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棒ノ折山 [Jun 25, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。



気が付くともう梅雨である。今年の春山は丹沢梅の木尾根からスタートして、奥多摩登り尾根、雁峠から白沢峠、甲武信ヶ岳と3回の泊りがけで随分がんばった。春の締めくくりにもう1日と思っていたら、梅雨の合間の平日に1日休みが取れた。あまり計画に時間をかけられなかったものだから、以前から計画表だけは作っていた棒ノ折山に行くことにした。

棒ノ折山は初心者コースと言われていて、ガイドブックでもよく紹介されている。だから一昨年くらいから何回か予定を組んでいたのだが、その度に天気がよくなかったり都合が入ったりで伸び伸びになってしまっていた。登山口からピークまでは2時間弱ということだからそんなに苦労はしないだろうと思ったし、帰りは秩父側に下りてさわらびの湯というのも魅力的である。

問題は、登山口までのバスの本数があまりないということである。ガイドブックではバスで清東橋か手前の上日向まで行くことを前提としていて、JR川井駅から歩くとどのくらい時間がかかるかは書いてない。それに平日に登るとなると、帰りのラッシュアワーに巻き込まれるのも気が重い。ということで、朝一番で出てJRから歩いて登る計画としたのであった。

川井駅に着いたのは8時ちょっと前。身支度してちょうど8時に出発する。朝早いのにお巡りさんが交差点で交通整理をしている。挨拶して右に折れ、舗装道路をゆるやかに登って行く。道路の右側は深い谷になっているが、水音が大きいのでかなりの水量があるようだ。この谷に沿って、道路が続いている。

しばらくは点々としていた人家が、南平というバス停のあたりからまとまってきて、大集落を形成している。道沿いだけでなくずっと奥の方まで家が見えたから、百数十軒か、あるいはもっと多いかもしれない。こんな山奥にびっくりするくらいの大集落である。道を歩くおじいさんおばあさんと、挨拶を交わしながら登って行く。

新しい家は少ないけれども、廃屋もほとんどない。少なくとも築6、70年は経っていると思われる木造の古びた家にも、布団や洗濯ものが干されている。どの家にも、それなりに新しい車が止まっている。家の前の小さな庭や菜園から、花や野菜を摘んでいるおばあさんもいた。

谷に沿った狭い集落なので、水田もないし大きな畑もない。それでもこれだけの家があって生活が成り立っているのはなぜだろうと考えながら登っていた。そもそも定住した頃は、林業が主だった生活手段だったに違いない。材木にしろ炭にしろ、こうした土地でなければ生産できない。言ってみればわが国におけるサバとかサラワク、ドバイだった訳だから、集落が大きくなって不思議ではない。

ところが私が物心ついた50年前には、すでに輸入材と石油の世の中だった。それから約半世紀、どうやって生活してきたのだろう。いまもここから奥多摩駅までのバス便があることからみて、まず考えつくのは氷川(奥多摩)のセメント産業だが、セメントだって斜陽産業である。こういう土地には必ずマス釣り場があるけれども、観光だってそれほど大きな収益源にはならないはずである。もしかすると公共事業に頼ってきたのだろうか。

そんなことをつらつら考えながら30分も歩くと上日向のバス停に着く。ここからは再び人家がまばらになり、キャンプ場(といってもバンガローとバーベキュー場が主なので今風ではない)を2つほど過ぎると、棒ノ折山登山口がある。舗装道路は奥に続いていて、そのまま進むと川苔山に至るようだ。駅から登山口まで1時間20分ほど。心配していたほど遠くはなかった。

「川苔山頂上付近でクマが現れました」という物騒な掲示を見て、忘れずにクマ鈴を付ける。そして見るからに藪が深そうなので、虫除けシールを貼って携帯用ベープマットを付ける。準備万端整えてから、いよいよ登山道に入る。

しばらくは谷沿いの道を行く。傾斜はそれほどではないが、上から横から藪が進出してきて、歩きにくくて仕方がない。とがった葉が顔や手に当たるのはあまり楽しくない。そういえば、前に高水三山に登った時も7月で藪が深かったと思い出す。けれど、あの時は5分くらいの藪だったが、ここは15分以上藪の登りを歩かなければならない。

登山道の横では、谷の水を使ってワサビが栽培されているが、こんな藪の中では大変だろうと思った。2、30分歩いて振り返ると、登ってきた谷は本当に藪の中で、上から見るとどこが道だったのか分からないくらいである。

1時間弱歩いたあたりに祠があり、ここから谷を離れて尾根に上がる急傾斜となる。急坂を登るのは苦しいが、藪の中を歩くよりはいい。しばらく登って丸太を横にしてあるあたりで休憩にする。ちょうど谷から冷たい風が上がってきて気持ちがいい。ずっと休んでいたくなるような気分だった。

川井駅からのバスは本数がないので歩き。上日向までは人家が多く、おじいさんおばあさんに挨拶しながらゆるゆると登って行く。


この時期、谷沿いの登山道は藪が進出してきて歩きづらい。登ってきた谷を振り返って。


ようやく藪を突破すると急登。きついのはいつものことなので、こういう景色だと安心する。


谷沿いの道から祠を上がって急傾斜の山道になると、あとは普通の登りである。登りだからきついことはきついが、まあ、苦しいのは当り前である。それにこの日は日帰り装備で、リュックも出発時で6kgと軽い。

棒ノ折山頂上の標高が969m、登山口が360mだから標高差は600m。私のペースだと約2時間のコースである。9時25分に登山口から入ったので、休憩を勘定に入れても11時半には着く計算である。それに、途中休憩を入れた祠の上の丸太の場所の標高を図ったら660mだったから、ちょうど時間的にも標高差からも半分である。これはいいペースだと自分でも思いながら登っていた。

休憩場所からしばらく登ると尾根に出て、両側が切れ落ちている。休み休み登って行くと、行く手の樹間から空が見えるようになった。この景色が見えると、頂上もしくは峠である。11時を過ぎたあたりで、「棒ノ折山 200m」の標示が出てきた。もっと頻繁に置いてくれるとありがたいのだがと思いつつ、最後のひとがんばり。ちょっとした藪を越えて頂上に出た時間は11時15分。

考えてみれば、登りでは誰にも会わなかったし、誰にも抜かれなかった。にもかかわらず、山頂にはすでに何組かの先客がいた。小沢峠から黒山を経由して来たのか、あるいはこれから下る秩父側、有間ダムから登ってきたのだろう。実際下りでは10組近くとすれ違ったので、こちらの方がメインコースなのかもしれない。

棒ノ折山は別名棒の嶺といって、これは秩父側からの呼び名のようである。展望が開けているのは北側つまり秩父側で、奥多摩側は木や藪が邪魔になって展望はない。眼下にはいくつもの稜線が重なっており、左手には伊豆ヶ岳や武甲山といった聞き覚えのある山を望むことができる。しかしながら、交通の便が悪いので秩父の山にはあまりなじみがないのであった。

この日のお昼は、アルファ米のまぜご飯とコーヒー、食後に羊羹にした。実はアルファ米も羊羹もこれまでは非常食として持ってきていて、そのまま持って下りていたのである。奥多摩登り尾根以来荷物の軽量化には神経を使っているので、今回はこの方法を試してみた。EPIガスも日帰りなので省略して、テルモスにお湯を入れてきた。それでも十分においしかったのは山ならではというところである。

もう少し景色を見てのんびりしたかったのだが、一番眺めのいい場所を占領している老人男の集団が、いつまでも大声で話をしているものだから早めに下りることにした。話の内容からすると現役時代は教師をしていたようだが、「先生」と呼ばれる連中にろくな者はいないという標本であろう。若い人達の方がずっと静かに、食事と風景を楽しんでいたのが印象深かった。

これまでのつたない山行の記憶でも、単独行の人に迷惑をかけられたり、嫌な思いをしたことはほとんど皆無である。大声で騒いだり、不必要に話しかけられたり、嫌な思いをするのは決まってグループ山行者である。グループになると、グループ内で協調さえすれば、外の人のことは気にしないという傾向がみられるようだ。

12時10分前くらいに下りにかかる。下りのコースタイムは1時間半と書いてあるので、1時半か少なくとも2時にはさわらびの湯に着けるだろう、ゆっくり風呂に入れると思っていた。もちろんこれは大きな勘違いで、下りでは大変に苦労するのであった。

黒山方向と有間ダム方向の分岐点であるゴンジリ峠までは急坂と書いてあったが、登ってきたルートに比べると随分とゆるやかに思われた。それと、いったん下った後は雰囲気のいい平坦路になって、さすがに下りは楽だと安心してしまったくらいである。

ゴンジリ峠で左に折れて岩茸石に下るルートは、木の階段が崩壊していて随分歩きにくく、さすがに埼玉県側は違うと思った。登山道を外して歩くと植生上よくないので心苦しかったのだが、丸太が斜めっていて歩くと危ないので、仕方なく脇道を歩く。しばらく下ると脇道側にも砂利が敷いてあったので、管理者も階段修復はあきらめたようであった。

ひとしきり下ると大きな岩のある休憩地に着く。ここが岩茸石である。高水三山にも同名の山があるが、関係があるのだろうか。あるいは、奥多摩側と秩父側では山の名前さえ違っているくらいだから、それぞれが自分達の呼び方をしているだろなのだろうか。

棒ノ折山頂上から、秩父連山を望む。2つ目の稜線左端のとがった山が伊豆ヶ岳。冬の澄んだ空気なら日光白根山あたりまで見えるということである。


棒ノ折山頂上は広いので、座れるところはいっぱいある。でも、大声で話すグループがいるとゆっくりできない。


ゴンジリ峠まではこんな平坦路もあって、山の上とは思えないほど。しかしこの後は急坂の崩壊した木の階段となる。


岩茸石で尾根道と谷道が分かれる。計画では白谷沢の谷道を下ることにしていた。ガイドブックにも載っている初心者ルートであるし、1/25000図を見てもそれほどの距離もないので、油断していたのである。

岩茸石からしばらく整備されたトラバース道を進む。何百mか進んだあたりで林道に突き当たる。この林道を突っ切ると白谷沢ルートである。だが、すでに下り口の丸太の階段が崩壊している上、「途中、鎖場が崩壊しています。通行には注意してください」と書いてある。思わず、林道脇のベンチで腰を下ろし、落ち着いて地図を見た。

時間はすでに午後1時で、下り始めてから1時間経つ。下りは1時間半のコースタイムというが、1/25000図の残り距離をみるとあと30分では着きそうにない。それはいいとして、いま目の前を通っている林道が1/25000図には載っていない。最近の山行では必ず最新の電子データを用意するのだが、今回は計画を立てたのが一昨年だったので、そこまではやっていなかった。

安全策として林道を行ったらどうかと考えたが、1/25000図に載っている近くの林道が延長したのだとすると、山の中を行ったり来たりしているのでいつになったら麓に下りれるか見当もつかない。白谷沢を下れば谷道だけに最短距離だし、初心者コースだから鎖場の1ヵ所くらい崩れていてもそんなに危険なことはないだろうと思って、結局、白谷沢ルートへと突入したのである。

もう一つの理由は、ここで私を抜いて行った高齢者グルーブが、谷ルートへ進んでいったことがある。万一の場合も考えると、できるだけ人が通るルートへという気持ちがあった。帰ってから電子データを見ると、林道を進んで途中から尾根ルート=岩茸石で分岐したルートに入れるので、結果的にはこちらの方が早く安全にさわらびの湯に到着したと思われる。

谷道に入ると、予想していた以上に急傾斜であった。おまけに、じめじめしていて暗い。 「マムシ注意」の看板があり、いまにも横の藪から出てきそうな雰囲気である。しばらく行くと、道の真ん中にでっかいカジカガエルがじっとしている。こんなに大きなカエルがいるくらいだから、マムシだっているだろう。

しばらく行くと、路面が一枚岩の急坂である。足場となるような安定した場所は見当たらない。仕方なく後ろ向きになって、ロープを手掛りに下りる。登りならまだしも、下りで滑ったら大ケガをしかねない場所である。やっとの思いで下りて写真を撮ったのだが、上から見たような緊迫感が感じられないのは残念である。

続いて問題の、一部崩壊している鎖場である。足下は先ほどと同様に滑りやすい岩で、しかも浮石になっているところがあるので油断できない。もちろん急傾斜であり、転んで下の岩に頭でもぶつけた日には大ケガ必至である。

ここを通過すると、左右から岩の壁が迫るゴルジュ。ここまで来るともう登山道も川も一緒であり、登山靴は半分水の中である。さすがにゴアテックスだけあって靴の中まで水は入って来なかったが、ちゃんとした靴でなければ大変なところであった。それと、頭の上からマムシが降ってくるかもしれないと考えると、ゆっくり景色を楽しんでいる余裕はなかった。

それにしても、このルートが初心者コースとしてガイドブックに載っていて、おまけに環境省推奨の「関東ふれあいの道」だというのだから驚きである。千葉県にあるふれあいの道はそれ以外のルートと比べて格段に整備されており、ほとんど危険個所はない。

ところがこのルートは、ちょっと油断すると大ケガしておかしくないし、人里までも遠い。ちょっと多目に雨が降ったら危ないと思う。少なくとも谷に下りる林道交差のあたりに、「大雨の後は危険なので、尾根ルートを使用してください」くらいは書いてあってもいいのではないかと思った。

もう一つ計算が違ったのは、谷沿いだからちょっとした水場くらいあるだろうと思い、残りスポーツドリンク200mlほどで下りに突入したのだが、案に相違して水を汲めるところなどなかったことである。それらしき枝沢はないことはなかったのだが、「マムシ注意」の藪に入る勇気がなかったので、結局下までがまんした結果、かなり喉がかわいてしまった。

そんなこんなで、心底疲れてしまったので、行く手にガードレールが見えた時にはほっとした。登山口に出て時間を見ると2時10分、苦労した割には林道交差から1時間しかかからなかったのはさすがに下りである。それにしても頂上から2時間だから、1時間半の予定からすると大苦戦であることに間違いない。

さらに予定外だったのは、林道に出てからさわらびの湯まで、ダム沿いを2kmほど歩かなければならないことだった。ダム方向から下りるとさわらびの湯は売店、食堂のずっと奥にあるので、疲れた体にはたいへんにつらいラストとなった。さわらびの湯到着は2時40分。登山口から30分もかかってしまったのでありました。

この日の経過
JR川井駅 8:00
9:05 清東橋 9:05
9:20 百軒茶屋登山口 9:25
10:15 祠上 10:25
11:15 棒ノ折山(昼食休憩) 11:50
12:50 林道交差 13:00
14:10 白谷沢登山口 14:10
14:40 さわらびの湯(GPS測定距離  13.1km)

[Jul 22,2015]

白谷沢難路その1、岩壁をロープで下りる。分かりづらいですが急傾斜で滑ります。


白谷沢難路その2、連続鎖場。右上に見える鎖は足場が崩落。足下は急傾斜の岩で浮石もいっぱい。


白谷沢難路その3、ゴルジュの谷間を突破。分かりにくいですが、両側から岩壁が迫り、しかも「マムシ注意」。もはや初心者コースではないのでは。


刈寄山・市道山 [Dec 3, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

前回の釈迦ヶ岳では、1/25000図では2、3時間で行って帰って来られる距離のはずなのに、大バテしたあげく予備の水がなくてひどい目にあった(自業自得だが)。しばらく山に行っていなかったので、準備も体力も不足していたのではないかとたいへんに反省したところである。

できるだけ早くもう一度行こうと思っていたのに、なんと11月に積雪という50年に一度の異常事態となり、天気を待っているうちに12月になってしまった。計画するにあたって、できるだけアップダウンのある稜線を歩いてみようと思った。そして、1000mを越えると雪が残っているおそれがあるので、その心配がない低山を探していたところ、戸倉三山という山が見つかった。

奥多摩で三山というと高水三山がすぐ出てくるが、戸倉三山は青梅線ではなく五日市線である。三山すべて回ると8時間近いロングコースで、アップダウンが多くてたいへんハードだというWEBの評判である。日帰りだとスタート時刻が遅く、日が短い冬なので、刈寄山・市道山の2山を登り、笹平バス停に下山する計画とした。早く下りれたら、日帰り温泉に行くつもりである。

それにしても、刈寄山(かりよせやま)にしろ市道山(いちみちやま)にしろ、読みにくい名前である。とはいえ武蔵五日市から奥に行くと、払沢(ほっさわ)の滝とか笛吹(うずしき)・人里(へんぼり)といったさらに難読の地名があるから、漢字のとおり読めばいいだけまだ分かりやすいと言えなくもない。

12月第1週の週末、快晴・無風という絶好のコンディションである。この日は朝一番の成田線で日暮里経由新宿まで。そして6時46分新宿発のホリデー快速あきがわ1号に乗った。リタイアしているので休日でなくてもいいのだけれど、たまたま天気のめぐり合わせがそうなったのと、休日であれば休日パスを使って2,670円で行って帰って来られるのは大きいからである。

武蔵五日市到着は7時55分。ここに来るのは2013年6月に金毘羅山から麻生山に来て以来だから、3年半ぶりである。今熊山登山口方面行きバスは8時5分。行列ができているのは養沢や数馬方面行きの1番乗り場で、今熊山登山口から八王子に向かう2番乗り場には4、5人しか並んでいない。ゆったり座って登山口へ。

今熊山登山口のバス停を下りると、あたりに登山口の表示が見当たらない。一緒に下りた中高年の女性がトンネル方面にすたすた歩いていくので、身支度したりGPSを準備したりした後、その方向に歩いてみる。すると、新小峰トンネルを出てすぐ、バスの進行方向とは逆側に今熊神社参道の案内表示があった。案内にしたがってしばらく舗装道路を歩く。

住宅や製材工場が並ぶなだらかな登り坂を進むと、20分ほどで右手に今熊神社が見えてきた。立派な石造りの鳥居があり、建物の横を通ってそのまま登山道まで石段が続いている。まずは、登山の安全を祈願する。地方の神社の中にはひと気のないところも少なくないのだが、こちらの神社はきれいだし、いろいろな案内パンフレットも置いてある。

登山道は、建物への石段からそのまま上に続いている。というのは、今熊神社の本殿は今熊山の頂上にあるからである(こちらの建物は遥拝殿ということになる)。今熊というくらいだから、熊野信仰と関わりがあるのだろうか。ちなみに、今熊山は古くから「よばわり山」として知られていて、失踪者や遺失物を探す時に山頂からその名前を呼ぶと戻るという信仰があったそうである。

バスで一緒だった女性にここで追いついて追い越したのだが、後から急坂をダブルストックですいすい上がって来るので、一汗かいた休憩ベンチのところで追い抜いてもらった。お年寄りだと思って追いつかれまいとして飛ばすと、ハイペースになってバテる。ともかく自分のペースで歩くことが大切だ。かつて大山で苦い経験がある。

