老後準備編 後期高齢者まであと10年を切り、いまから準備しておこうと思っています。
今日は何月何日何曜日? 感情は脳のシミュレーション
老後は時間の断捨離 いつまでも生きていられる訳ではないから
今日は何月何日何曜日?
今年初めに運転免許の認知症試験のことを書いた。だからという訳ではないが、今日は何月何日何曜日か気をつけるようになった。
リタイアして出勤しなくなると日にちの感覚が薄れてくるというが、私の場合そういうことはない。平成・令和と西暦の換算がすぐにできないのは前からだが、カレンダーは机の前に貼ってあるし、資金繰りがあるので何日か忘れることはない。
あとは曜日である。もともと曜日はユダヤ教・キリスト教の習慣で、日曜を休むために決めたものである。基本的に「月」は太陽や星を見れば大体分かるし、「日」は月の満ち欠けで分かる(もともとそう決めた)。でも、曜日は空には書いてない。
だから人間の頭や体にとって曜日がいちばん分かりにくいのだけれど、長年の習慣で日にちの感覚の中でもっとも身近になっている。TV番組も、曜日ごとにだいたい一緒である。
私の場合、土・日に中央競馬があって、何十年も前からそれが曜日の目安になっている。いまや馬券を買うことはほとんどないのでJRAにとって商売にならない客だが、グリーンチャンネルに月千数百円払っているので勘弁してもらおう。
ウィークデイもスケジュールを替えて、今日が何曜日なのかいつも確認する。曜日によって飲むサプリメントを替えて1週間で一巡するようにしているし、家の掃除の順番も1週間で一巡、ブログの更新も曜日ごとに同じジャンルを書くようにしている。
おそらく、そのうちの一つだけでも今日が何曜日か忘れることはなさそうだが、最近おぼつかなくなりつつあるのが、今は何年かということである。
Windowsの画面隅にその日の日付が載っているので西暦を失念することはほとんどないが、和暦はときどき自信がなくなる。役所とか税金は基本的に和暦だし、年と年度があるのでますます分かりづらい。
今年は「令和5年度」だが税金の申告は4年度分だし、令和6年3月まで5年度が続く。ニュースをみていると最近やたらと漢字をひらがなで表記するようになっているが、「年度」と「和暦」の方がよっぽど分かりづらいと思う。
でも、分からないのがおそらく老化ということなのである。私が「こんな漢字が読めないのか」と思うように、「いま令和何年か分からないなんて」と思う人も多いのかもしれない。
ただ、令和何年か忘れても年寄りだから笑って済まされても、何曜日か分からないと「ボケた」と思われる恐れがある。月曜日に図書館に行ったりするのも実際困る(祭日はよくやるが)。
(話は違うが、村上春樹の新作で、図書館の募集面接で「月曜日以外の午後1時」と指定される場面がある。図書館は基本的に月曜休みだからなのだが、日光市の図書館は月・火交代で開いているので、火曜定休の館もある。)
話は戻って、ボケ防止の意味もありスケジュール管理上も便利なので、曜日ごとにルーティーンを替えることをここ3~4年続けている。こうやって習慣にすれば、「今日は何曜日」と訊かれて戸惑うことも少なくなるかもしれない。
[Aug 28, 2023]
認知症検査で必ず訊かれるのは、年月日と曜日である。年月日はWnidowsやスマホの画面に出てくるのですぐ確認できるが、曜日と和暦はすぐ分からないことがある。曜日によってスケジュールを替えるのが有効かもしれない。
感情は脳のシミュレーションだから
21世紀に入り、脳を開いたり電極を入れたりしなくても、どのように働いているかが分かってきた。これから後期高齢者に向かう私にとって、たいへん参考となる知見も多い。
すでに薄々想像がついたことではあったが、魂はなく幽霊もいない。そして、「自意識」とか「感情」も脳や体と別々にあるものではなく、その方が生存に有利だから、脳がそのようにモデルを作ってシミュレーションしているに過ぎない。
だから、「五感」とか「喜怒哀楽」なんてものはみんな実体がないと述べていた仏教は、二千年以上前から真理に近いところにいたことになる。たいしたものである。聖書も神道もそんなことは言っていない。
最近思っているのは、感情とはホルモンの出方を脳や体がどう感じているかということで、精神とかそういう形而上的レベルにあるものではないということである。
だから、「理屈はそうだけど感情が許さない」とか「なぜか分からないが腹が立つ」とかいうのも、別に第六感で目に見えないものが感じられる訳ではなく、単にホルモンが出ているだけと考える方がよさそうである。
原因がホルモンだとすると、なぜホルモンが出るのかに脳の資源を使えば余計なことを考えなくて済むし、不安に思うこともない。そういうものだと思うだけである。
