なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

最近の天気予報は天気図を出さない    ゴーン騒動とニッサンの遺伝子
中高年引きこもり?大きなお世話だ!!    昭和最後の日を思う
老後資金2000万円問題    自分の仕事に最低限の知識もない経営者    2019参院選
冷夏で電気代節約、何か問題でも?    この時期に香港・韓国というのは
なぜブログを書くのか改めて考える    10月は温暖化で9月になった?


最近の天気予報は天気図を出さない

TVを見るのは、毎朝TV体操をしてから「もういちど日本」までの1時間弱に限られる。だから、他の局とか他の時間帯のことはよく知らないので、あるいはNHK6時台の番組だけなのかもしれないが、気になることがある。

それは、天気予報で天気図を出さないケースが増えていることである。最初は見逃したかと思っていた。ところが、よくよく見てもやっていない。6時53分頃の全国予報でも、57分頃の関東地方の予報でも、天気図を出さない日がほとんどである。

天気図を出さない天気予報を見ていると、一般大衆は考えなくてもいい、結果だけ知れば十分であると言われているようで、かなり気分がよくない。言葉は悪いが「愚民化政策」ということになるだろう。

確かに、気象予報士という国家資格があって、予測をしているのもNHKのコンピュータだろうからそれを知らせれば十分というのも分からないではないが、天気の予測などいくら権威がある人がやっても半々である。降水確率10%で雨が降ることなど珍しくないし、最高気温なんて大抵当たらない。

それよりも、ほぼ確実な数時間前の天気図を見た方が、まだ予測が可能である。外れたとしても自分自身の予想だから自分で責任をとるだけのことだし、家にいる場合と外に出る場合とでは見方も違ってくる。

山歩きをする人にとって、天気図を読むことは最低必要な事前準備の一つで、天気図を見ないで山に行くのは1/25000図を持たないのと同様に無謀である。日中に他の情報を入手できないケースがほとんどだから、頼りになるのは天気図しかない。

もう50年近く前の話になるが、NHKラジオで各地の気象状況を聞いて、そこから天気図を自作していたことがある。山に行く人にとって身に付けなくてはならない技術で、いまでも登山部ではやらされているのではないかと思う。いまでもあの白地図は売っているのだろうか。

いまや、スマホで気象協会にアクセスすれば出て来る時代になったけれども、大切なのは結果よりも過程、考え方を身に付けることである。どこに低気圧があれば天気が荒れるのか、どういう気圧配置でどちらから風が吹くのか、天気図を作ればおおよそ見当がつく。

地域ごとに時系列で天気分布が示されれば分かったような気になるけれども、せいぜい5kmメッシュ、10kmメッシュである。ピンポイントで自分のいる場所の天気を示す訳ではない。そんなことに全幅の信頼を置くから、ゲリラ豪雨だといってあわてることになる。

天気予報も天気図もない昔、「観天望気」と呼ばれる風向き、雲の様子、空の色などで数時間後の天気を予測した。それこそ気圧まで体感で把握できる人が少なくなかったという。それらを手掛かりに危険を察知した人の話は、昔の本を読むとよく出て来る。

現代人にそれを求めるのは無理としても、少なくとも天気図を見れば、向こう2~3日どういう天気になるか予想することができる。そういうことを一切しないで時系列予想だの降水確率だのばかり見ていると、予報が外れた場合に被害が大きいし、なぜそうなったかが分からない。

NHKも以前はちゃんと天気図を出していた訳だから、いろいろアンケートとかやった結果、「天気図を出している時間があったら時系列予想や洗濯の乾き具合、花粉情報を流す方が視聴者のニーズに合致する」ということになったのだろう。

そうやって誰も天気図を見なくなれば、やがて学校でも教えなくなるし、興味を持つ人もいなくなる。ブロだけがやり方を知っていて、一般人は結果だけ教えておけばいいというのはたいへん危険な考え方だと思うけれども、多くの人がそれを望んでいるのであれば致し方ないのかもしれない。

[Mar 20, 2019]

カルロス・ゴーン騒動とニッサンの遺伝子

カルロス・ゴーン氏の逮捕から保釈にかけての大騒ぎは、TVの恰好のネタにされてしまった。国際的には人質司法との批判があると言われるが、日本で企業活動をしていれば日本の法律に従うのが当たり前だし、嫌なら日本企業の親玉になどならなければいい。私が思うのは、ちょっと別のことである。

いまから何十年か前、ニッサンの経営陣がどんな面々だったかは覚えていないが、実質的に会社を仕切っているのは労働組合という時代があった。その頃といまと、働いている人間は当然違うのだけれどニッサンという会社は同じようなことをするんだなあということである。企業の遺伝子といってもいい。

企業は生物ではないので、遺伝子とかDNAはないという意見もあるが、かのドーキンスも「利己的な遺伝子」の中で、ミームという概念で類似の例を説明している。生物の遺伝子と同様、そうすることによって組織内で生き延びようとする傾向なり選好があるというのである。

ここまで書いていて、日産自動車とかニッサン関連にお勤めの方が読んでいたら気分が悪くなるだろうなと思ったのだが、おそらく働いている個人個人の問題ではない。ニッサン組織内の人々が従っているであろう力学のことなのである。

かつてのニッサンは労働組合幹部にいいようにされていたが、だからといって労使共調で働きやすい職場を作ろうと思ってやっていた訳ではない。次に連れてきたのがコストカッターというところに如実に現れている。労使共調とコストカットは水と油のようなものである。

彼らは企業体質強化は至上命題だと言うのだろうが、コストカットはひとつの手段であって、他にもやり方はいろいろある。売上増もあるし財務体質強化もある。当時だってM&Aは盛んに言われていた方法である。

そして、どのような手段で企業体質強化を図るとしても、その大前提となるのは遵法精神である。昨今は違法すれすれでも儲かればいいという風潮だが、そんなことが長続きしないのは江戸時代以来の例をみても明らかである。

つまり、ニッサンという組織は、「労使共調」「企業体質強化」ときれいごとを並べているが、実は会社としての本音は別のところにあり、しかも声がでかいだけの特異な人物に弱いという遺伝子があるようなのである。

かなり前のことだが、ゴルゴ13にフランスの自動車会社ルドーのゴンザレス会長というのが出て来て、政界の黒幕に「コストカットしか能のない移民の息子」と罵られていた。ことほど左様に、彼がうさんくさい人間であることは広く知れ渡っていたのである。

