~三十八番←    竜串海岸    番外月山神社    赤泊~大月
三十九番延光寺    予土国境    四十番観自在寺    津島
別格六番龍光院    四十一番~

竜串海岸 [Oct 10, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さて、迎えて7回目となる四国札所の区切り打ち、今回は土佐清水からのスタートである。1年ぶりにスケジュールの制約がないので、高知空港に入って松山空港から帰るという長丁場のコースとしたのだが、計画段階で、前半と後半のペースがえらく違うことが気になった。

というのは、土佐清水から松山までの区間では、9日間で札所が宿毛にひとつ、愛南にひとつ、宇和島に3つ、久万高原に2つで合計7つしかない。あとは松山市内の3日間で7つあって、ひどく地域的に偏っているのである。だから、前半は歩いてばかりでお参りが少なく、後半は1日にいくつも札所を回ることになる。

もうひとつの課題は、金剛福寺の後は月山・篠山いずれかにお参りするのが不文律ということである。真念「道指南」には、「初遍路は篠山へ駆けると言いつたふ」とあるので本来は篠山観世音寺なのだろうが、残念ながら明治時代に廃寺となってしまった。篠山神社の建物は残っているものの1000mを超える山の上であり、しかも普段は無人という。かれこれ考え合わせると、まず月山神社に行くのがよさそうだ。

あとは宿の選択。今回歩くあたりが四国で最も宿の少ない地域であり、全国チェーンのビジネスホテルはほとんどない。そして、鉄道やバスを利用しようとしても本数が少なく、移動して宿に向かうという作戦も使いづらい。したがって、宿から歩き始めて宿で歩き終わるという、いわばお遍路本来の宿泊スケジュールになってしまうのである。

2017年10月10日、今回は前日午後便で四国入りする。年々早起きするのがきつくなっている上に、当日中に電車・飛行機・バス・電車・バスの7時間乗継ぎをしてから10km以上歩くというのは、リスクが大きいと思ったからである。それで前日は高知市内に泊まることにした。暗くなってから空港バスに乗って高知市内に入るのは、昔、出張で来たとき以来である。

翌朝、ホテルの部屋から駅前を見ると霧でぼんやり霞んでいる。暑くなるかもしれない。午前8時20分発のしまんと1号に乗って中村に向かう。中村までの乗車券・自由席特急券は合計4,140円。前回の須崎までと比べてずいぶん高い。

自由席は中国人旅行客でいっぱいだ。自分の席の他に大荷物でもう1席確保するものだから、余計混むのだ。数十年前、新婚旅行で大荷物を持って西海岸に行ったことを思い出した。以来、海外であっても大荷物で行ったことはない。

土佐久礼からトンネルを越え影野で地上に出ると、国道56号線と並行して走る。半年前に岩本寺まで歩いた道である。しばらく走って土讃線の終着駅窪川に着き、ここで中国人旅行客が大騒ぎしながら下りて静かになった。満員から乗客4、5人へ。これでは中国人観光客がいないとやっていけないというのも無理はない。

窪川を過ぎてすぐ、五色の幔幕で囲まれた岩本寺本堂が見えた。土佐佐賀では大規模公園、土佐入野からは松林を望むことができる。いずれも大雨の中を歩いた場所である。検札の女の子が来たので切符を見せると、そのまま回収されてしまった。

「出る時どうするの?」と聞くと、「フリー改札ですから」ということである。列車の本数も少ないし無人駅も多いから、改札も車内でやってしまうようだ。猫をバスケットに入れて乗ってきたおばさんがいて、にゃあにゃあずっと鳴いている。猫は狭いところが苦手だろうに、気の毒なことである。

終着の中村駅で下りると、10分後に出る土佐清水行きのバスがすでに止まっていた。そしてここにも中国人観光客が2人いる。大声で話しているので、なるべく離れて座る。ミニ大文字を過ぎ、ドライブイン水車からロッジカメリアの前を通り、以布利へと向かっていく。半年前に大岐海岸で見かけた高層リゾートマンションには、「売」の看板が掲げられていた。

11時過ぎに土佐清水市街に入り、海岸沿いの道に入る前のバス停で下車する。前回の終了地点は足摺病院バス停前のスーパー、サニーマートである。ついでなので、ここでヴィダーインゼリーやバナナ、ハンドタオルなどを補充して午前11時半、まずは竜串に向かって出発する。

スーパーを出た途端、真上から照りつけてくる日差しにたじろぐ。竜串まで12km、初日は足慣らしのつもりだったが、厳しい歩きになりそうだ。実際、土佐清水市街から約1km、バス通りを歩いただけですでに汗びっしょりになった。

そういえば、前々回の区切り打ちで、デイパックに入れた日焼け止めの乳液がお湯になってしまうくらい暑かったことを思い出した。体調(味覚)をおかしくした経験からなるべく道中で水分をとらないようにしようと思っていたのだが、そんなことを言っていられないくらいの暑さである。 何事も、頭で考えるようにうまくはいかないものである。

日陰を選んで歩くようにしているものの、どこを歩いても日なたという場所も多い。しばらく歩いて、ようやく日陰になった坂の途中でひと休み、先ほどスーパーで買ったカットパインを食べる。甘くておいしいが、とにかく暑い。30℃以上はありそうである。こういうときに限って、へんろ休憩所がない。今歩いているのは月山に向かうサブルートなので、それほどお遍路さんが歩くこともないのだろうか。



高知ホテルの朝。後方の山並みが霧で霞んでいる。



前回歩いた土佐清水市街からスタート、まずは竜串を目指す。

1時間ほど歩くと海側に「海の駅あしずり」が見えてきたが、道路から数百m奥まったところにあるので、立ち寄る気にならなかった。炎天下なので、とにかく余分な距離を歩きたくない。とはいえ、休憩所がない。海の駅に行けば確実に休めたはずなのに、かなりめげる。東屋までは期待しないが、せめてベンチだけでもあったら助かるのだが。

ようやく休める場所を見つけたのは、土佐清水市街から3時間歩いた「道の駅めじかの里」であった。アイスと炭酸水を買い、リュックを下ろしてベンチに座る。初日からこんなハードになるとは思わなかった。前泊したからよかったようなものの、当日3時起きで電車・飛行機・バス・電車・バスと乗りついで歩き始めたとしたら、ダウンしてしまったかもしれない。

土佐清水から竜串までは12km、すでに10km歩いたから、もう竜串まで残り2kmである。そう思ったらなかなか出発しようという気は起きずに、20分ほど休憩してしまう。予定では竜串から何kmか先まで歩いて、バスで戻って宿に入れば翌日以降が楽になると計画していたのだが、とてもじゃないけど余分な距離を歩く気にはなれない。早く宿に着いてゆっくりしたい。

道の駅から竜串まではそれほど苦労せずに着いた。竜串の街は意外に大きく、街の入口からは立派な門構えの農家らしき建物をいくつか見ることができる。しかし進むにつれて通りは寂しくなる。しばらく行ったところにある「龍宮城」という2階建ての建物は、かなり大きな規模で土産物屋か何かやっていたようであるが、いまでは廃墟のようになっている。

竜串には、他にも足摺海洋館や海底館などの体験学習施設があるのだけれど、いずれも駐車場に車の姿がほとんど見られない。いま足摺岬に関心があるとすれば例によって中国人観光客だろうが、彼らが体験学習に興味を持つにはまだまだ時間がかかりそうだし、それまでこれらの施設が生き残ることができるのか心配である。

さて、この日の宿は竜串のホテルオレンジ。竜串ではここが唯一、WEBで予約できた。その体験学習施設・足摺海底館から国道を隔てて反対側に建っている。竜串の中心部からは1kmほど先になるので、翌日のスケジュールを考えれば少しは楽である。

15時30分、ホテル到着。ちょうどフロントにいたご主人が「暑いですねえ」と言いながらロビーのエアコンを入れてくれた。「部屋も冷やしてきますから、しばらくここで涼んでいてください」ということだったので、リュックを下ろしてしばらくロビーで涼む。こういう日は、涼しいだけで大層ありがたい。

お遍路さん・ビジネスプランで1泊2食6,900円。部屋は和室で、バス・トイレ付の部屋であった。今回の区切り打ちではすべての宿を前もって予約していたのだが、大体1泊2食で7000円前後である。ありがたいことである。

部屋に入ってCW-Xを脱ぐと、右足のスネが攣る。ふくらはぎや足の裏が攣るのはしょっちゅうだが、スネが攣るのははじめてである。コムレケアを持ってきているので飲む。それから、土佐清水で買ったバナナを食べて水分とミネラルを補充する。幸い、それほどきついこむら返りではなかったし、翌日以降も足が攣ることはなかった。

何はともあれ洗濯機の場所を聞いて洗濯。予備の荷物を送ってあるベルリーフ大月まで、速乾白衣1枚ですごさなくてはならないのだ。洗濯機は無料で使わせていただけるが、乾燥機はないので外の物干し場に干す。日中あれだけ暑かったのに、さすがに10月だけあって午後5時を過ぎると暗くなってきた。

この宿はひと気がなかったのでまたもや客は私だけかと思っていたのだが、夕食に行くと何人かいたので一人ではなかったようだ。見たところ観光をしている風でもなかったから、宿舎として使っているのかもしれない。

さて、この宿で驚いたのは値段の割に夕食が豪華だったことである。最初はご飯茶碗とお刺身、鍋が置いてあったのでそれで終わりと思っていたら、後から焼き魚が出て、天ぷらが出て、煮物が出て、さらにカツオのたたきが出た。うれしくなって、瓶ビールに加えて司牡丹を一杯お願いしてしまった。

この日歩いたのは23,090歩、GPSで測定した移動距離は12.1kmであった。ただし、感覚からすると20kmは歩いたような疲労度であった。

[行 程]土佐清水 11:50 →(9.3km)14:25 道の駅めじかの里 14:45 →(2.8km)15:30 竜串(泊)

[Feb 24, 2018]



海の駅あしずりを過ぎて、土佐清水方向を振り返る。とにかく暑い。



竜串で見かけた「龍宮城」。どうやら廃墟のようです。



やっとの思いで到着したホテルオレンジ。夕食がたいへん豪華でした。

番外霊場月山神社 [Oct 11, 2017]

2017年10月11日、いよいよ本格的な区切り打ちの開始である。この日は、海岸線に沿って国道321号を大浦分岐まで進み、そこから分かれて山道を月山神社に向かう。朝方は涼しいような気がしたけれども、日が昇るとすぐに暑くなってきた。

出掛けに宿のご主人から、「お接待です」とおにぎりの包みをいただく。ありがたいことである。月山に向かうサブルートは最短距離ではないのでそれほど多くのお遍路が歩く訳ではなく、実際へんろ姿の人をそれほど見ないのだが、おそらくかつては多くのお遍路さん達が歩いた道なのだろう。

午前7時半出発、向かいの足摺海底館前の自販機で500mlのペットボトルを購入して歩き始める。1kmも行かないうちに爪白キャンプ場。ここは結構大きなキャンプ施設で、東屋ではいくつかのグループが朝食中であった。もちろんトイレ・自販機もある。

