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丹波天平 [May 10, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

注.この記事の執筆当時、お祭り山荘と七ツ石小屋を運営されていた雲取サスケさんはしばらく前に離れられたようで、2016年から七ツ石小屋は丹波山村の経営となっています。

お祭り山荘を6時45分に出発、親川バス停近くの丹波天平登山口から登り始める。天気はすばらしいが、頭はがんがんするし手足は擦り傷だらけでひりひり痛む。というのは、前の晩に山荘のご主人・雲取サスケ氏の面白いお話をお伺いしているうちについつい飲みすぎてしまい、あげくはトイレに行く時につまづき、モルタルの床に激しく転んで擦ってしまったからである。

「山の前の日は飲まない」というマイルールを作ったはずなのに、何てことだと気分が沈んでしまうが、誰が悪い訳ではない自分が悪いのである。最初から急坂が続き息が上がるため、休み休み歩く。ペースが上がらないのは急坂のためなのか、二日酔いのためなのか、いずれにせよコースタイムで歩くのは難しそうな気配である。

今回、丹波天平(たばでんでいろ、と読む)を選んだのは、金曜日に休みが取れたのでせっかくだから奥の方まで行こうと思ったのと、頂上がお茶会を開けるほど広い平地になっていてお昼をとるのに最高というWEB情報があったからである。また、登山道の途中には廃村となった高畑集落跡があるので、まだ形のあるうちに見ておこうということもあった。

スイッチバックの急坂を登って行く。山側はガレた斜面で、時々それほど大きな石ではないけれども落石があって、盛大な音を立てて落ちて行く。先行する登山客でもいるのかなと思っていたら、いきなり遭遇したのは十数頭のサルの群れであった。水でも飲みに行った帰りなのか、谷から一直線に山を登って行く。

リーダーなのだろうか、一頭が私の方を見て「キーキー」と叫ぶ。威嚇しているのか、仲間に注意を促しているのか。その割に目の前数メートルを横切って行く奴もいるので、あまり人を怖がってはいないようだ。サルの群れは何組かあるらしく、その後も集落跡まで何度か見かけた。

高畑集落までの道は、傾斜はかなり急であるが地面には砂利を敷いた形跡があり、道端には一定間隔で電柱が立ち電線がつながっている。道幅は軽トラックでも難しいくらいだが、オートバイなら無理すれば何とかなりそうに思えた。江戸時代ならともかく、昭和の終わりくらいまでは人が住んでいたというから、人力以外の輸送手段はあったのだろう。

4、50分も歩いた頃、石垣など人工物の気配が濃くなり、次いで物置小屋のような廃屋が現れる。高畑集落には3軒の廃屋が残っている(2014年5月現在)が、洗濯機の残骸とともに現れる麓寄りの一軒が、WEBとかにはよく載っている。かつての姿を最も残しているのは2軒目で、玄関にはカーテンが引かれ雨戸も締められている。ところが裏に回ると所々破れて風が吹き込み、長年人の手が入っていないことをうかがわせた。

プロパンガスの容器がそのまま残され、水道のバルブ栓だけが妙に真新しい。上水を引いていると思われる塩ビ管がところどころ道の脇から見えていて、さらに山の上の方に続いているようだ。電気、ガス、水道に加えて、2軒目の玄関にはNHKのシールも貼られている。車道から数十分も奥だけど、つい最近まで普通に生活していたということである。

玄関前までの斜面もかなり急であるが、その一画に石碑と、お地蔵さん、何かの仏像が残されていた。ここの家の人達が建てたものか、あるいは集落ができた頃からあるものだろうか。ここから振り返ると目の前は、七ツ石山に続く登り尾根の稜線が広がっている。この景色があるので、ここから去りがたかったのだろうか。しばらくの間、このみごとな景色を見て休む。少し、元気になった。

WEBにはお祭り山荘の情報がほとんど載っていないので少しだけ。

雲取お祭り山荘と七ツ石小屋は雲取サスケ氏が経営している宿泊施設である。ここで間違えてはいけないのは、七ツ石小屋と同様、お祭り山荘も基本的には山小屋であるということ。国道沿いにあるからといって、一般の民宿を想像しているとびっくりする。

丹波山村のHPにもお祭り山荘にも「民宿」と書いてあるが、基本的に山小屋であり、タオルとか浴衣、歯ブラシ等の備品はありません。また、部屋にテレビもありませんし、ポットや冷蔵庫、お茶セットもなく、何か飲み物をと思っても自動販売機がありません。

夕食や朝食はサスケ氏が自ら釣ってきた川魚や山菜の天ぷら、手打ちそばなどの心づくしのお料理でもてなして下さいますし、奥多摩周辺の山岳情報や丹波山の歴史についてのお話をお聞きすることができます。サスケ氏がおひとりでやってらっしゃるので、行き届かない点はあるかもしれませんが、そういう楽しみ方ができる方が泊まる宿だと思います。

高畑集落で唯一原型をとどめている一軒。玄関にはカーテンが引かれ、雨戸は閉じられていますが、裏に回ると方々が破れています。


高畑集落最上部の一軒は、崩壊してしまいました。がれきの下からは、一升瓶が覗いていました。ここから先水源地までは、中腹の道を登って行きます。


ところで、この丹波天平(たば・でんでいろ)の登山道は、1/25000図と実際の道とが全く違っていることで有名である。 1/25000図では、尾根に登りあげた地点から3方向に分岐して、右が高畑集落方面、左が青梅街道に下りる道で、中央を尾根伝いに丹波天平に至ることになっている。ところが、左と中央の道は現在はない。あるのかもしれないが、少なくとも分岐点に標識はなく、標識どおりに進むと登山口から高畑集落跡、後山集落跡を経由して保之瀬天平となる。

高畑集落跡の最上部に残っていた廃屋は、すでに屋根からつぶれて全壊している。その脇をすり抜けて登山道をたどる。水道の塩ビ管が続いているので、水源はもっと上にあるらしい。道は一本道で分かりやすいが、生活道とすれば大変に急である。20分ほど歩くと谷があり、水の出ているあたりに取水施設があった。ここが水源だとすると、1km近く引いていることになる。

水源を過ぎてしばらく進むと、石垣の組まれている平らな土地に出た。標識はここから左に急坂を登ることを指示している。後からGPSの記録を確認したところ、ここが後山集落跡のようだ。車道から優に1時間以上かかる。今では建物の残骸すら残っていない。高畑集落よりずっと前、おそらく昭和に入ってすぐ廃村となってようである。(参考資料:村影弥太郎の集落紀行)

後山集落跡からしばらくは杉の人工林の急登で、15分ほどしてどんぐりの散らばる自然林になるとあと少しで急登は終わり、なだらかな登りの保之瀬天平になる。自然林なので植生がまばらで、稜線は数十メートルあってだだっ広い。要所には標識やテープがあって迷うことはない。むしろ、どこを歩いてもいずれ順路にたどり着けそうである。

祠が置かれている地点を過ぎると、いよいよ丹波天平への最後の急登が始まる。ここから標高差で200mほど。登山口が550m、丹波天平が1342mだから通算800mの登りの、残り4分の1である。急登はきついのだけれど、登り始めほどではないのは、お昼近くなって酒が抜けてきたからだろうか。10時半、登山口から3時間半で丹波天平に到着した。

なるほど広い。そして、誰もいない。丹波山村の共同視聴アンテナらしい鉄柱が建てられてはいるものの、トイレとかベンチとか案内板とか、余計な人工物がないのはすばらしい。ここを公園みたいに整備したら、いっぺんに汚なくなってしまうだろう。残念ながら、それが世間の実態であるからやむを得ない。ここはこれで自然のまま残しておくのがいいのだろう。

真っ平な頂上部を、お昼を食べる場所を探してしばらく進む。2、300m進んだあたりに、なだらかな斜面が広がっている地点に出たので、ここで昼食休憩とする。今日のメニューは、ロールパンとコーヒー、レトルトカレーにちょっと水を足したカレースープである。今回はEPIのガスカートリッジを持ってきたので、熱いコーヒーを飲めるのはありがたい。風もなくいい天気で、加えて他に誰もいないのは最高の気分である。

親川登山口から丹波天平までの道は、1/25000図とは全く違いますが、要所には道案内と赤テープがあるので、ほとんど迷わないと思います。


丹波天平。広々とした平らな頂上が広がっていて、お昼をたべるのにいいところです。左の鉄柱は、丹波山村の共同視聴アンテナのようでした。


ゆったり静かにお昼を食べて、ごろんと横になってしばらく休んで1時間が経過した。いま11時半。2時15分丹波発奥多摩駅行のバスを逃すと、次は2時間以上先である。そろそろ下りなければいけない時間だ。

下りルートの候補は2つ。1つはここから共聴アンテナまで戻って、南に丹波を目指すルート。もう一つはサヲウラ峠から丹波に下るルート。下山後にのめこい湯に入るのなら前者のルートが近いが、それだと早く着きすぎるかもしれない。せっかく来たのだからできるだけ歩こうということで、サヲウラ峠のルートを選んだ。

問題は、サヲウラ峠→丹波→のめこい湯と歩いて2時間で着くかどうかである。今回のルートはいわゆるバリエーションルートでコースタイムがよく分からない。一応、20分+1時間20分+20分の2時間で歩いて、45分のめこい湯滞在という計画で歩き出したのだが、もちろん、この通りにはいかなかったのである。

お昼休みで体調はよくなったし、体力も回復したのだけれど、サヲウラ峠まての道はけっこう荒れていた。1/25000図を見ると、最後のピークで60mほど登るだけであとはほぼ平坦なのでペースを上げても大丈夫とみていたのだが、ここからの道は倒木が多く、またいだり迂回したり気を使うことが続いた。サヲウラ峠に着いたのは12時。ここまで30分かかってしまった。

(ちなみに、私がサヲウラ峠に着いたのは5月10日の12時。4日に三条の湯を出て飛龍山に向かい行方不明となった登山客が無事下山したのが12日だから、ちょうどこの時間、ほとんど数km以内のところに遭難者がいたことになる。奥多摩まで下りてきたときに、捜索のチラシも見たし。

おそらく、稜線を越えて秩父側に入ったのではないかと思うが、何とか稜線まで戻って尾根を歩き、将監峠あたりから林道を下り、一ノ瀬高橋まで来て救助された。えらく西まで行ったものだが、誰とも会わなかったのだろうか。将監小屋があったのに。)

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その後、某所で聞いた話によると、この一件は「??遭難」の疑いがあるのだそうだ。その根拠としては、

①一ノ瀬に来た時の挙動が不自然だった。一週間も行方不明ならば民家の電話を借りて警察に連絡すればいいのに、現地の人にはあいまいなことを言って携帯での連絡にこだわったという。そして、必ずしも安定はしていないものの、雲取から将監峠までの稜線で携帯が通じるところはある。

②事情聴取に、タケノコを食べて飢えをしのいだと話したとのことだが、あのあたりにタケノコの生えているところはない。また、最初に現れたときの様子は、一週間食うや食わずでいたようには見えなかったとのこと。

③そもそも奥多摩に何回も来ている人が、三条の湯から雲取に向かうつもりで将監峠まで迷うだろうか。そして、将監小屋を素通りして一ノ瀬まで下りるだろうか。

そんな話を聞くと、なるほど追報がない訳だと納得したりします。
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サヲウラ峠は、飛龍山方向、三条の湯方向との十字路になっている。このあたりで、この日初めて自分以外の登山客とすれ違った。ここから丹波へは見るからに急な下りである。例によって、安全最優先で、慎重に歩を進める。単独行なので助けてくれる人はいないのだ。でも、ときどき山側から砂が流れて登山道がなくなっているところがあったから大変である。

何しろ、体重をかけると地盤が崩れてしまう。そうなったら、そのまま10m以上は落ちてしまいそうだ。傾斜は30度ほどだし頭から落ちない限り大ケガはしなさそうだが、やっぱりペースダウン。両手両足にストックを使って3点確保しつつ、慎重に慎重に難所をクリアする。そんな場所が3、4ヵ所、それ以外にも足場が斜めっているトラバース道が続き、なかなかスピードが上がらないのは想定外であった。

30分ほど歩いと、木々の間から目指す丹波山村の屋根が遠く見える。まだ標高差で200mくらいはありそうなのであと30分では難しいが、1時過ぎには街まで下りれるのではないかと少し期待する。ところが、道は眼下に見える街とはあさっての方向に続いている。歩いても歩いても、そろそろ着きそうな景色にはならない。

1時を回り1時半も過ぎて、まだ山の中である。さすがに、のめこい湯は難しそうだとあきらめた。1時40分頃、ようやく鹿避けの柵のところまで到着。「バス停まで10分」と書いてあるしすぐ下にそれらしき建物は見えるのだけれど、ここから畑の間を大回りで下る道なので全然着かない。結局バス停に着いたのは、発車10分前のぎりぎりであった。

バス停のトイレで着替え、近くの道端にあるバルブから盛大に出ている湧き水で顔を洗わせていただく。気温が上がって日差しもきつかったので、これだけでかなり涼しく生き返った心地がした。帰って調べたら有名な湧水で、汲んで帰ればよかったと後から反省した。

奥多摩駅までは1時間のバス旅。小河内ダムの貯水量は90%を越え、鴨沢あたりまで満々と水をたたえている風景は、水不足の時期からは考えられないほど雄大なものでした。

この日の経過
お祭り 6:45
7:00 親川登山口 7:00
7:55 高畑集落跡 8:05
8:35 後山集落跡 8:45
9:30 保之瀬天平 9:35
10:30 丹波天平(昼食休憩) 11:30
12:05 サヲウラ峠 12:10
14:05 丹波バス停(GPS測定距離 10.7km)

[Jun 16,2014]

お昼を食べたあたり。共聴アンテナからここまで数百メートルの間、ほとんど起伏はありません。


サヲウラ峠。建てられている祠は多摩川の自然を守った中川翁を記念する中川神社。丹波天平、三条の湯、飛龍山、丹波村方向のそれぞれに分かれる十字路になっています。


笠取山 [May 31, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

笠取山に行こうと思ったのは、前回の丹波天平(たば・でんでいろ)の時に、のめこい湯に寄れなかったのでぜひ行きたいということが一つ。もう一つには、その当時遭難して1週間以上この山域に閉じ込められた人がやっと下山したのが一ノ瀬高橋、つまり笠取山の登山口にあたることから、ぜひ行ってみたいと思ったからである。

ただ、ここへ行こうとするとバスでは困難である。個人的には、できる限り公共交通機関を使いたいのであるが、タクシーを使わない限り2泊3日が必要であり、車を使えば日帰りが可能である。となれば、費用面を考えると車を使わざるを得ないのである。そして自家用車なら、1人も2人も高速代は変わらない。せっかくだから奥さんも誘って行くことにした。