休憩ベンチからは武蔵五日市の市街を望むことができる。上から見ると、JRの駅舎は特徴があるのでとても分かりやすい。GPSのデータではすでにここで標高425mだから、今熊山505mまであとわずかである。実際、10分か15分進むとまずはじめにトイレの建物が見えてきて、刈寄山への分岐を過ぎ、階段を登るとすぐに頂上である。

頂上には今熊神社の本殿があり、傍らに植えられた紅葉がみごとである。神社の前は広場になっており、木のテーブルとベンチがいくつか置かれている。ここまではハイキングコースなので、これから先と比べるとかなり歩きやすい。時刻は9時15分、登山口からちょうど1時間で登ることができた。

今熊山登山口のバス停から、まず今熊神社を目指す。山頂が本殿でこちらが遥拝殿になる。鳥居をくぐって石段を上ると登山道が始まる。


谷に沿っていきなりの急登。一汗かいたあたりにベンチがあり、五日市市街を望むことができる。


今熊山頂上の一番奥には、今熊神社が置かれている。その前には広場とベンチがあり、さらに下にはトイレもあって、ここまではハイキングコース。


今熊神社からいったん石段を下り、分岐点から案内表示にしたがって刈寄山方向に向かう。コースタイムは今熊山から1時間20分。時刻はいま9時25分だから、11時には刈寄山に着けそうである。

さて、この日の予定としては市道山から笹平へのエスケープルートをとる計画だが、笹平からのバス便の本数はそれほど多くはない。目標としては、数馬を2時51分に出るバスが30分後の3時20分頃に笹平を通過するはずなので、それに乗れればベストである。そのため、刈寄山11時、市道山午後2時を目標到着時刻としたのであった。

今熊山から刈寄山まで、ハイキングコースのようになだらかな道が続く。ときどき尾根道と巻き道の分岐になるが、登り下りの少ない巻き道を選ぶ。1ヵ所、「刈寄山」と「刈寄山巻き道」に分かれる表示があって、巻き道の前に「への」と手書きで書き足してあったのは面白かった。確かに「への」を入れないと、刈寄山の頂上に行かないものと勘違いされてしまうだろう。

2ヵ所ほど巻き道を経由して、最終的に尾根道と合流する。巻き道とはいえ微妙なアップダウンがあるけれども、もちろん尾根道と比べれば登り下りは少ないはずである。合流点のところで、グループが登山道に座り込んでお昼をとっていたのは行儀が悪いと思った。あと20分も歩けば刈寄山に着くはずなのに。まあ、私だってバテれば道の真ん中に座ってしまうから、他人のことは言えない。

刈寄山へのアプローチは、これから向かう市道山への縦走路から分かれて右(北西)方向に進む。このあたりになると、斜面の下に林道が見える。ときどき案内表示のない分岐が出てくるのは、工事中の林道の作業道だろうか。登山道には落ち葉がたくさん重なっているが、心配していたように雪は残っておらず、乾いているので靴が汚れることもない。

最後は階段になっているちょっとした坂道を登ると、東屋が見えてくる。東屋の奥が一段高くなっており、そこに三角点と山名標が立っていた。山名標のところには先客がいたので、東屋でリュックを下す。到着は10時50分、思っていたよりも10分ほど早く着いた。

東屋の前から、かなり遠くなった武蔵五日市市街を望むことができる。 反対側からは、条件がよければ富士山が見えるらしい。後から登ってきたグループの人がそう言っていた。この日は低空に雲がかかっていて見えなかったが、風もなく寒くもなく、穏やかな日差しがふりそそぐ登山日和でたいへん気持ちがいい。

お昼は奥さんに作ってもらったハムとチーズのサンドイッチ。辛子バターが塗ってあってとてもおいしい。テルモスのお湯でインスタントコーヒーを作る。以前はEPIガスを持ってきていたのだけれど、かさばるのと片付けに時間がかかるのが気になって、最近の日帰り登山ではテルモスを使うことが多い。朝沸かしたお湯で十分あたたかい。

前回大失敗した水については、今回はプラティパスにスポーツドリンクを1.2リットル入れてきた。ちょうどお昼までにペットボトル500mlがなくなったので、プラティパスから補充する。もう一本のペットボトルと非常食のカロリーメイトは、下山するまで手をつけないつもりである。そうでないと、なんのためにツェルトを持ってきているのか分からない。

20分ちょっと休んで、11時10分過ぎに出発。来た道を分岐点まで引き返す。案内表示に従って市道山方向に曲がると、その先はすすきの穂が登山道を覆っている上、斜めっているトラバース道で歩きづらかった。どうやら、刈寄山から今熊方面に引き返す人が多いらしく、整備状況もこれまでとはかなり違うようである。

15分ほど歩いて道なりに林道と合流する。ゲートがあり車両通行止めと書いてある。ゲートの横を通り抜け、登山道の続きはどこだろうと探すと、進行方向とは逆に、石垣の横を登って行く道が見つかった。そこを登ると、「トッキリ場・市道山方面」と書いた案内表示と、「クマに注意!」の黄色い注意書きが掲げられていた。人通りもぐっと少なくなったので、クマ鈴を装着する。

今熊山から刈寄山までは気持ちのいい稜線。最後の急坂を登ってこの先が刈寄山頂上。東屋がある。


刈寄山頂上から五日市市街。今熊山で見た時より遠くなっている。逆サイドからは富士山が見えるということだが、この日は雲の中でした。


少し先の入山峠あたりから見た刈寄山。頂上近くまで林道工事が進んでいる。


林道交差点からは、送電線に沿って南に向かう。ガイドブックによるとトッキリ場というピークか峠があるはずなのだが、それらしい場所が見つからない。方向は南で間違いないし、左下には林道が見え隠れするので大丈夫とは思うが、そろそろ西へ方向転換してもいい頃合いである。

そうこうしているうちに、道はどんどん下って行く。向こう側には再び登りの斜面が見えていて、植林された木々がみごとである。アップダウンを歩くのが今回のミッションであるし、景色もいいので写真を撮りながら斜面を下り、峠のところで標識を見ると、いま下りてきた上方向に向かって「市道山方面」と書いてあるではないか。

その場所には林道関連の地図も掲げられていて、ここは林道にあるトンネルの付近らしい。1/25000図と見比べると、南東方向に300mくらい行き過ぎてしまったようであった。帰りのバスの時刻を考えると、この道間違いはかなり影響が大きい。このまま進もうかどうしようか一瞬迷ったけれど、こちらの方面に下りるとどこにバス停があるのか調べていない。

そうでなくても、山で間違えたら戻るのが鉄則である。再び登り返すのはつらいけれど、仕方がない。急傾斜の坂道を登り返す。戻る途中、分岐がないかどうかよく見ながら歩くが、西方向への分岐は見当たらない。10分ほどで、標識のある分岐点に戻ることができた。ちゃんと市道山と書いてある。何をぼんやりして見過ごしたのだろう。

10分で戻れたので、ロスした時間は20分ほどである。ここでの選択肢は2つ。このまま市道山に向かうか、刈寄山方向に戻って林道経由で五日市に下りるかである。いま、時刻は12時25分。刈寄山から市道山まで、案内表示には2時間20分と書いてあった。ロスした時間を除いてもここまで約1時間歩いている。

戻るとすると、刈寄山まで1時間、そこから林道を2時間として下山まで3時間。進むとすると、市道山まで1時間半、そこから笹平まで1時間半として3時間。いずれにしても3時間歩かなければならない。同じ時間歩くのだとすると、撤退する3時間よりも前進する3時間の方がモチベーションが高いのは間違いない。

それに、今からがんばれば午後2時に市道山到着は可能であり、ノンストップで笹平に向かえば予定したバスに間に合わないでもない。そう考えて、先に進むことにした。

もう一つ、進むことにした要因があって、このあたりで12月にトレラン大会がありますという掲示が何ヵ所かにあったのである(注.2016/12/23、TOKYO八峰マウンテントレイル)。トレランができるくらいだから、それほどきつい斜面ではないだろうと思ったのだが、例によってそれは甘かったのである。

トッキリ場から市道山までの尾根道には「峰見通り」という優雅な名前が付けられていて、木立の合間から遠くの峰々を見ながらゆっくり歩くのだろうと想像していたのだが、想像どおりだったのは最初のピーク2つを巻いた道までで、その後は忠実にピークをたどるアップダウンが続くのであった。

前回、釈迦ヶ岳で懲りたので、今回はあらかじめ1/25000図で予習して、大きなコブ(起伏)は4つか5つだと思っていたのだけれど、実際にはそんなことはなくて、絶えず登りか下りかどちらかで、それもこんなところを走って下れるのかと思うような急斜面であった。登りでは息が切れるし、下りは転ばないように注意しなければならないので、まったくペースが上がらない。

帰ってからよく調べてみると、確かに30~40mの標高差のある起伏は4つか5つくらいなのだが、それ以外にも10m20mのコブはたくさんあって、少なくとも十数個は1/25000図でも確認できるのである。ああ、また登りかと思って下を向いてしまうのだが、実際には10mとか20m登るだけだったのである。それでも、ずっと続くものだから相当にきつい。

到着目標時間の午後2時になった。刈寄山から正味2時間半歩いてきたし、この斜面でそろそろ終わりだろうと思って登るけれども、ピークには立ち枯れの木が何本か生えているだけで何もない。そこからまた下って、再び登る。標高差で50mくらいは登っただろうと思い、目の前のピークが市道山ではないかと思うけれど、そこまで登ると向こうにさらに高いピークが見えた。

最後の方は感覚が次第にマヒしてきて、登りゃあいいんだろうと思いながら登る。水だけは十分にあって飲むことができるので、前回よりも大分とましなような気がした。ようやくなだらかな道になって、いよいよ市道山だと思ったら、そこから再び下りになった。コルのところに案内表示があり、和田峠・陣馬山方面の分岐であった。市道山はまだ0.1km、100m先である。

結局、市道山頂上に到着したのは午後2時半。刈寄山から道間違いを除いた正味の時間でも3時間かかった。

峰見通りと名前は優雅なのだが、巻き道があるのは最初だけで、あとは尾根をたどるアップダウンになる。


ひたすら続くアップダウン。1/25000図では大きなコブは4つか5つなのだが、実際はそんなもんじゃない。


市道山からみたトッキリ場方向の小ピークの数々。このピークを越えてきたのだから、登り下りがあるのは当り前。


市道山の頂上には、刈寄山と同じデザインの東京都の山名標が立てられていて、標高は795.1mということである。800m足らずの低山ではあるものの、やたらと多いアップダウンを登り下りしてきたので、累積標高は倍の1500mくらいあったのではないかと思った。山名標の前の岩に腰かけて、刈寄山以来久々の大休止である。

目の前は北方向になり、やや右手に3時間前に登った刈寄山が見える。そして、右手にいま登ってきた峰見通りの稜線を望むことができるのだが、1/25000図やガイドブックに名前が載っていないだけで、いずれも結構なピークであった(後から調べたら、栗の木沢の頭とか、ちゃんと名前があるらしい)。

岩の上に腰かけて、お昼に残ったテルモスのお湯を飲む。もう2時半過ぎだが、まだ十分あたたかい。刈寄山からここまで、逆方向から来た単独行の人と会ったきりで、山頂で休んでいる間も誰も来なかった。よく考えるともうすぐ午後3時、そろそろ下りにかからないと、日が暮れてしまう。2時45分に出発した。

岩場になっている山頂直下を下り、しばらく進むと臼杵山と笹平の分岐となる。臼杵山はこの日登った刈寄山・市道山と合わせて戸倉三山と呼ばれるが、臼杵山まで行ったら完全に日が暮れるのでこの日は笹平に下りる。コースタイムは1時間20分。案内表示には60分で笹平と書いてある。1時間は無理としても、午後4時過ぎにはバス停に着くことができるだろう。

さて、最初の計画では市道山を午後2時に出て3時20分にバス停に着き、武蔵五日市方面に向かおうとしていたのだが、道を間違えて20分のタイムロスがあり、市道山に着いたのが午後2時半になってしまった。だから最初乗るつもりのバスは完全にアウトで、次のバスは数馬を午後4時6分に出る便である。

このバスが笹平に着くのは4時半過ぎになるはずで、市道山から1時間45分あればいくらなんでも着くだろうと思ったのだけれど、ここもそう簡単にはすまなかった。「ヨメトリ坂」とこれもまた優雅な名前にもかかわらず急斜面の下り坂であることに加え、午後3時を過ぎると太陽が西の稜線の彼方に沈んでしまって、足下が暗くなってしまったのである。

スイッチバックの急坂を、慎重に下る。足下に注意しなければならないのはもちろんであるが、トッキリ場のように道を間違えたら一大事である。ここはエスケープルートなので、案内表示はない。踏み跡はあるものの、落ち葉に埋もれてどこが正解のルートか判然としないところもある。木の幹に付けられている目印の赤テープを指さし確認するが、いよいよ暗くなってきた。

ヘッデンは持ってきているので、いよいよ暗くなったら出そうと思っていたが、日は沈んでもなんとか見えているので、午後4時まではこのまま下ることにした。麓まではどれくらいあるのか、右の斜面の下は限りなく低くなって冷気が昇ってきた。北の斜面なのであまり日が当たらないのか、地面は湿っていて滑る。一度はかかとが滑って尻もちをついてしまった。

この尾根は下る一方ではなくて、2度ほど登り返すところがある。それでも開けている場所はなくて、すぐにまた下り坂となる。市道山から1時間20分、午後4時を回った。いよいよ周りは暗くなった。案内表示のとおりならそろそろ着くはずと思っていたら、ずっと下の方、標高差で50mくらい下に民家の青い屋根が見えた。引き続き傾斜は急なので、慎重に下る。

下山口に着いたのは午後4時10分。民家だと思った屋根はどうやら廃屋のようだったけれど、舗装された林道には街灯がつけられていて安心する。川沿いに林道を下って行くと、真新しい大きな建物があって驚いた。「高野山真言道場」と書いてあり、厄除け祈願などの幟り旗が立てられているが、ひと気はない。

さらに下ると、ようやく車の止まっている民家が現れた。笹平の集落である。少し登ってバス通りに出ると、消防施設とバス停があった。バス停に着いたのは4時25分。市道山から1時間40分かかった。次のバスは4時33分、あまり余裕はなかった。前のバスは3時18分だから、当初の計画どおり2時に市道山を出発しても、間に合わなかった訳である。

あたりはすでにうす暗く、武蔵五日市まで戻るうちに真っ暗になった。数馬からのバスは3台来て、私の乗った3台目のバスはがらがらだったが、途中の十里木でたくさんの人が乗ってきて満席になった。ここは、早く下山したら行くつもりだった瀬音の湯に行くバス停である。

バスが武蔵五日市に着いたのは午後5時過ぎ。こんな時間ではホリデー快速は走っていないだろうと思ったら、5時21分発の最後のホリデー快速に間に合った。トイレで着替えて、ホームでコーヒーとアイスクリームを買って電車に乗る。乗り継ぎが順調に行って、それから3時間で家に着くことができた。

さて、この日のミッションであったアップダウンのある尾根歩きであるが、コースタイムよりかなり遅れたとはいえ大バテすることもなく最後まで歩くことができた。翌日以降の疲れも前回の釈迦ヶ岳よりも大分ましで、太ももの痛みがひどかったのも今回は3日間で済んだ。やっぱり山歩きは定期的に行っていないと体力が落ちるようである。

ちなみに、予備として持った水500mlと非常食のカロリーメイトは、原則通り下山まで手をつけませんでした。この日約8時間で消費した水分は、スポーツドリンクがプラティパス1200ml+ベットボトル1本、テルモスのお湯400ml、ゼリー飲料200ml2つで合計2.5リットルでした。

この日の経過
今熊山登山口バス停 8:15
8:35 今熊神社 8:40
9:15 今熊山 9:25
10:45 刈寄山(昼食) 11:10
12:10 トッキリ場先(間違い) 12:15
14:30 市道山 14:45
16:10 笹平下山口 16:10
16:25 笹平バス停 (GPS測定距離 14.1km)

[Dec 26, 2016]

北側の尾根から見た市道山頂上。まっすぐ立っている山名標が見える。1/25000図では谷側にも道があるようなのですが、分かりませんでした。


笹平へのエスケープルートはヨメトリ坂という優雅な名前がついていますが、急坂が続きます。


冬の4時近く、北側の尾根はかなり暗い。落ち葉で踏み跡も分かりにくく、赤テープを頼りに下る。


醍醐丸・臼杵山 [Dec 21, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。赤が今回、青が前回の刈寄山・市道山。

2016年の12月下旬はことのほか暖かく、最高気温が20 ℃近くに上がる日もあるくらいであった。例年だとこの時期には房総に出かけるのだが、まだ雪も積もっていないし寒くもないようなので奥多摩に行くことにした。 いろいろ考えて、前回臼杵山を残した戸倉三山を完結しようという計画を立てたのである。

前回は、今熊山登山口から今熊山、刈寄山、市道山と経由して笹平に下った。そのコースでも下山が予定より1時間遅れてしまったので、私の脚力では1日に3山というのは無理である。そこで、直接市道山に登って臼杵山というコースがないか調べると、陣馬高原下から和田峠を経由するコースがある。主要登山道ではないもののトレランにも使われているので、ここを登ってみることにした。

陣馬高原下へのバスは、JR高尾駅北口から出ている。高尾というと混雑することで有名でこれまで避けてきたのだが、もうリタイアしたので平日に行くことができる。平日ならばそう大したことはあるまいと思っていたのだが、例によってその考えは甘かったのである。

というのは、7時半発のバス、確かに登山客は14、5人で大したことはなかったのだが、駅からすでにランドセルの小学生が数人。途中のバス停からも次々と乗ってくる。小学校は街中にあるのにそこで降りることもなく、さらに乗ってくる。「あと10人乗りまーす」「後ろもう少し詰めてください」と大変な騒ぎで、車内はすし詰めのラッシュ状態となった。

小学生の群れは陣馬街道の細い登り坂に入ってもそのままである。どこまで行くんだろうと思っていたら、関場というバス停で降りた。PASMOの発信音でカウントしたところ、55人いた(こんなに乗せていいのだろうか)。不思議に思ったのは私だけではなかったようで、終点で誰かが係員の人に聞いていた。すると、

「こちらでは学区が選べるので、街中じゃなくてこちらの学校に行かせたいという親御さんが多いようですよ」とのことである。事情はあるのだろうが、片道30分以上も満員のバスに乗って通学する小学生も大変である。ちなみに、前回間違えたトッキリ場からの道を下ってくると、この関場バス停に出るのであった。

