梅ノ木尾根から南 塔ノ岳・鍋割山 鐘ヶ嶽 梅ノ木尾根から北 蛭ヶ岳
丹沢大山[May 20, 2012]
養老渓谷で大バテした後、家の近所を4~5時間歩いて調整し、5月20日はいよいよ久しぶりの山である。選んだのは丹沢大山。普通に行けば頂上まで1時間ちょっとの行程のはずで、自分としては安全策をとったつもりなのだけれど、やっぱり話はそう簡単ではなかった。
何しろ、十数年ぶりなのである。30代の頃は車でヤビツ峠まで行ったのだが、50代のいまでは上り下りした後に高速で帰るのはとても無理。大事をとってアプローチは公共交通機関にすることに決めている。この日も4時起きして、5時台の電車で都心へ。新宿を経由して小田急で伊勢原まで。
大山ケーブルに向かうバスの中で、隣のグループがヒルについて話している。ここ十年ほど、大山周辺にはヒルがはびこっていて、そのうちに里まで下りて来そうな勢いなのだそうだ。だから、ヒルの苦手な塩水を登山着に浸み込ませないと、気が付かないうちに服の中に入ってくるらしい。これを聞いてちょっとあせる。丹沢にクマが出たというのでクマ避け鈴は用意してきたが、ヒル対策はしていない。なるべくヤブに近づかない他なさそうだ。
ケーブルカーで下社まで行く。ヤビツ峠からだと大山は塔の岳の向かいにある山塊という印象だが、南から入るとなるほど信仰の山だということがよく分る。目の前に、深い山々が迫っているのである。ケーブル駅に向かう門前町は「コマ参道」と呼ばれる旅館+商店街。通り沿いには、江戸時代から戦前の大山講や寄進の記録が残されている。よく見ると家の近所のものもあった。
午前9時20分に歩き始める。下社からの上りは石段がきつい記憶があったので、日向薬師方面からの尾根道に抜けることにする。どこかに、小学生でも大丈夫と書いてあったからである。ケーブル駅が海抜600mほど、大山山頂は1252m。約600mほどの上りになる。コースタイムは2時間弱。まあ、何とかなりそうだ。
大山なので一人になる事はないだろうと思っていたら、予想に反してこちらの道は私だけである。さっそくクマ避け鈴の登場である。見晴台まではきつい傾斜もなく30分で到着。ここで小休止の後、大山頂上への尾根道に入る。鎖場もあったり結構きつい上りが出てきたが、大きなトラブルもなく1時間ほど上る。
ただ、海抜1000mを超えるあたりから、やけに呼吸がつらい。急登のたびに息がきれて小休止になる。視野が狭く気が遠くなるような気がする。そろそろ頂上だろうと思っていたら、道標が出てきて残り0.6kmである。見晴台で残り2kmだったから、まだ1/3しか上っていない。すでにコースタイムは過ぎている。体調は最悪。引き返すべきかどうするか、動かない頭で必死に考えた。
コマ参道入口あたり。両側に山が迫り、信仰の山らしい雰囲気です。
まず急にバテた原因を考えた。相当に汗をかいているので脱水症状がありうるが、こまめに給水しているので考えにくい。最も怖いのは低血糖なので、とりあえずブドウ糖を出してコーヒーで流し込む。少し楽になる。それでも、5分ほど休んだのに立ったままの休憩しかとれないためか、呼吸が苦しいのがあまり改善しないのは気がかりである。
中高年の山登りだから、頂上にこだわらずに引き返すことも当然想定しなければならない。とはいえ、来た道を引き返すのは勇気がいる。山の距離は平地の4~5倍といっても、0.6kmなら30分で頂上である。頂上に行けばゆっくり休めるし、ビールも売っている。引き返しても休憩所まで1時間、しかもプラス30分歩かないと売店はない。
最も気になったのは水の残りがあまりないことで、やはりあと30分登ってみることにする。地図をみると、しばらく先からは鞍部のようだから、登りっぱなしということはなさそう。気を取り直して、再び登りに向かう。それでも、10歩で小休止のペースが続く。
5分ほど歩くと、右手上方に見覚えのある頂上の電波塔が見えた。目の子であと標高50mくらい。地図どおりに鞍部が出現して少し楽になる。最後の急坂を登り、鹿避けの金網トンネルを抜けると、ようやく大山頂上に到着。先ほど撤退を検討した地点からは20分、見晴台の休憩所からは1時間15分のコースタイムを、1時間50分かけて登ったことになる。
頂上ではビール休憩を20分ほど。用意していたお昼もとることができず、具合がこれ以上悪くならないうちにと早々に下る。ところが下りの急坂を思うように進むことができず、下りですらコースタイムを大幅に超えてようやく下社へ。最後の石組急階段は本当にバテた。ケーブルカーの行列に並んで立っているのすらしんどかったくらいである。
後から調べたら、中高年の場合1000mを超えたくらいでも高山病類似の体調異変があるそうだ。結局この日は、小田急の駅に着いてゼリー飲料をとるまでおかしかったので、年齢からくる高山病類似疾患ということにしておこう。考えてみれば、海抜1000mでも当然空気は薄くなるのだ。
結局今回の山登りも急激にバテてしまい、若い頃の体調に戻っていないことを再確認することになった。次の試合(山登り)まで、また練習(家の近所で歩く)しなければならないけれど、それにしても長年の不摂生から体を元に戻すのはかなり厳しいことだなあと思ったのでした。
この日の経過
ケーブル下社 9:20
9:50 見晴台休憩所 10:05
11:50 大山山頂 12:15
13:55 下社
[May 23, 2012]
大山登山道・見晴台休憩所。ここから小学生でも楽勝という1時間15分のコースを、2時間弱かかるとは・・・。
表尾根から丹沢山 [Mar 26-27, 2013]
さて、雲取山の後は丹沢に転身して表尾根に挑戦である。丹沢は5月以降はヒルが出るというし、表尾根には20年くらい前に三の塔まで登って引き返したことがあるので、再挑戦という意味もある。宿は丹沢山のみやま山荘を予約した。塔ノ岳の尊仏山荘より空いていそうなのと、食事がよさげだったので丹沢山まで足を伸ばしてみることにしたのである。
例によって朝一番の電車で都心に向かい、新宿で丹沢フリーパスを買って小田急に乗る。秦野に着いたのは8時前。すでにヤビツ峠行のバスは行列ができており、8時18分のバスは臨時便が1台出た。くねくねした山道を上がり9時前にヤビツ峠着。二十年前とほとんど変わらない。丹沢ホーム売店の自販機で、200円に値上がりしたペットボトルを購入。
富士見山荘跡までは舗装道路を下る。そこから登山道が始まり、結構急な上り坂である。いったん林道と交差して、さらに二の塔まで登る。思いのほか時間がかかり11時になってしまったので、ここでお昼にする。菓子パンとスポーツドリンク。いつも時間が押してしまうので、このところ食事は簡単にすましている。バーナーを使うこともほとんどない。
ヤビツ峠が標高740m、丹沢山が1567mだから標高差は800mほど。前回の雲取山の1400mと比べると大したことのないような気がするが、表尾根はいくつかのピークがあるのでそのたびに下りたり登り返したりしなければならない。主だったピークだけで、二の塔、三の塔、烏尾山、行者ヶ岳、新大日、塔ノ岳と6つ。それぞれ100mの登り返しと計算しても累積標高差は1400mを超えるのである(実はもっとある)。
二の塔から三の塔はそれほど時間はかからない。11時半頃には到着して遅れを取り戻した。ここからこの日歩く表尾根が一望できる。はるか相模湾まで望む豪快な景色である。はるか下に次のピークである烏尾(からすお)山が見える。前に来たときは、あそこまで下って帰るのはきついと思って、ここで引き返したのだった。
案の定、三の塔から烏尾山の下りは厳しかった。200mほど下って、100mほど登り返す。ずっと下に見えた烏尾山のピークがかなり上に見えるようになるまで下る。三の塔から40分かかって烏尾山頂に到着。ここには烏尾山荘の建物があるが、やっていない。風が強くなって体感温度が下がる。ここからはずっと薄手のダウンを着て歩いた。
烏尾山の次は行者ヶ岳である。ここの鎖場が、今回の山場だと思っていた。WEB情報によると、結構怖いので待ち行列ができることもあるという。幸いこの日はほとんど人がいない。まずは登り。こちらは鎖を使うまでもなく通過。次に下り。頂上直下の鎖場を通過して、大したことないなと思っていたら、第二、第三の鎖場が続き、こちらはなるほどちょっと怖かった。
上から見るとほぼ垂直に切り立って高度感がある。後向きになってスタンスとホールドに集中すると、かなり安定していて間もなく下に着く。下から見ると(写真)垂直というほどではないのだが、人が多くてあせると余計に怖くなるかもしれない。今回はひとりなので誰からも見られていないのは助かった。
行者ヶ岳の登り下りを終わってまだ1時半になっていない。これは楽勝だなと思っていたのだが、もちろんそんなことはなかったのである。
三の塔から表尾根を望む。20年前は中央低くに見える烏尾山に下りるのが嫌で引き返した。後方一番高いのが塔ノ岳。
表尾根名物・行者ヶ岳の鎖場。ほぼ垂直で下を見るとちょっと怖いですが、スタンスとホールドはいっぱいあります。
行者ヶ岳から塔ノ岳までは、コースタイムで1時間と少し。休憩なしで直行できそうだし、まだ1時半なので3時には余裕で着くと思っていた。ところが、次のピークである新大日までなかなか着かない。ときどき塔ノ岳の頂上、尊仏山荘が見えるのだが、はるかに遠い。谷側から登山道が合流する政次郎ノ頭という地点を過ぎて、これは一気に行くのは無理だと気がついた。
ちょうどベンチがあって広くなっている場所があり、ひと休みする。あとからGPSの記録を地図に落としてみると、書策(かいさく)小屋の跡のようだ。ひと休みしたくなる場所だし、見晴しも悪くない。なるほどここに小屋を建てたのは納得できる。ちなみに、渋谷書策さんは、丹沢では古参のガイドであった(2009年没)。
書策小屋が営業していた頃は、戸沢から小屋の裏まで書策新道という登山道が使われていたということで、昔のガイドブックには登山道が載っているのだが、WEB情報をみると小屋がなくなってから整備されておらず、一般の通行は困難とのことである。それでも戸沢には大きな看板(書策新道→ みたいな)があるので、注意が必要である。
さて、書策小屋跡からしばらく進み、午後2時20分ようやく新大日のピークに到着。ここに札掛から上がってくる登山道が合流する。すぐ横には新大日茶屋というトタンの建物があるが、しばらく前から開いていないような風情である。塔ノ岳はまだまだ遠い。写真を撮ってすぐに出発。
振り返ると、朝から歩いてきた巨大な三の塔、こじんまりした烏尾山、岩山っぽい形の行者ヶ岳が見える。地図を見て計画している段階では、いったん三の塔まで登ってしまえば残りの登り下りは大したとはないと思っていたのだが、ところがどっこい結構きつい。世の中やってみないと分からないことはまだまだあるようだ。
WEBでよく見る木の又小屋の前で小休止。サイディングで外装を整えられて居心地のよさそうな山小屋だが、残念ながらこの日は営業していない。だんだん風が冷たくなるのと、地面がぬかるんで歩きにくい。頂上直下の急坂をクリアしてようやく塔ノ岳山頂に着いたのは3時20分。晴れているのに細かい雪が風に乗ってきていた。
塔ノ岳山頂は帰りにまた通るので、ダウンジャケットを着てすぐに出発。尊仏山荘の横を通り、急な階段を下って行く。翌日はこの階段を上がるのかと思うとちょっと気が滅入る。別のルートはなかったかなと考えるが、どう考えてもこれより楽なルートはない。やっと道が平らになり下ってきた方向を振り返ると、はるか上に尊仏山荘が見えた。
ここから丹沢山までは、1日の疲れが体に来て辛かった。距離的には3km弱でコースタイムは1時間ちょっとだから平坦な尾根道だろうと予想していたのだが、平坦なのはごく一部で、ずっとアップダウンが続いた。一番がっかりしたのは、そろそろ着くだろうと思ったピークが竜ヶ馬場という丹沢山の前のピークで、まだゴールはずっと先だった時である。
ようやく丹沢山頂・みやま山荘に着いたのは、4時50分だった。前回の雲取山とほぼ同じ時間。歩き始めは今回の方が1時間早いから、1時間多く歩いたことになる。山荘到着は、私が最後のようだった。山荘に入り「遅くなりました」と挨拶すると、受付をしていた山荘のご主人、石井さんに「まず、荷物置いたら。」「顔洗うなら、外に水が出るよ。」と言われ、とてもうれしかった。
山荘の中は暖かく、とてもきれいでそれだけで疲れが半分とれる。いままで何回か山小屋に泊まったが、布団が温かかったのはここが一番である。夕ご飯も、水の乏しい丹沢の山小屋なのに抜群に気が利いていて、この日のおかずは鴨のハム、ポテトサラダ、山菜の煮物、筍とワカメの炊き合わせなど。夕ご飯の後は足をマッサージしていたら眠くなり、8時前には寝てしまった。
塔ノ岳から丹沢山は、思ったより遠かった。向こうに見えるピークは竜ヶ馬場。丹沢山はまだまだ先。
丹沢山着は4時50分、前回の雲取山のときと同様、かなり予定より遅れた。ただし、こちらは山頂のとなりが宿。
みやま山荘の朝ごはんは山菜ご飯でした。すごくおいしかった。
みやま山荘のこの日の泊り客は14~5人。小屋の2階にある寝室は余裕があり、いびきをかく人もいなかったのでゆっくり眠ることができた。5時半に朝ごはん。山菜ご飯がすごくおいしくて、大盛りにしてなおかつおかわりをしてしまった。6時ちょうどに出発。一番後に着いたのだが、出発は一番早かった。
塔ノ岳への帰り道はもやっていて麓の方は霧の中だが、これから暖かくなるような気配。疲れもとれた朝一番の歩きは気持ちがいい。塔ノ岳方向から来た人は4、5人、後ろから追いついてくる人はいないので時々デジカメで風景を写しながらゆっくり歩く。山頂への登りも、前日に思ったほどには難儀しなかった。
前の日ゆっくりできなかった塔ノ岳山頂でしばらく休む。この時間になると、相模湾まで見渡せるようになった。相変わらず風は冷たいが、その分ぬかるみが凍っているので歩きやすい。着いたときは誰もいなかった山頂に、だんだんと人が増えてきた。7時30分、そろそろ出発だ。帰りは大倉尾根、別名バカ尾根と呼ばれる長い尾根道である。
なるほど延々と木の階段が続き、下りはいいのだが登りはきついだろう。加えて私の苦手なガレた坂道も出てきた。すれちがう人はみんな辛そうだ。鍋割山方面と分岐する金冷シを過ぎ、山荘のある花立を通過する。人がどんどん増えてくる。すれ違う時に待つのはペースが乱れるし、ひっきりなしに挨拶するのもかなり疲れる。
天神尾根との分岐まで来たのは8時20分。この時には予定を変更して急坂を下りようと決めていた。分岐点の標識には45分の下りと書いてあったけれど、地図をみる限り私の足ではとても無理。1時間半かかるとして10時に着けば御の字だろうと予想。人通りは少ないだろうと思い、しまってあったクマ鈴を装着する。
ところが、結構登ってくる人がいたのである。ビールやポカリのケースをたくさん背負った歩荷の人とも4、5人すれ違った。高校生らしい20人くらいのグループもいた。それでも、大倉尾根に比べると全然静かだ。マイナールートと思われるこのルートにこれだけ登る人がいるということは、大倉尾根はどんな状態なんだろうと思うと、ルート変更は正解だったようだ。
下り坂の真ん中あたりで下ってきた単独行の人に抜かれる。道を譲ったときに、「ひどい尾根だね。見通しはきかないし、道はひどいし。」と言われた。確かに下り坂はきついし崩れているところが多数あったけれども、私の意見は全く違っていて、とても楽しい下りだった。
木々の間から見える表尾根の稜線がだんだん目の高さより高くなっていくのは何ともいえないし、なるべく安全な足場でルートを考えるのも楽しい。谷から聞こえる水の音もうれしい。ゆっくり下る分には息が切れることもないし、大汗もかかない。何より人があまりいない。天祖山でもそう思ったのだが、私の感覚は多数派の感覚とちょっと違うようなのだ。
尾根の入り口にあたる戸川出合に着いたのは9時55分、ほぼ見込み通りの時間。晴れて気温も上がってきて、ここから大倉まで帰りの林道歩きは快適だった。林道を横切って沢が流れているのには少し驚いたが、その流れで泥だらけのステッキを洗ったらきれいになった。
携帯の電池が切れて太陽電池に日が当たるように歩いていたら、戸川から2時間弱で大倉のつり橋が見えた。おそらく大倉尾根をそのまま下りるより時間はかかったと思うけれど、最高に気持ちいい下りだった。もしかすると、ひと気のない林道歩きが性に合っているのかもしれない。
この日の経過
ヤビツ峠 9:15
9:35 富士見山荘跡 9:35
11:00 二の塔(昼食) 11:15
