武甲山    古礼山・水晶山   


武甲山 [Mar 16, 2022]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2022年の冬は寒かった。ただ気温が低いだけではなく、大量に雪が降った。

新潟では、3月に入ってもまだ雪が降った。北海道はそれほど積もることはないのに、今年は札幌近郊でも新潟のように雪が積もっているという。当然その余波は、関東にも及ぶ。

普段の年であれば2月には丹沢を歩けるのだけれど、今年はちょっと無理である。もちろん融けてきてはいるのだろうが、どろどろの登山道では楽しくないし、だいいち転ぶと危ない。

どうしようかと調べていたら、武甲山ではほぼ雪がないという写真がupされていた。林の中にはまだ残っているものの、登山道は大丈夫そうである。標高1200mと1600mでは違うということかもしれない。

ということで、武甲山に登る計画を立てた。奥武蔵秩父方面に向かうのは、2年振りくらいである。日帰りでも何とかなりそうだけれど、歳とともに早起きするとつらくなっているので、前泊することにした。

車だと一の鳥居に止めてピストンになる。これでは面白くないので、浦山口から登って一の鳥居に下り、横瀬まで歩くロングルートとした。浦山口にはファミリーロッジ旅籠屋の秩父店があるので、秩父鉄道の始発で来るより早く登り始めることができる。

池袋を午後3時に出たのに、特急を使わなかったのと、秩父鉄道への乗り継ぎで待って、宿に着いたらもう暗くなっていた。隣のローソンでその晩の夕食、翌朝、昼の3食分とビールを調達する。こんな奥深くで経営が成り立つのかと思ったが、ダンプカーが頻繁に通ってにぎやかな場所であった。

翌朝は午前4時前に目が覚めた。朝食をとってゆっくり支度しても5時前に出発できた。水が足りないので隣のローソンで買い足したが、早い時間なのにすでにトラックが止まっていた。

国道を戻ってコインランドリーで曲がると、坂の上が浦山口の駅である。電車が来たと思ったら、三峰口に向かう回送電車だった。まだ5時半過ぎなので辺りは真っ暗で、ヘッデンがないと危ない。ヘッデンを使うのは久しぶりだ。

こちらから登るには、まず橋立鍾乳洞を目指し、そのまま林道を登って行く。武甲山は石灰石でできている山だから、当然鍾乳洞がある。いまのように山を削る前には、もっとあったはずである。

橋立鍾乳洞には秩父巡礼の札所があるので、駐車場が広くとられている。その横を通って林道へ。ゆるやかな登り坂が続く。その頃には明るくなってヘッデンなしで歩けるようになっていた。

林道の両脇に、丸太が大量に積まれている。太いのやら細いのやら様々で、左側の傾斜地から滑り落としたもののようだ。この先に崩壊地があるようなことも書いてあるので、災害復旧のために使うものだろうか。ブルドーザーや軽トラも、止めっぱなしになっている。

前泊した旅籠屋秩父店。駅から歩くが、隣に24時間営業のローソンがあり、たいへん便利。


翌朝は早くに目が覚めて、5時に宿を出発できた。浦山口の駅前を通過してもまだ真っ暗で、久しぶりにヘッデンを付けて歩いた。


林道を歩いているうちに明るくなる。災害復旧工事に使うのだろうか、大小さまざまの丸太が積み重ねられていた。


浦山口から1時間ほど歩くと林道は終わり、そこから先は人専用の登山道となる。少し前に崩壊地があって現時点で車は入れないが、ここまで道幅は広い。登山道入口に、登山届用のポストがある。

(余談だが、YouTubeのかほちゃんが、「うら・やまぐち」と読むのがちょっと変。浦山集落への登山口だから「うらやま・ぐち」で、近くに浦山ダムもあるのだから、ちょっと調べれば分かりそうなものだ。それとも私が知らないだけで「うら・やまダム」なのか?)

西武鉄道発行の案内図には、この場所は「丸太の橋」とあるのだけれど、実際は結構がんじょうにできている橋である。橋げたこそ丸太のようだが、ちょっとやそっとで崩れそうには見えない。一の鳥居側の「渡る時は一人ずつお願いします」の橋とは違う。

登山道に入って5分ほどはこれまでと同様のゆるい登り坂だが、やがてスイッチバックの急登が始まる。考えてみれば当り前で、橋があるのは沢であるということで、いずれ尾根に登るには急傾斜を登らなければならない。

スイッチバックを歩くのは秋の奥多摩以来である。あの時は、時間が足りなくて途中で引き返したのだった。今回は前泊なので時間は大丈夫。それに、ゆっくり寝て体力は十分である。