そういう人物に長きにわたり経営を任せてきて、逮捕されたいまになって被害者のような顔をしたって遅いのである。もちろん、検察が動いたのは内部からのタレコミだろうが、それも含めて企業の危機管理の問題であり、こういうことが起これば売上に響くくらい考えないのがおかしい。

こういう会社だから、近い将来、監督官庁や銀行からの天下り、あるいは外部有識者とやらに経営を壟断されて、同じような騒ぎを起こす可能性はかなり大きい。それまで私の寿命がもつか、会社の寿命がもつか分からないが。

話は変わるが、保釈の時に交通整理の恰好をさせたのは、「市中引き回し」以来の日本の法務省(外務省か?)の遺伝子だろう。まさに「見せしめ」のためにあれをやったのは間違いない。成田空港の金正男を思い出したのは、私だけではあるまい。

[Apr 3, 2019]

中高年引きこもり?大きなお世話だ!!

TVはほとんど見ないのだが、NHKの「おはよう日本」だけは見ることが多い。ニュースを見ても腹が立つことばっかりだからなるべく見ないようにしているのだが、見出しとかが目に入るので仕方がない。

朝7時のトップニュースのひとつが、「中高年ひきこもり」であった。推計61万人いるらしい。NHKの独自取材かどこかの大学の調査かと思ったら、内閣府の調査だそうである。

その定義を見て驚いた。

「学校や仕事に行かずほとんど家にいる状態」で、「家族以外との接触がほとんどなく」「趣味の用事や近所の買い物以外に外出しない」のが中高年ひきこもりの定義なんだそうだ。まるっきり私のことではないか。

内閣府がカネをかけて調査するのは、行政としてこのセクターに関心があるということだろう。しかしどう考えても、私のような退職者が行政に四の五の言われる筋合いではない。

その61万人の内訳をみると、家計収入の主体は父母が34%、自身が30%、配偶者が17%で、生活保護は9%という。生活保護はともかく、本人や配偶者、父母の働きで生計を維持している家庭が、行政の関心対象となるような国が古今東西どれだけあるのだろう。

各個人が独立して家計を維持しなければならないなどという価値観は、ここ2世代くらいの先進国の一部の風潮に過ぎない。人類の歴史の大部分、現在でも全人口の9割以上の比率で、現金収入があるのは家族のごく一部である。その中で助け合ってどうにか食べていけるというのが、人類のデフォルトなのだ。

老老介護や病気で社会参加できないというケースは、もちろんある。しかしその数は61万なんて途方もない数ではない。そしてそれらのケースは、「中高年ひきこもり」などという大ざっぱな括りではなく、個別具体的にそれぞれ対応が必要なはずだ。そういう細かな対応のために、市役所の福祉窓口があり、民生委員や市議会議員がいるのだと思っている。

こういう調査の気にさわるところは、「ひきこもりはよくないことだ」という価値観を隠そうともしないところである。このニュースを一目見て、「ひきこもりはよくない」「みんなで手をさしのべるべきだ」と思わない人は少数派であろう。でも、少なくともこの区分でひきこもりに分類される私は、自分がよくないとは思わないしいまのところ支援もいらない。

国や地方公共団体が税金を使ってしなければならないことは、安全保障、治安の維持と、国民・市民に健康で文化的な生活を保障することである。それ以上の自己実現とかカネ儲けなんて個人の自由に属することだ。

社会生活を営む以上、法律・規則に従う必要があるし、家庭生活を送る以上は各家庭のルールを尊重しなければならない。それ以上のことは、誰にも強制できない。「わが家ではカネ儲けはしなくていい」というのも、「学校に行かなくても勉強はできる」というのも、各家庭の自由に属することである。

こういうニュースを無批判で垂れ流しするメディアも情けないが、総理府(いまは内閣府か)というところも何を考えているのかよく分からない役所である。「61万人」という数字を出して予算折衝を有利にしたいのだろうが、総理府の職務に属することで問題がある事項は他にもたくさんある。

そうした未解決の問題は、それぞれ複雑な背景があり一朝一夕にどうこうすることが難しいのは分かる。しかし、そういう問題を嫌がって目新しい事柄を持ち出し喫緊の問題を先送りするなんていうのは、役人としてどうなんだろう。

児童福祉にせよ高齢者福祉にせよ、少子化や限界集落の問題にしたところで、総論ではいくらでもきれいごとを言えるが、最後は個別具体的にそれぞれ対応しなければならない。嫌だし面倒なことだが、そういうみんなが嫌がることをするために役人=公務員がいるのであって、試験に受かった奴に高給を保障するためではない。

働くだけの体力的時間的余裕があって働かない人を、昔は「怠け者」と言った。私は自分が怠け者であることを全く否定しないが、「ひきこもり」などと分類されて、行政の支援が必要な数に含まれるのはまっぴらごめんである。

本来、役人がやらなければならないのはもっと差し迫った、切実な境遇の人達に対する親身な支援である。片山さつきが大臣ではこんなものかもしれないが、国家公務員の知的水準低下も著しいようである。

[Apr 5, 2019]

昭和最後の日を思う

平成が終わり、新しい元号・令和になった。今回はさきの天皇陛下がご存命中の譲位であるので5月1日という切りのいい日で元号が変わったが、昭和から平成の代替わりの時いろいろ大変だったことを思い出す。

前年の秋くらいからご不例が続き、新聞では連日にわたり「今日のご病状」を報道していた。年内にもお亡くなりになるのではないかという懸念があったので、この年の年賀状は「昭和64年」と印刷せず「1989年」としたものであった。いま考えると、そういう年なので年賀状を出すのをやめようと誰もしなかったのは不思議である。

亡くなられたのは1月7日の朝である。この日は土曜日で今なら休みなのだが、当時はまだ金融機関が完全週休2日とはなっておらず、第1土曜日の7日は営業日であった。家を出た時にはまだニュースは流れておらず、会社に着いたらそういうことになっていた。

ご存命中から、お亡くなりになった時のことをおおっぴらに相談する訳にはいかなかったが、たいていの企業は「Xデー対応」として対策を協議していた。ご不例が長かったので、おそらく同業他社と足並みを揃える時間的余裕もあっただろう。

