13:30 →



木々に囲まれた霊山寺本堂。左手に手水場、右手に大師堂と納経所。記念すべき第一回の納経は、真夏日の炎天下で汗がしたたり落ちました。



数珠、経本、納経帳を求めた遍路用品店「門前一番街」。奥が休憩所になっているので、二番に向かう前の身支度ができる。

[Aug 19,2015]

四国札所歩き遍路  二番極楽寺 [Jul 26, 2015]

一番霊山寺から二番極楽寺までは広い通りに沿って西に進む。前の大通りは幹線道路のようで、ひっきりなしにトラックが飛ばして行く。

車通りが多いせいなのか、店も多い。遍路必携の地図「四国遍路ひとり歩き同行二人 地図編」(このブログで遍路地図といえば、この本のことである)には掲載されていなかったけれども、一番札所の近くにはセルフうどん屋や喫茶店が見えたし、しばらく歩くとセブンイレブンもあった。

極楽寺まで歩く途中に、初めてお遍路の団体とすれ違った。20人くらいで、私よりもかなり年上に見える。菅笠と白装束、金剛杖という完璧なお遍路装束の人もいれば、上は白衣・下はCW-Xとか、登山用のダブルストックで歩いている人もいた。二番から一番に向かっているということは逆打ちということになるが、長距離を歩いてきたようにも見えない。

いずれにしても、服装にはそれほどこだわる必要はないということが分かった。それよりも気になったのは、足元である。WEB情報をみると、軽登山靴がいいと書かれているものが多いのだけれど、私の経験上、軽登山靴は平地の舗装道路を歩くのにはそれほど適していない。今回用意してきたのはランニングシューズで、薄くて軽いがそこそこクッションも利く。

いますれ違った団体の場合、軽登山靴というよりもウォーキングシューズをはいている人が多かった。ウォーキングシューズなら、市街地の舗装道路を歩くのには向いているが、逆に山道には向いているとはいえない。

この日歩いてみた限りでは、平地の舗装道路ではランニングシューズでそれほど不便は感じないし、ウォーキングシューズより軽いので自分には合っているように思える。十番札所を越えると現れる本格的な山道では軽登山靴がよさそうだが、いまのところはランニングシューズで歩いて大丈夫そうである。

二番極楽寺に向かう右手には、阿波と讃岐を隔てる阿讃山脈(讃岐山脈ともいうが、徳島側ではそのように呼ぶ)が見える。源平争乱時だから空海の時代より400年ほど後になるが、源義経が屋島を急襲する際、この道を通って阿讃山脈を大坂峠で越えたという。ちょうど、現在高徳線が通っている経路である。

屋島の合戦は、平家方が海に逃れ那須与一が砂浜から矢を射て船上の扇の的を落としたので有名な戦いである。つまり、山を越えるとすぐ海になるということである。このように山と海がすぐに位置しているのは、瀬戸内の地形の特色といえる。われわれからすると特色になるが、こちらに住んでいる人たちにとって山があって海があるのは当たり前ということかもしれない。

山並みは近づいたり遠ざかったりしながら、ずっと彼方まで続いている。道路の傍らは、畑だったり栗の木が植わっていたり、倉庫がいくつかあったり住宅になったりする。そうして20分くらい歩くと、道路沿いに二番札所の案内表示が現れた。すごく大きな案内なので、見逃すことはなさそうだ。

案内にしたがって右に折れると、そこは大きな駐車場となっている。二番札所、極楽寺である。




二番極楽寺に向かう右手には、阿波と讃岐を隔てる阿讃山脈が見える。源平の昔、源義経はこの道を通って、三番金泉寺から大坂峠を越え屋島に向かったということである。



炎天下を20分ほど歩いて、幹線道路から右に折れる。すぐに極楽寺の山門がある。

二番札所は日照山極楽寺(にっしょうざん・ごくらくじ)という。弘法大師空海が阿弥陀如来の像を刻んで本尊としたところ、その後光が遠く鳴門の海にまで届いたという伝説から、日照山という山号が付けられたといわれる。

山門の前は大きな駐車場になっており、一番札所が比較的こじんまりしていたのと比べると境内は広く奥行きがある。もっとも広い分、炎天下を多めに歩かなければならない。

境内に入って最初に目に入るのは納経所の案内で、団体と個人とで別方向に誘導される。これは、個人の遍路にとってありがたいやり方である。団体さんと一緒になると、納経に時間がかかる上に、そんなことはないだろうけれど流れ作業的に納経されてしまうという印象がある。こちらの場合、団体さんは宿坊へ、個人は駐車場横の売店で納経するので安心である。