竜串海岸は奇岩が多いことで知られていて、国道沿いからも特徴ある岩浜を望むことができる。案内板によると、化石が露出した海岸が波の浸食作用で削られて、他では見ないような奇観を呈しているそうである。弘法大師も残念ながら見ることができなかったので、「見残し海岸」とも呼ぶ。

しばらく竜串海岸沿いの道を進んだ後は、トンネルが連続する。下川口トンネル179m、片粕トンネル982m、歯朶(シダ)ノ浦トンネル649m、貝の川トンネル956m、叶崎トンネル154m。長いトンネルはいずれも1980年代のもので、できる前には海岸沿いの細い道を使ったものだろうか。現在ではそちらの道は雑草に覆われてしまっている。

2時間ほどアップダウンの多い道を歩いた後、叶崎トンネルを出たところにあるベンチで小休止。しかしもう少し進むと、景色のいい海沿いに東屋付の叶崎黒潮展望台があった。そのすぐ先から西叶崎トンネル90m、続いて脇ノ川トンネル708m。トンネルの中だというのに、選挙カーが候補者の名前を連呼しながら通り過ぎて行く。たいへんうるさい。

脇ノ川トンネルを越えたところが小才角の集落で、ここに四国のみち休憩所があることが分かっていた。10時15分着、出発してから2時間半。この先どこで休めるか分からないので、早いけれども宿でいただいたおにぎりと自販機で購入したお茶で昼食にする。この日もたいへん強い日差しなので、いただきものは早く食べてしまった方がいい。

この休憩所は東屋とトイレがあり、水も使うことができた。そして目の前には太平洋が広がる。この先には、赤道(せきどう)に至るまで海の他には何もないのである。その海を眺めながら、お接待のおにぎりをいただく。中味は梅干しであった。

小才角を抜けて大浦まで、何もない海岸線は結構長い。お昼に近づいたので日差しはますます強い。向こうに山が見えてきた。月山神社はあの稜線を越えた向こう側にある。標高100m前後で大した登りではないと予想していたのだが、見た目には結構高い。大浦集落に入る前あたりで、遍路シールの指示に従って堤防沿いの道に入る。

この時点でペットボトルの水は300mlくらいしか残っていなかったので、どこかで水を調達しなければならなかった。しかし集落の中は商店どころか自販機の気配もない。たいへん冷や冷やしたけれども、おそらく集落に1つだけの自販機を見つけてほっとする。コーラ350mlをその場で飲み、アクエリアス500mlを補充する。

大浦集落の中心は国道沿いではなく奥に入った港の近くのようで、港の近くに「へんろ小屋大月第14号」の東屋があった。ただしここにはトイレ・水・自販機いずれもないので、先ほどの小才角の方がお昼を食べるにはよかったようだ。へんろ小屋の近くに「庄屋跡」と書いてあったので、あるいは月山詣でのお遍路に善根宿でもしていたのだろうか。

11時15分出発。へんろ小屋のすぐ裏手から山の斜面に沿って墓地が続いている。もしかしたらあそこを登るのだろうかと思っていたら、果たしてそのとおりだった。




竜串から叶崎にかけて海岸沿いの国道を歩く。左の海岸線はどこも見応えがある。



小才角にある四国のみち休憩所。ここより先、東屋・トイレ・水の揃った施設はない。



大浦分岐が見えてきた。海沿いに見える集落から、背後の稜線を越えた向こう側に月山神社がある。

古来、金剛福寺を打ち終えた巡礼者は、真念庵まで戻って延光寺から篠山に向かうか、あるいは月山を打ってから延光寺に向かうのを不文律としたという。

初遍路は篠山に駆けると真念「道指南」にあるのだけれど、神仏分離の影響で篠山観世音寺は明治初期に廃寺となり、篠山神社は残っているものの山頂に無人のお堂が残るのみである。あれこれ考え合わせて、今回は海岸沿いを月山に向かうルートを選択したのであった。

大浦の遍路休憩所の東屋でひと休みした後、海沿いの舗装道路から急こう配の墓地の通路に入る。遍路シールがあるのでへんろ道には間違いないが、あたりは一般のお宅のお墓であり、その横を登って行くのは少々肩身が狭い。何度もスイッチバックを繰り返して、標高差30~40mほど登る。いましがた通り過ぎてきた大浦の家々が眼下にある。

墓地のいちばん上で、へんろ道の案内は細い山道に向かっていた。ここまでは簡易舗装があったけれど、ここから先は舗装はなく足下は土である。雑草が生い茂り、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。ただ、ここまで登ってきたら戻る訳にはいかない。伸縮ストックを伸ばし、蜘蛛の巣を振り払いながら先に進む。

初めはたいへん心細い暗い道だったが、目が慣れると道幅もあってそれなりに歩かれている道であった。「遍路道」のカードや「お遍路さんがんばってください」という大月小学校の生徒さんが作ったカードが、太い枝から下がっている。ただ、たいへんにきつい登り坂である。月山へは標高差100mくらいなので大したことはないと思っていたのが、大きな間違いであった。

山道はいったん未舗装の林道に出た後、再び山道に入る。距離的には2kmもないはずなのに、山の奥深く入ってしまって出られる気配がない。大浦集落から45分歩いて、「へんろみち」の真新しい石柱の立つ峠までたどり着いた。リュックを下ろしてひと息つく。さすがに10kg以上の荷物を持って一気に峠を越えるのは無理であった。

考えてみれば、今回の区切り打ちでは先ほどの墓地に入るまでずっと国道歩きで、多少のアップダウンはあったものの登山道レベルのへんろ道を歩くのは初めてであった。それと前日に引き続きの暑さで、ペットボトルの水がどんどん減っていく。



大浦集落のへんろ休憩所(トイレなし)。後方に見える墓地のスイッチバックを登って行く。



へんろ道は時々こうした明るいところもあるが、多くは林の中で暗くクモの巣だらけである。



2km足らずの山道を1時間以上かけて歩く。谷川を渡渉するとほどなく舗装された林道に出る。

「へんろみち」石柱を過ぎてから道は下り坂となり、やがて谷川に出た。それほどの水量はないので、石を伝って渡渉する。ほどなく舗装道路に出た。急な登り坂だが、ここを登れば月山神社のはずである。13時20分、ようやく四国のみちの案内板が見えてきた。

神社とお堂の隣に大きな一軒家が建っていて、神主さんのご自宅のようである。車を使えば集落から10分くらいで来るのだろうが、ぽつんと離れた一軒家でお隣さんはいない。大浦集落まで出たところで商店がある訳ではなく、不便で心細いことに変わりはない。

四国のみち案内板によると、月山神社は古くは守月山月光院南照寺という神仏習合の霊場であった。真念「道指南」では月山・月さん・お月などと書かれているし、そもそも月をお祀りしていること自体仏教というより神道・アニミズムの色彩が強いから、お寺が併設されていたとしても神社が主でお寺は従であっただろう。

赤く塗られた鳥居の奥に本殿がある。左手が社務所でお札やお守りの見本が置かれていて、右手に屋根の付いた休憩所がある。ひとまず、休憩所のベンチにリュックを下ろす。幸い、誰も先客はいない。しばらく誰も来なかったのだろうか、蜘蛛の巣が張っていた。

社務所に行き、ご朱印について書いていないか探してみたのだけれど、見当たらない。お札やお守りはあるのでお正月には誰かいるだろうが、人が来るかどうか分からない平日のこの時間に誰もいないのは無理もない。現に、私以外に誰も来ていないのだ。隣のご自宅に行ってまでお聞きするのは気が進まなかったので、おとなしく本殿にお参りするにとどめた。

本殿の並びに大師堂のような建物があり、本殿とそのお堂の間を抜けると崖の上にご神体とされる三日月の石がある。たいへん足場が狭く傾斜も急で、ケガでもしたら大変なので少し登ったところからお参りする。それでも下りる時は結構危なかった。まだ先は長い。来たばかりで足でも挫いたら大変なことである。

[行 程]竜串 7:30 →(10.5km)10:15 小才角休憩所 10:35 →(2.0km)11:05 大浦休憩小屋 11:15 →(2.3km)12:20 月山神社 12:50 →

[Feb 21, 2018]



月山神社。正面が本殿、右にちらっと見えるのは休憩所。



本殿奥の崖を登ると、ご神体である月形の石が祀られている。

赤泊・大月 [Oct 12, 2017]

さて、月山神社から遍路道は赤泊の浜に続くのだが、ここがまた通行至難なルートのようである。月山までのへんろ道で懲りてしまったので、山道はもう遠慮したい気分になっていた。まだ午後1時にならないので、車道を通り赤泊、西泊を経てこの日の宿であるベルリーフ大月まで歩くことにした。直線距離で4~5kmなので、多く見積もっても3時間歩けば着くはずである。

大月神社から先、道はさらに登り坂である。右手に神主一族らしきお墓が見える。両側が林なのに、真上の太陽からきつい日差しが遠慮なしに照りつける。再び汗が噴き出し、水分を補給する。大浦で補給して1本半あったペットボトルは、わずか1時間で200mlほどしか残っていない。

15分ほど歩いて、分岐点に出た。突き当たりに選挙ポスターの掲示版がある。右に進むと姫ノ井に直行し、左に進むと赤泊である。左に進む。すぐにへんろ道に入る分岐になるが、そちらには行かない。登ったり下ったりして蜘蛛の巣がある道よりも、右足と左足を交互に出していれば前に進む道の方がいい。

ところが、舗装道路の方もなかなか厳しい道であった。1/25000図では等高線に沿って谷を回り込むだけのように見えたのだが、実際にはアップダウンがあって、山の奥に入るような道である。すぐ近くが海のはずなのに、とてもそうは見えない。向こうから自転車を押して遍路姿の男性がやって来た。この日はじめて会うお遍路さんである。挨拶して通り過ぎる。

谷の奥で左に大きく方向転換する。谷は深く切れ落ちていて、反対側の斜面はたいへん急である。へんろ道を選んだらあの斜面を下ることになったのだろうか。考えるだけで恐ろしいことである。

再び方向転換して、ようやく左手に海が見えてきた。赤泊の浜である。石ころだらけの海岸線である。WEBでみると遍路道は山道からこの海岸線に出て、少し歩いていま歩いている車道に合流するはずである。山道を歩くより車道の方が楽だし早いと思っていたが、合流地点に達したときには14時を過ぎていた。月山神社から1時間以上かかったことになる。

もしかしたら赤泊の浜には休憩所と自販機くらいあるかもしれないと期待していたのだが、コンクリートの護岸に西日が照りつけているだけで、ひと気もなければ休める場所もなかった。道なりに、海岸から離れて山の方向に進む。海岸近くで重機を使って、ひとりで何かの工事をしていた人と挨拶する。

とにかくきつい日差しが照りつけてきて、座る場所どころか日陰もない。地すべり防止のコンクリ壁に寄りかかって水分を補給する。もう水がほとんどない。この先にある赤泊の集落に自販機があるといいのだが。

10~15分歩くと、人家が見えてきた。自販機を探すけれども、そんな気配もない。何軒かの家を通り過ぎてたのだけれど見当たらず、とうとう集会所の前まで来た。後ろの山に神社があり、選挙ポスターの掲示版もあるからこのあたりが中心なのだが、自販機はない。