混雑のせいもあって、陣馬高原下まで1時間近くかかった。身支度して出発したのが8時25分。バスの中から見ていると周囲の畑には霜が降りていたので心配したのだが、和田峠までは林道なのでとりあえずスパッツは着けないで出発する。その後は暖かくなったので、1日そのままでいられたのはありがたいことであった。

ちなみに、バス停前にトイレはあるのだが、男女兼用である。誰か女の人が「一緒なんですかあ」と不満そうに言っていたけれど、山に行けば基本そうである。「山女」ならいちいち騒がないはずだが、このあたりはハイキングコースなので仕方がない。

和田峠まで舗装道路の林道を登って行く。バスに乗っていた他の人達は途中から陣馬山登山道に向かったので、こちらに来るのは私だけであった。結構きつい傾斜だが、時々車が登って行く。1車線しかないので、避けなくてはならないのは難儀である。標高が高くなると、徐々に山の上から日が差して暖かくなってきた。1時間ほど歩くと、和田峠に到着した。

和田峠には売店とトイレがあり、平日の朝早くからお店の人が待機していた。せっかくなのでコーヒー150円をお願いする。インスタントかと思ったらドリップパックだった。15分休んで、9時45分に出発。醍醐林道(本当の林道)を少し進んで登山道に分かれ、斜面をひと登りすると稜線に出る。

ここからは、なだらかな稜線歩きでたいへんに気持ちがいい。東海自然歩道になっているコースなので標識も充実していて、迷うところもない。前回歩いた戸倉三山峰見通りとは、比較にならない歩きやすさである。

醍醐峠というあたりまでいったん下り、そこからなだらかに登ると八王子市最高峰という醍醐丸である。頂上はそれほど広くはないが、尾根に沿って木のベンチが3脚置かれている。ここから東海自然歩道と分かれて、戸倉三山の市道山に向かう。

陣馬高原下バス停を下りて和田峠まで。あたりを見ると霜が降りていたので心配しましたが、日中は暖かくなりました。


和田峠からひと登りで稜線に出る。祠の前を通ってなだらかな尾根道を進む。


醍醐丸の頂上はあまり広くないけれどベンチが3脚置いてある。市道山にはベンチ先を左手に下っていく。


醍醐丸から広い尾根道を下る。頂上でも見えたのだが、左前方に木々の間から雲取山や石尾根を望むことができる。いったん下った稜線が再び登るあたりが七ツ石山だろうか。いま下っている尾根は「吊尾根」というらしいのだが、遠く峰々を望む絶景は、こちらの方が「峰見通り」の名前にふさわしいのではないかと思った。

いったん鞍部まで下ってゆるやかに登り返すあたりから、左手20m下くらいに林道が見え隠れする。1/25000図ではこんなところに林道は通っていないのだが、どこから伸びているのだろうか。その先に開けたピークがあって、「独標 七三四m 東京三五〇」の標識が細い枝に下げられていた。

こんな細い枝では、すぐに風に飛ばされるか枝が折れてしまうのではないかと思ったが、それはともかく、「東京三五〇」とはおそらく東京都のベスト三五〇峰のことで、山名はないけれどもたいへんに景色がいいことからこの独立標高点ピークが選ばれたのだろう。

時刻は11時半と頃合いなので、ここでお昼にする。この日のお昼は抹茶小豆パンとコーヒー。快晴無風で、12月後半とは思えないくらい暖かい。

20分休んで、12時10分前に出発。ここからも緩やかな登り下りでたいへん歩きやすい。やがて右の谷から登ってくる道と合流し、前方に見えるのが市道山だろうと思ったあたりで、何ということか前回に引き続き道間違いをしてしまったのである。

このあたりは数日後に行われるトレラン大会のコースとなっていて、ときどきその掲示がある。トレラン大会で走るくらいだから、少々の傾斜があるとしても追い抜きができるくらいの幅があるのが普通で、そこまでは確かにそういう道だった。ところが、斜面の東側、トラバース道に入ってしばらくすると、踏み跡はあるのだが道幅が極端に狭くなり、とてもここでは追い抜きはできないという道となった。

斜面には丸太で土留めもしてあるので人の手は入っているし、細いとはいえ踏み跡はあるので、たまにはこういう場所も通るんだろうと思って進んだのだが、道はいよいよ狭くなり、しかも地盤が斜めって走れる状態ではない。これはトレランコースではないと思って引き返すあたりまで、かなり進んでしまった。

左手上に稜線が見えるのでそこまで登れないか試したのだけれど、結構な傾斜で足場も危ないので断念、山の鉄則にしたがって引き返すことにした。すると、進んだ時には気付かなかったが木の枝が邪魔して通せんぼする。歩くのが大変な道であった。やっとのことで稜線が下ってきたあたりで、なんと赤テープがあってトラバース道から稜線に登ることになっていた。

トレランのコースは市道山方向から醍醐丸に向かうので間違える可能性は少ないが、醍醐丸方向から来ると道なりでトラバース道に入るため、赤テープを見逃すとこうした間違いを起こしかねないのであった。ここで20分ほどのロスをしてしまう。

稜線に上がると、すぐ左手に建設中らしい林道の終点があった。さきほど見えた林道から登って来れば着いたのである。もっとも地図に載っていないので分からなくても仕方ない。この林道終点の地点から尾根を直登すると、「市道山まで0.1km」の標識で峰見通りに合流する。この標識は市道山とイッポチ山の鞍部にあるので、私が迷ったのはこの南東斜面であった。

市道山到着は12時55分。途中でお昼休憩をとったのと、道に迷ったのとで、予定していた12時より1時間遅くなってしまったが、それでも前回の2時半より1時間半も早く着いた。

この後どうしようか少し迷ったが、遅れたとはいってもお昼は済んでいるから実質30分程度の遅れだし、ここから笹平に下りたとしても1時間以上のバス待ちになる。コースタイムどおり「臼杵山まで1時間半」、そこから「荷田子まで1時間半」の合計3時間で着くとは思えないが、それでも4時間まではかからないだろうと思ったのである。

例によってこの見通しもかなり甘かったのであるが。

醍醐丸から市道山までの稜線は快適。こちらの方が「峰見通り」の名にふさわしい。734mの独立標高点ピークでお昼にする。


醍醐丸方向から市道山に近づくと、工事中の林道が伸びている。刈寄山方向から来ると気がつかない。


イッポチ山の下あたりでトラバース道に入り込んで道間違い。この樹林の中あたりで迷った。


市道山から午後1時5分過ぎに出発。前回同様、北側に登山道を下る。1/25000図には山頂から北東方向、盆堀川に下りて行く登山道が載っていて、前回は道などありそうに見えなかったのだが、今回改めてよく見ると、下方の木に赤テープが付けてあった。おそらくそこから登山道が続くのだろうが、そこまで行くのも急斜面だったので当初計画通りに臼杵山に向かった。

5分も下ると、笹平へのエスケープルートとの分岐である。前回はここから左へ笹平に下ったが、今回は右に進む。笹平への「ヨメトリ坂」と同様の急斜面である。尾根道というよりも、一回下山してもう一回登るような道である。

ガイドブックには「最低鞍部」という場所が書いてあって、そこまで標高差で150mほど下るのだが、急坂を下ってなだらかになり、また急坂を下るというのを3回くらい繰り返す。「最低鞍部」には立札も何もなく、どこがそうだったのか判然としない。

30分ほど下ると道は登り坂となり、どうやら下りは終わったのだとちょっと安心する。とても150mとは思えないほど下った。林の間からこれから登る稜線が見える。ピークが3つ4つあって、一番向こうがおそらく臼杵山である。笹平分岐の案内表示では臼杵山まで80分なので、あと1時間歩けば着く計算になるのだが、一目見てあと1時間では着かないような気がする。

さて、この戸倉三山だが、奥多摩にしてはエスケープルートがあまりない山である。今回の市道山から臼杵山にしても、笹平への分岐を過ぎると臼杵山まで下山道はない。上級者向けのバリエーションルートがあるにはあるのだが東斜面を下りるルートで、傾斜が急なだけでなく下り口が判然としない。首尾よく下りられたとしても、盆堀林道の長い歩きが待っている。

そのあたりは事前に調査していたので、なかなか着かないけれど臼杵山まで進む以外にないことは分かっていた。しかし、東側の谷を越えた向こう側には採石場だか砂取場が見えていて、そこからトラックの走る音や誘導する笛が聞こえてくる。下りてもダメだと分かってはいても、あそこまで行けば何とかならないかと思ってしまうのは悲しいことであった。

最低鞍部をどこかで過ぎて、何回か登って下ってをくり返し、午後2時が過ぎた。市道山から1時間歩いたから、そろそろ間近まで来ているはずと思い、いったんリュックを下ろして休憩。GPSの緯度経度をみて現在位置を確認する。この作業はかつて房総の石尊山で15度方向の違う尾根をたどって大間違いをしてから心がけていることである。

道間違いはしていなくても、現在位置を確認することであとどのくらいで着くかの目安がつく。ところが、GPSの示した現在位置というのが、まだ臼杵山までの半分しか来ていなかったのである。1/25000図の749mピークよりも前だ。

1時間半のコースを1時間歩いたにもかかわらず、まだ半分かと思うとかなりがっくりきた。それもあるけれど、足下の明るいうちに下山できないのではないかという懸念が大きくなってきた。ちゃんとヘッデンは持ってきているものの、心細いことは間違いない。

(ところで、臼杵山の途中にある749mピークを石津窪山というらしい。下の写真でいちばん右のピーク。下の沢を石津窪というところからそう呼ばれているようだ。沢登りでよく使われるようだが、沢登りに使われるくらいだから上級者向けである。)

そこから先は前回同様、半ばあきらめながら歩く。ときどき目の前に大きなピークが立ちはだかるのだが、時間からいってまだ先と思うと足に力が入らない。そんなふうにして登ったり下ったりしていると、坂の上に案内標識が見えた。

あと何百mの標識かなと思ってそこまで登ってみると、なんと臼杵山の山名標が立っていた。思いがけず、最後のひと登りだけは楽だった。これで、2016年12月、2回に分けて戸倉三山制覇である。時刻は午後3時5分過ぎ。市道山から1時間半のコースを休憩含めて2時間かかった。

臼杵山は双耳峰になっていて、山名標のあるピークからいったん下って登り返すともうひとつピークがある。下山口はこちらにあり、まず荷田子方面への分岐、その先に臼杵神社と元郷方面への下山口がある。

臼杵神社には小さな祠と、それほど古いものではないが狛犬ならぬ狛キツネが脇を固めている。向かって左の一匹は巻物を噛んでいるのはなぜだろう。神社なのにお稲荷さんのような雰囲気である。

市道山から臼杵山までは、峰見通りと同様のアップダウンが続き、徐々に体力が削られていく。


木の間から見えてきた一番向こうの山が臼杵山だろうか。まだまだ着きそうにない。コースタイムで着くには、相当飛ばさなければならない。


市道山から1時間半のコースタイムを、2時間かかって臼杵山に到着。これで戸倉三山を制覇、しんどかった。


さて、午後3時ともなると日の入りはもうすぐである。ゆっくりしてはいられないので早々に頂上を後にする。コースタイム的には神社の先を元郷に下りた方が早そうではあるのだが、WEB上では登山道が崩れて通れないという情報もある。頂上の案内表示にはそんなことは書いてないけれど、これから暗くなるので安全策をとって予定通り荷田子に下りることにした。

道案内は堂々としているのだが、下山道は道幅が狭く傾斜も急で、気はせくのだけれど速く歩けない。そして道は山の東斜面に続いているので、太陽が山の陰になってしまってたいへんに暗い。参ったなあ、もうヘッデンがいるのかなあと思いながらしばらく下ると、一転して登り坂。疲れているのにまた登りはきつい。登り返したピークには「臼杵山東峰」のラベルが下げてあった。

東峰を過ぎると、道はようやく下りになる。市道山から見えていた採石場だか砂取場がずいぶん近くなり、音が間近に聞こえる。まだトラックが出入りしている時間なのだから大丈夫と思うけれども、前回も4時を過ぎたら足下が見えづらくなった。なにしろこの日は冬至である。一年でもっとも日が短いのである。

冬至といえば、以前、三条の湯に行った日も冬至だった。あの時は寒くて足は痙攣するし、受付で手が震えて字が書けないほどだったが、この日は12月とは思えないくらい暖かい日で、この時間になっても汗がしたたり落ちるくらいの陽気だった。そのためたいへんおいしい水(ただのミネラルウォーター)を飲めたのであるが、下山までにはまだまだ時間がかかったのである。

午後3時半になり、そろそろ本当にヘッデンを用意しなければと思った頃、急にあたりが明るくなった。登山道は尾根の上を通っているのだが、右側の斜面が大規模に伐採されていて周囲が開けている。林の中は木々に囲まれて暗いのだが、あたりが開けるとまだ十分明るい。しばらくの間は、ヘッデンの心配をすることなく歩けたのはありがたいことだった。

さて、登山道は再び木々の間に入ってまた暗くなった。ただし人里は近くなって、向こうの道路に車のヘッドライトも見える。すると、登山道の右側に突然開けた一画が現われた。土地自体は斜面であるが、丸太で作られたテーブルやベンチがいくつかある。ちょうど午後4時、携帯のアンテナが立ったので家に予定より遅くなるとメールするのと、再びGPSで現在位置を確認することにした。

そして、メールは楽勝で送れたのだけれど、すぐ下に人家の灯りが見えるにもかかわらず、その時いたのはグミ尾根の656m標高点付近で、1時間歩いたにもかかわらず1時間半のコースの半分しか来ていなかったのである(この日はこんなことばっかりであった)。

これには驚いてしまった。下りが主のルートで長く休んだ訳でもなく、ペースも遅くなかったのにこれである。いくらなんでも、登るより遅いなんてことはない。やっぱりコースタイムは当てにならないとつくづく思った。

でも、そんなことを思ったところで仕方がない。いよいよヘッデンを準備して頭に装着する。冬至の夕暮れだというのに、全く寒くないのはありがたい。手袋も暑いので外したくらいで、かじかむこともない。登山道は下に見える道路と並行して山の中を通っているらしく、支尾根を一つ二つと越えて行く。

標高は確実に下がっていくのだが、日も確実に落ちてきて、荷田子峠に着く頃には真っ暗になっていた。案内標識には荷田子まで600mとあるのだが、いよいよ尾根の末端に来て急こう配の下り坂である。真っ暗闇の中を歩くのは、四国遍路の焼山寺越え以来だろうか。頭を左右に振ってヘッデンの灯りで登山道の左右を確かめ、万が一にも道を失わないよう慎重に下る。

真っ暗闇を歩くいい練習ではあるけれど、あたりに灯り一つ見えない森の中はたいへんに心細い。スイッチバックの下りで足下も安定せず、緊張で汗びっしょりになる。ようやくスイッチバックが終わり、地面は敷石のようになった。林の向こうに信号も見えてきた。ようやく下りられた。と思ったところが、目の前にフェンスで囲いがしてあって、先に進めない。

間違ったところに出てしまったかと周囲を見回すと、何か看板がある。ヘッデンを近づけて読んでみると、「手すりのオレンジのところを開けてください。フェンスには電流が流れていて危険です」なんてことが書いてある。どうやら、鹿かイノシシ除けのフェンスのようだ。でも、暗いせいかオレンジの場所なんて見つからないのである。

感電しないように手袋をして、なんとかフェンスを開けて外に出た。時刻は午後5時20分。夏場であれば全然大丈夫な時間なのだが、来た方向を振り返ると真っ暗で何も見えない。よくこんなところを下りてきたなあと思ったものでした。コースタイム1時間半を2時間20分というのも、暗くてゆっくり来たのを勘定に入れてもかかり過ぎで、改めて計画はきちんと立てないといけないということでした。

この日の経過
陣馬高原下バス停 8:25
9:30 和田峠 9:45
10:30 醍醐丸 10:40
11:30 734m独標(昼食) 11:50
12:20 イッポチ山下(道間違い) 12:40
12:55 市道山 13:05
15:05 臼杵山 15:10
15:35 臼杵山東峰 15:35
16:15 謎の休憩ベンチ 16:25
17:20 荷田子 17:20
17:45 瀬音の湯 (GPS測定距離 15.5km)

[Jan 30, 2017]

臼杵神社は、荷田子方面への分岐点を過ぎた向こう側にある。


日が暮れてきたが、幸いに斜面を伐採した尾根道に出て明るくなる。向かいの山の砂取り場からトラックの音が聞こえてくる。


荷田子峠への途中で出てきた謎の休憩地。ここでヘッデンを準備し、山を下りた時には真っ暗になりました。

大岳山 [May 28, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

ゴールデンウィークに高原山を歩いたが、標高差がそれほどなかったので足も痛くならなかった。そろそろ本格的に歩かなければならないと思って考えてみたら、しばらく奥多摩に行っていないことに気がついた。奥多摩では、以前登った鋸山に再挑戦するつもりでいたのに、あれからかなり経つ。という訳で、大岳山から鋸山のコースを歩いてみることにした。

昨年は単身赴任でごたごたしていて、奥多摩は2年振りである。家を始発で出ると御嶽止まりとうろ覚えで記憶していたのだが、ダイヤ改正で奥多摩まで行けるようになったようだ。青梅ではホームをひとつ増設工事中であったから、あるいは電車を増やす方針なのかもしれない。いずれにせよ、ホリデー快速より早く御嶽に着くことができた。

とはいえ、ケーブル駅行きのバスはホリデー快速を待って発車するので、時間的には全く変わらない。バスに座って乗れただけよかったのかもしれない。バスもケーブルも満員だったのは、好天の休日だからだろう。この後、人の多さに辟易することになるのを、この時点で想像できなかったのは迂闊なことでした。

ケーブルカーで御岳駅まで登ったのは8時40分。ケーブル駅前の商店街、御嶽神社の門前街を抜けて、かなりの急傾斜を登って行く。細い道を時折り軽乗用車が通る。地元の方だろう。ここから麓まで車で下りて行けるのだろうか。軽自動車なら、ケーブルカーの下を通っている登山道を通れるのだろうかなどと考える。その後は石段である。

15分ほど登って御嶽神社正殿。すでに汗が噴き出している。正殿前では、蔵王権現の特別公開が行われていた。蔵王権現を重視しているということは、もともと修験道の霊山だったということである。「御嶽」という名前からして、山岳修験の霊場から発展したことは間違いないところである。

