なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

日本人の3分の1は日本語が読めない   戸田・蕨銃撃犯、病院と郵便局の対応に問題は?
利己的遺伝子説は正しいのか   もしガザで暮らしていたらと考える
買い物難民の本当の問題   安倍派キックバック、そもそも何が問題か
他人が迷惑してもカネが大事という人間が多すぎる

日本人の3分の1は日本語が読めない

橘玲によると、日本人の3分の1は日本語が読めない。正確にいうと小学校5年生程度の読解力がないという。

ソースはOECDが加盟国対象に行っている国際成人力調査(PIAAC)で、文部科学省もバックアップしている調査なのでいい加減なものではない。そして、無作為調査とはいえ回答するのはある程度知的能力の高い人だろうから、実際はもっと悪い結果になる可能性がある。

これを読んで、昔あったことと最近感じることの両方に納得できた。忘れるといけないから書いておく。昔あったことの方はもう二十年も前、サラリーマンの時のことである。

私が上席者になって、稟議で上がってきた書類を読むと、とてもじゃないが読める代物ではない。「てにをは」もなってないし、一つの文でいくつかのことを述べるから読みにくい。接続詞も適切なものを選んでないしで、結局のところ論旨がよく取れない。

いちいちダメ出しするのも時間のムダなので、私が直して修正分を中間管理職に見せた。「この方が読みやすいだろう」と言った時、彼は答えたのだ。「違いがよく分かりません」

この文章を書いたのは彼ではない。だから自分がミスを指摘されて反発したのではない。下から上がってきたものを△△△(視覚が不自由な人)判を押して私に回してきたので、横着するなということで私が直したのである。

まともに仕事するのがそんなに嫌なのかな、書類は廃棄されるまでずっと残るのにと不思議に思っていたのだが、小学校5年生以下の国語力であれば無理もない。怠けているのではなく分からないのである。念のためいうと、当時の職場はみんな大卒である。

最近の方は、WEB上を巡回して強く感じることである。

ブログで触れた事件、埼玉県議会の条例改正とか、那須朝日岳の遭難事故について、他の人はどう感じているんだろうとそれらしき記事を探し、題名をクリックしてみると、大部分がYahooニュースとかにリンクを貼っているだけなのである。

何でこんなことをするんだろう。自分で感じたことを発信したり意見交換したいんじゃないのかなあと思う。機械的にクリックが増えるだけでは、人間なのかボットなのか分からない。そんなもの増えたってちっともうれしくない。

でなければ、やたらと写真を貼っておしまいという記事である。こちらの方はアルバムの代わりにしているんだろうと想像がつくだけましだが、ブログやホームページの創生期にはこういうサイトはなかった。

これも、日本語を書いたり読んだりする能力がもともと低くて、年を追うごとにますます低下していると考えれば納得できる。いまや、ラインだのツイッターで「スカイツリーなう」とかつぶやく程度の文章力しかない人が大半なのかもしれない。

もう66の年寄りだからそんなに先は長くないが、生きている間はちゃんとした文章を読みたいし、自分でも書けたらいいと思う。私自身は過去の自分と将来の自分が想定読者だから、自分で納得できれば他人の目まで気にしない。

朝日岳で遭難事故と聞いて、自分の登った時の記事を読んでその時の情景を思い出すことができれば、時間をかけただけの効果はあったということである。

[Oct 30, 2023]

OECDが調査し、文部科学省が日本の窓口となっている国際成人力調査(PIAAC)によると、日本人の3分の1は小学校5年生程度の国語能力がないらしい。それを聞くと、いくつかの疑問が解決する。
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戸田・蕨銃撃犯、病院と郵便局の対応に問題は?