家を出たのは4時半。夏至に近づいているので、この時間だとすっかり明るくなっている。京葉道路から首都高、中央道と乗り継ぐ。驚くべきことに、まだ6時前なのに中央道のSAは混雑していて、誘導員の人が出ているくらいである。勝沼ICを7時に出て、青梅街道に入る。あとは道なりに峠を越えて行けばいいと思ったのだが、これが結構距離がある。

柳沢峠を越えて、一ノ瀬高橋で青梅街道をそれて脇道に入る。すると、どんどん道が狭くなり、ついに舗装もなくなり砂利道になってしまった。すれ違い困難な一車線の上に段差だらけで砂利というよりも岩道である。これでいいのか心配になるが、断続的に人家が続いている。そしてとうとう、進入禁止のロープがある行き止まりになってしまった。

後から地図を調べると、どうやら「高橋」という集落の奥に入ってしまったものらしい。車を止めて林道を進んでもどこに行くのか分からないので、山梨側から入る方は注意が必要である(実際、われわれの後からこの道に入ってきた首都圏ナンバーの車があった)。作場平までの林道には舗装していないところはありませんので、舗装がなくなったらその道は間違いです。

(後から調べたところによると、進入禁止の先の砂利道は山を2つ越えて笠取小屋まで続いているようです。)

結局、高橋集落の中ほどに戻って「民宿村→」の壊れかけた看板に従って曲がり、しばらく進むと東京都仕様の林道に出るのでやっと安心。カーブは多いけれど人の手が入った林道を3~4km進むと作場平の駐車場で、朝早くから多くの車が止まっている。ぎりぎり最後の1台分のスペースを確保して、身支度をすませると8時半。道に迷ったせいで大分と時間をロスしてしまった。

ここの駐車場にはトイレもあるが、利用者に対して数が少なすぎるのではないかと思わせるところがあった。山の上ならバイオトイレでもいいのだろうが、車の通るところではオーバーキャパシティではなかろうかとちょっと心配。道路をはさんでトイレの反対側が登山口になる。

森の中のなだらかな登り坂を気持ちよく進む。登山道というよりも遊歩道である。空気が落ち着いているように感じられるのは、水源林なのでブナなどの広葉樹林であるためで、杉の植林ではこういう空気にはならない。他にも、コシアブラとかアオハダとか表示がある。奥さんは「これはミツバツツジだ」と喜んでいる。

30分ほどで分岐点となり、ここから笠取小屋まで、急坂とノーマル坂との2ルートに分かれる。ノーマル坂には大勢が進んで行ってさわがしいのと、登り得意の奥さんが急坂でも大丈夫というので急坂ルートを進む。ところが、うれしい誤算というのか、奥多摩基準でいえば登り尾根クラスの普通の登りだった。

奥さんはハイペース、私はマイペースで遅れてしまったけれど、そろそろ休もうと思ったところが笠取小屋直下の水場で、すぐ上が笠取小屋だった。ここまで1時間40分。標高差で450mだからこのくらいで着いていいのだが、コースタイムは2時間だから、すごく早く着いたみたいでうれしい。小屋前のベンチで、あんドーナツとスポーツドリンク、元気一発ゼリーでお昼にした。

笠取小屋への急登コースは、奥多摩水準の普通の登りでした。それでもしんどいですが。


登山口から1時間40分、標高差で450mほど登ると、笠取小屋に到着。この日は好天に恵まれ、多くのハイキング客が休憩していました。


休憩後、笠取小屋からさらに登る。登山道が二手に分かれていて、低い方は道幅は広く傾斜はゆるいのだが、下に木を敷いてあるので歩きにくい。そこで高い方の草原を進む道を行く。起伏はあるが下が柔らかくて歩きやすい。先行するグループもこちらを選んでいる。

10分も進むと稜線に出て、手前に「小さな分水嶺」のピーク、背後に笠取山が現れる。天気に恵まれて、雄大な景色である。左手には、雁坂峠から国師ヶ岳方面の山並み、右手は飛龍山から雲取山に至る奥多摩の山並み。空は夏空だが、時々涼しい風が吹いてきて寒いくらいである。

分水嶺ピークは、ここを境に多摩川、荒川、富士川それぞれの流域に分かれるところで、雨が降った時には数メートルの違いなのに、海に出る時には数百km分かれてしまうのである。多摩川に注ぐのは東側で、ここの頂上には三角柱の石碑が立ちそれぞれの川の名前が記されている。多摩川のところだけ濃く赤で書いてあるのは、東京都水道局が立てたためであろうか。

いったん下って、いよいよ笠取山への急登が始まる。ここの登りは本当の急登で、笠取小屋への急登コースよりレベルが上である。標高差で200mほどを一気に登る。しかも、下から上まで一直線で目の前にそびえ立っている。できればロープウェイが欲しいところである。奥さんは「登るのはいいけど下るのは嫌だ」と今から言っている。

登り始めるとさすがに厳しく、何十歩か進むごとに小休止を入れないと続けて登れない。こういう時は上を見ないで足下を見て進むのがいい。先が長いとそれだけでくじけてしまうからである。足下だけ見て歩く分には、小雲取山の急登と同じくらいに感じた。ただ違うのは、距離がずいぶん長いことである。

100歩歩いて一休み、を何回か繰り返していると、頂上まであとわずかとなった。足下は浮石がごろごろしているので、落とさないように用心しながら慎重に歩いて頂上へ(登る途中で石が転がってきて危なかったのだ)。頂上到着は11時30分、笠取小屋から45分で着いた。

振り返ると、分水嶺ピークがずいぶんと低く見える。ピークはそれほど広くないのに、20人近くが昼休みでにぎやかである。にぎやかなだけならいいのだけれど、バーナーで肉を焼いているグループがあり、せっかくのさわやかな空気がだいなしである。急登ではずんだ息を整えてから、さらに奥へ進む。笠取山の最高点は実はここではなく、さらに奥に進んだピークなのだ。

ここから先は岩場で進路が分かりにくい。これまでしつこいくらいあった道標も全くない。10分ほど登り下りすると、笠取山最高点に到着。ここには「笠取山 1953m」の丸太が立っているが、同時には2、3人ほどしかいられないくらい狭い。ただ、ひと気はほとんどない。手前のピークでほとんどの人が引き返してしまうのだろう。

小さな分水嶺ピーク(左)と、奥に見えるのは笠取山。笠取山の手前のピークまでは人がいっぱいですが、後に続くピークの方が実は最高点。こちらには人はまばら。


いよいよ笠取山への急登が始まる。ここは奥多摩基準でも急登かもしれない。休み休み、何とか頂上へ。


笠取山の最高点からさらに先へ進む。奥さんが最初のピークの一直線の急坂を下りたくないというのと、多摩川源流の最初の一滴とされる「水干(みずひ)」へはこちらから下る方が近道だからである。

ところが、標識が全然ないものだから、どこで下ったらいいのかよく分からない。南側を注意して見ていたので分岐点を見逃すことはなかったと思うのだが、ちょっと不安である。そして最高点からさらに15分ほど進んだ小ピークに「埼玉県」と書いてあるのを見て、これは進みすぎてしまったかとあせった。

奥多摩通の方はご存じのように、この稜線の山梨側は東京都水道局が持っている山林である。もともと巡視道から出発したと思われる登山道は歩きやすく整備されており、道標も十分にあるからそれほど迷うところではない。問題は、稜線から北に行ってしまうとそこは埼玉県で、過去多くの遭難事故が発生し、いまだに行方不明という人も多くいる山域なのだ。

先だっての三条の湯から8日間の遭難事件も、詳しいことは分からないがおそらく埼玉県側に迷い込んだのではないかと思われる。笠取山から唐松尾山にかけての秩父側では、かつてヘリコプターの二重遭難事故も起こっている。いずれにしろ迷い込んだらそう簡単には出られない難所として有名なのだ。

場合によっては戻らなくてはならないなと思いながらあたりを見回すと、「埼玉県」の表示の先で道が二つに分かれており、右の分岐に「水干、笠取」と書いてある。水干はいいけど笠取山はここだろうと思ってよく見ると、笠取の先で表示板が折れているように見える。もしかしたら、もともと「水干、笠取小屋方面」と書かれていたのではあるまいか。だとしたらこちらが正解である。

コンパスで方角をみるとまさしく南方向なので、ここで右に進むことにした。道はすぐに急勾配の下りとなる。下りが苦手の奥さんが嫌だと言い出すかと心配したが、案に相違してどんどん進んでいく。聞いたら、一直線の下りは嫌だけれど、曲がりくねった急坂はそれほどでもないそうである。一直線でも曲がっていても下るのは同じような気がするが。

くねくねした坂を10分ほど下ると、太い登山道に出た。笠取小屋から水干を経て黒エンジュの頭に向かう道である。ここを右、つまり西に折れれば帰り道である。案ずるより産むが易しで、心配したほど困ったことにならなかったのはよかった。そして、この分岐から先は道標が整っている。東京都水道局の陣地に戻ってきたのだ。

再び遊歩道のような広い道になり、ゆっくり歩いて笠取小屋へ。ここの水場で、汲みたての冷たい水をプラティパスに詰めて行く。山の水でごはんを炊くと、驚くくらいおいしいのである。

下りはほとんど休まなかったので、最後はちょっとバテてしまったものの、2時15分、ほぼ予定どおりの時間に下りてくることができた。作場平の駐車場は、路肩にも止められているほどの大盛況。この時間に身支度をしているグループは、今夜は笠取小屋でテン泊か小屋泊なのだろう。

帰りは丹波山村に向かうため、来た道とは逆方向に車を走らせる。一ノ瀬集落を抜け、右側は断崖絶壁、左側は深い谷という油断できない道を青梅街道まで戻るのだが、朝の道よりずいぶん走りやすい。どちらかというと、ここへは丹波山村方面から入るのが正しい選択かもしれない。

この日の経過
作場平駐車場 8:30
9:00 一休坂下分岐 9:05
10:10 笠取小屋(昼食) 10:35
10:45 分水嶺ピーク 10:50
11:20 笠取山 11:30
11:55 笠取山埼玉側 11:55
12:15 水干 12:20
12:45 笠取小屋(水場) 12:55
13:50 一休坂下分岐 13:50
14:15 作場平駐車場(GPS測定距離 10.3km)

[Jul 4,2014]

笠取山の最高点は手前頂上とは違って人がいません。最高点から奥多摩側の山並みを望む。


多摩川の初めの一滴とされる水干(みずひ)。この日は残念ながら一滴は落ちていませんでした。岩の上部には「水神社」の石碑が掲げられている。


雁峠から笠取小屋(テント泊)[Oct 10-11, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

9月に本格的なテントを買った。アライテントの「エアライズ」である。定価4万円、決して安い買い物ではないが、来るべき年金生活に備えて、テント泊は有力な経費節減策になりうるのである。しかしながら、これまで57年間、いまだテントで一夜を過ごしたことはない。山小屋ならあるけれども、布団の上で寝るのと全然違うことくらいは想像がつく。

とりあえず、安心できる場所で予行演習しようと考えた時に頭に浮かんだのは、春に行った笠取小屋である。あそこなら水場もトイレもあるし、テントサイトも林間なので地盤も柔らかそうで、スペース的にも余裕があるように見えた。山雑誌やWEBをみても、テントデビューに向いた場所であるらしい。何よりも、一度でも行ったところなので安心なのだ。

懸念されるのは、足である。テント泊なので一人で行かなくてはならないが、車を使ってしまうと奥さんの足がなくなる。かといって、塩山から笠取山方面へのバス便は、土・日しかない上に朝一番で行ったとしても午前便に間に合わない。他に方法がないものか探していたら、西沢渓谷行きのバスに乗って稜線の西側に出て、広瀬ダムから登れることが分かった。

コースの候補は3つ。①雁坂峠に登って笠取小屋まで歩く方法…これは、登山道としてはオーソドックスであるが、登り始めて笠取小屋まで6時間近くかかりそうだ。初テントなので、もう少し早く着きたい。②白沢峠に登って、石保土山を経て笠取に向かう方法…峠への距離は最も短そうだが、分かりにくい道のようだ。峠に放置されている廃棄トラックの残骸は興味深いが。

という訳で、③雁峠(がんとうげ)に登り、笠取小屋に直行する方法にした。雁峠の上にある雁峠分岐から笠取小屋は通ったことのある道だし、午後早くに着けそうなのでテント設営に余裕が持てる。懸念されるのは林道入り口にバリケードがあるらしいのと、沢の渡渉が何回かあることだが、WEBを見るとそれなりによく使われている道のようなので、挑戦することにした。

千葉から出る「あずさ」は船橋発6時53分のあずさ3号だけなのだが、西沢渓谷行バスとの接続もいいのでこれに乗って行く。山梨市まで約2時間、10分ほどの待ち合わせで市営バスが来る。そこから登山口のある新地平のバス停までさらに1時間、身支度して歩き始めたのは10時15分と遅くなったが、この日は登って泊まるだけだから時間には余裕がある。

バス停のすぐ先を右に曲がる。とりあえず舗装道路だし傾斜も緩いので特に問題はない。問題があるとすれば、この日背負っている45リットルのリュックに、テント一式と水・食料で13kgの荷物が入っているのである。過去来、こんなに重い荷物を背負って山に登ったことはない。少しどころか相当に不安だったので、登り下りはきつくなさそうなルートを計画したのである。

約1km、15分の林道歩きで亀田林業所ゲートに到着。立入禁止と書いてあるが、WEBによると登山客は大目に見てくれるようである。なにせ、雁峠に向かう登山道を標示されているとおりに歩くと、この会社の私道を通らなければ行きようがないのである。ゲートを過ぎると間もなく砂利道になるが、車も通れるくらいの幅があり、実際にタイヤ跡も最近のもののようである。

新地平バス停から林道に入って1kmほどで、有名な亀田林業のバリケードに到着。「立入禁止」と書いてあるのですが、「→雁峠」の標示はずっと続いています。


整備された亀田林業の林道をゆっくり上がっていく。荷物が重いので、バテてしまったら大変である。ところどころに「広瀬←/雁峠→」の案内板があるところをみると、ここが正規の登山道であることは間違いないようである。だとすれば、ゲートを置いて車の進入を止めるのは致し方ないとしても、「立入禁止」まで書いてしまう必要があるのだろうか。

本来は、私有地であったとしても交通上必要な道路の使用は認められるものである。林道などで一般車の通行が規制されている場所は多いけれども、登山者の通行までは規制していないし、第一こんな仰々しく立入禁止なんて書いてない。会社が道路を整備していて登山者にも応分の負担をしてほしいのであれば、若干の通行料くらいは払ってもいいし。