金融機関の営業は午前9時から午後3時が基本だが、土曜日なのでこの日は午後0時までだった。機械は動いていて時間外でもおカネを下ろすことはできるので、大騒ぎにはならなかった。そして翌日は日曜日、最初から営業はない。

当時の「Xデー対応」では、もし平日にお亡くなりになった場合は営業規模を縮小することになっていたと思うが、土曜日だったので影響はほとんどなかった。その頃すでに多くの会社は完全週休二日になっており、平成に入ってようやく、銀行や役所が追随したのである。

もっとも、その当時は銀行の本部にいたので、顧客対応というものは基本的になかった。営業店とのやりとりもなかったので、かえってヒマになってしまった。あまり早く帰るのもなんだから、マージャンをして帰ろうということになった。罰当たりなことである。

勤務時間は午後2時までということになっていたが、その頃の銀行はサービス残業全盛期で、土曜日でもようやく平日定時の午後5時に帰れれば上等という環境だった。平日なら8時とか9時まで働くのは当り前だったから、それより若干ましといった程度であった。

だから、時節柄もう働くなと言われても家に帰れない人もいたんだろうと思う。午後いっぱい雀荘にいて通常の帰宅時間に帰った。そしてその日の夕刻、当時の小渕官房長官が新元号を発表する例の記者会見を行ったのである。

驚いたことに、翌朝の新聞各紙はちゃんと「平成元年1月8日」と印刷してあった。大したものだというべきか、そもそも新聞社の「Xデー対応」で、何時までに発表してくれと官邸に申し入れていたのかもしれない。

あの代替わりの時と比べると、今回は準備万端というか、ものごとがスムーズに進んでいるようで好ましいと思う。国家元首は激務であり、せっかく千年以上前から「上皇」という制度があるのだから、明治新政府だかGHQにいつまで義理立てする必要はないだろう。

秋篠宮様も慣例によればいずれ上皇になるのだとしたら、いまからどうするか考えておいた方がよさそうだ。きっと考えているだろうと思っても、いまの連中は平気で考えなかったりするからなあ。

[May 1, 2019]

老後資金2000万円問題 金融庁墓穴?大蔵ファミリーの陰謀?

たまにしか見ないTVなのだが、興味深い騒ぎが起こっていた。金融庁による「老後資金2000万円必要」報告書事件である。

最初この話を聞いた時、例によって銀行・証券・保険業界が自社商品を売りたいがための宣伝かと思った。何年か前にブログでも書いたように、支出が収入より多ければ支出を切り詰めるのが筋であって、貯金をくずして支出はそのままでいいというフィナンシャルプランナーを誰が信用するかという話である。

今回の2000万円も、数年前に保険会社が使った数字より減っているものの、当時の記事を見ると「生活費で2000万円、耐久消費財その他で1000万円の計3000万円必要」とあるから、基本的に同じといっていい。金融庁という役所が保険会社と同じでいいのかとは思うが。

では、なぜ金融庁がこんな数字を公表したのか。私なりに想像すると、おそらく金融庁は傘下の企業群、銀行・証券・保険の要請に応じて、あるいは現政権得意の「忖度」でこういう調査結果をまとめたのだが、「年金で生活が維持できないと政府が認めるのか」と金融庁管轄外のところから攻められて困っているという構図である。

省庁再編で金融庁ができたけれども、もともとここは大蔵省の一部門であった。大蔵省は「最強の官庁」といわれるだけあって権限も絶大だし人材も豊富で、エリート揃いの金融機関であっても見下されて子ども扱い以下であった。

だから、いまのように金融機関の垣根がなくなり、銀行窓口で投資信託や保険が売れるようになるまでには、長い道のりが必要であった。もともと役人の給料は法律で決まっているので、それをカバーするために天下り先を用意したり副収入をあっせんしたり、接待攻勢をかけたりさまざまの手段で大蔵省のご機嫌をとったのである。

ところが実際に垣根が下がってみると、金融商品というのはそれほど売れるものではなかった。それはそうで、いまでも定期預金金利が年8%なら黙っていても売れるけれども、小数点以下でどっちが有利か不利かとやっていても大勢に影響がない。多くの人はだまって普通預金に置いておくだけである。

当然、さんざん見返りを取っておきながらどういうことですか、と企業は役所を突き上げる。悲しいかな、現在の担当者はかつて接待を受けた連中とは代替わりしているのだけれど、そう言われると仕方がない。アリバイ作り的に、「国民のみなさま、もっと金融商品を買ってください」と言ったというのが今回の真相ではないかと想像する。

好意的に考えれば、諸般の情勢がバブル時代とは違うのだから見通しが違ったとしても仕方がないといえなくもないが、貸出総量規制によって現在に至る低金利時代の原因を作ったのは大蔵省である。加えて、省庁再編によって、最強官庁・大蔵省から業界団体ご用達・金融庁にしたのも政府である。自業自得という他ないのである。

年金制度が危ないというのは何十年も前から言われていることで、近い将来、受給水準を引き下げざるを得ないというのも算数ができれば見当がつく。しかし、それを一般企業がセールストークとして言うのと、政府機関が報告書に書いて表明するというのは全く違う。もともと金融庁の仕事をする部門は大蔵省の中でも傍流だけれど、やはり人材には恵まれていないようである。

今回の騒ぎで最も気分を害しているのは、2000万円貯めなさいと言われた中年以降の勤労者層ではなくて、厚生労働省のように思う。

すでに、野党各党はこの問題を国会で取り上げる構えだ。そうなると、金融庁だけでなく厚生労働省の年金担当も間違いなく質問される。厚労省としては、せっかく年金掛け金問題が鎮静化してきたのに、自分達が作ってもいない見てもいない報告書で仕事を増やされるのはたまったものではない。

もちろん、「官制ねずみ講」ともいえる年金が、毎年40万人ずつ人口が減っている日本で成り立つ訳はなく、そういう制度を長年にわたり放置して自分達もいい目(天下り先、副収入、接待)をみてきたのだから、あまり同情の余地はない。

いずれにしても、金融庁は、あえて出さなくてもいい報告書を出して、言わなくてもいいことを言ってしまった。よく考えると目新しいことは何もしていないし言っていないのだけれど、墓穴を掘ってしまったということになる。



ジムでトレーニングしていたら、流れていたTVで例の問題をやっていた。どこの局かは知らないが、セゾングループの誰かが出て来て、「報告書は正しいです。われわれは自信を持ってます。」というようなことをインタビューで答えている。

