せっかく会社を辞められたのですから、おカネがないなりに楽しく過ごしたいものです。
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幸運は逃げる・不幸は寄ってくる    気が滅入って仕方がない
65歳を機にスーツを断捨離    リタイア丸6年経過    リボ払いで資金繰りを回す
今月も資金繰りがきつかった。いつまで続くのか    G3ガラケーのアラームが鳴らなくなった
ドアノブをDIY    おカネは損得より納得できる相手に使いたい
アーリーリタイアして一番よかったこと    年金が出た!!今年も何とか年が越せる

幸運は逃げる・不幸は寄ってくる

ほぼ毎日ブログを書いている。アクセスはそれほど多くはないけれども(最高記録は14年前の1日2,397件である)、あまり気にしないようにしている。気にしても仕方がないし、人目を引くような記事を意識して書くのは気が進まない。

これまで生きてきてなんとなく感じるのは、幸運は逃げるし不幸は寄ってくることである。ブログなどで自慢話やラッキーだった話をすると、不思議と幸運が逃げていく。

では、逆にアンラッキーな話をすれば不幸が逃げるかというとそんなことはなくて、こちらはもっと寄ってくるのである。不公平だと言っても仕方がない。

幸運が逃げるのは、そういうことを言うと他人の反感や妬みを買うことになり、巡り巡ってよくない方向に進むという理路はなんとなく分かる。では逆はどうなのか。

おそらく、「他人の不幸は蜜の味」で、多くの人は他人が不幸になるのをかえって喜ぶのである。みんなが、もっと不幸になれと願うとすれば、これもまたあまりいい方向には進まないだろう。

だから、ブログで自慢話や不幸話をするのは、あまりよくない結果をもたらす場合が多い。ブログでなくても日常生活でも大体同じである。そんなに単純な話ではないかもしれないが。

不幸話をすると他人の注目を引くので、アクセスが増える。とはいえ、増えたアクセスが「もっと不幸になれ」という念の集まりだとすれば、そんなもの増えてどうするんだという世界であろう。

前にも書いたが、私の想定読者は過去の自分であり将来の自分である。だから、そうした悪い念が集まることはないはずだが、犬も歩けば棒に当たるということわざもある。余計なことはしない方がいい。

気を付けなければならないのは自慢話である。自分では自慢しているつもりはないのに、そう感じる他人がいるかもしれない。

10年以上前から年金生活の記事を書いていて、月に20万円あれば普通の暮らしができるはずと主張してきた。当時は「年金生活には月30万円必要」などと新聞や雑誌が平気で書いていた。

10年経って、私の書いていることがまともだとはっきりしたけれども、そういう記事をいま読んだ人の中には「そんなの当り前でしょう」とか「月20万円いただけるんですか。自慢ですか?」という人がいても不思議ではない。

あれこれ考え合わせると、沈黙は金。あまり目立たないように発言は控えるのがいちばん賢いのかもしれない。

[Jun 16, 2022]

幸運は逃げるし不幸は寄って来る。自慢したつもりはなくても、自慢話ととられれば反感を買う。アクセスなど少ない方がいいのかもしれない。


気が滅入って仕方がない

65歳になって加給年金が入れば楽になるとずっと思っていた。しかし、実際になってみると予定より少なくて、資金繰りの苦労は変わらない。楽しみにしていた分、がっかりして気が滅入ってしまっている。

年金が増えれば、もう少し余裕ができるし、外出するにも気兼ねがなくなる。月々わずかでも蓄えができれば、しばらく行っていないお遍路にも旅行にも行くことができると楽しみにしていた。

ところが、実際には加算されるのが1ヶ月遅かったし、増えるのを見込んで生活費をマイナスにしていたことも影響している。引かれる方は国保保険料が増えるだろうから、ちっとも楽にならない。

じゃあ働けばいいじゃないかということだけれど、働けばそれだけストレスが増えるし、収入が増えただけ支出も増える。それは、サラリーマン生活で身に染みている。ベストの選択は、入って来るおカネの範囲内で暮らすことに尽きる。

落ち着いて考えれば、できると思ってできなかったことの主なものは、酒とか嗜好品を買えないことと、交通費をかけた外出が難しくなったことである。いずれも、なければないで済むものである。

iPADのバッテリー入れ替えも、やろうと思ったまま延び延びになっている。パソコンやTVなどの買い替え積立ても、家計費に補填してマイナスの状態である。壊れないように祈るしかない。