11:35 三の塔 11:40
12:20 烏尾山 12:25
12:55 行者ヶ岳 13:15
13:50 書策小屋跡 14:00
14:20 新大日 14:20
14:40 木の又小屋 14:45
15:20 塔ノ岳 15:30
16:50 丹沢山(みやま山荘・泊) 6:00
6:20 竜ヶ馬場 6:20
7:10 塔ノ岳 7:30
8:00 花立山荘 8:05
8:40 天神尾根分岐 8:40
10:05 戸沢登山口 10:15
11:50 大倉
[Apr 30, 2013]
急勾配の天神尾根を下る。足場がくずれた箇所多数だが、何より静かである。
戸川林道終点付近から、登り下りしてきた表尾根、大倉尾根を望む。下りてきてから、急に暖かくなった。
大山から日向薬師 [Dec 14, 2013]3
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
2012年、半死半生で登った大山は、いつか再挑戦しなければならないと思っていた。ただ、近年の丹沢はヒルが大量発生しているので、気温が高い間は登れない。早朝には氷点下に下がる12月ならさすがにヒルもいないだろうということで、1年半ぶりに大山に行ってみることにした。
前の年になぜあれだけバテたのか、よく分からない。体調変化を比較できるように、登りは前回と同じルートとした。下社までは大山ケーブル。そこから見晴台に回り、雷の峰尾根を登る。ケーブルカーの始発は9時、それより早く着いても仕方ないので6時前に家を出発する。新宿発の小田急は7時過ぎの急行。ところがこの電車、やたらと酒臭いのである。
最初は隣の女性がアセトアルデヒドの匂いがきつく、仕方なく隣の車両へ。しかしこちらにも発車間際に朝帰りのグループが駆け込んできて、大声で昨日真夜中からの行動を振り返っている。人間ドックに備えて3週間の禁酒中でもあり、酒臭いのは耐えられないのであった。
中央線で奥多摩に行く時も朝帰りの人は乗ってくるのだが、人数的にはハイキング客が大半である。ところが土曜朝の小田急は、朝帰りが多数派でハイキングが少数派なのである。丹沢方面の早朝入りは、次回からロマンスカーを使った方がいいのかもしれない。時間的に大して変わらないのでこれまでは急行を使ってきたのだが。
さて、およそ1時間で伊勢原駅を降りる頃には、やっぱりハイキング客が目立つようになっている。大山ケーブル行きのバスは満員、下社への始発ケーブルカーも満員で、両方とも立たなくてはならなかった。ただ、前日はゆっくり寝たし、電車でも目をつぶっていたので、体調は悪くない。最近は登る前の体調維持にはかなり気を使っているのだ。
下社でケーブルカーを下りる。ここからほとんどの人は阿夫利神社の階段を上がっていく。さらに参道を頂上まで登るのが最短距離であるが、比較的人が少なく静かなのが見晴台経由である。こちら方面に歩き出したのは私の他には2組くらいしか確認できなかった。もちろん、クマ鈴を装着する。
ここのトラバース道は右側が崖で、過去には死亡事故も発生していると注意書きが出ているが、道幅があるのでゆっくり進めば特に問題はない。前回同様、30分ほどで見晴台に到着する。2度目なので、目が慣れている。
ここからが本番。いったんリュックを下ろして汗をふき、水分を補給し、靴紐を結び直して出発する。見上げると、目指す大山山頂のアンテナ群が見えている。1時間少しで着けそうな標高差であり距離感なのだが、前回は1時間50分かかってしまったのだ。それだけでなく、ほとんど倒れそうになり目の前がふらふらになってしまった。
前回の二の舞にはならない自信はあったけれど、慎重に歩を進める。幸いに、人通りは少ないので、マイペースで歩くことができる。ゆるい鎖場を過ぎ、20分ほどで急こう配が始まる。二の搭とよく似た景色だ。同じ山域、同じ方向だから当然かもしれない。昨年はそんなことも気が付かなかったのだ。
時間的に中間くらいの、コンクリート塊のところで小休止。かなりしっかりした土台のような塊である。景色が開けて、はるか下方向に伊勢原から厚木にかけての市街地が見渡せる。それにしても、何でこんなところに人工的なコンクリートの塊があるのだろう。送電線からは離れているし、ここにロープウェーかケーブルカーでも作るつもりだったのだろうか。
前回は残りの距離(0.6km)に愕然とした不動尻方面の分岐も、あれ着いたのと思うくらいあっさりと通過。大山の肩でひと息つき、山頂直下の急坂もクリアして、山頂に着いたのは11時15分。見晴台から1時間20分で、ほとんどコースタイムどおり。前回と比べると30分以上の短縮である。
見晴台から大山。目の子で1時間ちょっとで登れそうだ。
さすがに人気の大山。頂上はすごい人でした。景色は抜群。
前回は持ってきた昼食すら食べられないほど疲労困憊していたのに対し、今年は余力を残して頂上まで来ることができた。時間的にも30分以上の短縮であり、久しく気がかりであった大山に関する課題をクリアしたといえるだろう。
大山に来るのは、もう4、5回目になるだろうか。それほど重装備でなくても登れる山なので、相変わらず混んでいる。まだ11時頃と早目の時間なので、うまいことにベンチが空いていた。腰を下ろし、テルモスに持ってきたお湯でコーヒーを作り、カロリーメイトと一緒に軽食とする。今回、お昼は下山してから食べる予定なのである。
わずかに風があって体感気温は低いが、快晴で日当たりはよく景色も申し分ない。もう少しゆっくりしていてもよかったのだが、大きな声で騒ぐグループが多い。若いのもいるし年寄りもいる。うれしいのは仕方ないけれど、騒がしくて落ち着かないので早々に撤退する。11時35分。
前回は、参道経由で下社に下りてケーブルカーで帰ったが、今回は日向薬師まで歩いて下りる予定である。多分体調は悪くならないだろうと見込んでいたので、もう少し歩いてみようという計画である。大山山頂が1252mで、下社からの登りは+562m、対する日向薬師への下りが-1082mだから、登りの倍近い結構な標高差である。
見晴台までは来た道を戻るだけなのだが、上から見ると、登った時以上に急傾斜に感じる。慎重に下りたので結構時間がかかり、見晴台までは1時間15分。登りと比べると5分くらいしか短縮できなかった。もう正午近いので、登り下りとも朝より大分と人が多くなっている。傾斜に気を使ったのと、人が多くて騒がしいので気疲れした。
見晴台を過ぎ、ほとんどの人は下社方向に向かう。日向薬師方面に向かうのは少数派だ。ここから先はようやく、静かな道となる。勾配も緩やかになり、風も弱まり暖かくなってきた。ずっと歩いていたくなるような道である。何よりも人が少ないのがありがたい。20分位歩くと、分岐点に出た。
先に続く尾根道が「→日向薬師方面」、ここから下る坂が「↓キャンプ場方面、つづれ折り」と書いてある。確か下った先は公共施設のはずだし、坂も何とか名前がついていたと思ったから、ここで下るのだろうか。地図を出して確かめようとしたその時、後ろから7~8人のグループが近づいてきた。ご高齢の女性達が大声で話していて騒がしい。
追い付かれたくなかったので、速足でキャンプ場方面への坂を下って行った。スイッチバックの下り坂を自分としては速足で歩く。幸いに道は落ち葉でふかふかしていて歩きやすい。こういう坂は得てして足もとがガレていたり岩がごつごつして歩きにくいことが多いのだが、そうでなくて歩きやすいのでスピードが出る。
標高差で50mほど下ったところで様子を伺うと、後続グループが追ってくる気配はない。分岐点を日向薬師方面に向かったようだ。おそらくどちらの道も日向薬師に出るはずだし、せっかく静かなのに騒がしいグループと同じ道を選ぶことはない。引続きスイッチバックの坂を下って行った。
見晴台から日向薬師方面に下ると、この通り全く人がいません。
後から騒がしいグループが迫ってきたので、キャンプ場の方へ下ってしまいました。こんな坂。
道が合っているか今一つ疑問ではあるが、とても歩きやすく、どんどん標高が下がっていく。時々倒木があったり、斜面が崩れているのが玉に傷である。川の音が大きくなって来ると、下の方にあずまやが見えてきた。最近作られたものらしく、とてもしっかりしているし、手入れされている形跡があった。ここでちょっとひと休みする。
さらに下っていくと今度はバンガローが見えてきて、登山道はそのままバンガロー村に入っていった。しっかり戸締りされているので、夏の期間だけやっているのだろう。コンクリートの坂をさらに下っていくと、舗装道路に出た。
近くに大きな地図が掲示されている。この場所は「ふれあいの森・日向キャンプ場」、そもそも下山を予定していた場所は「日向ふれあい学習センター」、似ているのだけれど微妙に違う。坂道の名前も、「つづれ折り」と「久十九曲がり」だった。ちゃんと地図を見ればよかったが、静かな山を楽しめたのでよしとしよう。
日向薬師まで舗装道路を歩く。ふれあい学習センターの先で、後ろから来た騒がしいグループが下りてきたのとぶつかったので、若干遠回りしたものの時間的にはほとんどロスがなかったようだ。
さて、1年半前には大バテしてしまった大山への登りが今回全く楽勝だった理由を、歩きながら考えた。
① 体調管理に気をつけるようにしたこと。
前日に酒を飲まないようにしたり、睡眠時間を確保したりすることで、歩いている間の体調は間違いなく前回より良かった。
② 人が少なく、ペースが守りやすかったこと。
前回は暖かいシーズンだったので、ハイキング客が多かった。自分ではマイペースを守っているつもりでも、他人のペースに合わせた結果バテてしまった。
③ 技量が未熟だったこと。
最大の理由はこれだったのではなかろうか。見晴台から山頂までの登りは標高差で500mあり、WEBにあったように小学生でも楽勝の初心者コースではなかった。楽勝だと考えていたのに急坂が続いて、バテてしまったのだろう。情報をうのみにせず、十分に用心してあたらなければならなかった。
キャンプ場から日向薬師バス停までは、舗装道路をゆっくり下って40分。休日はバス便も1時間に3本あるので、帰りの時間にはあまり気を使わなくても大丈夫だ。山の上では少し寒かったが、下界は風もなく穏やかな午後である。江戸時代にたいへん栄えたという浄発願寺を右手に見ながら、今回もまずまずの山歩きだったなあと思った。
この日の経過
ケーブル下社 9:10
9:40 見晴台 9:50
11:10 山頂(昼食) 11:30
12:40 見晴台 12:50
13:10 分岐 13:10
13:50 日向キャンプ場 13:50
14:15 クアハウス山小屋 15:10
15:40 日向薬師バス停
[Jan 13, 2014]
営業していないバンガロー村に下りてきてしまいました。まあ、それほどタイムロスはなかったようです。
帰り道にある浄発願寺。上野寛永寺の末寺で、江戸時代にはたいへん栄えたらしい。もとの敷地(現在の奥ノ院)から、山津波(土石流)で被害を受けて移転してきたそうです。
塩水林道から丹沢山[Nov 14-15, 2014]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
秋の終わりは、丹沢に行きたくなる。何しろ、ここ数年、丹沢といえばヒルというのが枕詞になっているくらいで、特に、北側の尾根は大変だそうなので、行くとすれば朝晩氷点下に近く寒くなる11月半ばまで待たなければならない。
さて、前回は表尾根から塔ノ岳を通って丹沢山に至ったが、今回は塩水橋から丹沢山に直行する計画である。このルートが丹沢山への最短経路になるのだが、ガイドブック等を見ても塩水橋に車を止めてそこから歩くという計画ばかりである。基本的に公共交通機関利用なので、宮ヶ瀬ダムから歩かなければならないのだが、ここを歩くとどの位かかるかどこにも書いてない。
家にある古いガイドブックによると8km2時間と書いてあるのだが、このガイドブックの書かれた当時、まだ宮ヶ瀬ダムはできていないのでほとんど参考にならない。まあ、塩水橋まで2時間ないし2時間半とみてプラス丹沢山までの3時間半、合わせて6時間くらいの登りと見当をつけて、朝一番の電車で都心経由小田急線で本厚木に向かった。
本厚木から宮ヶ瀬行きのバスに乗って、三叉路停留所で下りる。その名の通り、宮ヶ瀬ダムに向かう道とヤビツ峠に向かう道が分かれる三叉路にある。ここをヤビツ峠に向かい、川を遡って行くのである。すぐにトンネルがあるが、ここは歩道があるので問題はない。トンネルの手前に「29.5km」の標示がある。どこからの距離だか分からないが、これを目安にできそうだ。
次の標示が「29.0km」だったので、ヤビツ峠の向こうから測った距離らしい。であれば、大体「22.0km」あたりで塩水橋という計算になる。しばらくはダム湖に沿って歩く。天気も良く風もなく、絶好の山歩き日和である。しばらくすると村営の墓地があるが、その後はほとんど何もない。何kmかごとに、やっていない(夏はやっているのだろうか)キャンプ場があるだけである。
ダム湖はいつの間にか川になって、これをさかのぼって行く。谷間の道なので、はじめのうちは傾斜が緩やかである。下は舗装道路だから、登りとはいえ時速4kmくらいでは歩ける。尾根道だと最初から急坂だから30分くらいで小休止を入れないと息が上がってしまうが、こういう道だと休まなくてもどんどん進める。むしろオーバーペースが心配である。
どこかで休もうと思っているうちに、「23.0km」の標示の先に塩水橋が見えてきた。予想より少し短くてうれしい。時間的にも、歩き始めて1時間半ほどなので、考えていたより30分ほど早い。ただ、このあたりは深い谷にあって陽が当たらず、寒くて長居ができるようなところではなかった。もう少し日当たりがいいところで休もうと思い、ゲートを越えて塩水林道に入る。
林道に入ると、とたんに傾斜が急になった。今回も川に沿った谷筋の道であるため、はじめは傾斜が緩やかなのに源流に近づくにつれて傾斜が急になる。このあたりで宮ヶ瀬ダムへ注ぐ中津川はいくつもの支流に分かれるが、塩水川はその一つである。源流は丹沢三峰で、宮ヶ瀬から尾根道をたどると丹沢三峰の稜線、谷道をたどると塩水林道ということになる。
いつまでたっても日当りがよくならないので、砂利を積んであるところを見つけて腰を下ろし、あんパンとコーヒー牛乳でひとまずお昼にする。日陰の気温は10度くらい。寒くてゆっくりもできなかったので、10分ほど休んで歩き始める。歩いている方が暖かくていいくらいであった。
ゲートを過ぎて1時間ほどは眼下に塩水川を望むシチュエーションで、そのあたりから進路を180度転じ、スイッチバックで標高を上げていく。ただし、ほとんど標示は出ていない。分岐点もないので道に迷うこともないのだけれど、あとどのくらい歩けば着くのか見当がつかないのがつらいところである。
川岸から標高差で100mくらい登ったあたりで、路肩工事中の工事現場の脇を過ぎて行く。工事車両や機材が置かれており、作業中の方も何人かいる。山登りしている間に働いている人達を見ると悪いような気もするが、あいさつをして横を通り過ぎる。工事現場を過ぎてもさらに標高を上げる。いったん谷を渡る。このあたりはもう水が流れていない。
そろそろ林道は終点になるはずである。さらに15分くらい進むと、堂平の雨量観測所の建物が見えてきた。建物の向かい側から登山道が始まるのである。
宮ヶ瀬三叉路から県道を南下、ヤビツ峠方面に中津川を遡って行く。
塩水橋を過ぎてゲートをくぐると塩水林道。塩水川をはさんで向こう岸は、丹沢三峰の稜線。
時計を見るとまだ12時半過ぎ。ここ(堂平登山口)には1時に着けばいいと思っていたので、30分の余裕である。観測所の横にある平らな場所には、すでにおじいさんが二人先に休んでいたので、観測所の階段に腰を下ろして休む。ちょうどお昼過ぎのいちばん暖かい時間である。さっきは谷間で寒かったが、ここは日当たりが良くて気持ちいい。
さて、ここから丹沢山まで標高差で約600mの登りである。私の登りペースとしては1時間に標高差300mなので、ここから丹沢山まで2時間ということになる。地図をみると、進路を西から南に変えるあたりと、天王寺尾根との合流地点で3分割できそうなので、それぞれ40分と計画を立ててみた。登山口には「丹沢山まで1時間20分」と書いてあるが、それはエキスパートの時間で私にはちょっと無理。
1時5分前に登山道に入る。傾斜がきつく感じた。ここまではずっと林道で足場はほぼ平らだったのだが、階段があったり木の根が出ていたりで安定しない。でも、これが本当の山道なのである。そして、林道とはいえ4時間歩いてきた疲れもある。ペースダウンするのは仕方がない。傾斜としては会津駒ヶ岳よりずっと緩やかなのに、これまでが楽だった分きつい。
