筑波山(男の川ルート) きのこ山 高峯(爆) 筑波山中腹一周(女の川撤退)
筑波山(白雲橋コース) [Dec 8,2020]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
2020年も12月になった。わが国ではクルーズ船騒ぎで幕を開けたコロナ騒ぎだが、冬を迎えて緊迫の度合いを高めている。
例年だともう1回くらい奥多摩方面に行けそうな季節なのだが、いまの状況下で都心を横断して移動するのは気持ちが悪い。やむなく、地元に近い山から選ぶことになる。
今回は試したかったことがあったので、一昨年登った筑波山にもう一度行ってみることにした。前回は、御幸ヶ原コースという男体山をめざすコースだったので、今回は前回下りで使った白雲橋コースから女体山を目指すことにした。
コースの名前となっている白雲橋というのがどこを指すのか、Googleで検索したけれど分からない。こういうことこそ検索順位で上位にしてほしいものだが、向こうも営業だから仕方がない。そういう名前の奇岩があるのか、あるいは女体山神社裏の小さな橋のことだろうか。
WEBによると、御幸ヶ原コースより初心者向けということだし、下ってきた時の印象はそれほどきつくなさそうだったので、それほど心配していなかった。ちなみに、御幸ヶ原コースは、コースタイム90分(休憩除く)で神社から御幸ヶ原まで登っている。
12月8日火曜日、前日からよく晴れていい天気である。この秋は10月に雨が多くて急に寒くなり、11月がいつもの10月のように好天が続いた。12月に入ってさすがに寒くなったが、この日の朝は比較的暖かかった。
午前5時半に家を出て、国道6号から土浦を目指す。この道は日中だと渋滞してしまうので帰りは使えないが、朝のうちなら混む前に土浦より先に出られる。土浦北インター付近で左折して、宝篋山下から筑波山神社に向かう。
2時間足らずで市営第3駐車場に到着、駐車料金500円は前払いである。もう夜が明けてずいぶん経つのに、止まっている車は3~4台。キャパが百数十台なのでがらがらである。筑波山も成田山のように、正月しか混まないようになってしまったのだろうか。
周囲の木立の中には、紅葉もまだ少し残っている。風は少し冷たいけれど、12月にこれ以上望むのは酷なようないい天気である。最初はウルトラライトダウンで歩き始めたが、筑波山神社で早くも長袖シャツとアンダーウェアだけになった。
まず神前で登山の無事をお願いし、本殿横から白雲橋コース入口の鳥居に向かう。いきなり急傾斜である。しかも、林の中で太陽の光が入ってこないので暗い。展望がないのは分かっていたけれど、暗い中の急登は気分が朝から滅入る。
驚いたのは、駐車場にほとんど車がなかったのに、登り初めで何グループかに抜かれたことである。さすが百名山、平日の朝から人がいると思ったのだが、もしかすると市営第三駐車場より登山口に近い筑波山神社駐車場に止めているのかもしれない。
白雲橋コースのコースタイムは、神社から女体山まで110分である。ということは、休憩地のある弁慶茶屋跡まで80分程度で着くはずである。そのつもりで歩き始めたのだが、いつまで登っても岩場交じりの急坂が続く。
下りてきた時の印象ではなだらかな坂道があったはずなのだが、そんな傾斜など出てこない。40分、50分と登り続けるうちに、自分の記憶違いで緩斜面などなかったのではないかと思えてきた(事実は帰路で判明する)。
1時間歩いたけれど緩斜面など出てこないし、当分急坂が続く気配である。あきらめて、平らな岩をみつけて腰を下ろし小休止。御幸ヶ原コースより楽なんてことはありえない。前の月に登った大山イタツミ尾根よりもハードな登山道である。
早朝の市営駐車場はがらがら。紅葉はまだきれいなのに、コロナの影響だろうか。
筑波山神社大御堂の背後に、男体山が見える。
白雲橋コースは林間の岩場の登りが続く。御幸ヶ原コースより楽というのは嘘だ。
白雲橋コースには、麓から弁慶茶屋跡まで休憩ベンチはない。その間の標高差は500ⅿ近くあるので、かなりハードである。しかも、コースタイムでおよそ80分で着くはずの弁慶茶屋跡は、なかなか見えてこない。少なくとも初心者には厳しいコースである。
御幸ヶ原コースの方が傾斜が急と書いてあるが、あちらは階段が主で、こちらは岩交じりの登り坂である。しかも、御幸ヶ原コースには何ヶ所か休める場所がある。白雲橋コースには全くない。
人通りがあまりないのを幸い、平らな岩に腰を下ろして5分ほど小休止。GPSを見ると、まだ標高は350m程度。全然登れていない。ただ、少し休んで元気が出てきた。
スイッチバックの急坂を懸命に登る。コースタイムの80分を過ぎたあたりで、ようやく峠地形が見えてきた。さらに登ると、この日初めての緩斜面である。このまま弁慶茶屋かと思いきや、しばらく歩くとまた急こう配の岩場である。一体いつになったら着くんだ?
結局、弁慶茶屋跡に着いたのは9時35分、休憩してからまる1時間かかった。麓からは2時間、神社からにしたって1時間50分かかっている。コースタイム通りなら、女体山まで登れている計算になる。
確かに私の歩くペースは遅いけれども、それにしてもこのルートはハードである。御幸ヶ原コースをコースタイムで歩けているのに、白雲橋コースでは20分以上多くかかっているのだから話にならない。というよりも、コースタイムの基準はどうなっているんだ。
弁慶茶屋のベンチはもっとあったように覚えているのだが、景色が開けた場所にテーブル付が一つと、あとは丸太ベンチが2つあるだけだった。テーブル付は3人グループが飛沫を飛ばして大騒ぎしていたので、離れたベンチに腰を下ろす。
普段は頂上で食べるフルーツパックを、ここで食べる。すでにかなり消耗していたのと、女体山頂上にゆっくりできる場所がないからである。甘いフルーツで体力が回復して、ここから先それほど息が切れることはなくなった。
息は切れないのだが、今度は太ももが痛みだした。筑波山は標高の割に傾斜がきつく、岩場の昇り下りが続くので足場も安定しない。奇岩を撮るふりをして足を止められたのは、ごまかすのに助かった。
女体山まで、弁慶茶屋跡から50分。麓から女体山まで、休憩時間を除いても2時間半かかっている。標高差が650mあるので私レベルではそのくらいかかっておかしくなく、コースタイム110分の方がむしろ謎だと思った。
頂上直下の肩まで来ると、すぐ上にロープウェイが動いているのが見える。そして頂上までは、手足をフル稼働しなければ登れない岩場の急登である。標高が低いからといって、バカにできない。
女体山神社の裏から、橋を渡って頂上に出る。平日の昼前のせいか、前に来た時より人は少なくて待っていたら頂上は無人となった。天気がいいので、霞ヶ浦まで一望できた。
ただ、ここの頂上は狭いうえに飲食禁止。ここで休む訳にはいかない。ロープウェイが着いたのか後続のグループがやってきたので場所を空ける。急坂を下って弁慶茶屋にもどるのに、また1時間かかってしまった。
白雲橋コースで唯一の休憩場所が弁慶茶屋跡。ここまでまるまる2時間かかった。
弁慶茶屋を過ぎると、登山道の左右には奇岩が続く。
ようやく肩の部分まで来て、木の枝越しに女体山頂上が見えてきた。頂上直下までロープウェーで行ける。
相当ハードだった白雲橋コースに比べて、つつじヶ丘に下る「おたつ石コース」、つつじヶ丘から筑波山神社までの「迎場(むかえば)コース」は快適、まさにハイキングコースで筑波山のイメージどおりの道であった。
おたつ石コースは最初の5分ほどだけ白雲橋コース同様の岩場が続くが、すぐになだらかな下り坂となり、次いでつつじヶ丘のロープウェイが見下ろせる位置になる。そのあたりから簡易舗装の遊歩道が始まって、つつじヶ丘まで続く。
途中、何脚かベンチの置かれている場所がある。霞ヶ浦から遠く太平洋まで見渡せるいい景色で休憩場所としてはベストポジションだろう。ただ、白雲橋コースで予想外に時間がかかってしまったので、ここでは休まず下り続ける。
弁慶茶屋跡からつつじヶ丘まで50分ほどかかった計算だが、そんなに歩いた気がしないほどすぐに下りてこられた。登山道の出口には遊具がたくさん置かれていて、閉まっているお土産屋さんの前に出る。
駐車場まで下りて周囲を見回すと、はるか昔、中学校の遠足で来たのはここだったと思い出した。四六のガマの像があり、お土産屋さんが並び、見上げると下りてきた女体山への登山道が伸びている。昔はガマの油の売り口上を実演している人がいたけれども、もうやる人もいない。
駐車場は3分の1も埋まっていない。十数年前にここを目指して車で来たことがあって、満車で車が全く動かず風返峠で引き返したのだが、いまでもそんなことがあるのだろうかと思うほどの寂れようだった。
少し離れたトイレをお借りして、お土産屋さんの横から始まる迎場コースに入る。迎場(むかえば)とは、神社近くの白雲橋コースとの分岐が酒迎場ということから名付けられたものと思われるが、酒迎場の語源はよく分からない。
「万葉の道」という碑が立っていて、コース途中に万葉集の東歌から選んだ何首かの和歌の石碑がある。筑波山は「つくばねの嶺より落つるみなの川」で知られる歌枕で、筑波山や足尾山(芦穂山)を詠んだ歌が万葉集に残されている。
そして、この迎場コースでありがたいのは、10分置きくらいにベンチが置かれていて、東屋さえ2ヶ所にあることである。山頂周辺や白雲橋コースに比べて、なんと親切なことだろう。
そして、最初と最後に比較的急な階段がある他は、なだらかな登り下りのやさしい道で、しかも下り基調なので歩きやすい。その割に歩く人が少なくて、50分ほどの間にすれ違ったのは5~6人だった。
このコースは頂上に直接つながる道ではないし、ずっと林の中で展望が全くなく、眺めを楽しむことはできない。しかし、フィトンチッド満載で、筑波山の他のコースとは違って静かなのは何よりのごちそうである。
50分ほど歩くと、コース名のもととなった酒迎場で白雲橋コースと合流する。ここからは朝歩いてきた逆コースで筑波山神社まで歩くのだが、ここでようやく朝の勘違いについて気がついた。
というのは、合流した後もこれまでの迎場コースと同じように、なだらかな遊歩道が続いたからである。ということは、朝、いきなりの急傾斜だと思って歩いていた道が、下る時にはゆるい坂に感じられたということである。
つまり、前回下ってきた白雲橋コースも、迎場コースも同じような坂で、下る時は楽なのだが登る時はきつくなるということである。どおりで、いつまで待っても緩斜面にならないはずである。
天気は絶好なのに、頂上はそれほど混雑していませんでした。ただ、狭いのでゆっくりできないし飲食禁止。
おたつ石コースに入ると、目指すつつじヶ丘が見えてくる。
おたつ石コースは、白雲橋コースと比べるとかなりなだらか。筑波山のイメージどおりの道である。
さて、今回のミッションとして、糖質制限が山歩きにどう影響するか確かめる必要があった。
11月11日に大山北尾根に行った後に糖質制限を始めたので、今回がそれ以降最初の登山であった。普段の生活で、白米や精製小麦製品(食パンやうどん)、スパゲティ等を食べていないものだから、どの程度影響があるのか不安であった。
山中でスタミナ切れを起こしてしまうと嫌だから、前日の夜と当日の昼食は普通に糖質の含まれた食事をとったけれど、それ以前3週間ほどは糖質を制限していた。ものの本によると、直前に摂った糖質が動力源として使えるのは2~3時間だそうである。
そのこともあって手近な筑波山を選んだのだけれど、当日気づいたのは、登る時太腿が痛いということであった。前回、大山のイタツミ尾根を登った時にはなかったことである。
とはいっても、筑波山は標高の割に急傾斜が続く山で、以前の体調で登ったとしても同じだったかもしれない。だが、体が糖分を使ってしまうと筋肉に貯めてあったグリコーゲンを使うというから、その影響かもしれない。
