
なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。
なぜ車中泊をしたくないのか NTTを騙る詐欺電話 伊東市の騒ぎ・自民党の大騒ぎ
バイキングが大好きだった 葷酒山門に入るを許さず 国勢調査が来た
「つながる」「絆」は脳の幻想
スポーツジムでマシントレーニングしていると、スマホの画面を見ながら運動する人をよく見る。その種のアプリで、マシンと連動してトレーニング内容を管理しているのかと思ったら、誰かとLINEだかXだかやっているだけだった。
物価上昇で家計が厳しいと言いながら、みんなスマホは無制限で使っている。格安SIMとかあるけれども、スマホを持たなければ一番格安である。奥さんとよく、スマホなんてなくても困らないと話している。個人的には、奥さんとのショートメールと、山に行く時の地図ソフトしか使わない。
目に見えることや耳から聞こえることは実際に起こっている現実ではなく、スクリーンに映っている「現実ではない」ものであるというのは、仏教でもギリシャ哲学でも古くから言われている。少なくとも脳の働きから考えれば、相手が実際にいるのかどうかほとんど関係ない。
目の前の現実こそすべてというのは、一神教とか中華思想の考え方で、もしかしたら違うかもしれないと疑ってみた方がいい。少なくとも、他人や社会とつながることが人間にとって不可欠というのは、おそらく違う。少なくとも、スマホでつながるのは社会とつながることを意味しない。
スポーツ中継を見るのと実際に体を動かすのと、動いている脳の部分は同じであるらしい。同様に、対面で話しているのとスマホ画面でやりとりするのは、脳の働きとして似たようなものであろう。しかし、スマホでやりとりするのはスポーツ中継を見るのと同じで、動くのは脳だけである。
実在の人物と対面で話している時、動いているのは脳だけではない。視覚・聴覚はもちろん、嗅覚や触覚、さまざまの皮膚感覚も使う。スマホでやりとりする場合、相手を知っていれば記憶から類似の感覚を呼び出すだろうが、それだって脳の働きである。脳以外の感覚が動員される訳ではない。
つまり、スマホでつながっていると思うのは脳だけのことで、体は何も感じていない。ドーパミンやアドレナリンは出るかもしれないが、脳だけが動いたことによる。依存症とか薬物による反応とたいして変わらない。
コミュニケーションが心身の健康に重要であることまで否定しないが、実際にスマホ依存の人達を見て思うのは、これはコミュニケーションではなく脳の活動(過活動?)によるもので、人生を豊かにしないし別になくても構わないのではないかということである。
少なくとも、やりとりしている相手の大部分は脳だけが認識している相手で、AIかもしれないし「なりすまし」かもしれない。スマホの向こう側にいるのがそんな連中だとすれば、それはコミュニケーションではないし、絆でもなければつながるともいえない。
少なくとも私はそんなことに時間を使いたくない。
[Jun 30, 2025]2025年参議院選挙
参議院選は選挙区が広いので、あまりうるさくないのがいい。今回も自民党の宣伝車が通ったくらいで、おとなしいものである。衆議院は小選挙区になって地域が狭いものだから、廃品回収のような騒音である。県議会とか市議会になると、家の前の公園で演説を始めたりされる。困ったものである。
各社の調査結果によると、自民・公明の議席減は間違いなく、非改選も含めた過半数維持も微妙な情勢とされる。いずれにしても3年後には過半数割れするのだし、いまから準備した方がダメージが少ないかもしれない。
石破首相は勉強不足な上に、あんなに必死になってはいけない。いまから、負けた後に「一生懸命がんばった」と言い訳するためのように見える。公明党は親分死去の影響が表れて、うるさいくらいだった選挙活動をほとんど見ない。まあ、いまの政治がいいとは誰も思わないので、与党が負けるのは自業自得である。
見た目勝ちそうなのは国民民主党である。ほとんど唯一の懸案事項だった名簿上位の不倫女を候補から外して、タマキンにも勢いが戻った。「103万円の壁」の件では、立憲民主が最後に自公にすり寄ったのに国民民主は主張を曲げず、都議選で都民ファに行った票を獲得しそうである。
そうした大見出しになる勝敗よりも、個人的に楽しみにしているのはNHK党が大幅に票を減らし、改選1議席が0になることである。非改選がまだ1つ残っているので政党助成金はしばらく続くけれども、まずここで0にならなければ3年経ってもなくならない。
ああいう、組織もダメ、候補者もダメ、主張もダメな連中に百万票以上の投票があるというのは理解に苦しむ。参政党の場合、少なくとも主張だけは理解できる(同意するかは別として)。欧米各国で進む右傾化の受け皿がアベノマスク国民会議の他にあるというのは、端的にいいことである。
3年前にはN国も参政党も1議席ずつだったが、今回は参政党がかなり得票を伸ばしそうである。維新やれいわも巻き返しに必死だし、共産・社民は生き残りを賭けた戦いである。そうした中、N国のようなふざけた連中は埋没せざるを得ず、情勢分析でも話題にもなっていない。
千葉県選挙区でも、3年前はN国だけで3人の候補者を立てた。1人は別名義の農業党、あとの1人はポスターも貼らなかった。どうせポスター掲示場所を転売して儲けようとする奴らなので出ない方がましだが、カネ儲けにならなければやりませんというのは志が低い。