車も10年以上経って、いろいろ不具合が出てきている。これから先、車検費用も増えるだろうし税金も増える。買替え資金がないことは、耐久消費財と同様である。

もっとも、江戸時代だって昭和初めだって、そういう資金が用意してある家などほとんどなかったはずで、いつの時代でもどこの家でも、綱渡りで生活してきただろう。食べる心配をしないだけ、ましなのかもしれない。

それでも、この歳まで生きてきて、まだ心配しなければならないのには気が滅入る。「生きる」というのは「悩む」ことだと、山岸凉子の妖精王に書いてあったことを思い出した。

妖精王が連載されたのは「日出処の天子」の前だから、もう50年近く前のことになる。いまだにAmazonで入手可能なのには驚く。


この間、気が滅入って仕方がないという記事を書いた。ちょっと書き足りない気がしたのでもう少し補足。

われわれの年代で気が滅入るというのは大変よくないことで、ほっておくと老人性うつになってしまう危険がある。若い時であればそのうちまた新たな局面が生まれてくるが、この歳ではそれもない。自分で気を取り直さなければならない。

本で読んだのだけれど、老化がどこから始まるかというと、身体機能の衰えや記憶力・判断力の低下に先立って、感情の老化が始まるそうである。

感情の老化というと、年寄りが頑固になるとか、怒りっぽくなるとか、私のようにくよくよするとか「こころ」の問題を思い浮かべるけれども、実はそれほど単純ではないそうだ。(精神病とされてきた疾患が、実は体の問題であるのと同様である)

そうした感情が表面化するのは「こころ」の持ち方の問題ではなく、脳神経を連結する神経突起やシナプスが退化して、神経細胞間の連絡がどんどん過疎化していくことだそうである。どちらが鶏でどちらが卵かよく分からないけれども。

脳神経の連結が十分でなければ、記憶力や判断力が衰えるのは当然の帰結だし、いずれは体を動かす機能に影響することは避けられない。だから、意識して感情の老化を防ぐ必要がある。

正直なところ、歳をとったらそれなりに衰えても仕方がないとは思うけれど、かといって自分のことが自分でできずに施設のお世話になるのはできるだけ避けたい。だから、リスクファクターはできるだけ除くよう心がけてきた。

アーリーリタイアに踏み切った一番の原因は、ストレスの多い職場にとどまって、脳の血管がいつ飛ぶか分からないという心配だったし、糖質制限で十数kg減量したのもできるだけ健康でいたいからである。

そうした観点からすると、気が滅入って脳の神経が退化するとしたら放ってはおけない。だましだましでも、気を取り直す方向に進まなければならない。

そこで思い出したのが、森巣博先生の一連の作品であった。その中に、薬物依存から抜け出す方法として、「明日になったら思いっきり薬をやろう」と思って今日一日我慢する。それを一日一日伸ばしていく他に方法はないと書いてある。

「今後いっさいやらない」とか大それた、先の長いことを考えてもダメだそうである。とにかく今日一日をやり過ごす、打たれ越すしかないという。

よく考えると、気が滅入っている原因はほとんどすべて「カネがない」ことに尽きるが、かといって今日食べるご飯にこと欠く訳ではない。とにかく今日一日をつつがなく暮らすことに集中して、先のことはあえて考えないことである。

そんなことがいつまでできるのか分からないが、ともかくそうやって一日を打たれ越していく他はない。くよくよする時間が少しでも減れば、それだけ脳神経の退化は足止めされると期待している。

[Jun 30, 2022]

老化現象は頭や体よりも早く感情に現れるそうで、それには脳の神経突起やシナプスが退化して脳神経間の連結が過疎化するプロセスが絡んでいるらしい。できるだけそうしたことが起きないように注意する必要がある。(出典:京都大学HP)


65歳を機にスーツを断捨離

しばらく前から気になっていたことがあって、年金増額を機に思い切ってやってしまうことにした。スーツの断捨離である。

会社勤めも辞め、ポリテクも終わって、5年前からは完全リタイア生活に入った。以来、スーツを着ることは全くない。とはいえ、また何かあって働かなければならないケースは皆無ではないし、スーツだってそんなに安いものではない。

とはいえ、糖質制限で十数kg減量して、体形も変わってしまった。ベルトで調節できる程度を越えてぶかぶかだし、着られないものを取っておくのはスペースのムダである。

あれこれ考えて、65歳が一番切りのいいところだと思ったので、断捨離することにした。礼服と革靴は何かの必要があるかもしれないので最低限とっておくとして、スーツはもう着ることはないだろう。

サラリーマンをやめた約6年前には、ポリテクに着ていくこともあったし、面接とかがあるからスーツなしで済ますのは難しかった。しかし、ポリテクも終えて5年、袖に手を通すことはない。

