なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

5000円でいいって総理大臣が決めたし    今日と同じ日が明日も続くとは限らない
健康で文化的な最低限度の生活って、そういう意味じゃ    すぐそばに来ているインフレ
令和3年GWの山岳遭難    資本主義は終わるのか    Googleは頼りにならない
ガースー突如退陣表明    これまでの努力に引き摺られると    自民党新総裁は岸田前政調会長


5000円でいいって総理大臣が決めたし好きで接待される訳じゃ

新聞もとっていないしTVもろくろく見ない。家のビエラはテレビ体操放映機およびYouTube再生機と化しているので、世間一般で何がニュースとなっているのかよく分からない。

WEBが唯一の世間との窓口で、サラリーマン当時のつり革広告に相当するのがブログ村の最新記事だが、それによると総理大臣の息子と総務省の癒着・接待疑惑が話題となっているらしい。

現役当時、役所と接点のある仕事をしていたこともあって、WEBで拝見する論調とは違った意見を持っている。ご参考までに書いておきたい。

そもそも、許認可権を持っている人間が許認可を受ける側から何かしてもらうのはまずいことで、それはかなり前から倫理規定や就業規則、行動指針に明記されている。おカネそのものをもらえば収賄だし、飲食の供応を受けても悪くすると収賄、少なくとも倫理規定違反で減給とか戒告(退職金に響く)といった処分を覚悟しなければならない。

とはいえ、すべて規則どおりやっていれば仕事が円滑に回るものではない。酒の上でしか話せない・聞けない話というものはあるし、知らずにいるととんでもないところで足をすくわれることになりかねない。

そりゃ、有力者の子弟とかごくごく親しい仲であれば、そういう危ない橋を渡らなくても情報は入ってくるだろう。しかし、普通に仕事をしているだけでは、そうした情報のネットワークにはどうしても入れない、入ってこないのである。

だから、役所にしても、自分で費用をもつならば上司に報告した上で関係先と飲食すること自体は黙認していた(7~8年前のことである)。とはいえ、私程度がノンキャリアの官僚と飲食するようなレベルの食事を、高級官僚に提供できる訳がない。

白木屋とか笑笑レベルで審議官とかそういったクラスと食事するなどと言ったら、頭がどうかしていると思われるだろうし、バカにするなと怒り出すかもしれない。相応の食事を出さなければならないと思うのは当然である。

そういえば、前の総理大臣が5000円の会費で後援者を招待して、一流ホテルで芸能人余興付きの食事を出していた。あれが認められるなら、5000円出していれば自腹と主張されても仕方ないのではなかろうか。

役人の立場にしてみたら、バカ正直に規則を守ったところで、実力者ににらまれて仕事がやりづらくなったら元も子もない。最後の一線は守らなければならないが、すべて規則通り一言一句遵守という訳にはいかないのが大人の世界であろう。

野党の先生方やマスコミ連中によれば人のカネでいい思いをするのが許せないということだろうが、そういう思考回路そのものが首をひねるところである。筋を通したって誰も守ってくれないのだから、自分でリスクを取って最悪のケースを避けるしか方法はない。

それに、c週刊文春の写真を見ただけで、菅の息子が一緒に飯を食って楽しい相手だとは思えない。1回10万の食事ったって、10万円のワインが出たとして1杯だけ。せいぜい1本2~3万が関の山だろう。それくらい、私にだって飲める(1年に1回くらいだが)。

結局のところ、官僚だって喜んで接待されている訳ではなく、はっきり言って時間のムダである。そんなことをするより、早く仕事を終わらせて、自分のカネと時間を使って有意義な人づきあいをしたいと思う人の方が多数派だろう。

接待されて喜んだり出世が何よりも優先される人間は、税金を使って云々以前に、そういう時間の使い方をして短い人生の貴重な時間を浪費する気の毒な人たちなのである。

[Mar 16, 2021]

許認可権を持つ者が接待を受けるのはけしからんと言うのは簡単だが、じゃあ規則通りに正しくやっていれば誰かが守ってくれるのだろうか。


今日と同じ日が明日も続くとは限らない

この間、しばらく行っていないケーキ屋さんまで奥さんに買いに行ってもらったところ、「暫くお休みさせていただきます」と貼り紙があって閉まっていたという。店先の様子では、1~2週間程度ではなく、もっと長くやっていないように見えたという。

このお店は私より歳上の老夫婦がやっていて、自宅兼の店舗。ご主人がいかにも昔からのケーキ職人という感じ、奥さんが店に立って接客とレジ打ちをしていた。

ケーキの種類はいつも同じで、ショートケーキ、チョコレートケーキ、モカのケーキ、チーズケーキくらいしかない。値段は1つ400円ほどなので、そんなに安い訳ではない。

しかし、ここのケーキはたいへんおいしいのである。何しろ、ケーキの命であるスポンジと生クリームがすばらしい。同じくらいの値段の不二家よりはるかにおいしいし、コンビニやスーパーとでは比較にならない。糖質制限である程度体重を落としたら、ぜひ食べたかったのに。

ただ、お二人でやっているお店だから、それほど業務拡大できるものでもない。クリスマスには予約販売限定になるし、夕方になると閉まってしまう。時々、行ってみてもやっていなかったりする。

何しろ老夫婦なので、お店のホームページもない。だから、どのような事情でいつまで休むのかも分からない。電話をかければ出るかもしれないが、何ヶ月に一度の客がそこまでするのもはばかられる。

