なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。
追悼島田信広 広木幸生引退を惜しむ 鍾乳洞事故にみるアニミズム
黒字になるはずがない新銀行東京 法華経に関する考察
TVの信憑性について
一昨日の土曜日はちょっと雪がちらついたほど寒い日だったが、昨日はそれほど冷え込むことはなく、風もなく冬にしてはいい日和だったので、奥さんと村を散歩した。この散歩コースというのは住宅地から道路を挟んで市街化調整区域に入ると、5分も歩かないうちに40年前の日本にタイムスリップしてしまうというすぐれもので、心身のリフレッシュにたびたび訪れるところなのである。
地方競馬のファンの方なら大井競馬場の小林分場というとお分かりいただけると思うが、その小林牧場の西側に広がる田園地帯である。このあたり、昔は幹線道路以外ほとんどの道が大型車通行禁止で、いまでも農道と区別のつかないような細い道が多いのだが、その分お散歩には好都合である。
ゆっくり歩いて1時間半。偶然、赤ちゃんを連れて散歩していた植木屋さんのご主人(ご両親がこのあたりの農家)とお会いしてお話ししたり、道路工事のために田んぼや雑木林がつぶされているのをタヌキやウサギに代わって嘆いたりして、しっかり「老夫婦」したのでした。
「老夫婦」といえば先週もやはり奥さんと買い物に行ったのだが、納豆が全くない。そういえば新聞に、TVで健康増進だかダイエットだかに納豆が効くと放送したら、とたんに納豆が品切れになってしまったらしい。
私はテレビの言うことや新聞・雑誌の書くことは話半分にしか聞かないけれども、うちの奥さんのように亭主の言うことよりTVの言うことの方を信用する人は世の中に多いから、時々こういうことがある。以前みのもんたの一言で、ココアやマシュマロが品切れになったことがあった。
今度は納豆かと思っていたら、なんともともと放送した「あるある大辞典」のデータがみんな嘘で、この番組は昨日から休止になってしまった。でも考えてみれば、確かに公共の電波を使ってインチキなデータを流すことはよくないけれども、納豆が健康にいいことは間違いないし、そんなに目くじらをたてるほどのことかな、と思う。
教育テレビではまずいかもしれないが、「あるある」はしょせん娯楽番組である。ドラマを見ていて「こんな医者はいない!」などとがんばるのと同様、大人気ないような気がする。
歴史や文化の分野においてはさまざまの見方があるのに、NHKでもその一方の見方だけでよく不正確なことを言っていることからみても、TVで言うことが正しいなどと思い込むのは危険である。TVや新聞・雑誌、そしてそもそも他人の意見などというものは参考にすぎないのであって、自分の行動を律するのは自分の判断であるべきだと思う。
納豆を食べて体調がいいという人は食べ続ければいいし、おいしくない割りに効果がないという人はやめればいい。その意味で、今回のケースはひとつの教訓ととらえるべきだと思う。
[Jan 22, 2007]
お散歩コース。雑草がちょっと青いのは、12月に撮った写真だからです。
年金問題とちょこっとカシノ解禁の話
毎日、年金の加入記録漏れの報道でうるさいくらいである。しかし、これで肝心要の問題の議論が後回しになっているということに、気がついていない人の方が多いような気がする。それどころか、そのあたりを気付かせないために官僚と議員とマスコミが一緒になってカモフラージュをやっているのではないかなどと勘繰ったりしてしまう。
年金の構造を分解すると、例えば私が40年間サラリーマンをやって積み立てたおカネを、65歳以降年金として受け取るというものではない。そうであれば年金の加入記録は銀行預金の入金記録と同じだから、記録漏れがあれば大変なことで何やってるんだということになるのだが、実はそうではない。
じゃあどうなんだというと、その年度(例えば平成19年度)に「年金保険料」として集めたおカネを、その年度の受給資格者に「年金」として配ってしまうというものなのである。だから国にとって重要なのは「年金保険料を集めること」であって、「それを正しく記録しておく」ことは二の次なのであった。
年金制度ができた当時、年金受給者(老齢者)は圧倒的に少なく、集めた年金保険料から年金支払額を差し引いてもかなりの金額が残った。だから、最初に年金法ができる時に、国会議員の先生方には「この余ったおカネを土地とか施設(後のグリーンピアですね)で運用することにすれば、地元対策になるんじゃないですか?道路とかも作りやすくなるし」と説明しただろうし、官僚の上の方には、「年金資金を運用する機関を作ればOBの天下り先が増えますよ。退職金も車も飲み代も使い放題、秘書でも雇えばセクハラのし放題ですぜ・・・」なんて根回しがあったことは間違いない。