とりあえず日陰になっているベンチに座らせてもらう。時刻は14時20分、時間もかかったがそれ以上に水がないことが問題である。




月山神社から登った月が丘集落の交差点。正面掲示板は総選挙のポスター。




赤泊の浜からのへんろ道と合流する。

ベンチの脇に蛇口がある。捻ってみると水が出た。しばらく流してから、顔を洗わせていただく。けれども、へんろ道の多くは水が使えないようになっているので、この水が飲める水かどうか定かではない。場所柄からすると井戸水の可能性が高く、散水用に使っているのかもしれない。それでも、もしもの時のために空になったペットボトルに入れさせてもらう。

向かい側は三叉路になっていて、いくつかの道案内がある。「大月へんろ道」の石の柱があり、「四国のみち」の表示があり、手作りの看板もある。距離表示があるのは「四国のみち」で、小才角9.8km、西泊1.8kmと書いてあるが、もうひとつの行先である姫ノ井への距離は書いていない。手作り看板と「大月へんろ道」の矢印は姫ノ井方向を指示している。

さて、当初の計画では、月山神社から赤泊の浜、西泊を経由してベルリーフ大月まで歩く予定であった。しかし問題は、水がないということである。先ほど補充させていただいたが、飲める水かどうか分からないのでこれに頼るのは最後の手段である。1.8km先の西泊という集落に自販機があればいいが、その保証はない。西泊まで30分、そこからベルリーフまで1時間として1時間半を水なしで歩くのは、この厳しい西日の下では無理だ。

一方、へんろ道の矢印どおり行けば、郵便局がある姫ノ井には自販機がありそうだ。問題は姫ノ井までの距離だが、地図をみる限り直接ベルリーフに行くよりも確実に短い。しばらく考えて、予定を変更して姫ノ井に向かうことにした。何しろこの時は夏並みの暑い中をどうやって歩くかが問題で、できるだけ早く確実に水分を補給できるルートを選ぶことが重要だったのである。

再び歩き始める。休ませていただいた神社・集会所前のベンチから姫ノ井方向へは、まだ人家が続いている。自家用の野菜を栽培している畑があり、「善根宿の跡」と書いてある説明書きがある。確かに、江戸時代には山の中のへんろ道しかないので、月山神社にお参りすればこのあたりで日が暮れる。善根宿があれば助かっただろう。

人家がなくなり、曲がりくねった登り坂となる。やっぱり峠越えであった。西泊を選ぶべきだったかと思ったけれど、ここまで進んで戻るのは時間のムダである。必死に坂を登る。20分ほど登った頃、これまで田舎道だったのが片側一車線のちゃんとした車道に突き当たった。左に曲がってさらに坂を登ると、行く手に赤い機械が見えた。なんと、待望の自販機である。

自販機は採石場の事務所のようなプレハブの前に置かれていて、遠くから見ると茶色にすすけていて動いているかどうか不安だったのだが、ちゃんと「販売中」のランプが付いているコカコーラの自販機だった。自販機に手を合わせるくらいありがたかった。とりあえずいろはす500mlを買い、さらにコカコーラ350ml缶のボタンを押す。350mlは、もちろん一気飲みである。

水分を補給できて安心したせいか、自販機の地点からすぐに人家に出た。道はまっすぐ下り坂になっていて、遠くの道路を左右にトラックが通っているのが見える。あれが国道だとすると、それほど歩かなくてもあそこまで行ける。国道まで行けばあとは安全確実である。

国道に合流するT字路には15時15分に着いた。赤泊から45分、3kmほどだから予想していたよりもかなり短くて済んだ。道路沿いに東屋が見えるのでそこまで行ってみると、バスの待合所だった。時刻表を見ると、まだ20分くらい前だったので、ちょっと休ませていただく。それと、宿に送迎の相談をしなくてはならない。

前に述べたようにもともとベルリーフまで歩く予定だったので、送迎の相談はしていなかった。電話して聞いてみると、「姫ノ井なら迎えに行きますよ」ということだったのだが、予想外に早く国道に出ることができたので、道の駅大月まで歩いてそこに迎えに来てもらうことにした。道の駅まで目の子で約4km、1時間かかったとしても4時半には着くだろう。

道の駅に向かって歩き始めて間もなく、後方から来たバスに追い抜かれた。あいかわらず厳しい西日が遠慮なく照りつけてきたが、国道沿いには10分置きくらいに自販機があって、冷たい飲み物を補充しながら歩いたので快適だった。道は左右に大きくカーブしたが、歩いているのは国道なので道を間違える心配はない。1時間と少しかかったが、道の駅大月に着いた。



赤泊神社前の交差点では道標がいろんな方向を示しているが、姫ノ井までの距離が書いてないのが迷わせるところ。



歩いてみると3kmほどで姫ノ井に着いた。ここには自販機もあるしバスも通っているので、ここまで来れば安全圏。

道の駅大月に着いて驚いたのは、選挙の候補者が来ていて駐車場もバス停前も人でいっぱいだったことである。宿には連絡を入れたものの、これでは演説会が終わるまで身動きがとれないだろう。

売店へ行って、ソフトクリームをお願いする。地元特産のいちごジャムの乗った、本格的なソフトクリームである。こんなに遠くに来て、これほど本格的なソフトクリームを食べられるとは思わなかった。リュックを下ろして売店前のベンチに座ると、聞きたくなくても選挙演説が耳に入ってくる。

「以前、民主党政権になった時、彼らが何をしましたか。ムダだと言って、公共事業を全部ストップしたじゃないですか」

「私は、南海トラフ大地震が来る前に、その対策をきちんと取らなければならないと思って公共事業を推進しているんです」

「この大月町は水不足です。水がめとなるダムがないと大変なんです」

などなど、見事な利益誘導である。でも、本音ベースでは、政策論争とかそういうことではなくて、日本の選挙はこういうものなのだろうなと思った。

ベルリーフの人と落ち合えたのは、選挙演説の人が引けてからだった。車に乗せてもらい、国道から右方向に折れて海に向かう。落ち合うまでに選挙演説を待たなければならなかったため、宿に着いたのは5時半過ぎになった。竜串海岸や月山神社のひと気のなさをみているものだから、この宿もあまり人はいないのだろうと思っていたら、意外にもお客さんが多かった。

このホテルはロビー、レストラン、大浴場などが本館にあって、客室はいったん外に出て別棟になる。部屋のドアは屋外から入ることになるので、虫が入らないように注意しなければならない。もう夕方で日が陰ってきたので、さっそく洗濯である。ランドリーも屋外にあるので、虫が集まってくるのが悩ましいところである。前日と違って乾燥機はあった。

客室にはすべてテラスが付いていて、テーブルと椅子が置かれている。テラスからは、山から切れ落ちている海岸線が一望できる。そして、この宿へ家から予備の荷物を送ってあったので、その荷物を整理する。予備の速乾白衣や薬をリュックに移し、四国まで着ていた服やノイズキャンセルヘッドホンを片付ける。この荷物はすぐに荷造りして、4泊後の宇和パークホテルに送る。

客室はすごく広くて2ベッド、バストイレと机も付いている。でも大浴場があればそちらに入りたいのは人情である。昨日・一昨日と部屋の風呂だったので、大きな湯船で手足を伸ばし手足をマッサージする。今日は本当によく歩いた。

風呂の後は、洗濯物を乾燥機に移して夕飯の時間である。こちらの宿代は夕食ロースステーキセットにして1泊2食で8,100円(税込)。部屋の広さから考えるとかなりお得感のある値段である。ビールと土佐鶴のゆず酒をお願いする。いろいろあった1日だけれど、終わりよければすべてよしである。(翌日の話になるが、ベルリーフまで歩かずに道の駅大月で終わらせたのはよかったのだ)

この日歩いた歩数は46,633歩、GPSで測定した移動距離は27.1kmであった。

[行 程]月山神社 12:50 →(4.6km)14:20 赤泊 14:30 →(2.9km)15:15 姫ノ井15:25  →(4.7km)16:40 道の駅大月~ベルリーフ大月(泊)→

[Mar 7, 2018]



この日の宿、ベルリーフ大月。国道から少し海側に入るが、結構お客さんが入っていた。



部屋は2ベッドルームで豪華。それぞれにテラスが付いている。



テラスから望む雄大な風景。四国の先までやって来たという印象でした。

三十九番延光寺 [Oct 13, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2017年10月13日の夜が明けた。夜のうちに降っていた雨は止んで、ベランダから見える入り江の岩壁には白い波がおだやかに打ち寄せている。前日は暑くてたいへん苦しかったが、この日も暑くなりそうな気配である。

2017年10月13日の夜が明けた。夜のうち降っていた雨は止んで、ベランダから見える入り江の岩壁には白い波がおだやかに打ち寄せている。前日は暑くてたいへん苦しかったが、この日も暑くなりそうな気配である。

当初の計画ではベルリーフ大月まで歩いてここからスタートすることにしていたが、途中で水が確保できないという予想外の成行きにより、道の駅大月まで歩いてしまった。道の駅まで送迎をお願いしたので、急いでも仕方がない。ゆっくり眠ってテレビ体操をして、ホテルの周りの写真をとって7時少し前にレストラン前に行くと、食事を待つ人達でいっぱいだった。

このホテルの朝食は和食と洋食を選べるので、洋食にした。この後も和食が続くと思われるので、たまにはいつもどおり朝はパンにしたい。ワンプレートにクロワッサンなどの自家製パンとベーコン、ウィンナ、サラダ、フルーツ、プレートの外にコーンスープも付く。1日歩くことを考えるとボリュームが不足しているので、お昼で補充する必要があるだろう。

送迎は8時半、車に乗ったのは私ひとりであった。来る時は時間がかかったような気がしたが、戻る時は10分足らずで道の駅大月まで着くことができた。車を下り、身支度して出発する。前日には気付かなかったが、道の駅大月には食堂・売店の向こう側(宿毛寄り)に広い公園があった。選挙演説など聞いていないで、こちらでゆっくりすればよかった。

道の駅から宿毛市街まで約15kmある。とすると4時間弱かかるので、お昼はその前に取れたらその方がいい。ちょうど市街に入る少し前に道の駅宿毛があるので、午前中はそこを目標にすることにした。歩き始めると、前の日までのように朝からぎんぎん太陽が照りつけるということはないので少し安心する。

前日の夜に雨が降ったように、天気の変わり目にきているようだ。しばらく歩くと、建物が集まった場所を通る。このあたりが大月町の中心部らしい。役場や学校、郵便局、それに遍路宿の看板もある。時間的には、このあたりまで歩いて泊まるのもいいが、ベルリーフ大月ほど整った施設はないようである。

大月町の中心部を過ぎると、やや登り坂が多くなる。道の駅から1時間歩いたあたりに公園があったので、ここで小休止する。大月町の観光案内看板があったので、ここまでは大月町で、その少し先が宿毛市との境界であった。

宿毛市に入ると、とたんに暑くなった。海が近くなったせいなのか、あるいは前日までと同様に暑くなるのか。喉が渇くし疲れるので休みたいのだけれど、休憩所が見当たらない。

小筑紫町という港町がしばらく続く。港町特有の海岸付近と少し高台の間を登ったり下ったりする起伏がある。漁港近くの空き地で立ったまま少し休む。こういう天気ではベンチよりも日陰が有難いのだが、こういう時に限って東屋もない。まあ、八十八ヶ所のメインルートではないので仕方ないのかもしれない。

