なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

マイケル・ジャクソンとビルボードの時代    トムラウシ遭難事故    脳みその話
地方都市のビジネスホテルで    大地震    ビジネスホテルの現代と未来
あしたのジョーと昭和30年代    鞄を持ち去られた話    東横イン、苦境?


マイケル・ジャクソンとビルボードの時代

先週末、マイケル・ジャクソンが逝去した。スリラーが流行ったのはちょうど結婚した1984年頃で、ベータマックスのビデオを当時8000円以上出して買ったものである。いま思えば、”Billy Jean”でムーンウォーク(後ろに進むやつ)をしたり、”Thriller”でゾンビと踊ったりした頃が彼のピークだったことになるが、それ以上に印象に残るのは1970年のことである。

1970年、大阪で万博が開かれた年であった。その頃の私は、暇さえあればFENやラジオ関東でビルボードのヒットチャートを聞いていた。ご存知のとおり、ビルボードは米国の音楽ランキングで、主にレコード売上と、ジュークボックスの再生回数で週ごとにランキングを決めていた(だから、ライバル会社の名前はCashboxなのである)。

1970年1月のビルボード・シングルチャートのトップはB.J.トーマスの”Rain Drops Keep Fallin’ On My Head”、映画「明日に向かって撃て」の主題歌である。この曲をはじめとして、40年近く経った現在でも、割とよく聞かれる曲がトップになったのが1970年なのである。

例えば、この年解散したビートルズが最後のアルバムからシングルカットした”Let It Be”、”The Long And Winding Road”が相次いでトップに立ったのが確か4~5月。サイモン&ガーファンクル(今年も日本に来るが)の最大のヒット”Bridge Over Troubled Water”が4週連続トップだったのが6月くらいだったと思う。

夏には、カーペンターズの”Close To You”が連続してトップ。他にもショッキング・フルーの”Venus”、ダイアナ・ロスの”Ain’t No Mountain High Enough”、ブレッドの”If”など、この年のビルボード1位でいまだにときどき耳にするという曲は結構多い。

Jackson 5がブレークしたのも、1970年である。春には”ABC”(平井堅がKen’s Barでときどき歌う)、秋には”I’ll Be There”がそれぞれビルボードでトップに立っている。当時はOsmond Brothers(こちらはTV番組出身の白人兄弟グループ)がライバルとされたものだけれど、何年も経たない間に完全に差がついた。

マイケル・ジャクソンというとジャンソン・ファイブの時代を思い出すし、ジャクソン・ファイブというと1970年を思い出す。まだ中学生の頃で、将来自分はどんな大物になるんだろうと思っていたら(笑)、50を越えて仕事と住宅ローンに追われるおじさんになってしまった。

ちなみに、つい先月、キャロル・キングの”Tapestry”を久々に聞きたくなってCDを買ったのだけれど、このアルバムがぶっちぎりでアルバム・チャートのトップを独走したのが翌1971年のことでありました。

[Jun 29, 2009]

トムラウシ遭難事故

山岳事故については昔から関心があって、本を読んだりいろいろ研究している。登山と社会生活は似た要素があると思っていて、山岳事故から身を守るノウハウと、社会人としてリスクから身を守るノウハウには、共通する部分があると勝手に決めているのである。

だから、先週起こった北海道・トムラウシの遭難事故も興味深く感じて、新聞やインターネット、NHKの特別番組等を見て、いろいろ事実関係を確認した。報道では、故人への配慮もあってツアー会社の責任、ガイドの判断の是非などが取りざたされているけれど、私の考えをいえば、少なくとも95%(本当は100%といいたい)遭難した本人に責任があると思う。

昔の山岳事故といえば、大学の山岳部とか地域の山岳会のパーティーで起こるケースが多かった。こうした事故の場合、徹底した原因究明は望みにくい。生き残ったメンバーはグループのことを悪く言わないし、ましてや命を失った仲間のミスを明らかにすることはない。だから、昔の山岳事故について書かれた本の多くは、奥歯に物のはさまったような表現がほとんどである。

そして、大学山岳部にせよ山岳会にせよ、リーダーの指示に従わないということは、即、そのパーティーにはいられないということを意味する。そうでなければ、団体行動の規律は守れないからである。そして多くの場合、パーティーにいられないということは登山家としてのキャリアを失うことを意味するから、リーダーの決定は絶対であった。

こうした体育会気質はかつての日本企業の多くとよく似ており、上司の命令一下、法令に反することもいとわなかった風土を育てたものと共通であるように思う。時代が移り登山の中心は愛好会やサークルに移っていったが、こうした集団についても、リーダーやグループの決定に従わないということは仲間を失うことになりかねないから、かなりの困難を伴う。

ところが、今回の事故を起こしたパーティーは「ツアー」である。カネを払っているから勝手な行動をとっていいというものではないが、ガイドの指示が絶対ではないことは、山岳会や大学山岳部と比較しても明らかである。

出発しろといわれても、豪雨突風の中で自分には無理だと思ったら、じっと山小屋で動かない選択をすることは十分に可能である。失うものがあるとすれば、帰りの飛行機代と旅館代くらいのものである。たかがそんなものである。命の心配までしなかったのは仕方ないとしても、足をくじいたり転落して怪我をするリスクを考えなかったとしたら、その方が落ち度である。

確かにトムラウシの場合、エスケープルートのほとんどない長い縦走で、事故を起こしたパーティーも、前夜は長時間歩き疲れた末の避難小屋(営業小屋ではない)泊であったと思われる。荒天と疲れ、それに狭い小屋での窮屈な宿泊では熟睡することはまず無理であり、判断力も低下していたことは推測できる。

であればなおさら、他人はともかく自分は出発しないという選択をすべきであり、それを見誤って命を危険にさらしたのは、自分自身に最も責任があることは間違いない。

登山と同様、社会生活にも似たような場面がある。自分の身を守るのは自分しかいないことを肝に銘じておけば、他人の決定に従って生じる不利益はかなりの部分避けられるのではないかと思っている。たとえ危機に陥ったとしても、自分で選んだ結果なら仕方ないが、他人に従った結果だとしたら、私だったら悔しくて死に切れないと思う。



先日、トウラウシ山岳事故について記事を上げたところ、この事故について調べられている方からコメントがあり、そのサイトで実際に遭難したパーティーの方からの直の声もあって、大変参考にさせていただいた。