もともと「お年寄りが老後の不安なく暮らせる世の中を作りたい」「日本を北欧並みの福祉先進国家にしたい」という崇高な理想があったことは間違いないけれど、法律・制度を作るということはおそらくそういうことで、きれい事ですべて片付くことはほとんどない。介護保険だって同じだ。大体ジュリアナ東京がまともな老人福祉をしないことくらい、最初からみんな分かっていたことじゃないか。
いま、企業の厚生年金基金という機関が続々とつぶれている。ここでは、一般の厚生年金より上乗せの年金を支給できますよという約束になっていたのだが、その約束はみんな反故にされた。でも、もともと支払った年金保険料の半分以上が会社負担だから、大騒ぎになっていないだけである。この厚生年金基金がなぜつぶれたのか。バブルがはじけて運用がうまくいかなくなったからだとみんな思っているのだが、実は違う(正確にはそれもあるのだが、もっと大きい要因がある)。
それは、年金保険料より、支払年金額の方が大きくなっているからである。年金受給者は毎年確実に増えていくのに、リストラやら正社員以外の就労者が増えたために年金保険料は増えないどころか減っている。だからどんどん過去の蓄積分を取り崩して収拾がつかない状態になっているのであった。そしてそれは、実は企業の厚生年金基金だけの問題ではない。
2万円以下の掛け金で6万円以上の割戻しなんて、ちゃんと運用したとしてもかなり無理がある。ところが運用はグリーンピアや塩漬け株で収益があがらない。長期国債の利率は雀の涙。その上誰もまともに年金保険料は払わない、年寄りだけが律儀に年金を受け取りに来る。しばらくは差額を消費税とかで埋めてごまかすんだろうけど、すでに制度として破綻しているということは、目に見えているのだ。6万円じゃなくて6万5千円もらえるはずじゃないかとかそういうレベルじゃなくて、6万円自体が危ないのである。
それでもお国を信じるかどうかは人それぞれ。どうやって身を守るか守らないかも人それぞれだが、ここからカジノ解禁への一つの方法が示唆される。どうやって、国会議員や官僚の上の方に利益誘導するかということである。議員さんには地元対策とか箱モノとかなんだろうけど、官僚にはやっぱ天下り先なのだろうか。そんなことしなくても、まともに議論して外国並みにしてほしいとは思うけれど、なかなかそこらへんは難しいような気がする。
[Jun 18, 2007]
中国の経済成長と地球温暖化について考える
この間マカオに行った時、広州国際空港から珠海を経由して現地入りしたのだが、その際バスから見ていて驚いたのは、広州でも、珠海でも、経済成長により高層マンションがどんどん建設されていたことである。あちらは地震が少ないので、例の竹の足場で30階建て40階建てのマンションなど平気で作ってしまう。そして、そのそれぞれの窓の外には、エアコンの室外機が備え付けられているのである。
それを見て思い出したのは、昔住んでいた総武線沿線のマンションである。ここは、総戸数が約500あって当時としては大規模な分譲マンションだったが、造りが古くて、12棟ある建物のそれぞれに最大アンペア数の制約があった。だから、各家庭のアンペアも最大40Aまでという管理組合の規則があるのだけれど、たかだか40Aだから各部屋(標準で3LDK)にエアコンを付けるとすればこれでは足りない。
だからそういう人はこっそり東京電力に電話して50Aとか60Aに上げてしまうのだが、みんながそれをやった日には棟全体のブレーカーが飛んでしまうので、そういうことを見つけると下げろといいに行くのが管理組合の役員の仕事だったのである。実はくじ引きで役員に当たってそういう仕事があまりにも嫌なので年度途中で引っ越してしまったのであった(他にも滞納者の対応とか管理会社とのやりとりとか、修繕とかいろいろ)。
その時思ったのは、仮にも分譲マンションである以上、各部屋にエアコンを付ける自由くらいあっていいはずであるし、それぞれの家に事情があるのだから、一律に40Aなんて決めてもできないという家だってあるかもしれない(3世代で住んでたらどうするとか)。そして最初の購入者はそれを納得していたとしても、半分以上の家が売って引っ越しているのだから、後から来た奴が偉そうに言うななどと思っていては、納得は得られないだろうということであった。
そういうことが、地球温暖化についても言えるのではないだろうか。いま、発展途上国とされている国々の多くは「暑い」地域にある。そして今まではエアコンもなく過ごしてきたのだけれど、経済成長すれば当然快適な生活がしたいだろう。だとすれば、雨風にびくともしない頑丈な気密性のある家に住んではいけないだとか、住んでもいいけれどエアコンをつけるななどということが、誰が何の権利があって言えるのか、ということである。