実はそれよりもつらかったことが、登山ズボンがゆるくなってずっと押さえていなければずり落ちてしまうことであった。
このスラックスはモンベル製で、ベルトを使わず腰で締めるようになっている。それを最大限に締めてもずり落ちてしまうのである。大山の時は全然問題なかったのに、これは意外なことであった。
意外といってばかりもいられなくて、これには困った。右手でストックを持ち、左手はスラックスをたくし上げ、おかしな格好で一日歩くことになってしまった。そうしないと、ウェストラインがお尻から下に落ちてしまうのである。
糖質制限の体験談として、ベルト穴が3つ4つ小さくなると書いてあったが、まさか1ヶ月も経たない間にこんな効果があるとは思わなかった。
変な恰好で歩きながら、これが筑波山でよかった。山小屋一泊で、奥多摩とか丹沢に行っていたらえらいことだとしみじみ思ったものでした。
帰りはすぐ近くの「つくば湯」に寄って、痛くなった太腿をよくマッサージした。いいお湯だったので長湯しすぎて、休憩所で横になって休むことになってしまった。幸いに、翌日以降に痛みが続くことはなかった。
この日の経過
市営第3駐車場(251) 7:30
8:30 コース途中の岩(359) 8:35
9:35 弁慶茶屋跡(722) 9:45
10:35 女体山(871) 10:40
11:45 弁慶茶屋跡(722) 11:55
12:45 つつじヶ丘(542) 12:55
13:20 迎場コース東屋(415) 13:30
14:15 市営第3駐車場(251)
[GPS測定距離 8.0km]
[Mar 15, 2021]
つつじヶ丘が近づくと、遊歩道のような道になって歩きやすい。
つつじが丘に着いた。遠足で来たのはおそらくこちら。四六のガマの像や遊具が置かれているが、駐車場は閑散。
迎場コースは林間に簡易コンクリ舗装の歩道が続く。東屋やベンチもあり、人もそれほど通らない。
筑波山(薬王院コース) [Jan 5, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
年が明けて、2021年になった。今年初めての山はどこにしようかとのんびり構えていたら、新年早々緊急事態宣言が出される見通しとなった。今回は、最初から千葉県含めて東京+首都圏3県になりそうな情勢である。
昨年同様、県境をまたいでの移動はご遠慮ください、不要不急の外出は自粛と言われるのは目に見えている。ならば、宣言が出される前に行っておこうということで急きょ支度を済ませ、1月5日の早朝、県境を越えて筑波山に向かった。
今回目指すのは、筑波山の中でもマイナーコースといっていい薬王院コースである。ロープウェー、ケーブルカーの筑波山ハイキングマップには載っていないが、地元の案内板には、旧ユースホステルまでの登山道とともにちゃんと描かれている。
この薬王院コース、注目すべきは筑波山第三の頂上である坊主山を通ることである。坊主山の山名は国土地理院地図には書いていないが、710.0mの三角点がある場所である。
三つの頂上は、男体山を中央にして、直角二等辺三角形の形に並んでいる。私の住んでいる千葉県からは、男体山の影になって坊主山は見えない。しかし北西方向から見ると、今度は女体山が男体山の影になって、男体山と坊主山の双耳峰に見えるのである。
坊主山の名は、おそらく薬王院の修験者が修行のため登り下りしたことから名付けられたのだろう。まるまる700m登ることになってしまうが、他のコースのようににぎやかではない。
登山口となるのは、つくし池駐車場。ここは桜川市で整備している駐車場で、トイレもちゃんとある。ところが、隣にある産直の駐車場と見間違えてダムの堰堤付近を行ったり来たりしてしまった。午前7時過ぎに到着、たいへん寒い。
午前7時20分出発。駐車場横に、薬王院への車道が登っていたけれど、境内を通り抜けできないかもしれないと思って、つくし湖沿いに登って行く。7~8分歩くと、「関東ふれあいの道」の苔むした標識が、薬王院への登り坂を案内してくれている。
しばらく民家が続くものの、のっけからかなりの急坂である。「椎尾急傾斜危険区域」と書かれた立て札が立っている。息を切らせながら登るとガードレールが見えて来て、駐車場から登ってきた太い車道と合流する。左手が薬王院である。
茨城県の「関東ふれあいの道パンフレット」によると、薬王院は782年に西仙上人によって開基されたという。おそらく西仙とは、最澄の弟子である最仙のことであろう。筑波山にゆかりの深い徳一(最澄と論争した)と最澄の弟子とでは相性が悪いような気がするが、法相宗、真言律宗などの時期を経て、現在は天台宗の寺である。
何度か火災に遭い、江戸時代に再建された三重塔と本尊薬師如来は県の文化財。外から見ただけでも伽藍は華やかである。ただ、中には石段がたいへん多く見えていたので、外から拝むだけにした。
薬王院から登山道への入口も、結構な段数の石段が上まで続いている。ここでいいのかなと思っていると、後から歩いてきた登山装備の女性がすたすたと石段を登って行ったので、ここで間違いなさそうだ。ちょっと見には、お寺の境内に続くように見える。
石段はそれほど長くは続かず、林間に続く登山道となる。この日はほとんど日が差さず暗いが、傾斜はびっくりするほどではない。白雲橋コースよりも緩やかだろう。
それは、このコースの距離が2km以上と白雲橋コースや御幸ヶ原コースの倍近い距離があることからも想像できた。標高差が同じなのだから、距離が長い方が傾斜が緩いのが道理である。
しかし油断はできない。どのコースでも、筑波山は頂上近づくほどに傾斜が急になる山である。
つくし池駐車場。「つくし亭」と「産直」の隣にある。トイレ完備。最初分からなくてしばらく迷った。
坊主山は南方向からは男体山の影になってよく分からない。北東方向からは、女体山、男体山と三つのピークがよく見える。いちばん右が坊主山。(後日撮影)
薬王院コースは、かつて薬王院の修験者達が使った道という。林道との交差までは、比較的緩やかな傾斜が続く。
薬王院コースはマイナーとはいえ主要登山道の一つであるが、登っていて心細いのは休憩場所がほとんどないことである。
登り始めてから頂上まで、東屋とかベンチは御幸ヶ原のすぐ下、自然探勝路まで見当らない。他のコースは少なくとも中間点までにベンチくらいはあるし、この日の午後下山した関東ふれあいの道では30分ごとにある。
薬王院を過ぎて登山道に入ると、ひたすら登るだけである。地図上で目標になるのは林道と合流する標高400mを過ぎた地点だが、なかなかそこまで着かない。登り始めて1時間、登山道に座れそうな石を見つけたので腰掛けて水分補給する。
この日見かけた登山者は、薬王院の登山口で抜かれた女性と、あとは単独行のシニア2人の合計3人。さすがにマイナーコースで、他のコースより人が全然少ない。登山道で座り込んでも、あまり気にならないのはうれしいことであった。
休憩地点からしばらく登ると林道との合流点。薬王院コースはベンチだけでなく、道標や案内看板もほとんどないのだが、林道合流を過ぎたところでようやく丸太に金属プレートをはめ込んだ案内板が現われた。標高は420m、距離はまだ半分残っている。
ここまでの傾斜はそれほどでもなかったのだが、標高500mを過ぎたあたりからついに急階段が現われた。「天国への階段」という異名があるらしい。見上げると、いったいどこまで続いているんだろうと思うくらい上まで続いている。
際限のない階段は日光霧降の天空回廊で経験済みだが、踏み段の幅が狭い上に、傾斜もこちらの方が急である。ところどころ手すりが残っているが、半分腐っていて手がかりにならないだけでなく、棘が刺さりそうである。
さすがに途中で息が上がって、再び座れそうな石を見つけて座り込む。汗がしたたり落ちる。防寒用に着ていたモンベルのレインウェアはとっくに脱いで、毛糸の帽子も夏用の汗を吸い取れるものに替えた。この「天国への階段」、天空回廊ともう一つの違いは踊り場がないことである。
一方で天空回廊より楽なところは、標高差が100mくらいしかないことである。ようやく傾斜が緩やかになり、先ほどと同じ規格の案内板が現われた。標高は630m、山頂までの残り距離は1,092mである。
このあたりから、左に分かれる踏み跡がいくつか現われる。坊主山三角点が710mだから、もうそろそろのはず。ただ、地図を見ると標高差20mほどのところで登山道を外れるから、もう少し先だろう。
再び急傾斜の階段が現われたが、さっきの天国への階段に比べれば楽なものである。そして、ほどなく左に分かれるはっきりした踏み跡に行き当たった。案内札もテープもないけれど、おそらくこれが坊主山への道である。
この分岐から頂上までは予想より長く、5分くらい登っただろう。やがて頂上らしき景色が見えてきたけれども、WEBに書かれていた山名標は見当たらない。「巨」と書かれた山界標と、それを囲むいくつかの石が頂上にあるだけだった。10時20分着。つくし池から2時間半で着いた。標高差650m、距離が2kmあるから、まずまずのペースである。
少し下がった広いところに三角点があるので、ここが坊主山に間違いない。奥多摩や丹沢であれば誰かがお手製の山名標を作って置いておくだろうし、すぐ近くの雪入山や尖浅間山でさえあるのに、ここにはない。もしかすると国定公園だから、作るそばから撤去しているのかもしれない。
木々に囲まれて展望はあまり開けないが、木々の間からは右に男体山、左に女体山の筑波山双耳峰が間近に見える。アンテナ群も見える。ただ、家から見るのと違うのは、男体山・女体山の左右が逆ということである。
林道交差から先、標高500m付近から上は、いつ果てるともない急傾斜の階段が坊主山付近まで続く。
坊主山頂上には、三角点と林界標があるが山名標は見当らない。木々の間から、男体山、女体山とアンテナ群を望むことができる。
男体山自然研究路からの坊主山(後日撮影)。
坊主山から男体山までは、基本的に緩やかな登り坂が続く。御幸ヶ原近くの登り階段と、男体山への岩場だけが山で、あとは遊歩道と言ってもいいくらいである。
そして、このあたりから急に人が増えた。男体山までケーブルで登って来て、自然探勝路や坊主山まで足を延ばすグループが多いらしく、ずっと騒がしい。これまで人の声がほとんどしなかっただけに、余計に神経に響く。
坊主山から御幸ヶ原に向かう途中で、靴紐がほどけているのに気が付いた。そして、麓からここまでベンチの一つもなかったのに、自然探勝路の東屋がすぐ近くにある。ちょうどいいので、ここで昼休みにすることにした。
時刻は10時を少し回ったところ。朝食が4時だったので、早すぎることはないだろう。糖質制限中なのでいつものランチパックはやめて、くるみパンのサンドイッチとインスタントコーヒー。歩いている間は感じなかったのだが、止まると寒い。
そういえば、冬のこの時期にはずっと房総の山で、茨城県に来たのは昨年からである。そして、筑波山より低い山だったので、山の上がこんなに寒くなるとは想定していなかった。迂闊なことである。
昔、家族で荒船山に行った時も寒くて、持ってきたおにぎりやお稲荷さんがほとんど食べられなかったことがあった。今回はサンドイッチだからご飯のように固くなることはないが、EPIガスでラーメンでも作りたいほどの寒さである。
インスタントコーヒーはテルモスのお湯なので、心なしか熱くないような気がする。食べ終わっても体があたたまらず、かえって指先がかじかんで震えるくらいである。
早々に切り上げて男体山に向かったのだが、こちらはまたすごい人で、とても緊急事態宣言間近とは思えなかった。茨城は首都圏3県ではないのだが、せめてマスクくらいするとか、大声をあげるのは止めるとか考えないのだろうか。