セゾンといえば、数年前に「老後3000万円必要」というメールを送ってきた保険会社である。インタビューに答える態度が不遜そのもので、役人を見下しているのか、一般庶民を見下しているのか、自分達が一番偉いと言外に匂わせていた。

時代が変わったものだ。昔だったら、正しい正しくないは別として、騒ぎを起こし大蔵省様にご迷惑をおかけしたというそれだけで、関係者一同謹慎は免れなかったものである。給料では5倍10倍自分達の方が上だとしても、何しろ相手は許認可権を持っているのである。

と、そこまで考えて、ふと疑問が頭に浮かんだ。企業は役所に弱く、役所は政治家に弱く、政治家は企業に弱いという「権力じゃんけん」の構造は、長くわが国を支配してきた。そう簡単にその風土が変わるものだろうか。その構造に楯突いたホリエモンがひどい目にあったのは、それほど昔のことではない。

今回の騒動にしたところで、まず国会で野党が質問してマスコミが取り上げたのではない。まずTVが取り上げて、野党が恰好の攻撃材料、とそれに乗っかっただけである。芸人頼みで視聴率を稼ぐしか能のないTVの連中が、いちいち地味な報告書を読んで問題点を指摘できるだろうか。

「老後2000万円必要」という話自体特に目新しいものではないことは、昨日書いたとおりである。年金が危ないというのも、いわば周知の事実。いきさら隠し立てしてどうなるものではない。にもかかわらず、TVでは「これでダブル選はなくなった」と早手回しに論評している。

もしかすると、この騒ぎ自体、大蔵ファミリーの自作自演、マッチポンプの陰謀なのかもしれない。その目的は、なんとしても消費税を10月に10%にしたい、先延ばしさせないという大蔵ファミリーの強い意志を、政治家連中に示すことにあるのではあるまいか。

周知のように官邸としてはダブル選をやりたかった。前回の総選挙から2年も経っていないが、衆参両院で圧倒的に勝利すればこの状況は少なくともあと3年続く。そこで自民党党是である憲法改正を何とかしたいということである。

しかし、いまの経済状況でダブル選となると、勝てるとは限らない。そこで、解散前に消費税を延期して、それについて信を問うという形にすれば解散の名目も立つし勝てる確率も高まる。そうでなくても、ダブル選にした方が公明党はじめ集票組織が動きやすいのである。

そういう動きが水面下で進んでいることを察知して、大蔵ファミリーが先手を打ったのではないか。財務省も金融庁も、もとはといえば大蔵省で、OBは両者に対して影響力を持つ。現政権に打撃となるようなニュースを参院選公示直前のこの時期にリークすることにより、ダブル選の動きを封じ、消費税増税延期をさせなかったのではなかろうか。

もともと、財政健全化といったところで、政治家にとって選挙で勝つことの方がずっと大事である。消費税10%をいくら先延ばししても、自分達が選挙で勝てればいい。本音を言えば、憲法改正だってどうでもいいかもしれない。

一方で財務省にしてみれば、消費税を上げるというから所得税・法人税を下げたのに、下げる方だけ先行して上げるのは先延ばしされ続けられてはたまったものではない。彼らも、入ってくるカネは自分達のカネだと思っているから、政治家よりまっとうとはとても言えないのだが。

昨日書いたように、こういう騒ぎを起こせば身内の金融庁はともかく厚生労働省に迷惑がかかることは目に見えているのだが、「最強の官庁」大蔵省が他の弱小官庁の思惑を気にする訳がない。旧・内務省系列ならともかく、相手は厚生省である。

これで官邸が逆上してダブル選、消費税延期という結果になる可能性が全くないともいえず、そうなると大蔵ファミリーにとって、まさに墓穴を掘った結果となる。ただ、黙っていればあと2年、安定多数を維持できるのが分かっているのにあえて解散するとは思えず、官邸にそこまでの度胸はないという読みなのだろう。

「官僚支配の打破」と小沢氏が言ったのは平成初め。それから30年が経った。もし、この騒ぎの結果ダブル選が回避されて消費税が予定どおり10%となり、「おとなの自動車保険」がいままでどおり大々的に売られているとすれば、私の想像もかなりいい線をいっていたということである。

[Jun 13, 2019]

自分の仕事に最低限の知識もない経営者がいる不思議

先週末の7payの不正事件。セブンアンドアイは被害者で悪いのは不正アクセスした連中だというのは明らかなのだが、経営者のお間抜け記者会見で、セブンアンドアイのセキュリティがザルだからということになってしまった。当り前である。

組織は万一の場合を考えて、きちんとしたトップなり番頭を置かなければならない。何も起こらなければコネだろうがイエスマンだろうが好きにすればいいのだが、一度トラブルが起こった際にそういう連中では対応できない。傷口を広げた上、組織の存続を危うくすることになりかねないからである。

しかしながら、きちんとした対応ができる人物は得てして上に受けが良くない。だから途中で足を引っ張られて不本意な待遇に甘んじなければならないことが多い。代わりに出世するのがコネかイエスマンである。

私がかつていた職場がまさにそうだった。自分がいままさにしている仕事に十分な知識がなければ、どこをチェックしなければならないのか、もしもの場合どう対応したらいいか分かるはずがない。そういうことでは取引先にも下請け先にも示しがつかないと思うのだが、誰かが言うように「上がバカだと下もバカになる」のである。

セブンアンドアイの決済部門子会社の社長が、「2段階認証???」となった映像は各局のニュース番組で繰り返し放映され、おそらくはネット経由で末永く流されることになるだろう。このダメージは限りなく大きいはずなのだが、記者会見した子会社社長はもちろん、セブンアンドアイの経営者はその程度だということである。

そもそもネット決済の不正について記者会見しようというのに2段階認証で絶句してしまうというのは、トップも番頭もお間抜けで、なおかつ担当者は想定問答集すら作っていないということである。それでも大企業の経営者が務まるのだから、普段の経営でもどれだけ見当違いのことをしているか分かるくらいである。

経営者なり番頭に求められるのは、うまくいっている時にどうやってその時流に乗るかではなくて、うまくいかない場合にどうやって被害を最小限にとどめるかということである。うまくいっている時の対応は誰でもできるが、うまくいかない時の対応は誰にでもできるものではない。