こういうケースで最も可能性が高そうなのは、ご夫婦どちらかが体を悪くされてお店を開くことができないということである。いまのご時世だとコロナの影響というケースもなくはないが、3密になるほどの店ではないし、コロナで客足が鈍るというのも考えづらい。

上に書いたように、ここのケーキは他で替えが利かないほどおいしいので、そういう事情であれば早く回復して再開していただきたいと思う。けれど一方で、この歳になると今日と同じ日が明日も続くとは限らないとしみじみ思う。

千葉ニューに越してきて20年、食べ物屋さんに限ってもなじみの店がいくつも閉店している。小林にあった手作りパン屋さんは店主が亡くなっていまはキムチ屋さんになっているし、つい最近も安い和菓子屋さんがやはり亡くなって、工場兼店舗は閉まったままだ。

千葉ニュー駅前の石窯パンは住都公団の再開発でなくなり、ボルドーワインが置いてあった小林と船尾の酒屋は営業不振で撤退したのでこれは別の話だが、本埜村役場近くのスコーン屋さんはコロナ以来お休みだし、船尾のパン屋さんもシャッターが閉まったままだ。

昔はこんなに頻繁にお店が閉まることはなかったように思う。それはおそらく、家業なので親から子に受け継がれて店は続くということだったろうし、人口が増えているのでマーケットは拡大したからだろう。

ところが、いまや日本の人口は減っているので、全国おしなべてみればマーケットは縮小している。店を子供が継ぐという時代でもなく、それは農家でも商店でも同じことだ。

気がつくと、個人で商売をしているのは私より上の世代が多くなっている。だとすればこれから先ますます、なじみのお店がなくなっていくということになる可能性は大きいと考えなくてはならない。

追記.ケーキ屋さんは2021年4月に無事再開しました。よかったよかった。

[Mar 30, 2021]

なじみのケーキ屋さんが臨時休業して数ヶ月経つ。早く再開してほしいものです。


「健康で文化的な最低限度の生活」って、そういう意味じゃ・・・

5月3日の憲法記念日。何気なくNHKのニュースを見ていたら、憲法で保障された文化的な生活という意味をコロナ禍のこの時期だからこそ考え直す必要があるみたいなニュースが流れてきた。瞬間的に相当の違和感があった。ぞわぞわした。

憲法の条文をどう理解するかは個人個人の自由であり、NHKだから判例・学説に則った解釈をしなければならないということはない。ただ、「文化的」というのは、一般的な理解では演劇とか音楽とかカルチャーを意味しているのではなく、「最低限度の生活」を修飾している、内容を示している言葉と私は理解していた。

つまり、単に食べるものがあるというだけではなくて、清潔で衛生的な環境で暮らすことや、土の上にゴザを敷いたような住居でないことや、毎日水を汲みに行ったり薪を拾わなければならない生活でないことを意味していたはずである。昔、関西圏でアパートのことを「文化住宅」といっていた、その「文化」である。

もちろん、その上に芸術や学問、科学技術に親しむ権利もあるのだけれど、それは「憲法記念日」ではなくて「文化の日」のニュースである。「憲法記念日」にあえてアピールすることではない。

本来、「憲法記念日」にニュースにすべきことは憲法改正の是非であるが、あまりにも政治マターなのでNHKでは取り上げにくいのは分からなくもない。それにしても、コロナの影響で最低限度の生活水準維持が難しくなっている人はたくさんいる。そういう人達には、音楽だの演劇だのってどこの世界ですかというのが正直な感想だろう。

NHKの職員の多くは政治家や役人のコネで、さもなければ優等生が選抜されて入社している。だから、衣食住の確保など当り前で、その上に趣味の生活を送る権利があると憲法で定めているという理解なのだろうけれど、浮世離れしているというか何というか。

そもそも、「憲法」というのは基本的に「国」の行動指針について定めたもので、国民の努力目標ではない。

だから、憲法のこの条文に基づいて、国には生活保護や社会保障、健康保険等々の制度があり、水道・電気・ガス等は基本的に公営企業から安価で提供されることになっている。

本当にNHKが「文化的」を演劇や音楽のことだと理解しているなら、もっと受信料を安くして国民が音楽や芸術に親しめるようにすればいいだけの話だ。市民税並みに受信料を取るのだから、市で社会福祉に負担するくらいの負担をNHKもすべきだろう。

もう一つ違和感があるのは、演劇や音楽がみんなが見て聞いて楽しんだり、自分が演じて楽しんだりするものだと思い込んでいる節があるらしいことである。

演劇や音楽だけでなく、舞踊や絵画、文芸まで含めて、もともと広い意味の芸能は、神様に奉納するものだったはずである。つまり、冠婚葬祭の「祭」である。祭りをするつもりがないのに、芸能だけ独立してあるべきだという感覚が私には理解できない。

何のために、演劇や舞踊、音楽などの芸能を神様に奉納するのか。無病息災を祈り、五穀豊穣を祈り、無事に年月を送れることを神々に感謝するためである。それを神様と一緒に楽しませていただくというのが、もともと祭りのあり方だったはずである。

国は宗教とは関係しないから神様などいない、したがって感謝もお祈りもしない。芸能はみんなが楽しむためにだけあるというならば、するしないは個人の自由で、憲法で権利だの義務だのいう話ではない。

