高水三山(御嶽回り) 三ノ木戸山 鋸山 奥多摩小屋(爆)・七ツ石山
日向和田から日の出山 [Mar 17, 2013]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
さて、ようやく山も雪が解けてきたようで、そろそろ始動の季節である。久しぶりの足慣らしも兼ねて、奥さんを連れて日の出山に行くことにした。
今回のコースは、青梅線の日向和田をスタートして三室山経由で日の出山に登り、つるつる温泉に下りるコースである。標高差は約700m、このくらいの高さでも千葉の山だと2つ分である。つるつる温泉には前も御岳山から下っている。広くて気持ちのいい温泉である。
日向和田の駅で下りる人は結構多く、駅にはJRの人や観光協会の人が看板を立てたり、いろいろ忙しそうにしている。ちょうど梅が見ごろで、かなりの人出が予想されているようだ。普段この駅には止まらない青梅ライナーも、この日は臨時停車するらしい。下の写真にみられるように、まさに紅梅・白梅が満開となっている。
神代橋で多摩川を渡ると、吉野梅郷である。通りには出店がたくさん出ていて狭いし、町内放送は大音量で大変さわがしい。逃げるように細い通りへ、人通りの少ない方に進む。普通の家も庭が広く、ほとんどの家に梅が植わっていてきれいに咲いている。30分ほど歩いて登山口に着く。人通りの多かった「梅の公園」方面にも登山口があり、途中で合流する。
舗装道路から登山道に入ると、道は急になるのだが下が柔らかくて歩きやすい。奥多摩はどこもそうだが、整備されていて道標も多くほとんど迷いようがない。30分ちょっと登ると、金毘羅神社の鳥居のところに出る。ここでダウンジャケットを脱いで長袖シャツ姿になる。奥さんはちょっと遅れ気味だが、この先の急坂では逆に私が置いて行かれるのである。
金毘羅神社の本殿(といっても小さい)まで少し登り、さらに巻き道を分けてひと登りすると標高646mの三室山の頂上。ここまで1時間ちょっとで、標高差の約3分の2をあっさり登り切ってしまった。WEBでは展望がないと書いてあったが、北側に風景が開けて多摩川が方向を変えるあたりが見える。木々の葉がそろわないこの時期だからかもしれない。
日向和田の駅を下りると吉野梅郷。白梅・紅梅が見ごろを迎えていました。
三室山からは北方向、軍畑(いくさばた)方面の展望が開けています。
三室山からはちょっと下って梅の木峠。ここは、舗装道路の林道と交差していて、舗装区間を伸ばす工事中のようだ。2時間ほど歩いてきたので、ここでカロリー補給。カロリーメイトと玄米ブランの行動食が何とも言えずおいしい。山で食べればこそのおいしさである。風か出てきたので、再びダウンを着込んだ。
梅の木峠から日の出山までは、だらだらと続く登り坂である。大した勾配ではないのだけれど、やたらとたくさんの人達が日の出山方面から下ってきて、すれ違いに難儀する。200人以上とすれ違ったのではないだろうか。挨拶を返すのも大変だ。下りの方が楽だし、すれ違う人数も全然違うので、登りの人にとっては非常に不利である。
御岳山でケーブルで登って吉野梅郷に下りるコースはガイドブックによく紹介されているし、ケーブルカーのWEBにも載っている。それにしても、こんなに大人数で騒がしく山を歩いて楽しいのだろうか。
この分だと日の出山頂上は大変な人だろうなと心配していたら、それ以前に頂上直下の急坂が大変だった。これまで御岳山方向からしか登ったことがなかったのだけれど、こちらから登ると相当きつい。かえって奥さんの方が平気で、先に行ってもらう。(ちなみに、下りでは私の方が全然早くて、何度も待ってあげた)
一息入れて服装を整え、再び急階段に挑む。自分のペースで歩けばまあ大丈夫だが、かなりの急勾配である。汗が噴き出してくる。標高は低いけれど、これだけの急坂をこなせればもっと高い山でも大丈夫なような気がする。そういえば孤高の人・加藤文太郎が、北アルプスも六甲山も大して変わらないと言っていた(本人が書いたのか新田次郎が書いたか覚えてないが)。
息を切らせて頂上にたどり着く。登山口から2時間半。心配していたとおり、黒山の人だかりである。先に登った奥さんが、場所を確保しておいてくれた。この日はPM2.5の影響もあまりなくいい景色だったが、とにかく人が多いので早々に頂上を後にする。見ているとみなさん日向和田方面に下って行く。逆コースをとった方が、ゆっくり自然が楽しめますよ(登りはきついけど)。
つるつる温泉に下るグループも結構あり、帰りのバスは臨時便も出たくらい。それでもお風呂も施設も広いので、ゆっくりすることができた。お昼はこちらの名物「つるつる御膳」。岩魚の塩焼きから山菜天ぷら、地物のとうふ、茸ごはんをおいしくいただき、奥さんはご満悦の山歩きでした。
この日の経過
JR日向和田駅 8:45
9:20 登山口 9:22
10:00 金毘羅神社 10:05
10:30 三室山 10:32
10:55 梅の木峠 11:05
12:00 日の出山 12:20
13:45 つるつる温泉
[Apr 1, 2013]
日の出山の頂上はすごい人!ほとんどの人が御岳からきて日向和田に下って行くのは、ガイドブックのせいかも。つるつる温泉に下って行く人はそれほど多くありませんでした。
雲取山 [Mar 28-29, 2013]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
3月の終わりに休みを取った。天気も良さそうなので、昨年末に三条の湯までで撤退した雲取山を目指すことにした。鴨沢バス停の標高が530m、雲取山頂が2017mだから、標高差はおよそ1470m。達成すれば自己最高の標高差である。ビギナー向け山小屋としては多く推薦される雲取山荘に予約を入れて、始発電車で奥多摩に向かった。
ヤマレコの記事では、前週末時点で山頂まで雪はないということであったが、前の晩に雨が降ったので山では雪だったかどうかが不安材料である。予約の時にも言われたので軽アイゼンは持ったものの、できれば使わないで済ませたい。ところが、中央線の車内放送では青梅線は架線凍結のため運転見合わせと言っている。私が行くまでに復旧するといいけれど。
立川を過ぎ河辺(かべ)までは順調だったものの、ここで電車が止まってしまう。結局、青梅を出た時点で30分遅れ。8時台のバスには乗ることができず、JR奥多摩で30分待ち合わせの計1時間遅れとなってしまった。鴨沢バス停から雲取山荘まではコースタイムで6時間だから、これだとぎりぎりである。まあ、このところ早く歩けるようになったので、とにかく急ぐしかない。
鴨沢で身支度をして、10時20分に出発。調べると、登山口である小袖乗越まで30分ほど登りのようだ。左手に谷で登山道を登って行く雰囲気は、川苔山とよく似ている。ちょうど30分で乗越到着。ここまで林道が通っていて大きな駐車場があり、自動車があればここからスタートできる。100mくらい先に登山口がある。
いよいよ登山道に入る。勾配はそれほど急ではなく、路面も落ち葉で歩きやすい。20分ほど歩くと突然廃屋が登場したのには驚いたが、ここから杉林の下方向を見るとはるか下に民家の屋根と道路が見える。地図で確認すると小袖という集落はこの下のようなので、数十年前にはここにも人が住んでいたのだろう。
引き続き緩やかな山道を登って行く。雲取山の登山道の中でも、ここ登り尾根は最も登りやすいと評判で、それで「登り尾根」と名付けられたらしい。確かに登りやすいが、なかなか先に進まないのが難点である。小袖の先にあるという水場がなかなか出てこない。出てきたのは小袖登山口から1時間歩いた12時前頃であった。水はほとんど出ていない。少し先に広場があったのでお昼にする。
「ここは標高1150mです。」と看板が貼ってある。標高差で、石尾根までのちょうど中間点ということになる。この看板によると、七ツ石小屋まで1時間10分、ブナ坂まで1時間半、雲取山頂まで2時間45分だそうだが、コースタイム通りとしても山頂に3時過ぎ、宿に着くのは4時になる。(後から、この看板は全く参考とならなかったことが判明する。)
お昼もそこそこに出発。20分ほどしか休めず、疲れが後に残らないか心配だが、とにかく急ぐしかない。途中で下がぬかるんできたので、スパッツを装着。歩き始めではるか遠くに見えた石尾根が、だんだんと近くなってきたのが心の支えである。
1時40分に七ツ石小屋の分岐。七ツ石小屋までは急登と書いてあったので、これを避けて石尾根の交差点にあたるブナ坂へ直行する。もう3時間歩いているので、そろそろ石尾根に出る頃だろう。
ところが、全然着かないのであった。30分ほど歩いて途中で上から声がするので着いたと思ったら、七ツ石小屋からの道の合流点だった。家に帰ってからGPSのログを地図上に落としてみると、登山道は標高1550~1600mの等高線に沿って2万5千分の1地図よりかなり大回りしている。結局、石尾根のブナ坂に到着したのは2時30分、歩き始めて4時間経っていた。
ブナ坂は雪が解けたためか水浸しで、5分ほど登って岩のあるあたりで休憩。3時間のコースタイムに4時間とは、尋常でない遅れ方である。残り半分も4時間かかる計算だと、宿に着くのは7時になってしまう。すでに1000m登ってきたので、かなり疲れもたまっている。これは参った。まだ日が高いのが救いだが、目標は宿に無事に着くことに切り替えざるを得なくなってしまった。
遠くに見える石尾根は、雪をかぶっているようです。
4時間かけて、ようやく石尾根に着いた。後方に見えるのは七ツ石山。
ブナ坂上を出発したのは2時50分。石尾根は左右の林を防火帯として切り開いていて見晴しがよく、傾斜もそれほど急ではないので歩きやすい。遅れているので思わず急いでしまい、息が切れてみると急な登りだったりして反省する。先は長い。ここでまた足がつってしまった日には、遭難である。時間が遅いせいか、ほとんど人とも会わない。
ヘリポートとその先の奥多摩小屋を過ぎたとき、まだ3時20分だったことで、少し気を取り直した。それまでは、夕飯間に合わなかったらごはんだけでももらえないかなと思っていたのだった。ちょっと安心したら、今度は足が細かくけいれんし始め、あわてて水分を補給する。前を見ると坂の長さと傾斜で気が滅入るので、足下を見て一歩一歩進む。
山に来ていい景色を見ながら、来し方行く末、また心の持ち様に考えをはせることができればいいと思っているのに、なぜか体調は大丈夫かとか、暗くなる前に着くかとか、心配ばかりしている。考えてみれば、カシノに行っていた頃もそうだった。手持ちのチップの心配や、滞在中の費用が手持ち現金で足りるか、TCを現金化するかなんてことばかり考えていた。
標高が上がるにつれて、道はぬかるみとなっている。昨日の雪が解けたのだろう。登り坂では相変わらず足がぴくぴくするので、そのたびにスポーツドリンクを飲んでいたらとうとう1.8リットルの在庫がなくなってしまった。あと水分はヴィダーインゼリー1パックしか残っていない。ここまで来たらがんばるしかない。
いつの間にか、雲取山荘への巻き道の分岐まで来ている。山荘のHPに、「頂上経由も巻き道も、時間的にも体力的にも変わりません」と書いてあったのと、ここまで来ると向こうに山頂が見えているので、がんばって山頂に向かうことにする。まだ時間は4時を回って間もない。この分だと5時半前には宿に着くことができる。
4時半に山頂直下で最後の休憩。ここでヴィダーインゼリーを半分と、カロリーメイトで栄養補給する。最後の斜面は岩の多いガレた道できつかったが、何とかクリアする。避難小屋前では、この日泊まるであろう人達ががやがやしている。その前を通り過ぎて山頂へ。4時45分、ついに東京都の最高峰、雲取山頂に到達した。
山頂の標識と三角点をデジカメで撮ると、休む間もなく雲取山荘への下り坂である。今度は北斜面なので凍結しているおそれがあり、本当ならアイゼンを着けて下りるところかもしれないが、前夜の新雪で雪が積もっているのと、下が岩っぽくて地面の状況がよく分からなかったので、そのまま何も着けずに下りた。
かなりきつい下り坂だったが、慎重に下りたので転ばなかった。急な岩場と緩やかな道が変わりばんこに何回か登場した後、両側をロープで仕切ってある斜面を下ると、山荘の屋根が見えた。玄関前のベンチでスパッツを外し、靴の雪と泥をブラシで払い、息を整えて受付。厚手の手袋が功を奏して、三条の湯のように手がかじかむことはなかった。
