湯河原幕山    沼津アルプス    伊豆三山    天城山

湯河原幕山[Jul 14, 2012]

朝の5時過ぎまで強烈な風雨であった。ようやく6時前に雨が止み、雲の間から青い色が見えてきた。予定どおり出発である。

湯河原の駅を下りて、タクシーに乗り込む。この時間はまだバスがないのである。「幕山公園まで」というと、「岩ですか」と聞かれる。ここはロッククライミングが結構盛んな山なのである。

「岩なんてとんでもない。ただのハイキングですよ。」
「ハイキング?頂上まで行くんですか?」
「その予定ですが。」
「・・・。あそこはね、ヘビが出るから私ら行かないですよ。マムシからヤマカガシから青大将から何でもいるもんでね。昔は初日の出とか見にみんなで上がったもんだけど、最近はね。あそこの頂上は携帯通じるかね。連絡できないようだと危ないですよ。」

何ということでしょう。大山で大バテし、日の出山で復活し、今回の計画は湯河原幕山。ここは二十年くらい前に来たことがあり、コースも整備されて危険箇所もなく、頂上からは真鶴半島の見晴しがすばらしいのを記憶していたのだが、しばらく来ない間にそんなことになっていたとは。

危ないようなら途中で引き返しますよ、と言ってタクシーを降りる。幕山登山道には、正面から最短距離を急登するコースと、山の裏手へ回り込んでゆったり登るコースとがある。私が予定しているのはこちらで、傾斜がゆるい分距離が長い。コースが整備されておらず草むらを進むことになれば、言うまでもなく非常に危険である。

公園の入口には、「ヘビ、ハチ注意」の張り紙がある。ますます気持ちが萎える。ともかく行けるところまで行ってみようと思い、川沿いの林道を登っていく。道路は整備されていて、それほど不安は感じない。途中で「山の神」の祠がある。安全祈願で手を合わせ、看板の説明を読むと、「以前は山の中腹にあったが、平成十△年にここに移した」と書かれている。つまり、最近では土地の人でも山には行かないのだろうか。ますます不安になる。

さらにしばらく進み、標高で150mほど登ったあたりで林道と登山道の分岐。登山道は一見して草刈りをしておらず、行くとすれば草むらの中を掻き分けて進むことになる。ヘビもハチもいるというのに、足元が見えないというのはよろしくない。ここは素直に断念、引き返すことにした。

結局、往復1時間以上かけてもとの場所に逆戻り。一応、表登山道も途中まで行ってみたものの、倒木あり草むらありだったのでことらも断念。湯河原駅まで4kmほど歩いてこの日の行動は終了となった。

それにしても、大山や奥多摩のハイキングコースがきれいに整備されていたものだから、どこもそうだと早合点したのがよくなかった。このあたりは山の中腹まで保養所や別荘が建てられているくらいだから、国立公園・国定公園のエリアからきわどく外れているのかもしれない。いずれにせよ、ヘビやハチに襲われなかっただけ、よしとしなければならないだろう。

教訓: 以前整備されていたコースだからといって、いまも同じとは限らない。最新情報を確認する必要がある。

この日の経過
幕山公園 6:40
8:30 再び幕山公園 8:30
9:30 JR湯河原駅

[Jul 23, 2012]

幕山中腹から有名な岩壁。ここはロッククライミングでは有名なところなのですが・・・。


沼津アルプス [Mar 29, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

例年は千葉の山に3つ4つ登るのだけれど、今年は転勤のごたごたがあって、2月の鹿野山の後は難しくなってしまった。そうこうしているうちに引越しの時期になった。たまたま立ち寄った沼津港から見た沼津アルプスの山並みが大変魅力的で、せっかく何回も往復するのだから、時間を作って登ってみることにした。

私の持っているヤマケイ・アルパインガイド「2時間登頂の山」は1994年版、子供が小さい頃に買ったものである。この中に沼津アルプスの説明記事があるのだが、この部分の著者が羽根田治、山岳遭難本を何冊も書いている例の羽根田氏である。若い頃はこうした下請け記事も書いていたんだなあと思うと、ますます登りたくなった。

3月29日、仕事をやり繰りして休みにし、沼津アルプスに挑戦することにした。山歩きは鹿野山以来とはいえ、2月末に鶴林寺・大龍寺を制覇しているので、標高400m足らずの山なら問題はなかろうと思っていたら、例によって甘かったのであった。

午前8時過ぎに沼津着。トイレに行って手を洗おうとして、ハンカチも汗拭きタオルも持って来なかったことに気がついた。ストックやらGPS、日焼け止めに気を取られて迂闊なことであった。駅前でセブンイレブンを探すが見当たらない。仕方なく駅のコンビニを覗くと、500円と高いけれども置いてあった。ついでに500mlのペットボトルを2本買う。

駅からのバスは大平・沼商方面だったと思って探すと、ちょうど大平行きが止まっていた。高校生が「沼商行きますか?」と尋ねている。と、運転手さんが、「早くに曲がっちゃうから歩かないといけないよ。沼商行きの方がいいよ」と答えている。後の話になるが、山の上を歩いていたら野球をしている声がずっと聞こえていた。あるいは、そのメンバーだったのかもしれない。

目指すは黒瀬バス停である。地図をみると駅からすぐのように思っていたのだが、案に相違して7、8箇所のバス停がある。歩かないでよかった。黒瀬で下りて辺りをきょろきょろすると、案内板があった。黒瀬登山口は200m先と書いてある。バス通りから第一目的地である五重塔が見えているので、そう大きく間違えることはなさそうだ。