オーダーメイドで安いものではなかったのだけれど、体形が変わってしまったのでは仕方がない。買って2~3年の比較的新しいものもあったが、5年経てば7~8年、着続けていればそろそろ償却の時期であった。

奥さんに「スーツ捨てるからね」というと、「クローゼットも風通しよくなっていいんじゃない」と言われた。カシミアのコートだけはリフォームして長男に譲ったけれど、ビジネススーツやコートは体形も違うし趣味も違うので再利用は難しい。

ウクライナのようになれば防寒のために使えるし、中国ではスーツで田舎から出てきて着の身着のままという人もいるらしいけれど、いまの日本では使いようがない。スペースが埋まるだけである。

世の中では、遺品整理とかゴミ屋敷とか、年寄りが身辺の整理ができないまま死んで迷惑をかけているケースが多い。子供の頃は包装紙とか結び紐をとっておくのがものを大切にする人といわれていたが、とっくにそういう時代でない。

いま現在残っているアウターは、スキーをしていた時に買った極厚のスキーウェアと、モンベルの冬用、春秋用である。クローゼットがずいぶんすっきりしたし、スーツとモンベルでは見ていて楽しさが違う。

片付けのカリスマ・こんまりの本に、胸がときめかないものはどんどん断捨離すべしと書いてあるが、本当にそうである。いつかなんて来ない。いま現在必要ないものは、なくてもほとんど差し支えないのである。

[Jul 4, 2022]

季節ごとに陰干しして取っておいたスーツだったけど、65歳を機に断捨離した。保管するのは手間だけれど、捨てるのは一瞬。


リタイア丸6年経過

早いもので、昨日で退職以来丸6年が経過した。

正直なところ、リタイアして計画通り平和に暮らせるかどうか、心配がなかった訳ではない。予定外の支出がないとはいえないし、将来に絶対はないからである。

ただ、結果だけみるとポリテクに行ったので失業保険を長くもらうことができたし、支出も想定外に大きなものはなかった。車や電化製品、パソコンなどを6年間無事に使い続けることができたのは、かなり運も味方してくれたのだろう。

リタイア当初の記事を読み返すと、フィジカル面では規則正しい生活を送ること、メンタル面ではかつての職場に対する不満を忘れることが重要と書いてある。

6年経って振り返ると、心がけたことはちゃんとできているようだ。5時前に起きて毎日9時には寝る。食事は6時35分、11時、4時という判で押したような生活である。最近では酒が弱くなって、飲み過ぎることもほとんどなくなった。

退職して6年も経つと、たまりにたまった有給休暇を使えずに辞めたことなど思い出すこともない。ああいうことをする組織には、きっとろくなことはないだろうと思うだけである。

そして、「デイトレードとかアフェリエイトとかカネ勘定ばかり考えるのは嫌だ」とも書いている。いまは、出るおカネの心配だけで入ってくるおカネの心配はしなくて済む。幸い、65歳を迎えて年金が全額出るようになった。税金が少なくなるのは来年からだが。

これから先、もっとも可能性が大きいリスク要因はインフレだろう。幸いに、この6年間で大幅に物価が上昇したということはなく、電気・ガスや食品関係が上がっているのが気になるくらいである。

公共料金で心配なのは電車賃の引き上げで、昔のように毎年料金表を更新するようになるかと思うと気が重い。ところが、わが北総電車は、逆に秋から運賃引き下げを予定している。

これまでが高すぎたのが問題(京王線で新宿から高尾まで行く値段で、4、5駅先まで行けないくらいである)なのだが、燃料費がかさんですぐまた値上げするのではないかと心配だ。

いずれにしても、私の場合は「案ずるより産むがやすし」で結果的に6年間無事に過ごしたが、だからといって他の人に「早くリタイアした方がいいですよ」とお奨めすることできない。燃料価格の高騰が2~3年前だったら、状況はまったく違うからだ。

昨日で退職以来丸6年が経過した。がんばった割に報われなかった職場だけれど、そういう組織にはそういう将来しかないだろう。


月曜日に書いた退職丸6年の記事で、少し書き足らないことがあるので続き。

誰かが世界のすべてを差配しているという「陰謀史観」には味方しないけれど、がんばっていれば別の形かもしれないが報われるような気がしている。

それは、マザー・コンピュータが世界のすべてを見ているからではなく、きっと自分自身がみているからなのではないかと思う。

というのは、満足する・しないというのはひとえに「自分自身が」どう思っているかによるもので、他人の目はあまり関係ないと思うのである。

私自身、いまのリタイア生活は毎日が楽しいし満足しているけれども、仮に他人と比べるという観点が入ってしまうと、微妙に違ってくるだろう。収入だって社会的な地位(?)だって、他人からうらやましいと思われるものではない。

