なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

テレビ体操に男のアシスタント    相撲部屋を大学にするから    4年振り総選挙予想
日本中が廃墟だらけになる    総選挙予想は的中したけど    社会党共産党の時代じゃない
生きていても仕方がないという人が増えている    魂はない、幽霊もいない    紅白歌合戦の起源


テレビ体操に男のアシスタント、これも時代か

予定では金曜日はホームページの更新日で、ブログには記事を出さないことが多いのだけれど、今日はあまりにもびっくりしたので急きょ書くことにした。6時25分のテレビ体操に、なんと男性アシスタント2名が加わっているのである。

長い間、先生は男性、アシスタントは女性と決まっていて、先生に女性が加わることはあったが(岡本先生はアシスタント出身)、アシスタントに男がなることはなかった。

いずれこうなるのは予想されたことで、今年の春から女性アシスタントがレオタードを着なくなったのを見て、奥さんに「男女雇用平等だから、今度新しく入るのは男だよ」と予言していた。だが、まさか10月とは思わなかった。

10月は下半期のスタートだから、民間会社にしても役所にしても人事異動の時期ではあるが、新規採用は卒業に合わせて4月というのが通例である。もちろん、採用はいつでもいいだろうけれど、この時期に契約終了されたら、厳しくはないだろうか。

アシスタントは最大7名というのがこれまでの慣例で、いま7名だから2名加わると9名になる。だから、ベテランの方から2人抜けるというのがありそうなケースで、そうなると一番先輩の沙希ちゃんと、二番目の愛ちゃんが該当する。NHKのホームページをみると、十月の番組表にこの二人の名前がみえない。

昨年はコロナの影響でラジオ体操の全国巡回がなく、今年も規模を縮小しただろうから引継ぎしやすかったのかもしれないが、何とも急でびっくりした。ホームページの修正が間に合わなかったのか、テレビ体操の紹介ページには愛ちゃんがセンターに写っている。

おそらく、アシスタントのお姉さん達の中で視聴者にもっとも人気があったのは愛ちゃんなので(自分の好みというだけか)、これで視聴率が下がらないか他人ごとながら心配である。オリ・パラの最中でも定時に放送した貴重な番組なので、視聴率が下がってやらなくなったら悲しい。

家では、来春に引退するのは一番先輩の沙希ちゃんか一番年上の愛ちゃんか(デビューは1年遅いが院卒なので1歳年上)と言っていたのだけれど、まさか10月に二人いっぺんとは思わなかった。

その影響か、家でETと呼んでいるあかりちゃんが、前髪をおろしてかわいくしていた。「これからは私がメインよ」と思っているかもしれない。ちなみにETというのは、日本人離れというより地球人離れしたスタイルをそう呼んでいるのであった。

デビューした男性アシスタント2人は、毛脛が見えないように黒いタイツ。ショートパンツも少し長めになっていたが、いつもこの格好かどうかは分からない。七三分けの髪型がちょっと変で、多胡先生みたく短髪の方が体操っぽい。

まあ、見慣れれば男のアシスタントでも違和感はないと思うけど(先生が手本を示すことはこれまでもあった)、片足バランスでどうしてもふらついてしまう愛ちゃんが見られないのはかなり残念である。そんな視聴者の心配をよそにアシスタント9人体制でやるのかもしれないが。

追記.10月3日朝の体操で、愛ちゃんが登場しました。よかったです。沙希ちゃんはやっぱり卒業かな?

[Oct 1, 2021]

10月1日から、テレビ体操のアシスタントに男性2名が加わりました。これも時代の流れでしょうか。


相撲部屋を大学にするからこういうことが起こる

今週は金曜日に記事を出さなくて済むと思ったら、またもや事件が起こってしまった。

東京地検特捜部は、日大板橋病院をめぐる背任の疑いで、日大理事の井ノ口容疑者と大阪の医療法人前理事長を7日に逮捕した。「井ノ口」という名前に聞き覚えがあったので調べたら、やっぱりそうだった。アメフトの悪質反則事件で引責辞任したはずの理事、アメフト部を牛耳っていた前監督である。

WEBを調べると、「人のうわさも七十五日」と思ったのか、いったん辞任した理事職にほどなく復帰、アメフト部の正常化ということで新たに迎えた監督・コーチもクビにして、元の木阿弥になったらしい。さすが日大、やることがえげつない。