先週起こった戸田・蕨の病院銃撃・郵便局人質立てこもり事件は、人質も無事解放されその日の夜には解決した。86歳元暴力団員の単独犯行で背後関係もなさそうだから、おそらくマスコミも追いかけることはないだろう。

86歳が病院を銃撃した後に事故も起こさずバイクで逃走し、郵便局に武器と18㍑のポリタンク(ガソリン?)を持って立てこもったと聞き、すごい元気だとまず驚いた。若い頃から節制していた訳ではないだろうから、かなりのタフガイである。

そして、捜査関係者の話として漏れてきたところの「病院の応対に不満」「郵便局員のバイクと事故を起こした際の対処が納得いかない」という話を聞いて、どちらかというと犯人にシンパシーを抱いてしまうのはやむを得ないところである。

もちろん、銃を持っていることも違法だし、恨みがあったから撃っていいことはない。とはいえ「いつも黒いジャージーでうろうろしている」のも「パチンコばかりしている」のも別に法に触れない。86歳がアパートに1人暮らししているのだから、立派なものである。

そして、あの風体だから、病院も郵便局も「年寄りの貧乏人が、さっさと○ね」(YouTube流)みたいな対応をしたのではないかという想像は、おそらく当たっている。

すべての医療関係者が間違いなく教えられることであるのに、ヒポクラテスの誓いを誰も守らないし守るつもりもないのは恐ろしいことである。カネ持ちは特別室で特別対応、貧乏人は保険範囲内で文句があったら他行ってくださいと、みんな思っているのは賭けてもいい。

受付なのか担当医なのか分からないが、クレームがきて院長や事務長が注意するとしてもカネ持ち患者への対応だけで、貧乏人が何を言ってもムダである。昔は病院の評判を気にしたものだが、そんなこと今や誰も気にしない。

郵便局のバイクとの事故にしても、昔であればお国の看板を背負っている郵便局はそれなりの対応をしたはずだが、いまやカネ持ちと貧乏人を区別する。犯人が数億円の預金者だったりベンツやBMWに乗っていないなら、そっちが悪いんだろうで終わりである。

バイク事故では警察も呼んだらしいが、警察官は免許番号でどういう素性かすぐに知ることができる。事件直後から「犯人の武器は本物の拳銃」という情報だったから、埼玉県警はすべて知っていたのである。

郵便局との接触事故でも、口には出さないまでも「カタギの皆さんにご迷惑かけちゃいけないよ」という態度だった可能性がある。だから人質をとって、あの時の警官を出せと要求したのだろう。

そうした背景を想像すると、86歳でこういうことをすると死ぬまで刑務所から出て来れないとしても、俺をバカにしたらタダじゃおかないと思って犯行に及んだのではないだろうか。

その意味では、逆恨みではなく正当な理由であり、襟を正すべきは病院であり郵便局かもしれない。残念ながらほとんどの人は苦情とクレームの区別がつかないから、言ってもムダなのだけれど。

[Nov 6, 2023]

戸田・蕨の銃撃事件については、86歳元暴力団員の単独犯行ということで、おそらく追報もあまり出ないだろう。個人的には、郵便局や病院の対応に問題があり、犯人だけが悪いのではないと想像している。
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利己的遺伝子説は正しいのか ~ユニバース25実験

ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだのは、もう20年以上前のことになる。このブログでも、始めてすぐにこの本を採り上げた。昨今では、日本でもこの本をもとにした内容が少なくない。

ところが、最近YouTubeを見ていたら、とある事例を発見した。不勉強ながら、この話はまったく知らなかった。カルフーンのマウス実験「ユニバース25」である。

1960~70年代に行われた実験で、現代の目でみるとかなり「粗い」。しかし、その成果はかなり衝撃的で、現代の人間社会を先取りしていたといえなくもない。しかし、この実験に関する書籍がほとんどないのである。

だから、YouTubeを作った人には感謝するのだが、昨今、カルフーンの実験が見直されていることもまた確かである。実験内容をざっくりまとめると、以下のとおりである。

