せっかく会社を辞められたのですから、おカネがないなりに楽しく過ごしたいものです。
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国会図書館    下り坂をゆっくり下る    その時にしかできないこと    誰かと比べてではなく
縛られるもの    思い通りいかないことが多い    年金生活に向く人・向かない人
もう少しだけ友達でいようぜ今回は    スーツを断捨離    年金生活と酒

国会図書館

リタイアしてから、2~3ヵ月に一度国会図書館に行くことにしている。地元の図書館に置いていない本もあるし、たまには電車に乗って都心の様子をみておきたいからである。1月の終わりに、2020年になって初めて行って来た。

国会図書館は、普通の図書館のように資料が開架しているのではなく、コンピュータの端末で所蔵資料をリクエストし(3冊以内)、出してもらって図書館の中で閲覧するというシステムである。

年末とか連休前でない限り、混んでいることはほとんどない。国会図書館というと、議員秘書とか役所の担当者が調べものをするというイメージがあるが、そういう風体の人はほとんどいない。役人にそんな時間はないし、議員秘書は勉強などしない。

来館者の半分以上は私同様リタイアしたじいさんである。平日のスポーツジムと似ているが、残り半分が学生院生とおぼしき若者である点が違っている。国会図書館でシニア女性を見たことがない。小さい頃は読書が好きなのは女の子だったのだが、どこで逆転したのだろう。

所蔵資料を検索するのは家のパソコンでもできて、それをリストに入れておけば現場で呼び出すことができる。この日は予定した資料のうち一冊が貸出中で(個人に貸し出すことはしないが、図書館相互ではあるようだ)、残りの資料を何時間かかけて読んだ。

前回来たのは昨年の秋だった。その時は工事中だった閲覧室に近いトイレが、新装されてオープンしていた。まるで、JALのラウンジのように新しくてきれいだ。というよりも、これまでが古色蒼然としすぎていたのである。

古色蒼然といえば、閲覧室の机もしばらく前からかなり黒ずんで汚くなっている。素手でさわるのにちょっと気が引けるほどで、国の施設なのにどうにかならないのかと思う。おそらく、役人や議員が使う訳でもないのに、あるだけありがたく思えということなのだろう。

資料調べの後、せっかくなので八重洲ブックセンターに足を伸ばす。東京駅の八重洲側はこれまで以上に何もなくなっていて、八重洲ブックセンターも取り壊されたかと思ったほどだった。オリンピックに向けての再開発だと思っていたが、おそらく今年中にできあがるのは無理だろう。

八重洲ブックセンターも経営は苦しいようで、地下1階のレジに行くと「お会計は1階でお願いします」と言われる。アルバイトが集まらないのか、あるいは人件費削減のあおりなのか。できて40年近く経つので、そのうち本当に再開発されてしまうかもしれない。

オリンピックといえば、東京駅だけでなくいろいろな駅で構内の工事が進められている。多くは、バリアフリーとショッピング街の新装のようだ。バリアフリーにするのはいいことだが、かえって歩かされる距離が長くなっているように感じる。

電車に乗っても、時間帯のせいか外国人の姿を多く見かけた。大体は、席を詰めて座らないし、荷物を動線上に置いて平気である。こういう連中をみると、カネ儲けのためにオリンピックを誘致して何がいいのだろうかと思う。

「1Q84」に、ポイントを切り替えるとこちら側に来てほしい人だけでなく、ほしくない人も同じ列車でやってくるというような表現があったが、まさにそういうことである。ヨーロッパの多くの国は、いままさにそれで苦労している。

四国お遍路を歩いていると、要所にある遍路宿のいくつかがここ数年で廃業しているのに嫌でも気がつく。日本の総人口は減っているのだから、総需要も減っているのが当り前である。以前はこういう場合、輸出を増やして売上を確保しようとしてきた。

ところが日本の人件費は高く、価格競争で太刀打ちするのは困難である。観光、宿泊、飲食サービスの売上を確保するためには、理屈からいうと、景気のいい国から来てもらって消費してもらうしかない。

でも、多くの場合それは、もとからいた人の住みやすさを犠牲にしなければならない。そんなことをするよりも、小さくなった需要に合わせて経済も小さくすればいいように思うのだが、そうではないと思う人が大勢を占めるのだろう。

国会図書館のエントランスからは、国会議事堂が間近に見える。


[Feb 13, 2020]


下り坂をゆっくり下る

先日、題名につられて平田オリザの「下り坂をそろそろと下る」を読んだのだが、想像していたのと全く違った内容で、書評を書こうという気になれなかった。

この本では、「下り坂」といいながら文化活動という別の山に登ることが書かれている。せっかく経済成長という山から下りてきたのに、また違う山に登ってどうするのかと思う。まあ、作家であり劇団主宰者であり、地方活性化にお座敷のかかる人だから仕方のないことかもしれない。