道の駅宿毛には11時半前に着いた。道の駅大月から3時間、小休止した大月・宿毛市境の公園からは2時間、予想していたよりもこじんまりした道の駅であった。木造平屋建ての売店が5つほど並び、右端と左端が食堂のようである。はじめに一番海側の店に行くと弁当を買って席で食べる形式ということだったので、陸側の店に行く。

テーブルが鉄板焼き仕様なのでちょっと心配したが、うどんをお願いすると普通においしかった。お品書きにソフトクリームがあるのでお願いすると、観光地によくあるシャーベットのような代物ではなく、本式のソフトクリームだった。うどんと合わせて650円と値段も良心的である。これで前日の道の駅大月に続いて、2日連続でソフトクリームを食べることができた。



宿毛市に入ると、海が近いはずなのに山の中を歩いているような道である。



お遍路のメインルートではないためか、東屋とかベンチの類が見当たらない。仕方なく漁港前で立ったまま休憩。日陰が何よりありがたい暑い日でした。



お昼前、大月から約15km歩いて道の駅宿毛に到着。大好きなソフトクリームを食べられたのはうれしかった。

正午のチャイムが鳴る頃、道の駅宿毛を出発する。道の駅から宿毛市街の中心部まで、地図でみると2kmほどしかないので大したことはないと思っていたら、そんなことはなかった。宿毛の街を遠くから見たら土佐清水にそっくりなので、こういう場所は見た目以上に距離があるんだよなあと思ったらその通りだった。

街中に入っても、目指す秋沢ホテルまでなかなか着かない。そして、大通り沿いを通ったにもかかわらず、歩道の真ん中にクモの巣が張っているのである。クモの巣は月山神社の前後でさんざん見たし、ストックにクモの糸の層ができるくらい絡みついたのだが、宿毛でも同じようなことになった。大きく育ったクモを見ながら、東南アジアではクモも食べるんだよなあと思った。

ここまで歩いて来た国道321号線と、宿毛から宇和島、松山に向かう国道56号線が交差するあたりに、目指す秋沢ホテルがあるはずであった。高層ビルのホテルを予想していたのに、そんなものはない。よく見ると田舎の学校の体育館のような建物に、「秋沢ホテル」と薄く書いてあり、背後にはあまり新しくない5階建てくらいの建物がある。

最初見た時は、つぶれたボーリング場かと思ったくらいである。12時40分着。道の駅宿毛から50分近くかかった。エントランスを入ってさらにびっくりした。いくつかあるテーブルの上には、どれにも吸い殻が満載された灰皿が乗っている。まるで、「このホテルは健康増進法適用外です」と主張しているかのようだ。

そしてフロントに行くとこちらが話すよりも先に、「チェックインは3時からです」と言われる。そんなことは分かっているし、遍路姿でリュックを持っていれば分かりそうなものだと思いながら「荷物を預けることはできますか」と尋ねる。普通のホテルなら、チェックイン前でも荷物は預かってくれる。ちょっと心配だったが、ちゃんと預かってくれた。

大きなリュックを預けて、デイパックひとつになる。少し休んで、午後1時前に出発。遍路地図によれば、ホテル近くの交差点から延光寺までの距離は6.8kmと書いてあるので、それなら2時間かからないで着く。うまくいけば、5時前には戻って来れるだろうと思っていたのだが、例によってそんなに甘くはなかった。

往路は国道56号線に沿って進む。車がたいへん多く、片側1車線しかないので車が歩道のすぐ近くを通りうるさい。そして、今しがた寄ってきた秋沢ホテルの第一印象が相当悪かったので、かなり落ち込んでいた(ホテルの名誉のため前もって言うと、その印象は翌朝までにかなり改善された)。

国道と並行して、土佐くろしお鉄道が走っていて、しばらく進むと高架の上に東宿毛の駅が見えてきた。なんだか古めかしく、古い鉄工所のような外観である。同じくろしお鉄道なのに中村あたりとは全然違うし、ごめん・なはり線より古いなあと思いながら歩いた。

新宿毛大橋を過ぎると、大きな消防署と、その隣に場外馬券売場のパルス宿毛がある。もともと高知競馬の場外売場で、高知競馬と全国発売の地方競馬しか売っていなかったと思うが、最近ではJRA(中央競馬)のレースも売っているようだ。この日は平日なので開催がなかったのか、駐車している車は全くみられなかった。パルス宿毛の少し先で旧道と合流する。

このあたりから、どうにも足が上がらなくなった。背中にはデイパックだけなので馬でいうところの「裸同然」の状態であり、本当なら㌔13分くらいのペースで歩けないといけないのだが、時計を確認しなくてもそんなペースでは歩けていないことが分かる。とうとう、バス停横のブロックに座ってひと休みするほど疲れてしまった。

その時は、前日の月山詣での疲れが残っているのか、それとも車のすぐ近くを歩くのがいけないのかと思って旧道に退避したのだが、帰りの時にその理由が分かった。見ただけではよく分からないが、宿毛から延光寺まで、傾斜は緩いけれどもずっと登り坂なのだ(その分、帰りは下り坂で快適だった)。

2時間かからないどころではなく、2時間以上かけてようやく国道から延光寺への分岐点に達した。分岐点から延光寺まで田舎道の登り坂だが、案内標識があるので迷うことはない。お寺のすぐ近くになって、普通の民家に民宿の看板がかかっている。「嶋屋」と漢字で書いてある横にペンキで「しま」とふり仮名が振ってある。

「嶋」を読めない人はいないように思うが、なぜあえて、それも書きなぐるようにペンキで書いてあるのだろう。私は宿毛に戻るのでいいのだが、周囲には商店もコンビニもなく、あまり早く着くと時間を持て余しそうだ。延光寺の近くには、他に宿も売店も見当たらない。遍路地図で見るのとはかなりイメージが違うな、と思った。



国道56号線に合流してしばらく、土佐くろしお鉄道と並行して歩く。ごめん・なはり線と比べて、かなり疲れた印象である。



新宿毛大橋を渡る。このあと向こうに見える山の間を行くのだが、延光寺までかなり遠い。

赤亀山延光寺(しゃっきざん・えんこうじ)、霊場記には赤木山とあるので、あるいはこちらがもともとの山号かもしれない。この札所は、「道指南」では寺山院と呼んでおり、霊場記挿絵にも「寺山図」とある。延光寺の付近の地名も寺山であるので、そちらが本来の名前と考えられる。

寺伝では、平安時代に亀が梵鐘を背負ってきたことから赤亀山(しゃっきざん)となったされるが、「霊場記」「辺路日記」いずれにも戦火で荒廃していたものを土佐藩山内家が再興したと書かれているので、あまり信憑性の高いものとはいえない。考えられるのは、「赤木山」と言う名前の「木」を同音の「亀」に代えて、起源説話としたのではないかということである。

赤木という地名については、土予国境を越えて伊予側に「赤木川」がある。川の名前と嶺の名前がしばしば共通することから考えると、赤木山とは、もともとこのあたりの嶺に付けられた名前であったのかもしれない。

そもそも、弘法大師のたどった道ということでは、足摺岬と菅生山は確実であるとしても、足摺岬から延々海岸線を辿る必要はあまりなさそうだ。当時の交通事情から考えて、海路ならともかく山道で土佐・伊予国境を抜けるのは難しそうである。三十九番・四十番と月山・篠山を含めた一帯は、空海ルートとは別で修験道の霊場だったのではないかと考えている。

そして、例の自然歩道「四国のみち」の高知市から国道33号線を北上したところに、「横倉修験の道」というサブルートがある。宮内庁の認める安徳天皇陵墓参考地や、カブト嶽と呼ばれる断崖絶壁があって、まさに修験道の行者が通っていたような道である。そして、ここを経由してさらに北上すると久万高原で、ちょうど大宝寺の前に出るのである。

このことから考えると、弘法大師が室戸から足摺まで海岸線を辿った後、そこからいったん高知(当時の中心地は国分寺のあった南国市のあたり)に戻り、そこから菅生山に向かったのではないかと推測される。その傍証として、金剛福寺から延光寺への遍路ルートは複数あり、距離的には打戻りが最も近いのである。弘法大師も来た道を戻ったのかもしれない。

午後3時、ようやく延光寺着。石段を登り山門をくぐると、例の伝説の亀の石像がある。龍宮から銅鐘を背負ってきたと彫ってある。コンクリに彫られている由緒書きは昭和五十四年(三十四年?)のもので、いずれにしてもそれほど古いものではない。

正面に瓦葺の大きな本堂、その左に小振りの大師堂がある。前回区切り打ち以来、久々の読経である。開経偈に続き、般若心経、光明真言を唱え、ご本尊真言、大師ご宝号をそれぞれ三度。もう夕方なのでひと気もあまりなく、静かな中をお参りすることができた。

そして、月山神社ではご朱印がなかったので、これも久々の納経所。納経帳を差し出すと「あら、かわいい手。えくぼができてるわ」と言われてしまう。「もう六十ですから」と返事をする。久々の納経であり、歩き疲れていたこともあり、とっさに気の利いた言葉が返せなかったのは残念である。

宿毛市街からここまで、道端で小休止した他は休まなかったので、しばらく境内でゆっくりする。延光寺を出たのは3時半過ぎ。ということは、もし前日に道の駅ではなくベルリーフ大月まで歩いていたとしたら、午後5時に間に合ったかどうかたいへん微妙なところであった。



延光寺山門。国道から1kmほど山に入ったところにある。



延光寺の本堂と大師堂。もう夕方近くで、静かにお参りすることができた。



龍宮から銅鐘を背負ってきたと伝えられる亀の像。

国道をそれて旧道に入ると、こちらには休憩所があった。遍路用の案内板も何ヵ所かあり、国道でなくこちらを通るのが正解だったようだ。一方で、道が微妙な角度で曲がっていたので、ホテルの位置がよく分からない。コンビニに寄って買い物をした後、警察の前の道をまっすぐ行ったらいきなりホテルの前だったのは意外だった。

ホテルに着くと、ロビーはちゃんと掃除されていて、フロントに行くと「禁煙室をご用意しております」とちゃんと説明があった。そして、外から見ると老朽化した施設なのだが、禁煙室の内装はたいへん新しく、あるいはこのエリアだけ改装したのかもしれない。部屋のユニットバスもあるのだが、大浴場があるというのでそちらに行ってみた。

部屋からエレベータを下り、案内に従い右に曲がったり左に曲がったりしたところに大浴場はある。増築を繰り返したのか、かなり分かりにくい構造であった。大浴場というよりも中浴場という大きさで4、5人同時に入れるくらい。これで宿泊客がいっぺんに来たら大混雑だなと思ったが、幸いに私ひとりであった。

大きな浴槽で手足を伸ばし、太股やハムストリング、ふくらはぎをマッサージする。この日は延光寺への往復で、予想以上に疲れた。歩き遍路では10~15kmを休みなしに歩くことが結構あって、片道6~7kmであれば大したことはないと思うのだが、その 日の天候や体調、道の状態でかなり違うということを痛感した。でも、今回の日程はまだ始まったばかりなのである。

コインランドリーは1階下なので、エレベータを使うよりも歩いた方が早いと思ったのだが、階段の上り下りが少々きついくらいこの日は疲れていた。風呂と洗濯が一区切りついて、夕食に向かう。夕食はフロントの奥にあるレストランである。

