なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。
なぜ車中泊をしたくないのか
「つながる」「絆」は脳の幻想
スポーツジムでマシントレーニングしていると、スマホの画面を見ながら運動する人をよく見る。その種のアプリで、マシンと連動してトレーニング内容を管理しているのかと思ったら、誰かとLINEだかXだかやっているだけだった。
物価上昇で家計が厳しいと言いながら、みんなスマホは無制限で使っている。格安SIMとかあるけれども、スマホを持たなければ一番格安である。奥さんとよく、スマホなんてなくても困らないと話している。個人的には、奥さんとのショートメールと、山に行く時の地図ソフトしか使わない。
目に見えることや耳から聞こえることは実際に起こっている現実ではなく、スクリーンに映っている「現実ではない」ものであるというのは、仏教でもギリシャ哲学でも古くから言われている。少なくとも脳の働きから考えれば、相手が実際にいるのかどうかほとんど関係ない。
目の前の現実こそすべてというのは、一神教とか中華思想の考え方で、もしかしたら違うかもしれないと疑ってみた方がいい。少なくとも、他人や社会とつながることが人間にとって不可欠というのは、おそらく違う。少なくとも、スマホでつながるのは社会とつながることを意味しない。
スポーツ中継を見るのと実際に体を動かすのと、動いている脳の部分は同じであるらしい。同様に、対面で話しているのとスマホ画面でやりとりするのは、脳の働きとして似たようなものであろう。しかし、スマホでやりとりするのはスポーツ中継を見るのと同じで、動くのは脳だけである。
実在の人物と対面で話している時、動いているのは脳だけではない。視覚・聴覚はもちろん、嗅覚や触覚、さまざまの皮膚感覚も使う。スマホでやりとりする場合、相手を知っていれば記憶から類似の感覚を呼び出すだろうが、それだって脳の働きである。脳以外の感覚が動員される訳ではない。
つまり、スマホでつながっていると思うのは脳だけのことで、体は何も感じていない。ドーパミンやアドレナリンは出るかもしれないが、脳だけが動いたことによる。依存症とか薬物による反応とたいして変わらない。
コミュニケーションが心身の健康に重要であることまで否定しないが、実際にスマホ依存の人達を見て思うのは、これはコミュニケーションではなく脳の活動(過活動?)によるもので、人生を豊かにしないし別になくても構わないのではないかということである。
少なくとも、やりとりしている相手の大部分は脳だけが認識している相手で、AIかもしれないし「なりすまし」かもしれない。スマホの向こう側にいるのがそんな連中だとすれば、それはコミュニケーションではないし、絆でもなければつながるともいえない。
少なくとも私はそんなことに時間を使いたくない。
[Jun 30, 2025]2025年参議院選挙
参議院選は選挙区が広いので、あまりうるさくないのがいい。今回も自民党の宣伝車が通ったくらいで、おとなしいものである。衆議院は小選挙区になって地域が狭いものだから、廃品回収のような騒音である。県議会とか市議会になると、家の前の公園で演説を始めたりされる。困ったものである。
各社の調査結果によると、自民・公明の議席減は間違いなく、非改選も含めた過半数維持も微妙な情勢とされる。いずれにしても3年後には過半数割れするのだし、いまから準備した方がダメージが少ないかもしれない。
石破首相は勉強不足な上に、あんなに必死になってはいけない。いまから、負けた後に「一生懸命がんばった」と言い訳するためのように見える。公明党は親分死去の影響が表れて、うるさいくらいだった選挙活動をほとんど見ない。まあ、いまの政治がいいとは誰も思わないので、与党が負けるのは自業自得である。
見た目勝ちそうなのは国民民主党である。ほとんど唯一の懸案事項だった名簿上位の不倫女を候補から外して、タマキンにも勢いが戻った。「103万円の壁」の件では、立憲民主が最後に自公にすり寄ったのに国民民主は主張を曲げず、都議選で都民ファに行った票を獲得しそうである。
そうした大見出しになる勝敗よりも、個人的に楽しみにしているのはNHK党が大幅に票を減らし、改選1議席が0になることである。非改選がまだ1つ残っているので政党助成金はしばらく続くけれども、まずここで0にならなければ3年経ってもなくならない。
ああいう、組織もダメ、候補者もダメ、主張もダメな連中に百万票以上の投票があるというのは理解に苦しむ。参政党の場合、少なくとも主張だけは理解できる(同意するかは別として)。欧米各国で進む右傾化の受け皿がアベノマスク国民会議の他にあるというのは、端的にいいことである。