みんながエアコンをつければ、いまのところ化石燃料(石炭・石油)を燃やして電気を作らなくてはならず、それは二酸化炭素の排出を経て地球温暖化を進めざるを得ない。地球温暖化を防止しようということは、経済成長しつつある人々に対して、快適な生活を送るなということを意味する。みんなで知恵を出し合ってとかいうきれい事が日本人は大好きだが、みんなで考えてもどうしようもないことはある。
わたし的には、それを止めることができるのは市場しかないと考えている。化石燃料や電力の値段が大幅に値上りして、食べるものと快適な生活と両方は選べないということにならない限り、二酸化炭素の排出量は下がらないものと思われる。
[Oct 9, 2007]
追悼 島田信広
「オートの鉄人」と呼ばれ、私のホームグラウンドである船橋オートで一時代を築いた島田信広元選手が先週食道ガンのため亡くなった。享年57歳。選手時代の登録地は長野だったが、うちの近所の成田赤十字病院ということである。
同い年の飯塚将光(選手デビューは島田より2年早い)が20代から大活躍し、それまで最強だった川口から船橋へと「オート界最強」の座を奪った。その頃、島田は一流の下の方、そこそこ強いのだが全国区になると今一歩実績が上がらないという選手だった。さらに6年後輩になる岩田行雄が頭角を現し、次の時代は岩田とみられていた昭和60年代、なんとそろそろ40歳になろうとする島田の躍進が始まったのである。
他の競技と同様、オートレースも強い選手は若い時から強い。もちろんオートバイに乗って行うレースだから年齢による実力の低下は目に見えるほどではないが、それでも一瞬の判断や反射神経の衰え、落車によるダメージや振動による体力の低下の影響など、普通は30代の半ばを過ぎると成績は下がってくるのが普通である。実際、同い年の飯塚はその時期から下り坂にさしかかっていた。
しかし島田は、この時期から再上昇し全国区の選手に成長したのである。活躍し始めた時期は、なんと12年後輩になる片平巧と重なる。20代半ば、まさに伸び盛りの片平と、本来なら「昔は強かった」と言われるはずの40代島田が、オート界のトップを争った。オートレース界の最高峰であるスーパースター王座決定戦で、平成2年から島田が5連覇、7年から片平が4連覇と、約10年間、オート界はこの二人を中心に回ったのである。
ちょうど私がオートレースに足繁く通うようになった時期、船橋オートはこの二人がしのぎを削っていた。普通開催で、それこそ気が向いた時に行ってもオートレースの最強メンバーが見られるのだから、全国一オートレースをやるのに恵まれていたといえるだろう。また、大レースで浜松、山陽、飯塚に遠征しても、この二人をはじめ船橋の選手を中心に買っていればいいのだから、予想が非常に楽であった。
島田に話を戻すと、彼のレースの特徴は苦手な部分がないということであった。これは、長らく一流の下あたりで積んできた経験が生きていたと思うが、タイムが早い上に差すのが巧く、晴でも強いのに雨だとさらに強い。
オートレースは1周500メートルのコースを平均時速約100kmで回るのだが、200mもない直線を時速150kmくらいで飛ばし、急減速してコーナーを回らなければならない。その際、インコースを回れば前の車を抜きやすいかわりにコーナーがきついのでスピードが出しにくいし、アウトコースを回ればスピードは出しやすいけれどもインに入られるので抜かれやすい。だから、一流選手でも得意不得意があり、例えば片平、岩田はイン、飯塚、高橋貢(伊勢崎)はアウトが得意なコースである。しかし、島田はその両方が得意なのであった。
また、雨が降ってコースが濡れると当然滑りやすくなるので、40mとか50m後ろからスタートしなければならない一流選手は(オートレースは距離のハンデがある)雨になるとなかなか上位には来れない。前を抜くためにはできるだけインコースに入るべきなのだが、晴れの時よりやや外よりにコースをとらなければ滑ってしまうからである。しかし島田は、雨でもイン・アウトをうまく使って、気がついてみると先頭に立っていた。
なつかしく思うのは、いまや若手というより中堅選手となった池田政和(船橋)や浦田伸輔(飯塚)が売り出し中の頃、予選レースは大差でぶっ千切って勝ち進んでくるのに、準決勝あたりで島田と当たると何十メートルと開いている差をあっという間に詰められて、残り2周くらいで抜かれて逆に大差をつけられてゴールというレースを何回もみたことである(これが片平だと、残り半周でちょうどつかまえる)。
いまやオート界最強は片平から高橋、池田時代を経て平成11年デビューの田中茂(飯塚)が席捲している。一方で、飯塚将光をはじめ、小林啓二、篠崎実、阿部光男(先日亡くなったノリックのお父さん)、鈴木章夫といった島田と同年代ないし上の選手が走っているのをみると、まだまだやりたかったことがあったに違いないと思う。謹んで、ご冥福をお祈りしたい。