① マウスのオス・メスを4組、実験スペースの中に放つ。このスペース内には天敵がおらず、食糧と水も供給され、巣箱や巣の材料もあり、衛生環境も配慮されている。

➁ 当初、マウスの数は爆発的に増える。しかし、実験スペースが満杯になるよりも早く人口(ネズミ口だが)の伸びは鈍化する。併せて社会的役割が崩れはじめ、暴力行為、同性愛、メスの凶暴化、ひきこもり(単独行動しかしない)のマウスが現われた。

③ 出生率が鈍化し始めると歯止めがかからず、新生児は時間を追って減少し、とうとうゼロになった。エサはあるので長生きはするものの、老マウスばかりになり、人口はとうとう減少に転じる。

④ やがて最後のマウスが死に、この集団は絶滅した。カルフーンは何度かこの実験をしたが、結果は変わらなかった。

この実験について、人工的な環境がいけないのではないか、最初が4組8匹なので、遺伝的な脆弱性が表面化したのではないか、そもそも狭すぎたのだろうなどの解釈がなされている。動物愛護の観点からか、同様の実験は行われていないようだ。

とはいえ、たいして広くない池にだって魚が住み着けば何世代も残るし、外来魚の捕食者が現われたり酸欠にならない限り絶滅は考えづらい。ミツバチが、巣箱が狭いからといって繁殖しないということもなさそうだ。

当時の研究水準の制約から、アルファオス(ボスネズミ)や特徴的な個体については調べられているが、どの子孫が生き残ったのか、死因や繁殖しなかった理由は何なのかは追及されていない。

いまなら死体から血液を取ればある程度のことは分かるし、GPSを付けて行動追跡することも可能だろう。遺伝的脆弱性の問題であれば、ほぼすべての競走馬がネアルコ(1935-57)の子孫であるサラブレッドだって、深刻な影響が出ておかしくない。

(現在、父系をたどればネアルコという競走馬は半数を超える。母系でもネアルコの血がまったく含まれない馬はほとんどいない。ネアルコ以外ではミスタープロスペクター系が健闘しているが、父系をたどるとネアルコの祖父ファラリスで合流する。)

この実験について書いてあるのがネット上だけなのではっきりとは言えないが、利己的遺伝子説が正しければ、出生数が減った時点で自分だけ繁殖すれば、遺伝子のコピーを残すのにたいへん有利なはずである。

そうならなかったということは、ネズミは利己的遺伝子の指令にしたがわなかったということになる。原因が人工的な環境にせよ居住空間の狭さにせよ社会的役割の崩壊にせよ、蜂では起こらないことがネズミでは起こったのである。

この説明として考えられるのは、大脳が発達した哺乳類では、遺伝子の指令よりも自分自身が生き残ることの方がより価値が高いからではないかと思っている。

カルフーンのマウスによる実験「ユニバース25」では、食糧と居住スペースが確保された閉鎖空間で、マウスは最初爆発的に増えるが、スペースが満杯にならなくてもやがて伸びは鈍化する。何回実験しても、最終的にこの集団は絶滅した。


「ユニバース25」のネズミ実験において、オスの行動については想像の範囲内であったが、メスの行動が奇妙だった。

オスはアルファオス(ボスネズミ)と弱小ネズミに分かれ、アルファオスが広いスペースと多くのメスを独占した。弱いネズミは狭いエリアに追いやられ、同性愛やロリコンに走る個体も多くみられた。まあ、想像できる事態である。

ところがメスは、まだ自立していない子供を巣から追い出し始めた。育児放棄である。スラムに住み路上で出産するようなメスだけでなく、アルファオスの保護下で広い居住スペースを有するメスですらそうなのである。

動物のメスは、繁殖可能年齢を超えるとほどなく寿命を迎える。したがって、アルファオスの周囲には常に子育て中のメスがいるはずなのだが、子供を巣から追い出し、子育てもしなければ次の出産もしないメスが大部分を占めるようになった。