登山道を30分ほど登ると、堂平のブナ林の横を通る。このブナ林は地盤の崩壊やシカの食害で被害を受けていることから、ロープが張られて登山者の立入りが禁止されている。でも、いつものことだが、登りでは景色を楽しむゆとりがない。ブナ林から少し上がると小さな堰堤があって、ここで進路を変える。ここまで35分と予定より5分早い。あと残り3分の2だから、3時頃には着きそうだと思ったのだが、もちろんそんなに甘くはなかった。
堰堤から先は、さらに傾斜がきつくなる。考えてみれば 堰堤があるのは谷で、尾根の合流点はもちろん尾根だから、ここから先が一番きつい傾斜なのであった。行き先表示が頻繁に(300mおきくらいに)出てきてくれたのは励みになったものの、標示のたびに立ち止まって息を整えるくらいきつい登りである。
尾根道だと最初に急登があってある程度標高を上げるのだが、歩き始めなのでまだ体力に余裕がある。1日の終わりに急登というのは、あまり体験したことのないきつさであった。北側の尾根なので陽が当たらずそれほど汗をかかなかったのだが、もう少し気温が高かったら汗だくになってしまっただろう。この日は山小屋泊まりで風呂がないというのに。
傾斜のもっともきついところを何とかクリアして高台に登ったのだが、残念ながら尾根の合流点はまだ先であった。きついのは尾根までだと自分を元気づけてようやく合流点へ。時間はもう2時半を過ぎている。堰堤から40分の予定が1時間かかってしまった。それと、登山口から丹沢山までほんとに1時間20分なら、もう着いている計算になる。
天王寺尾根合流からしばらくは緩やかな尾根道だったので、このまま丹沢山まで行けると思ったのだが、これも甘かった。緩やかな道は10分も続かず、まず階段、それから鎖場があって、さらに延々と階段が続く。鎖場のところから下を見ると、まさに山と山の間、谷の部分から登ってきたことが分かる。きついはずである。
ここの最後の登りで、左足の太ももがけいれんしてしまった。汗をかいていないし水分も補給しているので脱水症状ではないようだが、大分と距離を歩いてきたのでそのせいだろうか。階段に腰を下ろして少し休む。こんなところで休むと邪魔になるのだが、幸いに、登ってくる人も下りてくる人もいない。
WEBには、大倉尾根よりずっと楽な登りだと書いてあったけれど、全然、楽なんてことはなかった。木の階段はさらに際限なく続き、歩くたびに左足がけいれんするので休み休み登る。 最短コースであるのは確かだとしても、標高差600mを最初に登るのと、林道を4時間歩いてから最後に登るのとでは、体力的な余裕が全く違うということがよく分かった。
結局、丹沢山に着いたのは3時50分。堂平登山口から3時間近くかかってしまった。宮ヶ瀬からはおよそ7時間。ヤビツ峠から登り下りしても7時間半だったから、最短経路なのに表尾根経由と同じくらい時間がかかったのは予想外。みやま山荘はほぼ満員。靴を脱ぐときに、今度は右足のふくらはぎがけいれんしてしまった。
登山道入ってすぐの堂平のブナ林は、植生保護のため立ち入り禁止。ここからさらに傾斜がきつくなる。
丹沢山への最後の登り。この急斜面を登ってきました。すぐそこに鎖が見えます。
みやま山荘は2回目。例によって、食事は気がきいている。前回はすいていたのでみんな一緒だったが、今回は混んでいたので2組に分かれた後半組。前半組を待つ間、休憩室でビールをチェイサーに、スキットルに入れてきた森伊蔵をちびちび飲む。夕飯のメインは牛肉のてり焼き。すりおろした山芋がおいしくて、ご飯をおかわりしてしまった。
夕食の後はすぐお布団に入る。指定された場所は上の段だったので、はしごを登り下りするのにちょっと苦労する。けいれんしてしまった両足を念入りにマッサージして、バンテリンも塗った。着いた時よりも、かなり楽になったような気がした。8時前にはほとんどの人が布団の中で、私も消灯前には寝てしまった。
さて、2日目は塔ノ岳経由ユーシンまで下る予定である。以前に大倉尾根を下りて、エンドレスの階段と人の多さに参ったので、あまり人が来ないはずの尊仏の土平まで塔ノ岳の西尾根を下ろうという計画である。起きたら足の痛みはなくなっていたので、予定通り、長い林道歩きに挑むことにした。6時10分すぎにみやま山荘を出発。塔ノ岳への稜線は3度目である。
丹沢山と塔ノ岳の間には、竜ヶ馬場、日高と2つの小ピークがあり、それぞれ結構な登り下りがあるのだが、休養十分なので大丈夫である。進行方向右手に、富士山がきれいに見える。富士山から海に向かって、箱根の山々も見事だ。朝一番で人はいないし、空気はきれいだし、高いところまで登ってきた甲斐があったというものである。
そういえば、箱根はもともと富士山のような成層火山であり、大規模な噴火により山腹が吹き飛んで今日の姿になったそうだ。その前には、富士山よりも高かったと言われている。富士山と並んで古・箱根火山が見えていたら、さぞ豪快な景色だっただろう。箱根の山並みから、古・箱根火山の姿を思い浮かべてみる。もっとも、その頃には丹沢山地はなかっただろうけれど。
途中、竜ヶ馬場のあたりから眼下を望むと、白く河原になった谷底が見えた。これから向かう尊仏の土平と、丹沢湖につづく谷筋である。ずいぶんと細く見える。(ところが下で見ると結構な幅のある河原なのだ。下からの写真は完結編で)
塔ノ岳まで登ってひと休み。まだ7時半だが、すでに尊仏山荘のお客さんは全員出発してしまったらしく、小屋番さんが掃除機をかけていた。ここから富士山を眺めていると、カメラで撮影していた人に話しかけられた。なんと、今朝大倉から登ってきてもう着いたということである。4時から登り始めたとしても3時間半でここまでと登るとは、私にはとても無理なペースである。
「ユーシン方面」の標示に沿って、急な木の階段を下って行く。15分下ったところに、水場(不動の清水)がある。あまり勢い良くは出ていないが、なんとか止まらずに出続けていた。1リットル補充していく(家に帰ってご飯を炊くのに使った。おいしかった)。水場を過ぎてさらに急な木の階段が続く。前日の丹沢山への長い階段を思い出した。
ようやく階段が終わり、緩い傾斜の尾根道になる。ここで、道を間違えそうになった。いったん鞍部に下って登り返したあたりの小ピークで、道なりに進んだところ様子がおかしいことに気づいたのである。進む尾根は西なのに、磁石を見ると南向きに下りていた。もう一度登り返してあたりをよく見ると、ピークを巻いて西側に道が続いていた。危ない危ない。
尊仏の土平へ半分くらい来たあたりでやや平坦になり、そこにベンチが置かれている。この周辺では、鹿柵の工事中であった。十何人かの人がリュックに金網、工具を持ってきて、広い範囲で工事をしていた。お疲れ様なのだが、いったいどこから登ってきたのだろう。尊仏山荘からなら1時間で着くが、あそこにはシャワーさえない。尊仏の土平から上がってきたのだろうか。
ベンチで一休みして、後半戦の下りである。ここからは踏み跡がはっきりしているので、間違いようがない。塔ノ岳からここまでほとんど人とすれ違わなかったのだけれど、ベンチあたりから登ってくる人とすれ違うようになった。考えていたほどマイナーなコースではないようである。最後のスイッチバックは天祖山くらいきつい急坂。下るのはいいけど登るのは嫌だなあ。
塔ノ岳から約1時間半で尊仏の土平に到着。水の流れていない石だけの河原で、川を渡る心配をしていたのだがその心配は無用であった(少なくとも大雨の日以外は)。それにしては、ずいぶんと川幅がある。大雨の時にはこれが全部川になってしまうのだろうか。適当に向こう岸に渡ると、道が続いている。足下が石なので、ごろごろしてすごく歩きにくい。
みやま山荘前からみた朝の富士山。ここから塔ノ岳まで、富士山を右手に見て絶景の歩きでした。
龍ヶ馬場あたりから見下ろした箒杉沢の白い河原。今日はあのあたりまで下りて行きます。
尊仏の土平(どたいら)。登りの場合は、赤テープを目標に河原を渡って対岸から塔ノ岳方面に登ります。
尊仏の土平で10分ほど休んで、ここから林道を下る。林道とはいっても、尊仏の土平から熊木ダムまでは落石があったり道自体が崩壊していたりで車ではとても無理。さきほどの工事の人はいったいどこから登ってきたのだろう。やっぱり尊仏山荘に泊まりなのかなあ。川沿いの道を下って行く。途中、広くなったところにたき火の跡がある。キャンプでもしたのだろうか。
箒杉沢出合のあたりで、3時間ほど前に上から見た景色のところに来た。上から見ると谷底は暗く狭いのだが、下から見ると明るくて伸び伸びしている。陽が高くなってきたからだろうか。すぐに熊木沢の出合。河原に下りて向こう側に渡る道が続いている。蛭ヶ岳方面への登山道のようだ。ここまでは車が入れるらしく、河原に駐車している車があった。ダムがあるので、管理用に車は必要なのだろう。
ユーシンロッジには予定通り11時過ぎに到着。尊仏の土平からちょうど1時間、塔ノ岳から2時間半である。思ったより多くの人がいて、お昼休みを過ごしている。だんだん増えてきて、出発する頃には50人くらいいたのではないだろうか。ここまで、丹沢湖からは2時間半は歩かなければならないにもかかわらず、大変なにぎわいである。もっとさびれていると思っていた。
歩くしかないのにこれだけの人が集まるということは、車で来れればもっと集まるということだろう。せっかく何十人も泊まれる施設なのに、見た感じちょっと傷んできているのは残念なことである。若い頃、ユーシンロッジといえば丹沢への聖地のようなところで、ここを拠点に沢を登ったり檜洞丸に行く人が多かったと聞く。利用者だけは車で入れたように記憶している。
この日の昼食は、スープカレーとくるみパン、コーヒー。レトルトのスープカレーはゆでたまごがそのまま、じゃがいもやにんじんが大きく切ってあるので、キャンプに使おうと思って買ったのだが、キャンプするには寒くなりすぎてしまったのである。封を切って直にあたためる。その間、最初に沸かしておいたお湯でインスタントコーヒーを入れる。こいつが最高にうまい。
何の変哲もないインスタントコーヒーがなぜこんなにおいしいんだろうと思う。山歩きをして不思議なことの一つである。ただ、お湯を沸かしたりスープをあたためているだけなのに、あっという間に時間は経つ。丹沢湖までは2時間50分とガイドブックにある。3時過ぎのバスに乗るためには、12時に出発しなければならない。もう、10分前になってしまった。
ばたばたと片付けて身支度し林道に戻り、右折して丹沢湖方向へ。ここから予想外だったのは、ユーシンから玄倉までの間、行き先標示がまったくなかったことである。ユーシンロッジの分岐が最後の標示で「玄倉まで7km」、そこから丹沢湖まで、あと××kmの標示が全くなく、先が見えないのでちょっとつらかった。
地図を見ると発電所のあるあたりが中間地点なのでここで一回休む。その少し先に、林道が長いこと不通となり一昨年にようやく改修工事が完成した青崩トンネルがある。前半部は谷側に窓が空いた覆道で、紅葉の見事な玄倉川を望むことができる。そして後半は隧道で、400m近く光が全く入ってこない。当然ヘッドランプを使うことになる。山の夜道はこんなに暗いのだろうか。
工事したばかりなので路面は平らで歩きやすい。しかし、常夜灯が付いていないということは、この林道を一般車両に開放するつもりはないのかもしれない。MTBで入ってきている人は何人かいて、すれ違った。自転車と関係者の車両だけ通るにしては、このトンネルはかなりのオーバースペックである。
ユーシンロッジから2時間少し歩くとゲートがあり、その外が駐車場になっている。駐車場は満杯で、路肩に駐車している車も多かった。ここまで来ればすぐに丹沢湖だろうと思ったのだけれど、終点はまだまだ先で、砂利採集場の脇を30分歩いてようやくビジターセンターに到着。少し時間に余裕があったので、センターのトイレで素早く着替えてからバス待ちの列に加わる。
この時点ですでに、バス停には50人くらい並んでいて、1台増発してようやく乗り切れた満員のバスで山北に向かった。このバスが渋滞でさらに遅れ、2時半に下山したというのに家に着いたのは8時過ぎである。土曜日なので1日休めるのは助かったが、やはり丹沢は人が多い。長い時間かかった割に、前の日にけいれんした足が痛くならなかったのは幸いなことであった。
この日の経過
宮ヶ瀬三叉路 8:40
10:25 塩水橋 10:30
11:00 塩水川中腹(昼) 11:15
12:35 堂平登山口 12:55
14:35 天王寺尾根分岐 14:45
15:50 みやま山荘(泊) 6:15
7:35 塔ノ岳 8:00
8:50 1182mベンチ 9:00
9:40 尊仏の土平 9:55
11:05 ユーシンロッジ(昼食休憩) 11:55
12:45 発電所付近 12:50
14:00 ゲート付近 14:05
14:35 玄倉ビジターセンター(GPS測定距離 1日目13.9km,2日目18.0km)
[Dec 27,2014]
箒杉沢出合からみた龍ヶ馬場方向。2つ上の風景を逆側から写したことになります。
ユーシンロッジ。休業中ながら、結構な賑わいをみせていました。正午ごろには50人くらいいたと思う。
青崩トンネル前半、覆道のすきまから見た玄倉川。これもまた絶景です。
日向山から梅の木尾根 [Mar 14, 2015]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
さて、冬の間は房総の山で過ごしてきたが、今年は大雪も降らずそろそろ奥多摩・丹沢への遠征が可能である。まだ山の上の方は雪が残っていそうなのと、いきなり標高差1000mを登るのも不安が大きいので、まず低山をトレーニングがてら登ってみることにした。WEBで研究したところ、おととし大山から下りてきた雷ノ峰尾根から谷を挟んだ梅の木尾根がおもしろそうだ。
例によって朝一番で小田急線に向かう。土曜日朝の新宿は前の時と同様、駅で寝ている人がいて朝帰りの酔っ払いがいて、鼻にピアスをしているヤンキーがいる。できれば通りたくない経路なのだけれど、丹沢に行くのは小田急が便利だしフリーパスがあってお得である。町田を過ぎるあたりまでは我慢しなければならない。
伊勢原で下りてバス停へ。大山ケーブルに向かう人で混雑しているが、日向薬師行きのバスには楽勝で座ることができた。それどころか、みんな途中で下りて行って終点まで乗っていたのは私ひとりであった。私としてはありがたいのだけれど、みんな同じ経路で同じところに行って楽しいのだろうか。
まずは20分ほど登って、日向薬師にお参りする。現在、本堂の改修工事中で、あまり広くない境内は工事の仮設フェンスでおおわれている。露店で地元の人達が準備していたけれど、これではお客さんはあまり来ないかもしれない。でも、店を開かない訳にもいかないんだろう。声をかけられたら「帰りに」とか言おうと思っていたが、幸いに話しかけられなかった。
日向薬師からは梅園の坂を登って行く。ほとんどが白梅で、いまが見ごろである。梅園の半ばから日向山に直行する道があるはずだが、ガイドブックによると現在は通行禁止となっている。きっとトラバースの登山道が崩れているのだろうと思って、指示どおりいったん峠まで行ってから尾根を登ることにする。
ここの峠は向こう側に抜けると弁天の森キャンプ場で、左右の尾根は右(東)が日向山、左(西)が梅の木尾根である。だから、日向山に登ってから再度ここまで下りてきて、それから梅の木尾根に行くことになる。仕方ないとはいえ面倒である。WEBに載っていたように「クマ出没注意」の立看板が目立つ。単独なのでもちろんクマ鈴は付けている。
日向山まではけっこうな登りである。まず丸太の階段があって、それから木の根と岩の登り坂。2ヵ所ほど小ピークがあって、最後もうひと登りで頂上に達する。ここで、この日初めての登山者とすれ違う。そして、山の中で出会った最後の登山者であった。頂上の東は開けていて、相模原から相模湾にかけての展望を望むことができ、遠く江の島も見える。
頂上には、奇しくも先日の石尊山と同様の石の祠が建てられている。この祠は江戸時代天明年間の建造だそうで、以前は観音像が祀られていたそうだが、現在はお札が納められているのみである。そして驚いたのは、祠と並んで「ナイスの山頂上」なる看板が立てられていたことである。ナイスという会社がこの山を買い取ったようなことが書いてある。