ともすると感情を持つのは人間の特性と考えてしまうが、動物にも感情はある。お腹が空けば怒りっぽくなるし、満腹になれば満ち足りた気持ちになる。群れの中で地位が上がれば得意にもなるだろう。
感情に左右されるのは動物全般にいえることで、もしかすると植物にだってあるかもしれない。いずれにしても、あまり威張れたものではないといえそうである。
脳の中核は、爬虫類時代から(もしかしたら魚類時代から)変わらない。長年人間をやってきて知識も思考能力もあるのだから、感情に左右されない、少なくとも客観的にみられるようになるのが賢いのではないかと思っている。
感情は薬物によって起こすことができる(実験で確かめられている)。脳のある部分を機能させないことによって、感情のない状態を作ることも可能である。
そして、老化現象が進むと、感情を抑えることができなくなる傾向が進む。残り生存期間が少なくなるため、爬虫類時代からの脳が優勢になるからである。もう少しで後期高齢者になる私も、気を付けなくてはならない。
仏教では、すべてが無であると悟ることが平安につながると教えている。言うは易く行うは難しで、その境地に達するのはたいへん難しいが。
[Sep 19, 2023]
感情は脳のなかでも脊髄に近い場所、爬虫類時代の脳から発生する。だから感情に左右されるのは人間的というより動物的で、客観的にみるのが賢いやり方である。
老後は時間の断捨離
20年以上続けてきたNFL観戦を、今年はほとんどしなくなった。
NHK-BS中継もなく、NFL GAME PASSもDAZNに売却されてしまったので、観戦する手段がないというのが最大の理由である。YouTubeでダイジェストを少し見ているものの、例年のようにライブ中継を月曜早朝から見続けることはなくなった。
大昔に(それこそO.J.シンプソンの時代)少し見ていたものの、毎週ライブを見るようになったのはカシノ仲間(リゾカジ)で予想しあうようになってからである。当時はGAORAでもジータスでも毎週4~5試合放送していた。
しかし、時は過ぎ、私も60代後半である。経済的な負担も大きいけれど、朝の2時3時から12時間近くTVを見続ける体力はない。20年続けてきたNFLの予想も今年はしていない。
長く続けてきた習慣を改めるのは、心理的な負担が大きい。でも冷静に考えれば、いまの時代、後から映像を見たいと思えば手段はいくらでもありそうだ。それよりも、いま現在の時間と健康の優先順位が高い。
老後大切なことは断捨離だとよく言われる。家の奥さんなど、いまから身辺の整理を始めて身の回りになるべくモノを残さないようにしている。私もなるべくモノを残さないよう心掛けてはいるものの、本はまだまだ残っている。
モノは意識して整理するとして、結構大きいと思うのは時間の断捨離である。年齢が進むとともに時間の価値は飛躍的に高まるので、習慣はできるだけ見直さないと時間が足りなくなる。
ここ1~2年でランニングに使う時間が増えた。1日は24時間しかないので、ランニングで増えた分どこかで減らさなくてはならない。その意味でも、NFLを見続けるのは厳しい状況であった。
以前書いたけれど、気が進まないとか抵抗があるというのは、別に形而上的な意味があるのではなく脳の作用である。脳は、前と同じようにすることで安心し、違ったことをすると注意喚起のためホルモンが出る。
長く続ければそれだけ注意喚起の声が大きくなるので、習慣を変えようとすると抵抗がある。しかし、脳の指令も大事だが、もっと大切なのは体の指令である。
体は脳ほど雄弁に自分を主張できないが、体が満足すればホルモンの出方はどんどん少なくなる。いまのところ体は規則正しい生活に満足しているようなので、今シーズンはこのままやっていけるのではないかと思っている。
脳は、前と違ったことをすると注意喚起のためホルモンが出る。長く続けた習慣をやめると抵抗が大きいが、脳ではなく体がどう感じているかが大切である。
ちょっと前に、仕事ばかりの人生はつまらない、趣味を持つことが大切みたいなことが盛んに言われた時代があった。
そんな風に言われること自体、終身雇用・年功序列が限界だった訳で、実際そのすぐ後には非正規雇用が急拡大した。彼らは労働条件的に正社員よりかなり悪いとされるけれど、何のことはない正社員がそれまでそういう働き方だったのである。
そういう時代には履歴書の趣味の欄に書いたり、面接とかで趣味は?と訊かれた時のために、何か用意しておくものであった。
多くの人は「読書」と言っていたが、その後の世の中をみるとみんなが本を読んでいたとは思われない。実際は、TVでナイターを見るとか、酒を飲んでバカ騒ぎをすることだったはずだが、それだと頭が悪いと思われてしまうおそれがあった。
「レコード鑑賞」という人も多かった。当時、流行歌にせよクラシックにせよ、レコードを聴くためにはステレオのある部屋に行かなければならなかった。すぐ後にウォークマンが発明されて、わざわざステレオの前で聴くことはなくなった。