あの(健康増進法適用外の)ロビーとフロントの奥にあるレストランだから大したことはないだろうと思っていたら、ちょっと気の利いたところだった。1泊2食6,900円(税込)なのでそれほど期待していなかったのに、まぐろとはまちのお刺身、白身の焼き魚、きびなごか何かの天ぷら、いかと大根の煮物、茶碗蒸し、酢の物などのおかずが付いた。

量は多くなかったが料理のレベルは高く、ここまで3泊(前泊の高知は素泊まりなので除く)のうち最もグレードが高かった。というよりも、今回の区切り打ちの中でも一番だった。

生ビールだけでは物足りないくらいで、後から考えるとお酒でも頼んでゆっくりすればよかったが、前の2日間で日本酒を飲んでいるのでちょっと控えたのと、ホテルの第一印象の悪さが気になっていたのだった。残念なことであった。

カウンター席に案内されたので、目の前にTVが映っている。天気予報をやっていて、翌日は午前中から40%、午後は60%の降水確率と言っている。ここまで暑い日が続いたので少々の雨が降った方が涼しくていいけれども、翌日は峠越えを予定している。雨ということになると、安全策で国道を行った方がいいだろうか。いずれにしても、早く出発するに越したことはない。

部屋に戻る前にフロントに寄って、7時からの朝の食事が早くできないか聞いてみる。「何時頃でしたらよろしいでしょうか」「15分くらい早くお願いできればありがたいのですが」と答えると、「それくらいでしたら大丈夫ですよ」と即答だった。設備にせよ、フロントの対応にせよ、第一印象がひどかったのにだんだん改善されてくるのは惜しいことであった。

この日の歩数は52,449歩、GPSによる移動距離は30.2kmでした。

[行 程]ベルリーフ~道の駅大月 8:35 →(11.6km)11:25 道の駅宿毛 11:55 →(2.8km) 12:40 秋沢ホテル 12:55 →(8.1km)15:05 延光寺 15:40 →(7.7km)17:35 秋沢ホテル(泊)

[Mar 21, 2018]



秋沢ホテル遠景。最初見た時、つぶれたボーリング場かと思って落ち込んだ(その印象は、翌朝まで相当改善されたのですが)。



秋沢ホテルの夕食。この日はお酒を控えめにしたのですが、後から振り返るとこの回の区切り打ちで最もレベルの高い夕食でした。

予土国境 [Oct 14, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

秋沢ホテルの夜は、あまりよく眠れなかった。ベッドに横になったのが夜の8時半と早すぎたせいか、夜中に目が覚めた。体があちこち痛い。前の晩、コインランドリーが下の階にあって、エレベータが面倒なので階段で上り下りしていたら、膝のあたりがくがくした。パブロンとロキソニンを飲んで何とか眠った。

起床は午前5時。TVをつけて天気予報を見ると、やはりこの日は雨である。前の晩に考えたとおり、国道を歩く方がよさそうである。いずれにしても、時間に余裕をもって早くに宿に入るのが安全であろう。

テレビ体操をして1階に下りる。このホテルの朝食は原則午前7時からだが、「出発が早いので少し前にお願いできませんか」と頼んだところ、15分前なら大丈夫ですよ、と快くOKしていただいたのだ。このホテルは最初の印象がよくなかったけれど、だんだん改善されて出発する時にはまずまずの宿だったと思えるようになったのだから大したものである。

朝食もおいしかった。ごはん、味噌汁の和食で、さばの文化干と出汁巻き卵、納豆と海苔の佃煮、切干大根とマカロニサラダも付いた。朝食のお客さんが次々入ってくるのと入れ違いにレストランを出て、部屋に戻って用意し、7時半にホテルを出発した。

まだ雨は降っていないので、いっぽ一歩堂の速乾白衣上下でスタートする。峠道を行く場合は道順を注意する必要があるが、車道歩きを選択したのでホテルの前から北に延びる国道56号線をひたすら進めばよく、それほど考える必要はない。

通常の遍路道は少し港の方に戻ってから松尾峠を越えて一本松に抜ける道で、真念の時代にはこの道に番所があった。「道指南」で示しているのもこの道である。しかし、松尾峠は標高差300mの峠越えで、国道だと標高差100mいかないくらいだから、道の険しさは比較にならない。

そして、松尾峠に向かわず国道56号を選んだ理由がもう一つあって、篠山に向かう道は途中まで国道を通るのである(遍路地図にも「篠山神社参詣コース」と書いてある)。国道56号は県境まで、その名も篠川に沿って、山に囲まれた道を通っている。今回、篠山までは行けないが少しでも近いところを通りたいと思ったのである。

歩き始めて間もなく与明トンネル210m、続けて宿毛トンネル250mを越える。しばらくは道路の両側に水田が続くが、次第に両側に山が迫ってくる。水田があるあたりではまとまって建っていた家々が、少しずつまばらになる。約1時間半で、篠山方面との分岐まで来た。そちらの方向も、片側一車線のまっすぐな道が続いていて、「国立公園 篠山」の行先表示がある。

帰ってから調べてみると、篠山は足摺岬や竜串海岸と一緒に、足摺宇和海国立公園に含まれている(私の子供の頃なかった国立公園である)。篠山観世音寺が廃寺となり篠山神社も無人というので、篠山一帯がさびれているのではないかと想像していたのだが、そんなことはないようである。その篠山分岐のすぐ先に正木トンネル226mがあり、ここが高知・愛媛の県境になる。

県境に着いたのは午前9時20分。ここまで2時間近く歩いて来て、休憩所らしきものはなかった。ここにもない。トンネルの出口付近に地崩れ防止の石垣があったので、リュックを下ろし寄りかかって小休止。

空模様は微妙で今にも降り出しそうだが、前の日までと違って顔に火ぶくれのできるような強烈な日差しがないのでかえってありがたい。次の一本松隧道395mを過ぎたところに東屋があった。どこかに書いてあったらこちらで休んだのに。



秋沢ホテルの前を通る国道56号線で県境に向かう。ハタダ栗タルトのお店は愛媛県に入るとたくさんある。



トンネルをくぐると景色がどんどん山の中になる。前日までとは打って変わって、いつ降り出してもおかしくない曇り空である。



県境となる正木トンネルが見えてきた。まだ天気はもっている。

WEBによると、高知県と愛媛県ではへんろ道の整備に差があり、愛媛県に入ると休憩所やトイレ、道の手入れが高知県とは全く違うらしい。確かに、これから訪れることになるポケットパークのような施設は、高知県にはあまりなかった。

とはいえ、高知県と愛媛県では面積も違うし、経済力も違う。そして、へんろ道といっても順路が一つとは限らずいくつかの道があるし、月山や篠山のような番外霊場や別格霊場まで含めればそれ以上になる。すべてを歩行者仕様に整備するのは無理な相談でもある。

そして、それ以上に私が気になるのは、ハードの整備ばかりに目が行ってしまって、ソフトとかメンテナンスにあまり注意が払われていないということである。東屋を数多く作ったところでゴミが置きっぱなしで汚いところに休みたくないし、へんろ道を整備したところで由来の説明や定期的なメンテナンスがなければそこを通る意欲が湧かないだろう。

いま、四国遍路を世界遺産になどと言っている地方自治体があるが、彼らの頭にあるのはハードの整備による公共工事と広告収入の増大であって、ソフトとかメンテナンスのことはほとんど考えていない。いくらハードを整備したところで、放っておけばいずれはゴミ捨て場になるということがなぜ分からないのだろう。

県境のトンネルから先は愛媛県になる。カーブをいくつか曲がりながら標高を下げて行く。30分ほど下りたところに、工事中による迂回の案内看板があり、併せてへんろ休憩所がありますのでお休みくださいと書いてある。

その300m先に、おそらく工事の際に使っていたと思われるプレハブに「お遍路さん休憩所」の表示があり、隣には本格的なトイレに「循環常流式トイレ ㈱浅田組」と書いてある。せっかくなので中に入って休ませてもらう。なんと、この日は使わなかったけれども、エアコンまで付いている。前日までのような気候であればありがたく使わせていただいただろう。

壁にはこの付近の地図が貼られていて、国道経由で観自在寺まで約11kmとある。あと3時間として、午後1時には着くことができる。私の考えるメンテナンスとかソフトとはこういうことで、ハードだけでは長続きしない。もちろん、これは浅田組さんが地元のために身銭を切ってやっていることで、地方自治体が税金を使ってやっているものではない。

ありがたい休憩所ではあるが、それほどゆっくりいる時間がないのが残念である。今日中に観自在寺のさらに10km先、柏集落まで行かないといけないのだ。浅田組休憩所から15分ほどで一本松。「一本松温泉あけぼの荘」の大きな建物が見えてきた。ここに泊まればスケジュール的に楽だったのだが、延光寺を午後3時に出たのではとてもここまで歩くことはできなかっただろう。

あけぼの荘前の道をまっすぐ進むと、ローソンのある交差点に達する。松尾峠を越えるとこの地点に出てくるので、道標もへんろ道案内もいくつかある。道案内に従って右折しようと四国のみちの案内表示を見ると、「観自在寺 11.0km」と書いてある。ん?さっき休んだ浅田組休憩所から観自在寺まで11kmなのに、30分歩いてもまだ11kmなのはどういうことなのか。

遍路地図を取り出してよく見ると、ここを右折する道は昔からの遍路道で、「ひろみ(広見)村」「うはおほとう(上大道)村」と真念「道指南」に書いてある。ところが山間を進む道なので曲がりくねっていて、距離のロスも大きいようである。空模様も危なっかしいので、浅田組さんの資料にしたがって引き続き国道を進むことにする。

[行 程]宿毛・秋沢ホテル 7:30 →(7.4km)9:20 高知・愛媛県境 9:30 →(2.8km)10:10 浅田組休憩所 10:20 →

[Mar 28, 2018]



県境を越えて下りたところにある浅田組さんの遍路休憩所。水道・トイレ・エアコンもあるありがたい休憩所だ。



愛南町一本松のローソン。松尾峠からの道と国道はここで合流するが、遍路道の案内どおり進むとかなり遠回りになる。



国道56号線をひたすら進む。愛南町の御荘地区(旧・御荘町)へは、ほぼ平坦で歩きやすい道。

四十番観自在寺 [Oct 14, 2017]

観自在寺へ向かう国道は平坦な場所を通りカーブも少なく、気持ちのいい道であった。しかし、天気予報どおりとうとう空から雨粒が落ちてきた。右手をみるとかなり高い山が見える。あるいは、遍路道を通るとあの山を抜けることになったのかもしれない。国道を選んでよかったと思った。

ただし、ただの国道なので遍路シールもないし、トイレも休憩所もない。市街地ではないから、コンビニもガソリンスタンドもない。㌔ポストがあるのでどのくらい歩いたかペース判断の目安にはなるが、松山まで140何㌔宇和島まで50何㌔と言われても、なかなか目標にならない。

一本松のローソンから1時間ほど歩いて蓮乗寺トンネル604m、さらに城辺(じょうへん)トンネル532mを越えると、ようやく市街地が見えてきた。昔の御荘町(現・愛南町御荘)である。背後にはいくつもの稜線が見え、その手前に開けている街である。地図を見ると海も近いのだが、その方向にも山があって歩いている場所からは見ることができない。