そして、頂上から南に下りる登山道の入口には、「ここから先私有地のため立入禁止」と書いてある。ガイドブックに書いてあった通行禁止とは、道が崩れていて危険とかそういう理由ではなくて、私企業の所有地なので通れませんということだったのである。本来、山とか川とかには排他的な所有権は認められないはずであるのに、世知辛いことである。この先この会社と関わりができたとしても、いい印象は決して持たないであろう。
日向薬師から上がった「クマ注意分岐」(w)。十字路になっていて、右が日向山、左が梅の木尾根、向こう側が弁天の森キャンプ場。
日向山山頂。東側に厚木から相模湾にかけての展望が開けます。日向薬師からの直行ルートの通行禁止は、私有地のためだそうな。向こう側が「ナイス」の碑(爆
バス停から日向山まで休憩を入れてちょうど1時間。これからいよいよ梅の木尾根である。WEBでは「梅ノ木尾根」と書かれていることが多いのだが、「梅の木」とはこのあたりの小字名であり、日向薬師の案内図にも「梅の木」とひらがなで書かれているので、今回のレポートではひらがなで書くことにしたい。
バス停の標高が150mほど、クマ注意峠が350mほど。日向山404mすら房総にほとんどない高さなので、これから先は去年以来の高さへのチャレンジとなる。峠からいきなり急傾斜の階段、そして一息ついて再び急登である。2つの急登をクリアして出てきた道標が「天神キャンプ場分岐まで0.18km」、なんと、まだ180mしか歩いていなかった。前途多難である。
3つ目、4つ目の急登を何とか登りきったあたりにベンチが置かれていて、約1時間歩いたので休憩にする。1/25000図の537p付近のようだ。今回のルートである梅の木尾根は、私の持っている平成14年の1/25000図には載っていない。最新の電子国土ポータルには載っているので、緯度経度も入れてちゃんとプリントアウトしてきた。前々回の石尊山の反省である。
梅の木尾根は893pを経由して不動尻分岐、大山頂上へとつながっているが、今回目指すのは途中の778pである。これでも標高差は600mあり、房総の山ふたつ分である。WEBによるとたいへん雰囲気がよく快適な尾根ということだが、トレーニングが足りないためか、ここまでのところ結構きつい登りである。
休憩地点からしぱらくして、通算6つ目の急登が始まる。登り坂の途中で浄発願寺奥ノ院への分岐を過ぎると、ここから先は神奈川県の水源林巡視路で、「関係者以外立入禁止」の看板が立てられている。その看板の足下に小さく「←大山」の手作り案内板が置かれていて、ここから先は自己責任のバリエーションルートとなる。
それにしても、奥ノ院分岐の少し前から始まった急登がずっと続く。ピークらしきところは何度か見えるのだが、そこまで行くと傾斜が少し緩くなっただけで、まだまだ登りである。しんどいけれど、このトレーニングに来たんじゃないかと自分で自分を励ます。天祖山だって小雲取山だって、笠取山だってクリアしたじゃないか、これくらい何だ。(もっとも、確実に歳はとっている訳だが)
とにかく休まずに登り続けようと思って40分ほどがんばったら、ようやく小ピークに到達した。水源林標示のところにマジックで、「二ノ沢の頭」と書いてある。GPSをみると標高660mほどなので、きついと思った割にはこの急登の標高差は150mくらい。やっぱりひと冬のブランクは大きいなあ。
自分としてはここまでの登りがきつかったので、ここからは思いのほかすんなり登ることができた。ニノ沢の頭から先は噂に聞いていたヤセ尾根。尾根の狭さ自体は房総にもあるのでそれほど圧迫感は感じないのだが、これが延々と続くのは房総にはなかったことである。木の根の張ったヤセ尾根やら、岩場のヤセ尾根やら、ザレ場のヤセ尾根やらが長々と続いた。
ようやくヤセ尾根が終わり、進行方向右手に見えていた尾根と合流したところが大沢分岐である。右手に見えていた尾根が大沢方面、鐘ヶ嶽に続く尾根で、合流地点に小さな手作り道標がある。この分岐を過ぎて、いよいよ最後の急登である。逆くの字型の狭い尾根を登りつめて、その先をもう少し登ると、今回の目的地である778ピークである。
二ノ沢の頭を過ぎると、噂のヤセ尾根が始まる。怖いというより長い。
大沢分岐を過ぎて最後の登り。あともう少しというところ。
さて、778pは建前上巡視路であるので、ベンチも置かれていないし親切な案内板もない。ただ、ピークに生えている木の太い幹にほとんど読めなくなった行き先標示があり、左に進むと日向キャンプ場と書いてある。その方向の尾根には、「関係者以外立入禁止」の立札がある訳だが(下の写真)。
778p到着は11時30分。あれだけ苦しい登りだったにもかかわらず、出発前に立てた計画どおり到着することができた。おあつらえ向きに倒してある丸太に腰かけてお昼にする。この日は風が強くなるという予報だったので、テルモスにお湯を入れてきて、コーヒーとランチパック、セブンのマカロニサラダの昼食である。
幸いに風は強くならなかったのだけれど、道中で空気が冷たくなってきて、脱いでいたウルトラライトダウンを再び着込む。インスタントコーヒーが温かくておいしい。そうこうしていたら、空から何か落ちてきた。なんだ花粉が飛んでるよと思ってよくよく周りを見てみると、なんと風に乗ってあたりを白くしているのは雪である。どうりで冷たい空気だった訳である。やはり早めに撤収すべきだろうとばたばた片付ける。
これまで進んできた梅の木尾根は、マイナールートとはいえ電子国土ポータルに載っている道だけれど、ここから日向キャンプ場への下りはまったく掲載のないバリエーションルートである。赤い杭や赤・青のテープ、ピンクのリボンを見逃さないように先に進む。入ってすぐに左右に尾根が分かれるのだが、杭の打たれている左の尾根に進む。
しばらく緩やかな下りになって安心していたら、いきなり「→日向キャンプ場(急坂)」の案内標示が出てくる。案内標示がある以上は登山客の通行を想定しているはずなのだが、見た目一直線の急傾斜を下って行く難路である。(急坂)でない日向キャンプ場への案内はないものか探してみたけれど、そんなものはなかった。
意を決して、急坂ルートを下って行く。幸いに、杭やテープは続いているのだけれど、さすがに立入禁止になるコースである。第一に、急傾斜がずっと続く。第二に、地盤が弱くて崩れている箇所がいくつかある。第三に、手掛りになる岩や立木が多くないのである。WEBには「特に問題はなくて正規のルートと思って下りてきた」なんて書いてあったが、とんでもなかった。
下の写真で急傾斜を感じていただければと思うのだが、下向きに歩いて下るのは非常に困難である。後向きに下るにしても、地面が斜めでしかも滑るのである。なぜにここにテープがあるのかというような木に赤テープが張ってあることもあった。鎖場となっていてもおかしくない場所では、鹿除けのフェンス(それも半分崩れている)を鎖代わりに下りたくらいである。
1時間ほど歩くと、水の音が大きくなった。だが、ここから谷までが長いのが丹沢や奥多摩なのである。ほとんど垂直に落ち込んでいる急傾斜の向こうに、堰堤らしきものが見えた。ようやく終わりかと思うと、赤リボンが踏み跡もない斜面に見える。どちらかというと正規の道っぽいのは尾根伝いにいったん坂を上がる踏み跡なのだが、テープは谷にまっすぐ続いている。
やっぱりテープ重視と思い急斜面を下りて行ったのだけれど、このテープはどうやら別の用途に使われたものらしく、結局この先に道はつながっていなかった。しかし、下りることはできても登り返せないような急斜面で、仕方なくトラバースして堰堤方向に向かっていく。再び鹿除け柵が登場して正規の道に戻ることができた。
いずれにしても、これでぬかるんでいたりしたら目も当てられないような難路である。WEBに書く人も、スキルがあるからバリエーションルートを行くのだろうけれど、「おすすめできません」くらいは書いてほしかったものである。
以前下った雷ノ峰尾根からキャンプ場へのバリエーションルートを想像していたものだから、相当面喰ってしまった。私としては、「このルートは急傾斜で危険なので、コンディションの悪いときにはここを下りるのはやめましょう」とあえて言っておきたい。(コンディション=天候、路面状況、体調、荷物等)
堰堤からは車道なので問題なくキャンプ場へ。その先のクアハウス山小屋の立ち寄り湯で汗を流して、思わず生ビールを飲んでしまいました。
この日の経過
日向薬師バス停 8:05
8:20 日向薬師 8:30
8:45 クマ注意分岐 8:45
9:00 日向山 9:10
9:20 クマ注意分岐 9:20
9:55 p537付近 10:05
10:45 二ノ沢の頭 10:48
11:15 大沢分岐 11:15
11:30 p778(昼食休憩) 12:00
13:15 キャンプ場堰堤 13:20
13:40 クアハウス 14:30
14:50 日向薬師バス停(GPS測定距離 9.2km)
[Apr 2,2015]
p778から90度進路を変えて日向キャンプ場に向かう。立ち入り禁止の立札はダテじゃなかった。
凶悪な急傾斜の尾根道。上に見える木のあたりから、一直線に下りてくる。赤テープの指示どおり来ても、まっさかさまのこんな道(w
塔ノ岳・鍋割山 [Nov 27-28, 2015]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
この秋は四国お遍路に遠征したこともあって、9月の尾瀬以来山歩きに行っていなかった。もちろん焼山寺遍路ころがしは立派な山なのだが、遍路道なので登山道ほどの傾斜はない。そうこうしている間に、秋も深まってしまった。
この季節には奥多摩か丹沢に行くのが恒例である。もう少し時期が早ければテント泊も考えたのだけれど、うっかりすると雪がちらつく季節なので山小屋が無難である。となると丹沢である。これまで何度も前を通り過ぎたのに一度も泊まっていない尊仏山荘に泊まってみることにした。初日はバカ尾根こと大倉尾根を登り、翌日は鍋割山経由寄(やどりき)に下りる計画を立てた。
前日に電話で予約したところ、「明日はツアーが入っていますので、よろしくお願いします」と言われてしまう。かなり不安があるけれども、尊仏山荘の収容人員は150人である。40人、バス1台分入ったとしても十分に余裕がある。食事が順番になるかもしれないし、夜中までうるさくされるとつらいが、今回は日程にも余裕があるのでまあ何とかなるだろう。
木曜日まで雨降りだったので、もしかすると山頂は雪かもしれないと若干不安はあったが、電話の様子ではそういうこともなさそうだ。土・日と比べれば人の少ない金曜日に登ってしまい、土曜日には寄に下りてしまえば、それほどには「こんにちは攻勢」に会うこともないだろうと思っていたのだけれど、天気が良かったのでやはり人は多かった(私にとっては、だが)。
初日は登るだけなので、始発よりも1時間くらい遅く出発して、9時頃大倉バス停に到着。乗客は5、6人しかおらず、ちょっとほっとする。身支度して9時15分スタート。目標は午後3時着で、かなり余裕含みだろうと思っていた(例によってそんなに甘くはなかった)。
はじめは舗装道路を登って行く。「どんぐり山荘」「大倉山の家」と民宿の横を通り、案内板にしたがって分岐で左に折れる。少し上で「大倉ベース」と表示がある山岳会の小屋を通過する。砂利道となるあたりから傾斜はきつくなるけれども、まだまだ山道というより遊歩道である。
小一時間歩くとまた分岐がある。右に行くと大倉尾根直行、左に行くと大倉高原山の家である。ここは左に道を取る。10分も歩かないうちに山の家に到着する。大倉尾根で唯一の水場があり、少し上にキャンプ場とトイレがある。山の家の前は秦野市街に向かって展望が開けていて、なかなかいい景色である。水場にはかなりの水量が出ており、大丈夫そうなので顔を洗って飲んでみた。
かなり寒いし平日だし、昨日まで雨が降っていたので誰もキャンプなどしていないだろうと思っていたら、なんと1グループ4、5人が泊まっていたようで、後片付けの最中であった。ここから先ほど分かれた道と合流するあたりまでを雑事場平といい、大倉尾根には珍しいほとんど平坦な道を5分ほど歩く。
そこから再び緩やかな登りとなる。標高700m位には紅葉の残っているところがあり、これもまた風情のある遊歩道となっている。歩いているうちに、最初は暑いくらいでダウンジャケットを脱ごうかと思っていたのに、だんだん風が強くなってきたのが気がかりではあったが、ますまず快調な山歩きであった。
堀山という小ピークを越え、少し下って堀山の家(標高950m)に予定どおり12時ちょうどに着いた。ただ、風が強くて立ち止まると寒いのである。風が来ない小屋前のスペースには、タバコを吸っているおやじがいる。なんでわざわざ空気のいいところに来てタバコを吸わなくてはならないのだろうと思うけれども、早い者勝ちで仕方がない。
5分ほど休んだだけで、再び登山道に向かう。昼食休憩の時間が浮いたので早く着けるかもしれないと思ったくらいだったが、もちろんそんなことはなかったのである。
大倉尾根の登り。登山口(300m)から駒止茶屋(905m)までは大体こんな感じの気持ちいい道が続く。
大倉高原山の家(530m)。水場と少し上にキャンプ場がある。誰も泊まってないと思ってたら、なんと何人かのグループでテン泊していた。
標高700mくらいには、紅葉がまだ残っていました。このあたりまでは快調に歩けたのですが。
堀山の家を過ぎると、本格的に急坂の階段が始まる。それと、ここまでは樹林帯で少しは風が遮られていたところ、尾根に出て風を直接受けるので、かなりハードな登りとなった。前の日まで雨を降らせていた低気圧が東方海上に抜けたため、この日は西高東低の冬型気圧配置となっていた。低気圧に向かって、強い西風が吹きこむのだが、それがまた冷たいのである。
標高差で150mほど上の天神尾根分岐まで来る頃には、思わず座り込むほど疲れてしまった。前に来た時にはここから戸沢に谷を下って行ったので、これから上は通ったことのある道である。とはいっても、前回は下り、今回は登り、こんなにきつい傾斜だったかなと思うくらいの急坂の連続であった。
花立山荘に着いたのは1時半。堀山の家から標高差350mを1時間半もかかっているのは、登りの弱い私にしてもたいへんなペースダウンである。花立山荘は平日もやっていると聞いていたのだが、残念ながら「CLOSED」の札が下がっている。温かいものを飲みたかったし、何しろ引っ切りなしに吹き続ける強風を避けるところがないのは、つらいことであった。
リュックを下して15分ほど休み、再び登山道へ。相当バテてはいるものの、花立山荘は標高1300m、尊仏山荘は1491mだから、あと200m登れば頂上である。標高差300m=1時間の私にしたところで、普段ならば45分、せいぜい1時間あれば頂上まで行けるはずなのである。ところが、なんとここから頂上まで2時間もかかってしまうのだ。
なぜそうなったのかというと、上から人が引っ切りなしに下りてくるのを見ているうちに、人に酔った状態になってしまい、気分が悪くなってしまったのである。ただでさえバテて歩くのが遅くなっている上に、こういう状態ではどうしようもない。それに、すぐに渋滞して脇にどかなければならなくなるので、上を見ないで登ることもできないのである。
この時は、「ああまた人が来た。嫌だ嫌だ。もう大倉尾根なんて二度と来ないぞ」とひとのせいにしていたのだけれど、後から考えると標高差1000mなんて歩くのは久しぶりのことで(奥多摩小屋以来だから8ヵ月振りである。そういえばあの時も大バテした)、単にトレーニング不足でバテただけという説も有力である。
休み休み、ようやく鍋割山との分岐点である金冷しについたのが2時半。このあたりまで来ると日帰りで山を下る人達も少なくなってきたので、道端が広くなっているところで腰を下ろして休む。そして最後の標高差100m。連続する階段をクリアして少しの間平坦になり、最後にまた階段が連続する。ここをクリアするのに、なんと、また1時間かかってしまった。
結局、塔ノ岳頂上に着いたのは3時半、大倉から6時間15分というのは、昼食休憩もとらずに行動食だけで歩いたことを考えれば、かかり過ぎである。かなりうんざりした気持ちで尊仏山荘の入口までたどり着く。
2食込みで6500円。お釣りの500円でビールを買い、ロビーの椅子にすわって一休みする。この日泊まるという団体客はまだ来ていないようで、それほどお客さんの姿もなく全体に雰囲気がのんびりしている。少し休んで元気が出たところで、2階宿泊室の指定されたスペースへ。小屋の規模はかなり大きいけれど、造りはみやま山荘とほとんど同じである。