ずいぶん上に見えた稜線が30mほどになり15mほどになり、目の高さになって稜線に出た。ここからはゆるやかな尾根道である。ところどころぬかるんでどろどろだし、前日のものだろうか豪快に滑った跡も残っているが、普通に歩けば転ぶことはない。

この先の目標となるのは、長者屋敷の頭である。名前からして、この尾根のピークにそういう場所があるのだろうと想像していたのだけれど、どこまで進んでもそんな場所はない。木立ちがなくなって、ススキの原になっても、まだピークにはならない。

もう、登山道に入って1時間過ぎる。そして、傾斜は再びきつくなってピークはしばらく先のようだ。仕方がないので、稜線で少し景色が開けた斜面に腰を下ろして休憩することにした。

樹間からおそらく小持山方面と思われる稜線が望める場所だが、ベンチはなく登山道の脇に生えた下草に腰を下ろす。時間はまだ7時45分だが、朝食べたのが4時台だからお腹が空いた。ホイップクリームのデニッシュと水で早いけれどもお昼である。

といえ、後から考えるとこれはベストの休憩場所であった。これから後、山頂付近も含めてベンチはなく、景色の開けた場所もほとんどなく、ただただ林の中を登ったり下ったりするだけなのである。結局、下り途中の大杉の広場まで、ベンチはなかったのではないだろうか。

登山者は少なくないと思われるが、せっかく来たのに休める場所がないというのは首をひねるところである。高尾山のようにレジャー施設にする必要はないけれども、せめてお昼を広げられるところがほしいものである。(きっと、地面にレジャーシートを広げるのだろうが、陽も当たらないし展望もない。)

15分ほど休んで急登を登り始める。ちょうど、槇寄山から都民の森に向かう時のような、稜線の急登である。そこを登り切ると、前方に標識が見える。

東京都と違って埼玉県の登山道では道案内がきちんと管理されていなくて、ここも鉄の案内板は錆び、木の案内板は薄くなって何が書いてあるか判然としない。読める文字から解釈すると、ここが長者屋敷の頭らしい。

頭というからピークだと思っていたら、そこから先はさらに急傾斜のスイッチバックである。左右に道が分かれているが、右は小持山方面へ抜ける道で、左は採掘場なので立入禁止ということらしい。(判読不能なので違うかもしれない)

どうみたって、この場所の名前を付けるとすれば頭ではなく肩である。長者屋敷というのは秩父市街方面に下った場所にある地名だから、そこを通る沢の源流ということだったのかもしれないが、そのあたりは採掘が進んでいまや石灰石の壁となっている。

いずれにしても確かなのは、さきほど休んでいなかったとすれば、それ以降休む場所がなかったということであった。

西武鉄道パンフレットの「丸太の橋」は、ちゃんとした橋であった。登山ポストがあり、ここからは人専用の登山道となる。


長者屋敷の頭はピークではなくて、林の中の分岐点。少し前に稜線で休憩しておいてよかった。


長者屋敷の頭を過ぎると、いよいよ急斜面。スイッチバックが続き、いつまで続くか先が見えない。分岐点で「この先立入禁止」があるのが不気味。


「長者屋敷の頭」の分岐から先は、どこまでも深い林が続く急斜面をスイッチバックで登って行く。ここまで来れば、頂上まで1時間とかからないはずだが、普通の山なら見えるはずのピークが見えない。

それよりも不安なのは、脇道の方向には「この先私有地立入禁止。発破作業中につき危険」などと書いてあることである。武甲山の東側は、西武電車から見て分かるように山体の半分が採掘場と化している。中腹ならともかく、頂上近くではすぐ近くが絶壁となっているだろう。

まあ、登山道ははっきりしているので迷い込むことはないにしても、山を崩すほどのダイナマイトをすぐ横で使っているというのは、おだやかではない。この山でなければ石灰石は採れないのだろうか。

ようやくスイッチバックが終わると、斜面の左方向へ、次いで右方向へとトラバース道である。そして、唐突に分岐点に出た。そこから下るとシラジクボから小持山方面とある(分岐から一の鳥居へ向かう登山道は階段コースという名前だったが、土砂崩れで廃道)。

分岐から先は、傾斜がややゆるやかになり頂上広場となっている。右手にトイレの大きな建物があるが、3月は冬季のため使用不能である。少し上がった場所に大きな鳥居が見える。御嶽神社である。

御嶽神社の建物はたいへん立派であり、土台はもちろんコンクリートである。拝殿は鉄製で、扉に鍵がかかっている。格子の間に隙間があって、お賽銭はここから入れるようにとある。登山の無事を御礼して、二礼二拍手一礼でお参りする。