蟹料理店の先、石垣のあるところで右に折れるよう指示がある。いきなり急階段だが、まあ大したことはない。表示どおり7、8分歩くと展望台に出た。五重塔と若山牧水の歌碑がある後ろに富士山が大きくそびえている。しかし今日は雲が多く、真ん中よりも上は雲に隠れている。左手に視線を移すと、沼津市街が広がる。先日行った沼津港も向こうに見える。

もともと沼津はこの地域最大の都市であった。東海地区随一の漁港、沼津港があるからである。しかし、東海道新幹線の停車駅争いにおいて熱海・三島に遅れをとり、今日では地方都市になってしまったのは残念なことである。かつて威勢がよかった町だからという訳ではないだろうが、ライオンズクラブやロータリークラブの活動は盛んのようだ。沼津アルプスのコース整備も、そうした動きから出たものらしい。

五重塔のある展望台の上もずっと公園として整備されているので、登山というよりハイキングである。20分ほどで第一のピーク香貫山(かぬきやま)に到着。山頂には給水塔のようなタンクがあるのが妙であった(実は展望台になっていて登れるらしい)。ハイキングコースはここから五重塔に戻るが、沼津アルプス縦走は「→横山」の表示にしたがってそのまま南に下る。

それは文字通りの下りである。急傾斜の登山道から林道に出てさらに下り、ゴルフ練習場を右手に見ながらさらに下り、とうとう車通りの多い舗装道路に出てしまった。このあたりを八重坂というようである。香貫山に登った標高差200mをほとんどすべて下ったような気がした。これでは縦走ではなく、ピークを一から登り返しているのではないだろうか、とちらっと思った。

沼津港から見た沼津アルプス。海のすぐ近くに山が立ち上がっている。駐車場の脇は防波堤、その向こうは海。


香貫山の頂上周辺は、公園として整備されている。


香貫山頂上に立つ給水塔(展望台?)。


舗装道路をしばらく進むと、ちょうど峠になったあたりで上に伸びる横山登山道の入口がある。いきなりの急こう配である。さっき登った香貫山がまさにハイキングコースだったので、あまりの格差にがく然とする。いったん緩斜面になったと思ったら、すぐにまた急こう配、今度はロープが固定されている。

こう配自体は、ロープを頼らなくても登れる程度だと思う。しかしながら、足もとは粘土質の滑りやすい地盤で、しかも前日の雨で湿っている。うかつに踏み込むとずるっと滑る。先行した登山者が豪快に滑った靴の跡などを見てしまうと、せっかくあるロープなら使わない手はなかろうと思ってしまう。

足下はこういう厳しい状況なのだが、距離的にはさっき通った舗装道路からいくらも来ていない。そのためひっきりなしに通る車の排気音がうるさい。排気ガスも漂っているような気がする。さらに逆側の麓からは高校生だろうか、野球をする声。それも部活特有のやたらと気合をいれる大声が聞こえてくる。

山奥でこういう厳しい道を歩く際の楽しみは、小鳥がさえずる声であったり谷川が流れる音であったり、そうした自然の音声である。ところがここ沼津アルプスでは、車の排気音と部活の気合いである。あまり楽しくないなあと思ってしまう。少なくとも雨上がりの神経を使う路面状況でこの音は、山を楽しむというシチュエーションではなさそうだ。

いったん登りをクリアしてピークらしきところに出た。ここが横山だと思ったのも束の間、標示をみると「横山の肩」と書いてある。ということは、まだ登りがあるのだ。ちょっとがっかりして再び登りに挑む。幸いに、それほど苦労せずに10時10分、横山山頂に到達した。香貫山からちょうど1時間、八重坂からは30分だから、そんなに時間はかかっていない。

横山山頂でリュックを下ろして一休み。ベンチはないので、ちょうど腰をかけるくらいしかない石の上である。休んでいる間に後続の単独行の人に抜かれた。だんだん蒸してきて、のどがかわく。汗が出ているせいか虫が寄って来る。気持ち悪いので、休みも早々に切り上げて90度方向を変えて先に進む。

登りも急坂だったが、下りも相当の急坂である。再びロープが登場する。路面は引き続きよくない。難所では後ろ向きに下らざるを得ない。しばらく下ってようやく緩やかな稜線に出た。部活の声が後方に聞こえるようになったので、かなり距離を稼いだようだ。しかしほっとしたのもわずかの間で、再び急斜面の登りが待っている。

そして現れたのが鎖場である。縦杭が全部で25本あるらしい。25から1までのカウントダウンである。はじめは5、6本を一気に登れたのだが、だんだんと3、4本になり、さらには1、2本ごとに休むようになってしまう。鎖に頼って登っていると、下で登っている人が使うので大きく振られて転びそうになる。

徳倉山到着は11時15分、横山から1時間弱。標高256mと房総の山と比べても低山にもかかわらず、やっとの思いでたどり着いた。山のきつさは標高ではないことは分かってはいるものの、改めて認識させられるのであった。繰り返すけれど、きつかったのは急傾斜ではなくてスリッピーな路面である。

三角点のある徳倉山頂は広場になっていて、お昼を食べるには持ってこいである。先客は一組、香貫山でも一緒だった老夫婦である。「老」といっても、私より十も年上かどうか。自分自身が老人であることを再認識する次第であった。