[Oct 22, 2007]
人間魚雷 広木幸生引退を惜しむ
先週の島田信広死去に続き、オートファンには寂しいニュース。川口所属で元SMAPの森且行がデビューするまでカリスマ的な人気を誇った「人間魚雷」こと広木幸生選手が先週ひっそりと引退した。まだ37歳であった。
若井、森の25期コンビ(97年デビュー)がデビューする前、川口オートは日本一の売上と日本一のスタンドで日本最弱の選手が走るオートレース場となっていた。
かつて川口四天王と呼ばれた広瀬、篠崎、且元、阿部は全国最強の地位を譲り渡して久しく、牛沢や掛川といった若手は川口同士ではそこそこがんばるのだが他地区の選手とぶつかると軽くころがされた。その中で、ただ一人といってもいい光るレースをみせていたのが広木幸生なのである。
広木のレースはその戦闘力に最大の特徴がありまた魅力があった。オートレースは1周500mの楕円形コースを平均時速100km/h以上で走るのだが、高速・小回りで8車が競走する訳だから非常に危険である。だから、原則として前の車を抜く時は「外から」抜かなければならないと決められている。
もちろん、外を回るということはそれだけ走る距離が長くなるということだから、多くの場合はインから抜く。その場合のルールは「十分な間隔がある場合に限り内側から抜くことができる」となっている。
「十分な間隔」とは何cmのことをいうのか?実は、そんな決めはない。このルールの解釈は、「インコースから抜いて、抜かれた選手が転倒したり大きく飛ばされたりしたらアウト、そうでなければセーフ」ということなのである。
さて、広木は強いから他の選手より後ろからスタートする。前の選手を抜かない限り、彼から車券を買っているファンは損をする。その場合、十分な間隔があろうがなかろうが、前の選手のインコースに突っ込んでいくのが広木なのであった。
これを称して、常連ファンの間では彼のことを「人間魚雷」と呼んでいた。十分な間隔がなくても飛び込んでいくものだから、まるで前の選手を狙ってぶつかっていくように見える。また、この人間魚雷はよく命中して前の車を落車させた。
落車させると反則失格となり、完走しても賞金はもらえないし車券の対象とはならない。ただ、どうしてそんなに落車が多いのかというと、川口の選手の多くは下手くそなので、後の気配を察してうまくよけるということができないということもあった。
こうしたレースは選手同士や主催者には大層嫌われて、何度も長期のあっせん停止(出場停止)処分を受けてしまったが、彼のファンは多かった。なぜかというと、おカネを賭けている側からすれば、抜けそうにないからといっておとなしく後ろを回っている選手より、なんとか車券の対象である2着以上になろうと必死になる選手の方が、たとえ外れてもあきらめがつくからである。かなりジャニーズ的なルックスなので、女性ファンも多かった。
わたしの経験で言うと、当時川口の選手で川口以外を走る時に買うことのできる選手は、広木だけであった。実際、山陽オート(山口県にある)に遠征したときに、よく広木から穴車券をとらせてもらった。おそらく、船橋とか山陽とかに配属されていたとすれば、もう少し成績も上がったし、こんなに早く引退しなくてもよかったのではないかと思われる(そう簡単に転倒する選手はいないので)。
そういえば、誰だったかオートレース中継によく出てくるゲストが(”ラブレター・フロム・カナダ“平尾昌晃だったかもしれない)が片平のことを「かたしらくん」、広木のことを「しろきくん」とよく言っていたことを思い出す(「しさかどくん」という選手もいる)。私の古きよきオートレース時代の選手が次々と去ってしまうのは非常に寂しい。心から引退を惜しむものである。
ありし日の広木(2001年オートレース選手名鑑より)。川口オートに、熱狂的なファンが多くいた。
[Oct 29, 2007]
鍾乳洞事故にみるアニミズム
今年に入ってあまり興味を引くニュースはないのだが、その中で個人的に一番関心があったのは(ほとんど報道されないのだが)鍾乳洞で大学生が行方不明となったというニュースである。
岡山県にある巨大鍾乳洞、日咩坂鍾乳穴(ひめさか・かなちあな)の最奥部にある地底湖で、今月5日高知大の探検部員が行方不明になり、知らせを受けた岡山県警の機動隊やボランティアが捜索したものの発見されず、二次災害の危険が大きいことから捜査が打ち切りになったという。
国立大学のサークル活動に大学側の管理が入っていたということは考えづらいので、おそらく「学生の自主性を尊重する」という誰も反対できない建前のもとに、学生さんたちが「おきらくごくらく」気分で十分な装備や事前準備なしに危険地帯に踏み込み、予期しないアクシデントに適切に対応できなかった、ということがこの事故の根本にあったと考えられる。