今から三十数年前、流通革命の最先端として注目されていたのはダイエー、イトーヨーカドーとそごうであった。その中で、ダイエーとそごうは野放図な多店舗展開を図った結果、バブル崩壊とともに破綻して当時の経営者は退陣を余儀なくされた。ヨーカドーだけが、セブンイレブンに経営資源を集中することで今日の地位を築いたのである。(ダイエーもローソンを持っていたが、本体の赤字が大きすぎた。現在、ローソンの親会社は三菱商事。)

とはいえ、コンビニ業界の競争は熾烈である。セブンイレブンにはブランドの強みがあるといっても、商品の魅力ではファミマやミニストップに追い上げられている。そして、そもそも日本の人口が減少に転じているのだから、マーケット自体これから縮小していくことは明らかである。

そうした中で、ネット決済のセキュリティに不安があり、なおかつ経営者がそのことを分かっていないということが満天下に明らかとなったことは、あと数十年経ったときに「あれがセブン凋落のきっかけだった」ということになる可能性がかなり大きいのではないかと思う。

私自身もセブン銀行を使っているのだが、あれを見たらセブン銀行は大丈夫かと心配せざるを得ないし、nanacoに残高を置いておくのは最低限にしようと思う。こういうことが積み重なってセブンイレブンの売上に響いてくるのである。

私が就職した頃よく言われたことが、「かつては鉄鋼業が花形といわれていた。それが数十年経って斜陽産業になってしまったのだから、いま現在ではなく長期的な見通しをもって就職先を選ぶように」ということであった。

実際、当時もっとも人気があったのは証券会社であり金融機関であったのだが、その後バブル崩壊時には山一証券や拓銀、長銀、日債銀などが破綻した。今日でも、斜陽産業とまで言わないにしても時代の最先端でないことは明らかだ。

以前は駅前に軒を連ねていた銀行が、合併やら支店統廃合でどんどん店仕舞いして自動機だけになってしまったのはついこの間のことである。50m100m間隔で店を開いているコンビニが、同じ運命をたどらないとは限らない。

繰り返すけれども、そうならないよう細心の注意を払うのがトップなり番頭の仕事なのだが、それをしないでコネとかイエスマンを選ぶからこうなるのである。長期的なトレンドそのものは致し方ないとしても、衰退を可能な限り遅らせて、少しでも生き延びるのが経営だと思うのだが、そう思わない人が多いのは不思議である。

[Jul 8, 2019]

2019参院選について若干の感想

今回の参院選、実をいうとあまり関心がなかったのだけれど、直前になっていろいろ気になる記事を読んだこともあって、にわかに興味が出てきた。

気になる記事とは、橘玲の本に書いてあったものである。元データは読売新聞と早稲田大学の共同調査ということだが、「最近の若い世代は、共産党を保守、自民を革新(リベラル)とみなしている」というものであった。

最近の若い世代というと、トライ娘とか、「サラダ油は石油を精製して作る」と言い張る一流大学生とかいるので一般常識がないことに疑問の余地はないとしても、これはそういう観点ではない。もはや、共産党をはじめ既存野党にはシンパシーを感じておらず、むしろ自民党が現状改革に前向きといういい印象を持っているというのである。

大学紛争が終わって間もないわれわれの世代には、自民党は農村重視、医者重視、カネ持ち重視という印象があり、一方の社会党、共産党など野党は、革命を志す不穏な考えの人達というイメージがあった。就職すれば労働組合なんて第二の経営陣だとすぐ気がつくし、公明党は池田先生の私物である。でも、少なくとも自民はガチガチの保守であるはずであった。

ところが最近では、自民がリベラル、共産党(や国民民主党)が保守と感じているのが若い世代の大勢というのである。ならば、直前でクローズアップされた老後資金2000万円問題は政権の逆風にはならないし、対韓輸出規制はむしろ追い風である。半面、忖度問題やモリカケなど安倍政権の慢心に反感も強い。結果はどうなるだろうと思ったのである。

消費税が8%から10%になるくらいでは世間一般の関心はあまり高まらず、投票率は50%を下回った。数的にいえば自民・公明で過半数を大きく上回り与党勝利といっていいものの、新潟で「忖度」一郎が落選、東北の一人区の多くを野党統一候補が押さえるなど自民完勝とはいかず、改選前に確保していた3分の2を割ってしまった。微妙なバランス感覚である。

かつての自民王国がこうなってしまったのは、もちろん小沢一郎の影響力ということもあるだろうが、長州閥に対する明治以来の根強い反感があるのではないだろうか。新潟だって「奥羽越列藩同盟」の一員だから、長州支配に歴史的な嫌悪感を感じていておかしくない。

こうして与党大勝はならなかったものの、かといって野党の票も伸びなかった。国民民主党が6、公明党が14という大きな開きをみると、もはや労働組合の組織力は創価学会の足下にも及ばないのかと思う。また、山本太郎新選組が2、NHKから国民を守るみなさんが議席を確保するなど、既存野党以外への政権批判票も少なくなかった。

もちろん、これらのミニ政党が蓋を開けてみると改憲勢力に取り込まれても不思議はないけれど、一方で与党にいても改憲には消極的という議員だって少なくないだろうと思う。物価は安定しているし失業率も低いのだから経済そのものは悪くないとしても、こんな株価で安倍にドヤ顔されても不愉快なのである。

さて、あまり大きな声では言えないが、私が投票したのはおしどりマコである。もともとの発想は、「改憲に前向きな勢力」の議席数をできるだけ減らしたいということがあり、立憲民主党に入れるのがもっとも効果的と思っていた。

とはいえ、参議院というのはもともと政党ではなく候補者に入れるべきものだと思っているので、誰にしようと思っていた。おしどりマコにしようと思ったのは、バッシングが気に入らなかったからである(いずれにしても死票にならない)。

諸般の事情で被災地に住み続けなければならない多くの人達がいるのだから、言い方には気をつけなければならない。しかし、「福島が危ない」というのはデマなのだろうか。証拠を出せというけれども、水俣病だって薬害エイズだって最初から証拠なんてない。

ポリティカル・コレクトネスの観点からみても、「同性愛者に生産性がない」というレベルの妄言と一緒にするのはかわいそうである。「絆」とかいって、福島は安全だからオリンピックもやりましょうなどというのは、欺瞞もいいところだと思う。

個人的にむしろ気になったのは管直人の弟子だということで、申し訳ないが管直人には「徳」がない。ここでいう「徳」とは人格とかそういうことではなくて、運がないという言葉に近い。儒教でいうところの「徳」というのは、「運」に相当近い概念なのである。

おしどりマコも、投票直前に宮迫とロンブー亮の記者会見があり、吉本興業への逆風が強まった影響があったように思う。福島発言も真意を誤解されている面がないとはいえず、やはり運がなかったということになるだろう。

モーニング娘・市井も当選圏内とみられていたものの、タトゥーバッシングが響いたのか次点にとどまった。ただ、こちらはもしかすると次の総選挙で上位者に衆議院転出があれば、繰上げ当選の可能性がある。SPEEDもそうだけれど、早くから目立つのも善し悪しなのである。

[Jul 23, 2019]

冷夏で電気代節約、GDP減るけれど何か問題でも?