山門からすぐの場所に願掛け大師があり、しばらく進むと子育て地蔵があり、さらに参道を進むと薬師堂・観音堂といった建物がある。お参りすべきかどうか少し迷うが、遍路の場合は本堂・大師堂が本筋だろうと考えて奥に進む。(遍路本を読むと、お遍路の場合はまず本堂、大師堂の参拝が先で、その他のお堂や旧跡の見学は後から行うのが正しいようである)

白い砂利を敷いて整えられている参道や、何十台も収容できる駐車場から考えると、ここ極楽寺はお遍路の二番札所というよりも、願掛けや子宝・子育て祈願にご利益のあるお大師さんのようだ。首都圏でいえば、川崎大師とか佐野厄除け大師の立場である。あるいは、年末年始には初詣で大勢の参拝客を集めるのかもしれない。

本堂・大師堂は参道を薬師堂・観音堂まで進み、突き当たりを左に折れて階段を上る。この階段が結構急である。ご年配のお遍路さんの場合、足元が厳しいかもしれない。帰りに階段脇に、「上り下りとも必ず手すりを使用してください」と書かれていた。上りにもあったのかもしれないが、気がつかなかった。

本堂・大師堂にそれぞれお参りする。この時気づいたのが、お堂の前に椅子とか腰掛けるものがあるとは限らないので、 参拝用具を簡単に出し入れできて、しかも両手が自由になるようにする工夫がいるということであった。リュックを手に持ったままで、中からお経本と数珠と納め札を出し、それらを持ったままで再びリュックを背負うというのはなかなか大変なのであった。

しかも、そうしている間にも汗が噴き出してくるので、タオルを手放すことができない。直射日光を遮るもののないLv.1(階段の下)の境内に比べるとLv.2(階段の上)はお堂の陰になるけれど、それでも午後2時、真夏の太陽が容赦なく照り付けるのである。ようやく支度が整いお経を唱えるが、額から汗が経本の上に落ちてしまうほどの暑さである。




極楽寺山門前。一番札所と比べるとかなり広い。中には宿坊も備えられている。



山門をくぐると境内は広い。参道右に子育て大師、正面の建物は観音堂。その左から本堂への階段が始まる。

今回の遠征でよかったと思うのは、この極楽寺で、本堂・大師堂のお参りを一人でできたことである。真夏の炎天下でそれほど人はいないだろうと予想してはいたものの、一番でも三番でもそれなりに人はいたのに、二番ではほとんど誰もいなかった。遠慮なく声を出してお経を読むことができ、大体の感覚を得ることができたのは、予行演習としては得がたい機会であった。

経本のどこを読まなければならなくて、どの真言が必要不可欠なのかという点については、WEBでも書いている人ごとにかなりの違いがある。時間の余裕が十分にあれば、略さずにすべて読むのがベターなのは言うまでもないことであるが、団体お遍路が参拝中の場合や個人だけでも混み合っている場合など、そうとばかりも言っていられないケースも多いはずだ。

そういう課題を持っていたので、ここ極楽寺では大体の内容を音読してみた。そうしてみて思ったのは、お経等をご本尊あるいはお大師様と読経している自分との会話と考えた場合、合掌礼拝、開経偈と般若心経、ご本尊真言(大師堂の場合はご宝号)が必須なのではないかということである。

それでは他の推奨項目は省略可なのかというと、そう割り切っていいかどうかは自信がない。けれども、ほとんどの書き手は「本来、形式は自由です」といっている。光明真言や懺悔文、回向文など、自分でも読経の意味を十分に把握していないこともあり、今後の研究課題としたいと考えている。

帰りは宿坊の脇を通って個人の納経所となっている売店に向かう。こちらは木陰になっているので幾分すずしかった。そして、売店の前にはいくつかベンチが置かれていたけれども、まさに炎天下の直射日光で路面温度が50度くらいにはなっているのではないかと思われた。

売店奥が納経所となっている。「お願いします」と納経帳を差し出す。「やっておきます」と言われたので他に仕掛があるのかと思ったけれども、すぐに私のを書き始めたのでそういうことではなかったようである。あるいは「やっておきます」というのが決まり文句なのだろうか。「お預かりします」の方がいいような気もするが、まあ郷に入っては郷に従うのが常道である。

書き上がるまでの間、売店内の遍路用品を見る。菅笠は日よけ効果は期待できそうだが、着けたり脱いだりするのが面倒だし、私のような大汗かきの場合どうなのか。必要と思われたのが山野(さんや)袋で、読経の際に両手を自由に使えるようにするには、リュックの他にもうひとつ肩から掛けられるものがあった方がよさそうだ。

(その場では買わなかったが、帰ってから防水仕様の山野袋を2000円で入手した。次回以降のお遍路で使用することになる。)

そうこうしている間に納経が終わり、300円をお納めする。帰りに売店の人から、「お餅はいかがですか?」と言われたが、さすがにこの炎天下にお餅は食べられなかった。ソフトクリームがあったらぜひお願いしたいところだった(一番札所にはあったのだ)。