国道から観自在寺へは、標識にしたがって右折する。曲り角からまっすぐ500~600mで観自在寺の山門に達する。国道から外れると交通量は極端に減り、のどかな田舎道となる。一度降り出した雨も止んだ。僧都川という、遍路に由来するかのような名前の川を渡ると、石段の上に山門が見えてくる。

13時15分、観自在寺着。浅田組休憩所からほぼ3時間歩き通しだった。四十番平城山観自在寺(へいぜいさん・かんじざいじ)、山号は平城天皇の勅願に由来すると伝えられる。その「平城山」の扁額が、山門に掲げられている。ここは、一番霊山寺から最も遠い札所として知られている。

山門から少しだけ石段を上がると、本堂レベルに達する。参道すぐ左手に鉄筋の宿坊がある。最初はここに泊まろうかと検討したのだが、バスで戻ってくることになるので断念した経緯がある。素泊まり専用だが4,000円と格安で、個室・大浴場付きである。

まっすぐ進むと、一番奥に「瑠璃光殿」の扁額が掲げられた本堂がある。瑠璃光というくらいだからご本尊は薬師如来である。観自在寺という寺号にもかかわらずご本尊が薬師如来であるのは妙だが、京都・奈良のお寺さんのように丈六とか等身大の大きな仏像ではなく厨子に収まるくらいのご本尊なので、違和感はそれほど感じられない。

寺号になっている観音菩薩(観自在菩薩)と阿弥陀如来は脇侍なのだが、よく見なかったのは残念である。「如来・如来・菩薩」の3点セットも妙だし、薬師如来がご本尊、阿弥陀如来が脇侍で並んでいるのも妙だから、あるいは別々のところにあったものを集めたのかもしれない。

そもそも、このお寺の名付け親とされる平城天皇は在位3年と短い上に、藤原種嗣暗殺事件や薬子の変など政治的混乱の渦中にあった。平安時代の天皇(平城天皇は桓武天皇の皇子である)であるにもかかわらず平城京にこもってしまったことからこの諡号となった訳だから、遠く伊土国境まで行幸したとは考えにくい。

もしかすると、篠山神社の別当寺が篠山観世音寺であったことと関係があるのかとも思うが、よく分からない。こちらのご朱印は、本堂・瑠璃光殿で書いていただける。この時は団体客もおらず、静かにお参りすることができたのは何よりのことであった。

境内の背後が山である。そちらが篠山だろうか。ちょうどお寺の女性が掃除をされていたので、「篠山はどちらの方向でしょうか」と聞いてみた。 背後の山の方向かと思ったら、「そうですねぇ、あちらになるでしょうか」と本堂を背にして左、東の方向を指された。「篠山に行かれる方は、一本松に2泊されて、1日かけて往復する方が多いようですよ」とのことである。なるほど、歩き遍路でもそうやって行く手があるのか。



県境を越えて3時間歩き、お昼過ぎにようやく愛南町御荘地区に入った。



国道から右に直角に折れて観自在寺の山門に至る。こちらは一番霊山寺から最も遠い札所になる。



観自在寺境内。正面はご本尊のいらっしゃる瑠璃光殿。瑠璃光というくらいだから薬師如来で、観自在寺の寺号と合わないのだが。

ご朱印をいただいた後は、国道に戻って道の駅でお昼をとる予定だったが、山門のすぐ外に「ご縁茶屋」というお店があり、暖簾がかかっている。店の前に品書きがあり、「うどん」と書いてある。ここに入ってみることにした。月山神社、延光寺と門前の寂しい場所が続いて、門前町にはできるだけ行くべきではないかと思っていたのである。

門前町という言葉があることから明らかなように、お寺や神社に人が集まりお店ができ、それが街へと発展することが多かった。おそらく最初は屋台のような小規模なものが、次第に常設の建物になったのだろう。ところが21世紀の今日、ほとんどの門前町は消滅寸前である。駐車場がなく、道も狭く、そもそもお寺や神社に人が集まるのは正月と七五三くらいになっている。

それは、首都圏有数の門前町である成田にしても同様で、山門のすぐ近くにある屋台のほとんどは店を閉じたままだし、初詣での数日間だけで一年間が過ごせる訳ではない。まして四国札所のように不便な場所にあるお寺となると、門前町が残っている方が少ない。

だから、数少ないそうした門前町を応援する観点からも、できるだけこうした小さなお店に入るべきだと思うようになったのである。そうしないと、いずれはお寺の周りにあるのが自動販売機だけということになってしまう。私ひとり入ったからといってどうなるものでもないかもしれないが、「気は心」と言うではないか。

「ご縁茶屋」は、5人も入れば一杯になってしまう小さなお店で、おばさんが2人でやっていた。営業日も営業時間も限られていると書かれている。念入りに作られたうどんにはいろんなものが入っていておいしかった。境内でもご縁茶屋でもゆっくりしたので、観自在寺を出たのは午後2時頃になってしまった。

国道に戻り、道路沿いにある道の駅にも予定通り寄ってみる。こちらにも食べるお店はあって、なんとみかんのソフトクリームがあったのでお願いする。これで前々日の道の駅大月、前日の道の駅宿毛に続いて、3日連続でソフトクリームを食べることができた。ソフトクリームが大好きな私にとって、たいへんうれしいことである。

さて、観自在寺のある愛南町御荘のあたりはすぐ裏手が海で、標高は10mに足らないほどである。地図をみるとこの日の宿である柏集落までずっと海沿いなので、そんなに起伏はないだろうと思っていたのだが、そんなことはなく、10kmのうち8kmまではずっと登り坂なのであった。

この登りはたいへんきつかった。すでに愛南町に入るまで20km歩いていて、県境の峠も越えている。それほどの標高差もないので体力は残っているだろうと思ったのだが、長い登り坂で削られたせいか足が上がらない。足首のあたりに違和感があるし、右足も左足も擦れて痛い。参ったなあ、まだ登りかと言いながら登る。こういう時に限って休憩所もない。

後から調べると、いちばん登ったあたりでも標高100mなので全然大したことはないのだが、それにしてもきびしい登りだった。そして、この坂を登っている時に、いよいよ雨が本降りになってきた。

リュックカバーを付け、レインウェアの上を着る。折り畳み傘を広げるが、海が近いので結構風が強い。ようやく下り坂になった。坂の途中に「民宿ビーチ」があり、その横をさらに下って行く。入り江にそって、家々が並んでいる。あそこが柏集落だ。

集落の入口に郵便局があった。午後5時間際だったので、あわててCDコーナーでおカネを下ろす。雨の中、国道に戻る。旭屋旅館はすぐそこに見えるが、ここはすでに廃業している。亀屋旅館はどこだろう。国道を渡って反対側にある大きな建物、役場と病院の周囲をひと回りするが、それらしき建物は見当たらない。

再び国道に戻ってくると、地元の人が「どこか探してるの?」と声をかけてくれたので、「亀屋さんってどこですか?」と聞いてみる。「川渡らないでその道を奥に行って、2つ目の橋渡ったとこ」と教えていただいた。さきほど探していた場所よりずっと奥だ。

午後5時過ぎに亀屋旅館着。観自在寺からまるまる3時間かかった。遍路地図では観自在寺から柏の交差点まで10.2kmと書いてあるが、帰ってからGPSのデータを調べたところ11.9km歩いている。柏に入ってちょっと迷ったけれど1kmも余計に歩いていないはずで、2km近い差は何だろうと思った。

ご縁茶屋は観自在寺山門のすぐ前にある。こういう門前のお店には極力行くようにしようと思った。



ご縁茶屋は観自在寺山門のすぐ前にある。こういう門前のお店には極力行くようにしようと思った。



観自在寺から柏集落まで、約2時間ずっと登り坂。海のすぐ近くを歩いているはずなのに、山の中を歩いているような景色が続く。



ようやく下り坂になり海が見えてきたが、この頃からとうとう雨が本降りになる。

部屋に入ってさっそく靴下を脱いで両足を確認する。左足は予想したとおり足の裏も指の間もマメだらけで、痛かったのも無理はない。そして右足は親指全体が赤く腫れていて、爪の付け根が膨らんでいる。押すと、たいして力を入れていないのに透明な水が噴き出した。これまでこんな症状になったことはない。

「お風呂沸いてます」とご案内があったので、お風呂場で足の具合をみる。水を掛けると少ししみるけれども、血も出ていないし化膿もしていない。そっと洗って湯船に漬かるが、ひとまず大丈夫そうだ。いずれにしてもある物でなんとかするしかないので、バンドエイドをして靴下を履いておく。

奥さんに「足の指から水が出てる」とメールすると電話がかかってきて、「見てないからよく分からないけど、長男が剣道で爪がはがれた時に、テーピングテープでぐるぐる巻きにしてた」とメールが返ってきた。なるほど、テーピングテープか。明日はそれで歩くしかない。幸い、登山用の非常用品としてテーピングテープを持って来てある。

午後6時、階下から夕飯の支度ができたと声がかかる。宿のおばさんは向かいにある食堂の方もやっているとのことで、支度が済むとそちらに向かった。泊り客は私だけのようで、TVを相手に一人の夕飯である。寂しいけれど、この時は足の具合で頭が一杯で、一人なのはありがたい。

おかずは豪勢で、鯛のかぶと煮と白身魚、おそらく鯛と太刀魚とかんぱちのお刺身。酢豚、野菜天ぷら、茶碗蒸し、竹の子と昆布の煮物、酢の物。これで1泊2食7,000円は安い。きっと、食堂もやっているから食材には余裕があるのだろう。

足の具合も落ち着いて来たようで、座っている分には何ともない。鯛をつまみながらビールを飲む。おいしい。鯛のアラは苦手で普段食べないのだが、食べられる場所を探りながらゆっくりつつく。一気に食べれないのは、一人の食事では時間がかけられてかえっていい。

TVでは天気予報をやっている。翌日の予報は一日雨。この雨は前線が活発化していることによるもので、数日間続くようなことを言っている。翌日のコースとしては、柳水大師・清水大師を経由する峠道と海岸沿いの国道の2つの候補があるが、荒天であれば躊躇なく国道を選ぶことになる。

国道は距離的にかなりロスするけれども、山の中で進退きわまったりすることを考えると峠道は選べない。また、足の手当てをするのに必要な薬品やガーゼ、包帯もどこかで調達しなければならない。当初の計画では津島に出てから満願寺を往復することを考えていたが、この、真念「道指南」のルートも難しいかもしれない。

八十八札所の下調べをしていて、八十八以外にぜひ行きたいという霊場がいくつかあった。月山や篠山など江戸時代から続く遍路ルート、鯖大師や十四ヶ橋など著名なエピソードのある霊場、明治以来70年間札所であった安楽寺などなど。そして、偉大な先達へのオマージュの意味で、信念庵と満願寺も外せないと考えていたのである。

しかし、日程の都合もあり宿の都合もあり、篠山には行くことはできなかった。満願寺には何とか行きたいと思っていたのだけれど、この天気この足の状態では、難しいと判断せざるを得ない。部屋に帰り窓を叩く雨の音を聞きながら、なかなか計画した通りにはうまく行かないものだと改めて思う。