奥高尾に行った時もそうだったが、なにしろひどいのがばあさま連中である。耳が遠いものだから声がでかい。声がでかいとツバも飛ぶ。死なば諸共、コロナウィルスまき散らし放題である。
いくら小池大統領が「みなさん、自分のこととして考えて行動してください」と言っても無駄である。こうやって70年80年生きてきたのである。燕岳に行って中房温泉に泊まったのがどれだけ自慢なのか分からないが、かほちゃんとは50違うだろう。
頂上でイザナギノミコトにご挨拶して、早々に御幸ヶ原へ下りる。途中、ゴルフ場に向けて景色の開けたところに出たら、麓から次々と霧が上がってきてすぐに下界は雲の中になってしまった。道理で寒いはずである。
このまま下山しようかと思っていたのだけれど、どうにも手足がかじかんで仕方がない。御幸ヶ原に並ぶ食堂で、もつ煮込みを食べてから下りることにした。店の中に入ると風がさえぎられて暖かい。おばさんに注いでもらったお茶がたいへん温かい。
うどんにせずもつ煮込みにしたのは、糖質制限中ということがあったのだが、注文してから消化に悪いかなと気が付いた。ただ、江部先生によると最も消化に悪いのは炭水化物で、肉食動物の食べるものはたいてい消化にいいというから、そう思って食べることにした。
七味を振ってよく噛んで食べていると、お腹の中から温まってくるような気がした。やっぱり山の上では、糖質制限はほどほどに、温かいもの、パワーのつくものがいいみたいである。
男体山頂は、平日にもかかわらず相当な人出。非常事態間近だというのに、マスク着用の人は決して多くない。特にばあさま!!、せめて他人に向かってツバを飛ばしてしゃべるな。
男体山の途中にある展望台から、つくばねカントリーが見えた。麓から霧が上がって来ている。
御幸ヶ原の食堂でもつ煮込みを食べて、ようやく人心地がついた。糖質制限も山ではあまり好ましくないようです。
御幸ヶ原の食堂を出たのはちょうど正午だった。下山はユースホステル跡地に向けて、「高速登山道」関東ふれあいの道を下る予定である。この道は、食堂のすぐ裏、公衆トイレの横から始まる。
男体山頂上で見たとおり、麓から霧が昇って来て見通しはよくない。しかし、道の状態はすばらしくいい。さすが高速登山道だ。道幅が広い上に、傾斜が均等で岩がごつごつすることもない。
よく見ると、車の轍のような跡が残っている。この道は車両通行止のはずだが、かつて食堂・売店の人達が登ってきたことがあるのだろうか。あるいは、チバラキ界隈でおなじみのオートバイのライダーだろうか。
10分20分と歩いているうちに、体が暖かくなって腹の中も落ち着いてきた。もつ煮込みは正解だったようである。ローカーボくるみパンだけでは、麓まで歩けないような気がしたのだ。右足と左足を交互に出していればいいので、快調に歩ける。
このコース、早く下れるとは思っていたが、コースタイムがよく分からないし案内にも書いてない。ユースホステル跡地まで1.2kmらしいが、そこからつくし湖まで戻らなければならない。9kmほどのようだから、3時間あれば着くだろう。
ユースホステル跡地は何も残っておらず、駐車場になっている。ここまで40分ほどで下りてきた。そして気づいた。ここへは昔、来たことがある。
つつじヶ丘の駐車場を目指してきたのだが大渋滞で、風返峠にすら着けなかった。どこか駐車する場所はないかと右往左往して、結局ユース跡地付近まで回ってきたのである。
ところがここも路上駐車の嵐で、ヘアピンカーブ以外はすべて車が止められていた。結局あきらめてつくばセンターに戻り、ファミレスでご飯を食べて帰ったのだった。いまでは考えられない混雑だったのである。
そんなことを思い出しながらヘアピンカーブを下って行き、林道に合流した。あとはなだらかなアップダウンである。
このあたりから麓まで、筑波山の北東斜面は立ち枯れの木々が白くなっているのが目立つ。すでに葉もなく枝も途中から折れているのが痛々しい。そうした木々を伐採したものだろうか、広大な土地が裸になっている。
筑波山山麓でも、南側斜面は筑波山神社の持ち物で、多くの森林はきちんと管理されているように見える。しかし、北側の斜面はかなり様相が異なる。林道が通っているくらいだから、民間の山林なのかもしれない。
そんな景色を見ながら林道を西へと向かう。パンフレットに東屋マークがある場所にはベンチが一脚しかなく、おじさんがラーメンを煮ていたので遠慮して近くのガードレール脇で小休止。
この林道は標高400m近辺をトラバースするが、時々車が通る。麓から7~8kmだから、車なら10分15分で着く。それほど山奥という距離ではない。
登りで通った登山道と林道の合流地点まで、御幸ヶ原から1時間半で下った。予想以上のペースである。ただ、この後はかなり大回りして標高を下げていくので、なかなか麓まで着かない。薬王院を経由してつくし池まで戻るのに、さらに1時間かかった。
駐車場に戻ったのは2時45分。これでは日帰り温泉はあきらめなくてはならない。車で着替えて高速経由で家に帰ったのだが、なんと、つくし池から1時間半で家に着いてしまった。房総に行くより、ずっと近い。こんなに早く行き来できるなら、また来ることになるだろう。
その週の週末に緊急事態宣言となったが、やはり茨城は対象外だった。昨春のようにこれから対象が全国に拡大するのか、感染が終息に向かうのか、気がもめることである。
この日の経過
つくし池駐車場(60) 7:20
7:50 薬王院前(190) 7:55
8:30 座れる石(406) 8:35
9:05 急登途中(552) 9:15
9:50 坊主山(710) 10:00
10:20 自然遊歩道東屋(755)[昼食] 10:40
11:10 男体山(871) 11:15
11:30 御幸ヶ原(795) 12:00
13:05 関東ふれあいの道休憩所付近(447) 13:10
14:45 つくし池駐車場(60)
[GPS測定距離 14.4km]
[Apr 5, 2021]
下りは高速登山道「関東ふれあいの道」。霧がどんどん上がってくるが、登りとは違ってスピードが出る。
筑波山北面の林道沿いは、立ち枯れしてしまった木々や、大規模な伐採が目立つ。南西側とちがって、筑波山神社の管理ではないのだろうか。
鬼ヶ作林道、酒寄林道とたどる関東ふれあいの道は、環境省の予算がついているのでたいへん歩きやすい。右足と左足を交互に出していれば目的地に着く。
筑波山(男の川ルート・失敗) [Feb 3, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。注.このルートは右岸(図の右側、下流から見て左の本流に見える沢)を遡ると遭難します。注意。
緊急事態で遠出ができない日が続いている。2月の山行も、車で2時間足らずと近場の筑波山にせざるを得なかった。ほとんどのハイキングコースを登ってしまったので、今回はバリエーションルートである男の川(おのかわ)ルートを選んでみた。
前回、薬王院コースを歩いた時、林道に車が多く止まっているのはなんだろうと思って調べたのがきっかけだった。筑波山のバリエーションルートは男体山からの男の川ルートと、女体山からの女の川(めのかわ)ルートがよく知られている。ともに、裏筑波と呼ばれる筑波山の北側にあたるルートである。
男の川ルートは林道に車が多く止められていた場所から男の川を遡上し、薬王院コースの坊主山を越えたあたりに出るようだ。まず、こちらを歩いてみることにした。
WEBには「女の川はともかく、男の川に迷うような場所はない」と書かれていたのだけれど、結果的にいうと迷ったのである。歩いている時点では、ガレ場で木の枝がうるさいので仕方なく尾根に登ったという感覚だったが、あれが丹沢や奥多摩だったら遭難である。
詳細は以下の記録を読んでいただくとしてまず結論をいうと、「1.男の川ルートは男の川を遡上するルートではない。本流だと思って辿っていくと正規ルートから外れる」ということである。
そして、「2.大滝不動から薬王寺コース合流まではっきりした踏み跡が続いており、迷うような場所だったらそれは間違い」だということ、さらにネタバレだが、「3.基本的に左岸、沢の向かって右側で水の流れている場所から離れたところを歩く」ということである。
WEBには沢の右岸左岸を行ったり来たりするなどと書かれているものもあるが、季節や雨の多い少ないはあるだろうけれど、正規ルートで続けて足が濡れるような場所はなかった。ただでさえ標識が全くないのだから、不正確な情報には気をつけたいものである。
2021年2月3日、この日は節分ではなく百数十年ぶりの立春であった。春分の日だって数年に一度ずれるのに、明治以来、大正・昭和・平成の100年以上立春がずれなかったというのも驚きである。
つくし湖の休憩所に寄ってトイレを借りた後、山道に入る。この林道は前回歩いたので、林道とはいえ車の通行に支障ないことは確認してあった。ほとんどの場所ですれ違い可能である。
男の川登山口は、麓の集落への車道を分けた後、「山火事注意」の横断幕があるので分かりやすい。朝8時過ぎに到着。すでに先客が2台止まっていた(帰りは6台に増えていた)。少し戻った場所にあと何台か止められる。
「男の川」の説明板から少し上がったところに、大滝不動の祠がある。祠には、一枚岩に彫り込んだ光背つきの座像と、石造りの立像の二柱の不動明王が祀られている。まず登山の無事を祈願して手を合わせる。
車を出る時に表示されていた気温が-2℃。筑波山の北側斜面で標高も400m以上あるので、結構冷え込んで手袋を外すと手がかじかむ。防寒用のレインウェアとニット帽もそのままで、8時20分に登り始めた。
男の川ルートの起点は、「男の川」説明看板の横。バリルートなので行先案内はありません。
登山道を歩き始めてすぐに、大滝不動の祠の横を通る。一柱は座像、一柱は立像。立派な屋根が付けられています。
この写真を撮った時にはすでに正規ルートを外していた可能性が大。それらしき踏み跡が続いているのが何ともいえない。
大滝不動から上にも、ここまでと同じような登山道が続いている。踏み跡などという心細いものではなく、しっかりした登山道である。これが坊主山近くまで続くということはあるまいと思っていた(これが大間違い)。
WEBを見て、沢に沿って右岸と左岸を行き来するような道を想像していたので、しだいに踏み跡が心細くなり、ガレ場と沢を歩くようになってもそれほど心配しなかった。沢の源頭部で尾根道に登るのだろうと思って、どんどん先に進む。
沢の右岸で、左の尾根に登る登山道と分かれた先で、いよいよ険しいガレ場となった。左の尾根は方向的にユースホステル跡地から御幸ヶ原までの「関東ふれあいの道」だろうから、男の川ルートとは違うはずだ。とはいえ、濡れた岩は滑るし、安定しないので足の置き場に迷う。
なるほどこれはバリエーションルートだと納得して、ひと汗かいたので身支度を整える。レインウェアを脱ぎ、ニット帽は汗を吸う夏用の帽子に替えた。幸い下は乾いたガレ場なので、リュックを置いても汚れない。
後から判明したことだけれど、こんな場所は正規ルートにはない。それなのに、ルートから外れているという認識さえなかったのだから困ったものである。ただ、倒木や枯れ枝がたくさんあって歩きにくいガレ場だと思っていた。
沢の上方に、男体山と思われるピークが見え隠れする。そろそろ尾根道に上がる頃合いと思って両岸をうかがうのだが、右手(左岸)は道などとても通っていないような急こう配で、森も深い。左手の尾根が間近に見えるのだけれど、坊主山方面に向かうのに右岸はおかしいなと思っていた。
路肩駐車場には2台の先客がいたのでもう少し歩きやすい道を想像していたのに、案に相違してハードな道である。一度は左手(右岸)に尾根に登る踏み跡が見えたと思ったのだが、登ってみるとただの落ち葉で、下が一枚岩だったので滑って転んだくらいである。