私が「下り坂」と聞いてイメージするのは、しばらく前に「ポツンと一軒家」に出てきたある老人である。この人は、子供を育てるのに山の中で牛とか家畜を飼っていたのだが、いまや奥さんと二人になり、わずかな農地を耕すだけである。ずいぶん前から家畜小屋は使っていないので、そのコンクリ造りの基礎を手作業で崩していくのが毎日の仕事なのである。

「今年一杯で、この牛小屋は始末できそうだ。そうしたら来年は使っていない別の小屋を片付ける」と老人は言う。ポツンと一軒家だから放っておいても草に覆われてしまうだけだが、自分が動けるうちに、もとの姿に戻しておきたいというのである。

かつて家畜小屋の基礎であったコンクリを一年かけて金槌で叩いて崩す。そのがれきを片づけて、もとの更地に戻す。そうやってかつてあった状態に戻すのが、自分のすべきことであるという。「下り坂を下る」というのは、まさにこういうことを言うのではないかと思う。

自分が苦労して形にしてきたものは、自分が死んだ後も残したいと思いがちである。しかしよく考えると、これからも使うならともかく、すでに使っていないものを残されたところで、後の人はその片付けをしなければならない。だったら、自分ですべて片付けるというのは、よく考えると当り前のことである。

私は山歩きが趣味のひとつだが、「下り坂を下る」つまり下山時に多くの遭難事例が発生していることはよく知られている。一日のうちで最も疲れているのが下山時であるという身体的な問題とともに、登りでは緊張していたのに下りでは油断してしまうというメンタルの問題もあるとされている。

下山時に求められるのは何よりも無事に麓に着くことである。登っている時は目標を掲げたり負荷をかけて自らを高めていくことも重要だが、下りはそうではない。水も非常食も最低限でいいし、負荷をなるべく下げる、荷物を軽くすることが大切になる。

そして、励みになるのは無事に麓に着いて自らの健闘をねぎらうことである。登りでは達成感とか充実感というご褒美があるけれども、下りではそういうものよりも安心感が第一である。そして、それを分かち合うことができるのは自分しかいない。

もしかすると、このことは下りだけでなく登りもそうなのではないかと思ったりもするのだが、それはともかく、ポツンと一軒家の老人の域にまで達しないとしても、「下り坂を下る」については、背負っている荷物を軽くして、できるだけ身軽になることを心しておかなければならないと思う。

昨今話題になっている運転免許の返上についてもそうである。年甲斐もなく、重い荷物を持ったり遠くへ行ったりしようと思うから車が必要になる。そうではなくて、できるだけ荷物は持たない、歩いて行けない場所には行かないようにすれば、結構な維持費用のかかる車にいつまでも頼る必要はない。

後に残すものがあるとすればソフトだけで、ハードに類するものは意識して整理していくというのが、これから下り坂に向かうわれわれが考えるべきことのように思う。そのソフトにしても、手の届く範囲に縮小していくのがベターかもしれない。

[Feb 20, 2020]


その時にしかできないこと

コロナウィルスで中国・韓国との出入国がややこしいことになっている。そういえば、しばらく海外に出ていない。パスポートを確認してみたら、最後にラスベガスに行ったのは2011年、最後のマカオはそれより前の2010年春だった。

マカオにはさんざん行った、と言えるかもしれない。サンズができてから売上でラスベガスを超えるまでの一時期、訪れるたびに風景が変わるマカオを見てきた。ハンドルネームも、マカオにちなんだものを使い続けている。

奥さんからは「もう一生分遊んだでしょう」と言われてしまう。一生分かどうかは何ともいえないけれど、あの時代にしかできないことをしたということは感じている。

以来、10年が経過した。数ヶ月を開けずに通っていた頃はいつも、次はいつ来ようと思っていた。しかし、こうしてしばらく行かないでいると、あれほど頻繁に通った日々が夢のようである。

最近のマカオは政治家の収賄容疑で映像が出てくるくらいで、あまりイメージがよろしくない。グランドリスボアの映像を見ると華やかだけれど、昔のずんぐりしたリスボアのローカルさをむしろなつかしく感じる。

かつてはスタンプを押すページが足りなくなりそうだったパスポートも、今年の夏で期限が切れる。ちくわさんが中国本土に入る時に、スタンプを押す余白がなくなってあたふたした、なんてこともあった。

若い時から、その時しかできないことを思う存分するよう意識している。その方が、年取ってから後悔することがより少ないと思うからである。

いまは年金生活で海外旅行はなかなかできないが、タイパ島に建設中のカシノホテルや、ケアンズのホテルの窓から見た市街の風景、テニアンのこじんまりしたカシノと離島のさりげない風景など、いまも思い出すとなつかしい。もちろん、MGMの最後部の座席を1000ドル出して見たデラホーヤvsホプキンスもいい経験であった。

家の近所を散歩していて総武カントリーや習志野カントリーの横を歩くことがあるのだけれど、ゴルフをしたいとは全く思わない。あんなことに、どうして多くのカネと時間を浪費していたのだろうと思う。ということは、職場の付き合いでやっていただけで、本当にやりたいことではなかったのである。