前にも書いたけれど、私が山岳事故に興味を持っているのは、社会生活におけるさまざまなリスクとよく似通った面があるからである。どうすれば山岳事故を防げるか考察することは、社会生活におけるいろいろな落し穴をいかに避けていくかという点について、重要なヒントになるのではないかと思っている。

さて、今回の場合、ツアー会社とそのガイドがいかに使えなかったかという点については、議論の余地がない。今後、刑事的責任や民事訴訟(損害賠償請求)といった問題が生じてくることは必至であるが、ここでツアー会社やガイドをかばう意図は一つもない。私が言いたいのは、自分の身を守る際に、他人を当てにしてはいけないということである。

例えば会社の仕事を考えてみる。訳の分からない上司、足を引っ張る同僚、使えない部下はいくらでもいる。そうした中でも、貰っている給料分以上のパフォーマンスを示さなければならないのがサラリーマンである。

その場合、ネックが上司だとすれば、ある意味同情を禁じえない。上司の指示に逆らうということは、仮にこちらが正しいことを言っていたとしても、会社での評価を下げたり最悪の場合会社にいられなくなることを意味するからである。つまり、かつての山岳部・山岳会と同様である。北アルプスで嫌われれば、ヒマラヤ遠征のメンバーから外されるということである。

今回の場合、ガイドの立場はどうなのか。もちろん、実際に現場(登山ルート)に出てしまえば、自分勝手な行動は自分自身にはね返ってくる。とはいえ、ガイドはあくまで部下なのである。部下が使えなかったのでプロジェクトはうまく行きませんでしたと言い訳できないのは、サラリーマンであれば常識の範疇と言っていいのではないか。

「今日の行程と天候、現在の自分の体調を考慮した結果、自分はここで待機する。それによって生じる(経済的)リスクは甘受する」と言えるのは登山者自身であって、ガイドではない。もちろん、最悪の事態を想定しなかったガイドの業務知識・職業倫理の欠如は問われなければならないが、パーティーの面々はガイドより何十年も長く生きているのではなかったか。

もう一つ。どんな専門分野であっても、専門家がすべて正しいと考えるのは得てして判断を誤る結果となる。戦略、戦術、戦闘という各要素に分けて考えると、専門家が詳しいのは戦闘と戦術の一部までであって、戦略についてきちんと理解している専門家は多くはない。これはスポーツだけではなく、社会生活の大部分にあてはまると思っている。

[Aug 4, 2009]

脳みその話

最近、脳に関する本をいくつか読んで勉強している。特定の一冊の本をあげるのは難しいのだけれど、昔と今とではかなり状況が違うらしい。

というのは、21世紀に入ったあたりから脳に関する研究は格段に進んでおり、それ以前の定説が当てにならないということになりつつあるからである。その武器は機能的MRI(fMRI)。最新医療機器として普及しているMRI(磁気共鳴画像装置)を利用して脳の活動状況を画像化する研究である。

かつて、脳のどの部分が人間のどのような活動(精神的・肉体的)に関わっているかということは、頭(脳)に損傷を負った人にどのような後遺症があるかという、きわめて直接的かつ大雑把な方法によって知る以外になかった。

ところがfMRIを使うと、脳を直接いじらなくても脳の中身が分かる。具体的には、何をしているときに脳のどの部分で酸素が使われているか、つまりどこで考えているかということが推定できるのだそうである。この分野は研究費がかかる(MRIは高価である)ため、まだまだデータ解析等で議論の余地はあるとのことだが、それでも新しい発見がかなりあるという。

こうした研究によると、かつて、人間がサルから進化する中で急激に脳の容積が増加した理由は「道具の使用による」とされてきたが、どうもそうではないらしい。チンパンジーだって教えれば道具は使うし、手の運動だけで使う脳の範囲はそれほど広範囲ではない。むしろ、「2本の足だけで長距離を走って獲物を追いかけたことによる」のではないかと仮説が提唱されている。

確かに、足が2本であれば移動するときは1本になる。1本の足で加速し、かつバランスをとり、必要に応じて方向転換しつつ、手は他のことをするという複雑な作業は、人間は平気でやっているけれども、そういうロボットを作ろうとすればかなりの分量のプログラムを必要とするだろうと見当はつく。

人間は生き延びるために、他の動物を食糧とするところからスタートした。一方で、安定した食糧供給の手段として、植物を栽培して食料とすることを発見した。こうした食糧事情は、定住した拠点を確保しつつ狩りに行くという生活様式となり、狩りを行うためには長距離を走る必要を生じ、それが脳の容積を大きくする方向に働いたというのは十分にありうることである(この仮説は、男女の脳容積の差を説明できる点でも優れている。魚をとっていた人間の場合どうなのかという問題はあるが)。

そして、個人的に印象深いのは、実際に体を動かす時と、頭の中で動きを想像した時(つまり、イメージトレーニング)とで、使う脳の部分はどうやら同じらしいということである。このことは、これから老後を迎えるに当たって、心身の老化を最小限にとどめるためのヒントになるのではないか、と考えたりする。

また、私の若い頃の本には、「脳の機能の90%以上は使われていない」などということが書かれていた。これは、脳に損傷を負った人でも、そのことだけでは結構死ななかったりするという解剖学的な所見からの推論であったように思う。ところが、fMRIを使った分析によると逆に「脳の中に使っていない部分はない」ということになるのだそうだ。



最近よく読んでいる内田樹氏のブログに、こうした脳の予備知識とは全然関わりないにもかかわらず、びっくりするくらい符合する記事が書いてあった(10月3日付エントリー)。氏によると、意識していないにもかかわらず物事を処理しているのは「自分の中のこびとさん」である。以下引用すると、(氏のブログはなんと、引用フリーなのである。ありがとうございます)

-----------------------------------------------
どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。
私たちは自分の知らないことを知っている。
自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。
私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。
------------------------------------------------

そういわれてみると、自分の意識していないところの「自分」が、知らない間に物事を処理しているということがよくある。酔っ払ってもいつの間にか家までたどりついているとか、外出する時に気づかずに戸締りをしているとか。これも、「こびとさん」の仕事に違いない。

