せいうち・・・セイウチ科セイウチ属の肉食獣で、北極圏に生息する。体重は成獣で500kgから1200kgに達する。最初は減量日記で始まりましたが、日々は移ろい、リタイア生活の徒然日記になりました。
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165 八千代マラソン 166 年の暮れ 167 飲めなくなった話 168 さかえマラソン
169 佐倉マラソン 170 66歳になった
小林ミニウォーク、そして久しぶりのランニング ~せいうち日記161
6月に真夏日が続いた後、梅雨明けの発表があったとたん梅雨のような涼しい日となった。それが終わると連日外に出られないくらい暑くなり、8月入って少しだけ涼しくなってまた暑くなった。
ヨーロッパでは熱波の第一波、第二波、第三波と来て、放火する不届き者もいてあちこちで山火事が起こっている。プールや洗車どころか、農業用水も不足しているというから一大事だが、それでもバカンスにはちゃんと行くからある意味たいしたものである。
わが家でも7月に、印西市ふるさと案内人協会のウォーキング会に参加してきた。申し込み時点ではこんなに暑くなるとは思わず、正直なところ途中退場もやむなしかと思っていたけれど、何とかゴールまでたどり着くことができた。
そう思った人が多かったのか、当日キャンセルもあって参加者は5名。主催者側が十数名だったので、参加者より主催者が全然多いという会でした。5名のうち2名がうちの夫婦で、1名は途中で家に帰ったとのことでゴールしたのは4人でした。
テーマは「小林の石造物を巡るミニウォーク」。普段のお散歩コースだし、この間の印西大師の巡拝でも回った場所なので、いろいろ説明を聞けたらいいなと思ったのである。
奥さんも「家で動画を見てるよりいい」と喜んでくれたけれど、とにかく暑くて汗みどろになってしまった。冷凍室に入れっぱなしで忘れていた凍らせたカルピスを奥さんが持ってきてくれたので、それで喉をうるおしながら歩いた。
もちろん、水筒とマスクは必需品である。さすがに、「マスクは外して歩きましょう」と言ってくれたので助かったが、説明で立ち止まると暑いので日陰を探すのが大変だった。
こう暑いと思い出すのは三十年ほど前、まだ子供が小さかった頃、夏になると北海道にドライブ旅行をしていた頃のことである。1週間分の着替えを車に積んで、初日青森まで走ってフェリーで船中泊という強行軍だった。
当時、東北道のどこかが雨で、そこを越えるとかなり涼しくなったことを覚えている。北海道に入ると冷房のない宿もまだまだ多くて、それでも寝苦しいほど暑いことはほとんどなかった。
東京の気温が35℃とかいう天気予報を見て、「天国みたいだね」と言ったことを思い出す。最近では、札幌や旭川では東京と同じ最高気温の日も多くて、たった三十年で気候が変わってしまったのを感じる。
そんなことを思うと、まだまだ北海道が涼しい時代にそうやって避暑できたことは運がよかったのだろう。とにかく、夜になると10℃より下がって寒いくらいだったのである。
印西市ふるさと案内人協会主催のウォーキング会に参加。真夏日の昼間で主催者側十数名に対し参加者は5名。汗みどろになりましたが、奥さんは楽しかったみたいです。
さて、普段の夏であれば6月下旬まで山に行けるし、チャンスがあれば8月に涼しい尾瀬という構想も浮かぶのだけれど、残念ながら今年はそういう気になれない天気が続いている。
ブランクを作ってしまうと次に山に行く時に足腰に響くので、なるべく間を開けないで山の計画を立てている。ところが、今年は暑いだけでなく、ずっと「大気の状態が不安定」である。山でいきなり雷雨になったりするのは怖い。
いろんなサイトの報告を読むとやっぱり気候は厳しいようで、暑すぎたり雨が降ったりするところが多い。せっかくリタイアして平日でも動けるようになったのに、わざわざ天気の悪い日を選んで出かけることもない。
仕方がないので、近所の公園にある築山まで歩く。登山の本によると、「登山のトレーニングは標高をかせぐことだけ。階段上り下りや筋トレ、ウォーキングは気休め程度」ということなのだが、何もしないよりましだと思っている。
そして今年は、築山上り下りに加えて、1周400mの遊歩道をランニングするメニューを加えている。
ランニングは30代の頃がんばった時期があって、以来30年のブランクを経ての再開である。当時でも、5km30分10km1時間という歩くより少し速いといった程度だったが、それでも中学生の頃よりずっといいタイムだったのである。
少し前に、信号が点滅を始めたので走ろうとしたところが、足がもつれるという失態に見舞われてしまった。別に速く走る必要はないが、少なくとも走ろうとして手足がついていかないという事態は避けたい。
最初は1周2周から始めて、1500m、2000mと少しずつ距離を伸ばしている。速く走ることよりも、できるだけ長く走り続けるように心がけている。8月に入って、4000mまで走れるようになった。
先週立秋を過ぎたので、少しずつ夜明けが遅くなっている。7月に始めた頃は5時前になると明るかったのだが、最近は5時過ぎにようやく日が登る。公園まで行く途中はまだ暗い。
それでも、ランニングを終えて家に戻る頃には日差しが強くなりすでに暑くなっている。6時過ぎには家に戻り、6時25分のテレビ体操をしてから朝食というのがルーティーンである。
ランニングとともに、先月から再開したのがジムワークである。これは、糖質制限による減量で体重は落としたのだが腹の肉がたるんでしまったのが気になって、隣の駅にある清掃工場付属のジムに週一で通いはじめた。
腹筋・背筋を3セットずつ。それからダンベルとマシントレーニング、最後にバイク。コロナ以来なので以前の重量ではできない。それでも、1ヶ月続いているので、三日坊主と言われなくてすみそうである。
ランニングとジムワークを再開するまで、山に行けないのがたいへん気になっていたのだが、始めるとそちらに集中するので余計なことを気にしなくてすむ。ランニングはタダだし、ジムは1回420円。あまりおカネがかからないのも、昨今の経済状況からするとうれしい。
[Aug 16, 2022]
今年の夏も近所の築山まで登るのが朝のルーティーン。その後に1周400mの遊歩道をランニングするというメニューが加わった。
アウトレットでフォーションのマーマレード ~せいうち日記162
先月の終わりに、久しぶりに阿見のアウトレットに行った。
最初の目的は、履き続けてきたランニングシューズが疲れてきてしまったので、破れる前に新調しようと思ったのである。阿見にはアンダーアーマーがあるし、他にもいくつかスポーツ用品の店がある。
ありがたいことに、最初に行ったアンダーアーマーに28cm4Eの靴が置いてあった。さすがにアウトレットで色は限られているけれども、履いてみるとぴったりだし、赤と黒を奥さんが「似合うよ」と言ってくれたのでそれにした。
値段は税込み5,720円。1万円を超えない程度でサイズがあればと思っていたので予算範囲内である。うまくいく時はこういうものである。うまく行かない時は、最初からサイズがなかったりする。
気をよくして、高島屋ワールドグルメに行く。ここには、ときどき賞味期限切れ間近のフォーションのジャムやマーマレードが置いてある。