拝殿の先はさらに標高差で20mくらい上がる。全面頑丈なフェンスで囲いがしてある。よくTVで映る頂上展望台はどこだろうと思って探すと、そのフェンスを左に上がるとほんの少しの場所が空けてあって、山名標と方向案内板がある。

ベンチも何もない、休憩もできないし人数もあまり入れない頂上である。9時25分到着。4時間くらいかけて登って、秩父市街への展望が開けるのはここだけである。

田中陽希とグレートトラバースのスタッフも、これには参っただろう。頂上が狭い山はいくつもあるが、大部分を私有地として立入禁止にして、ごく一部だけ「これはわれわれの好意です」みたいに入れるようにするというのは、どういう神経なのだろう。

山とか川・海といった自然物は誰のものでもなく、「公共財」といってすべての人が利用できるものと習った。石灰石はセメントとなり、建物や道路・堤防などに利用されるが、それで儲けるというのは本来できないはずである。

いまでは、採掘権とか利用権、海ですら経済水域などといって、カネ儲けに使うのが当たり前になってしまった。そのうち、水や空気でさえも権利で縛られるようになってしまうかもしれない。私の生きている間は勘弁してほしいものだ。

そんなことを思っていると、5分もたたない間に展望台に次の登山者が登ってきた。この日初めて会う他の人である。

浦山口着の始発より1時間近く前に出てきたので、登る途中では誰とも会わなかった。シニアの単独行の人だったが、おそらく一の鳥居から登ってきたのだと思う。というのは、この後次々と登ってくるグループとすれ違ったからである。

ゆっくりできる場所もなかったので、頂上付近にはあまり長居しなかった。途中で一息ついてお昼を食べたのは、本当に絶妙のタイミングであった。

シラジクボ方面との分岐を過ぎると、やがて頂上。広くなっているが、ベンチ等はない。右手のトイレは冬季使用不能。正面が御嶽神社。


頂上の御嶽神社はたいへん立派。お賽銭箱は置いてなくて、扉の隙間から入れるよう書いてある。


武甲山頂上。撮影したすぐ後ろがフェンスで、たいへん狭い。秩父市街への展望が開けるのはここだけで、しかもフェンスの向こうにさらに金網があり見通しがさまたげられる。二百名山から外した方がいいのでは。


頂上広場を後にしたのは9時40分。下りは一の鳥居のある生川(うぶがわ)まで歩く。

生川の読み方はよく分からなかったが、いろいろ調べると「うぶがわ」のようだ。土地の人だといちいち言われなくても分かるだろうが、どこにもフリガナが振っていない。素人には分からないので、これまで「いくかわ」と読んでいた。

生川方面への登山道は神社の表参道となり、頂上からすぐに折れる。かつては分岐点から下りる「階段ルート」というのもあったらしいが、現在では崩落して廃道となっている。

表参道が参拝のメインルートであることから、丁石があって残り距離の目安になる。頂上に近い場所で見たのは「五十一丁目」。コースタイムからすると2時間ほどで下りられる見当である。

しかし、スイッチバックの急坂が続く上に地面がぬかるんで滑るのでスピードが出ない。四十丁目までで30分かかり、大杉の広場のある三十三丁目付近に着いた時には1時間経過していた。

このペースだと2時間半はかかりそうだ。展望もきかないし林間を下るだけなので面白くない、下はぬかるみか、さもなければ岩。いずれにしろ油断すれば転倒してケガ必至である。

大杉の広場では、ちょうど登ってきた騒がしいシルバーグループがいたのですぐに出発。さらに下る。二十丁台の中盤でようやく路面が歩きやすくなったが、今度は傾斜がきつくなっていずれにしてもスピードは出ない。

驚いたのは西武鉄道の案内図にも載っている「十八丁目の水場」である。何やら焼酎のペットボトルが大量に置いてある。水をすくって飲んでみると、生温かい。生温かい湧き水など聞いたことがない。

見えにくい場所にある立札を読んでみると、頂上トイレに使うので、登山者はペットボトルに入れて水を持って上がってくれと書いてある。なんと、トイレ用の水源だったのだ。よく見ると、流れている滝から直接飲み口に来ているように見える。これが水場なら、沢はすべて水場だろうと思う。

十丁目以降はコンクリの急坂で、一の鳥居に着いたのは頂上から2時間ちょっとの11時45分。後半は大幅に時間短縮できたようだ。トイレが工事中で、駐車場も半分使えなくなっていて、工事業者なのか登山者なのか、路肩にたくさん車が停まっていた。