今回は候補者1人、地元でクリニックを営業しているお医者さんのようだが、大病院の経営者という訳でもなく組織もあてにならず、全県にポスターを貼ることもできないらしい。正直言って、目立ってなんぼの人達が目立たなければ、票の掘り起こしもできない。
選挙区はそういうことで問題にならないのだが、果たして比例代表はどうなるか。とにかくN国の2議席中1議席が0になってくれることを楽しみに選挙戦をみている。
[Jul 9, 2025]
3年前の参院選では、NHK党が千葉県だけで3人候補を立てたいへん見苦しかったが、今回は1人、しかもポスターも貼っていない。このまま議席0で終われば何よりである。
日曜日に投開票が行われた参議院選挙、結果を一言で表現すれば自民・立民両方負けで、政権交代にはならなかった。石破首相は当面続投ということで党内がまとまったらしい。
午後8時の出口調査分析では、自民党20台とか、1人区一桁惨敗という予想も出ていただけに、過半数に2つ届かない(和歌山は二階が負けただけで自民)というのは言われるほどひどくなかったということ。党重鎮(麻生?)の「石破はスリーアウトチェンジ」発言も、翌朝には報道されなくなった。
一方の立憲民主、議席を伸ばすのは確実と言われていたのに、月曜午前中まで改選議席を下回っていた。比例最後の1議席を確保して何とか面目を保ったものの(公明と競っていたので、負ければもっとぎりぎりだった)、比例では国民にも参政にも及ばないというのは、野党第一党にふさわしいとはとても言えない。
思うに、結局のところ維新や立民というのは政権与党の補完勢力で、利益で釣られれば彼らの味方というのが見えているからと思う。国民も参政もそうならないとは限らないが、いますぐ政権にすり寄ることはなさそうだ。特に国民民主は、103万円の壁で一度痛い目をみている。
参政党は投票前の予測どおり大幅に議席を伸ばした。特に比例代表で立憲民主の得票を上回ったのは大健闘で、やり方によっては組合・宗教団体・圧力団体などの支援がなくても票を集めることができるのを示した。
ただ、衆議院の小選挙区で自民党に勝てるかはまた別問題。昔の中選挙区であれば二番手・三番手でも議席を獲得できたが、小選挙区は大政党が有利な制度である。そして「日本人ファースト」というスローガンが受けたというよりも自民批判票の受け皿になったのが大きかったので、ルペンやAfDのように政権を狙える勢力になれるかどうかはまた別である。
そして、参政党の候補者は「若くて」「見栄えが良く」「弁が立つ」。いわば石破・野田の既存政党にはない清新さが評価されたと思われる。しかし、いまは若い彼らも6年経てばそれなりの歳になる。二階親父ではないが「お前らだって歳を取るんだ。馬鹿野郎」ということである。
比例代表ではNHK党が希望通り議席を失った。午後8時のNHK予測では0~1だったのでまだ彼らに投票する奴らがいるのかと思ったのだが、結果的には60万票余りで前回のほぼ半分。当落線上まで約40万票足りなかった。政権批判票は、参政党や国民民主に行ったらしい。少しでもまともな人達に投票するのは当然である。
まだ1つ残っているのであと3年税金をムダ使いするのが腹立たしいが、ああいうふざけた連中への支持が減ったのはうれしい。まだまだ日本の良識も捨てたもんじゃないと思う一方、例のポスター騒ぎでマスコミが引いたのが大きかったようだ。
[Jul 22, 2025]
20日に行われた参議院議員選挙、自民・公明は大幅に議席を減らし、立民も無所属推薦を除き議席は伸びなかった。国民民主と参政党が伸びたが、小選挙区で勝てるかどうかは別問題。

昨日の続きで政治の話。今回の選挙戦で自民党幹事長曰く、「消費税を守る」。国民の代表たる国会議員が、国民生活ではなく税金と制度を守るというのだから、何を考えているのかということである。ああ言って誰がなるほどと思うのか、負けて当然の大馬鹿である。
旧社会党がバカのひとつ覚えのように繰り返す「憲法を守る」は、9条を守って戦争をしないということだから、まだ分かる。それだって国民の生命・財産とどっちが大事かという話だけれど、消費税は戦争とも平和とも関係ない。財政が成り立つかというだけの話である。
収入が足りないのなら、支出を削る。福祉予算を減らすなり健康保険や介護保険負担を減らすなり、海外援助を減らすなり米軍への思いやり予算や防衛費を減らすなり、いろいろやり方がある。
もちろんそれで国民生活が成り立つかは検証しなくてはならないが、支出が削れないから消費税もなくせないという単純な話にはならない。
少なくとも昨今の問題は、物価高騰で支出が増えるのに収入が全然伸びないことである。特に年金生活者は目減りが著しい。だったら医療費や薬代を節約して資金繰りを回そうとしても、健康保険料・介護保険料は自動的に取られる。しかも年金スライド以上に年々増額される。
使える一票があるのだったら、生活を少しでも楽にしてくれる政治家に投票したい。自分の仕事は制度や税収を守ることだと平気で言うような奴らは、さっさと退場していただきたい。
トランプとの交渉だのウクライナ問題は、誰がトップになったって大したことはできない。先方にとっては、窓口が誰かよりも黙って言うことを聞く方がありがたいはずだ。日本の国益とか何とかいったところで、安全保障を握られている限り結局アメリカの言いなりである。