覗いたところ、何とあったのである。それも、大きい瓶のマーマレード6本セットが税込み1,080円の大安売りである。いつもだと、せいぜい小さい瓶の6本セットが800円くらいなのに、大盤振る舞いである。
賞味期限が9月末で、どうやっても1ヶ月では使いきれないのが難点だが、基本的に砂糖漬けだからすぐ悪くなるはずがない。これまでだって、賞味期限を過ぎてもおいしく食べれている。
お店としては決して勧めないだろうが、自己責任で購入する。なんたって、アヲハタより安くフォーションが買えるのである。
私の用事が終わったので、奥さんの用事のストウブに寄る。こちらでは、製造中止で欠番になる商品が4割引きとかで売っている。色は限られるが、なんたってストウブである。奥さん曰く、YouTuberも使っているストウブだそうである。
下が波型になったフライパンみたいなの(奥さんに聞いたらグリルパンというらしい)で、濃い藍色のが欠番になるという。マグネットの鍋敷きと一緒に購入する。
3ヶ所回っただけで、かなり疲れた。奥さんに「ふだん私にわがままばっかり言ってるから、この程度の人込みですぐくじける」と言われてしまう。そうは言っても、人が近くにいるのに慣れていないので仕方がない。
帰りに、竜ヶ崎のかつ庵でお昼にする。ここはいつも空いているし、1000円くらいで定食が食べられるので重宝している。
私はロースとヒレカツのセット、奥さんはトンカツ、鶏唐揚げとエビフライのセットを注文する。久しぶりの白いご飯(少な目)だったけれど、二人とも夕飯を軽くすませるくらいお腹いっぱいになった。
翌日から、新しいランニングシューズで足慣らし。破れてしまうのも困るが、いざという時に靴ずれするのも困る。靴が柔らかくなって足も慣れるまで、試さなければならない。いまのところ、履き心地はたいへんいい。
[Sep 3, 2022]
ランニングシューズを買いにアウトレットに行ったら、フォーションのマーマレードが安売りしていた。ラージ瓶6本セットで税込み1,080円!ただし賞味期限は今月末。
28年ぶりに白井梨マラソン ~せいうち日記163
夏場になると、毎日のルーティーンである午後の散歩が難しくなる。35℃を超えるほど暑く、とてもじゃないが気持ちよく歩くことができない。
だから、7~8月は早起きして近所の公園まで散歩するのが近年のスケジュールであった。ここには標高40mほどの築山があって、少しでも登山のトレーニングになればと思うからである。
今年はそれに加えて、1周400mの遊歩道をランニングすることにした。しばらく前、横断歩道を急いで渡ろうとして足がもつれたのがたいへん気になって、歩くだけでは筋肉の衰えが防げないと思ったからである。
となると、何か目標になるものがある方が励みになる。印西市にはマラソン大会がないが、お隣の白井市には白井梨マラソンがある。これには、かつて参加したことがある。当時は、参加賞に梨をいただけたのだ。
調べてみると、出場したのは親子2kmと5kmで、もっとも新しいのは第9回である。今年は第37回。28年振りの参加ということになる。(コロナで中止となった回は欠番にしているようだ。)
第9回の頃は市庁舎前からスタートして、いまなお建設途上の北環状道路をニュータウン中央に向かった。その後運動公園ができて、いまではそちらで開催されている。
7月は、ちょうど梨マラソンの参加受付期間であった。昔は5kmが最長だったが、現在は10kmコースがあって白井工業団地を走る。とはいえ、まだ1kmも走っていない時期であり、5kmを申し込んだ。年寄りは無理をしてはいけない。
当時の持ちタイムも決して速くはなく、5kmで30分、10kmで1時間そこそこであった。30年近く間が開いているし、何しろ65歳である。どこまで戻せるか、そもそも完走できるのか分からない。
400mから始めて1000m、1500mと少しずつ距離を伸ばしていく。朝早く、日の出直後は涼しいけれども、それでも走っているうちに汗びっしょりになる。Tシャツはずぶぬれだし、帽子の庇から汗がこぼれてくる。走り終わると、公園の手洗い場で顔を洗わなければならなかった。
7月中に3000mまで走れるようになったが、ペースは1km8分くらいである。これだと、5km走ると40分かかってしまうが、まあ仕方がない。
8月初めに4000mまで距離を伸ばし、田舎道に場所を移して5kmを走れるかどうか試してみた。千葉ニュータウンはすぐ裏が市街化調整区域であり、信号のない道も探せば結構あるのである。
5km、5.5kmと2つのコースを開拓して、ゆっくりではあるが走り切ることができるようになった。今度は本番コースである。9月に入って白井まで行って、本番コースで試走してみた。
写真をみると陸上競技内がスタート/ゴールのようだが、大会の時でないと中に入れない。1回目は歩き、2回目と3回目は5kmコースを走る。競技場の中を走っていないので微妙に距離が違うみたいだが、数百mも違うことはなさそうだ。
これも何とかこなして、そんなに恥ずかしくなく完走できる目途がついた。
とはいえ、30代の時もビリから10%以内のゴールであり、今回も集団から大差をつけられることは覚悟しなればならない。だから、ともかくマイペース。登山と同じで、ゴールしたときに3分の1の余力を残しておくことが大切なのである。
準地元白井で開かれる白井梨マラソン。昔、出たのは第8回と第9回だから、28年ぶりの参加ということになる。
大会は10月2日。連日にわたり3~5kmを走っていたら10年物のランニングシューズが壊れてしまい(底が剥げた)、ランニングシューズを新調しなければならなかったのは誤算だったが、カネよりも健康である。まして、壊れた靴で足を痛めたら元も子もない。
白井運動公園での参加は初めてなので、悩ましいのは足の確保である。安心なのは市役所に車を止めて送迎バスを利用することだが、歩くと1時間近くかかる。バスが出るのは10kmのゴール後なので、大汗をかいて歩くのも待つのも厄介である。
運動公園周辺がマラソンコースなので、車も送迎バスもレース終了まで移動できない。その上、運動公園への進入路が狭くて渋滞は必至である。
5kmのゴールから交通規制解除まで、1時間半くらい見込まなければならない。その間に市役所まで歩けそうなので、市役所に駐車して往きは送迎バス、帰りは歩くことにした。
当日は何週間ぶりの雨のない週末、とはいえ最高気温30℃が予想される少しハードなコンディション。予定通り市役所の駐車場に車を止めて、送迎バスで会場に向かう。バスは立つ人が少しいたくらいだが、どうやら送迎バス利用が多数派だったようだ。
運動公園に着くと、すでに陸上競技場には大勢の人が集まっていた。芝生の上にはレジャーテントやレジャーシートが広げられ、トラックではたくさんの子供達や大人がウォーミングアップしている。
検温して、当日のチェックシートを提出。引き換えに、参加賞のTシャツと梨が手渡される。奥さんが一緒だったので荷物を預けて走れるが、ひとりで来る時は考えなくてはならない。いくらなんでも梨を持って走るのはきつい。(レジャーシートを敷いて荷物を置いておく人が多かったようだ)
スタンドに行ってみたのだが、奥さんが照り返しがきつくてつらいと言うので、バックストレッチ側に移動して芝生に腰を下ろす。9時から開会式、それが終わると小学生2km、親子2kmである。スタートが3コーナーなので、バック側に陣取ったのはよかった。