私は伝統芸能もお祭りも大事だし、共同体を維持するためには不可欠だと思っている。でも、多くの人はそう思っていない。まあ、お遍路の札所がコロナなので参拝自粛してくださいというご時世だから、仕方のないことかもしれない。

[May 7, 2021]

憲法記念日のNHKで、国民には文化的な生活を送る権利があるので、コロナ禍でも演劇に親しむべきというニュースがあった。「健康で文化的な最低限度の生活」ってそういう意味じゃないし、そもそも憲法記念日と関連付けるニュースじゃないと思う。


すぐそばに来ているインフレ

自分でもよかったと思うのは、リタイアする何年も前から年金生活の準備をし、そうなった場合に備えてシミュレーションや予行演習を怠らなかったことである。その意味で、いま考えておかなくてはならないのはコロナ後に何が起こるかである。

もちろん、何も起こらないでこれまで同様の生活が送れるのなら問題ない。しかし、リスクがあってその確率は小さくなく、一方でほとんどの人がそれに向けて準備をしていないという場合、えてして何か起こってしまいがちなのである。

GW前後はステイホームが推奨されたので、図書館に行って何冊か本を借りてきた。1年前の今頃は図書館が閉鎖になってしまったが、今年はオープンしているのがいいか悪いか分からないけれど、それはさておき借りてきたのは野口悠紀雄先生の本である。

野口先生には40年前、会社のいわゆる「背広ゼミ」で半年間教えていただいた。だからおそれ多くて呼び捨てにはできない。

その中で、現在まさに行われている異次元金融緩和について書かれていて、その本質は国債を日銀で引き受けて実質的な債務から逃れようとするもので、歴史の教えるところ、いずれインフレを招かざるを得ないという。

異次元金融緩和前の2013年3月末、日銀の保有する国債残高は94兆円、国債残高に占める割合は11.6%であった。この本の書かれた2018年9月末には、それが455兆円、45.7%に急増している。

現在はさらにすごいことになっていて、今年3月末では532兆円、推定で57%程度である。バランスシートの反対側は日銀当座預金の増、つまり、金融機関が日銀に置かされている残高で、預金者から金融機関に支払い請求があればすぐにお札になる。

つまり、金融機関全体のバランスシートを合算すると、国民が預けた巨額の預金は、知らない間にほとんどすべて国債となり、政府の支出に使われているということである。みんなが払い戻そうとしたら、いっぺんに足りなくなる。

そして、国債の総残高はもうすぐ1000兆円。GDPが540兆円くらいだから、その倍である。税収が60兆円弱、約30兆円は年金とか福祉関係にあてられるから残りは30兆円、利率3%になれば全部利払いで飛んでしまう。

もちろん、日銀が実質的に引き受けているということは払った利息は政府に戻るということだし、税収が足りなければ消費税を上げるんだろうからそう簡単には破綻しないが、危ない綱渡りであることは間違いない。

過去の歴史は、こうした政策はいずれ悪性のインフレを招くと教えている。実質成長率は2%とか3%なのにマネーサプライが年率5%以上増えていて、お気楽な日銀総裁が「物価が2%くらい上がらないのはおかしい」と言っているのだが、いずれその分まとめて上がるに決まっている。もう7~8年になるから、一気に15%とか20%くらい上がることになりそうだ。

今そうならないのは、デフレはまだ続くと国民が(マーケットが)思っているというそれだけの理由である。新貨幣理論とかいろいろ後付けで理屈は考えられているが、実際は、「みんながそう思っているからマーケットがそうなっている」という同義反復的で根拠薄弱な理由に過ぎない。

何か予期しないアクシデントが起これば、一気に貨幣価値は下がる。GDPはたいして増えていないのに貨幣供給が倍近くなっているのだから、ものの値段が上がらざるを得ない。1万円で買えるものが来週は1万2千円になるなら、みんな今週買おうとする。そういうものである。

その時になって「商品は十分あるので買いだめ・買い占めはしないようにしましょう」といったところで、マスクに殺到しユニクロに殺到し、かつてはトイレットペーパーに殺到した国民が理性的に動けるとは思えない。値上がりは値上がりを呼び、金利は上昇し、インフレが急拡大するまで時間はかからないだろう。

お気楽な日銀総裁は物価上昇率が2%にならないと言っているけれど、上がる時には一気に10%になっておかしくない。


それでは、何がきっかけとなってインフレが起こるだろうか。 いま、コロナで世界じゅうの生産活動は停滞している。幸いに、食糧生産が落ち込んでいないから深刻な供給不足には陥っていないものの、不作にでもなればものの値段が軒並み上がるリスクは決して小さくない。その意味で、温暖化より怖いのは寒冷化である。

そして、どこの国もコロナ対策のため巨額の財政支出を行っている状況であり、どこかの国でそれが金利上昇につながれば、それが波及的に世界中に広がることが予想される。金利上昇の発端となるのは国債の値崩れである。国債の値崩れは、信用不安により発生する。

一度インフレが起これば、これまで2%に届かなかった分がまとめて帰ってくる。10年以内の短期間で400兆円増えている日銀の国債残高のB/S上の反対項目は当座預金であり、金融機関に預金者が払い戻してくれと言えばすぐにキャッシュにせざるを得ない。GDPが変らないのにマネーが一気に8割増えているのだから、価格統制しない限り値上がりの嵐である。