一方で、もし今おカネと時間がもう少しあったとしたら、カシノでポーカーやバカラ、BJ卓を前に胸おどるひとときを過ごしたいとは思う。本当にやりたいこととはそういうことだ。 だから、環境がかなり違ってしまった現在でも、今しかできないことは何だろう、と考える。お遍路や山歩きに使う時間が多くなったのは、足腰が衰える前の今しかできないからである。いよいよ足腰が衰えてしまったら、生きている間にしかできないことは何か、考えることになるだろう。

いずれ遠からず当り籤が当たる日が来るのだが、そうやってその時にしかできないことを積み上げていくことができれば、心静かにフェイドアウトできるのかもしれない。

かつてのパスポート渡航記録。いつの間にか、海外に行かなくなって10年経ちました。


先週、カシノや海外旅行から遠ざかっていることについて書いた。そういえば、フェイドアウトしつつあるものはそれだけではないようだ。今日はそのことについて。

コロナウィルスの影響でニューヨークのダウは乱高下しているが、日本の株価もようやく足並みを揃えたようで、先週大幅な急落があった。1週間で3000円近く下げて2万円を大きく割り込んでいる。

中国人観光客がいなくなって爆買いやホテル需要が壊滅しただけでなく、あちらの工場が止まっているのでいろいろな部品が調達できないでいる。消費も生産も停滞するし住宅建設にも影響が出ているという。GDPの大幅な低下も避けられない。

となれば、株安もやむを得ないところであり、今後さまざまなところに影響が出るだろう。そもそも、アクシデントは世の中に付き物であって、NYダウが3万ドル近かったり、日経平均が2万円を長らく上回っていること自体が普通でなかった。

いまでも少しだけ株は持っているけれども、差し当たり必要な現金は用意しているので、値下がりは望ましくないものの大きな影響はない。信用取引もやらなくなって久しいので、株価に一喜一憂することもない。

WEBを見ると含み益が飛んだとかいう記事を見かけるが、手持ち株式の配当利回りが2%以上あるので、銀行に預けておくより気分がいい。そして最後の砦は、ローンのなくなった家である。

思い起こせば、株式投資を始めたのは社会人になってすぐで、40年前のことになる。多くの人と同様に自社持株会が最初で、少しずつ他の株式にも手を広げた。

おりしもバブル最盛期にかかる頃で、今は昔になったNTT株も2株当てることができた。当時の値上がりがそのまま続けば、50歳になる頃には金融資産が1億円を超える計算であった。

ところが、ほどなくしてバブルが崩壊。以来、日経平均の最高値を更新しないまま30年以上が経過した。当時働いていた会社は合併を繰り返し、株価を換算すると4分の1以下になっている。最高値の頃に時価発行増資をしているが、当時から従業員福祉ではなく会社によるマルチ商法だと思っていた。その通りになった。

だから1億円の予定が2,500万円くらいのはずだが、それすら大きく届かないのは、売り買いが下手だということであろう。上がったと言えば喜び下がったといえば憂鬱になり、たまに売り建てすると急に値上がりして、すぐに損切りしなければならなかった。

それでも、ストレスがなくなったことはたいへんうれしいことである。信用取引をしていれば先週の乱高下で喜んだのか悲しんだのか、どちらにせよよく眠れなかったはずだ。

もうこの歳だから、1億円の金融資産など欲しいとは思わない。それより、ストレスなく平安な毎日がこのまま続くことが望みである。カシノや海外旅行と同様、株式投資からもフェイドアウトしつつある今日この頃である。

ただ、中国で生産が止まると原油価格まで影響があるのだから、ワイン価格も下がってくれないかとお気楽なことを考えている。

[Mar 18, 2020]


誰かと比べてではなく

若い時から、誰かと比べて<相対的に>どうということよりも、自分がどうなのか<絶対的に>考えるのが大切だと思っていた。かれこれ半世紀そう思っているから、この先変わることもないだろう。

例えをあげるならば、お腹がすいている時に重要なのは、おいしいものをお腹いっぱい食べることだとしても、誰かより多く食べることではない。そういうことである。

だから、誰か特定個人を「ライバル」として意識することはなかったし、そういう考え方は自分の伸びしろを少なくすると思っていた。それよりも、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかが大切だった。

こういう考え方は実社会では受け入れられないようで、社会に出てからいろんなところで目の敵にされた。ノルマとか競合他社などという概念をそもそも何とも思っていないので、嫌われるだけの理由はある。

そのおかげで、サラリーマンとしての生活はかなり悲惨なものであったが、私生活においてはわくわくするような経験がたくさんあった。おそらくそれは、他人と比べる生き方をしていたら手に入らなかっただろう。

私とほぼ同じ立ち位置から出発した中には、総理大臣になった政治家もいるし、大会社のCEOもいるし、大学教授もたくさん出た。それらの人々と比べて私に努力が足りないのは確かだが、代われと言われても代わりたくはない。彼らはそういう時間の使い方をしてきたし、私は違う時間の使い方をしてきたからである。

