なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

悪意ある人間は必ずいる    広告頼みはいずれ廃れる    LIFE BELOW ZERO
2022参議院議員選挙    安倍元首相銃撃事件    安倍元首相国葬終わる


悪意ある人間は必ずいる

村上春樹の小説の中に、世の中には無抵抗の猫の足を万力でつぶすような意味のないことをする奴が必ずいて、世の中はそうした悪意で満ちているという場面がある。

私も還暦をずいぶん前に迎えたけれど、まったく同感である。自分がそういう人間でないことは自信をもって言えるが、そういう人間が一定の確率で存在することもまた確かなのである。先日、改めてそう思ったのでそのことについて。

あるキャンプ場でのことである。普通の登山者は遅くとも午後3時くらいにはテントを設営して4時頃には食事、翌朝早いので5時頃には静かにしている。(南アルプスのある山小屋では、午後3時を過ぎて到着すると怒鳴られるという有名な話がある。)

ところが、その日現れた7~8人のグループは5時過ぎてから現われ、大騒ぎしながら設営、そして宴会を始めたのである。

若い人がオートキャンプと間違えているのだろうと思うかもしれないが、いい歳の連中である。しかも、「昔の山岳部では先輩に荷物を持たされた」なんて話をしているから、もと山岳部だった連中が少なくとも何人かはいたのである。

なげかわしいことだと思ってトイレに行くと、そのうちの一人が挨拶もなしに話しかけてきた。

「ここにはキツネが出るから気を付けてね」

見ず知らずの他人、しかも自分達より早く着いている明らかに年上の人間に、挨拶抜きのタメ口。しかも群れをなして大騒ぎしている奴らである。相手にしないでいると、さらにしつこく話しかけてきた。

「何か持っていかれたら困るでしょう。困るよね」

「俺には盗癖があるし、他人が困ってるのを見るのが大好きだから、気を付けてね」と言っているように聞こえた。わずか数メートル先にこんな不審者がいるのはたまったものではない。その夜は身辺に気をつけなければならなかった。

翌朝5時過ぎに出発する時、連中は出発どころか朝食もとっていなかったので、まあそういう奴らである。昔は山岳部だったのかもしれないが、登山の基本もできていないのである。

だから、山の本に、山岳部や山岳会で基本を身につけてなどと書かれているのは、まったく当てにならないと思っている。現に、大きな遭難事故はほぼグループ登山である(単独行は見つからないだけという話かもしれないが)。

私が窮屈な一夜を過ごしたことを取り越し苦労とか被害妄想と思う人もいるかもしれない。しかし、そうやって性善説に立って何度も痛い目をみている。疑うべきを信じるのは、信じていい時に疑うよりずっとリスクは大きい。

「他人が困るのを見るのが大好き」な人間は、確率的に数十人に一人必ずいる。「他人が困っても構わない」から「他人が困るのを見るのが好き」までの距離はたいへん短い。

(数百人に一人と思いたいが、運転していたり会社勤めしたり、昨今の世界情勢をみてもそのくらいの確率が妥当なように思える。)

そして、そういう人間にありがちな特徴として、妙になれなれしい、礼儀知らず、群れをなして動くなどがある。それらの条件を踏まえた確率は、数人に一人にハネ上がる。

そういう人間に例えば登山靴を持っていかれて、十メートル先の林に投げ込まれただけで発見は困難である。下山できないことはないにせよ、かなり困る。そういう人間はそれを想像するだけできっと楽しいのである。

この日はシカの数十頭の群れを見たし、サルでもテンでも野生動物はいくらでも見る。アクシデントで、何か持っていかれる可能性はゼロではないだろう。しかしそれよりも心配すべきは、数メートル先にテントを張っている悪意ある人間である。

ある意味、相部屋よりも怖いかもしれない。だから、すいている平日を選んで登っているのに。

[Jun 2, 2022]

山を歩いていると野生動物を見るのは珍しくない。しかし、何か持っていかれるとすれば、心配しなければならないのは数メートル先の悪意ある人間である。


広告頼みはいずれ廃れる

老舗のボクシング雑誌・ボクシングマガジンの休刊が決まった。他の多くの雑誌と同様、休刊という名目の廃刊だろう。もう五十年近く前のことになるが、輪島や石松、柴田国明の記事を読むために毎月買っていたことを思い出すと感無量である。

ボクシング関連のWEBでも大きくとりあげられているが、出版不況とかボクシングの不人気という側面からみているようだ。もちろん、それらの要因も大きいのだけれど、私は広告料頼みのビジネスモデルが危ういという意味でとらえている。