金利が上がればいまの低金利国債は価格が下がる。国債を大量に持たされている銀行は、不良債権ならぬ不良債券を抱え込んで経営状態が悪化する。なるほど、銀行の株価が低いままなのも納得である。

銀行の財務状況が悪化すれば、新発債の消化ができない。実質的に日銀が引き受けているといっても、建前上最初から日銀が引き受けることはできないので、マーケットを通さなければならない。消化できなければ価格が下がり、さらに金利を上げる。

つまり、きっかけはどうであれ一度金利が上がり出せば、スパイラル的に更なる金利の引き上げ、信用不安、物価上昇を招かざるを得ず、そうなったら収拾は困難である。日本国内だけで解決できればいいが、あるいは国際的な手当てが必要かもしれない。

預金保険があるから銀行に置いてある残高がチャラになることはないにしても、中小金融機関には経営の厳しいところも出てくるだろうし、半世紀振りに取り付け騒ぎが起こるかもしれない。いまや、オンラインで日本じゅうどこでも下ろせるから、至る所のCDコーナーで現金が枯渇するのかもしれない。

野口先生の本を読んで私が不安に思ったのは、現在ほとんどの人がインフレの危険とこわさについてあまり心配していないように思えるからである。

バブル前後がまさにそうだった。土地や株は将来も値上がり続けるとみんな思っていたし(日経平均10万とかいわれていた)、国内で飽き足らず海外まで行って不動産を買いあさっていた。総量規制は始まっていたが、そんなに簡単にバブルが終息するとは誰も思っていなかった。

しかし、平成に入る頃、日経平均がもうすぐ4万円というところで急落、断続的に1万円を割る水準まで下げた。それ以降、長く景気低迷が続くのである。(ちなみに、当時と現在は採用銘柄が違うし、個々の値動きが日経平均にどのくらい寄与するかも違うので、日経平均自体を比べるのはほとんど意味がない。)

その後のデフレ時代は物価が安定しているという意味で悪いことばかりではなかったが、労働条件が切り下げられ、定期昇給もなくなり、格差社会につながったという負の側面も無視できない。

近い将来避けられない(と私は考える)インフレ時代は、物価の急激な上昇は悪影響だが、人手不足の顕在化が労働条件の引き上げにつながる期待もない訳ではない。年金収入の実質的な減少は避けられないので、私には厳しいことになるだろう。

そうした事態が起こった場合に備えて、何ができるか、どうすれば生活水準を維持できるか、ステイホームしている間に考えることはムダではないように思える。

[May 19, 2021]

令和3年GWの山岳遭難

今年のゴールデンウィーク、人が多そうなときには山に行かないし、あまり天気もよくなかったので天気予報も注意して見ていなかった。槍ヶ岳で遭難というニュースを聞いた時にも、休みがここしかないから強行したんだろうと思っていた。

槍ヶ岳で滑落と聞けば、まず北鎌尾根かと思ってしまうのは仕方がない。「そう簡単に見つからないよ」と奥さんと話したのだけれど、1日で発見された。それだけでなく、通報したパーティーの残り2人も心肺停止で発見され、死亡が確認されたという。

槍ヶ岳でそんな簡単に遭難者が見つかって、しかも死亡事故が起こる場所ってどこだろうと思った。調べてみると、なんと飛騨乗越だという。夏であれば、主要登山道といっていいルートである。なぜ、そんなところで大事故が起こったのだろう。

山小屋関係者によると(この時期開けているのは槍ヶ岳山荘か)、当日は猛吹雪でほとんど視界がなかったという。滑落は夏でも起こるけれど、進路が分からなくなりそのまま疲労凍死するような天候は、天気図さえ見ていれば避けられるというのがこれまでの考え方であった。

YouTubeで今年のGWに槍ヶ岳へ向かった人の動画がupされていたが、テン場のあるババ平から先は吹雪いて前が見えない状態で、撮影者は天狗原分岐まで行けずに引き返した。

結局、槍ヶ岳山荘でテン泊予定のところ徳沢に戻ることになったが、無事に鍋を楽しむことができた。遭難のあった日か前後1日2日くらいの話である。

あの動画をみると、ババ平から標高差200mかそこらで天候が急変した。槍ヶ岳はさらに1000m登るから、どういう状況だったのか想像するだに恐ろしい。

遭難したパーティーがどのようなスケジュール、どのような装備で遭難に至ったのか、現時点で情報はほとんどない。ただ、この時期槍ヶ岳までこういう人達が行くのかという情報がないということは、それなりの経験・装備があったのだろう。

では、登っても大丈夫という判断はどうだったのか。下に示したのは、当日午前9時の天気図である。もちろん、彼らが見たのは2、3日前の予想天気図だっただろうが、正直言ってこの天気図から大荒れの天候を予想するのは無理である。

低気圧が通過したばかりで風は強そうだし、次の低気圧がすぐそこに来ているから安定した天候は望めないだろうが、二ツ玉低気圧が来ているとか、沖縄あたりの台風から前線に湿った空気が流れ込んでいるような、いかにも大荒れの天気図ではないのである。

今年のGWには、槍ヶ岳と谷川岳で遭難事故があった。休みがここしか取れなかったんで強行したんだろうと想像していたが、天気図をみると風は強そうなものの大荒れになるようには思われない。