そしてこの井ノ口氏、すぐに理事に戻されるのだから余人をもって代えがたい存在だった訳である。なぜかというと、相撲部屋の親方、じゃなくて日大理事長にカネを流すというこの上なく重要な職務を担っていたからであった。

ニュースでざっと聞いた限りでは、あまり頭を使っていない単純なキックバックで、鬼の東京地検特捜部がこのくらいの犯行を立証できないことはないだろう。いくら覚えがないといっても、口座にカネが流れていればとぼけたってムダである。

傍から見ていて思うのは、どうせ「ごっつぁんです」の気分なんだろうから、懸賞金くらいの金額を現金で受け渡ししておけば見逃してもらえたのにということである(そのくらいは前からやっているんだろう)。千万とか億とか抜きたいんだったら、せめてJOCのように海外法人くらい使わなければ、摘発してくれと言っているようなものである。

さて、日大のアメフト事件については、当時記事を上げさせていただいた。要約すると、相撲部屋体質の日大に良識を期待する方が間違っていて、関学は自分で自分の身を守る必要があったということである。

その場で騒がないで後から追及しようとするから、こうして誰も責任をとらないし、いい気になって何をしても許されると思ってしまう。井ノ口容疑者は私と同じかひとつ歳上であるが、親方の言うことに絶対服従したからいまの地位を築けたのだろう。

今場所の取り組みは関学やマスコミではなく東京地検特捜部なので、かなりの確率で実刑を食らうだろう。とはいえ、背任だけだと最長5年である。井ノ口容疑者としては、理事長の関与に関して口を割らなければ、また日大に戻れると思っているはずである。

「懲役」とは文字通り懲りてもらうための刑罰だが、彼らが懲りることはない。5年の間に理事長が当たり籤を引かない限り、某職種と同じで出所時にはお出迎えが来る。そして、前回のアメフト事件と同じ推移をたどるのである。

それが許されないと思ったら、日本中の受験生の親御さん達が日大を受けさせないしか方法はない。ただ、それも短期的には望み薄である。体の大きな子を相撲部屋に入れるように、それほど能力のない子は相撲部屋に似た大学もどきに入れるしかないのである。

[Oct 8, 2021]

日大の井ノ口ってどっかで聞いた名前だと思ったら、やっぱりアメフト事件で責任をとって辞めたはずの理事でした。相撲部屋の親方wとしては、使い勝手のいい汚れ役だったんでしょう。きっと懲りないで戻って来ます。


4年振り総選挙、自民議席減も過半数確保と予想

任期満了直前に衆議院が解散となり、10月31日の投開票に向けて総選挙が始まった。4年前の総選挙のときはお遍路歩きで四国西部を回っていて、演説会や選挙カーでうるさくて仕方なかったことを思い出す。月日の経つのは早いものである。

まだこれから、急転直下何かが起こる可能性もなくはないが、東京地検も選挙期間中は大きな動きを避けるのが通例である。その前提で、選挙結果を予測してみたい。

前回の総選挙では、自民・公明両党で議席数の3分の2を占め、憲法改正に向けて国民投票に持っていくことが可能なほどの大勝利だった。しかし、4年間ぐずぐずしているうちに、コロナ騒ぎでそれどころではなくなった。

今回のコロナでは、飲食業やレジャー産業など地方にも大きな影響が出て、関連する食品業界や建設業界にも及んでいる。これまでのように後援会で票を取りまとめて当選圏内とはいえない状況が考えられる。

したがって、自民党としては、負け幅をどの程度小さくできるかがポイントとなる。岸田新首相も「自公で過半数」と勝敗ラインを相当低く設定してように、ある程度の議席減は折り込み済である。

私の予測では、自民党は現有議席よりは減らすものの、過半数の233は確保し、公明党と合わせて絶対安定多数は維持するのではないかとみている。その範囲なら責任は追及されないが、維新と合わせても憲法改正はできないという議席数である。

その理由には二つあって、まず代表質問などの雰囲気である。立憲民主党の枝野代表(わが家ではカピパラと呼んでいる)がいきり立っているのに対し、岸田新首相はワントーン低い落ち着いた声で答弁している。