偉くなったからといっていつまでも組織から離れられない人達のことを考えると、そうならなくて本当によかったと思う。他人のために心配したり時間を使わなければならないストレスは、私にとって耐えがたい。

そして、自分が満足する・しないというのは、自分の中の奥深いところで過去の自分の行いが反映されていると思っている。だとすれば、その時その時にベストを尽くし、属した組織に寄与してきたとすれば、それが悪い影響を与えるはずはない。

組織に寄与することとは、抜き差しならない状況からできるだけ遠ざけ、組織ができる限り長く存続するよう努力することだと思う。けれども、世の人達の多くは、組織に寄与することとみんなで仲良くすることの区別がほとんどついていない。

みんなで仲良く崖に向かって進んで、揃って墜落することがすぐれた組織人だと思っている人が多すぎる。だから、東電の原発は国土の多くを使用不能にしてしまったし、食品会社も電子部品会社も、何十年も不正を隠蔽してきた。

自分のサラリーマン生活を振り返って、「みんな仲良く」なんてことはほとんどしなかった代わりに、組織が抜き差しならない状況に陥らないように努力してきた。だから、いま自分自身が抜き差しならない状況にならないで済んでいるのかもしれない。

組織で認められて長く残れたとしても、それだけリスクは大きくなる。それよりも、ストレスを少なくして心身の健康を保つことの方がずっと大切である。

「みんな仲良く」で組織が保てるなら誰も苦労しないように思うけれども、そう思わない人が多いのだから仕方がない。静かに遠ざかるのが賢いやり方である。

[Aug 4, 2022]

リボ払いで資金繰りを回す

リタイアして年金の繰り上げ支給で暮らすようになって5年、65歳になって加給年金が加算されれば楽になると楽しみにしてきた。65歳になって加算されたものの、案に相違してあまり楽にならない。

その理由はいくつかあって、第一に税負担が減るのは4月1日に65歳となった後なので、私の場合は1年先まで税金は変わらないのである。

第二は、年金の増額、つまり加算年金が出るのは誕生日の翌月からで、見込んでいたより1ヶ月遅い。つまり、6月の年金は満額いただけると勝手に思っていたのだが、実は加算は5月分からで期待した額が入金されなかった。

第三に、介護保険料が別建てで引かれることは知っていたが、その基準額が想定より高くて、見込みより支出額が増えてしまった。

これらの理由に加えて、加算を当てにして修繕積立金などから生活費に流用していた額があって、それを埋め合わせるのに四苦八苦することになってしまった。

以前からExcelで家計管理していて、入金額がほぼ固まったので今後数年間の資金計画を立てたのだけれど、期待したように楽にはならなくて、結局これまで同様きつきつの生活をしなくてはならないことが判明した。

きつきつの生活とはいっても、働かないで食べていけるのだからぜいたくは言えない。言えないけれども、もっと余裕ができると思っていただけに、落ち込んでしまうのは仕方がない。

こうなると、日々の生活そのものを見直して、わずかでもおカネを余していかなければ何もできないと改めて思った。カフカ少年は腹いっぱい食べられないから胃を小さくしようと決心した。私も、生活のさらなるダウンサイジングが必要である。

まず、7月から国保保険料・介護保険料の引き落としが始まった。このままでは月数万円ショートしてしまう。これまでなら、手持ちの証券を整理して充当するところだが、そうやって手当てするとなぜか余分に支出して使ってしまう性格である。

いろいろ考えて、カードのリボ払いを使って当面の資金繰りを図ることにした。こうすると、年率15%で利息がかかりカード会社を儲けさせることになるが、何万円か余分に使うよりもずいぶん安く済む。それに、キャッシングにすると年18%だから、金利がやや低い。

見込みより収入が少なく支出が多かったため、クレジットをリボ払いにして資金繰りを回さなければならなくなった。この歳になってもおカネの苦労はなくならない。


リボ払いは借金と同じである。借金もリボ払いもリタイア以来まったくなしでこれまでやってきたけれども、背に腹は代えられない。支払いの一部をリボ払いにして、とりあえず当座の資金繰りを回すことにした。