今回のカギとなるのは下図に示した、5月としては観測史上最大級の寒気団が日本列島まで下りてきていたという点である。 「5月としては」と書いたが、真冬にしてもかなり強力な寒気団で、そのため地表近くと山の上でかなりの気温差が生じていた。いわゆる「大気の状態が不安定」になっていたのである。

山で大気の状態が不安定というと、夏場に地表の温度が高くなって午後になると落雷や突風、夕立が起こりやすいというイメージがあるが、上空に強い寒気がきた場合も同じである。夏と比べて登る人が少ないから目立たないだけである。

標高2000mくらいまでは天気図のとおりだが、2000mを超えると前線が来ているのと同じ状況ということである。「5月としては史上最大級」は大げさにしても(4月から2~3日過ぎただけ)、注意しなければならなかったことは間違いない。

加えて、夏場の天候急変は比較的短時間で通り過ぎてくれるけれど、今回の寒気団は強力で通過までかなり時間がかかった。結果として、1日で疲労凍死に至ったのである。

かつての立山大量遭難事故も1日で疲労凍死したけれども、あの事故は経験の浅い登山者が夏山装備で吹雪に突っ込んだものであった。登山経験があり装備がきちんとしていた人は助かっている。

今回の遭難事故について書かれるのはしばらく先のことになりそうだが(羽根田さんが書いてくれないかな)、おそらく、これまでの遭難とは違った側面から考察しなければならないだろう。

山に行く人の多くは天気図くらい見ているはずだが、今回は天気図だけで防ぐことは難しかったように思える。気象庁も上空の観測データをホームページで公表しているものの、分かりやすくは書いていない。

それと、気象庁は最近ホームページをリニューアルして、たいへん見づらくなった。近所のアメダスや警報・注意報はすぐ出てくるのだけれど、広範囲のアメダスや山の天気を見ようとするとたいへん手間がかかる。慣れないということもあるのだろうが。

個人個人がデータから読むのが難しければ気象情報提供サービスに頼ることになるが、それらの会社がどういう会社でどこまで信用できるか分からない。個人的には、信頼性のよく分からない情報に命の危険はかけられない。

結局のところ、危ないと思ったら引き返す、できるだけパーティーを組んでいざという時助け合えるようにすることだが、それも万能ではない。今回も、パーティーを組んでいたのに全員亡くなったのである。

立山やトムラウシのように明らかに先に進むべきでなかったという状況証拠がないだけに、考えさせられる遭難事故であった。詳しい情報が待たれる。

[May 27, 2021]

ところが上空の気象をみると、5月としては観測史上最大級の寒気が襲来していた。天気図だけでは分からない。私も気をつけないといけない。


資本主義は終わるのか

最近、資本主義は終末に向かうという本が多く書かれているようだ。そのうち何冊かを図書館で借りて読んだのだけれど、正直言ってあまり感心しない。だから書評で取り上げることはしないで、なぜ感心しないのか書いてみる。

最初に言っておくと、世の中のひずみや不公平を資本主義のせいにして、もうすぐ資本主義は終わり△△の世の中になるという論法は、半世紀前のマルクス経済全盛期に嫌というほど聞かされた。言ってみれば、先祖帰りである。

私の学生時代は紛争華やかなりし時代の後だけれども、授業中に訳の分からない連中が乱入してきて、授業を中断させて世の中の矛盾について討論するなんて風潮も残っていた。当時は危ないと思ったから、黙って聞くしかなく苦痛だった。

労働者と農民による世の中も来なかったし、計画経済などまったく機能しなかった。首領様の独裁制は予想以上に長く続いているけれども、資本主義の終わりを主張していた連中も、ああいう世の中になればいいと本気で思っていた訳ではあるまい。

さらにいうと、資本・資源・労働力のボーダーレス化が進むとともに経済成長の余地がなくなり、国民国家や通貨管理体制が成り立たなくなるというのは、資本主義の命脈が尽きることとは別の話である。

資本の論理の行き着くところ、関税とか為替とか(そもそも税金とか)、政府による金融・財政の管理まで含めて人為的な制限はなくなる方向に進むのが必然であり、それでどうして都合悪いのかと思う。市場がもっとも効率的に資源を利用するというのは、経済学の基本である。

資本主義は「主義」という言葉が付いているので政治的な主義主張のような印象を受けるけれども、基本的には経済の言葉であって、分配や交換の仕組みを現わしている。

だから、「民主制」や「独裁制」、「貴族制」「無政府主義」まで含めた政治信条を表わす「主義群」とは性格をほとんどまったく異にする。むしろマルクス主義経済学は政治的な主張である。あれは、本当のことを言えば、「独裁制」の「計画経済」だったのだ(だから破綻した)。

資本主義が終わるということは、昔の実物経済、共同体による分配に戻るか、もしかすると計画経済か、さもなければまったく新しい経済の仕組みが適用されるということである。市場を経由しない効率的な分配方法は、いまのところ誰も提案していない。

単純化してしまえば、市場(マーケット)が価格をもとにして資源(ヒト・モノ・カネ)を再配分するというのが資本主義なのである。富が一極集中して格差が広がるとか、貧乏人がさらに暮らしにくくなるというのはマーケットが悪いのではなく、そこに参加している人が悪いのである。

