なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

憲法改正は天が見放したか    N国党はろくなもんじゃねぇ
多チャンネル放送の予想と現実    再び敗れた大阪都構想
バイデン氏大接戦を制す    日本人と二重行政
日本の憂鬱な未来    こんな体たらくじゃ新聞もTVも


憲法改正は天が見放したか

2月以来、めまぐるしくいろいろな事件が起こった。先週はきゃりーぱみゅぱみゅまで巻き込んだ検察庁法改正が、文春砲一発で吹き飛んだ。

私が思うに、定年延長は世の中の流れであり、改正案そのものより人格・識見に問題があっても官邸に受けのいい人物をルートに乗せるという検察庁の組織的な劣化が問題と思うのだが、それはさておき。

あまり世間で言わないのだけれど、今回のコロナウィルス、オリンピック延期、検事長の問題等々でいつの間にか多くの人の関心の外になってしまったのが、憲法改正である。

安倍政権が憲法改正をしたくて仕方がないのは、結党以来自民党の党是であること、祖父の岸信介が熱望して果たせなかった夢であることに加え、首相自身が未来の教科書に名前を残したかったからだと言われている。

そして、公明党・維新の党など改憲に前向きな勢力を含めれば、現在の衆参両院の議席数は国民投票に持っていけるだけの数的優位を確保している。この状況は、戦後75年で初めてのことなのである。

昨年暮れまで、今後2年近く残っている衆議院議員の任期満了までに国会手続きを終え、憲法改正の国民投票を行いたいという意欲は明らかであった。コロナ騒ぎが起こってからも、憲法がこうだから非常事態宣言の実が上がらないのだという主張までしそうであった。

ところが、今般の検察庁法改正の一連の手続きの中で、著名人を含む何百万人が改正案反対の意思表示をした。こうした動きがマスコミ等で取り上げられたのは、政権への忖度をしすぎたという反省があったのかと思うが、明らかに流れが変わってきたのを感じる。

マスコミの対応変化は、例のアベノマスクがきっかけになったように思う。コロナ対応が必ずしもうまくいっていないアメリカにせよイギリスにせよ、だからといって政権支持が目に見えて揺らいだ訳ではない。ジョンソン首相などはかえって評価を高めた。(トランプの場合、マスクもしないしゴルフ三昧なので別の問題)

すでに数ヶ月にわたり全世界でヒトやモノの移動が制限され、経済活動は急ブレーキがかかっている。南半球はこれから冬であり、パンデミックの収拾にはまだまだ時間がかかるだろう。今後、経営が立ち行かなくなる企業が続出することは避けられない。

見当違いの上おとといやっと届いたアベノマスク、補償措置のない長期間の自粛要請で、すでに安倍政権は国民の支持を失っている。秋の臨時国会でも来年の定例国会でも、憲法改正案など出せる状況にないことは間違いない。そして、東京オリンピックが中止となれば先行投資した企業は目の前真っ暗だし、すでに入場券を買っている人も多いので大混乱になるだろう。

こうなると、憲法改正は天が味方しなかったということである。平成上皇は憲法改正に反対だったとみられているが、やはり、天皇が味方しないものは天も味方しないということのようである。

来年秋までに行われる次回の総選挙では、現政権がいまの議席数を確保することはまず無理である。公明党あたりは、機をみるに敏だから政権内にとどまるかどうかさえ疑問である。

だからといって民主党が頼りにはなる訳ではないのだけれど、自民党ではダメということになるのは確実である。改憲に前向きな勢力が絶対安定多数を占めることは、いまの国会が最後になるだろう。

半年前まで、都合の悪いことは役所が過去の書類を改ざんしてまで守ってきた絶対政権が、あっという間にレイムダックである。そういう連中しか味方しなかったという安倍首相の不徳のいたすところではあるが、もし、憲法改正を声高に主張したことの報いだとすれば、まさに天罰ということになる。

わが国では、権力におごる人物は、高転びに転ぶことになっている。おりしも、今年の大河ドラマは明智光秀が主人公である。何かいろいろなことが符合して、こわいくらいである。

[May 26, 2020]

