老後準備編 後期高齢者まであと10年を切り、いまから準備しておこうと思っています。
26年かけて死ぬ説 他人の評価は気にしない・再論 かかってくる電話は詐欺
身の回りのことは自分で ソリティアで脳活
安物買いの銭失い
おととしの夏に頭を剃るようにして以来、坊主頭である。永平寺ではジレットを使っていると聞いたので、それに倣ってジレットの5枚刃を電動で使っていた。
年末に在庫がなくなったが、ジレットの替刃は安くても400~500円する。お得な8枚セットだと4000円を超えるので、諸物価高騰の折柄二の足を踏む。どうしようかなと迷っていたら、すぐ横にジレットの使い捨て3枚刃が6個セット500円で売っている。
同じジレットならそう違わないだろうし、500円なら替刃1つ分の値段である。もし外してもあきらめのつく金額だし、泊りがけで出かける時に使えばいいと思って買ってみた。
ところが、買ってきた使い捨てでいつものように剃ったところが、湯舟で頭に乗せたタオルが血まみれになった。そそくさと汗を拭いて奥さんに見てもらったところが、「頭中真っ赤で、何ヶ所も切れてるよ。」
自分では見えない頭頂部から頭の後ろにかけて、数ヶ所切り傷になっているという。とりあえず薬をつけてバンドエイドで応急手当したが、そのバンドエイドも翌朝剥がすと血まみれになっていた。5枚刃電動で1年半以上剃ったけれど、こんなことは一度もなかった。
その後出血は止まりかさぶたになったものの、ひりひりするし剃刀を当てるのは怖いので、4~5日置きのローテーションにもかかわらず、新年明けてからまだ剃っていない。それでも5分刈りまでならないのはさすが丸坊主だが、少し伸びるとうっとうしくて仕方がない。
「安物買いの銭失い」ということわざは江戸時代からあるそうで、消費経済が発達した頃から使われている。昨今、値段が高いから安心できるかと言われるとそうでもないような気がするし、百均でもそれなりのものは買えるが、安いものはやっぱり安いだけのことはある。
ジレットより安い「ジレット対応」という中国製があって、これはWEBでも注意喚起されているけれど、ジレット本体でもグレードによってこれほど違うとは思わなかった。替刃1つでも5~6回使えれば千円カットより確実に安いし、使い捨てと違って頭を切ることもない。あえて使い捨てにする必要はない。
おカネを惜しみ過ぎるのはよくないと改めて感じたし、何歳になっても勉強だと思った。こんなことは前から何度もやっているけれど、再三再四同じような失敗をしてしまうのは悲しい。おカネがないからいけないという話もある。
それにしても、ジレットは高い。
[Jan 10, 2025]
使い捨ては使い捨てだけのことはあって、頭を剃るには適していないようです。「安物買いの銭失い」と昔から言うけれど、まさにその通りになってしまった。
身だしなみは老化を防ぐ
先日、風呂上がりに下着でいたところ、奥さんに「パンツぶかぶかで見た目悪いよ」と言われてしまった。下着で人前に出ることはないので多少悪くても問題ないと思ったけれど、よく考えたら週に1度のジム通いで着替える時、よその人に見られることは間違いなくある。
ポロシャツやスラックス、スポーツウェアは他人の目に触れる前提だからそれなりに気を使うけれど、下着まで心配することはなかった。そして見てわかるほど色褪せたり、破れたりしていなければ、あえて新調しようと思わない。だから、一度買ったら4~5年くらいは着続けることになる。
ところがここ最近、糖質制限で約20kg体重を落としたし、ウェストは10cm以上絞れている。サイズが小さければ破れたり傷んだりしやすいけれど、痩せていけば逆に長持ちする。だから、昔買った2XLや3XLのトランクスがまだ現役なのである。
特に年とってから、これはいけない。他人の目はともかく、自分の目にみっともない。サイズを測り直すと、LかXLである。Lだといままでより2~3サイズ小さい。3XLは大き過ぎである。