「こびとさん」のメタファー(比喩)は、確か内田氏も愛読する村上春樹も使っていたと思うが、自分の中にあって自分で意識していないというのはつまり、脳の中のどこか気が付かない場所ということなのではないか。

スランプについても、内田氏は面白い比喩を使って説明している。

スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。
「自分にできること」はいつだってできる。
そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。
それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。

理屈とか理論では推し量れない謎の部分が脳の中にはあって、その部分が要求している「何か」が欠けると、とたんにパフォーマンスが落ちるというのは、なんとなく感じていることである。ちゃんと眠っているし、ご飯はちゃんと食べたし、疲れてはいないし体の具合も特に悪くないのに、なぜかしっくりこないということがある。これは、脳の「こびとさん」が疲れているのである。

スランプというのは、この「こびとさん」が疲れ切って消耗した状態のことであり、心身の健康を保つためには、「こびとさん」の機嫌を損ねないよう大切にして、毎日を過ごさなければならないということであるらしい。

最新の科学の成果を考えに入れつつ、どうすればより充実した日々を送ることができるか、こんなことをつらつらと考えている。

[Oct 15, 2009]

地方都市のビジネスホテルで思ったこと

ずっと昔まだ昭和の頃、何かのセミナーに出ていたときに聞いた話をふと思い出した。講師の言うことには「みなさん、なんで自動販売機が優れているか分かりますか?自動販売機は、均質なサービスを提供できるんです。いつでも、どこでも、誰にでも、おカネを入れれば望む商品を、温かいものも冷たいものもすぐに出すことができる。人間ではこうは行きません」

なぜこんな話を急に思い出したかと言うと、先週、ある地方都市に出張した際、全国チェーンでない独立のビジネスホテルに泊まったのだけれど、その印象が強烈だったからである。その街には、全国チェーン(東横インとか、スーパーホテルとか)もあるのだが、たまたま満室で予約が取れなかった。そこで、R天トラベル(旅の窓口の頃から使っている)に載っていた独立のビジネスホテルを予約したのである。

外見からして、嫌な予感はした。おそらく昭和40~50年代の建物であろう。ただ、フロントのおばさんの愛想はいいし、ともかくも部屋に入ってみる。すごく狭い。ご存知のとおり体の小さい方ではないので、非常に圧迫感がある。オートロック、ネット環境、ウォシュレットといった、現代ではデフォルトともいえる設備がない。朝食も有料だ。

バストイレユニットへの段差は30cm近くあり、最近足腰が弱くなったので上り下りがきつい。バスタブは座って入るのがきついくらい小さく、結局シャワーしか使えない。洗面台スペースがほとんどないため、アメニティ類はトイレの水タンクの上に置いてあるのも悲しい。備え付けの椅子は堅すぎ、ベットは逆に柔らか過ぎる。エアコンが床にあるので、寝ていると顔に当たって寒い。

ところが、部屋の中はきれいに掃除されている。チェーンホテルでは「私が掃除しました」とか名札が置いてあっても、天井や壁には埃が目立つことが少なくないが、ここはそういうことはない。つまり、現状のハードウェアの条件のもとで最良のサービスを提供すべく努力しているのは認めるのだけれど、では次にここに泊まるかといわれると、さすがにちょっと遠慮せざるを得ない。

ここで、最初に戻って自動販売機の話になる。つまり、ユーザーがビジネスホテルに要求するのはある意味で標準化されたサービスであり、それ以上のサービスを求めている訳ではない。150円入れれば冷えたペットボトルが出てくるのと同様に、5千数百円だせばある程度のスペースと、標準的なサービスが提供されることを求めるのである。

だから、標準的なサービスが提供できなければ、いくら顧客対応が良かろうが清掃が行き届いていようが、この業態で生き残っていくのは難しいのである。そこを乗り越えるためには、景色とか、料理とか、温泉とか、全国チェーンにないものを強調する必要があり、それができなければ価格で勝負するしかない。

今回の地方都市の場合は、全国チェーンのビジネスホテルと価格に差がなく(むしろ高い)、その価格ならこれくらいの部屋だろうという顧客の期待に残念ながら応えられていない。経営者や従業員の方々のご努力は認めるけれども、おそらく今後数年の間に低価格路線への転向を迫られるか、さもなければ廃業ということになるだろう。

この問題の第一の教訓は、どんなにサービスに力を入れたとしても、越えられない限界があるということである。個人商店がいくらがんばって”smile”を売りにしたとしても、人間が売る以上24時間休みなしに働くことはできない。そこは自動販売機にどうやっても敵わないのである。同様に、立地条件や設備の差をサービスのみで埋めることも困難であろう。

もう一つの教訓は、不動産投資というのはやっぱりリスクがあるということである。いま、貸しビルや賃貸住宅の投資物件で、利回りが10%以上という物件は珍しくない。しかし、ひとたび状況が変われば(すぐそばにいい物件が建てば)、稼働率なんてものはいっぺんに下がってしまうことがありうる。まあ、そんなおカネはないので、心配することもないのだけれど。

[Jul 20, 2010]

大地震

一昨日(3月11日)発生した大地震は、成田空港近隣のわが家でもまだ余震が続いている(いまも)。昨晩も携帯で受信した緊急地震速報のブザーで、何度も起こされた。今回の地震では、東北地区を中心に相当の被害があり、また首都圏でも帰宅できないなどかなり影響を受けられた方もいらっしゃったはずで、深くお見舞い申し上げます。

ようやく体力的にも落ち着いてきたし、今日はあまり外に出ない方がよさそうなので、忘れないうちに今回あったことを書いておこうと思う。

さて、3月11日は、たまたま何ヶ月に1度しかない夜勤の日で、なんとこの日はホテルを予約していた。一方で、午前中は免許の書き換えに行く予定にしており、何時にホテルに入れるかは不確定であった。

結果的には午後2時にはチェックインできて、午後2時46分頃の地震発生時には部屋でのんびりしていた。もし、免許センターで時間がかかっていたら移動中の電車の中で地震に遭っていたし、いつものように東横インを予約していたら、会員でもチェックインは3時からなので部屋にはいられなかったので、考えてみればかなり危ない橋を渡っていたことになる。