再びリュックを下ろし、下草の上に寝転がる。さっきまで聞こえていた車の排気音も、高校球児の気合の声も聞こえない。暖かな日差しが自分だけに降り注ぐようだ。もうここは嫌だと思っていたけれども、やっぱり頂上は格別である。

香貫山を下りて横山に向かうと、いよいよ急傾斜のロープ場が始まる。足下が滑って歩きにくい。


横山に登っていったん下り、徳倉山に向かって急坂が突き上げる。引き続く鎖場。


ようやく着いた徳倉山頂。着いた時は先客2人でとても静かでよかったのですが。


お昼は、前日に仕入れたヤマザキのランチパック。2つ買って1つは非常食のつもりだったが、2つとも平らげてしまった。それにしても、のどかな時間である。これだけの空間を先客の夫婦と3人で独占(寡占か?)しているのはもったいないようである。

そんなことを思っていたら、やっぱり中高年の十数人の団体が登ってきた。しかもうるさい。あの山が鷲頭山でその前が小鷲頭山で、などと説明しているのはいいとして、説明を聞かないでどうでもいい内輪の世間話をしたり、中には自慢話を始める奴までいる。

様子をうかがっていると、昼食休憩ではなくて単に小休止のようなので、出発するまでの辛抱だと思っていたら、あとからまた十数人がやってきた。今度は中高年の女の団体である。こちらはなんとお花摘みがどうのなどと恥ずかしげもなく大騒ぎしている。

ここで1時間はゆっくりしようと思って30分もたっていなかったが仕方がない。急いで支度をして歩き始める。お花摘みなのでこっちを見るなとか言っているばあさんをやり過ごして進むと、のどかな山頂広場のすぐ先で急勾配のロープ場が始まっていた。大げさかもしれないが、奈落の底に沈むような急勾配の下りである。

ここも前向きで下り続けるのは難しく、後ろ向きでロープをつかんで下らざるを得ない。うるさい連中が下り始める前に行けるところまで行ってしまおうと気ばかりあせるのだが、とても急ぐことはできない。そして、いつまでたっても急こう配は終わらないのであった(それでも、1/25000図をみると標高差50mも下っていないのだ)。

ようやくこう配が緩やかになって、右に下る道がある。「塩満方面」と書いてある。わずかなアップダウンの続くこの付近は、麓の塩満集落の入会地であったようで、塩満広場というぽっかり開けた空間がある。そのあたりには第二次大戦時に本土決戦用に掘られたのか、海に向けた地下砲台の跡もある。

ここで下りることも考えたが、ガイドブックによると、もう少し先の志下坂峠というところで下りる方が帰りのバス停が近そうだ。もう少し進んでみることにする。

稜線は微妙に方向を変えて、正面に鷲頭山、そのすぐ左下に駿河湾を望むビューポイントにさしかかる。鷲頭山の登り斜面は、一見してあきらかな極めつけの急こう配で、イメージとしては奥多摩駅近くの愛宕山によく似ている。しかも、鷲頭山の取り付きまで、いま歩いている地点からまだまだ下るのである。

下るということは再び登るということであるから、やっぱりこのあたりが潮時だろう。というよりも、横山を登る時から路面が嫌で嫌で仕方なかったのだ。潔く、志下坂峠で撤退することとする。時刻は12時半。房州アルプスと大して変わらないだろうと思い込んだのが大きな間違いだった。沼津アルプスは急斜面の連続で、ハイキングなのは最初の香貫山だけだった。

さて、志下坂峠の標識をみると、「麓まで急坂、40分」と書いてある。麓の方向には家々の屋根が見えるくらいだから、それほど標高差があるようには思えなかった。問題は「急坂」の文字で、これまで歩いてきた道よりもすごい坂なのかちょっと不安になる。でも、これからまた登ったり下りたりを繰り返す気力は残っていなかった。

という訳で下り始めたのだが、確かにスイッチバックを繰り返してどんどん標高を下げていくのだが、これが急坂ならこれまでの道は絶壁ですかと思うくらい快適な下りだった。それと、これまでの路面は滑りやすい粘土質だったのに対し、この道は落ち葉が多く積もった腐葉土のような土質で、クッションが利いてとても歩きやすかったのである。

道は住宅街の中に出て、そこから海沿いのバス停通りまでは舗装道路を少し歩く。「はまゆう前」のバス停に着いたのは志下坂峠からちょうど40分後の1時10分。伊豆長岡行きのバスは10分後に来ることになっていた。

この日の経過
黒瀬バス停 8:30
8:37 五重塔 8:45
9:05 香貫山 9:10
9:35 八重坂 9:35
10:10 横山 10:15
11:15 徳倉山 11:35
12:20 志下坂峠 12:25
13:10 はまゆう前バス停 (GPS測定距離 6.6km)

[Apr 28, 2016]

写真では分かりにくいですが、逆落としに下っています。


志下坂峠から鷲頭山、右手に駿河湾を望む絶景。今日はここまで。


バス停あたりから、いま下ってきた稜線を振り返る。


城山・葛城山・発端丈山 [Apr 16, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

三島から修善寺まで走っている伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線。車窓の右側、西の方向には、大場(だいば)あたりまで沼津アルプスを望むことができる。そして、韮山から伊豆長岡に近づくと、頂上までロープウェイが通る険しい山が見えてくる。葛城山である。次に峰続きに岩壁が垂直に立ち上がっている山が出て来る。城山である。