犬の喧嘩でも、吠えまくるのは弱い犬と決まっている。総裁選でも、いきり立っていたのは河野陣営の方だった。コロナ対応は確かにまずかったが、仮に民主党政権が続いていたらもっとひどかったかもしれないと言外に匂わせているのもクレバーである。

それに、ああやっていきり立つのは、実際に負けた後に「われわれも一生懸命やったのだが、力及ばなかった」とエクスキューズしようという深層心理が働いているからである。「政権交代」などという高いハードルを掲げるのも、一生懸命というポーズである。

もう一つの理由は、カネと政治に神経質になるのはむしろ少数派で、「カネに清潔だが景気を悪くする」政治家と、「カネに汚いけれど景気をよくする」政治家では、後者を支持する方が多いのである。

まして長州といえば、高杉晋作、井上馨をはじめとして、自分の財布と他人の財布の区別がつかない人間が偉人として尊敬される。横浜のように、総理大臣であってもエラーを重ねると支持者が離れる都会とは違うのである。

それをいいことに、カネの問題を起こした張本人が、「立民と共産党の選挙協力は野合だ」などといきり立つのは感心しない。それは選挙民が判断することで、私に言わせれば公明党と組むのこそ野合である。

あのマスク男が「野合」のもともとの意味を知っているかどうか、たいへん疑わしいがそれはそれとして。親父さんは秀才だったから、「野合」などという言葉は使わなかったと思う。

[Oct 19, 2021]

今回の総選挙、自民党はそれほど負けないと予想する。第一に、野党のカピパラがいきり立っているから、第二に、選挙民は政治とカネに神経質でないから(特に長州は伝統的に)。


日本中が廃墟だらけになる

最近、YouTubeで鬼怒川や塩原温泉が廃業したホテルだらけという動画を見た。ホテルおおるりも廃業して、ますます廃墟が増えそうだ。

観光需要が伸び悩むのは、社内旅行もなくなったし家族旅行も少なくなったから仕方ない面もあるが、温泉街の惨状は半分以上人災である。というのは、経営破綻して一時国有化された足利銀行が、滅多やたらに貸し込んだ果てが今の姿だからである。

私自身、バブルの頃銀行にいたので、当時の雰囲気はよく分かる。売上が毎年2割増でそれが何年も何十年も続くという前提で、借りてくれるところにはいくらでも貸す。それに疑問を持つ担当者は銀行員でないという風潮だった。

貸し込む先が都市部の案件であれば、あるいは将来挽回のチャンスがあるかもしれないが、田舎の温泉街に過大投資をしてそれが戻ってくる可能性はきわめて小さい。競売したって売れないから貸し倒れるしかないし、だから足利銀行は潰れたのである。

東武線の鬼怒川公園駅近くの道路際に、廃墟となったホテル群を見ることができる。動画では2000年代に入ってから破綻したように書かれていたが、記憶ではバブル後まもなくから開店休業状態であった。ということは、新規設備投資して何年もしないうちに使われなくなったということである。

同じようなことは、過去にもあった。吸収合併されてしまった北海道拓殖銀行はかつて北海道の指定金融機関で、道内ではダントツの銀行であった。

道内でというのは戦後の話で、戦前には千島・樺太にも北海道拓殖銀行の支店は置かれていた。それほど大きな銀行がなぜ破綻したかというと、バブルの影響もあるけれども、旧態依然の石炭産業向け融資がほとんどすべて貸し倒れてしまったからである。

足利銀行の融資が鬼怒川沿いの廃墟となったのと同様、北海道拓殖銀行の融資はいまや誰も行くことのできない炭鉱施設として地下に眠っている。もう石炭がないから掘らないのではない。外国からもっと安く手に入るようになったからである(環境問題があるので、石炭の世の中に戻る可能性はほとんどない)。

カネに目がくらんだ連中にとって、炭鉱設備に投資すれば必ず元がとれるし、ホテルに投資しない奴はバカだと思ったからそうしたのだろう。頭が悪いと言ってしまえばそれまでだが、当時は高学歴なエリートが率先してそういうことをしていたのであった。

当時私が、「将来にわたって売上が2桁で伸び続けるというのは、おかしいんじゃないですか」と言ったところ、「お前はバカか。そういう稟議書書いて、貸しゃいいんだよ」と言ったのは本郷にある大学を出たエリートであった。