宿に着いたのは5時20分だから、ブナ坂からはほとんどコースタイムで来たことになる。われながらすごいハイペースである。宿は相部屋だったが、一緒の人もあまり話さない方で助かった。さっそく自販機でビールを買って飲んでいると、私より後に到着した人もかなりいた。最後は高校生の団体で、後から聞くと日大習志野高校とのこと。すぐご近所から来たことになる。
ついに雲取山頂が見えた。上に見えるのは避難小屋。最後の急登に挑む。
4時45分、ついに雲取山頂2017mに到着。後方は(おそらく)飛龍山で、この谷の奥に前に行った三条の湯があるはず。
雲取山荘名物・ハンバーグの夕食。手作りポテトサラダとトマト、わらびの塩漬け、冷奴も付いて、ごはんは大盛りでおかわりしてしまいました。
雲取山荘は各部屋に豆炭こたつが用意してあって暖かい。夕飯が終わり足を温めながらマッサージしていたら、7時を過ぎたばかりなのに眠たくなってしまった。風呂がないのに眠れるかなと心配していたけれど、そんなことは全然なかった。相部屋の人も横になっていたので、相談して8時前にはうちの部屋は消灯。初めはこごえるようだった布団も体温で適度に暖かくなって、ぐっすり眠った。
朝4時を過ぎる頃から、合宿の高校生が起き出した。小屋番のおじさんによると、彼らは自炊とのことだ。凍結して水が出ない時期なので、食事の支度も大変だろう。申し訳ないがこちらは食事付き、5時半が朝食時間である。ごはんと味噌汁、しゃけ、のり、ふりかけ、梅干などが付いて、とてもおいしい。卵は例によってお返しした。
窓から外を見ると雲海で、玄関を出たとたん冷たい風と雪が顔に当たった。前日とは打って変わって、ガスが出ている。天気予報ではこの日までは晴れるはずだったが、なかなか予報どおりにはいかない。他の人達の話を聞くと、これから雨が降り出すらしい。
スパッツとアイゼンを着けるのに手間取って、出発したのは6時半。昨日下ってきた山頂への道は、早朝で凍結しているとかなり厳しいので、迷わず巻き道を選ぶ。巻き道も下の写真のようにずっと雪が積もっていて、アイゼンなしではきつい。二十年ぶりにアイゼンを使う。足をしっかり上げてアイゼンの刃を効かせる。およそ40分で石尾根に戻った。
さて、平日の鴨沢発のバスは、10時27分の次は13時58分までない。雲取山荘から4時間弱というのは私の足では無理だが、7時間以上かけて下りるのも逆に大変だ。時刻表をみると、少し先の深山橋まで歩くと小菅発のバスが12時ちょうどくらいにある。鴨沢から30分とみて、11時30分に鴨沢目標で歩くことにした。ちょうど5時間で下りることになる。
ブナ坂まで戻ったのは8時半。前日よくコースタイムで登れたと思うくらいの坂道だった。きっと、宿に着けないかもと思って必死だったのだろう。七ツ石分岐からブナ坂まで1時間かかってしまった前日の反省を踏まえ、下りは七ツ石小屋経由とする。ブナ坂から30分で到着。平日なのに小屋番の人がいて、スポーツドリンクを購入。ついでにお願いしてわき水を分けてもらった。
ここからの下りが、今回一番といっていい急坂だった。さすがに、ガイドブックで急坂と書いてあるだけのことはあった。下りだからよかったけれど、ここを前日に登ったら体力は残っていなかったかもしれない。途中で分かれる道があったので、もしかするとそちらが正当な登山道だったのかもしれない。
昨日お昼をとった水場下広場に着いたのは10時過ぎ。ここの看板に、「鴨沢バス停まで1時間5分」と書いてあるのに安心して、10時15分まで休んで出発した。ところが、かなり急いだのになかなか着かない。小袖乗越に戻ったのが11時10分で、そこから下り坂を20分、合計1時間15分でなんとか駆け降りた。どういう歩き方をすると1時間5分で着くのだろう。
そういえば、ブナ坂まで1時間半を2時間半、雲取山頂まで2時間45分を4時間半かかったのだった。あの看板は相当体力のある人が歩いた時間に違いない。一般向けにはもう少しゆるめの時間を書いてほしいものである。深山橋までの車道歩きを30分。バス停に着いたのは11時57分。バスの時間は59分なのでぎりぎりだった。もっとも、バスは10分くらい遅れてやってきたが。
今回の雲取山は、行きの青梅線不通から始まって時間に追われた2日間だった。もう少しのんびりと山を楽しみたかったような気もするが、これはこれで楽しかったような気もする。標高差1400m余りを登り下りしたのでさすがに足は痛んだが、2日ほどで痛みは引いたから山体力が付いてきたということであろうと勝手に思っている。
七ツ石小屋でいただいたわき水は、家まで持って帰ってごはんを炊くのに使ってみた。すごくおいしかった。浄水器の水もおいしいと思っていたけれど、やっぱり自然の恵みってすごいんだなあと改めて思ったのだった。
この日の経過
鴨沢バス停 10:20
10:50 小袖乗越 10:50
11:55 水場下広場(昼食) 12:15
13:40 七つ石分岐 13:40
14:30 ブナ坂 14:50
15:20 奥多摩小屋 15:20
16:30 避難小屋下 16:35
16:40 雲取山頂 16:45
17:25 雲取小屋(泊) 6:30
7:15 巻き道合流 7:15
7:55 奥多摩小屋 7:55
8:30 ブナ坂 8:30
8:55 七つ石小屋 9:05
11:30 鴨沢 11:30
11:55 深山橋バス停
[Apr 10, 2013]
朝の雲取山荘。朝食は5時半、アイゼン装着に手間取って、出発は6時半になってしまいました。
雪の巻き道を戻る。アイゼンを着けるのは20年ぶり。
この看板には偽りあり!?いつかもう一回来てみよう。
大菩薩嶺 [May 17-18, 2013]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
雲取山荘からの帰りに、小菅からのバスに乗るため深山橋まで歩いた。西東京バスのハイキング時刻表をみると、小菅からは大菩薩嶺に行けるようだ。大菩薩といえば山梨側からの印象が強く、休日には大変なにぎわいのようだが、もしかしたら小菅方面は静かな山行が楽しめるかもしれない。ということで、大菩薩に行ってみることにした。
大菩薩といえば、われわれの世代にとって記憶に残るのは「福ちゃん荘」である。東京オリンピックから5年後、大阪万博の前年にあたる昭和44年(1969年)、武装蜂起をもくろむ赤軍派がこの福ちゃん荘に集結との情報を得た警視庁機動隊が数百人体制で早朝の山小屋を急襲、運動家学生53人を凶器準備集合罪で現行犯逮捕した事件である。
最近では、「皇太子ご夫妻ご休憩の宿」を売りにしている福ちゃん荘であるが、ことと次第によってはあさま山荘になりかねなかったのである。せっかく大菩薩嶺に行くからには、やっぱり福ちゃん荘に泊まりたい。という訳で、山梨側から入って福ちゃん荘に泊まり、翌日大菩薩峠を越えて奥多摩側の小菅に下りる計画を立てたのでありました。
中央線塩山からバスに乗り、大菩薩登山口のある裂石(さけいし)で下りる。正面に大菩薩の稜線、左手に武田氏ゆかりの雲峰寺(うんぽうじ)を見ながら舗装道路を登って行く。この雲峰寺、開設はかの行基だというから、先日訪れた地図と測量の科学館とつながっている。このまま舗装道路を進んでも目的地には着くのだが、途中からショートカットの登山道に入る。
この登山道、勾配はそれほどでもなく整備された道なのだが、いかんせんこの日は暑かった。今月のはじめ塩原に行った時には雪が降っていたくらいだから、寒暖の差が激しい。そういえばその昔、森クンが川口にデビューした時もこんな季節こんな天気で、走路温度が50度超えた日だったなあと突然思い出した。
途中で登山道が崩れている箇所があっていったん舗装道路に上がり、再び登山道に入る。歩き始めて2時間、カーブを過ぎると突然大きな建物が見えた。上日川(かみひかわ)峠のロッジ長兵衛である。ここまでは車で入れるので、かなり人が多い。逆にいうと、駐車場を起点とした登山道を外せば、あとは静かな山道ということでもある。
ここから福ちゃん荘までは20分ほどの登りのはずだったが、20分では着かなかった。登山道と並行して下の方に車道が見えるので迷いはしないのだけれど、なかなか着かないので少しあせる。と思っていたら藪の向こうに建物が見えた。福ちゃん荘は正面売店側からの写真がよく知られているが、登山道からは裏手から入ることになる。
受付をして、沸かし湯だけどお風呂に入れるのはうれしい。夕食は6時。それまでビールを飲みながら次の日に登る稜線を眺めたり、中に入って本棚の本を見せていただいたりしてゆっくりする。この日の泊り客は私だけのようだ。三条の湯のときと同じである。駐車場が上日川峠まで来ているので、日帰りの人が多いのかもしれない。
玄関の奥に、皇太子ご夫妻の写真がたくさん飾られている。その中に、額1つだけ赤軍派事件の新聞記事があった。コピーで複写したものは白いままなのだが、当時の新聞や週刊誌の切り抜きはみんな変色している。もはや、過激派とか学生運動は前世紀のできごとになってしまったようだ。
福ちゃん荘宿泊者入口。登山道から登ってくると、こちらが先に見えます。
この日の夕食には、岩魚の塩焼きが付きました。味噌汁は根菜がいっぱい。
福ちゃん荘といえば、この事件。もう45年前のことになってしまいました。色が変わった新聞や週刊誌が、時代の流れを感じさせます。
翌朝は5時半に起きて、6時から朝食。私ひとりのために営業していただくのは気が引けると思っていたら、この時間にはもう登ってくる人がいる。事前の情報どおり、大分にぎやかなことになりそうだ。早々に出発してカラマツ尾根から大菩薩嶺へ登る。名前のとおり両側カラマツの尾根道で、涼しい朝に新緑が鮮やかだ。
カラマツというと、昔モンティ・パイソンで前後の脈絡なくカラマツの映像が出て、“Larch”とコメントが入ったのを思い出した。カラマツの新緑を見上げながら、“Larch”と言ってみる。しばらく歩くと急坂になって、そんな余裕はなくなった。
カラマツ尾根は福ちゃん荘から大菩薩の稜線・雷岩に出る尾根道で、2万5千分の1図で見ると最後のひと登りだけが急登のように見えるのだが、そんなことはなくて、その前の小さなピークと合わせて3回の急登がある。裂石(さけいし)から福ちゃん荘まで標高差800mを登っているのであと300mは何でもないと思っていたら、とんでもない話なのである。
1つめのピークを越えたあたりで振り返ると、大菩薩湖をバックに富士山がきれいに見える。急坂を登って標高を上げていくと、大菩薩湖の湖面がだんだん広がっていき、富士山も大きく見える。富士山から右方向には、まだ雪をかぶった南アルプスの山々を望む。天気にも恵まれて、うれしくなる大パノラマである。
ところでこの大菩薩湖は、揚水発電を行っている上日川ダムのダム湖である。揚水発電は上のダムと下のダムで水を上下させて発電を行っているが、下のダムに当たるのが葛野川(かずのがわ)ダムで、大菩薩峠から南に伸びる稜線の地下深くをトンネルが通っている。
そして、大菩薩湖の水はそのまま流れると富士川へ、葛野川ダムの水は相模川へ流れるので、本来自然のままであれば行き来しない水が行ったり来たりしていることになる。もちろん環境アセスメントとかいろいろ手順は踏んでいるのだろうけれど、本当の自然って何だろうと思ったりする。
雷岩まで1時間ほど登ると、広い休憩スペースがある。まだ朝早いのに、結構人がいる。おそらく昼ごはん時には、大変なにぎわいになってしまうのだろう。早く大菩薩峠を抜けてひと気のないところに行かないと、騒がしいことになりそうだ。
頂上である大菩薩嶺2056mは、雷岩から10分も歩かないくらい近い。頂上は木々に囲まれているので、見通しはきかない。スペースもないし後から人も上がってくるので、すぐに来た道を引き返す。ここから稜線を大菩薩峠までは、基本的に下り坂である。
自動車が通る前は、青梅方面と甲州は大菩薩峠を越えて往来したという。現在は丹波から先、今回スタートした裂石あたりを青梅街道が伸びているが、江戸時代には秩父・青梅・甲州は山道を行き来したのだろう。いまならいったん都心経由で移動する方が全然早いけれど、人力しかない当時は山道を突っ切った方が早かったはずである。
昔の大菩薩峠だった賽の河原を抜け、小高いピークを越える。下り坂なのだけれど、下は岩でガレていてスピードは出ない。最後の急坂を下って、現在の大菩薩峠である介山荘に出る。このあたり駐車場のある上日川峠から直接登って来れるので、かなりの人混みである。
中里介山の小説「大菩薩峠」は名前だけは通っているけれども、あまり面白くないという評判である。wikipediaによると、最後の方はただ長い小説を書くというだけの目的で書かれていて、登場人物がどうなるでもなく結局オチもないまま未完で終わるらしい。それでも、大菩薩峠ある限り、中里介山の名前は残ることになる。