利己的遺伝子の考え方であれば、周囲がそういう中できちんと子育てをするメスの子供は生存率が高く、世代を追うにつれてそういう性質の個体が増えるはずなのだが、そうならない。それはなぜか。

個体ごとの追跡が行われていないので断定はできないが、遺伝子が命ずる力よりも、それぞれの個体が自分の利益を最大化しようとする力の方が強かったとしか考えられない。

魚類や昆虫では遺伝子の指令にしたがって各個体は行動する。自分達を攻撃する天敵に捨て身の攻撃をしかけたり、生存率の低さを補う大量の繁殖を行うのである。

ところがネズミではそういうことが起こらない。死亡率が高いので繁殖を増やすのははじめのうちだけで、次第にそうではなくなる。これは、哺乳類の特質である大脳の大きさによるのではないか。

その傍証となるのが、絶滅間近に多くみられた「ビューティフル・マウス」である。彼ら彼女らは毛並みもよく体に傷もなく、見た目はたいへん健康的である。ところが。他のネズミと顔を合わせることを極力避け、誰もいないのを見計らって夜間に餌場、水場に向かう。

傷がないのは、他のネズミに会わないので攻撃もされないからで、もちろんオス・メスを争って戦うこともしない。実験エリアでは食糧と居住スペースは確保されているので、ひたすら食べて眠るだけだからビューティフルなのである。

何やら、いまの人間社会に似ているような気がするのだが、この実験について深堀りした研究をほとんど見ないのは残念である。少なくとも、一度落ちた出生率は二度と回復することはなく、集団は絶滅に向かうというシナリオは、もっと注目されていいと思う。

[Nov 8, 2023]

もしガザで暮らしていたらと考える

連日、国際ニュースはガザ関連である。ガザのパレスチナ自治区を実効支配しているハマスが、イスラエルに侵入して民間人を大量殺害、人質も返さないのだからイスラエルの強硬姿勢もやむを得ない。

ガザのパレスチナ自治区は長さ約50km、幅5~8kmの長方形で、面積としては約360平方kmになる。そこに約200万人住んでいるが、もとは砂漠なので農業は難しい。住民の多くは国連の食糧補助で食いつないでいる。

イスラエルがガザ北部の民間人に退避を勧告したが、多くはそのまま残って戦闘に巻き込まれている。TVニュースで流すのはハマスの広報が作った映像だから100%信用できないとしても(おおげさに騒ぐのは北朝鮮と同じで演技であろう)、過酷な状況にあることは間違いない。

戦闘を避けて南に避難せよとはいっても、逆側のエジプト国境も封鎖されている。エジプトも難民が大量に越境してその中に戦闘員も含まれるのは勘弁してほしいだろうから、当面封鎖は解除されない。

自分がガザにいたらどうだったろうと考える。北部は危ないから南部に移動するとして、移動距離は少なくとも30~40kmになる。直線距離ではそうでも、道路は破壊されているしガレキの山もある。いちいち迂回していたら、あっという間に暗くなるだろう。

令和改元を記念して日本橋から千葉ニューまで40km歩いたことがあったが、ちょうどそれくらいの距離である。

だから距離的には1日で移動できるとしても、難所を通り抜けるのに数時間を要していれば、あっという間に1日が終わる。治安状況もきわめて悪化しているだろう。

最大の問題は、身一つで南部に逃れたからといって状況が改善する訳ではないことである。戦闘に巻き込まるリスクは少なくなるかもしれないが、水も食べ物もない。

日本であれば公園の水道はたいてい飲めるし、家の周りでも柿とかキウイ、畑の作物ができている。有害鳥獣の多くは食べることができるが、臭くて食べられないので処分後はそのまま廃棄されている。ガザではありえないことである。

昭和時代には、自然にあるものだけでどうやって生き延びるかブームになったことがあるが、いまやそんなこと誰も気にしない。でも、世界的にみるとそういう恵まれた生活は人間全体の1割くらいしかできないのである。