ゲートから1時間ほど歩くと、周りが開けた場所に出る。会社の資材置場兼倉庫みたいな建物があり、前の橋を渡った先は道幅がかなり狭くなっている。ここからいよいよ登山道のようである。傾斜はこれまでとほとんど変わらないし、砂利が敷いてあって、両脇の草も刈られているようで歩きやすい。

さて、登山道の多くは尾根道であり、谷筋の道というのはどちらかというと「谷ヤ」さんなど玄人筋の通る道という印象がある。山の奥に行けば谷の両側は切り立った場所にあることから、道幅は狭くなりがちだし、増水や落石などがあると非常に危険であるためである。今回通る道は、それほど狭い場所にある訳ではないので、比較的初心者向けといえそうである。

尾根道と谷道の違いとして、尾根道はまず稜線に出てしまうことから初めに急登があって、アップダウンがあるという特色があり、比較的展望がきいて景色が楽しめるという利点がある。一方で谷道は、川に沿って進むことから初めは傾斜が緩やかで、源流に近づくとともに傾斜が急になる。そして展望が開けない代わりに、水の流れる音を楽しむことができる。

尾根道の場合は小さなピークがあるとそのたびにアップダウンがあるので、累積の標高差は実際に登る山の高さ以上になることが多い。一方谷道では、川の流れに沿って登る一方であるので、山の高さイコール登らなければならない標高差である。ただし谷に特有の問題として、滝がある場合と、川を渡らなければならないということがある。

今回の雁峠への道には滝はないのでそれはいいとして、川を渡らなければならない点は如何ともしがたい。谷は源流に近づくにつれて何度も枝分かれするので、そのつど道のある側に渡る必要があるのだ。作場平から笠取に行く登山道は東京都が丸太橋などを整備しているが、ここは私有地であるのでオウンリスクで川を渡らなければならない。

最初の渡渉地点が現れたのは、資材倉庫から1時間弱歩いたあたり。写真のように水面上に出ている石を足がかりにすれば大したことはなさそうに見えるし、靴に水が入ったり転んで荷物が濡れたりすることをこわがらなければ、実際大したことはないのだけれど、何しろこの日は上で泊まらなければならないのでそういうことは避けたい。

そういう心配をすると余計に足が緊張してしまう。白ペンキで指示された岩の上まで水が流れていることもある。今年は雪が多かったし前の月には台風と秋雨前線でよく雨が降った。首都圏の貯水率は上々だけれど、川の水嵩が増すのはこの場合うれしくない。水流の下の砂地にしっかりステッキを使って、3点確保で次の足場を探す。

幸いなことに時間は十分にあるので、転ばないことを最優先でゆっくり進む。3つ目くらいの渡渉が結構きつく、靴の半分くらい水に漬かったものの靴の中には水を入れずに何とか通過すると、次からは川幅がせまくなってくれて、何とかクリアすることができた。

こうした渡渉は6~7回あるのだが、すべて赤テープで道案内をしてあるか、岩の上にペンキが塗ってあるので、迷うことはない。また、下流ほど川幅も広く水量もあるので、上に行くほど楽になることは確かである。

途中、元気一発ゼリーでエネルギー回復を図る。先ほど述べたように谷道の常として、上に行けば行くほど傾斜が急になる。また道幅もいよいよ狭くなってきて、腰を下ろして休めるようなところもない。1/25000図とGPSを見比べると、あと一回わずかに右に進路を変えたあたりから残り標高差100mの雁峠直下の急登である。

ゲートから1時間ほど歩くと資材倉庫のような建物があり、ここからいよいよ登山道。


雁峠への後半は、渡渉が6~7回あります。見た感じ大したことはないのですが、石は滑るし水量もあるのでちょっと大変。特にこの日は荷物が多かったので。


これまでもかなり傾斜は急になってきてはいたものの、雁峠直下の登りの取り付きは、傾斜のレベルが違うような印象。これを登るのかと思うとつらいものがあったけれども、実際登り始めると梯子を登るような急傾斜は最初の1クールだけで、あとは草原の中のなだらかなトラバース道になったのは何よりであった。

雁峠(がんとうげ、と読む)への最後の数十mでは、まず目の前に笠取山が登場していよいよ登りも終わりに近いことが分かる。ちょっときついのであの枯れた木のところまでと思ってそこまで進むと、今度はちょっと先に木のテーブルとベンチが見えてくる。雁峠に到着である。時間をみると2時5分。新地平バス停から3時間50分かかった。

今回通ったのはメインの登山ルートではないためコースタイムがよく分からないものの、計画段階では3時間くらいで着くかなと思っていた。初めてのコースは時間がかかる傾向があるし、初めての重さの荷物で休み休みのんびり来たし、渡渉で気を使ったせいもあるので、もう一度歩けばもう少し早く着くことができそうだ。

お昼休憩はロールパンとスポーツドリンクで手短かにすませて先を急ぐ。峠から2、3分で雁峠避難小屋跡。ゆっくりもしていられないので、写真だけ。WEBで廃屋と書いてあるので崩壊していると思っていたのだが、建物自体は傾いてはいるものの原型はとどめている。ただし老朽化のため使用はできないそうである。

小屋からしばらくは熊笹の中を緩やかに登る。例の「小さな分水嶺」のうち富士川に向かう流域にあたる。登ったところが分水嶺の下で、進路を左に取ると分水嶺から笠取山に至る。この日は右に進んで、笠取小屋へ向かう。ここは春に通ったところなので、記憶に新しい。丸太を敷いた道を歩いていくと、笠取小屋である。雁峠からは約30分、3時前には到着することができた。

連休前の金曜日なのでもしかしたら小屋の人がいるかもしれないと期待していて、実際に軽トラックが駐車してあったのだが、それは工事中の造園業者の車で、小屋には鍵がしまっていた(業者の人も夕方には帰って行った。東京都の工事だったのだろうか)。携帯を取り出すとアンテナが立っていたので、掲示してあった番号に電話し、テント泊をお願いする。

「どこにでも好きな所に張って下さい。何かあったら避難小屋も使っていいから」とのことであったが、この時点では私の他に誰もいなかった(夕方になって、カップルが1組現れて都合3人がこの日の宿まり客となった)。また、小屋の人がいなくてとても残念だったのは、ビールが飲めないことであった。テント設営は500円。500円玉がどうしても見つからなくて、千円札を包んでポストに入れておいた(帰ったら寝袋の中から出てきた)。

さて、今回の山のメインである初テント泊である。

家で練習はしてあったし設営自体はそれほど複雑な手順ではないのだけれど、場所を選んで、リュックの荷物を全部出して、テントに必要なものを仕分けして、その後にテントを組み立てるという仕事は、考えていたよりも時間がかかる。せっかく携帯が通じるので奥さんにメールを打ったり返事をしたりしながらやっていたら、30分もかかってしまった。

テントが張れたら、中に荷物を移してまず着替える。そして小屋から2分ほど下にある水場へ水汲み。そうこうしているうちにあっと言う間に4時になる。日が西に傾いて少し薄暗くなり、冷たい風も吹いてきた。早々に夕飯にしないと暗くなってしまう。小屋の前のテーブルで早速にお湯を沸かし始める。この頃になって、後続のカップルが登ってきたのだった。

この日のメニューは、カレーうどん、昼のロールパンの残り、セブンの「キャベツ千切り」とコーヒーである。キャベツは洗わずにそのまま使えるのでそれはよかったのだが、思ったより量があったのでドレッシングが足りなくなってしまった。カレーうどんは思った通りおいしかった。

予想外だったのは、そうしている間にもどんどん暗く、寒くなってきたことであった。気が付いたら手の指がかじかんでうまく曲がらない。そういえば2年前に三条の湯に行った時に、このくらいの時間にこういうふうに手がかじかんでしまったのであった。

できれば夜空を見ながら晩酌でもと思っていたのだけれど、とても長居できるような気候ではなかった。仕方なく後片付けをして、テントに戻る。まだ5時を少し回ったくらいでヘッドランプを使うほどではなかったが、日が傾くとどんどん暗くなっていく。

ようやく雁峠まで登りつめる。いま登ってきた広川の谷筋を振り返った一枚。


使用禁止となっている雁峠避難小屋。確かに全体に傾いており、「老朽化のため使用禁止」と書かれてはいますが、廃屋というほどではない印象でした。


思いのほか外は寒くて早々にテントに戻ったのだけれど、テントの中に入っただけでかなり気温が上がったように感じられたのは、やはり少しの風でも体感気温は下がるということと、最近のテントの性能がすぐれているということであろう。晩酌の準備として、スキットルに入れた森伊蔵と、チーズたらなど乾きもののおつまみを持ってきた。

暖かいテントの中、サーマレストの自動膨張マットレスを座布団にして森伊蔵をいただく。なかなか乙なものだが、しーんとしている中で酒だけ飲んでいるというのも何である。非常用に用意したラジオをつけてみるが、まともに入るのはNHK第一のみ。TBSやニッポン放送が入るはずの周波数は雑音だけだし、なぜか朝鮮半島からの電波がちゃんと聞こえたりする。

その唯一受信できるところのNHKも、原子力発電の必要性を長々とやっているので面白くない。そうこうしている間に森伊蔵もなくなってしまった。まだ7時前だけれどすっかり暗くなった。ずいぶん歩いたし朝も早かったから眠れるだろうと思って寝袋に入る。モンベルのスーパースパイラルダウンハガー#3、気温0度近くまで大丈夫なはずである。

ところが、眠れないのである。はじめは時間が早すぎて眠れないのだろうと思っていた。ならば横になって体を休めていれば休養になるだろうとゆったり構えていたのだが、9時になっても10時になっても眠れない。落ち葉が風でテントに当たる音や、遠くで何か動物が鳴く音が聞こえる。気が付くと、手足がいつまでたっても暖かくなってこないのだ。

これは想定外であった。今回蚊取り線香や防虫スプレーはきちんと持ってきたのだが、まさか寒いとは思わなかったのである。汗をかいたアンダーシャツとCW-Xは、着替えて乾いた服にしたけれど、上に着るフリースまでは思いつかなかった。三条の湯の時は確かに寒かったけれどあれは12月下旬。2ヵ月違うから寒くて寝れないとは予想外であった。やっぱり、山を甘く見てはいけない。

とうとう12時になり、日付が変わった。トイレに行くためテントを出ると、頭上には雲にかすんでまんまるな月が浮かんでいた。ちょっと喉が痛いような気がして風邪薬を飲んだところ、ようやく眠ることができた。目がさめたのは3時過ぎだから3時間くらいしか眠っていない。4時まで寝袋で横になり、4時過ぎにヘッドランプを付けてテーブルでお湯を沸かし始めた。

朝の献立はくるみパンとレトルトカレーをうすめたスープ、セブンのポテトサラダ、コーヒー。真夜中まで眠れなかった割にはそんなに眠くない。朝ごはんを食べて、後片付けをして、夜が明けるまではテントで荷物整理、それからテントの撤収をして、出発の支度が整った時にはすっかり明るくなっていた。出発は6時15分。後から到着のお二人はまだテントから出てきていなかった。

さて、帰りにも重要なミッションがあった。ガイドブックでは作場平まで車で来ることを当然の前提としているので、作場平から土・日のみバス便のある落合まで歩くとどのくらいかかるか、分からないのである。

前に笠取山に来た時、作場平から犬切峠まで約3km、犬切峠から高橋集落までやはり約3kmあったと記憶しているから、高橋集落から青梅街道まで約2kmとして合計8kmくらい。下り坂であることを勘案すれば、作場平から落合まで2時間くらいですむだろうと計算した。笠取小屋から作場平は前回1時間半で下りてきたから、合計3時間半という見込みである。

笠取小屋から作場平は、今回はノーマル坂コース経由1時間25分。ここまでは予定どおり。ところが、作場平から犬切峠までの道は、予想と違って下り坂ではないのである。車で走っている分には気付かなかったが、歩いてみるとわずかではあるが登りであった。これには参った。等高線にそって曲がりくねった道をともかく先に進む。そろそろ着くはずだと思ったあたりで、急に眺めのよい広場に出た。

東京都水道局の作った案内板が置かれていて、大栗休憩所という。前方には谷をはさんで、左端の笠取山から黒エンジュの頭、唐松尾山、将監峠、さらに飛龍山、前飛龍に至る奥多摩から奥秩父にかけての主稜線が一望に望める場所なのであった。あまりにも風景が広がっているので、広角レンズでなければ1枚の写真に収めることができないほど、実に雄大な景色で、時間がないにもかかわらずしばしの時間目を奪われたのであった。

幸い、大栗休憩所のすぐ先が犬切峠で、その後はずっと下り坂だったので、想定通り2時間で落合バス停に着くことができ、10時のバスには余裕で間に合った。

今回の初テント泊は、計画に余裕があったこともあり、とにかく13kgの荷物を背負って2日間で約18km、標高差800mを歩いたのは、われながら大したものである。それと、帰ってきてから普段だと太ももやふくらはぎが痛むのだが、それもない。寒さ対策とかもっときつい坂をどうこなすかは課題であるが、全体としてはまずまずよくできたと言っていい山行だったと思う。

この日の経過
新地平バス停 10:15
10:30 亀田林業ゲート 10:30
11:30 亀田林業倉庫 11:35
12:40 最初の渡渉地点 12:40
14:05 雁峠(昼食休憩) 14:25
14:55 笠取小屋[泊] 6:15
7:40 作場平 7:50
8:30 大栗展望台 8:35
9:25 高橋集落 9:25
9:45 落合バス停(GPS測定距離 初日 8.3km/2日目 10.6km 計 18.9km)

[Dec 3, 2014]

記念すべき初テント泊。下草が生えていて、考えていたより下は固くなかったです。


帰り道、犬切峠近くにある大栗展望台から見た笠取山、黒エンジュの頭、唐松尾山の稜線。


笠取小屋から白沢峠 [May 9-10, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

4月は、まるまる山に行けなかった。

前回の奥多摩小屋では、何しろ大バテしたのが気にいらない。歳をとったとはいえ、2年前と全く同じコースで、ブナ坂まで1時間遅れ、奥多摩小屋まで1時間半多くかかるというのは尋常ではない。前回だって決して速いペースではないのである。さらにショックだったのは、 帰って4、5日くらい後からひどい腰痛に悩まされたことである。

顔を洗うのに前かがみになれないし、片足で立てないくらい痛いので着替えにも差し支える。治るまで3週間近くもかかってしまい、そのため4月は山に行けなかったのである。当日バテるだけなら仕方ないとあきらめるけれども、登った後の生活に影響が出ることはどうしたことか。