御嶽神社にお参りしてから、いよいよ大岳山を目指す。このあたり道がいろいろあって、石段を下って折れる道がいちばん太いが、正殿すぐ下から「近道→」の標示があるので、それにしたがってつづら折を下る。メインルートに合流すると、二、三十人の団体と出くわしてたいへんさわがしい。ありがたいことに、ロックガーデンの方に曲がって行ったので、静かになった。

しばらくなだらかな散歩道を進むと、奥ノ院への分岐となる。奥ノ院から鍋割山を経由して大岳山が最短ルートであるが、こちらには「上級者向け」と書いてある。いままでの散歩道をそのまま進んでも大岳山に至るが、こちらは距離が1kmばかり長い。過去こういうケースでは、距離が長いコースを通った方が楽な場合が多いので、引き続き散歩道を進むことにした。

快適なハイキングコースが続く。途中にトイレ・休憩所も整備された歩きやすいコースだ。反面、だんだんと人が増えてくる。それもみんな大声である。歳をとると耳が遠くなるので声が自然と大きくなる。よくみると案の定、ジジババの集団である。実はこの後、ほぼ1日中ジジババ集団には悩まされることになるのだった。

ロックガーデンから登ってくる道と合流するあたりから、いよいよ登山道になる。滑りやすい岩で、段差も大きい。鎖場も現れるが、鎖が本格的な割に危険度はそれほどでもなく、鎖を頼らなくても登ることができる。さすが東京都、多くの人が登るので危険回避を考えているのだろう。千葉の低山だとこういう訳にはいかない。

やがて、さきほど分かれた鍋割山経由の道と合流して、さらに岩道を登って行くが、意外なほど早く大岳山荘跡に到着した。

ケーブル駅で下り、門前町を抜け、延々と石段を登ると武蔵御岳神社。この日は、蔵王権現を特別公開していました。


大岳山直行コースを歩くと、距離は長いがなだらかな道。


大岳山直下では鎖場も現れるが、使わなくても登れる。


御嶽神社を出てから大岳山荘跡まで、1時間半で到着した。ケーブル駅から大岳山までのコースタイムは2時間半なので、かなり早く着いたと思ったのだが、実は山荘跡から山頂まで100m近い標高差があるので、まだまだ道は遠かったのである。

山荘はすでに閉鎖されているがトイレは生きているので、広場になっている山荘前にはたくさんの人が休憩していた。でも、とてつもない大声でしゃべっているジジババが多いので、トイレにもよらず休憩も取らずに頂上を目指す。なかなか着かないので、地図くらい確認しておけばよかったと思ったが、あとの祭りである。山荘前から頂上まで25分かかった。

大岳山頂には11時ちょっと過ぎに着いた。山荘前で屯ろしていた連中より早く来たのに、それにまだ11時なのに、頂上はすでに満杯だった。景色の開けている西側の斜面はお弁当を広げている人達で通り道もないくらいである(あとから見たら、景色の見えない森の中に場所があったようだ)。

ようやく斜面に場所を確保してひと息つくが、すぐそばからジジババの大声が聞こえてきて落ち着かない。景色はすばらしいのだが、キャパシティに対して人が多すぎる。高水三山や川苔山に登ったときも山頂はかなり混んでいて興ざめしたものだが、大岳山はそれ以上であった。ここまで俗化されているのだから、電気も水も引いて山荘を復活させればいいのにと思った。

狭いスペースで大声の飛び交う中、チョコデニッシュとバナナ、元気一発ゼリーでそそくさとお昼にする。暑くなるのではとちょっと心配だったが、空には厚い雲が広がって直射日光が当たることはない。いつぞやの釈迦ヶ岳で懲りたので水は2.5リットル持ってきたが、最初の登りで500ミリリットルも飲まなかったので、まだまだ余裕があるのは安心である。

予定では、大岳山を12時に出られれば上出来と思っていたのに、11時半には出発できたから自分としてはかなりのハイペースである。あとは鋸山までの下り、さらに奥多摩駅までの下りである。今回は距離の短い山道を通る予定なので、2時半くらいには下りられるのではないかと思ったのだが、またまた例によって、この見通しはたいへん甘かったのである。

大岳山から鋸山までは、コースタイムで1時間10分。距離の割に時間が短いので、標高差150mを下るなだらかな尾根道を想像していたのだが、もちろんそんなことはなかった。大岳山直下は急勾配の下り坂が標高差100mほど続き、後ろ向きで下らなければならない場所も出て来る。それが終わるとしばらく安心できる道となるものの、断続的に急勾配の登り下りが現れる。

そして、登り下りよりも神経を疲れさせたのが、ジジババの集団であった。大人数かつとてつもない大声で騒ぎながら歩くものだから、100m以上後ろにいるにもかかわらず声が聞こえてくる。それがだんだん迫って来るので、追いかけられているような感じである。ようやく直後に来たので先に行ってもらうと、今度は休憩適地を占領して大騒ぎ、また先に行くとまた大声で追いかけてくる。

そんなことの繰り返しで、たいそう神経が疲れた。まあ、そんな連中を置き去りにできない自らの足の遅さを反省しなくてはならないのだが、せめて5~6人で来てもらえないものだろうか。その後も、立ちションで遅れる奴とかいろいろ出てきて、まあ大変なパーティーでした。

意外と早く着いた大岳山荘跡。だがここから大岳山頂まで標高差で100mほど登る。


大岳山頂。なるほど景色はいいのだが、人が多すぎて座る場所を探すのも一苦労。


大岳山から鋸山までは、急勾配の下りもあるけれど、なだらかな尾根道もある。


大騒ぎするジジババ集団に鋸山直下で抜かれて、鋸山山頂では大騒ぎしていたのでここでは休まずに抜き返して先に進む。大岳山から鋸山までのコースタイム1時間10分に対して実際かかったのは1時間半で、到着したのが午後1時。20分くらいの遅れはたいして気にならないが、問題はこの後のルートである。

前回は山頂から大ダワ経由林道を下って、麓まで約2時間で下りた。いま1時だから、前回と同じルートで下れば3時には三河屋旅館に着いてお風呂にゆっくり入れるだろう。問題は、地図で見ても実際に歩いても山腹をかなり迂回するので、うんざりするほど長いということである。一方、ガイドブックによると愛宕神社までの登山道のコースタイムは、なんと1時間10分なのである。

前に歩いた時、愛宕神社から鋸山までの登りには3時間を要している。その時の判断では、あの道を下るよりも林道を通った方が楽だし早いと思ったのだ。登りに3時間かかる道が1時間10分で下れるはずがないのだが、時間が経つにつれて記憶もあやふやになる。1時間10分は無理でも1時間半では下れるのではないかと思ってしまった。

鋸山頂上はジジババに占領されて休めなかったので、そのまま先に進む。急傾斜を下った後は、一転して急勾配の登りである。一瞬、前と同じ林道を通るべきかと思うが、後ろから休憩が終わったジジババの大声が迫ってくる。「今の私は昔の私ではない。戸倉三山の登り下りだってこなしたんだ」と自らを勇気づけ、そのまま天地山三角点への尾根道を進む。

さきに結果を言ってしまうと、このコースを愛宕神社まで結局2時間かかったから(そこから三河屋まで20分)、林道コースの方が早いし楽だったということである。ところが、鋸山で追い抜いたジジババ連中にこの後追いつかれることはなかったので、2時間かかるのは私だけではないということである。とすると、コースタイム1時間10分ってなんですか、ということである。

私の感触では、トレランの装備で半分走りながら下らない限り、1時間10分なんて無理である。加えて、前の週に降った雨の影響で、急傾斜の下り坂がぬかるんでいて滑る。地図で明らかなように、大岳山から奥多摩駅方向は北側の尾根である。夏至が近いこの時期であっても、日陰になる時間が長くてそう簡単には乾かないのであった。

天地山三角点まではすぐに着いたのだが、その後の烏天狗がなかなか出てこない。出てこないのも道理で、鋸山から烏天狗までは標高差が300mある。前回、登るのに1時間45分かかっているのである。「出てこないなあ、出てこないなあ」と声に出るほど下り坂が続く。ようやく見覚えのある登り返しの岩が現れたのは、鋸山から1時間半後の2時半であった。

鋸山から愛宕神社までのコースタイム1時間10分では、烏天狗(聖天神社)まで到底着かなかったのである。ということは、どう考えても鋸山からは、林道経由で下った方が早いということであった。しかし、そう分かっても後の祭りである。ひとたびこの尾根に入ってしまったら、愛宕神社まで下る他には登山道はない。

烏天狗で少し休んだ後、愛宕神社まで30分、さらに林道を下るのに20分余りを要し、三河屋「麻葉の湯」に着いたのは3時半になってしまった。鋸山からは2時間半、林道を下るよりも30分近く時間がかかってしまった。よく考えてみれば、登るのに3時間かかったものが1時間10分で下れるはずがないのであった。

「麻葉の湯」には先客で5人いて、カランが一杯になる盛況であった。しばらく来ない間に、ずいぶん利用者が増えたようである。場所は便利だし、「もえぎの湯」はいつも満員だし、こちらのよさが知られてきたのかもしれない。

この日の経過
御嶽山ケーブル駅 8:45
9:05 御嶽神社 9:15
10:40 大岳山荘跡 10:40
11:05 大岳山頂 11:30
13:00 鋸山 13:00
14:30 聖天神社(烏天狗) 14:40
15:10 愛宕神社裏 15:10
15:30 三河屋旅館立寄り湯 (GPS測定距離 13.7km)

[Jun 20,2017]

大岳山から1時間半かかって鋸山。大人数のジジババ組はうるさいし、行く先々で休憩場所を占領されました。


いつ烏天狗が現れるのだろうと思って下っていたら、1時間半かかりました。コースタイムはトレラン用か?


鋸山から愛宕神社まで1時間10分のコースタイムに2時間。これはコースタイムの方がおかしいと思う。


本仁田山(撤退) [Sep 9, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

例年通り虫と蜂の多い夏の期間は山歩きはお休みで、9月の声を聞いていよいよ再開の機運が高まってきた。2017年の夏は暑い日が比較的少なくて、8月終盤から30℃を超える日があまりなくなった。加えて朝晩が涼しいので、山に行くにはなかなか良好なコンディションである。唯一気になるのは、ウィークデイが雨模様で土日が好天という天気予報である。

せっかくリタイアしたので人の少ない平日に行ければいいのだが、かといって雨が降る中を歩くのは気が進まない。そして、土日であればJRの休日パスがあるので、都心を往復する値段で奥多摩まで行って帰って来られる。人が多くても安いならがまんしようということで、9月9日の土曜日に行く計画を立てた。

当初の計画は、おくたま1号で奥多摩まで行って、安寺沢集落から本仁田山に登り、コブタカ山、大根山ノ神を通って鳩ノ巣に下りてくる予定であった。ところが、休日パスを使うものだから成田線経由で都心に向かうことになり、そこまではよかったのだが山手線が遅れている。それも、駅に表示があれば神田から回る手もあったのに、表示もないのに遅れているのである。

それだけでなく、後の電車との間隔調整とか言って余計に停車するものだから、結局おくたま1号には間に合わなかった。休日パスを使わなければ普通に北総線で十分に間に合った(朝一番ならおくたま1号より早く着く)のに、節約したばかりにたいそう余計に時間がかかってしまった。結局、奥多摩に入るのが9時過ぎと、予定より30分以上遅れることになった。

さて、そうなるとわざわざ奥多摩から歩くこともない。当初予定とは逆コースにして、鳩ノ巣から本仁田山に登り奥多摩に下りることにすれば、30分の遅れを取り戻せないこともない。大根山ノ神までは5年前に川苔山に登ったルートだし、帰りのおくたま号に乗るには、奥多摩に下りた方が便利である。

と考えて、2つ前の鳩ノ巣で電車を下りた。身支度を整えて9時10分出発。家を出てからおよそ4時間だから、日帰り山行としては限界に近い。もう奥多摩日帰りは無理かなあと思いながら、棚沢集落の急坂を登る。いきなり、息が切れる。後ろにひっくり返りそうな急傾斜である上に、なにしろ山は4ヵ月ぶりなのである。

集落のいちばん上の家あたりで左に登山道が分かれる。ここは5年前に通った記憶がある。かつて峰集落があった時に唯一の生活道路だった道で、峰の小学生もここを通ったはずである。そのためか谷側にはフェンスが張られてあるが、相当に古いものなので錆びているしところどころ破れている。それでも、集落内の急坂よりも登りやすい。

そろそろ上に峠の地形が見える頃になって、前方を行く集団に追いついた。私自身のペースは相当にゆっくりなのだが、それ以上にゆっくりなのだろう。そして、後ろからも何人かのグループが追いついてきた。これはいつものことなので驚かない。さすが週末の奥多摩、人が多いのであった。

こういう時に先行する集団を抜いたりすると、結局バテることになる。それはここ数年の経験で身に染みている。景色を見たり写真を撮ったりして前方集団の最後尾とは一定の距離を保つ。そういう体勢で10分ほど歩くと、大根山ノ神に到着した。麓からは50分、前方集団でペースが落ちた割には、5年前よりも少しだけ早く着くことができた。

乗り継ぎ不調で家から4時間かかってようやく鳩ノ巣へ。当初予定の逆コースで本仁田山をめざした。


さすが奥多摩。歩き始めると前後に大人数のグループが出現。こういう場合抜いたりするとオーバーペースとなるので、じっと後ろに付く。もうすぐ大根山ノ神。


大根山ノ神まで50分、5年前より少しだけ早く着いた。ここから峰の廃集落に行きたかったが、目指す方向が草ぼうぼうだったので自重した。


さて、大根山ノ神で小休止の後、最終目的地本仁田山に向けてまずコブタカ山をめざす。実は、時間に余裕があれば峰の廃集落に行こうと思っていたのだが、そもそも30分以上遅れて登り始めた上、峰集落に向かう小道は左右から雑草が丈を伸ばしているので、すぐにあきらめてコブタカ山に向かう。

さて、今回のルートである大根山ノ神からコブタカ山のルート、WEB上の記事をみると1時間ちょっとのルートで何のへんてつもない登りのような印象がある。計画段階でも、奥多摩から登る予定だったから安寺沢からの急登ばかりに頭が行っていて、ここの傾斜はそれほどでもないように思い込んでいた。ところが、登り始めてみると実にたいへんなルートだった。

ひと登りしてしばらくはほとんど平らなトラバース道で安心するけれども、川苔山方面との分岐あたりからどんどん傾斜がきつくなる。はじめは4ヵ月ぶりが影響しているのかと思っていたが、下る時に相当の急傾斜であることが分かった。どうりで、息が上がってたびたび立ち止まらなければならなかった訳である。

川苔山へ向かうルートでは、なだらかな尾根道がしばらく続いたような記憶があるのだが、コブタカ山方面へはずっと登りが続く。1/25000図ではそんなにきつい坂のように思えないのだが、たいへんにきつい。40~50分登ると、左から尾根が合わさってきた。もうコブタカ山か、早いなと思っていたら、尾根はいったん下ってまた登っている。

今回は久しぶりの山なので、さっそくGPSと電子国土データを照合して現在位置を確認する。ところが、緯度経度を確認してみたところ、コブタカ山どころかその半分も来ていない。合わさってきたのは、ただの派生尾根のようだった。その時点の標高は924m、時刻は11時8分。登り始めた鳩ノ巣駅が300mで9時10分だから、そんなにペースが遅い訳ではない。しかし、まだ中間目標の半分も来ていない。

本仁田山の標高は1224m、あと1時間で登れればいいけれど、その時点ですでに相当疲れていた。そして、この日は天気が急速に回復して暑いこともあって、水の消費量がたいへんに多い。この段階ですでに500mlのペットボトルを1本空けてしまい、予備のスポーツドリンク1.5リットルに手をつけている。頂上まで水がもつかどうかも心配だ。

その時は気付かなかったが、下りの時このあたりの木に「杉の尾根 殿上山」の札が付いているのに気が付いた。昨年暮れに、醍醐丸から市道山に向かう尾根で独標734mのピークにあったのと同じフォームの木札である。奥多摩の登山愛好家の人がやっているのだろうか。東京都の行き先標示も親切でいいけれど、こういうパーソナルな(オフィシャルでない)目印もありがたいものである。

気を取り直して出発。殿上山920mピークは尾根上のコブのような小ピークで、わずかに下って再び急傾斜の登りになった。すぐ上がピークのように見えるのだけれど、そこまで登るとさらに先に傾斜が続いているのが奥多摩である。息が続かず、ひと登りするごとに膝に手を突いて息を整える。

11時35分、大根山ノ神から1時間半登ったところでようやくなだらかな尾根にたどり着いた。GPSを確認すると、1011mの独標付近のようだ。コブタカ山まであと標高差200m、当初の目標であった本仁田山へはさらに下って登り返さなければならない。この時点の疲れ具合と水の残り具合から考えてこの先に進むのは困難と判断し、ここで撤退することにした。

わずかに平らになっていて緑の斜面が見渡せるいい景色だったので、ここでお昼にする。ヤマザキのランチパックに自然解凍のパイナップル、残ったスポーツドリンクである。まあ、この山行は最初から秋の予行演習の予定であったから、頂上まで登ることよりも無事に下りることの方が大切である。

まして朝の山手線遅れのおかげで乗り継ぎがうまくいかなかったのだから、途中で撤退するのもやむなしである。12時少し前に下り始める。登りの時はほとんど人に会わなかったのだが、ここからの下りで多くのグループとすれ違った。このコースは比較的遅くに歩き始めても大丈夫なコースのようだ。

大根山ノ神からひと登りした後、ようやく緩やかなトラバース道となる。でも、こういう道はこの日はここだけ。


ほどなく、急坂が登場。登る時も苦しいし、下る時もきつかった。


「杉の尾根殿上山」の標示の後も、凶悪な急坂が続く。休み明けには厳しすぎるルートでした。これで安寺沢から登っていたらどうなっていたか。


そういう訳で、1011独標付近から下山することにした。登る時はあまり気付かなかったが、ここの下りは凶悪なくらいの急傾斜であった。わずか4~5年前にはこういうところでも走るように駆け下りることが(少しくらいは)可能だったのだが、60代に入って最優先課題は膝を痛めないこと、転倒しないことである。ステッキを使って三点確保しつつ慎重に下りる。

1011m独標から殿上山まで下りた標高差100m足らずで、こんなところを登ってきたのかと自分で自分に驚いた。登りもそうだったのだが、下りもペースが全然上がらない。休まない分登りよりも早いのだけれど、それでも大根山ノ神までまるまる1時間かかった。

さて、今回の山行を振り返ると、鳩ノ巣駅300mから1011m独標付近まで、標高差で700m登っている。実はこれは、昨シーズン1度も登っていない標高差なのであった。