1日30kmくらい歩けるだろうと計画してすべての宿を予約したのだけれど、雨が強かったり体調が悪かったりするとそんなにうまくは行かない。とはいっても、宿泊地に着けなければその次の宿泊地はさらに遠くなる。1週間先の松山市内まで、スケジュールに余裕がある日はないのだ。

この日の歩数は54,427歩、移動距離は33.3kmであった。

[行 程]浅田組休憩所 10:20 →(11.2km)13:15 観自在寺 14:00 →(11.9km)17:00 柏・亀屋旅館(泊)→

[Apr 7, 2018]



亀屋旅館は、国道から川沿いを少し歩いたところにある。道路をはさんで向かいの飲食店も経営されている。



亀屋旅館の夕飯は豪勢でした。鯛のアラをつつきながらビールをいただき、翌日以降のスケジュールを再検討。

津  島 

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

朝になった。真夜中すぎからほとんど眠れなかったのだが、時間になれば起きなくてはならない。靴下を履いて寝たので、足の傷でシーツを汚すようなことはなかったのは何よりであった。前日に、「朝は6時に用意しますから」と言われていて、階下からは食事を用意する音が聞こえてくる。外は雨。5時台の天気予報でも、1日雨と言っている。

計画では、津島から満願寺まで行き、そこから宇和島まで遍路道を歩くことにしていた。これだと宇和島に直行するより3時間近く多くかかることが予想されたが、ホテルに食事が付いていないので到着が遅れても問題はないし、別格札所の龍光院は翌朝一番で行けばいいと考えていたのである。

満願寺は八十八札所ではないが、篠山から下りてくる道と観自在寺から直行する道が合流する場所にあり、真念「道指南」でも、収益は満願寺の復興に充てたいとわざわざ指定しているほど気にかけていた霊場である。なんとかして行きたかったのだが、1日雨、それも大雨が降る予報の上に、足の状態が悪いのでは断念せざるを得ない。

天気予報を見ていたら、「食事の用意ができました」と声がかかった。下の座敷に下りて行くとTVがついていて、いままさに見ていた天気予報であった。朝食はご飯、味噌汁に海苔、目刺し、納豆、梅干し、それと小鉢に切干し大根、きんぴらごぼうとひじきの煮物が付いた純和風の豪勢なもので、ご飯はおかわりしていただいた。

右足親指はバンドエイドの上にテーピング、左足にはマメ用の絆創膏を3つ貼ったら予備がなくなった。満願寺に寄らない代わりに、ドラッグストアでいろいろ買わなければならない。宇和島まで行けばあるだろうが、それまで足がもてばいいけれど。

左右とも靴下は2枚重ねにしてみたら、少しクッションが効いて歩きやすくなった。一日雨の予想なので、上下ともモンベルのレインウェア、リュックカバーは最初から付けて、ストックも畳んでリュックの横ポケットにしまう。朝から傘を差して、7時前にスタートする。

「あいにくの天気ですね」「山には行かずに国道で行くことにします」と宿のおばさんと挨拶して出発。亀屋旅館は峠道への遍路道の入口にあるのだが、国道を歩くので再び役場まで戻らなければならない。役場の前が旭屋で、いまも看板が掲げられているが民宿は営業していない。柏坂という遍路宿もあったらしいが、こちらも数年前に廃業してしまった。

だから柏集落に唯一残っている亀屋旅館にはがんばってほしいものだが、歩き遍路そのものが減っているのと、宿毛・宇和島間には頻繁にバスが走っているため、どうしてもそれらの街に泊まることになってしまう。難しいところである。

そんなことを考えながら役場の先から坂道を登って行く。国道なので㌔ポストがある。松山まで125km、宇和島まで32kmと書いてある。天候がよくないだけに、歩いている場所の見当がつくのはありがたいことである。ともかく、この日のうちに宇和島まで行かなければならないし、今回の区切り打ちの最終到達地は松山である。

坂を登り切ったところがトンネルで、ここには車用と歩行者用の2つのトンネルがあった。歩行者用のトンネルには内海ふれあいトンネルと銘がある。

1992年8月の竣工、全長915m、直線なので出口が見える。歩行者専用のためか高さがそれほどなく、換気もよくない。歩いているうちに汗が噴き出してくるほど暑いけれど、贅沢は言えない。外は大雨なのにトンネルの中は傘を差さずに歩くことができるのだ。

内海ふれあいトンネルを出ると、しばらくは左手に海という海岸沿いの道が続く。雨が激しいので景色を楽しむゆとりがないのが残念だが、足の方はとりあえず小康状態を保っている。左足のマメは靴下2枚重ねが効いたのかほとんど当たらないし、右足もテーピングで固定しているのでここまでのところ痛みはない。だが、まだ先は長い。宇和島までは30km近くある。

1時間ちょっと歩いて、鳥越トンネルの前で小休止。ここにはバス待合所があって、トタンで上下左右を囲ってありベンチも置いてある。バスの時刻表をみると15分くらい先だったので、わずかの間雨宿りさせていただく。

リュックを置いて近くの自販機でペットボトルを補充し、遍路地図でこの先のルートを確認する。津島の少し前、鴨田に休憩所マークがあるが、そこまでの間6~7kmは何もマークがない。休める場所がないかもしれない。



国道56号柏交差点付近。左の青い建物が旧・旭屋旅館、右が愛南町役場内海支所。峠越えが本来のへんろ道だが、雨降りなので国道を進むことにした。



ひとしきり坂道を登ると、車道とは別に歩行者用のトンネル「内海ふれあいトンネル」がある。雨の日にはたいへんありがたい。



内海ふれあいトンネルを過ぎると、左に海を望む風景が続く。雨降りでゆっくり景色を楽しめなかったのは残念。

再び海岸沿いの道になった。今度は入江になっている静かな海で、何を養殖しているのか海の中にブイが規則正しく浮かんでいる。ここも雨が激しくゆっくり眺めている余裕はなかった。このあたりに遍路休憩所の東屋があったが、先ほど休んだばかりなのでそのまま先に進む。9時15分、大場の鼻トンネル161mを過ぎ、徐々に山の中に向かう。

9時40分、嵐坂・風の通り道と書いてある歩行者専用トンネル371mまで到着。このトンネルをくぐったところが休憩所となっていた。私の持っている遍路地図には載っていないが、嵐坂ポケットパークと書いてある。駐車場の他、トイレ・水飲み場といくつかの東屋がある。こういう空模様の日にはたいへんありがたい休憩所である。リュックを下ろしてひと休みする。

嵐坂ポケットパークから先はなだらかな下り坂で、足が軽くなった。坂を下りきったあたりに十字路があり、右から合わさってくる道は山の中から続いてきた道のようだ。これが亀屋旅館から柳水大師・清水大師と峠を越えてくる道であろう。山の上は霧なのか雨雲なのか、曇ってしまって見ることはできない。

この交差点から、国道から左へ15度ほどの角度で旧道が集落の中に伸びている。ここまでずっと国道を来たので、旧道に入ってみた。車通りもなく、民家と畑の間を続く道で、右手遠くには国道を走る車の姿が見えるので安心である。幸いに雨も小降りになってきたので、それもうれしい。

30分ほど旧道を歩くと再び国道が近づいている。復帰するとすぐ先に、「津島・かも田」の遍路休憩所が見えた。ポケットパークで休んでからそれほど時間はたっていなかったが、すぐ前に自動販売機がある。ファンタピーチの誘惑に勝てず、午前10時半、またもや一休みする。

この遍路休憩所にいろいろ案内があったのだが、その中の説明地図に「宇和島まで15km4時間」と書いてある。もう少しかかるだろう、と思った。遍路地図によると観自在寺からいま休んでいる遍路休憩所まで21km、観自在寺から宇和島龍光院まで40km、引き算すると19kmになり、4kmも違う。

ちょっと首をひねったが、本当にあと4時間で着くならそれはそれでありがたい、と深くは考えなかった。後から考えると、宇和島市街まで4時間で、龍光院までさらに1時間ということなのであった。この日の午後、それを思い知ることになる。

10時40分出発。国道を3kmほど歩くと津島の街である。津島まで来れば遍路休憩所も食堂もコンビニもたくさんあると思っていたが、遍路地図をよく見るとそうした施設があるのは旧道の方で、国道を歩いている分には休める場所は全く見当たらない。しかし、街の入口、津島大橋を渡ると見えてきたのはドラッグストアの看板であった。

この日に限っては休憩所よりコンビニよりありがたい。近くまで行ってみると、大きな駐車場のある本物のドラッグストアだった。ここで薬品や包帯が入手できれば、宇和島まで待つこともない。いまのところ痛みは治まっているけれども、いつどうなるか分からない。ずぶ濡れのリュックを外に置いて、店内に入る。

倉庫のような天井の高い建物に、薬だけでなく生活用品や食品が置いてある。まず薬品コーナーに行って、滅菌ガーゼとマメ用絆創膏をカゴに入れる。包帯かサポーターを買うつもりだったが、フィルムロールという防水で固定できるテープがあったのでそれにする。消毒用のマキロン、痛み止め・睡眠薬兼用のパプロン風邪薬、幅広バンドエイドも必要だ。

さらに、栄養補給のためのマルチビタミン錠剤、GPSとヘッデン用の予備の電池、お昼にするつもりの菓子パンも入れてレジに行くと、4,000円以上と予想外の出費である。しかし、まだ1週間以上もスケジュールが残っており、必要なものは必要でやむを得ない。外に出てリュックに詰め込むと一杯になり、菓子パンはビニール袋に入れて手に持つことになってしまった。

[行 程]柏・亀屋旅館 6:50 →(5.2km)8:15 鳥越トンネル前バス停 8:25 →(5.3km)9:45 嵐坂ポケットパーク 10:00 →(2.6km)10:30 津島かも田休憩所 10:40 →(3.3km)11:30 津島ドラッグストア 11:50 →

[Apr 14, 2018]



嵐坂ポケットパーク。ポケットパークは愛媛県で整備されている休憩所で、峠道ルートだとここは通らない。



峠道との合流点から旧道に入る。国道から旧道に入ると、交通量がほとんどなくなった。



津島・かも田の遍路休憩所。自販機のファンタピーチで一息つきました。ここの案内表示に、宇和島まで15kmと書いてあったので意外と近いと思ったのですが。

別格六番龍光院 [Oct 15, 2017]

身支度を整え、国道56号に戻る。再び雨が強くなってきた。左手に傘を差しながら、右手でアンドーナツを食べる。あまりおいしくない。とはいえ、ちゃんとした食べ物屋さんに入って食べて行く時間はないし、ずぶ濡れの状態でいい顔はされないだろう。車通りの多い国道をひたすら歩く。

大きなバス停があり、信号待ちがあり、駐車場から出てくる車に行く手を阻まれる。15分ほど歩くと大きな交差点になった。ここを右に曲がると3kmほど先に真念「道指南」で特筆されている満願寺がある。だが今回は行ける状況にない。またの機会を待つしかない。

遍路地図を見ると、津島市街から松尾トンネルまですぐ近くのような印象を受けるのだが、実際には信号待ちがあったり登り坂だったりしてそう簡単には着かない。今回の場合、雨が降っていることもあってドラッグストアから休みなしで歩いても約1時間かかった。