駐車場から1時間ほど登って、いよいよガレ場に倒木や枯れ枝が散乱して進めなくなってしまった。こうなると、左手に見える尾根に登るしかない。手近の幹を手掛かりに踏み跡らしきものを追うのだけれど、やっぱりただの落ち葉だった。
ただ、そこまで登ると、もう一度沢まで下りるのと、尾根まで登るのと、たいして距離も高さも変わらない。道も踏み跡もないけれど、行く手に立ちはだかる笹薮をかき分けて尾根に向かう。
たまたま季節が冬なので藪がそれほど濃くなかったのと、蜂などがいなかったのでなんとか尾根に達したけれど、考えてみれば無謀な試みで、一歩間違えれば遭難である。ただし本人は、先行したグループはあのガレ場を進んで行ったのはすごいなと思っていたのだから、おめでたいことである。
尾根にはちゃんとした登山道が通っていて、おそらく男の川から上がって御幸ヶ原に向かう道である。私が藪を漕いで出てきた少し先にブロック造の小屋があって、御幸ヶ原への揚水施設のようであった。おそらくそのメンテナンスのため、登山道が整備されているのだろう。
登り坂を歩くと、すぐに関東ふれあいの道に出た。ついこの間下ってきた道である。合流点まで出たのが9時半、45分には御幸ヶ原に着いたから、ほとんど御幸ヶ原の直下に出たということである。
藪漕ぎなど苦戦をしいられたものの、予定していた時間に御幸ヶ原に着くことができた。この間もつ煮込みを食べた食堂で温かいものでも食べてひと休みしたかったのだが、時間が早かったのか、あるいは緊急事態宣言の影響か、開いていなかった。
他に開いている店はあったのだけれど、持ってきたテルモスでインスタントコーヒーを淹れて、カロリーメイトで軽いお昼にする。御幸ヶ原は寒風が吹きさらしている上に、登山客もまばらで余計に寒々しかったが、コーヒーで暖まることができた。30分休んで出発する。
谷の先に男体山らしきピークが見え隠れする。完全に正規ルートを外している。正規ルートには、ガレ場を長く遡る場所はない。
藪を漕いで尾根道に復帰する。この道は一体どこに通じているのだろう。
結局この道は、御幸ヶ原・旧ユース間の関東ふれあいの道と、御幸ヶ原への揚水施設らしき小屋を結んでいる道でした。
当初の予定では、午後は女体山まで歩いてキャンプ場に下りる計画としていたが、男の川ルートをちゃんと登れなかったので、下ってみてルートを確かめることにした。
とはいっても、この時点では沢を間違って遡ったとは思っておらず、あの荒れたガレ場を逆から突破するのは嫌だなと思っていた。この日はちゃんと頭が働いていなかったようである。
まず、坊主山方向に向かって少し戻る必要がある。この日は男体山に登らずに、自然研究路の西回りで男体山のあちら側に下りるつもりである。
ところが、しばらく進んだ間宮林蔵の立身岩の先で通行止めになっている。迂回路と指示された方向に進むとずいぶんと登る。とても遊歩道とは思えない岩を登ると、男体山登山道に合流した。
まだ登山道の下の方である。どこまで登るんだろうと思ってさらに進むと、足元がずるっと滑って派手に転倒した。男の川の斜面に続いてこの日2度目である。滑りやすい一枚岩がまだ凍って滑りやすくなっていたらしい。
打ちどころも悪く、両足のスネがひどく痛む。スラックスは破れていないしCW-Xも大丈夫そうだが、生身の体には響く。良くて打ち身だし、悪くすると傷になっているかもしれない。
この日は登山客が少なくて誰にも見られていなかったのは不幸中の幸いだったが、普段の筑波山なら衆人環視の下でかなりみっともなかっただろう。
これで、頂上まで登って迂回路を探そうという気もなくなった。御幸ヶ原まで慎重に戻り、公衆トイレの横から東回りの自然研究路に進む。
ところが、こちらは石段部分がアイスバーンとなっており、一歩進むごとに置いた足が滑る状態である。もうこれ以上転倒するのは嫌なので、氷のないところに足の置き場所を探す。それでも滑るのだが、何とか転倒までには至らなかった。
帰ってから調べたところ、自然研究路の西回りはしばらく前(少なくとも2016年)から落石により通行止めが続いており、男体山山頂まで登らないと先には行けない。5年も放っておくなら、現地の掲示板はともかくWEB上のハイキングコース案内は代えておけばいいのに。
アイスバーンの石段を下りる頃になって、ようやく暖かくなってきた。100mほど標高が下がったせいもあるだろう。この日初めてのリラックスした尾根歩きで、前方には林の向こうに坊主山のピークを見ることができた。
再び御幸ヶ原へ。前回もつ煮込みを食べたお店はやってませんでした。時間が早かったせいなのか、あるいは緊急事態のためなのでしょうか。
男体山自然研究路を歩いてみたが、残念ながら途中から土砂崩れのため通行止めで、御幸ヶ原に引き返すことになった。
自然研究路はアイスバーンと化して滑ること滑ること。通過に相当気を使う。
自然研究路の先端、薬王院コースへの下山口からすぐの場所に、男の川コースの下山口がある。よく分からない漢数字で印のつけてある大岩のところで、登山道が左右に分かれている。
左に進むと薬王院コースと坊主山への登山道があり、右が男の川ルートである。目印の岩から茂みに入るあたりに、汚れて半分読めなくなった注意書きがある。ちゃんと看板にせず、プリントアウトしたものをパウチしただけのようだ。
「このルートは道ががはっ■■■■おらず、危険な場所や迷いやすい場所が■■■■ります。ご利用には十分ご注意ください。」
後から考えると、この表示はここに掲示するよりも、路肩駐車場のあたりに貼ってある方がよさそうだ。というのはこのルート、下りる分にはほとんど迷わないが、登る分には枝沢に迷い込む可能性があるからである(私のように)。駐車場の場所には、スズメバチ注意の貼り紙しかなかった。
貼り紙の先から男の川ルートの下山道が始まっている。最初はトラバース道を進み、スイッチバックして急坂に入る。踏み跡というよりしっかりした登山道で、傾斜はきついけれど危険な個所はない。
急坂を下ると沢の源頭部に着く。細いパイプが刺さっていて、男の川最初の水が湧出している。上に登山客もいるし売店もあるので飲むには勇気がいるが、ともかくここが男の川の源流に違いない。
この流れはすぐにガレ場の下に沈んでしまい、沢を歩くという感じではなくなる。道は依然としてはっきりしているし、しかも太い。奥多摩や丹沢なら一般登山道である。
薬王院コース合流点付近で単独行の人と、このあたりでシニア4人グループとすれ違った。平日なのにこの状態だから、決してひと気のないルートではない。そして、シニア4人組が登ってくるくらいだから、私が朝に突破したような枯れ枝満載の道でないことは確かであった。
さらに下りたあたりに茨城県の設置した「鳥獣保護区」の金属製看板がある。ということは、筑波山のこちら側斜面はやはり神社の持ち物ではないのだろう。そして、林の中を間違いようもない登山道が続いている。私はどこで間違えたのだ?
ここがそうだろうという場所に着いたのは、登山口までかなり近づいたあたりだった。沢が何ヶ所かに分岐するところで、登山道は左岸に続いているのだが、下から見ると正面のガレ場の方が幅が広く、そちらに進むと思えるのである。
確かに右に進む登山道を見逃したのは手落ちだが、正面の沢には盛んと水が流れていて、沢を登って両岸を行き来するという説明が頭にあると、まっすぐ進んでしまいそうな場所であった。
そして、帰ってから写真を整理していて気付いたのだが、私が道間違いをした場所で、岩のコケに「×」印をつけてあるのだった。コケを傷つけるくらいなら、せめてこの場所に「この先の沢は男の川ルートではありません」と貼り紙をしておけばいいのに。「頭上注意」のような貼り紙があるのだから、すでに自然のままではないのである。
ただ、この下も登山道は沢よりかなり高い場所を通っているので、もっと早くから間違えていた可能性もある。思い出してみても、ガレ場が出てきてから登山道を通った覚えがないのである。
お昼少し前に大滝不動の登山口に到着。薬王寺コースとの分岐から40分だから、間違えなければ少なくとも1時間で合流点まで登れたはずである。筑波山とはいえ、バリエーションルートの厳しさを思い知らされた1日でした。
下山した後は、つくば湯に向かい汗を流してから帰宅した。転倒したスネは特に右足がひどくて、広くすりむけ傷ができてシャワーで流したらひどくしみた。幸い出血することもなかったが、帰ってから4~5日痛かった。
この日の経過
男の川路肩駐車場(454) 8:20
9:45 御幸ヶ原(792) 10:15
11:05 薬王院ルート分岐(721) 11:05
11:55 男の川路肩駐車場
[GPS測定距離 4.0km]
[Apr 26, 2021]
薬王院コースと男の川ルートの分岐は、へんな目印の岩と少し先にある半分読めない注意書きがテープ代わりとなる。
男の川ルートはたいへんはっきりした登山道が麓まで続く。なんで迷ったのだろう。
おそらくここが間違えた場所。登山道は沢を離れて進むのに、ガレ場を進んでしまった。この先も水が流れているので、そちらが本流と勘違いしたのである。コケに付けられたX印は、登っている時もこれを撮影した時も見逃し、写真を整理していて気がついた。
筑波山(男の川再挑戦) [Feb 10, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
筑波山で男の川ルートの遡上に失敗して、たいへん気になっていた。これを解決しないことには、先に進めない。翌週の2月10日、1週間しか経っていないが再挑戦することにした。年金生活者の特典である。
以前は、冬の山歩きは房総と決まっていた。雪が降ることなどめったになく、寒さは他とは段違いである。春先になるとヒルが出るので、房総を歩こうと思ったら冬しかない。
ところが、同じ県とはいえ、房総は遠いのである。高速に乗るまで朝から混んでいる16号線を通り、帰りも渋滞がデフォルトである。往きの2時間はともかく、帰りの3時間は気が重いし、なのに高速料金が往復4~5千円かかるときている。
だから、房総では気分的にも財政的にも、中1週間で山に行こうとはなかなか思わないのだけれど、茨城に行くようになってから、そういう気がかりが相当少なくなった。
以前、学園都市の中は結構混んでいたように覚えているが、最近では6時台に抜ければほとんど問題ない。帰りの千葉県内に戻る利根川越えの渋滞も少なくなって、行き帰りとも家から2時間以内に筑波山周辺である。
それと、年金生活者にとってたいへん大きいのは、高速料金が安く済むことである。帰りに土浦北から牛久阿見まで乗っても740円で、房総の4~5千円とは比較にならない。
午前6時前に家を出発。前の週より20分遅く出たのだけれど、着いた時間はほとんど変わらなかった。カーナビに先週のルートが残っていたので迷わなかったためである(10年前の車=カーナビなので、それ以降にできた道路が入ってない)。
天気予報でつくばの最低気温が-4℃と出ていたのでそんなに寒いのかと思っていたら、本当に学園都市を通った時に車に表示された外気温が-4℃だった。つくし湖の休憩所に寄って、山道に入る。到着は8時前で、今回は一番乗りだった。予報通り冷えるが、道が凍結しているところはなかった。
大滝不動に「今回は迷わないようにお願いします」と手を合わせて出発。1週間のうちに、登り、下り、登りで3度目、もう勝手知ったる道である。間違いようもない登山道を登る。15分ほどで、下りで見た「コケに×印」の分岐に着いた。
その地点にさしかかって思ったのは、いくら私でもここでは間違えないだろうということである。まっすぐ前にはっきりした登山道があるのに、そうでないガレ場に入る訳がない。
それに、ここまでの間、左斜面に登る踏み跡などなかった。ということは、ここより下で正規ルートを外しているのである。登山口から右手に伐採地を見ながら登るところまでは確かに記憶があるのだが、一体どこで?