自分なりに分析すると、13.5kgの荷物で標高差1200mを登ったのが問題という結論に達した。考えてみれば、前回の雲取山では小屋泊で食糧はなかったし、水も途中でなくなったくらい少ししか持たなかった。天祖山の急登では荷物の一部を登山口のフェンスに結びつけたし、会津駒ヶ岳でも駒の小屋で水を補給したくらいだから、いずれも10kg前後の荷物で登ったと思われる。

もう少し若ければ13.5kgごときは楽勝で登れるまでトレーニングするのだけれど、歳が歳なので無理はできない。となれば、荷物の軽量化に本気で取り組まなければならない。次の山行予定は再び笠取小屋。この春はちょっと挑戦したいルートがあったので行く予定にはしていたが、最初はテント泊で考えていたのである。

しかし、前回の事態を重く見て、計画変更して小屋泊とした。前日にパッキングしたところ、水抜きで6.5kg。今回の水は約2kg(2リットル)を予定しているので、合計8.5kg。3月の奥多摩より5kg軽く仕上げた。内訳は、水分で2kg減、アイゼンで1kg減、食糧で1kg減、その他備品類もろもろで1kg減の計5kg減である。これでバテたら、そもそも鍛え方が足りないという話になる。

5月連休の次の週、昨年行った時と同様、あずさ3号に船橋から乗る。塩山からバスで西沢渓谷へ向かい、新地平から亀田林業さんの林道を抜けて雁峠(がんとうげ)に登ろうという計画である。あえて冒険は避けて、安心できる経験済の道を選んだ。 荷物を軽くしてちゃんと歩けるかどうかが、今回のミッションなのである。

バスに乗っていたらぽつぽつと雨が降ってきた。さほどの降りではないが止まないので、新地平でバスを下りてレインウェアを上に着てザックカバーを付けた。前回は山梨市からで、今回は塩山からのバスにしたのだけれど、支度をしている間に山梨市営バスが通過していったので、出発時間は前回と同じ10時10分過ぎとなった。

亀田林業ゲートのあたりまでに雨は上がったので、レインウェアとザックカバーを外す。予報では30%の降水確率だったが、さすがに山の天気は不安定で空には一面の雲である。ただ、日差しがないのでかえって涼しくていいし、風がないのはありがたい。

谷が深くなるまでは、何ヵ所か山桜が咲いていた。今回楽しみにしている白沢峠の桜も、もしかしたら咲いているかもしれない。そう、今回の目当ては一部で名高い白沢峠、廃トラックの荷台から生えているという桜なのである。

休む場所は見当をつけていた。亀田林業の倉庫前で1回目、最初の渡渉点のあたりで2回目、谷のどん詰まりで3回目の休憩という計画である。倉庫には11時20分、渡渉点には12時15分に着いて、それぞれ10分休む。休みの間に軽く水分を補給し、柔軟体操をしてから、GPSの緯度経度と地図で現在地を確認する練習をした。石尊山道迷いの反省である。

谷のどん詰まりに達したのは13時15分。前に来た時にはかなり息が切れたように記憶しているのだけれど、今回はそれほどではなかった。やはり荷物が軽い影響だろうか。あるいは、2回目で目が道に慣れているせいだろうか。ここまでテンポよく来たので、予定どおりきちんと10分休んでから急登に向かう。

最初の急登はそれほどではなかったが、トラバースしているように見える登りが結構きつい。それでも、水の湧いているところを過ぎれば、すぐに雁峠(がんとうげ)である。雁峠到着は13時40分、前回よりも25分早く着くことができた。

さすがに山の春は遅い。ところどころに山桜が咲いていて、目を楽しませてくれた。


第一渡渉点付近。このあたりで標高約1500mほどで、雁峠まであと1時間と少し。


雁峠(がんとうげ)に出ると、それまで谷では全く風がなかったのに、急に風が強くなっていたのには驚いた。南の谷から上がってきたので、北風ということになる。風が強いだけでなく、冷たい。あわてて、一度しまっておいたレインウェアを出す。目の前の笠取山が大きい。振り返ると、これまで歩いてきた谷の上を雲が流れているのが見える。

先客がひとりいらっしゃって、私より少し年上に見える単独行の方であった。少し話をしたところ、瑞牆山から入って、前日は甲武信小屋、その日は私と同様に笠取小屋で、翌日は雲取小屋まで行くという。たいへんに長いルートである。その割に荷物はそれほど大きくはなかったから、やはり中高年には荷物の軽量化が必要ということかもしれない。

では後ほどということでその方を見送った後、遅いお昼ごはんにする。風が強いのでEPIガスはやめておき、ピーナッツバターのパンとお茶。こんな具合だと、クッカーもEPIガスも置いて来れてもっと軽量化できるかな、などと考える。寒くなってきたので、20分休んで2時ちょうどに出発。

峠からすぐの雁峠避難小屋は、去年来た時より斜めの角度が大きくなり、外張りの板に隙間ができて何ヵ所か風が吹き込んでいる場所が見えた。かつては有志が管理していろいろ手を入れたと聞くが、再び無人となったのが2000年前後らしいのでもう15年前。この分だと遠からず倒壊ということになるのかもしれない。壊れてからようやく撤去ということになるのだろうか。

荷物軽量化の効果を感じたのはここからである。前回は雁峠から分水嶺分岐まで、大した登りでもないのにたいへんきつかったことを覚えている。しかし今回は、ほとんど平地を歩くような感覚で、かなり楽に登ることができた。「登りで1/3、下りで1/3、残りの1/3の体力はいざという時のためにとっておく」というのは、こういうことだなあと思った。

笠取小屋到着は2時20分。前回は日が暮れる前にテントを設営して食事を用意するのにあわてたけれど、今回は小屋泊である。ご主人にご挨拶をすると食事は大丈夫だということなのでお願いした。

というのは、予約の際に電話で聞いたところ、いまは原則素泊まり対応なので、食事は団体の場合のみ予約を受け付けているとのこと。ただ、当日可能であれば用意するとのことだったので、その際はよろしくお願いしますと言っておいたのである。またもや宿泊客が一人だけで(三条の湯、福ちゃん荘、奥多摩小屋に続き)、私だけのために食事を用意してもらうのも心苦しい。

しかしこの日は幸いなことに、さきほど雁峠で会った方と二人である。その方は縦走中のため食事付きだったので、私も安心してお願いできる。

(帰ってから測ってみると、手つかずで残した食料が550gあった。さりげなく品書きを見るとカップ麺も置いてあったので、小屋が営業中なら食料をそれほど持って来なくてもよさそうだ。その気になればますます軽量化は可能ということである)

薪ストーブをずっと焚いていただいたので、部屋の中は肌着のTシャツ一枚でいられるくらい暖かい。夜中にトイレに起きた時、外は息が白くなるくらい冷え込んでいたので、大変にありがたいことであった。ここより広い部屋に石油ストーブ1台きりという某奥多摩の山小屋とは全然違うと思うことしきりであった。

食事までの間、ビールをいただきながら相部屋の方とお話ししていると、もう一人30代くらいの方がリュックを背負って現れた。お客さんかと思ったらそうではなくて、お茶を飲みながらご主人と話をしている内容を聞いたところ、どうも水道局関連の人のようだった。この春の人事異動の話や、連休中の人出(連日40張のテン泊があったそうだ)の話の後、つい先日あったという遭難騒ぎに話が及んだ。

その遭難者は唐松尾山から秩父側の尾根に入って道迷いしたらしい。この地域の典型的な道迷いのパターンだが、幸いに見つかって救助されたそうだ。そこで面白いのが、秩父側は埼玉県警秩父署の管轄、こちら側は山梨県警塩山署の管轄、林道ゲートの鍵を持っているのが東京都水道局だったりするので、いろいろ難しい問題があるらしいのである。

水道局(だと思う)の人が帰った後も、せっかくの機会なのでいろいろお話をうかがって楽しかった。翌日行く白沢峠の話や相部屋の方が行く雲取方面の話、消防署がもう一つ火災報知器を付けろというのだが、誤作動してどうしようもない(薪ストーブのせいだと思う)話など、他愛もない話も多かったけれど、そういう情報こそここに来なければ得られないのである。(ex.某小屋。しつこいか)

食事は夜がコロッケと魚のフライ、ボテトサラダと野菜のごま味噌、朝が納豆、卵と海苔・ふりかけ。これに炊き立てご飯と味噌汁が着く。(うちがカレーだと、どこもみんなカレーになっちゃうからねとのこと)たいへんにおいしくいただくことができた。本当に楽しい一晩を過ごすことができたのは、今回の山で最もよかったことの一つである。

笠取小屋。煙突から煙が出ているのは、薪ストーブをずっと焚いているため。入口近くの手押し車に乗っているのが、燃料の丸太。直径約30cm長さ50~60cmで、3時間持つということである。


笠取小屋内部。ストーブは特注で知り合いの鉄工所に作ってもらったとか。小屋中が暑くなるくらい暖まる。


前の晩は7時過ぎには布団に入ってしまったので、4時過ぎて明るくなるとすぐに活動開始である。下の水場で顔を洗って来たら、相部屋の方も起きて支度をはじめていた。ご主人は私が起きる前から、すでに朝ごはんの支度を始めている。

相部屋の方は雲取山までロングルートなので、朝ごはんは5時ということになっていたが、実際には4時40分過ぎ。私は早く出られればそれに越したことはないので、時間は合わせていただくようお願いしていた。まだ5時前だというのに、テント泊の人達も朝ごはんの支度をしている。子供連れだったが、ただ泊まるだけではなく将監峠あたりまで歩くのだろうか。

「白沢峠(しらさわとうげ)だと、2時間で着くよ」とご主人が教えてくれた。

「ゲートのところは横から入れるから。そのまま行っちゃうと、麓まで下っちゃうから気を付けて。まあ、間違えても歩けばバス停まで出られるけど。」

5時20分に出発。予定よりもずいぶんと早い。作場平方面との分岐であるヤブ沢峠までは前回通った道で、ここをまっすぐ進んで未知のルートに入る。水道局の巡視道で、笠取小屋の軽トラックも通る道である。曲がりくねった尾根の中腹を、登ったり下ったりしながら進む。路面が舗装されているかダートかの違いはあるが、作場平から犬切峠までの道とよく似ている。

この辺りの木々はちょうど新芽が出始めた頃で、新緑が非常に鮮やかである。立ち止まると自分の足音やクマ除け鈴の音も消えて、鳥のさえずる声しか聞こえない。前の日の強風で雲が飛ばされてしまったのか抜けるような青空で、おまけに風もない。山に来てよかったと思う一瞬である。季節と天候と、体調がすべてベストであって初めて味わえる瞬間である。

木々の間から見える稜線は、笠取山から唐松尾山にかけての山々である。いったん将監峠で低くなって、その向こうに大きく見えるのは飛龍山だろうか。相部屋だった単独行の方は、あの山々を越えてさらに向こうにある雲取山まで行くという。コースタイムで8時間近く、これから出発しても着くのは4時過ぎにはなるだろう。

歩き始めてちょうど1時間、ゲートのある鳥小屋分岐に到着する。白沢峠の行き先標示はゲートの向こうを示しているのでとても分かりやすい。左に下ると一ノ瀬高橋とあるから、そのまま進むと落合に出られる。もしかすると車で来た時に間違えて行き止まりになった場所につながっているのかもしれない。

ゲートの先は結構ワイルドな道である。それでも轍のように道がえぐれているのは、あるいはオートバイで入れるのかもしれない(白沢峠にバイクで来たというレポートをよく見る)。ゲートから15分ほどで、いきなり廃トラック1号の登場である。谷側の道端に止められたまま、もはや動くことはできない。「自家用」とペンキで書いてあるから、米軍に払い下げられてしばらく使われていたのだろう。昭和30年まで使われていたとしても、60年前である。

これまで南に進んでいたのが、ゲートを越えた後は西に進路を変える。GPSの軌跡を見ると、前の日に登ってきた雁峠への道のすぐ近くを歩いているようなのが面白い。樹間から間近に見える丸い山は、すぐ近くのピーク石保戸山であろう。地図ではこのあたり分岐があるようなのだが、見たところほとんど一本道で選択の余地がない。

白沢峠の少し前で、トレラン風の軽装で歩いてきた若い人とすれ違った。柳沢峠からだという。「ずいぶん遠くからですね」と尋ねると「いや、それほどでもありません」とのことであった。柳沢峠からだとここから10kmくらいだから、時間的にみるとやはり走ってきたのだろう。最近のトレランでは、人とすれ違う時は歩くことにしたらしい。いいことである。

白沢峠に近づくと、周囲が開けてきた。1/25000図で等高線の間隔が広くなっているあたりである。左手は向こうの方までなだらかな高原状で見晴らしがよい。そしてやや右手に方向を変えると、広く平らになった峠と、その中央に廃棄されて茶色く錆びたトラックが目に入った。時間をみると午前8時ちょうど。今回の目的地、白沢峠である。

「峠」という字の示す通り、向かって右(北)からも左(南)からも稜線が下ってきている。中央に防火帯が切られ、スキーのジャンプ台が両方向から迫ってきているような壮大な景観である。廃トラックの向こう側は白沢に下りて行く登山道で、「塩山・天科」と標識には書かれている。天科は行きのバスで通った、麓の集落である。

残念ながら、トラックの荷台から伸びている桜は咲いていなかった。少し葉が出ていたので、平地の感覚からすると花は終わった後なのだが、枝の上の方はまだ新芽の状態なので、あるいはこれから咲くのかもしれない。近づいてみると、荷台の桜とは別に、本体と荷台の連結部からもう一本何かの木が生えていた。

四方から写真をとり、このトラックが現役でいた当時に思いをはせる。せっかくなので、EPIガスでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを入れる。静寂の中、廃トラックと私だけが峠にいる。しばらくトラックの傍らでコーヒーを楽しんでいたら、少し蒸してきて虫が出てきた。時間は8時30分、ちょうど30分休んだので白沢に向かって下って行く。

鳥小屋分岐からゲートをくぐって白沢峠へ。迷うところはなく、新緑が鮮やかに目を楽しませてくれる。


そして白沢峠。前後に防火帯のある稜線に囲まれた峠の中央に、いきなりトラックの残骸が現れる。荷台から育った桜の木は、笠取小屋のご主人が剪定しているそうだ。


さて、白沢峠からは西へ、白沢を経て笛吹川に至る登山道を下りる。WEBの情報は白沢峠の廃トラックまでは結構多いのに、ここから国道140号までの情報がほとんどない。数少ない情報では、崩れそうな桟道があることと、林道から登山道への取りつきが分かりにくいということである。道の状況次第では、雁峠に行くよりも距離的には近いので使い勝手がいいはずだが。

峠から進むと、すぐに急勾配の下り坂となる。目印が見えないので踏み跡を行くしかないと思っていたら、ちゃんとピンクテープがある。あたりをよく見ると、枯れた枝ごと地面に落ちているピンクテープが多い。なるほど、都水道局の管轄外だから自然に還っている部分も多いのであった。