彼らがいまの立場を確立するために費やしてきた多くの時間で、私は海外のカシノに通ってポーカーやバカラで胸はずませる時を過ごし、いろいろなところを歩き、いろいろな本を読んだ。いままた、心置きなくNFLや将棋の中継をリアルタイムで楽しむことができる。

そして、プライバシーが公開されていないから、どこの山を歩いていても「△△さん、今日は休暇ですか」と声をかけられることもなければ、「△△がXX寺で受付と口論していた」などと晒されることもない。名乗る必要がなければ無名の年金生活者でいることができる。

社会的に成功した彼らが、いまから私のような経験ができるかというと、きっと難しいだろう。もちろん資金的には問題ないとしても、精神的肉体的な体力が若い頃と同じではないからである。

加えて、その時だけのタイミングというものがある。サンズ以前のマカオは、今からでは経験することができない。四国お遍路だって、遍路宿が次々廃業しており、コロナでますます加速するだろう状況で、いつまでいまの環境があるか分からない。

この先どれくらい心身の状態が保てるか分からないが、おカネや社会的地位で老化をとどめることができないのは始皇帝が2千年前に証明済である。話は最初に戻るが、誰かと比べるより自分がどうしたいのかを考えて残りの日々を送りたいものである。

[May 14, 2020]


縛られるもの

お遍路歩きや山歩きをしていて、いろいろな土地でいろいろな人が生活しているのを目にする。最近、そういう時にしみじみ感じるのは、受け継いだ田畑とか資産がなくてよかったなあということである。

若い時は、お金持ちの家に生まれていれば、もっとやりたいことができただろうと思ったこともあった。ちょうどバブルの時期にあたり、土地であればカネになるという時代があった。その期間はいまにしてみればたいへん短かったのだが、先祖代々の土地を受け継いでいる人は生きていく上で有利だと感じたものである。

その後、平成の30年間は経済的にほぼ停滞した時代であった。給料が増えることもなく、地価も株価も上がらず、消費は停滞したまま一世代が過ぎ、日本の総人口は減少に転じた。これから先、私の生きている間に再びバブルが来ることはなさそうだ。

こうなってみると、田畑を持っていたり、土地を持っていたり、工場その他の産業基盤を持っていたとしても、それらは行動の自由を制限するけれども、持っているからプラスになるものではなさそうである。固定資産税を払うだけ損ということである。

いろいろな場所を歩いていると、田畑を耕している人がいて、家畜の世話をしている人がいて、家業に精を出している人がいる。お遍路では瓦製造の街を見たし、山歩きではかつて石材で栄えた場所も歩いた。

田畑(第一次産業)や工場(第二次産業)でなくても、状況は似たようなものかもしれない。私の小さい頃は医者が最高の花形職業で、美人は開業医の妻を目指すとされたものである。いまや、医者の就業環境がブラックであることは知れ渡っているし、ドクターXでもない限りそんなに高収入でもない。

それらの例から考えると、平成・令和の時代に花形とされているIT長者が、あと30年経って引き続き花形であるかどうか分からない。経験則からすると、ない可能性の方が大きい。

もちろん、田畑を耕したり家畜の世話をしたり、人々の病気を治すことはそれ自体すばらしいことであり、生き甲斐である。しかし、私の性格からいうと、それらの仕事に縛られることはおそらくストレスとなるのではないかと思う。

いまの生活のようにストレスが少なく、おカネには不自由するけれどもほとんどの時間を好きに過ごすためには、どういう形であれ縛られるものがあるのは私にとってマイナスである。

田畑があればその土地から離れることは難しく、気に入った場所を探して住むことはできない。工場だろうが、サービス産業だろうが、生産基盤を持っていれば仕事に縛られて時間に自由は利かない。

何も持たずに生まれてきたということは、いま考えるとそれほど悪いことではなく、むしろよかったことなのではないかと思えるようになった。

[Jun 6, 2020]


思い通りいかないことが多い

年金生活を送っていると、基本的には限られたおカネで切り詰めた生活をしなければならない。それは納得の上で働かないのだし、増え続けるストレスとどちらを選ぶのかということなので致し方ないことなのだが、それにしてもむしゃくしゃしてしまうのはどうしようもないことなのである。

考えてみると、十数年前には月々数万円の小遣いで、それでも足らずにカードローンやリボ払いの残高を増やし続けていたのである。高速代のニ、三千円は負担とも思わなかったし、週末に飛行機や新幹線で移動するのもしょっちゅうであった。

ただ、そうやってカシノとか旅行とかいろいろな経験をしたことは、自分にとってかけがえのないものとなったと思う。むしろ後悔するのは、若い頃にゴルフだの酒だのマージャンだのに費やした時間とおカネである。

だから、いま現在こうしたストレスに対処する際考えるのは、この支出が若い頃のゴルフ・酒・マージャンに類するものなのか、それとも十数年前の支出に類するものなのかということである。足腰がきかなくなったり、動けなくなっておカネだけあっても、どうしようもないのである。