とはいっても、電気・ガス等の公共料金や細かな買い物までリポ払いにしたらキリがない。ある程度言い訳がきくものをリボ払いにした。誰に言い訳が要るものでもないけれど。

まず、プリムールで買ってあったワインの代金。ボトルで届くのがまだまだ先なので、飲んでしまって支払わない訳ではない。安く買えた分が金利で飛んでしまう計算になるが。

次に、年払いのサーバ費用と、NFLの視聴料。実際に利用料が発生する期間はこれからなので、ある程度いい訳がきく。やはり、年払い・一括払いで安くなっている分を金利で取られてしまうことになる。

今月予定している車検費用も、税金以外はリポ払いにする予定。車も今回の車検で丸11年、いろいろ不具合が出ているし、タイヤやバッテリーの交換時期も迫っているけれども、費用との兼ね合いである。

いろいろ合計して、約20万円をリボ払いにすることができた。幸い、分割・リボやキャッシングはここ数年使っていなかったので、枠はガキ空きである。上限まで使っていた昔のことを思うと夢みたいである。

とはいえ、リボ分の金利を計算すると月3~4千円になる。月の小遣いは2万円である。それだけ小遣いが増やせれば、ずいぶん楽になる金額である。

その額を節約しなければならない。山に行ったり、酒や嗜好品に使ってしまう額が見直しの対象となる。これしか使えないと思えば、その範囲ですませる心構えができるはずだし、働くよりもそれに頭を使う方がずっといい。

若かったころは、借金やリボ払いは退職金で一括返済できると思い、気にもしていなかった。その後、ボーナスも退職金も減り、退職年金に至っては廃止されてしまったので、当時の見通しは甘すぎたことがのちに判明する。

今回も、いずれ遠からず何かの理由で当り籤を引いて、生命保険で返すことができるだろうという見通しであるが、退職金を当てにしていた昔と同じく見通しが甘すぎるかもしれない。とにかく、支出を減らして健全財政を心がけるしかなさそうである。

[Aug 9, 2022]

今月も資金繰りがきつかった。いつまで続くのか

先週末に10月の年金が入ってようやく一息ついたけれど、今月も資金繰りがきつかった。いつまでこういうことが続くのだろう。

9月末に銀行残高が危険水域に達したことは分かっていた。生活費が足りなくなったり税・保険料の請求が来たりして出金していたら、最後に引き落としになる電気・ガス代が落ちないことが分かった。

まず、クレジットの引き落としを「個別リボ」から「全リボ」に変えた。カード会社の思う壷であるが、背に腹は代えられない。自動車保険など分割にする言い訳がきくものだけでなく、携帯電話代とか細かい支払いもひっくるめてリボ払いである。

先月、マイナポイントの2万円のうち1万5千円分が入ってきたけれど、右から左である。あと5千円が入る前に、最初にチャージした2万円も含めて残高がなくなってしまった。

後悔したのは、介護保険料1万数千円をペイジーで払ってしまったことである。延滞料をとられても期限後に払えばよかった。こういうことを考える奴がいるから、年金から強制引き落としになるのである。

資金繰りがきついことは分かっていたので、車検も税金以外はカード払いにしたし、山への遠出もできなかった。幸か不幸か9月は天気がよくなかったので、行きたくても行けなかったが。

6月からは加給年金が増えて楽になるとずっと楽しみにしていたけれど、実際そうなってみると全く楽にならないのはどうしたことだろう。

iPADのバッテリー交換もできないままだし、他にもいろいろ手当てできないものがある。その上、最近ではメガネがおかしくなってきた。

メガネはなしですますことができないので、「メガネ買い替え資金」を別にとっておいた。ところが、このおカネさえも資金繰りで流用してしまったので、(「自分で自分に貸す」スキーム)すぐに買い替えることができない。

すでにレンズはキズだらけである。プラスチックレンズは軽くていいけれど、一度キズがつくとどんどん増えて視界がぼやけてくる。締め日の11日が過ぎたので、カード払いでようやく買い替えた。

クレジットで買えばリボ払いになるので、いま現金がなくても大丈夫といえば大丈夫だが、際限なく借金(リボ払いは借金である)が増えるのは精神衛生上よくないし、利息が増えるという実害がある。

繰り返しになるが、いつまでこういう心配をしなくてはならないのだろう。一生かと思うと、ちょっとうんざりする。ボケてしまえば心配することもなくなるという説もあるが、それはまたそれで問題である。

[Oct 17, 2022]

先週末に10月の年金が入ってようやく一息ついたけれど、今月も資金繰りがきつかった。いつまでこういうことが続くのだろう。一生?


