なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。

米価急騰、どこが買い占め?   トランプvsゼレンスキー   カネと個人情報、どちらを取るか
今治の山火事はお遍路で通った場所   トランプ関税騒ぎ   GWの旅行客が減る
うさんくさい話と警察     

お米の値段が急騰、どこが買い占め?

昨年夏、お米が品薄となり急に値段が上がった。新米との端境期なので収穫が進めば落ち着くという話だったが、年を越して春になろうというのにまったく値段は下がらない。

わが家では、糖質制限以来白飯を食べることはあまりないから、スーパーで値上りは感じるけれども影響はあまりない。お米と卵は多少値段を上げないと作る方がやってられないと思うくらいだが、食べ盛りの子供がいる家はそんな悠長なことは言っていられないだろう。

 

とはいえ、子供の数はどんどん減っているし、高齢者を含めた人口自体が少なくなっているのだから、コメの需要が減っていることは間違いない。にもかかわらず値段が下がらないとすれば、誰が買っているのかということである。考えられるのは、自分が食べるのではないということである。

自分で食べるものなら何ヶ月分も備蓄しても仕方がないし、お米が高ければパンやうどんという選択肢もある。自分が食べるのではないセクターが買っているから、どのくらい備蓄すればいいかも考えないし他の選択肢もない。

千葉ニュー近郊の農家には昨夏以来業者が買い付けに来ていて、秋に収穫したコメはあらかた売れてしまったらしい。いつもの年なら地元の産直で売っているのに、ほとんどない。業者の思惑は、さらに値上がりを見込んだ買い占めか、あるいは外食産業である。

買い占めてもさらに高く売れるかどうかは相場次第だし、在庫で保管するにも費用がかかる。新米が出れば値段も下がる。だから非常にリスクの大きい話なのだが、外食産業に売るとなると別だ。注文どおり揃えられなければ取引が切られてしまうので、嫌でも在庫しなければならない。

回転寿司や和食ファミレスに限らず、牛丼だろうがカレーだろうが米は必ず使うし、産地指定・品種指定はいまや当り前である。給食産業、学校給食や職場の食堂でも使う。みんなが仕入れれば、あっという間に需給ひっ迫せざるを得ない。聞くところによると、関西万博の特需も関係しているらしい。

そういうことがないように食管法があり、コメの価格は公定だったのだが、マーケットに任せるべきとの声に押されていまのやり方になった。マーケットに任せるということは何かあったら値上りするのはやむを得ないということだから、こうして値上りするのは当然の帰結である。電気代・ガス代と一緒である。

政府備蓄米のもともとの趣旨は江戸時代の兵糧米と同じで、籠城しなければならない場合や飢饉に備えたものである。いまの時代であれば、小麦製品が輸入できないとか、凶作で食べるものがないという事態である。いまはそうではない。値段が上がるのは当然の帰結で、他の商品より相対的に市場競争力が上がっただけのことである。

いまの世の中で禁輸や凶作があり得ないと思っている人がいるとすればおめでたい限りで、アクシデントは予想もしない時にやってくる。おカネは何より大切だと言って万一の備えを怠って平気なのだとしたら、そういう事態は遠からずやってくる可能性が大だろう。

それはそうなのだが、白米5kgが5,000円に値上がりしたとして、それでもお米は安いとひろゆきが言っていた。そのとおりだと思う。

 

お米の値段が昨夏以降下がらない。近々、政府備蓄米が放出される予定であるが、この品薄は実需ではなさそうな気配である。

トランプvsゼレンスキーに思うこと

先週のビッグニュースは、トランプ/ゼレンスキーの交渉が決裂し、ウクライナ和平が遠のいた(ように見える)件である。トランプにとってみればウクライナもカナダやメキシコと同じ、まず一発脅しをかけておくのが交渉の常道ということで、言っていることは予想できた範囲内である。

それではなぜゼレンスキーがのこのこ出かけて行ったかというと、現実にアメリカが最大の支援国であり、資本主義的な考え方からすればゼレンスキーが頭を下げてお願いに行く筋だからである。ウクナイナはEC、NATO加盟を目指し資本主義陣営入りを模索している以上、この考え方を受け入れなくてはならない。