資本主義は経済成長に結びつくことが多いけれどもイコールではなく、貧富の差を少なくすることも意味しない。実物経済がそれらを意味しないことと同様である。格差社会がけしからんというけれども、人類の歴史で格差がなかった社会が実現したことはない(老荘の理想社会は、あえて言うまでもないが現実ではない)。

だから格差社会や貧富の差があるのは仕方がないというのではない。それを経済や社会のせいにして解決したつもりになるのは、かつてマルクス・レーニン主義を掲げて授業を妨害した連中と本質的に変わらないと思うのである。

六十何年生きてきて思うのは、社会はよくなっている面もあるけれども旧態依然として変わらない面もあり、昔の嫌な動きがそのまま復活するような傾向も、得てして起こりがちだということである。

社会を一足飛びに改善することはできないし、そうした無理な動きは社会をより悪くすることは、ここ半世紀のいろいろな事象が証明しているように思う。

[Jul 3, 2021]

最近、資本主義が終わるというような本が出ているようだが、半世紀前に同じようなことが言われていたし、社会の不公正を一足飛びに改善することは難しい。(写真は記事とあまり関係ありません)


エゴワの目撃者・Googleは頼りにならない

今日は、最近のGoogleは頼りにならないという話。

しばらく前にふと思い出したことがある。ちょうどオウムのロシア支部があった頃の話である。オウム同様にロシア国内では新興宗教が勢力を増していて、その中に「なんとかの目撃者」という団体があるという。

これだけだと何のことだか分からないが、実はこれは「エホバの証人」なのである。著者はロシア人通訳が直訳したのをそのまま使ったと思われるが、日本向けに解説するなら日本人にも分かる用語を使うべきであるという内容であった。

(ところで、「エホバの証人」を、多くの日本人は「ベニスの商人」と同じように発音しているのではないかと思う。「証人」であれば「目撃者」と大差ないが、「商人」では相当ニュアンスが異なる。)

それを誰の何という本で読んだのか思い出せなくて、Googleとかでも検索したのだが分からなくて、結局そのまま忘れてしまったのであった。

先日、市の図書館で廃棄図書のリサイクルがあった。ふと目について、呉智英の「言葉の常備薬」を持って帰った。載っているイラスト(中野豪)にも見覚えがあるし、この本を昔読んだような気がする。

後半まで読み進めると、「エゴワの目撃者」の話が載っているではないか。ずっと思い出せなかったのに、図書館のリサイクル本で見つけるとは、すごい偶然である。

なぜ見つからなかったんだろうと思って、「エゴワの目撃者」を検索してみた(「なんとかの目撃者」では、検索できなかったのである)。

本には、間違いなくそう載っている。ところが、Google検索では出てこない。「エゴマの目撃者」ではありませんか?と6件ヒットしただけである。Yahoo!でもBingでも同様であった。誰も、エゴマの目撃者なんて調べてねーよ。

もとはというと、野田正彰の「聖ロシアの惑乱」に載っているそうである。有名な著者だし、出版社は小学館である。34ページに1回、76ページに2回、「エゴワの目撃者」と括弧入りで使われている。

この本は書下ろしではなく、もともとSAPIOに連載された記事をまとめたものだという。呉智英の本にも載っているから、複数の出典で使われていることになる。

さて、われわれが検索するのはどこかで見た・聞いたのだけれど、どこでどういう内容だったか思い出せない場合がほとんどである。そのものずばりの文字列が本に載っている(しかも、大手出版社)のに、それが検索できないならば、何のための検索サービスですかという話である。

十年以上前のことになるが、私がブログにupしたばかりの内容が。その週のうちにGoogleで検索可能だったことがある。Googleが、というよりコンピュータ社会が、ここまで進んでいるのかと思った。

ブログのようにWEBで公開した情報ばかりではない。当時、データで公開していなかった(はずの)同窓会名簿がGoogleで検索できて、自分の名前で調べると出てくることも分かった。個人情報など、秘密にできない時代になったのだなと思った。

それが数年前からだろうか、WEBで公開したホームページもブログも、Googleでは辿れないようになった。検索ヒットが数万件あるので細かく調べる気にもならないが、二十件ほど示しただけで「あとは重複した内容です」なんて表示になる。広告料を払っている記事しか載せないのかもしれない。

われわれが調べたいのは、Googleにカネを払って広告してもらいたい記事ではなく、検索内容に最もヒットする内容の記事である。そういう単純明快な目的に対応するのが検索サービスかと思っていたのだが、そうではないらしい。

今ではおそらく、Googleの検索でヒットするのはGoogleに都合のいい(カネをもらっているとか)記事だけで、WEBを細かく調べてくれている訳ではない。技術的にはできるはずなのに、やる気がないのだろう。だとすると、中国から追放されたとしても、たいして同情できない。

そして、Googleで検索できなくなるからといって、ユーザーフレンドリーにしたり、httpsにしたりがんばってみたところで、努力したほどの効果はないことも、おそらく間違いない。だとすると、長い目でみるとGoogleも盛者必衰ということになるんだろう。

TVも新聞も、放送や印刷・配達にカネがかかる以上採算をとらなければならず、結果として誰かがカネを払ったことしか報道しない。検索サービスもそうなのだとすると、仕方がないと思う反面、技術の進歩がすべてカネ勘定に還元されているようで悲しい。

[Jul 9, 2021]