うろ覚えだが、右手の林の中に伸びる道を見ながら、こんなに早く沢から離れないだろうと見送ってガレ場を進んだような気がする。だとすると、登り始めて10分かそこらのはずで、あとの50分正規ルートではない沢を遡上していたことになる。
その謎を解明するのは、次のシーズン以降になるだろう。いずれにしても、登山口からずっとはっきりした登山道が続いていることは間違いないのであった。
「鳥獣保護区」の看板を抜け、源頭部の細いパイプから出る水を見て、急傾斜の坂道からトラバースを登って尾根に出る。下りで見込んだとおり、登山口から50分ほどで薬王院コースに合流した。
前回の道間違いが大変くやしくて、1週間後に男の川ルートに再挑戦することにした。
はっきりした登山道を追って、難なく鳥獣保護区の看板に到達。このルートでほとんど唯一の人工物である。
男の川の源流には、細いパイプから最初の水が湧出している。
改めて、コース合流点にある大岩を見る。まさか麓から持ち上げた訳ではないだろうから、もとからこの場所にあったものと思われる。にもかかわらず、赤く染められた「+」のマーク、それとわざわざタイルをはめ込んであるのは不審である。
タイルには黒く、「一五三補一」と書いてある。一と三は間違いないが、五と補は別の字かもれしない。それにしたって、ここは標高700mくらいだし、近くに続き番号と思われるものもないから、結局のところ意味不明である。
(想像だが、赤く染めた+印はよく標石柱の上にあるマークなので、この岩が土地の境界なのかもしれない。国有林と筑波山神社の境界だとすると、国定公園内の自然石に堂々とマーキングしているのもありそうなことだ。)
いつまで見ていても仕方がないので男体山に向かう。この日2つ目のミッションは、前回歩けなかった自然研究路西回りの探索である。
自然研究路は立身石の先で通行止めになっていることは確認したが、いつからこうなって直すつもりがあるのかないのかよく分からない。
現地の張り紙には「令和2年5月に」研究路が崩落したと書いてあるのだが、WEB情報ではもっと前から通れなかったらしいし、平成の記録ですでに迂回路表示の写真もある。看板も立入禁止の造作も、とても半年しか経っていないとは思えない。
察するところ、複数回にわたって土砂崩れや岩石の崩落があり、その都度通行止め地域が広がっているのだろう。おそらくWEB情報の2015年というのが最初に周回できなくなった時期で、看板や造作はそのくらい時間が経っているように見える。
いずれにせよ、今年とか来年中に復旧するつもりがないことは間違いなく、そんな大規模な予算は茨城県は用意できない。そうでなくても、震災復興で手一杯なのである。
西回りコースを進む。ちょうどつくし湖が下に見える方向に登り階段が続いている。しばらく行くと展望台がある。何か書いてあると思って近づくと「立入禁止」だった。展望台から下に踏み跡が続いていて、行ってしまう人がいるらしい。
この斜面は筑波山で最も傾斜がきつい場所の一つで、薬王院コースの「天国への階段」もこのあたりの場所である。傾斜がきついということは視線をさえぎる木々の密度が濃くないということだから、見通しがきく。
展望台に登ると、足元につくし湖から北条にかけてののびやかな眺めが広がるとともに、雲に霞んではいるものの富士山が顔をのぞかせている。右に目を転じれば、特徴ある日光男体山と女峰山が、いずれも雪をかぶって輝いている。
ここまで誰とも会わなかったのだが、さすがに頂上付近まで来ると筑波山である。向こうからもう一人歩いてきた。展望台は一人くらいしか立てない広さなので、下りて場所を譲る。
その先の東屋にも先客がいてEPIガスを使っていたので素通りして、すぐ上に見える男体山の頂上に向かう。遊歩道を予想して来た人には想定外だろうが、登山のつもりで来れば御幸ヶ原から直登するより登りやすい道である。まずアンテナ塔に出て、さらに登って山階宮研究所跡に出る。
薬王院コース合流点の変な目印の岩。誰が何の目的で付けた目印なのか。「一五三補一」(?)って何のことだろう。
途中から通行止めになっている自然研究路西回り。コンクリが傾いているように見えるのは、写真のせいではなく実際に傾いている。
自然研究路迂回路は、アンテナ設備横から山階宮研究所跡を通って男体山頂に出る。御幸ヶ原から男体山直登の登山道より、全然登りやすい。
男体山到着は9時25分、登山口から1時間半かかっていない。もちろん、男の川登山口は宮脇やつつじヶ丘より標高が高いのだけれど、早く着くのは気持ちのいいものである。
まだケーブルカーの始発からそれほど時間が経っていないので、頂上には私の他に2人だけ。筑波山にしてはかなり珍しい。神前に進み、二礼二拍手一礼、お賽銭も100円出して無事登頂の感謝をする。ありがとうございました。
先週滑って派手に転倒した岩場も無事通過して、再び自然研究路へ迂回する。男体山への直登より、自然研究路を歩いた方が安全だし、しかも気持ちがいい。10分ほどで御幸ヶ原に達する。
御幸ヶ原では、前々回訪れた食堂が開いていた。女体山寄りの「峰の茶屋」である。その時はもつ煮込みを頼んだので、今回は煮込みおでんをお願いする。おばさまが出ていらしたので「できますか」とお伺いすると、すぐできますよ、とのお答え。
前回同様、北西の窓に面した席に座ると、ここからも日光連山が見えた。たいへん気持ちがいい。そして、前回は気がつかなかったが、有名人来訪者の写真の中に田中陽希クンがいる。筑波山も百名山だから来ているのは知っていたが、まさか御幸ヶ原の食堂で休んでいるとは思わなかった。
煮込みおでんは、玉子、大根、こんにゃく、ちくわに練り物が2つ付いて600円。まだ時間も十分あり、気分も上々、体もぽかぽかで女体山に向かう。
御幸ヶ原から歩くと、女体山が男体山より高いとはとても思えないから不思議である。ゆるやかな遊歩道を進むと、10分ほどで女体山神社の下に出る。神社の向こう側が頂上だが、何回も来ているし混んでいたら嫌なのでこの日はここまでにする。
神社に登るところが交差点になっていて、案内掲示板がある。この日向かうのはキャンプ場コースで、掲示板には「筑波高原キャンプ場 交通手段がありません」と恐ろし気なことが書いてある。確かに、ロープウェーやケーブルカーで気楽に登ってきた人が下りる道ではないが、登り返しても1時間である。
と思ったら、頂上直下がアイスバーンになっている。急傾斜の上に滑るし、他に歩ける場所もない。これは危ないなと思っていたら、案の定滑って尻もちをついた。
前の週の岩場の転倒とは違って、登山ズボンと手袋を汚したくらいでダメージはなかったが、それにしても転んだのはいただけない。チェーンアイゼンを持ってくりゃよかったというようなアイスバーンだし、転びそうだと予想はしていたのだが。
WEBによると、女の川が筑波山では最も春の訪れが遅いのだそうである。キャンプ場コースは女の川ルートのすぐ横にあるから、同様に冬が厳しい場所なのだろう。
筑波山は関東平野のど真ん中にあり、風の流れが複雑である。こうして北斜面が冷える一方で、北東斜面の薬王院コース近くにはみかん園がある。山からの吹きおろしの風で、暖かいのだそうである。
「峰の茶屋」の煮込みおでんで温まった後、女体山に向かう。山頂は行かないで、この日はここから手を合わせて下山。
いつも見慣れた案内看板。ここからキャンプ場方面に下りるのは初めて。
ここからの下りは、急斜面の上に凍ってアイスバーンになっている。筑波山でもっとも冷える斜面といわれる。
アイスバーンの急斜面がようやく濡れた急斜面になり、普通の急坂になった。ということは、山腹では雨の時も頂上付近は雪で、しかも気温が低いので時間が経っても凍ったままということである。
この日最後のミッションが、筑波山もう一つのバリエーションルートである女の川(めのかわ)ルートの下見であった。しかし、頂上直下のアイスバーンで痛い目をみたことでもあり、おとなしくキャンプ場コースを下ることにした。
アイスバーンが終わった頃に左に分かれていく登山道があり、その後はそれらしき踏み跡を見なかったので、そこが女の川ルートとの合流点かもしれない。そちらの方向を見ると、笹薮の急斜面が谷に向かって下りていくだけで、道らしきものは見えなかった。
山の鉄則として、道がよく分からない時に下るのは事故の元である。登っていればいずれ尾根に出て頂上に向かうが、下るとどこへ出るか分からないからである。沢を下っても、滝だったり絶壁であればそれ以上進めない。
前回の男の川ルートのような道は例外で、下山口から登山口までちゃんと登山道がつながっているからよかったようなものの、原則としては知らない道を下るのはよくない。滑る危険が大きいと分かっていたら尚更である。
キャンプ場ルートは中間の道標あたりまで尾根をたどり、その後スイッチバックで谷に向かって下りてゆく。1/25000図でもはっきりしていて、まっすぐなのが尾根道、ぐちゃぐちゃ曲がるのがスイッチバックである。
とはいえ、奥多摩にあるような10m20mごとに折り返しというようなものではなく、しばらく一方向に向かい、忘れた頃にゆるやかなスイッチバックが来るみたいな道である。
女体山から1時間ほど歩いただろうか、やはり急こう配の階段の下にバンガローが見えてくる。キャンプ場である。ずいぶんオールドファッションなキャンプ場に見える。若い頃にはキャンプ場とはこういうものであった。
バンガローの入口には「使用禁止」の貼り紙がはられている。使用禁止も何も、ここは季節営業でこの時期やっていない。ということは、長期間使用不能であるのか、あるいは不届き者が無許可で使っているかである。
どうやら後者のようで、バンガローの一つはドアがこじ開けられてガムテープで補修してあるのが見えたし、管理棟に行くと「期間外の使用は警察に通報します」と書いてあった。駐車場には何台か車が止まっていたが、トイレにはシャッターが下りていた。
いまやキャンプ場といえば、川沿いや森の中に車でやって来て、焚き火台やポータブル電源を使って「おっぱいキャンパー」がこじゃれた料理をするみたいなイメージだが、かつてはこういう施設を作れば若い人が集まると思っていたのである。もっとも、こじゃれたキャンプ場だからといって、集まるのはいい歳のおじさんおばさんだったりする。
管理棟前に休憩ベンチがあったので、テルモスでホットレモンを淹れてカロリーメイトでひと息つく。この日は女体山直下で滑って転んだけれど、ほぼ計画どおりに歩くことができた。
キャンプ場から男の川路肩駐車場までは、「高速登山道」関東ふれあいの道である。右足と左足を交互に出しながら、右手に筑波山から北に伸びる稜線を望みつつ歩く。
採石場跡が山腹にあるのは加波山、その向こうのアンテナは燕山、手前には足尾山、去年登った山々である。峰々の間から、丸山のプロペラ発電所も見える。足尾山のこちらにある幅広のピークは、きのこ山だろうか。
今年は雪が多くて、尾瀬や栃木の山に登れるのは遅くなりそうだ。茨城の山歩きは、もう少し続きそうである。
この日の経過
男の川路肩駐車場(454) 8:00
8:45 薬王院ルート合流点(721) 8:50
9:25 男体山(871) 9:30
9:50 御幸ヶ原(792) 10:25
10:35 女体山(875) 10:35
11:40 キャンプ場(521) 11:55
12:15 男の川路肩駐車場(454)
[GPS測定距離 5.6km]
[May 24, 2021]
キャンプ場コースの下半分は、谷に向かってトラバースしながら標高を下げる。頂上付近のアイスバーンから一転して歩きやすい道だ。
急斜面の左右にオールドファッションなバンガローが並ぶキャンプ場。ほとんどの入口に「使用禁止」の紙が貼られているが、そもそも6~9月の季節営業である。
筑波高原キャンプ場管理棟前広場からは、麓の景色が一望できる。あまり使われていないようなのは残念だ。
きのこ山~筑波高原キャンプ場 [Mar 1, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
この冬は筑波山周辺に足しげく通った。筑波山は標高こそ1000mに満たないものの傾斜が急であり、冬の間に筋肉を落とさないために有効だと思うけれど、難があるとすれば動ける範囲が狭いことである。
どのコースで登り下りしても、1/25000図の4分の1にも足りない。日が短い冬には安心ではあるものの、たまにはしっかり歩いておかないと持久力が心配である。特に今年は、糖質制限で体重が落ちているので、影響が未知数である。
ということで、昨年きのこ山まで歩いた関東ふれあいの道を、筑波山中腹まで歩いてみることにした。関東ふれあいの道「筑波連山縦走のみち(2)」は真壁休憩所から酒寄までだが、筑波高原キャンプ場から酒寄まではすでに歩いているので、キャンプ場までであとは下りることもできる。
2021年3月1日、午前5時半に家を出発。少し前は真っ暗だったこの時間だが、すでに東の空が明るくなってきている。天気予報は夜から雨だが、日中はもちそうだ。風もそれほどない。
筑波山の麓まで約2時間、1年ぶりとなる真壁休憩所の場所を覚えておらずうろうろした。昨年は工事中で使えなかったトイレが完成して使えるようになっていた。最初の一台だったので、一番奥に駐車する。
ところが、まだ荷物を出したままでキーをロックしてしまったり、ドリンクホルダーの固定がうまくできなかったり、いざスタートの時点でもたもたしてしまった。前日ワインとウィスキーを飲んでしまったのが響いたのだろうか。