私が最初に就職したのは銀行だった。いまや、銀行の多くは窓口にパートタイマーを入れないとやっていけない低収益企業になってしまったが、当時はすべて正社員、それも高卒女子を大量に採用していた。

いまのように吸収合併で少なくなる前で、都銀14行、興長銀3行、地銀・相互銀行、信用金庫までそれをやっていた。それだけ、儲けが大きかったのである。金利が高くて利ザヤが稼げたということもあるが、企業の多くは銀行がないと資金調達できなかった。

当時すでに、大企業は銀行からの間接金融を減らし、証券市場からの直接金融(株式・社債)にシフトしつつあった。だから、銀行はそれができない個人や中小企業に取引の中心をシフトさせていたが、バブル崩壊と低金利によりそれも難しくなった。

同じことが広告業界にも言える。広告代理店は長らく企業の広告戦略になくてはならない存在だった。TVにせよ新聞・雑誌にせよ媒体は限られるし、企業は代理店を通さなければマス広告を打つのが難しかったからである。

ところがインターネットの普及により、各企業はそれぞれの工夫によって、広告を打つことが可能になった。すでに数年前から、新聞・雑誌・TVからインターネットへと広告の比重は移りつつある。

話を戻すと、ボクシングマガジンは読者からの購読料で成り立っていたのではなく、広告を出稿するジムやメーカー、スポーツ用品店からの広告料で成り立っていた。ボクシングマガジンだけでなく、ほとんどすべての新聞・雑誌もそうである。

ところが、ジムに通おうと考える若者や用具を買いたい潜在顧客は、今やボクシングマガジンなど見ずWEBで情報収集する。同誌は多くの図書館に置かれているので数千部の安定購入層はあったはずなのに、広告主が出稿をやめると経営が成り立たないのが実情なのである。

いまはまだ大手新聞や地上波放送局で合理化という話は聞かないけれども、BSの多くが通販チャンネルになっている現状をみると、それほど先のことではないような気がする。

実際、ご近所でも新聞購読をやめたお宅はたいへん多いし、民放テレビを見ている人などあまりいない。本来、広告頼みで経営を成り立たせるなど不自然なことである。どうしても、広告主に配慮した内容にならざるを得ないからだ。

そうやってボロ儲けした電通など広告代理店の商売も、GoogleとかAmazonに持っていかれるのだろう。あまり同情する気にならないが。

[Jun 20, 2022]

老舗のボクシング雑誌ボクシングマガジンの休刊(廃刊?)が決まった。私も輪島・石松の頃は毎月買って読んでましたが、これも時代の流れでしょうか。広告料を収入源とするビジネスモデルは危ういという意味で読み取らなくてはならないと思う。


LIFE BELOW ZERO

YouTubeも広告みたいな番組ばかりで少々飽きてたので、最近はAmazon Primeで"LIFE BELOW ZERO"を見ている。最新はシーズン14らしいけれど、週に2日程度しか見ないようにしているので私はまだシーズン3。先はずいぶん長い。

日本語題は「氷点下で生きるということ」だが、この翻訳は正しくない。ZEROというのは0℃ではなく、0℉のことなのである。だから「氷点下」ではなく「氷点下17℃以下」、北海道の内陸部でも年に何日かしかない寒さである。

アラスカの北極圏、冬になると太陽が顔を出さないような地域で暮らす人達のドキュメンタリーでBBCが制作、ナショナルジオグラフィックTVが放送している。さすがBBC、目の付け所も腰の据わり方も違う。

極北の人々というと、エスキモー系の北方民族を思い浮かべるが、登場人物の中で明らかに少数民族出自なのはイヌピアットのアグネスだけである。昔のアイヌの人達のように口の周りにいれずみをしている。

アクネスの夫であるチップ・ヘイルストーンはイヌピアットではなく、狩りをする権利がないものだから(わが家では婿養子と呼んでいる)、基本的に奥さんと子供だけがライフル銃を持つ。そういう時、夫は薪拾いとかテント造り、機械の整備を担当する。

他の登場人物は基本的に州の規則にしたがって、狩猟できる時期にしか狩りをしない。主な獲物はカリブー(トナカイ)とムースで、テンやライチョウも獲って食べる。サバイバル登山の服部文祥が「カリブー、カリブー」と何かの番組で連呼していたのは、多分"LIFE BELOW ZERO"を見ていたんだろう。

この番組を見ていると、わが国のアイヌ民族も同様に独自の文化を持っていたのに、内地の人達と同じ生活様式を強制したのは気の毒なことだったと思う。かといって、NHKが冬の間密着して撮影できる訳もないのだが。

