
なんとなく思うこと・・・ニュースや世間のいろいろなこと、私が思うことと世間が感じることは違うみたいです。
取り返しのつかないことを避けない人達
年明け早々めでたくないことを書くのは気が引けるが、違法風俗のタイ少女と同様にしばらくするとマスコミも報道しなくなるので、今のうちに書いておく。暮れに引き続いた事故の件である。
サウナルームにせよ、スキー場にせよ、何かあったら危ないことは分かっていたはずである。にもかかわらず放置し、人命にかかわる事故となった。これについて2つのことを思った。一つは指摘したところでかえって嫌がられただろうということ、もう一つは取り返しのつかないという発想がなくなりつつあることである。
指摘したところでかえって嫌がられるというのは、自分自身のサラリーマン生活でもしばしばあったことである。サウナルームで非常ベルの電源を切ったりするのは万一の場合大変なことになる。しかしそれを指摘しても、「事故なんて起きないよ」「誰か待機させてその費用はどうする」と言われておしまいである。
スキー場のエスカレーターにしても「何か挟まれば止まる仕組みになっています」と平然と言っていたが、機械物に絶対はないし、取説のどこかに小さい字で「止まらないこともあります」と書いてあったと思う。そして、責任者にしろ担当者にしろ、取説なんて絶対読んでない。
もし何か起こった場合を想定する人、取説をきちんと読んで理解する人は組織のすべての人がする必要はないけれど、誰かがしないと仕事は成り立たない。そして、そういう指摘は、組織の大部分の人達にとって面倒だしやりたくないし聞きたくないことである。
そういうことを言う人は「うるせー奴」「こまけー奴」として煙たがられ嫌がられる。組織全体を運営し責任を持つ人はその必要性を分からなければならないが、実際分かっていない。確率としては何もない場合が多いが、何か起こった場合の被害はきわめて大きい。
もう一つは、「取り返しのつかない」という概念がなくなりつつあることである。これは、東日本大震災の東電による原発事故の影響がたいへん大きい。国土のかなりの部分を使えない状況にしておいて、当時の東電幹部は社会的制裁も経済的制裁も受けていない。
藤沢周平の時代小説によく出てくるが、侍の社会では「一同腹を切っても追いつかない」ことがあった。藩の体面にかかわったり、お殿様に危害が及ぶことである。しかし今の時代、そういう概念はなくなりつつある。カネさえ払えばそれで済むという考えの人が大部分になった。
ところが、地球に住めなくなったり、人間社会がなくなるようなことは、カネを払ってどうにかなることではない。そうなったら通貨に意味がないからである。同様に、人命が失われたり、組織がなりたたなくなるようなことを起こせば、本来はカネでは済まない。取り返しがつかない。
取り返しのつかないことをしないために、余分な手間暇をかけ余分なカネをかけなければならない。しかし昨今の人達は何かあってもカネで片が付くと思っている。カネで片が付くなら、ことは損得の問題、採算の問題になる。取り返しのつかないことでも、採算がとれなければ仕方がないことになる。
今回の事件も、いずれは業務上過失致死で誰かが刑事責任を追及されることになるが、彼らにとっては罰金と損害賠償か、悪くて刑務所に行くだけのことで、サウナルームやスキー場で儲けることに比べれば小さなことなのである。
ただ、半世紀前の価値観では、悪いことをして刑務所に行くことは恥ずべきことで、取り返しのつかないことであった。過失・不注意により避けられない事故もあるけれど、今回のような事故は、費用と手間暇さえ惜しまなければ避けられた事故なのは間違いないのである。
[Jan 5, 2026]
サウナルーム、スキー場と事故が相次いだ。いずれも、現場で働いている何人かは危険に気づいたはずである。しかし、指摘すると嫌がられるので誰も言わない。結果、「取り返しのつかないこと」が起きる。

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