そんなに高くもないので、イオンのシルバーデー(毎月15日)に合わせてトランクスを買ってきた。2枚セットで税込み1,078円である。少し心配なので、LとXLを2枚ずつにした。試してみると、XLが安心だがLでも問題ない。まだまだ穿けるけれど、2XL・3XLは廃棄することにした。
ここ2~3年で体形が相当変わったのに、それに合わせて着るものを新調しなかったのは、資金的に厳しいのもさることながら、また太るのではないかという心配があったからである。しかし、少し前まで100kgを下回ったと喜んでいたのが、90kgを割りさらに80kgを割った。
昨年8月にSGLT2阻害薬の副作用で5kgほど一気に減ったときは、薬をやめれば再び増えるだろうと思った。ところがそれからリバウンドすることもなく、すでに半年近く経過している。体に合ったものを着ることは、おそらくリバウンドを防ぐ。
家の奥さんはさいきん田原総一郎の動画を見ている。家じゅう本の山にしてその上に食器を置いて食事するのはどうかと思うが、身だしなみがきちんとしていて、食事の支度を自分で完結するところは、90歳とは思えないくらいである。
もちろん、カネがあって生活に不自由しないからではあるのだが、カネがないわれわれでも、真似できるところはあるように思う。身だしなみは老化を防ぐ。自分で自分を見て年寄りだと思うのは、できれば避けた方がいい。
現役時代は上までワイシャツのボタンを止め、さらにネクタイを締めて約四十年過ごしてきた。最近、シャツのボタンを上まで止めることはなかったのだが、トランクス新調以来きちんと止めるようにした。襟元から白いアンダーシャツが見えるのも、あまり見た目がよくない。
最初はきつく感じるが、すぐに慣れる。昔はネクタイを締めスーツを着て、夜遅くまで飲みに行ったのである。
[Jan 24, 2025]
イオンのシルバー割引の日に、トランクスを買ってきた。身だしなみは老化を防ぐ。他人ではなく自分自身が見る。
予備なんて使うかどうか分からない
わが家はセントラルヒーティングではなく、廊下に石油ファンヒーターを置いて使っている。冬になると3~4日で空になるので、ポリタンクに灯油を用意している。
先日、誰もスイッチを切っていないのにいつの間にか消えていた。おかしいなと思って入れ直したが、また20分ほどで音がしてスイッチが切れた。見ると、地震が起こったり場所を動かしたりした時のようにメッセージ番号が出ている。E09だそうだ。
いまネットはたいへん便利になっていて、「ダイニチ エラーコード」と入力すると対応方法が出てくる。E09はフィルターにほこりがたまっている場合だそうだ。だが、フィルターは普段ほこりを払っているので見た目問題なさそうだ。そういう場合はメーカーに修理を依頼せよと書いてある。
修理を依頼しても、新品を買うくらい費用がかかる。これは困った。まだ灯油の予備もたくさんある。するとYouTubeに、自己責任で分解して修理するという動画がたくさん上がっている。全部バラして火でも出たらまずいが、中を掃除するくらいなら問題は少ないだろうと、ドライバーでカバーを外してみた。
すると、換気用のファンも、ヒーター内部も、綿ぼこりで一杯であった。10年以上使っているから無理ないが、こんなにほこりが溜まっていても、外から見ただけでは分からないのである。
掃除機で吸い取り、ダスキンのクリーナークロスでファンや部品、コードの汚れを拭いた。動画ではファンも取り外して分解し掃除していたが、年寄りは無理なことはしないのである。
その後、エラーメッセージが出て強制消火という事態は起こっていない。火を使っているのにほこりだらけというのも危険だから、これからは春になったらちゃんと掃除して片付けようと思っているが、もうひとつ注意すべきは、灯油を買い置きしてもどうかということである。
春が近づけば少な目にするけれど、まだ寒い間は予備をずいぶん用意している。20㍑を切るともう20㍑買いに行くから、平均30㍑くらいの在庫になる。半月分くらいになるだろうか。