だから、いま現在やりたいことで何年かしたらできないおそれのあることは、なるべくできるうちにしておくというのが基本方針である。あとは、それでいざという時困らないかどうかの判断ということになる。

おカネを使えないというのはストレスであるが、考えてみればおカネを使うかどうかではなく、やりたいことができるかやりたくないことをしなくて済むかがストレスにつながるのである。そこをはき違えてはいけない。

年金生活の記事の中で書いているように、現在の経済的苦境は65歳以降段階的に軽減される見通しである(実際はどうか分からない)。あと2年である。

その2年の間は預貯金取り崩しをせざるを得ないけれども、それでも若干の余裕があるはずだし、最後の砦としてローンのない家がある。だから、ストレスを増すくらいなら使いたいだけ使ってしまえという方法もあるのだが、それができないのは貧乏性であろうか。

あるいは、ダイエットをしている時に、食べたいものを食べられないし酒も飲めないという時に感じるストレスと似たような感情のように思われる。健康管理のためにダイエットしているのに、それがもとでストレスを増やしていては本末転倒である。

同じことで、生活の質を上げるためにリタイアして節約生活を送っているのに、それがもとでストレスを増やして生きづらくしたのでは何が目的で何が手段なのか分からなくなってしまう。

今年前半はコロナ騒ぎで非日常の日々が続いたし、これから先も「新しい生活習慣」とやらがやってくる。難しい世の中だけれど、とにかくストレスを少しでも減らすような生き方をしたいものである。

一昨年の中国・四国、昨年の関東に続き、今年は九州で大きな水害が発生した。(出典:スポニチ)。


今年に入って間もなく、新型コロナウィルスの騒ぎになった。2月頃から騒がしくなり、3月には図書館やジムが休みになり、4月には非常事態宣言が出された。

2ヵ月近く続いた非常事態宣言が終了しても、コロナ陽性者は増えている。これは当り前のことで、非常事態とはいいながらろくに検査をしていなかったのだから、検査を増やせば陽性者も増える。きっと次は重症者が少ないと言い出すだろう。

おそらく全員を調査すれば、諸外国並みに万単位の陽性者が出ると思われる。では、なぜ日本では患者数が激増して医療崩壊にならないのか、普通に考えると、日本には諸外国にない要因があったということである。最初から言っているとおりである。

海外ニュースを見ていると、これだけコロナで大騒ぎしているのにマスクを付けていない人の方が多い。トランプなど、率先して付けていない。一方日本では、電車内どころか、街中でもスーパーでもマスクなしの人を見つける方が困難である。

こうした公衆衛生観念の違いによるものか、BCG接種の影響か、本来であれば2月か3月に感染爆発しておかしくなかった日本で、重症者はそれほど多くなかった。志村けんや岡江久美子は気の毒だったけれど、ジョンソン首相の例にみられるように、欧米での著名人の入院数は日本の比ではない。

アーリーリタイアしたので会社がらみで神経を煩わせることがないのは何よりだが、コロナで自粛を余儀なくされたり、いろんな施設が要予約になったり、思い通りに物事が進まないことが多くなった。

さらに今年は天候が不順で、県境を越えていいと言われた途端に雨。さらに変な強風。一昨年の中国・四国地方豪雨、昨年の関東連続豪雨に続き、今年は九州で大きな豪雨被害である。

わが家でも、夜になると雨戸のシャッターが強風で一晩中鳴り続けて、よく眠れない日が続いた。奥さんと、川が氾濫して家が流されることに比べれば大したことはないと話すのだけれど、それでも寝不足は否めない。

改めて思うのは、アーリーリタイアしてストレスの原因を減らしてはきたものの、思うに任せないことは何やかや出てきて、心安らかに毎日を過ごすのは難しいということである。

人間の歴史をさかのぼれば、住むところがあって食べるものがあれば十分なはずなのだが、大昔だって大雨大風が続けばぐっすり眠る訳にはいかなかっただろう。

それでも悪いことばかりではなくて、連日の強風で寝不足になると、おカネの心配とか今後の計画といったちょっと先のことへの関心が薄れてくるようである。

[Jul 15, 2020]


年金生活に向く人・向かない人

毎朝自分のブログの更新状況を確認したり、前日のアクセス数を調べたりする。ついでに、他の人の書いたブログを読んだり、最新ニュースをチェックすることもある。

他の人のブログを読んで参考になることもあれば、あまり参考にならないこともある。おおまかな傾向として、断定的な物言いをする人の書いたものはあまり参考とならないことが多い。

この間、題名につられて読んだブログでは、アーリーリタイアには意味がないと主張していた。なぜかというと、時間ができてもやることがないからだという。そりゃ<あなたは>やることがないかもしれないが、私にはいくらでもある。

どういう話題にせよ、「これこれが正しい。なぜかというと私がそう思うからである」と主張する人が多いのは困りものである。なぜ、少し違った角度、違った視点から考えてみないのだろうと思う。