さて、ここからが今日の本番、小菅村までの長い下りである。富士山とは逆方向、奥多摩方面を望むと、はるか遠くの方に集落が見える。おそらくそこが目的地の小菅村である。どうみても、2時間や3時間で着きそうにない。介山荘でスポーツドリンクを補充して、9時15分、奥多摩方面へ下り始めた。
カラマツ尾根の名前のとおり、カラマツの新緑が涼しげな朝です。このすぐ後に急登が始まります。
カラマツ尾根の途中から振り返ると、富士山が見事。下に見えるのはダム湖の大菩薩湖。
山に行くようになって気付いたのは、ガイドブックなどで紹介されているルートやその山のメインルートはやたら人が多いのだが、少し外れただけでほとんど人が来なかったりするということである。大菩薩峠から小菅に抜ける道もすれ違ったのは3人、抜かれたのも一人だけである。大菩薩峠には9時過ぎで数十人もいたというのに。
人とずっと一緒というのは何かあった時には安心ではあるが、どこに行っても他人の話し声が聞こえるというのは、私にはあまり好ましくない。せっかく山に来たのだから、一人でひいこら言いながら登りたい。だから、小菅への下り道を選んだのだけれど、予想通り快適であった。
稜線の岩交じりの道から、落ち葉の積もった柔らかい下り坂になり、とても歩きやすい。30分ほど下ると、ニワタシバという標識が立った場所に出る。これは「荷渡し場」という意味で、江戸時代にはここで青梅側と甲州側で荷物の交換が行われたということである。現在はそれほど広くなっていないが、昔は開けていたのだろうか。
昔の山村を調べた資料によると、明治時代終わりくらいまで山村には現金収入がほとんどなくて、村内では貨幣代わりに米がやりとりされていたということである。峠越えの荷運びはポピュラーな副業で、かなり貴重な現金収入源となったということである。小菅や丹波の人達も、ここまで荷運びをしたことがあったのだろうか。
ニワタシバからさらに30分ほどでフルコンバに着く。ここは、小菅村への道と丹波村への道が分かれるところで、昔は山小屋が建っていたという。周囲が広がって気持ちのいい場所であり、人通りが多かった時期にはひと休みする人が多かったと思われる。近くに水場があるらしいが、よく分からなかった。もしかしたら藪の中を探せばあったのかもしれないが、単独なので足でも踏み外したら大変だし、蛇とかいたら怖い。
大菩薩峠から小菅林道まではおよそ2時間半と読んでいたのだが、延々と森の中の道が続いてなかなか先が見えない。奥多摩ではおなじみの東京都水源林の表示や森林整備の鳥の巣箱などがあるので道は間違いないが、大分下ったのにまだまだ下に林が続いている。もっとも、標高差で1000mを下るので、そうそう簡単には着かなかったのである。
下り始めて2時間、11時過ぎてようやく沢の音が聞こえてきた。ここで、道が2つに分かれる。まっすぐ進めば赤沢方面、右に折れれば日向沢方面とある。右に折れた方が林道には早く着くと思ってしばらく進んでみたら、だんだん狭くなって最近人の通った形跡がない。安全策をとり道幅が広い赤沢方面への道を進む。
ここから沢を二つ越えて、ようやく小菅林道に出ることができた。大菩薩峠から3時間弱、12時過ぎの到着である。昼近くなって日差しが強烈になり、最後の方はちょっとバテてしまった。日陰を探して座り込み、水分とカロリーを補給。下るだけだと思ってあまり水を用意していなかったのはよくなかった。やっぱ、水は大事です。
20分ほどお昼休みの後、林道を下る。途中、白糸の滝を見て、延々と砂利道を歩く。スピードは出るのだが、登山道と違って日差しをさえぎるものがないのが難点であった。バス停のある橋立という集落に着いたのはちょうど2時。自動販売機があったのでスポーツドリンク500mlを買って一気飲みした。こんな山の中なのに定価というのはうれしい。
もう少し涼しかったら申し分なかったけれど、大菩薩峠よりこちらはとにかく静かだった。ほとんど人はいなかったけれど、登山道は整備されていて危険個所は全くなかった。帰ってから調べたら、分岐点から日向沢に下りても特に問題はなかったようだ。休憩所の建物の日陰で休んでバスを待った。今回もいい山行でした。
この日の経過
烈石バス停 13:30
14:00 登山口 14:00
14:40 上日川峠 15:45
16:20 福ちゃん荘(泊) 6:30
7:45 雷岩 7:50
8:05 大菩薩嶺 8:05
9:05 大菩薩峠 9:15
10:05 フルコンバ 10:15
12:05 林道登山道分岐 12:05
12:15 無名橋(昼食) 12:35
12:40 白糸の滝 12:50
14:00 橋立バス停
[Jun 3, 2013]
親不知の頭というピーク付近から。大菩薩峠と介山荘が見えてきました。
小菅側に1時間ほど下ると、丹波方面への分岐となるフルコンバに着く。昔は小屋があったということで、広くなっています。山梨側の混雑と対照的に、ほとんど人は通りません。
金毘羅尾根から麻生山 [Jun 08,2013]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
雲取山、丹沢山、大菩薩嶺と泊りがけの山が続いたので、ここらでちょっと軽めのを入れようとワンデイハイクを計画した。奥さんに一緒に行こうと言うと、「つるつる温泉なら行く」という返事。つるつる温泉なら日の出山だが、どの登山口から登っても混む山である。そこで、日の出山の手前の麻生山まで、武蔵五日市から金毘羅尾根を登ることにした。
金毘羅尾根は、日本最大のトレイルランのレース「日本山岳耐久レース」のコースとして有名である。武蔵五日市をスタート・ゴールとして奥多摩地区71.5kmの山道を走るレースであるが、そのコースの最後が御岳神社から金毘羅尾根を五日市に下るルートである。ちなみに、今回もトレーニング中の何人かとすれ違った。みんなすごくいい体をしていた。
五日市の駅に着いたのは8時前。リュックを背負った人が何十人も下りたのだけれど、みんなバスの乗り場に並んでいる。もっと奥の浅間嶺や三頭山に向かうのだろう。金毘羅尾根方面への徒歩の人は十人いないくらい。むしろ多いのは通学途中の女子高生である。土曜日なのに学校があるのは、私立ということである。
さて、WEBによると東町交差点を右ということだが、その道だと立体交差して秋川渓谷の方に戻ってしまうようだ。2万5千分の1地図をみると学校を目指していけば間違いなさそうなので、通学路の表示に沿って歩いていく。小学校、中学校と抜けていくと、金毘羅尾根方向の道標があった。
それはいいのだが、いきなり「この付近でクマの目撃情報がありました」と書いてある。こんなに人家が多いところでと思うが、念のためクマ除け鈴を装着する。最初の目標は金毘羅山468m。標高差で300mほどの登りである。クマが出たというだけのことはあって、すぐに林間の登山道となる。しかし道幅は広く、自動車でも通れそうである。
ちょっときつい急坂が2ヵ所ほどあったが、次第になだらかな登りとなり、1時間ほどで金毘羅公園に着く。いま登ってきた五日市の街並みが望める。つつじを植えてある公園の上には、琴平神社の社殿とご神体であろう大岩が鎮座している。ここから道幅が狭くなり、いよいよ登山道となる。とはいっても下の写真のようにきちんと整備されていて安心だ。
ときどき向こうからトレイルランやマウンテンバイクの人が来るが、全体にひと気はない。ただ、近くで伐採作業をしているので、チェーンソーの音が近くから遠くから聞こえてくる。だからしーんとした静けさはないのだけれど、静かなのはかえってクマが心配だ。かすかに木を切った後の香りが漂うのも心地いい。
気持ちいい道とはいえ、金毘羅尾根は長いのである。コースタイムで武蔵五日市駅から3時間、金毘羅山から2時間で麻生山なのだけれど、1時間歩いて見通しのきくあたりで行く手を窺うと、麻生山と思えるピークはかなり先である。いったん、伐採した真新しい切り株のあるところで休憩。ヴィダーインゼリーで栄養補給する。
地図上では、標高580mくらいで平らな尾根が続くように見えるのだけれど、実際には微妙なアップダウンがあるので、話はそう簡単ではない。いくつかの小ピークを越えて、大規模な伐採地を抜けて、ようやく幸神方面分岐(「キビシイヨ」と落書きしてあった)に着いたのが11時10分。武蔵五日市からほぼ3時間歩いたが、まだ麻生山まで山道が1km残っている。
梅雨の晴れ間で、標高がそれほど高くないので登りは汗みどろである。ときどき、尾根を東から西に吹き抜けていく冷たい風が気持ちいいけれど、なかなか目的地に着かないのが難点である。麻生山への分岐に着いたのは11時40分。直登は急坂だということなので、先に進んで白岩の滝分岐から頂上を目指す。急坂も厳しいが、迂回して距離を歩くのもまた厳しい。
最後の登りはまた奥さんに置いて行かれた。登りはいつも遅れてしまうのである。794mの頂上に着いたのはちょうど12時。街のお昼の放送が遠くから聞こえた。
金毘羅山から麻生山まで、なだらかな尾根道が続きます。
金毘羅尾根から北方向。行く手に高く見える深緑がおそらく日の出山。手前のうす緑のピークがおそらく麻生山。
分岐点のあたりには何人か人がいたのだが、麻生山の頂上には誰もいない。金毘羅尾根の稜線からちょっと外れただけなのに、金毘羅尾根を下る人達はこの頂上を素通りしてしまうようである。横倒しになっている木に腰かけて休憩。つるつる温泉でお昼ごはんを食べることにしていたので、ここは水分補給のみである。
それにしても、コースタイム3時間を4時間近くかかってしまった。多少休憩はとっているものの、ちょっとスローペースである。しかも、最後の登りではちょっとバテてしまった。汗のかき方も違うので、やっぱりこの時期の蒸し暑さが響いているようだ。昨年は7月以降に高水三山、天祖山と奥多摩を選んだのだが、今年はもう少し涼しいところがよさそうだ。
10分ほど休んで、ここからは下りである。つるつる温泉までは、白岩の滝を経由して車道を歩くコースと、林道を歩くコースがある。いずれにしてもしばらくは登山道を下るのだが、この区域は現在伐採作業中で、正規のルートは立ち入り禁止となり迂回路を通らなければならない。かなり傾斜が急だし、足下が細かい土砂と木屑で歩きにくい。
下の写真が下りたところから歩いてきた方向を見たところで、こういう状態である。もうしばらく下ったところに工事標識があって、そこには「花粉対策事業」と書いてあった。何十年も前に材木にしようと思って造林した杉が、いまでは花粉症の元凶となっているのは気の毒である。しかし私も花粉症なので、杉にはかわいそうだが対策事業に異存はない。
さて、林道と登山道の分岐点にやってきた。案内標識に「クマ目撃情報」が貼ってある。日付をみると2012年6月。これをみて奥さんがビビった。滝があるということは水があるということなので動物がいるはずだし、去年の今頃だと主張する。確かに登山道の先は暗くうっそうとしているし、最近あまり人が歩いていなさそうだ。安全策をとって、麻生山林道を行くことにする。
林道は道幅も広いし、勾配も比較的なだらかだし、左右の崖地はコンクリで補修してあるので安心だが、もともと林業のための作業道なので、山腹を行ったり来たりして距離は相当長い。1時間下ったけれど、まだまだ先は見えない。下りになると奥さんが遅れる番である。私の方も、そろそろ足が疲れてきた。林道後半は整備されているとはいえ結構な急坂である。
下り始めて1時間半。ようやく車道が見えてきた。ちょうど、日の出山から下りてくる道と合流する。つるつる温泉まではここから5分ほどの登りとなるが、このわずかな登りがきつかった。半日の疲れが一気にきて、足が上がらない。やっとつるつる温泉まで着いたのは1時45分。
つるつる温泉のお風呂で、足の裏やふくらはぎをマッサージした後、生ビールでひと息つく。軽くワンデイハイクのつもりで来たのに、6月の蒸し暑さと、低山とはいえ長い距離を歩いて、結構ハードな一日となってしまった。よく考えれば、昨年7月の高水三山と標高も歩いた時間も同じくらい。あの時は下りで転倒したのだった。今回は疲れただけだから改善している。
帰りの電車でも、足がじんじんして辛かったが、翌朝起きた時には、筋肉痛が全くなかったのにびっくりした。このところよく歩いているので体力が付いてきたのか、それとも標高差が5、600mほどなので実はそれほどハードではなかったのか、悩むところである。
この日の経過
JR武蔵五日市 8:00