出社は4時過ぎなので、スーツを脱いで下着姿で仮眠していた。そこに、ぐらっと第一波が来た。あっ地震だと思ったが、そのまま横になっていた。ところが、次に来た第二波は尋常ではない。さすがに起きて窓を開けるが、その間も揺れ続けていた。揺れの強さはそれほどではないように思ったが、こんなに長く揺れ続けるのは初めてのことである。

ホテルの部屋は9階。目の前に坂があるのと、隣のビルの屋上が見えるので、それほど高くは感じられない。地震直後に外を見ても、特に普段と変わったところは見られなかった。JRの駅の方向も見たが、こちらも普通に人が歩いている。耐震ビルだと揺れが長く大きく感じられるので、そのせいかと思った。この頃になって、館内放送で「大きな地震がありましたが、心配ありません」とアナウンスが入った。

私の経験した中で最も衝撃が強かったのは24年前、1987年の千葉県東方沖地震で、公称で最大震度6、東京の震度は4と記録されているが、体感的にはそんなものではなかった。当時の勤務先は日比谷公園に面していたのだが、地震の瞬間公園中の鳥が一度に飛び立ってすごい光景だったのを覚えている。

家でもまともに立てないし歩けないほどの震度だったそうで、この頃開業したての東京ディズニーランドをはじめとする東京湾岸地域では「液状化現象」というのが話題になった。幸い人的被害がほとんどなかったため、災害史上ではあまり有名でない地震ではあるものの、私にとっては最も印象に残る地震であった。

NHKをつけてみる。震源は宮城県の東方海上で、午後3時には3mから6mの津波が来ると大津波警報が発令されている。震源が東北だから、第一波と第二波の間に時間があって、しかも長く続いたように感じられたのだろうと納得。ただ、3時を過ぎても入ってくる情報は50cmとかそんなもので、津波の大きさはそれほどではないようだ。いつものことと思ったが、実際はそんなものではなかったことが徐々に明らかになる。

それにしても、余震ではしつこいくらいに鳴り続ける携帯の地震速報が、最初の地震の時は鳴らなかった。首都圏から遠く離れていて、ということはP波とS波の間隔が開いていて、観測史上最大のマグニチュードでも予報できなかったら、一体どういう地震で速報できるのだろうか。全く、予算の無駄遣いでありこういうものこそ仕訳けすべきであろう。

震災翌朝のコンビニ。おにぎり、パン等の棚は何もなくなってしまいました。牛乳と野菜ジュースはなぜかありました。


エレベーターが止まっているので、非常階段を歩いて下りて、時間よりも早めに職場へ。こちらもエレベータが止まっているので、10階までなんとか歩いて上がる。途中、JRの駅を通ったら、吹き抜けの天井に取り付けられているライトの部品か何かが外れていて、その下が立ち入り禁止になっていたものの、びっくりするほど人があふれている訳ではなかった(後から、帰宅時間の混雑がNHKで映ったときは、そんなもんじゃなかった)。

真夜中まで仕事で、地震で起こった通信障害やスケジュール変更への対応。その間、NHKで最新情報が逐次入ってきて、津波は、50cmとか3mとかいうレベルではないことが判明した。また、首都圏の交通機関は当日中の復旧が絶望的で、TVでは無理に帰宅しないようアナウンスしている。意外だったのは、携帯電話が通じにくかったのに、バソコンでのインターネットにはほとんどストレスがなかったこと。日本のインフラ環境はすばらしい。

仕事を上がった真夜中には、人どおりはさほどではなかったものの、駅近くのビルには新聞紙を敷いて座り込んでいる人がたくさんいる。ホテルに帰ると、ロビーにもたくさんの人で、臨時に出された椅子に座っている人だけでなく、床にそのまま座っている人もいた。自分だけ部屋があるのは申し訳なかったけれど、キーを借りて部屋へ。

部屋へ戻ってまもなく、「ただいまから、暖房とお湯が使えます」という館内放送が入る。なんと、この時間までシャワーが使えなかったらしい。ますます申し訳ないと思いつつ、シャワーを浴びてベッドへ。東京で働いている家の息子は、途中まで歩いたものの夜遅くなってしまい、どこかの学校が開放されたところに泊まったということで、エアマットと水、ビスケットが用意されていたそうだ。

余震と緊急地震速報のブザーであまり眠れなかったけれど、5時にはホテルを出て再び職場へ。夜中より多くの人がロビーにいたのは、おそらく隣のファミレスに閉店までいた人達であろう。3、4時間とはいえベッドに横になれたので、かなりリフレッシュできた。それに、どこに泊まるかという不安がなかった分、そうでない場合とは全然疲れは違うはずである。

びっくりしたのは、朝食を調達しようと寄ったコンビニに、パンやおにぎり類が全くなかったこと(前回の写真)。吉野家も他の牛丼屋、そば屋も、「品切れにつき閉店とさせていただきます」の張り紙が張られている。とりあえず、コンビニに残っていた水関係を多めに調達する。

職場にいる間に、朝にはあまり本数が動いていなかった交通機関も、午後までには少しずつ動き出した。私の通勤経路は北総線・京成線・都営地下鉄・京浜急行が相互乗入れしているのだが、北総+京成以外は細切れ運転であるため、帰りはいつもより1時間以上多くかかったものの、さほどの問題なく家に帰ることができた。

とはいえ、多くの人達が帰宅難民になっているのに、短時間とはいえホテルで休めたのはたいへん恵まれていた。私の職場には、金曜日は午後半休なので地震前に家に帰ったというすばらしいタイミングの方もいらっしゃったのだが、それはそれとしてもう若くはないので、あまり体力的に負担になることはできないのである(実際、土曜の夜から日曜日は寝っぱなしであった)。

改めて、被災された方々、金曜日帰れずに難儀された方々にお見舞いを申し上げたい。

[Mar 15, 2011]

ビジネスホテルの現代と未来

このところ出張続きで、ビジネスホテルに泊まる機会が多い。また例の国際館事件もあって、この業態に求められるサービス水準と価格の兼ね合いはどうあるべきか、などと考えてしまう。折角いろいろ考えたので、ビジネスホテルについて思うことをまとめてみたいと思う。第一回は、個人的に三十数年にわたるビジネスホテルとの関り合いを中心に書いてみる。

最初にビジネスホテルを使ったのは、学生時代に各地を旅行したときである。当時の学生にとってデフォルトはユースホステルであり、ユースを使うと当時で一泊二食二千円以内で収まった。ところが、昔も今も団体行動が大の苦手である。