とはいえ、イヌピアットの家族は先祖伝来の生活方法を両親から学ぶため、ときどき学校を休まなければならない。日本ではちょっと無理そうである。

個人的に一番気に入っているのは、自給自足どころか機械類に一切頼らず、山小屋で一人暮らすグレン。チェーンソーもなければスノーマシーン(スノーモービル)もなく、斧と鋸で大木を伐り、自力で橇に載せて運んできて燃料にする。

家族のところに帰ろうと思うと、道路があるところまで2日歩かなければならない。おカネを持っていないので、道に出てからもヒッチハイクである。わが家ではヒッチハイク男と呼んでいる。(よく考えるとBBCから取材協力費が出ているはずだが)

当然、パンとか穀物とか、炭水化物は摂っていない。高い木の上に吊るしたカリブーやムースの骨付き肉を一冬食べて生きている。さすがに冬になるとBBCも撮影に来れないらしく、登場するのはほぼ夏に限られる。

他にも、奥さんに逃げられてしまった犬ぞり男や、逆に若い奥さんをもらって家族が増えたガイド兼罠猟師、アラスカの最北部で飛行機相手のガソリンスタンド兼キャンプ場を経営するスーおばさんなど、個性的という言葉では追い付かないような登場人物が零下20℃を超えるアラスカで奮闘する。

何で日本のTV局は内輪ウケで20年以上やっているお笑いや、通販番組ばっかりやっているんだろうと思う。貧すれば鈍するで、日本文化の発信力は急速に衰えていると感じさせられる番組である。

[Jun 29, 2022]

アラスカの北極圏周辺で暮らす人達のドキュメンタリー。BBC制作というと、思い出すのはモンティパイソン。写真は登場人物のひとり、キャンプ場兼飛行機のガソリンスタンドを一人だけで経営するスーおばさん。熊に襲われたが復活した。


2022参議院議員選挙

参議院議員選挙まであと1週間となった。選挙が終わってからだと当り前の話になるかもしれないから、いまのうちに書いておく。

最近選挙が行われたドイツでは政権与党のCDU/CSU(キリスト教民主同盟・社会同盟)が敗北し、SPD(社会民主党)が緑の党・自由民主党と連立内閣を構成している。フランスも大統領選こそマクロンが勝ったが、国民議会選挙では過半数割れの事態となった。

同じ資本主義国なのに日本ではそうしたことは起こりそうにない。私の考えでは、西欧諸国で勢いを増している極右といわれる陣営が、わが国では政権与党そのものだというところに原因があるように思っている。

ヨーロッパ諸国で差し迫った課題は、EU拡大により人・モノ・カネがボーダーレスに動いて、もともと住んでいた人達の既得権を侵害していることである。現実に失業率も高く、安い買い物をしようと国境を越えるのは当り前になっている。

一方わが国においては、周囲を海に囲まれているため、移民の流入はきわめて難しい。朝鮮半島からの密入国は一貫してあるけれども少数である。メキシコからアメリカとか、アフリカからヨーロッパに渡って来る数とは比較にならない。

だから、現実の格差拡大や不景気の悪役として、日本に住んで三代・四代経過した人達を「在日」などと呼んでバッシングしている。諸外国と問題の深刻さが全然違う。かつて日本の領土であった時代に来て、日本語で教育を受けた人達は移民とは呼べない。

そういう「移民に対するような」感情を利用して愛国心とか何だとか言ってるのが、アベノマスク率いる国民会議系のみなさんである。あまり頭のいい人達ではないけれども、それなりにシンパシーを持つ人が多いのが不思議である。

まあ、愛国心だの戦後レジーム脱却だの勇ましいスローガンはともかくとして、現実にウクライナにはロケット弾が雨あられと降り注ぎ、壊滅した都市はいくつもある。そうした映像を毎日見せられて、「憲法9条遵守」が甘っちょろくみえるのは仕方がない。

ウクライナと同じく、わが国もロシアと国境を接している。クナシリ、エトロフからロケット弾を発射すれば、根室・釧路などひとたまりもない。現に千島列島だって、ロシアが第二次大戦のどさくさに占拠して今日に至っているのだ。

ロシア以上に怖そうなのは中国である。現実問題としては、台湾を飛び越えて日本ということにはならないとは思うが、「必要があれば実力行使する」と米国の国防長官に啖呵を切った国である。まあ、北朝鮮は弾薬も人材も不足しているだろうが。

ヨーロッパ各国も、NATOに加盟を図ったり軍事費増額したり、一国として軍備を増強しない国はない。そうした中で、日本は憲法の制約があって動きがとれないとしたら、それはよろしくないだろう。

だから、どういう修正になるかはともかくとして、憲法9条にまったく手を入れない訳にはいかないような気がする。だとすれば、私の嫌いな「改憲に前向きな勢力」がさらに議席を伸ばすことになるのだろう。