もちろん累積標高差では戸倉三山でこのくらいは登っているけれども、大岳山は下りこそまるまる900m下ったが登りは御嶽ケーブルを使っているし、その前の釈迦ヶ岳にせよ天城山にせよ、登山口の標高自体が高いので、それほどの標高差を登った訳ではない。さかのぼると2015年秋、塔ノ岳以来の標高差なのであった。60代に入ってはじめてのことであり、疲れたのは当り前である。

大根山ノ神まで下りてきたら、とてもじゃないけどもう山道は歩きたくなくなった。東京都の地図看板では鳩ノ巣まで30分で下りることになっているけれど、私だったら40~50分は楽にかかってしまうだろう。幸い、すぐ横から車の通る林道が鳩ノ巣まで通っている。たいそう遠回りになる上、歩くと何分かかるか、そもそもどのくらいの距離があるのかも書いていない。

それでも、普通に歩いていれば足下を気にしなくても先に進める。そして、経験上登山道を歩くのと時間的にそう大きくは違わない。という訳で、方向的には鳩ノ巣とはあさっての方向、むしろいま下りてきた殿上山・1011m独標に逆戻りするような方向に走っている林道を歩き始めたのでありました。

ところが、この林道は予想以上の超大回りだった。谷を流れる川岸あたりで方向転換するまで20分、そこからさらに大きく回り込んで標高を下げる。これは鳩ノ巣まで1時間以上かかるかもしないと覚悟した。とはいえ、あとからGPSで確認すると林道の歩きは時速4~5km、登山道の下りは時速1km台なのでスピードが全然違う。

それにしても、この林道はなぜ大根山ノ神まで伸ばしたのだろう。方向転換するあたりからワサビ田や荷物用モノレールの軌道が現れたのでもともとはそうした用途で作られたのだろうが、大根山ノ神まではただ林間を通るだけの道である。それも、がけ崩れ防止のための石垣もあって本格的である。もちろん電柱は立っていない。

人が住んでいれば当然車道は必要になるが、平成初めの整備と書かれていたから、峰に人が住んでいたのはそれより20年以上前の話だ。確かに上の方は造成林で、1011独標のあたりまで整備標が立てられていたが、伐った材木を林道まで下ろすのだって大変である。奥多摩周辺は、いまもところどころで林道を工事しているが、コストに見合った需要があるのだろうか。

谷まで下りてくると、農家の納屋のような小ぶりの建物が目に付くようになる。電柱が現れるのは、水道局の取水場から下である。その取水場の近くで、林道脇から盛大に水が出ていた。ひしゃくが置いてあるので、飲める水であろう。

標高が下がるにしたがって急に暑くなったので、この水場はたいへんありがたかった。顔を洗って、手で冷たい水をすくって飲む。それまでは手持ちの水も残り少なくて、暑くて、いつまで歩くと麓に着くのか分からず落ち込んでいたが、生き返る気持ちがした。気を取り直して歩き始める。結局、鳩ノ巣まで1時間10分かかったのでありました。

この日の経過
JR鳩ノ巣駅 9:10
10:00 大根山ノ神 10:10
11:05 杉の尾根殿上山 11:10
11:35 1011独標付近 11:55
12:55 大根山ノ神 12:55
14:15 はとのす荘 (GPS測定距離 8.9km)

[Oct 2, 2017]

この日は、1011m独標付近で撤退。この登りでは珍しく、傾斜がゆるやかな地点でした。


大根山ノ神からは林道を通って下る。ゆっくり歩けるのは何よりでした。鳩ノ巣駅まで1時間10分。


林道途中、水道局取水場のすぐ下あたりに水場が。冷たい水で顔を洗い、喉を潤して生き返りました。

浅間嶺 [Oct 1, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さて、この秋2度目の山である。お遍路の13泊14日が控えているので日帰り圏で考えたいところだが、前回の本仁田山で朝の電車乗り継ぎが難航するのには懲りた。前泊することも考えたが、それよりも最短経路で現地入りした方が安いし手間もかからないし、荷物も少なくて済む。天気がよくなりそうな週末だったけれども、休日パスは使わずに北総線と武蔵野線で西に向かう。

すると、南浦和あたりで車内放送が言うことには、今しがた西日暮里で人身事故が起こり山手線・京浜東北線は運転見合わせ中らしい。休日パスで都心に向かっていたら、またもや乗り継ぎがうまくいかないところであった。おカネの多寡よりもストレスの多い少ないの方が大切である。

武蔵野線は特に影響なく西国分寺へ。立川から拝島を通って武蔵五日市に着いたのは2017年10月1日日曜日の午前7時40分。すぐに来た藤倉行き西東京バスに乗り、8時過ぎには登山口である払沢の滝バス停に到着した。

歩き始めたのは8時15分で、前回とはほぼ1時間違う。そのせいか電車疲れもほとんどなく、快調に歩を進めることができた。移動時間が3時間と4時間ではえらい違いだと実感する。天候は晴れ、風もほとんどない。朝、家を出る時には肌寒かったけれど、日が昇って暑いくらいになった。

バス停からは払沢の滝方向の標示に沿って進み、途中で右手に分かれて浅間尾根方向に折れる。車も問題なく通れる舗装道路だが、傾斜がかなりきつい。昨年歩いた陣馬高原下から和田峠とよく似ている。違うのは30分ほど歩いたところに集落があり、洗濯物も干してあって人がいることは間違いないことであった。ずっと鳴らしていたクマ除け鈴を握って、静かに通り過ぎる。

集落を過ぎると、道はさらに傾斜を強める。依然として舗装道路であり、電柱もずっと続いている。しかも3相3線の電線とNTTの電話線のフルセットである。この先に何か大きな施設があるのだろうか。1/25000図を見ると車の通り抜けはできないようなのだが。

40分、50分と林道を登って行く。だんだん、向こうの山並みが見通せる高さまで上がってきた。方向からいって、これから向かう浅間嶺かその前の松生山か、いずれにしても平らな山頂が特徴的な山である。あそこまで行けば、待望のなだらかな尾根歩きが楽しめそうである。

林道を峠まで登ると、右から道が合わさってきた。標識によるとそちらが「関東ふれあいの道」で、林道からふれあいの道への分岐を見逃したようである。合流点の少し先に「峠の茶屋」というお店があり、3相3線の電線と電話線はここまで続いていた。しかし残念ながらこの日は営業しておらず、見たところしばらく開いた形跡はない。

峠の茶屋から少し林道を歩くと、水車のあるそば店がある。ここも「本日休業」の札が下がっていたが、この本日というのはいつからの本日なのだろうと思うくらいひと気がなかった。閉じられた門の奥にはテーブルや椅子が寂しく置かれていて、水車だけが山から引いてきた水で動き続けている。断続的に「ぎいっっ」と音がするのがもの悲しげに響いた。

そば店から先、道はいよいよ谷沿いの登山道になる。かつてこの浅間尾根は江戸・甲州間の物資運搬に使われたといわれるが、確かに足下はずっと石が敷いてあって長年使われた道であることが窺われる。ただ、大きな荷車とかが通れる道幅ではなく、傾斜もけっこう急だ。

この道は払沢の滝上流の谷川を詰めていく道なので、かなり上まで水流があってじめじめしているし、深い谷なのでうす暗い。こういうところはやばいなと思っていたら、道の真ん中を蛇が横切って行く。その先には信じられないくらい太いみみずがいる。一休みしたいくらい急傾斜が続いたのだけれど、とても立ち止まれるような場所ではなかった。

相当長い時間緊張して登ったような気がしたが、帰ってからGPSを調べると30分ほどのようだった。ようやく峠の地形が見えてきて明るくなり、尾根上に出た。正直なところほっとした。ひとまずリュックを下してひと息つく。座るところこそないけれども、蛇やみみずがいないだけでもありがたい。

時坂集落から時坂峠の方向を見上げる。陣馬高原下から和田峠への登りを思い出した。


関東ふれあいの道の標示を見逃したらしく、ずっと林道を登って行く。峠の茶屋までもうすぐ。


峠の茶屋まで電線は通っていますが、残念ながら営業していません。


後から1/25000図を見てみると、尾根に出たのは750mの等高線のあたりのようだ。標高650mくらいまでは川の表示はないものの結構な水流があって、蛇やみみずの出現する危険地帯となっていたのである。こわかったからとはいえ、時坂峠550mくらいから休みなしに200mの標高差を登ったのだから大したものである。

ここからは浅間尾根の尾根道なのだが、実際は中腹のトラバース道である。谷から登ってきて次第に進路を西から南に変えるので、明るくなってきた。そして、さほどの標高差を感じさせない。なだらかな坂を歩いていくと、浅間嶺まで400mの標識が現れた。まだ10時半にもなっていない。

今回は人里峠から人里バス停に下る予定にしていて、このルートの所要時間がガイドブックに書いていない。おそらく1時間ほどだろうから、人里峠を12時ちょうどに通過すれば1時半のバスに十分間に合うと計算していた。しかしその1本前は1時間半前なので、いくらなんでもそれには間に合わない。これは、相当のんびりできそうだ。

浅間嶺の休憩広場に到着したのは10時半。払沢の滝バス停からは休憩時間を含んで2時間15分で到着した。これはガイドブックのコースタイムより早いくらいで、前回本仁田山で大苦戦して途中で撤退したことを考えると大成功である。

休憩広場は百人くらい座ってもまだ余裕があるくらい広くて、東屋とベンチ、トイレもある。その時間にはまだ誰もいなかった。きれいそうなベンチを選んで座り、久しぶりにEPIガスでお湯を沸かす。時間があったらお湯を沸かすのも今回のミッションの一つで、実はこのボンベを使うのも2年振りである。無事お湯も沸いて、インスタントコーヒーを淹れる。

コーヒークリーム入りコッペパンを食べながら、温かいコーヒーをいただく。風もなく、天気もよく、言うことのない山日和である。それにしても、こんなに広い土地が必要なほど、かつては人が来たのだろうかと思った。

お昼を食べ終えて、背後にある浅間嶺頂上に向かう。こちらには先客がいた。私と同年配のご夫婦である。こちらにもテーブルとベンチが備え付けてあるが、広さは下の広場よりかなり小さい。しかし展望はまさに雄大という他にない。

右手に大きくそびえるのは、大岳山である。そこから右に下りてきている尾根が馬頭刈尾根、逆方向の尾根は最後に突起のようなピークがある。鋸山である。ついこの春に大岳山から鋸山まで歩いたが、なるほどなかなか着かなかったのも道理で、相当の距離があるように見える。

鋸山のすぐ左手前に小高いピークがあり、そのピークから尾根続きに大岳山と同じくらいの高さの山につながっている。御前山と湯久保尾根である。御前山の向こう側に奥多摩湖があるはずで、御前山のさらに向こうに薄く見えている山並みが、石尾根のはずである。

そして、御前山の手前の谷間や山腹のあちこちの森の切れ間に、小さな集落がいくつか見える。藤原や倉掛といった集落だろうか。ずいぶん山の中にも人家のようなものが見える。今回は時間に余裕があったので、山頂でずいぶんゆっくりすることができた。

尾根に出てからはなだらかな登りが続く。このくらいの道だとすごく安心する。


浅間嶺頂上から北は展望が開けて見事。左奥が御前山、手前に湯久保山と湯久保尾根、右奥にちらっと鋸山。


浅間嶺下の休憩園地。東屋とトイレもある。奥の斜面を左に登ると浅間嶺頂上。


結局、浅間嶺で小一時間ゆっくりして、先に進む。浅間嶺から関東のみちは上川乗に下りて行くが、今回選んだのは人里峠から人里へのルートである。 人里と書いて「へんぼり」と読む。立地的には人里というよりは山里といった方がしっくりくる山の中の集落である。

浅間嶺から人里峠への尾根道は、まさにこれがなだらかな尾根道という感じであった。急傾斜もなく、右手には御前山に続く雄大な山並みを望み、こういう尾根道ならいつまでも歩いていたいと思うような道だった。途中、ひときわ景色の開けているあたりで、巨大な望遠レンズをセットしてカメラを構えているグループがいた。

聞くとはなしに話を聞いていると、向こうの山からパラグライダーか何かで下りてくるところを撮影したかったようで、「しばらく前に下りました」「全然気が付かなかった。見逃したかな」などと話していた。その少し先が人里峠である。この先尾根道は数馬分岐を経て風張峠というところまで続いているのだが、そちらに進むと1時間半くらい下りる道がなさそうなのだ。

人里峠から下る道はガイドブックにあまり記載がないルートなので心配したのだが、最近下草を刈ったようで歩きやすい。そんなことを思っていると林業標識が出て来て、平成28年度というから昨年度に間伐等の作業をしたようである。どうりで道がよく整備されている。

15分ほど進むと雑草が道をふさいでいる状況となり、さすがにここまでは草刈りできなかったのかな、と思った。さらにスイッチバックで標高をどんどん下げていくと、意外に早く人工物、納屋の屋根のようなものが見えてきた。人里峠からまだ30分も下りていない。ここから集落か、これは早く着きすぎるかなと思って下りて行くと、確かに民家である。

民家なのだが、門注のところに注意書きがしてあって「平成29年8月13日、ポツンと一軒家で放送された一軒家です」とある。ポツンと一軒家は見たことがある。私が見た回は、キャンプ場の近くの山の中にアトリエ兼の別荘を建てている芸術家だったが、Googleマップで一軒家を探して訪ねて行くという番組である。ここも放送されたようである。

様子をみるとこの日は誰もいないようだったが、「ご自由にお休みください」と書いてある。なんと急勾配の林の中を電線がつながっていて、東京電力のメーターはデジタルのスマートメーターになっていたから、つい最近も人がいるということである。よく見るとすぐ下まで車も通れる幅の道がつながってきているが、もちろん舗装はされておらず雑草が伸びている。

庭にはレジャー用のベンチが置かれていて、目の前は笹尾根と説明書きがある。標高は700mほどなので、人里峠844mから150mほどしか下りてきていない。庭の奥には400年前から引いているという水場からの水が盛大に出ている。前回の鳩ノ巣林道に引き続き、ありがたく顔を洗わせていただく。

建物の庭に面した側は長さ10mほどはあり、小屋というよりも立派な家である。築100年ほど建っているということで、かつてはここで一家族が暮らしていたのかもしれない。ただ、おそらくは住民はお年寄りで(ポツンと一軒家の住民はみんなそうだ)、食糧を調達するにも病院へ行くにもこの山中では無理だ。急に駆けつけようにも救急車では無理な道である。

時間もあるので、庭のベンチに座らせていただき、笹尾根を望みながら考えた。奥多摩でいうと、丹波天平の高畑集落もそうだし、石尾根の絹笠集落もそうだけれど、かつて林業が盛んだった時期には山に近いところに住まないと仕事にならなかったはずだ。ところが現在では、こういう場所に住むこと自体が難しくなっている。

百年前のように、薪を焚いて燃料にし、排水は畑で有効利用という訳にもいかない。水は自己責任で湧水を利用するとしても、雑排水はどうするのか。奥多摩のように山の下に水源があるような地域では、合併処理槽という訳にもいないだろう。となると、人々が昔の生活に戻らない限り、こうした一軒家はいつかは使われなくなるのである。

しばらくゆっくりした後、再び山を下る。太い道はかなり迂回しているようだったので、標識にしたがって登山道を下る。それでもかなり標高の高いところから人家があって、急な坂道を人里バス停のある谷沿いまで下りて行ったのでした。

この日の経過
払沢の滝入口バス停 8:15
9:05 時坂峠 9:15
9:50 750mの尾根 10:00
10:30 浅間嶺 11:15
11:35 人里峠 11:35
12:05 ポツンと一軒家 12:25
12:50 人里バス停 (GPS測定距離 9.3km)

[Oct 23, 2017]

浅間嶺から人里峠は気持ちのいい尾根道。右手の植林は多く伐採されていて、谷を挟んで御前山を望みながら歩く。


標高700mほどにポツンと一軒家。林の中から電線が上がってきている。所さんの番組で紹介されたそうだ。


ポツンと一軒家奥の水場は、400年前から引かれているという。この日は水量豊富で、大根山ノ神の水道局前に続き顔を洗わせていただく。


リベンジ!!本仁田山 [Nov 26, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

10月は長いことお遍路歩きに出ていて、その間右足親指の爪を痛めてしまったので、剥がれるまでの間は山歩きを控えていた。ようやく爪の状態が落ち着いたら11月の下旬。今年は長雨の後、急に寒くなって12月下旬とか1月上旬の気温と言っている。

9月に途中棄権して頂上まで行けなかった本仁田山へのリベンジをどうしようか気になっていた。できれば今シーズン中に片づけておきたいが、あまり寒いと奥多摩は雪になる可能性がある。11月最終週の週末に気候が落ち着きそうだったので、再挑戦することとした。

とはいっても、前回リタイアに至った大きな理由は電車の乗り継ぎがうまくいかなかったことである。前回は休日パスを使い切るため成田線で出発して失敗したが、青梅線はこの時期になると架線凍結やら何やらで遅れが付きものである。ちゃんと鳩ノ巣に着かなければ同じことになるので、今回は遅れた場合用にプランBを準備して出発した。

そうやって準備怠りないと、電車は順調に動くものである。懸案の西国分寺乗り換え(1分以内)もうまく行き、8時5分過ぎに鳩ノ巣に到着した。この時点で1時間のアドバンデージがある。身支度をして8時15分に歩き始める。ちょうどこの時間にホリデー快速が通るので、踏切待ちの後で棚沢集落の急坂を登る。

すると、前回歩いた時より明らかに息がはずまない。お遍路歩きではほとんどが舗装道路だったけれど、標高790mの鴇田(ひわだ)峠をはじめいくつかの峠越えもしている。意外なところで山歩きの体力強化にもつながっているようでうれしい。

大根山ノ神への登りも、複数回現れる峠だましの地形も余裕をもって通過し、小休止なしで大根山ノ神まで到着した。所要時間は50分で、9月よりも10分短縮することができた。歩いている間は汗が噴き出してくるが、止まると寒くなるような気候である。10分休んで9時15分リスタート。

ここからコブタカ山の登りは、見た目よりも傾斜が急なのは前回下ってみて分かった。だから、小休止を入れながら慎重に進む。杉の尾根殿上山の前に1度、1011m独標付近で2度目の小休止。それでも、1011m到着時点で1時間15分のアドバンテージがある。全然あせる必要はない。

前回リタイアした1011m地点から始まるなだらかな坂を登って行くと、突然前方が開けて雄大な景色が広がった。左には本仁田山が、右にはこれから登るコブタカ山が姿を見せている。コブタカ山へはかなりの急登で、登る前から疲れるくらいである。

左の本仁田山は、奥多摩方向から見るよりも丸っこい姿をしていて、いったん下ったあたりが平らになっている。あれが大休場(おおやすんば)と思われた。なるほど休むにはよさそうな場所に見えた。