この2つの山と、さらに西に続く発端丈(ほったんじょう)山を加えた3座は、伊豆三山と呼ばれる。前回の沼津アルプスはあまりの傾斜と路面状況の悪さに途中でエスケープを余儀なくされたが、ここはいかがなものだろうか。いま住んでいる借上げ社宅から歩いて行けるところなので、まだ暑くならない4月の内に行ってみることにした。

社宅を7時ちょうどに出て、途中にあるトップバリュー(7時から営業)で食料と飲み物を調達する。飲み物は500mlペットボトル2本しか買わなかったが、後から考えるともう少し多く持っていった方がよかったかもしれない。

城山の登山口まで、国道を通っていくと狩野川の対岸に渡ってしまうので、伊豆縦貫道(修善寺道路)の下を通って山の方に向かう。このあたりの集落を熊坂といって、昭和33年の狩野川台風の際にほとんどの家屋が流されてしまうという大きな被害のあった地域である。

この台風は「狩野川」台風と名づけられているくらいで、いま私の住んでいるあたりの被害が甚大であった。台風による大雨によって狩野川上流で土石流が起こり、その土砂が修善寺橋に堆積してダムのようになり大量の水がたまってしまった。本当のダムではないものだから水の重さに耐え切れずに橋が決壊して、大量の水と土砂が下流の集落を襲ったのであった。

いま、熊坂の集落を歩いていると、狩野川からはかなり距離があるし、そんなに水が来るのだろうかと思ってしまう。けれども、JAの敷地内にはいまも「狩野川台風浸水標識碑」が残り、1階の天井あたりまで浸水したことを示している。

話は伊豆とは関係ないが、十数年前に東北を旅行した際、「三陸沖地震でここまで津波が来た」という標示が残っていたことを覚えている。堤防などが整った現在にそんなことはありえないだろうと思っていたら、東日本大震災で再び同じことが起こったのである。こういう過去の事例はないがしろにするものではないと改めて思う。

道は次第に登り坂となり、左側に登山道の分かれる登山口に着いた。時刻はちょうど8時、出発して1時間である。WEBにはトイレのある駐車場があると書いてあったような気がするが、路肩に4、5台駐車スペースがあるくらいで、トイレなどは見当たらない。違う場所なのだろうか。

登山口にはたくさんの案内板があり、そのうちのひとつが「長嶋茂雄ランニングロード」の写真入り看板である。これによると、現役時代(というから50年前!)、大仁ホテルを拠点に冬のトレーニングをしていた長嶋さんが、狩野川河川敷から走り始めて城山に登っていたということである。ランニングできるくらいなら沼津アルプスのようなことはあるまい、とちょっと安心する。

竹林の中を上り始めた登山道は、すぐに自然林になる。足下はガレ場で、水の流れなくなった沢を遡っているようだ。浮いた岩を踏まないよう注意が必要だけれども、滑りやすいということはない。傾斜は、長嶋さんとはいえランニングしていたくらいだから、手を使わなければ登れないということはない。30分ほど登ると、右手樹間から垂直に切り立った岩盤が見えてくる。

2度ほどクライミングコースとの分岐があり、危ないからハイキング客は入らないように注意書きがある。その少し上で、葛城山・発端丈山へのコースと城山頂上へのコースが分かれる。その分岐から15分ほど、少しやせた岩尾根があり2つほど小ピークを越えると、城山頂上に達する。時刻は9時、登山口から1時間ちょうどであった。

ここから見る景色は雄大である。狩野川をはさんで通る太い道や、駿豆線の線路がおもちゃのようである。はるか遠く山並みの間からは、2020年東京オリンピックの自転車競技が行われる伊豆ベロドロームの屋根も見える。はるかな下界を望んで、登ってきてよかったと思った。ふと、「男組」という言葉が脳裏をよぎるのであった。

JA敷地内に建つ「狩野川台風浸水標識碑」。過去の災害の記憶は、ないがしろにしてはならないと思います。


いよいよ間近に迫ってきた城山。垂直の岸壁はクライミングコースになっており、この日もクライマーが登っていました。


城山頂上から望む狩野川流域。絶景です。


さて、ここまでの道は沼津アルプスとは雲泥の差である。とはいえ、あと2つの山が残っている。そして、周辺環境はというと、沼津アルプスと同様に車の音が近くに聞こえるのと、大砲の音がひっきりなしに聞こえるのはやや興ざめするものであった。

はじめは、小鳥の声に混ざって花火でも上げているのかと思っていたのだが、腹の底まで響くこの音は前にも聞いたことがある。何度も聞くうちに思い出した。富士演習場の自衛隊である。ここまで結構距離はあるものの、考えてみれば遮るものがないのである。

それを除けば、たいへん快適なハイキングコースであった。起伏のゆるやかな尾根道は沼津アルプスではほとんど見たことがなかったのに、ここではしばらく続く。加えて足下が腐葉土というのか、黒土が主体でほどよくクッションが利いて歩きやすい。このまま下山口まで続いてほしいと思う。

ほとんど高低差のないまま、20~30分歩くと向こうに車が止まっているのが見えた。林道と交差することから林道峠というらしい。林道をはさんで、向こう側に登山道が続いていて結構な傾斜である。おそらくこのあたりから、二つ目のピーク、葛城山に向かう登りになるものと思われた。

ひとしきり登ると、道はふたたび平らになってくねくねと曲がって続く。峰をひとつトラバースしているような湾曲した道である。すると出てきた標識が、「←外山 内山→」。よく分からないので、道なりに左の「外山」に進む。このあたりから、よく分からない標識が続く。どうやら管理上のものらしい。