そういう人達というのは、おそらく、自分は優れているが読者は考えが足らない。だから私が啓発(昔は啓蒙といった)するのだという空気を感じる。いわば、ブログを通じてマウンティングをしているのだ。

私がブログを続けている理由のひとつは、以前、WEBからの知見に助けられ、会社とか学校、地域では知り合えないような多くの人達と知り合い、たいへん楽しい時間を過ごしたからである。こうしてブログでいろいろ書くことで、なにがしかの恩返しができたらと思っている。

だから、想定読者は二十年前の自分である。もしその頃に現在の知識があれば、もっとスムーズにリタイア生活に入ることができただろう。もっと効率的に準備できただろうと思うからである。

そうした観点からすると、「アーリーリタイアには意味がない。生涯現役が理想」という意見を二十年ほど前の私が読んだとしたら、これほどネットに深入りしなかったと思う。そういう意見は、本や雑誌を探せばいくらでも書いてあるからである。

いまは少しましになったが、老後の指南と称して、月30万の収入が必要だとか、年金の運用法とか、副収入をいかに多く確保するかなどという情報を提供する人達がいる。たいていは、銀行や保険、証券会社の手先である。

リタイアというのは、そうした俗世間の価値観から一歩離れて、ある意味、自分がこの世から静かにフェイドアウトするための準備期間である。そうしたことばかりに頭を使う人達は、永遠に生きるつもりなのかと思ってしまう。

もちろん、そうした人達はそうした価値観でやっていただいて差し支えないのだが、私から言わせるとそれはリタイアではなく、定年後も会社に似た何者かに属して、サラリーマンに似た何かをしているのである。

リタイア後は地域社会やボランティアで社会とのつながりを保つことが大切だと書かれていることがあるけれども、私はそれにも疑問を持っている。つまり、そういうことを言ったりなるほどと思ったりする人達は、結局のところリタイアに向かないのだろう。

盛夏の里山を歩く。長梅雨で心配したけれど、8月に入ると連日猛暑で、今年も豊作間違いなしです。


リタイア後にどういう時間を過ごすのか。私のイメージを少し書いてみたい。 先日は、少し日が陰ったのを幸い、いつもの里山歩きに出かけた。20分も歩かないうちに、電柱も建物もひとつも見えない田園地帯になるのは、千葉ニュータウンの最もすぐれた点のひとつである。

セミの声を聞き、鳥の声を聞き、虫の声を聞く。木々をわたる風を感じ、森の姿、山の形を眺める。あぜ道を下りてゆくと、稲穂が出揃った水田である。梅雨寒で心配したが、今年も豊作間違いなしだ。

きっとこの景色は私が生まれる前から変わらなかったし、私がフェイドアウトした後も変わらないだろう。いろいろ見て歩いて考えながら、この世界は生きて時間を過ごす価値のある世界だと確かに感じることができる。

自由にゴルフをしたり時間の制約なく旅行するためにリタイアするのではない。これまで抱えてきた重い荷物を少しずつ下ろして身軽になり、もしかするとすぐ来るのかもしれないテイクオフを準備する時間だと思っている。

テイクオフまで、平均寿命的にあと20年。1年以内にその日が来る可能性は現状50分の1だが、これから先どんどん高くなる。ポーカーを集中的にプレイしてきて、出てはいけない1枚のカードが実にしばしば出るのを見てきた。1枚のカード、約50分の1の確率である。

幸いに、リタイアして心穏やかに過ごすことができている。多くの偶然に恵まれ、家族のバックアップに助けられ、わずかながら自分でも考え努力してここまでやってきた。

いま本当にすべきことが何かということは、もう持ち時間があまりないことを念頭において考えるべきだろう。

やることがないからリタイア先延ばし、生涯現役という人達は、当分50分の1のカードを引かない自信があるのだろうけれど、私はそこまで引きが強くないし、いずれ遠からずカードを引くことは間違いないのである。

「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍、萩尾望都)に、未来社会で人間の記憶が一枚のデータチップに還元されてしまうという場面がある。静的なデータに還元されてしまうのは寂しいが、再びハードウェアに実装されれば活動することができる。

残りの時間は決して長くはない。いつまでも他人との関わりの中に自分を位置付けていないで、自分のチップにできるだけのソフトウェア、できるだけのデータを記憶させることの方が、私には魅力的である。

リタイアの意義は人それぞれではあるが、いつまでも会社の延長のような生活を送ることに私は魅力を感じない。

[Aug 27, 2020]


もう少しだけ友達でいようぜ今回は

米津玄師の「砂の惑星」に、「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」というフレーズがある。年金生活に入って人間関係を断捨離していく中で、胸に響く一節である。

彼の曲は現代風とか、過去のアーティストの系譜に属さないとかいわれているけれど、韻を踏んでみたりなにげに五七調だったり、唐詩や和歌に近いように感じる。だから、シルバー層にファンが多いのだろう。(あいみょんが好きなじいさまだっているかもしれないが)