3年前にはN国も参政党も1議席ずつだったが、今回は参政党がかなり得票を伸ばしそうである。維新やれいわも巻き返しに必死だし、共産・社民は生き残りを賭けた戦いである。そうした中、N国のようなふざけた連中は埋没せざるを得ず、情勢分析でも話題にもなっていない。
千葉県選挙区でも、3年前はN国だけで3人の候補者を立てた。1人は別名義の農業党、あとの1人はポスターも貼らなかった。どうせポスター掲示場所を転売して儲けようとする奴らなので出ない方がましだが、カネ儲けにならなければやりませんというのは志が低い。
今回は候補者1人、地元でクリニックを営業しているお医者さんのようだが、大病院の経営者という訳でもなく組織もあてにならず、全県にポスターを貼ることもできないらしい。正直言って、目立ってなんぼの人達が目立たなければ、票の掘り起こしもできない。
選挙区はそういうことで問題にならないのだが、果たして比例代表はどうなるか。とにかくN国の2議席中1議席が0になってくれることを楽しみに選挙戦をみている。
[Jul 9, 2025]
3年前の参院選では、NHK党が千葉県だけで3人候補を立てたいへん見苦しかったが、今回は1人、しかもポスターも貼っていない。このまま議席0で終われば何よりである。
日曜日に投開票が行われた参議院選挙、結果を一言で表現すれば自民・立民両方負けで、政権交代にはならなかった。石破首相は当面続投ということで党内がまとまったらしい。
午後8時の出口調査分析では、自民党20台とか、1人区一桁惨敗という予想も出ていただけに、過半数に2つ届かない(和歌山は二階が負けただけで自民)というのは言われるほどひどくなかったということ。党重鎮(麻生?)の「石破はスリーアウトチェンジ」発言も、翌朝には報道されなくなった。
一方の立憲民主、議席を伸ばすのは確実と言われていたのに、月曜午前中まで改選議席を下回っていた。比例最後の1議席を確保して何とか面目を保ったものの(公明と競っていたので、負ければもっとぎりぎりだった)、比例では国民にも参政にも及ばないというのは、野党第一党にふさわしいとはとても言えない。
思うに、結局のところ維新や立民というのは政権与党の補完勢力で、利益で釣られれば彼らの味方というのが見えているからと思う。国民も参政もそうならないとは限らないが、いますぐ政権にすり寄ることはなさそうだ。特に国民民主は、103万円の壁で一度痛い目をみている。
参政党は投票前の予測どおり大幅に議席を伸ばした。特に比例代表で立憲民主の得票を上回ったのは大健闘で、やり方によっては組合・宗教団体・圧力団体などの支援がなくても票を集めることができるのを示した。
ただ、衆議院の小選挙区で自民党に勝てるかはまた別問題。昔の中選挙区であれば二番手・三番手でも議席を獲得できたが、小選挙区は大政党が有利な制度である。そして「日本人ファースト」というスローガンが受けたというよりも自民批判票の受け皿になったのが大きかったので、ルペンやAfDのように政権を狙える勢力になれるかどうかはまた別である。
そして、参政党の候補者は「若くて」「見栄えが良く」「弁が立つ」。いわば石破・野田の既存政党にはない清新さが評価されたと思われる。しかし、いまは若い彼らも6年経てばそれなりの歳になる。二階親父ではないが「お前らだって歳を取るんだ。馬鹿野郎」ということである。
比例代表ではNHK党が希望通り議席を失った。午後8時のNHK予測では0~1だったのでまだ彼らに投票する奴らがいるのかと思ったのだが、結果的には60万票余りで前回のほぼ半分。当落線上まで約40万票足りなかった。政権批判票は、参政党や国民民主に行ったらしい。少しでもまともな人達に投票するのは当然である。
まだ1つ残っているのであと3年税金をムダ使いするのが腹立たしいが、ああいうふざけた連中への支持が減ったのはうれしい。まだまだ日本の良識も捨てたもんじゃないと思う一方、例のポスター騒ぎでマスコミが引いたのが大きかったようだ。
[Jul 22, 2025]
20日に行われた参議院議員選挙、自民・公明は大幅に議席を減らし、立民も無所属推薦を除き議席は伸びなかった。国民民主と参政党が伸びたが、小選挙区で勝てるかどうかは別問題。
昨日の続きで政治の話。今回の選挙戦で自民党幹事長曰く、「消費税を守る」。国民の代表たる国会議員が、国民生活ではなく税金と制度を守るというのだから、何を考えているのかということである。ああ言って誰がなるほどと思うのか、負けて当然の大馬鹿である。
旧社会党がバカのひとつ覚えのように繰り返す「憲法を守る」は、9条を守って戦争をしないということだから、まだ分かる。それだって国民の生命・財産とどっちが大事かという話だけれど、消費税は戦争とも平和とも関係ない。財政が成り立つかというだけの話である。