そんなことを平気で言うから、幹事長の地元では自民党候補が大差で敗れた。「コメは売るほどある」前農水大臣の地盤に近いこともあるけれど、批判票が立民・参政で割れたのに勝負にならなかったのは、今回は投票したくないという人達が多かったのだろう。
明治維新以来160年経つ。しばらく前まで薩長は政権に近い地盤だったが、長州がいまだに自民党そのものであるのに対し、薩摩はそうでもないようである。こういう発言をする幹事長の地盤であるように人材がいないためなのか、西南戦争の影響か。西郷隆盛は士族の生活が苦しいことを憂いて、政府に反旗を翻したのだが。
[Jul 23, 2025]

今日から閏月
今日、2025年7月25日は、旧暦でいうと閏(うるう)6月朔日(ついたち)。およそ3年に1度しかない閏月である。
2月29日はカレンダーに載っているし、ときどきある閏(うるう)秒の調整はNHKのニュースで触れられるけれども、閏月についてアナウンスされることはない。旧暦自体は中国の旧正月で、来日客増加の要因として出てくるけれども、閏月についてのニュースは聞いたことがない。
よく知られるように旧暦は太陰太陽暦と呼ばれる暦法で、基本的に新月が月初となり月の満ち欠けの29or30日がまさに「月」になる。ただ、地球が太陽を回る公転周期はおよそ365.25日だから、12ヶ月だと約11日のずれが生じる。おおむね3年に一度、閏月を作って調整する必要が生じる。
こうした暦の調整は安倍晴明の世界であり、王者の特権としてかつて皇室主導で行われてきた。ところが新暦切替により、いまや公的に定められた旧暦は存在しない。神宮暦(伊勢神宮)とか高島暦とか、それぞれ私的に決めているだけである。だからオフィシャルに旧暦云々がニュースになることはない。
6月は太陰太陽暦では大暑の含まれる月、7月は処暑の含まれる月である。そして旧暦6月28日(新暦7月22日)が大暑で6月なのだが、次の旧暦1ヶ月(7月25日から8月22日)に処暑は含まれない。今年の処暑は新暦8月23日なのである。
だから8月23日から始まる「月」が旧暦7月となり、8月22日に終わるプラスアルファの月を「うるう6月」と呼ぶことになる。この暦法を使用すると3年に1度月給を年13回払わなければならないので、財政難の明治政府は新暦切替を急いだという話もある。
われわれは生まれた時から太陽暦を使っているのでいまの暦が当り前だと思っているけれど、新月が月始めで満月が月半ばであればカレンダーがなくても日付が分かる。だからSDGsの観点から言えば太陰暦も悪くないが、うるう月を入れて調整しないと7月が夏になるとは限らない。
したがって太陰太陽暦によりうるう月の調整が必要となる。この調整は平安の昔から行われているが、調整不足だとして織田信長が朝廷にうるう月の変更を求めたことがある。武士の分際で皇室の管轄に口を出すなということで突っぱねたのだが、これが本能寺の遠因とする説がある。
[Jul 25, 2025]

社交辞令・言霊・発達障害
この前、暑い最中にガソリンを補充しに行った。もっとも近いガソリンスタンドは2つとも態度が悪いので、いつも少し離れたところに行く。でもこの日はあまりにも暑かったので、仕方なく近場で済ますことにしたのである。
案の定セールスがやってきて「ウォッシャー液サービス中です。エンジンルーム見ましょうか」と言ってきた。セルフの機械を操作中に話しかけるので気を取られるし(一度、お釣りを取るのを忘れたことがある)、給油を客にやらせるのにセールスだけしようというのは横着である。
セールスはいらないと言ったのだがまだ話そうとするので、「エンジンルームを見たら見たで、汚れてるだの何だの言うんだろう。わずらわしいから要らない」と断った。そう言うと「怒らなくたっていいじゃないですか」と逆ギレする奴もいるのだが、この日はおとなしく引き下がった。
給油するだけで店にいくらかの利益は行くはずなのに、さらに儲けようというのだから欲深である。だから働く場所は選ばなければならないのだ。結局のところ他人の金儲けの手伝いをするのに、少々の時給ではやっていられない。
先日YouTubeを見ていたら、飲み会の最後に「今度また行きましょうね」というのは社交辞令なのだから、いつなら暇とか言わなくたっていい。「今度ね」と返せないのは発達(障害)だというのである。それを聞いて、言霊というのは死語になってしまったんだなーと思った。
言葉にすればそれは実現する方向に働く。だから余計なことは言うべきではないし、心にもないことを言葉にすべきではない。社交辞令なのだから意味なんて考えるのは一種の障害だというのは、日本人の伝統からは外れている。柿本人麻呂も「言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」と謳っている。(わが国は言霊の国だから、「どうぞご無事で」と申し上げますという和歌)
半世紀前には、男は余計な事を口にしないというマナーがまだ残っていた。だから「男は黙ってサッポロビール」だったのである。サッポロビールの凋落とともに、そのマナーもなくなってしまった。

内閣総理大臣が「自公で過半数が絶対目標」と言ったのも、言えば実現すると思ったからで、言霊を当てにしたのである。しかし実現しなかったのはそれも神意で、自分はトップの資格はないと思わなければならない。