トランプは、俺が大統領ならウクライナもガザも戦争はすぐ終わると大言壮語して当選した。米国本土が戦場にならなければ、戦争が続くだけ兵器産業の好景気は続くし、米国の支援など値引きだと思えば痛くもかゆくもない。交渉が決裂しても、自分のせいじゃないと言えるから全然構わない。

そして、トランプは仲介に入ろうとしている訳だから、最初から国際法とか世界秩序、正義などと言っては、まとまるものもまとまらない。ロシアを交渉に引っ張り出すためには、まずロシアを持ち上げる必要がある。ウクライナは資金を援助する立場だから、冷たくしたってこちらを頼らざるを得ない。

停戦のためにはウクライナが大幅に譲歩しなければならないが、そのためにはウクライナの立場に最初から理解を示してはうまくいかない。だから、ファーストオファーは極めてロシア寄りで、交渉の結果少しはウクライナの顔も立てるみたいな進行を目指すのではないだろうか。


ウクライナの最大の主張点は、これは一方的なロシアからの攻撃で、国際法や世界秩序の観点から許されない。見過ごせば次の国・地域で同じことが起きるということである。そして、第二次大戦後の国連による世界秩序維持の建前からするとまさに正論で、本来ロシアはすみやかに撤退しなければならない。

ところが、現実世界は理想どおりに進まない。停戦するにはロシアの主張を大幅に取り入れざるを得ない。いつまでも戦争を続けることは信義的に許されないが、国際法や世界秩序を軽視するのはポリティカルにコレクトではない。あちらを立てればこちらが立たない。

だから民主党政権下では許されなかったこうした交渉は、実は米国民の多くがこうすればいいのにと思っていたことである。これは、力のないものは力のあるものにひれ伏すのは仕方がないし、カネがない者はある者に頭を下げるのは当然ということである。資本主義の考え方を突き詰めるとそうなる。

トランプの、というか米国共和党のこうした考え方は危険と隣り合わせである。米国は軍事大国で世界一の金持ちだから、次の世界大戦でも高見の見物ができると思うからそうなるが、いつまでもそうとは限らない。そして、弱小国家が生き残りを図ろうとすれば核武装しかないことになる(北朝鮮である)。

そして、軍事大国が横車を押そうとすれば、弱小国が束になってもこれを阻止する手立てがないということでもある。ロシアはクリミア半島を領有するだろうし、中国が台湾に侵攻しても誰も止められない。アメリカ自体グリーンランドが欲しいくらいである。

私の生きている間はこれらの国々が強い状況は変わらないが、400~500年経てばどうなるか分からない。かつて世界一の軍事国家スペインは、世界一の金持ちのひとつインカ帝国を滅ぼした。米国がインカ帝国にならないと断言することは、できそうにない。

[Mar 3, 2025]


わざわざアメリカまで無駄足を運ばされたゼレンスキー。トランプ流のディールだが、これを認めると第二次世界大戦後の世界秩序維持が不可能になる。米国にとってそれは困らないかもしれない。

カネと個人情報、どちらを取るか

三叉神経痛で動けなかった間、YouTubeでライバー殺人事件の関連動画を見ていた。ネット上ではいただき女子なので殺されても仕方ないという論調が多いらしいが、私が思うのは自分の個人情報を世間に流してしまう危険である。

カネがすべての世の中なので、ライブ配信で投げ銭がいただければ儲かるじゃないかという発想が当り前になっている。若くてかわいければファンは付くから、少なからず収入にはなるだろう。しかし半世紀前には、そういうやり方で自らの存在を世間に「さらす」ことは危ないとされていた。

以前このブログで、悪ふざけしても殺されないと思っているからNHK党みたいなことをすると書いたが、つい先日実際に殺されかけた。本人はアクセスが増えると思っているだけかもしれないが、鉈で殴られたら確率の問題で死んだり深刻な障害が残っただろうことをもう少し考えた方がいい。

 

半世紀前には、芸能界なんて水商売と同じで、普通の家の子が関わるものではないとされていた。おそらくそれが変わったのは秋元とつんくのせいなのだが、それはまた別の話。さらに前の時代になると、小説家さえ良家の子女がするものではないと思われていたと曽野綾子が書いている。

現代は歌舞伎役者一門が日本の名家みたいに思われているが、歴史をさかのぼれば芸能に携わっていたのは賤民で、歌舞伎役者だって差別されていた。室町・江戸幕府が能・狂言を好んだから地位が上がったけれど、皇室や藤原家と肩を並べられる立場ではなかった。