ひるがえって、いま環境保全だの低炭素社会だの、地球温暖化防止に大枚をはたいているけれども、その行く末がどうなるかは何ともいえない。

全国津々浦々にある太陽光発電装置が、誰もメンテする人もなく打ち捨てられる可能性は決して低くないと思う。現に、砂防ダムだってほぼそういう状況である。何十年経ってみたら、鬼怒川のホテル群や地下の炭鉱施設と同じことになっているかもしれない。

この先五十年も生きていられるなら、どういう投資をすれば五十年後に残っているか必死で考えるだろうが、自分自身がいない遠い未来のことを考えても仕方がない。生きているだろう人達に考えてもらえれば幸いである。

[Oct 27, 2021]

YouTubeを検索すると、かつて温泉街として栄えた鬼怒川、塩原あたりの廃墟群を撮影した動画がすぐ見つかる。ホテルおおるりも閉館して、ますます廃墟が増えるのではないかと心配である。


総選挙、予想は的中したけどうれしくない

10月31日に投票が行われた総選挙、公示直後の19日に「自民議席減も過半数確保」と書いた予想がまさに的中してそのとおりの結果となった。

直前まで自民苦しいというマスコミ論調で、午後8時のNHKニュースでは自民過半数微妙という出口調査結果だったにもかかわらず、議席を減らしたのはむしろ立憲民主党と共産党だった。自民・公明・維新の「改憲に前向きな勢力」は引き続き3分の2の議席を確保し、その気になれば憲法改正に再挑戦できる状況となった。

正直なところ、予想は当たったけれど全くうれしくない。多くの人がいまの政権でいいと思っているのだから仕方ないけれども、政権与党が勝手なことをすると世間が許さないという均衡した状況が、本来望ましいはずなのである。

予想記事にも書いたように、カピパラ枝野がいきり立っていたのは、こういう結果を無意識のうちに分かっていたからである。まさか、自民党だけでなく自分達も議席を減らすとは、意識していなかっただろう。

前回の自民党は勝ち過ぎなので反動があるはずだし、コロナに関する不手際、モリ・カケ・桜の3点セットも加わって、何もしなくても勝てると甘くみていた可能性が大である。普通に考えれば、選挙の顔がカピパラではいかにも弱いし、石原に勝った吉田晴美みたいな見栄えのする候補の数を揃えることもできなかった。

野党一本化の効果といえるのはその東京8区で石原を落としたくらいで、他の連中は選挙区で負けても比例で復活した。してみると、立憲民主、国民民主、共産党では政権批判の受け皿にはならないということである。

おそらく、これらの政党の長期低落傾向は止まらないのではないかと思う。なぜかというと、誰の利害を代表しているか分からないのが第一。その帰結として、きれいごとを言い過ぎるからである。このことについては、来週まで考えてもう一度書いてみたい。

わが千葉ニュータウンのある千葉13区でも、前回・前々回の自民党議員はカシノ収賄の秋元と一緒にマカオに行ったり他にも悪いことをしていたため、自民党はちゃっかり候補から外した。当然、自民党票は減るかと思いきや、全然減らなかったのである。

代わりに立てた候補が、日本医大の救命救急をやっていたという医師で、もちろん政治には素人である。連日選挙カーで「コードブルーの救急ヘリを作ったのは私です」と放送(もちろん録音)していたが、少なくとも地元と縁があることをアピールすることには成功していた。

事前の情勢分析では、自民、立憲、維新の3つ巴の接戦とされていたが、投票箱を開けてみたらお医者さんの圧勝。立憲民主党の現職(比例)は、比例復活もできず議席を失った。

苦戦とみて必死にがんばった自民党が落ち着いて支持を訴え、楽勝するはずと声を張り上げていた野党は期待外れの結果となった。自分達は議席を失って自業自得だけれど、死票を投じた有権者の無念はどこに行くのだろう。

[Nov 2, 2021]

今回の総選挙、自民党はカシノ収賄のお友達を引っ込めて日本医大のお医者さんを出してきましたが、接戦予想にもかかわらず圧勝しました。


社会党共産党の時代じゃない(かもしれない)