城山からちょうど1時間歩いたくらいで、「葛城山背面登山口」の標識が出てきた。しかし、「急坂」と書いてあるのはちょっとびびるし、背面というくらいだから正面登山口もあるのだろうと思って先に進む。ところが、 発端丈山へのコースを分けてしばらく進んでも、それらしい登山口は出てこない。それどころか、道はどんどん下っていくのである。

10分ほど進んだところで、これは先ほどの道が正解らしいと思って引き返す。約20分のタイムロスで再び「葛城山背面登山口」へ。上から声が聞こえるので、前に登っているグループか、あるいはそこが頂上なのか。いずれにせよそれほど心配することはあるまいと思って登り始めた。

道自体はロープのない沼津アルプスという感じで、結構な傾斜である。ただ、足下はそれほどスリッピーではなく、きちんと足を乗せるところはある。しばらく登ると、左に平行移動するトラバース道になった。そういえば標識のところに、手書きでそんなことが書いてあった。上からの声は相変わらず間近に聞こえる。頂上までそれほどの距離はないようなのだが。

トラバース道が終わると、いよいよ最後の急登である。ここは結構な傾斜で、しかも鎖もロープもない。幸いに木が密集しているので、手がかりには困らないのと、ピンクテープや太いゴム輪が進路を指し示してくれる。上を見るとそれほど登らなくてもよさそうで、最後の大岩を越えると平らな道に出た。草むらを抜けると、下草に覆われて広くなっていて、展望が開けている。

ところが驚いたことに、そこにいる人達はパラグライダーを膨らませていたのである。ひとしきり急登をクリアしてきた後だから、リュックを下ろして水分補給したのだけれど、なんだか雰囲気が違う。だいたい、葛城山の頂上にはロープウェイが通じていて、ちゃんとした休憩所もあるはずだったのではないか。

とすると、ここはパラグライダーの基地で、一般登山客のいるところではないのではないかと思った。そうなると私は場違いな存在である。休んでいけないことはないのだろうが、早々にリュックを背負って逆側の道に進んだ。考えてみれば、背面登山口の下から聞こえていた声は、ここにいた人達の話し声だった訳である。

実際、すぐ先に本当の山頂園地があった。けれども、鐘の鳴る展望台では来る人来る人みんな鐘を鳴らすので落ち着かないし、頼朝像のある頂上にはクマンバチが何匹も飛び回っていて長居できない。結局、発端丈山方向の標識に沿ってしばらく下ったところで休憩したのだけれど、考えてみればパラグライダーの場所が一番の休憩適地だったように思う。

さて、後からWEBを調べてみると葛城山背面登山口は廃道のため立入禁止なのだそうだ。確かにロープがないので下るには難儀しそうな道だが、登る分にはそこまできつい道のようにも思えなかった。いずれにせよそういうことなので、通る方は自己責任でお願いします。

沼津アルプスではほとんどなかったゆるやかな尾根道。ずっとこういう道を歩いていたいと思う。


どうも写真ではうまく写らないのだが、葛城山背面登山道の急登。廃道ということのようです。


葛城山頂上と思ったらパラグライダー基地のようで。でもここの方がよっぽど山頂らしい。


葛城山の山頂付近には、あれやこれやで30分以上いた。背面登山口からパラグライダー基地に登って来たのが10時半、それから休憩適地を探して鐘の鳴る丘や頼朝像のある頂上を探し、結局下山道途中の切り株のいくつかある斜面でお昼休憩をとって11時10分過ぎに出発した。足場は斜めっていたけれども、切り株に腰掛けると結構具合がよかった。

葛城山の後は発端丈(ほったんじょう)山に向かう。登りに通った背面登山道は傾斜が急な上に鎖やロープがなく、下りにはとても使えそうにないので通常ルートに向かう。ただ、標示のとおりに進むとどんどん下ってしまうし、GPSを見ると先ほどまで歩いていた場所とはかなり離れている。まあ、下り始めてしまった以上、考えても仕方がない。

浮き岩が多く歩きにくい急坂をひとしきり下っていくと、下を通るコンクリ道路が見えてきた。そこまで下りてみると「かつらぎ山 山頂登山口 30分」と看板があった。このコンクリ道路を左(西)へ10分ほど歩くと、ようやく、いつか見た風景が見えてきた。ひとしきり登ると、やっと2時間ほど前に通った城山方面・発端丈山方面の分岐点に達した。

いま葛城山から下ってきた正規ルートで登ったとしたら、45~50分は確実にかかったと思われる。背面登山道はきつかったけれど30分かからないで登ったから、時間的にはかなり違ったことになる。

分岐点を抜けると、再び尾根を進む快適な道である。時折展望が開けて、沼津アルプス方面や駿河湾方面の景色を望むことができる。この日は雲が多くて富士山はよく見えなかったが、駿河湾や淡島を間近に見ることができた。

心配だったのは、葛城山には「発端丈山まで90分」と書いてあり、ここまで30分かかっているのであと60分で着くはずなのに、いつまでたっても道が登りにならなかったことである。峠にあたる益山寺分岐に着いたのは、1時間近く歩いた12時過ぎであった。さあ、ここから登りだ、と気合を入れる。