8:30 登山口 8:35
9:15 金毘羅山公園 9:25
10:10 573mピーク付近 10:20
12:00 麻生山 12:10
12:35 林道登山道分岐 12:40
13:45 つるつる温泉(昼食)
[Jun 19, 2013]
麻生山頂上には到着したのは12時ちょうど。お昼時なのに誰もいませんでした。
麻生山の先から白岩の滝方面に下る。森林は伐採作業中でした。ここから林道に下って工事の表示をみると、「花粉症対策事業」ということで。
奥多摩駅から石尾根 [Oct 27, 2013]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
今年の秋は週末に雨が多くて、なかなか山に行けない。10月の終わりにようやく台風が去って、秋晴れとなった。久しぶりに奥多摩に行くことにした。前から考えていた石尾根である。
当初の計画では、前日に鴨沢から七ツ石小屋に泊まり、次の朝に早出して石尾根を奥多摩駅までずっと下って来ようと思っていた。ところが、雨にたたられて日帰りしかできなくなってしまったので、奥多摩駅から石尾根を登れるだけ登って引き返してくるという、ある意味安易な計画を立てた。できれば六ツ石山まで、無理なら三ノ木戸(さぬきど)山くらいまでという、フレックススケジュールである。
例によって始発で都心に向かい、中央線・青梅線と乗り継ぐ。立川を過ぎると、半分以上はリュックを持った登山・ハイキング客である。この朝は少し肌寒くて、ちょっと迷った末にスラックスは夏物、手袋は冬物、上着のかわりにレインウェアを羽織った。日が差してくるとそんなに寒くないし、周りをみるとCW-Xの上にハーフパンツという人も結構いる。
奥多摩駅に8時半着。同じ電車にたくさんの人が乗っていたが、みんな鴨沢方面や日原方面のバスに急いで行く。川苔山も鷹ノ巣山も、きっと大賑わいだろう。こちらは駅から徒歩だから、日焼け止めを塗ったりGPSを準備したり、ゆっくり支度できる。駅前にほとんど人がいなくなった8時50分に出発。橋を渡ってむかし道方面に向かう。
むかし道の曲がり角まで来ると、「工事中」の立て看板が置かれている。むかし道を羽黒三田神社まで行って登るのが早いらしいのだが、安全策で舗装道路の林道を登って行く。見るからに、結構な回り道である。ただ、スピードは落ちないし安全だ。「→石尾根縦走路」の道案内に沿ってなだらかな坂道を登る。天気は快晴で風もない。山日和である。
ただし、時間が読めない。歩き始めて40分経っても、まだ舗装道路が続いている。途中に登山道入り口があったのかなと迷った頃、再び道案内が出てきた。間違ってはいないようだ。そこからしばらく進むと、ようやく登山道入り口。ここまで1時間かかった。「熊注意」の貼り紙があり、クマ鈴を付けたのと、道がぬかるんでいるかもしれないのでスパッツを装着。
登山道に入ると、急に道が狭くなった。最初は雑草が茂っていてあまり人が通っていないのかと思ったが、そこを抜けるといつもの整備された道である。奥多摩の登山道のほとんどは整備されていて歩きやすい。あとはこちらの体力の兼ね合いだけである。10分ほどで、小さなお社が見えてくる。1/25000図に載っている神社マークだ。正しい道を来ている。
30分くらい歩くと、石尾根縦走路と三ノ木戸の集落に下る道との分岐。ここらあたりまでは比較的楽な登りだったが、ここから傾斜がきつくなった。後から来た3、4組に抜かれる。ただ、ここらあたりまではまだ余裕があったのだ。
登山道を入ってしばらくすると、小さなお社がある。1/25000図の標高680mくらいに記載されている神社マークだ。
登山道入り口から約1時間、11時前には両側が切れて尾根道に出た。石尾根の末端部分である。尾根道の左(南)側が杉の植林、右(北)が広葉樹の自然林ときれいに分かれている。もともとは全部自然林だったのを、育ちのいい南側だけ杉にしたのかなあと思う。気持ちのいい道はわずかで、すぐに急な登り坂になる。
奥多摩駅から三ノ木戸(さぬきど)山までの登りのコースタイムは、2時間15分と書いてある。登山道入り口からは1時間半といったところだろう。だから1時間くらいで目処が立つと思っていたらとんでもない。1時間歩いても木々の間の急坂がずっと続く。展望は全く開けない。その上、前日までの雨で登山道がえぐれていて歩きにくい。
おそらく、ここを雨水が流れたんだろうなと思い、あまりに歩きにくいので登山道の脇を歩く。それほどラフになっておらず、かえって歩きやすい。よく見ると軽く砂利を敷いてあるので、こちらを通ってもいいのだろう。ただ、ところどころ滑りやすくて気を使う。
11時半。登山道に入って1時間半歩いたがまだ先は見えない。かなり息が上がって苦しい。適当な休み場所がないので、仕方なく倒木の上に腰かけて小休止。振り返ってみるとかなりの急傾斜なので、息が上がるのも仕方ないのだけれど、それにしてもペースが上がらない。
それに、背中の荷物がなぜか重いのである。今回は日帰りなので32リットルのリュックで、計ったら水を入れて6.8kgだった。先月燧ヶ岳に登った時は45リットル、水なしで8kg、当日は9kgを超えていたはずなので今回の方が2kg以上軽い。にもかかわらず、荷物が重たく感じるのである。
あんまり苦しいので、次に休めるところが出てきたらお昼休みにすることにした。相当にきつくても、長く休むと持ち直すこともある。計画では三ノ木戸山まで行くつもりだったけれど、仕方がない。道標が出てきたあたりで、ちょっと広くなっていて休めそうな場所が見つかったので、ここでお昼にする。12時少し前。約3時間の登りであった。
真新しい金属の杭が差してあって軽く整地もしてあり、北側の景色も少しだけ開けているので、休むにはいい場所である。お湯を沸かしてコーヒーを飲み、続けてインスタントラーメンを煮る。肌寒いのでラーメンがよさそうだと思ったのだが、疲れているせいかそれほどおいしくない。長い登りで右足もじわじわ痛い。
近くの木にテープが巻いてあり、そこに「十二天山」と書いてあった。家に帰ってからGPSの記録を調べてみると、三ノ木戸山の北東に出っ張ったピークであった。ヤマレコをみるとここでお昼にするパーティーもあるようなので、それほど見当違いのことはしていないようだ。この日は私の貸切だったが。
木々の間からは向こう側の山が見える。一番高く見えたのは尾根続きの鷹ノ巣山だろうか。この山より低くて、遠くに見えた山がいくつかあった。ずっと調子が悪く、地図と見比べる余裕がなかったのは残念。1時10分前になったので出発。3時間で来た道を2時間半で下りれれば、ホリデー快速に間に合う。
昼食休憩した十二天山から撮った風景。尾根が続いているように見えたので、鷹ノ巣山かな。
いつもの体調であれば、昼休みをとった後は持ち直すはずである。加えて、あとは下るだけだから、疲れはあるにせよ呼吸は楽なはずである。ところが、ちゃんと動けたのは初めの10分だけで、そこから先は、下りだというのに息がはずんで動き続けられない。
こんなにつらいのは1年半前に登った大山以来だと思いながら必死に下る。こういう時は空気の薄さが微妙に響いている可能性があるから、休み休みでも早く下るのが得策である。息が苦しいだけではなく、吐き気がして頭が痛い。なぜか、汗もまったくかかない。
考えてみれば、登りでもほとんど汗をかいていないのだった。その時に気付かなかったのは不覚である。基本的に、私の場合は冬でも大汗をかくのが普通で、その方が体調はいいのである。それに、奥多摩駅前が標高300m、今日の最高到達点は1100m、3時間で標高差800mを登ったことになる。私のペースとしては、決して遅くはない。
何がいけなかったのか、歩きながら反省する。まず、朝起きたのが4時前で睡眠が十分でなかったこと。この歳で朝一番というのは、よほど体調がよくなければ無理だ。次に、登りで体調がよくなかったのに休めるところまでと歩き続けてしまったこと。体力の使い方は登り1/3、下り1/3、後の1/3はいざという時のためにとっておくというではないか。
登りでは11時前に通った左右開けた尾根を、1時半に通過。1時間かけて登ったところを40分で下りたことになる。ただ、体調は引き続きよくない。このまま麓まで着けるだろうか。相変わらず吐き気がする。ペースはなかなか上がらない。曲がりくねって下る坂道をひたすら進む。2時過ぎに、三ノ木戸方面との分岐の到着。
置いてあった丸太に腰かけて、ようやく一息つく。この頃から、何組かのグループに抜かれる。おそらく同じホリデー快速をめざしているのだろうから、ちょっと安心する。お社を抜け、生い茂った雑草を抜け、登山道入り口に着いたのは2時25分。2時間で登ったところを1時間半で下りた。あとは1時間で登った林道を50分で下ればいい。
標高600mくらいまで下りてきた頃、ようやく汗をかくようになり体調も持ち直してきたようだ。前を行くグループに続いて下りて行ったら、登りでは通らなかった羽黒三田神社の道だった。下りだから時間短縮になったけれど、登りだと傾斜がきついのでかえって大変だったかもしれない。それと、神社の境内で滑ってこの日唯一の転倒をしてしまった。
奥多摩駅到着は3時10分。ホリデー快速には余裕をもって座ることができ、温泉には寄らずそのままお茶の水まで乗って行った。その晩から、転倒して突き指した右手の中指から小指までが、ひどく痛んだ。その割に足は痛まなかったので、コースがきつかったのではなく体調が良くなかったのだろう。これは近々、再挑戦をしなければならない。
この日の経過
JR奥多摩駅 8:50
9:50 石尾根登山口 9:55
10:20 三の木戸分岐 10:25
11:55 十二天山(昼食) 12:50
14:05 三の木戸分岐 14:10
14:25 石尾根登山口 14:25
15:10 JR奥多摩駅
[Nov 18, 2013]
体調がすぐれず、今回はきつかったです。このあたりは息が切れて仕方なかった。
高水三山(御嶽回り) [Nov 23, 2013]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
石尾根に行った時に痛めた右手の突き指が意外と長引き、一か月経っても痛みが残っていた。右手をかばって左手でばかり荷物を持っていたら、今度は左肩が上がらなくなってきた。とはいえ、一年のうちでも一番いい時期に、山に行かないというのももったいない話である。そこで、それほどハードではない山に行くことにした。
時間的にも標高的にも、手頃なのは高水三山である。昨年夏に一度行ったけれど、惣岳山の直登で撤退して巻き道を行ったのだった。今回はここをクリアすることを目標に、JR御嶽から入って昨年とは逆回りすることにした。
この日は祭日で、小春日和の穏やかな日。かつ紅葉も見頃とあって青梅線は通勤時よりひどいラッシュだった。混むのが分かっていて増発しないJRも動きが鈍いが、人手不足の折柄プログラムの組み換えにも列車の手配にも手間暇がかかるのだろう。かといって車を使えば、行きはよいよい帰りは大渋滞必至である。
始発で来たのに、御嶽まで来るとすでに8時半近い。電車からはかなり大勢の人達が下りたが、ほとんどはケーブルカーへのバスに向かった。高水三山方面に向かうのは私の他に数人。ほとんど単独行である。今日は登山道もかなり混むことを覚悟していたのだが、お寺さんの脇から登り始めた頃にはほとんど人の姿が見えないのはありがたい。
前回の石尾根で体調が悪くなったことを踏まえ、前日は禁酒、睡眠時間は7時間確保、加えて朝の電車では読書はせずにずっと目を休めていた。リュックも水を入れて5.6kg、さらに軽量化した。その成果で登り始めの体調は悪くない。汗も盛大にかくので前回とは大違いである。昨年は下ってきたお寺の敷地内で転倒したのだが、どこで転んだのかと思うくらい楽勝で登れる。
1/25000地図の等高線の狭さからみても結構な急坂だと思うのだが、天祖山取りつきの急坂やら小雲取山、雲取山頂上直下の急坂を経験してきているので、それほどの負荷ではない。背中も軽いせいか、あまり休憩をとらなくても息が落ち着くのはありがたいことである。
鉄塔のあたりでいったん登りは終わり、沢井方面分岐までは下り坂。分岐をすぎると勾配はさほどではないが登り坂が続く。ところどころ紅葉している景色を見たり写真を撮ったりしてのんびり歩いても、1時間50分ほどで第一のピーク・惣岳山に着いた。
ここには式内社の青謂(あおい)神社がある。丸太のベンチで一休みしてこの日はじめてリュックを下して小休止。ところが、せっかくいい空気の中なのにきついタバコで周囲をいやな臭いにしているオヤジがいたので、7、8分の休憩で先に進む。ここからは、昨年途中であきらめた急勾配が待ち構えている。