この「砂の惑星」は、初音ミク10周年のイベントで主催者から頼まれて作ったテーマソングである。よく知られるように、米津玄師は初音ミクの初期に楽曲を提供していて、百万再生を超えたヒット曲も何曲かある。

主催者としては、初音ミクのコミュニティからスタートしてメジャーになった米津玄師にテーマソングを書いてもらおうという軽い気持ちだったと思うが、さすが米津玄師、主催者の思惑を超えた深い曲を書いてしまった。

「今後千年草も生えない」「この井戸が枯れる前に早くここを出ていこうぜ」などの歌詞は、ボーカロイド(初音ミク、リン・レンなど擬人化されたプログラム)に執心するコミュニティには概して評判が悪かったが、彼の歌詞が過激なのは元からである。

それよりも、わずか10年しか経っていないコミュニティにもかかわらず、かつての仲間の中には若くして世を去ってしまった者もいれば、所在不明になってしまった者も少なくないだろう。だから、「有象無象の墓の前で敬礼」しなくてはならないし、「応答せよ早急に」なのである。

ひるがえって私自身のことを考えると、倍の人生を送っている分、多くの時間を過ごした友達の中に、どこに行ったか分からない人もいれば、先に向こうに行ってしまった者も彼よりずっと多い。

昔の友達の中にはいまでも活躍している人もいて、最近の消息が聞こえてくることもある。こちらがリタイアして年金生活をしているのに、まだ現役ばりばりでこれからさらに階段を登ろうとするのはすごいと思ったりする。

友達は選べるとはいっても、実際に選べる範囲は広くない。生活環境が似ていなければ知り合うことは難しいし、興味や関心の方向が重ならなければ話をすることもない。だから、たとえ短い期間であっても、友達になるというのは相当に稀有のことなのだ。

気がつくと10年20年会っていない人がほとんどだし、下手すると30年40年前である。仕事の知り合いはみんな嫌な奴で、趣味の仲間はみんないい奴なんてありえないから、おそらく誰でも仕事の顔と趣味の顔があるのだろう。

そして、会社がらみの連中には二度と会いたくないと思う人がほとんどだが、一緒に勉強したり、一緒に趣味の時間を過ごした仲間には会いたいと思うから不思議である。

いずれにしても、これから先もう一度会って旧交を温めるなんてことはほとんど起こらない。リタイアというのは、そうやって交際範囲や人間関係を狭めていく過程だからである。

でも、一緒に楽しい時間を過ごしたことや、元気でやっていることを知ったときの安堵感は、いまでも胸を暖かくする。自分が生きて、活動して、楽しんだ思い出は、いまから新しく作ろうとしてもそう簡単にはできないのである。

だから、もう一度会うことがあれば「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」と言いたい人は、多くはないけれど何人かはいる。残念ながら、お互いの境遇が違ったり、社会的経済的影響(コロナとか)があって、そういう機会はおそらくないだろうと思う。

それにしても、「今回」ってどの回のことなんだろう。もしかすると、向こうの世界でもう一度会った時のことなのかもしれない。

「砂の惑星」、初音ミクver.はYouTube等のミュージックビデオで視聴可能。米津玄師ver.はアルバム"Bootleg"に収録されている。Bootlegって、マニングか?


[Nov 17, 2020]


スーツを断捨離

リタイアして、この年末年始が5回目となる。

ポリテクに通った時はスーツを着た日もあったが、それから3年半、ワイシャツもスーツも袖を通すことはない。陰干しはしているものの、先日見たらカビの生えているところがあった。このままではよくない。

あるいはもう一度働かなくてはならないかと心配したこともあったが、その心配も薄らいだ。私服が十分にあるとはいえないけれど、たまに東京に行くからといってスーツを着ることもない。思い立ったが吉日、スーツを断捨離することにした。

スーツを夏冬一着ずつ、礼服も夏冬だけ残して、あとは処分した。サラリーマン時代は1日の大部分をスーツで過ごしてきた。下だけがすぐ傷むので、替えズボンを2本用意していた。既製品はないので、オーダーして揃えていた。

しかし、それも昔。通勤しなくなると、スーツなど着ない。礼服を使う機会といっても、最後の方は仕事関係の葬式ばかりだったので、礼服もこの4年間着ていない。とはいえ、何かあった時に新調するのも何なので、念のためとっておくのである。

もう30年近く昔、最初に転職した頃、スーツを新調する経済的余裕がなくなったので、なるべく傷まないようかわるがわる着ていた。替えズボンにはそれぞれ1、2、3と番号を振り、今日は紺の2番、明日はグレーの3番など表を作って書き込んだことを思い出す。 いつもいつも紺とグレーというのもつまらないので、緑とか茶色も作ったことがあったが、長続きしなかった。結局残ったのは紺の縦縞だけで、これだっておそらくもう着る機会はないだろう。