いつかも書いたように、いまの若い世代は共産党とか旧社会党系の政党にシンパシーを抱いていない。自民党が嫌いな私にしても、今の時期に何がしたくて内閣不信任案を出したのか、理解に苦しむ(2022年6月9日大差で否決。ほとんどニュースにもならなかった)。

岸田総理が言っていたが、ウクライナ問題でヨーロッパ各国が2桁近いインフレに見舞われているのに対し、わが国のインフレは大した数字にはなっていない。

円安や石油関連製品の価格高騰にもかかわらず、選挙前の値上げはまかりならんということで、電車・バスなど公共交通機関の料金は据え置かれたままである。それは、自民党の手柄といえるだろう。

もちろん、選挙が終わればいろいろ値上がりするのは目に見えているけれども、もしそうなったとしても、ほとんどの人は共産党や旧社会党系には期待しない。政権に物申すのはきっと公明党なのである。

[Jul 2, 2022]

参議院議員選挙まであと1週間となった。投票率は相当低くなることが見込まれ、固定票を持つ候補者が順当に当選するだろう。ウクライナの状況をみると、改憲もやむなしか。


7月10日投開票の参議院議員選挙で、大方の予想通り自民党が圧勝した。立憲民主党が議席を大幅に減らし維新が躍進、自公と維新、国民民主党の「改憲に前向きな勢力」は、参議院議席数の3分の2を超えた。

この結果は選挙前に想定されたことで、まったく驚かない。というよりも、安倍元首相が狙撃されたことで地滑り的に自民党が勝つ可能性も大きかっただけに、立民が勝った選挙区もあったことに逆に驚いた。

予測記事に書いたように、毎日のようにウクライナの映像を見せられて、「9条を守れ、世界に平和を」と言っているだけでは生命も財産も守れないことは誰にでも分かるから、立民、共産、社民の党勢はこの先ますます衰えるだろう。

そのこと自体は、これらの党が民意をとらえるための努力を怠っているのが原因だから、同情できないしやむを得ないことである。言っていることがまともであれば(ある程度でも)、れいわ新選組や参政党のように議席を確保できるのである。

半面、ある程度という条件にも当てはまらないN党が議席を確保したのは、私の常識を超えている。比例でN党に入れた人が120万人余、得票率2.3%に及ぶのである。「ノリ」で片づけることはできないし、党首のあの行動を支持する人がそんなに多いとは驚きである。

これで、N党への政党助成金が支給され、国民の税金でこの間の印西市長選のようなふざけた候補を立てるのかと思うと、ため息が出てくる。まあ、出ないという人が百万人以上、印西市民の10倍以上いるのだから仕方がない。

話は戻るけれども、自民党が圧勝し改憲に前向きな勢力が衆参とも議席の3分の2以上を占めた。これで自民党の党是である憲法改正に向けてまっしぐらに進むかというと、そこまでにはまだ高いハードルがある。

憲法を改正しなければ必要な軍備を備えられないと言っているのは一部の人達だけで、現実にはアメリカから中古の武器をたくさん買わされている。中古とはいってもウクライナの持っている旧ロシア製よりずっと新しい。

大多数の人々にとって、ウクライナで起こっていることは対岸の火事であり、それよりも石油関連製品の高騰、諸物価の値上がりの方がずっと身近な問題である。のんびりと国会で議論している間に、情勢が変われば国民投票の結果が参議院選挙と同じになるとは限らない。

そして、国会議員の先生方にとって最も関心があるのは、憲法を改正することよりもわが身の安全である。次の選挙で議席を守ること、そして、不審者に襲われることの方がずっと怖い。

国民投票ということになれば、自分の選挙区で広く支持を訴えなければならない。人前に出る機会も多くなる。それで賛成多数が得られればいいけれども、万一反対が多ければ自分の選挙にまともに影響する。インフレが庶民の生活を直撃すれば、国民投票がどう転ぶか分からない。

そして、実質的に日本の宗主国であるアメリカが、改憲を応援してくれるかという問題がある。現行憲法はGHQ、つまりアメリカが作ったものである。そして、アメリカ自体が憲法上常設軍の設置を認めていない。日本に軍事的フリーハンドを与えるのは、アメリカにとって望ましいこととはいえない。

岸田首相にとって、党是を作った岸信介の孫がいなくなったことに加え、アメリカの動向、自身の選挙区が他ならぬ広島であることが、改憲論議を先送りする言い訳になるかもしれない。

[Jul 14, 2022]

参議院だから仕方ないけれど、聞いたことのない党がいろいろ出てきてにぎやかでした。NHK党は千葉選挙区だけで3人立候補(4・8・13)。供託金を没収されたらいいと思う。