9月に到達した1011m独標付近からゆるやかな坂を登って行くと、


ほどなく本日一番の絶景が広がる。本仁田山と平坦な大休場。


林をはさんで右にコブタカ山。見るからに急登で登る前からくじけそうだ。


コブタカ山の標高はGPSによると1121m、1011独標から標高差100m登る。わずか100mとはいえ、目の前に立ちはだかる頂上までの急斜面を見るとちょっと大変である。さすがに何度も小休止して息を整えなければならなかった。

頂上は2、3人立つと一杯になってしまうくらい狭いのに、そこで延々と写真を撮っているじいさんがいる。しばらく下から見ていたら、なにやら自撮りのようなこともやっていて、いつまでも引き上げる気配がない。北方向の、川苔山にかけての稜線やその背後は県境尾根だろうか。たいへん景色がいいのは分かるが、こういうところで独り占めされるのは困る。

とはいえ、こういう輩に何を言ってもはじまらないので頂上はあきらめる。コースタイムによると本仁田山までは20分なので、このまま一気に登ってしまおうと思ったのである。

ところが、本仁田山に向かう尾根道を進み、頂上の高さやそこまでの距離を目測すると、私の足ではとてもじゃないが20分では無理である。30分かそれ以上かかるかもしれない。そもそも、コプタカ山からさらに標高差120mあるからそれだけで24分(私の体力は300m1時間である)、プラス距離で合計30分以上というのが経験からはじいた私の所要時間なのである。

そして、この稜線もまたやさしくない。コプタカ山からしばらく大好きな平らな尾根道なのだが、やがて急な登り坂となる。それをクリアすると今度は中腹をトラバースする左右に傾いた道となり、その向こうにまた急傾斜がある。なかなか頂上が見えてこない。

そのうえ、 コブタカ山を過ぎる頃から、なんだか寒い。実は数日前から鼻カゼをひいていたのでそのせいかもしれないし、標高が上がるにつれて盛大に噴き出していた汗が冷えたのかもしれない。とにかく、汗びっしょりで濡れていたはずのタオルが、気がつくとからからに乾いているのだった。

畳んでしまってあったユニクロのウルトラダウンを出して、再び着る。このダウンは行き帰りの電車くらいでしか着ないだろうと思っていたし、これまでの山歩きでもよほどのことがないと山の中では着なかったのに(塔ノ岳で雪がちらついた時とか)、とてもじゃないけどがまんできないくらい寒かったのである。

急傾斜を登り詰めたらそこが頂上かと思ったら、非情にも「本仁田山100m」の案内表示がある。どうやらここは、沢沿いに登る旧登山道との合流点のようだ。ここからはほぼ平坦で安心した。そして急に人が多くなった。どうやら私のように鳩ノ巣から登るよりも、安寺沢林道経由で登る人の方が多いようだ(あんな急傾斜かつ展望のない道を)。

コブタカ山から40分、1011独標から1時間かかって本仁田山頂上に到着。多くの奥多摩の山には東京都の山名標が立っているのだけれど、この山にはそれがない。代わって立つのは「××氏(消されていて読めない)をしのぶ倉戸山の集い」の立てた「本仁田山頂1224.5m」の立札であった。

山頂には十四、五人の人達がお昼を広げている。もともとの山頂はそれほど広くはないと思うのだが、東側の植林が伐採されていてスペースが広がっているのと、ちょうど切り株が椅子のように平らに残されているので、みんなそこに座ったりEPIガスでお湯を沸かしたりしている。

そして、伐採されたせいで見通しがよくなって、都心方向まで眺めが広がっている。この日は麓の気温が比較的高かったため遠くの方は霞んで見えなかったけれど、空気が澄んでいれば、スカイツリーは無理でも新宿あたりまで見えるのかもしれない。

そういういい景色の頂上だったのだけれど、コブタカ山のあたりから続いている寒気がどうにもおさまらない。私もEPIガスは用意してあってお湯を沸かすことはできたのだけれど、そうする気が起きないほど具合が悪い。おまけに下腹が冷えて来て、何か食べて腹具合でもおかしくなったら一大事である。

しばらく切り株に腰かけて回復するのを待つけれども、息は落ち着いたものの寒気がおさまらない。これは早く安全圏に脱出した方がよさそうだと思い、10分ほど休んで腰を上げた。コースタイムによれば1時間で安寺沢林道で、そこまで下りれば大丈夫だろう。

途中に大休場(おおやすんば)という休憩適地もあるようだから、具合がよくなったらそこで休めばいいと思って歩き始めたのだが、この下りがまた凶悪と表現する他ないような急傾斜なのだった。

ようやくコブタカ山の急登をクリアしたが、本仁田山への稜線もやさしくない。


本仁山山頂と三角点。山頂標のこちら側では十数人がお昼を食べているが、私は寒気がして長くはいられませんでした。


頂上東側は植林が伐採されて、眺めが開けている。きっと、空気が澄んでいれば都心方向まで望むことができるでしょう。


本仁田山から奥多摩方向への下りはいくつかのコースがあるのだが、谷に沿って下る旧登山道はあまり使われないので荒れているという情報である。そして、比較的傾斜が緩やかに見える白丸方向に下る尾根の入口には、「このルートは橋が落ちているので通れません」と書いてある。したがって、ほとんど一択で安寺沢林道に下るルートを選ばざるを得ない。

ところが、このルートは凶悪と言っていいくらいの急傾斜が麓まで続く。最初から最後までスイッチバックの急坂で、しかも足下は滑りやすい。まだお昼頃だったので大勢の登りの人達とすれ違ったが、すれ違う場所も限られるほど道幅は狭いし、登るのも下りるのも急ぐと危ない急坂である。

私がかつて経験した急傾斜といえば、丹沢・梅の木尾根から下りてくるバリエーションルートがあったが、あそこは1時間で麓に着くことができた。天祖山の取り付きも急傾斜で知られるが、ここは近年整備されて歩きやすくなっている。今回の安寺沢への大休場尾根は、一般ルートではなくバリエーションルートといった方がいいかもしれない。

歩き始めてしばらくして、これはコースタイムの1時間なんてとても無理だと気が付いた。とにかく、ケガをしないように時間を掛けて下るしかない。後ろから追いついてくる人達には、どんどん先に行ってもらった。頂上でゆっくりせずに下りてきてよかったと思った。

お遍路で痛めた右足親指が痛むのに加え、左足も痛んできた。足下が滑って不安定なのでどうしても足に力が入るのと、時折地面に飛び出している石にぶつけて痛むのである。ところが、上であれだけひどかった寒気が標高を下げるとともにおさまってきて、30分ほどすると再び汗が出てきた。汗をかくのはうれしくないが、この場合は体調が戻ってきて安心する。

1時間ほどで傾斜が比較的緩やかになり方向転換する。このあたりが大休場(おおやすんば)という休憩適地で、登りの1011m独標あたりから見ても平らなことが分かる場所なのであるが、なぜかトラロープが貼られていて、「通行禁止 登山道ではありません」と真新しい立て札が立てられている。

トラロープを張るほど立入制限しているということは、きっと危険な箇所があるんだろうと思って入らなかったが、結局のところ休憩できるような場所は麓までここしかなかった。あとは、最初から最後まで崖を下っているようなもので、リュックを下す場所さえない。

トラロープの場所から5分ほど下ると人工物のようなものが見え、さらに下るとそれが民家の屋根のようだったのでたいへん心強い。ところが、苦労してスイッチバックを繰り返し、民家らしきものが目の高さになっても道はそちらには続いていない。さらに数十m下になっても、道は山の中をスイッチバックしながら下っていくのである。

「また、ポツンと一軒家か」と思ったのだが、よく見ると何軒も集まって建っている。登山道からは真下にも見えたし真上にも見えたので、あえて登山者には敷地内を通らせたくなくて道を作らないのだろうか。なんだか意地の悪い話である。

やっとの思いで最後の民家横まで下りてくる頃には川の流れる音が聞こえてきたので、結局谷の一番下まで登山道だったということである。本仁田山頂上から、まるまる2時間かかった。登山口には、「本仁田山頂上まで1時間半」と立て札があった。この立て札を本気にして午後2時過ぎてから登り始めたら、下るときには暗くなっているだろう。

そもそも案内表示や看板、コースタイムの類は、初めてそのコースを歩く人のために作るものであって、何度も歩いて目も慣れている人が歩く時間ではない。賭けてもいいがこのコースを初見で1時間で下りてくる人が半分より多い訳がないし(私の2時間はかかり過ぎだとしても)、1時間半で登るのは相当の体力がある人だろう。さもなければケガのリスクと隣り合わせである。

最後の民家の横に奥多摩町の立てた看板があり、「登山者へ いらなくなったものを民家の敷地内に捨てるのはやめましょう」なんてことが書いてあるので、おそらく住民感情として、登山者など来ない方がいいし、住民の生活道路は通らないでほしいと思っているのかもしれない。

仮にそうだとしても、危険な急勾配の登山道を放置しておいて、大ケガするような人が続出したらその時考えましょうというのはどうなのだろうか。少なくともエスケープルートを作ってくれたら、例え遠回りでも大変助かるのにと思った。

安寺沢林道に出てからは舗装道路で、右足と左足を交互に出していれば目的地に近づくありがたい道である。奥多摩工業の工場群の脇を通り、奥多摩駅周辺まで40分。残念なことに水の出ている場所もなかったが、これまでと違って景色を楽しみながら歩くことができたのはありがたかった。

最後は三河屋旅館の立ち寄り湯に入る。ここのお風呂の窓から黄色や赤の紅葉が色鮮やかで、湯船からゆっくり楽しませていただいたのでした。でも、山の中では下るのに一生懸命で、景色を楽しむゆとりもなかった。安寺沢からの大休場尾根は、中高年には全くおすすめできない山道である。

この日の経過
鳩ノ巣駅 8:15
9:05 大根山ノ神 9:15
10:20 1011m独標付近 10:25
10:55 コブタカ山 11:00
11:35 本仁田山 11:50
14:00 安寺沢林道 14:10
14:45 三河屋旅館 (GPS測定距離 8.5km)

[Dec 18, 2017]

写真ではなかなか伝わりにくいのですが、安寺沢への大休場尾根は凶悪な急傾斜です。


この尾根で唯一の休憩適地、大休場(おおやすんば)にはトラロープが貼られ、通行禁止の立札が。


ずいぶん前から民家の屋根が見えるのに、そこを通り過ぎて延々と急傾斜を下りようやく安寺沢林道へ。ここまでまるまる2時間かかった。さらに奥多摩駅まで40分。

鷹ノ巣山・石尾根 [May 10-11, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

丹沢・蛭ヶ岳から帰って、いまひとつ「やり残した感」があった。当初は蛭ヶ岳から桧洞丸へ縦走して西丹沢に下山する計画だったにもかかわらず、前日に足を攣ってしまいペースが上がらなかったこともあり、予定変更して姫次から東海自然歩道を下りてきてしまったからである。

もちろん、こちらも決して楽なルートではなかったのだが、このまま新たな山域にチャレンジするのは時期尚早のような気がした。しかし、また丹沢というのは芸がない。行くとすれば奥多摩だ。何度か行く計画だったのに結局断念したままになっている鷹ノ巣山はどうだろう。そういえば、登り尾根にも石尾根にもしばらく行っていない。

行っていない理由は分かっていて、前回このコースを歩いた時、奥多摩小屋の常識外れの小屋番に、たいへん嫌な思いをさせられたせいである。キャンプであろうと小屋泊であろうと、二度と奥多摩小屋には近づきたくない。と思っていたら、丹波山村などから「奥多摩小屋閉鎖のお知らせ」が発表された。

今年度一杯(平成31年3月まで)で閉鎖・取り壊しだそうである。あの小屋番、またそれを許している雲取山荘では仕方がない。すでに「小屋番は常駐していない」とのことで、あのあたりを歩いてもあの小屋番に会うことはなさそうだ。それならということで、久々に登り尾根を登ってみることにした。七ツ石小屋に泊まって、鷹ノ巣山経由石尾根を奥多摩駅まで下る計画である。

天気予報では、朝のうち雨が残るかもしれないが、昼前には高気圧が張り出してきて晴れると言っている。山梨県東部の午前中の降水確率は10%である。その後3日間は晴れで、2日目以降は真夏日になるらしい。「金~土」よりも「木~金」の方がすいているだろうから、5月10日木曜日からの1泊2日の日程とした。前回の丹沢から3週置いての山行である。

ところが、電車の中から見ていると通勤通学の人達はみんな傘を手にしていて、道路も雨で光っている。奥多摩駅に着くと、本降りの大雨である。バスを待つ人達(みんな年寄り)も、リュックカバーをしたりレインウェアを着たり、雨対応に大変である。

「雲取山は5cm積もっているって、駐在さんが言ってたよ」と西東京バスのおじさんが言うので、「七ツ石はどうでしょうか」と聞くと、「2000m行かなければ大丈夫だよ」とのこと。さすがにアイゼンの用意はしてこなかったので、ちょっとびっくりした。

バスで鴨沢に向かう。奥多摩湖までずっと運転席のワイパーが動いていたが、鴨沢に近づくと動かなくなり、下りた時には雲の切れ間から青空も見えてきた。予報通りでありがたいと思い、リュックカバーを外した。9時30分、鴨沢登山口を出発。

ところが、小袖駐車場までの30分ほどの間に、また雲行きがあやしくなる。はじめは木の上の雨粒が風で落ちてきているのかと思っていたら、リアルタイムの雨である。登山道で荷物を下ろし、再びレインウェアを付けている先行組に追いついた。しばらくそのまま登ったが、小袖駐車場まで待っても止まないので、あきらめて私も雨対応の身支度に戻した。

小袖駐車場はしばらく来ない間にこぎれいなトイレが新築されていて、そこで雨宿りしつつ身支度をする。車は十数台止まっていて、さすがに雲取山はこの天気でもかなりの人気がある。10分ほど休んで出発。

車道から登り尾根の登山道に入り、高度を上げてゆく。ポツンと一軒ある廃屋を過ぎ、いまは使われていない水道施設を過ぎて1時間ほど歩くと、標高1150m地点である。ここには以前、「鴨沢バス停まで1時間5分、雲取山まで2時間45分」などと信じられない案内板が掲げられていたが、いまはもう少し広く整備されていて、その案内板は撤去されている。

その代わりに、「小袖登山口から雲取山までの6分の1。ここまで1時間かかった人はあと5時間かかります」と書いてある。鴨沢からではなく駐車場から1時間ならリーズナブルである。雲取山までの時間もこれくらいみなくてはならない。前の看板みたいに甘くみているから、先だっての70代のように日帰りで雲取などと無謀な計画を立てたあげく、遭難騒ぎを起こすことになる。

広場の隅に立派な金属製の案内板があって、それによるとここは「茶煮場」というそうである。将門が敗走してきてここでお茶を飲んで休憩したと書いてあるが、「将門軍」が敗走したことはあったとしても、常総(茨城県)地盤の「平将門」がここを通ったとは考えにくい。お茶の普及も将門より後の時代で、丹波山村の製作した案内板だが、ちょっと無理筋のようである。

せっかくの広場なのに、降り続く雨で水浸しである。水たまりもあちこちにできていて、シートを敷ける状況ではない。雨の当たらなそうな丸太をみつけ、ビニール袋を敷いて腰を下ろす。とてもお湯を沸かすことはできないので、エナジーバーとスポーツドリンクでお昼にする。そうしていると、上から小さな球形の固体が落ちてきた。

木の実が落ちてくる季節ではないな、おかしいなと思ってよく見ると、それは氷の粒であった。雹(ひょう)ほどの大きさはないので霰(あられ)ということになる。時刻はもうすぐ正午。遠くに雷の音も聞こえる。雨は残っても朝のうちという予報だったのに、大外れである。

鴨沢から30分の小袖駐車場。数年前にはなかったトイレが整備されていた。


山梨県東部の降水確率10%にかかわらず、お昼になっても雨が降りやまない。


標高1150m休憩地は広くなり、看板も付け替えられている。ここは将門が逃げてきた「茶煮場」だそうです。予報外れの雨のせいで水浸し、霰まで降ってきた。


さて、4年前に奥多摩小屋まで登った時、自炊用の食糧と水を持ったのでたいへん荷物が重く(当時の記事を見ると13.5kg)、鴨沢からブナ坂まで5時間10分かかるという大バテをしてしまった。今回はそれよりもいいタイムで登ろうと思っていて、七ツ石小屋は水場もあるので荷物は10.2kgと前回より3kg以上軽くすることができた。

それともう一つ、3週間前の丹沢よりも1kg減量して、体も軽くした。せいうちの私だから体重の1%程度に過ぎないが、それでも持って上がる重量が少なくなることは間違いない。登り始めの体調も悪くなかったから期待したのだが、この雨ではタイムまで期待できそうにないと昼食早々あきらめざるを得なかった。

当初の予定では、早くに七ツ石小屋に着いたらカラ身でブナ坂あたりまでひと回りしてこようなどと挑戦的な計画を立てていたのだけれど、この雨ではそんなことをする気も起きない。早く小屋に着いて荷物を下ろし雨宿りしたいというただそれだけである。

1150m休憩所から堂所までは30分、ここはコースタイムどおり。ところがこの後の登りが相変わらずきつかった。荷物は軽くなっているはずなのに、前回同様に足が上がらない。堂所から七ツ石小屋直登との分岐点であるマムシ岩まで45分かかり、たまらず岩に腰を下ろして休憩をとる。ようやく雨は小降りとなり、雷も遠のいたようだ。

さすがに登り尾根、このあたりでは登り下りする多くの登山客と出会った。雲取山経由雲取山荘までこの日のうちに着くには、この時間にこのあたりを通過しなくてはならない。逆に下りてきた人の多くは雲取山荘泊まりで、すれ違った人達がそんなことを話していた。昨日も今日も頂上は雲の中で、何も見えなかったそうである。

マムシ岩からさらに30分ほど、息切れしながら急坂を登り、それでも14時20分に七ツ石小屋着。ずっと雨が降っていた割には、予定よりも20分ほど遅れただけだった。でも、荷物を置いて出かけてようなどという気にはならず、小屋番さんにご挨拶して早々にリュックを下ろした。

七ツ石小屋には水をいただくのとスポーツドリンクを調達に立ち寄ったことがあるけれど、泊まるのは初めてである。以前は麓のお祭り山荘と同様、雲取サスケ氏が運営していたが、数年前から丹波山村営となっている。サスケ氏にはお祭り山荘でお世話になったが、WEBで探すとあまりいい辞め方ではなかったようで、ちょっと残念である。