そして、群れの中で目立たないことは進化論的な根拠がある。外敵に狙われる場合、目立つことは命の危険に直結するからである。魚でも動物でも、群れているのはその方が安全だからで、単独でいたり群れの中で目立ったりすれば狙われやすくなる。そうでない個体が生き残ってきた。

人間には捕食動物がいないし、部族同士で殺しあうことも少ないから、目立ってカネになった方がいいじゃないかと思う個体も出てくる。しかし、状況が変われば、それがいつまで通用するか怪しいものである。NHK党みたいなことになるかもしれない。

 

話は戻って、ライバーと呼ばれる人達についてである。彼ら彼女らは、個人情報、顔と名前を知られること、いつどこで何をしているか知られることにメリットがあると思っているようだ。その代償はカネで、おカネがあれば好きなことができるということなのだと思われる。

貨幣というものはそれ自体に価値はない。彼らが求めているのは貨幣と交換できるもの、おそらくブランド品やホストクラブでちやほやされることなのだろう。私だって、海外旅行やカシノで楽しい時間を過ごしたから、その気持ちは分かる。しかし、個人情報を他人に渡して、それに見合う価値があるのかどうか。

食べるものがないとか、住むところがなければきれい事は言っていられない。でも、ブランド品やホストクラブ、カシノや海外旅行はなくて困るものではない。たまたまそういう機会があればそれで楽しい時間を過ごすのもいいだろうが、リスクを冒してまですることではないと私なら思う。

高田馬場で殺されたライバーは、「おぢ」から引っ張って借金させたあげく、裁判所の支払命令も出ているのに顔出ししてライブ配信していたという。普通なら所在をくらませてほとぼりがさめるのを待つところ、あえて稼ぎに出た訳である。誰かのところに転がり込んでいたというからそこまでする必要はなく、あまり頭がよくなかったのか、どうしてもホストに貢ぎたかったのか。

十年近くの懲役が確定して服役中のいただき女子「りりちゃん」とも比較されているけれど、りりちゃんは1億数千万、ライバーは数百万。りりちゃんは牢屋で、ライバーはあの世である。どちらが得か、比べるまでもない。そして、りりちゃんが出所する頃には、ほとんどの人は彼女のことなど覚えていない。

[Mar 19, 2025]


いまや、個人情報をカネに代えようという流れが主流になりつつある。私などは歩いていて個人を特定されるのは不快であるが、みんなに知られるのが素敵と思う人達も少なくない。(画像は記事と関係ありません)


ライバー殺人事件の動画を立て続けに見ていたら、おすすめにまじめ風な女の子の動画が上がってきた。見てみると、結構面白い。

「たぬかな」という子で、何年か前から活動しているようだ。言ってることは比較的まともで、私などから見ると若くてかわいい細木数子といった趣きであるが、何本か動画を見ているうちに少し考えさせられた。(細木数子もミス渋谷か何かで、若いころはかなりかわいかったらしい)

というのは、たぬかな曰く「30点とか50点の男に、女なんか付かない」。それは現在において否定しようのない事実で、こども家庭庁とかの関係者もよく聞いてほしいところだが、この子が生まれた時にはすでに男女雇用平等法があって、そういう世の中が当り前と思ってこれまで過ごしてきたんだなーということである。

この子が就職したのは地方(徳島)で、その頃まだセクハラがあったというから、結構苦労したのである。まだ30代前半だから、21世紀に入ってもそういう職場があったのには少し驚く。

そして、ゲーマーとしてプロダクションに所属していた時、「身長170cm以下の男に人権なんかない」とネット上で発言して炎上、プロダクションを辞めなければならなかった。人権がないというのはゲーマーのスラングで「そのステージに挑戦する資格がない」ということだそうで、別に基本的人権のことを指しているのではないらしいのだが。(「私に挑戦する資格はない」と言うのはそれはそれでハードではある)

 

話は戻って、私の就職した昭和55年には、まだ男女雇用平等法はなかった。それでも、男女平等の建前は浸透しつつあり、条件は違うものの男性社員も女性社員も正社員として採用されていた。ところが昭和30~40年代にはそれすらなく、女性が正社員として就職することはコネがない限り無理であった。