更衣室がないので、布団の下でCW-Xとアンダーシャツを小屋用の薄いものに着替えたら、ビールの効果もあってようやくリラックスした気分になった。そのまま横になっていたらいつの間にか眠ってしまったようで、「夕食の用意ができました」と言われる5時まで、1時間ほど眠ってしまう。
すると、たった1時間暖かくして眠っていただけのことで、人に酔って気持ちが悪くなっていたのも治ってしまったし、昼をほとんど食べていなかったのでお腹もすいてきたのはありがたいことであった。ちょうどこの頃になって、ツアーのお客さんが到着した。20人ほどのようであった。
後からツアコンの人に聞いたところ、大倉に着いたのが予定より遅く12時半くらいになったため、1時近くなってから登り始めたそうである。4時間で着くのだから、私より相当早い。次の日は日の出を見て5時50分に出発して、丹沢山・蛭ヶ岳に登って焼山登山道を下るとのことでした。
尊仏山荘の夕食は、カレーに決まっている。「疲れた方でも食べやすいように具が溶けるくらい煮込んでいます」とHPに書いてあるし、一体いつから煮ているんだろうとWEBで評判になるくらいなのだが、この日は玉ねぎも人参もちゃんと形が残っていた。これはツアー客が来るので、今日煮たものだろうかと思ったのであった。
花立山荘の少し前あたり、登ってきた大倉尾根を振り返る。このあたりではかなりバテていた。
塔ノ岳への最後の登り階段。ようやく写真を撮るだけの余裕がでた。
尊仏山荘の夕食は、カレーに決まっている。噂と違って具は溶けてなくて、きちんと形になっていました。
尊仏山荘の消灯は午後8時。ロビーで談笑していた声もなくなり、ツアーの人達も強行軍で疲れたのか静かなものだったので、心配することはなかったなと思ったのもつかの間、予想外だったのは斜め横にいたすごいいびきの主に一晩中悩まされたことであった。
これまで相部屋の山小屋に泊まったのは、みやま山荘2回と笠取小屋の3回しかないけれども、これまではそんなにひどい人はいなかったので、よくガイドブックに書かれている「山小屋には耳栓必携」ということもあまり真剣には考えていなかった。ところが、斜め横の人のいびきは、大部屋中に響き渡るほどのものなのである。
おそらく5m離れていても相当に気になったと思われるけれども、私の場合は至近距離である。頭の位置を逆側にして距離を広げようとするけれども、それでも音源から2mも離れていない。これは相当のストレスであった。
幸いに、最初のトイレに起きるまでの1時間半と、朝方の2時間ほどは何とか眠ることができたので、翌日それほどつらいということはなかった。それと、ツアーの人達は5時朝食5時50分出発(前の晩にツアコンの人に聞いて知っていた)のため4時頃から支度を始めていて、どうやらその頃いびきの主も目が覚めたようで静かになった。かえってその頃になってゆっくり眠ることができたのはありがたいことであった。
5時半に声がかかり、朝食はおでん定食である。意外と寝覚めがいい。おそらく昨日の4時くらいから寝たり起きたりしているためであろう。ゆで卵、大根、昆布、ちくわとさつま揚げのおでんセットにご飯、それとふりかけと焼き海苔が付く。6番目に席に着いたが最初に食べ終わって2階に戻り、支度をして6時20分には出発することができた。
この日の行程は金冷しから鍋割山へ向かい、後山乗越から栗ノ木洞、櫟(くぬぎ)山を経て寄(やどりき)まで下るという予定である。麓まで4時間から4時間半を見込んでいて、11時半の新松田行きバスに乗る予定であった。下りなので予想以上に早いかもしれないと思って前のバスは調べてあったが、時間がかかるとは思っていなかったので後のバスは調べていなかった。
前の晩、星を見に外に出たところ、5分といられないほど寒かった。おそらく朝方は氷点下にまで下がったと思われ、霜柱が5cm近い高さになっている。それも、踏むと崩れるような弱っちいものではなくて、氷になっているので私の体重を支えることができるくらい丈夫なのである。
金冷しまで、前の日に1時間かけて登ったところを、20分ほどで下りてしまう。誰もいない朝の山は、とても快適だ。どこかで鹿の鳴く声が聞こえる。すれ違う人もいないから、気を使う必要もない。自分のペースで好きなように歩く。基本的に登らないので、息もはずまない。
鍋割山までの稜線を鍋割山稜といい、大丸、小丸の2つのピークがある。前の日に大バテしただけにちょっと心配だったが、一晩ゆっくりして体力も回復したようだ。左手に見えていた大倉尾根はすぐに遠ざかる。右手の木々の間から見える稜線は丹沢山から蛭ヶ岳にかけての山々で、去年通った尊仏の土平は目の前の谷を下りて行くのである。
快適な尾根道を誰にも会わずに歩く。ひとのいない山は最高である。登りがなくて誰にも会わない山なら、毎週だって来たいと思うけれども、そううまくは行かない。鍋割山が近づくと、登山道の両側はブナの林である。冬なので葉はないけれども、立ち枯れの被害は大丈夫なのだろうか。見る限り鹿に食われている様子はないようだが。
鍋割山荘前に8時ちょうどに着いた。人気の山小屋だし展望スポットで、雲一つない晴天なのだが、この朝は私一人しかおらず、山荘もひと気がないようだった。雄大な景色を独り占めする。 富士山の方向に延びている稜線は、雨山峠に向かうもので、登山道入口には「やせ尾根や鎖場があり危険です。上級者向け」と書いてある。
ただ、一つだけ計算が違ったのは通過時間である。塔ノ岳から鍋割山は丹沢山まで行くのと同じくらいの距離で、標高は200m下である。だから1時間と少しで行けるだろうと思っていたのだが、ゆっくり歩きすぎたせいかここまで1時間40分もかかっている。バスの時間まで、あと3時間半である。これはあまりゆっくりしてはいられないと気がついた。
塔ノ岳から鍋割山へ。朝早かったため誰とも会いませんでした。
穏やかな稜線歩き。大丸、小丸と2つのピークを過ぎて鍋割山に近づくと、ブナ林が広がります。
鍋割山荘前からみた富士山。人気の小屋と展望スポットですが、朝早かったため私だけ。
鍋割山荘からの下りはいきなりの急坂である。たいていの下り坂ならスピードアップして通過できるのだが、足を踏み外すと転げ落ちそうな急斜面なので、慎重に下る。息が切れて休むことのない分、登りよりも時間はかからないものの、コースタイムでは歩けていない自覚がある。
5分ほど下ったところで、鍋割山荘へ上がる歩荷の人とすれ違った。雑誌とかで見たことのある人のようだった。発泡スチロールのケースをいくつも積み重ねて頭よりも高くなっている。すぐ後ろから、今度は特大のリュックを背負った女性がゆっくりした足取りで登って行った。名物の鍋焼きうどんを作りに上がる山荘の方だろうか。
その2人とすれ違ってしばらくすると、今度はひっきりなしに単独やグループの登山客とすれ違うようになった。そろそろ8時半だから、6時頃から登れば早い人ならこの時間にはここまで来るだろう。それにしても、下るのさえ難儀な急坂をこともなしに登ってくるのだから大したものである。振り返ると、昨日登った大倉尾根の終盤に勝るとも劣らない急斜面である。
鍋割山が1272m、後沢乗越が800mだから、この間450mを越える下りである。下ること1時間、ようやく峠らしき地形が見えてきた。大倉方面の谷を見ると、次から次から登ってくる人達が見える。さすがに土曜日の丹沢である。「こんにちは攻勢」に遭う前に後沢乗越を越えてマイナーコースに抜ける計画を立てたのだが、鍋割山到着が遅れた分、30分ほどつかまってしまったのはやむを得ない。
後沢乗越を過ぎると、とたんに人が少なくなった。そして、鬱蒼として日差しのあまり届かない北側の斜面である。この先でもう一つ、栗ノ木洞という小ピークを越えればあとは下りなのだけれど、その栗ノ木洞が目の前にそびえ立つのを見て、ちょっとばかり驚いた。小ピークというよりは、堂々たる威容の斜面が立ちふさがっているのである。
丘を一つ越えればいいと思っていたのに、大丸よりも鍋割山よりもきつい、この日一番の登りであった。稜線歩きというよりも谷底から尾根に上がるような、そんな急斜面に道が続いている。息が上がるというよりも、滑り落ちないよう足場や手掛りを確保するために休み休み登らざるを得ない。ようやく頂上に達したが、木々が茂って全く展望のない暗いピークだった。
栗ノ木洞からはゆるやかな下りでほっとする。次のピークは櫟山である。「櫟」はくぬぎと読む(ワープロソフトでは「いちい」と入れないと出ない)。栗ノ木洞の案内板には「櫟山まで10分」「櫟山まで20分」と倍も違うことが書かれていたが、ちょうど真ん中の15分くらいで到着した。ここに来てようやく南斜面となり、日が差してあたたかなピークであった。
タイミング的に最後の休憩地となるので、改めて地図を確認する。時刻は9時50分、後沢乗越から50分でここまで来たのは自分としては上出来である。寄(やどりき)始発のバスは11時30分、あと1時間半ほどしかない。コースタイムでは、林道分岐まで20分、そこからバス停まで40分とあるので、十分余裕がありそうなのだが。
しかしよく考えると、いまいる櫟山の標高が800m、寄が300mだから標高差で500mもある。とても1時間では着かないのではないかと思われた。残り乏しくなったミネラルウォーターで水分補給をして9時55分に出発する。
しばらくは林間の下り坂を急ぎ足で歩く。途中ですれ違ったおばさん団体から「早いですね」と言われたくらいである。しかし、20分歩いても林道など見えてこない。まさか道を間違えたかと不安になる。右左に見えている鹿柵をどこかの地点で越えなければならなかったのだろうか。などと思っていたら、次々と登りのグループとすれ違う。道は合っているようだ。
ようやく下の方に舗装道路が見えたのは、櫟山から40分下った10時35分だった。20分というコースタイムが無茶なのか、私の足が遅すぎるのか。急なコンクリの階段を下って、林道逆側の登山道入口を見ると、「寄バス停まで55分」と書いてある。なんと、表示通りに歩いてもバスの時間ちょうどにしか着かない!
泣きたいような気持ちで先を急ぐ。幸い、落ち葉の積み重なった下り坂なのでスピードを出すことは可能である。鹿柵を何回かくぐり最後に紐で結ぶ扉を抜けて、12時少し前にWEBでよく見る茶畑のところに到着した。ここにも「バス停あと30分」と書いてあったのだけれど、少し下の方に行くと大きな通りと建物が見えた。あそこまで30分はかからないように見える。
下の道も結構曲がりくねっていて、まっすぐ目的地まで下りられないところは丹波天平から丹波山村に下りてくる道とよく似ていたけれども、とにかく足下の安定した舗装道路の下りである。途中からはなんとか間に合いそうな雰囲気となり、11時15分にはバス停まで下りることができた。櫟山からは1時間20分、これだけ急いでも1時間なんてとても無理である。バス停横にある自然休養村の施設で、顔を洗って一息つく。
こうして、なんとかバスに間に合って夕方には家に帰ることができたのだけれど、あまりに急いで下りたこともあって、3~4日は太ももの前側が痛くて階段を下りるのが大変であった。しばらくきつい山歩きをしなかったため、かなり体がなまってしまっていたようである。これは年内にもう一度、1000mクラスの標高差を体験しなければならないだろうと思った。
この日の経過
大倉バス停 9:15
10:10 大倉山の家 10:20
11:15 駒止茶屋 11:25
12:00 堀山の家 12:05
13:30 花立山荘 13:45
14:30 金冷し 14:35
15:30 塔ノ岳・尊仏山荘(泊) 6:20
8:00 鍋割山 8:05
9:00 後沢乗越 9:05
9:45 櫟(くぬぎ)山 9:55
11:15 寄バス停(GPS測定距離 初日 7.5km, 2日目 9.7km 計 17.2km)
[Dec 16, 2015]
櫟(くぬぎ)山の山頂。後沢乗越を過ぎてそびえ立つ栗ノ木洞を見た時はビビりましたが、何とかコースタイムで到着。
鹿柵を何度もくぐり、最後の鹿柵の出入口を抜けると、WEBでよく見る茶畑に到着。バス停まであと30分と書いてある。
寄集落に入り、バスに間に合うことがようやく確信できて下りてきた方向を振り返る。この日は風もない晴天で、たいへんあたたかでした。
鐘ヶ嶽 [Mar 12, 2017]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
3月になって暖かく、また日も長くなった。冬の間は房総を歩いたけれど、春になればもう少し標高の高いところも歩いてみたい。とはいえ、1000mを超えるとまだまだ雪が残っていそうなので、2年前に行ったことのある大山・梅の木尾根に行ってみることにした。
前回は日向薬師から梅の木尾根778pまで登り、キャンプ場まで下りてくるコースを歩いた。ほとんどがバリエーションルートで、最後の下りは凶悪な急傾斜であった。さすがにあそこはもう行きたくない。少し気になったのは右から合わさってくる尾根があって、標識には「鐘ヶ嶽方面」と書いてあったことである。
鐘ヶ嶽は梅の木尾根の北にあるピークで、561.1mの三角点がある。登山口である広沢寺方面へは行ったことがないので、そちらから登って鐘ヶ嶽からいったん尾根を下り、また登って梅の木尾根に合流し、クアハウス山小屋に下りて風呂に入って帰るという計画を立てた。
広沢寺方面へのバスが3時間に1本しかなく、8時厚木バスセンター発に乗るためには5時の始発電車に乗らなくてはならないが、それは仕方がない。という訳で、3月12日日曜日の朝一番で新宿経由本厚木へと向かったのでありました。
8時発広沢寺温泉行きのバスは、ハイキング客で満員。仕方なくシルバーシートに座らせてもらう。リハビリセンターや七沢温泉を経由して、40分かけて鐘ヶ嶽バス停に到着。しかし、ここで下りたのは私だけであった。身支度してバス停脇の道を案内標示にしたがって進む。すぐ前に見えているのが鐘ヶ嶽に違いない。
村落を5分ほど進むと、大きな鳥居があり登山道はそちらの方向に延びている。鳥居に彫られた文字を読むと、文久年間に建てられたもののようだ。文久といえば幕末。よくこれだけの工事をする余裕があったものである。扁額の銘は浅間神社。鐘ヶ嶽頂上に祀られている神様である。
石段の上から登山道が始まっている。道幅が広く、ごつごつした岩もなく、歩きやすいハイキングコースである。鳥居と同様に文久年間と彫られた丁石が置かれている。下から一丁目、二丁目と増えていくが、頂上が何丁目か分からないのが玉に傷である。
最初は急坂だったが、七丁目あたりで尾根に乗り、そこからしばらくなだらかな登りとなる。風もなく、暖かでたいへんに気持ちがいい。と思っていたら、頂上近くへ来て胸を突くような急階段が現れた。はるか上まで続いている。200までは数えたが、断続的に続くので数え切れなかった。
この石段を登り切ってようやく浅間神社。到着は9時55分、ということは登り始めて1時間10分である。標高差400mを1時間ちょっとというのは、私にしてはなかなかのハイペースであった。冬の間も定期的に山を歩いていたのがよかったのだろう。うれしいことである。
そのすぐ上が鐘ヶ嶽の頂上になる。浅間神社まで頂上で大騒ぎするグループの声が聞こえてきたので、その連中が下りて来るまで待つ。すると下りてきたのは、白装束、山伏のような姿の年寄り男女の集団であった。山の神様を拝むのは感心だけれど、あんなに大騒ぎする理由が分からない。房総でも丹沢でも、大騒ぎ集団に出会うのは残念である。
頂上に登ると、小学生の男の子2人を連れたお父さんが休んでいた。こちらは白装束集団とは違って、静かに休憩していた。さて、梅の木尾根に向かうにはいったん尾根を下って、山の神峠という場所まで下りなくてはならない。
バス停からみた鐘が嶽。バス停の名前はなぜか鐘ヶ「獄」、バスは満員でしたが下りたのは私だけ。
快適なハイキングコースが続くが、最後は江戸時代・文久年間に作られたらしい急階段が続く。奥多摩の愛宕神社を思い出した。白く見えるのはロープ。
麓から1時間と少しで鐘ヶ嶽頂上へ。左の石像は持ち物からすると不動妙王だが、髪型や衣装は日本の神様のようにも見える。
10時15分、登ってきた方向とは逆側の尾根を下る。こちらの道は広沢寺温泉から登ってくる道で、温泉までは一般登山道なので標識もしっかりある。ただ、道が乾いて傾斜が急なのでたいへん滑りやすかった。標高差で150mほど下る。秋に釈迦ヶ岳を登った頃はこうした登り下りが嫌で仕方なかったが、最近はそれほどてもなくなったのは進歩である。