[行程]  霊山寺 13:30  → (1.4km) →  13:50  二番極楽寺(参拝、納経) 14:15  →



極楽寺の本堂まで登る階段は、かなり急だ。「手すりをつかんで上り下りしてください」と書いてある。



極楽寺大師堂。ご覧のとおり誰もおらず、落ち着いて読経することができました。

[Sep 12, 2015]

四国札所歩き遍路  三番金泉寺 [Jul 26, 2015]

極楽寺から三番金泉寺まで、遍路地図によると2.6km、本日1番の長丁場である。しかも炎天下、油断することはできない。幹線道路から離れて裏道を行くようだが、極楽寺を出たところから「四国のみち」の道しるべがあるのでそれほど迷うことはない。

しばらくは坂道を登って行く。両側が造成中の墓地になっており、立てられている幟(のぼ)りには「極楽霊園」と書いてある。何で極楽寺霊園じゃなくて極楽霊園なんだろうと思う。よく考えれば、古くから続いているお寺さんが、檀家以外のために墓地を提供するというのも妙な話である。あるいは極楽寺とは関係がないのかもしれない。まだほとんどが空き地で、整備されるのは先のようだ。

極楽霊園を過ぎると下り坂で、その坂をしばらく下ると住宅街を抜ける道と合流する。ここまでは多少木陰があったけれど、ここからはさえぎるものは何もない、炎天下の一本道である。午後2時過ぎのじりじりと音を立てるような日差しが、正面から容赦なく照り付ける。一番から十番くらいまで、吉野川を遡上するので進路はずっと西、この時間が最もきついのであった。

さすがにのどが渇いて、自動販売機のある日陰で一息入れる。この経路では、自動販売機は何台か登場するのだが、残念ながら座って休むところが出てこない。三番くらいで音を上げていたら、とても八十八は回れないということである。汗を拭いても、水分を補給したのでさらに汗が吹き出してきた。

汗を拭き拭き歩いていると、行く手に人工地盤の上を通る高架道路と、それと直角に交わる大きな通りにぶつかる。行き先標示はすぐには見つからないが、よく探すと右に曲がって高架下トンネルに向かう方向に、先ほどから続いている「四国のみち」の標識があった。帰ってから調べたら、トンネルの上を通っているのは高速への取り付け道路であった。

トンネルの中は日が当たらないし、風が吹き抜けてすごく涼しい。それまでずっと炎天下を歩いて来たので、生き返るような気持ちになった。トンネルをくぐると三番札所への案内が出て来る。もうすぐである。

信号を直進してしばらくすると、舗装道路から右に折れる細い道に「→金泉寺」の表示がある。その方向を見ると、田んぼの脇の畦道を通って行くようだ。道を覆って草が伸びているのは気になるが、これからたびたび登場するという「遍路道」であろう。まずは経験ということで、この道を歩いてみる。

舗装道路とちがって、足元が必ずしも平らでない。進むほどに草の伸びが激しくなっており、足の先が見えない。配水設備のような建物の脇を抜けて、林の中に続く階段を登ると、三番金泉寺の境内の横から入ることになる。この遍路道から入ると、山門をくぐらないで着いてしまうので注意が必要だ。




金泉寺への道は、この日一番の長丁場。西日が正面から激しく当たる中、黙々と西に向かう。



案内の通り遍路道を進むと、ちょっと草叢がうるさいです。

三番札所は亀光山金泉寺(きこうさん・こんせんじ)。亀光山の名前は、このお寺の大檀那で、伽藍の整備に多くの寄進をされた鎌倉時代の亀山天皇(南朝の祖である)のお名前をいただいたものという。また、二番極楽寺の項で触れたように、源義経がこの寺で一休みして屋島に向かったので、「弁慶の力石」など義経関係お約束の旧跡も境内にある。

極楽寺は山門を入ってから本堂まで、結構な距離(と階段)があったのだけれど、こちら金泉寺はコンパクトである。遍路道から入ってきた境内の中央に本堂が、東側に大師堂があり、西側に納経所がある。山門まで行くのが一番距離があるくらいで、疲れた体にはありがたいことであった。

この金泉寺で、初めて観光バスの団体遍路と遭遇した。それも2組続けてである。ちょうど私が遍路道から境内に入った時に、一組目の団体が手水場を使っているところだった。これはしばらく待つしかなさそうだと思って、本堂の向かいあたりに置かれているベンチで汗を拭きながら、境内に置かれている自動販売機で購入した午後2本目のペットボトルで一息入れた。

ところがこの遍路団体、引率者の指示にしたがってフルコースで読経を行うのであった。それこそ、三帰三竟十善戒から何から全部である。かなり待っても、まだ般若心経まで行かない。ここであせっても仕方がない。お手本を見せてもらっていると思ってベンチに座って終わるのを待った。本式にやると結構長い時間がかかるということを身を持って知ったのであった。