国会の絶対安定多数を占め憲法改正に突き進んでいた安倍政権ですが、天が味方しなかったようです。


N国党はろくなもんじゃねぇ、印西市長選

先週の日曜日はわが印西市長選挙の投票日だった。中小の地方自治体といえども、いい加減な候補者を当選させるといつぞやの本埜村リコールのような騒ぎになるから注意しなくてはならない。今回も、見過ごしできない候補者が出てきたので選挙に行ってきた。

最初に原則論を確認しておくと、政治に関する意見の表明は各自が自由に行う権利があり、選挙に出る出ないも本人の自由である。それは当り前のことで、改めて言うまでもない。

ただし、公約を掲げて選挙に出た以上、もし当選したらその候補者は公約の実現に向けて努力する義務がある。諸般の事情により実現が難しいことだってあるが、かつて青島都知事が公約通り都市博を中止したようにやれることはすべきだし、少なくとも努力する姿勢は見せるべきだと思っている。

しかるにNHKから国民を守る党、いわゆるN国党は、公約をかかげて国会に1議席を獲得し、税金から政党交付金を受けているにもかかわらず、党首が議員を辞め、どこかの補選や都知事選に立候補を繰り返すのみである。

参議院議員選挙でN国党に1票を投じた人達は、それでNHKが姿勢を改めるとまでは思わないものの、視聴料の強制徴収や政権に偏向した報道内容に一石を投じてもらいたいと思ったはずである。ところが、この体たらくである。

NHKと地方自治がどう関わるのか知りたいので、選挙公報を読んでみた。ところがこの候補者、自分の氏素性や印西市との関係をうかがわせるような記載を一切していない。(ちなみに、もう一人の候補者は古くからの印西町民で市議10期、地元ブランドの成田高校卒業である)

なぜ立候補したのか。公報によると、「私の友達の△△さんは、国会議員秘書をやり税金も納めているのに、被選挙権がないので立候補を受け付けてもらえませんでした。だから私が立候補します。」

公約に至っては、北総線の運賃補助、NHK戸別訪問禁止、20代の若者に月額16,540円支給あたりはまあいいとして(財源は?だが)、「めんどくさいゴミの分別を廃止します。」(このとおり選挙公報に載っている)

!!意味不明である。誰かが分別しないで、燃えるゴミもビン・カンも電池も粗大ゴミも一緒くたに焼却炉に入れればいいということだろうか。これで、早稲田大学卒だそうである。

処理場の人に全部やらせますというなら、まず市長候補者の自分がやれ。ゴミの分別程度ができない候補者が、市長になって、訳の分からない国からの要請や住民からの陳情をどうやって交通整理するのだろう。

この候補者の頭の中では、自分と自分の友達の権利は何よりも重く、地元住民のため何をしたいかではなく自分と自分の友達が選挙に出たいというただそれだけなのである。権利の主張ばかりで義務という概念が頭から抜けているのである。

参議院の比例代表であれば、受かったけれど辞めますといっても名簿順位で繰り上がるだけだが、市長にはそんな制度はない。ドブさらいとまでは言わないけれど、市民全体の奉仕者となる覚悟がない人間に、選挙に出てきてほしくないのは私だけであろうか。

昔もよく分からない政党がたくさんあった。性犯罪から婦女子を守るなんとか新党など、票は集まらなかったけれどその主張にはなるほどと思わせるものがあった。ところがN国党では、公約や主張はキャッチコピーみたいなもので、まともに受け取られては困るようなのである。

こうした連中にとっては、「ぶつくさ言わないでよ。自分のおカネで選挙に出てるんだから、勝手でしょ」ということなのだろうけれど、昔は公器という言葉があった。みんなが共通で使う施設や仕組みは、おのおのが勝手な使い方をしてはみんなの迷惑なのである。

他人の迷惑をかえりみず、自分の権利ばかり主張する連中は「ろくなもんじゃねぇ」と言われたものである。N国党も、間違いなくその範疇に入ってくるグループといえるだろう。