小学生・親子のレースを見ていたら、早くも先頭が競技場に戻ってきた。スタートとゴールが時間的に重なるのでどうするのかと思っていたら、親子組はスタートを待機している5kmの人達の外、8コースを走るように指示されていた。5kmもそうなるのだろうか。
9時50分、5kmのスタートとなった。自分が遅いのは分かっているので、いちばん後ろに並んだつもりなのだが、ギリギリに来る人達もいてさらに後ろからスタートした人達もいた。すぐに抜かれる。
それは予想した通りなのだが、逆に、前を走っている人が遅すぎて、抜かないとぶつかりそうになるのは予想していなかった。コースが狭い上に、道路の真ん中から左側を走るよう指示されるからである。
その理由はすぐに分かった。5kmコースは往復同じコースを走るために、すぐに折り返した先頭集団が来てしまうのだ。私の走るペースだと、1km過ぎたくらいでもう先頭集団とすれ違うことになる。
28年ぶりに地元の白井梨マラソンに参加した。
集団から離れることもなく、常に前後に人がいる状況で1kmを過ぎる。コースは運動公園進入路から右に折れて、市営プールの前を走る。
特に息が切れることもなく、1.5kmを通過した。少しつらいのは、自分のペースで走れないことで、前が詰まるとペースを落とすしかない。このあたりからすでに折り返した集団が増えてきて、2列縦隊でしか走れない。
グループでまとまってのんびり走る組とか、折り返し前なのにすでに歩いている人を抜いて行く。抜かれることは想定していたが、抜くことは想定していなかった。それでも、息が切れるほどではないし、直射日光がきつい割には汗も多くない。
家の周りやこのコースの試走では、半分走るまでに汗びっしょりになり、フェイスタオルを出して拭かなくてはならなかった。ところが本番では、30℃の予想最高気温だというのに、それほど汗をかかない。緊張しているのだろうか。
番外札所・河原子堂で右折して折り返し地点に向かう。それほどきつくないのは、周囲に人がいてペースが上がらないせいだろう。後ろにどれくらい人がいるか気になっていたが、折り返してみるとまだ何十人かいて最後尾まで数百mある。
折り返した後にペースを上げる人もいてこの後何人かに抜かれたが、自分のペースはそれほど落ちていなかったと思う。このあたりからは、折り返し前から近くにいてペースが似た人を目標にした。
帰りの市営プール付近、残り1.5kmあたりからだらだらとした登り坂が続き、さすがに息が切れる。足も上がらなくなってきたが、目標にした人から遅れないようにがんばった。やがて運動公園競技場が見えてくる。
入場門からトラックに戻る。グラウンドに入ると、奥さんがいて「がんばれー」と声援してくれた。後から聞いたら、昔より余裕の走りだったそうである。
1コーナーに戻るので、トラックを残り4分の3周する。すでに10km参加選手はスタート付近に集まっていて、5kmの遅い組は小学生・親子と同様8コースに誘導される。そのままトラックの外側を通って、スタンド正面の「FINISH」門がゴールとなる。
ゴールしてしばらく先にテントがあり、ここで計測チップを外す。引き換えに、冷えたミネラルウォーターのペットボトルをいただける。これはうれしい。奥さんに預けた荷物にも水筒を用意していたけれど、キャップを開けてまず喉をうるおした。
手許で測ったタイムは36分06秒。想定した40分よりかなり早く走ることができた。そして、28年前に走った時から3分も遅れていない。それよりも、余裕をもって完走できたのはわれながら上出来である。
日陰に入って一休みしていると、スタートした10km組が走ってきた。走る列がずっと続いて、真ん中あたりからは歩いているのとたいして変わらない。5kmでも苦労したくらいだから、後ろからスタートした人はペースに乗るのにかなり苦労しそうだ。
最終レースの中学生3kmを見ながら、市役所に戻る道を歩く。同じような考えなのか、歩いて会場を後にする家族を何組か見かけた。この頃になるとますます日差しはきつくなり、ゴール後に着替えたTシャツが市役所に戻るまでまた汗みどろになった。
[Oct 5, 2022]
レース当日は最高気温予想で30℃という夏並みの天気。参加者は昔と比べてずいぶん多くなりました。
トラックへの出入りは1コーナー入場門から。3コーナーからスタート、半周してコースに出て、ゴールは3/4周してスタンド前でフィニッシュ。
秋を通し越して冬・木下ミニウォーク ~せいうち日記164
10月の気候もまたひどかった。
2日の梨マラソンに出た時は30℃近い気温で、大汗をかいてレース後に2回着替えが必要だったのに、下旬には最低気温4℃まで冷え込んで家じゅうが結露した。夏から一気に冬になったみたいである。
だから、夏のワードロープであるTシャツと半ズボンから、いきなり厚手の上下を着なければならなくなった。秋用の服はほとんど着ないで終わってしまうのだろうか。
夏が暑くて山に行けなかったので、久々に泊りがけで日光に行ったら男体山の初冠雪の日だった。去年も鬼怒沼でアイスバーンに苦しめられたが、今年も雪で行く手を遮られてしまったのである。まだ10月だというのに。
フランスは雨が少なくて畑が干上がっていて、いまだに夏の気温でビーチが大賑わいという。気候変動は全世界で問題となっているけれど、花粉症以来春はあまり好きでなくなったのに、いちばん好きな季節の秋がこれでは困ってしまう。
さて、先日は、地元の催し「木下(きおろし)ミニウォーク」に夫婦で参加した。
主催は印西ふるさと案内人協会。イベントに参加するのは、7月の小林ミニウォークに続き2回連続である。奥さんが「とてもよかったから次回も参加する」というので申し込んだのである。
前回は真夏日の炎天下でたいへんきついミニウォークとなったが、今回も天気はよかった。むしろ秋にしては暑いくらいで、最高気温が23.7℃まで上がった日であった。
老化防止シリーズにも書いたのだが、社会参加とかボランティアとか大げさに構える必要は感じないが、こうした地元の催しに参加することには意義がある。主催者だって参加者が多い方が張り合いがあるし、少しでも他人と関わりが持てるのは大切である。
今年の春、印西大師八十八ヶ所をお参りしてから、地元の文化や歴史に関心が深くなった。今回のテーマは木下街道周辺の歴史。八十八ヶ所で訪れた場所もいくつか含まれている。
ただ、木下といえば印西市の中心部。かつて木下街道が通っていたのは水田にはさまれた堤の上だったが、田んぼは埋め立てられ住宅地として整地されて、道路も昔の場所には通っていない。
説明によると、私が子供の頃にはまだ水田が残っていたというから、それほど昔のことではない。そんな住宅地の片隅に、往時の宿場町の遺構が残されているのであった。
木下は利根川を銚子方面に流すようになってから水運が栄え、ここから銚子・鹿島方面に舟で向かう観光客がたいへん多かったという。当時は寺社参りとかの言い訳が必要だったから、鹿島神宮や香取神宮にお参りするという名目である。
成田線が通ってからは、都内へ行商に向かう農家のおばさん達が木下の名物になった。私が就職した頃はまだ会社に行商に来ていたおばさんがいたけれど、いまは軽トラックで行く。みんな歳とってしまって、数も少なくなった。
考えてみれば自分も年金で暮らす年齢になって、リタイアしましたというお便りもいただくようになった。昔に比べればかなり清潔で暮らしやすくなったのはありがたいけれど、秋がなくなって夏から冬に直行というのはあまりありがたくない。