何かあって買いにいけなくなった場合を想定しているが、灯油がなくても廊下が寒いのをがまんすればいいだけで、部屋の中はエアコンがある。震災以来電気なしで動く石油ストーブも予備で使っているが、それでもポリタンク2つは多いかもしれない。
そして、寝込んで灯油を買いに行けない確率と災害で電気が止まる確率、それとファンヒーターが壊れる確率を考えると、どれが大きいかというとファンヒーターかもしれない。
さらに、自分自身の耐用年数の問題もある。今日明日という確率は小さいとしても、数ヶ月後には生きていない確率が少なからずあることを考えると、あまり予備を持つとムダになるかもしれない。
灯油くらいなら誰かに引き取ってもらえばいいだけのことだが、ティッシュやトイレットペーパーを引き取ってくれるのは家族だけだし、酒だってワインだって好みがあるから役に立つかどうか分からない。
歯間ブラシやデンタルフロス、石鹸やカミソリの替刃だって、気持ち悪いから即生ゴミ・不燃ゴミだろうし、ゴミ袋に入れて指定曜日に捨てるのも一仕事である。でも、そうした備品は数ヶ月分用意してある。そういう性格なのである。
歳をとったら、予備なんて使うかどうか分からない。身の回りに用意しておくのは最小限にして、身軽でいるのがよさそうである。幸いにいまの時代、何か足りなくなったらamazonが翌日くらいに置き配してくれる。
[Feb 28, 2025]
石油ファンヒーターが壊れてしまったかとあせった。とりあえず大丈夫みたいだが、灯油の予備をあまり買い込むのも考え物かもしれない。自分自身も耐用年数がきている。
26年かけて死ぬ説
先月、三叉神経痛で左顔面に激痛が走り、ほぼ1ヶ月使い物にならなかった。ようやく回復して思い出すのは、内田樹先生の「26年かけて死ぬ説」である。
先生によると、人はご臨終の瞬間をもってデジタルに生死が分かれる訳ではなく、ご臨終まで13年かけて徐々に体が弱って行き、ご臨終から13年かけて多くの人から忘れられる。前後26年かけてフェイドアウトしていくのだという。(13回忌までなので正確には12年と1日だが、固いことは抜きにして)
今回の出来事がご臨終への第一歩とすると、いろいろ符合することがある。第一に、13年後は81歳、ほぼ平均寿命となる。健康維持に気を遣っているけれども、平均より長く生きられる保証はない。
そして、自分の父親が倒れたのがちょうどいまの私の歳であった。ぽっくり死ぬが口癖だったけれど、実際はそういう訳にいかなかった。
自分は酒も控えめだしアーリーリタイアしてストレスも少なく、健康にも気を遣っているのでいきなり倒れることはないと思っているが、3月の状況をみるとそんなに甘くないことを思い知らされた。
「26年かけて死ぬ説」に話を戻すと、ご臨終の後四十九日、一周忌、三回忌あたりまでは葬式に来てくれた人もご存命であるが、同年配であればそれほど時期が違うことはなく、七回忌ともなると足並みが揃ってくる。そして十三回忌くらいで「そろそろ集まるのは終わりにしよう」となるそうである。
その頃には、同年代で一緒にいろいろ経験した人達も鬼籍に入り、法事を主宰するのはごく近しい身内、それも次世代に移る。そしてその次世代も、そろそろ体が弱ってくる13年に入るのである。
13年経ってしまえば故人の思い出はかなり薄れてきて、「ご先祖様」として一連の記憶の中に含まれる。それでいいのである。どんなことだって、いずれは忘れ去られる。自分だけ例外ということはない。
そして、13年かけて徐々にフェイドアウトしていくとすれば、そんなにあせる必要も、あわてる必要もない。これまでのように手を広げてテリトリーを拡大するのではなく、少しずつ活動範囲や守備範囲を狭めていけばいいのである。
別にあわてて断捨離しなくても、少しずつ、ひとつずつ整理していけばいいし、余力があればひとつふたつ新しいことを始めたっていい。耐久消費財だって、あと1度くらい更新しなければならない。全体として範囲が小さくなればそれでいい。