ここらあたり、小ピークを丹念にたどる道と、トラバースする巻き道の分岐が頻繁に出て来て、いつの間にか分岐を見逃してしまわないか神経を使う。基本は巻き道を進むが、心細くなるような道もあり、その場合は安全策で忠実に尾根をたどる。
30分ほど歩くと、景色の開けた分岐点に着いた。ここが山の神峠らしい。山の神はどこかと探すと、すぐそばのピークに小さな祠が建っているのが見えた。さて、道案内はというと、右の道も左の道も広沢寺温泉に行くことになっている。そして、まっすぐ進むはっきりした踏み跡には、何の方向表示もない。標識をよく見ると、そちらの方向に、マジックで大山方面と書いてあった。
さすがバリエーションルート。きちんとした行先標示はない。それでも、方向的にもこちらで合っているので先に進む。道はすぐにきつい傾斜となり、すぐ横が崖という一般登山道とは明らかに違うレベルになった。ただし、踏み跡ははっきりしているし、赤い頭の杭がずっと続いているので迷うことはないように思われた。
計画段階から、この日のメインは鐘ヶ嶽というよりも、いったん下ってから梅の木尾根への登りだと思っていた。標高もそちらの方が高いし、一般登山道とバリエーションルートという違いもある。そう思って覚悟してはいたのだが、実際に登り始めると傾斜が非常にきつい。この反対側のキャンプ場への下りがきつかったのだから、こちらも同様に急傾斜なのだろうか。
しばらく登っていると、先ほど登った鐘ヶ嶽のピークが下に望めるようになった。さらに急傾斜を息を切らせながら登って行く。鐘ヶ嶽から梅の木尾根までは、バリエーションルートなのでガイドブックに載っていないし、コースタイムも不明である。ただ、地図上でみると登山口から鐘ヶ嶽までと同じくらいなので、1時間ないし1時間半とみていた。
山の神峠から40分ほど苦しい急傾斜を登ると、左から尾根が合わさってくるのが見えた。あれが梅の木尾根に違いない。最後のひと登りで分岐点に到着。右が大山方面への道、左が展望広場への道と案内標示があった。
大山方面に行くとさらに登りだから、左の尾根へ折れる。少し進むと3、4人休めるくらいに広くなったピークがあった。11時半なので、ここでお昼にすることにする。北方向に展望が開けて、たいへんに眺めがいい。誰か通ると邪魔になるかなと思ったが、休んでいる30分ほどの間誰も来なかった。先ほどのバリエーションルートでも、ひとりすれ違っただけである。
さて、結果を先に言うとこの尾根は梅の木尾根ではなかったのだが、この時点で(というよりは下山するまで)梅の木尾根であることを全く疑っていなかったのだから、たいへん危ないことであった。
その最大の理由は、この日は1/25000図だけで数値データを持ってきておらず、このところ習慣としてきた現在位置の確認もしなかったのである。梅の木尾根は2年前に歩いたので大丈夫と思っていたためだが、少し考えればバリエーションルートなのだから当然データは必要だし、慣れた山と思っても現在位置確認は必須である。このところ、こんな山歩きばっかりである。油断してはいけない。
鐘ヶ嶽から標高差150mほど下って山の神峠へ。案内標識には広沢寺温泉への下りしか表示がないが、マジックで大山方面と書いてある。
さすがにバリエーションルート、傾斜もきつく途端に難易度が上がる。踏み跡はしっかりしているので、迷うことはない(と思ったが)。
息を切らせて急傾斜を登る。さきほど登った鐘ヶ嶽の頂上より上に来た。
お昼休憩をしたピークの案内標示には、「弁天見晴」とテープで貼ってあった。ここで道が二つに分かれていて、東へ進むと見晴広場方面、南に向かうとすりばち広場・キャンプ場と書いてある。見晴広場なんてところに行ったかなとは思ったが、キャンプ場方面だと以前通った例の急傾斜になりそうなので、東に向かう。地図上でみても、東が正解のはずである。
12時になったので出発。そして、見覚えのある(実は違う)やせ尾根を抜けたので、ますます梅の木尾根であることを信じ切ってしまったのである。ロープが付けられた急傾斜の下りが連続する。こんなところを登ったんだ。登りは下りよりも傾斜を意識しないからなあ、などとお気楽に考えていたのだが、実はいよいよ窮地へと向かっていたのだった。
二、三十分歩いた頃、もう一度分岐になり、再び南がキャンプ場方面、とある。こんなに南への分岐があったかなあと不安になる。もしかすると、昼食休憩のピークから南に下るのが正解だったのかもしれない。それでも、尾根を東に向かえば下山はできるはずだ。標高は間違いなく下がっているし。
二度三度とロープ付の急坂を下る。しばらく雨が降っていないようで、地面は乾ききっている。1週前に首都圏ではまとまった雨があったはずだが、このあたりは降らなかったのだろうか。その後は、鹿除け柵に並行して進む。柵が老朽化して登山道の方に傾いていて歩きにくいし、反対側がトラバースの急斜面で危ないところもある。なんとか通過する。
開きっぱなしの鹿除け柵をくぐらされる。その頃になって、赤く塗った杭をしばらく見ないことに気がついた。それでも、ちゃんと道になっているし、足跡も最近のもののように見える。またもや、「キャンプ場→」の表示。今度はちゃんとした木製の案内標示ではなく、バリエーションルートによくあるかまぼこ板に書いたような表示だ。さすがに迷うが、初志貫徹で東に向かう。
土管に枯れ枝を差したような目印(あとから調べると「下弁天」という地点)を過ぎ、あとは赤テープを目印に下る。急斜面の伐採地だ。梅の木尾根もこんなふうになったのか、と見当違いなことを考えながら散乱した杉の葉っぱを踏みながら下る。赤テープが張ってある木はあるが、そこはもうすでに道ではない。いつかの房総を思い出した。
困ったな、と周りをよく見ると、下の方に茶色の地面が見える。ブルドーザーで作ったばかりのような道である。あそこまで下りれば、なんとかなりそうだ。すでに目印となる赤杭も赤テープもないので、通れそうな斜面を転ばないように下る。伐採した杉の枝や葉で地面も見えないので、踏み抜かないように注意して進まなければならない。
何とかしてブルドーザー道の脇まで来たが、そこから道に下りる場所がない。背丈ほどの高さで切り立ってしまっている。ここまで来て戻る訳にもいかないので、柔らかそうな場所を選んで思い切って飛び降りる。幸いに、足をくじくこともなく下りることができた。あとはここを下るだけである。汗を拭き、身支度を整えて歩き始める。まだお昼休憩から1時間と少し歩いただけだった。
ブルドーザー道をしばらく下ると、車両通行止めのゲートがあり、そこから先は普通の林道になっていた。ゲートあたりから上に、「見晴広場↑」のきちんとした案内があったから、本当はこちらに下りてくるのだろう。どこかの地点で、「キャンプ場方面」に進まなければならなかったようである。
林道を歩いている時点では、梅の木尾根を下りてきたつもりだったので、川沿いまで下りればケアハウスのあたりに出るだろうと思っていたのだが、舗装道路まで出た先の標識には、「ナイスの森↑」の案内があって、はじめていま下りてきたのは梅の木尾根ではないと気がついた。ひとつ谷を挟んだ尾根を下りてきてしまったのだ。
帰ってから調べたところ、今回下りてきたのは弁天御髪(おぐし)尾根である。梅の木尾根以上の、むしろ廃道に近いバリエーションルートであった。確かに、先ほどの尾根を登れと言われるとかなり厳しい尾根であったが、最後の伐採地を除けばしっかり道はできているし、危険度は山の神峠からの登りとほぼ同じくらいである。
それよりもその時心配だったのは、バス停までどうやって歩くかということであった。もうひと山越えて日向薬師まで行くのもつらいので、広沢寺温泉まで歩き、さらにバス便の多い広沢寺入口まで2km歩いた。広沢寺入口近くの七沢荘に着いたのは2時10分過ぎ。たいへん危険な道を来た割には、それほど時間を食わなかったのはありがたいことであった。
この日の経過
鐘ヶ嶽バス停 8:45
9:55 鐘ヶ嶽浅間神社 10:15
10:40 山の神峠 10:45
11:35 弁天見晴(昼食) 12:00
13:15 林道 13:15
14:10 七沢荘
(GPS測定距離 9.4km)
[Jan 30, 2017]
梅の木尾根に乗ったと思って昼休み。立派な案内標識がありますが、ガイドブックにも点線すら載っていないバリエーションルートです。
梅の木尾根はこんなところだったか?と思いながら滑りやすい急傾斜の道を下る。
赤テープを追っていったら、最後は伐採地で道がなくなる。ブルドーザー道に飛び下りてようやく一安心。この時点でもまだ梅の木尾根だと思っていたが、帰って調べたら弁天御髪(おぐし)尾根であった。
梅ノ木尾根から広沢寺温泉 [Mar 25, 2018]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。赤線が今回、紫線が昨年間違えたルート(汗。
あっという間に暖かくなり、気がつくと3月も下旬になっている。昨年、鐘ヶ嶽から梅ノ木尾根に抜けるつもりで、間違えて弁天御髪尾根で危ない目にあったのは、もう1年前のことになる。早い機会に正しいルートを歩こうと思っていたら、1年経ってしまった。
前回同様に鐘ヶ嶽から登るか、それとも日向薬師から登るか悩ましいところだったが、今回は経験のある日向薬師から入って鐘ヶ嶽方面に抜けるルートをとることにした。前回、広沢寺温泉を素通りして七沢温泉に向かってしまったので、せっかくだから広沢寺温泉でひと風呂いただこうとも考えたのである。
ところが、マイナールートのはずなのに、広沢寺温泉が20人超の老人ハイカーの来襲により激混み、帰りのバスは50分間立ちっぱなしという事態に陥った。これはまた後で書くとして、逆の日向薬師側はどうだったのかというと、この日は何やらイベントがあって朝から大騒ぎ、逆回りにしたところで帰りのバスは混んだに違いない。
という訳で、2018年3月25日・日曜日、久々の丹沢である。朝一番の電車に乗って新宿から小田急に乗る。小田急は複々線化でスピードアップされたということだが、新宿駅はきれいになったものの特に到着時間が早くなるということもない。
海老名を過ぎるあたりで山が見えてきた。頂上近くは雪が残っているものの谷筋が主で、尾根には雪があるとしてもわずかなようだ。前衛の山々は上まで土色をしているから、この日歩く高さであれば大丈夫そうだ。WEB情報では春分の日の雪でヤビツ峠へのバスが止まっているというから、ちょっと心配していたのである。
日向薬師のバス停に着いた頃には8時半近かった。わが千葉ニュータウンから3時間半である。バス停横の駐車場を占領して、受付か何かのテーブルが置かれ、多くのスタッフや地元の人(産直でもやるのだろうか)がうろうろしている。幟りが立てられているので、知らなかったがこの日はイベントだったらしい。
日向薬師へ歩く途中にも軽トラやワゴン車がどんどん横を抜いていく。お堂近くの駐車場もすべて貸切りとなっていて、迷彩服の上に鎧兜を着た武者姿のスタッフや、山伏姿でほら貝を吹く人もいて、ずいぶんにぎやかである。
ちょっと嫌だなと思ったのだが、前回道間違いしたこともあり、山行の安全をお願いに本堂にお参りする。2年前に来た時には本堂は工事中で足場に囲われていたが、今回は改装なって真新しくきれいである。さっそく本堂に入る。ご本尊・薬師如来を十二神将が囲むというあまり見ないご本尊である。すぐ脇にごびんずる様がいらっしゃったので、頭とヒザをさすらせていただく。
説明書きによると、こちらの茅葺屋根は全国でも最大規模ということで、いまや茅の手配だけでも大変だろう。かといって寺社であるから、ビフォーアフターのようにガルバリウム鋼板という訳にもいかない。すでに茅葺や檜皮葺がそうだし、瓦葺すら似たような状況になりつつある。天皇陛下の代替わりでは多くの伝統素材が必要とされるが、結構たいへんな手間だと思う。
お参りしてから裏参道を戻り、梅園横を上がる登山道に入る。あちこちに「巡視道・立入禁止」の立札があるマイナールートであり、私の他に誰も歩いていない。日向山をトラバースして緩やかな坂道が続き、9時ちょうどに「クマ注意分岐」に到着。 ここは登山道が十字路になっていて、正面を下りると弁天の森キャンプ場跡、右に登ると日向山、左に登ると梅ノ木尾根となる。
このクマ注意分岐、そういう立て看板があるので私はそう呼んでいたが、少し進んで行先標示をみると「天神平」が正しいようである。前回は日向山を往復したので登り返しのここはきつかったが、今回はフレッシュな状態なので、それほど苦しむこともなく尾根にあがることができた。
よく見ると、すぐ脇に建てられている動物除けの金網が傾いたり低くなってしまって、鹿でも猪でも乗り越えて来られそうな状態であった。そういえば弁天御髪尾根の動物除け柵も、悲惨な状況であったことを思い出す。定期的にメンテナンスするのも大変なのだろう。
改装なった日向薬師本堂。茅葺屋根は全国でも最大規模のものということです。
日向薬師裏から登山道に入る。この日はイベントで、鎧兜だの山伏のほら貝だの、結構にぎやかで尾根の方まで聞こえました。
梅ノ木尾根に上がる。例の「クマ注意分岐」は、正式には天神平というらしいです。
梅ノ木尾根は断続的に急坂の続く尾根で、狭いけれども平らなヤセ尾根は大沢分岐に合流する前の10分ほどである。あとは平らな尾根があっても5分と続かない。
天神平の標高が336m、それから3つほど急坂を越すとベンチが置いてあるピークとなる。この日はゆっくりなペースでいいからバテないように歩くことをテーマに登ってきたので、それほど息は切れていない。ただ、2つ目か3つ目のピークでちょっと首をひねった。直進する稜線は例の「巡視道立入禁止」立札があり、左に90度曲がって登山道が続いている。
時刻はちょうど午前10時、天神平から1時間である。せっかくベンチがあるので、ひと息ついてGPSで位置確認する。2年前の記憶によれば、浄発願寺奥ノ院の分岐は立札と東屋があるはずだが、ここにはベンチしかない。GPSのデータを見ると、ほぼ分岐点の数字を示している。ただ、直進する稜線は北向きでその方向には谷しかなく、どうも違うようだ。
そうやって考えている間に、90度違う道からにぎやかな声が聞こえてきた。グループのようである。こちらに行くにしてもすれ違ってからの方がよさそうだと待っていると、なんと年寄りばかり、20人を超える大集団なのであった。
こういうマイナールートに、こんな大勢で来る人達の神経が知れない。大人数でしゃべり倒したいのなら、ファミレスでやってほしい。うるさいのはがまんするとしても、この先しばらくトイレはないし、みんなまとまって休める場所だってない。百歩譲って山に来るとしても大人数に適したコースを選ぶべきだし、このルートで許せるのは5~6人のグループまでである。
(そういえば、奥多摩のタワ尾根に、岩崎某が登山教室の十数人を連れて登っていたという話を読んだ。偉そうなことを言っていてこういうことをしているのが分かり、それから岩崎某の書いた本は二度と読まないことにした。)
その時は、大山から下りてきたとばかり思っていたので、こんなマイナールート、しかも立入禁止と書いてあるのを大人数で無視するのはどうなのかと腹立たしかったのだが(一人だってよくはないけれども、大人数というのは加速度的に悪い)、よく考えると、大山に登って下りてこの時間というのは難しいのではないか。
あるいは、日向薬師バス停から林道を遡って浄発願寺奥ノ院から登ってきたのかもしれない(それだと、立入禁止の巡視道には入らない) 。だとしたら、特に目標となるピークもないこのコースをなぜ選んだのか、全く分からない。このグループには、帰りにひどい目に遭わされることになる。
それは後の話で、このときグループの中の誰かが、「ここが537ピークかしら」と言っていたのを聞いて、浄発願寺分岐はまだ先だと分かった。案の定、7~8分先にちゃんと立札のある分岐があった。ただし東屋というのは記憶違いで、大きなベンチが2組置いてあるだけであった。
さきほど分岐で迷ったのは、おそらく537独標の次のピークで、ここだと北向きに尾根が分岐している。分岐した先は大沢にまっすぐ下りるので、見た目どおり谷に向かっている。電子国土で見ると浄発願寺分岐と200mほどしか離れていないので、GPSデータだけで判断するのは難しいかもしれない。でも、地形図と方角で判断できなかったのはまだまだ未熟である。
浄発願寺分岐から30分、標高差100mほど登って二ノ沢の頭に到着。「二ノ沢の頭」というくらいで、南側の谷が二ノ沢である。この先は狭いけれどもほぼ平らな尾根が続くので、気は使うけれど体力的には楽である。このあたり、つい最近大規模な伐採があったらしく登山道に伐り出された木が横たわって歩きにくい。立入禁止の巡視道なので、文句は言えない。