あるいは、社交辞令なのに本気にして辞任しろとか発達(障害)じゃねーのとか思っているのだろうか。それにしても、辞任要求がいつの間にか沈静化の気配である。石破は嫌だが高市になるともっと困るということだろうか。
[Aug 27, 2025]
なぜ車中泊をしたくないのか
YouTubeのおすすめ動画に、よく車中泊ものが入ってくる。最初の頃らんたいむとか見ていたが、やがてあまり見なくなった。遠くに出かけて、好きな場所で安く泊まりたいという気持ちはあるが、実際に動画を見るとあまりわくわくしない。
どうしてか考えてみたら、昔から狭い場所に押し込められるのが好きでなかったことに思い当たった。だからキャンプも、2人用テントを買ったがやはり気乗りしなくて、15年で5泊くらいしかしていない。寝台列車も好きではなかったし、ユースホステルも狭かった。
もし軍隊に強制的に行かなければならない境遇であれば、さぞ難儀したことだろう。狭い場所がダメで、他人と一緒の空間もダメ。共同作業も共同生活も苦手。一緒の部屋にいてストレスにならないのは、奥さんだけである。
最近の車中泊はどんどん進化しており、かつてのネットカフェくらいの環境は珍しくない。けれども個人的に、手足を存分に伸ばせないことにはリラックスできない。バスやトラックを車中泊仕様にする人もいるらしいが、それだってシャワーぐらいで風呂まではない。
そして、耐えられる範囲の設備を用意するとなると、改造費は間違いなく2~3百万。その他に維持費もかかる。それでいて、車の寿命はそんなに長くはない。だったら安い宿を探して泊まった方がコスパがいい。
もしキャンピングカーがタダで手に入れられて、維持費の心配がないとしても、だから車中泊でいろいろ出掛けるかと考えるとどうだろうか。私は虫が嫌いである。大自然の中で伸び伸びしてリラックスできる性格ではない。人間がいなければ野生動物がいるし、虫は間違いなくいる。
聞くところによると世界でもっとも清潔な場所は無菌状態の宇宙ステーションの中らしいが、いくら清潔でも、あの狭い場所に何人もで共同生活するなんてとても耐えられない。わざわざ成層圏より上まで行かなくても、そこから見る景色などいくらでも見る手段がある。
そして、宇宙ステーションの中は意外と匂うそうである。無菌状態とはいえ長期間風呂に入らないし、腸内細菌が偏在するから地球上ではありえない組み合わせとなり、おのおのの体臭が耐え難いことは当然ある。理屈上清潔でも、くさいのは嫌だ。
清潔で気になる匂いもなく、害虫のいない環境は必ず人の管理が入っている。零下数十度であればそういう心配はないが、今度は凍死のリスクがでてくる。難しいものである。若い頃将来北海道に住みたいと考えたが、当時は最高気温20℃台で冷房普及率が5割以下だった。そういう時代は悲しいことに戻ってこない。
[Aug 29, 2025]

NTTを騙る詐欺電話・能力ある人の働く場所
先週のことである。固定電話はずっと留守電にしているが、いつの間にか着信があり用件ランプが点滅している。さっそく再生してみた。
「こちらはNTT、日本電信電話株式会社です。この電話は2時間後に使えなくなります。オペレーターと話したい方は1を…」
どうも嘘くさい。2時間後というけれども、そもそも再生した時点で2時間以上経過している。NTT東日本と言わないのも変だし、フレッツと繋いでいるので支払いはちゃんと毎月確認している。発信元を確認するとインドからの国際電話だった。
ネットで検索してみると、まさにこの内容の詐欺電話が多数かかってきていて、国民生活センターのホームページでも注意喚起していた。「総務省やNTT東日本、NTT西日本が、電話を止めることに関して自動音声ガイダンスやSMSを使って連絡することは絶対にありません」
こんな電話があったよと奥さんに話したところ、ちょうどその朝、お隣の奥さんとそんな話をしたそうである。「保安協会から、お宅のアンペア数を確認したいのでお伺いしたいと言ってきたんだって。本当かしらと訊くから、そんなの嘘に決まってるでしょ。二十何年住んでて一回だってそんなの来たことある?って言ったの」
さすが家の奥さん、簡単に騙されないのはたいしたものである。それはそうと、近所でもこんな頻繁にあるというのは、全国至るところにこういう電話がかかっているということである。ひどい世の中である。
この件は、とりあえず個人情報を聞き出すということだが、そういう電話に引っかかるリストが当然作られて、詐欺グループの標的にされるのは確実である。住所が分かれば、悪質訪問販売や強盗・空き巣の危険もある。そんな電話に出るのはネギを背負った鴨であろう。
それともうひとつ思ったのは、こうした詐欺電話の企画立案は誰がしているんだろうということである。
タイやフィリピンから指図して窃盗や強盗・詐欺をする「トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)」の連中は、いかにもそれらしき風体をしているものの、それほどの知恵者には見えない。実行役を脅すのは得意そうだが、どういう電話をかければ応対する可能性が高いとか考えるようには見えない。
われわれが就職した半世紀前には、派遣法も男女雇用平等法もなかったから、多くの新卒は大なり小なり会社に入って正社員として働いた。ブラックな職場も給料の少ない会社もあったけれど、きちんと働けばそれなりに生活が成り立つところが多かったと思う。