この道は「関東ふれあいの道」のコースでもあるのだが、頂上の広場を下るとすぐに倒木が行く手を遮る。枝の間を通り抜けてしばらくは普通のハイキング道だが、すぐ後に右手が崖の狭い道となる。ここにはロープが付けられているが、使わなくても何とか進める。問題はロープが終わった後の、ほぼ垂直に見える急斜面である。
急すぎて、とても前向きでは下りれないので、後ろ向きに三点確保しながら慎重に下りる。足場はちゃんとあるが、足か大きいので全部は乗せられない。鎖がない分、丹沢表尾根の行者ヶ岳より怖いかもしれない。ようやく下まで降りてほっとひと息。ここから岩茸石山まではほぼ水平な尾根道である。
前回断念した惣岳山直下の急斜面。ロープ場を下から撮っています。
後ろ向きで下りてきた急斜面を撮影。去年は途中まで登ってあきらめて巻き道を行ったのでした。
岩茸石山までの道は、すれ違う人がたいへん多かった。まだ11時前なのに、逆回りコースで高水山、岩茸石山をクリアしたということは、7時頃には軍畑を出たのだろうか。ちょっと驚いたのは、朝の青梅線で見かけた人とすれ違ったときである。2時間半ほどで2山クリアして次に向かっているということである。大したものである。
40分ほどの道はほとんどが平らで、最後の300mほどだけが急な登りである。道もせまくて急なので、結構な渋滞になる。道を譲って待った時間がちょうどいい休みになって、余裕含みで11時10分に山頂に到着。昨年は霧の中を登ってきたので、前方には何も見えなかった。今年はみごとな好天に恵まれ、しかも風もない。
このあたりは奥多摩のとっかかりで、尾根続きに黒山、さらに棒ノ折山が間近に見える。棒ノ折山の向こうは埼玉県であり、この尾根は別名・都県境尾根とも呼ばれる。左手には川苔山が大きくそびえている。いつぞや下ってきた赤杭(あかぐな)尾根も見える。こうやって山と地図を見比べることも、前回の奥多摩石尾根では体調が悪くてできなかった。
展望が開けた山頂には、すでに何組かがお弁当を広げている。後続組もどんどん上がってくるので、混まないうちにとレジャーシートを広げる。このタイミングは絶妙で、この後20分くらいで空きスペースがなくなってしまった。この日のお昼は、くるみパンとコーヒー、ポテトサラダ、味噌汁である。今回は時間と重量節約のため、テルモスにお湯を入れて持参した。
ありがたいことに、朝5時に入れたお湯は十分に温かく、また日当たりがきわめてよかったので、寒く感じることもなかった。山頂が混んでいて平らな場所を確保できなかったので、その場でお湯を沸かすよりも手間と時間を節約できたと思う。
ポテトサラダは、最近充実しているセブンイレブンのお惣菜。本来は冷蔵なのだが、一晩冷凍してそのまま持ってくる。お昼にはほどよく解凍されているのではないかとの見通しであった。その目論見は大体当たったのだけれど、添加物の関係なのか、ちょっと水っぽくなってしまった。それでも十分おいしいので、次は別のお惣菜を試してみよう。
そうしているうちに、山頂が人でごった返してきた。景色も気候もよく長居したいのは山々だが、後の人がお昼を食べる場所がないのは気の毒なので、11時45分には出発する。この後、高水山に行くか上成木に直行するか決めていなかったが、静かそうな後者を選ぶ。山頂から北の尾根に下ると、上は騒がしいのだが道には人がほとんどいなくなった。
前回は雲の中だった岩茸石山からの絶景。左が川苔山、右が棒ノ折山。背後に続くのは都県境尾根。
広い岩茸石山の山頂。しかしこの後20分足らずで、お弁当組でいっぱいになってしまった。
岩茸石山の北の尾根は、いきなりの急坂である。あまりに急なので、ストックは使えない。ときどき手を使って慎重に下りる。この尾根は黒山から棒ノ折山へと続いているので、名坂峠までの間はすれ違う人がちらほらいる。ところが、名坂峠から谷筋に入ったとたん、人っ子ひとりいなくなった。結局バス停まで、誰とも会わなかった。
名坂峠は、東西南北に道案内がいっぱいである。そのまま直進する道は黒山、棒ノ折山に続くが、結構な急勾配が行く手に立ちふさがっている。いずれここも通らなくてはならないが、今回はここから右、「升が滝・上成木方面」に折れる。
いきなり、道の有無が明らかでなく、あまり人が通った形跡がない。登山道とおぼしき石段の上は苔だらけで、うかつに踏み込んだら滑ってしまいそうだ。石段以外の道も枯葉に覆われて、どこを通っていいかはっきりしない。誰も通らない道で単独行で、ケガでもしたらたまらないので速度が急に落ちる。時間に余裕をもって下りてきてよかったと思った。
それにしても、荒れた道である。最近の大雨のせいもあったのかどうか、流木が多く無残なありさまである。とにかく、足下を気にしながらの歩きなので、下りというのに速度が出ない。この道は観光協会のハイキングモデルコースにもなっているのだが、主要登山道以外は極端にひと気がなくなるのが最近の傾向のようである。
ようやく普通のハイキングコースに出たのは1時10分前。なんとここの下りに1時間以上かかってしまった。高水山を経由するより早く着くだろうと思っていたのだが、むしろ時間がかかるかもしれない。ここから先、切り岩、かご岩、升が滝と見どころがあるが、駆け足で通過する。バスの時間が1時55分だから、急がなくてはならない。
うろ覚えのWEB記事では、升が滝から登山道入り口まで20分、そこからバス停まで20分の合計40分だったはずである。升が滝を出たのが1時10分、55分のバスに乗るにはほとんどぎりぎりである。すぐに水道局の取水所があり、浄水場の建物の先が登山道入り口だった。なんとか間に合いそうだ。
ところが、ここからバス停までが長かった。舗装道路で下りなので速足で歩けるものの、なかなかゴールが見えてこないのであせる。だんだんと人家が増えてきて、左手に埼玉県に抜ける峠道が現れるともうすぐバス停である。なんとか、5分前に上成木のバス停に着いた。
このバスは直接河辺に出られるので、以前からこの路線は使えそうな気がしていたのだが、実際に乗ったのは今回が初めてである。上成木で乗り遅れると悲しいことになるが、乗ってしまえば河辺は青梅より立川寄りなので帰り電車の本数が多い。そして、立ち寄り温泉「梅の湯」でひと息つくことができる。奥多摩の「もえぎの湯」よりキャパが大きい。
この日は天候にも恵まれ、コースもさほどハードではなく、お昼もおいしく食べられたし帰りに温泉にも入れた。こんなにすんなりと予定通り進むことも珍しい。まあ、たまにはこういうこともあるということで。
この日の経過
JR御嶽駅 8:25
9:10 沢井分岐 9:15
10:15 惣岳山 10:25
11:15 岩茸石山(昼食) 11:45
13:30 登山口 13:30
13:50 上成木バス停
[Dec 25, 2013]
岩茸石山から上成木への谷道は、倒木あり岩は滑るしで、結構荒れてました。誰も通ってないし。
升が滝。時間がないので、写真を撮ったらすぐに先を急ぐ。
三ノ木戸山 [Apr 20, 2014]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
春になって、ようやく雪も解けてきた。とはいえ奥多摩や丹沢の上の方では、まだアイスバーンがあってアイゼン必携とか書いてある。シーズン初めの今回、まずは標高の低いところから始めた方がよさそうだ。という訳で、半年前に撤退した奥多摩駅から石尾根に再挑戦することにした。
一応の目標は、六ツ石山である。しかし、奥多摩駅が標高約340m、六ッ石山が1478m、標高差は1100m以上あってワンデイハイクの限界に近い水準である。状況を見ながら、少なくとも前回行った十二天山よりも奥まで行かないと再挑戦の意味がない。一方で、天気予報は曇りである。天気図をみると高気圧が張り出して悪くはならないはずである。
いつもの時間に都心に向かう。浅草橋、御茶ノ水と乗り換えて中央線から青梅線へ。いつもは青梅発7時44分にぎりぎり間に合うのだが、青梅駅に着くと行ってしまった後であった。ダイヤ変更で接続が変わったのかもしれない。奥多摩着も20分遅れて8時45分。これでは朝一番に家を出ても8時半の日原方面、奥多摩湖方面のバスに間に合わない。今後、計画の変更を迫られそうだ。
奥多摩駅から山の方向を見ると、石尾根のあたりは雲におおわれている。朝晩は雨かもしれないと言っていたけれど、ちょっと心配しつつ出発。氷川大橋付近に移った警察の派出所前を通り、むかし道入口から林道、羽黒三田神社参道方面へと歩を進める。羽黒三田神社のショートカットは、昨年の石尾根挑戦の際に下りだけ通ったところである。傾斜はきついが距離は短い。神社本殿で今日の安全をお願いした。
さらにひと登りで林道に出て、しばらく行くと登山口に到着。前回はここまで1時間かかったけれど、今回は45分で着くことができた。ショートカットしたこともあるが、同じ道を歩くとかなり時間が短縮できるのがうれしい。登山口からしばらく登ったところにあるお社は、昔集落のあった絹笠という場所であるらしい。
この集落跡については、前回歩いた後WEBで調べて分かったことである。よく見ると、なるほど登山道の両側に石垣が積まれていて、左右の地盤は平らに整地されている。現在では見渡す限り杉の植林でそんな雰囲気は残っていないけれど、昭和50年代くらいまでは実際に住民がおり、10年ほど前まで廃屋が残っていたようだ。
昭和50年代といえば、私が大学時代から社会人に成り立ての頃である。その頃山に登る趣味があれば、まだ誰かが住んでいた集落を見ることができたかもしれない。ところが大学時代は勉強ばかり(!)していたうえ留年もせずに卒業してしまったし、社会人になればなったでバブル時代である。酒にゴルフにと忙しい時代であった。いまさらどうしようもないけれど、もっと違う時間の使い方があったのかもしれない。
定年が近いせいか、最近そういうことをよく考える。すべての事は永遠には続かないし、自分に残された時間も有限である。何をして何をしないのか、いままで以上にちゃんと考えて決めなくてはならない。仮に今すぐにこの世におさらばいなければならない事態となったとしても、後悔しないような毎日を送ることが大切だと思う。
絹笠集落跡を過ぎると、少しずつ傾斜がきつくなってくる。すると、急に左足の太ももが痙攣し始めた。ゆっくり歩くと若干おさまるのだが、しばらくすると再びけいれんが始まってしまう。ふくらはぎの痙攣は何回かあるが、太ももというのは記憶にない。これは困ったことになったと思っていたら、今度はあたりが急に深い霧に包まれて小雨がぱらついてきた。雲の中に入ってしまったようだ。
絹笠集落跡付近、稲荷社の上から下方向を振り返る。右手に見える低く平らなあたりに、おそらく人家があったと思われる。
雨が降ってきたと思ったら、霰(あられ)でした。あっという間にあたりが白くなってしまいました。
稜線まで出ると、昨年と違って北側の見晴しがよくなっている。というのも、北斜面の枝が相当深く切りこまれていて、茶色くなった葉ごと地面に積み重なっていたからである。おそらく、2月の大雪によって枝が折れてしまったのを、伐採して整えたのだろう。そうやって地元の方々が手を入れてくれることにより、こうして山歩きを楽しむことができる。ありがたいことである。
さて、太もものけいれんは断続的に続いている。なぜか考えてみると、実はこの日、今シーズンはじめて夏用スラックスをはいて来たのだった。予報では20度近くまで気温が上がるというので、冬用では厚すぎると思ったからである。ところが気温はそれほど上がらない。上がらないどころか小雨が降ってきた。と思っていたら、次第に枝に音を立てて当たるようになった。霰(あられ)である。
そういえば一昨年の12月、三条の湯まで歩いた時も夏用スラックスで歩いてふくらはぎが痙攣したのだった。あの時は水分をあまりとらなかったのが原因と思っていたのだが、寒さもけいれんにつながるようである。見覚えのある急坂を、何とか登って行く。もう少し傾斜はゆるくなるはずだが、なかなか急坂は終わらない。霰の勢いが増してきたので、リュックからレインウェアの上を出して着た。
時刻は11時。登山口から1時間登ってきた。今回はややペースが速く(とはいっても何組かに抜かれたが)、前回の到達点である十二天山までもう少しの地点まで来ている。とはいえ、奥多摩駅到着が遅れたこと、太ももが攣ってしまったこと、さらに霰が降り出していることから考えると、あまり上まで行くことはできそうにない。