ガザに話を戻すと、住民は結局のところ国連に頼る他はないが、国境を越えて入って来る援助物資は必要量に満たず、奪い合いになっている。国連スタッフも打つ手なしで、だから「人道的危機」としか発表しようがないのだろう。

パレスチナ自治区ガザは過酷な状況になっている。ハマスが民間人を大量殺害したのが発端なのでイスラエルの強硬姿勢もやむを得ないが、もしガザに暮らしていたらどうだったろうと考える。


昨日の続き。今日は個人的な感想。気に入らない人がいるかもしれない。

ニュースをみているとガザ地区の民間人に同情的で、病院に突入したイスラエル軍はけしからんみたいな論調だけれど、人質が隠されているかもしれないのだから病院だの民間施設だの言っていられない。

そして、ガザ地区民間人とハマス戦闘員の区別が容易かというと、そんなことはない。もともとパレスチナ自治区の住民は反イスラエルの考え方を持つ人達であり、ハマスにシンパシーを持つから実効支配できているのだろう。

ガザには産業がほとんどないから、おそらく住民には地下施設の建設が景気対策でもあったのだろう。イランからのオイルマネーで軍事支出の資金は潤沢にある。

だから、日本の地下鉄並みにハマスの地下施設があって不思議ではないし、関門ごとに侵入禁止の対策がしてあるだろうから、1週間やそこらで全貌が判明する訳がない。

東京の地下鉄だって総延長300kmに及ぶ。ガザの南北は約50kmだから、網の目のように地下施設が張り巡らされていたとしても驚くには当たらない。

もともとパレスチナはアラブの土地だったけれども、イスラエルも建国以来約80年、そろそろ三世代が経過する。北方領土だってロシアが実効支配したまま返さないのだから、いま住んでいるユダヤ人は出ていけというのは現実的でない。

しかし、パレスチナの人々は日本人ほどあきらめがよくない。イスラエルのユダヤ人は欧米並みの生活で、バレスチナ人は自治区で食うや食わずの生活ということになると、イスラム教の風土では許せないということになるのかもしれない。

だから、即時停戦だの人道的解決だのというのは絵空事で、彼らにとってみればどちらも後に引けない戦いである。冷静に戦況を分析すればイスラエルの物量がかなり上回るが、ハマスもゲリラ戦になれば負けないとおそらく考えている。

お互いが神の命令だから、人間の考えで止めることは困難である。まだイスラエルの方が生活に余裕があるだけ引ける余地があるが、ハマスには失うものがほとんどない。

日本の政治家もとても褒められたものではないが、とりあえずそういう状況にはなっていないのだから、最低限の仕事はしているといえるかもしれない。

[Nov 21, 2023]

NHKクロ現・買い物難民の本当の問題は

今週のNHKクローズアップ現代は、相次いでいるスーパーの閉店に伴う買い物弱者の問題だった。Aコープ(農協のスーパー)の一斉閉店に伴い、利用者や取引先など地域経済に深刻な影響が出ているという。

それはその通りだしなるほどなのだが、番組の半分以上は都市部の買い物弱者への取材であった。より多くの視聴者に関係する題材を採り上げたいという趣旨は分かるが、我田引水というか牽強付会というか、とってつけたような問題意識であった。

過疎化が進む地方で、商店街が成り立たず行政サービスも削減され、病院も学校も役場の出張所もないという弊害は、以前から指摘されている(YouTubeの夕張動画は廃墟ばかり映し過ぎで、実際には図書館もちゃんとある)。

一方、都市部のスーパー閉店は地方の過疎化とはまったく異なる要因によるもので、「買い物弱者」のように見える人達も地方と同じではないし、今後とらなければならない対策も違う。