比較的無難だったのは映画観賞で、当時はレンタルビデオも配信サービスもないので、映画館に出かけて見る以外に方法がなかった。それだけ時間もかかるので、休日は映画に行きますというと、なるほどと思われたのである。
コインとか切手の収集という人もいた。ただ、こうしたコレクションは同じ趣味の人が多ければ話題が盛り上がるが、ひとりでやっていてもあまり面白くない。将来の値上がりを期待する側面もあったけれど、「見返り美人」とか高額で集めた人達はいまどうしているだろう。
鉄道写真を撮ったり、ローカル線に乗ったりする鉄道趣味の人達、いわゆる鉄っちゃんもある程度いた。鉄道模型を作ったり、ついには自宅の庭に走らせたりする人もいたのである。
ただ、現代の「オタク」的なところがあって、あまりおおっぴらに主張できなかった。しかし数十年経ってみると、SLもローカル線もなくなっているので得難い経験だったことになる。
話を戻すと、いろいろな方面に興味をもって深く追求することは悪いことではないが、もう60代後半という自分の年を考えると、そうそう多方面に手を広げる訳にもいかないのが実際のところである。
少し前まで熱中していたのはボクシング観戦であったが、WOWOWを解約してからあまり見ていない。もう5年近く経つけれど、いまだに世界の一線級で戦っている選手はほぼ同じで、見ても見なくても大して変わらないように思える。
NFLを見なくなったのは、前回書いたとおり。あと、このところ時間をかけてきたのは将棋だが、自分でやるのはともかく観戦で時間を費やすのはそろそろやめようかと思っている。
これからますます歳取っていくことを考えると、残り少ない時間の使い方として、より健康維持に役立つこと、できるだけ自然に触れてリフレッシュすることが重要ではないだろうか。
その意味で、約10年前に復活した山歩きと、昨年復活したランニングは時間の使い方として悪くない。そうやって、少しずつ時間も断捨離していくことが大切と思われる。
[Oct 5, 2023]
残り少ない時間の使い方として、より健康維持に役立つことと、できるだけ自然に触れてリフレッシュすることが重要と思える。
いつまでも生きていられる訳ではないから
2023年最後の記事は、老後準備編。リタイアしたのは59歳の時だから、もう8度目の年末である。現役の時は時間が過ぎるまで長かったが、いまはあっという間に1年が過ぎて行く。
最近思うのは、もう60代も後半に入り、そういつまでも生きていられる訳ではなかろうということである。
毎日必死で暮らしている時代は、これがずっと続くと思うけれど、よく考えるとそんなことはない。あと20年経つと平均寿命(余命)を越えてしまうので、普通はそのあたりまでしか生きられない。
ということは、すでにリタイア生活の4分の1が終わってしまったということである。大学4年間でいうと、1年生が終わってしまったということになる。
ネットを見たり人のブログを読んだりしていていると、60代のブログであっても投資とかアフィリシエイトとか、カネ儲けのことばかりが目立つ。病気の記事があっても、半分以上は老親とか他人のことである。
でも、自分自身が病気になったり動けなくなる可能性は、いま現在でも少なくない。そして、10年20年というスパンで考えると、間違いなくわが身に起こることと考えた方がよさそうだ。
そうなった場合、自由になるカネが多少あったところで、それがQOLを上げることにつながるかどうか怪しいものである。ましてこの世にいなければ、使いようもない。
そんなことに頭を使うよりも、もっと他のことに使う方がいいと思う。少なくとも、心身の健康に何がプラスになるか考えた方が、少々のカネよりもずっとQOLの向上に役立つだろう。
私がこうやってブログを書いているのは、半分以上自分が後で読んで楽しいからである。何年か経って読み返してみて、あの頃こういうことがあって、こんなことを考えていたと振り返れるのは楽しい。
というのは、人生の一時期、具体的には大学後半から社会人はじめの数年間、毎日を暮らすのに精一杯で、何を考えてどう生きてきたかほとんど記録がないし、思い出すこともあまりできないからである。
あの当時、ゴルフやら飲み会に使ってきた相当額のカネがいまあれば、それなり余裕が持てるはずである。それ以上に何を考えてそういう生活を送ったか反省できないのは、いまとなっては取り返しがつかないのである。
[Dec 30, 2023]
いつまでも生きていられる訳ではない。少々のおカネより大切なのは、あと何年か経ったときに自分のQOLを上げるのは何かを考えることだと思う。(写真は18年前に初めて作ったホームページ)
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