先月末に行われた総選挙、自民苦戦のマスコミ論調にもかかわらず野党共闘は大苦戦、自民党同様に議席減という結果となった。

先週から、これはどうしたことなんだろうと考えている。そして思い当たったのは、われわれの世代は自民党の対抗勢力は社会党・共産党というイメージで、自民に批判票を入れるならそれらの党となるのだが、もはやそういう時代ではないのかもしれない。

というのは、先週も書いたけれど、立憲にせよ国民にせよ、もともとは旧社会党系で、支持母体は労働組合である。じゃあ労働者の立場を代表して政権に物申すかというと、そんなことにはあまり関心がないように見える。

そもそも、立憲民主と国民民主とどこがどう違うのか、ちゃんと説明できる人がどれだけいるだろうか。例えはよくないけれど、学生運動の際、わずかな主張の違いで山ほど組織ができて内ゲバに走ったのとあまり変わらない。

いまや、サラリーマンの若い年代はベースアップとは何なのかよく知らないだろうし、ストを経験した人も少ないはずである。労働組合って、何をする団体ですかというのが正直なところかもしれない。

私の若い時でさえ、毎年のようにストを打つのは国鉄か私鉄だけであり、ストは対応するもので自分がやるものではないと思っていた。毎月組合費を引かれていてその中身の一部はスト準備資金だったはずだが、きっと組合執行部が旅費とか飲み食いに使っていたんだろう。

そして、勤め先で「あの人は共産党らしい」と噂が立つと、組合に推されるのではなく組合の支部役員にも絶対させないで、いつしか顧客対応のない部署に転勤させられたものである。つまり、組合なんて会社の手先みたいなものであった。

それでも、組合費は取っているし従業員のために活動する建前だから、勤務時間の問題や休暇取得の問題には率先して取り組んでいた。おそらく団体交渉では、「これを飲んでもらえないと従業員がおさまりません」と言ってくれたのだろうと思っていた。

誰がやっているとかそういうことではなくて、組合という看板を背負っていれば誰しも従業員の側に立って言動や行動を律しなくてはならないという前提で動いていた。

ところが、バブル崩壊以降、平成の30年間でほとんど昇給やベースアップはなくなり、勤務時間や休暇にもほとんど前進はなく、「会社が嫌ならやめれば」という雰囲気が大勢を占めるようになると、組合もそういう人達になる。

つまり、従業員の福利厚生や待遇の改善のために身を砕いているのではなく、会社の側に有利になるように立ち回れば、いずれ自分の待遇や給料がよくなるだろうという自分本位の考え方である。

だから、いまや組合に信頼感やシンパシーを抱いている層というのはほとんどないだろう。立憲・国民の両民主党も同じことである。まだ組合幻想のあるわれわれ世代が減っていくのだから、彼らが勢力を増すことは考えづらいのである。

共産党はまた別の支持層であるけれども、そもそも共産主義の世の中にしたいと思う層がどれだけいるだろうか。そして、1945年以来実質的なトップがまだ3代目という首領様の国並みの新陳代謝の遅さも相まって、現代的な組織とはとてもいえまい。

われわれの世代には、共産党と過激派の区別がほとんどつかなかったのと同様(彼らとしては全然違うのだが)、いまの世代には、香港でアグネスをいじめている中国共産党の日本支部という認識ではないかと思われる。これは、致命的かもしれない。

今回の選挙では維新の会が躍進したが、気に入らないことがあると署名偽装でも何でもしてしまうという規範性のなさはどうしようもない。今回の躍進は、ここ数年で最も顔が売れた政治家である大阪府知事の功績が大きいと思っている。

公明党支持者の半分以上は私より法華経の知識がないと思っているが、そもそも創価学会員が日本人口の1割以上いるはずがない。にもかかわらずこれだけ勢力を伸ばせるのはなぜか、野党の方々も少しは考えた方がいい。

[Nov 10, 2021]

立憲民主党は総選挙で大敗。マスコミでは共産党と組んだのが致命的との論調ですが、労働組合にシンパシーを抱く人がどんどん減っているのに、候補者をきちんと発掘してこなかったのが大きいと思う。