だから、暴力亭主に耐えかねて逃げ出さざるを得ない女性が働く場所もなく、それを憂えた福富太郎がキャバレーで大量雇用したのだが、逆に言えば水商売しか働く場所がなかったということである。

そういう時代には、男が30点とか50点とか格付けすることも難しい。別れてもその日から生活に困るのでは離婚も別居もできない。最初から嫁に行かなければ実家にいるしかないが、半分以上の家が農家の時代で、どこの家にもそんな余裕はない。

細木数子はそういう時代のことを知っているから、卵1個10円はおかしいとは言っても、納得いく男がいなければ女は独身でいればいいとは言わなかった(私が知らないだけで言ったかもしれない)。婚家を飛び出して一人で生きてきた人だから言ってもおかしくなかったし、だから似ていると感じるのだろう。

それはそれとして、女性の職場が確保されていて、結婚するしないは個人の自由という世の中は、生活のために嫁に行き、つらくても耐えなければならない世の中よりずっといいことは間違いない。その結果男の半分が生涯独身だったり、少子化が進むのはやむを得ないことである。

だから、少子化を改善するためには、男女雇用平等法前の時代に戻すか、移民を大規模に入れるしかない。しかし、雇用法前に戻すのは南アフリカをアパルトヘイトの時代に戻すようなもので無理だし、移民を入れればヨーロッパ各国のようになる。

正直なところ、みんなが幸せに暮らすことは、日本の人口が減り国力が衰退することよりも優先度が高いということになるだろう。たぬかなの動画を見てそんなことを思っている。

[Mar 21, 2025]

毒舌YouTuber(正確にはYouTubeでなくTwitch)たぬかな。現代感覚の細木数子といった趣きで、結構面白い。

今治の山火事はお遍路で通った場所

今治市山火事のニュースを見ていたら、少し前に歩いた場所の景色がよく映された。今治湯ノ浦温泉の高速IC付近は四国遍路歩きで、仙遊寺から下って国分寺経由壬生川に向かう時のルートである。

五十八番仙遊寺は八十八ヶ所の中でも有名なお寺で、ここの宿坊に泊って精進料理とご住職の長い話を味わうお遍路は多い。私もその日程で、翌朝山を下って五十九番国分寺へ、そしていくつかの旧跡を歩いて特急停車駅の壬生川(にゅうかわ)に向かう計画であった。

お粥主体の精進料理なので、仙遊寺の後はエネルギー切れに注意という言い伝えがあるのに、これを軽視して空腹に悩まされたのもなつかしい。道の駅の食堂で海鮮丼を注文したものの、予想に反してアジの刺身の上に生卵をかけたものが出てきて泣きそうになった。

私は生卵がダメである。泣く泣く、卵のない場所を3分の1くらい取り分けて食べたが、それでもエネルギーが回復したからよほどHPが足りなかったということであった。

 

この道の駅周辺が、山火事のニュースでよく映像が出てくる。漆器会館の案内表示も、国道脇で目立っていた。ここから西に入ったあたりに山火事が広がっていて、消火対応の基地になっている。そして、道の駅の少し先で国道と県道が分かれるのだが、私は県道を世田薬師方面に向かったのである。

当時の記録を読むと、予想以上の登り坂で国道を行けばよかったみたいなことを書いてある。そして、この県道がまさに、延焼のおそれがあるので通行止になっている県道159号(下図)であり、登り坂のあった上に山火事が広がっているのである。

先週末にまとまった雨が降り、徐々に鎮火しつつあるのは幸いなことであった。ともあれ、日本全国が空港と新幹線で結ばれ、不便な場所などないという印象があるけれども、四国にはまだまだ辺鄙な場所が残されていて、このあたりもその一つである。

今治は愛媛では松山に次ぐ地方都市だが、当時は全国区のビジネスホテルがなかったし、この経路の壬生川にも伊予小松にもない。歩くと2日かかる川之江あたりまで行ってようやくスーパーホテルがあるくらいであった。

四国お遍路では高知の足摺岬周辺が江戸時代から人里離れた地と言われているけれど、瀬戸内のこのあたりも結構厳しい。特急はすべての駅に止まる訳ではなく、高速道路もICがなければ入れない。対岸に交通の便がいい本州が見えていても、四国に入るとかなり不便である。