その意味で、長旅や遠出が難しくなったからといって、特に残念なことも寂しがることもない。あと13年の間にやらなければならないことを、早めにすませているだけのことである。
[Apr 7, 2025]
内田樹先生によると、人はご臨終でデジタルに生死が分かれるのではなく、13年かけて徐々に体が弱っていくという。早めにお遍路歩きしておいてよかった。
他人の評価は気にしない・再論
この間、大学受験に失敗する夢をみてたいへん嫌な気分になった。最近三叉神経痛で調子が悪いこともあるが、この時期になるとそうしたことが気になるようである。調べてみたら、昨年も4月に「他人の評価は気にしない」という記事を書いていた。
半世紀前の大学受験、結果的には4つ受けて3つ合格、第一志望も無事通って浪人せずに進学することができた。でも、いまだに思うのは、あの答案でよく合格できたということである。おそらく紙一重で、匙加減ひとつで不合格に転んだのは間違いない。
大学受験は、募集人数に対して数倍の受験者が集まる。場所とか学費、何を勉強したいかによるけれども、椅子取りゲームになるのは仕方なく、試験を受けて合格点を取れるようがんばるだけである。けれども、ああいうことはできればしたくないという思いは当時からある。
本を読んだり勉強をするのは嫌いではない。テストも、自分の習熟度を確認するためであれば苦にならない。でも、点数を他人と比べるのは嫌だ。いまでも、走るのは好きだしタイムは励みになるけれども、他人と競ったり順位を気にするのは好きではない。
おそらく、「他人が自分を評価する」のがもともと好きではないのだと思う。自分の目標は自分で決めるのが当り前だし、他人にどうこう言われたくない。そう思ってこれまで生きてきたし、68年そうだったから死ぬまで(YouTube流に言えば「〇ぬまで」)変わらないだろう。
とは言っても、進学でも就職でも結婚でも結局のところ競争だし、生物である以上それを避けることはできそうにない。だから若い時にはあきらめるしかないが、ある程度の歳になったらそういうことから自由でありたい。他人の評価なんて努力したからよくなるものでもないし、評価軸なんてあるかどうかも分からない。
サラリーマンを40年近くやってきて、自分の評価軸をきちんとすることを心がけることはできるが、他人の評価軸をまともにすることなどできない。組織に属する以上、組織ができるだけ続くよう努力すべきだと思うが、自分の利益が組織より大事という人の方がずっと多いし、しかも偉くなる。上から下までバカばっかしになる。
だから、受験とか競争なんてものは最低限にすべきで、少なくともストレスを少なくするためにはそうするべきだろう。いまだに夢に出てきて嫌な思いをするくらいだから、その当時はよっぽど嫌だったということである。あと何年生きるか分からないが、そういうストレスを新たに抱えるなんてまっぴらごめんである。
[Apr 15, 2025]かかってくる電話は詐欺
昨年暮れにCATVから光フレッツに代えて以来、固定電話がパソコンの横にある。これまで誰もいない部屋に置いてあって、留守電が入っても気づかないくらいだったが、最近は呼出し音が鳴るとちょっとびっくりする。
リタイアしたのはもう8年半も前である。急ぎの電話もないので、スマホは登録者以外シャットアウト、固定電話は常時留守電にしている。それで特に不便はないが、週に3~4回変な電話がかかってくる。取らなければいいだけの話だが、結構ストレスになる。
先週、先々週とかかってきたのは、「国税庁の委託を受けて連絡しています。お答えいただかないと問題になるおそれがあります…」という自動音声で、「配偶者のいる方は1を」と言っている段階ですでに国税ではありえない。