さて、選挙結果はというと、26,752対2,633、本埜村リコール選挙以上の90%を超える圧倒的大差で現職市長が再選された。当り前ではあるがほっとした。選挙カーも回ってこなかったN国党に入れた人が二千数百人いたのは、ほとんどが現職への批判票であろう。

現職市長も前回当選時の公約で、「小中学校の全教室を冷房化」と言っておきながら、予算の都合でできていない。もう少しまともな対立候補が立っていたら、どうなるか分からなかったのである。

[Jul 21, 2020]

N国党がわが印西市長選に立候補してきた。国会に1議席与えてもらったにもかかわらず「NHKから国民を守るために」何もしない党が、印西市長になって何をするというのだろうか。ろくなもんじゃねぇ。


多チャンネル放送の予想と現実

ワイドショーやドラマばっかり見ていた家の奥さんが、コロナ以来YouTubeばかり見ている。ミヤネ屋とかよく知らない女優のくさい芝居を見るのは苦痛だが、ひたすら木を伐り家を建て、英語で話すガタイのいいおっさんは、一緒に見ていて疲れない。

上の説明のとおり、奥さんの最近のお気に入りは"My Self Reliance"である。あの映像には相当の手間と費用がかかっているけれども、日本発のYouTubeも悪くない。

「古民家ひとり暮らし」とか「ご飯が美味しいch」「テルさんチャンネル」、ヒロシとかtaimanもよく見る。山歩きや限界集落など、興味ある分野は尽きない。こうした映像を見ていると、もう地上波でも衛星でもなければ、CS、abemaの時代ですらないことを実感する。

50年くらい前のことを「半世紀前の話」シリーズに連載しているが、子供の頃は地上波VHFだけで、1・3・4・6・8・10しかチャンネルがなかった。なぜ自分の気に入る番組がないんだろうと素朴に思っていた。

小学生の頃にUHF放送が始まって、これで50チャンネルできると喜んでいたら、あれは郵政省の電波行政によるもので、千葉県では千葉テレビしか増えなかった。四半世紀前にCS放送ができた時は、今度こそ1000チャンネルと思ったのに、通販とアダルト番組が増えただけだった。

その意味では、社会人になって大阪に行った時、大阪有線がやっていた200チャンネルのBGM放送はすごく新鮮だった。役所の規制がなければこういうことができるのか、と思った。役所が免許を出してやっている限り、50チャンネルの枠があっても使うのは10以下にしかならない。

バブルが崩壊して、次に来たのは世知辛い世の中だった。放送局は増えたが広告費は削減され、結果として通販番組ばかりになった。でなければ、広告の入る視聴率が稼げる番組で、お笑い芸人とかジャニーズ、吉本・秋元関連ばかりになってしまった。

そんなものはつまらないに決まっているので、TV自体見なくなっていた。CSでもNFLを盛んに流していたのは一時期だけで、採算が取れないので次々と撤退し通販番組になっている。

数年前から、子供のなりたい職業にYouTuberが入ったり、YouTubeで高収入などという話が物珍し気に採り上げられた。さすがに、最近ではそんなことに驚く人はいなくなったけれど、考えてみれば全く不思議ではない。

つまり、メディアリテラシーのない年寄りを除いて、いまどき地上波TVなど誰も見ないのである。YouTubeで面白い番組や興味ある内容が流されていれば、みんなそれを見る。企業の広告費はそちらに流れるし、アイデアや才能もそちらに向かう。

YouTubeだからみんな自撮りだと思っていたら大間違いで、人気番組はちゃんとプロダクションが付いてきちんとした映像を撮っている。例えは悪いかもしれないが、田中陽希の自撮り映像とNHKスタッフの撮影した映像くらい違う。行ってQの現地ビデオなど比較にもならない。

昔は最新のヒット曲やかわいいアイドルはTVの歌番組で見るしかなかったが、いまではYouTubeのミュージックビデオとか、かわい子ちゃんが自主制作する番組である。昔の小学生がTV局に入りたいと思ったように、いまではYouTuberになりたいのである。

そして、長い間期待していた多チャンネル放送が、予想とは違った形ではあったけれど、予想をはるかに上回る規模で実現したことになる。UHFとか衛星放送とか、CSといった電波帯域割当てによるものではなく、ソフトウェアで実現したのである。