安倍元首相銃撃事件

安倍元首相の銃撃事件については、犯人はその場で逮捕されすでに2日間の取り調べがあったにもかかわらず、10日朝現在詳しい情報が流れてこない。恨みがあったという宗教団体がどこなのかも、ネット上の推測だけで報道されていない。

現行犯逮捕で共犯者もいないようなので、捜査上の理由というよりも10日投票の参議院議員選挙への影響を忖度しているのだろう。10日朝この原稿を書いているので、この記事が載る時点で新たな事実が判明しているかもしれない。

さて、TVにしてもネットにしても、言論を暴力で封じようとするのは許せないという意見ばっかりである。元自民党幹事長が「自民党のおごりが呼んだ事態だ」みたいなことを言っているのが目立つ程度で、みんな同じ意見ならわざわざ大人数に聞く必要もない。

その点、私が愛読する内田樹先生のコメントは秀逸であった。「言論には言論で対抗せよ。暴力はいけない。安倍元首相が無事であることを祈る」(死亡発表前のコメント)と型どおりの決まり文句を述べた後に、返す刀でこう言っている。

「言論の場への信頼と実力行使はゼロサムの関係にある。嘘や恫喝、プロパガンダが言論の場を支配するようになると、物理的暴力で現状を変えようとする力が働く。そうならないように、節度ある自由な言論をいまから作り直すべきだ。」

表面的には犯人以外誰も非難していないようにみえるけれども、よく読めば、嘘や恫喝、プロパガンダで言論の場の信頼を貶めていたのは誰なのかと考えるようになっている。

おっしゃることはそのとおりだが、私はそれともう一つ、犯人の動機の奥に司法への信頼がなかったことが感じられるような気がしている。

司法への信頼は一言で言えば信賞必罰であり、天網恢恢疎にして漏らさずである。そのために警察があり検察があり裁判所があり、マスコミが一般庶民に代わって権力を監視している。

明らかに法に触れることをしているのに、警察も捜査せず検察も起訴せず、悪い奴が堂々と人前に出て偉そうなことを言っていれば、法が裁かないなら自分が何とかすると思う人が出てきてもおかしくない。

国民の納めた税金を身内のために使ったり、集金装置の広告塔のようなことをするだけならともかく、自分に不利になるようなら公文書を改ざんさせて自殺者を出したり、国会の場で嘘をつきまくって責任回避しても、誰も手出しできない。

法の手続きにしたがってちゃんと捜査するよう主張しても、わが身かわいいお偉いさん達は理屈をつけて有耶無耶にするだけである。だったら、他の誰に頼れば正義は実現されるのか。

もちろん、だからといって実力行使が許される訳ではない。そうではなくて、権力に近い者ほど、法は厳粛に守らなければならないということである。法への信頼が損なわれれば、社会は根底から揺らいでゆくのである。

お隣りの韓国では、大統領が交代したとたん裁判にかけられ、有罪判決を受けて服役することもある。後進的な国だと思ってしまうけれど、思う方がおかしい。相手が誰でも、法に触れれば裁判にかけられ罰せられるのが当り前なのである。

安倍元首相の銃撃事件については、参議院選挙との兼ね合いなのか10日朝現在詳しい情報が流れてこない。いずれにせよどこかの政党に有利になるのだから、隠しておくのはどうなのだろう。


もう一つ気づいたこととは、警察もプロではなくサラリーマン化してしまっているということである。

8日夜7時のニュースに元警視総監が出ていた。その後の発言ではややニュアンスが違ってきているが、当初は「人数とか体制とかより前に、警備にはとっさの判断が求められるのに、それができなかった」という趣旨の発言であった。

これは、大震災の原発の管理体制もそうだし、私のサラリーマン生活でもずっと感じたことなのだけれど、現場で正しい指摘をする人間は決して歓迎されない。黙って上の言うことだけ聞いておけというのが組織で生き残る術(すべ)なのである。

あの場所で演説会をやって、何かあったら危ないというのは誰かが気づいたはずである。「ゴルゴ13に狙われたら一発でやられる」と思った人間はいたはずだし、実際ゴルゴ13でなくてもやられたのである。

しかし、それを現場の警備スタッフが意見具申したところでどうしようもない。「許可出したんだから仕方ないだろう。選挙だし」「毎回ここでやってるよ。ぐずぐず言わずに見張ってろ」と言われるだけである。危ないと思って指摘しても否定されるのであれば、誰もアンテナの感度は上げない。