どんな私服でも体に合う限り、たまには着てみようかという気になるものだが、スーツを着ようとかネクタイを締めようという気には全くならない。動きにくいし、堅苦しい。

WEBによると中国の田舎から大都市へ身一つで出てくる人達は、スーツを着て来て、そのまま横になったり工事現場に行ったりするという。どうせなら、ワークマンの作業服か何かで暮らした方がずっと楽だし動きやすいと思うのだが。

思うに、ほぼすべての人がスーツを着て仕事に行くなどということは高度成長期から半世紀のごく限られた時代のことであって、スーツを何着も揃えなくてはならないという必要もこれからなくなっていくと思う。

まだ着られるものを処分したり、クローゼットにしまったままでいることは資源の無駄遣いだけれども、そもそも間違ったことであったというのが真相のような気がする。本当に必要なら、会社が制服として貸せばいいだけの話だ。

それにしても、私と同年代の人達の中には、いまだにスーツを着て出勤しなければならない人が大勢いる。そういう人達は、どう思っているのだろう。私が現役の時のように、当り前のこととして深く考えないでいるのだろうか。

スーツを着なくなって4年。陰干しはしているものの、最低限だけ残してあとは処分した。


[Dec 1, 2020]


年金生活と酒

好きなことをして毎日を過ごしていると、まるで王侯貴族のようだと時々思う。いまはコロナで自粛しているが、気が向くと山歩きをしたり温泉やプールで息抜きすることもできる。子供の頃想像したお金持ちの生活である。

そう思うひとつの要素は、飲みたい時においしいお酒が飲めるということが大きい。大勢で飲むのが好きだったのは若い時だけで、次第に気の合わない連中とは同席したくなくなった。

50代に入る頃から、仕事でやむを得ない場合とか、カシノの集まりで気の合った連中と飲むことはあったが、忘年会も新年会も出なくなった。だから、リタイアして外で飲めなくなったからといって寂しいことはない。

糖尿病でウェイトコントロールしなければならなくなって、毎日飲むわけにはいかない。週に2度くらい、奥さんの手料理で楽しむ。昔のように際限なく飲むこともなくなり、経済的にもたいへんリーズナブルになった。

ビールの時は、気分によってウィスキーやデンキブランを飲むこともある。日本酒は前に書いたことがあるが、決まった銘柄しか飲まない。一時は亀吉を取り寄せていたが、味が変わったように思うのでこのところ再び田酒にしている。

田酒は税込みで6,600円くらいするけれども、一度に2合ずつくらいなので、1回平均1,100円で知れている。ビールも1缶200円しないから、それほどのことはない。負担になるのは何といってもワインである。

ワインは大きく分けて3つのグレードで区別している。第一はイベント用で、クリスマス、結婚記念日、自分と奥さんの誕生日の年4回である。

いまのところ、サラリーマン時代にプリムールで安く仕入れておいた在庫があるので何とかなっているけれども、普通に買うと1本1万円以上するので、年金生活者にはふさわしくない。王侯貴族か外務省大使館員並みの贅沢である。

第二のグレードはうれしいことめでたいことがあった時用で、1本5,000円くらいである。お遍路から無事に帰ってきたとか、家具とか耐久消費財を新調したとか、子供たちが帰ってきた時に開ける。

10年くらい前までは、クレール・ミロンとかダルマイヤック、パゴデ・ド・コスといった銘柄がこの値段で買えたのである。すべてワンランク上のお値段になってしまった。コスだとひとつ下のメドック・ド・コス、あとシャトー・グロリアくらいだが、こちらもまた値上り傾向にあるのは悲しいことである。

それ以外のいわゆる普段飲み用が第三のグレードである。口に合えば値段は安くてもいいのだが、ワインほど値段と味が連動するものはない。お買い得といわれるワインで外さなかったことはほとんどない。

かつてオー・メドック・ド・ジスクールが2,000円以下で買えた時期があって、その頃はよく飲んでいた。その後、ソシアンド・マレのドモアゼル、ペイル・ルバード、ラネッサンといった銘柄を選んだのだが、値段が上がったり品薄になったりして買えなくなってしまった。

ここ3~4年愛飲しているのは、ムーラン・ディッサンである。通販で2,000円前後で買える。名前のとおり、シャトー・ディッサンのサード(フォース?)であるが、どの年も外さない安定株である。奥さんも大のお気に入りなので、最近これが続いている。

週に1本2,000円というのは結構なお値段だが、外で飲むのに比べれば比較にならない。外だと、ノーブランドの日本酒やワインであっても、料理と合わせて5,000円以下で収めるのは至難の技である。これで普段飲み用が2~3本買える。

以前はワインを一人一晩2~3本空けた時代もあったけれど、最近は奥さんと二人で一本開ければ十分である。それ以上飲むと体調が悪くなる。その意味でも、リーズナブルになったといえそうである。

家のワインセラーに、白・赤・泡合計で20本程度用意してあります。中央がイベント用、右がうれしい時、左が普段飲み用。


[Dec 30, 2020]


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