収入が足りないのなら、支出を削る。福祉予算を減らすなり健康保険や介護保険負担を減らすなり、海外援助を減らすなり米軍への思いやり予算や防衛費を減らすなり、いろいろやり方がある。
もちろんそれで国民生活が成り立つかは検証しなくてはならないが、支出が削れないから消費税もなくせないという単純な話にはならない。
少なくとも昨今の問題は、物価高騰で支出が増えるのに収入が全然伸びないことである。特に年金生活者は目減りが著しい。だったら医療費や薬代を節約して資金繰りを回そうとしても、健康保険料・介護保険料は自動的に取られる。しかも年金スライド以上に年々増額される。
使える一票があるのだったら、生活を少しでも楽にしてくれる政治家に投票したい。自分の仕事は制度や税収を守ることだと平気で言うような奴らは、さっさと退場していただきたい。
トランプとの交渉だのウクライナ問題は、誰がトップになったって大したことはできない。先方にとっては、窓口が誰かよりも黙って言うことを聞く方がありがたいはずだ。日本の国益とか何とかいったところで、安全保障を握られている限り結局アメリカの言いなりである。
そんなことを平気で言うから、幹事長の地元では自民党候補が大差で敗れた。「コメは売るほどある」前農水大臣の地盤に近いこともあるけれど、批判票が立民・参政で割れたのに勝負にならなかったのは、今回は投票したくないという人達が多かったのだろう。
明治維新以来160年経つ。しばらく前まで薩長は政権に近い地盤だったが、長州がいまだに自民党そのものであるのに対し、薩摩はそうでもないようである。こういう発言をする幹事長の地盤であるように人材がいないためなのか、西南戦争の影響か。西郷隆盛は士族の生活が苦しいことを憂いて、政府に反旗を翻したのだが。
[Jul 23, 2025]
今日から閏月
今日、2025年7月25日は、旧暦でいうと閏(うるう)6月朔日(ついたち)。およそ3年に1度しかない閏月である。
2月29日はカレンダーに載っているし、ときどきある閏(うるう)秒の調整はNHKのニュースで触れられるけれども、閏月についてアナウンスされることはない。旧暦自体は中国の旧正月で、来日客増加の要因として出てくるけれども、閏月についてのニュースは聞いたことがない。
よく知られるように旧暦は太陰太陽暦と呼ばれる暦法で、基本的に新月が月初となり月の満ち欠けの29or30日がまさに「月」になる。ただ、地球が太陽を回る公転周期はおよそ365.25日だから、12ヶ月だと約11日のずれが生じる。おおむね3年に一度、閏月を作って調整する必要が生じる。
こうした暦の調整は安倍晴明の世界であり、王者の特権としてかつて皇室主導で行われてきた。ところが新暦切替により、いまや公的に定められた旧暦は存在しない。神宮暦(伊勢神宮)とか高島暦とか、それぞれ私的に決めているだけである。だからオフィシャルに旧暦云々がニュースになることはない。
6月は太陰太陽暦では大暑の含まれる月、7月は処暑の含まれる月である。そして旧暦6月28日(新暦7月22日)が大暑で6月なのだが、次の旧暦1ヶ月(7月25日から8月22日)に処暑は含まれない。今年の処暑は新暦8月23日なのである。
だから8月23日から始まる「月」が旧暦7月となり、8月22日に終わるプラスアルファの月を「うるう6月」と呼ぶことになる。この暦法を使用すると3年に1度月給を年13回払わなければならないので、財政難の明治政府は新暦切替を急いだという話もある。
われわれは生まれた時から太陽暦を使っているのでいまの暦が当り前だと思っているけれど、新月が月始めで満月が月半ばであればカレンダーがなくても日付が分かる。だからSDGsの観点から言えば太陰暦も悪くないが、うるう月を入れて調整しないと7月が夏になるとは限らない。
したがって太陰太陽暦によりうるう月の調整が必要となる。この調整は平安の昔から行われているが、調整不足だとして織田信長が朝廷にうるう月の変更を求めたことがある。武士の分際で皇室の管轄に口を出すなということで突っぱねたのだが、これが本能寺の遠因とする説がある。
[Jul 25, 2025]
社交辞令・言霊・発達障害
この前、暑い最中にガソリンを補充しに行った。もっとも近いガソリンスタンドは2つとも態度が悪いので、いつも少し離れたところに行く。でもこの日はあまりにも暑かったので、仕方なく近場で済ますことにしたのである。
案の定セールスがやってきて「ウォッシャー液サービス中です。エンジンルーム見ましょうか」と言ってきた。セルフの機械を操作中に話しかけるので気を取られるし(一度、お釣りを取るのを忘れたことがある)、給油を客にやらせるのにセールスだけしようというのは横着である。