そもそも番組では、500m以内にスーパーがなく、65歳以上の年齢層が多い地域の人々を「買い物弱者」とし、地方より都市近郊の方がずっと多いとしていたが、その基準は買い物弱者の水増しにならないだろうか。

私の家は千葉ニュータウンにあり、新住法適用の住宅地域である。住宅地域も商業地域も、都市計画は計画的に整備されているが、それでも500m以内にスーパーがない住宅はたくさんある。

わが家は幸い300mほど歩けばスーパーがあるが、業績不振で何回か撤退したことがあり、その時期には2km先にしかなかった。町内は広くスーパーは街の中心にある訳ではないから、1km以上離れた家だってたくさんある。

まして、ニュータウン区域外、新住法の適用外で続々開発されている地域(旧市街化調整区域)は、それ以上離れている。歩けば駅まで30分以上かかる場所も、それなり売れているようだ。基本的に、車を使って通勤や買い物をするという前提なのである。

そういう年齢層でも歳取れば運転できなくなるかもしれないが、それを買い物弱者として何らかの対応・対策が必要かというと、あまり差し迫ったものとは思えない。

番組でも、団地の中心にあったスーパーが撤退し、バスに乗って隣町まで行かなければならないと言っていたけれど、実はもっと近くにコンビニがあって、そこだと歩いて行けるのである。

コンビニではダメでスーパーが必要というのは、値段の問題である。コンビニでは定価で売っているが、地方に行けばスーパーの安売りがないところはいくらでもある。

そして、買い物は毎日しなければならないというものではない。スーパー閉店によって外出の機会が減り、孤立化が進むという指摘だが、それは買い物弱者とは別の問題である。

思うに、資本主義はすべての人に消費行動を求めるが、それではみんなが幸福になれないということだと思う。自分一人で暮らすことができなければ共同生活するのがいちばん早道だし、もともと家族や村落はそのためにあった。

NHKのスポンサーは視聴者でなく政府・議員だから、番組ではそういう指摘はなかった。でも、年寄りがみんな一人で買い物して料理して、孤立化や食事の偏りがどうこう言っても、心配の方向が違うような気がする。

今週のNHKクローズアップ現代。この画像はAコープ閉店に伴うものでなるほどだが、番組の多くは都市部に割かれていた。徒歩で500m以内にスーパーがないと買い物弱者と述べていたが、その基準ではどうだろうか。


「自分一人で暮らすことができなければ共同生活するのがいちばん早道」と書いたし、この考えは変わらないのだけれど、そう言うと「一人の方が気楽でいい」という反論があると思う。そう言える人は、実はたいへん幸運である。

はた目には困っているように見えても、生活に関わることは自分でやりたいというのは悪いことではないし、他人は他人、自分は自分というのは正しい考え方である。そうできる間はそうした方がいい。

私は、アーリーリタイアや年金生活のヒントとなるようなことをブログに書いてきた(もはやアーリーリタイアとはいえないが)。しかし、そんなのは所詮恵まれた人のことで、多くの人はそんなことしたくてもできないという考え方がある。

例えば子供の教育とか住宅ローンとか介護とか、ライフステージによってアーリーリタイアが不可能な場合はある。そして、子供がいつまでも独立しないとか、身内に病人がいる、やむを得ない事情で借金が残っているということもある。

はっきり言ってしまえば、運である。運よくアーリーリタイアして年金で暮らせる人間が、みなさんもこうやればいいと書いたところで、「運がいい人はおカネに困りませんよ」と言っているのと同じことで、大きなお世話で品のない言動かもしれない。

とはいえ、統計学の教えるところでは、運のいい悪いのリスクを避けるには母数を大きくするしかない。分かりやすくいうと「保険をかける」のが唯一の対策なのである。

統計学は数学的思考であり、人間でなくても動物だってしている。魚やシマウマが群れになるのは、そうすることにより捕食されるリスクが小さくなるからである。

だから、何かあった時に助け合うためのネットワークは、自分自身のために必要なリスクヘッジなのである。それを行政に期待するのが昨今の考え方だが、行政自身は困らないので「お互い様」にならないし親身ではない。魚やシマウマは行政に頼らない。