計画では、六ツ石山(1,478m)まで行くことにしていた。スタートが20分早く、天気に恵まれて、体調もよければ、あと1時間半くらいだからがんばれないこともなかった。ところがこういう状況では、無理をすることもない。というより、さらに上に登ったらもっと天気は悪くなるはずである。諸事情を勘案し、今回の目標を三ノ木戸山に変更することにした。
霰の降る中、十二天山に到着。ここからは初めての道になるが、1/25000図のとおりほぼ平坦でずんずん歩ける。登山道は尾根の北側に続いていて、あたりがうっすらと白くなっている。リズムよく歩いている間に、太ももの痙攣は大分よくなってきた。一方で、天気は回復の気配が見えない。
尾根の北側に続いていた登山道が、南側に出た。ここからV字に方向を変えて上がっていくと三ノ木戸山の頂上になるが、三角点もないしはっきりした目印もないらしい。加えてこの天気だから、展望はまったく開けない。ちょうど南面が開けて休む場所もあったので、ここでお昼休憩とすることにした。
あるいはツェルトをかぶってお昼を食べなければならないかもと思っていたが、幸いに雨は小粒で、レインウェアのフードを上げればなんとかなりそうだ。シートを広げ、リュックを置いてゆっくりする。この日のお昼は、チョリソーとボテトのパン。テルモスのお湯でコーヒーを入れて、デザートにいちご。寒かったのでコーヒーがおいしくて、またいちごがちょうどよく冷たくてこれもおいしかった。
30分ほど休んで、再び出発。三ノ木戸山頂上付近のなだらかな平地を、さらに10分ほど歩くと分岐点である。ここには「三ノ木戸から奥多摩駅方面」の標識があって、1/25000図には載っていないが、WEB情報によれば普通に歩ける登山道ということである。今日はこの道を下る計画であった。ただ、ちょっと不安だったのは、つい2、3日前の日付で「通行注意。橋が壊れています」と書いてあったことである。
注意であって禁止でないのだから、歩いて歩けないことはなかろうと分岐点から南へと下って行った。
三ノ木戸山頂上付近。天気も悪いし三角点もないので、深追いせずにこのあたりまで。
三ノ木戸集落に向かう分岐。正面が石尾根縦走路、右手に下って行くのが1/25000図に載っていない登山道。このあたりでようやく空が明るくなってきました。
石尾根から三ノ木戸集落に向かう登山道は、スイッチバックの行ったり来たりで急坂が多い上に道幅は全体に狭いけれど、歩きやすく整備されていた。もしかすると、水道局の巡視に使われている道なのかもしれない。私の他には誰も歩いておらず、すれ違ったり抜かれたりせずに自分のペースで歩けたこともあって、むしろ絹笠から登ってきた道よりも歩きやすく感じた。
問題は、コースタイムが分からないことである。前回、十二天山から奥多摩駅までの帰り道に2時間15分かかったことからして、大体そのあたりが見当だろうと思う。そしてお昼の後に歩き出したのが12時20分だったから、下山は大体2時半頃と予測した。早めに着いてひと風呂浴びてホリデー快速に乗れればいいのだけれど。
周囲は杉の植林地で、見通しは全然利かない。高度を下げるにしたがって霧は晴れてきてくれたが、木立が邪魔をしてどのへんまで来ているのかが分からない。それでも、来た方向を見上げるとすごい高度で、傾斜は60度ぐらいありそうに見える。(もっとも、そんなにあるはずもないのだが)
40分くらい下りてきた頃だろうか、右方向の谷側からパイプのような構造物が登山道に合流してきた。貨物輸送用モノレールの軌道である。この先の谷には湧き水を利用したわさび畑があり、収穫したわさびを、車の入れる三ノ木戸林道まで運ぶために作られたものだそうだ。山中の傾斜地に何kmも続いており、作るのには費用も相当かかっただろう。採算はとれたのだろうか、ちょっと心配になる。
しばらくモノレール沿いに歩くと、谷を越えるところで例の「通行注意」の崩壊した橋があった。おそらく2月に降った豪雪の重みによって、真っ二つに折れている。現在は水流もなくガレた谷に見えるとろにも、深く水が流れた形跡が残っている。両手両足を使って、三点確保で慎重に谷まで下りる。ここで橋に登ろうとすると、つるつるにすべる上に傾いているので転びそうで危険である。箸は使わずに斜面を何とか登ってクリアした。
崩壊した橋の谷を越えると、ちょっとの間登り坂になり、その間に一度離れていたモノレール軌道が合流する。軌道に沿ってしばらく歩くと、突然という感じで巨大な足場のある建物が現れる。ここが三ノ木戸の集落である。
この建物は、多摩地区選出の元国会議員の別荘だそうだ。巨大な足場は、斜面に建てられているために必要なものだろうが、この山の中に豪勢なものである。登山道からでも、谷を挟んで向こう側のすばらしい景色を望むことができたので、10m近く上にある建物からだと、木々も邪魔にならず大層すばらしいものと思われた。ただし、ひと気は全くない。これも巨大な石灯籠と、満開の山桜が少し寂しげであった。
三ノ木戸からは、きちんと舗装された林道が続く。途中に人家は全くない。もしかすると、元国会議員の別荘のためにわざわざ道路を維持管理しているのだろうか。おそらく、昔はわさび農家などが何軒かあったものと思われるが、いまではほとんどひと気がない。
30分ほど歩くとようやく人家が見えてくる。ここは城(じょう)という集落である。三ノ木戸とか城とかいう集落名は、もともと平将門の城が置かれたことから作られたという説があり、七ツ石山の先には将門馬場というピークもある。ただし、平将門の本拠は下総であり、ちょっと遠いような気もする。将門本人ではなく、当時の関東戦乱時に陣地が置かれた名残りなのかもしれない。
城からは林道を離れ、再び登山道へ。林の中で展望は開けないが、ところどころに「→奥多摩駅」の表示があるので迷うことはない。傾斜も、三ノ木戸までの急傾斜ほどではない。霰や雨の心配もなく快調に下ってくると、いきなりという感じで羽黒三田神社の近くに出た。時計を見るとまだ午後2時。奥多摩駅まではあと30分もかからないだろう。
前回の十二天山の時よりも大分と楽に下りをクリアすることができた。少し時間にも余裕があるので、青梅街道に出たところにある三河屋旅館の立ち寄り湯に行くつもりである。
この日の経過
JR奥多摩駅 8:55
9:45 絹笠登山口 9:55
11:45 三ノ木戸山(昼食) 12:20
12:25 三ノ木戸分岐 12:25
13:25 三ノ木戸 13:25
14:00 城登山口 14:05
14:35 氷川・三河屋旅館(GPS測定距離 11.3km)
[May 14,2014]
2月の大雪で真っ二つに割れてしまった橋。横のガレ場を歩いて何とか突破。
分岐から約1時間で三ノ木戸集落に到着。これは多摩地区選出の元大臣の別荘だそうです。道に並行して走っているのは、ワサビ搬送用のモノレール。
奥多摩・鋸山 [Sep 21, 2014]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
秋緒戦の高原山は、天候に恵まれず往復で2時間程度しか歩けなかったので、日を置かずに再挑戦することにした。目的地は、前から気になっていた奥多摩、愛宕山から鋸山のコース。羽黒三田神社に登って行く道から、谷を挟んでほぼ垂直に立ち上がっている愛宕山は何とも目立つ。ここだけだとすぐに登れてしまうので、後方に続く鋸尾根まで歩くことにした。
朝一番の電車で武蔵野線経由青梅線に向かい、8時20分過ぎに奥多摩駅に着く。1本前の電車は御嶽止まりだし、それより前には家からだとどうやっても間に合わない。8時半に日原や鴨沢方面行きのバスが出るので、電車を下りた人達の大部分はそちらに向かう。私は観光案内所前のベンチで、ゆっくりと身支度をする。
ここ何ヵ月か五十肩がひどく痛んで、ジムでベンチプレスをすることができなくなってしまった。もう歳なのである。何がつらいかというと背中が掻けないのが一番つらいのだが、それはさておき、山に行くたびにタイムを短縮しようなどと考えるのは大きな間違いで、普通にしていればだんだん歩くのが遅くなるし、ケガや痛みの回復も遅れるはずなのである。
まして、今回は初めて登る山・初めてのコースなのである。個人的な傾向として、初めてのコースは非常に疲れるし、タイムがかかることになっている。計画では下りてから風呂に入ってホリデー快速奥多摩号の1本目(3時25分)で帰る予定で、ことによったら鋸山を越えて大岳山まで行けるかもしれないと思っていたのだが、もちろんそんなに甘いものではなかった。
奥多摩駅からまっすぐ進んで橋を越え、氷川駐車場の脇を抜けて進む。進行方向右側に愛宕山への登り口があるはずなのだが、いつまでたっても出てこない。とうとう学校のあたりまで進んでしまった。愛宕山はどうみても通り過ぎている。近くで立ち話をしていたおばさんに聞いて、民家脇の細い道を登って行くと、駅からの道と合流した。登り口を見逃していたようである。
坂はかなり急である。1/25000図で下調べしたところでは、この登りが本日一番の急登である。ここさえクリアすればと、息をきらせながら登って行く。はて、WEBではここの登りは階段じゃなかったのかなあ、道を間違えたので普通の山道で上まで行くのかなあと思って登っていたところ、森の向こうから暗く細い階段が見えてきた。
聞きしに勝る急勾配、しかも長い階段であった。山自体が頂上に向けて垂直に近く切れ上がっているので当然そうなるのだけれど、まあ大変である。段数を数えながら登って行く。最初の踊り場まで93段。すでに息は絶え絶えである。階段の下までかなり登ったつもりだったので、その疲れが加わっている。2つめの踊り場までさらに53段。はて、均等じゃないんだ。
そこから階段の終わりまでさらに30段と少し。年寄りには限界的な息の切れ方で、脈拍はおそらく140を超えていただろう。そして、登りはこれでおしまいということではなくて、さらに坂道を標高差で数十mは登らなければならないのであった。
登り切ったところがやや広くなっていて、よくWEBに載っている平和祈念の五重塔がある。「南無妙法蓮華経」の碑のところにリュックを下して汗を拭く。時計をみると30分しかたっていない。道を間違えた割にはコースタイムどおりにここまで来ることができたようである。
羽黒三田神社への道から見た、愛宕山と鋸山に続く尾根(今年2月に写したもの)。傾斜が半端ではありません。
ほぼ垂直に突き出た山頂に至るには、約180段のこの恐ろしい階段を登らなくてはならない。途中に踊り場は2ヵ所しかありません。
五重塔のある場所からさらに立ち上がった岩の上に、愛宕神社が建てられている。五重塔から登ると本殿の裏側に出て、正面に回って鳥居をくぐるとこちらが正門のようであった。舗装道路がここまで続いていて、軽トラックが止まっていたくらいだから生活道路なのであろう。こちらから登った方が数倍楽だったかもしれないが、まあ山歩きだから仕方がない。
奥多摩駅が標高350m、愛宕神社が509mだから150mの標高差。ここを登るのに30分。自分の平均ペースが1時間に標高差300mだから、道を間違えた割には健闘している。そして鋸山が1109mだから、あと標高差600m。だから 計画では、ここから2時間ほどで鋸山に着く予定であった。
有害動物(鹿と猪)対策の銃声が時折響く中、最初はなだらかだった登り道が徐々にきつくなって行く。展望はなかなか開けない。この鋸尾根は大岳山から続く北側の尾根になるので、日が当たらなくて暗いのである。途中で、石尾根方向に景色の開けた場所に出た。同じくらいの高さに森の中に少しだけ家が見えているのは、以前歩いた城とか三ノ木戸の集落と思われた。
一時間ほど歩いて、ようやく尾根らしきところに出る。愛宕山のように切り立った岩盤があり、ここは巻いて行くのかなと思っていたら上に足場が続いていてそこを登るのであった。切り立った先の小ピークまで登ると、WEBによく載っている烏天狗の2つの石像が現れた。本日数少ない好展望地であった。周囲には奥多摩の山々が連なり、すぐ後ろに見えているのは御前山だろうか。
ここまでほぼ単独で歩いてきて、ここで2人組に抜かれる。「大岳山まで行かれるんですか」と聞かれたので、「できたらそこまで行きたいですね」と答えた。そう、隠れ目標として、鋸山に早めに着いたら、大岳山まで行って往復するか、そこから御岳山に抜けようと思っていて、1/25000図は奥多摩湖だけでなく武蔵御岳も持ってきていたのである。