そして、この部(学術探検部)の部長も副部長も女性、当日地底湖を探検したリーダーも女性だったらしい。この鍾乳洞はかなり危険な場所がある(だから捜索が打ち切られた)ということだから、もちろん彼女らも何度かは行った経験があったのだろうが、女性がリーダーという一事をとってみても、彼らが危険性を甘く見ていたということをうかがい知ることができる。
アクシデントに直面したとき求められるのは体力と決断力、そして瞬発力(火事場のバカ力というやつ)である。こういうものは男が体の構造として多く持っている。そして、「危ない場所に女性を近づけない」というのは、おそらく男尊女卑とかそういうことではなくて、霊長類には合理的な考え方のはずである(女より男の方がスペアがきくので。一方で、「危ないことをする」のは女性と子供というのが相場)。
とはいえ、私が言いたいのはそのことではない。この種の事故はあまり聞かないとはいっても全くないわけではなく、例えば1992年の風船おじさん、1987年の忍野八海におけるテレビ朝日クルーの事故、さらにさかのぼると1960年代の龍泉洞の事故などがある。
おそらくニュースにはならないだけで、昔からこういう事故はあったのではないかと思う。そして、科学だ技術だと言っても日本人の根本にある考え方の仕組みというのは縄文時代から今日まで変わらないという説があるが、これはかなり説得力がある。高い山があれば上りたいし、深い穴があれば奥まで行ってみたいと思うのは、おそらく個人の好みというよりも遺伝子のようにインプットされた考え方の仕組みなのである。
調べたところによると、日咩坂鍾乳穴の探検隊には「地底湖の一番奥まで泳いで行き、そこの壁をさわって来る」という慣例があって(ここの大学だけではなく)、そのため行方不明の男性は一人で地底湖を泳いだということである。風呂だって洗濯機だって、水位が低いと水流が激しく吸い込まれやすい。この時期は地下の水量が少なく(多ければ途中の穴が水でふさがってしまい奥まで進めないらしい)、そのため地底湖の水位も低く、危険が増したのではないかと考えられる。
それにしても、「一番奥まで行ってさわってくる」という行為は、そんな危ないことするなよという感じなのだがなんとなく分かる。これを読んでいる方も、そんな気がしませんか?その「なんとなく分かる」というところが上に述べた「日本人の根本にある考え方の仕組み」なのである。そしてそのことは、アニミズム(自然物崇拝)と深く関わっているのではないか。
山陽新聞ニュース。リンクが切れてしまったので、画面コピー(非営利の個人ブログなので、見逃してやってください)。
昨日は日咩坂鍾乳穴(ひめさか・かなちあな)の事故について、「地底湖の奥まで泳いで行き、そこの壁をさわってくる」という慣例があって、それが事故に結びついた可能性の大きいこと、そしてその行為そのものがまさにアニミズム(自然物崇拝)であることまで書いた。
アニミズムとは何かというと、現代の宗教、仏教とかキリスト教とか、そういうものが登場する以前、原始時代から人類に備わっていた3つの宗教的な概念(考え方)のうちの一つで、他の二つはトーテミズムとシャーマニズムである。
このうち最も分かりやすいのがシャーマニズムで、「神がかり崇拝」と言えるかもしれない。神がかり状態になって神託や予言を行う巫女、予(預)言者、霊媒、呪術師、聖者などを信仰するというもので、古くは卑弥呼がそうだし、キリストや釈迦もシャーマンである。現代でいえば、細木数子や江原啓之が本当に目に見えないものが見えると思っている人がいるとすれば、シャーマニズムということになる。
次にトーテミズムとは、「祖霊崇拝」とでも言うべきもので、自らの守り神として、祖先や特定の動物、それらの合わさった精霊的なものを崇拝する。アメリカ・インディアンのトーテムポールがあまりにも有名だが、墓石だって卒塔婆だって盆飾りだって、りっぱなトーテミズムだ。人が亡くなったらお墓を建てるのは当然と思いがちだが、他の国や他の時代を調べると、そんなことはないということが分かる。
これら二つの原始的な宗教概念は今日でも形を変えて残っているが、アニミズムはあまり表面に出てこない。なぜかというと、かつて人類が恐れ敬った太陽や山、雷といった自然物が科学の発達により全く不思議なものではない、ということになったからである。しかし、それらがかつて崇拝され信仰の対象となったことは確かである。例えば浅間神社はもともと富士山信仰だし、出羽三山神社(月山・羽黒山・湯殿山)や箱根神社(箱根山)もそう、伊勢神宮の天照大御神も太陽信仰である。