けれども最近では、子供の数が半分しかいないのに、多くの若者は安定した職場で働くことができない。景気がよくないこともあるし、男女平等で求職者が倍になったのもあるけれど、会社というのは多くの人に働く場所を提供するところだと経営者が思わなくなったのが原因ではないかと思う。
みんながビル・ゲイツにはなれないし、イーロン・マスクにもなれない。なのにわが国ではある程度成功すると、もっと儲けようもっと大きく商売しようと考える。昔は義理でも社会貢献とか言ったものだが、自分の個人資産を積み上げて世界ベスト何位に入るのが成功した経営者と思っている。
そんなのは宝くじ当選者を全部集めて全財産賭けさせたと同じことで、誰か勝つかもしれないが大部分は全財産失う。それ以前に、ほとんどの人は最初の宝くじにすら当たらない。
だから、能力ある連中の中には、背に腹は代えられない。法に触れるかもしれないがカネになるならやるしかないと、「トクリュウ」に知恵を貸す者がいるのではないかという気がする。そういう人達も褒められないが、もっと悪いのは自分達の儲けだけ考えている日本の経営者である。
もともと日本人は、法律や制度よりも仲間内の取り決めが優先されるムラ社会で生きてきた。他人を傷つけたりモノを盗んだりしないから、知恵を貸して対価を得るのはコンサルタントと同じと思っているかもしれない。だとすると、十年一日の体育会社会である警察とは、レベルが違う。捕まる訳がない。
われわれにできるのは、自分や身の回りがそういう連中に狙われないように気を付けることぐらいかもしれない。
[Sep 4, 2025]
こうした詐欺電話については、NTTはもちろん、国民生活センターのサイトでも注意喚起されている。年寄りだから狙われたのだろうか。

伊東市の騒ぎ・自民党の大騒ぎ
今週は政治絡みの出来事が続いた。
まず1日月曜日、嘘の経歴(学歴)で選挙に出た伊東市・田久保市長の不信任決議が市議会の全会一致で可決された。先日兵庫県でも同じことがあったが、兵庫県知事は職務上の不手際、伊藤市長はいわゆる破廉恥罪である。普通に考えて言い訳はきかない。
自分が卒業できたかどうか分からない訳がないし、それを開き直って知らんぷりで済ませようとするのだから、公人としていかがかという話である。まともな神経とも思えない。きっと彼女はそうやって世間を渡ってきたのだろうが、公職に就く以上最低限のモラルは求められる。
サラリーマンだって学歴詐称で入社したのがバレたら、懲戒解雇されても文句は言えない。学歴は選挙で投票する際の判断材料のひとつだから、卒業できたか自信がなければ言わなければいいだけのことである。どう考えても調べればわかることで、ごまかしようがない。
学歴が人間性に関係ないのは確かだが、だからといって堂々と嘘をついていいことにはならない。選挙に出るのに公職選挙法を無視していいことにもならない。嘘をついて平気、法を無視して平気というのは、人間性にかなり問題がある。
せめて東京都知事のように、調べても分からない大学にすべきだろう。その程度の頭しかないのに、税金で食べていこうというのは僭越である。伊東市はその程度の自治体だと思っていたのだろうが、仮にも財政規模33億円、職員数531、市長の給料は月83万円の大所帯である。
この給料が惜しいらしく、田久保市長は議会を解散するようだ。それで2ヶ月ほど余計に給料はもらえるが、伊東市は選挙で4~5千万円支出が増える。自分の実入りさえ増えれば属した組織がどうなろうと構わないということで、私にはとても真似できない。アベノマスク以来こういう人が増えた。
9月2日には自民党の参議院選挙敗戦に関する総括が行われた。選挙で負ければ執行部の責任が問われるのは当り前で、そうしなければ落ちた連中が納得しない。自民党の場合、昨年の総選挙、今年の都議会選挙、さきの参議院選挙と3連敗で、スリーアウトチェンジのはずである。
ところが現執行部は責任をとろうとしない。参議院選挙の勝敗ラインを自公で過半数と極端に低くしてそれでも負けたのだから、言い訳はしづらい。にもかかわらず、総裁任期はまだ先だからと辞めない。伊東市長ほどではないが、かなりの無神経といってよさそうである。
伊東市長は辞職しなければそれだけ給料がもらえるし、自民党の連中も同じである。維新の会は秘書給与をゴマ化さなければ自由になるカネはないみたいだが、自民党執行部ともなれば黙って桁が違うカネが入ってくる。本当は政治家はすべて手弁当・ボランティアであるべきだが、きれい事で人は動かない。
そして、この日午後に開かれた両院議員総会で、石破首相は初めて自身の責任に言及した。「参院選の敗北は総裁たる自分の責任であり、しかるべき時期に責任を取る」続いて、党三役も次々と辞意を表明し。なぜ、8月上旬に開かれた総会でそう言わなかったのだろう。
おそらく、8月はまだ水面下の工作が間に合わず、責任問題を発言すれば収拾がつかなくなったからだろう。それをいまになって言えるのは、それなりのシナリオができたということである。もっとも、執行部が考えたシナリオのとおり進む保証はない。
「しかるべき時期」と言った以上、来年度予算まで続投は考えられない。手続きに入っている臨時総裁選は行われることになり、新総裁で秋の臨時国会を迎えることになると思われる。いずれにしろいま総選挙をやればさらに議席を減らすことになるから、あと3年間風向きが変わるのを待つだろう。