G3ガラケーのアラームが鳴らなくなった

去年の4月にスマホに移行したガラケー端末。今年の春までは律儀に緊急地震速報を受信していたが、G3停波を受けてとうとう携帯電話としてはまったく使えなくなった。

それ以降も、スマホほどかさばらないので、時計代わり、カメラ代わり、万歩計代わりとして使っていた。さすがにガラケーとスマホを両方持ち歩くのは重いので、万歩計は専用の小さいものを買った。

あとは時計とカメラの機能が残ったが、先日山に行く日に、朝目覚ましをかけたのに鳴らなかった。G3停波後も鳴っていたし、知恵袋には「電源が入る限り半永久的に使えます」と書いてあったのに、思わぬところで問題が生じたのである。

いろいろ操作してみたのだが、どうにも動作しない。一度、海外モードにしたら鳴ったのだが、次にやるとダメだった。アラーム機能は通信機能とは別のはずなので、動くはずなのに、動かない。

ネットでいろいろ調べてみると、アラーム機能が使えなくなる端末はあるのだが、それはある時点から日時がソフト上ないことになっている端末である。そういう携帯ですら、1年前の日時に直すと使えるらしい。

すでに無料でスマホに交換している以上、auに訊いても教えてもらえそうにない。メーカーに照会しても、すでに保証期間は経過していますと言われるだけである。昔は何万円もする製品は修理して使ったが、いまや7年で交換部品もない。

考えられるほぼすべての組合せで試した結果、これは故障かソフトのバグに違いないという結論に至った。

仕様上、アラームより優先される指示がある場合には(マナーとか機内モード、受信の場合そうなる)アラームは鳴らない。おそらく、電波がまったく来ない状態が続いて、ソフトがその状態に陥ってしまったのだ。

これで、ガラケーの使い道は、アラームの鳴らない時計と、カメラ機能だけになった。カメラもずいぶんとレンズが傷んできて、スマホに比べると大分写真がくすんできた。ちょっと暗い場所だと、すぐにセピアになる。

スマホはすぐ画面が消えて暗証を入れないと表示しなくなるので、夜中に時間を見るのにガラケーはたいへん便利である。アラームさえ鳴れば問題なく使えるのに、こうなるといずれは夜中用の時計を新調しなくてはならなくなる。

悲しいけれど、寿命がきたとあきらめる他なさそうだ。こうやってあきらめているうちに、いずれ私も寿命が来る。

[Oct 18, 2022]

G3電波が止まって、携帯としては使えないSH001。アラームも鳴らなくなって、いよいよ使える場面が少なくなった。


ドアノブをDIY

YouTubeを見ていた奥さんが「ドアノブ自分で直せるみたいだよ」と言った。

わが家のリビングのドアは築二十年超で老朽化して、1年くらい前にとうとう開閉ができなくなった。出入りするのはもう一つあるドアからにして、普段は開かないように脚立で押さえていた。

なぜかというと、ドア全体を替えなければ直らないと思い込んでいたからである。だから、壊れたドアノブもそのままになっていた。外せることを知らなかったのである。

しかしYouTubeを見た奥さんによると、素人でも、かなりぶきっちょな人でも自分でドアノブを替えているという。できると分かれば調べようがある。さっそくネットをいろいろ回ってみた。

家のドアノブはNAGASAWA製で、どこの住宅メーカーでも使っているらしい。NAGASAWAのホームページを見ると、そのものずばりドアノブの交換について書いてある。

値段は6~8千円。ドア全体を替えるより一桁少ない。ただ、生活の厳しい折柄、気軽に出せる金額ではない。少し前まで修繕積立金があったが、資金繰りで使い込んでしまった。

交換するには、まず既存のノブを取り外さなければならない。まず、取っ手を外し、本体(ラッチというらしい)を外し、空洞にした場所に交換部品を入れる。

取っ手を外せることすら知らなかったのだから問題外である。人生死ぬまで勉強である。そして、こういう時に役立つのが40年のサラリーマン生活ではなく、半年通ったポリテク生活である。YouTubeの動画を見て、最後は力業で取り外す。

さらにネットを探すと、取っ手と取付部(座というらしい)を再利用すれば本体だけの交換で対応可能という。交換部品はNAGASAWAではないが税込み1,313円。アマゾンプライムで送料無料・翌日配達である。この金額なら、うまくいかなくてもあきらめがつく。

amazonの玄関配達で部品到着。外した空間に装着すると、ぴったり合う。ただ、表示のとおり上下を揃えると、扉が閉まらない。奥さんが「YouTubeだと逆だよ」というので上下逆にして装着すると、ちゃんと閉まった。