昔の話だが、日本中どこの山に登っても、それがどんなに無名の山であっても、頂上には必ず誰かがいる、と言われていた。山登りをされた方にはお分かりいただけると思うが、山頂は必ずしも展望が開けているという訳ではない。それでも山登りする以上は山頂に行かなければならないというのは、アニミズム以外の何物でもない。
同様に、危なければそこまで行かなければいいものを、一番奥まで行かなければ探検したことにならないと思ってしまったのも、日本人の心の奥底に眠るアニミズムの衝動だったのではないだろうか。そうしてみると、現代にも原始時代からの宗教概念が残っている、つまり縄文時代から考え方の仕組みは変わらないという説はかなり説得力を持つということになる。
ちなみに、この鍾乳洞はそのまま日咩坂鍾乳穴神社(ひめさか・かなちあな・じんじゃ)のご神体であり、ここが古くから神の住処として崇拝されてきたことを示している。神の住処とされた理由の一つとして、ずっと昔からここに入り込んで出て来なかった人がたくさんいるんだろうと思う。
今回のニュースを読んで、そういうずっと昔のことを想像すると、なんだか不思議な気がする。
[Jan 30, 2008]
黒字になるはずがない新銀行東京
首都圏以外ではどの程度報道されているかよく分からないが、新銀行東京が大騒ぎである。現時点で累積赤字が1000億円を超え、とりあえず緊急支援として400億円が必要ということで、東京都としてはこのまま支援を続けるか、それともこの際つぶしてしまった方がいいのか、という話である。
このことについて驚くのは、どうやら東京都と石原都知事は、新銀行東京がちゃんと軌道に乗ると本気で考えていたらしいということである。何人かの識者が述べているように、この銀行が都の支援なしで独り立ちできる可能性は最初からほとんどゼロだったのだから、この事態を想定してなんらかの準備をしていないというのは信じがたいことである。
私自身社会人生活の最初1/3は銀行員として過ごしたので、新銀行東京の経営が立ち行かないことについてある程度の「土地勘」はある。そこで、なぜそう断言できるのかについて述べてみることにしたい。
なお、新銀行の構想そのものは石原都知事の再選時の公約であり、このこと自体ある筋からの強力なプッシュによることは明らかである。が、このことをあまり突っつくと日本の暗部(村上春樹いうところの地下のみみずくん)を刺激することになるので、ここではあえて触れずに、ビジネスプランそのものについての議論にとどめる。
新銀行東京のコンセプトは、銀行や信用金庫など既存の金融機関で十分にそのニーズに応えることのできない中小企業に対して、基本的に無担保で資金を貸し出していこうというものである。「ニーズにこたえることのできない」というのはつまり、銀行や信用金庫が貸してくれないということである。
銀行や信用金庫がその企業の信用力をどのように判断するかというと、業績(もうかっているか)や業歴(どのくらい長くやっているか)、経営者の資産(金持ちかどうか)などを中心に審査する。銀行にとって貸し倒れは最も恐ろしいものだから、それを避けるために最大限の努力をする。
したがって、中小企業のほとんどはまず制度金融(国民生活金融公庫など)から取引を始め、次に信用保証協会の保証付の融資、次に一部上場企業の手形割引と進んでようやく不動産担保の長期貸付となり、無担保融資はそうした実績を積んでからようやくというのが昔の銀行取引であった。
さて、新銀行東京が取引先としたのはそういうレールに乗ることのできない、信用力の低い企業がほとんどであった。ご存知のようにちゃんと担保をとっていた銀行も、バブル崩壊(地価の下落)により大きなダメージを受けた。担保をとらないで信用力の低い企業に貸し込んだらどうなるか。
同じような取引先について、銀行に対する保証人となっている信用保証協会という団体がある。東京都に住所を持つ企業については、東京信用保証協会である(大阪の場合、大阪府と大阪市がそれぞれ信用保証協会を持っている)。ここは財務状況をディスクローズしている。
ここのホームページをみてみると、平成18年度の場合、約4兆2千億円の保証残高(銀行にとっては貸出残高)に対して、代位返済額(延滞・倒産のため銀行に対して代わりに支払った額)が約840億円である。東京都内、かつ信用保証協会だけで、年間800億円以上が貸し倒れているということである。これが平成14年度には年間2500億円あった。
減少分のうち新銀行東京に行った部分がかなりあるとみることもできるが、ここで重要なのは、信用力の低い中小企業に貸すということは必ず貸し倒れのリスクを伴うということである。そして、信用保証協会にしても、国民生活金融公庫にしても、その赤字は結局のところ税金で穴埋めされる。
新銀行東京も同じことをやろうとする以上、同じように毎年貸し倒れによる赤字が出るはずだし、それを穴埋めするための東京都の支援はランニングコストとして毎年必ず発生する。それを見込んでも必要だから新銀行を作ったのかと思っていたのだが、黒字になると思っていたようなのだからどういう頭の構造をしているのか理解に苦しむのである。