新しい小屋番さんは部屋の使い方や小屋の施設、今日明日の天気などを説明してくれた。当り前といえば当り前だが、ありがたくて涙が出そうである。なにしろ奥多摩小屋の小屋番は、宿代を受け取ると何の説明もせず、そのまま自室に閉じこもって朝まで出てこなかったのである。「ここしばらくガスの中でしたが、明日は回復しそうですよ」とうれしいことをおっしゃる。

一休みして外に出ると、ようやく晴れてくれた。この日のお客さんは小屋泊が私ひとりとテン泊がひとり、私同様のシルバー年代である。荷物を置いて雲取山まで往復してきたらしく、それでこの時間からテントを設営しているのだから大したスピードである。テン場の脇にあるベンチで横になり、この日はじめて太陽の光を浴びる。たいへん暖かい。1時間ほどそのままくつろぐ。

2、3年前に新調されたトイレは、奥多摩では最も新しいバイオトイレである。一度小屋から出て、テン場を通ってぐるっと回り、段差を登ってたどり着く。たいへんきれいに管理されていて快適であるが、夜中に来るのはちょっと大変である。もちろんヘッデンは必要だが、危なくないようにソーラーライトが要所に埋まっているので助かる。

風が出てきたので小屋に戻り、まだ午後4時過ぎだけれど夕飯の支度をする。まずEPIガスでお湯を沸かしてアルファ米のお赤飯を戻す。最短15分でできると書いてあるが、念のため30分置く。戻るまでの間、お昼に食べられなかったあんパンとコーヒー、セブンのポテトサラダ、こちらの小屋で購入した一番搾りとボテトチップ、スキットルのアルコールでこの日の健闘をねぎらう。

スキットルには前回までどなん60度を入れてきたが、入手困難なので森伊蔵。こちらも入手国難だが、現役時代に毎月高島屋に通って当てた最後の1本である。ただ、どなんと比べるとさすがに度数が低いので、チェイサーなしでもすいすい飲めてしまう。いつも思うことだが、これが芋焼酎かというさわやかな口当たりである。

雨も当たらず、風にもさらされず、こうしてのんびり飲んで食べていられるのだから、山小屋はありがたいものである。純粋に採算上のことをいえば、収支償っているはずはないのであるが、それでもこうして維持管理してくれる丹波山村にも、毎日常駐してくれる小屋番さんにも、感謝するしかない。

まだ明るいうちに夕食も終わってしまい、寒いので布団に入って備え付けの本棚から何冊か借りてきて読む。すでに絶版となっている金副隊長の「奥多摩登山考」、何度も歩いたことのある場所でも遭難事故が起こったことが分かり、たいへん参考になる。字を読むのに疲れた後は「山と食欲と私」。新しい本が、それもネットの「くらげバンチ」掲載の本が置いてあるとは、小屋番さんもなかなか事情通である。

七ツ石小屋に着くとようやく晴れた。泊まるのは初めてです。


テン場の奥に新装なったバイオトイレ。きれいに管理されていますが、小屋の屋根より高い位置にあるので夜中に行くのはつらい。


七ツ石小屋の休憩スペース。この左側が約12畳の宿泊室となる。布団はきれいで柔らかい。本棚には「山と食欲と私」があって、寒いので布団の中で読ませていただいた。


七ツ石小屋の夜、最初にトイレに起きたのはまだ午後10時だった。外に出ると息が白い。布団の中でもえらく寒かったので、おそらく0℃あたりまで気温が下がっていたものと思われる(翌日、稜線に霜がおりていた)。

次に目が覚めたのは午前2時。トイレに行きたいのだが、さっき行った時あまりに寒かったので、ぎりぎりまで我慢しようと布団の中でこらえているとまた寝てしまった。気がつくと外が明るかった。時計を見ると午前4時半、危うく寝過ごすところであった。

トイレに行くと息が白くないので、夜中のうちに寒気は去ってくれたようである。EPIガスでお湯を沸かし、コーヒーとランチパック、それとカレーヌードルで朝食をとる。この小屋のありがたいところは近くの水場から水道を引いてくれていることで、小屋の脇に水道事業の許可証が掲示されている。朝食の支度と合わせて、この日の飲料水を準備する。

持ってきた1.5リットルと1リットルのプラティパスには、それぞれ溶かしたスポーツドリンクと水を満タンにする。500mlのペットボトルも2つ。やはりスポーツドリンクと水である。いろはすの水は予備用として極力下山まで使わない。かつて釈迦ヶ岳で水がなく痛い目に遭った反省である。合計3.5リットルあれば、少々暑くなっても心配ないだろう。

支度が終わって出発したのは6時10分前。前日と打って変わって天気は快晴。風もない。小屋の前からは富士山がくっきり見える。急坂を歩き始めた時、意外と足が軽い。七ツ石小屋に気持ちよく泊まれたおかげである。ありがたいことだ。その勢いで水場を過ぎ、「七ツ石小屋上」の分岐を過ぎ、15分ほどで稜線まで一気に登ってしまったのには自分でもびっくりした。

さて、今回の目的地は鷹ノ巣山である。過去記事を読むと、最初に鷹ノ巣山を目指したのは2012年11月だから、足かけ5年にわたる挑戦ということになる。その時は奥集落から浅間神社を過ぎたところまでで撤退、奥多摩小屋に泊まった時も、鷹ノ巣山避難小屋まで行ったのだが時間がかかりすぎていたので断念した経緯にある。

今回は、七ツ石小屋泊なので、天気以外にネックとなる要因はない。万難を排して、5年越しの目標に向けて歩き始めたのであった。

稜線に出て10分ほど歩くと、千本ツツジ下の絶景ポイントに出た。手前の奥多摩山塊から後方の丹沢・富士山、そして頂上に雪をかぶった南アルプスの山々まで、くっきりと見える。右手すぐ下から伸びている稜線は前日歩いた登り尾根で、左手を伸びるのは赤指尾根、いずれも見えないけれども奥多摩湖に向かっている。その向こうの山頂に白いお堂が目立つのは大寺山。

前にも歩いたけれど、石尾根のこのあたりの巻き道は、景色といい勾配といい最高に歩き心地がいい。体力があれば広い防火帯でコブを越えていくのも楽しいと思うけれど、私の体力では巻き道がちょうどいい。まして、誰も歩いておらずこの景色を独り占めである。雲取山荘組はこの時間ではまだここまで来れないし、七ツ石組ではいまのところ私だけである。

赤指尾根への分岐を分け、防火帯を見送って、ゴキゲンな巻き道歩きは続く。左手に登るのは高丸山、日陰名栗峰といくつかの小ピークである。巻き道の方は大きな起伏はほとんどない。再び防火帯と合流した。もう一つピークを越えると避難小屋かなと思っていたら、なんと建物が見えた。鷹ノ巣山避難小屋である。

時刻はまだ7時半になっていない。前回来た時は七ツ石山頂からこの避難小屋まで1時間50分かかっているから、そのくらい見込んでいたのだが、なんと七ツ石小屋を出てから1時間半である。七ツ石山からは下り、七ツ石小屋からは登りがあるから、実際には前回より30分以上早く着いたということになる。こんなに早く来れるとは思わなかった。

避難小屋を覗いてみたが誰もいなかった。小屋前のベンチでひと休み。計画では鷹ノ巣山には9時到着を見込んでいたが、このペースで登れば8時過ぎには着く。スポーツドリンクで一息ついて出発する。ゆっくりするのは山頂に着いてからでいい。

巻き道から分かれて鷹ノ巣山に向かう登りにとりつく。とたんに傾斜が急になる。避難小屋の標高が1580m、鷹ノ巣山が1736m。150mの標高差とはいえ、見た目以上の急傾斜でとても一気に登ることはできない。雲取山の向こうにある笠取山に似た雰囲気の登りである。第一弾の急坂を登り切り、緩やかな坂になり、もう一度急傾斜になって頂上である。8時05分到着。

予定より1時間早く到着した。休みの日には多くのハイカーであふれると言われる山頂だが、まだ誰もいない。川苔山や大岳山の混み様を思うと、嘘のようである。朝からずっと好天で風もない。きっと百人くらいは座るであろう山頂に一人で、雄大な景色を独り占めである。前日、雨の中をきつい思いをして登ってきた甲斐があった。

七ツ石小屋から石尾根に登り、快適な稜線歩き。左が縦走路、右が巻き道。標識どおりに歩くと巻き道に誘導される。


ようやく登ることができた鷹ノ巣山山頂。さすがに朝早く山頂には誰もいませんでした。


すばらしい眺望を独占。


鷹ノ巣山頂上では、30分ほど休んだ。前日から食べる機会をうかがっていたはごろものミックスフルーツのパックを開けて食べる。前の晩寒かったので冷蔵庫並みに冷えているし、歩いた後は甘さが心地いい。すばらしい景色を眺めながら、おいしくいただいた。

事前の計画では、鷹ノ巣山まではマストとして、あとは状況によってエスケープルートをとることを考えていた。しかし、時刻はまだ午前9時前だし、天気は上々、体調も悪くない。エスケープルートとしては鷹ノ巣山頂から稲村岩尾根を日原まで、次の水根山から榧ノ木山・倉戸山を経て奥多摩湖畔に出られるが、このまま一気に奥多摩駅まで石尾根を縦走することにした。

鷹ノ巣山の頂上直下には平らに開けている原っぱがあって、頂上にこだわらなければ十分景色がよく広い休憩適地がある。そこを抜けて再び急坂を30分ほど下って榧ノ木山・倉戸山分岐となる。このあたり、地図上では防火帯の石尾根縦走路と巻き道とが分かれているのだが、微妙につながっているので、いつの間にか歩きやすい巻き道に出てしまった。

鷹ノ巣山から六ツ石山までの間に、地図には水根山、城山、将門馬場と3つのピークがあるが、普通に標識に沿って歩いているとそれらのピークは通過してしまう。後からGPSを確認すると、倉戸山分岐のあるあたりに水根山、その後に水分補給で小休止した大木の立っているあたりに城山、尾根を南から北に越えていくあたりに将門馬場があったようである。

だが、山名標もピークへの案内板もないので、このあたりではどこを歩いているのか分からなかった。「石尾根→」の標識に沿って急斜面を標高差50mほど下ったり、ピークを巻いて尾根を南から北に越えたりしていると、やがて斜面をトラバースする長い道となった。道幅が狭いので立ち止まることもできず、現在位置も確認できない。

ようやくトラバース道が終わって尾根に出ると、そこには「六ツ石山を経て水根」と書いてある。なんと、まだ将門馬場の近くにいるとばかり思っていたのに、六ツ石山のすぐ近くまで来ていたのだった。時刻は10時10分過ぎ、鷹ノ巣山を出て1時間半でここまで来ることができた。

六ツ石山山頂へは、この分岐から10分もかからずに登れる。鷹ノ巣山ほど広くはないが、同じように眺めはたいへんよい。南アルプスを望む一画に腰を下ろす。山頂の標高が立派な山名標に記されていて、1478.8m。鷹ノ巣山の1736.6mより250mほど低い。何度か急傾斜はあったものの、そんなに下っているとは思わなかった。

この時間になると一人また一人と、追い抜かれたりすれ違ったりする登山者が現れ出した。そろそろ、日帰りハイカーが登ってくる時間である。少し早いけれどお昼にすることにした。EPIガスでお湯を沸かし、ミニクロワッサンとコーヒーの昼食。非常食も含めて食糧はかなり用意していて、前日の昼食が雨で休めなかった分を少々残して下山することになった。

10時50分、名残惜しい山頂を後にする。ここから三ノ木戸分岐まで歩けば、あとは以前歩いているので雲取山から奥多摩駅まで石尾根を完走することになる。ここから先は結構な急斜面であった。下りだからいいようなものの、登りであれば小雲取山のような急登で、何度も休まなければならなかっただろう。

ただ、景色は最高でふった。行く手の木々の切れ間が大岳山・御前山の方向で、それらの特徴ある山々を目の高さで見ながらの下りである。以前、奥多摩駅から六ツ石山まで歩こうとしたことがあったが、最後にこの急登ではとてもむずかしかっただろうとその時思った(それ以前に三ノ木戸山でくじけたのだが)。

2度、3度と急傾斜を下って緩斜面になると、そこには見覚えのある標識が立っていた。「三ノ木戸林道を経て奥多摩駅」、なんと、三ノ木戸の分岐である。時刻は11時30分、予定していたよりも1時間も早い。かくして、石尾根完走は達成できたのである。

さて、ここから三ノ木戸林道へ抜ければ、2時間ほどで奥多摩駅に着くことができる。少し考えたが、せっかくだから最後まで石尾根を下ってみようと思い、三ノ木戸山方面へと直進した。この判断自体はそれほど問題があるとは思わないけれども、予想外の困難に直面することになる。改めて思うのだが、山はそんなに甘くないのである。

鷹ノ巣山から水根山に下ると、倉戸山・水根方面への道を分ける。


六ツ石山山頂からの眺めは、鷹ノ巣山に負けず劣らずすばらしい。


六ツ石山から三ノ木戸山への稜線は、大岳山・御前山を前方に望みつつの下りとなる。ただし傾斜は小雲取山並みにきつい。


林道への分岐を直進して、三ノ木戸山の広い山頂部分へと進む。このあたりは2度にわたって登っているので、見慣れた景色である。2度目の時に昼食休憩した石垣のあたりを通り過ぎると、ヘルメットをかぶった人が測量をしていた。作業中という注意書きも何回か見たので、このあたりで作業をしているのだろう。挨拶して通り過ぎる。

実は、この作業中という思い込みがこの後の事態を招いた可能性がある。ピークを巻くトラバース道を進み、初回の昼食休憩場所である十二天山を通過する。十二天山の山名標は前見た時はかまぼこ板に書いた簡単なものだったが、新調されてまな板くらいに大きくなっていた。

十二天山から石尾根を下る道はそこかしこに赤テープが貼られていて、木々が伐採されている。十二天尾根に入ってしまうと方向違いなのでコンパスを確認するが、北向きではなく東向きに歩いているので石尾根のはずである。道幅も広く砂利も敷いてあるので、この方向にこのような道は石尾根以外にないはずであった。

ところが、赤テープにしたがって急斜面を下りてきたところから、見るからに車が通った跡のある林道が始まっていた。作業中ということだから、石尾根の途中まで林道を伸ばしたのだろうか。しばらく来ない間に様変わりしたものだと思った。それとも、どこかで道を間違えたのだろうか。

三の木戸山から奥多摩駅方面に下る登山道は十二天尾根と石尾根の他にはないはずで、十二天尾根は北向きなので注意したからそちらには入っていない。あるいは下を通る不老林道が伸びたのかもしれないが、石尾根を直進したとしてもいずれは不老林道に合流する。どこかで間違えた可能性もあるが、車が通る道を下れば必ず麓には着くはずだ。

ということで、突如現れた林道を下りることにした。曲がり角には「A-31」の立札が立っていたから、これからカーブが31回あるのだろう。あきらめて下りて行く。道はいつしかきれいに砂利を敷いた本格的な車道となった。スイッチバックしてどんどん標高を下げる。そして、最初は分からなかったが、スイッチバックの向きは東でなく北であることがだんだん分かってきた。

となると、これは十二天尾根に並行して作られた林道なのだろうか。いずれにしても方角としてはいずれ不老林道に合流することは間違いないなので、あとは変な枝道に入らないよう気をつけて下るだけである。

30分40分と下るうちに、枝分かれする道が出始めた。多くは駐車スペースか転回場所だが、森の奥へと入って行く道もある。念のため、しばらく進んでメインルートでないことを確認しながら進む。ときおり、バーコードのようなものが貼られていて「スマホで現在位置を確認できます」と書いてあるが、あいにくスマホは持っていない。

50分下りて来ると、ようやく「A-1」となって林道カーブ標識は終わり、道の両端にはロープが張られて立入禁止を示していた。さらに下ると、樹間から赤い屋根が見えてきて、電柱も現れた。なんとか、麓まで下りて来られたようである。

太い道と合流するところに農大演習林の大きな地図が掲げられていて、これによるといま下りてきたのは十二天尾根と見通尾根の中間を通っている作業道なのであった。この道は、電子国土にもなければ吉備人出版の登山詳細図にも掲載されていない。作業道の終点に「農大作業道 関係者以外立入禁止」くらい書いてもらえれば引き返したのだが。

見通尾根とは石尾根から30度くらい北の、独標989あたりへ下りてくる尾根のようである。いずれにしても、十二天尾根には入らなかったものの石尾根とは違う方向に進んでいた訳で、完全な道間違いである。車道を下りてきたのでリスクはあまりなかったとはいえ、注意しなければならない。

ということは、いま立っているのが不老林道であり、ここを歩けばいずれ石尾根登山口に着く。ようやく現在位置を確認できて安心した。この林道がまた大変長く、途中ポツンと一軒家を過ぎ水道局の施設を過ぎ、石尾根登山口まで30分以上かかった。ここまで標高を下げると暑さがひときわ身にしみた。午前中の快適な尾根歩きとは打って変わって、ハードな道のりを歩く。

それでも、三河屋旅館に着いたのは午後2時過ぎで、予定していた下山時間よりも早かった。石尾根をちゃんと下ればさらに20~30分早かったと思うけれども、そこまで贅沢は言うまい。平日でも日帰り入浴は営業していて、2日間の汚れと疲れを癒すことができたのでした。

この日の経過
鴨沢登山口 9:30
10:05 小袖駐車場 10:15
11:35 茶煮場(1150休憩所、昼食休憩)12:10
13:25 マムシ岩 13:35
14:20 七ツ石小屋(泊)5:50
7:25 鷹ノ巣避難小屋 7:35
8:05 鷹ノ巣山 8:35
10:15 六ツ石山(昼食休憩) 10:50
11:55 十二天山 11:55
12:50 農大研修所付近 12:50
13:25 石尾根登山口 13:25
14:10 三河屋旅館 [GPS測定距離 初日 7.3km、2日目 19.0km、合計 26.3km]

[Jul 9, 2018]

石尾根を歩いているつもりが、なぜか車が通る作業道に出てしまう。曲がり角に「A-31」の標識がある。下には通じているようだが。


道はしっかりした林道となりカーブを切って標高を下げて行く。この道は電子国土にも載っていないし、吉備人出版の登山詳細図にも未掲載である。


下りたところは農大研修所のすぐ近くだった。どうやら作業道は、十二天尾根と見通尾根の間を下りてきたらしい。なんとか現在地を確認してここから不老林道を延々と歩く。


御前山 [Jun 3, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

鷹ノ巣山に登った後、前々回に途中で挫折した檜洞丸を目指そうと思っていた。ところが、WEBでいろいろ見ていると、もう虫やらヒルやらが出始めたらしい。5月に行った七ツ石小屋では冬かと思うくらい寒かったのに、一転して夏日・真夏日だと言うし、梅雨入り間近で湿度も高い。