生きていても仕方がないという人が増えているらしい

この前図書館で本を読んでいたら、いまの若い人の中には生きていても仕方がない、できれば早く死んでしまいたいという人が増えているということが書いてあった。

だから、早く安楽死(尊厳死)ができるようにして、苦しまずに死ねるものならそうしたいそうだ。死刑になりたいから歩行者天国に車で突っ込んだり、保育園に乱入して園児を無差別攻撃しようという輩が現れるのも、そういう傾向によるものという。

私は、安楽死(尊厳死)は認めるべきだと考えている。病気でずっと苦しい思いをしなければならなかったり、ケガで体が不自由になったり、精神的に追い詰められてどうしようもないといったケースは現実に存在するからである。きれいごとだけでは済まない。

インドのウパニシャッド哲学には、生きることは苦であるという基本的な考え方がある。もともと仏教は、そうした苦しみから逃れるための「解脱」を目指すものであった。「四苦八苦」という言葉も、生きていてもつらいことばかりだという意味である。

仏教が日本に入ったのは中国経由なので、道教や儒教の影響が加わって、現世利益や先祖供養の宗教になってしまった(日本に来て、マルチ商法の要素すら加わった)。いま「葬式仏教」と揶揄されるのはこのためで、もともとの仏教にそうした考え方はない。

生きていたくないほどつらい日々を送る人達は本当にお気の毒と思うし、世の中にはそこまで追い詰められることもあるとは思う。幸い私はそうなっていないけれども、だからといってこれからもそうである保証はない。

そうなるかもしれない自分に対する予防線が半分と、そういう立場になりかけている人達につぶやくことができるとすれば、以下のことである。口幅ったいようだけれど、追い詰められないために個人的に重要と思っている事柄である。

1.やりたくないことはできるだけしない。

やりたいことをするためにはおカネも時間も必要で、そこに重点を置いていたらストレスもたまるし精神的にも充たされない。やりたくないことをなるべくしない方にシフトすれば、少なくともストレスが格段に減ることは間違いない。

5年前にアーリーリタイアして、やりたくないことをしないでよくなって、精神的にどれだけ楽になったか分からない。経済的には余裕がなくなったけれども、それには代えられないと思っている。

熟年ブログをみると、年金のお得なもらい方とか副業とかアフェリエイトとかおカネのことばっかりだが、私はそういうことに時間をかけたくない。必要最低限は考えなくては仕方ないけれど、あとは少ない収入で何とか回す方に頭を使う方がいい。

2.他人と自分を比べない。

世の中の多くの人がストレスフルな毎日を送っているとしたら、その大きな要因は他人と自分を比べて「相対的な」優劣を競っているからではないかと思っている。

他人はどうあれ、自分はこうしたい。おカネと時間はこう使いたいという「絶対的な」指標で考えるようにしたら、楽になるのではなかろうか。他人の評価、見る目なんてものも、当然意味のないことである。

会社を辞めて、他人と自分を比べることがほとんどなくなったのは、心身の健康のためにたいへんよかったとしみじみ感じている。会社の中で偉くなる、より多くの分け前をとるなんてことは、人生においてほとんど意味のないことではないだろうか。

3.脳も肉体も、体の機能といわれるものをなるべく頻繁に使うようにする。

歳とってきて最近特に感じるのは、脳にせよ手足・内臓にせよ、体というのはなるべく使うようにすると気分がいいということである。

動かないでじっとしていると鬱っぽくなるのは、本来、脳も体も自分達の機能を十分に使ってもらいたいからではないかと思っている。健康とは、病気でないというだけでなく、脳や体が十分に使えるということである。

p.s. この記事は神田沙也加さんの事件が起こる前に書いたものです。

[Nov 30, 2021]

生きていても仕方がないという人が増えていて、それで自暴自棄な犯罪が増えているという。


魂はない、幽霊もいない

脳の機能についての研究が進んで、最新の知見では「心」なんてものが脳や体と独立してある訳ではないということが明らかになってきたそうだ。

こういう話を聞くと思い出してしまうのが若かりし頃のことである。大学へ行って、心理学の講義を受けた。フロイトとかユングのことを教えてくれるのだと思っていたらさにあらずで、ネズミを迷路に入れる話とか、ゴリラの赤ちゃんに何を見せると怖がるかという内容であった。