急勾配はかなり続くのだが、この春に下った梅の木尾根からキャンプ場のようなまっさかさまという感じではない。慎重に下れば、特に怖い思いはしないくらいのレベルである。そして、道の両脇、放っておくとうるさそうな笹の根元を、そう遠くない時期、去年暮れか今年に手を入れて刈っているようであった。人が通る道であれば問題はなさそうである。

とはいえ、スイッチバックの急降下が続く。下りだからいいが、荷物を持って登るのは厳しそうな急坂である。水の流れる音がだんだん強くなるので、もう少しだと自分を励ましながら進む。およそ40分で水の流れが見えた。GPSを確認すると、かかった時間の割にほとんど距離を稼げていない。

ここから沢沿いに進めばよさそうだと思ったところが、ピンクテープは沢に下りずに右岸に続いている。結構な高さのある道である。ちょっと進むと、斜めに傾いた梯子橋が登場した。WEBでよく出てくるところの怖い桟道である。左手は沢まで急勾配の斜面、右手は手がかりになるようなものがない。これで木が濡れていたら厳しかったが、幸いに乾いていたので慎重に渡り切る。

個人的にびっくりしたのは、むしろ次の落石直撃地点である。登山道の真ん中に、山側から落ちてきた巨大な落石が立ちふさがり、それによって折れたと思われる太い幹が2本、谷側の中空に伸びている。最初の1本はまたいで越えたが、2本目は足場にして越えて行かないと道のスペースがないのである。石が動かないか木が折れないかと心配で、結構びびってしまった。

この難所を過ぎると、あとは桟道が2つ。最初の斜めった橋ほど難易度は高くないものの、足場が安定せず手がかりがないのは同じである。そして、徐々に沢との高度差がなくなっていき、コンクリート製の古びた土管の脇に出て、ここから林道となる。この取り付き、以前は分かりにくかったらしいが、現在ではテープが巻かれ行先標示も付けられている。

下ってきた印象で言うと、荷物を持って登る道としては、雁峠の方がずいぶん歩きやすいようだ。道自体が狭くて急であり、ちょっと危険な箇所もある。ただ、この日は誰とも会わなかったものの道は荒れていないので、荷物の軽い日帰りなどでは使える道かもしれない。

あとは国道140号まで1時間弱の林道歩き。ここからは傾斜も緩く、車も通れるくらい道幅も広いのでスピードアップできる。沢にはいくつもの堰堤が作られており、そのたびに水の勢いが強くなっていく。だが、道のすぐ近くの流れが澄んでいたので顔を洗おうと手に取ってみると、ゴミやら虫やらが結構含まれていたのであきらめた。かなり下流の方だったので仕方がない。

国道に出たのは10時20分。白沢峠からは1時間50分の下りであった。4、5分で山梨市へ向かうバスが来たので、手を上げて止める。このあたりは自由乗降区間なので、こういう技が使えるのであった。

この日の経過
新地平バス停 10:10
11:20 亀田林業倉庫 11:30
12:15 第一渡渉点 12:25
13:15 急登地点前谷底 13:25
13:40 雁峠(昼食休憩) 14:00
14:30 笠取小屋(泊) 5:25
6:25 鳥小屋分岐 6:35
8:00 白沢峠(coffee break) 8:30
9:20 白沢 9:20
10:15 国道分岐(GPS測定距離  初日 8.0km,2日目 9.8km,合計 17.8km)

[Jun 7,2015]

噂の怖い桟道。雨上がりとかで滑ると、渡るのに勇気がいるだろう。手掛りなし。


個人的には、こちらの落石直撃地点の突破の方がこわかった。


沢沿いの林道から登山道に上がる地点。土管だけで分かりにくいと評判だったが、赤テープと行先標示が付いて分かりやすくなった。


甲武信ヶ岳 [Jun 2, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

冬が終わったと思ったらもう夏が来てしまったようで、5月だというのに30度を超える日が続いた。この分だと虫や蜂が出始めるのも早くなりそうである。厄介なことだ。

今年の春はピークにはほとんど行かずに、尾根道や峠にばかり登っていた。山歩きの楽しみは必ずしも頂上にある訳ではないと思うからである。もちろん歳で体力がないということも大きいのだけれど、人が多いところが大嫌いということもあり、あえてピークをめざすことはないと思っている。

とはいえ、奥多摩登り尾根で大バテした要因分析と今後の対応を検討する上で、やはりそれなりのピークは目指すべきものだろうと思った。そこで思いついたのが、甲武信ヶ岳である。この間の笠取小屋でご一緒した方か甲武信小屋から縦走して来たと聞き、ああ、この稜線を1日歩いていくと甲武信ヶ岳なんだなあと思った。そして笛吹の湯でも、「甲武信からですか?」と尋ねられたのである。

登山口は新地平より少し先にあるが、こちらからだと標高差があり、道も急らしい。初めて登るには北の尾根、長野県川上村の毛木平(もうきだいら)がお薦めとの情報である。奥秩父なのに長野県からとは大げさだが、そもそも「甲武信」の名は甲斐・武蔵・信濃国境からきている。いまの行政区分でいえば、埼玉・山梨・長野県境ということである。長野県から登ってもおかしくはない。

北尾根からのアプローチが登りやすいという山は珍しいような気がするが、ここから登ると「信濃川水源地」も通るようだ。という訳で、今回は車で行ってみることにした。午前2時に起床、3時過ぎに出発、京葉道路から首都高、中央高速を須玉ICで下りて国道沿いを奥へ。小海線沿線に来るのは本当に久しぶり、二十年以上ぶりになる。

バブル華やかなりし頃、泉郷のリゾートオフィスというのがこのあたりにあって、何度か来たことを思い出す。バブル崩壊とともに行き詰ったのだけれど、あの頃いろんなところにあった泉郷のリゾートホテルや貸別荘はどうなっているのだろうか。おそらくは、つわものどもが夢の跡ということであろうか。

清里を抜け、JR最高地点・野辺山駅を過ぎると、国道141号を右に折れて川上村に入る。ここから登山口までが結構遠い。最後はダートになって毛木平駐車場にようやく到着。須玉ICから約一時間、家を出てから4時間と少し、午前7時半前である。平日だけあって、駐車場には空きがあるが、私の後からも次々と車が入ってくる。さすがに人気の山である。

登山カードをポストに入れ、7時45分に出発。あまり寝ていないのと、ここまで4時間以上運転してきた体調が心配だが、歩き始めは登山道というより遊歩道なので、快調である。甲武信小屋の車が止まっている十文字峠との分岐を過ぎても、しばらくは遊歩道が続く。いったん沢沿いから山腹に高巻くあたりちょっと急だが、あとは基本的に遊歩道である。

実はここで油断したのが、今回の失敗だった。ガイドブックにも「水源標先の急登までは遊歩道」と書いてあったし、荷物は日帰り装備なので7kgと軽い。今考えると下調べが足りないだけだが、なぜか山頂まで4時間のコースタイムと思い込んでおり、途中のナメ滝には9時半、水源標には10時半と考えながら歩いていた。油断してペースを上げ過ぎたのである。

ナメ滝になかなか着かないなと思って前を歩くパーティを抜いたりしていたのだから、疲れるのも当り前である。ようやくナメ滝に着いたのは10時。途中で休憩したり写真を撮っていたりしたものの、駐車場から2時間15分もかかっている。ただ、家に帰ってガイドブックを確認すると登りは1時間45分と書いてあるから、びっくりするほどの遅れではない。

10分の休憩後、次のチェックポイントである信濃川水源標に向かう。ところがここからは、遊歩道とは書いてあったものの、遊歩道ではなかったのである。

甲武信ヶ岳毛木平登山口から。歩き始めは快適そのものの林間ルートです。


歩き始めて1時間、高巻きの岩道はあるものの、まだまだこんな感じが続きます。


ナメ滝を過ぎると、行先表示に「水源まで2.1km」とある。そういえば、歩き始めの頃に「水源まで4km」とあったような気がする。すると半分しか来ていないのだろうか。ナメ滝まで2時間以上かかったのだから、このペースでいくと水源までさらに2時間かかるということは、お昼を過ぎてしまう。

そして、ここからの道は決して遊歩道ではないのであった。まず、傾斜がだんだんきつくなる。足下も平らではなく、岩がごろごろしていてまっすぐ足が置けないので歩きにくい。沢も上流に近づき、枝沢を渡る道があり湿った地盤も多い。午前2時起床という寝不足が響いて、そろそろ疲れが出始めてきたのかもしれない。

かなり歩いたので、あと30分くらいだろうと思っていたら、「水源まで1.35km」と表示が出た。まだ1/3しか歩いていないのかと思うと、途端にがっくりきて思わずリュックを下ろして休憩である。そんなことを2度3度繰り返し、そろそろ着くだろうと思うにもかかわらず沢の水量はまだまだ多い。最後の方は10歩歩いて止まってという昔の大山のようなペースになってしまった。

まだ水源標までどのくらいあるか分からないが、もう12時である。みると沢の中洲が平らに開けていて、ちょうど休めるようになっている。考えるより先に、肩からリュックを下ろしていた。予定では山頂で取る予定の昼食を、こんな所でとることになってしまった。EPIガスでお湯を沸かしながら、もうこれは頂上まで行けないなと覚悟した。

後から分かったことだが、ナメ滝から水源標までの距離表示は5ヵ所にあって、下から「2.1km」、「1.95km」、「1.35km」、「0.95km」、「0.35km」と間隔がバラバラである。ところが「あと1.95km」から水源地までは時間的にほぼ等間隔で、下りの場合だとそれぞれ15分ずつだった。「2.1km」と「1.95km」の間は登り下りがあって10分ほど、つまり下りでも70分かかる道のりなのであった。

これが登りだと、私の足だと5割増しの100分かかって当り前であり、休憩を入れてナメ滝から水源標まで2時間かかったのは、調子が悪い訳でもなんでもなかった。なのに、なぜか水源標まで1時間半と思い込んでいたものだから、くじけてしまって余計に疲れたのである。ちゃんと下調べしておけば、距離が4kmで標高差が230mあるから、距離で1時間・標高差で40分の合計100分かかるという計算ができたはずである。

お湯が沸いたので、山屋で買って持ってきたカレーヌードル・リフィル用を煮る。考えてみれば、温かいものを食べるのは昨夜の晩ごはん以来である。この日インスタントコーヒーを忘れてしまったので、白湯を飲む。ようやくひと息ついた。小さなハエだかアブがやたらと寄って来るので、12時半に出発。この時にはスポーツドリンクが500mlしか残っていなかったから、おそらく荷物の重さは5kgぐらいに減っていたと思う。

お昼の時点では、水源標までは行ってそこから下山しようと思っていたのだが、3分も登って行くと広場があって、そこに「信濃川千曲川水源標」があった。

なんと、限界まで疲れて座り込んだと思っていたら、水源標直下の絶好の休憩スペースで休んでいたのである。音を立てて盛んに流れているところからたった3分のところに、地面に湧き出てきた最初の場所があるというのは意外だった。

だんだん細い流れになって、ついに最初の1滴がぽたぽたと垂れてきているという、笠取山直下の水干のような風景を想像していたのだが、そうではなくて、苔の生えた岩陰というか砂地のようなところに、地下からこんこんと清水が湧き出ているのであった。コップが備え付けてあるので飲んでみると、おそろしく冷たかった。

これでは水源標で昼食休憩をとったのと同じなので、ここから引き返すのはなんとも中途半端に思えた。あと頂上までコースタイムで1時間。私のことなのでそれでは足りないだろうが、まだ12時半を過ぎたばかりである。これは行くだけ行ってみる手だろうと、急坂に向かったのであった。

遊歩道中間点のナメ滝。ここまで来るのに2時間15分。1時間半で着くと思い込んでいたから、相当に大変だった。


信濃川源流に向かう橋。2つ見えるが、こちら側は使用禁止の旧橋。ここからいよいよ息が切れた。


いよいよ急登とされる稜線への登山道に取り付く。ガイドブックやWEB情報では、ここまでは遊歩道、ここから登山道みたいに書かれているのだが、私の印象としてはここから普通の登山道で、足が平らに置けるので、かえって水源標までの道よりは楽だった。

確かに急坂で息が切れるのは仕方がないけれども、いつも登っている山道である。水源標の広場からワンクール登って後ろを振り返ると、登り口はもう見えなかった。水源標までは、10歩歩くと休むみたいな感じだったから、相当な改善である。

しばらくの間、まったく展望の開けない林間をひたすら登る。この急登が30分、稜線に出て頂上までさらに30分、合計1時間というのがコースタイムである。12時半に休憩地の中洲を出発したから、とりあえず1時までがんばってみようと思って登っていたら、見上げると樹間の向こう側が空で、あちら側の風景が開けている。稜線に出る峠道で特徴的な景色である。

ここから見えないだけで、どうせあそこからまた登るんだろうと思っていたら、なんとそこが稜線に乗った所で、ちょうど30分。ここへきてコースタイム通りというのは自分でもびっくりした。左に折れると甲武信ヶ岳、右が国師ヶ岳に至る縦走路である。

なぜ水源標まであんなに苦労したのに、ここの登りがそれほどでもなかったのだろう。その時思ったのは、足下が安定して歩きやすいからだということだが、いま考えると、昼食休憩をとって体力が回復したことと、精神的な要素がかなり大きかったような気がする。楽勝といわれていてきついのと、きついといわれていてそれほどでもないのと、気分がかなり違う。

ともかく、2時までには下りにかかれそうだと思ったら勇気百倍である。ちょっとした登り下りを過ぎて稜線の北側に出ると、進行方向の樹間から目指す甲武信ヶ岳が見えた。その右のピークは木賊(とくさ)山だろうか。甲武信ヶ岳と木賊山の鞍部がちょうど目線の高さである。あの鞍部にあるのが甲武信小屋だから、それと同じとするとあと20分の登り。なんとかなりそうだ。

さらに稜線を緩やかに登って行くと、登山道の右に出る道がある。藪をかき分けて進むと、10歩も行かないうちに見晴台のようになった岩場に出た。正面の雲の中から、富士山が見える。暖かくなったせいか、雪は頂上あたりに少し残っているだけで、ほとんど夏山の風情である。その前にいくつかの尾根があり、左側に甲武信ヶ岳。頂上に立っている柱のような細いものが見える。

見晴台から見ると、頂上までは岩場のように見えたが、登山道は左(北)にそれて再び林間の登りとなる。さすがにここからの急登はきつい。何mか先の赤テープを目指して、大岩の組み合わさった急坂を登って行く。ここで10歩進むと息が切れて一休みというのは、いつものペースだから仕方がない。