食事が終わるとみんなで後片付けや皿洗いというあたりはまだ我慢できたものの、歌を歌いましょうとか、フォークダンスをしましょうと言われると、なぜに宿代を払ってそんなことをと思わざるを得ない。いよいよ切れたのは、当時楽しみにしていたアントニオ猪木vsモンスターマンの異種格闘技戦のTV中継を切られてしまった時である。

この一戦は、新日本プロレスと極真空手の話し合いがつかず、ガチンコ勝負のまま試合当日を迎えたと言われていた。当時からプロレスは前もってストーリーが決まっているとされていたが、猪木vsアリ戦をはじめとする異種格闘技戦においては、結果的にセメントマッチになってしまった試合もあると言われていた。このあたりは、「1976年のアントニオ猪木」に詳しく書かれている。

話が飛んでしまったが、そんな訳でユースホステルに泊まるのが嫌になってビジネスホテルにしたのが初めだった。当時ビジネスホテルはそんなに多くなくて、札幌だとチサンホテル、大阪だとホテル南海(現在の南海なんば駅のあたりにあったが、いまのようなゴージャスなホテルではなく、ほんとのビジネス)が定宿だった。いま考えるとかなり狭いのだけれど、ユニットバスというのが珍しくてうれしい時代だった。値段は3~4千円だったので、驚くなかれ現在とそれほど違わない。

社会人になって出張に行くようになってからは、ビジネスホテルよりちょっと上のクラスのホテルに泊まることが多くなった。例えば三井アーバンとか全日空・日航ホテルである。時代はバブル真っ只中で、それより下のグレードは格好悪いというような感覚があったくらいだから、今からすると贅沢な話である。

バブルが冷え込んで10年くらいして、現在の主流ともいえる東横イン、ルートイン、スーパーホテルのご三家が店舗を増やしてきた。東横インは当初、東急インのパクリともいわれたくらいだが、いまでは東横インの方がずっと有名である。長引く不況でどこの会社も出張費を削減する中、いまやこのクラス以上のホテルに泊まるのは勇気がいるから、時代も変わったものである。

それでも、いくら出張費が安くなったといっても、カプセルホテルやネットカフェの個室で泊まる訳にはいかない。そのあたりの線引きはどうなっているのかというあたりから、以下書いてみたい。



カプセルホテルも日本で独自の進化を遂げた業態である。もともとあのシステムは米国の軍隊で使われていたものだというが、おそらく日本人的には寝台車でなじみがあったため、受け入れられやすかったのだと思う。個人的にも、飲みすぎて終電を逃したときなど、数多く使わせてもらったものである。

ところが、酔っ払って終電を逃し他に選択肢がない場合はともかく、そうでない場合は進んで使いたいものではない。というのはホテルとは名ばかりで、実は「簡易宿所」という旅館業法の位置付けにみられるように、宿泊の快適性とプライバシーを担保するものではないからである。

カプセルホテルでひと眠りすると、すぐに他人のいびきとかがさがさいう生活音にたまらなくなるのは、神経質な人もそうでない人も同様だと思う。こちらがまだ眠っているのに、目覚ましをかけられるのもたまらない。本を読むくらいなら大丈夫だが、スペース的にパソコンを操作するには狭すぎるし、近くの人にうるさがられてしまうだろう。

出張で来ているということは仕事があるということで、例えば深夜・早朝の電話、持ち帰って夜中に片付けなければならない仕事、他人が寝ている間に動き出さなければならないことなどはセットである。これらはいずれもカプセルホテルではやりにくいことである。ネットカフェなら多少は可能かもしれないが、こちらは逆に翌日の仕事のためにきちんと休むことができない。

ビジネスホテルが今日の隆盛を確保した背景には、こうしたニーズに最低限は応えていることがあげられる。旅館業法上ホテルの1室最低面積は8㎡。ユニットバスを加えた12㎡程度が現代ビジネスホテルのスタンダードであり、ここにベッド、机、TV、冷蔵庫、冷暖房、LANが加わる。

一方で、かつてのシティホテルにあっていまのビジネスホテルにないものは、部屋全体のスペース、ソファないし椅子、衣装ダンス、ミニバー(冷蔵庫の中身)といったところだろう。特にスペースの点はホテル側でも気になっているようで、東横インには「ベッド下の空間もご利用ください」とは書いてあるが、着替えの下着を床のあたりに置くのは体がかゆくなりそうだ。

緊急避難の1泊ならがまんできるカプセルホテルも、緊急避難でなければがまんできない。同様に、1泊ずつ年間数泊ならがまんできるビジネスホテルも、連泊や年間数十泊となるとがまんできない。そういうことなのではなかろうか。

次回は、ビジネスホテルは果たしてサービス業なのかという観点から議論を続けてみたい。



東横インのフロント経験者は、求人の際あまりホテル業務経験者として考慮されないという話がある。これはなぜなのか。その説明の前に、最近普通のホテルに泊まった時のことを書いてみたい。

普通のホテルだからレストランがある。その入口の前で立ち止まって考えていると、フロントにいたはずのホテルマンがいつの間にか近くに来ていてこう声をかけたのであった。

「お客様。こちらの和食レストランでしたら、すぐ係の者がお伺いしますので、お好きな席にお掛けになってお待ちください。」

「いや、一人なものだから、座れる席があるかどうか見ていたのですが。」

「それでしたら、あちらにカウンター席がございます。もちろんテーブル席でも結構でございます。どうぞお入りください。」

という訳で、ホテルの売上に貢献することとなってしまった。

もともとホテルは室料だけでペイするものではなく、結婚披露宴や会社のパーティーなどの宴会部門や、レストランの売上を含めて採算に乗るものであった。だからホテルマンにとって、いかにして顧客に気分良く財布の紐を緩めさせるかがポイントなのであって、単に部屋のキーを受渡しするだけの仕事ではないのである。

これはサービス業すべてに言えることだが、売上を伸ばそうと思ったら、客を増やすか客単価を上げるかどちらかしかない。客を増やすためには客回転を上げる、リピーターを増やすなどのオプションが加わるが、基本は二つのうち一つである。ところが東横インのようなビジネスホテルでは、売店やレストランなど室料以外の売上手段がない。