[Nov 1, 2022]
印西ふるさと案内人協会の木下ミニウォークに夫婦で参加した。写真は木下街道の終点である上町観音堂。
白井に続き八千代マラソン参加 ~せいうち日記165
白井梨マラソンの5kmを自分としては上出来で走ることができた。山歩きにもいい影響があるようなので、せっかくだからもう少し走ってみようという気になった。
30年前は、白井の後は新年の幕張を走って2月の佐倉というローテーションだったけれど、今年はどうするか。らんネットで探してみると(昔よく見ていたランナーズという雑誌でやっているサイトだ)、昔はなかった八千代マラソン(正式名はニューリバーロードレースin八千代)というのをやっている。
時期は12月、ちょうど5kmという種目がある。コースをみると、なんと以前よく通っていた道である(魚次という魚屋さんがあった)。これだったら土地勘がある。幸い、参加枠には空きがあったので申し込む。
八千代は印西の隣町で、家からだと車で20分ほどである。糖質制限以来ご無沙汰しているが、ピーターパンというおいしいパン屋さんもある。会場の八千代市運動公園は国道16号沿いで交通渋滞の激しい場所だが、裏から行けばそれほどでもない。
白井と同様、事前にコース見学に行った。1回目は歩き、2回目はジョギングである。交通規制をしていないと走りづらい場所があり(新川に下りる坂道。牛小屋があるあたり)、仕方がないからそこだけ遠回りして新川沿いを走った。
基本的に走りやすいコースである。ただ、八千代中央の駅前通りに、車で通ってもよく分かる起伏があって、ここの登りは注意を要する。大体2km地点まで登って、その後は下り坂と川沿いの平坦路である。
坂があると分かっているのだから、トレーニングも坂の多いコースで走った。10kmの練習コースは5kmを2周するので、坂道2回が4回になる。毎回10kmは年寄りにはつらいので、5kmと10kmを週1回ずつ走ることにした。
もう一つの心配は荷物である。梨マラソンはウエストポーチを付けて走ったが、今回はスタートとゴールが別の場所である。奥さんも付いてきてくれるかどうか分からないし、車もどこに止められるか分からない。
あれこれ考えて、モンベルのトレラン用のバックパックを買うことにした。15㍑あるので、薄手のパーカーとジャージなら入る。スタートまでそれを着て、走る時は脱いでバックパックに入れることができる。
大会の4日前にコロナワクチンの4回目があったが、幸い熱も出ず腕も痛くならなかった。あとは当日まで体調を整えるだけである。直前に急に寒くなったけれど、当日の午前中までは晴れ予報である。
白井梨マラソンに続き、八千代ロードレースに参加。後援のコーシン牛乳は昔から成田街道沿いにあって、小学校の給食もここ(当時興真牛乳)だった。
12月4日、大会当日となった。前日は肌寒くて走っても汗をほとんどかかなかったくらいだが、この日は朝から天気で風もない。絶好のマラソン日和である。
ゴールの陸上競技場のすぐ横が八千代市立図書館で、ここには200台くらい止められる駐車場がある。参加者全員が押し寄せると200台では無理だが、当日は市役所などに無料駐車場がある。
初参加なので勝手が分からず心配したが、有料を回避した人が多かったのか少し余裕があった。ここが一杯だったら16号線沿いのドンキホーテまで戻らなければならなかったので、ほっとした。
駐車場からスタートの文化会館までは5分ほど歩き、その途中の多目的広場に総合受付がある。ここで体調チェックシートを提出し、参加賞を受け取る。参加賞はスポーツタオルなので、さっそく使える。
スタートまで少し時間があるので、縁石に腰かけて配られたプログラムを見る。事前に分からなかった陸上競技場の進入路は、コースからすぐに入る4コーナー入口であった。そこから逆回りにバックを走って、1、2コーナー中間がゴールである。これは予想がつかなかった。
5kmのスタートは10時20分。その20分前の10時ちょうどに最長距離の10マイルがスタートする。せっかくだから見に行く。ゲストランナーは気象予報士の平井さんである。
平井さんの趣味がマラソンだということは知っていたが、年齢が私と10しか違わないとは知らなかった。あんなに若作りで、もう50代半ばなのである。そして、10マイル(16km)に出場。参加選手を見送ってから、スカーフにクリングパック(水筒だけ入るバックパック)姿で最後方からスタートした。
さて、10マイルを見送って今度は私の番である。スタート地点まで着てきたパーカーとジャージを脱いでバックパックに収納する。参加賞とプログラムがあったのでかさばったが、ちゃんと収納できた。重さもたいしたことはない。
5kmのスタートは10マイルより100mくらい後ろである。その一番後ろまで下がってスタートを待つ。前方ではスタート前のインタビューをやっている。「目標タイムは20分」みたいな人が最前列にいるようだ。でも、聞いているのは参加者と少数の観客だけである。
定刻の10時20分スタート。梨マラソンはスマホのストップウォッチを使ったのだが、10マイルをみると定時ぴったりにスタートのようなので、ストップウォッチにしなくても時刻を見れば大丈夫そうだ。
5kmのエントリーは397人。実際には336人の出場(RUNNET調べ)。スタート直後は前がごちゃついて、スタート地点を過ぎるまで15~20秒かかったのは仕方がない。
梨マラソンの時は1車線を走るのでさらにごちゃついたが、今回は2車線使えるので走りやすい。前から下がって来るランナーを交わしつつ、後ろから来るランナーの影を見て邪魔にならないようまっすぐ走る。500mほど直進した後、鋭角的に曲がってメインストリートに入る。
5kmの20分前に、10マイルがスタートとなる。ゲストランナーは気象予報士の平井さん。トップ3人にゴール前で抜かれた。
八千代のメインストリート・ゆりのき通りを走り、1kmから2kmを通過する。後半部の農協前にかけて長い登り坂だが、トレーニングの甲斐あって息が上がらずに走ることができた。すでに歩き始めたランナーもいて、コースを変えて追い抜いていく。
交通規制で2車線止めて走らせていただけるので、たいへん走りやすい。車の轍でへこんでいる部分を避けて、平らな場所を選んで登って行く。つき当りを右に折れて、今度は新川まで下り坂である。
見覚えのある牛小屋前を下る。下り坂では骨盤を動かして以前より楽に下れるようになったが、それでも遅いので先ほど抜いた人達に再び抜き返される。仕方がない。マイペースで走るしかない。
新川沿いの遊歩道に出ると、あとは平坦な道がゴールの競技場まで続く。だが、ここから道幅が狭くなる。せいぜい2人並ぶくらいなので、抜いたり抜かれたりする時に難儀する。
前方でペースの落ちてきたランナーがいると、早めに右に出てゆっくりと抜く。あせって飛ばすとバテてしまうのだ。そうしていると後方から「先導車が来ます。ランナーは左に寄ってください」のマイク音が聞こえた。おお、10マイルの先頭選手が来たか。
10マイルの優勝タイムはおそらく50分前後。5kmより20分早くスタートしたので、30分でゴールできなければ抜かれることになる。白バイに続いてきた先頭ランナーは、さすがに速かった。