YouTubeにupされている動画は、全世界で数十万数百万、あるいはそれ以上の数になるはずである。そして、Googleのホストコンピュータの容量が許す限り、いつでも、どこでも視聴可能である。

とはいえ、新聞・雑誌のテレビ欄に代わる機能を提供するのはGoogleのAIで、動画全体は無限に近くあるとしても、候補にあがるチャンネルは限られる。

Amazon StickTVでGoogleのAIとなると、ほとんどGAFAの掌の上と言えなくもないが、日本の偏向マスコミよりはまだしも上であろう。

[Oct 8, 2020]

最近の家の奥さんのお気に入りは"My Self Reliance"。カナダの大自然の中で、ひたすら木を伐り家を建てる。個人的には、奥さんや娘はあまり出さずに、犬だけでいいと思う。


再び敗れた大阪都構想と維新の会の今後

11月1日に大阪都構想の賛否を問う住民投票が行われ、5年前と同様に僅差で反対票が賛成票を上回った。松井市長は任期満了をもって政界引退することを発表し、吉村知事は「3度目はありません」と表明した。

前回同様、東京における投票前の報道はほとんどなく、イギリスのEU離脱時の10分の1にもならなかったろう。ところが、反対多数が判明したとたん、トップニュースである。節操のない報道姿勢である。

反対多数の理由は、5年前に考察した時点とほとんど変わらないと思っている。「おもろいやないか」で橋下・維新に投票してきた層が、自分の懐に関係しそうだと思ったとたん反対に回ったということであろう。

5年前に否決された都構想が、なぜこのタイミングで再び住民投票になったのか。思うところを述べてみたい。

発端はおそらく、コロナで人気急上昇の吉村府知事である。維新の会のオーナー・橋下氏は、これが都構想実現の最後のチャンスとみて松井・吉村をせっついたのだろう。おそらく二人は、コロナ対応のさなか不要不急の住民投票などやりたくなかっただろうが、オーナーには逆らえない。

しかしながら、5年前の都構想とはその位置づけが大きく異なる。5年前の都構想は手段であり、行政改革の実績をあげることで国政へと進出することが最終目的であった。それが、橋下氏の遠大な計画の一部だったのである。ところが、今回の都構想は手段ではなく目的であった。

都構想で大阪市を消滅させることになれば、バブル期に国鉄・電電公社・専売公社を民営化したのに匹敵する一大事業となる。そうなると、松井・吉村には荷が重い。自分の出番が来ると橋下氏は思っていたに違いない。

どういう法律・条例を作り、どこの省庁にどういう省令を出させ、大阪府はどう組織替えして、特別区の組織や規則はどうするか、大阪市はどういう手順で整理するか。橋下氏はそういうことを考えるのが大好きなはずである。

あるいは、吉村知事の人気急上昇に対する警戒感もあったかもしれない。賛成多数になれば自分の出番、反対多数であれば吉村知事の力不足をアピールすることになる。どちらに転んでも自分にはマイナスにならない。

とはいえ、多くの人は今回の住民投票を橋下氏の差し金とみているので、吉村知事の人気が下がることにはならないだろう。むしろ、今回形だけにせよ公明党が賛成に回ったのは、吉村知事に貸しを作るためだったように思える。

(前回考察したように、府と市の二重行政は公明党にとってむしろ望ましいので、本気で賛成するはずがない。)

今回の住民投票結果を受けて間違いなく進むと思われるのは、橋下氏の求心力低下である。島田紳助がTV画面から退いて数年、橋下氏もそろそろ賞味期限が切れておかしくない。まだ若いから完全引退とはならないだろうが、かつてのように国政に進出してその先まであるかも、という存在ではなくなる。

松井市長がいなくなれば吉村知事が党の顔になるが、残念ながら吉村知事には橋下氏のようなビジョンがない。既存組織を生かしてやっていきましょうというのは、徳川幕府はそのままで明治になるようなもので、それは維新ではない。

振り返ってみると、維新の会というのは良くも悪くも橋下氏のビジョン、悪く言えば野望で作られた党であった。大阪都構想の敗北とともに、維新の会もこのままの形では残らないであろう。