確かにこの日3回目の登りはきつく、ふくらはぎにも太ももにも疲れが残っていて痛む。今度の登りは階段である。丹沢の階段でよく使う方法、左足で10段、右足で10段ずつ登っていると、それほど長くは感じない内に肩にあたる部分まで来た。肩まで来ればこっちのものである。最後の一登りをクリアして、発端丈山に着いたのは12時20分。短いと思ったのも道理、最後の登りを20分ほどでクリアしてしまった。

発端丈山の頂上では、何組かの先客がリュックを置いているが、みなさん姿が見えない。清掃活動かな、ご苦労様と思ってみていると、どうやらそうではなくて、みなさん山菜採りをしているのであった。そういえば、震災前まで東北ではGWに春の山菜を売っていたものである。暖かい伊豆では、早くもこの時期に山菜が採れるのであった。

緑色の下草に寝転んで、しばしまどろむ。暑くもなく寒くもなく、風もない絶好のお天気である。このまま何時間かうとうとのんびりしたかったのだが、残念なことに、この時点で飲み物が100mlくらいしか残っていなかったのであった。のんびりしたいのが半分、水分を補給したいのが半分で、結局10分ほど休んで下山路に向かった。

下山路は、この日唯一といっていい沼津アルプス並みのコース。よく地図をみてみると、このルートはこの日唯一の北側の尾根だったから、そういうものなのかもしれない。これまで出てこなかったロープも何度か登場してやっぱり伊豆は油断ならないと思ったが、二つほど驚かされたことがあった。

一つは頂上からそれほど下りないうちの登山道脇の草むらに、でかい蛇がいたことである。模様からしてまむしではなくヤマカガシだったように思うが、まだ春先なのにあんなに大きな蛇がいるんだなあと思った。そういえば、いつか湯河原の幕山で、蛇が多いから気をつけるように言われたことを思い出した。

もう一つは、頂上から10分ほどしたところで、引き返してくる女性登山者とすれ違って、「三津(みと)への道は、これでいいんですか」と聞かれたことである。これでいいはずですよとお答えしたのだが、上の分岐点を見逃したということでそのまま登って行かれたのであった。その後、帰りのバスでお見かけしたので安心した。

下山口からバス通りに出たところがちょうどバス停だが、まだバスは来ないし自販機もないので一つ先の「農業会館前」のバス停まで歩く。けれども、そこにも自販機はなかった。

ちょうどバス待ちをしていたおばあさんから「ほったんじょうに行かれましたか?」と尋ねられて、バス待ちの間おしゃべりをした。おばあさんも、山頂でお祭りがあるので4回くらい登ったことがあるそうだ。でも、地元のおばあさんでも4回だから、山菜採りでもなければそんなに登らない山なんだろうな、と思った。

この日の経過
修善寺社宅 7:00
8:00 城山登山口 8:00
8:55 城山 9:05
10:05 葛城山裏登山口 10:05
10:30 葛城山 11:10
12:20 発端丈山 12:35
13:20 三津登山口 (GPS測定距離 13.3km)

[May 23, 2016]

葛城山から発端丈山に向かう途中の稜線から、沼津アルプスの稜線を望むことができる。


発端丈山頂上。このグループの他にもいくつかリュックがあって、どうやら山菜採りをしていたようです。


三津方面への下り坂は、まさに沼津アルプス級。まあ、最後まで楽をするという訳にはいきません。

天城山 [May 5, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

この春は修善寺に拠点が移ったこともあって、伊豆の山を歩いている。せっかくの機会だし、来年にはここにはいないだろうからである。

ということになると、せっかくだから百名山となってしまうのは、根がミーハーだからやむを得ないところである。残念なことにギリヤーク師匠の関西公演がキャンセルになってしまったので、5月3~5日のスケジュールがぽっかり空いた。3日4日はぐずつきそうだが、5日は晴れる予報である。行ってみることにした。

天城山というのは天城連峰の総称であって、天城山というピークはない。尾瀬の燧ヶ岳や那須の高原山、わが房総の鹿野山と同様である。普通は主峰である万三郎岳(ばんざぶろうだけ)を指す。万三郎岳から東側は万二郎岳を経て天城高原に続き、西側は八丁池を経て天城峠に至る。有名な浄蓮の滝は天城峠の北にある。

車がないと登山口までのアプローチが不便だが、縦走して逆側に出ることもできるメリットがある。バスの時間をチェックした結果、伊豆高原から入って八丁池に抜けるコースを計画した。万三郎岳の標高は1402m、沼津アルプス、伊豆三山と比べると1000m高い。もちろん、今年に入って最も高い山ということになる。

修善寺から伊東まで、朝一番のバスに乗って冷水峠という峠を越えていく。乗客は2、3人で、峠越えの時には私だけだった。伊東郵便局前で天城高原行のバスに乗り換えるが、こちらは満席で、終点まで小一時間、立たなければならなかった。GWの好天ともなれば、このくらい人が来ないとバス会社もやっていられないところである。

朝方には止んでいた風が、終点のゴルフ場まで来るとかなり強くなっている。このあたりですでに標高1000mであり、山の天気だからこうなるのも仕方がない。身支度して9時ちょうどに出発。予報では30度近い暑い日になるということだったが、風が強くて少し肌寒いくらいである。あまり薄手のシャツにしなくてよかったと思う。

バス停終点から反対側が登山道入口である。登山道の中は木々に遮られてあまり風が来ないのはよかったが、小さい虫がたくさん寄ってくるのは鬱陶しい。虫除けシールがあまり効かないのでよく見てみると、虫だけではなくてハエも交じっているようだった。道がえぐれているのは、雨の時に水が流れるからだろう。湿気が多いから、虫もハエも出て来てしまう。