その代わり、これまではノブを下に傾けると開くようになっていたドアが、上に傾けないと開かない。慣れれば何の問題もないし、そもそも1年間閉まらなかったことを考えれば大進歩である。

「私のおかげだ」と奥さんは威張るのだけれど、数万円かかると思っていたドアの修理が1,313円で済んだ。ありがたいという他はない。開け閉めのノブの動きが上下逆になることくらい我慢しよう。

こんなに手軽に、かつローコストで交換できるのだから、すでに怪しくなっているいくつかのドアノブも折を見て修理しようと思っている。

[Dec 20, 2022]

まず、壊れたドアノブを取っ手から取り外す。こうできることすら知らなかった。


ネットで探すと税込み1,313円で交換可能なドアノブ部品が見つかった。amazonプライムで送料無料・翌日配送。


上下逆だったのはご愛敬だけど、純正でなくても修理できました。1,313円だから多少のことは我慢。


おカネは損得より納得できる相手に使いたい

しばらく前に、ディーラーに頼んでいた車検でひどい目に遭った(こちら)。その時改めて思ったのだが、節約も大事なのだけれど、少ないおカネを納得いく使い方をしないといけないということである。

常識的に考えて、安いには何か理由があるはずである。原価を抑えているのか、人件費を節約しているのか、本来すべきことをしていないのか、いずれにしても消費者のためではなく自分達が儲かるように操作しているのである。

ホンダでは、車検までの長期保守契約といって、2年前から費用を前払いさせていた。支払いが少なくて済むのは前払いしているからと普通考えるがとんでもない。彼らは、減った金額を必要ない交換部品で膨らませて、結局多く払わせようとしていたのである。

スーパーでも食料品の値上がりがひどい。少なくとも2割増しくらいになっているように感じる。100円で買えた缶詰が150円になり、定価150円安売り120円のヨーグルトも、定価250円安売り200円の牛乳も、定価でしか売らないようになった。

それでも年金額が変わらないので、生活費を増やして対応する訳にはいかない。こういう時のために年金額調整があるはずなのだが、下げるのには熱心なお役所の動きは鈍い。

こういう時、安さ優先で信用できないものを買うと、ホンダの車検の二の舞である。おいしくなかったというだけならまだいいが、ブドウ糖果糖液糖が例外なく含まれる。中国産ともなれば、何が入っているか分からない。

いままで週2回買っていたものを週1回にし、それでも足りなければなしで済ますしか方法がない。最近は肉や魚が高くて買えないので、もやしにばかり目が行く。

だから、このところ増えているのは卵の消費である。スーパーの卵はおいしくないので、平飼いしている卵を産直で買う。1個40~50円するけれども、それでも2個で100円である。おいしいし安心で、かつたんぱく源としての費用対効果が高い。

平均寿命(平均余命)生きたとしてあと20年。節約することばかり考えていると、かえって痛い目に遭うような気がする。多少の安い高いよりも、まっとうな人達と付き合いたいし、そういうおカネの使い方をする方がストレスが少ない。

年金生活の考察のときに、食費は収入の4分の1、高い安いよりも安心できるものと書いたが、それは食費に限ったことではなく、支出すべてにあてはまることのように思われる。

[Nov 28, 2022]

多少の安い高いよりも、まっとうな人達と付き合いたいし、そういうおカネの使い方をする方がストレスが少なくなると思う。


アーリーリタイアして一番よかったこと

今日で11月も終わり、今年も残すところあと1ヶ月となった。

65歳も半分以上過ぎ、リタイアして6年半が経とうとしている。早いものである。仕事をしないと自由になるおカネは少なくなるが、朝起きてやりたくないことをしないで済むのは、何よりのことである。

最近思うのは、アーリーリタイアして一番よかったことは、65歳を超えても健康でいられることである。もし、あのまま会社に残っていれば、ストレスで体を悪くしていただろう。

確かにおカネは自由にならない。お小遣いとして自由に使える額はこのところ月に1万円くらいしかないので、東京になど行けないし(交通費で3千円くらいかかる)、山に行くのも一大決心が必要である。

奥さんに「そんなにおカネがなければ働けばいいんじゃない」と言われるが、余計なストレスをため込むよりおカネなしで過ごせるように工夫する方がいい。

二年前から糖質制限をして、体重を十数kg絞った。今年の夏からは28年ぶりにランニングを再開した。普段は腰やヒザが痛くなることが時々あるのだけれど、走っている時は大丈夫である。走るとも言えないくらいのスピードだけれど。

そして、ほぼ半年続けていると、少しずつタイムがよくなってきたから不思議である。週に1、2回、5kmと10kmのコースをどちらか走る。走る時は、タイムよりも楽に完走できることを目標にしている。