一の鳥居から横瀬駅までは約2時間と思っていたので、ゆっくり歩いても予定した1本前の2時28分の特急に間に合いそうだと思っていて、コンクリ工場のあたりで時計を見るとまだ12時10分だった。

これならもう1本前に間に合うんじゃないかと思って飛ばし、1時間半ほどで横瀬駅着。1時28分の特急に乗ることができた。セメントを運ぶトラックのためと思われるが、路面がたいへんよかったのに助けられた。4時過ぎには家に帰ることができた。

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という訳で、スケジュール的にはたいへんうまく行って、翌日以降も少し腰が痛いのと花粉症の発作がおこったことを除けば標高差1000mを久々に登った影響はなかったのだけれど、正直言って山としてはあまり面白くなかった。(前回までの書きぶりで見当がつかれたかと思う)

というのも、長者屋敷の頭くらいから一の鳥居に下山するまで、ほとんど展望がなくて、ただただ急坂を登り下りするだけの山だったのである。

もっとも興ざめしたのは、頂上に着いてもほとんどの部分は立入禁止のフェンスが張られていて、山名標のある一角はほんの申し訳程度の広さしかなかったことだ。田中陽希とNHKスタッフもかなり困ったと思われる。

フェンスは危険防止のためであり、展望台もわれわれの好意であると言いたいのだろうが、秩父市内への展望もフェンスが邪魔をするし、見晴らしがいい場所は採掘場で立入禁止である。

山頂の御嶽神社は、秩父夜祭が行われる神社である。秩父夜祭はカネ儲けになるから盛大にやって、本来お祀りするはずの武甲山(ご神体は武甲山そのものである)が破壊されてしまうというのは、何かおかしい。横瀬駅までの帰路で次々とセメント工場の横を通り過ぎながら、そんなことを思った。

この日の経過
ファミリーロッジ旅籠屋(234) 5:05
5:25 浦山口駅前(248) 5:30
6:35 丸太の橋(557) 6:40
7:55 長者屋敷の頭手前(912) 8:15
9:25 武甲山(1304) 9:40
10:35 大杉の広場(1034) 10:35
11:45 一の鳥居(566) 11:45
13:15 横瀬駅(256) [GPS測定距離 17.4km]

追記:私が登ったすぐ後、YouTubeのかほちゃんが武甲山に登った動画がupされていた。一の鳥居までタクシーで、私とは逆回りでしたが、トイレ用ペットボトル満載の水場もちゃんと紹介してました。

[May 31, 2022]

生川方面への登山道は神社の表参道となり、頂上からすぐに折れる。採掘が進めば、おそらく表参道以外から武甲山に登ることはできなくなるだろう。


麓まで五十一丁の丁目石があり残り距離が分かるのはいいが、杉木立の急坂、しかも路面がどろどろで滑りやすい。こういう景色が2時間続くのであまり楽しくない。


一の鳥居からは舗装された林道。途中からセメント工場が続き、武甲山を崩してトラックで運び出している。トラックが通るからか道路は非常に整備されていて、横瀬駅まで1時間半で着いた。


古礼山・水晶山 [May 23-25, 2022]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

4月に燕(つばくろ)山を歩いた後、なぜか久しぶりにテン泊がしたくなった。 そういえば、しばらくテン泊をしていない。コロナで出にくかったことはあるけれども、上高地に行ったのはもう4年前、笠取山は8年前である。まるでオリンピックだ。

テントや備品を点検して干したのだけれど、今度は天候不順である。ゴールデンウィークからすぐに梅雨に入ってしまったかのようだった。ようやく5月下旬、3日続けて天気になりそうな予報となった。

目指すのは、初テン泊と同じ笠取小屋である。こんなに久しぶりだと、目が慣れたところでないと心配だ。あそこなら水場もあるし、新地平からは何度か登って危ない場所がないことは確認している。

5月23日月曜日、船橋からあずさ3号の指定席で山梨市に向かう。最近日帰りや車で登山口まで行くことが多かったせいか、荷物が多くて45㍑では収まらない。着替えも削り、食べ物も削り、かなり厳しいキャンプになりそうだ。

新地平バス停で下車。バスの中は半分くらい席が埋まっていたが、新地平で下りたのは私とシニア単独行の2人だった。西沢渓谷方面は青空が広がっている。

リュックの重さは12.5kg。テン泊装備を担ぎ上げるのは久しぶりなので、さすがに重い。バス停先の舗装道路を登って行く。もう一人のシニアはずいぶん先に行っているらしく、バス停以降見かけることはなかった。