左右に生えている木をみると、シャクナゲが多いようである。ただ、まだ時期が早いらしく、花は咲いていない。20分歩いて四つ辻という交差点になり、ここから万二郎岳に方向を変える。このあたりから、まだそれほど登っていないのに休む人達が目立つ。そういう人に限って大声でしゃべっている。満員のバスに加えて自家用車で駐車場も一杯だったから、普段歩く山とは違って人が多い。

まだ休む訳にはいかないと思いながら歩いていたら、気付かずにハイペースになっていたようで、残り300mのあたりで息が上がってしまった。振り向くと、結構な急坂を登ってきたようである。2、3分休んで息を整え、再び登りに挑む。10時15分、登山口から1時間と少しで万二郎岳に到着した。

頂上に出るとさらに風が強くなっているが、木々に囲まれているので吹きさらしということはない。二十人近くがくつろいでいる。空いている岩を確保して、元気一発ゼリーで栄養補給。ここまでは順調だが、1/25000図をみると、次の万三郎岳までいったん下ってからピークを越えなければならず、坂もきつそうだ。10分ほど休んで出発する。

そして、万二郎岳からの下りは1/25000図で見たとおりの急傾斜でいきなり難儀したのだが、鞍部から登り返したあたりで景色が開けて気持ちよかった。いま登ってきた万二郎岳と向かいの遠笠山をはさんで、ゴルフ場のフェアウェイが広がっている。その向こうには青いピラミッド型の大室山と、さらに相模灘を望むことができた。

天城高原ゴルフ場入口付近から、万二郎岳への登山道が始まる。


登山口から1時間少しで万二郎岳。さすがに天城山、人が多い。


時折、樹間から風景が開ける。左が遠笠山、右がいま登った万二郎岳。中央ゴルフ場。標高が1000mあるので、飛距離が出そうだ。


万二郎岳の頂上で、1/25000図を再確認する。標高差で5~60m下ると、一転して登り坂になり、頂上が平坦になっている1325のピークに達する。そこから再び5~60m下って、万三郎岳まで標高差150mほどのだらだらとした坂を登り返すはずである。ところが実際は、すごい急傾斜だと思ったのは万二郎直下の下りだけで、あとは緩やかな尾根道のように感じた。

ただ、ピークは一つだけではなく、1325の後も小さなピークを2つ3つ越える。その一方で、ほぼ平坦な尾根道も登場する。こういう道を歩いていると、山に来てよかったと本当に思う。ただ悲しいところは、あまり長くは続かないということである。伊豆の山はこの春3回目になるが、これまでの中では随一と言っていい尾根道でありました。

景色を楽しみながら歩いているとそれほど苦しむこともなく最後の登りもクリアして、1406mの万三郎岳頂上に到着した。時刻は11時35分、登山口~万二郎岳とほぼ同じ1時間少しで到着することができた。考えてみれば、登山口ですでに1000mあるのだから、標高差で1時間、距離で1時間、合わせて2時間で歩いて不思議ではないのである。

それにしても、1/25000図ではすぐそこ、10kmも離れていないところに海があるのに、ここは標高1400mなのである。本当に急に山が立ち上がっているということである。だから、トンネルができるより前には、陸路で天城山を越えるのはなかなか大変なことであった。「天城越え」という歌ができるくらいである。

また、1400mの標高があるということは、麓との温度差が10度近くあるということである。海からの暖かい湿った風が山を吹き上げることにより急激に冷やされるから、このあたりは雨が多い地域とされる。土地の人に聞くと、特に夏場は気候が急変するので注意が必要であり、ハンキング気分で軽装で歩くと降られたりして大変だということである。

万三郎岳の頂上では、二、三十人がすでに休んでいた。ちょうどお昼時なので、みなさん思い思いにお昼ごはんをとられている。EPIガスを持ってきている人もいたが、風が強いので大変そうだった。私も、夕張メロンクリームパンと午後の紅茶でお昼にする。そうしている間にも次々に登山客が頂上に到着するので、15分ほど休んで出発することにした。

万三郎岳を下りたあたりに国有林の看板が立ち、ここから2時間後の八丁池までずっとブナの原生林が続く。ブナという木は水を貯める機能があり、自然環境保護のためにはたいへん有意義な木なのであるが、ごつごつした根が地表に突き出てくるのでたいへん歩きにくい。また、幹や枝も思い思いの方向に伸びるので、目の前に立ちふさがるし道もくねくね曲がる。

いったん下ってまた登るあたりが、この日一番つらかったところである。1/25000図には名前が載っていないが、小岳(こたけ)というピークで、標識が立っていた。登って下ってを続けて、万三郎まで着けばあとはたいしたことはないだろうと思っていたところの登りなので、疲れが足にきた。思わず、「天城越え」のメロディーが頭をよぎった。

小岳に着いた12時30分から後は、登りで苦労する場所はなかった。とはいえ小岳から戸塚峠への1.2kmに35分かかると小岳の標識に書いてあったとおり、きつい下り坂だった。

気持ちいい尾根道が多いのは、伊豆では随一でしょう。さすが百名山。


万二郎岳から1時間少しで万三郎岳。たまたま写ってませんが人が多く、みなさんお昼休みをとっています。


万三郎岳から西は、ブナの原生林が2時間以上続く。ここから目立って人が少なくなる。


小岳から戸塚峠への急傾斜は、1/25000図でも等高線の幅がきわめて狭いので見当がつく。そして、国有林ということもあって標示が少ないので、何度か道を間違いそうになった。ゴルフ場から万三郎岳まではほとんどそういう箇所はなかったので、えらい違いである。そして、万三郎岳を過ぎてから、人の姿が急に減って、すれ違うのも数人くらいになった。