7月に入ってからずっと、雨が続いている。思えば、北岳に登った時が唯一のお天気で、その後は毎日休むことなく雨が降り続いている。三代将軍実朝であれば「八大竜王雨やめたまへ」とお願いするような長い梅雨である。

20日頃には梅雨明けという予想は外れ、24日現在まだ同じ状況が続いている。23日までの日照率は9%(千葉)と1桁に落ち込み、過去最低水準で推移している(日本気象協会HP)。

一方、最高気温の平均は25.8℃である(出典同じ)。最近数年が暑すぎただけで、1960-70年代の7月は26℃あれば普通だった。アラスカは猛暑だというし、北海道の気温はこのあたりより暑いので温暖化の影響は否定できないものの、もう少し日差しがほしいだけで暑さはこのくらいでいい。

注.7月下旬に一気に暑くなり、7月1ヵ月のデータでは日照率が21%、最高気温が27.5℃まで改善した。

冷夏というと思い出すのは1993年「平成の米騒動」である。全国的な米の不作でスーパーの店頭から米が消えた。トイレットペーパーであれば増産すれば品薄は解消されるが、米は次の夏が来るまで作れない。窮余の策としてタイ米を輸入したのだが、これがまた失敗であった。

いまから思えば、最初からカリフォルニア米なりオーストラリア米なり、日本に近い品種のコメを輸入すればあれほど拒絶反応が起こらなかったはずだし、消費者も無理して急いで買うことはなかった(結局食べなかったのだ)。私も当座の必要以上に買ってしまったが、子供も小さかったのでやむを得ないことであった。

タイ米にはタイ米なりの食べ方があって、タイ米だけで炊いてカレーライスにするなりチャーハンにすればよかったのに、日本米とブレンドして白飯にするものだから、まずくて食べられたものではなかった。タイにしても米が余っていた訳ではなく、なけなしの備蓄を日本のために放出したというのに、まずいのなんの言われたのではたまらない。

さて、去年の今頃は「命にかかわる暑さ。冷房をつけてください」と言っていたので、かなりの差である。7月の電気代をみてみると使用量が昨年比31%減の234kwh、請求額が29%減の6,729円だから、かなり助かっている。金額にして3,000円違うから、3日分の食費違うことになる。

景気という観点からみると、電気代が減っているということはGDPが減ることであるので、成長率にはマイナスの影響ということである。電気代だけでなく、雨降り続きで外出する機会も減っているはずだし、ビールの消費だって減っているだろうから、さらにマイナスである。7-9四半期の経済指標は、あまりいい数字にはならないだろう。

ただ、それで何か問題でも?というのが率直な感想である。みんなが電気代を節約できて、二酸化炭素排出量が減る。経済指標が仮に悪くなったとしても、生活には何の影響もなく、むしろ涼しくて過ごしやすい。

野菜や米の成長に影響が出るのは困るけれども、さすがに「平成の米騒動」のようにはならないだろう(いまなら、パンと麺類で過ごす)。そして、日本は東西南北に細長いので、全国おしなべて不作ということにはなりにくい。コメ不足になったり野菜が値上がりするのは、品薄を見込んで誰かが囲い込むのと、流通の不備によるものである。

世間一般ではGDPが裕福さを示す指標のように思われているし、長期的にはかなりあてはまるのだけれど、最近のように四半期ベースで前年比、前年同期比などと比べるのはあまり意味がない。企業が投資決定に使うならまだしも、国が政策決定に使って、前年比どうしたこうした、とやっているのはピントが外れている。

そのいい例がこの夏である。天気が悪くて家で過ごしたり、ビールの消費が進まないと消費は減るだろうけれど、生活水準や満足度に何の影響もない。四半期の利益で株価が上下する企業はともかく、国が生活実態とあまり関係ない数字に一喜一憂するのはおろかなことである。

まして日本の総人口は減っているので、今後、GDP成長率は間違いなくマイナスになる。そうすると一人当たりGDPがどうたらこうたら言い出すに決まっているが、みんな高齢者になるのに一人当たりだって怪しいものである。

むしろ国ですべきことは、豪雨や土砂災害で被災する人が多い中、どうしたらみんなが安全に暮らせるかとか、悲惨な事件をひとつでも減らすために、どうやって治安を維持するかとか、そういったことだろうと思う。

まあ、ワイドショーはみんな宮迫とロンブー亮なので、やっぱり日本は平和なんだろう。でもこれは、安倍の手柄ではない。

[Jul 5, 2019]

この時期に香港・韓国に行くというのはどうなんだろう

今朝のNHKおはよう日本のニュースで、ちょっと信じられない人達を見た。ナレーションとかインタビュアーの様子を見ているとごく普通の人を取材しているつもりのようなのだが、私には恐ろしいことに思えた。

一家族は「観光で香港に家族連れで来ていた」のを、香港国際空港でインタビューしたものである。「飛行機が止まって帰れない。こんなになるとは思わなかった」というようなことを言っている。

仕事で香港に行かなければならないとか、百歩譲ってバックパッカーの一人旅なら分からなくもない。業務なら何かあっても労災が下りるし、バックパッカーがリスクを負うのは自分の命だけである。ところが、件の人達はそうではない。この時期に、レジャーで、自分だけでなく女房子供をリスクにさらして平気なのである。

香港がたいへんな混乱状態であるのは、1ヵ月も前からニュースでしつこいほどやっている。香港島の公園周辺や、チムサーツイの大通りでも、警官隊とデモ隊が衝突している映像が繰り返し流されている。そんな時期になぜ、家族を連れて香港に行かなければならないのだろう。それもレジャーで。

