なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。
ほとんどの人は何も考えていない NHK党ポスタージャック 悪ふざけしても殺されない社会
CO2削減は現代の魔女狩りか 小林製薬紅麹はどうなった?
多くの人が知るべきは殺人事件や大谷ですか
ゴールデンウィークがようやく終わり、NHKも平常ベースの編成となった。普段の番組編成でないと、1日のリズムが整わない。
いちばん嫌なのは、NHK-BSの海外ニュースが見られないことである。国内ニュースでは那須の殺人・死体遺棄事件、BSを見れば大谷ばっかりである。NHKは視聴者の知的水準を下げたくてやっているのかもしれない。
海外では、主要先進国のほとんどはガザとウクライナがいまだにトップニュースである。時々、どこかの高校で殺人事件があるとそれが報道されることもあるが、連日その続報ということはない。
ガザとウクライナの次は、異常気象である。いま世界各地で高温と多雨が深刻で、干ばつが起こっている地域がある一方で、洪水で町中が沈んだりしている。ドイツもフランスも、南半球でもそうである。
そういう災害が日本では起こっていないから関心が薄いのはある程度仕方ないが、ヨーロッパや南アメリカまで行かなくても中国では洪水被害が甚大だし、少なくとも飲食店だか不動産会社経営の夫婦が殺された事件を多くの人が知る必要はないと思う。
先週も、ジムのロビーで年寄りが大音量でTVの前に陣取り、殺人事件のニュースを見ていた。きっと耳が悪いのだろう。それはともかく、指示役とか仲介役とか実行役とか、警察発表の言葉をそのまま使ってどうしようというのだろう。△△容疑者でなぜいけないのか、全然分からない。
そしてスポーツ中継といえば、朝から大谷である。野球に興味がない人間には何の意味もない映像に、月二千円の視聴料と貴重な資源が使われている。食品ロス以上の無駄遣いではないだろうか。
正直なところ、ガザやウクライナの映像は胸が悪くなるものが少なくないけれど、殺人事件や大谷よりずっと多くの人達が知るべきニュースなのは間違いない。殺人事件に指示役・仲介役・実行役がいることが、政治経済のあるべき姿を考えたりリスクを回避するため役立つはずがないのである。
TVを見ればそんなんばっかり、ネットを見ればカネの話ばっかりである。きっと日本人の多くは、他人の見る目とカネの話が最も重要なことで、自分の頭で考えたり、何が大切なのかを判断することができないのだろう。
本来、他チャンネルというツールはさまざまの分野に散らばっている視聴者の関心に対応するものであったはずだが、GoogleやYouTubeにしたところでアクセスの多い動画ばかりをトップに持ってくる。いま、新聞・TVなどマスコミ離れの傾向が進んでいるが、いずれはネットからも離れるのではないかと想像している。
[May 14, 2024]
那須の殺人死体遺棄事件。三面記事なら分かるが、NHKが連日トップニュースでやる話じゃないだろうと思う。
紅麹は大騒ぎでPascoは素通り?
GWはなじみのパン屋さんが休みで、現金もあまりなかったので、奥さんは近くのスーパーでPascoの超熟5枚切りを買ってきた。特に深い考えがあった訳ではない。
ところがネットをみるとまさにスーパーで買ってきたその日に、Pascoの食パンが騒ぎを起こしていた。それも、超熟5枚切りである。異物が入っているとクレームがあり、調べたところネズミの死骸だったということだ。
NHKでも放送したと書いてあるけれど、少なくとも紅麹のように大騒ぎした訳ではない。いまのところ健康被害は生じていないということだが、ネズミが侵入するような製造ラインであることは確かで、不衛生極まりない。
Pascoはというと、当該ライン製品の自主回収で済ませたいようで、回収するのも「山型」超熟だけだそうだ。しかし普通に考えて、衛生環境や製造ラインの管理が1工場1ラインだけの問題である訳がない。
スーパーに返品も考えたが、すでにレシートは捨ててしまった。レシートも持たずにスーパーに行ったところで、「これは回収対象外です」で終わりである。もったいないけれど5枚切り1斤はそのまま生ゴミとなった。
紅麹を服用している人と食パンを食べる人とでは、少なくとも2桁、もしかすると3桁人数が違う。にもかかわらず紅麹は大騒ぎで、Pascoは素通りである。マスコミはいったいどういう価値判断でニュースを選んでいるのかと思う。
紅麹にしたところで、ニュースにするのは「予期せぬ成分が入っていた」までで、その成分が腎臓に悪いのか悪くないのか、紅麹そのものに問題があるのかないのかはどこも報道しない。きっとそこまで頭がよくないのだろう。
