なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

お得・稼ぐは呪いの言葉   マイナカード・保険証一体化
誰に文句を言う訳じゃないが、暑い!   原発処理水/ジャニー性加害
無事にと思う人が多いほど悪いことは起こらない   地域おこしはなぜうまく行かないか
さすが翔んで埼玉     

お得・稼ぐは呪いの言葉

夢枕獏の「陰陽師」に、「言葉は呪(しゅ)である」というセリフがたびたび出てくる。もともと言語は危険を知らせるため・知るために発達したものであるが(だからストレスと同じ発達形態である)、いまではそのこと自体が危険なものになった。

この間TVをみていたら、年金額がわずかながら上がったというニュースをやっていた。「このくらいじゃ、何の足しにもなりませんよ」と年金暮らしのお年寄りが取材に答えている。

それはそのとおりだが、そのお年寄りが見せてくれた冷蔵庫が、保存のきかない野菜とかで一杯である。しかも、「これは半額」という野菜ばかりである。半分傷んでしまったら、値引き前の価格と同じことである。

本当に生活を切り詰めなければならなかったら、冷蔵庫に半月も暮らせるほどの食糧を貯め込む必要はない。必要がないどころかムダである。電気代もかかるし、どうせ食べきれないのだ。

おそらくこのお年寄りは、年金が少ないと言いながら、半額サービスという呪文に抵抗できないのである。「お得ですよ」とささやかれれば、今どうしても必要ではないのに買ってしまう。それで余計に苦しくなる。

生活費が足りないなら、どうやって余計なものを買わないですませるか、今あるもので間に合わせるか考えた方がよほど賢いし、おそらくそれ以外に方法はない。「お得」というのは要らないものを買わせる呪文なのである。

WEBでも、ブロックしているにもかかわらず広告がやたらと出る。chromeにするとさらにそうなる。おそらく、夜間のアップデートで広告ブロックを無効にしているのだろう。

その広告も、「アフェリエイトで稼ぐ」とか「百万円以上限定高利回り」とか、もっと稼げます、儲かりますのオンパレードである。いちいち反応しないけれど、これもまた呪文である。

心身の健康を保つには、こうした呪文が耳に入らないよう心掛けることが重要である。「誉め言葉は耳から毒を入れるようなものだ」と車谷長吉が書いていたが、「お得」「稼ぐ」もこれと同じである。

日本酒を買おうとすると、4合瓶で1,500円なのに、1升瓶だと3,000円だったりする。1升瓶の方が「お得」なように思えるが、それだけ多く飲むことになるから使うおカネはたいして変わらない。

そして、多く飲めば飲むほど体への負担は大きくなる。だったら、4合瓶を買ってちびちび飲んだ方がお財布にも健康にも優しい。それでも1升瓶に引かれるのは、たくさん飲みたいというだけなのである。

[Jul 11, 2023]

広告ブロックのソフトを入れているはずなのに、かいくぐって広告が表示される。「お得」だの「稼ぐ」だのは、呪いの言葉だと思う。

マイナカード・保険証一体化、真の狙いと反対理由

先週末、岸田首相の記者会見があって、マイナンバーカードと保険証の一体化を来年秋に予定どおり行うことが発表された。このことについて、推進派も反対派も本当に言いたいことを明らかにしないので、たいへん分かりにくい論争になっている。

普通に考えれば、保険証をどうするかは保険者と被保険者の間で決めることで、国が指示してみんな一斉にという話じゃない。国保の保険証は市町村が発行しているので、マイナカードと一体化するのが経費節減ならそうすればいい。

カードを持っていない人は、移行期間は紙で保険証を出すし、その後は証明書で対応すればいいだけで、大騒ぎすることではない。私は何度も保険証を洗濯して再発行になったので、マイナカードで済めばその方が便利だ。

TVで盛んに言っている、別人の口座に紐付けされることは保険証に関してはどうでもいいことで、マイナカードから保険証番号が検索できるなら利用者に不便はない。あとは、機器が高くていまだに未導入の医療機関があることだ。