家族連れで香港旅行に行けるくらいだから、そこそこの役所とか大企業に勤めているんだろうと想像はつく。そういう連中でもこの程度の頭なのである。

もう一家族は香港に向けて成田を出たエアが、香港に着陸できず成田に戻ってきて「英語と中国語でしかアナウンスがないので、何が起こっているのか分かりませんでした」だそうである。もしかしたら、インタビュアーは日本語で説明がないのはサービス不足と言いたいのかもしれないが、海外の航空会社がそこまでする義務はない。

日本語のアナウンスがないということは安い中国系のエアでも使ったんだろう。繰り返すがバックパッカーとか、片言でも英語・中国語が分かるとかではないのである。家族が危ない目に遭うかもしれないのに、わざわざリスクの高いエアを選ぶという神経が、私には到底理解できない。

想像するに、この人達の頭の中では、自分の命が危ないかもしれないというリスクが判断できないのではないかという気がしている。どっちが高いか安いかばかり考えていて、どういうリスクがありうるのか、そもそもいまの時期に楽しむことができるのか、考えていないのではないか。

ごく最近の日本でも、小学校に異常者が乱入したり、人ごみに暴走車が突っ込んできたりした事件はあったはずだし、大震災では何万人もの人が亡くなったり行方不明になったりしている。さらに日本から外に出ればカントリーリスクがある。それくらい分かりそうなものだが、こういう人達は自分の身にも危険が迫るかもしれないと考えるだけの頭がないのではないか。

私が中学・高校時代には連合赤軍のリンチ殺人があり、成田空港反対闘争があり、セクト同士の内ゲバ事件もかなりあった。だから、学生運動をしている連中に近づくと文字通り危険だということはよく理解していて、まだ当時残っていた立て看に近づいたり、危ない連中と関わり合いにならないよう心掛けたものである。

サラリーマンになってから、JAL123の墜落事故があった。あの便は当時東京に実家のある大阪勤務者がよく使っていた便で、私もよく乗った。時には同じ勤め先の3~4人が乗り合わせることもあった。あれで500人もの人が亡くなった。本当に、自分が乗っていてもおかしくなかったし、リスクはすぐそばにあるということを思い知った事故であった。

そして、ついこの間、とはいっても二十年以上前だが、私が通勤しているまさにその時間に、地下鉄サリン事件があった。いまも時々TVで流れる、路上に救急車が何台も止まっている場所は、当時の勤務先からすぐ近くである。

そういう経験をしていると、致命的なリスクというのは本当にすぐそばにあって、避けようとしても避けられないことだってあると思う。にもかかわらずこの人達は、あえて目に見えるリスクの大きい場所を、わざわざ自分で選んで、しかも家族もろとも行こうというのである。信じられない。

その意味では韓国も同様で、いまだに韓流ドラマを流し続けるTV局の連中の低能さ加減は救いがたいので放っておくしかないが、あえて観光しようという人が少なからずいるようである。対馬や九州の人達がこの時期だからこそ国際交流というのは地政学上理解できるけれども、わざわざリスクを負う必要はどう考えてもない。

念のため私の考えを述べると、少女像を置いて気が済むのならさせておけばいいと思うし、韓国だって建前では三権分立だから、裁判所が賠償命令を出すのは韓国政府だって止められない。それでどこかの企業が損害をこうむるというのなら、責められるべきはそういうカントリーリスクの大きな国に投資決定した経営者である(退職金もらってとっくにいないだろうが)。

この時代、いい目をみるのはカネやコネがある連中で、いくらまじめに頭を使ったところでろくなことはないと投げやりな気分になりがちである。だが、そんな連中もせいぜいこの程度であれば、締めてみればどちらがいい目をみたかなんてわからないし、そんなことを気にするよりどうやってすぐそばにあるリスクを避けるかに頭を使った方がましなようである。

中国当局への容疑者引き渡し抗議行動で、香港国際空港は発着できない日もあるほどの混乱状況に陥った。(Nikkei Web)


[Aug 13, 2019]

なぜブログを書くのか改めて考える

この間、現在の情勢で香港に家族連れでレジャーに行く人について書いていて、なぜブログを続けているか改めて説明した方がいいと思ったので忘れないうちに。

理由の第一は、私が思うこと考えることを記事にすることにより、一人でも多くの人に共感してほしいと思うからである。愛読する内田樹先生がよく言われることだが、それは著作権だの何だのよりずっと大切なことで、私と同じように思う人が増えればより住みやすい世界になると考えるからである。

私がずっと感じていることは、他人を押しのけたり陥れたりしなくてもこの世界で楽しく暮らしていくことは可能だということで、そう考える人が一人でも多ければいいと思う。ただ、現実にはそうでない人がたいへん多い。「世の中食うか食われるかだ」と思っている人がむしろ多数派かしれない。

例えば橘玲などは「人間の脳は旧石器時代と変わらないのだから、そういう能天気なことを言っていたのでは食べ物も女も手に入らず絶滅しただろう」という意見のようだが、果たしてそうかと思っている。人口密度が高ければそうなるかもしれないが、低ければお互いを尊重した方が生き残る確率は高まるのではないだろうか。

二つ目の理由は、私自身ネット上で多くの知見に触れて、役立つことがたいへん多かったことへの恩返しである。

私が海外のカシノに盛んに行った2000年頃、その手の情報をネット以外で得るのはたいへん難しかった。カシノで行われているゲームのルールやマナー、コンプについての情報のほとんどを私はネット経由で学んだ。そして、ネットを通じて知り合った同好の士と最高に楽しい時間を過ごすことができた。

その後、ブログの記事はカシノ中心から山歩きやお遍路、年金生活に変わってきているが、誰かに参考にしてほしいという気持ちは変わらない。だから、年金生活の収支などの数字も、可能な限り現実のものをお示ししている。別に、自分はこんなにおカネを使っているんだと自慢したいからではない(実際そんなに持ってないし)。

かつて保険会社から送られてきたメールに、「老後の生活は月30万円必要」などと書いてあったし、つい先頃の金融庁の報告「老後資金2000万円」も同様の趣旨である。それらは、老後の不安を掻き立てて商売しようという人達が言っていることで、「他人を押しのけたり陥れたりしなければ食べていけない」と考えている人達である。