昨日は、銀行や信用金庫が貸さないような取引先に無担保で貸すのだから、新銀行東京に多額の貸倒損失が出ないはずがないと書いた。今日はもう一つの要素として、銀行という商売がそもそも今の時代では採算に合わないという話である。いくら貸し倒れてもそれ以上に儲けが出れば収支は黒字になるのだが、今日ではそれは無理なのである。
昔は銀行というと年に何回かは取引先を招待してゴルフ大会を行っていたし、信用金庫や農協でも預金者を連れてバス旅行などをするところが珍しくなかった。どうして今は銀行がもうからなくなってしまったのか、その原因は貸出金利にある。
いくらきれいごとを言っても、銀行の基本は金貸しである。お客さまから集めた預金を取引先企業に貸し出すことによって、その利ざやを収入源としている。そしてその金利は、基本的に公定歩合にせいぜい上乗せ1%程度で、昔と今とでそれほど大きくは変わらない。例外は個人に対するカードローンなどで、これは昔から10%以上の金利で貸し出している。
さて、預金金利も公定歩合にしたがって上下し、こちらはほぼ1%公定歩合を下回るので、預かったおカネを貸し出すことで銀行は2%前後の利ざやを得る(例えば東京三菱UFJ銀行の場合、68.2兆円の貸出金に対し約8,400億円の利ざや収益)。さて、その収益で果たして採算に乗るのか考えてみよう。
まず第一に、2%の利ざやということは、貸出金の2%が貸し倒れてしまうと収益が吹っ飛んでしまうということである。昨日書いたように、東京信用保証協会の貸倒れ率は2%である。信用保証協会や新銀行東京並みの取引先しか持っていなければ、どんな大銀行でも採算は取れないということになる(そもそも昔は、2%の貸倒れなど発生しなかった)。
そして、銀行を維持するためには、収益の中から経費をまかなわなければならない。その経費とは、銀行員のお給料(人件費)であり、一等地に支店を配置するための家賃や建物維持費用であり、手形交換や振込、公共料金支払、キャッシュカード入出金等々のサービスを提供するためのシステム経費であり、銀行として営業していることを周知するための広告宣伝費などさまざまの経費である。
既存の銀行は、それらのうちかなりの部分を過去の蓄積として持っている。だからなんとか黒字決算となり株主に配当することができるけれども、新銀行東京はゼロから始めようとしたものだからそこから構築する必要があった。そうした経費が必要であることを考えれば、貸倒れがこれほど多くならなかったとしても少なくとも10年くらいは黒字になることは考えられなかった。
そして、既存の銀行が過去の蓄積をどのようにして積み上げてきたのかというと、実はそこに秘密がある。昔は銀行からおカネを借りると、その一部を預金として置いておかなければならないという暗黙のルールがあったのである。これを歩積・両建(ぶずみ・りょうだて)という。
例えば5000万円が必要な企業があるとする。この企業は銀行から例えば1億円を借りて、5000万円を預金として置いておかなければならなかった。つまり、必要なおカネよりもたくさんの金利を払わなければならなかったのである。こうした裏技により、銀行は収益を確保していた。その一部をコンペ費用とか預金者サービスに振り分けることもできたのである。
そうした裏技が使えなくなった経緯もいろいろあるのだがそれは置くとして、ここで言いたいのは、ゼロからスタートする銀行がすべての経費をまかなって黒字になることは、いまの時代考えられないということである。その意味では私鉄と似ているかもしれない。これらの業態は過去の蓄積によって、なんとか生き延びることができているのであった。
[Mar 26, 2008]
法華経に関する考察
注.私は仏教徒ではありますが、この記事は宗教というより思想として考察するものです。したがって、「なにがなんでも法華経が一番(南無妙法蓮華経)」という立場ではありませんので、ご了解のうえお読みいただくようお願いいたします。
マカオの街角に行くと、よくビルの壁に貼ってある手書きの広告がある。「妙法百家楽 xxxx-xxxx(電話番号)」。
百家楽とはもちろんバカラのことであるから、文脈から判断するに、「妙法」とは「必勝法」というニュアンスが強いものと思われる。これをよく見ているうちに、「法華経」正しくは「妙法蓮華経」も、そのニュアンスは「仏に近づく必勝法」に近いのではないかと思うようになった。
昔から、必勝法と名づけられるものに本質的なものなどない。「数ⅡB必勝法」といえば、試験で出てくるであろう範囲を予想し、最小の努力で最大の効果を得ようとするものであって、数学そのものに興味を持つようには作られていないのと同じことである。