だから、その日泊まった顧客についてそれ以上客単価を増やす術(すべ) がない。地方に行くと部屋まで配達してくれる宅配系の飲食店やレンタカーなどが入っている例はあるが、フロントで聞いても要領を得ないことが多い。おそらく外注先に丸投げしているからであろう。昔と違ってみんな携帯を持っているから電話を取り次ぐこともなく、チェックイン、チェックアウト以外に顧客との接点がほとんどないのである。

結果としてこれらのビジネスホテルでは、省力化だけが現場でできる最大の努力ということになる。連泊なのに昼間は部屋を使うことができなかったり、チェックインの際いくら混んでも2人以上で対応しないためフロントが大混雑したりして顧客の不満がたまっても、ホテル側には問題とはならない。いくら気分をよくしてもらっても、室料以上のお金を落とすことはないからである(自販機の売上が少々伸びるくらいであろう)。

これがサービス業の従業員として相当に問題であることは、詳しく説明するまでもないだろう。だから、宴会や飲食、物販などを併設しているホテルにとって、東横イン系のビジネスホテル経験者は未経験者と大して変わらない。一から教育しなければならないからである(変な癖~顧客に対する無関心~がついている分、余計に始末が悪いかもしれない)。

極論すれば、東横イン系のビジネスホテルはサービス業ではなく、不動産業に近いともいえる。考えてみれば、使う方もどちらかというとウィークリーマンションに近いとらえ方をしているような気もする。しかし、これで果たしてホテルといえるのであろうか。

ここで問題は、提供されるサービスと価格とのバランスということになる。次はこの点について考えるとともに、これからのビジネスホテルのあり方について述べてみたい。



ビジネスホテルがサービス業ではなく不動産業ということを前回指摘したが、実はこのことは土地・建物の調達面においてもあてはまる。東横インを例にあげると、もともと自社でホテル物件を持っていたが、ある時期から土地のオーナーに建物を建ててもらい、それを長期条件で借りるという形となっているからである。

これは、かつての建築廃材不法投棄事件(それにしても、問題を起こす会社である)が契機となったような気がするが、いずれにしてもこの方式により、オーナーは土地を有効利用し、東横インは巨額の資金負担から解放される。土地が右肩上がりでなくなった現在、会社の資産として土地を確保する必要はないから、その意味では賢いやり方である。

つまり、土地のオーナーは上物を建ててビジネスホテルに長期一括で賃貸に出し、ビジネスホテルは1泊ごとに利用者に小売していることになる。リネン類のリース、部屋の掃除、歯ブラシ、無料朝食、従業員の人件費まですべて合わせても1室1000円くらいのはずだから、1室4000~5000円がホテルの粗利となる。

14㎡足らずのユニットバス付きワンルームだったら、よほどの都心物件でない限り月10万の家賃はとれないだろうから、ビジネスホテルは70~80%の稼働率で回せば採算に乗ることになる。逆に月5万くらいが家賃の相場だとしたら、半分の35~40%の稼働率で足りることになる。これはよほどマーケティングに失敗しない限り、クリアできる数字だ。

ホテルはつきつめると1泊の短期賃貸であるという考え方は、現代の自動販売機全盛の世の中の風潮と一致しており、ビジネスホテルの隆盛は当分の間は続くのではないだろうか。私のように、いまのビジネスホテルはサービス業ではないという意見を持つ人は、かなり少ないような気がするからである。

とはいえ、問題がないわけではない。まず考えられるのは、これからますます経済活動の縮小が見込まれる中、出張などのビジネス需要も先細りとなることである。ここ二十年くらいでも、首都圏近郊の温泉旅館や、役所近くの飲食店街など、ビジネス需要の減少によって需要が極端に少なくなってしまった業態がある。ビジネスホテルもそうなっておかしくはない。

クラウドコンピューティングが進めば、システム関連産業の多くで地方の出先でやらなければならない仕事は減る。今でさえ、もしかしたらサーバ本体は外国にあるのかもしれないのである。営業だって、利益が見込めなければわざわざ地方に出かけていくことはない。

もう一点は、今後国債の価格下落から金利の上昇が見込まれる中で、いまの不動産型ビジネスモデルが継続できるかということである。金利が上がれば、建物建築コストが上がり、家賃も上がる。現在の価格水準は維持できない。一方で、結局のところ不動産業だというのであれば、参入障壁は低い。つまり誰でもできるということであり、いずれは過当競争となることは避けられない。

現在すでに、ビジネスホテル間での競争は激しくなっている。価格競争だけでなく、室料以外の付加サービスを競う傾向は、ますます強まることが予想される。そうなってくれた方が使う側にとっては喜ばしいのだが、それは私が現役を退いてからということになりそうである。

[Apr 28 ,2011]

あしたのジョーと昭和30年代

先月ラスベガスに行った際、JALの機内ビデオがとても充実していた。前にも書いたように渡米便は急に体調が悪くなってしまってそれどころではなかったが、帰国便は広いビジネスでしかも体調がよくて、「毎日かあさん」から「ゴチになります特別編」「第二回おもバカ」を見て、機内電源でブログの記事を下書きしていたらあっという間に11時間たってしまった。

今日の話は帰りの便ではなくて、行きに見た実写版「あしたのジョー」の話。このとき画面が見づらかったのも体調悪化に結びついたような気がしないでもないが(わざと画面を暗く作ってある)、香川照之の丹下段平と伊勢谷友介の力石、津川雅彦の白木財閥総帥はなかなか良かったけれど、全体に昭和っぽくないように思った。

映像には匂いがないのでその点は仕方ないとしても、作品の舞台である昭和30年代は日本全国そんなに清潔ではなかったはずである。もしかすると、この時代の作品については時代劇と同様、時代考証が必要なのかもしれない。

梶原一騎作品の「巨人の星」「あしたのジョー」はいずれも強烈な上昇志向を前面に出した作品である。おりしも日本は高度成長期にあり、東京オリンピックを目指して東海道新幹線や首都高速道路が作られたのは周知のとおり。池田勇人総理大臣が「所得倍増計画」を掲げたのもこの時代であった。