反対派が隠している真の意図は、マイナカードになると他人の保険証で医者にかかれなくなるということらしいが、そんな理由がいまの世の中通る訳がない。

確かに半世紀前はそういうことが日常的にあったし、反対派の重鎮はそういう経験があるのかもしれない(学生運動や反体制運動で本名を名乗れなかった)が、いま現在自分の保険証を使えない人が多数派ではありえないだろう。

他人の健康保険にタダ乗りする人は無視できないくらいいて、それが原因で健保の財政状況にも影響があるらしい。しかし、もしそれを防ぐだけなら、医療機関で本人確認を厳格化すればいい。役所や郵便局はとっくの昔にやっている。

それをあえて言わないということは、推進派の真の意図は健保財政の健全化以外にあると推測される。

賛成派の隠された真意は、国民総背番号制である。国民全員にマイナカードを持たせることにより、税金のとりっぱぐれをなくし、治安維持も容易になる。いまそういう技術は中国に山ほどあって、道を歩く人すべての名前やIDが即座に検索できるらしい。

日本ではヨーロッパ諸国のように不法移民が大量に流入することはないが、それでも、街を歩いている人すべての顔をAIで調べて誰がどこにいるか分れば、治安対策上の効果も大きいのはその通りである。

だから、2万円の奨励金を出したり保険証と一体化して、できるだけ早くマイナカードによる国民総背番号制を確立させたい。だが、どんなに「飴とムチ」を使ったところで、すべての高齢者に普及させるのは無理である。

マイナカード普及の隠れた目的は、ひとつは国民総背番号制であり、もう一つは大企業への利益供与である。反対派の真の意図は不正利用防止を阻止することだから、どっちもどっちだが。


もう一つの隠された意図は、デジタル関連企業に商売させることである。

いま、風力発電の会社が国会議員に贈賄したなんて話が出ているが、本当に大きな会社が大物議員におカネを渡しても騒ぎにはならない。そのために自民党があるといってもいいくらいである。

マイナカードの普及にあたっても、富士通とかNECとかそういった会社からいろいろ経由して選挙資金や運動資金が渡っているだろうし、貰ったからには返さなければならないのは世の習い。

資本主義の社会だから、政府・政権与党の金ヅルである企業にいい目を見てもらわなければという趣旨は理解できるし、ある程度はWIN-WINで仕方がない。彼らだってすでに国際競争力はなく、公共事業頼みなのは建設会社と同じである。

とはいえ、スポンサー企業に有利なら、利用者である多数国民にとって不利益でもいいという考え方は思い上がっている。

マイナカードの2万円は現金でなくポイントで支給され、どこかの企業の利益になるというのもその表れだし、他人の口座にヒモ付けしてしまうのも経費節減で作業がいい加減だからである。

新聞・TVもマイナカードに他人口座が紐付けされていると大騒ぎしているが、これも解せない話である。

もし利用者にとって不利益だとすれば還付金がまったくの他人に行ってしまうことだが、作業ミスの大部分は本人でない家族口座へのヒモ付けである。実害はないというか、かえって手間が省けるかもしれない。

もっと言うと、もし他人の保険証番号が登録されたとしても、窓口負担3割で医者にかかれれば利用者に実害はない。あとは健保組合間で差額調整すればいいだけである。

利用者にとっていちばん心配なのは、マイナカードを持ち歩いてもし落としたらどうするかである。運転免許だって免許センターに行けば即日交付なのにまた1ヶ月も2ヶ月も待たされたら不便だし、データを見られたり差し替えられたら困る。

世の中には静脈認証とか便利な技術があって本人確認は容易になっているはずだし、そういう技術を使えばそもそもマイナカードすらいらないのだが、そういうことは言わない。プライバシーとかいろいろうるさいからである。

面倒な話はすべて素通りして、デジタル化社会だの安全・安心だの言い訳にするから訳がわからなくなる。それよりも、せめてルフィーとかオレオレ詐欺とか、正体不明の営業電話をなくしてほしい。そのためにマイナカードの個人情報を利用するなら、それはそれでいいと思っている。

[Aug 8, 2023]

誰に文句を言う訳じゃないが、暑い!