烏天狗の石像を過ぎると、鎖場が現れた。鎖がなくても登れるそれほど難易度が高くない場所であったが、これはWEBで名高い鋸尾根の鎖場ではなくて、もう少し先に昔からの鎖場が出現した。いずれにしてもそれほど長いものではなく、再び稜線に出て傾斜が緩くなった。鋸山の途中にあるという烏天狗と鎖場を過ぎて、もうそろそろと思ったところで道標が現れた。
しかし、なんと、鋸山まであと2.5kmと書いてある。逆方向に愛宕神社までは2.3kmとあるから、まだ半分も来ていない。正直なところ、愕然とした。愛宕神社からここまで1時間半かかっている。2時間でクリアするつもりが、このままだと3時間以上かかってしまう。
そう思った途端、どっと疲れが出た。大岳山どころか、鋸山まで行って帰ってくるだけで予定時間オーバーである。見通しの甘さを非常に後悔するとともに、何のために1/25000図を見ていたのかと思った。
この日の計画は、8:30に奥多摩駅を出て、愛宕神社を経由して鋸山に11:00に着き、お昼休みの後2:00には麓に下りお風呂に入って3:25のホリデー快速に乗るというきわめておおざっぱなものであった。普段はもう少し1/25000で予習して、途中の小ピークやそこまでの目標時間を設定しているのに、若干の経験を重ねたこともあって、油断していたようだ。
帰ってからよく見てみると愛宕山から鋸山までは結構距離があるし、小ピークもあるなど微妙な上り下りのあることは予測できたはずである。「地図を見るのは、道中のイメージを明確化して、できるだけ余裕を持って山歩きをするのが目的」と書いてあったように思う。いずれにせよ、うかつであった。
標高726mの小ピークにある、烏天狗の石像。下には「天聖神社」と彫ってあったように見えました。
烏天狗のすぐ後に出現する階段と鎖場。鋸山はもうすぐと思い込んだのが間違いでした。
鎖場のあったあたりは、後から調べると標高800mあたりで、鋸山まで残り標高差300mだから、距離的にも標高差からも愛宕山と鋸山のちょうど中間地点にあたるようであった。もう少しで着くと思い込んでいただけにショックは大きい。そして、そこからさらにペースを乱される要因となったのが、どこかの学校らしい女子の大集団であった。
登っている途中にはるか後方から、けたたましい声が聞こえていた。うるさいなあと思って下をうかがっても、かなり距離が開いているのか全く視界に入らない。せっかくの山歩きに迷惑なことだと思ってしばらく登っていたら、とうとう追いついてきた。先頭と最後尾は先生らしき男だが、あとはすべて女子生徒。中学生か高校生だろう。そして、その人数は40~50名いる。
脇を通過させるのに5分近くかかるのはともかく、遠くからさわがしかったのも当然と思えるくらいの大騒ぎである。ちゃんと普通に登っているのは最初の何人かだけで、あとは悪ふざけをしている奴、けたたましい声をあげる奴、後を向いてしゃべりながら歩く奴、なんで静かなところでこんなに騒ぐかと思われるくらいの状態であった。
まあ、いまどきの女の子が山を歩いているというだけで健康的で珍しい部類に入るのかもしれないが、これが騒がしいおばさんになり、騒がしいおばあさんになるのである。もっとも、その頃私は生きていないだろうが。そして次に何をしたかというと、なんと、道端に座り込んでの休憩である。もちろん、道に足を投げ出して、他の人に迷惑をかけないなどという礼儀は心得ていない。
そもそも、このコースには大岳山まで大人数が休憩できるのに十分なスペースはないはずである。どこをどう歩くかは勝手とはいえ、明らかに周囲の迷惑になることを平気でするのは、教育上いかがなものだろうか。日本人の常として、団体で行動すると仲間内ばかり見ているので、周囲の人への気遣いは完璧に欠けている。これには参った。
そんな訳で、天地山の三角点も鋸山の頂上も、全く休むことさえできずに通過するだけになってしまった。そういうところでは、50人が先に休んでいるので、空きスペースがないのである。愛宕神社から鋸山まで時間的にはちょうど3時間、予定よりも1時間多くかかった。抜いたり抜かれたりのタイムロスがあったし、そもそもストレスフルであった。
これ以上けたたましい声が聞きたくなかったので、大ダワの駐車場まで出て昼ご飯とする。何人かの登山客や、車で来てお昼を食べに来ている人がいてにぎやかだったが、神経を逆なでするような大騒ぎをしている人は当然ながらいなかった。
ここからは鋸山林道を下る。林道を歩くのは好きだし、登っている間に太ももがけいれんするのが気になっていたので安全策をとった。林道自体は約7kmで、プラス青梅街道の歩きが加わる。東京都の管理する林道なので、日原林道などと同様にキロポストがあって安心である。2時間弱とみていたが、1時間45分で三河屋旅館、麻葉の湯に到着した。
お風呂に入ってゆっくりした分、ホリデー快速の1本目には間に合わず、青梅線の各駅停車で都心に向かう。始発なので座れたのだが、前に立ったおばさんがまたしゃべりまくる。この日は女難の日だったのかもしれない。それとも、ただ単に自分が偏屈なだけなのだろうか。
この日の経過
JR奥多摩駅 8:35
9:05 愛宕神社 9:15
10:30 聖天神社 10:35
12:20 鋸山 12:20
12:40 大ダワ休憩所 13:15
15:00 麻葉の湯(GPS測定距離 12.7km)
[Oct 29, 2014]
あまり広くない鋸山の頂上は、女子中学生(高校生?)の団体で一杯。あまり大人数でせまい山に来るのはどんなもんでしょうか。
鋸山林道を半分くらい来たあたりで、上方を振り返る。ガードレールの見えるあたりから、手前の山をずっと回り込んで下りてきました。
奥多摩小屋(爆) [Mar 27-28, 2015]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
※ 奥多摩町・雲取山荘のHPによりますと、奥多摩小屋は平成30年度一杯で閉鎖することが決まり、2018年4月からすでに管理人は常駐していないそうです。この記事の小屋番氏も、雲取山荘の関係者なんだろうな。
昨年は雪が多いなんてもんじゃないくらい多くて、この時期奥多摩に行くことはできなかった。だから2年振りの登り尾根である。一昨年と同じく3月最終週の金曜日から土曜日、多少雪は残っているもしれないので軽アイゼンを持って行く。今回は雲取山までは行かずに奥多摩小屋で一泊、翌日は七ツ石山から鷹ノ巣山まで縦走しようという計画である。
電車を下りると抜けるような青空。そして、気温が高い。もちろん天気がいいに越したことはないが、何事もほどほどが大切である。さっそく日焼け止めをつけて、メガネもサングラスにする。鴨沢方面へのバスは6名ほどのグループと単独行が3、4人、グループは高校生と引率の先生のように見えるが、年長者が先頭に立ってバスで弁当を食べ始めたのはいただけない。
鴨沢で私と、他にも単独の人が何人か下りる。10時25分、身支度してさっそく待合所横の階段から裏手の坂道を上がっていく。ぐんぐん標高を上げて青梅街道はあっという間にはるか下となる。2年前は架線凍結のため1時間遅れてこのバスだったが、今回は予定どおり。ただし行き先が雲取山荘ではなく奥多摩小屋だから、2時間早く着くはずである。
駐車場のある小袖乗越がちょうど11時、予定通りである。ポピュラーなコースだけあって、登る人、下る人、それぞれ何人かとすれ違う。さすがに平日なので、数十人にはならない。小袖乗越の先から登山道に入り、30分ほどで最後の廃屋脇を通過する。ここまで、調子は上々だと感じていた。しかし、ここから先、急にピッチが上がらなくなった。
登り尾根は傾斜はそれほどきつくないのだが距離が長く、どこまで歩いても石尾根に着かないという印象が残っていたのだが、その緩い傾斜がきつく感じるのだから始末に負えない。計画では堂所に12時まで着いてお昼にしようと思っていたのに、堂所はおろか前回の休憩地点である標高1150mの広場にすらお昼までに着くことはできなかった。
理由の一つは、すれ違うたびに「暑いですね」とあいさつしてしまう気温上昇であり、さらに大きな理由は、荷物の重さだったと思う。テントや寝袋がなかったので、今回は適当に荷物を詰めたのだけれど、出発前に計ってみたら水抜きで9.5kgと予想以上であった。これにプラス水が4リットルなので、計13.5kgということになる。テント泊の時の13kgより重い。
奥多摩小屋の水場までは距離があるという情報であり、わざわざ下っても水が出ていないケースがありうる(事実、一昨年の雲取山荘では水が出ていなかった)。だから必要な水は持って行くことにしたのだけれど、その荷物の重さが肩に食い込んでなかなか足が進まないのであった。12時15分、ようやく1150mの水場前広場に到着。
堂所まで休まずに行く余裕はなかったので、ここでお昼にする。ホイップクリーム入りフランスパンと野菜ジュース。暑かったせいで、活動用の500mlペットボトルは2本のうち1本がここまでで空いてしまった。ちなみに、持ってきた水4リットルの内訳は食事用に2リットル、凍らせた1リットルと活動用に500ml2本である。その他に、お昼用の野菜ジュース、補給用のゼリー飲料2パックだから、水分だけで5kg近い。
堂所到着が1時。ここまでは順調だったが、このあとの急登であっさり息が上がった。もちろん七ツ石小屋直行の急勾配ではなく通常登山道を通ったというのに、このありさまである。おととし来た時はどうだったか思い出すと、電車が遅れて雲取山荘に着けるか心配で結構飛ばしたくらいで、ここできつかったという記憶はない。それでもブナ坂通過が2時半。鴨沢から4時間近くかかったのだ。
ようやくの思いで、七ツ石小屋分岐までたどり着く。もう2時である。このあたりから、休めるところが来ると、たまらず座り込むパターンを3度4度繰り返した。補給が足りないのかと思って元気一発ゼリーを一気飲みするけれども、効果があったのは5分くらいだった。さらに、地面が凍った雪となりすべって歩きにくくなる。ますますペースが上がらない。
ブナ坂に着いたのは3時35分。鴨沢からおよそ5時間、前回よりも1時間も多くかかってしまった。ここまで来れば大丈夫と気を取り直したのも一瞬で、前回は30分で着いたはずの奥多摩小屋がなかなか出てこない。とにかく荷物が重くて仕方がない。ブナ坂から奥多摩小屋までの間に3回、リュックを投げ出して大の字に寝転んで休む。幸いにというか、ほとんど雲がない青空でまだ日は高い。
3年前の大山で調子が悪くなったことを思い出した。10歩登ると立ち止まるペースも、あの時と同じである。あまりにつらいので、いっそのことツェルトを出してビバーグしてしまおうかとさえ思った。こんなに登り坂が続いただろうか(実際はブナ坂から奥多摩小屋まで、標高差が約100mある)。何度目かの急坂を登りきるとやっとこさヘリポートが現われた。
思わず「助かったー」と言ってしまった。2張りのテント組の横を通って、奥多摩小屋に着いたのは午後4時45分。ブナ坂から1時間というのは、信じられないくらいの超スローペースであった。
ブナ坂到着は午後3時35分。一昨年よりもさらに遅く、鴨沢からおよそ5時間かかってしまった。
なんとか日が暮れる前に奥多摩小屋に到着。泥色の道はどろどろぐちゃぐちゃで、茶色の乾いたところを選んで歩く。
さて、本日の宿は奥多摩小屋である。この小屋は昭和34年の東京国体の登山種目会場として建築されたとどこかに書いてあったと思うが、長らく奥多摩町営で、名物小屋番の岡部仙人が守っていた。岡部仙人の引退後、経営が雲取山荘に移り今日に至っている。
ところが、最近のWEB情報をみるとほとんど全員がテント泊利用の登山者で、小屋泊の情報は皆無である。評判などの口コミもほとんどない。食事なし素泊まりのみということは承知の上なのだけれど、金副隊長の本にあるように、なにしろ皇太子殿下がお泊りの宿なのである(30年以上前のようだが)。一度は泊まってみるべきものだろうと以前から思っていたのであった。
ところがまず驚いたのは、小屋番氏(2人見かけたが、当番らしかったのは30前くらいの若い男)が出てきて4000円の宿泊費を取ると、「こちらにどうぞ」でもなく、何の説明もしないまま従業員部屋に戻ってしまった。荷物はどこに置くか、どこで休めばいいか、消灯は何時で起床は何時か、何の説明もなしである。宿泊費を払う際にビールを買っておいてよかったと思った。
入口の土間に一つと、広間に一つ薪ストーブがあるのだけれど、様子をみる限りどちらもしばらく使っていないように見えた。石油ストーブはつけてくれたけれど、スペースが広いのでほとんど部屋は暖まらず、ストーブ前にへばりついている他はない。泊まり客は私一人のようなので、石油ストーブがあるだけありがたいと思えということなのだろうか。