このトンネルは、遍路地図に「全長1,710m、通過所要時間約27分。車両交通量が多く、トンネル内は排気ガス充満の状態になる」と、暗に避けた方がいいみたいな書き方をされているのだが、雨が降っていればこちらを通る方が絶対に楽である。並行して高速道路の新松尾トンネルが通っているため、それほど交通量は多くない。

苦しかったのはむしろ、津島市街から続いている登り坂がトンネルの中もずっと続くことであった。普通、トンネルというのは峠道にあるので、トンネルまで登ればあとは平坦であるか、トンネルの半ばまで登りであとは下りという構造が多い。ところがこの松尾トンネルは、津島の方から入ると入口から出口までずっと登り坂なのだ。

帰ってから電子国土で調べると、津島市街が標高10m未満、松尾トンネル入口が標高50m、出口が90mである。1.7kmで40mだからたいしたことはないのだが、だらだらと続く登り坂で確実に体力が削られていく。朝はいったん治まっていた右足親指が強烈に痛み始めた。

爪が剥がれて血が出ているような痛みである。ただ、座って靴を脱ぐ場所もないし、確かめたところでどうしようもないのでそのまま歩き続ける。松尾トンネルを脱けたのは13時10分。12時46分に入ったから、所要時間24分。遍路地図の記載より短く通過することができた。

おそらく、ずっと差し続けてきた傘を差さなくて済み、楽に歩けるようになったからだと思う。トンネルの出口が峠で、そこからようやく下りが始まる。トンネルを出ても雨は強かったけれど、下り坂なので少しは楽に歩くことができ、右足の痛みも歩けないほどではない。

坂を下っていくと彼方にお城が見えた。宇和島城である。やがて市街地に入り、工場・倉庫や事務所、中高層の集合住宅に隠れてお城は見えなくなる。車はどんどん多くなり、しかも片側にしか歩道がないので歩くのが大変ということも多くなった。

宇和島市街で困ったのは、休憩所もトイレも見当たらないことであった。津島のドラッグストアでトイレを借りた後、津島市街にも松尾トンネルの付近にも休憩施設は見当たらず、2時間以上休みなしで歩いている。市街地は遍路歩きにやさしくない。仕方なく歩き続けていると、ファミリーマートの看板が見えてきた。

ファミマなら大抵イートインコーナーがあるので、ここで休めるだろうとリュックを店の外に置いて、店内に入る。この日の昼はアンドーナツしか食べていなかったのだが、なぜかそれほどお腹はすいていなくて、コーヒーとジェラート(冷凍ヨーグルトの中に熱いミルクを注いだ飲み物)をお願いした。

帰ってから調べると、この店は宇和島保田店という店のようで、まだ宇和島南ICに達していない。そして、宇和島市街ではあるもののお城のある中心部からはかなり離れている。そういえば、この後龍光院まで1時間以上歩くことになり、なかなか着かないなあと思ったものだった。

つまり、津島・かも田の遍路休憩所に書いてあった宇和島まで4時間というのはこのあたりまでのことで、宇和島市街は端から端まで歩くと2時間以上かかるくらい広いのであった。



たいへん助かった津島のドラッグストア。マメと爪の治療のため消毒薬、滅菌ガーゼ、フィルムロール、バンドエイド等を購入。



松尾トンネル入口。遍路地図で脅かすほどには交通量は多くない。それよりも、ずっと登り坂なのがきつかった。



宇和島市街はたいへん広く、街に入ってからが遠い。ファミマを出たところからお城のあたりまで1時間かかった。車もたいへん多い。

ファミマ発14時40分。ゆっくり休めたので、体力もいくぶん回復した。こういう雨の日は、傘を差さずに休める場所はたいへんありがたい。

ここから先いよいよ宇和島の中心部に入って行くのだが、八十八札所に入っていないせいか龍光院への行先表示はすぐ近くまで全く見当たらない。そして国道56号線は、お城の近くではジグザグにあっちへ行きこっちへ行きするので、信号待ちの時間ロスと遠回りによる距離ロスがかなりあったような気がする。

宇和島市内を歩いていると、やたら見かけるのが闘牛の広告である。次回の宇和島闘牛大会は、私が歩いていた1週間後の10月22日日曜日、宇和島市営闘牛場とある。市営というのがすごい。メインイベントは西予市の「牙狼」vs鬼北町の「鞍馬ジュゴン」(14分14秒の熱戦で、鞍馬ジュゴンが勝った。Youtubeに動画がある)、入場料は大人3,000円である。

そういえば、宇和島市内には競馬も競輪もボートもない。これは、闘牛があるからだと聞いたことがある。闘牛や闘鶏は、公認か非公認か知らないが賭けの対象になっているそうで、結構盛んに行われているらしい。

どちらが勝つかいわゆる単勝だけでは面白みが少ないような気がするが、海外のブックメーカーがボクシングやサッカーでやっているように、点数とか時間のハンデを付ければそれなりに面白いのかもしれない。重勝と組み合わせれば、結構な倍率にはなりそうだし。(実際にあるのかどうか確かめた訳ではありません)

今書いていて思い出したのだが、もう二十年以上前に高知で闘犬を見たことがある。桂浜の近くで、常設なのかその時たまたまやっていたのかはよく覚えていない。覚えているのは、やたらと臭かったことである。土佐犬も親しみを感じる犬ではないし、それが噛みつき合うのもスマートではなかった。

それに比べると、牛は動きがスローモーで愛嬌がある。闘牛自体も本質は力比べだから、人間でいうとボクシングやレスリングでなく相撲に近い。WEBを見ると会場もドームでかなり広いので、匂いもそれほど気にならないかもしれない。機会があれば行ってみたいものである。

さて、そういう訳で国道56号を忠実にたどったつもりなのだが、なかなか先に進めないしお城も見えない。住居表示は「丸の内」となっているので宇和島城のすぐ近くに来ていることは間違いないのだが、お堀も石垣も見えない。雨も降り続くし歩くのも疲れたので、立ち止まり遍路地図を取り出して進路を確認する。

どうやら、龍光院へ行くにはまずJR宇和島駅を目指せばよさそうである。いったん国道を通るのはやめて、あちらに見える大通りを目指す。行ってみると、その通りがJR宇和島駅に向かうバス通りで、あきらかにこちらの方がメインストリートである。大きなビルや土産物店が駅の方向にずっと続いている。はじめからこの通りを歩けば心配せずに歩いて来れたのである。

JR宇和島駅と隣接する8階建てくらいのホテルの近くに、大通りの脇に入る細い通りがある。龍光院はそこを100mほど入ったところにあって、JR宇和島駅を目標にして歩けば問題のない場所であった。通りから石段が本堂レベルまで上がっているが、気になるほどの高さではない。16時05分龍光院到着。市内のファミマから約1時間半歩いたことになる。



宇和島市内でやたらと目立つ市営闘牛大会のお知らせ。メインイベントはYouTubeによると鞍馬ジュゴンが勝ったようだ。



JR宇和島駅。龍光院へ向かうには、まずここを目指すのが得策。信号の右に道案内がある。



JR宇和島駅からまっすぐ歩くと、龍光院の石段に到着する。

龍光院は別格二十霊場の第六番で、五番が須崎の大善寺だから、足摺岬や予土国境をはさんで久しぶりの別格霊場となる。真念の時代、宇和島城下には願成寺という由緒ある寺があったと「道指南」にあるが、龍光院はその古刹を宇和島藩伊達公が宇和島城の鬼門封じとして移転したものという。

通りから見上げると本堂レベルは山の上になるので、それほど大きくないのかと思っていたら、石段を上がると境内はとても広く、本堂、大師堂、鐘楼の他に池もあるし鉄筋のりっぱな庫裏・納経所もある。さすが宇和島藩主肝煎りのお寺さんである。

本堂も大師堂も立派だ。本体は木造でそれほど新しいものではないのだが、土台はきちんとした石造りでそれほど月日が経っていないように見える。おそらく、もともとあった本堂・大師堂の躯体はそのままで、土台だけを新調したのだろう。おカネがかかっている。

着いたのが午後4時過ぎだったので、早々に読経を済ませご朱印をいただく。納経所は立派なビルになっていて、鯖大師とも大善寺とも様子が違っている。さすが宇和島は愛媛県屈指の大都市だけのことはある。

ふり返ると、放送局かNTTの無線アンテナの向こうに、宇和島城の天守閣が見えた。この高さまで上がると、ビルに遮られずにお城が見える。ということは、お城からも龍光院がよく見えるということで、おそらく藩主は折りに触れてこちらの方向を拝んだに違いない。

天守閣を見たのは、市街地に入ったあたりで見えて以来で、中心部になってからはビルなどに阻まれて全く見えなかった。住居表示が「丸の内」であったのでお城の近くだと見当はついたものの、お堀がある訳でもなく丘の上に天守閣があるので、どこにあるか全く分からなかったのであった。

この日の宿は宇和島オリエンタルホテル。龍光院からいったん宇和島駅前に戻り、反対側に進む。大きなホテルなので遠くからでも分かる。16時40分着。結局この日は、朝から晩までずっと雨だった。建物の中に入ってようやく傘をささずに済む。部屋はビジネスホテルなので狭いが、空調、バストイレ、冷蔵庫、wifiすべて揃っているので、用事が済めばあとは部屋でゆっくりできる。

部屋に入ってまず着替える。靴下を脱いで足の状態を確認すると、右足は痛みがひどかった割にひどい状態にはなっていなかった。爪は白く変色しており、滅菌ガーゼに水が出た痕跡が残っていたものの、血は出ていないし化膿もしていない。前日のように、爪の下の皮膚が膨れて水を含んでいるようなこともない。左足のマメは、足の裏を除いて小さくなっていた。

ひとまず安心して、最初に洗濯物をコインランドリーに持ち込み、そのままホテルに併設されているローソンに買い物に行く。この日は到着が遅れる可能性があったので夕食なしの素泊まり5,800円(税込)。だからローソンで夕食と朝食を買ってなければならない。ここしばらく食事付の宿が続いたのでかえって気分転換になる。

夕食のメニューは、タンタンメンに生春巻、コロッケ、イカフライ、ポテトサラダ、デザートにフルーツゼリーを付けた。当初予定どおりこの日はアルコールなしで、湯上りにウィルキンソンの炭酸水を飲む。前泊した高知ホテル以来、5日ぶりのユニットバス。足の具合を確かめながらなので、大きなお風呂のように気を遣わなくてかえっていい。

この日の歩数は54,289歩、移動距離は32.2kmであった。

[行 程]津島ドラッグストア 11:50 →(10.2km)14:20 ファミリーマート 14:40 →(5.0km)16:00 龍光院 16:30 →(0.6km)16:40 宇和島オリエンタルホテル(泊)→

[Apr 25, 2018]



龍光院は山の上にもかかわらず、境内は広くて池もある。



本堂の高さからは、宇和島市街のビルの向こうにお城が見える。きっとお城からもお寺が見えるのだろう。



龍光院から駅の反対側に歩くと、宇和島オリエンタルホテルがある。新しくて、1階にローソンが併設されている。翌日進む方向にあるのもありがたかった。

ページ先頭へ    第六次区切り打ち←    →第七次区切り打ち(2)    四国札所目次