先週は台風が来ておかげさまで一息つくことができたが、再び暑くなった。

7月が観測史上最強の猛暑で、8月下旬なのにまだまだ暑い。これだけ続くとさすがに疲れてくるし息が詰まる。毎朝のトレーニングもさぼりがちであるが、仕方のないことである。

いつになったら涼しくなるのか、見当もつかない。猛暑が地球温暖化のせいだと私は思っていないし、誰に文句を言える訳でもないのだが、気が滅入ってくる。

かなりのストレスで健康にはよくない。人と一緒に仕事をするのとは違うが、例えば時刻表より15分も20分も電車やバスが来ない時に感じるストレスとよく似ている。

熱中症警戒アラートが出ると、防災無線で注意喚起される。「不要不急の外出を避け、エアコンを適切に使いましょう。水分補給をして熱中症を防ぎましょう」「そんなのわかってるわい」と思わず突っ込みを入れたくなる。

エアコンを使うのはいいけれども、電気代がもれなくついてくる。政府補助があって去年より安いとはいえ、一昨年に比べるとずいぶん高い。そして、年金はたいして増えていない。気になって、設定温度を下げたり運転時間を短かくすることになる。

昔のブログ記事をみると何十万円も持って海外カシノに出かけていたというのに、いまでは月一万数千円の電気代でやきもきしている。楽あれば苦ありというか、因果応報というか、うまくできているものである。

家の奥さんによると、「今年だけじゃなくて、これからずっとこうらしいよ」と言うのである。

いまから四十年以上前はこんなに暑くなかったし、30℃を超える日が何日かあるくらいだった。それが、30℃を超えるのは毎日で、35℃以上の猛暑日が月の半分である。

その四十年前でも、こんな暑いのは嫌だ。将来は北海道に移住するか、少なくとも夏の間は疎開しようと思っていたのである。夏休みは毎年北海道までドライブしていたが、東北道を走る間にどんどん気温が下がったのも今は昔である。

じっさい、関東は30℃以上あっても北海道は朝晩10℃以下、日中でも20℃くらいしかなかった。それが、ある時期を境に東北も関東もたいして変わらなくなり、いまや札幌や旭川の最高気温は首都圏と変わらない。

だから北海道のお米はずいぶんおいしくなったけれど、わざわざ出かけても気温が下がらないのでは面白くない。日本中どこへ行っても暑ければ南半球に行くしかないが、エアコンどころじゃなくおカネがかかるのは悲しいことである。

[Aug 21, 2023]

誰に文句を言えるものでもないが、連日のように猛暑日が続き、いつ終わるのかも分からないのは息が詰まる。家の奥さんによると「今年からずっとこうらしいよ」ということなのだが。


今回は中国の言い分が正しい/ジャニー性加害

福島原発の処理水を海中に投棄したことについて、中国は日本からの水産物輸入を全面禁止することを発表した。中国の対日対応は筋の通らないことが多いが、今回は中国の言い分の方がまともである。

どんなに薄めようと基準以下であろうと、意図的に海に汚染物質を投棄することが許される訳ではない。日本近海の水産物など食べないという国は関心ないだろうけれど、中国は食べているし、まして自国の近海である。

WEB上の論調をみると、中国だって汚染物質を垂れ流しているじゃないかと主張するが、だからといって日本の行為が許される訳ではない。あっちの車もスピード違反だといって、警察が許してくれないのと一緒である。

川に得体のしれないものを流していたら、たいていの人は眉をひそめる。これは毒じゃないです、何ppm以下なら人体に影響しませんなどという言い訳は通用しない。そういう人とはお近づきにならないのが普通だ。飲料水の水源には、浄化槽は作らないのである。