あたりを見回すと、ほとんどはブナである。幹が灰色で曲がりくねって、根元の方はコケが生えている。しかし、時々茶色のまっすぐな幹が混じっている。最初は鹿に表皮を食べられたブナかと思っていたのだが、それにしては鹿ではとどかないほど上まで茶色である。帰ってから調べてみるとヒメシャラであったようだ。家の庭にもあるのだが、あんなに大きくなるとは驚いた。

万三郎岳を12時前に出て、小岳に12時半、戸塚峠に1時10分過ぎに通過した。かれこれ1時間以上もブナ林の中を歩いているが、いつ果てるともなくブナが続く。丹沢あたりだとブナ林は重要で貴重だという感覚になるが、ここまでブナが続くと当り前のような風景である。戸塚峠からはほとんど平坦になるが、道は等高線に沿ってうねって続いている。

時折、空に向かって直線的に伸びている杉の木を見ると、なんだかほっとする。確かに、材木として使うなら杉の方がよさそうだと思う。しかし花粉症のもとになるからなあ。ほとんど平坦とはいえ1時間半も歩き続けたので、次のチェックポイントである白田峠で一息つく。ここにはベンチが置かれていて、休むのに具合がいい。

万二郎岳の頂上あたりではかなり強い風が吹いていたのだが、ここらあたりまで来るとほとんど風は感じられない。風が弱まったのかもしれないし、頂上からかなり下ってきたので風が遮られているのかもしれない。この日は水を1.5リットルと午後の紅茶500mlを持ってきたので、水はまだ十分にある。

さて、白田峠を出たのは1時50分である。八丁池まで45分と書いてあったから、2時半頃には着くだろう。さて問題は、八丁池口発のバスの時間が3時40分ということである。八丁池から八丁池口までの時間と距離が分からなかったが、道中の地図をみると50分と書いてある。ちょっと急がないといけないかもしれない。

白田峠から先も、引き続きブナ林である。一度、行く手にガレ場とその先にピークが見えて、方角的にはこれを越えていくのかなと一瞬思ったのだけれど、道はピークを巻いて平坦に続いていた。ちょっと疲れていたのでほっとした。ときどき、トラバースする道が細く斜めっているところがあるので用心が必要だが、それを過ぎると道は徐々に下って行く。

時間通り2時半過ぎに八丁池に到着。静かだし、とてもきれいだ。休んでいる人は数人しかいない。結構大きい(周囲が約800m=八丁あるから八丁池と言うともいう)湖だが、売店とかボートがないのは何よりである(昔はあったらしい)。後から気づいたのだが、八丁池口まではバス専用道で、そこから3kmは車両通行止めなので、こんなに静かに保たれているのである。

湖畔に立てられている案内板を読む。この八丁池は昔、天城山のカルデラ湖だと思われていたが、最近になって、地殻変動により生じた谷の奥の窪みに水がたまって今日の姿となったということが分かったそうだ。言われてみると、カルデラ湖とはちょっと立地的に違うように思える。それにしても、これだけ水がたまるということは雨が多く湧き水も豊富だということであろう。

さて、風も止んだしいい天気だし、できれば私も草の上に寝っ転がってゆっくりしたかったのだが、バス停までの時間が読めないのでくやしいけれど先に進む。湖畔を右に進んで道なりに登って行くと、トイレが置かれている。そこからは道が太くなって、いざという時は車が通れるようになっているのだが、なんと八丁池口まで3km、1時間と書いてある。

本当に1時間かかったら、バスに間に合わない。最終バスなので、乗り過ごすと麓まで車道を歩いていかなければならず、それはちょっとつらい。下り坂の3kmで車道規格の道なら1時間はかかるまいと思いつつも、やや急ぎ足となる。立ててある地図を見ると、途中で登山道をショートカットできるところがある。そこを過ぎると、バス時間を目処に下りてきているらしい何組かが前後に見える。大丈夫、間に合いそうだ。

八丁池口のバス停に着いたのは3時20分で、八丁池から30分で着いた。バスの時間まで、非常用に残しておいたチョコチップメロンパンを食べる。できればコーラがあるとうれしかったのだが、バス停にあったのはトイレだけで、売店や自動販売機はなかった。バス待ちの人は最終的には十数人になったが、半分は麓にある駐車場のところで下りた。

バスは天城トンネル、しろばんばの里湯ヶ島を抜けて、終点の修善寺まで1時間ゆるゆると進むのでした。

この日の経過
天城高原ゴルフ場 9:00
10:15 万二郎岳 10:25
11:35 万三郎岳 11:50
12:25 小岳 12:30
13:10 戸塚峠 13:10
13:40 白田峠 13:50
14:35 八丁池 14:45
15:15 八丁池口(GPS測定距離 12.4km)

[Jun 20, 2016]

小岳から先の急傾斜で、この日はじめてのロープ場。他に梯子も何ヵ所かありました。


ようやく急傾斜を下りきって振り返る。登るのは大変そうだ。


延々とブナ林を歩いて、八丁池に到着。車道はバス専用なので、人が少なくいい雰囲気。ここからバス停まで、さらに30分ほど下る。

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