もしいまの時代が連続企業爆破事件の後とか、地下鉄サリン事件直後であれば、もっと違った警備体制がとられただろう。しかし、それから30~40年が経過し、当時第一線の人達はほとんど現役を退いている。

サリン事件の後だけ考えても、駅や街角からゴミ箱をなくすことだけ一生懸命で、もしもの事態に備えるような人材育成もしていなければ機材の開発をしている訳でもない。

選挙だから顔見世だと官民一体で油断していたけれども、本当は誰かが見ていなければならないのに、そういう人間はうるさいので敬遠される。亡くなった小田嶋隆の表現を借りれば、「組織的に無能を選抜するシステム」ができあがっているのである。

それと関係するけれども、道路の使用を許可するのは警察である。警察の連中は、自分達には権限だけあって責任はないと思っているようだが、当然、権限があれば責任がある。

今回の銃撃で、1発目の銃弾は外れて2発目が致命傷となった模様である。外れたということは安倍元首相の前で演説を聞いていた人々、あるいはみんな立ち止まったので進めなくなった人達に向かって銃弾が飛んだということである。

いまのところ、誰も流れ弾に当たってケガをしたという情報がないのは、不幸中の幸いである。警察は、何も知らない通行者がそうした危険にさらされないよう注意する責任があるのに、それをしなかった。権限だけあって責任はないと思っているのである。

昨今の身近な状況をみても、工事しているのに工事予告の看板が出ていないのは当り前だし、交通整理をしていないケースすらある。一時停止違反のネズミとりにはたいへん熱心だけれど、大型車通行止は見てみないふりである。

おそらく、警察の道路管理は罰金を集めて警察署間の競争に勝つのが目的で、それに疑問を持たずうまく上司にゴマをする人間が偉くなって生き残る世界なのである。

警察学校を出たばかりの若手は、警備に当たってはわが身をなげうってでも警備対象者を守らなければならないと思っているはずである。しかし、そういうひたむきな警官は、きっと出世できずにスポイルされていく。

そういう国が「美しい日本」だというのが多くの有権者の考えであれば、年寄りがこれ以上言うことはない。

警視総監経験者が、警備上の問題について指摘。ただ、7時のニュースでは現場のとっさの判断が重要というニュアンスだった。


7月11日夜放送されたNHKクローズアップ現代は、なかなかの力作だった。あの番組が1日で制作されたはずがないので、「恨みのある宗教団体」がどこなのか、銃撃当日からNHKがつかんでいたことは間違いない。

それを報道せず統一教会にリークし(それで記者会見となった)、視聴者に知らせなかったことについては、誰が視聴料を払っているんですかと言いたくなるが、それを別にすると、体制べったりのNHKらしからぬ内容だった。

NHKも秀才がそろっているので、突っ込まれないよう気を使っている。信者の家族があんなお行儀のいいコメントをしたとは信じられないし(被害の実態をもっと知ってほしいと思うだろう)、安倍元首相が信者だとは誰も思っていない(何度も繰り返していた)。

犯人が、統一教会と安倍元首相が近い関係にあると思ったのは信者であるかどうかではなく、教会と岸信介以来の関係とか、いまでも政治献金が渡っているのではないかということである。

だから、教会が関係を否定するのであれば、「自民党にも安倍元首相にも政治資金を提供した事実はありません」と言えば足りる。NHKも、政治資金の収支内訳を調べれば確認できる。それをしなかったということは、関係があったのだろう。

いまさらながらではあるが、統一教会をカルトとみなす人も多い。過去には合同結婚式や霊感商法で問題となったことがあり、普通一般の人が近づくことのない宗教である。高額で壷や印鑑を売ったり布施を強要するのは、オウムと変わらない(教祖の風呂のお湯は売らないようだ)。

そうした団体と近い関係にあり、お祝いのビデオメッセージを贈るなどしていれば、その人間も一味であるとみなされて仕方がない。NHKでビデオメッセージの一部を流したのは、その意味でかなりインパクトがあった。

番組を見ていて、これを選挙前に流せば自民党の票は増えるどころか減っただろうと思った。このご時世に国葬という話にはならないとは思うが、もしやろうとしても逆風になることは間違いない。NHKらしからぬと思うのはそれでである。予定を変更して選挙翌日に流したのも、なかなか腹が座っている。状況が変わりつつあるのかもしれない。

この番組でもうひとつ感心したのは、事件当日の早朝、教会の県支部で爆発音があり、銃弾が撃ち込まれていた事件に触れたことである。

おそらく110番通報があっただろうし、統一教会と安倍元首相の関係は警察でなくても知る人は知っているので、その日に応援演説が予定されていることとの関連に誰か気づかないとおかしい。