中国は日本の水産物輸入を認めない措置をとったが、安全でないと思えばそうするのが当然である。いつまで続くかとは正直思うけれど、本来ならば安全が確認されるまで長期間にわたるべき対策であろう。

今更ながらだが、中国は何十年も前から一党独裁の全体主義国家である。だから、商売になるからといって中国に生産拠点を移したり、販売先としてあてにしたりするのは本来間違いである。

中国人観光客の来日を歓迎する地方空港とか、観光地や宿泊施設をみると、何を考えているのかと思う。全体主義国家を相手にしなければ成り立たないのならスクラップアンドビルドすべきで、儲かるなら手段を選ばないというなら損した時も自己責任である。

対日感情が悪化するたびに中国は危ないと大騒ぎするが、最初から分かっていてそうするのだから同情の余地がない。中国に投資した物件が接収されたり、中国からの需要をあてにして生産を増やしたりすることも同様である。

民主主義でない国とのお付き合いや商取引はほどほどにすべきで、こと北朝鮮になるとヒステリックになるくせに、中国に対してはえらく寛大である。第二次大戦でご迷惑をおかけしたからある程度は仕方ないが、だったら北朝鮮も同じである。

話は戻って、中国が処理水投棄に反発するのも、水産物輸入を禁止するのも筋が通った話で、「禁輸に抗議する」とか言ってる日本の方がおかしい。

そんなに安全なら、処理水は地中深くに投棄すればいい。ただ、そんなことをして井戸水が汚染されたら大変なことになるし、周辺自治体も抗議行動を起こすからしないだけである。要は、国内だと余計にカネがかかるというだけなのだ。

本来、原発の安全管理がずさんだった東京電力が未来永劫責任をとるべきで、永遠に処理水タンクを増設するなりすればいい。にもかかわらず、平気でCMは打っているし、いまだに株式を上場している。

役員報酬も相当な金額だが、本来ならボランティアでやるべきだし、事故当時の役員資産も競売にかけて責任をとらせるべきである。もちろん株式は紙くずにしてしかるべきで、誰も責任をとらず汚染水は海中投棄なんてことがまともだとは思わない。

中国が声をあげなかったら、タンクがもう一杯なんだから薄めて海中に捨てるしかない。国際機関も認めていることだし、なんてマスコミ主導の世論が支配的だったはずである。

私の認識では、処理水を海中に遺棄することと公海上で核実験を行うことに本質的違いはない。NHKはじめマスコミは北朝鮮のミサイルに大騒ぎするのだから、処理水問題のネカティブな側面をもっと報道すべきと思う。

処理水問題は、中国の言い分が正しい。水産物輸入禁止で商売にならないと騒いでいるが、そもそも中国相手に商売して儲けていた人達に同情することはない。


原発処理水問題については、NHKはじめマスコミの論調は海中投棄は国際機関も認めたもので問題ない。中国はヒステリックに反応すべきでないというものである。

だったら、北朝鮮がロケットを打ち上げるたびにアラートを出すのもヒステリックな対応だとは思わないのだろうか。それと、ジャニー喜多川がけしからんことをしていたのは何十年も前から知っているのに、知らん顔をしていたマスコミの罪は大きい。

フォーリーブスの元メンバーが今回の事実の一端を公表したのは、もう数十年前である。ところが、今回海外記者協会で被害者が声をあげるまで、日本のマスコミは全社知っているのに問題にしなかった。恥ずべき行為と言わなくてはならない。

欧米先進国で未成年ポルノは重罪である。そういう趣味の人はどこにでもいるけれど、発覚したら社会的生命を絶たれることは確実である。にもかかわらず、わが国ではそういう変態に、みんなでおべっかを使っていたのである。

(念のため申し添えると、この問題に本人の同意あるなしは関係ない。罪刑法定主義も援用されない。ドイツのホロコースト同様、「人道に対する罪」扱いなのである)