日本中が、近い将来の豊かな生活を夢見ていた時期である(そして、それは実現された)。星飛雄馬は長屋から、矢吹丈はドヤ街からビッグになった。その頃長屋であった地域はマンションになり、ドヤ街もいまでは鉄筋のビルが立ち並んで昔の面影はない。しかし逆にいうと、昭和30年代はいま普通にあるものがない時代だったのである。

この映画においては、ドヤ街も少年院も、試合が行われているスタジアムも、みんなきれいすぎる。当時の下水道普及率は10%未満、いまでは日本全国公共の場所はすべて水洗トイレだが、当時はほとんど全部が非水洗であった。確か原作では丹下ボクシングジムはトイレを川にそのまま流していたのではなかっただろうか。

そんな時代に、法務省配下の矯正施設である少年院が、あんなに整然としていたはずがない。みんな体格がよくて、すり切れてもいずツギもあたっていない体に合ったきれいな制服を着ているのを見て、「ロンゲスト・ヤード」に出てきたアメリカの刑務所のようだと思ってしまった。

ジョーが橋の上に咲いている花(タンポポ?)を見るシーンがあったが、当時は舗装道路があまりないので、雑草がそこら中に生えていた。誰かが草むしりをして花だけ残しておいたのだろうか(ドヤ街でそんな悠長なことをする人がいるとも思えないが)。橋といえば、山手線より東の地域は、かなり最近になるまで台風が来ると川があふれた。だから丹下ボクシングジムもドヤ街の食堂も、ちょっと雨が降ると水没する建物という前提で描かれていたのである。

そうした時代背景をとらえないと、白木葉子が少年院に来ている意味も十分には分からない。当時の金持ちといえばかつての華族であり、十年ちょっと前にはまさしく「身分違い」だったのである。21世紀の今日における、きれいなお金持ちのお嬢さんとは訳が違う。もしかすると、映画の中でも白木財閥が地上げをするようなことを言っていたから(地上げはバブル期。時代が違う)、製作者自身もよく分かっていないのかもしれない。

こういう次第で、この映画はせっかくのキャストを生かしきれていないように思ったが、あしたのジョーも第二部になると昭和40年代、テレビ全盛期のボクシングになり、あまり現在と変わらなくなる。続編が作られるとすれば、それほど違和感のないものになるだろう。刺青ボクサー・タフミルを呼んできてハリマオをやらせたら、面白いかもしれない。

[Jul 13, 2011]

通勤途中に鞄を持ち去られた話

先週の金曜日の話である。通勤途中に鞄を持ち去られるという事件があった。

正直なところ、先々週の土・日も出張で2週間休みなしで仕事した末の週末ということで、自分では平気なつもりでいたけれど相当に注意力が散漫になっていたのだろう。JR総武線に乗り換えて会社に向かうわずか10分足らずの間に、網棚に置いた通勤鞄を持って行かれてしまったのである。

この日の天気予報は雨で、出掛けにも雨が降っていたため、大きなこうもり傘を持っていた。そしてもう片方の手でつり革につかまるため、目の前の網棚に荷物をのせた。次の駅で、前の席に座っていた人が下りたので、そこに座ったのが間違いだった。さて自分が下りようと鞄を取ろうとしたら、網棚の上には何もなかったのである。近くに他の通勤鞄があったけれど、色も大きさも違う。

目の前が真っ暗になった。唯一身に着けていたのは私用の携帯とそこに入っているモバイルsuicaの定期券だけで、会社の社員証も、入館用のIDカードも、財布も定期も、中に入っている免許証もクレジットカードも私鉄用のPASMO定期券も、みんな鞄の中である。BOSEのノイズキャンセル・ヘッドホンもiPODも、また買い直すとなれば相当の出費である。

さらに困るのは家のカギが入っていることで、免許証で住所が分かるから家に入り放題である。動転してはいたけれども、JRと駅前の交番にそれぞれ相談する。JRは出てきたらお知らせしますというだけ。交番では調書を作ると1時間以上かかるというから、これは後にしてとりあえず家に電話した後、会社に向かう。

守衛さんに事情を話してマスターキーで部屋に入れてもらう。とりあえず朝に片付けなくてはならない仕事をし、それから銀行とカード会社に電話してキャッシュカードとクレジットカードを止めてもらう。

もしかして誰かが間違えて持って行ったとすれば、駅に届けるだろうからJRから連絡があるはずである。ところが、1時間近くたっても連絡はない。ということは、持って行った奴に悪意があるということである。仮に戻ってきたとしてもスキミングなどのリスクを考えれば、クレジットカードは無効とせざるを得ない。

最初は、もしかしたら鞄を間違えられた可能性もあると悠長に考えていたけれど、どうやら故意に持って行かれた可能性が強くなってきたようである。会社に言って、IDカードを止める準備をしてもらう。総務からは始末書を用意するように言われる。何ということでしょう。

これまでのサラリーマン生活の中で、酔っ払って寝込んでしまい鞄を持ち去られたことは十四、五年前に一度、その他に帰宅途中で荷物を忘れたことが三、四回ある。しかし、朝の通勤中にこんな目にあったの初めてである。

仮に悪意がなく間違えただけだとしても、駅に届けていないということはそこらに置き去りにしたということだし、そうなればその人が盗まなくても他の人が中身をみて物色すれば同じことである。現金は仕方ないとしても、鞄と中身だけでも戻れば被害が少ないのだけれど、そう思っている間に2時間が経過した。これはあきらめざるを得ないようである。



いまやIDカードの再作成が最も急ぎの仕事になってしまった。先ほど時間がかかると言われて後回しにした交番へ向かう。

行ってみて分かったのだが、盗難届に時間がかかるのはこちらが説明したことを警察官が調書に書いて、それを承諾してこちらが署名捺印するという煩雑な手続きをとるからなのであった。せっかく鞄の中身を一覧表にしてワープロ打ちして行ったのに、あまり意味のないことになってしまった。

「私は通勤のため、浅草橋駅から総武線に乗り、網棚に荷物を置いて座っていました、でいいですね。」

「はい。ただ座ったのはお茶の水で前の人が下りたからで、それまでは立っていました。」 「それだと、私は通勤のため浅草橋から総武線に乗り、網棚に荷物を置いて立っていました。お茶の水駅で前に座っていた人が下りたので、荷物をそのままにしてその席に座っていました、でいいですね。」