再開した頃は、よく言われる「腕を振り、ヒザを上げる」ことを心がけていたのだが、疲れるばかりでたいしてタイムはよくならない。だから、あまり力を入れないでのんびり走っている。

30年前のタイムは、5kmで30分、10kmで1時間5分くらい。下から数えて何番目かの遅いタイムだったが、いまはそれより遅い。5kmコースで40分、10kmコースで1時間20分くらいかかる。

だが、10月の白井梨マラソン5kmでは、35分台という望外のタイムで走ることができた。8月には40分かかっていたトレーニング5kmも、38分くらいで走れるようになった。ちょっとうれしい。

タイムはともかく、リタイアする前と現在とでは、6歳経ったいまの方がずっと体調がいい。顔色や肌つやをみても、6年間で衰えたという印象はない。間違いなく、アーリーリタイアしたおかげである。

アーリーリタイアできたのは、いろいろ準備して決断したからだが、家族の理解とバックアップがあったからでもある。いまだって、介護や子供の心配をしていれば、こうして平和に過ごせるとは思えない。

あと6年過ぎると、とっくに70歳を超えている。その年齢まで精神と身体の健康を保つことができれば、まだまだやりたいことはできるだろう。そのためにどうするか。仕事をしなくていいから、考える時間はいっぱいある。

[Nov 30, 2022]

アーリーリタイアして一番よかったことは、65歳になっても健康を維持できていることである。少々のおカネには代えられない。


年金が出た!!今年も何とか年が越せる

例年そうだけれど、今年も年末に資金繰りがきつい。65歳になって春から年金支給額が上がったけれど、ちっとも楽にならない。

年金支給日前にはほとんど自由になるおカネがなかった。山に行くのもガソリン代だけで済む筑波山系にするしかなかったし、お酒も極力節約。最後の1週間はジムに通う1回420円くらいしかおカネを使わなかった。

でも、残り何日間かになると、なんとか目処がついて楽になった。奥さんが気を使ってケーキを買ってくれたし、買い置きのみかんをおやつにしてしのいだ。

15日に年金が入ると、まず介護保険料と地震保険料を振り込む。これで、年末までの支払いは終了。そして、年末年始のお酒と食材を確保する。肉やお節は奥さんが立て替えて買ってあるし、ワインは在庫がある。

あとは日本酒とビールである。木下旧市街の酒屋さんに行って、四合瓶を3本。獺祭と東北の地酒・日高見を選ぶ。コスモスまで車を走らせて、金麦を1ケース。ビールじゃなくて発泡酒だが、税金が違うだけで味は変わらない。お酒があると、なんだかうれしい。

年賀状の手配は、今年は筆まめネットプリントでお願いした。ここ数年富士フイルムで作っていたけれど、去年から「自由あいさつ文」がなくなった。

だから昨年は、わざわざ筆まめで作ったデータを富士フイルムに送ったのだが、富士にお願いしなくても筆まめに同様のサービスがある。金額も少し安い(ソフトの毎年更新があるので実際は若干高くなる)。

そして、届いた年賀状を見ると、なんと発送元の筆まめ送付センターのURLが富士フイルムである。結局、どちらで注文しても富士フイルムの印刷なのである。

富士フイルムで印刷しないと画質がどうなるか心配だったが、取越し苦労だった訳である。自由あいさつ文をなくすのは不親切だと思っていたが、筆まめで注文してくれということだったのである。はじめからそう言えばいいのに。

浄水器の替えも届き、年越しそばも「妻有そば」で用意した。日頃からこまめに掃除しているので、改まって大掃除しなくても大丈夫。カレンダーは今年と同じ岩合カメラマンの「のら猫」である。レイアウトが同じなので年寄りには目にやさしい。

あとは、年末年始の公共施設休業に備え、図書館で本を借りておくのと、スポーツジムの予定を立てるだけである。今年からランニングを再開したので、ジムがなくても走れば体は動かせるし、だいいちおカネがかからない。

今年も残すところ2週間。何とか無事に年が越せそうで何よりである。家の奥さんも「家族がみんな健康で、おカネはないけどそれぞれ暮らしてるし、ウクライナみたいじゃないし」と言っている。

心穏やかに新年を迎えられるのは、何よりのことである。

[Dec 19, 2022]

年賀状を富士フイルムから筆まめネットプリントに替えました。画質は大丈夫だろうかと心配していたら、納品書の発送元メアドが富士フイルム。どちらで頼んでも同じところの印刷だったんですね。


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