参政党や国民民主党の勢いがいいとはいっても、いざとなれば自民党の方がずっと人材豊富である。現執行部の人気がないのは「消費税を守る」とか財務省の味方ばかりしているからで、イメージ次第で巻き返すことは可能かもしれない。あるいはそれは年寄りの感覚で、自民党は新聞・TVと同様オワコンなのだろうか。
[Sep 5, 2025]

自民党両院議員総会の後、自民党は臨時総裁選の是非を問う党内手続きに入ったが、NHKはほとんどニュースにしなかった。おそらく、多くの新聞・TVもそうだったと思われる。にぎやかだったのはYouTubeで、SNSも同様だったろう。こんなことだからオールドメディアと言われるのだ。
少数与党になったとはいえ、自民党総裁が首相にいちばん近いことは変わらない。執行部サイドが「総裁選実施希望者は自署のうえ、議員本人が党本部に持ってこい」と嫌がらせをしたのに対し、党最高顧問の麻生太郎が「上等じゃねえか。行ってやるよ」と前倒し要求を明らかにするなどニュースにしないのはもったいない展開が続いた。
石破首相周辺は「辞めさせられるなら解散・総選挙だぞ」と脅したものの、解散権は首相にあるものの閣議決定が必要で、反対する閣僚が続出すれば罷免して自分が兼任せざるを得ない。すでに閣内で総裁選前倒しを表明する議員もおり、公明党の大臣もいる。そう簡単に解散などできない。
個人的には国会議員票もさることながら、地方票がどれだけ総裁選前倒しを求めるかが重要と思っていた。現役閣僚・執行部の地元である鳥取、大分、鹿児島などはともかく、選挙で議席を減らした都道府県は執行部の責任を問う立場にならざるを得ない。
案の定、土・日で次々と都道府県連が総裁選前倒し要求を機関決定し、その時点でYouTubeには「石破辞任か、解散して自爆か」の動画が出回った。「石破メガンテ」という昔懐かしい見出しもあった。
その間、オールドメディアは素通りである。大気の状態が不安定はまだいいとして、スポーツ中継や歌番組をやっている場合かと言いたかった。民放はともかく、NHKは受信料で運営しているんじゃないのか。
日曜午後には都道府県連の機関決定がさらに続き、3時頃には前倒し不可避、石破辞任かとYouTubeでは確定報が出た。5時過ぎには一部民放で速報が出たものの、NHKではとうとう6時まで通常放送。6時からいきなり石破記者会見・辞任表明となった。
しつこいようだが、NHKは視聴料で運営している。総理大臣の去就が問題となっているのに、それより緊急な内容などない。災害関連ならともかく、歌番組を流している場合ではないだろうと思う。石破への忖度だとすれば、思い違いもはなはだしい。
結局のところ都道府県連の決定が決め手となり、ようやく石破退陣が決まった。進められていた臨時総裁選は行われることとなり、いまのところ小泉Jr.が有力視されている。いずれにしてもレームダックの石破では物事は先に進まないので、喜ばしいことである。
今後は、次の総裁・首相が誰になるのかが焦点となるが、できれば減税、難しければ一時金だけでも何とか実現してほしいものである。
[Sep 8, 2025]
石破首相が7日夕刻辞意表明。YouTubeでは数時間前から確実視されていたが、NHKでは6時の会見までスルー。お前ら視聴料で運営しているじゃないのか。

石破辞任について、NHKはじめマスコミが忖度してほとんどニュースにしなかったことについて一昨日書いたが、辞任会見もひどいものだった。自己弁護ときれい事に終始し、聞いているだけ時間のムダという代物であった。
もともと石破は自民党主流派ではなく、長らく冷や飯を食わされていた。それでも懲りずに総裁選に立候補してきたので、なかなか根性があると思って見ていた。こうなってみるとそれは買い被りで、出世欲と名誉欲が並外れていたに過ぎない。
こういう性格だから誰も付いてこないし、石破グループまでで石破派という大所帯にはならなかった。人の上に立つ器でないとかつての領袖達は分かっていたのである。「ゴルフのスコアをゴマ化すので有名だった」「飲みに行ってもカネを出さなかった」らしい。私だってそういう奴とは付き合いたくない。
政治空白は作れないとか喫緊の政策課題があると言い訳をして、結局は臨時総裁選が決まる前日まで辞任しなかった。マスコミでは賛否双方が運動したというが、石破の味方は岩屋とピストン赤沢、鈴木宗男くらいである。岸田も菅も、森山も最後は見捨てた。
せめて両院議員総会で辞意表明しておけば、各都道府県連も集まって会議する必要はなかったし、東京まで切符を手配した議員も多数いたはずである。他人の苦労は自分には苦しくないと思うのは、私に言わせると一種のサイコパスである。
ぐずぐずした言い訳会見を聞いていて、なつかしく思ったのは昔の政治家の潔さである。田中角栄後のキングメーカーだった金丸信は、あまりよく言う人はいなかったが、多くの子分(小沢だってそうだった)が従うだけのことはあった。
秘書の不始末で引退せざるを得なくなった時、記者に囲まれて「しじのよわい…」と一言だけ発言した。「私の指示が弱かった」と記事にした報道機関もあったのだが、これは「死児の齢」のことであった。(いまやYouTubeでテロップにできない)
「いまさら何を言っても仕方がない。死んだ子の年を数えるようなものだ」という意味である。半分ボケたようなじいさんだったが、言葉少ないながら的確な表現であった。数十分も垂れ流し会見する奴とはレベルが違う。