今治山火事のニュースを見て、そんなことを思い出していた。四国逆回りは経済的な問題から先送りになっているが、そうしている間に健康上の問題で長旅は難しくなりつつある。一度歩いて回れただけでも、得難い経験だったかもしれない。

[Apr 1, 2025] 


今治で山火事が発生しているのは、少し前に遍路歩きで通った道である。通行止めになっている県道159号も歩いた。(出典:愛媛新聞ONLINE)

トランプ関税騒ぎ・株を持ってなくてよかった

今月初めからのトランプ大統領の相互関税騒ぎを見ていて、つくづく思うのは株を持ってなくてよかったということである。

トランプのやり方はうさんくさいと言う以外ないが、財政政策や貿易政策を差配するのは行政の役割であり権利だから他国がどうこう言えない。とはいえ、世界一の権力者がそれを恣意的に運用すれば、為替も株式も、金融市場も思うままに操作できる。

相互関税の最初のニュースで世界中の富が数百兆円失われ、その後の反発で数百兆円回復した。持ち続けていれば損も得もないが、売った人と買った人は同じではない。損した人の合計も、得した人の合計も、おそらく数兆円規模以上にのぼる。

そして、少なくともトランプ周辺はシナリオを知っていたはずだから、暴落した時に買うこともできた。もちろんインサイダーで見つかれば有罪だが、韓国であれば内乱罪みたいなことをしても有罪にできないトランプが、そんなことを恐れることも気にすることもない。これで次の選挙資金ができたと思っていてもおかしくない。

もともとトランプは不動産屋である。日本の昔の言葉で山師というのがあったが、それに近い。嘘も強弁も、恫喝や詐欺まがいも平気。現ナマが何より大切、それで美人の女房を世界から探すことができた。そういう人間を大統領にするのだから、共和党も米国人もモラルが低い。

 

そういう訳で、トランプがすることをいちいち気にしないのがメンタル的に一番いい。コールすると全ハンドレイズしてくる奴のようなもので、自分だけゲームを楽しめば他人のことなどお構いなしなのだ。ライブゲームなら席を立つだけである。とはいえ、もし自分が株なり為替なりでポジションを持っていたら、そんな悠長なことは言っていられない。

私はすでに持ち株の大半を売ってしまって、長期保有の配当・優待株だけである。就職した会社の持株会で株を始め、その後余裕資金でいろいろ売り買いした。昭和時代はまだ無償増資が結構あって、ある日突然持ち株が増えるととてもうれしかった。富士通やエニックスで、何度か無償増資の恩恵を受けたのも今は昔である。

そんな時代にトランプみたいに口先三寸で市場をもてあそぶ人間がいたら、仮に損をしなかったとしても、相当ストレスがたまったことだろう。昔から、FRB議長でも日銀総裁でも、その発言が市場を動かす人間はいたけれども、彼らは政治家ではないし、一応は中立的立場でインサイダー取引などしない良識を持ち合わせていた(もしやれば訴追されるし)。

ところがトランプは立場的に中立ではないし、インサイダー取引をやっておかしくない。米国民のために必要だからと強弁しているが、普通に考えて少なくとも庶民にはメリットよりデメリットが大きい。

俺は世界一の権力者だと全能感に酔いしれているだけかもしれないが、そう思わせながら私腹を肥やしているのかもしれない。そんなことを想像しながら株取引しても面白くない。トランプの相手は孫なにがしや大谷に任せて、ストレスフリーな生活を送る方がずっといい。

まあ、日本の歴史上のヒーローが蔦重になる時代だから、山師の大統領に一喜一憂するのも仕方ないという気もする。

[Apr 14, 2025]


トランプが大統領令を乱発して世界の金融・株式市場を乱高下させている。つくづく思うのは、株をあらかた売ってしまったのでストレスがなくてよかったということである。

ゴールデンウイークの旅行客が減るらしい

NHKのニュースを見ていたら、2025年のGW中旅行客は前年比1割程度減るということである。有識者は、諸物価高騰やトランプショック云々と要因分析しているらしい。

調査結果だからそうなる可能性は大きいだろうが、理由はそうではなかろうと思う。そもそも日本の人口が減っているのだから、増えたらかえっておかしい。高齢者比率は年々増加して、すでに3割近くが65歳以上である。年寄りがわざわざ混む上に、交通費の割引もない時期にあえて旅行する訳がない。