例によって初日は笠取小屋まで登ってテント設営するだけなので、4時間かけて登るだけである。15分ほどでおなじみのバリケード。横に踏み跡がある。「登山競走・トレラン禁止」は、平成26年12月の日付。以前は書いてなかった。

1時間で資材倉庫だったな、と思い出しながら歩く。風もなく、暑くもないので気象条件は申し分ない。ただ、なかなか目標が見えてこない。新地平から1時間と少し、11時20分に資材倉庫前に到着。

ここで昼食休憩とする。用意したのはコンビニで購入したハム野菜サンドとアーモンドミルク。アーモンドミルクは常温保存可なので試してみたのだが、意外とおいしかった。荷物が限られるので、野菜をとれるのはここまでだ。

次の休憩ポイントは30分ほど進んだ分岐点。沢沿いが広くなっていて橋が架かっているが、この橋は渡らない。水分補給して先に進む。(帰り道ではここで予期しなかった対応をとらなければならなかった)

久しぶりだし覚悟はしていたものの、なかなか雁峠への登りが見えてこないのはつらかった。リュックがだんだん肩に食い込んでくるし、息も切れる。沢から離れたと思ったら再び沢で、まだ登りにならないのかと思った。

1時半を回ってようやく沢の音が遠ざかり、スイッチバックの登りにかかる。低い下草が生えている場所を過ぎ、湧き水でぬかるんでいるあたりを過ぎると、ようやく笠取山がその姿を現わす。午後2時、4時間かかって雁峠に到着した。

雁峠山荘跡を左手に見て、小さな分水嶺に向けて少し登って下りると笠取小屋である。到着は午後2時50分。この日のテントは3つ。荷物を下ろしてテントを設営した後、水場への往復はそれほどつらくなかったので、若干余裕をもって到着できたのだろう。

日が落ちると急速に冷え込んだ。いったん半ズボンに着替えて夕飯を食べたのだが、再び登山スラックスにしなければならなかった。夜中トイレに起きると息が白く、小雪が舞っていた。

朝の新地平バス停。乗車率は50%程度。新地平で下車したのは2人で、もう一人もシニアの単独行。2日間は天気はよさそうな予報。


第1渡渉点前の分岐。橋は渡らずそのまま直進。


12.5kgのリュックにひいこらしつつ、何とか雁峠へ。ここまで来れば笠取小屋まですぐ。


翌朝は5時過ぎに起きて朝食、水場に下りて顔を洗い、テントを置いて軽くなったリュックで笠取小屋を出る。

軽い足取りで最初の坂をこなし、小さな分水嶺まで登って雁峠に下りる。7時前に到着。ここまで25分ほどで着いた。好調である。ただし、ここから垂直に立ち上がったように見える雁坂峠への道である。

前日は一直線の急傾斜しか踏み跡に気づかなかったが、よく見るとS字型に緩傾斜の道がついている。もちろんこちらを選ぶ。傾斜はそれほどでもないが、路面に岩が出ていてたいへん歩きにくい。

右へ左へとスイッチバックするたびに、眼下にある雁峠のベンチがどんどん遠ざかる。これは稜線じゃない、山登りだと思いながら歩く。ある程度まで登ればなだらかな尾根道になることを期待していたけれど、そんなものはないのだ。

やがてまばらな林の中に入って下の見通しはきかなくなる。それでも、ちょっとした傾斜の登りは続く。雁峠から見た斜面はすでに登り切ったはずなのに、さらに奥に急斜面が続いているようだ。

初日ある程度登ってきていても、一晩眠ればHPは回復して、再び登る体力が出てくるはずである。実際、奥多摩では七ツ石小屋で一泊すると前日の疲れがなくなったように感じたものである。ところが、今回はなかなか足が進まない。歳のせいだろうか。

40分ほどかけて何とか登り切った。ここが燕山だろうか。山域標のあたりが広くなっていて、少し先にピークがある。行ってみたが、木が植わっているだけで山名標はない。そういうものかなと思って、疲れたのでまずここで一休みして水分補給。

その座った場所から前方を見ると、少し先の木に何かカードが下がっている。「燕(つばくら)山500m先」と書いてある。何だ、ここが燕山じゃなかったんだ。

この先にもう一つピークがあって、そこも同じように山名標もなく木だけだったのだけれど、実はそこも違っていた。本当の燕山はその稜線から標高差20mほどのはっきりした登り坂の先で、「燕山 2004m」の手作りの山名標がある。