左側に寄らなければならなくなって、前のランナーと同じスピードで走ることになった。競技場までの間、10マイルのランナー3人に抜かれた。「残り500m」のプラカードが出ると、ゴールの競技場が見えてきた。
一番近い4コーナーから入り、逆回りに3コーナー、バックと回って1、2コーナー中間にゴールがある。ゴール直前でタイム表示が見えると34分台だったのでラストスパートと思ったが、アウトコースから飛ばしてくるランナーがいたのであきらめた。
ランナーズチップを外すと、すぐに完走証を発行してくれる。グロスタイムを見ると35分1秒。惜しくも34分台には2秒足りなかった。しかし、ネットタイムは34分42秒で34分台で走ることができた。
白井梨マラソンの35分13秒も自分としては上出来のタイムだったのに、それを上回るタイムで走れたのはうれしい。とはいえ、白井に比べると走りやすくタイムが出やすいコースだったので、喜びすぎるのもよくないだろう。
それよりも、無事に5km走り切れたのがよかった。このところ寒くなって、当日朝も左ヒザがきしんだので念入りに準備体操した。幸い、走り出してからは特に痛むこともなく、完走することができた。
せっかくなので、この冬はランニングを続けることにしている。来春は距離を伸ばして10kmに挑戦する予定で、すでに2つの大会にエントリーしている。
[Dec 9, 2022]
ゴールは競技場の4コーナーから入って、逆回りして1・2コーナー中間がFINISH。変則コースなので予想できなかったのは残念。
あわただしくも満足な年の暮れ ~せいうち日記166
年金が出るまで長く感じた12月だが、出てからはあっという間に年末になった。たいへんあわただしかったが、それなりに充実した年の暮れだった。
奥さんのアドバイスで壊れたリビングのドアノブをDIYで直せることを知り、さっそく手配して4ヶ所のドア部品を交換した。脚立で押さえていたが換気扇を回すと開いてしまったドアがきちんと閉まるようになり、ずいぶん暖かくなった。
ついでに、長いこと気になっていた台所の水栓を換えることにした。値段を見るとピンキリで、手で触れると水(お湯)が出るタイプだと8万円するが、いまと同じグレードだと工事費入れて3万円ほど。これなら何とかなりそうだ。
今年中の工事は一杯ですと言われて、まだ出ますから年明けでも構いませんよと答える。すると、キャンセルが出たらしく27日の午後であればできるという。たまたまその日は用事がない。すぐに予約して年内に工事できることとなった。
ここのホームセンターには宝くじ売場があり、年末ジャンボで長蛇の列ができている。家では、もうずいぶん長いこと宝くじは買っていない。3,000円あれば、それだけで結構豊かな買い物ができるからである。
「ドアと水栓が直るだけで、ずいぶん幸せな気分になるのにね」と奥さんと話す。「私のおかげだよ。こんなにおカネを使わない奥さんはいない」と言われる。私も使わないが、過去を遡ればカシノや海外旅行でおカネを使ったので言わないでおく。
クリスマスの週末に、印西市のご好意による一人5,000円の価格高騰対策費が入金された。これもまたうれしい。さっそく下ろしに行く。(もっとも近くにある取引銀行のATMはホームセンターなのである)
対策費で買うものは考えていて、ジレットの替え刃であった。普通に買うと1枚500円くらいするお高いものだが、同じ5枚刃でも貝印のを買うとひりひりする上に仕上がりがいまひとつである。さすがジレット、ペイトリオッツのホームグラウンドだけのことはある。
そして、対策費を下ろして売場に行ったところが、ジレットの替刃が14枚セット3,980円+税というお値打ち価格である。1枚当たり300円ちょっとである。
おまけにキャンペーン中で、1,000円がキャッキュバックされるという。そうするとさらにお得である。ありがたいことである。14枚あれば、大事に使えば来年の今頃までもつ。
24日には恒例のクリスマス祝い。10年前に買ったレフォール・ド・ラトゥールで乾杯する。25日は有馬記念、26日はNFLを見て過ごし、27日は水栓工事。28日には2022年最後のスポーツジムに行き、29日は10kmロードで走り納めをした。大晦日はここ数年で恒例になった地元の神様へのご挨拶で締めた。
あわただしかったけれど、平和で充実した年の暮れだった。懸案がいくつか片付いて安心できたし、何も悪いことが起きなかったのは何よりのことである。これで満足しなかったらバチが当たる。
[Jan 2, 2023]
印西市のインフレ対策費が出て、その5,000円でジレットの替え刃を買いに行くと、たまたまキャンペーン中で1,000円のキャッシュバックがあるという。すごく得した気分になった。
1月はサーバ移行作業・飲めなくなった話 ~せいうち日記167
今年の冬もまた寒い。去年の冬は千葉県では観測史上最低気温となった観測点もあったくらいだが、今年も史上最大級の寒気とやらで冷え込んでいる。
あまり寒いと山の上はアイスバーンになるので行きたくない。最近は定期的にランニングしているけれども、氷点下では田舎道も凍るので転倒のおそれがある。歳を考えれば、無理をするのはよろしくない。
ということで、家の中で一日過ごすことが多くなっている。幸か不幸か、お名前.comが値上げになるので、レンタルサーバを移すための作業が山のようにある。1ヶ月経っても、まだ半分くらいしかできていない。
(繰り返しになるが、値上げ自体は時節柄やむを得ないが、その前に「レンタルサーバ利用料永久据え置き」などというキャンペーンをやったのが気に入らない。利用料の別にサービス料を取ったら、実質値上げである。詐欺広告と言わざるを得ない。→下図)
以前にWordPressの障害でも同じような作業をしたのでもう懲りた。だからWordPressでなくHTMLのログ打ちに戻してバックアップしている。これなら、手許のパソコンやUSBで完結できる。
それでも、5年分の原稿だから結構な量の移行である。加えて、どこにバックアップを置いたか分からない記事があったり、途中で読み始めて時間を食ったりするから、想定したより多くの時間がかかる。
朝から晩までパソコン作業をしていると、リタイアしたんだか仕事をしているんだか分からない。それでも、それなりのスピードで作業できていると思うから、それほど脳は劣化していないみたいだ。何よりのことである。
他にも、毎日の結露拭きや掃除、洗濯物の取り込みや奥さんがパートの時の夕食担当など、やらなければならない家事がある。あっという間に1日が終わる。
毎朝結露を拭いていると、現役時代はこれをやらなかったから家が傷んでしまったんだと思う。それでも、遅ればせながらやっているから少しは劣化に歯止めがかかっているはずである。
体の手入れにしても同じことだと思う。リタイア後に糖質制限して、体重を15kgほど減らした。糖尿病の薬も減り、ランニングできるくらい体が軽くなった。現役時代からやっていればよかったのだけれど、遅ればせでもいいことであろう。
この間奥さんと飲みながら、全然飲めなくなったねという話になった。「私なんか、ビールをジョッキ5杯なんて軽かったんだから」と言うけれど、奥さんの話は中ジョッキ、私は大ジョッキである。
最近では、日本酒でもワインでも2合を超えて飲むと夜中眠れなくなってつらい。それでも翌日には回復しているから、そのくらいのアルコール摂取量なのだろう。昔からこうしておけば、時間もおカネも有効利用できたと今更ながら思う。