話は飛ぶが、日本にある仏像で最も多く作られているものは何だろうか。統計があるかどうか分からないし、あったとしても見たことはないが、国宝級のものは別として(阿弥陀如来が多い)、普通の仏像では観音さまとお地蔵さんが多いように思う。
お地蔵さん、つまり地蔵菩薩が多いことについては、近世以前の死亡率、特に乳幼児死亡率が高かったこととの関連が大きいと思われるが、一方の観音さま、観世音菩薩はなぜなのか。そして、観世音菩薩が登場するお経、つまり観音さまの根拠規程が実は法華経なのである。
そういえば、まだ法華経を読んでいなかったなあということで、ここ1、2週間、朝晩の電車の中で法華経を読んでいる。テキストは岩波文庫。ヘッドホンでバッハの「平均律クラヴィーレ」を聞きながらお経の原典を読むという、なかなかシュールな通勤である。
そして読んでいるうちに気がついた。法華経というのは、お釈迦さまが最終的にたどりついた悟りの境地を説いたお経ということになっている。確かに、他のお経を受けての表現が多く見られるし、お釈迦さまも「これまでの教えは方便であり、このお経が最終的な悟りの境地である」と言ったことになっている。
ところが法華経を含む大乗仏典は、お釈迦さまの死語数百年たってから成立したもので、お釈迦さま自身が述べたものではないということは仏教史をひもとけば明らかである(後から作ったから他のお経を引用できる)。そして、法華経にはその最終的な悟りがどのようなものかは書いてない、と普通は理解されている。
だから、お経の名前を唱えなさい(題目、南無妙法蓮華経)ということになるのだが、つらつら読み進むうちに、「ん、それはこういう意味で読めるんじゃないか」と思うようになってきた。それはどういう意味かというと、「お釈迦さまの教えを広め、教団を維持することが”最終的な悟りの境地”である」ということである。
法華経の趣旨を「布教と教団の維持が最終的な悟りである」と解釈すると、いろいろなことが見えてくる。
お釈迦さまの説いた教えは思想的哲学的に優れたものであるが、それだけでは後の世に残らない。実際に、インドで仏教が盛んだったのは紀元前3世紀にマウリア朝のアショカ王が仏教を保護した頃で、その後衰退に向かっている。印刷も通信も放送もない古代には、人から人への口伝えしか情報伝達の手段がなく、新興宗教である仏教には「人」が十分ではなかったのである(インドの伝統宗教はヒンズー教)。
お釈迦さまのすぐれた教えを残したいという人々にとって、これは非常に大きな問題であった。だから、法華経という仕掛けを使って、教団の拡大を図った。その仕掛けの一つが、法華経の中に頻繁に現れる、「修行者○○は、悟りの世界では△△となり、永遠の存在となるだろう」的な教団内における地位の保証である。
これはさきのオウム真理教において、「○○をマイトレーヤ正大師とする」「△△を科学技術大臣とする」というように、教団への寄与を教団内の地位の向上で評価したやり方と同じものである。そして、法華経を重視する教団は中国そして日本へと伝来した。いま世界で仏教徒の多い国は日本とタイであり、インド周辺ではわずかにチベットくらいにしか残っていないのである。
もう一つの仕掛けが、昨日述べた観音さまの登場である。法華経において観世音菩薩は、人々の願いを世界のどこにいても聞き届け、実現させる仏様として描かれている。まさに現世利益である。それまでの経典では来世における幸福や心の平安を実現させる仏様はあっても、そのものずばり現世において願いをかなえる仏様はなかった。
今も昔も普通一般の人々の関心は、哲学的な悟りよりも、いま目の前にある願いをかなえてほしい、災難から逃れるように助けてほしいというものであろう。その意味で法華経は、より人々の本音に応える形で、お釈迦さまの教えを再構成した、ということになるだろう。もちろん、仏教という教団により多くの人を取り込むために、である。
さて、その法華経の中に「これはどうか」という内容が実は含まれている。法華経の内容は、お釈迦さまが「善男子善女人」の前で述べたことになっているのだが、にもかかわらずその中に、「悟りの世界には女人がいない」と、はっきりと書かれているのである。
じゃあ女の人はどうなるかというと、法華経に書いてあるのは、悟りを開いた女性修行者が「みんなの目の前で女性の体の特徴がなくなり、男性の体となった」のである。正直、これが悟りの世界であるならばちょっとご遠慮申し上げたい。私はやっぱり、女性がいた方がうれしい。
日本仏教史において最大の女好きといえば親鸞上人ということになるが(僧侶として初めて正式に妻帯した)、その親鸞上人が法華経を選ばず、阿弥陀如来の浄土三部経を選んだのは、案外このへんに理由があったのかもしれない。
[Apr 25, 2008]