まだ午前8時を過ぎたばかりだけれど、早くもかなり疲れた。この日は雁坂峠どころか雁坂嶺まで行って帰って来る予定だったけれど、とても無理そうだ。午前11時をめどに、引き返さないと厳しそうだ。

燕山を過ぎてようやく、なだらかな稜線が現れた。南側、広瀬ダム方面の景色が広がる。向こうに見える嶺は、乾徳山だろうか。人工物らしきものはダム湖の水面だけで、見渡す限り山の緑である。

と、考えなしに歩くことができる道は5分も続かず、またアップダウンが始まる。1/25000図では、最初の燕山まで登ってしまえばあとの登りはたいしたことのない印象なのだが、とんでもないことであった。

向こうから来た二人組とすれ違う。「いい天気ですね」とうれしそうだ。雁坂小屋泊まりだろうか。本当に風もなくいい天気で、絶好の山日和だ。これで道がなだらかなら言うことはないのだが。

翌朝は6時半に笠取小屋出発。小さな分水嶺近くからこの日歩く古礼山への稜線を見晴らす。


雁峠からは威圧的な急斜面。直登せずともS字型の緩斜面コースが作られており、そちらを登る。


第一のピーク燕(つばくら)山かと思って休んだら、実は手前の小ピークだった。500m先というカードが立木に結びつけてある。


雁峠から雁坂峠までの稜線がなぜきついかというと、いわゆる稜線歩きが少なくて、小さなアップダウンが続くからではないかと思う。それにピーク付近にも岩が多く、登りでも下りでも気をつけて歩かなければならない。

考えてみると、この山域は甲武信ヶ岳もそうだったし、瑞牆山や乾徳山も岩場で有名だ。奥多摩にはあまり岩場は多くないけれども、雲取山から奥に入るにしたがって地質が変わってくるのかもしれない。

燕山まで苦労して登った後もアップダウンが多いし、小さなピークを巻く狭くて岩の多いトラバース道が続く。30分ほど登って、ようやくピークらしい開けた登り坂が見えてきた。

一瞬、古礼山かと思ったが、すぐに思い直す。こんな早くに着くはずがないし、燕山と古礼山の間には2044mのピークがある。ちょうど真ん中にあるので、古礼山までの半分しか来ていないことになる。

案の定、登るとすぐに下りが始まった。ただ、この2044ピークまで来ると、ようやく前方にひときわ高い頂が見える。まだ結構な距離があるけれども、あれが古礼山に違いない。少し元気が出た。

さらに30分、立ち枯れた木が多く見晴らしがよくなった場所に、案内表示板の目立つ分岐点があった。右に進むと巻き道、左が古礼山山頂への道である。山頂へは、まだかなり登らなければならないようだ。

山頂への道はたいへん景色がよく、ひとしきり登った後の草原にベンチが置かれている。あるいは富士山が見える場所かもしれないが、この日は雲が多くて近くの山しか見えなかった。ベンチのある場所から、もう一度登ると古礼山山頂である。

9時20分到着。山名標は環境庁と埼玉県が立てた木製のもので、環境庁というくらいでもう古くなって傾いている。東京都と違って、石造りの頑丈なものにする資金力はないみたいだ。ただ、「古礼山」という名前とはフィットしている。

古礼山という山名は、古礼沢の頭という意味で、もともと沢の名前が先についたものと思われる。荒川源流最奥の滝川渓谷の支流で、2010年に埼玉県消防隊ヘリを含む多重遭難事故が起こったブドウ沢のすぐ近くである。

この事故のすぐ後、雲取山荘に泊まって、食堂の窓から谷を見ながら親父さんが「ヘリが落ちたのこの奥なんだよね」と話していたのを思い出す。もうかなり昔のことになった。

おそらく「古礼」という漢字ではなく、「これい」という音に意味があったのではなかろうか。同じく秩父との往来に使われた奥多摩にも「古里」(こり)がある。地形を表わす何かの符丁だったかもしれない。

ベンチはないので、手ごろな石に腰かけて一休み。雁峠から2時間15分かかった。雁坂嶺なんてとても無理だし、雁坂峠までも厳しい。出発した時は、雁坂小屋に行ってビールが買えたらいいなと思っていたのだから、お気楽なものである。

引き返し時刻を午前11時と見込んだけれど、それだと水晶山と雁坂峠の中間でタイムアップとなる。雁坂峠まで行ったとしても、そこから雁坂小屋には行けそうにない。だったら、水晶山までで仕方ないと思った。