昔、ゴールデンウィークに家族連れの旅行が多かったのは、学校が休みだからである。子供は有給が取れないので、帰省でも旅行でも子供を連れていくならGWか年末年始、春休み夏休みしかない。だからどこの家も集中してこの時期に動いたのである。

かつて100万人を優に超えていた出生者数は、昨年は72万人にまで減った。出生者数が3割減れば小中学生も3割減るし、家族旅行も3割減る。結婚しない男女もいまや全く珍しくないから、これから先もっと減るかもしれない。ゴールデンウィークと大騒ぎするのは、親方日の丸のNHKだけである。

私について言えば、子供が小さい時以外は、混む上に割高なゴールデンウィークに旅行することはなかった。カシノや海外旅行をした頃も、お金持ち連中は値段関係なく、休める時に休んで旅していたが、私はそれほど経済的余裕がなかった。だからエアが安い時期にそれも早割で移動したのであった。

いまや、生産年齢の少なくない割合が正社員以外で働いている。正社員でなければ、契約が安定しておらず給与も低いのもさることながら、休暇がきちんと取れる職場などほとんどない。1週間とか10日連続して休める福利厚生制度もないし、正社員の休む時期に働くことも珍しくない。ゴールデンウィークに休みを取って旅行しようと思ったってできない。

だから、諸物価の高騰より重いのは若い人の多くが非正規雇用で働いていることである。結婚しないのと同じ理由である。でも、どこの旅行会社や調査会社が調べているにせよそんなことは言わない。非正規雇用で人件費を安くしている調査元に忖度するからである。

これから先、ゴールデンウィークに旅行客が増えることはあまり期待できないと思う。その昔、子供を連れて遠出して、帰りに高速が90km渋滞して抜け出すのに6時間以上かかったことがある。帰ったら真夜中で、夕飯食べてなかったので安楽亭で焼肉を食べた。若かったからそんなこともできたし、今になるとなつかしいけれど、もう一度やれと言われたらやりたくない。


大手旅行会社の調査によると、今年のGW中旅行客は前年比1割程度減るらしい。物価高騰の影響というが、そもそも日本の人口が減っているのだから増えたらおかしいと思う。


昨日、30年以上前のゴールデンウィークのことを書いて、そんなに前のことだとは思わなかった。でも、30年後に生きていれば100歳間近になる。9割方あの世だろうが、もし生きていればどうなるだろうと想像してしまった。

30年前のGWには家族旅行でドライブに行き、帰りが真夜中になったと書いたが、実は出発も朝早く、午前4時前に出発した。奥さんはそれより前に起きてお弁当を作ったので、いまでも「あの頃はこき使われた」と言われる。その分移動中は私だけが起きて運転し、あとの3人は寝ていた。

行先は新潟で、まだ首都高と関越道がつながっていない時代だから、池袋あたりで下りてまだ暗い国道を北上した。越後川口のサービスエリアで朝食のお弁当を食べたから、ずいぶんがんばって運転したのである。

午前中は入広瀬村の山菜会館、お昼は新潟競馬場に行った。30年前だからまだ改修前の右回りで、入場門すぐに小さな遊園地があった。競馬人気もいまほどではなかったので、そんなに混雑してはいなかった。

午後は只見川上流のダム湖を見て、午後3時と早めに帰途についたのだが、そこから先がひどい渋滞だった。まだ磐越道ができておらず、その先の東北道が渋滞しているものだから、いっこうに進まない。結果、千葉に戻ったら真夜中になったのは昨日書いたとおりである。

調べたら1991年のことなので正確には34年前、いまの半分の年齢であった。そして思ったのは、34年後はどうなっているんだろうということである。

YouTubeには108歳晩酌お爺ちゃんという動画もあるくらいで、確率は低いけれども34年後もまだこの世に在籍している可能性は0ではない。とはいえ、いまと同じように暮らせるかというと、なかなか厳しいというのが本当のところだろう。

 

とはいえ、いま想像される最も悲しいケース、半強制的に老人ホームで、おいしい食事も清潔な環境もなく、運動することもできず部屋から出られないという状況になるとは限らない。日野原先生のように、100歳近くまで現役でお医者さんというお年寄りもいらっしゃったし、この先元気な高齢者はびっくりするくらい増えるだろう。