いよいよ梅ノ木名物のヤセ尾根となる。両側が切れ落ちているので足を踏み外すことは許されないが、ゆっくりできないのでかえって距離が出る。地図上で見ると、二ノ沢まで30分かけて登ってきた距離を10分くらいで走り抜けるような感じである。ヤセ尾根を越えると、大沢分岐まで最後のひと登り。分岐が近づくと稜線を右から左に速足で抜けて行く登山者が見えた。
11時15分、大沢分岐着。二ノ沢の頭で小休止してからあまり時間が経っていなかったし、そもそも休む場所がなかったので、写真を撮ってすぐ通り過ぎる。この地点の標高が702m、この日の最高到達地点であった。丹沢では何ということもない高さだが、房総にはこんな高い山はないのである。
ここから弁天御髪尾根分岐までが、これまで歩いたことのないルートである。下りなので登りよりは楽だろうと思っていたのだが、そんなことはなかった。大沢分岐を過ぎてすぐ、いきなりの急斜面が現れる。帰ってから吉備人出版の登山詳細図(バリエーションルートの専門地図)で調べると、「急傾斜悪い」と書かれているルートである。本当に悪い。
悪い上に手掛りとなるロープが細く、適切な間隔で固定されていないので、登る時はともかく下りではかなり危ない急斜面である。もちろん後ろ向きの3点確保、安全第一で下りてきたが、ちょっと神経が磨り減るルートであった。1年前に正規のルートをとっていたら、最後にこの登りがあった訳で、それはそれで大変なことであった。
登り始めて2時間余り、二ノ沢の頭を過ぎるといよいよ梅ノ木尾根のメインイベント、ヤセ尾根が始まる。
ヤセ尾根を越え、左右から稜線が迫ってくると大沢分岐が近い。たいていの登山者は、右から左へと大山を目指す。
大沢分岐を北に曲がると、吉備人・登山詳細図で「急傾斜悪い」とコメントされるハードな道に。登りはともかく下りで使うのは神経を使う。
大沢分岐後の凶悪な急傾斜を何とかクリアして、ようやく緩斜面になった。そろそろお昼が近いので、どこか休めるところはないかなと思っていたら、突然、木の間から屋根が見えた。なんと、こんなマイナールートの途中に、東屋があったのである。
近づいてみると、すぐそばに「←大山」「鐘ヶ嶽→」の行先標示もあり、東屋は古くなっているものの、まわりは草が短く刈られていて放置されていた訳ではないようだ。ただ、異様なのはテーブルの上に乗った一升瓶であった。このあたり、何ヵ所かで伐採されたばかりの木が転がっていたので、あるいは林業関係者が休憩場所として使っているのかもしれない。
せっかく日当りもいいことだし、ここでお昼休憩を取らせていただく。この日はEPIガスとインスタントラーメンを用意して、みそラーメンを作った。風が強いのとガスの残りが少なかったせいかお湯の沸きが甘く、5分以上煮なくてはならなかったが、久しぶりの山での調理(というほどのものでもないが)であった。
この日は平野部では20℃を超える暖かい日で、麓の方では暑いくらいだったのだが、標高を上げるとともに風が時折強く吹いて、体感温度はやや低かった。この東屋もGPSでは標高662mあったので、日差しはあるのだけれど風を遮るものがなくちょっと寒かった。
ともあれ、30分休んで12時10分に出発。ここから弁天御髪尾根の分岐まで、15分か20分、多く見積もっても30分あれば楽に着くだろうと思ったが、例によってそんなに甘くはなかった。標高としては東屋も弁天御髪分岐もたいして変わらないのだが、途中に小さなピークが4つも5つもあり、その登り下りが楽ではないのである。結局35分かかった。
その途中には、すりばち広場というぽっかり日が差す窪地のような場所があったり、木の間から遠く相模湾まで望める展望広場があったりして、弁天御髪尾根もそうだが、かなり手間をかけて登山道を整備した形跡が残っている。おそらく麓にある七沢弁天の森キャンプ場を作った時ではないかと思う。
このキャンプ場は厚木市の施設で、例によってバブル期に建設され、バンガロー、キャンプサイト等が整備されていた。しかし、これも例によって事業仕分けで「不要」とされ、台風被害もあって現在も休止されたままである。税金でやっているから周辺整備にもおカネがかかっていて、鐘ヶ嶽から大山に至るルートや梅ノ木尾根・弁天御髪尾根には案内表示がたくさんある。
しかし月日が経ち、多くのものは再び土に還りつつある。弁天御髪分岐は、1年前に来た時には「見晴広場」の立札が立ち、大山方面・弁天広場方面の案内表示もあったはずなのだが(だから間違えたのだ)、今回来てみると、ただ尾根の分岐に標識柱が立っているだけであった。そのあたりに転がっている木片を裏返して見ると、「見晴広場」のペンキが薄く残っているのが見える。おそらく長年の風雨で崩壊してしまったのだろう。
もっとも、この日大沢分岐から下りてきた時間は休憩時間を除くと約1時間で、登りであれば1時間20分ほどみなくてはならない。その時は山ノ神から分岐まで約40分かかっているから、合計すると2時間、目的地であったクアハウスまでさらに2時間とみると到着は午後3時頃になり、弁天御髪尾根経由七沢荘の午後2時よりさらに時間がかるところであった。
少し寂しく思いながら弁天御髪分岐を後にする。ここからは前回登ってきた急傾斜なので見覚えのある道だが、わずかの間に標高差300mほど下るので傾斜は半端ではない。崩壊した鹿柵沿いに急傾斜を下って行く。
一息ついたあたりで、前方になだらかな尾根道がある。そちらの方が楽そうだったが、鐘ヶ嶽方面は急傾斜の坂を指示している。やむなく指示に従って急坂を選んだのだが、帰って調べてみると尾根道の方も電子国土に載っていて、そちらを通った方が広沢寺方面にショートカットできたので、後からくやしい思いをした。
くやしいといえば、山ノ神分岐で広沢寺に向かう道が2つに分かれている。そのうち「らくらくコース」と書いてある道を選んだのだけれど、これがまた大変な遠回りで、道も斜めっていて「らくらく」ではなかった。次回来ることがあれば、ぜひ近道ルートをとることにしたい。
山ノ神隧道の出口に広沢寺温泉1.8km、40分と書いてあるのだけれど、実際GPSで測ると2.4kmあった。1.8kmの下りで40分はかからないだろうと思ったのだが、実際は時間の方が正しく距離が間違っていた訳である。広沢寺温泉ではまたひどい目に遭ったのだけれど、長くなったのでそれはまた改めて。
この日の経過
日向薬師バス停 8:20
9:00 クマ注意分岐 9:05
10:00 537の次のピーク 10:10
10:40 二ノ沢の頭 10:50
11:15 大沢分岐 11:15
11:35 謎の東屋(昼食休憩) 12:10
12:45 弁天御髪尾根分岐 12:45
13:25 山ノ神分岐 13:30
14:25 広沢寺温泉
[GPS測定距離 9.2km]
[Apr 16, 2018]
急傾斜を下ったところにある謎の東屋。一般登山道ではないのに、なぜこんなに立派な東屋が建っているのだろう。置きっぱなしの一升瓶も謎。
弁天御髪尾根との分岐は、1年経ってやけにあっさりしてしまいました。以前もこの状態であれば、間違えずに大山方面に進んだと思われる。
最後、山ノ神に向かう尾根も、かなりハードな急傾斜。目の前に見える鐘ヶ嶽の高さが、どんどん低くなっていく。
蛭ヶ岳 [Apr 19-20, 2018]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
3月に丹沢・梅ノ木尾根を歩き、帰りのバスでは多人数シルバーハイカーに座席を占領され広沢寺温泉から立ちっぱなしという状況にもかかわらず、翌日以降全く足が痛くならなかった。そのことに大変気を良くして次は山小屋泊だと張り切ったけれども、4月に入ると大風やら夏日やら山には不向きな気候が続いた。
ようやくゴールデンウィーク前の週に、なんとか晴れが続いて気温もそれほど上がらないという予報が出た。2018年4月19日木曜日から1泊、みやま山荘に泊まって目的地は丹沢・蛭ヶ岳である。
これまでみやま山荘には2度泊まっていて、丹沢山までは何度か登っている。大倉尾根経由もあるのだけれど、前回の尊仏山荘泊まりで大バテしたのが記憶に残っていて、今の調子ならあんなにバテないのにと思っていた。
だから今回は、大倉尾根から塔ノ岳を経て一気にみやま山荘まで登る計画を立てた。前回は休憩時間込みとはいえ大倉から塔ノ岳まで6時間20分、特に花立山荘以降に1時間45分もかかったのであるが、あの時は調子が悪すぎたので、いまなら5時間くらいで楽に歩けるだろうと考えていたのである。
北総線の始発電車で都心に向かう。6時台だというのに浅草橋もお茶の水も新宿も結構な混み具合である。しばらく通勤していない間に、朝のラッシュアワーの時間帯が繰り上がったのだろうか。小田急線の下り電車も何とか座れたけれど、人が多すぎて向かいの窓が見えず外の様子が分からない。結局、渋沢までずっと立つ人がいなくなることはなかった。
渋沢からバスで大倉へ。さすがにこちらの方は満席にはならない。20分ほどで大倉登山口に到着。バスを下りた第一感は、目の周りが熱いということであった。日差しが厳しいのと、寝不足かつ車内が混んでいてあまり眠れなかったのが効いたようである。平日の始発電車で山に来ることはあまりなかったので、これからはちょっと考えなくてはならないなと思った。
大倉の登山口は公園になっているので、ベンチに座って身支度したり日焼け止めを塗ったりGPSを準備したりする。前日まで雨だったので重馬場を想定してスパッツを着用、そしてこの時期の丹沢はヒル除けスプレーが必須である。
8時20分スタート。バスで着いた中では一番遅い出発となった。しばらくは舗装道路を登る。大倉尾根は舗装道路から簡易舗装、石畳、土の登山道と登るにしたがって路面状況が変わるものの、傾斜は最初からかなりきつめである。特に、この日はきつく感じる。歩き始めてすぐに汗が噴き出した。
今回は山小屋泊だし、前回の大倉でバテた反省からリュックは水を入れて9.7kgとかなり軽めの荷物である。持たなかったものはEPIガスで、2日分の食糧はランチパックと菓子パン、それと非常食のカロリーメイトとエナジーバーにとどめた。何と言ってもみやま山荘は食事がいいので、副食類を用意しなくてもいいのはありがたい。
歩き始めて1時間で雑事場平着。ここまでは順調である。大倉高原山の家を経由しなかったので、若干ショートカットできた。大倉高原山の家は長年運営してきた茅ヶ崎市の管理人と秦野市が訴訟沙汰になり、現在は閉鎖されている。かつて盛大に出ていた水も、台風被害で故障し、その後復旧されないままという。水が出ていないのでは、立ち寄る理由もない。
ちなみに、雑事場平あたりの地中に埋められている管は、大倉高原山の家まで引いた水道と思われる。そうすると、いまでは中に何も通っていないことになり、せっかく苦労して引いたのが無駄になってしまった。
雑事場平までは順調に来たものの、その後どうにもスピードが上がらない。何度も息が上がってベンチがあるたびに座り込んでいた結果、前回2時間で通過した駒止茶屋まで2時間20分かかってしまった。いったん下り坂となる堀山の家あたりでは持ち直したものの、天神尾根に分岐するあたりの急傾斜の連続にとうとう参ってしまった。
たまらず、天神尾根分岐先のベンチで倒れ込むように昼食休憩。時刻は正午近く。昼を食べる間休めるし、食べたり飲んだりすれば1kgは荷物も減る。10kgないのに参ってしまうのではどうしようもないが、そんなことを言っても仕方がない。何とか挽回の方法を探って行く他はない。すでに標高差で半分は登ってきているのである。
ちょうどこのあたりからガスが出て来て、厳しい日差しが遮られたのは助かった。花立山荘まで、前回は4時間30分、今回は5時間で、前回のタイムを縮めようと思ってこのコースを選んだというのに、かえって時間がかかる途中経過となってしまった。
そんな具合なものだから、かれこれ半世紀前の中学・高校時代のことを思い出した。体育の時間、学期毎に行われる長距離走の記録会でどうしてもバテてしまい、ほとんどいつも最下位近かった。最初ゆっくり走ってもバテてしまうので、ある時先頭集団に食らいついて走ったことがあった。結果は、いつも以上にバテて最後は歩くことになってしまったのである。
ガスがかかるとともに、ゴロゴロという雷のような音が聞こえてきた。やばい、雷雨だ、でもそんな予報じゃなかったはずなのにと思っていると、規則正しい間隔で音が聞こえてくる。どうやら、北富士演習場から自衛隊の訓練の大砲が聞こえたようであった。ここからは富士山がたいへん近いのである。
大倉から1時間歩いて雑事場平。大倉高原山の家は閉鎖されたそうです。地中の管は山の家に引いている水道だったのでしょう。
駒止の家を越えたあたりで早くも昼食休憩。周囲はだんだんガスがかかって展望が開けませんが、日差しが遮られたのはありがたかった。
花立山荘では、すでにあたり一面霧の中でした。雷が聞こえたので心配しましたが、どうやら自衛隊の大砲の音だったようです。
前回のタイムを改善するつもりで大倉尾根に再挑戦したというのに、花立山荘までのタイムは前回より30分悪い。塔ノ岳まで登ると何分遅れになるのだろうかと心配したが、意外にそれ以上息が上がることもなく、塔ノ岳までスムーズに登れてしまったのだからおもしろい。
前回は、花立山荘から金冷しまで50分、金冷しから塔ノ岳まで45分、計1時間35分かかっていたところ、金冷しまで25分、金冷しから35分の計1時間でクリア、なんとわずかながら前回タイムの大倉・塔ノ岳間6時間15分を上回り、6時間ちょうどまで挽回できたのである。
今回の花立山荘から塔ノ岳までの1時間はほぼコースタイムといっていい数字で、我ながらよくやったと思う。前回は10歩歩いて休み15歩歩いてまた休みという状態だったことを覚えているが、今回は金冷しのヤセ尾根まで不思議なほど早く歩けた。もちろん最後の連続階段はつらかったが、それでも天神尾根分岐のところよりも余裕があった。
思うに、ガスが出て見通しが利かなくなったため、日差しで体力を消耗するのを避けられたことに加え、上から人が次々に下りてくるのとすれ違う「人酔い」にならなくてすんだからではないかと思う。急斜面で上から人が次々と見えてくるのは、めまいを起こしそうになるほどつらいのである。
塔ノ岳頂上には14時20分到着。大倉から休憩時間入れてちょうど6時間である。それにしても、普通の登山者は5時間で楽に登れるというが、私にはちょっと無理ということを改めて実感した。最初スムーズでも終盤バテるし、体調によっては最初からつらい。これ以上かかるようなら、そもそも尊仏山荘より上へは行けないということである。
さて、今回の宿泊は尊仏山荘ではなく丹沢山のみやま山荘、塔ノ岳・丹沢山のコースタイムは1時間半である。このコースは前に通ったことがあって、大体そのくらいでは歩けている。ただ、この日は前半バテた後遺症が心配だし、ガスに加えて風が冷たくなってきた。10分ほど休んで早々に出発する。
塔ノ岳からの急勾配の下りをこなし、最初のピーク日高(にったか)に向かう。急勾配を過ぎてしまえば比較的緩やかな尾根道となる。登り返しはつらいが、何とかがんばる。次は龍ヶ馬場への登りである。いよいよガスが濃くなり、風が冷たくなってくる。大倉尾根ではすれ違う人が絶えなかったが、このあたりは誰とも会わない。
と、登りの途中で左足に違和感。例によって痙攣である。三条の湯や元清澄山では地べたに寝転びはいずり回ることになったが、そんな広いスペースはない上に地面はぬかるんでいる。仕方なく右足を踏ん張って懸命に耐える。このあたりでは太ももが痛かったのだが、何とか痙攣の第一波が過ぎるまで右足はもってくれた。もちろん左足を地面に着けることはできない。
リュックのポケットから後ろ手にペットボトルをつかんで水分を補給する。飲んだのはペットボトルに残った半分のスポーツドリンクである。この日持って来たのは1.5リットルの氷(翌日分の水となる)とペットボトル3本、それにテルモスのお湯である。ここまで消費したのはテルモスのお湯400mlとペットボトル1本半、私にしては少なめだったのかもしれない。
5分ほど休んで何とか動けるようになった。そろそろと登り続ける。そして、龍ヶ馬場の頂上まで来ると、なんとその先にはベンチがあった。龍ヶ馬場・丹沢山間にベンチがたくさん置かれているのは覚えていたが、頂上のすぐ近くで本当に助かった。