思えば、口数の多い連中が認められたのは橋下や上祐の頃からで、ディベートの得意な人間は頭の回転が速いということになった。しかし古今東西、口数の多い人間はろくなもんじゃないというのが鉄則で、「巧言令色すくなし仁」と二千年以上前の孔子が言っている。
説明責任は果たさなくてはならないが、ぐだくだと言い訳をするのは潔くない。潔くない人間は、人の上に立つ資格はない。いまや政治家は世襲の職業となったが、世襲する中にもいろんな奴がいる。そもそも直系の男で優れた人間がいなければ、昔の商家のように婿養子に継がせればいいのだ。
[Sep 10, 2025]
石破辞任絡みでしつこいが、今日が最後。先週末にTVでは臨時総裁選関連のニュースがほとんど流れず、仕方なくYouTubeの動画で情報を入手するしかなかった。その際思ったのが、TVの速報性・正確性など、もはやなくなってしまったんだなあということである。
ニュースの価値は、正確性と速報性にある。正確であることはもちろん大切だが、速く伝わらなければ価値はない。その両方のバランスをとらなくてはならないので、TV局は国民の財産である電波を排他的に利用できるし、TV局職員は高い給料をもらっているのだと思っていた。
YouTubeなどネット動画は信ぴょう性に問題があるとかねてから言われていて、実際デマとしか思えないニュースが過去あったのは確かである。しかし今回の石破辞任絡みについては、それぞれちゃんとしたニュースソースが確保されていたようで、それほど見当違いな動画は見なかった。
むしろ、民放のワイドショーに出ているコメンテーターの方が、いい加減な情報を流していたように思う。いい加減というよりも、何らかの意図に基づき偏向した情報を流していた節がある。
民間放送だから広告宣伝収入で運営されており、スポンサーの利害に触れるような話ができないのはまだ分かる(薬害やワクチン禍の話はしないとか)。そうではなく、官邸や記者クラブに忖度して、誰かに都合の悪いことを言わないというのは、報道機関の役割を放棄している。
記者会見から締め出されるとか、便宜を図ってもらえないとか、自分達の取材がやりにくくなることくらいで萎縮してどうすると思う。結局のところ、高給取りの恵まれた立場から追われたくないというそれだけのことなのである。
もちろん自分の若い頃を振り返ると、同じように委縮してストレスの多いサラリーマン生活を送ってきた。だから気持ちは分からないではないが、日の当たる実入りのいい仕事を、カネとコネだけでつかんで離さないというのはどうなのか。それに伴う矜持はないのか。私はそこまでしていない。
トランプ大統領がちゃんとした記者会見をほとんどやらず、Ⅹに投稿して終わりにしているのはいかがなものかと思っていたが、新聞・TV等いわゆるオールドメディアには問題があるし、そもそも速報性がない。さすが先進国、日本のはるか先を行っている。
わが家が新聞をとらなくなったのは、7~8年前になる。TVも限られた番組以外ほとんど見なくなっているけれど、今回の顛末をみるとこの傾向は続きそうだ。ご近所でも新聞をとらない家は増えているし、TVを見ない家もこれからどんどん増えるだろう。
[Sep 12, 2025]
昔バイキング(バフェ)が大好きだった
若い頃、バイキングが大好きだった。ホテルに泊まって夕食がバイキングだとうれしかった。自分の好きな料理を好きなだけ取ることができるし、嫌いなものは食べないで済む。昔から好き嫌いが多いものだから、たいへん重宝した。
40~50代に海外旅行に行くようになると、バイキングではなくバフェが本来の呼び方と知った。ラスベガスに行けば原則バフェで、朝から晩までやっている(夜中は休み)。肉でも魚でも野菜でも、各民族それぞれの流儀があるから、どの客からも文句が出ないようにということだろう。ステーキやローストビーフに何度も並んだものである。
海外に行かなくなったのと同時に、バフェにもあまり関心が向かなくなった。歳を取って、座って立って料理をよそっての繰り返しに疲れたことも大きい。奥さんも同じ意見で、テーブルに着いたら食事を持ってきてくれるのが一番いいと言っている。
バイキングと同様、食べ放題もご無沙汰である。飲めなくなったのはしばらく前からだが、最近は食べ過ぎると胃に響く。食事後の体調が心配になるとは歳である。もっとも70近くなるまでそういう配慮をしなかったのは、恵まれてもいるのだろう。
思う存分食べることなどもうできないし、そういう機会もないだろうことは、寂しくもある。人生いろんな意味で終盤に近付いて、拡大より縮小、展開より収束に向かう季節なのかもしれない。
[Sep 24, 2025]

葷酒山門に入るを許さず