結局、歩き始めたのは8時5分前だった。最初に目指すのはきのこ山、前回下山してきた逆コースである。史跡真壁城址の横を抜け、分岐で左に折れてみかげ憩いの森の外周道路に入る。
気づいたのは、昨年はなかった緑色の小さな看板が出来ていて、曲がり角ごとに関東ふれあいの道の経路を案内してくれたことである。
前回きのこ山を下りてくると、途中でどちらに進むかよく分からなくなり、結局舗装道路の林道を使ったのである。この案内はたいへんありがたかった。林道が工事中で、ところどころルートが変わっていたようだ。
登山道をしばらく進むと、見覚えのある標識が出てきた。ここから先は前回通った道である。急傾斜だった登山道は、このあたりからいったんなだらかになる。登山道に入って1時間弱でつぼろ台の分岐まで登った。
つぼろ台は環境庁推薦の展望地で、関東ふれあいの道パンフレットの写真にも使われている。だが、最初に整備してから時が経ち、パンフレットに載っている眺望は木々の枝越しにしか望むことができない。
パンフレットではこんなに枝が進出していないから、時とともに繁ってしまったのだろう。冬だからまだ少しは見ることができるけれども、夏だと葉が邪魔してほとんど見えないだろう。国定公園内なので、勝手に伐れないのかもしれない。
つぼろ台から引き返して再びきのこ山を目指す。パラグライダーのゲレンデがあることで分かるように、頂上にかけて傾斜が急で切り立っている。案の定、登り階段が延々と続いて息が切れる。下りの時は、快適な高速登山道だと思っていたのに、登る時はやっぱりきつい。
昨年(2020年)に来た時より、標識が多く分かりやすくなっていた(小さな緑の案内標識)。前回はずっと林道を歩いたのだった。
環境庁ご推薦のつぼろ台からの眺望は、冬でなければ木々に阻まれて見えないのではないかと思う。
つぼろ台からきのこ山はもう一段の登りで結構きつい。この長い階段をクリアすると、頂上直下に再度急登がある。
頂上直下の急傾斜を登り、パラグライダーのゲレンデに出ると、芝生の向こうに筑波山が浮かび上がった。左から、女体山、男体山、坊主山の3つのピークが間近に見える。
一年前もこの景色を見ているけれども、筑波山のいろいろなコースを回った後で見ると、また感慨もひとしおである。千葉方面からは筑波山は2つのピークとしか見えないが、北から見るとこうして3つのピークがはっきり見える。
ゲレンデの上の林道を越えて50mほどで東屋がある。9時50分着。真壁休憩所から2時間弱かかった。登り下りの差があるし、つぼろ台にも寄ったのでこんなものだろう。
リュックを下ろして昼食休憩にする。筑波山だとどのコースでも朝早くても必ず誰かいるのだが、さすがにこの時間ここには誰もいない。セブンで買ってきた冷凍ゴールデンパインと、1本満足バー糖類80%カットでお昼にする。
冷凍パインはミックスフルーツの代わりであるが、1本満足バーの方は「糖質80%カットはすごいな」と思って買ったのである。ところがよく読むと糖質でなく糖類である。どこの誰が糖類の摂取を抑えろと言っているんだ。
この後登り下りがあるものの、ここがこの日の最高標高点である。527.9m。昨年歩いた時は三角点を見つけられなかったが、上曽峠側に踏み跡があって藪の中に三角点があった。いまではゲレンデあたりが見通しが利くけれども、昔はここだったのだろうか。
30分ほど休んで出発。上曽峠(うわそとうげ)に向かう。
しばらくは、足尾山からきのこ山の林道を思い出すような稜線を走る林道である。筑波山を望みながら歩いたり、逆側の八郷方面が開けた場所もある。ところが、傾斜はいつまでも下り勾配で、どんどん標高が下がって行く。
標高が下がるとともに、林道の周囲は見通しが利かなくなる。ここまで下りてしまったら縦走じゃなくて登り直しだと思うくらいである。なぜか、広い駐車場もあった。トイレも東屋もないので、おそらく工事用に作ったものだろう。
爽快感に欠ける道だと思ったのだが、その原因の一つがひっきりなしに飛来するヘリコプターの轟音であった。上高地や丹沢じゃあるまいし筑波山頂にヘリ輸送するかと思っていたのである。もしかすると、この日まで消火活動が続いていた足利の山火事救援に向かう自衛隊機だったのかもしれない。
車通りの多い片側一車線と交差したところが上曽峠(うわそとうげ)かと思われたが、特に地名表示はなかった。ただ、X字型の交差点、不愛想な行先表示に隠れるように、関東ふれあいの道の案内が斜めに立っていた。
コースはここを進めばよさそうだが、なんだかハイキングコースという雰囲気じゃないなとふと思った。その予感は当たっていて、ここから先は高速登山道の名前が泣くようなひどい雰囲気だったのである。
きのこ山頂上のパラグライダーゲレンデから、女体山・男体山・坊主山の筑波山3ピークの眺めが間近に迫る。
きのこ山から関東ふれあいの道を進む。足尾山からの道とよく似ているが、ずっと下って見通しが利かなくなるところが爽快さに欠ける。
ずいぶんと下って上曽峠に出る。不愛想な交通看板の影にかくれて、関東ふれあいの道の案内標識を見逃しそうだ。これから先の道の様子を暗示している。
上曽峠(うわそとうげ)から湯袋峠(ゆぶくろとうげ)までは、弁天山から396.6m三角点に続く筑波連山の支尾根を越えるので、標高差100mほどの登り下りがある。舗装道路とはいえ、下った後の登りは厳しい。
登るうちに、あたりがハイキングコースらしからぬ雰囲気になってきた。道沿いを流れる沢にはタイヤや石材など産業廃棄物が投げ込まれ、せっかくの清流がだいなしである。このあたりも国定公園のはずだが、見通しを悪くする木は伐れないのに、産廃を捨てるのはお構いなしなのだろうか。
そして、急カーブが続くのでカーブミラーが付けられているのだが、その鏡面部分がみんな取り外されているのである。最初は壊れているから外したのだろうと思っていたのだが、どれもこれも取り外されて、錆びた支柱部分だけが立っている。
極めつけはいちばん高くなっている尾根のあたりである。遠くから「桜川市」のバリケードがうず高く積まれた塊を囲っていたので、道路補修用の砂利を積んであるとばかり思っていたら、そんなご立派なものではなかった。
近くまで来てみるとそれは砂利ではなく、大量の産業廃棄物を放置してあるのだった。片側一車線くらいの幅の、ちょうど半分が産業廃棄物で占められている。何かを燃やした灰やら、コードの残骸やら、訳の分からないものが道の脇の藪にまでぶち撒かれていた。
鏡部分が引きはがされたカーブミラーと併せて考えると、この道は品性のよくない連中が屯ろする場所であって、のんびり歩く場所ではないのであろう。それと関係あるのかどうか、下り坂では急カーブのところにお地蔵さんがあり、真新しい衣装を着せられお供えもしてあった。
仮にも環境省の予算で「関東ふれあいの道」として整備しているのに、これはどうだろうか。ハイキングコースとするなら車両通行止にすべきだし、道路として必要なら「関東ふれあいの道」から外すべきだろう。
もうひとつ思ったのは、環境保全だ自然保護だといったところで、カネ儲けの前には吹き飛んでしまうということである。資本主義とはそういうものなのか、それとも人間の品性がその程度なのか。
わが家の前にも犬のフンを置きっぱなしにする奴らやタバコの吸い殻を捨てていく奴らがいるから、誰も見ていない山の中に産業廃棄物を放置したって平気なのだろう。嘆かわしいことだけれど、私の生きている間に解決することは難しい。
何だか暗い気持ちになって、湯袋峠の県道交差まで下りてきた。本来の湯袋峠は交差点を左に登って行くが、関東ふれあいの道は右に下って沢沿いの道を行く。
しばらく舗装道路を下って標識が出てきた。舗装道路から入る踏み跡の方向を示している。いきなりの藪だし、沢とも言えないような細い流れに沿った道だが、踏み跡はしっかりしている。
そして、そこを入って2~3分進んでみたのだが、踏み跡は続くものの藪がひどいし、最近人の通った形跡がない。上曽峠からの登り下りでイメージダウンしたものの、関東ふれあいの道でここまでひどいグレードはないだろうと思った。
しばらく進んで引き返す。先ほどのが関東ふれあいの道なら仕方がない、このまま麓まで下りようと思っていたら、100mほど下ったところに「← 筑波高原キャンプ場2.2km」の案内が出てきた。さすがにあれが環境省推奨の道でなくて安心した。
ここからの道はさすが高速登山道で、道も平らだし石畳の部分もあった。沢もそれなりの幅があって、水の音が心地いい。しばらく歩くとベンチが出てきた。きのこ山から2時間以上、東屋もベンチもなかったのに、突然の登場で驚いた。
上曽峠から湯袋峠までの稜線越え、ピーク付近に補修用の砂利が積んであると思ったら、産業廃棄物の不法投棄でした。
カーブミラーも鏡部分だけ抜き取られていて、ハイキングコースにはふさわしくない雰囲気が漂う。
湯袋峠付近からキャンプ場への道を間違えかけたが、どうにか正規ルートを歩くことができた。間違えかけた踏み跡とはグレードが違う。
高速登山道「関東ふれあいの道」の沢筋に入ると、いきなりベンチが現れた。そういえばきのこ山からずっと休んでいなかったので、2つめに出てきたベンチでひと息つく。
このあたり、急にくしゃみが出て止まらなくなり困ったのだが、足元を見ると杉の落ち葉だった。きのこ山ではほとんどが広葉樹で、深く積もって歩きにくいくらいだったが、杉は杉で困る。花粉症の発作が出てしまう。
湯袋峠から筑波高原キャンプ場まで、尾根伝いに来る道と沢沿いに登る道があり、関東ふれあいの道は後者である。もともとのテーマが「筑波連山縦走」なので尾根伝いが趣旨に沿うように思うか、こちらの道の方が整備しやすいのだろう。
沢沿いの道だけあって、ずっと緩斜面だったのに源流部分からは急傾斜になった。階段がありスイッチバックがあり、この日三度目の登りでさすがにきつかった。キャンプ場前に出た時にはほっとした。
湯袋峠の道間違いで時間を喰ってしまったので、キャンプ場での休憩は省略して先を急ぐ。できれば午後2時には下りにかかりたかったが、もうそろそろ2時である。
キャンプ場から林道分岐のある男の川登山口まで約20分、舗装道路のゆるやかなアップダウンを歩く。まもなく女の川登山口があり、次の坂を登ると右方向に展望が開ける。昨年歩いた、雨引山、燕山、加波山、足尾山の縦走路が一望できる。
加波山と足尾山の間には、丸山の風力発電施設も見える。この日はその続きで、きのこ山から上曽峠、湯袋峠と越えて、ここまで歩いてきた。足尾山のこちら側に見える稜線は、上曽峠から湯袋峠までに越えてきた支稜線だろうか。
やがて男の川登山口を過ぎ、羽鳥方面への林道分岐に着いたのは2時5分過ぎ。予定より少しかかったが、ほとんど遅れはない。ここから先の関東ふれあいの道は踏破済なので、ここで高速登山道に別れを告げた。
そして、羽鳥集落への林道を下りて行ったのだが、この林道がみごとに高規格で、麓までずっと片側一車線だった。ユース跡地周辺まで車で上がるのであれば、薬王院経由よりずっと走りやすい。
下山後調べたところによると、この林道は羽鳥道(はとりみち)と呼ばれる江戸時代以来の参詣道で、真壁から筑波山への経路として多く使われたという。最近は車やロープウェイ、ケーブルカーで行く人がほとんどであるが、江戸時代は足を使うしかないのである。
どんどん標高を下げて行く。周囲の木々は、薬王院の上と同様立ち枯れているものが多く、電線に倒れ掛かっているものもあった。この日も、電気工事車が復旧作業をしていた。
途中、「男の川水神」の大きな記念碑があり、神社の前を過ぎると集落の最上部である。土日営業と書いてあるそば店を過ぎ、しばらくすると向こうに県道を走る車が見えてくる。
県道に出るまで、林道分岐からほぼ1時間、そこから県道を40~50分歩いて真壁休憩所に戻る。ショートカットする道があるかもしれなかったが、かえって遠回りになると嫌なので愚直に県道を歩いた。
真壁休憩所に着いたのは午後4時前、もう日帰り温泉は無理なので、車内で着替えて帰路についた。8時間にわたる長丁場で累積標高も1000m近くに達したと思うけれど、意外に回復が早くて、翌日以降足やヒザが痛むことはなかった。
ただ、杉の祟りで、花粉症の発作はしばらく続いた。
この日の経過
真壁休憩所(49) 7:55
9:20 つぼろ台(79) 9:25
9:50 きのこ山(527)[昼食休憩] 10:25
11:05 上曽峠(298) 11:05
12:05 湯袋峠付近(231)[道迷い] 12:20
12:55 ふれあいの道ベンチ(362) 13:05
14:05 羽鳥方面林道下り口(438) 14:05
15:50 真壁休憩所
[GPS測定距離 20.7km]
[Jun 21, 2021]
筑波高原キャンプ場への最後の登りはかなりきつい。この日は登って下って累積標高差があったので、余計にきつかった。
キャンプ場から男の川に向かう高速登山道からは、以前登った加波山から足尾山の稜線を望むことができる。
男の川登山口の先から羽鳥集落に下りる。薬王院経由よりも高規格の道で、ユース跡地周辺への車のアクセスではこちらを使うべきかもしれない。
高峯(爆) [Mar 24 ,2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
さて、今回紹介する山だが、最初に書いておくけれどあまりお薦めしない。環境省ご推薦「関東ふれあいの道」と連続する稜線であるが、正直言って環境省の理念に反していると思う。