[Feb 1, 2023]
お名前.comは、昨年9月から利用料永久据え置きのキャンペーンを張った。たいへんうるさく感じたのだが、その直後の12月にサービス料新設とは恐れ入った。良識のない会社である。
28年ぶりに10kmマラソン ~せいうち日記168
10月に白井梨マラソン、12月に八千代ロードレースでそれぞれ5kmを走り、まずまずの調子でゴールすることができた。気をよくして、年明けに2つの10kmレースにエントリーした。まず、2月のさかえドラムマラソンである。
白井市と八千代市も隣の自治体だが、栄町もお隣である。お隣どころか、平成の大合併でもともと合併するはずであった。諸般の事情により白井市と栄町が抜け、印西市・本埜村・印旛村の合併となったのである。
コロナで2年間開催がなく、今年3年振りの開催だそうである。第△回というのがないのでいつから始まったか定かでないが、おそらく30年前にはやってなかったと思う。
ともあれ、10kmにエントリーした。10kmの大会を走るのは、平成7年の佐倉朝日マラソン以来28年ぶりになる。八千代の5kmを走った10月から、近場で10kmコースを設定して走り準備した。
28年前の記録は1時間5分だったが、久々の10km試走は1時間25分。20分オーバーである。とはいえ、多くの大会で10kmの制限タイムとなる1時間30分を下回ることができそうだ。
以来週1ペースで10kmを走り、年末には栄町に行って実際のコースを試走してみた。スタート直後に坂があるが、2km過ぎから平坦路が続く走りやすいコースである。1時間20分を切って走ることができた。
次に考えるべきは寒さ対策である。コースは昔の利根川流域で、平坦なのはいいが風が吹き抜ける場所である。開催される2月中旬に雪が降ることもある。アンダーシャツとタイツを着けなくてはならないかもしれないので、その服装で練習した。
ところが、2月は三寒四温。前の週にひどく寒かったのに、大会当日は最高気温19℃と四月並みになるという予報である。朝の最低気温が数日前の最高気温と同じくらいなので、寒さ対策をして行ったら汗みどろになりかねない。
当日の様子をみて、秋と同様にTシャツとランニングパンツで臨むことにした。駐車場から会場まで3km40分ほどかかるので、パーカーとトレーナーを着てレースでは外す。モンベルの小型リュックで背中にしょっていく八千代同様のスタイルである。
10kmのスタートは9時半過ぎ。問診表を30分前までに提出する他は特に受付はない。8時過ぎに河川敷の駐車場に到着。すでに開会式が始まっている時間なのだが、まだ車が入って来る。目の子で200台ほど。1700台の収容台数からすると相当余裕がある。
無料送迎バスで会場へ。会場となる栄町ふれあいセンターはまだ新しいビルディングで、この日はマラソン参加者の専用になる。文化ホールの客席に行くと、すでに多くの席に荷物が置かれていた。こうやって、荷物置きに使うのがデフォルトらしい。
一時預けもあるのだが、私は背中にかついでいくつもりである。そのため、荷物は軽くしてある。準備運動に外に出ると、最初の種目であるハーフマラソンのスタートだった。ふれあいセンター前の道路から、役場前に向かってスタートする。
ハーフの40分後が10kmのスタートである。コースは途中から一緒になるので、かなりのランナーに抜かれることになりそうだ。次の親子1kmまで応援して文化ホールに戻る。ここまで着てきたパーカーとスラックスを脱いで準備する。
この日は暖かくなる予報だったが、意外と外は寒い。しかし、風がないので走るにはグッドコンディションである。スタート地点に戻ると、タイツを履いている人が多い。私はこの日の気温だと、タイツでは汗みどろになってしまうのだ。
隣の栄町の10kmマラソンに挑戦した。ドラムマラソンのドラムとは、栄町のキャラクターである竜の名前だそうです。栄町には竜が落ちてきたという伝説の龍角寺がある。
「栄町人口の1割を超える2千人以上の参加がありました」と放送されているのだが、目の子でそれほどはいない。レース後発表された10kmの参加者を合計すると472名、大体それくらいに見えた。2千数百人は、全レース合計の人数であろう。
申告タイム順に前から並ぶ。もちろん最後尾である。スタートはふれあいセンター前で、片側1車線を2車線分使う。それでも、号砲直後は歩くような速さで、スタート地点を通過するまで2分近くかかった。
役場前を抜け、ファミマの交差点まで登り坂。遅いのはそのせいもあっただろう。そこから1km以上続く直線。抜かれる人が多いが私より遅い人もいるので抜いて行く。前後左右に人がいるので走りにくい。
約2kmで田舎道に入り、ここから1車線である。驚いたのは、向こうからハーフのランナーが来て合流するのだが、40分前にスタートした先頭ランナーがすでにここまで走ってきたのである。
こちらはまだ2kmで15分ほど、あちらは18km以上走って合流なのに、55分でここまで来た計算になる。ハーフの優勝タイムは1時間7分台だから、それくらいになる。結構ハイレベルの戦いなのであった。
マイペースで走っているつもりなのだが、ハーフと混じるとなかなかリズムに乗れない。そして、次は右折なので右にコースを取りたくても、速いランナーが右から来るのでそれもやりにくい。道幅も狭いので何度も後ろを振り返らなければならず、かなり気を使う。
ハーフ組が左折してゴールに向かうと、今度は後ろから勢いよく集団がやってきた。こんな速いのになぜ後ろにいたんだと思ったら、それは10分後にスタートした5km組だった。5kmレースは、田舎道の直線を途中で左折し、スタート地点のふれあいセンターに戻る。
ここでも、速く走ってきたランナーが右側から来て左折するので走りにくい。5km組の左折地点を過ぎ、10kmだけになってようやく落ち着いた。直線道路はまだ続く。
この直線は折り返し前と後で往復走るが、往路で少し登っているらしく試走で少し足首が痛んだ。ただ、この日はそういうこともなく、国道に突き当たる堤防の前が5km、ここで右折してぐるっと回って往路を戻る。
5km以上をレースで走るのは28年ぶりになるが、日頃のトレーニングの甲斐あってさほど疲れてはいない。そして、5kmを過ぎてペースダウンした何人かを交わすことができた。ここを走っているのは10km組だけなので、少しリズムに乗ることができる。
しかし、ほどなく向こうからハーフ組が走ってきて合流となる。こちらは6km弱、あちらは17kmである。ハーフ2時間を切るペースなので、あちらの方がずっと速い。ここからゴールまでコースは一緒なので、どちらのランナーか分からない状況が続いた。
給水所を過ぎ、左折して直線道路の復路。周りに絶えず他のランナーがいるので10km組のどのあたりに位置するのか分からない。前を走るランナーがへろへろだが、それを抜けないということは私もああいうペースで走っているんだろうと思っていた。
開始早々に行われた親子1kmレースのスタート前。「おとうさんは足くじいたりしないでください」とお約束の注意が流される。着ぐるみは栄町のキャラクター・ドラム。
往路で入ってきた曲がり角を通過してさらに直線道路は続く。遠くに見えている王国会館まで走ってその前を曲がらなければならない。しかし、なかなかペースが上がらない。というのは、少し前から腰が少し痛むのだ。