処理水問題で中国の対応をヒステリックというならば、未成年ポルノ問題で欧米諸国の対応をヒステリックと言わなければならない。何十年前にそういうことをした教会関係者がいま袋叩きになっているが、日本政府は「ヒステリックな対応はやめましょう」と言わないのだろうか。

話を戻すと、ジャニー喜多川の行為を見て見ぬ振りしていたマスコミ各社がなぜそうしていたかというと、彼の機嫌を損ねるとジャニーズを出してもらえないからである。それがなぜ困るかというと視聴率がとれないから、その結果広告料が取れないからである。

広告料の減収は業績の悪化につながるから、自分の出世に響く。自分の出世、すなわちカネ勘定は、社会正義の実現よりずっと大切だからである。

本来、テレビにせよ新聞にせよ、報道機関に志のある人は、社会正義の実現や社会的不公正の是正、ひとことで言えばよりよい社会にするためになりたかったはずなのである。

しかし、一度バカが上に立つと、その組織はバカを再生産する。バカがバカを呼び、下に行くほどますますバカになる。結果、コネと帰国子女とバカばっかしになるから、ますますカネしか頼るものがなくなる。

福島汚染水問題も似た要素があって、汚染水廃棄は政府主導だから、それに反対すれば国に睨まれる。国に睨まれれば出世に響く。まして広告主はすべてたれ流し側である。被害を受ける水産業者も結局カネである。

誰に睨まれようが広告主の機嫌を損ねようが社会正義を実現しなければならない、というような気骨のある社員は、報道の第一線から飛ばされて物流担当とかビル管理をさせられているだろう。「現場の苦労を知れ」などと、販売店担当・スポンサー担当をやらされているかもしれない。

芸能担当で、ジャニーズは未成年ポルノに触れる要注意集団なので、係わりをもつべきではないと思っていたプロデューサーが仮にいたとしても、そういう運命だったろう。なにしろ、裏社会とつながっていた某お笑いの元締め会社だって、いまやお咎めなしなのである。

そうやって、わが身が大事カネが大事で毎日を送っているから、新聞もTVも、もはや通販会社の一部となりつつある。経営自体もそのうち成り立たなくなるはずだから、一番大事なわが身も寒空に放り出されることになるだろう。

今年のような気候だと、寒空よりも炎天下の方が厳しそうだが。

海外記者協会が騒がなければ、ジャニーズ性被害問題も大きくならなかったかもしれない。ジャニー喜多川の性癖に知らん顔をしていた新聞・TVも同罪で、過去の経営陣は私財を被害者救済に拠出すべきであろう。


先週、ジャニー喜多川の性加害のニュースについて書いた後、ジャニーズ事務所の会見があった。追報を書くつもりはなかったけれど、なんだかなあと思ったので急きょ。

作家でタレントの室井某がこの会見に対し「質問しているマスコミ連中だって加害者と同じじゃないか。ヒガシやイノッチがかわいそうだ」みたいなコメントを出している。(ラジオ番組で言ったそうなので、要約の仕方が意図的かもしれない)

マスコミが性加害の共犯だというのはそのとおりだけれど、次の一言が余計である。これでは、タレント可愛さでマスコミを悪者にしただけで、まさに藤島ジュリーが言いたいけど言えないことを代弁して、強力な援護射撃をしたことに気づかないのだろうか。

オウム真理教が全員サリン製造・散布や信者拉致に関わっていた訳ではないけれども、オウム真理教というだけで出ていけと言われる。東京電力の役職員すべてがずさんな原発安全管理に関わっていた訳ではないが、原発事故に責任がないとはいえない。

ジャニーズ性加害事件が事務所全体の問題であるのは明らかだから、事務所の責任者が関係各位に謝罪するのは当然だし、記者会見で厳しい質問をされるのも仕方がない。彼は修行していただけとか、水力発電担当だからとかいう言い訳が利かないのと同じである。