前回ご紹介した筑波連山の稜線歩きで、「関東ふれあいの道」に産業廃棄物が放置されている場所があったが、あれも桜川市。今回も桜川市である。稜線に林立する「←桜川市・石岡市→」の意味不明杭も桜川市である。「やまざくらGO」を走らせているありがたい自治体だけれど、合併市の難しさがあるのかもしれない。
もちろん、最初に道間違いした私にも非があるし、それで機嫌が悪かったのは否定できないが、それにしてもあれはひどい。もしこれから行く方がいたら、そういう山だと納得して登っていただければ私の経験も少しは役立つだろう。
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2021年3月24日、めでたく緊急事態宣言が解除されたので大手を振って公共交通機関を利用することができる。とりあえず、岩瀬までは車で行く。4時半に家を出発してつくば学研都市を抜け、一般道経由2時間で着くことができた。
岩瀬駅前駐車場は料金箱に300円入れるシステム。封筒にナンバーを書いて300円入れることになっているので、ばっくれることはできない。水戸方面行が若干遅れていたので、6時半過ぎの電車になんとか間に合った。
今回行く予定にしていたのは、関東ふれあいの道の「自然林を歩く道」。笠間市片庭から桜川市南飯田まで、途中で仏頂山を越えての稜線歩きである。片庭・南飯田とも公共交通機関がないのが難点だが、駅から6kmほどだから何とか歩けるだろう。
笠間駅に7時過ぎに着いた。雲一つない快晴で風もない。しばらく歩いたら防寒用のレインウェアも必要なくなって、長袖シャツとアンダーシャツだけで大丈夫になった。
しばらく国道355号バイパスを北上するが、車が多い国道歩きは開放感に欠ける。県道を迂回しても行けそうだったのでそちらを選んだのだが、結果的にはこれがよくなかった。355号をひたすら北上して片庭を目指せば分かりやすかったのだ。
分岐した道路も片側1車線の高規格道路だったので、何も不審は感じなかった。車通りも少なくなって、のんびりと田園歩きができてうれしかったくらいである。
1時間ほどで中地原という集落を通過する。登山口である楞厳寺(りょうごんじ)はここから北だが、分岐の先の道が狭い。もう少し先に広い車道があるはずである。
そして、これ以上進むと仏頂山を通り過ぎてしまうあたり、消防倉庫の分岐から北に舗装道路が続いている。一車線しかない車道だが、そこそこ道幅がある。ここだろうと思って進んだところ、坂を登って細い道になってしまった。さらに進んだら、ぐるっと回って消防倉庫に戻ってしまった。
帰ってからGPSデータを調べると、正解は細くなった道をさらに進むということであった。しかし実際に歩いていると、細い道は集落の中をどんどん奥に進むというリスクがあるから、なかなかそうはいかない。まして、行先案内もないし人も通らないのである。
消防倉庫の分岐に戻って、仕方ないので先に進む。笠間駅からすでに2時間歩いているので、どこかで間違えたことは決定的だ。パンフレットに書いてあるように「笠間駅からタクシー利用」しようと思っても、笠間駅にタクシーなど止まっていなかった。
しばらく先で農作業していた男性がいたので道を聞いたところ、「私は土地の者でないのでよく分からない」と言われてしまった。ただ、この道をまっすぐ進めば桜川市に出るということなので、このまま進むしかなさそうだ。
鍬柄峠という峠を越え、鏡ヶ池という所に出てようやく現在地が確認できた。結局、稜線に並行した麓の道を西に歩いていたらしい。とすると、少し先に仏頂山・高峯の中間点にある奈良駄峠に登る道があるはずだ。
1/25000上では確かにあるのだが、稜線から麓への道の何本かは通れない、とどこかに書いてあったような気がする。もともと通る予定のなかった道だから、よく覚えていない。仕方がない。行くだけ行って進めなかったら撤退しようと決める。
奈良駄峠への分岐は舗装道路だが、集落を抜けて墓地の先からは登山道になった。しかし、「この先土砂崩れ通行止め」とも「私有地立入禁止」とも書いていない。とりあえず、行けるところまで行くしかないだろう。
笠間駅からしばらく歩くと、仏頂山・高峯の稜線が見えてくる。快晴無風。いい山歩きができると期待したのだが…。
そろそろ楞厳寺に着く距離なのだが、なかなか仏頂山が近づかない。消防倉庫の分岐を入るが、この道も狭くなり断念。結果的にはこの道でよかったようだ。
麓を東西に通る道を進んでしまい、奈良駄峠で稜線に上がることを試みる。特に「私有地・通行禁止」の注意書きも見当たらない。
舗装道路が終わった墓地から先も電柱は続いていたが、それも堰堤と廃屋のあたりでなくなり、あとは寂しい登山道となった。
人が全く通らないほど荒れた道ではないし、傾斜はさほどでもない。けれども、どうやって走らせてきたものか廃バスが草むらに放置されていたり、道の真ん中に気持ち悪い巨大なカエルがうつぶせで重なっていたり、たいへん心細い道である。
稜線まであと少しというところで、この先は通行禁止というようにテープが張られている。そちらに入らないよう進むと、今度は左右がテープで囲まれている。その上、「周回コース→」などと書いてある。なんと、登山道だと思って登ってきたらいつのまにかマウンテンバイクのコースになっていたのだ。
どう思い出しても「この先私有地・通行禁止」などと書いていなかったし、MTBを車で積んで来られるアクセス道路もクラブハウスもなかった。もちろん、コースであることを示す案内看板もない。それにここは、1/25000図に載っている昔からの峠道である。
ふと、先ほどの進入禁止テープのことを思い出した。あれは、登山者に進入禁止を知らせているのではなく、マウンテンバイクにそう指示しているのではないだろうか。引き返して進入禁止方向に進むと、登山道が続いていた。
そこは、ほとんど誰も通っていない暗い道であった。どこから通じたものか、車道の幅の道が合流しているが、そちらもしばらく使われた形跡がない。ともかく稜線に出れば関東ふれあいの道と合流するはずと思って上を目指すと、やっと見慣れた案内看板が見えてきた。
合流点は、仏頂山方面へも高峯方面へも階段で上がる鞍部にある。案内看板の下に、関東ふれあいの道の注意書きがあって、「この先通行禁止」とある。稜線を来た人には分かるけれど、登ってきた人には分からない。そして、東屋も何もないこの稜線で、エスケープルートで下りなければならない場合どうするのだろう。
この時点では、最初に楞厳寺(りょうごんじ)に着けなかった自分が悪いと思って先に進んだのだけれど、たいへん不親切なルートだとは感じた。とりあえず、正規ルートに復帰することができたので、あとは予定どおり歩けばいい。
とはいえ、右足と左足を交互に出していれば先に進めるという訳ではなく、急階段と急坂が連続する。ようやく高台に登って下方向を振り返ると、さきほど通ったMTBコース付近のむき出しになった崖が見えた。いまいるのは、1/25000図の418ピーク付近のようだ。
ここでようやく崩れかけのベンチが出てきたので、この日初めて座って休憩をとる。もうお昼前、出発から4時間以上が経過している。稜線と並行する麓の舗装道路を来たので距離ロスはほとんどないはずだが、峠に登るところでMTBコースに入り込んで時間がかかった。
テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れ、カロリーメイトでお昼にする。昨年暮れから糖質制限をしているので、菓子パンとかおにぎりはこのところずっと食べていない。カロリーメイトだけで大丈夫かと思ったが、結構大丈夫なものである。
麓から正午のチャイムが聞こえてきたので出発、高峯を目指す。ベンチから後はなだらかな尾根道が続き、ほっとする。ゆるやかに下った先が分岐点で、関東ふれあいの道はここから麓に下る。
すぐ先が高峯のピークなのに、なぜ関東ふれあいの道は目の前で麓に下るのだろう。ここは県境なのでその関係だろうかと想像していた。もともとの理由はそうなのかもしれないが、正直ここから先、環境省ご推薦の道とは言い難いのである。
道はどんどん心細くなる。どうやって運んだものか廃バスがあったり、巨大なカエルが寝そべっていたりする。最後はMTBコースになって進めない。
なんとか高速登山道に合流する。案内板によると、登ってきた道は通行禁止。でも下にはそうした表示はなくたいへん不親切だし、なぜ通行禁止なのかも書いてない。
関東ふれあいの道には乗ったものの、長い登り坂が続く。
関東ふれあいの道と分かれてから、しばらくして急坂となるが、それも大したことはなく高峯山頂に到着。12時25分、さきほどのベンチから30分かからずに着いた。
1つしかないテーブル付ベンチには、すでに先客がいる。ソーシャル・ディスタンスが大切なので、リュックだけ置かせてもらい近くにある石に腰かけて休む。山名標はなく、行先案内の柱に「高峯」と書いた紙が貼ってあるだけである。
奈良駄峠からここまで4、5人に抜かれたし、ここには先客がいて、ここから県道登山口までやはり4、5人と会った。平日なのにそれなりに歩かれている山のようだ。ただ、山頂からは木々に阻まれてほとんど展望はない。
朝から快晴・無風だったが、このあたりから風が吹き始めた。下りでもあるので再びレインウェアを羽織る。下山を開始したのは12時40分過ぎ。予定より若干早く、これなら岩瀬まで歩いてもそう遅くはならないだろうと思った。
下り始めてすぐに行先が読めない分岐点に突き当たった。「大」と読めるので五大力堂に下りる登山道のような気がしたのだが、1/25000図だともう少し先のように見えるし、傾斜も急だったのでやめておいた。いざとなれば県道登山口まで出てもいい。
それからすぐに急こう配の登り階段があったが、これはパラグライダー場跡のようだし、巻き道があったのでそちらを進んだ。再び登山道と合流して、あとはひたすら下る。
このあたりで気になったのは、登山道と並行してマウンテンバイクのコースが作られていることであった。「立入禁止」のテープは目障りだし、「自然をたいせつに」の茂木町立て看板と言っていることが反対である。
奈良駄峠までの登りもMTBコースだった。自分の山をどう利用しようと基本的には持ち主の自由だが、誰の持ち物という前から道はあった。採石場だろうとスキー場だろうと、山を歩く人の通行を妨げないというのが原則のはずである。
自然に手を入れるのがけしからんというつもりはない。きちんとカネをかけて施設を管理保全し、レストハウスや休憩所、トイレでも作ってもらえれば、少々の利用料なら払っても構わない。作ったら作りっぱなしはよくない。
ただ、このあたりではそれほど腹が立つこともなかった。奈良駄峠を使わざるを得なかったのは私のミスだし、登山道と並行していたっておっしゃるとおり入らなければ何も問題はない。そうやって下っているうちに、意外とあっさり登山口まで下りてきた。
実は、登山口には茨城県側と栃木県側の2ヶ所あって、私の持っていた地図には栃木県側しか載っていなかった。普通に歩いていたら自然と栃木県側に出てしまったが、茨城県側に出た方が若干距離が短縮できたようだ。
登山口に1時半前に着いたので、3時は無理かもしれないが、3時半くらいには岩瀬駅まで戻れそうだと思った。ところが、今回最大の山場はここからなのである。
ようやく尾根道らしく歩きやすい道になった。
高峯への途中で、関東ふれあいの道は麓に下りてゆく。登山道の管理は行われているようだが、この先環境省ご推薦の道とはいえない。
高峯山頂。行先案内の上に紙で山名が貼ってあるだけ。下にある白い柱(部分)は三角点標識案内。
県道に出て舗装道路を登り下りしたが、この先は結構長い距離を迂回するようである。1/25000図によるとショートカットする登山道があり、300mもしないうちにいま歩いている舗装道路と再合流するはずである。登山道入り口は、すぐ目の前にあった。
ということで登山道に入ったのだが、いつまでたっても合流点が見えてこない。300mなら5分か10分で着くはずなのに、15分たっても20分たっても合流しない。それどころか、どんどん森の中にはいっていく。頻繁に出てくる「×」印や「→」印も変だ。これは登山道を示しているのではないのだろうか。
30分近く歩いて、民家の庭に出てしまった。ご主人がいらっしゃったので、ご挨拶して庭を横切らせていただく。すると、矢印の案内で来たんでしょうと言う。そうですと答えると、
「あれは、マウンテンバイクのコースで、山登りする人があれで迷ってここに出てくる。昔からある道をコースに使っちゃまずいだろうと思うのだが、市役所に使用料を払っているらしく市も黙認している。お客さんも困るんだったら、市役所に言った方がいいね。」
なんということだ。登りの奈良駄峠の登山道と同様、「×」印の方向に進めばよかったのだ。だったら、コースに登山者が入れないよう立入禁止の看板を立てるなりテープを張っておけばいいのに、それをしないから迷い込んでしまう。
おそらく、コースを作る方も昔からある道をMTBコースに使っていることは承知していて、注意書きをするとややこしいのでしないのだろう。自分の山なんだから通るのが悪いという理屈である。
しかし、道は、特に峠道や尾根道は、誰の持ち物という以前から道として使われていた。持ち主の何代前かがここに住むその前から、峠道や尾根道はあった。近代以前、山はみんなの持ち物で、村落共同体の全員に利用権(入会権)があった。