[Nov 3, 2020]

住民投票で反対票が多数となり、政界引退を発表する松井市長と、「3度目はありません」と肩を落とす吉村知事。


アメリカ大統領選、バイデン氏大接戦を制す

アメリカ大統領選挙は、二転三転の大接戦を民主党・バイデン候補が制してトランプ再選を阻止した。

一週間前のオッズは、トランプ2.7、バイデン1.4だった。投票日前にはバイデン氏の地滑り的勝利を予想していて、予定稿を5日にupする用意をしていた。ところが、日本時間4日に開票が進むとトランプ氏が激戦州で軒並み優勢となり、深夜に勝利宣言するに至って原稿を書き直した。

翌5日朝起きてみると、また様相が一変していた。トランプ氏が勝ったと主張していたウィスコンシン州とミシガン州が逆転、主要メディアが両州でバイデン当確を打っていた。ペンシルバニアとジョージアも6日に逆転した。

日本時間8日未明、ペンシルバニア、ネバダでバイデン氏が当確となり、主要メディアはバイデン勝利を報じた。トランプ大統領は郵便投票の不正を主張するけれども、「証拠がない主張」として、主要メディアから記者会見中継を打ち切られる始末である。

さて、今回の選挙で気になったのは、主要調査機関の世論調査でバイデン氏約5ポイントリードと報じられていたことである。にもかかわらずトランプ氏が勝ったとすれば、アメリカのシンクタンクは4年前と同じ間違いを繰り返したことになる。

4年前の本稿では、トランプ支持者の多くは世論調査の対象から外されているのではないかと考察した。現地の論調でもそうした指摘はみられたし、当然そのあたりは修正されたはずである。

私は米国シンクタンクの調査能力・知的水準は桁外れであると思っているし、カネもかかっている。主要メディアの当確打ちにも使用されるデータであり、信頼性も高い。(日本のように翌日になれば開票がすべて終わることはなく、メディアの当確で選挙の勝敗が事実上決まる。)

にもかかわらず、世論調査で5ポイント以上リードしているはずの五大湖沿岸各州がトランプ氏優勢で進んでいるのを見て、これはどういうことなんだろうと考えこんでしまったくらいであった。

かなりの差が開いていたテキサス、フロリダでもなかなか当確を打たず、世論調査との違いにパニクっているのかと思ったほどだった。しかし、五大湖沿岸では、結局世論調査が正しかったことが証明された。

思えば、ニューヨークやビバリーヒルズの目抜き通りでショーウィンドーに板が打ち付けられバリケードになっていたのも、バイデンが勝つけれども接戦という予測があったからではないかと思われる。トランブ勝利でも、バイデン圧勝でも騒ぎにはならない。トランプ支持者が暴れるのは、バイデン辛勝の場合のみである。

ジョージア州では票差が数千しかなく再集計になると報じられているし、ペンシルバニア、ミシガン、ウィスコンシンではトランプ氏が不正を主張して提訴しているという。もし本当に不正なら、米国はベラルーシ並みということになる。とはいえ、このままの情勢なら両者の選挙人数の差は60程度になるので、そう簡単にはひっくり返らない。

それにしても、トランプのままでいいという有権者が半分近くいるというのは驚きである。日本から見ると、新型コロナウィルスで20万人以上の死者が出て、警察官による黒人容疑者暴行で世情が騒然とし、米中経済摩擦で株価が乱高下する現状はどうかと思うけれど、半分近くのアメリカ人は、それほど気にしていないのである。

確かに、コロナウィルスは病気であって大統領の責任ではなく、病院や衛生環境整備は州や市の仕事である。秩序を乱す連中に対して警察で足りない場合には、軍隊を動員して当然と考える人もいるだろう。

株価は高水準にあり、経済が悪いと思っていないと言われれば、それはそうである。GMやクライスラーの時代ではないが、彼らに代わってGAFAが世界市場を席捲しており、他の追随を許さない。前世紀の製造業など、中国にやらせておけばいい。