といった調子である。そんなふうに調書を作っている間にも、交番にはいろんな人が来るので作業が中断される。たいていは道を聞く人なのだけれど、中には明らかに暇つぶしに来ているような人もいる(日本人なのに”めるしーぼくー”とか言って入ってくる奴とか)。そういう人にも警察の人たちは丁寧に応対しているから、大したものである。

調書が半分できたくらいに会社から電話が入った。JR津田沼駅から連絡があって、車庫に入る電車の中から鞄が見つかったとのことである。鞄を開けて、社員証や名刺から連絡先を探したとのことであるから、私の鞄であることは間違いないようだ。もう11時を過ぎているので、3時間ほど鞄だけが車内に残されていたということになる。

その電話を警察の人も聞いていて、早速行ってみた方がいいですよという話になる。せっかくここまで書いたのに、おそらく交番としては盗難届を出されるといろいろ手続きが面倒なのだろう。しかし、行ってみたらいろいろ盗られていたということもありうる。追って連絡することにして、そのまま1時間近く先の津田沼駅に向かう。

そして行ってみたところ、何と現金を含めて中身が一通りそろっていたのである。駅員さんと話したところ、おそらく持って行った人が間違いに気付いて電車に置いて行ったのではないかとのことであった。それにしても、物騒かつ思いやりのないやり方である。見付かった電車と車両を聞いてみたが、電車は分かるがどの車両かは分からないということであった。

という訳で鞄を取り戻し、お昼休み一杯かかって会社に戻った。幸い社員証もIDカードもあったので、午後からの仕事に差し支えることはなかったし、始末書も出さないで済んだ。クレジットカードとキャッシュカードの再発行手数料がかかるけれど、その程度は仕方がない。

一番心配した家の鍵だが、簡単に合いカギの作れない(メーカーに行ってオーダーメイドで作る)鍵であるので、2、3時間程度であれば大丈夫ではないかと判断した。ほんとに、鞄の中身を全部捨てられでもしたら、相当の出費になったところであった。

しかし、鞄を持って行った奴が純粋に間違えたとしても、やったことは盗んだのと同じことである。私ならどうしただろうと考えると、やはり普通なら駅に届けただろうと思う。間違えて持って来たとは言えないとしても、ベンチに置きっぱなしになっていたとか何とか、言い訳はいくらでもありそうなものである。

さて、こういうことがあったので、土曜日の休日出勤は他の人に代わってもらった。これだけぼんやりしている場合、大きなミスに結びつかないとは限らないからである。そんな訳で、先週の週末は久しぶりの完全オフでゆっくり過ごすことができたから、まあその点は結果的にはよかったのかもしれない。

[Aug 3 ,2011]

東横イン、苦境?

前にビジネスホテルのことを書いた時、念頭にあったのは東横インであった。その後、なるべくなら東横インを使わないようにしていたのだが、時には他のホテルが満室で選ばざるをえないこともある。先週青森から帰った後の出張は、そんなわけで久しぶりに東横インに泊った。

部屋に入ってまず驚いたのは、アダルトビデオ(AV)のパンフレットが一番上に置いてあったことである。おまけにテレビ画面には、オンデマンドでAVも見られますという注意書きがわざわざ立てかけてある(下の写真)。AVを置かないというのはそれなりに品位あるサービスだと思っていたのに、東横インにとっては単なる経費節減策だったようである。

そういえば、しばらく前から部屋の備品は歯ブラシ以外なくなり、石鹸やかみそりが必要な人は、フロントから取っていくシステムである。チェックインの際には、連泊の人はエコプランに協力してほしいとのセールスが行われる。リネンの取り換えも部屋の掃除もしないのに300円しか引かないというのは、環境保護というよりさらなる経費節減のためであろう。エレベータに乗ると、フロントでカップヌードル200円(高い!)のセールスまでご丁寧に貼ってある。

前の記事では、東横インのことを以下のように書いた。<以下引用>

----------------------------------------------------------
これはサービス業すべてに言えることだが、売上を伸ばそうと思ったら、客を増やすか客単価を上げるかどちらかしかない。客を増やすためには客回転を上げる、リピーターを増やすなどのオプションが加わるが、基本は二つのうち一つである。ところが東横インのようなビジネスホテルでは、売店やレストランなど室料以外の売上手段がない。

だから、その日泊まった顧客についてそれ以上客単価を増やす術(すべ) がない。地方に行くと部屋まで配達してくれる宅配系の飲食店やレンタカーなどが入っている例はあるが、フロントで聞いても要領を得ないことが多い。おそらく外注先に丸投げしているからであろう。昔と違ってみんな携帯を持っているから電話を取り次ぐこともなく、チェックイン、チェックアウト以外に顧客との接点がほとんどないのである。

結果としてこれらのビジネスホテルでは、省力化だけが現場でできる最大の努力ということになる。連泊なのに昼間は部屋を使うことができなかったり、チェックインの際いくら混んでも2人以上で対応しないためフロントが大混雑したりして顧客の不満がたまっても、ホテル側には問題とはならない。いくら気分をよくしてもらっても、室料以上のお金を落とすことはないからである(自販機の売上が少々伸びるくらいであろう)。<引用終わり>
----------------------------------------------------------

おそらく私の泊まった東横インでも、ホテル間の競争激化により、部屋の稼働率が下がっているのだろう。上に引用したように、この手のビジネスホテルで売上を伸ばそうと思ったら、取る手段はきわめて限定される。アダルトVODやカップヌードルでは追いつかない。だとすると、さらなる経費節減策として、部屋を片付ける経費を減らすということになるのだろう。

しかしながら、そもそもサービス水準が低いのに、きれいな部屋を提供するという部分まで削ってしまったら、そのホテルをあえて選ばなければならない理由はあるのだろうか。まあ、AVが好きな人も多いのでそれなりに需要は回復するのかもしれないが、いまの世の中TVがなくても、インターネットからいくらでも見られるのである。

本来サービス業であるべきビジネスホテルを、不動産業にしてしまった東横イン。自らが低くした参入障壁により稼働率の低下を招いているとすれば、回復は相当難しい。泣くのは労働を強化される従業員と、賃貸料を引き下げられるオーナーだけということになるのだろうか。

東横インの新(?)サービス、アダルトVOD。


[Nov 23, 2011]

ページ先頭に戻る    思うこと2008←    →思うこと2012    思うこと目次