最近、キリスト教や教会・修道院に関する本を読んでいる。外来の文化(宗教)を自分達に合うように改変してしまうのは日本人だけかと思っていたら、そんなことはなく古今東西、時代を問わずそうした傾向があるのは意外だった。 だから原理原則に厳しく、神のおっしゃることは一言一句そのとおりにしなければならないというのはごく限られた人々の話で、イスラム教だってISやタリバンのような人ばかりではない。 キリスト教においても、イエス・キリストの教えのとおり教会が運営されていたら、なぜ児童虐待がいまの時代まで頻繁にあるのかということである。キリストの教えと教会の説教が別物で、本音と建前が違うのはどこの世界も同じ。そして、そういう連中の方がむしろ出世が早かったりする。 断食があるのはイスラム教だけではなく、イエス・キリストも断食していて、それに倣ってキリスト教でも断食の修業がある。あまり知られていないのはラマダンのように大々的にやらないのと、プロテスタントでは一般的ではないからである。 ではカトリック系はきちんと断食しているかというとそんなことはなくて、中世において神父が肥満体なのはデフォルトであった。食べ過ぎるから太るのはいまも昔も変わらない。新大陸からカカオが入ってきた時、ホットチョコレートはお茶なので断食時に飲んでも構わないと、わざわざ教皇が通達したそうである。(当時からカカオ98%だった訳ではあるまい) その意味では、「葷酒山門に入るを許さず」と山門に大書している日本の寺院は、まだ厳密なところが残っている。「葷」とはニンニクなど匂いのある香草、「酒」はもちろんアルコール。それらは修業の妨げになるから山門の中では厳禁ということである。 中世の寺院は山内に僧兵もいるからそういう訳にもいかないだろうと思ったら、山門に刻むのは江戸時代以降の習慣らしい。中世の寺院は城だからオープンな山門など置かなかっただろうし、石があればまず石垣に使われたものと思われる。 ルールが書いてあればなるべく守らなくてはならないと思うのは日本人の習性で、だから交通標語がいたるところに貼ってある。「葷酒山門に入るを許さず」と書いてあるのに無視するのは、日大アメフト部の学生寮くらいであろう(いろんな意味で、僧兵と共通する性質がある)。 観光化しているお寺では、いまや葷酒を許さないところはない。「般若湯」とカモフラージュするのはまだいい方で、ほとんどはお品書きに日本酒・ビールと書いてある。とはいえ、禅寺などわざわざ修行体験をしに行く場所では、いまでもアルコール禁止である。何の修業かということになる。 宿泊施設で酒類を提供するのは、その方が儲かるからである。寺も儲けなけれはならないというのはごく最近の風潮で、元来は清貧、住む場所も着るものも食べるものも質素というのが、僧侶や修行者のあるべき姿だろう。収入が少なければその範囲内で暮らし、それでも足りなければ托鉢するのが当然である(年金生活者もそうだ)。 その意味では中世に戻ったというか、宗教者も衆生とほとんど変わらなくなってしまったということである。お隣の国では大統領夫人にブランド品を贈り、便宜を図ってもらった教祖が逮捕された。宗教の本来あるべき姿が残っている場所は、いまもどこかにあるのだろうか。 [Sep 29, 2025]
国勢調査が来た
みなさんのブログを見ていると、国勢調査が来ているらしい。家にはなかなか来ないなと思っていたら、先月末になってポストに入っていた。
内容は、十年一日というか、いつもと同じような項目である。正直なところ、この程度の情報で誰が何をできるのかと思う。住民票を調べれば、どういう間柄のどういう人が住んでいるかは分かるし、生年月日だって分かる。マイナンバーを持っていれば、銀行口座、健康保険の有無、勤務先だって分かる。
想像するに、住民票やマイナンバーの情報は、国勢調査の部署(統計局)ではアクセスできませんということなのだろうが、同じ総務省で完全に情報が遮断されているはずもない。おそらく面倒だからやらないだけである。
国勢調査というと思い出すのは、椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」である。男4人で共同生活をしているアパートに国勢調査が来て、それぞれ父とか兄とか適当な間柄を回答して返したという話である。
今回、調査票に「回答拒否や虚偽報告は罰せられる」みたいなことが書いてあって、こんなこと以前から書いてあったかなと思った。
統計的に処理するだけならいちいち本当かどうかチェックしないだろうし、統計法違反で罰せられるのは調査内容を他に漏らした調査員くらいだろう。こういう注意喚起をわざわざするのは、外国人居住者を考慮しているのだろうか。
外国人居住者の中には、在留資格が微妙な人が少なくないし、就労できる資格だって同様であろう。そういう人達にとって、国籍や居住年数、生年月(日までは訊かない)、どこで働いているかを訊かれることにはナーバスになるだろう。
どういう年齢・間柄の何人が同居しているかだって、知られたくないかもしれない。椎名誠が「木村がとーちゃん、イサオが兄貴で出しとこう」と言えるのは、バレたところで大したことはないからである。外国人居住者は最悪の場合強制送還と考えるし、総務省統計局と入管、警察の違いなんてまず分からない。
だから、これだけ外国人の人達が入っているからには(一説によると10分の1を超えているらしい)、第二次大戦前の農業国の制度など見直して、数字が欲しければもっとシステマティックに扱うべきであろう。もはや社会党も共産党も少数派なのだから、住民票やマイナンバー、入出国管理の情報を使って統計処理をしたところで誰も何も言わない。
[Oct 3, 2025]
先月末になって、ようやく国勢調査の調査票が届いた。WEB入力してすぐ送信。こんなことに手間と費用をかけるよりも、別資料を当たった方がより的確なデータが取れると思う。

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