再び稜線に出てあと2、30m。ここから岩の道になって、頂上は目の前にあるのになかなか登れない。先土器時代の石斧のような、とがった岩の道である。なぜこのような小さな岩がたくさんあるのだろう。頂上付近の岩が長年の風雨で削れてこうなったとは思えないから、もともと川の上~中流あたりにあった土地が隆起したものだろうか。

息を整えながらそんな道を上がって来て、ついに甲武信ヶ岳頂上に到着した。1時40分、水源標から1時間と少し、ほぼコースタイムで登ることができた。

信濃川源流標からいよいよ急登が始まる。でも、こちらの方が普通の山道で、印象としてはかえって楽だった。


稜線に出ると、いよいよ甲武信ヶ岳の頂上が見えてくる。ここからの登りは岩が多いように見える。


頂上直下の最後の登り。さすがにここはきつい。


頂上には1パーティ分のベンチが置かれているくらいでちょっと狭い。ベンチの脇にケルンのように石が詰まれ、その上に「日本百名山甲武信岳」の柱が建てられている。昔の写真をみると柱は2本見えるのだが、整備して1本だけ残したようだ。それでもあまり広くはなく、1パーティがお昼をとっていたので、他の何人かは登山道わきのせまい場所で休んでいた。

頂上からは、いま登ってきた西からの道の他に、そのまま東に下って甲武信小屋に向かう下りと、北側十文字峠に下る道が続いている。展望が開けているのは南側、「甲武信」の甲州側で、こちらに直接下る道はない。さきほどの見晴台からの眺めと同様、雲の中から富士山がのぞいている。背後が信州側、左手が武州側ということになる。

山頂に出ると、急に冷たい風が吹いてきたのでちょっと驚いた。この間の雁峠もそうだったが、山というのは本当に風向きが変わる場所なのだなあと実感する。この日はずっと晴れていたのだが、翌朝は雨になった。ちょうど気候の変わり目の時に登ったことになるようだ。

当初の計画だと、頂上に登った後は甲武信小屋まで下りて、また登り返す予定にしていたのだけれど、それだけの体力的な余裕はない。それに登りに時間がかかり過ぎたので、予定どおり甲武信小屋まで行くと日が暮れてしまう。丸太造りの小屋を見られないのは残念だが、まあ、一度はあきらめかけた頂上まで登れたので、今回はここから引き返すことにした。

それにしても、水源標をめざして登っていた11時から12時くらいには、とても頂上までは登れないだろうと思っていた。それが、お昼を食べた頃から急回復して、路面状況にも助けられて目的地に達することができた。登ってよかったと思う瞬間である。ピークを目指さない歩き方もそれはそれで楽しいのだが、達成感という点ではピークを目指した方がクリアである。

そしてケガの功名と言うのか、予定どおり山頂でお昼をとろうとしていたら、ちょっと狭くて窮屈な思いをしたかもしれない。お昼休憩の場所としては、水源地近くの中洲の方がずっとゆっくりできたようだ。

さて、10分ほど山頂で過ごして、早々に下りにかかる。1時50分に下り始めて、ちょっと遅いけど5時半くらいには駐車場に戻りたいものだと思っていたら、まさに予定どおり、見積もっていた時間通りに歩くことができた。さすがに下りは得意である。

まず水源地まで、登り1時間のところを下りは45分。ずいぶん前に水分がなくなっていたので、ペットボトルに信濃川水源の水を補給して出発。砂場のようなところに湧き出している水なのでどんなもんだろうと思っていたが、まるで氷水のように冷たい。これは、いままさに地下から湧き出した水だと思った。

水源標からナメ滝まで、2時間かけて登ったところを70分。登りでは何度も休んで息を整えなければならなかったが、下りはノンストップである。そしてナメ滝から駐車場まで、2時間以上かけて登ったところを1時間半。駐車場に着いたのは5時半過ぎで、登りの苦労が嘘のような快調な下りだった。

そして下っている時に思ったのは、このコースは結構な距離があって、標高差で時間がかかる以上に距離で時間がかかるので、遊歩道だと思って油断するとかなりつらくなるということであった。ガイドブックやWEB情報をうのみにせず、距離や標高のデータをしっかり予習しておかないといけないというのが、今回身に染みた教訓でありました。

この日の経過
毛木平駐車場 7:45
10:00 ナメ滝 10:10
12:05 水源前中洲(昼食休憩) 12:30
13:05 稜線分岐 13:10
13:40 甲武信ヶ岳 13:50
14:35 信濃川水源標 14:45
15:55 ナメ滝 16:00
17:35 毛木平駐車場 (GPS測定距離  14.8km)

[Jul 2,2015]

甲武信ヶ岳の山頂は狭くて、1パーティが陣取ると他の人はいる所がないくらい。


信濃川源流標下の水場。銀コップのあたりの砂の下から、こんこんと清水が湧いている。おそろしいほど冷たくておいしい。


下りでは、ようやく落ち着いて景色を眺める余裕が出てきた。新緑が何とも言えず鮮やか。


伊豆ヶ岳 [Oct 2, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

霧降高原を雨で撤退した後、山に行くには不適当な日が続いた。9月初めは引き続き気温が高く、中旬の北海道旅行から帰ってくると毎日雨で週末には台風が来た。

京浜工業地帯でタンカーが岸壁に激突した台風が北海道沖に去った後、ようやく晴れ間が覗いた。とはいえ、のんびりしていると次の台風がまた沖縄あたりをうろうろしているので、即断即決で火曜日に山歩きに行くことにした。

台風が来た日曜日は強風でほとんど寝られなかったので、月曜日に出発する体力はなかった。火曜日に日帰りするとなると、朝早く出て夕方になる前に帰ってこなければ通勤ラッシュに巻き込まれる。晴れ間は長く続きそうにない、ということで、車を使うことにした。

行き先は秩父・伊豆ヶ岳(正確には奥武蔵である)。丹沢や奥多摩より道路が空いていそうだし、これまで行ったことがなかった。奥多摩に長く行っていると、東京都水道局の管轄から外れると途端に登山道が未整備になるのを感じる。だから埼玉に行くのはあまり気が進まなかったのである。

とはいえ、伊豆ヶ岳は日帰りの山歩きではたいへん有名な山である。標高861mと手頃な高さであり、翌週に迫っているお遍路歩きの予行演習にもちょうどいい。という訳で、当日は3時半に起きて、4時半には家を出発した。

常磐道、外環道、東北道、圏央道と乗り継いで、狭山日高ICから国道299号線に入る。秩父方面へはこの道しかないというルートで、高麗川に沿って、西武電車と並行して進む。7時05分、家から2時間半で正丸駅到着。

駅前には十数台止められる駐車場があり、1日500円である。平日朝7時ということで2番目に止めることができたが、帰りに見ると3分の2は埋まっていたので、シーズン中の休日は厳しいかもしれない。ともあれ、支度を整えて7時20分スタート。

売店の横の階段を下り、線路下のトンネルを抜けて、しばらく道なりに舗装道路を歩く。道はずっと登り坂で、息がはずむ。気のせいか朝一の電車で来るより楽なように感じるのは、移動時間が少なく済んだからであろうか。途中、閉まっている売店と自販機が1台だけあったが、その他は点々と民家が続き、30分歩くと分岐点に達する。

この分岐は、伊豆ヶ岳直行ルートと正丸峠ルートの分岐で、往路は正丸峠ルート、復路は伊豆ヶ岳から直に下りてくる計画である。分岐を過ぎると最後の民家となり、ここからは沢沿いの登山道となる。

2日前の台風の影響で、さすがに水量が多かった。沢には大量の水が流れてきているし、登山道にも水があふれている。脇の小さな沢から流れ込んだ水が登山道に流れるので、道だか沢だか分からない。

一度は、水に沿って登って行ったら登れなくなって、「関東ふれあいの道」がこれではおかしいと思って引き返したら、登山道は別にあった。いましがた登っていたのは、本当の沢なのであった。

登山道に入って20分ほど進むと、旧正丸峠との分岐で、ここから正丸峠まで10分と書いてある。こういう案内板でよくあることながら、10分ではとても着かない。ここまで歩いた時間からいってあと20分はかかるだろうと思っていたら、そのとおりだった。

ようやく木々の間から林道のガードレールが見えてくると峠は近いが、沢筋から登る斜面がたいへん急なので休み休みでないと登れない。沢から20mほどの奥村茶屋への階段を何とか登って、8時45分正丸峠着。

ここまでの谷筋の登山道はほとんど日が差さず暗かったが、峠は日差しがまぶしくて暑いくらいだった。東向きに景色が開けていて、昭和天皇行幸の御展望記念碑が立てられている。

奥村茶屋のシャッターは閉まっていたが、霞んで見づらい東京方向を眺めていると車でご夫婦が登ってきて、シャッターを開け始めた。ちょうど9時であった。伊豆ヶ岳方向は茶屋の奥の分岐を案内にしたがって進む。

登山口となる西武線正丸駅。1日500円の駐車場がある。平日だが、帰りには3分の2が埋まっていた。


2日前の台風で、登山道は川と化していた。こんなものかと思って登ったら、そこは本当の沢だった。


正丸峠には昭和天皇記念碑がある。ちょうど9時だったので、茶屋のご夫婦が車で上がってきたところだった。


正丸駅は標高302m、正丸峠は630mだから、伊豆ヶ岳861mの半分以上は登ってきた計算になる。最後の登りはさすがにきつかったが、ひと休みしたので回復した。ここからは大好きな稜線歩きである。

秩父と奥多摩は同じ山並みの北側と南側なので直線距離はそれほど離れてはいないが、こうして歩いてみると印象がかなり違う。この日はたいへん天気がよく日差しがきつかったのだが、稜線を歩いているとそう感じないのは、やはり山の北にあるというのが大きいのかもしれない。

登山道の状況は心配したほどではなく、沢筋が台風で水が多かったのに比べ、稜線はぬかるみもなく歩きやすかった。その理由の一つが、登山道に杉の落ち葉が積もっていたことである。人がやったにしては広範囲過ぎるから、おそらく台風の影響で葉が散ってしまったのだろう。

正丸峠で2、3グループ見かけた後は山中で人と出会うことも声を聞くこともなく、この時点ではたいへん静かな稜線歩きだった。3つ4つとコブを越えていくけれども、それほど辛い登りはなく、やがて木々の間から景色の開けた小高山720mに到着。

ここにはベンチが3つ置かれていて、少し湿ってはいたが座る分にはほとんど問題はなかった。せっかくのいい景色だし人もいないので、持ってきたどら焼を食べる。朝食が4時台なので、甘いものがたいへんうれしく感じる。

目の前に連なる山並みは、武川岳から二子山に続く山々だろうか。その向こうにあるはずの武甲山はここからは見えないようだ。ずいぶんと山奥に来たような印象だが、秩父でもここは入口、まだまだ奥がある。

20分ほどゆっくりして出発。頂上から下ると、途端に人の声がし始めたのはちょっと驚いた。正丸峠に寄らず伊豆ヶ岳に直行するルートと合流するのが、小高山を下ったこのあたりだったからである。

先を歩いていたのは、小学生の団体であった。10人ちょっとだから、1クラスにしては少ない。あるいは、このあたりの学校はこんな規模なのかもしれない。その人数でも一度に休むとなると場所が限られる。下って登った五輪山にはベンチが3つあったが、すべて占領されていたので、立ったまま小休止して先に進む。

五輪山から下りたところからガレ場の広い道が続いているけれども、トラロープが張られ「落石危険」と書かれている。ここからが男坂で、かつての主ルートであった。

観光協会のクレジットで、鎖場は落石が頻発するので、女坂を通ってくださいと書いてある。トラロープもあるので、中に入りづらい。かつての主ルートだといっても、いま現在危険であれば避けるのがベターである。「立入禁止」とまで書かれていないのは、オールド登山者の抵抗を勘案してのものだろうか。

案内板の指示どおり女坂に向かうが、こちらも数年前の台風で斜面が崩落して新・女坂にルートが変更となっている。スイッチバックのきつい坂だが、すぐ上に男坂から伸びている稜線が見えるので終点は近い。さらにひと登りで頂上に続く稜線となる。

頂上近くは巨大な岩が続き、なるほどこれらの岩によって伊豆ヶ岳が有名になったのだろうと思わせる。800mにも満たない低山にもかかわらず伊豆ヶ岳がたいへん有名なのは、おそらく男坂の岩場にあったのだろうと思われるが、残念ながら今日では推奨されないルートである。

頂上はそれほど広くなく、三角点を中心にいくつか座れる岩がある他はベンチや展望施設はない。すでに先客が何人かいたことに加え、五輪山でパスした小学生団体がおっつけ登ってくるはずなので、5分ほど休んですぐに下ることにした。

正丸峠からひと登りすると小高山。ここがこの日一番の展望だったかな。誰もいなくて静かだったし。


小高山を過ぎると、途端ににぎやかになる。この階段を登ると五輪山で、小学生の団体に占領されていてそのまま先に進む。


男坂の入口にはトラロープが張られている。立入禁止とは書いてないけれども、こうされると入りづらい。


頂上から女坂を下る途中で、さきほどの団体と、もう一組小学生の団体とすれ違った。ガイドブックに埼玉県西部の小中学生のほとんどが来ている山と書いてあったが、なるほどと頷かせる盛況であった。

さきほど小学生に占領されていた五輪山は、みんな伊豆ヶ岳に向かったので誰もいない。この日はインスタントラーメンを作るつもりでEPIガスを持ってきていたので、さっそくお湯を沸かす。

とはいえ、朝晩は肌寒かったにもかかわらず11時が近くなると結構暑い。あたたかいみそラーメンもおいしかったけれど、冷えたフルーツパックがさらにおいしかったのは、やむを得ないことであった。

「冷えた」というのは、プラティパスに入れて凍らせておいた水がまだ半分以上氷のままだったからで、飲み水にはならなかったがヴィダーインゼリーやフルーツを冷やすのに役立った。寒い時にはあたたかいものが欲しいのに、暑くなると冷たいものがありがたいから現金なものである。

30分ほど休むと、伊豆ヶ岳の方からまたにぎやかな声が聞こえてきたので出発する。帰りは小高山の手前から正丸駅に直接下りるルートをとる。

この分岐を長岩峠というのだが、ここから先はこれまでにも増してたくさんの人とすれ違った。私同様のシニアがおり、中学生らしき団体がいる。話すのを聞いていると伊豆ヶ岳には行かず長岩峠から「げんきプラザ」というところに下りるらしい。ハイペースで登って来たのか、みんな息が上がっていた。