この夕方のTVでは、NHKを含め、各局ともジャニーズ記者会見一色であった。加害者ジャニー喜多川の姪にあたる藤島ジュリーが涙ながらに謝罪し、後任社長は所属タレントの東山。「私自身は芸能活動から引退します」と神妙に述べた。

少年隊とはいってももう50代半ばで、普通の会社でも社長になっておかしくない年齢である。アイドル扱いはどうかと思うけれど、おそらく彼や井ノ原を出せば非難の矛先が鈍ると誰かが考えたのだろう。

だから、もしTVや新聞が自分達も性犯罪に加担したと同じだと反省しているとしたら(しないが)、被害者救済に何ができるか自問自答すべきで、ジャニーズ記者会見を長々と流して視聴率を取ろうとするのは言語道断である。

少なくとも、これはジャニーズだけだろうかという問題提起くらいはして罰は当たらないと思うが、誰も言わない。業界のタブーだし、視聴率に響くからである(社会正義の実現より自らのカネ勘定)。

室井某はかねてから危ない発言が多く、そういうキャラで売ってきた人物である。もしこの藤島ジュリー代弁発言が計算されて行われたものだとすると、この人も相当したたかである。危ない発言をしているようでいて、実は空気を読んでいる。そしてジャニーズやマスコミの味方だということになると、今後仕事に困ることはない。

個人的には、未成年に対する虐待や性犯罪はけしからんと思うけれど、おニャン子やAKBでそういうことがあるという噂をマスコミすべて知らん顔しているのだから、状況はよくならないと思う。

コロナで最近やらなくなったようだが、未成年どころか中高生くらいの女の子に握手会をさせるなど、未成年者の性の商品化に他ならないと思う。

そう思うと参考になるのは歌舞伎である。歌舞伎は出雲お国が始めた頃は、AKBみたいな女の子が歌や踊りで演技するものであった。(当時は二十歳過ぎると「年増」なので、全員未成年だったと思われる)

風紀を乱すという理由で江戸幕府が禁止したので、今度はジャニーズみたいな子が演じる「若衆歌舞伎」となった。これも同じ理由で幕府に禁止され、成人男子が女役を行う「野郎歌舞伎」となり、江戸幕府はなくなったがそのまま現在に至っている。

古今東西、男でも女でも未成年者が芸能活動に関わると風紀が乱れるもとになる。加えて、社会全般の流れはその種のことに厳しくなることはあっても、寛大になることはない。

私の生きている間は無理だろうが、いずれジャニーズやAKBのようなやり方は認められなくなるだろう。それが法的なのか社会的なのか、道義的なものとなるかは分からないが。

[Sep 10, 2023]

室井某が「マスコミも同罪だ。ヒガシがかわいそうだ」と言っているそうだ。マスコミ同罪はそのとおりだが、その論法だとオウム真理教も東京電力もかわいそうということになるが。


無事にと思う人が多いほど悪いことは起こらない

先週、あるイベントで事故があった。このイベントは現役時に関係していたことがある。もうリタイアして7年経つし、イベントに関わっていたのは二十年も前のことだけれど、私の時に起こらなくてよかったと思った。

私がいたらどうこう言うつもりはない(そもそも安全管理の担当ではなかった)けれども、私自身こういうことが起こらないよう神経をすり減らして、それがストレスになっていた。いま、すべての関係者がそういう覚悟で臨んでいたかどうか。

以前、知床観光船事故の時に、現場の担当者が最悪のケースを想定することの重要性について書いたことがある。ルールや手続きについてうるさく言う人がいることは、事故を未然に防ぐために欠かせないといまでも思っている。

このイベントは、北海道で数少ない全道的なイベントで、海外からも招待選手のいる大掛かりなものである。当然、主催、共催、協賛、協力などに多くの組織(国や道も含む)が名を連ねている。

しかし、開設当初は緊張感をもって運営されていたとしても、毎年開催されている間になあなあになる。例年通りであれば問題ないと思う人も多いし、TVに企業名が映れば宣伝になるとそれだけに関心のある協力企業もある。