「たいしたことはない。夏になれば治まる」と言いつつ自分が感染したのは褒められないが、すぐに回復して職場復帰したのだから問題ない。感染したらしばらく出てこれないだろうバイデン氏に比べれば、丈夫な分アドバンテージがある。

そう考えると、こちらで考えるほど米国内では気にしていないのも無理はないような気がする。とはいえ、マスクもしないしWHOからも撤退してコロナ死者が20万人というのは、どう考えてもまずい状況である。常識的な感染症対策がとられるとすれば、何よりのことであった。

[Nov 8, 2020]

投票日の深夜、トランプ勝利宣言の時点で、CNNはじめ報道機関は当確を出していなかった。


日本人と二重行政

先週、大阪都構想を採り上げた際、別に思いついたことがあったので書いてみたい。二重行政についてである。

若い頃大阪で働いたことがあって、中小企業が銀行から借り入れをする時に利用する信用保証協会が、「大阪府信保」と「大阪市信保」の2つあった。大阪市に本社を置く会社は両方使うことができるが、両方とも上限いっぱいにはできなくて、2つ合わせていくらまでと決まっていた(細かいことは忘れた)。

本来別法人であるから、それぞれの基準でやっていればいいように思えるが、実際に貸し倒れが起こった時困ることになる。だから、「府」と「市」で調整して、そういうふうに決めていたのであろう。

東京には東京信用保証協会しかないので、おかしいではないか。合理化すべき、とは誰も考えなかった。そういうものであり、それに合わせて使う側が工夫すればいいとみんな思っていたのである。

道路には国道、都道府県道、市町村道があるが、誰も不思議には思わない。広域農道やスーパー林道など、行政で管理している道路は他にもある。それぞれ役割分担は違っているけれども、用途はほとんど一緒である。

道路を作るにせよ保全するにせよ、窓口が分かれていては非効率ではないか。一緒に発注した方が安くできるはずだというのはその通りだが、わざわざ手間暇をかけて一緒にするまでのことはない。いまあるものはそのままでいいとほとんどの人は思っている。

府民ホールと市民ホール、同じようなものを作るのは無駄だと橋下氏が最初の頃言っていたと記憶しているが、大阪市民にとっては2つだけれども堺市民や岸和田市民が大阪市の施設を使う際には制限があり、府の施設もあった方がいい。

同様のことは公園や学校、図書館、スポーツ施設についてもいえる。大阪府大と大阪市大が両方あるのはムダだとか、公園は市町村で整備すべきで県がやるのはどうかとか、思っている人がいたとしても少数派だろう。

住民サービスの向上につながることは、基本的にどこがやってもいいのである。公営住宅は県と市で両方あった方が、より多くの人が利用することができるし、福祉サービスも同じである。公明党や共産党の口利きに使われる懸念があったとしても、それで助かる人が一人でも多い方がいいに決まっている。

もしかすると、これは日本人のDNAに組み込まれたものではないだろうか。

江戸時代には、幕府があって、藩があって、村があった。飢饉といえば幕府や藩がお助け小屋を作って救済したというのが教科書に書かれているが、村でも当然やっただろうし、余裕のある人は個人でもやっただろう。それは誰の仕事だとか、同じことをいろんな人がやるのは非効率だとか、どうでもいいことである。

もし、二重行政で大阪府と大阪市が両方10%税金を取っているのであればまずいだろうが、地方税は合計10%でそれ以上取らない。それを府と市で割り振るのだから、おカネの算段がつくところができることをしたらいいというのが普通の考え方である。

先週も書いたとおり、大阪都構想は橋下・維新の野望の第一段階で、行政改革を果たすことで国政へ進出することが最終目的だった。

しかし、仮に大阪市を整理することができたとしても、それで税金が下がるのでなければ、住民にメリットはない。府と市の仕事をきっちり仕分けできたとして、可能なのは公務員の削減・合理化だけである。

企業の収益改善には結局リストラだというのと同じ発想である。行政改革イコール公務員の削減だとすれば、行きつくところ行政サービスの低下にしかならない。繰り返すけれど、いいことはいろんな人がいろんな場所でやっていいのである。

[Nov 11, 2020]