ベンチに座り、改めてひと息つく。リュックのポケットに入れてあるコムレケアを取り出して飲む。攣った左ふくらはぎは痛むけれども、ここまで来ればみやま山荘は目の前である。少し休んで元気が出るのを待つ。休んでいる10分ほどの間に、丹沢山から塔ノ岳方面へ向かうグループが通った。
丹沢山への最後の登りをマイペースで歩き、16時10分みやま山荘着。塔ノ岳から1時間50分かかってしまったが、足が攣って休んだのを除けばほぼコースタイムで歩けたのではないかと思う。とはいえ、始発電車で来て到着がこの時間では、丹沢山まで1日で登るのはもうしばらくしたら無理になるかもしれないと心配になった。
この日の宿泊客は私を入れて7名。うち2名が女性で、全員が単独行であった。平日なのですいていて、お布団の使用も1つ置きで余裕があった。歩いていた時のガスは日没までに晴れて、みなさん夕日に輝く富士山を堪能されていたようだ。
私はとりあえず足のケア。歩いていた時のような痛みはなく、寝室のある2階まで上がり、CW-Xを脱いでリカバリーウェア上下に着替え、バンテリンを塗る。布団の上でストレッチをしていると、何とか落ち着いてきたようだ。階下に降り、スキットルボトルに入れてきたどなん60度を缶ビールをチェイサーにして飲みながら夕食時間を待った。
塔ノ岳を越えて日高へ。このあたり、徐々に体調が戻ってコースタイムで歩いたのだけれども・・・
龍ヶ馬場の前あたりでまたもやふくらはぎが痙攣。がまんしてベンチまでたどり着き、コムレケアを服用。
16時10分、みやま山荘着。到着する頃には天気が回復して、富士山もよく見えたようです。私は2階に上がり足のケア。
前の日はガスが晴れていい夕日が見られたそうだが(私はふくらはぎ痙攣のため自重)、みやま山荘の夜中は突風で木が揺れる音がすごかった。山に泊まってこんなに大風が吹いたことは記憶にない。予報ではそんなことは言っていなかったけれど、2018年4月は本当に強風の日が多い月であった。
当初の計画では、蛭ヶ岳から檜洞丸まで縦走して西丹沢に下りる予定であった。ハードな登り下りが続く難路とはいえ、さすがの私でも9時間あれば踏破できると思って計画した。ところが、前日に足が攣って体調は万全とはいえない。その上に突風が吹いたのでは進退窮まる事態に至らない保証はない。風の音を聞きながら心配になったが、疲れていたので再び寝入ってしまった。
風は朝になってもまだ吹いていたけれども、朝食の頃には次第におさまってきた。朝食は少し早めの5時15分、みやま山荘名物の山菜炊き込みご飯である。炊き具合といい味加減といい、たいへんおいしくいつも楽しみにしている。この日もふかふかの布団でゆっくり休めておいしいご飯をいただき、たいへんお世話になりました。
山荘前のベンチで身支度する。前日同様にスパッツを着けて、ヒル除けスプレーは念入りにした。風はおさまって天気はすごくいい。6時20分、山荘前を西に向かう縦走路へとスタートする。林を抜けると、目の前に富士山。そして蛭ヶ岳への稜線を望むことができた。
丹沢山の下りではまだ蛭ヶ岳は見えず、稜線の前方にそびえるのは不動の峰である。いったん標高差100mほど下り、150mほど登り返す。この不動の峰は標高1614m、丹沢山より50mほど高い。
朝の時点で考えていたのは、とりあえず蛭ヶ岳までは歩くとして、その後は体調と天気をみて決めようということであった。幸い、風は穏やかで天気の心配は薄らいだけれども、なかなかペースが上がらない。不動の峰まで目見当では一気に登れそうな感じだったのだが、途中で息が上がって熊笹の上でひと息入れなければならなかった。
5分ほど休んで出発すると、そのすぐ先が休憩所で、頑丈そうなプレハブの建物とベンチが置かれていた。丹沢山より先は初めて歩くので、こんなに立派な休憩所があるとは知らなかった。休んだばかりなのに、また休んでしまった。このあたり、蛭ヶ岳山荘に泊まったと思われる人達4、5人とすれ違った。みなさん単独行で、5分置きくらいに歩いてきた。
不動の峰を越えると、ようやく蛭ヶ岳が見えてくる。頂上近くに蛭ヶ岳山荘が見えるので間違いない。その前のピークである棚沢の頭まで下って登る道で、その後もう一度、かなり標高差のある谷を下って登り返さなくてはならないのでかなりハードだ。しかし、目的地が見えているのはたいへん心強い。
棚沢の頭への登りは比較的ゆるやかな道だったが、下りは鬼ヶ岩という岩場で、短いけれどもちょっと気を使う場所である。幸いここではすれ違う人がいなかったが、傾斜が急なのと鎖の固定部分がぐらぐらしているので、しっかり三点確保して後向きに下った。
そしてここからいよいよ丹沢最高峰・蛭ヶ岳への最後の登りである。離れた場所からは蛭ヶ岳山荘を見ることができたが、登り斜面では頂上は見えない。遠くから見るよりも傾斜はきつくなかったが、それでも休み休み歩かないと息が上がる。木の階段を一歩ずつゆっくり登って行くと、突然という感じで山荘の建物が見えてきた。8時50分、蛭ヶ岳到着。
最初の目的地である蛭ヶ岳に着いたものの、時刻はもう午前9時近い。丹沢山・蛭ヶ岳間のコースタイムは2時間なので、30分多くかかったことになる。
さて、当初の計画どおり、ここから檜洞丸まで縦走して西丹沢に下るかどうか決断の時である。檜洞丸までのコースタイムは3時間半、そこから西丹沢まで2時間、休憩を入れて6時間半。ところが、すでに30分遅れていて、ここから檜洞丸まで4時間では着かないだろう。檜洞丸の方向を望むと、登り下りの傾斜はここまでの比ではないように見える。
仮に5時間かかるとすると、檜洞丸に着くのは午後2時。そこから下れば午後5時の西丹沢発のバスにぎりぎり間に合うかどうかで、予定していた中川温泉に行く余裕がない。いずれにせよアクシデントがなければの話で、前日のように足が攣ったりすると大変である。
と考えて、今回は蛭ヶ岳までで前進はやめ、「高速登山道」東海自然歩道方面に進むことにした。こちらに進む場合の問題は下る途中ではなく下山した後の足で、東野から三ヶ木へのバスは午後1時の次は午後4時とたいへん便が悪い。午後1時までに下るのは無理だから、かなりバス待ちすることになってしまう(実は、そんな心配は必要なかったのだが)。
夜中は暴風でどうなるかと思ったが、朝には天気は回復。富士山が見えるのがこれから向かう蛭ヶ岳の方向、不動の峰がそびえる。
休憩小屋のある不動の峰を越えると、蛭ヶ岳が見えてきた。蛭ヶ岳山荘があるので間違いない。
頂上直下で歩いてきた稜線を振り返る。少し白く写っているあたりが鎖場のある鬼ヶ岩の下り。
夜中の突風で計画変更はある程度予想していて、みやま山荘に置いてある時刻表でバスの便は確認していたのだが、出発前から予定していた訳ではないので、1/25000図もなければ電子国土データも持っていない。あるのは山座同定用に持ってきた登山地図だけである。ただ、東海自然歩道であれば整備されているはずで、迷うこともないだろう(もちろん、甘かった)。
ひと息ついて方針が決まり、蛭ヶ岳山荘に行って水分を補給する。ポカリスエット500円。小屋番さんは朝の片付け中だった。
「みやま山荘から?」
「そうです」
「帰りはどうするの?戻るの?」
「いえ、東野に下りようと思ってます」
「そう。気を付けて楽しんでいってください」
尊仏山荘・みやま山荘と同様山の上にあるので大変だが、蛭ヶ岳山荘はそれ以上に不便な山の上にある。そして、かつて登山最盛期に建てられた山荘なので老朽化が進んでいて、規模的にも少し大きすぎるようである。今年は奥多摩小屋閉鎖のニュースもあり、今後の山小屋のあり方についていろいろ考えさせられた。これについてはまた改めて書いてみたい。
頂上から名残り惜しい檜洞丸方面を望む。登山道入り口には立て札があり、「檜洞丸まで4.6km、登り下りが続きます。鎖場やはしごもあります。時間的体力的に余裕を持って計画してください」と書いてある。今回は時間的体力的に余裕がないので、計画変更もやむなしである。最初の谷まで下るだけでもかなりの標高差があるので、現在の状況では無理だ。
東野までと言うと小屋番さんが安心したように見えたのは、そのルートは小屋番さん自身がここまでの登り下りに利用しているルートだからで、それは帰ってから蛭ヶ岳山荘のHPを見て知った。ということは、歩荷できるルートでもあるということで、登山道も蛭ヶ岳までのルートの中では整備されているうちの一つなのだろう(そう書いてある)。
私としても、計画変更して安全策をとるならこのルートが最もリスクが少ないと思って選んだのだが、実際歩いてみると、それほどイージーではなかった。まず、姫次までが長い。姫次まで行けばあとは東海自然歩道なので安心だと思ったのだが、蛭ヶ岳から姫次までの3.3kmの下りは、とても一息では歩けないのである。
最初の木の階段、急傾斜で標高差200m以上下るところで、まず体力を削られる。そして、急傾斜を下り切った後は尾根歩きと思いきや、登ったり下ったりである。最初からこの傾斜なら楽なはずなのだが、急坂を下り切ると平らでも登りに感じてしまう。そして、前方に鹿柵が立ちふさがり、どう歩いたらいいのか迷う。そんなこんなで、残り2km台をなかなか通過できない。
とうとう、地蔵平の案内板で小休止した後、原小屋平の広場を見たらそれ以上先に進めなくなってしまった。10時45分、たまらずリュックを下しシートを広げ、家から持ってきた菓子パンとみやま山荘でお願いしたお湯でインスタントコーヒーを淹れて昼食にする。よく晴れて、寝っころがるとぽかぽかする。何とも気持ちがいい。
この原小屋平は名前のとおり小屋があった跡だそうで、ちょうど小屋の広さが平らになって休むには具合がいい。ここはまだ東海自然歩道に入っていないコースなので、私が休んでいる間、1人しか通らなかった。そして、奥の斜面に「水場→」の立札があり、行ってみると水の音がする。斜面を下りかけたけれども急傾斜の狭い道で、谷まで距離がありそうなのであきらめた。
この原小屋平で45分休憩した後、元気回復して姫次に向かったところ20分ほどで着いてしまった。ここには大きなベンチが3組置かれており、何組かのグループが休んでいた。みやま山荘からここまで、一緒に泊まった人もすれ違った人もすべて単独行だったが、姫次で会った人達はすべてグループだった。さすが東海自然歩道である。
姫次の休憩スペースから谷を挟んで、行く予定にしていた檜洞丸への稜線を望むことができた。きついのは一緒だから行くべきだったかと思うし、やっぱりアップダウンの連続でバテただろうとも思う。何しろ、姫次までの3.3kmに3時間近くかかってしまったのだ。ただ、ここからは「高速登山道」東海自然歩道であり、そんなに苦労するとは思わなかったのだが。
蛭ヶ岳山頂には山荘の他ベンチが置かれて広場になっている。ここで檜洞丸方面との分岐になるが、スピードが出ないので方針変更、東海自然歩道へ向かう。
姫次へのルートは意外と長く感じた。急傾斜の下りがあり、鹿柵で行く手を阻まれ、とうとう原小屋平の広場でくじけて昼食休憩に。
原小屋平からは20分ほどで姫次へ。ベンチがありみなさん休憩していました。ここからは高速登山道、東海自然歩道なので安心していたのだが。
姫次で小休止していると続々と登ってくるグループが現れたので、 12時前にベンチを空ける。この日行く予定だった檜洞丸への稜線をカメラに収めた後、高速登山道を快調に歩き始める。さすがに、ここまでのコースとは傾斜も整備状況も違う。この分だと、4時のバスまで相当待つことになりそうだ、と余裕ぶっこいたことを考えてしまった。
5分ほど歩くと、「東海自然歩道最高地点の碑」がある。標高は1433m。碑のある位置よりそれより先の道の方が高いように見えるのはご愛嬌。3時間前に通過した蛭ヶ岳が1672mで、頂上直下で1300mくらいまで下っているはずだから、その後100mほど登り返したことになる。姫次までは気のせいではなく本当に登りだった訳である。
姫次からの東海自然歩道は、高速登山道と(私が勝手に)いうだけあって大変歩きやすく、ハイペースで下る。木の階段もあまりなく、ゆるやかな傾斜の土の地面が続いて足に心地よい。ただ、30分ほどで着くはずの黍殻山避難小屋がなかなか見えてこない。避難小屋の少し前にある青根分岐まで45分かかったから、早い人は私の2/3くらいしかかからないということになる。
青根分岐のベンチでリュックを下ろす。せっかくだから避難小屋を見ていきたかったが、歩いてすぐという訳ではなさそうだったので寄らずに下りることにした。時刻は午後1時前。「東野バス停4.7km」と書いてある。登山道とはいえ下りだし、三ヶ木行きのバスは3時間後なのでゆっくり歩いても余裕で着くと思ったのが甘く、ここからの下りは強烈だった。
初めからここを通る予定で下調べしていればともかく、計画変更したルートだから準備していない。東海自然歩道だから大丈夫だという見込みだけで選んだルートである。ところが実際には、釜立沢まで標高差500mを一気に下る急斜面である。しかも、500m下っても距離的には1kmも歩いていないので、標識の残り距離がなかなか減らないのである。
途中で単独行の女性に抜かれた他は、誰にも抜かれないしすれ違わない。あまり人気のないコースのようである。東海自然歩道と名前が付いていても、高速登山道だけではないということが分かった(後で東野バス停で話したおじさんによると、青根分岐より上の八丁坂の頭から尾根道を下る方が一般的らしい)。
1時間ほどかけて谷まで下りてきたが、そこからがまた分かりにくい。標識と赤テープを確認して歩いたつもりだったのだが、落ち葉に埋まり斜めった谷沿いを歩くうちに、次のテープが見当たらなくなってしまった。斜面の上の方にテープらしきものが見えるのだが、さすがにあれは東海自然歩道ではなさそうだ。あきらめて、岩だらけの沢を歩く。幸い、水量はない。
2つ目の砂防ダムの向こうから、車道が始まっているのが見えた。ダムの手すりを伝って下り、草むらの中を突破して下流側に出た。標識をみると東海自然歩道は左岸の山の中につながっていたので、どこかで右岸から左岸に渡るものだったらしい。結局、青根分岐からここまで1時間半かかり、もう2時半。しかも、まだバス停まで3km以上残っているのである。
4.7kmだったら、1時間半でバス停まで着くかもしれないと思っていたのだが、とてもとてもバス停どころではなく、まだ1時間かかる距離が残っている。これは油断すると4時のバスだって危ない。幸いここからは車道歩きになるのでペースを上げようとするのだが、前日からの疲れと急傾斜を一気に下ったダメージが重なり、太腿やふくらはぎが痛くてなかなか進まない。
結局、バス停に着いたのは定刻の10分前。バスの待ち時間が長いことを心配したけれども、そんな心配は全く無用だった訳である。そして、三ヶ木からバスを乗り継いで橋本まで出るのに2時間近くかかるというのも想定外だった。やっぱり、計画はいざという時のエスケープルートも含めて、万全に準備しなければならない。
それにしても、前回の梅ノ木尾根は山歩きをした後も全く痛みが残らなかったのに、今回は下山途中から太腿が痛くてペースが上がらず、帰ってからも2~3日は痛みがとれなかった。さすがに標高差600mと1200mは違うと改めて計画の甘さを痛感したのだけれど、それでも以前の4~5日に比べると回復は早くなった。多少は体力がついてきたようでうれしい。
この日の経過
大倉登山口 8:15
9:15 雑事場平 9:25
10:35 駒止茶屋 10:45
12:00 天神尾根分岐(昼食休憩) 12:25
13:10 花立山荘 13:20
14:20 塔ノ岳 14:30
15:30 龍ヶ馬場 15:40
16:10 丹沢山・みやま山荘(泊)6:20
6:45 不動の峰休憩所 7:00
8:00 鬼ヶ岩 8:10
8:50 蛭ヶ岳 9:10
10:45 原小屋平(昼食休憩) 11:25
11:45 姫次 11:55
12:40 青根分岐 12:45
14:15 砂防ダム林道終点 14:20
15:50 東野バス停
[GPS測定距離 初日 9.3km、2日目 13.6km、合計 22.9km]
[Jun 4, 2018]
青根分岐。ここで焼山へ向かうルートと分かれる。青根ルートも東海自然歩道のマークがあるので安心していたら、かなりハードな道でした。
尾根から谷に一直線に標高差500mほど下る。ようやく谷に下りてもたいへん分かりにくい道で、やむなく川の上で砂防ダムを2つ越える。
最後は延々と続く林道歩き。砂利道が簡易舗装になり、墓地を越えて舗装道路になってもまだまだ下る。青根集落が見えたこのあたりから、さらにバス停まで20分ほど歩く。