30年前のマラソン大会は20代・30代が多かったが、いまや60代以上が20代・30代より多い大会がほとんどである。近い将来、70歳以上・80歳以上の区分ができておかしくない。一人暮らしの90・100歳以上が大幅に増えて、うれしい誤算になるかもしれない。

日本の人口全体も、活動する世代もわれわれ年代とその少し上に固まっているような気がする。100歳以上が平気で運転したり一人で遠出したりする光景はまだ考えづらいが、未来はそうなっているのかもしれない。少なくとも運転はAIになるだろう(いまだってブレーキやハンドルは一部自動だ)。

そう考えると、34年後にもし生きていても悲惨なことにはならないかもしれない。あとは認知機能に支障をきたさないよう心掛けるだけである。週に1~2回ワインが飲めれば、90過ぎても楽しみはあるだろうし。

そんな未来を見てみたくもあり、適当なところで失礼するのが自分にも周囲にも喜ばしいと思うこともある。難しいところである。

 

YouTubeの108歳晩酌お爺ちゃんを見て、30年後に自分が生きていたらどうなるだろうと想像した。


昔のことを思い出す話は昨日で終わりにする予定だったが、ふと40年前のことを思い出した。あの頃はかなり悲惨だったので、忘れないうちに書いておく。

いまでも鮮明に覚えているのが、独身寮の洗濯場から目の前の新築マンションを見ながら、なぜこんな暮らしをしなきゃいけないんだろうと思ったことである。

独身寮にいたのは1983年の4月から12月だから、もう42年前になる。その寮というのが戦前に建ったという年代物で、ようやく個室にはなったものの、風呂もトイレも当然共用という建物だった。洗濯機も二漕式でもちろん早いもの順、トタン屋根の下に紐が張ってありそこに干すのだった。

当時勤めていたのは銀行なので、平日は夜遅くまでサービス残業である。洗濯できるのは休日(週休1日!)だけ、独身寮に住む男全員が使うので、洗濯機が空くのは日が暮れる頃だった。翌朝までとても乾かない洗濯物を抱え、なぜちゃんとした場所に住めないんだろうと思いながら目の前の新築マンションを見たのだった。

会社にはカネがあったはずだから、全自動洗濯機でも乾燥機でも設置できたはずだが、若い者をあまやかすなという体育会的発想だったのだろう。寮が嫌だから一人暮らしと思っても、自宅通勤できない独身社員は独身寮に入らなければならないという不文律があって、誰もそんなことはできなかったのである。

いま思えば、不文律など諸般の事情でルール化できないからそうしているので、嫌なら守らなければいいだけである。でも当時は、組織でうまくやっていくにはそうしなければならないと思いこんでいた。そうして会社ファーストでやっていても合併とか合理化とか平気でやるから、個人はストレスがたまるだけで報われない。

日の高い間は会社にいて、日が暮れると休日含めて寮だから、24時間組織に束縛されているようなものだった。今なら同じ独身寮でもプライバシーは尊重され、コインランドリーくらい整備されていて(2~3年後にはそうなった)、休日はその頃の趣味だったお寺回りや古墳巡りができたはずだ(関西なので本場である)。

話を戻すと、そんなふうに自由になる時間がほとんどなく、わずかな時間で身の回りのことをしなければならない生活をなぜしなければならないのだろうと強烈に思った。振り返っても、いままでの人生でもっとも悲惨だった。多少の給料では追いつかない。

自由に時間を使えないこと、誰が決めたか分からない不文律があること、工夫すれば便利にも快適にもなるのにそうしないことが苦痛だった。加えて、大嫌いな共同生活である。ああいう生活を続けていたら、体より前にメンタルをやられたのは間違いない。(間もなく結婚したので助かった)

42年前のその頃を考えると、幸運にも恵まれてそれほど悲惨なことにはなっていないと思う。独身寮があれだけ嫌だったので、どんな形態であっても老人ホームは悲惨だろう。少なくとも自分にとっては、二度と繰り返したくない時代である。

昨日は天気がよかったので、早朝車を走らせて筑波連山に山歩きに行った。軽自動車を走らせて山を歩き、日帰り温泉で汗を流す。サイフから出て行ったおカネは温泉の620円と、お昼のパン・おやつで400円くらい。独身寮ではこんな自由もなかった。その頃を思うと、40年前そんな生活だったのは夢みたいだけど、決して夢ではなくそれが現実だったのだ。