私は下りだったので息は上がらなかったが、スイッチバックの下りがずっと続いて休むところもなく、登るには正丸峠経由よりつらそうな道であった。30分ほど下ると数十mあろうかという巨岩「かめ岩」があり、今度は幼稚園生数十人の団体とすれ違った。台風の2日後で心配したが、どうやら行楽日和だったようである。

合流点までスイッチバックを繰り返してかなりバテたけれど、そこから正丸駅までの道も結構長かった。往路はさほど長いと感じなかったのだけれど、さすがにしばらくぶりの山歩き、それも前回は霧降高原で階段を登り下りしただけだったので、体力が衰えていたようである。

計画段階では、伊豆ヶ岳を経て子ノ権現まで約15kmを歩こうと思っていたのだが、これだと駐車場に戻るのが不便であるので、約8kmのコースに短縮したのである。15kmにしなくてよかったとしみじみ思った。

正丸駅に戻ったのは12時45分、五輪山からの下りは1時間半ほどかかった。階段の下り口にある水場で、顔を洗わせていただく。たいへん汗をかいたので、冷たくてありがたかった。

せっかく車で来たので、帰路は5kmほど下流にある休暇村奥武蔵の日帰り入浴で汗を流す。お風呂場は今年新装になった「もりとそらの湯」で、表示がなかったので温泉ではないようであったが、広くてきれいなお風呂であった。

この日の経過
正丸駅 7:25
8:45 正丸峠 9:00
9:25 小高山 9:45
10:20 伊豆ヶ岳 10:25
10:45 五輪山(昼食休憩) 11:20
11:50 かめ岩 11:50
12:45 正丸駅 [GPS測定距離 8.6km]

[Nov 12, 2018]

女坂経由で伊豆ヶ岳頂上へ。山頂はあまり広くなく、大勢いると長居できない。


帰りは長岩峠から正丸駅に直行するルートをとる。途中、かめ岩という巨岩があり、幼稚園生の団体と遭遇。


車だったので、帰りは休暇村奥武蔵の日帰り入浴を利用。今年(2018年)新装の新しい浴室でした。温泉ではないようですが。


関八州見晴台 [Oct 26, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

10月10日から17日の第9次四国お遍路歩きでは、横峰寺、三角寺、雲辺寺、弥谷寺、捨身ヶ嶽と標高差のある道をいくつか歩いた。その割に、ふくらはぎや太ももが痛くなることもなく過ごしたので、帰って1週間経ったら山に行きたくなった。

あまり本格的な高さはきついような気がしたので、前回の伊豆ヶ岳に引き続き秩父である。今回は西武線を使った。10月26日金曜日、いつものように朝一番で都心に向かい、6時半池袋発の特急で飯能へ。

埼玉県西部にはあまり行ったことがないので、駅名を聞いても土地勘がない。所沢は立川あたり、入間市は福生あたり、飯能は青梅あたりと中央線に換算するけれども、現地の人にとっては全然違うのだろう。

飯能から先はいよいよ青梅線各駅停車の世界で、西武秩父が奥多摩駅の見当となる。前回・今回と訪れた正丸・吾野近辺は御嶽ということになり、実際に朝一番で出て午前8時前に着くのも同じである。

ちょっと違うのは、青梅・奥多摩間の多くの駅が無人駅であるのに対し、西武線の西吾野駅にはちゃんと駅員さんがいる。正丸もそうだったが駅のトイレもきれいで、登山客を想定して東屋もあるし、登山ポストも置いてある。

なかなか都会ではないかと思って高台にある駅から下って行くと、がさがさという大きな音がした。何かと思ったら、道路脇の柿の木から何かが飛び去って行った。なんと猿である。奥多摩で猿を見るのは奥多摩湖の先なので、秩父はなかなか山深いようであった。

そういえば、駅のトイレに「熊の出没情報が寄せられています。クマ鈴をつけましょう。1個XXX円」と貼り紙があったことを思い出した。クマ鈴は持って来てあるので、さっそく手元に準備する。

駅からしばらく民家はなかったが、線路をくぐって北側に出たあたりから住宅地となり、いったん付けたクマ鈴を外す。「高山不動」の立て札に従って歩いていくとすぐ登山道になってしまったので、これはメインルートではないと引き返す。今回参考としたのは、西武鉄道のHPに載っている「ハイキングコース24選」のうち「高山不動を訪ねる道」である。

5分ほど歩いて、標識が右折を示している。西武鉄道推薦ハイキングコース、不動三滝から高山不動に達する道である。すぐに登り坂が始まるが、しばらく民家も建っている。脇を流れるのは高麗川の支流・北川で、激しく水が流れて行く。数日前に歩いた横峰寺の平野林道とよく似ている。

民家が見えなくなりさらに坂道を登って行くと、いきなり人工の構造物が前方に現れた。こんなところに道路などある訳はないので1/25000図を見ると、「武甲鉱業ベルトコンベヤ」と書いてある。何を運んでいるのだろうと思って帰ってから調べてみると、セメントの原料となる石灰石を、武甲山から日高の太平洋セメントの工場まで、20数km運んでいるということだ。

道路を作るのと同じだからたいへんな費用がかかったはずだが、それでも採算が取れているということはそれだけ多くの石灰石を運んでいるということだ。武甲山を半分掘ってしまった訳だから、それくらい多いということであろうか。

駅から1時間歩く頃、ようやく林道から登山道への分岐に到着した。登山道に入ると最初の滝への分岐が現われるが、ひとまず先を目指す。ひとしきりスイッチバックを登ると、峠状の地形が現われた。草むらに腰を下ろして水分補給。一休みした後、その先に進んでみると、なんと民家が現われた。

ポツンと一軒家かと思ったが、よく見るとその向こうにも屋根が見えて、再び車も通れる林道と合流してしまった。最初に現れた民家は谷の方向に景色が開けていて、庭にいくつかベンチが置いてありその向こうにはお墓もあったが、登山道はそれらとは逆の林道方向に続いている。

ということは、そもそも登山道に入らなくても、林道をずっと歩いていればここまで来れたものと思われた。

出発地の西武線西吾野駅。駅員さんもいて、トイレもきれい。駅前には東屋もあるのですが、すぐそばに猿が柿を食べに来てました。


林道を登って行くと、突如出現する構造物。高速道路が通っている訳ではなく、武甲鉱業ベルトコンベヤと1/25000図に書いてある。


登山道に入ってしばらくすると、突如民家が出てくるので驚く。ぼつんと一軒家かと思ったら、再び林道に出たのでした。


ポツンとでない一軒家の先で再び林道に合流して、コンクリートで簡易舗装された道を登って行く。そのまま進むと関八州見晴台まで行けるようだが、「→高山不動」と書かれた案内にしたがって登山道に入る。

このあたりで2つ目の滝への案内があったが、ここも通り過ぎる。今回は滝を見るよりも、関八州見晴台まで余力を残して到達することが主眼である。体力を温存しければならない。

やがて3つ目の滝への案内が現われた。ここを逃すとせっかくの滝をすべて見逃してしまうのと、「0.1km」の表示があったのと、高山不動方面からざわざわした声が聞こえてきたこともあって、3つ目の滝、白滝を目指す。0.1kmにしては長すぎるような気がしたが、実際GPSを見ると200mはあったようだ。

白滝は落差10mほどの小さな滝だが、途中3つ4つの釜があり、何段にも分かれて落ちている。飯能市の立てた「白滝」の標識があるが、訪れるのは私だけである。斜めったトラバース道であまり安心な道ではなく、一般ハイキング客向けではない。

もとの道に戻って、あと1kmの高山不動に向かう。滝への分岐は谷のいちばん低いところで、ここから尾根まで上がるので、例によってスイッチバックのきつい登りである。さいきん覚えた、「なるべく足元を見る」作戦をとる。上を見ると先の長さにうんざりしてしまうから、足元を見てとりあえず今すぐのことだけ考えるのである。

途中、倒木が行く手をふさいでいるが、何とか通り過ぎる。木が倒れるような大風は10月初めに続けざまに来た台風だろうから、それ以来倒れっぱなしということになる。今回のルートでは何ヵ所かで見た。東京都の管理と比べるとちょっと差があるようだ。

尾根に登ってからの距離の方が長く、高山不動までなかなか着かない。しかも、せっかく登ってきたにもかかわらず、下り坂なのはくやしい。でも、道がそうなっているのだから仕方がない。やがて人工物が見えてきて、高山不動尊の石段下に出た。10時25分到着。残り1kmに30分以上かかった計算になるが、山道は距離ではない。

石段下のベンチで、リュックを背負った登山客が一休みしている。私同様シルバー世代である。平日のこの時間に、現役世代が来られる訳もない。それにしても、上の方からにぎやかな声が聞こえる。白滝分岐でもざわざわしていたし、何なんだろう。しばらく休んでから、急な段差の石段に挑む。

この石段は傾斜が急な上に、幅が小さくて足全体乗せることができず、しかも踊り場がない。中央に鎖が繋いであるので、これを頼りに休み休み登る。不動尊の本堂前には、結構な人がいる。

仏具を出して手入れしている一段がいて、にぎやかな中年女性のグループがいる。そしてなぜか、高校生くらいのグループもいる。いずれのグループもいま私が登った石段を登った気配はなく、みなさん元気一杯である。

説明書きがある。この不動尊は間口五間、内陣三間X二間を格子戸で区切る密教建築のスタンダードに則っていて、江戸時代中期の建築という。そういえば、四国お遍路歩きでも、この大きさの本堂をいくつか見たことがある。なるほどこれが当時の基準となる大きさだったのだな、と納得する。

後から気がついたのだが、この本堂へは石段を登るのではなく、裏の車道から下ってくるのがデフォルトのようで、それだったら疲れないはずである。本堂横にトイレと東屋があり、自販機さえ置いてある。

高校生のグループは、石段からではなくトイレ逆側の本堂横から現われて、トイレに向かっている。お参りする以外に、何か用事があるのだろうかと思ったが、この後高校生の大集団に出会うことになってしまうとは、この時点でまだ分かっていなかったのでした。

高山不動尊本堂から関八州見晴台までは、境内の案内表示には高校生の来たトイレ・東屋の反対側を示していたが、西武鉄道監修のハイキングコース図には「トイレと東屋の間を抜けて行く」と明記されている。案内板はないものの、そういう道が上に続いていたので、西武鉄道の指示にしたがい登って行く。

5分も登らずに再び車道と合流し、なぜかたくさんの車が止まっている。長テーブルとパイプ椅子が置かれておばさんが何人か座っていて、「XX高校PTA」と書いてある。不動尊前に屯ろしていた中年及び高校生の集団はこれだったらしい。素通りして、関八州見晴台に向かう。

3つある滝の中で、一番不動尊寄りの白滝。登山道から5分ほど狭い道を登る。


高山不動尊への残り1kmは結構ハード。今月の台風のためなのか、倒木が登山道をふさいでいる場所もあった。


高山不動尊。間口五間という立派な建物で、ここに至る石段は狭くてハード。よくみんな来られるなと思っていたら、裏に車道が通っていたのでした。


関八州見晴台まで車道を通っても行けるようだが、東海自然歩道の標識が現われ登山道に誘導される。この道は個人的に「高速登山道」と呼んでいるように、環境省管理のもと整備が行き届いているので有名である。(「四国の道」はそうでもないのだが)

高山不動尊から標高差150mほど、途中で丸山という小ピークを越えて、なだらかな坂道を登って行くと30分ほどでそれほど苦労せず展望台に到着する。白滝から高山不動までの道よりも歩きやすいのは、「高速登山道」の面目躍如である。

見晴台には東屋が置かれ、高山不動尊奥ノ院がある。かつてはこの奥ノ院が修行の場だったのかもしれない。関八州見晴台と呼ばれるだけのことはあって、周囲4方向開けている。以前より樹木が茂っているとのことで、掲示されている昔の案内図と同じ景色は見られないが、それでも関東一円の山々が視界に入ってくる。

この日は薄曇りで遠くが霞んでしまい、新宿の高層ビル群や東京湾、富士山は見ることができなかったが、ぼんやりと檜洞丸あたりまでは望むことができ、まるで水墨画のように重なる山並みを楽しむことができた。

東屋の他にベンチがいくつかあり、そのうちの一つに座ってお昼休みをとる。半月前のお遍路歩きの時から、固形物を食べるよりエネルギーゼリーとかフルーツ詰め合わせパックを食べる方が調子がいいように思うので、今回はEPIガスは持ってきていない。ただ、思い思いに昼食をとる周囲のシルバー達を見ると、EPIガスが多数派のようであった。

しばらく休んで下山に移る。登りと同じ道を下っているつもりだったのだが、見覚えのない場所に出た。しかも、大勢の高校生が歩いている。何が起こったかと思った。

とりあえず、下り方向に歩くけれども、高校生の集団と同じ流れである。西武鉄道のパンフレットを見るけれどもよく分からない。電子国土データのプリントアウトも見たが、このあたり道が込み入っていてよく分からない。落ち着いて現在位置を確認したいのだが、高校生が大騒ぎしているので頭が働かない。

ところどころに「午前10時から午後4時まで、県立XX高校の強歩大会を行います。よろしくお願いします」と書いてある。前回は幼稚園・小学生の団体、今回は高校生の団体である。たまたま来ているのに、来るたびに大集団に合ってしまうのは、普段の心がけが悪いのだろうか。

高校生は簡易舗装のコンクリの道を下って行く。この先ずっと一緒なのはたまらないので、「→八徳」の標識にしたがって登山道に入る。八徳はこれから通るはずの集落なのでここを通れば帰れるはずだが、ハイキングコースがこの道である保証はない。でも、騒がしいよりましである。

登山道に入ると途端に静かになった。とはいえ、案内標識がないので、あとどれくらい歩けば麓に着けるのか分からない。道はスイッチバックでどんどん標高を下げて行くが、行く手に見えるのは森ばかりで人里がある気配はみえない。あるいは遠回りしているのかもしれないが、下っているのだから目的地には近づいているはずである。

ずいぶん歩いたような気がしたが、傾斜がなだらかになり道幅も広くなり、地元の水道施設のような構造物が見えてくると間もなく八徳集落になった。関八州見晴台からほぼ1時間かかったが、結局この道が西武鉄道推奨のハイキングコースだったようである。

八徳は谷間の小さな集落だが、建っている家は農家でなく普通の民家である。ずいぶん山の中にあるけれども、普通のおじさんが家の周りを見回っていた。そういえば、奥多摩の山中、いまは廃村となった峰集落に住んでいたのも、もともと秩父から移住してきた一族という。先祖代々山の中に住んでいると、少々の山は平気なのかな、などと思ってしまった。(よく考えると、失礼なことである)