雁峠から雁坂峠の稜線は、ひっきりなしのアップダウンと歩きにくいトラバース道の連続で、たいへん疲れる。


ようやく景色が開けて古礼山ピークが近づく。でも、まだまだ先。


古礼山ピーク2112m。雁峠から標高差300mでコースタイム2時間は伊達でなかった。累積標高は倍近くある。


古礼山で元気一発ゼリーを補給したので、しばらくは快調だった。今回のキャンプでは45㍑のリュックが一杯になってしまったため、着替えも食糧もあまり持てなかった。前日の夕食も、カロリー源はさばみそ煮くらいで、あとはナッツとチョコレートなど酒のつまみしかとっていない。

古礼山は巻き道があるくらいで、頂上からの下りは長くて傾斜も急だった。巻き道を過ぎてもさらに下り、下りが終わったと思ったらすぐまた登りが始まった。

水晶山まで早く着ければ雁坂峠まで行ってみようかという考えは早々に消え、再びきつい登りが始まった。雁峠から雁坂峠まで、標高差200か300と思った尾根道がとんでもないアップダウンだったのである。奥多摩の峰見通りを思い出した。

水晶山の登りでは、これまで以上に倒木や立ち枯れた木が目立った。

古礼山の登りでも目についたのだけれど、水晶山はそれよりはるかに多い。水晶山を遠くから見ると山腹の斜面が大きく崩れ、茶色くなっているのが見える。あるいは、地下の水脈がなくなって、木が育たなくなっているのだろうか。

とはいえ、歩いている分には茶色い斜面が見えている訳ではない。立ち枯れた林を通り、コケの多い道を抜けると、水晶山の頂上に出た。2188m、10時20分着。

水晶山も古礼山と同じく沢の名前から付けられた山名で、水晶谷の頭である。荒川源流の滝川渓谷の奥にあって、かつては水晶が採れたのかもしれない。全国各地に水晶山・水晶沢の名前は多くある。

山名標は埼玉県の設置で、古礼山のものより新しい。少し先に行先案内板があって、雁坂峠までまだ2.1kmある。雁峠からここまで3.5kmだから、3時間以上かかって6割くらいしか来ていない。そろそろ引き返すことにしよう。

頂上にはベンチがある。腰を下ろし、恒例のフルーツパックで自分自身をねぎらう。標高2000mを越えているのに、羽音を立てて虫が寄ってきた。朝晩は冷えて虫はいなかったのだけれど、暖かくなる日中は虫が出てくる。

しばらく休んでから、来た道を引き返す。なぜか、歩き始めたらいい道だと思った。景色こそ開けないものの、白っぽくなった幹の間から山並みがのぞいている。ゆるい傾斜の下りも気持ちがいい。

ただ、行きに思ったのと同じく、なかなか先に進まない。古礼山は頂上までの傾斜がかなりきつかったので、復路は巻き道を選択。古礼沢を遡行してくると、この巻き道分岐あたりに着くようだ。

しかし、細かいアップダウンのある細い岩場で、一部崩れ落ちている場所もある。沢の源頭部ではさらに傾斜はきついはずで、沢登りをする人達はたいへんである。頂上まで登り下りしたのと、時間的には、ほとんど変わらなかった。

巻き道分岐の倒木に腰かけて小休止。まだ先は長い。水晶山で引き返してよかったと思った。燕(つばくら)山までのアップダウンでは巻き道分岐を見逃し、2002mの頂上まで登ってしまった。

さて、燕山のピークから向こうは、急傾斜の下りである。登っている時も長いと思ったが、下りもまた長かった。いつまで経っても、雁峠への最後の下り斜面にならない。朝はやっぱり体力があったんだと改めて思った。

それでも、午後1時を回る頃には雁峠が見えてきた。前日よりも少し早く笠取小屋に戻れそうだ。日のあるうちに戻って、汗で濡れてしまったアンダーウェアを少し乾かしたいと思いながら雁峠まで下り、最後の分水嶺への登り返しに向かった。

水晶山が近づくと立ち枯れた木や倒木が目立つ。遠くから目立つ山腹の地崩れと関係あるのだろうか。


水晶山2158m、この日はここまでとする。雁坂峠までさらに下って登っては、ちょっと無理だった。


復路の古礼山は巻き道を通るが、歩きにくいトラバース道で時間はたいして変わらなかった。


最後に、笠取小屋について書いておきたい。

約8年ぶりに訪れた笠取小屋だったが、コロナの影響で小屋泊は休止、テン場営業のみと貼り紙があった。テン場の利用料金は、以前は避難小屋の中に集金箱があったと思うが、老朽化で撤去されており母屋の入り口に金属ポストが置いてある。