紅麹は大騒ぎとなったので、厚労省は調査に入らざるを得なくなったし、紅麹は全品回収である。かたやPascoには(ニュースをみる限り)調査も入らなければ、他ラインや他工場の商品はそのまま売っている。何かおかしい。
マスコミは、ネズミくらいで大騒ぎしないで下さい。ゴキブリだって鳥の糞だって入ってますよというつもりかもしれない。だが、紅麹よりネズミの方がよっぽど病原菌を持っている可能性が高いし、感染症の原因となったこともあるのは言うまでもない。
あるいは、Pascoよりヤマザキの方が不衛生で、それを承知でPascoを贔屓しているのだろうか。確かにヤマザキの不衛生さもよく知られているけれど、今回ネズミを混入させたのはヤマザキでなくPascoである。
安いものには安いだけの理由がある。流通コストを含め1斤200円以下で食パンを提供できるはずもなく、それはそういう原料、そういう製造管理のもと、保存料着色料膨張剤を大量に使ってその値段になっているのである。
わが家では大量生産のパンを食べることはほとんどなく、なじみのパン屋さんでその日焼いたものを買うことにしている。大量生産のパンの倍近い値段だが、その方が安心だし、そのくらいの値段は払うべきだと考えるからである。節約は、外食を減らしたりもっと違う方法ですればいいと思っている。
[May 18, 2024]
Pascoの食パンにネズミが混入していた事件。TV報道もおざなりだしスーパーでも特に注意喚起もせず売っている。紅麹であれだけ大騒ぎしたのに、同じ食品なのにこれだけ扱いが違うのは疑問。
つばさの党?ニュースにするとアクセスが増えるぞ
NHKが「つばさの党つばさの党」と大騒ぎしているので、なんで誰も知らない政治団体を公共の電波で宣伝しているのかと思っていたら、なんとNHK党の一派らしい。おそらく、こういうけしからん団体だと言いたいんだろうけど、逆効果のようでもある。
彼らにしてみたら、公職選挙法で逮捕されたって痛くも痒くもない。公職選挙法が怖いのは当選無効となったり、立候補できなくなるからであって、彼らの目的はYouTubeのアクセス数を増やすことだからである。
私のようにミニ政党やYouTubeに興味がない人間がNHKニュースを見て「何だろう」と思うくらいだから、彼らにしてみたらすごい宣伝効果である。アクセスが増えれば広告収入になるし、もしかすると数字そのものが生きがいなのかもしれない。
演説中の他候補の前で、拡声器で大声で妨害するのは公序良俗に反する。いまだに自由な選挙ができない国がいくつもある中で、平和ボケという非難は避けられないだろう。しかし個人的には、ちょっと違う感想をもっている。
ひとつは歴史的なもので、ローマ帝国の最盛期にはこうした大衆迎合的な風潮が高まり(YouTubeが大衆の興味に迎合していることは言うまでもない)、その後に暴君が出たり軍隊が実権を握ったりしてローマは衰退に向かった。日本もそうなってしまうんだろうという予感である。
もっとも、日本が衰退する前に私自身が消滅してしまうだろうから、心配してもはじまらない。永遠の愛も不滅の組織もない。すべては「風の前の塵に同じ」だと千年前から決まっている。
もうひとつは、YouTubeでひろゆき氏が言っていたことが、まさに当たっているなあと思ったことである。彼は、「宗教なんてなくていいと思っていたが、宗教がないと結局みんなおカネ教になる。そうすると、大多数の人は幸福になれない」と言っていた。
つばさの党がやっていることは崩壊学級のいじめっ子と同じで、あれがまともだと思う人はほとんどいない。しかし、権力・既存政党に対する抵抗という建前があって、広告収入という実益があるから、本人も周囲もそれでいいと思っている。
わが国古来の、神前に手を合わせるとか、空に大きな目があるので身を慎むといった「超自然的なものに対する敬意」は彼らには無縁のものであろう。おそらく、宗教の本質はそういうことで、商売がうまくいくとか病気が治るから宗教を信じる訳ではない。
彼らにしたら「そんなもの信じても一銭の得にもならない」ということだろうが、そのレトリックでいうなら「おカネをいくら集めてもきりがないし、それで幸福にはならない」ともいえる。
選挙なんてはた迷惑になるだけで、選挙カーも駅前演説も本来禁止すべきだと思う。民主主義のコストと思うからあきらめているだけである。それを悪用して自分達の広告収入にしようという連中には、いずれ天罰が下るであろう。そんなものはないと言うだろうが。
[May 20, 2024]
つばさの党に関心はないが、NHKでニュースにするからそれは何なんだろうと思う。彼らもそれでアクセスが増えるから、逮捕されてもVサインなんか出すんだろう。いずれ天罰が下るであろう。