八徳集落から先は、吾野駅まで約4kmの舗装道路を歩く。途中から、再び高校生の群れが合流してきてにぎやかになった。私が迂回している間に中心集団は先行したようで、比較的まばらになってそれほどうるさくもなくほっとした。途中、先生方が監視しており、その表示を見ると吾野駅まで20km歩くという学校行事だったようである。

この日はいい天気になるはずだったのだが、1日曇りで気温が上がらず、大汗をかいたまま服がかわかず、濡れたまま歩いたのでたいへん寒かった。吾野駅から送迎バスで休暇村奥武蔵に行き、日帰り入浴でようやく温まった。

30分ほどお風呂休憩の後で吾野駅に戻ると、先生方が机や椅子の後片付けをしており、最終集団の生徒が電車を待っているところだった。もっと楽にこなせるコースかと思っていたのに、歩いてみるとちゃんときつかった。それでも、翌日以降足が痛くなることはなかったので、コンスタントな山歩きで体力は付いてきたようであった。

この日の経過
西吾野駅(208) 7:50
8:50 登山道入口(252) 8:50
9:05 高畑一軒家付近(379) 9:20
9:35 白滝(512) 9:40
10:25 高山不動尊(562) 10:45
11:25 関八州見晴台(775) 11:45
12:55 八徳集落(334) 12:55
13:50 吾野駅(161) [GPS測定距離 12.6km]

[Dec 3, 2018]

高山不動尊からさらに30分、標高差150mほど登ると奥ノ院のある関八州見晴台。東屋の他にいくつかベンチもあり、10人以上お昼をとっていました。


晴れていれば都心の高層ビルも望めるということだが、この日は曇りで山並みもおぼろ。でも、うっすらと丹沢あたりまでは見えた。


帰りは高校の行事とぶつかって、ずいぶんとにぎやかでした。最後のひと登りで、吾野駅までもうすぐ。

芦ヶ久保丸山 [Nov 10, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

この秋は、伊豆ヶ岳、高山不動尊と続けて秩父(奥武蔵)を歩いたけれど、すぐ奥の芦ヶ久保もたいへん眺めのいいところらしい。期限切れが迫っている北総線休日切符もあったので、土曜日に行ってみることにした。

2018年11月10日、前日は雨だったが、夜中のうちに抜けて行楽日和になるという予報だった。例によって始発で都心に向かう。池袋まで行ってみると、6時半の特急がない。なんと、休日には6時50分まで特急はないのであった。

15分後の準急は飯能までだが、45分後に三峰口直行の快速急行がある。45分も待つのは何だし、飯能まで行けば接続があるだろうと思って準急に乗る。ところが飯能まで行くと接続は30分後で、結局池袋始発の三峰口行きになってしまうのであった。

(ちなみに、昔は快速急行という区分はなかった。以前の感覚だと「急行」と「準急」の間のように思うけれども、実際は特急料金のかからない特急というニュアンスである。最近ようやくこの名前に慣れてきた。)

芦ヶ久保に着いたのは午前8時半過ぎ。始発電車から3時間半後である。奥多摩に着くのもこれくらいの時間だから驚くことでもないが、最近、朝の移動が辛くなってきた。3時間を超える移動は歩く前からだるい。

前回、前々回は車移動だったり平日だったので、8時前には歩き始めることができたが、こういう体調で歩き始めるのはよくない。注意力が散漫になり、ケガでもしたら大変である。ちょっと考えなくてはならないと思った。

芦ヶ久保駅は結構下りる人がいた。天気は予報通り晴れだけれど、前日の雨でベンチが濡れている。乾いているところにリュックを下ろして身支度をする。今回参考としたのは西武鉄道推奨の「あしがくぼ果樹園村から丸山へ」である。

ルートはあえて逆回りにした。西武鉄道推奨のルートだと、日向山という隣山のコースと重なって混みそうな気がしたためである。国道を正丸方面に向かうと誰もいない。バイクやサイクリストが下りてくる逆方向に黙々と登って行く。

30分ほどで、集落に入る分岐となる。引き続き登り坂だが、傾斜は急になる。集落から登山道への入口に、「熊注意 11月1日にこの付近で熊の目撃情報がありました」と貼り紙がある。11月1日ということは、つい先週である。なぜこんな人里近くに熊が、と思っていたら、すぐ先にいくつか蜂の巣箱が置いてあった。冬眠前に蜂蜜を狙ったのかもしれない。

登山道はしばらく急登した後、ゆるやかな坂になる。そのまま谷川にかかる橋を3つほど越えて歩くけれども、なかなか先が見えてこない。川の近くを歩いているということは、本番の急登はこれからである。登山道に入って30分以上歩いたので、谷川沿いの広くなっている場所で一息つく。

このあたりは北向きの谷になっているのか、ずいぶん暗い。サングラスをかけていたので、普通のメガネに戻す。すぐ上の斜面に巨石がある。あれが転がってきたら木の2、3本じゃ支えにならないだろうと思う。水分補給して出発。ゆっくり休むのは、もう少し日当たりのいいところがいい。

予想通り、そこからスイッチバックの急登が始まった。ひとしきり登って谷からは抜けたのだけれど、行く手には植林された杉の木立がずっと上まで続いている。第一目的地の大野峠は標高850m、芦ヶ久保駅ですでに300mあるからそんなに標高差がある訳でもないのだが、なかなか峠地形が見えてこない。

ああ、これは体調がすぐれないせいだと乗り継ぎがうまくいかなかったことを後悔するけれども、悪いのは下調べを十分しなかった自分である。上を見ると落ち込むので、足下を見ていまの一歩に集中する。

ようやく峠地形が見えてきたのは、登山道に入って1時間半、芦ヶ久保からは2時間以上が経過した午前11時近くだった。左から尾根が下りてくるところまで歩けばあとは楽になる。そう思って進むと、その先は平らになり、車道をはさんで東屋があった。

たまらず、東屋にリュックを下ろす。水分とともに、エネルギーゼリーで栄養を補給する。最近は、昼食にパンとかご飯を用意せず、カロリーメイトやゼリー、フルーツパックですませることが多い。そのため、EPIガスも持ってこない。荷物が軽くなるメリットがある。

5分ほどして登ってきた単独行の女性が、東屋に寄らずにそのまま登山道を登って行った。私がいるから嫌だったのかなと申し訳なく思ったが、多分そうではなくて、あと10分歩かないうちに絶景の休憩ポイントがあったからなのだ。東屋を出発して間もなく、私もそれに気づくことになる。

国道から集落に入ると、まもなく熊注意の貼り紙が。なぜこんなところに熊と思ったら、付近に蜂の巣箱がありました。


登山道に入って1時間半の苦闘の末、ようやく峠地形が見えてきた。


大野峠の東屋。車道の脇にある。登山道で疲れたのでここで休んだのは仕方なかったが、10分先に絶景が。


西武鉄道のHPに乗っているコースマップに「短いけれどこのコースで一番の急傾斜」と書いてある階段を登る。傾斜よりも、土止めの奥に入れてある土がなくなっている(整備から月日が経ったコースによくある)ので歩きにくいが、書いてある通りそれほどの距離はない。

登り切るとそこは開けた広場になっていて、絶景としか言いようがない場所である。隅の方に「こまパラグライダースクール」の看板があったのでパラグライダー場なのだが、やっている人がいないので展望広場となっている(伊豆の葛城山を思い出した。よく似ている)。

まだ東屋で休憩してから10分も経っていなかったが、あまりに景色がいいのでリュックを下ろす。風もなく、いい天気で申し分ない。3、4組がお昼休みをとっていた。午前11時を過ぎて大分回ったので、影のできる方向が北である。開けているのは右、つまり東である。

埼玉県西部には、あまり土地勘がない。川越には何度か来たことがあるが、それ以外で東北道より西に来たことはほとんどない。関東平野はたいへん広いので、どこがどこやらよく分からない。

もっといえば、この秋何回か秩父の山に来るまで、飯能と寄居の区別がよく分からなかった(どちらも秩父の入口という認識)。いまでも、八高線がどこを通っているのかはっきりと知らない。関越道の経路ということは知っているけれども、所沢と川越と熊谷の位置関係には自信がない。

そんな私だけれど、この眺めがすばらしいことはよく分かる。正直言って、新宿の高層ビルが見えるとかスカイツリーが見えるとかいうことに、それほど感慨は覚えない。実物をいくらでも見ることができるからだ。名前も知らない町や川が一望のもとにある(私が知らないだけだが)、これこそすばらしいことである。

左(北)側を見ると、アンテナが立っているピークが2つ見える。あれが丸山かなと思って見ていたのだが、帰ってから調べてみると白石峠をはさんで874ピークと堂平山らしい。堂平山の方は、拡大してみるとドームのようなものが見える。丸山はもっと左にあって、この角度からは見えない。

しばらく景色を楽しむ。カップルで来ている男は先ほどから、携帯電話で大声をあげて会話中である。さりげなく、後方に移動する。口は前についているので、後に行くのが唯一の対策だ。近くに他人がいるのにそれを気にしないというのは、ネット社会以前からそこら中にいるノータリンである。

私同様シニアの単独行は、無線かトランシーバーのアンテナを長く伸ばしている。さらに騒がしい中高年女性グループが上がってきたので、名残り惜しいが腰を上げる。考えてみればこの日は土曜日である。静かなのがよければ、私が平日に来ればいいだけのことだ。

パラグライダー場から丸山までは、大好きな起伏のない尾根歩きだった。1/25000図をみると何ヵ所かコブがあったのだが、それが気にならないくらいなだらかだった。いつもこういう場所を歩きたいのだが、標高差600mを登って来ないとこの感激は味わえないのである。

最後にパラボラアンテナが見えてからの坂が急だったが、それ以外は本当になだらかで、あっという間の30分だった。アンテナ設備の高さまで登ると、そこから先は平坦になっていて、やがて林の向こうから山頂らしからぬ構造物が現れる。

「二階建ての異様な建物」と西武鉄道が述べるところの、丸山展望台である。

大野峠上のパラグライダー場からの絶景。開けているのは東側だけですが、丸山山頂に勝るとも劣らない。


同じ場所から北を望む。アンテナが立っているのは丸山かと思ったら、堂平山らしい。


大野峠から丸山は、快適な尾根歩き。この時点では天気もよく、あとは下るだけだと安心しきっていた。


日本宝くじ協会の寄贈による展望台に上がる。昭和55年というから私が就職した年で、まだバブル以前の第2次オイルショック直後である。建物の資材そのものは億単位までいかないだろうが、どうやってここまで運び、工事したのか興味深い。おそらく資材はヘリで、人は県民の森から登ってきたのだろう。慣れれば15分ほどだろうか。

360度展望が開けているのは、さすが埼玉県指定記念物「外秩父丸山の展望」である。「外秩父」という区分けは聞いたことがなかったが、それは埼玉に土地勘がないためかもしれない。ただ、展望台がないと、関八州展望台ほどの眺めがある訳ではない。

展望台上は望遠鏡が余計なような気がしたが、確かにいい景色である。秩父方面が逆光なのと、雲がかかって両神山が隠れているのは残念だったが、特に群馬方向の眺めがよかった。榛名山や妙義山がよく見えた。

展望台の周りには、多くのハイカーがお昼を広げていた。こんなに歩いてくる人がいるんだと意外に思ったが、近くに駐車場があるのでおそらくそこまで車を使ったのだろう。それでも、そこから20分、標高差50mほどは登らなければならない。

本日最高点の丸山だったが混んでいるので、ベンチでフルーツパックを食べて早々に出発。ここから先は行先表示にしたがって森林館に向かう。直接下りるルートもあるらしいが、よく分からなかった。駐車場との分岐から車道歩きで、20分ほどで森林館に着く。

こちらは展望台と違ってひと気がなく、常設展示もあったが誰もいなかった。しかし、標高900mの場所で麓と同じ値段の自販機が置いてあるのはうれしいことで、炭酸飲料を飲んで一息つく。ここは、12月から冬の間は休業になるようだ。

森林館からは「芦ヶ久保駅」の表示にしたがって進む。しばらくは埼玉県民の森の立派な歩道だが、しばらくすると登山道に入る。この登山道、1時間ほどの間に標高を400~500m下げるので、たいへん傾斜が急である。

しかも、地面には落ち葉が積もっていて、その下は岩まじりの地盤で、うっかり踏み込むとつるっと滑る。まるでスキーのゲレンデのようで、ボーゲンのように斜面を斜めに歩かなければならなかった(おかけで、翌日ヒザが痛くなった)。

そして、登りでもそうだったが、行先表示はあるけれども距離が書いていない。1時間ほど下りたところにようやく、「丸山山頂2km 芦ヶ久保駅2km」とあったのでそのくらいだろうと思って安心したら、すぐ近くの別の案内には、「果樹園村1km 芦ヶ久保駅9km」と書いてある。いくらなんでも9kmもある訳はなく、実際そこから40分ほどで着いたので、謎の距離表示であった。

果樹園村といってもテーマパーク的なものではなく、果樹園農家が点々と続くだけであるが、そのあたりからは曲がりくねった舗装道路である。傾斜が半端なく急で、とてもすたすたと歩くことはできない。

ずっと下の方に、芦ヶ久保の駅と止まっている電車が見える。そして、目の前には武甲山の削られた山肌が迫っている。森林館を出る頃から日が陰り、黒い雲が急に広がって今にも降り出しそうになった。ひやひやしながら下ったのだが、丸山頂上では逆光だったのでかえって見やすくなった。

登山道に入って1時間半、丸山山頂からは2時間ほどで道の駅あしがくぼに着いた。ここで特筆すべきは、道の駅にシャワーがあるということである。HPにそう書いてあったのだが、一通り見てもそれらしきものは見つからない。仕方なく事務室に行って聞いてみると、「ありますよ、こちらです」と事務室の奥に案内された。

1室だけのシャワールームだが、着替えるスペースもあってお湯はすぐ出て来る。休暇村の日帰り温泉は終わっている時間だったので、たいへんありがたかった。料金は10分200円、延長5分毎100円とたいへん良心的であった。

この日の経過
芦ヶ久保駅(346) 8:40
10:00 巨石下休憩スペース(510) 10:10
11:00 大野峠(848) 11:10
11:20 ハンググライダー場(900) 11:30
11:55 丸山(960) 12:15
12:45 森林館出口(914) 12:45
14:10 道の駅あしがくぼ(312) [GPS測定距離 10.7km]

[Dec 24, 2018]

丸山山頂の展望台。登ると、360度の展望が開けている。でも、すぐ下に駐車場があるので、お弁当を広げる人で一杯。


丸山からの下りは、急傾斜のうえ、落ち葉の下がすべる岩場でかなりハードでした。翌日ヒザが痛かった。


この回り方だと、目の前に武甲山をずっと見ながらの下りとなります。丸山山頂では逆光だったけれど、曇ってきてはっきり見えた。


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