普段走っている坂のあるコースでも痛くないし、同じ服装で背中にリュックを背負って試走した時も腰は痛くなかった。というよりも、残り3kmのこのあたりは一番軽快に走れた場所である。ところが、腰が痛むのである。
たかだか200gくらいしかないはずなのに、この日に限ってリュックに入れているスマホの重さを感じる。水を入れている水筒もあるので、確かに負担である。でも、普段から荷物を背負って練習しているのだ。あるいは、レース前半で何度も前後左右確認した際にひねってしまったか。
5km過ぎで抜けそうに見えたランナーが、ずいぶん前に行ってしまった。さらに右から次々とランナーが来て抜かれる。見た感じは10kmではなくハーフだけれども、10km組に抜き返されたのかもしれない。
私の目標タイムは1時間20分。対してこの時間ここを走っているハーフの面々は2時間前後のタイムと思われ、私の10kmを走るペースより少し速い。だから抜かれるのは仕方がないのだが、精神衛生上楽しくない。
幸い、腰の痛みは違和感程度におさまってきた。ヒザも足首も大丈夫だし、息も切れていない。ラストスパートする余力はないかもしれないが、第一目標の完走は達成確実である。
残り2km、王国会館を右に曲がると、ふれあいセンターに向かうランナーが続くのが見えた。あの集団に続いて走れば、いよいよゴールである。往路で右折した交差点を左折し、ヤックス下の田舎道を走る。
いよいよゴール目前、ふれあいセンター前のたいしたことのない登りがきつかった。止まらずに走るだけで精一杯である。センター前にフィニッシュラインがあり、そこをくぐるとバーコードリーダーでゼッケンをチェックされる。
バーコードリーダーで読むのならチップはいらないような気がするが、数秒の違いを気にする人もいるのだろう。そのまま左に行くと完走証発行所のテントがあり、すぐに完走証を印刷してくれた。
プリントアウトされたタイムは1時間17分43秒。試走を大幅に上回ることはなかったけれど、これはグロスタイムなので、スタート地点を通過するまでの2分弱を勘案すれば1時間15分台。目標タイムの1時間20分からすれば上出来である。
そして、このコースの実測距離は10.4kmなので、正味10kmではさらに2~3分短縮できる。28年前の1時間5分台からすると7~8分の遅れということで、まあそんなものだろう。ともかく、28年ぶりに10kmの大会を完走できたのは何よりのことであった。
ただ、何回も近場で10kmをトレーニングして、本コースも2度試走したにもかからず、この日は夕飯をすますとすぐ眠くなるくらい疲れた。どうやら、距離以上に他人に交じって走ることで疲れたようである。
[Feb 23, 2023]
スタートからゴールまで道路というのは今回が初めて。そのせいか、レース後半で腰が痛くなった。
今シーズン締め・佐倉マラソン ~せいうち日記169
佐倉マラソンは、老舗の市民マラソンである。現在は小出義雄メモリアル佐倉マラソンというタイトルであるが、かつては佐倉朝日健康マラソンという名前だった。
市民ランナーが42.195kmを走れる大会は当時数少なかった。さすがにフルマラソンは無理なので10kmに参加したのだが、種目は当時もフルと10kmしかなかった。岩名運動公園をスタートし、京成佐倉から大佐倉、印旛沼干拓地を走るコースも変わらない。
白井梨マラソンを走った後、春の佐倉マラソンを目標にしようと決めていた。その準備段階として、12月に八千代ロードレース、2月にさかえマラソンを走った。ともに晴天にも恵まれ、完走することができた。
そして、今シーズンの締めとなる佐倉マラソンを迎える。この大会の後はしばらくシーズンオフにして、ランニングはひと休みしようと考えている。
さかえマラソンで10kmを走り切ることができたが、気になったのは腰の痛みである。リュックにスマホを入れるのはやめて、カシオのスポーツウォッチを買った。普及品でストップウォッチと万歩計くらいしか機能はないが、40gくらいですごく軽い。今回はこれで試すことにした。
中間(w)のトレーニングは距離を短めに、少しだけペースを上げて走る練習をした。その甲斐あって、練習コースのタイムは1~2分よくなった。28年前の1時間5分は無理だとしても、さかえマラソンの1時間17分は上回りたい。
とはいえ、第一目標は完走である。主催者発表で2,500人という大人数のレースだし、数百人のレースでも周囲に人がいるのは苦手なのである。混乱しないよう気をつけなければならない。
もうひとつ注意しなければならなかったのは、3月に入って急に暖かくなったことである。
春だから暖かくなるのはいいけれど、いきなり季節外れの暑さで5月並みの陽気だと言っていた。冬の服装からいきなり夏のウェアに代えて練習しなければならなかったし、きちんと水分を摂らないと熱中症や脱水症状を起こしかねない。
加えて、大会3~4日前から雨が続いた。考えてみれば、ランニング復活以来の大会はすべて好天だったし、昔出た大会も雨だった記憶はない。確率的にいずれありうる事態だとしても、シーズン最後に雨にならなくてもいいじゃないかとは思う。
大会当日の3月26日、予報は雨。天気図では前線が停滞して梅雨みたいである。コンディションとしてはあまり好ましいとはいえない。桜はすでに満開で寒くなることはないにせよ、晴れと同じ服装では走れない。
今回はリュックなしで走るつもりだったが、直前まで必要となる傘とポンチョがあるので着けて走ることにした。着替えは防水バックに入れて手荷物預けに預ける。会場入りもできるだけ遅くして、待機時間を短くしなければならない。
奥さんに車で運動公園の近くまで送ってもらう。岩名運動公園に入るコンビニの先は規制されているので、送り迎えの車で混雑している。ここから検温ブースのある駐車場まで、15分ほど歩かなければならない。
4年ぶりの開催となった佐倉マラソン。ポスターは絶好のコンディションだが、当日はあいにくの雨。それも4日前から降り続く長雨だった。
ちょうど検温ブースを出た頃フルマラソンがスタートとなった。車道には選手の長い列が続く。観客の傘で狭くなった歩道を登って競技場に向かう。
荷物預けは球場(長嶋茂雄記念球場だそうだ)の外野部分に作られた仮設テント。事前に配られた荷札を付けてゼッケン下1桁のテントに置く。預けるというより、勝手に置くだけである。そこから陸上競技場まで数百m歩く。一番いい場所は、売店が占拠している。
陸上競技場にも雨宿りできる場所がなく、スタンドではブラスバンドが大音量で落ち着けない。裏の小学校に行く。水浸しの校庭におびただしい数の仮設トイレがあるが、あまり人はいない。4、5人が、足を濡らさないように苦心してトイレまで歩いていた。
教室脇のひさしの下で雨宿りし、ついでに準備体操。スタート10分前までいて、それから陸上競技場に向かう。1、2コーナー中間がスタートで、3コーナーあたりまで並んでいる。もちろん、一番後ろに並ぶ。雨が本降りになってきたとアナウンスで言っている。
小中学生3kmのスターターであった熊谷千葉県知事が10kmに参加しているということだが、若いとはいえこの雨では大変である。練習だってそれほど頻繁にできてないだろう。
ぎりぎりまで待機していただけあって、それほど待つこともなく号砲が鳴った。スタート地点を越えるまで2分ほどかかったが、2分で済んだということは2千5百人も走ってなかったのだろう(リザルトを見ると、1,803人だったようだ)。