ほとんどの人は何も考えていない
さいきん立て続けに「何だこれは」という目に遭った。ほとんどの人は何も考えていないとつくづく感じるし、世の中を少しでもよくするため自分も何かしようという気がなくなる。
諺に「天網恢恢疎にして漏らさず」というし、アダム・スミスは「神の見えざる手」と言ったけれど、実際のところ悪人は栄えるし善人は損をする。マーケットが決めるのは価格だけで、需要を増やすことも供給を増やすこともできない。
私が世の中に求めるレベルは、「嘘をつかないでくれ」と「約束を守ってくれ」というレベルである。残念ながら大企業や世の中を動かす人々はそのレベルにも達していない。自分達が儲けるためには、嘘も平気だし約束など守らない。下がそうだということは、そういう人間が出世して模範となっているからである。
嘘をついて他人を惑わすのはよくないし、約束は原則として守るべきだ。もちろん綺麗事だけで済むものではないが、少なくとも建前として守る姿勢がほしい。それがなくなったのが、アベノミクス(マスク?)の最大の問題点だと思っている。
私の育った昭和30年代はまだ日本全国貧乏だったし、生活環境も衛生環境もよくなかった。街を歩けばツバを吐く奴吸い殻を捨てる奴が山ほどいたし、横断歩道があっても車は止まらなかった。
切符を買うにも電気製品を買うにも駅や店に行かなければならなかったし、米や酒は家まで届けてもらわなければならなかった。いまと比べるとたいへん不便な世の中であった。
それでもよかったことはいくつかあって、戦争に負けてまだ間もなかったので、民主主義とか平等ということが建前だけでも重んじられていた。学校に行けば体罰もいじめもあったけれど、少なくとも生徒同士は同等であることが保障されていたように思う。少なくとも、誰とかは元華族だとか先祖は武士だとか聞いたことがない。
ところがある時期から、勉強ができる生徒はできない生徒より偉い、友達の多い奴は少ない奴より偉い、カネ持ちは貧乏人より偉いということになった。小さい時からそういう価値観に慣れて育ってきた子供達は、そういう大人になる。
多くの人は、面識もなく何の得にもならない人間は存在しないと思っている。自分以外は実在しないというアイデアは精神の平衡を保つために有効であるが、そういう人間が他者と関わったり、まして公職についてはならない。存在しない他者の痛みが分かるはずがないからである。
勘案しなければならないのは仲間内だけ、へりくだるのはおカネに対してだけ、四半期より先のことは考える必要がないというネコ並み頭の持ち主がいまの世の中を動かしている。悲しいことである。
でも、そうやってカネのあるなし、自分に損か得かで判断していると、世の中はどんどん住みにくくなっていくように思える。情けは人のためならず。カネがない奴を侮っていれば、いつか自分自身が軽んじられることになりはしないか。少なくとも、損得でいえば結婚するのも家族を作るのも短期的には損である。少子化も当り前である。
別に侮られようと軽んじられようと構わないけれども、不愉快な思いをするような場所にできるだけ近づかないようにしようと考える。そこから、自分が行かない場所は掃除しない、自分が関わらない人がどうなろうと構わないという考え方まですぐである。
そんなことを考えて、いろんなことから徐々に距離をおくようになってきている。ストレスは不健康につながり、不健康は人生の満足度を少なくする。この歳になって、わざわざ嫌なことをする必要はない。住みにくい社会になるかもしれないが、私がいるのもあと数十年の話だ。
[Jun 18, 2024]
いまの日本に菩提達磨がいたら、面壁九年座禅を組み続けることはできるだろうか。
NHK党ポスタージャックの感想
NHK党が都知事選でまた騒ぎを起こしている。良識ある人々の多くは不快に感じているはずだが、面白がっている人が一定数いることも間違いないので(だから政党補助金が出ている)、選管も警察も行政も何もできないだろう。
私は都民ではないし、党首の顔は嫌いだし、YouTubeも決まった動画しか見ないからニュースで目に入らなければ知らなかったことだし、関係ないといえば関係ない。ただ、こういう事態は十分考えられたのに、何も準備しなかった立法・行政・地方自治の人達はNHK党よりずいぶん頭が悪いと思う。
選挙制度を売名のために使う人達がいることは前から分かっていたし、何年か前ブログに書いたこともある。そんなことをしていると、いまに中国やロシアのようになると言ったところで、彼らには分からない。将来のことを考える頭がないからである。
選挙制度というものがあって、税金を使って広報宣伝してくれる。供託金と広報メリットを秤にかけて、メリットが大きければ利用しないのは目の前のカネに手を出さないのと同じ。あとは、いかに注目を集めるかである。