当時はオカルトがブームで、オウム真理教の騒ぎはすぐ後である。こっくりさんとかエスパーとか、テレパシーとか1999年恐怖の大王とか、そんな本がたくさん売れていた。しかし半世紀経ってみると、講義の方が最新で超心理学なんてものが時代遅れだった訳である。

動画とか、その前提となる動きという概念にしても、脳が作り出した虚構である。脳が認識するのは時間の経過とともに微妙に違う静止画像だけで、それを動いているものと理解するのは脳の働きである。

同様に、われわれが「心」と思っているものも、実は脳が自分の働きを分かりやすくするための虚構であり、脳がないところに心はないというのが最新の知見である。

そのこと自体は昔からうすうす分かっていたことで、改めて証明したということに過ぎないのだろうが、そうなるとこれまで多くの人達が信じてきたいろいろなことの根底がくずれてくる。

以前、ドーキンスの「神は妄想である」の書評で書いたように、神はいないのかもしれないが、神様はいると信じた社会の方が、生き延びるのに有利だったということはあるかもしれない。

しかし、それは人間の知識が自然界の現象を解明できない時代のことで、現代にあっては神の存在を信じても信じなくても、生き延びる確率はそれほど違わないように思える。(むしろ、神の存在を信じる方が生き延びる確率は少ないかもしれない。)

「心」とか「魂」、「霊」が脳の作った虚構だとすれば、ほとんどすべての宗教も虚構ということになる。輪廻もしないし最後の審判もなく、極楽浄土も千年王国もないことになる。それらは、肉体とは別の存在、「霊」抜きには考えられないからである。(仏教では輪廻するのは「霊」ではないが、肉体以外のものであることに違いはない)

次に、「聖霊が現れて私にそう命じた」といった預言者伝説も、実際のところ「私はこう思うからそうしろ」という意味になる。宗教だから誰かを信じることに違いはないが、神や聖霊の命令なら従うけれど同じ人間の命令なら自分で考えて決めるという人は少なくないだろう。

そうした理屈抜きで行動規範としてとらえればいいのかというと、そこがまた難しい。今日の科学からすると意味のないことでも、そう決められていたとしたら反証を挙げてもどうにもならない。議論もできないしバージョンアップもできないということである。

もちろん、今日の科学で分からないだけで豚か牛かどちらかは食べたら問題あるのかもしれない。しかし、少なくとも人間の一生のスパンでは問題ないようだから、致命的な問題とはならない可能性が大きい。

心が体と独立しているというのは、「脳」が作り出した虚構らしい。ということは、魂もいないし幽霊もいないということである。生身の人間がその事実を受け入れられるかどうかというのが、次の問題となる。


前回は、「心」は脳の創り出した虚構であり、魂もなければ霊もない。輪廻もなければ最後の審判もなく、また聖霊のお告げもないので宗教の多くは根拠がなくなることを書いた。

それでは、超常現象もまたないのだろうか。これについては「魂」や「霊」とは別に考える必要がある。いま説明できないからといってすべて神様のなさることと考えていたら、宇宙の成り立ちも病気の原因も解明できなくなる。

日食や月食が太陽や月の軌道をもとに計算できることであり、過去のいつそれが起こって将来いつまた見られるかは分かっている。しかし、ずっと昔は神のなさることと考えられていた。

遠くで起こったことを感知できる「千里眼」は、かつて神の領域に関することとされ、つい最近まで超能力とされていた。しかし、カメラと通信手段があればそれは簡単に可能であり、いまではスマホで数百km数千km離れた場所のライブ映像を見ることも可能である。

同様に、超能力とされたものの多くは、いまでは技術的に可能なこととなったり、手間をかければ分かることである。できないのは「時間を先に進んで未来のできごとを述べること(予言)」だけといっていい。

その昔、「TRICK」というテレビドラマがあった、若かりし阿部寛と、みずみずしかった仲間由紀恵が主演で、超常現象や霊能力はすべて手品のトリックで説明できるというストーリーの人気作品であった。

その第1話は、菅井きん率いる新興宗教団体のインチキをあばくという話であった。教祖の超能力とされた代表的なものが、空中浮揚、透視であるが、ピアノ線で浮いたり、アルコールを手に付けて封筒の中身を見たりしていた。