公園や図書館、学校、公民館、道路や住宅など住民サービスのための施設は、県がやろうが市がやろうが(国がやろうが)多くの人は気にしない。


日本の憂鬱な未来

先週、兵庫の中学校で全校合唱コンクールを開いてクラスタになったというニュースに関連して。

学校が強制休校にならないからといって、合唱コンクールまでやってしまう教師や教育委員会と同じようなバカはいっぱいいる。プールでしゃべるのをやめないばあさま達もそうだし、Go Toしなければ損と囃し立てるマスコミもそうである。

みんな、自分の頭で考えない。誰かが強権的に命令しなければ、やりたいことをせずにはおかない。ところが、誰かが命令すると自分だけでなく、他人のことまで口出しして巻き添えにする。

そういう人達が組織上位に来ると、イエスマンを回りに置いてお山の大将になりたがるので、日本全国どこの組織も、下に行けば行くほどバカばっかしになっている。

そういうバカが組織の上に来ると、知恵とか知識に敬意を払わず、カネばかり大切にする。安倍とか菅とか二階とか、みんなそんな連中である。でも、他の人もほとんど知恵や知識ではなくカネなので、誰も何も言えなくなっている。

そのくせ、ゴーンのように日本語が通じないのが上に来ると、無条件にぺこぺこして何十億何百億とむしり取られる。代表から外されるのが嫌でセクハラを甘受したり、弱い者いじめをして自分が優位にあることを示したり、そんな奴らばっかしである。

おそらく日本人の性根というのは、そんなもんだと思う。第二次大戦の前は一億火の玉で本土決戦だと悲壮感をかき立てておいて、負ければ一億総懺悔。気が付くと戦犯の係累が十年近く総理大臣だったりする。

戦争の時だって、こんなことをしちゃいけないと言った人はいたけれども、その多くは非国民と罵倒されてひどい目にあった。先見性があって自分で考える頭のある人をみんなでつぶすのが、日本の社会なのである。

そういうことばかり見て来て、日本の未来がなんとなく想像できるようになった。現在こんなにバカが世の中を仕切っているのだから、数世代後はますますバカが仕切っているだろう。それを止める手立てはおそらくない。

いま現在、そしてこれから先に政治経済の中枢を占めるのは、カネ勘定と自分の都合だけ考える連中である。彼らの頭の中にあるのは、日本列島に住む全員がどうやって平和に暮らせるかではなく、どうすれば自分の得になるかである。

だから、日本という国があって、そこに済む人達の面倒をみるのが自分の不利になるなら、そんな国などいらないと考えるのは間違いない。自前の法律も自前の言語習慣も、カネの前には平気で捨てるだろう。

そして、より大きなマーケットで、より大きなビジネスチャンスを手にするために、超大国の一部となる決断など何の苦もなくするに違いない。そういうマーケットでそういう連中が生き残れるとは思わないが、彼らは根拠のない自信だけはある。

いまの国際社会でいうと、アメリカの一つの州になるか、中国の自治区になるかである。私にとってはNFLが見られるアメリカになる方がいいが、その頃はとっくにあの世である。

いまの日本人の動き方をみると、残念ながら中国との親和性が非常に強いと思わざるを得ない。コンピュータに個人情報をすべて把握され、中央政府の方針に反する意見を持つことは許されない。いま現在のシンガポールがそうだし、香港もそうなりつつある。

現在は言語の障壁があるけれども、何世代か後はAIが意思疎通を代替することができるだろう。日本人の多くは自分の頭で考えないでカネのことばかりだから、政治的な意見を持つなといわれても気にしないだろう。

個人情報だって、いま時点ですでに筒抜けである。大多数の人間は、資産内容が政府に知られても痛くもかゆくもない。一握りの大金持ちは、アメリカでもECでも居住地を移して結構ということである。

個人的にはたいへん憂鬱な未来だが、日本人なんて残念ながらそんな程度の代物である。せめて、私の生きている間には、そうならないことを祈るしかない。

[Dec 6, 2020]