いい悪いを別にすると、やってることはたけしやさんま、めちゃイケやイッテQと変わらない。違うのは、彼らの場合はTV局というフィルターがかかるので、一定数以上の視聴者が見込める(視聴率がとれる)ものでないと電波に乘らないことであった。
いまの時代は、その「一定数」の閾値が急激に下がっている。NHK党の得票率は1%くらいだが、TVで1%の視聴率では番組打ち切りである。選挙で1%取れば、やり方によっては政党補助金が出る。
政党補助金をもらうのは大変だが、こうして話題になってYouTubeのアクセスが伸びれば、それで彼らとしては御の字である。アクセスが伸びればGoogleからおカネがもらえる。そのおおもとは広告料である。
新聞やTVがタダで広告宣伝してくれることに加え、選管のポスター掲示は津々浦々になされるし、NHKで政見放送も流してもらえる。人目に立つ場所に看板を立てれば警察や行政がうるさいが、選挙ポスターの体裁にすれば選挙期間中は文句を言われない。
だからこうした選挙制度を使った広告宣伝をやらせないようにするには、供託金を上げるか、ポスター掲示・政見放送をやめるかしかない。でもそうしてしまうと、本当に民主政治の危機となった場合に選挙活動ができなくなるおそれがある。
個人的には、マイクを使って街宣車で候補者名を連呼される方が、選挙公告にヌードポスターを貼られるよりもっと嫌だが(見なければいい話だから)、独裁政治とどっちがましかということになる。選挙は行われても独裁者の認める候補者しか出られないなら、イランや中国、ロシアと同じである。
いまの日本で独裁政治になるはずがないという見方には、私は同意しない。80年前のことまで遡らなくても、少し前まで住んでいたマンションの管理組合で、みんな委任状を出すのをいいことに独裁していた理事長がいた。日本は、そういう人達が出現する風土なのである。選挙制度を自分の利益のために使おうという連中と、実はよく似た人達なのである。
[Jun 25, 2024]
NHK党のポスタージャック。民主政治は当り前で、選挙制度を使っていかに自分が得するか考えればこういうアイデアは出てくる。独裁政治とどっちがましかということである。
悪ふざけしても殺されない社会
先日東京都知事選があり、先週はわが印西市長選があった。結果は別ブログに書いたけれど、気づいたことがあったので忘れないうちに書いておく。 若い時は、なぜ年寄りばかり選挙に出るんだろう。もっと若い人が政治を動かさないといけないと思ったものだが、いつのまにか選挙に出るのは自分より若い人ばかりになってしまった。 それはいいのだけれど、都知事選のポスタージャックにしても、市長選に出た一部の候補にしても、よりよい社会を作ろうという意志がまったくなく、自分のキャリアアップのため、知名度を上げるため、YouTubeの再生数を増やすために立候補したように見えた。 もしかすると、若い世代の人達にとって選挙はイベントであり、供託金を出せば楽しんで何が悪いという考えなのだろうが、私の若い頃はそうではなかった。政治絡みの主義主張のわずかな違い、まじめに行動しないことが命にかかわるような事例が多くあったのである。 大学受験の少し前に安田講堂事件があり、その年東大の入試は行われなかった。銀行に入った時先輩の人から、「俺の年には東大は受けられなかったんだよ」という話を聞いた。 当時の大学にはまだ不穏な空気が残っていて、大きなベニヤ板にペンキで「粉砕」と書かれた立て看板があったし、授業中にヘルメットをかぶった人達が入ってきて「授業を中止してくれ。俺達が話をするから」なんてことも何度かあった。 もしそんな時に「興味ないですから」と教室から出ようものなら、周りを囲まれてアジトに連れていかれ、鉄パイプや釘付きの角材で殴られるような危険があった。実際、当時内ゲバで何人も死んでいる。連合赤軍リンチ殺人事件も、あさま山荘事件も、毛沢東の文化大革命もその時代である。 だから、政治絡み、選挙絡みで軽はずみな行動をしたり、悪ふざけしたら命にかかわると思っていた。そうでなくても、赤尾敏総裁のポスターと並んであのNHK党ポスターが貼られたとしたら、愛国党が黙っていなかっただろう。 赤尾敏総裁のポスターの周りにこれが貼られたら、愛国党はどうしただろう。当時からドクター中松は立候補してたけど。 しかしそれから半世紀。学生運動も、共産革命も、ブルジョワジー粉砕も、現実味のあるものではなくなった。いまの人達にとって現実なのは、オリンピックであり大谷である。 だから、選挙は税金で広告費を出してもらえるから、自分の宣伝のために使わないのはバカだし、政治信条も言論も自由だから誰にも何も言われないのが当然ということになった。かつて、真剣に運動に取り組まないことでリンチされたり殺されたりした時代があったにもかかわらず。 印西市長選で、自分は市長になって何を実現するのかではなく、「印西初の女性市長」「史上最年少市長」という候補がいた。彼らにとって選挙とは、ギネス世界記録への挑戦みたいに、記録を作るためのものだった訳である。 もちろん、主義主張で殺される社会よりかなりましであることは確かだけれど、この風潮が行き着く先はどこなのか心配である。歴史の示すところ、ポピュリズムの次に来るのは軍隊の専制でほぼ間違いないのだけれど。 [Jul 26, 2024]