発信者をみると、186で始まる番号である。この番号は、中国発信の国際電話という説と、NTTの186サービスのように見せて後ろの番号はインチキという説があるが、いずれにせよ詐欺である。留守電は数十秒しか録音しないので、趣旨がよく分からないうちに切れる。
こんなことで通信料を払って元は取れるのだろうかと思うが、NHKのストップ詐欺被害によると、こういう電話の指示で数百万円を宅急便で送ってしまう年寄りがまだまだいるみたいなので、採算は取れているのだろう。
スマホにかかってくる電話は登録者以外シャットアウトだが、かけてきた番号は分かる。あとから調べてみると、不用品回収とか電力自由化とか、そんな電話ばっかりである。不用品も電力も実は言い訳で、電話に出る人のリストを作って詐欺会社に流しているらしい。
正直なところ、これだけ詐欺被害が多いと報道され注意喚起されているというのに、それでも留守電にせずかかってくる電話に出る時点で、騙されても仕方がないと思う。つい先日書いたばかりだが、わずかの工夫で便利になりリスクも防げるのに、それをしないのは当人の落ち度である。
われわれより上の年代は、電電公社に申し込んでしばらく経たないと固定電話すら入らなかった頃を覚えているから、かかってきた電話に出るのは当り前で、そうしないならなぜ電話を入れるのかという話だった。しかし時代は移り、店にいけば即座にスマホが手に入る。
小学校のクラス名簿(そんなものがあったのだ)にも、電話番号が空白の人が半分以上だったし、担任だって「呼出」というのがない訳ではなかった。しかし今では、かかってくる電話はほぼすべて悪徳セールスか、そうでなければ詐欺である。
悪徳セールスでも詐欺でも、年寄りが関わって得になることはまったくない。だから固定電話は今後なくなっていくのだろう。スマホは持ち歩くのが前提だが、家に置いてあれば固定電話と同じである。商売で使うのでなければ、持つ必要などそもそもない。
そういえばターミネーター第一作で、シュワルツェネッガーは電話帳で標的の所在を探すのだった。電話帳に載っていなければ、同姓同名の人達は殺されなかったのだ。
[Apr 25, 2025]
NHKのストップ詐欺被害!に言われるまでもなく、年寄りに電話をかけたり訪問してきたりする見ず知らずの人は詐欺と思った方がいい。
身の回りのことは自分でしたい
最近、田原総一朗のYouTubeをよく見ている。TVによく出ていた当時はあまり興味がなく、朝まで生テレビも見たことはなかったが、朝食の支度をひとりでする動画を見て、この歳で生きていることがあればこうありたいものだと思っている。
もちろん、都心のタワーマンションに住む高所得者と、しがない年金生活者を一緒にはできないが、食べている朝食はバター付トースト、あんパン、ポーチドエッグ、レタス、りんご、ヨーグルト、牛乳、紅茶、野菜ジュース、りんごジュースといった献立で、たいした違いはない。
奥さんをなくされているので、自分で台所に立ち、冷蔵庫から食材を出し、電磁調理器を使い、本の山の上に配膳する。野菜ジュースはいい加減に飲んで残りを冷蔵庫に戻す。熱い紅茶は半分捨てて水で薄める。パンの耳は固いから食べない。でもすでに91歳になって、これだけできれば立派である。
歳とってしまえば、金稼ぎがうまいとか出世するしないにほとんど意味はない。重要なのは健康でいること、身の回りのことを自分でできることであろう。それができれば老人ホームに入らなくて済む。人の名前が出なくたって耳が遠くたって、一人で暮らすのにほとんど不自由しない。
そう思ってYouTubeを探すと(そういう動画を視聴するとおすすめに上がってくるのだ)、90を超えるお年寄りが一人で食事の支度をする動画はたくさんある。おばあさんだと、一人で食堂を切り盛りするくらいレベルが上がるが、おじいさんは自分の支度で精いっぱいである。
でも、傍目からみてどうかということにほんど意味はない。火の始末をして冷蔵庫をちゃんと閉めれば、ものは腐らないし危ない目にも遭わない。だから、もし想定外に長生きしてしまった時のために、自分の身の回りのことは自分でする練習はすべきであろう。