昔なつかしい中野豪のイラスト。窓からスパイしている男が「エゴワの目撃者」と書いてありますが、こういう仕事をしている訳ではありません。


ガースー突如退陣表明、こう読む

ガースーこと菅総理が自民党総裁選への不出馬を表明し、今月末の総裁任期終了をもって退陣することとなった。日経平均の値動きをみると、一昨日(2021年9月3日)午前11時頃から昼休みをはさんで急騰しているので、大体このあたりで第一報が流れたと思われる。

午後からいろいろな局でTVを見たのだけれど、例によって私が知りたいことは全然報道しない。仕方がないので、自分の頭で考えて今回の退陣表明の背景を読んでみたい。

まず、この日の朝まで、菅総理は自民党の総務会・役員会を開いて人事に関する一任をとりつけ、週明けに内閣改造と党人事を行うとされていた。TVではそのことを全く言わなくなったけれど、普通に考えると最大の退陣理由は「一任されなかったから」である。

なぜ一任されなかったのか、誰が総理のクビに鈴を付けたのか。これも普通に考えると、党人事の要とされた二階幹事長の交代が原因であろう。菅・二階会談で二階氏は幹事長交代を容認したとされるけれど、本当にそう考えていたかどうかきわめて疑わしい。

というのは、今後2ヶ月以内に行われる総選挙において、自民党が議席を減らすのは99%間違いないからである。

つまり、選挙区調整がどうなるか、比例名簿の順番がどうなるかで助かる議員助からない議員がいるということで、その調整役の要である幹事長を代わるということは、子分をみすみす不利な立場に追い込むのと同じなのである。

そして二階幹事長は、多くの人は忘れたかもしれないが豪腕・小沢の元側近であり、選挙の強さは親分譲りである。だから、一度は小沢とともに新生党・新進党に離れたにもかかわらず、自民党幹事長を何年もやれるのである。

菅総理が二階氏に替えて誰を幹事長にしようとしたかは定かでないが、察するところ自分が影響力を行使できる人物を選んだと思われ(石原Jr.とか小泉Jr.あたりか?)、間違っても石破などということはない。いずれにせよ二階周辺にとって容認できる話ではなく、一気に政局へと進んだのであろう。

もともと、これから自民党総裁選をやろうという時に人事をいじるというのは、無投票再選ならともかくどう考えても利益誘導であり、国政選挙なら選挙違反である。前にも書いたとおりガースーは安倍時代の忖度政治を自分の手柄と勘違いしているが、誰もガースーに忖度などしないのであった。

さて、現時点では誰が次の総理大臣なのか分からないけれども、誰がなるとしても総選挙後の10月末か11月には敗北の責任をとって退陣となる確率が99%である。でも、2ヶ月でもなりたいという人がいるのは政治家だから仕方がない。

私の予想を言うと、後継の総理・総裁は岸田前政調会長が最有力である。多数派とはいえないにせよ派閥の領袖で他に遠慮はいらないし、昨年の総裁選で菅総理に次いで2位の実績もある。

加えて私が重視したいのは、例の選挙違反・河合夫婦の選挙区は岸田のおひざ元であり、岸田の元にはいろいろな情報が集まっていると考えられることである。その中には、当時の選挙を仕切った安倍・菅・二階の関与を疑わせるものもあるはずである。

つまり、岸田は安倍・菅・二階の弱みを握っている(かもしれない)ということであり、その連中が「広島では迷惑をかけたから岸田で。いずれにしても冬までだから。」とまとまる可能性はかなり高いように思う。

昨日TVで石破が、「嘘のない政治、国民が信じられるような政治であるべきだ」と話していたが、残念ながら自民党の多くはそんなことを考えていない。目の前の選挙で落ちないこと、旧悪が露呈して逮捕・起訴されないことが彼らの最重要課題なのである。

[Sep 5, 2021]

ガースーこと菅総理が総裁選不出馬を突如表明、今月末で退陣することとなりました。そりゃ自分はコロナに専念できるかもしれないが、自民党は1ヶ月間上へ下への大騒ぎでしょう。


「これまでの努力」に引き摺られると

この間TVを何気なく見ていたら、コロナで阿波踊りが中止になって高校の阿波踊り部で発表の機会がなくなり、これまでの努力が無になるので何とかできないかという内容のニュースがあった。

普通に考えれば、踊る方も「密」、見る方も「密」なイベントをこの時期に開催するのはどうかということだし、発表はあきらめて別な方法を考えるのが常識的だと思うけれど、オンラインとか身内で小規模にという選択肢はないようだ。

こういうニュースを見ると、大げさだけれどわが国は太平洋戦争の教訓を全く生かしていないのだなと改めて思う。

改めて言うまでもないことだが、当時の軍隊は「満州の英霊に申し訳ない」ので中国戦線を拡大する一方、「石油の一滴は血の一滴」で補給体制もないまま東南アジアに展開し、「為せば成る」でアメリカとも戦った。ただでさえ物資が不足しているのに、四方八方で戦ったのである。

本来、「いまどう行動するのが最も適切か」の判断に、「これまでどのように努力してきたか」という要素はあまり関係がない。というより、そこに引き摺られると判断を誤ることがしばしばある。

登山において、道迷い遭難の最大の原因は、引き返す決断ができないことである。せっかくここまで登ってきた(進んできた)のだから、それをムダにしたくないという未練が、抜き差しならない窮地へ一直線に進むのである。停滞したり撤退することにより、悲惨な山岳事故がどれだけ未然に防げたか分からない。