CO2削減は現代の魔女狩りか
2024年7月は、観測史上もっとも暑い7月だそうだ。梅雨の前から暑くて、梅雨の間も暑く、梅雨明けはさらに暑い。花粉症の薬を飲まなくなったと思ったらもう真夏である。 誰に文句を言える訳でもないが、こうなると誰か悪者になってもらわないとおさまらない。昔は疫病や自然災害は為政者である王の不徳の致すところで、少なくとも元号くらい変えないとおさまりがつかなかった。いまは科学万能なので、皇室の不行跡が原因とは誰も言わない。 最近読んだ本によるとヨーロッパも同様で、しかも17世紀に入ってからも、天災や疫病は魔女のしわざとされていた。当時のベストセラー「魔女に与える鉄槌」は活版印刷が普及した後に部数を急激に伸ばし、教会関係者必読の書となった。 活版印刷というと、宗教改革の契機となり近代化の発端である技術という印象があるが、この本は魔女を見つけ出す方法や自白のさせ方、死刑にすることの教義上の正当性などを周知徹底する参考書であった。近代化とはまったく逆の方向性である。 日本では、織田信長が「天罰や仏罰はない」と比叡山を焼き討ちしたのは16世紀末である。それより新しい時代に、ヨーロッパでは魔女を信じていた訳である。15世紀から17世紀にかけて、欧米で魔女裁判により死刑となった女性は数万人に及ぶとされる。 400~500年前のヨーロッパでは、伝染病や自然災害は魔女のしわざとされ、多くの女達が魔女裁判で死刑判決を受けた。現代の地球温暖化はそれに近いと言ったら、環境保護派に怒られそうだ。 わずか400~500年前まで、今も昔も先進地域とされる欧米で、魔女の存在を多くの人達が信じていたということに驚く。それは、科学が力を持つまで続き、ガリレオやレオナルド・ダ・ヴィンチも教会から異端とされないよう注意したという。 自然災害はともかく、疫病を防ぐには魔女を見つけるより衛生管理が有効だが、当時の医者や病院は不潔きわまりなく、外科医は手術にあたり消毒もしなかったらしい。何しろ、外傷を負ったら、傷口に薬を塗るより刃物に塗った方が治りがよかったという話である(薬を塗るとかえって悪化した)。 説明がつかないことに対して諸悪の根源を見つけなければ気が済まないというのは、アングロサクソンとか欧米の人達に共通する性質なのではないか。だから温暖化も、化石燃料撤廃とか温室効果ガス削減とか言うけれども、魔女狩りと同じでことの本質はそこではないという気がする。 昨今、地球全体が温暖化しているのは間違いないことだが、人間が何かすることによる影響は100年で平均気温が1~2℃上がる程度の話で、人間がいなくても地球の平均気温は10℃も20℃も乱高下していた。氷河期があったことがそれを証明している。 化石燃料の使用でCO2が増えてそれが原因で気温が若干上がったとしても、影響度としてはせいぜい10分の1とか20分の1。温室効果ガス削減が予定どおりできたとしても、温暖化は止まらない。プレートテクトニクスや自転・公転を止められないのと一緒のことである。 だから、石油石炭を使わないでどうにかしようというのは、魔女狩りで諸悪の根源を罰したから疫病が退散するだろうというのと同じことである。魔女狩りをするより祇園祭をやった方が平和だし、少なくとも経済効果はある(祇園祭はもともと怨霊退散を祈るお祭り)。 太陽光発電ならCO2は増えないとはいっても、太陽光発電装置を作るのは太陽光発電の電力では間に合わない。すぐ暖まろうと思って太陽光では間に合わないから焚火をするのだし、太陽は将来的に地球を飲み込むまで拡大するから持続可能ではない。原発はCO₂を発生させないが、事故が起これば人が住めなくなる。 人間がいるのが環境によくないというのが真実に限りなく近いと思うが、欧米人は「人間がいるから」と考えず「自分以外の人間がいるから」と考える。少なくとも、ヒステリックに温暖化対策を主張するのは、魔女狩り以来の血が騒ぐからと考えるのがいいかもしれない。 [Jul 29, 2024]
小林製薬紅麹はどうなった?