このイベントでは死亡事故が起こり、翌日からの日程がすべて中止になった。中止に伴う後始末も大変だろう。もし私なら、事後処理の手はずを考えるだけで気が遠くなるが、もしかすると大して苦にしないのかもしれない。

うるさいことをいう奴だと思われたとしても、致命的なことが起こる前に、ルールや手続きを確認する人は必要である。そういう人が多ければ多いほど運営は緊張感をもって行われるし、カバーする範囲も広くなる。

今回は安全管理面の問題だが、これが財務であっても、広報であっても、役所対応であっても同じだと思う。「無事に」開催されることは、マスコミに採り上げられるとか、スポンサーや観客を集めることより、ずっと優先順位が高いことである。

そんなにうるさいことを言わなくたって、適当に進めていれば誰かが何とかしてくれると思っている人が多ければ多いほど、緊張感がなくなるしカバーできる範囲は狭まる。安全上の問題でなくても、いずれ何か起きることは避けられない。

こうした考え方は組織内であまり賛同を得られず、うるさいことをいう奴だとスポイルされることとなったが、結果的にそういう後悔が少ないことが、いま現在の心身の健康維持に役立っていることは確かである。

繰り返すけれど、当時多くのストレスを抱えたけれども無事イベントが行われたことは、何よりのことだったと思う。

[Sep 12, 2023]

無事行われるようにと思って努力する人が多いほど、悪いことは起こりづらいと思う。(写真と記事とは関係ありません、一応)


地域おこしはなぜうまく行かないか

先日のクローズアップ現代で、地域おこしで発生したいくつものトラブルについて放送していた。昔、中途入社した会社でいろいろ嫌がらせをされた経験があるので移住側にシンパシーを持つけれど、きっとうまくいかないだろうというのが正直な感想である。

理由の第一は、人やカネを目的にしている取り組みは普通に考えてうまくいかないということである。

地域おこしの理念そのものが、寂れつつある地域に人とカネを取り戻そうという発想である。冷静に考察すると、日本の総人口は年間何十万人も減っていて、高齢化も急激に進んでいる。

だとすれば、地域おこしはゼロサム、というよりもどんどん減っている椅子を奪い合う椅子取りゲームである。うまく取れる人がいる一方で、取れない人は必ず出る。そもそも、そんなゲームをすることが間違いである。

地域おこしの成功例として、地元米のブランド化や商店街の活性化があげられているが、最初の椅子取りゲームで勝ち残っただけで、全員勝ち残れることはない。そして、さらに椅子の減った次の椅子取りゲームで勝てるとは限らない。

だから地域おこしは、最終目的である人とカネを取り戻すことはできない。少なくとも大部分はできない取り組みなのである。

最終目的は達成できなくても、そこに向けて努力することが地域活性化だと主張する人がいるかもしれない。しかし、そこで顔を出すのが人間の本能である縄張り意識である。

大学の先生らしきコメンテイターが「みんな好意で言うことやることがすれ違って誤解を生んでいる」みたいなお花畑なことを言っていたが、私の経験からしてもそんなことはほとんどない。

人間の感情を左右している爬虫類脳は「縄張り意識」をビルトインされていて、自分のテリトリーに入って来る他者を警戒する、追い出そうとする本能がある。

「かつての賑わいを取り戻したい」と言うのはたいてい年寄りである。自分の子供や孫や親せき縁者がいなくなるから賑わいがなくなるのに、赤の他人が居つくはずないだろうと思う。

そして、自分の身内には出ない縄張り意識が、他人だと露骨に出る。番組内で市役所を悪者扱いしている人がいたが、この人の頭の中で役所は身内でなく他人である。

思うに、もともとこの「地域おこし協力隊」は、「青年海外協力隊」の成功をもとに発想されたものではないだろうか。ただ、発展途上国において日本の人材が歓迎されるように、過疎化が進む村落で脱都会の人材が歓迎されるとは限らない。