[Apr 23, 2025]

うさんくさい話と警察

5月4日、日曜日でみどりの日の祭日。涼しかったので久しぶりに県道本埜線16kmコースに出る。

ここは車線どころか白線も引いてない1.5車線で、私のように走っている人間がいると、農家の軽トラや地元の工事車はゆっくり追い越したりすれ違うのだが、他府県ナンバーの車がスピードもゆるめずにすぐ横を通り過ぎて行く。

先週の印旛沼沿いの県道もそうだったが、連休になるとこういう車がたいへん多い。警察はこういう地元民でない危険な車こそ取り締まってほしいのだが、地元民相手に一時停止違反の切符を切るだけである。警察は市民の安全より組織が大事ということである。

ゴールデンウィークに連日トップニュースとなっている川崎の殺人・死体遺棄事件も、うさんくささしか感じない。うさんくさいのは、NHKはじめ報道機関であり、神奈川県警である。

 

亡くなった20歳の女性は痛ましいしお気の毒であるが、今更トップニュースにする報道機関はまともな神経ではない。そもそも事件発生は12月であり、逮捕前に容疑者自宅をドローンで撮ったりインタビューしたり、容疑者を羽田で待ち構えるなど相当の準備をしているのに、つい2~3日前まで何の報道もしていないのはどうしたことだろう。

民事不介入とか推定無罪とか抜かすのなら、逮捕前で名前も出せないのに容疑者自宅の空撮映像をなぜ流せるのか。想像するに、神奈川県警がまだ報道するなというからどこも報道せず、神奈川県警がいいと言えば(おそらく裁判所の容疑者自宅捜索許可が契機である)みんなトップニュースにしているのである。

うがった見方かもしれないが、警察や報道機関には被害者家族に対する先入観・予断といったものがあり、よくは思っていないだろうことは想像がつく。だが、そんなことで対応が違ってはならない。それを昔の言葉で「公僕」と言う。

警官が外見的には暴力団と同じことをして咎められないのは、公共の奉仕者・公僕だからである。それが嫌なら、銃器は所持するな。法定速度内で走れ。民間警備会社は、みんなそれで仕事している。

まさに、ジャニー某がパワハラ性犯罪をしているのを知っているのにどこも報道せず、子分の中居某が同じことをして誰も言わないのと同じである。昔は警察や報道機関を志す者は、建前だけでも正義の実現やよりよい社会と言っていたのに、いまやよりよい自分の生活と身分保障を堂々と主張している。嘆かわしいことである。

みんなが生活第一、給料第一、きちんと休暇が取れて雇用は終身が本音なのは昔も今も同じかもしれないが、そんなことを堂々と主張するような人物は採用されなかった。サービス残業や下請けいじめ、セクハラ・パワハラといった負の側面は否定しないが、組織をよくする、社会をよくすること自体が悪い訳ではない。資本主義の行きつくところ仕方がないのだろうが。

STOP詐欺被害にみんな血眼なのは、警察が組織を挙げて取り組んでいるからで、パトカーでもうるさいくらいに街宣活動している。ところがDVとか弱者保護なんて警察も恰好だけでそれほど労力を割かない。別れ話のもつれなんて自分達で処理しろと思っているし、カネ持ちお偉いさんの子供でもなければ、親がすべきことを警察に頼るなというのが本音だろう。

DVや児童虐待絡みの相談なんて受けたくないし、そういう人材しか割り振らない。担当者は警察組織のどこに連絡すれば効果的な対策がとれるかなんて考えないし、他の部門と連携なんかしない。彼らも、偉くなって経費(税金)を使える立場になり、専門家としてTVに出ることが将来の望みなのである。

こうしてみると、日本の社会は八方塞がりでよくなる見込みはないということになる。明るい見通しがあるとすれば、半分近い確率で私自身が十年かそこらでそういう世界を見なくても済むというだけかもしれない。

[May 5, 2025]


川崎死体遺棄事件の報道からはうさんくささしか感じない。20歳の被害者はお気の毒としか言いようがないが、12月の事件をいままで報道せず、堰を切ったように大ニュースにする報道機関はまともな神経ではないと思う。


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