ネットワークというと昔の村社会が連想され、プライバシーへの深入りや相互監視、同調圧力などマイナス面ばかりが強調されるし、実際うっとうしく感じる人も多いだろう(私もそうだ)。ただ、降って湧いた災難に備えるのに、ネットワークはきわめて有効である。

歳を取っても一人で生活できるというのは、努力だけでなく運が必要である。努力は本人の心がけ次第だけれど、運はどうにもならない。憎まれっ子も世にはばかるし、悪人ほど栄える。正しく身を処したからといって、災難が降ってこないとは限らない。

[Dec 15, 2023]

安倍派キックバック、そもそも何が問題か

先週来、安倍派政治資金のニュースが連日報じられている。「五人衆」と呼ばれる党幹部、主要閣僚が次々と更迭ないし交代させられ、年末年始の政局はあわただしさを増している。

個人的にたいへん不審なのは、どのTV局もキックバックがいかんというところまでしか説明せず、問題の本質を隠蔽するのに手を貸しているように感じられることである。

いまの報道の仕方では、例えば建設会社の元受けが下請けに、受注価格の一部を別の名目で戻させるみたいなキックバックと区別できない。そうしたキックバックは主として脱税目的で行われるが、政治資金にそもそも税金はかからない。

ではなぜキックバックという面倒な手続きを取るかというと、「領収証のいらないカネ」を作るためである。

政治資金において、領収証がいらないことが何を意味するかというと、使途を追求されないことである。派閥にしろ個人にしろ、政治資金報告書に収入が記載されるということは、それを何に使ったかもまた記載されるということである。

安倍派五人衆は5年間で数千万円のキックバックを受けていたとされるが、その使い道はどこにも残っていないし、追及されようがない。だったら、政治資金規正法は何のためにあるんですかということである。西村はズルいとかそんな問題ではない。

つい最近でも、議員が地元の支持者を会費5000円で都内の一流ホテルで接待したという話があったし、支持者にいろいろ贈ったという話もあった。会費5000円はホテルとうまいことやったんだろうが、支持者に何か贈ると、それだけで選挙違反にされてしまう。

かといって、支持者とまったくやり取りせずに親分・子分の関係を維持することはできない。だから、証拠を残さない、使途を追求されない形で支出できるカネを持つことは、たいへん重要なのである。

安倍派五人衆は最大派閥の幹部なので、自分の選挙だけでなく派閥の維持に、領収証のいらないカネはいくらあっても足らない。察するところそのカネは子分に渡り、そのまた子分に渡りということで、地方議員を含む安倍派の議員連中に渡ってきたと思われる。

だから、説明責任とかあいまいなことを追求するのではなく、そのカネは何に使ったんですか、なぜ正規な方法で申告できなかったんですかと訊くべきなのに、TVも野党もそれをしない。

リクルート事件以前、まだ政治資金規正法がザル法だった頃、自民党が裏金を使った先には新聞・TVなど報道各社や野党が含まれていた。いまもなお、そうなのかもしれない。

某新聞の主幹だか主筆だかいう人はそれでのし上がったし、国会対策というのはそもそもそういうことだった。NHKも会費5000円とか言われて接待されただろうから、あえて本質を明らかにしないのかもしれない。

[Dec 19, 2023]

安倍派政治献金のニュース。報道ではキックバックはいけないことまでで思考停止しているが、問題はそれが何に使われたかということ。TVではそのあたり全く触れないが、放送局に流れているのかも。


追 記[Dec 22, 2023]

ブログに安倍派キックバックのことを書いたとたん、検察による強制捜査が入った。強制捜査があることはマスコミ各社はもちろん知っていて、臨時国会が終わるのを待って動いただけなんだろうけれど、なぜいまなのか深読みしてみた。