私のよく見ている将棋でも同様の現象がある。いまや、AIの能力は人間をはるかに超えているが、AIの判断は現局面を出発点として、以後の変化を能力の限り計算する。人間はどうしても、ここまで指し進んできた手順に引き摺られる。

だからAIは、直前に指した手と方針が180度違っても平気である。ところが人間は、「銀が泣いている」とか「歩の顔が立たない」とかこれまで指した手順に次の一手が影響される。計算能力とかメモリの問題もあるけれど、人間とAIの差はそこにもある。

自分のことについて振り返っても、私がいままで進退窮まるような窮地に追い込まれずに済んできたとしたら、「せっかくここまで努力(苦労)したのだから」という要素をあまり重視しなかったからだと思っている。

そうでなければ、10年以上勤めた最初の就職先も、20年以上勤めた最後の勤務先も、あっさり辞めることはできなかっただろう。その結果、身体かメンタルかに重大な影響が出た可能性はかなり大きかったはずである。

話は戻って、たかだか2年、最長でも3年の高校の部活の苦労など、それに引き摺られるほどの長い期間ではないし、いま何をすべきかすべきでないかの判断にそうした要素を加えるべきではない。

いつの間にかやることになってしまった高校野球も同じである。だったらプロ野球や大相撲もいいだろう、オリ・パラもいいだろうと進んだ結果が、今日の感染拡大につながっているのである。早めにロックダウンしたヨーロッパ諸国では、すでに規制緩和が議論されているというのに。

いま最重要の課題は、感染防止と自粛のあおりで厳しくなっている業種で働く人達の生活を、どうやって守るかということである。

部活の発表の場がなくなる高校生やプロスポーツ選手とは数にして2桁は違う人達が、影響を受けている。休業補償も所得補償もする気がないみたいだから、少なくとも感染拡大の終息が最優先という姿勢くらい見せていいだろうと思う。

[Sep 21, 2021]

「1年間の努力が無になる」ので阿波踊り部が活動を続けるというニュースを見た。これまでの努力に引き摺られて第二次大戦ではひどい目に遭ったはずだし、身近な事例で考えてもろくなことはない。


自民党新総裁は岸田前政調会長

菅総理の続投断念を受けて行われた自民党総裁選は4人が立候補して行われた。しかし、告示から投票日まで盛り上がっている期間、帯状疱疹でほとんどTVを見ることができなかったので、どういう展開になっているのかよく分からなかった。

立候補の顔ぶれをみて率直に思ったのは、あと2ヶ月かもしれないのに本格政権を目指す河野、短期でもやりたい岸田、次回以降を見据えてとりあえず出てみた高市・野田という印象で、勝負はアンチ河野とアンチ岸田のどちらが多いかで決まるだろうとみていた。

主要派閥が誰を支持するか明確にせず、自主投票という派閥もあった。その状況で党員投票ということになると、知名度と人気に勝る河野がトップとなることが予想され、党員投票で3分の2とかになれば、議員連中も無視できない。

ただし、安倍肝煎りの高市、人気で河野に迫る野田が立候補しているので、党員投票ではそれほどの大差とはなりにくいと思われた。各派閥は自主投票とはいえ、もし決選投票ということになれば一致して動くことが予想され、1ヶ月後に行われる総選挙の思惑も絡んで予想のつきにくい展開が続いた。

昨29日が投開票。2時過ぎにTVを見ると、すでに決選投票が始まるところだった。河野・岸田の対決は予想通りだったが、すでに第1回で岸田がトップに立っている。河野は国会議員票で、高市にも遅れて3位である。

この時点で、ほぼ結果は見えた。実際に、高市に投じた議員の多くは岸田に入れて、票差を1票差から87票差に拡大し、岸田新総裁の誕生となった。半月前に予想したとおりである。

ガースー退陣を受けて速やかに立候補を表明した宏池会領袖の岸田と、麻生親分の了解を得るまで1週間かかった河野。準備期間の差が結果に直結したようにみえる。また、河野が主張した「最低年金保障、財源は消費税」に反発が強かったことも指摘されている。

しかし、おそらく鍵になったのは、上に書いたようにアンチ河野がアンチ岸田よりも多かったということではないかと思う。そして、ガースー退陣直後に書いたけれど、安倍・二階といったあたりが、「広島で迷惑をかけた」岸田容認で一致したのではないかと想像している。

コロナの非常事態が今月末に解除となり、ワクチン接種も予約枠が余るようになった。ガースーは自分の手柄じゃないかと思っているだろうが、逆風が弱まったように見えるのは退陣したからである。

本当に久しぶりに安倍一派でない首相が自民党を仕切ることとなり、党役員や大臣の人事で新鮮味を出すことに成功すれば、総選挙での負け幅を最小に済ませることができるかもしれない。それでも、前回が勝ちすぎなので議席減にはなるだろう。

総選挙で大敗すれば、総裁着任早々に退陣ということになりかねない。コロナが下火になりつつあって状況は改善しているものの、どうしのぐのかお手並み拝見というところだろう。

[Sep 30, 2021] 自民党新総裁に岸田前政調会長が選出された。来月中に行われる衆議院の任期満了ないし解散に向けて、自民党の負け幅を許容範囲内に収められるかどうか、手腕が問われる。


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