暴力団事務所に銃弾が撃ち込まれた場合、警備を厳重にしなければと考えないマル暴はいない。一般市民に被害が及ぶ危険があるからである。宗教団体だから警察としては管轄外、民事不介入と思ったのだろうか。

あるいは陰謀かと思ってしまうけれど、事態はもっと単純であろう。奈良県警内部の連絡体制は担当ごとにばらばらで、マル暴はマル暴、捜査は捜査、警備は警備、公安は公安にしか情報は流れないのである。本部長は中央(警察庁)からの出向で、現場にとって他人、よそ者である。きっと、全部の情報が本部長に集まるようにはなっていない。

いくら警備にあたった連中がサラリーマン警官だとしても、その日の朝に銃を使った犯罪が行われたのを知っていたとすれば、あそこまで無防備でいたとは思えない。あるいは、街中を野生動物(鹿)が歩く土地柄だけに、私の常識が通用しないのだろうか。

[Jul 13, 2022]

11日夜放送のクローズアップ現代はなかなかの力作。投票前から「恨みのある宗教団体」がどこか分かっていて報道しなかったのはどうかと思うが。


安倍元首相狙撃犯は、統一教会のために母親が破産させされ(父親は早くに亡くなっている)、教会に深い恨みがあったことが報道されている。

実はこうした背景はNHKが特番を組んだ参議院選直後(事件3日目!)から明らかだったことで、いろんな人がいろんな方面に忖度したのでなかなかニュースにできなかった。

暴力はいけないとか当り前のことは別にして、個人的にどちらに感情移入するか(安倍元首相と犯人のどちらが気の毒と感じるか)というと、犯人にという人がかなりいるのではないかと思う。半分以上とまでは言わないが。

統一教会に恨みを持つ人が安倍元首相を狙ったのは、「思い込んで」ではなくまさに的を射た選択であった。統一教会の幹部を狙うより世間に対する反響は大きいし、統一教会の悪質性を周知することができた。

そして手製の銃で、手落ちがあったとはいえ厳重な警備の中を狙撃し、2発目で致命傷を与えたということは、運も味方したということである。犯人の動機に天もなるほどと同情したから、外れてもおかしくなかった射撃を成功させたのである。

犯人の動機が純粋だったから運も味方したのであって、仮に「安倍元首相の政治姿勢が許せない」とか思っていたら、2発目も外れていただろう。

犯人の動機は個人的なことで、個人的だからこそ純粋なのである。家庭をこわされ、おそらく夢も叶えられなかった。その怨念が統一教会に向かうのは当然だし、統一教会にダメージを与えるための標的の選択も間違っていない。

もちろん純粋だからいいということではない。けれども、世の中は不正義で満ちている。ロシアはウクライナを無差別爆撃しているし、アフリカでは多くの子供達が飢えている。何とかできないのかと思うことは誰にも止められない。

身も蓋もないことを言ってしまえば、ウクライナもアフリカも私に直接関係がないので今すぐ何かしようと思わないだけである。心情的に気の毒だと思うことと、直接行動を起こすことには距離がある。

統一教会も同じことで、幸い身近に被害を受けた人がいない。存在自体が許せない、恨みを晴らさずにはおかないと思う権利があるのは実際に被害を受けた本人だけである。(しつこく勧誘を受けて嫌な思いをしたことはあるが、半世紀前のことである。)

与野党問わず統一教会に資金提供を受けている政治家は多いらしいし、建前上信教の自由がある。献金するのは個人の勝手だし、それを何に使おうが宗教団体の裁量である。在日の人達をバッシングする連中が、教祖が半島の宗教に支援してもらうのはよく分からないが。

これを機会にカルト宗教を世の中からなくすべきだと主張するのは自由だが、それが生きるよりどころになっている人もいるのだろう。どちらの立場をとっても結果的にストレスを増やし健康を損なうだけだとすれば、静かに遠ざかるのがいちばん賢いかもしれない。

政治家にしろ警察・検察、裁判官にしろ、そうした団体に対応して住みやすい社会を作るために給料をもらっている。私腹をこやし選挙を有利に運ぶため仲良くするしているのは問題だが、そういう連中にはきっと天が味方しない。

[Jul 25, 2022]

安倍元首相国葬終わる

27日、安倍元首相の「国葬儀」が行われた。

さきに行われたエリザベス女王の国葬と、当然だけれどあまりの格差に歴然とした。これがいまの英国と日本の国力の違いと言ってしまえばそれまでだが、国葬とはエリザベス女王のような存在でなければしてはいけないのである。

そもそも、日本の国家元首は天皇である(第二次大戦に負けたので象徴ということになってしまったが)。天皇以外はすべて臣下であり、天皇と臣下は違う存在である。「国葬」は本来天皇だけで、臣下を天皇と同等の扱いをすべきではない。