残念ながら親父さんは上がっていなかったが、工事の人達が何人かいて、ブルトーザーも日暮れまで動きたいへんにぎやかだった。バイオトイレはいまも稼働中だが、その横に新しくバイオトイレを建設中であった。

いまよりも随分大きくなっているので、男女別になるのか、あるいは丹沢のように簡易水洗になるのだろう。バイオトイレに異物を投げ込む不届き物が絶えないようなので、故障防止を兼ねて簡易水洗にするのかもしれない。

工事中の地域に入らないようフェンスがあり、夜中にもその部分が光るのでたいへんありがたかった。星が見える夜だったら見づらくなったかもしれないが、雲が多く夜中には小雪がちらついたくらいである。

初日はテント3張りで私以外もシニアの単独行だったので、たいへん静かでよかったのだけれど、2日目はグループが登って来て十数張りと盛況。静かな山の時間を過ごすという訳にはいかなかった。

工事中の貼り紙をみると、笠取小屋だけでなく作場平のトイレも改修中と書いてある。遅くに登ってきた連中もいたことからすると、台風で被害を受けた林道や駐車場も、元通り使えるようになったらしい。

とはいえ、青梅街道に出られるのは落合からだけで、おいらん渕に出る林道は引き続き通行止めと水道局のホームページに書いてある。進入路は限られるが、トップシーズンでなければ駐車場も一杯にならないのだろう。

さて、キャンプの大きな楽しみは食事だけれど、今回はリュックが一杯になってしまい用意した食材をほとんど持ってこれなかった。

考えてみれば、前回の上高地ではキャンプ場に食堂と売店があったので、最初からそれほど用意する必要がなかった。ところが今回は、山の上で食べる5食分をすべて用意しなければならない。必要量が全然違ったのである。

1年半前から糖質制限をしているので、それもあって炭水化物はあまり用意しなかった。尾西のアルファ米赤飯を1袋と朝食用のパンだけである。初日の夕食はサバみそ煮とみそ汁、酒(どなんお湯わり)とおつまみで済ませた。

2日目の夕飯はアルファ米赤飯とシーチキン、ナッツ、チョコである。山では、それほど腹が減ったとも思わなかったし、実際に非常食のカロリーメイトとエネルギーバーは残ったのだけれど、帰ったら体重が3kg落ちていた。

帰りのルートは落合に出てのめこい湯までロングルートを計画していたのだが、笠取小屋でauのスマホがまったく入らず(8年前は3Gが通じたのだ)、3日目の天気予報が分からなかったので、大事をとって新地平に下山した。

亀田林業の林道は一ヶ所倒木で通りづらくなっていて、往路は何とか通過したのだけれど、帰りに倒木過ぎてすぐの地点で落水、ふくらはぎあたりまで水に浸かり靴に水が入ってしまった。

靴を脱いで靴下の水を絞り、中をタオルで拭わなければならなかったが、さすがゴアテックスで、歩いている間にだんだん乾いてきたのは大したものであった。

筑波山系を歩いて急に思いついたキャンプ山行だが、やってみると荷物が重いのはやっぱりしんどい。両肩の痛みか引くまで1週間かかった。正直なところ、キャンプはしばらくいいかなという感じである。

3日間の経過
[初日]新地平バス停(1060) 10:15
11:20 倉庫前広場(1300・昼食) 11:40
12:10 橋休憩所(1445) 12:20
14:05 雁峠(1780) 14:20
14:50 笠取小屋(1780)
[2日目]笠取小屋(1780) 6:40
7:05 雁峠(1780) 7:10
7:50 ニセ燕山(1995) 8:00
9:25 古礼山(2112) 9:40
10:20 水晶山(2158) 10:35
11:20 古礼山巻き道分岐(2076) 11:35
12:15 燕山(2004) 12:20
13:05 雁峠(1780) 13:15
13:45 笠取小屋(1780)
[3日目]笠取小屋(1780) 5:20
5:45 雁峠(1780) 6:00
7:05 第1渡渉点(1533・落水) 7:15
7:30 橋休憩所(1445) 7:55
9:25 新地平バス停(1060) [GPS測定距離 8.2+8.7+8.3=25.2km]

[Aug 2, 2022]

笠取小屋はコロナのためキャンプ場のみの営業。老朽化で避難小屋は半分撤去し、料金は入口横の黄色い金属ポストに入れる。


現在のトイレの横に新しいバイオトイレを工事中で、この日もブルドーザーで作業していた。


スマホが入らず天気予報が見られなかったので、大事をとって新地平に戻る。亀田林業林道では、倒木に花が咲いていた。ここは無事通過したが、この後渡渉で落水する。


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この図表はカシミール3Dにより作成しています。

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