セールスはいらないと言ったのだがまだ話そうとするので、「エンジンルームを見たら見たで、汚れてるだの何だの言うんだろう。わずらわしいから要らない」と断った。そう言うと「怒らなくたっていいじゃないですか」と逆ギレする奴もいるのだが、この日はおとなしく引き下がった。
給油するだけで店にいくらかの利益は行くはずなのに、さらに儲けようというのだから欲深である。だから働く場所は選ばなければならないのだ。結局のところ他人の金儲けの手伝いをするのに、少々の時給ではやっていられない。
先日YouTubeを見ていたら、飲み会の最後に「今度また行きましょうね」というのは社交辞令なのだから、いつなら暇とか言わなくたっていい。「今度ね」と返せないのは発達(障害)だというのである。それを聞いて、言霊というのは死語になってしまったんだなーと思った。
言葉にすればそれは実現する方向に働く。だから余計なことは言うべきではないし、心にもないことを言葉にすべきではない。社交辞令なのだから意味なんて考えるのは一種の障害だというのは、日本人の伝統からは外れている。柿本人麻呂も「言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」と謳っている。(わが国は言霊の国だから、「どうぞご無事で」と申し上げますという和歌)
半世紀前には、男は余計な事を口にしないというマナーがまだ残っていた。だから「男は黙ってサッポロビール」だったのである。サッポロビールの凋落とともに、そのマナーもなくなってしまった。

内閣総理大臣が「自公で過半数が絶対目標」と言ったのも、言えば実現すると思ったからで、言霊を当てにしたのである。しかし実現しなかったのはそれも神意で、自分はトップの資格はないと思わなければならない。
あるいは、社交辞令なのに本気にして辞任しろとか発達(障害)じゃねーのとか思っているのだろうか。それにしても、辞任要求がいつの間にか沈静化の気配である。石破は嫌だが高市になるともっと困るということだろうか。
[Aug 27, 2025]
なぜ車中泊をしたくないのか
YouTubeのおすすめ動画に、よく車中泊ものが入ってくる。最初の頃らんたいむとか見ていたが、やがてあまり見なくなった。遠くに出かけて、好きな場所で安く泊まりたいという気持ちはあるが、実際に動画を見るとあまりわくわくしない。
どうしてか考えてみたら、昔から狭い場所に押し込められるのが好きでなかったことに思い当たった。だからキャンプも、2人用テントを買ったがやはり気乗りしなくて、15年で5泊くらいしかしていない。寝台列車も好きではなかったし、ユースホステルも狭かった。
もし軍隊に強制的に行かなければならない境遇であれば、さぞ難儀したことだろう。狭い場所がダメで、他人と一緒の空間もダメ。共同作業も共同生活も苦手。一緒の部屋にいてストレスにならないのは、奥さんだけである。
最近の車中泊はどんどん進化しており、かつてのネットカフェくらいの環境は珍しくない。けれども個人的に、手足を存分に伸ばせないことにはリラックスできない。バスやトラックを車中泊仕様にする人もいるらしいが、それだってシャワーぐらいで風呂まではない。
そして、耐えられる範囲の設備を用意するとなると、改造費は間違いなく2~3百万。その他に維持費もかかる。それでいて、車の寿命はそんなに長くはない。だったら安い宿を探して泊まった方がコスパがいい。
もしキャンピングカーがタダで手に入れられて、維持費の心配がないとしても、だから車中泊でいろいろ出掛けるかと考えるとどうだろうか。私は虫が嫌いである。大自然の中で伸び伸びしてリラックスできる性格ではない。人間がいなければ野生動物がいるし、虫は間違いなくいる。
聞くところによると世界でもっとも清潔な場所は無菌状態の宇宙ステーションの中らしいが、いくら清潔でも、あの狭い場所に何人もで共同生活するなんてとても耐えられない。わざわざ成層圏より上まで行かなくても、そこから見る景色などいくらでも見る手段がある。
そして、宇宙ステーションの中は意外と匂うそうである。無菌状態とはいえ長期間風呂に入らないし、腸内細菌が偏在するから地球上ではありえない組み合わせとなり、おのおのの体臭が耐え難いことは当然ある。理屈上清潔でも、くさいのは嫌だ。
清潔で気になる匂いもなく、害虫のいない環境は必ず人の管理が入っている。零下数十度であればそういう心配はないが、今度は凍死のリスクがでてくる。難しいものである。若い頃将来北海道に住みたいと考えたが、当時は最高気温20℃台で冷房普及率が5割以下だった。そういう時代は悲しいことに戻ってこない。
[Aug 29, 2025]
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