あれだけ大騒ぎした小林製薬紅麹事件、追報がいっこうに出てこない。原因が衛生管理にあるならすぐ分かっていいはずだし、追加試験に時間がかかるとしても5ヶ月経って何も分からないのは何か妙である。 このまま時間が経てば、そんな事件ありましたっけで終わる可能性も出てきた。最初にブログに書いたように、紅麹自体かなり前からEUでは健康被害が出ていて、使用禁止である。毒と薬は紙一重だから、そういうことだってあるだろう。 紅麹コレステヘルプこそ飲んでいないものの、私自身もかれこれ6~7年サプリメントのお世話になっている。今回の一件で改めて分かったのは、薬品の安全性については相当厳しく管理されているものの、サプリメントの安全性はあまりよく調べられていないということである。 老い先短いわが身としては、小林製薬けしからんとか、厚生労働省何やってるんだなんてことに神経をとがらすよりも、何に気をつければひどい目に遭わなくてすむか熟慮することが重要である。その意味で、サプリメント全般を見直すいい機会なのかもしれない。 どんな食品にも体によくないものが含まれている可能性があるし、ふぐや貝、毒キノコを食べて死ぬ人は昔から数多くいる。素手で調理してO-157やポツリヌス菌、黄色ブドウ球菌でひどい目に遭う人もいる。ただ、サプリメントが怖いところは、普通の食品でありえない濃度・分量が一度に体に入ることである。 1粒でレモン何十個分とかシジミ何十個分とかいう触れ込みで宣伝しているサプリメントだが、効能が何十倍なら副作用も何十倍になる理屈である。どんな成分だって摂り過ぎれば中毒になるし、特定の成分に弱い体質の人は必ずいる。 一方で、医薬品の治験では副作用(最近は副反応という)の有無をかなり厳密に審査していて、処方する際は必ず情報提供しなければならない。それでも効果・効能の方が大きいから、医薬品として認可されている訳である。 ところが、サプリメントは販売にあたってそこまで審査していない。衛生面については少しくらい考慮されているとしても、短期的ないし長期的な健康への影響については、ほとんどノーチェックである。お口に合わなければお求めいただかなくて結構ですというレベルである。 だから、処方薬のように毎朝サプリを飲むというのは、考えようによってはかなり危険である。もちろん。牛乳やヤクルトを毎朝飲む人は珍しくないのだが、サプリメントは自然食品では考えられない濃度・分量なのである。 サプリメントには、分量以上飲んでも効果が上がるものではありませんとわざわざ書いてある。書いてあるということは、多量に摂取した場合のリスクについて、メーカーもあまり自信がないからではないのか。 そんなこともあって、ここ数年続けてきた毎朝のサプリメントを少し見直そうと思っている。ビタミンBやビタミンCはある程度安全だと分かっているし、摂り過ぎても排泄されるだけだからいいとしても、あとは中身をよく見て判断すべきかもしれない。 体調がよくないのを改善するのであれば、やっぱりサプリメントより医薬品。効果のあるなしもそうだが、安全性が全然違う。健康被害が出ても原因究明すら迅速に行われないのをみても、宣伝に踊らされてはいけないと改めて思う。 [Aug 28, 2024] 小林製薬紅麹事件で、腎不全等の健康被害が出ていると報道されたが、原因究明は進まず報道も途切れがちである。こうなると、サプリメント全般を見直す機会なのかと感じざるを得ない。