わが家の場合、昼食は「各自」が基本なので、ある程度の自炊はほぼ毎日している。グラノーラに牛乳とか前日の残り物ということもあるし、スパゲティナポリタンや冷凍うどんを煮ることもある。経済的に苦しいので安くすませなければならず、それだけ頭も使う。
掃除や洗濯、布団の上げ下ろしもできるだけ手伝うようにしているので、万一の場合に役立つだろう。リタイアする頃から四国お遍路歩きもしたし、泊りの山歩きも年に何度かするので身の回りのことができるのも、それなりに効果があったかもしれない。
大事なのは、細かい点にこだわるよりできるだけ長く続けること。歳取ってからの家事は、サステナビリティがかなり大切になってくるのではなかろうか。
[Apr 28, 2025]
最近、田原総一郎91歳のYouTube動画を見ている。いくつになっても、身の回りのことは自分でできるようでありたいと思う。
ソリティアで脳活
昨年暮れに十数年ぶりにパソコンを買い換えて、さくさく動くようになった。毎日のルーティーンで大きく変わったのが、エクセルを使わずGoogleスプレッドシートになったのと、マイクロソフトのソリティアをするのが日課になったことである。
ソリティアは最初やるつもりがなかった。3.1時代からソリティアとかマインスイーパーはあったが、数回で飽きてしまったからである。ただ、無料でできる数独みたいのがあればボケ防止になると思って探したところ、ソリティアが昔とはかなり変わっていたのであった。
初めは無料でやっていたが、いちいち広告が入るのですぐに有料にした。1ヶ月230円だから、おカネのない年金生活者にも無理なく払うことができる。マイクロソフトの罠のような気もするが、Officeを使わなくなったので少しは儲けてもらおう。
数独よりいいところは、慣れ親しんだカードゲームということである。空きロッカーではいまだに307より306を選んでしまうくらい、カードは脳の深い場所に位置を占めている。海外で「絞る」ことはおそらくないだろうが、もし国内にカシノができれば一度は行くことになるだろう。
そして、ソリティア(今の名前はクロンダイク)が13×4=52枚のカードでプレイすることは知っていたが、その他のゲームもそうだということがなかなか把握できなかった。だからピラミッドというゲームで、3がボードにあれば10は必ずボードか手札にあるというのが皮膚感覚で分からなかったのである。
かれこれ2ヵ月ほどプレイしてようやく、それぞれのゲームがどういう本質なのか分かりかけてきた。同じ黒の7というカードが数枚ある場合どちらをめくればセーフでどちらかがアウトかという運任せの側面もあるし、残りカードを把握してどちらかを選ぶ推理の側面もある。
手札がどういう順番だったかの記憶も重要である。ゲームレベルの「初級」では手なりに進めればクリアできることが多いが、「中級」「上級」と進むにつれて自然に見える手が罠だったりする。カードの配置を見て、どこが罠なのかを考慮するのも重要である。
だからこれらのゲームの中には、短時間でクリアすることより罠を見つけて回避する方が大切なものもある(もちろん、短時間で反射神経が大切なものもある)。こうしたいろいろな種類があることは、認知機能の退化を防ぐ効果があるのではないかと考えている。
いちいち残りカードに何があるか思い出したり、カードを組み合わせる順番を考えたりするのは結構疲れるので、集中力が維持される午前中にプレイしている。この歳になるとロールプレイングゲームは気が進まないので、こうして短時間でできるゲームが日課なのである。
[May 7, 2025]
パソコン買換えを機に、マイクロソフトのソリティアで脳活をするのが日課になった。月230円で楽しませてもらえれば安いものであろう。
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