はじめは、支持率低迷を受けて岸田・麻生連合が安倍派叩きに動いたのかと思ったが、西村では岸田下ろしは無理だし、松野は同じ官房長官でもキャリア・バックグラウンドとも加藤に敵わない(大蔵省キャリアで加藤六月の娘婿である)。麻生も河野のためにそこまでするかどうか。

それこれ考えると、もしかすると海の向こうから改憲NOの意思表示かもしれない。現在の衆参両院は与党の絶対多数で、憲法改正を国民投票に持っていくだけの数がある。ところが、去年は安倍狙撃があり、今年はこの騒ぎである。

通常国会で憲法改正という話が出る可能性はほぼゼロだし、再来年になると衆議院の任期満了が迫る。公明党も、池田大先生の喪が明けて組織を引き締めてから選挙に臨みたいだろう。そうなると、いまの時期に政局を仕掛けることで改憲のタイミングが遠のいたのは確かなようである。

他人が迷惑してもカネが大事という人間が多すぎる

年の暮れにあまり景気悪い話はしたくないのだが、このところ気が滅入っている。世の中、他人が迷惑してもカネ、自分の懐が潤えばそれでいいという人間が多すぎるように思う。

何気なく人のブログを覗くと、「お得」「稼げる」「儲かる」のオンバレードである。そんなことより大切なことがあるのではないですかと言いたくなる。おそらくそういう人達には、カネより大切なものはないのだろう。

すでに70年近く生きてきて、おカネが一番大事という人生観しか得られない人がいるのは悲しいことだと思う。おカネがあるに越したことはないが、例えば心の平安はもっとずっと大切である。心身の健康も、おカネより優先順位は上である。

蕨郵便局の事件についての記事で、いまの医療従事者でヒポクラテスの誓いを守ろうと思っている人はいないと書いた。守ろうとしないどころか、カネのない奴は相手にする必要がないと意識的にやっているように思えて仕方がない。

カネには頭を下げるが人には下げないという信念なのだから、本来医療従事者の資格がない。医療従事者どころか、公的サービスに従事すべきでないし、もしかしたら大部分のサービス業に向いていないかもしれない。

なのになぜ、そういう信念の人間が医者になったり公務員になったりするかというと、カネになるからである。サービスの本義にもとる行いであっても、自分の懐が潤えばそれでいいのである。

人間社会において、医療行為が生まれそれに従事する人が出てきたのは、他人が病気やケガで苦しむのは気の毒だし、自分にできる範囲で助けることができればという気持ちからスタートしたはずで、カネ儲けができるからではない。

カネ儲けできたとしても、立って半畳寝て一畳で人間たいしてスペースはいらないし、1日5食食べられる訳ではない。ドンペリやペトリュスが2000円のワインより10倍うまいこともないし、カネに寄って来る人間はそういう人間である。

「衣食足りて礼節を知る」というのは昔の中国の話で、いまの日本は衣食足りてもっとカネがほしいだけである。そうやって世代を追うごとにどんどんバカが増え、どこもかしこもバカばっかしになった。

そういう連中の中に入るのは精神衛生上よくないので、他人との接触は必要最低限にしているが、留守電やメールに入ってくるのはスパムやインチキ営業ばっかりだし、最近はドアチャイムを鳴らして変な奴が来る。

そういうのを相手して血圧を上げるのはバカバカしいのだけれど、返事をしないのは異議がないことだと都合のいい解釈をするバカもいる。アメリカの高級住宅街はガードマンがいて不審者をシャットアウトしているそうだが、日本もそうしないといけない世の中に近づいているようである。

[Dec 25, 2023]

いまの世の中、カネが儲かれば他人はどうでもいいという人間が多すぎる。年寄りがいまさら何もできないが、カネばかりが大事じゃないことは発信していけたらと思う。


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