上にも書いたようにこの日は大バテしてしまって、しばらくは人事不省の状態であった。それでもストーブにあたってビールをちびちび飲み、15分20分経てばだんだんと調子が戻ってくる。簡単に着替えて、夕飯の荷物を取り出す。EPIガスを小屋内で使っていいものだろうか、それともストーブで炊事しろということだろうか。その間も、小屋番氏は従業員部屋にこもったままである。
到着から30分経過、ビールもちょうどなくなったので、小屋番氏が引き上げたままの従業員部屋をノックして、少しドアを開けてみる。返って来た言葉が「勝手に開けないでください」である。ビールをもう一本頼んだ後、ストーブでお湯を沸かしていいかどうか尋ねると、「いいんじゃないですか」と一言、再び従業員部屋に引き上げてしまった。
お許しが出たのでストーブでお湯を沸かし、アルファ米のしそわかめごはんを作る。待っている間、コンビーフとごぼうサラダを肴に、持ってきた「どなん60度」のお湯わりを飲む。この頃になると、さっきまで何であんなに苦しかったのだろうと思うほど体調が戻ってきた。アルファ米も戻ったので、さばみそ煮をおかずに、ネギのみそ汁もつけて夕飯の出来上がりである。
(ちなみに、みそ汁はフリーズドライ、コンビーフはプラスチック容器、ごぼうサラダとさばみそ煮はセブンイレブンのプラ容器である。こんなに持つから荷物が重くなるのだ)
到着から1時間半が経過して6時半前、入口からテン泊の人が「ビールいただけますか?」とやってきた。広間には私しかいないので、「すみません、店の人じゃないんで」と言い訳する。何度か大声で呼ぶと小屋番氏登場。めんどくさそうにビールを販売。またすぐに従業員部屋に戻りそうになったので、あわてて「布団はどれ使えばいいですか?」と尋ねると、「どれでも好きなのを」と一言、当然のように従業員部屋に戻ると、それが小屋番氏の姿を見た最後であった。
1泊して小屋番氏の姿を見たのは、この3回、合計5分にもならなかったと思う。私自身も他人とコミュニケーションをとるのは苦手だけれど、これはすごい対応であった。昔のユースホステルじゃないんだから、歌を歌ったり長話をする必要なんてないけれど、皇太子殿下が泊まったのはどこのスペースかとか、昨年の大雪のときの状況、せめて明日歩く登山道の状況くらい話ができないものかと思った(それ以前に小屋の使い方すら説明しない訳だが)。
よっぽどビールの空き缶をそのまま置いていこうかと思ったけれど(持って帰れって言わないし)、そこは大人の対応で自分のゴミと一緒に持ち帰り、ストーブを消して2段になっている寝部屋に引き上げた。幸いに、寝具はたくさんあってそこそこ新しかったので、敷布団2枚の上に、掛布団、毛布、掛布団、毛布の4枚重ねで寝ませてもらった。
寒いには寒かったが、4枚重ねが功を奏して布団の中は暖かかった。それでも朝方トイレに行くと、入口の寒暖計は零下3度になっていた。きっと5時になっても電気もストーブもつかないと思っていたが、案の定つかなかった。室内でEPIガスを使って何か言われても腹が立つので、30分で支度して5時半過ぎに出発した。もうとっくに夜が明けていた。
昔から「木賃宿」と言う言葉があるくらいで、暖房費は宿泊費に含まれるものである。百歩譲って4000円は小屋と寝具だけの値段というのであれば、当然それは説明すべきであるし、ホームページに「薪ストーブがあります」なんて書くなということである。そもそも、朝5時半になっても誰も起きてこない山小屋というのも信じ難いが(雲取山荘は5時台に朝食だったはず)。
小屋の躯体自体は国体予算で作っただけあって頑丈で、梁とか見るとあと50年100年大丈夫そうなのだが、メンテナンスができていないし、サービスという概念がもとよりないようなので、残念な山小屋であった。山に行く前に読んでいたのが梨木香歩の「いわなの宿」の本だったので、余計にそう感じたのかもしれない。
奥多摩小屋内部。薪ストーブはあるけど点いていない。暖房は右側の石油ストーブ1台だけで、小屋番氏は従業員室に引き上げたっきり出てこない。
奥多摩小屋の寝室。50人は楽に入れそうなスペースに、一人だけでした。翌朝は零下3度まで下がり、暖房なしではかなり寒い。
さて、奥多摩小屋が撃沈だったので、とりあえずどこかで朝ごはんを用意しなければならない。前の日にしんどくて寝っころがったあたりが平らだったので、ブナ坂の少し上のその場所にしようと思い坂道を下って行く。この日もいい天気で、冷え込んだため泥田が凍ってちょうど歩きやすい。20分ほどでその場所に着いた。平らで地面も乾いていて、目の前は富士山である。
EPIガスでお湯を沸かし、コーヒーとあんドーナツで朝ごはんにする。いつも思うことなのだけれど、山の上で飲むインスタントコーヒーって何でこんなにおいしいんだろう。前日来、釈然としない思いはあったけれど、やっぱり山に来てよかったと思う一瞬である。30分ほどゆっくりして、6時30分に出発、今日もいい天気だ。
歩き始めの体調は悪くない。前の日に大バテしてしまった後なので、布団の中で翌日の計画について改めて考えたのであるが、この調子では鷹ノ巣山まで行くのはちょっと無理かもしれないと思っていたのであった。ところが、何とかなりそうなくらい足どりが軽やかである。もしかして前の日に消費した水と食料が軽くなっただけかもしれないが。
ブナ坂から七ツ石山の登りは、傾斜が急な上に地面に雪が残って凍っているので歩きにくい。軽アイゼンは持ってきたものの、氷と土が半々なのでアイゼンを着けるほどでもなく、着けたり外したりも面倒なのでそのまま登る。みんなそうしているらしく、アイスバーンに靴跡が階段のようになっていた。滑らないように注意してがんばる。前日のような息切れはないようだ。
午前7時ちょうどに七ツ石山頂に到着。すでに先客が2名、七ツ石小屋に泊まったのだろうか。歩いて来た西方向を振り返ると雲取山に至る石尾根と、雲取山の向こう飛龍山へと続く稜線が見渡せる。やや南に目を転じると遠く南アルプスの雪山、そして富士山が大きい。そして東方向には石尾根の続き、鷹ノ巣山までの山並みである。風もなく、絶好の展望日和である。
道標に従って5分も下りないうちに、七ツ石神社である。木造のお堂は半壊状態であり、建て直さない限り遠からず崩壊してしまうだろうが、ご神体である大岩は動かしようがない。数えると、写真に写っている大岩の後ろにあと6つの大岩があって合計7つ。七ツ石とはそういう意味であったかと感動する。鳥居の前で二礼二拍手一礼して前途の無事をお願いする。
七ツ石山から鷹ノ巣山にかけては、ピークを縦走する縦走道と、等高線に沿った巻き道の両方があることになっているが、地面が雪でないところを選んで歩いていたら、自然と巻き道に入った。この巻き道が歩きやすさといい景色といいきわめてナイスであり、それに誰とも会わない。いつまで歩いていられるような雰囲気であった。
どのくらいいい雰囲気だったかというと、前の日に半死半生の状態でひどい登りを経験したにもかかわらず、家に帰ったらまた山に行きたくなったくらいである。まあ、それだけ起伏がないということでもあるが。
少し進むと七ツ石小屋からの巻き道と合流し、もうしばらく進むと赤指(あかざす)尾根との分岐となる。道標には「峰谷バス停」と書いてあるので、いつかこのコースでも下りてみたいものである。そして少し意外だったのは、左手に見えるピークが高丸山、日陰名栗峰の2つだけだと思っていたら、他の小ピークもあって、鷹ノ巣山と思われるピークは結構向こうの方に見えることであった。
小さな谷を挟んで左に右に巻き道は続く。ほとんど平らなので順調に進むのだけれど、8時半を過ぎても避難小屋が見えてこない。帰りの峰谷発のバスは12時55分、峰谷まで3時間とみて、10時前には下り始めなければ間に合わない。逆算すると、8時半には避難小屋に着いてリュックを置き、鷹ノ巣山に向かうという計画だったのだが、ちょっと無理そうである。
鷹ノ巣山避難小屋に着いたのはちょうど9時。かれこれ考えあわせて、今回は鷹ノ巣山は断念し、ここから奥集落に直接下りることにした。
七ツ石山の頂上から、朝歩いてきた奥多摩小屋方向、雲取山までの石尾根を望む。
頂上直下にある七ツ石神社正殿。ご本尊の巨石はこの後ろにあと6基あり、これが七ツ石の語源となったものと思われる。
高丸山、日陰名栗峰を巻く南側の巻き道は、歩きやすさといい景色といいナイスでした。
鷹ノ巣山は断念して、しばらく避難小屋前でまったりする。泊まりのお客さんはもう出発したらしく、避難小屋の中にも小屋前のテーブルにも、誰もいなかった。あたりはとても広くて、バイオトイレも整備されているのは安心である。ちょっと早いけれどお昼にすることにし、残っていた炊事用の水を使ってお湯を沸かす。
林の向こうに見えるのは日陰名栗峰。今回は巻き道で来たけれども、頂上まで行っていたら結構大変だったろうと思う。そういえば、「奥多摩のバイブル」金副隊長の本に、日陰名栗からここに向かう途中、大雪で遭難した登山客の話が書かれていた。いずれにせよあのピークからここまでのわずかの区間だったのである。吹雪でホワイトアウトしてしまったのだろうか。
昼の献立は、インスタントのカレーうどん+レトルトカレーの、豪華カレーうどんである。このメニューは山で何回かやっているが、ちょっと高めのレトルトを使うと肉の塊とか入っていておいしい。ただ今回思ったのは、こういうところで荷物の軽減化を図らないと、また同じようにバテてしまうなということであった。次回以降の研究課題である。
食後のコーヒーもいただき、かなり軽くなったリュックで9時40分に出発する。ところが、10分ほど下りたところに水場があり、パイプから盛大に清水が出ている。とてもおいしそうだったので、2リットル汲んでしまって再び荷物が重くなる。まあ、あとは下りだからなんとかなるだろう(この後暑くなって、バス停までに1リットル飲み干してしまった)。
さて、避難小屋から奥集落までの浅間尾根であるが、2012年秋に登ろうとしたことがあったが、あまりの急傾斜と、行きの峰谷橋から奥集落まで時間がかかりすぎたことで、標高1299m付近で断念してしまった。その前例があってちょっと心配したが案の定、尾根の上の方はなだらかなところも多いのに、途中の造林帯あたりから急勾配が続く。なるほどこれはきつかったろう。
帰ってからデータを見直してみたら、前回あきらめた最後の急勾配を登り切ったところで、今回は1回目の休憩をとっていたのだった。確かに見覚えのある急斜面だったが、伐採が進められて登山道自体少し違っていたような気がする。きつい下りを断続的にこなすと浅間神社の正殿が見えてくる。そこから下の鳥居までも、結構きつい坂が続いた。鳥居まで避難小屋から1時間半。
奥集落は相変わらず閑静な雰囲気。とはいえ前の時よりひと気がなくなったような気がするのは、畑作の時期ではないからだろうか。前回はここから峰谷まで車道を歩いたけれど、今回は林間の近道を行く。片側が急傾斜でちょっと恐い場所もあるが、時間的には15分ほど早く下りることができる。
この近道を歩いていて思ったのは、地盤といい、道路際の石垣の造りといい、丹波天平の高畑集落跡への道とそっくりということであった。確かに地理的には近いので似ていて不思議はないのだが、あちらは山梨県、こちらは東京都である。ほとんど人が通らないのに電柱が続いて建っていたり、バイクか何かが走った形跡がみられるのもよく似ていた。
峰谷バス停に到着したのは12時半。この時間には日差しが相当強くなっていて、日陰になっているトイレ前で、さっき汲んだ水で喉の渇きをうるおす。前の日は大層難儀したけれども、終わってみればまずまず満足の山行だったなあと思い返しながら、奥多摩行のバスを待ったのでした。
この日の経過
鴨沢バス停 10:25
10:55 小袖乗越 11:00
12:15 1150m広場(昼食休憩) 12:35
15:35 ブナ坂 15:45
16:45 奥多摩小屋(泊) 5:35
6:00 ブナ坂上(朝食) 6:30
7:00 七ツ石山 7:10
9:00 鷹ノ巣避難小屋(昼食休憩) 9:40
11:30 奥集落 11:30
12:30 峰谷バス停(GPS測定距離 1日目 8.7km,2日目 12.4km 合計 21.1km)
[May 2,2015]
鷹ノ巣避難小屋から、いましがた歩いてきた日陰名栗峰方向を振り返る。
浅間尾根を下る。この尾根はなだらかな下りと急勾配がかわるがわる現われるが、なだらかな部分はいい雰囲気です。避難小屋から神社鳥居まで約1時間半。