というのは、同じように日本語を話し、同じ社会的インフラで暮らしている年少のひとに敬意をもって接するのは、そんなに簡単なことではないからだ。「郷に入っては郷に従え」とか言って、移住側に妥協するよう強制することになる。

残酷なようだが、過疎化した村落は限界集落に、限界集落は廃村になるしかない。過疎化した村落にも限界集落にもいい人はいて文化的遺産もあるが、それ以上にどうしようもない人や古い因習が残っているからだ。

[Sep 18, 2023]

地域おこしで移住側と受け入れ側のトラブルがいくつも発生している。地域おこしが人やカネを持ってくることだとしたら、うまくいかないのは当り前だと思う。


さすが翔んで埼玉の大バカ自民県議団

「翔んで埼玉」というくらいで、埼玉県にはちょっと?という人が住んでいると思われているが(原作では悪いのは東京都民である)、この話は埼玉県というよりも自民党(含む公明党)がバカばっかしということである。

罰則があろうとなかろうと、条例を作ったらそれを守るのが原則である。守れなかったら守らなくていいと思っているとしたら、県民を代表する議員かということになる。延滞金さえ払えば、税金はいつ納めてもいいのだろうか。

この事件で嘆かわしく思うのは、マスコミやネットが騒ぎ出すまで、自民党県議団の中でチェック機能がまったく働かなかったということである。(ちなみに、埼玉県議会は自民・公明で2/3以上の議席を占める)

かつて議員といえば地元の有力者で、良くも悪しくも一家言ある人間であった。ところが、最近では議員は政党の公募だったり、YouTubeとかで有名になるとノリで選ばれてしまうため、一般常識もなければ自分の頭で考えることもしない。

住民が、あるいは大多数の国民が児童虐待と思っているのは、子どもに暴力を振るったりパチンコする間炎天下の車内に放置することであって、家で一時的に留守番をさせたり子供達だけで登下校することではない。

そして、学校や児童相談所が問題を把握してもきちんと対応せず、何も有効な対策がとられないことである。一般家庭に対してルールをきつくするのではなく、適確に対応するために行政や学校を動かさなければならない。

行政を動かすためには、それなりのノウハウが必要である。条例を決めれば後は県で考えろ。細則だとか罰則だとか予算措置なんて知るかなどというやり方が通るのは、北朝鮮とかそういう国だけである。三権分立とは、議員だけが偉いということではない。

それを彼らは、「条例を作れば行政が適切に対応する。理念は正しかったが説明が足りなかった」などとバカを上塗りしている。行政(と学校)が対応できていないのに、ルールを厳格化して住民を締め付けてどうするのだろうか。

かつて自民党県議団のリーダーといえば地元の重鎮で、若いのからこんな改正案が上げられてきたら「これはいかんわな。働くお母さんたちに怒られてしまうわな」とストップをかけたはずである。理念云々よりも、選挙に負けてしまうからである。

しかし、党議拘束だの仲間意識で、委員会で可決するまで与党は誰も反論しなかった。普通に考えれば(守られないことを前提にしなければ)ルール化するのは無理であるにもかかわらずである。

条例というのは地方自治体の法律にあたるもので、罰則があろうとなかろうと守るべきルールである。公共の場所では禁煙というルールがあれば、それを守るべきである。千円払えば破っていい訳ではない。

理念として掲げたいということであれば、県議会で議決したり(全会一致が基本だろう)、埼玉県の行動指針として定めればいいだけで、条例というのはやり過ぎである。まして通知義務など、江戸時代の五人組か。

まあ、埼玉県は自分の娘の名前を地名にしてしまう知事がいたくらいで、理念と現実、公私の区別がつかないし、それでも県を代表する立場になれる。次回の選挙で自民党の議席が減らなかったら、そういう土地柄ということになるのだろう。

[Oct 16, 2023]

「理念は正しいが説明が足りなかった」などと平気で言う時点で大馬鹿。条例とはどういう位置づけなのか、自民党は地方自治の基本から勉強し直すべきだろう。


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