6月第1週の週末が、梅雨入り前最後の好天という。鷹ノ巣山から3週間でそろそろ歩いておきたいし、この先しばらく行けなくなる可能性も大きい。ヒルの季節の丹沢に行くのは気が進まないけれども、かといってせっかくの天気にどこも行かないのも何なので、3日の日曜日に日帰りで奥多摩に行くことにした。

今回の目標は御前山。昨年秋に浅間嶺から、つい最近は石尾根からその雄大な姿を見て、次はこの山に登ろうと思っていたのである。奥多摩駅から入るルートと、奥多摩駅に出るルートの2つが考えられるが、バスの便を考慮して武蔵五日市から入り奥多摩に出るコースを選択した。

例によって始発電車で千葉ニュータウンを出て、武蔵野線に乗り換える。ところが、南越谷のあたりで急病人介護のため停車、西小金井に到着するのが遅れてしまった。武蔵五日市から藤倉行き7時39分のバスにはなんとか間に合ったものの、ぎりぎりだったのでトイレも行けなかったしペットボトルも買えなかった。かといって、次の藤倉行きは2時間半後である。

払沢の滝より奥へは行ったことがないので、バス停にトイレがあるかどうか、自販機があるかどうか分からない。ただ、凍らせたスポーツドリンク1.5リットルとペットボトル2本で合計2.5リットルの水分があるので、仮に補充できなくても何とかなるだろう。

バスは日曜日だけあって満席だった。学生の団体が乗っていて岩登りをする話をしており、払沢の滝を過ぎていくつめかのバス停で下りていった。後から地図を見ると、ここから奥に高黒岩というバリエーションルートがあるらしい。私はもう少し後の「小沢」で下りた。

さて、ヤマケイのガイド本には一つ前のバス停「宮ヶ谷戸」で下りると書いてある。ところが、吉備人の地図では「小沢」が登山口だし、バスの表示をみると「小沢(旧・宮ヶ谷戸)」となっていてまぎらわしい。一つ前は「宮ヶ谷戸(旧・小沢駐在所)」である。ここはガイド本より地図を信用して、小沢バス停で下りることにした。

このバス停で何人か下りたので間違ってはいないようだし、すぐ横にトイレもあったのは大変ありがたかった。ただ、期待していた自販機が見当たらない。とはいえ、ここまで来てどうすることもできないから、手持ちで間に合わせるしかない。8時25分、身支度をすませ出発。天気予報以上に晴れて、すでに気温が高い。水で苦労するかもしれないと悪い予感がする。

バス停から橋を渡ってまっすぐ進むと老人福祉施設に入ってしまうので、集落内の道なりに右折する。間もなく、「伊勢清峯社入口」の石碑と「御前山」の道標が現れる。山に向かって、いきなり道は細く、傾斜は急になる。

歩き出しの足が重いのが気になる。先だって七ツ石小屋の翌朝には大変足が軽かったことと比べると大変な違いである。やはり、3時半起きで3時間電車移動は厳しいようだ。かといって、前泊するには懐具合が厳しいので、休日パスを使って安く上げるしかない。あちらを立てればこちらが立たないのである。

道標によると、小沢バス停から御前山までは6.6kmあるらしい。しかし、重要なのは距離ではなく標高差で、およそ1070mある。私のペースは標高差300mに1時間だから、頂上まで3時間半かかる計算である。そして、ヤマケイのガイド本には宮ヶ谷戸から御前山を経て境橋に下りるルートの所要時間は4時間55分と書いてある。頂上までほぼ3時間ということになる。

ところがこの尾根、歩き始めるとなかなかきつい。30分ほど急傾斜が続き、30分ほど緩斜面になり、また再び急傾斜になる。ガイド本には伊勢清峯社の鳥居をくぐると書いてあるのだが、そんなものはいつまで登っても見当たらない。人工物のようなものが見えたと思ったら、トタンが置いてあるだけだった。休憩する場所が見つからず、座れそうな切り株を見つけて腰を下ろす。

ここまで歩いてきたのはほとんどが林間で、風があまり通らない。まだ標高も低いのでたいへんに暑く、汗をかくので水を飲まないと危険である。水が少ないと思うせいか、余計に喉がかわく。これはこの先厳しいことになりそうだ。

少し登ったところから登山口の宮ヶ谷戸を望む。大きな施設は老人ホーム。バス停にトイレがあるのはありがたかったが、自販機がなかったのは誤算。


登山口には「伊勢清峯社入口」の石碑があったが、見つけることができず。登山道は急傾斜と緩傾斜が30分ごとにかわるがわる出現。


1時間以上登ったが休憩適地は見つからず、仕方なく切り株に座って一休み。すぐ上には「この先道悪し」の立札が立つが、そんなに大したことはなかった。


切り株で最初の小休止をした少し上に、「この先道悪し」の立札があった。いよいよここから本格的な登りかと覚悟したが、左側が切れ落ちているだけでたいしたことはなく、再び急斜面と緩斜面がかわるがわる出て来る。急斜面のスイッチバックは見た目以上にしんどく、朝早かったせいか体が重い。気温も高く水の消費が早いので、下山までもつかどうか心配だ。

そして、ヤマケイガイドで3時間、私の登りペースでも3時間半あれば御前山頂上まで行けるはずなのに、いつまでたっても湯久保山にすら着かない。登山口から2時間近く歩いてようやく湯久保沢への分岐を通過、そこから先も断続的に続く急坂にどうにもペースが上がらない。登り始めて2時間半、11時近くになって休めそうな丸太を見つけると思わずへたりこんでしまった。

帰ってからGPSのデータを調べたところ、この場所は湯久保山よりかなり前、仏岩ノ頭というピーク近くの鞍部であった。標高は1020mくらいだから700mほど登ったことになるが、それでも御前山まではまだまだ遠い。リュックの中からランチパックとフルーツ詰め合わせを出して昼食休憩。甘いものを口にしたら、ようやく落ち着いた。

さて、かなり調子がよくないし、水が少ないのも気になる。すでにペットボトル1本は空になっていて、凍らせて持ってきたスポーツドリンクも氷の部分しか残っていない。残りペットボトル1本で頂上まで登ってさらに下りることができるかどうか。

幸い、湯久保山から藤倉へはエスケープルートがあって下りることができる。今回は途中リタイアも仕方ないと思い、帰りのバスの時間を確認しようとして、愕然とした。行きのバスの中でハイキング時刻表と思って持ってきた時刻表は実は普通の時刻表で、拝島とか河辺からのバスは載っているのに、藤倉からの発車時刻が載っていないのである。

藤倉・武蔵五日市間のバスは2~3時間の間隔となることが多く、せっかく下りても夕方まで待つことになりかねない。まして、水がないのが不安で下りるのに、バス停に自販機があるとは限らないのは登山口の小沢で経験済である。のどが乾いたまま長時間待つのは想像するだけでおそろしい。

現在の標高が1020mで御前山まであと400m、すでに700m登っているのだからあと1/3である。そして、御前山避難小屋まで行けば、頂上まで行かなくても下ることが可能である。それまでに、凍っているスポーツドリンクも少しは溶けるだろうし、これだけ暑いと心配な夕立に遭ったとしても、避難小屋の方が安心である。

いろいろ考えて、予定どおり御前山に向かうことにした。あと2時間かかって午後2時に着くとして、下山に3時間としてもまだ日は暮れない。コースタイム5時間のルートを登るだけで5時間というのは予想外もいいところだが、私が遅いよりもヤマケイの設定タイムが速すぎるのである。

30分休んで、11時25分出発。休憩して体力が回復したのと、このあたりはなだらかな尾根道が続いたので、15分ほどで湯久保山付近に到着。ここから下りようと一時は思ったのだが、そのまま直進した。(帰ってから調べたところ、14時04分と15時24分に藤倉発のバスがあったので、1時間程度の待ち時間で済んだようである)

さて、登山道の方は相変わらず急斜面のスイッチバックと緩斜面がかわるがわる出て来る。林の中を歩くので展望が開けないのも同様である。時々、木々の間から浅間嶺方面が見えて、稜線がほぼ目の高さであるのが励みになる。もう標高1100mくらいまで来ているはずである。

昼食休憩から1時間歩いて、またもや切り株を見つけて腰をかける。このルートにはベンチとか広場はほとんどなく、展望も開けないのでゆっくり休める場所もない。ここで休んだ場所はGPSデータによるとモーテ山の付近であった。湯久保山と御前山の中間点にはまだ達していない。

この休憩地点から10分も歩かないうちに、久々の道案内板を見つけた。なんとそこには「御前山 0.9km」と書いてある。900mなら、岩場でも出てこない限りなんとかなる。バスの時間が分からずエスケープを断念した時は不安が一杯だったが、この案内板を見てようやく安心できた。そして、水の不安もとりあえずなくなったから大したものである。

この案内板から避難小屋分岐までだらだら登るトラバース道で、なかなか先が見えずに長く感じたが、約30分で大岳山方面からの登山道と合流、そこから少し下って無事避難小屋に到着した。13時10分、御前山避難小屋着。昼食休憩から1時間45分で、心配していたよりも早く着くことができた。

たびたび現れる急坂に疲れてしまい、ちょうどよさそうな丸太で昼食休憩。後からGPSで調べたら、仏岩ノ頭直下の鞍部だったようです。


途中で下ろうかとも思ったが、バスの時間が分からず断念。御前山への残り標高差400mに挑む。あと900mの道標を見てひと安心。


御前山頂上への分岐を越えて100mほど進むと避難小屋。トイレあり。この小屋なら夕立が来ても大丈夫。


御前山避難小屋の写真がヤマケイガイドに載っていて、そこには6、7台のマウンテンバイクが写っている。だから、避難小屋まで林道が続いているんだろうと想像していたのだが、実際には登山道しか通っておらず、立地的には鷹ノ巣山避難小屋と同様である。

ただ、すぐ近くに小さな川が流れていて、飲み水として使うのは難しいが顔を洗うくらいはできそうである。内部はきれいに管理されていて、消防基地やレンジャーの拠点として利用されている。もちろん、不意の夕立や雷の際は大変頼りになる。

屋根の下に建て付けのベンチがあり座れるようになっていて、そこで一息つく。ここまでくれば水は大丈夫そうだが、何があるか分からないのでペットボトルは温存し、氷になったスポーツドリンクを砕いて喉をうるおす。まるで「がりがりくん」のようだ。普段「がりがりくん」を食べることはないが、こういう状況なのでたいへんおいしい。

残っている氷はたいへん固く、全部砕くことはできないので、300mlほど残ったミネラルウォーターを入れて溶かす。下山まで氷のままでも仕方ないし、溶ければある程度の分量にはなる。それでも500mlにはならないだろうが、あとは御前山まで登って下りるだけである。

避難小屋で20分休んで、13時35分、山頂に向けて出発。避難小屋から山頂までは急坂を登るけれども、鷹ノ巣山ほど長くはない。ひと登りで山頂に達する。宮ヶ谷戸からここまで登山道ではほとんど人を見なかったのだが、さすがに人気の山だけあって山頂のベンチはすべて埋まっていた。

予想外だったのは、四方を林に囲まれて、ほとんど展望がなかったことである。例のヤマケイガイドには頂上から石尾根を一望する写真が載っているのだが、木々の間からわずかに山並みが見えるくらいで、どこからそういう景色が見られるのかよく分からなかった。コースタイムといい避難小屋や山頂の写真といい、誤解を招くガイドブックである。

頂上に建てられている立派な山名標は、鷹ノ巣山・六ツ石山と同様のデザインである。石でできていてかなり重そうなので、おそらくヘリで持ってきたものだろう。すぐ近くに三角点も置かれているから、かつては展望が開けて測量が可能だったと思われる。いまではほとんど展望がなく、鷹ノ巣山・六ツ石山を登ったすぐ後だけに残念であった。

御前山山頂からはいくつか下山コースがあるが、今回は奥多摩湖を目指して大ブナ尾根を下りることにした。ヤマケイガイドに「最短」と書いてあるし、吉備人登山地図のコースタイムでは2時間かからない。15時55分奥多摩湖発のバスに間に合えば、ホリデー快速に乗ることもできそうだ。

展望もないし混んでいるし、10分ほどで山頂を後にする。13時55分御前山発。午前中はなかなかペースが上がらず途中リタイアまで考えていたので、当初計画どおり御前山まで登り大変ほっとして奥多摩湖への下山道に向かう。

次のピークである惣岳山までは公園の遊歩道のように整備された道で、15分ほどで到着した。御前山からここまでは下山する人達が多かったが、ここで分岐していくつかのコースに分かれる。避難小屋から直に下る道に合流する「体験の森コース」をとることも可能である。

このピークはたいへん虫が多くて、ベンチで昼寝しているおじさんも虫除けのネットをかぶっていた。山名標は御前山よりグレードダウンして、刈寄山・市道山と同じ角材のものだった。それでも、ちゃんと「東京都」と書いてある。

写真を撮ってすぐに出発。ここから下は尾根に沿って下りるスイッチバックの急坂が連続する。展望は相変わらず開けないし、道案内もほとんどない。道は一本道なので迷うことはないが、慎重に下らなければならないのでなかなかペースが上がらない。

吉備人の地図には惣岳山から30分と書いてあるサス沢山の分岐まで、1時間歩いても着かない。これは2時間で奥多摩湖なんて着かない。スイッチバックをかなり下ったはずなのに、GPSを見るとまだ標高は1000m以上。やっぱり、ホリデー快速なんて無理だった。

御前山の頂上は木立に囲まれ、展望がほとんどない。鷹ノ巣山や六ツ石山に登ったすぐ後だったので少々もの足りなかった。


頂上には三角点もある。私の登った湯久保尾根にはあまり人はいなかったが、人気の山だけあって頂上は結構人が多かったです。


御前山と惣岳山の間は東京都の施設「体験の森」の敷地らしく、遊歩道が整備されて安心な道です。この日は暑くて虫が多かったですが。


惣岳山から1時間ちょっと歩くと、周囲の空気が変わった。杉の人工林で激しい日当りが遮られ、登山道の脇にハンモックをつるして休んでいる人がいる。ちらっと見るとスマホをやっている。ということは、電波が通じているのだ。携帯を確認したら、アンテナが3本立っていた。いつの間にか、人里近くまで下りてきているらしい。

そのすぐ先には、奥多摩湖を望む立派な展望台があった。眼下に、地図で見るのと同じ形の奥多摩湖が見える。この日は林の中ばかりを歩いてきて景色が開けた場所はほとんどなかったので、たいへん気持ちのいい景色だった。

時刻はすでに15時30分。どうやってもホリデー快速には間に合わないし、日帰り入浴している時間もなさそうである。せっかくなのでベンチに座って、残り少なくなった水を飲みながら景色を楽しむ。それにしても立派な展望台である。資材はどうやって上げたのだろう。

こんな立派な展望台を建てるくらいだから、ここからの下りはたいしたことはないだろうと思っていたら、すぐ下からこの日最大の試練が待ち受けていた。「転倒事故が多数発生しています」の立札に続き、ロープが張られた急傾斜が現れた。考えてみると、この日はじめてのロープである。岩が混じった乾いた地盤で、確かに滑りやすい。

これまで以上に慎重に下っていたら、少し先に何人かの人が集まっていて、年配のおじいさんが岩に腰を下ろしているのが見える。何だろうと思って見ていると、立ち上がっておぼつかない足取りで下って行く。どうやら家族連れの登山者で、おじいさんが転んで足をくじいたらしい。

すぐ後ろから5、6歳の女の子とお父さんの2人連れが下りてきた。確か、御前山の山頂でEPIガスでお昼を食べていた親子連れである。女の子は段差があると石に腰かけ、いったん座って落差を少なくしてから下りる。その座って立っての動きがたいへん素早く、あっという間に抜かれて前方を行くおじいさんとの差を詰めていった。

抜くならばこのタイミングだと思って親子連れに続き、おじいさん一行をパスする。そこで急いだのがいけなかったのか、今度は私が右足を滑らせて転倒してしまった。とっさに受け身をとったものの、左手の小指とヒジのあたりに擦り傷を作ってしまった。足をくじかないでよかったが、こういうことをしてはいけない。

そんなこんなで、奥多摩湖畔まで下りてきた時には、午後5時近くであった。御前山山頂から2時間の予定が、まるまる3時間。朝からのコースタイムは5時間のはずが8時間である。コースタイムは全く当てにならないと改めて思った。

湖畔に下りてからバス停までがまたえらく長くて、17時17分のバスに間に合うかどうかひやひやした。日帰り温泉に行く時間はないので小河内ダムのトイレをお借りして着替え、水道ですりむいた傷口を洗う。幸いにたいしたことはなく、ひりひりするたけで出血していないようだ。

もう一つ誤算だったのは、奥多摩湖まで下りれば自販機はあるだろうと思って下山途中に最後の水を飲んでしまったのだが、ダムの周辺には自販機はなくて、水分補給できないまま奥多摩駅まで行かなければならなかったことである。幸い、西東京バスが奥多摩湖発のバスを増発してくれて、定時よりも早く駅に着きようやくペットボトルを購入することができた。

奥多摩駅からは各駅停車を乗り継いで帰宅。ホリデー快速に乗るよりも2時間ほど遅くなってしまったが、いつかのように真っ暗な山道をヘッデン頼りに下りるようなこともなく、結果的にみれば計画通りに登って下りて満足できる一日であった(時間的にはほとんど同じなのだが、あの時は冬至だった)。

そして、今回の山行では標高差1000m以上を登り下りしたにもかかわらず、それほどつらい太腿・ふくらはぎの痛みが残ることはなく、少々の違和感も2~3日でなくなってしまった。この春は定期的に山を歩いてきたので、その効果かもしれない。たいへんうれしく思っているところである。

この日の経過
宮ヶ谷戸バス停 8:25
9:30 巨岩下切り株 9:40
10:55 仏岩の頭鞍部 11:25
12:10 モーテ山付近 12:20
13:15 御前山避難小屋 13:35
13:45 御前山 13:55
14:10 惣岳山 14:15
15:30 サス沢山展望台 15:40
17:00 奥多摩湖 [GPS測定距離 11.4km]

[Aug 6, 2018]

大ブナ尾根は急傾斜の下降が続く大変な道ですが、サス沢山から奥多摩湖の展望は見事。歩いてきた甲斐がありました。


ところが、ここから下でこの日唯一のロープが登場。滑りやすい急傾斜で転んで擦り傷を作ってしまった。


午後5時になってようやく奥多摩湖へ。ところがダムが見えてからバス停までがやたらと長い。

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