それらの「超」能力は他にも可能な手段はありそうだが(超小型カメラがあれば透視などすぐできる)、TRICKの中でも、教祖がどうやって裏切り者を事故死させたかの回答は示されていない。

ドラマではあくまで偶然ということにされていたけれど、「あなたは死ぬ」を実現させるためには実行部隊を手配しなければならず、それは予言ではなくて殺人である。(オウムの件があるので当時はやりにくかっただろう)

そういえば、最近では心霊写真とか地縛霊とかこっくりさんの話題をほとんど見なくなった。

約半世紀前のオカルトブームの頃、そうした話が多く提供されていて、その延長線上にユリ・ゲラーとか1999年恐怖の大王があったのである。そうした話題をほとんど見なくなったのは、オウムの反省もあるけれどそうしたことを多くの人が信じなくなったことが大きい。

また、予知とか第六感と言われるものの多くは、すでに起こっていることを感知する能力で、まだ起こっていないことを予知する訳ではない。個人的には、そうした第六感的な感覚は、人間に備わっている能力かもしれないと思っている。

同様に、UFOとか未知の生物も「霊」とは別の範疇に属するものだろう。現在の科学技術で説明できないだけで、「未来に起こることを知る」以外の超常現象はあったとしてもおかしくない。

[Dec 23, 2021]

「霊」がないとすると超常現象もないのか。必ずしもそうとはいえない。時間を先に進んで未来のことを予言することはできないが、それ以外については現在分からないだけかもしれない。


紅白歌合戦の起源

NHKの会長が紅白出演歌手について訊かれて、「年寄りだからよく分かりません」と答えたそうだ。

組織トップが自社製品をそう言っていいのかどうか疑問だが、正直なところシニア世代が知っている歌手は半分もいない。以前から「紅白不要論」はあるけれども、もしかするとコロナを機にNHKでも廃止を検討しているのかもしれない。

紅白歌合戦のスタートは1951年というから、かれこれ70年続いていることになる。とはいえ、1950年までは今のような形ではやっていなかったということだから、やらなくたって困るということはない。そもそも、公共放送で視聴率をとる必要なんてない。

宮本常一の本に書いてあったのだが、歌合戦を「紅白」、つまり男女対抗でやるというのは、江戸時代の村落共同体に起源があるそうだ。当時はTVもラジオも新聞もないので、祭りとか田植えとか、そういったことしかイベントがなかったのである。

そして、なぜ男女で対抗したのかというと、どちらがより上手いかで体を賭けてやっていたそうなのである。宮本常一は全国各地の村を回ったから、その頃まだ生きていた明治以前の年寄りに聞いたのである。

どんな世の中だって気晴らしは必要だし、大声を出して歌うだけだってストレス解消になる。まして、働くのも暮らすのも狭い村の中で完結している世界である。いつの時代だって、誰でもお行儀よく生きられる訳ではない。

昨今の不要論の論拠のひとつが、男女平等の現代に性別で区分して対抗する意味があるのかということがある。しばらく前から、男女デュオや混成グループをどちらの組にするかという議論はあった。デュエットは紅組、グループは白組に予定調和することが多いのだが。

とうとうテレビ体操も男がやる世の中になったのだから、そろそろ紅白も終わりにする頃合いなのかもしれない。1951年にはまだ色濃く残っていた日本のムラ社会も、すでに限界集落になってしまった。

歌合戦だけ続けるかというと、これがまた難しい。東西ではバランスがとれないし、男女差別をやめたのに出身地で差別するのかというクレームも出そうだ。五木組と和田組でドラフトするというやり方は、NFLがプロボウルでやって1年でやめたようにうまく行かない。

密を避けるという大義名分があるのだから、この際すぱっとやめて、大河ドラマの総集編でも流しておけばいいのではないかと思う。芸能事務所はたいして困らないし、歌手も年末のスケジュールが空く。年寄り向けには、きっとテレ東が歌番組をやってくれるだろう(いまもやっているが)。

[Dec 30, 2021]

1951年開始というから、もう70年続いている偉大なるマンネリ番組・紅白歌合戦。その起源は江戸時代の村落共同体にさかのぼるらしいけれども、そろそろやめ時かもしれない。


ページ先頭に戻る    思うこと2021←    →思うこと2022    思うこと目次