ようやく団体さんが大師堂に移動したので、本堂の前に移動してお札を納め、読経する。二番極楽寺で一通り読経して様子がつかめたので、開経偈、般若心経あたりを中心にやらせていただく。次は大師堂だが、読経フルコースの団体さんがまだ中にいる。どうやら読経は終わったようだが、室内装飾やら長寿祈願の黄金の井戸について説明が続いているようだった。

まだ時間がかかりそうだと思ったその時、山門から境内に二組目の団体さんが参入してきた。どうやら3、40人はいるようである。とっさに思ったのは、早く納経帳にご朱印をいただかないと、すごく待つことになるのではないかということだった。大師堂のお参りは後にして、先に納経所へ向かう。

納経所では先客が3人くらいいて、机の上にはすでに7、8冊の納経帳が積まれている。これは後回しにされるかもと思っておそるおそる納経帳を差し出すと、「やっておきます」と受け取った後、団体さんのより先にご朱印をいただけたのはありがたかった。かなりほっとして、大師堂に向かう。

二組目の団体遍路さんは一組目よりもリラックスしたグループのようで、みんなが本堂のお参りに集まっているのに、おじいさんが三人くらい、テントの下、日陰になっているあたりでくつろいでいた。菅笠・白衣の遍路装束に身を包んではいても、読経もしないでいいのかと思うが、まあひとそれぞれである。「納経帳はスタンプカードではありません」と書かれてしまう訳がよく分かった。




金泉寺本堂。納経所は左手の奥にある。観光バスの団体遍路2組とがっちゃんこしてしまった。



金泉寺大師堂。中に入った団体遍路がなかなか出てこなかったのは、長寿に霊験あらたかという「黄金の井戸」を見ていたためらしい。

大師堂のお参りをすませ、山門を出て右が四番大日寺への経路で、遍路地図によれば5.0kmの道のりである。まだ時刻は3時20分。納経の終了時間は午後5時なので、気候がよければもう少し足を伸ばしてもいいのだけれど、さすがに炎天下の5kmはきつい。この日のお遍路はこれにて終了とする。

JR板野の駅が500m南にあるので、住宅街を抜けて歩いて行く。板野は行きに降りた坂東の2つ先の駅で、特急が停車する。当初計画では午後5時ちょうどの高松行き特急を予定していたので時間には余裕がある。うまいこと銭湯でもあれば、大汗をかいたのでひと風呂浴びていけたらいいなと思っていたのだけれど、普通の住宅ばかりでそれらしき建物は見当たらない。

15分ほど歩いて駅のあたりに出る。電気屋はあるが、サウナとかスーパー銭湯とかは出てこない。とうとう駅に着いた。駅前にはWEBでおなじみの遍路宿「ばんどう旅館」がある。「日帰り入浴できます」とか書いてないかなと覗いてみたが、そんなことは書いてなかった。

駅舎に入る。窓口にはすでにカーテンが引かれていて、「窓口営業時間3時20分まで」と書かれている。ちょうど金泉寺を出た頃に閉まったことになる。そして時刻表をみると、3時台は43分に高松行の特急がある。時間はすでに3時40分である。あわてて自動販売機に1000円入れる。1000円で買える一番高い切符を買って、飲み物を買う暇もなくエスカレーターなしの自力階段を登った。

ホームまで行くと、10人ちょっとの乗客が特急を待っていた。間に合ってひとまず安心したが、あちらから来る特急電車をみると、なんと2両編成である。今度は座れるかどうかが心配になったが、何とか板野からの乗客分くらい空席があった。車掌さんに言って不足分の乗車券と特急券を買って、ようやく一息つくことができた。

車内では汗まみれになった長袖シャツを脱いでTシャツ1枚になる。このTシャツはお遍路用に購入したmizunoの速乾シャツで、水分を放出してべたつかないのでありがたい。一方、長袖の木綿シャツは直射日光の下で日焼けするのを防ぎ体力を温存できるのだけれど、吸った汗を含んだままなのでいつまでも着ていると重いしべたべたである。

そうこう考えると、お遍路で歩く際には軽くてすぐ乾く素材のものを身に着けるべきだなあとしみじみ思った。そのようにして、さっそく次の遍路遠征計画を考え始めたのは、結構自分に向いているのかもしれないと思ったのでありました。

[経路]極楽寺 14:15 →(2.6km) → 14:55 三番金泉寺(参拝・納経)15:20 → 15:35 JR板野駅



この日の遍路は、板野駅まで。特急停車駅ですが、3時20分までで窓口業務は終了しておりました。左手は遍路宿「ばんどう旅館」。



今回の遠征で購入した納経帳、経本、数珠。門前一番街@霊山寺。費用はちょうど6000円。

[Sep 26, 2015]

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