1/25000図に載っていても、誰も通らず管理しないので廃道となっている場所は少なくない。けれども、環境省が推薦し都道府県が管理しているハイキングコースの周辺で、エスケープルートに使われることが想定される登山道がこれでいいのだろうか。
好意的に考えれば、持ち主はマウンテンバイクの愛好者が楽しめる施設を作りたいのかもしれない。しかし、MTBを持って上がるアクセスもなく、ケガをしても手当てする場所もなく、汗を流すクラブハウスも休憩施設もないようなMTBコースに来たいものなのだろうか。
ここでかなり時間をロスしてしまい、岩瀬までの長いロードは距離以上に長く感じた。あとは平地を進むだけだし、雨引山・御嶽山を目指して進めばいいので間違えることもなかったが、もうこの山には2度と来たくない。
JRを挟んで南側、雨引山から燕山、加波山、足尾山の稜線と比べて、何という違いだろう。あちらは、地元有志が登山道の整備をし、採石場跡などはあるけれど登山客が迷わないようちゃんと案内表示がしてあって、歩いていて気持ちがいい。
岩瀬駅に戻ったのは午後4時を過ぎていた。この日歩いた歩数は4万歩を上回り、GPSによる移動距離は25㎞と、お遍路歩きのようだった。くり返すけれど、アクセスも不便で、案内表示も親切でなく、急坂の登り下りが続く割に展望が開けず、しかも自然破壊が進んでいる場所にわざわざ行く必要はない。
それで廃道がどんどん増えることになるかもしれないが、この先過疎も進むし日本の人口自体が減るのだから、仕方がない。そうなってから、土地を有効利用したいがアクセスがないなどと言ったところで後の祭り、自業自得というだけである。
この日の経過
笠間駅(52) 7:10
8:40 楞厳寺付近(迷う、89) 8:55
9:20 入前集落(迷う、86) 9:25
10:05 奈良駄峠分岐(98) 10:05
11:40 418ピーク付近(418) 12:00
12:25 高峯(519) 12:40
13:25 高峯登山口(250) 13:25
14:15 平沢集落(76) 14:25
16:10 JR岩瀬駅(55)
[GPS測定距離 25.0km]
[Jul 19, 2021]
高峯頂上から先、マウンテンバイクのコースが平行して通っている。立入禁止テープが張られているけれど、自然保護と両立するのだろうか。
急坂を下っていくと、登山口までは意外と近い。茨城側に下りる道もあるらしいが、分岐が分からなかった。
ショートカット登山道が途中でマウンテンバイクのコースと合流して民家の庭先に出て、そこから岩瀬駅まで長い距離を歩く。もう来ることはないと思う。
筑波山中腹一周 [Dec 15, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
2021年12月15日、この日は筑波山である。昨シーズンに行くことができなかった女の川(めのかわ)コースを目指し、筑波山神社に車を止めて迎場コース、東筑波コースと筑波山を半周して女の川登山口に着いたのだが、掲示板の下にワープロ印刷の注意書きが下がっている。
「進入禁止」と書いてある。「正規の登山道ではありません。通行を禁止します。貴重な動植物の保護にご協力ください 茨城県森林管理署」、何やらたいへんおおごとである。
バリエーションルートであることは承知の上だが、春まではこんなことは書いてなかった。男の川に、スズメバチ注意があっただけである。
すぐ思い出したのは、昨年男の川ルートを登った時に、岩に生えている苔に×印をつけた不心得者がいたことである。女の川はカタクリの群落が有名であり、あるいは踏み荒らす輩が出たのかもしれない。土砂崩れなどで危険個所があるのなら、危険だと書くだろう。
いずれにしても、こうして登れるルートが限られるのは寂しいことである。ただでさえ、筑波山に登る人は減っている。進入禁止にすれば数年経たずに廃道化するだろうが、長く歩かれてきた道がなくなるのと、自然保護と、どちらが大切とも言い切れないのではないかと思ったりする。
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さて、この日は筑波山神社から筑波山を半周して女の川ルートで登り、ケーブルカーで下って駐車場に戻る計画を立てていた。学園都市まで来ても筑波山が見えないくらいの濃霧の朝だったが、8時を過ぎて駐車場に着くころには霧は晴れた。
さすがに筑波山、朝早くから人がいる。下りて準備していたら若い2人組に登山口の場所を尋ねられ、白雲橋コースを登るとのことなので神社脇の女体山登山口までご一緒する。ここの登山口は分かりづらい。行ったり来たりすれば着くけれども、迷わず着ければそれに越したことはない。
今日は直接山頂に向かわずに迎場コースでつつじヶ丘を目指す。以前、逆コースで歩いた道である。すぐに、向こうから歩いてきたシニアの夫婦連れとすれ違う。「神社まで、まだ大分ありますか」と訊かれたので「もうすぐですよ」と答える。朝から、よく道を訊かれる日だ。
先日モンベルで新調したダウンを着てきたのだが、汗ばんでしまうほどあたたかい。前のチャックを外して空気を入れる。朝は、車のフロントガラスが凍り付くほど寒かったのだけれど、心配したほど冷え込まず、風もないので寒くない。
約1時間でつつじヶ丘着。水分補給して小休止。ここから先は初めてのルートとなる。東筑波ハイキングコースと立派な名前が付いているので案内があるかと思ったのだが、どこにもない。地図を頼りに探すと、トイレの奥に登山道入口があった。
目的地は「国民宿舎つくばね」と書いてあるけれども、ここは昨年閉鎖になった。老朽化で施設の傷みがひどい上に、コロナが重なったので閉鎖を早めたとのことである。ユースホステルもずっと前に閉鎖してユースホステル跡になったし、筑波山の東側には季節営業のキャンプ場があるだけである。
東筑波コースは、トイレ奥から擬木の階段をしばらく下ると車も通れる幅の林道となる。傾斜もほとんどなく快適であるが、5分か10分歩くと林道と分かれて登山道となる。ここで、単独行のハイカーとすれ違った。さすが筑波山、どこを歩いても人がいる。
女の川・男の川の登山口には、「進入禁止」の注意書きが掲示されている。昨シーズンはなかったので、最近になって何かあったのでしょうか。
さすがに筑波山、朝早くの迎場コースにも人がいた。朝方は濃霧で学園都市から筑波山が見えなかったのに、朝の内に晴れたのはよかった。
東筑波コースの入口は、駐車場トイレの奥。行先表示から少し坂を下ると、車も通れる幅の広い林道になる。
東筑波ハイキングコースは、筑波山では珍しいワイルドなコースである。特に、林道から分かれて登山道に入る1km余りは、筑波山唯一の山道といっていいかもしれない。
標高は、つつじヶ丘からキャンプ場までほぼ等高線に沿って進む道だが、沢を5つ6つ越えていくので微妙なアップダウンがある。「8」と印刷されたカードが赤テープ代わりに貼られているのだが、分かりにくい場所もある。
一度は、踏み跡を追って斜面を登って行ったら道間違いだった。前日が雨だったので靴を濡らさなければ渡れない沢の向こうに道が続いていて、「→国民宿舎」の看板もほとんど崩れて何かあったことしか分からない。
とはいえ、雰囲気はすごくいい。筑波山中腹に、これだけ水量のある沢が数多くあるとは知らなかった。キャンプ場より向こうには、男の川、女の川とあと1、2本くらいなので、筑波山には沢があまり流れていないのかと思っていた。
しばらく歩くと、再び林道に出る。合流点から下ると国民宿舎跡になるが、左に中腹を進んで筑波高原キャンプ場に向かう。すぐに、右から登山道が登ってくる。以前、湯袋峠から登ってきた道だ。そしてすぐにキャンプ場に着いた。
駐車場には何台かの車が止まっている。林道でトレランの十数人とすれ違ったので、そのグループかもしれない。少し上に休憩ベンチはあるけれども、面倒なのでトイレ前のベンチに座る。トイレはシャッターが下りていて使えない。
テルモスに入れてきたお湯でインスタントコーヒーを淹れ、バランスパワーのワッフルサンドでお昼にする。朝は5時半だからそれほど早かった訳ではないが、歩いていてお腹がすいて仕方なかったのである。寒いのでエネルギーを消耗するのだろうか。
前回書いたように女の川登山口には「進入禁止」と書かれていたが、せっかく来たので少し入ってみた。しばらく踏み跡はつづいているけれども、早くも定かでなくなっている場所もある。昨年、男の川で完全に間違えたことを思い出した。
女の川を遡って行けばいいはずだが、100mほど標高を上げたところで木が繁って人の入った様子がない。スマホを見ても、本来向かうはずの女体山ではなく、男体山に向かう深峰歩道のすぐ横である。これは違うかなと思って引き返した。
さて、再び林道に戻って歩き始め、この日の計画を立て直す。すでに時間は正午過ぎであり、のんびりしてはいられない。山頂を目指すとすれば深峰歩道ということになるが、あまり気が進まない。
女の川ルートが遡れないということになると、当分筑波山に来ることもないだろうから、せっかくだから中腹を一周するコースをとってみることにした。
しかし、後からするとこれはベストの選択だったのである。ユースホステル跡から登る深峰歩道はこの冬通行止めで、行っても途中で行き止まりになっていたのである。
さらに、仮に男体山まで登れたとしても、この日ケーブルカーは安全点検のため運休であり、御幸ヶ丘コースを歩いて下りなければならなかった。これもまた、疲れる話である。
そうしたことは歩いている間は知らなかったのだけれど、すでに半周以上回っているし、薬王院に下りるあたりまでは前に通った道だからと思って軽く考えていたのである。もちろん、そんなに楽ではなかった。
林道から登山道に入ると、沢を5つ6つと渡って進む。1ヶ所分かりにくいところがあるが「8」マークを探すとよい。
キャンプ場が近くなると、再び林道と合流する。じきに湯袋峠からの道が登ってきて、あとは薬王院コースまで以前歩いたことのある道である。
女の川ルートは、進入禁止のためか踏み跡が見つけにくくなっている。来年には廃道と化すかもしれない。途中で引き返した。
ユースホステル跡分岐を先に進む。すぐに男の川ルートの登山口になるが、女の川同様に「進入禁止」が貼ってある。にもかかわらず、林道には3、4台の車が止まっている。
ここには、「深峰歩道全面通行止」も貼ってある。だから私は、ここで初めてそのことを知って驚いたのだけれど、車で来た人達もそうだとしたら困っただろう。進入禁止と通行止、究極の選択である。進入禁止の方が自己責任で登れそうな気がするし、男の川ルートは分かりやすいので(私でなければ)、こちらを行ったに違いない。
男の川から薬王院コースを横切る関東ふれあいの道は、やたらと左右にワインディングする舗装道路で、地図で見るより長く感じる。この日は、筑波山神社から迎場コース、東筑波コースと踏破してきたので余計にそう感じた。
行き止まりになる林道分岐のあたりで、後ろから来たシニア男性2人組に抜かれた。やたらと大声でうるさいので、先に行かせたということもある。このご時世に、50m離れても聞こえるような大声を出しながら歩くとは、じいさんもばあさんも変わらない。
ようやく薬王院分岐を過ぎて、さらに下るとみかん園の横を通る。筑波山の東側は冷えるのだが、薬王院のあたりだけは風向きのせいで暖かくみかんが作れるのだそうである。この日も、3台ほど車が止まっていた。
みかん園からさらに下ると、酒寄林道の入口である。ここから筑波山神社まで、これまで通ったことのない道である。すべて舗装道路で心細い場所はひとつもないのだけれど、予想外だったのは、入口から梅園まで約3km、ずっと登り坂が続くことであった。
ヘアピンカーブが続いて見通しが利かないので、ようやく登り切ったらまだ登り坂というのがずっと続いた。それが30分以上も続くと、「まだ登りか。いい加減にしてくれい」と大声を出してしまう。作業中の人が何人かいたので、聞かれたら恥ずかしいことであった。
梅園の案内表示が出るとようやく登り坂は終わるのだけれど、すぐ近くにあるはずの筑波山神社あたりの景色が見えてこない。というよりも、梅園なんてどこにもなくて、右も左も急斜面の暗い森である。
ようやく梅園が見えたのは、みかん園から1時間も歩いた頃であった。なるほど一面の梅の木が広がるが、残念ながらつぼみさえふくらんでおらず枝だけである。展望台や東屋もあるので、きっと季節には大勢の人でにぎわうのだろう。
地図を見ると近道もあるはずなのだけれど、普通に歩くと梅園をずっと下って駐車場から登り返す疲れる道である。すでに半日歩いてきた後なので、景色を楽しむだけのゆとりはなかった。そして、この日に限って一番遠い神社の駐車場に止めたのだった。
せめて、いつも通り市営駐車場にしていれば、大鳥居からの登りだけでもしないで済んだのにと思っても後の祭りである。何しろ、計画ではケーブルカーで下りてくる予定だったのに、そのケーブルカーすら動いていなかったのである。
この日の経過
筑波山神社駐車場(212) 8:15
9:20 つつじヶ丘(522) 9:30
10:50 キャンプ場下(490) 11:05
11:15 女の川(465-537、撤退) 12:00
13:00 酒寄林道入口(178) 13:00
14:30 駐車場(212)
[GPS測定距離 15.6km]
[Mar 1, 2022]
みかん園の下から酒寄林道に入り、筑波山中腹一周を目指す。なんと、ここから梅園までずっと登り坂。
梅園が近づくと、筑波山神社はもうすぐ。春になれば、すごい景色になるだろう。