これまでしてきたいろいろな経験を踏まえて言えば、いまの時代に日本のパスポートを持っているだけで世界の10%以内の幸運の持ち主だと思うし、昭和30年代のハエや虫だらけの生活空間や駅のきたないトイレ、吸い殻が山のように積み重なった線路を思い出すと、私が生きている間に昔よりずっと住みやすい環境になったと感じる。

そうして手に入ったものの多くは、ネット成金セレブのトリクルダウンでもなければ、GAFAがプレゼントしてくれたものでもない。われわれの先輩が努力し、われわれ自身もいくらかは貢献していまの姿になったのである。

そうした過去の時代から積み上げた資産を生かし、足らない分は工夫したり我慢したりすれば、他人を押しのけたり陥れたりしなくても十分に恵まれた生活を送ることができるはずだし、そう考える人が一人でも多ければそれだけ暮らしやすい世の中になるというのが、大げさに言うと私の主張なのである。

そして、できるだけ他人に迷惑をかけずまじめに暮らし、誰かが言っていることに付和雷同せず自分の頭で考えること。もしかしたらすぐ身近に迫っているかもしれない致命的なリスクを避ける方法は、それしかないと思っている。

ブログを書く理由のもうひとつは、記録しておかないと自分が何をして何を考えていたのか忘れてしまうということである。これまで人生六十数年のうちのある時期、具体的には大学へ進んでから就職して何年かの間、日記も書かなかったし何も記録を残さなかった時代があった。その時期のことをいまではほとんど思い出すことができない。

現代であれば、デジタル写真を撮れば日時やデータがもれなく保存されるし、それをもとにあの時どうしたんだろうと記憶をたどることができる。しかし当時そんなものはなかった。残っている数少ないネガはアナログだし、プリントしなければどこで何を撮ったのか分からない。写真以上にないのが当時の行動記録で、どこで何をしたのか記憶をたどる足掛かりがない。

その時代はいつも何かに追いまくられていて、自分を省みる余裕がなかった。週休1日で毎日12時間以上働いて、仕事が終わると真夜中まで飲んで、休みはゴルフなどという生活は2度としたくない。そうやって他人と合わせようとしたところで、どこにも行けないということが分からなかった。若気の至りである。

当り籤を引くまであと何年残っているのか知る術はないが、誰かの後ろを付いていくのではなく、自分の頭で考えて進むべき道を選んでいきたいと思っている。そのためには、何を考えどう思って日々を過ごしたのか、何かの形で残しておくことは必要と考えるのである。

[Aug 22, 2019]

10月は温暖化で9月になった?

今日で10月が終わるけれど、それにしても台風で散々な10月だった。

小学校の理科で、10月は高気圧が優勢となるので、台風は沖縄から西にフックするか三陸沖を東にスライスすると習ったものだが、短期間に3つも来られてはたまらない。わが千葉県でも、大きな被害を受けることとなった。

最初は、9月の台風15号だった。これはかつての台風シーズンなので時期的には驚かないが、東京湾を進んでくる貨物船のようなコースはこれまでなかったものであった。わが家でも気圧計が970hPaという見たことのない数字になったのは、前に書いたとおりである。

10月の連休には、かつてない規模の大型台風19号が直撃すると大騒ぎになった。この時期、実をいうとお遍路歩きから帰った直後で体調がよくなくて、外に出かけるどころではなかったので、家でおとなしくしていた。

奥さんが災害準備であたふたしていて、ホームセンターに行っても水もないしガムテープもないと言っていたのをぼんやり聞いていたくらいである。この台風は、以前は9月のコースといわれた直撃コースをとって、予報通り上陸した。

幹事長はそれほどでもないと言っていたようだが、被害はそんな生やさしいものではなかった。千曲川はじめ多くの河川が氾濫し、多くの家々が浸水し、丹沢・奥多摩・秩父近辺の山はいまだに登れるような状況ではない。

三発目の台風21号は、10月下旬になってやってきた。この台風については19号の時のように気象庁も大騒ぎせず、天気予報でも東海上を通過するので関東地方には大きな影響がないと言っていたのである。

ただ、これも前にも書いたけれど、最近の天気予報は天気図をほとんど出さない。アメダス映像があればいい方で、大抵はその日の時系列雨情報だけである。しかし、台風の影響を心配しなくてもいい天気図ではなかったのである(下図)。

確かに、台風の「風」の影響は進行方向の北東側でより大きくなる。風速は多くの場合、気圧の低さと比例するから、台風本体の直撃には強風を心配しなくてはならない。

しかし、遠く沖縄にある台風が前線を刺激して東日本で大雨になるというのは、さして珍しいことではない。まして、台風がいるのは日本列島からさほど遠くない距離である。なのにこの時、小笠原にいたときより台風情報は少なかったのである。

そして、台風が行ってしまった後になって、今回の大雨は台風からの湿った空気が大量に流れ込んだからなどと言っているのである。分かっているなら、最初からちゃんと情報を提供しろということである。それとも、官邸あたりから大騒ぎするなとクレームがあったのだろうか。

実はこの台風が来た週末、わが家のすぐ近くの習志野カントリークラブでゴルフの大きな大会があって(タイガー・ウッズが優勝したやつ)、大量の車が流入して道路も駐車場もたいへんな混み様だと奥さんが言っていたので、スポーツジムにも行かず家でうだうだしていた。そうしたら、見たこともないような激しい雨である。

この日も、隣の佐倉市はじめ千葉県各地で河川が氾濫して道路や住宅が浸水した。大きな河川ではないので水位の情報はあまり出ないけれど、中小河川であってもあふれる時はあふれる。そして、川幅が狭く堤防も低いので、今回のような短時間集中豪雨には弱いのである。

こうした一連の災害は、すべて原因は台風である。そして、ニュースで言っていたが10月は3分の2が雨の日だったそうである。まるで。昔の9月のようだ。

春にしたところで、ようやくストーブを片付ける頃になるとすぐ真夏日で、エアコンがないと過ごせない陽気になる。業平は「春や昔の春ならぬ」と詠ったが、千年経って本当に昔の季節ではなくなってしまった。温暖化の影響と一言で言ってしまえばそれまでだが、10月は昔の9月だと思わないと年寄りにはやってられないのである。

2019年10月25日午前9時の天気図。千葉県の短時間集中豪雨はどうみても台風の影響なのに、この時点では台風の「た」の字も出なかった。


[Oct 31, 2019]

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