岸田首相が聞き慣れた「国葬」という言葉を使わず、「国葬儀」で通したのは、これは「国葬」とは違うというサジェッションだったのではないかと勘繰っている。あるいは「国葬偽」ということだろうか。

国の予算を使って葬儀を行ったというだけで、バンクホリデーにもならないし、外国から要人が多く来ることもない。これで安倍に義理は果たせたと思っているかもしれないが、国威なんてものが日本にあるとしたらガタ落ちになっただろう。

わが市役所も(どこかはあえて言わない)、てっぺんから85%くらいの位置に半旗が掲げられていた。「控えめな弔意」を示すよう申し送りがあったのだろうか。やるならやるで中途半端に掲揚していると、小学生が半旗はああいうものだと思ってしまうかもしれない。

警察だけは、普段がらがらの関係者駐車場に、ものものしい数のパトカーが並んでいた。こちらは、非番返上で全員に動員がかかったようだ。警備に不手際があったことがそもそもの発端だから、奈良県警でなくても断れない。

やる仕事がないものだから、道路でも何台かすれ違った。余計なことはするなと指示されているだろうから取り締まりはしないだろうが、気持ちが悪かった。

多くの人が献花したり手を合わせたりしていたけれど、バスに放置されて亡くなった園児だって同じように多くの人が手を合わせた。日本人の心の奥底には怨霊信仰があるので、非業の死には何はともあれ手を合わせることになっている。(成仏してくださいということである)

それを安倍元首相に対する弔意と勘違いするから、フライングして国葬という話になる。ところが、統一教会に対する追及はまったく衰えず、オリンピックの贈収賄事件もどこまで拡大するか見当もつかない。

アベノミクスだ史上最長の在任期間だといっても、カルト教団と深い関係を持ち、巨悪を追及させなかった政治家が、国民全体の弔意で送られるにふさわしいかどうか。少なくとも、田中角栄や中曽根康弘と比べて、どちらが首相として仕事をしたかは誰が考えても明らかである。

岸田首相が聞き慣れた「国葬」という言葉を使わず、「国葬儀」で通したのは、これは「国葬」とは違うというサジェッションだったのではないかと勘繰っている。


戦前も国葬は行われたが、明治維新や日清・日露戦争の功労者である。明治維新まで日本の主権者は将軍だったから、天皇に権力を取り戻した、いわば「準皇族」としての扱いである。

在位期間が長かったことが業績とされるのも妙な話である。藤原忠通は道長よりずっと長く摂政関白を務めているし、実は五摂家は彼の直系子孫なのだが、先祖の藤原道長、あるいは息子の九条兼実、天台座主慈円と比べると存在感が薄い。

上皇陛下・天皇陛下はお使いのみの参列で、臨席は秋篠宮ご夫妻だった。やはり皇室も、エリザベス女王とちゃんと区別しているのである。(宮内庁の誰かが、臣下の葬儀にお出ましになるのはいかがかと言ったに違いない)

自民党だって、統一教会と縁を切らないと次の選挙には出られないらしいし、オリンピック贈収賄では総理大臣経験者周辺にも捜査が及んでいるという。公文書改ざんやモリ・カケも復活するかもしれない。

そうした「まともなこと」がなぜこれまでできなかったかというと、安倍一強ですべて自分の思い通りにしてきたからである。本人は祖父の岸信介路線を継承しているつもりだっただろうが、時代が違う。

前にも書いたけれど、今回の狙撃では外れてもおかしくなかった銃弾が当たって致命傷となった。その結果「まともなこと」が行われるようになったとすれば、「やっぱり殺されるだけのことをしたんだ」という受け止め方が大勢を占めるようになるのも仕方がない。

そうしたことが徐々に明らかになって、岸田首相が当初意図したのとは逆の方向に進んでいるような気がしないでもないが、とにかく名前だけでも国葬で、安倍元首相を送ったのは悪いことではなかったかもしれない。

というのは、統一教会やモリカケ、桜を見る会はともかくとして、元首相が「非業の死」であることは間違いないからである。そして、直系の後継者もいない。昔風に言えば、「怨霊」となる条件にぴったりあてはまるのである。

祖父である岸信介、大叔父である佐藤栄作と安倍晋三。明治維新の長州閥に遡る権力に対する深い執着、暗い怨念、長州閥の特色ともいえる身内尊重、公私の(カネの)区別がつかない伝統は、彼をもって途切れることになる。

怨霊となってこれ以上災いをもたらさないために、日本武道館を借り切るくらいは仕方ないのかもしれない。

[Sep 29, 2022]

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