走り出してしまえばゴールまで走るだけである。今回もこれまでと同様、事前にコースを試走した。28年前の記憶はあまり残っていなかったが、印旛沼干拓地に来ると学生さんが大勢走っていて、後ろを付いて走っていたら競技場に戻れた。
最後の急坂が厳しかったので、1週間前にもう一度競技場周辺を走った。とはいえ、雨の日の練習などしていない。小雨がばらついた程度で、わざわざ本降りの中を練習することはないのだ。
スタートしてすぐに下り、競技場を出ると登りである。京成佐倉駅のすぐ近くまで登り、そこから急坂を下る。前半は控えめに走るつもりだったし、前後に人がいるのでそれほどスピードは出ない。
それでも、2km地点でストップウォッチを見ると15分台だった。グロスで15分台ならたいしたもので、むしろハイペースである。これなら目標のネットタイム1時間15分は達成できそうだと思いながら走っていた。
京成佐倉を越えると佐倉カントリーの外周道路。ここからは道が狭く、路面状況も悪くなった。道の両端は水たまりで、車の轍にも水が入って走りづらい。そして、周囲に人がいるので進路を急に変えられない。このあたりで、シューズに水が入った。
シューズには防水スプレーを噴霧してきたけれど、もともとメッシュなので水たまりに入ればひとたまりもない。ソックスが濡れた不愉快な感触が広がる。仕方がない。がまんして走るしかない。
会場に着くと、ちょうどマラソンがスタートしたところだった。まだ雨は小降りだが、すぐ本降りになった。後からマラソンコースを歩いたら何ヶ所も冠水していた。
アップダウンのある田舎道を走り、坂を下りたところが給水所。脱水するといけないので、水のコップを取り一口。前を走るおばさんが急に止まって飲むのでぶつかりそうになる。そのすぐ後、イヤホンを外して転がすおねえさんに躓きそうになる。
幸い特に異常もなく干拓地に入る。ここまでのラップタイムは45分台で試走の44分台より遅いが、スタートの2分遅れを勘案すれば1分早くここまで走ったことになる。試走は75分で完走したので、ペースを上げれば目標タイムが達成できそうだ。
ところが、ここから足が動かなくなった。平坦な干拓地はスピードが出せる場所だし、だんだん周囲に人がいなくなって走りやすいにもかかわらず、なかなか進まない。変だなと思う。8kmでストップウォッチを見ると、すでに1時間を超えている。
前半抑えて後半スパートする予定が、前半の貯金を後半食いつぶす予想外の展開である。沿道の人が「まだまだ(ランナーが)続くね」と言っているのを聞くと、びっくりするほど遅れてはいないようだが。
太鼓の音や大音量のアナウンスが聞こえて、競技場が近づいてきた。最後の登り坂である。先ほどから歩いたり走ったりを繰り返している男女を抜き、練習でも苦しんだ急坂をなんとか止まらずにやり過ごす。そして競技場に入った。
ゴール前にはタイム掲示板があって、競技場に入った段階で1時間19分台だった。ゴールは手許のストップウォッチで1時間19分24秒。翌日upした完走証によるとネットタイムは1時間17分33秒で、目標の1時間15分台に全然届かなかった。
なんでこんなに遅いんだろう。やっぱり雨かなと思いながら、野球場に荷物を取りに行き、下がびしょぬれの仮設テント更衣室で着替えていて気がついた。
ウェアも、ランニングパンツも、タイツもリュックも水を含んで恐ろしく重くなっていた。さかえマラソンのスマホの比ではなく、おそらく水を2kg以上含んでいたのではないだろうか。
これでは両手に牛乳1㍑持っているようなもので、ラストスパートがきかなかったのも道理である。なるべく水を含まないよう綿でなく100%ポリエステルにしたのに、降り続く大雨の前にはほとんど意味はないのであった。
その夜、足腰が非常に痛んだ。練習でも本番でも、これまでなかったことである。夜中にバンテリンを塗って、ロキソニンも飲まなければならなかった。山登りでもしばらくこんなことはなかった。
してみると、本来この日の条件では走ってはいけなかったのだろう。運営上も、大雨なのに待機する場所もなく、スタンドではブラスバンドが大騒ぎ、激混みの更衣室は水浸しでひどい大会だと思ったのだが、それも含めて出るべきではなかったということである。
28年前は印象がよく、それでシーズン締めに選んだのだが、いいものがずっといいとは限らない。そのことが分かっただけでも、来シーズンの日程を考える上で意義があったと思うべきかもしれない。
[Mar 29, 2023]
10kmのスタート前。登録の二千数百人より若干減ったように見えたが、それでもスタートラインを越えるまで2分かかった。
66歳になった ~せいうち日記170
4月8日、今日で66歳である。
この歳になると誕生日だからどうという訳ではないけれども、65歳になってから1年は経済的に厳しかったと改めて思う。リタイアして以来、65歳になれば楽になると思ってやってきたから、余計にそう感じる。
予定では、65歳で年金を満額もらえれば家計は黒字になるはずだったが、公共料金はじめ生活費が増加してそれどころではなくなった。対して税金は減らず保険料は増えたので、よく言われる「往復ビンタ」である。
いまや学校の部活も世間の目が光っているので、往復ビンタなどそう簡単にできないだろうが、経済的な往復ビンタは誰もダメ出ししない。新聞もTVも何も言わないし、フランスやドイツと違っていまの日本でストなど起こらない。
66歳になったから解決する訳でもないだろうが、インフレ率ほどではないにせよ年金支給額が上がるようだし、あるおカネでやっていくしかない。そうやっている間に、いつか当たり籤を引くだろう。(私は宝くじは買わないので、当たり籤とはお迎えのことである)
とはいえ、心配といえばおカネの心配だけで、自分も家族も体の心配をしなくて済むのはありがたいことである。
今年に入ってからも、私とあまり歳の違わない著名人が何人か亡くなっている。生死にかかわらないまでも、体のどこかに不調をかかえる人は少なくないだろう。いまのところそういう心配がないのは、何よりのことである。
ふってわいたコロナのおかげで、おカネがあってもやりたいことができなくなるという事態が現実になった。コロナは自分以外の病気だが、自分自身の健康上の理由で自由に動けなくなる事態は、かなりの確率ですぐ近くに迫っている。
その意味で、アーリーリタイアでストレスの多い職場から逃れられたことは、健康維持にかなり寄与しているはずである。
アーリーリタイアしていなければ、早晩ストレスで心身に不調が出ていた可能性が大だし、糖質制限もランニングも始めなかっただろう。そのおかげで、糖尿の薬も減って体調面での懸念はほとんどない。
誕生日前に奥さんが、「お誕生祝い。これで肉でも買ってらっしゃい」と1万円くれた。奥さんはパート収入があるので私よりお金持ちなのである。せっかくなので、年末以来久々に藤井肉店に行った。
誕生日の夕食は、エノテカのワインセラーに置いてあったワインと、藤井肉店のローストビーフとスネ肉シチューでお祝いする予定である。量も飲めなくなったし食べられなくなったけれど、経済的だしきっと体にもいいに違いない。
[Apr 8, 2023]
糖質制限とランニングのおかげで、最近の血圧は110-70くらいで推移している。おカネには不自由しているが、健康に誕生日を迎えられたのはありがたいことである。