バカばっかしの日本の現状をみていると、数世代後は中国の一部になると予測せざるを得ない。2000年前は「漢委奴国」だったのだから、先祖返りである。


こんな体たらくじゃ新聞もTVもどんどん客が離れるはずだ

3年前から新聞をとっていないし、最近はYouTubeばかりでTVもあまり見ない。数少ない例外が毎朝のテレビ体操からおはよう日本7時台の最初と、BSに切り替えてアンヌ・ソフィーの海外ニュースまで約30分だけなのだけれど、これだけでもNHKの報道姿勢が垣間見えてあきれてしまう。

先週は寒波で日本海側が大雪になり、関越道で約二千台が立往生して解消まで2昼夜を要したというトップニュースだった。確かに大雪は大変だし、これだけ大規模だと物流にも影響が出たに違いないけれども、冬に上越が大雪になるのは昔から決まっている。

融雪施設が十分でなかったり通行止めが遅れたのは人災だし、日本全国の人々に影響のあるニュースでもない。閉じ込められた人はお気の毒だけれど、正直言ってこれをトップニュースにするかというのが正直な感想である。

一方でアンヌ・ソフィーが何を取り上げていたかというと、イギリスで始まったコロナワクチンの接種と、マクロン大統領のコロナ罹患、外出制限でシャンゼリゼにほとんど人通りがないというニュースである。このところ連日、コロナ関連のニュースを流さない日はない。

それだけフランス国民の関心事はコロナということだし、放送局もそう思ってコロナ関連のニュースを中心に扱っている。もちろん、患者数も死亡者数も桁が違うのだけれど、日本だってかなり近づいてきているのである。

「口だけ勝負の3週間」の頃、コロナ担当大臣はGO TOが感染拡大の原因という証拠がある訳ではないと見得を切ったけれども、それだってNHKがきちんと取材すれば疑わしいくらい言えたはずだ。

菅がびびって一時停止を決めてからようやくニュースにして、「仕方がないけれども困ります」などと宿泊業界関係者のコメントを流している。お前たちは受信料を払っている国民に向けて放送しているのか、大本営発表を垂れ流すだけなのかと言いたくなる。

全局見ている訳ではないし、新聞は取っていないけれど、NHKがこの体たらくでは民放や新聞社の姿勢も推して知るべしである。独自取材もせず筋道の立った社説も出さず、記者クラブに出禁にならないような忖度記事を書いているだけである。

いつから、日本の報道機関はこんな軟弱になってしまったのだろう。少なくとも学生運動華やかなりし頃には、朝日新聞はもっと左寄り、読売新聞は右寄りで、政局にしても不正摘発にしても、目の色を変えてやっていたはずだ。

おそらく、新聞社もTV局も理想に燃えて関わってきた連中が後方に退いて、コネとイエスマンと、ミスをするのが怖いエリートが報道するようになったからだと思う。かれらの理想は真実を伝えて社会をよりよくすることではなく、恵まれた立場をできるだけ長く維持することなのだ。

関越道の立往生だって、いま最大のニュースは大雪関連です、と視聴者をミスリードする意図を感じる。安倍の支持者公費接待や、自民党と宿泊旅行業界の癒着、それが無理でも連日コロナ最新情報で何が悪いのかと思う。

こういうことをしている間に、視聴者はどんどんTVから離れていく。新聞だって、とらなくなって3年経つけれどほとんど困らない。唯一の問題は古新聞が全くないことだが、図書館のリサイクルで持ってくることができる。

新聞の発行部数激減は私の生きている間に起りそうな気配だが、放送業界の凋落もそれほど遠くないような気がする。私自身について言えば、もしEテレ(教育テレビ)が民営化されたら、和久田アナや林田アナには悪いが、NHKを見る意味はあまりない。

みんなそう思うようになれば、N国なんてなくてもNHKの契約者数はどんどん減るはずだ。そうでなくても、日本の人口自体どんどん減るし、いまの若い人はTVなんてなくてもあまり不自由は感じない。

[Dec 22, 2020]

12月半ばから寒波が襲来、日本海側は大雪になった。関越道での2昼夜にわたる立往生は確かに大変だけれど、NHKのトップニュースになるほどのことか、と思う。


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