赤杭尾根 槇寄山・笹尾根
三頭山 [May 27,2019]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
この春は筑波山塊に2回行った後、3日置きに雨が降るという変わりやすい天気になって、その後一気に暑くなった。あまり暑いと山はお休みだが、気象庁のHPを見ると奥多摩は30℃には届かないようだ。湿度も夏の盛りほどではないので、1年ぶりに奥多摩に行くことにした。
奥多摩で未登の山で、行ってみたかったのは三頭山である。御前山に昨年登ったのでその奥ということが一つと、昨年春に中国人登山客が遭難騒ぎを起こしたことが記憶に新しいからである。
とはいえ、人気の山だけに土日は騒がしそうだ。せっかく行くなら静かな平日ということで5月27日月曜日を予定していたら、なんとこの日は「都民の森」休園日で数馬までしかバスが出ていないことが判明した。
代替案をいろいろ考えたが、遭難騒ぎのあった三頭山~ヌカザス山というコースは外しがたい。バス便が少ないうえ数馬からの歩きが加わって頂上に着く時間は遅くなるが、奥多摩に宿を取れば帰りの心配をしなくてすむ。という訳で、スタートを数馬に変更して奥多摩側に下りるコースをとることにした。
武蔵五日市駅に8時半に到着し、バス停に向かう。数馬行バスは9時ちょうどのはずなので、まだ時間に余裕がある。確認しようとバス停の表示をみて愕然とした。「浮橋通行止」と書いてある。
「小河内貯水池の水位が低下し通行に危険な状態になりましたので、麦山浮橋を取り外し、通行止とさせていただきます。期間 平成31年2月18日~水位が回復するまで」とある。
なんということだ。一応WEBでは検索したのだが、探し方が悪かったのか見つけられなかった。奥多摩観光協会トップページにも、奥多摩小屋のクローズは載っていてもドラム缶橋のことは載っていない。もしかして誰か書いているのに、SSL化していないのでGoogle様にはじかれたのだろうか。
それにしても困った。例の遭難グループ同様ドラム缶橋を目指す予定だったが、通行止ではこのルートはたいへんな遠回りとなる。ヌカザス山からムロクボ尾根経由深山橋バス停が最短ルートということになるが、ヤマケイガイドでは点線のバリエーションルートである。
都民の森休園で山頂に着くのが2時間遅れるのに加え、下山も遅れる可能性が大きくなってしまった。宿には6時到着と伝えてあるけれど、どうしよう。とりあえず登ってから考えるしかない。
バスは時間どおり10時に数馬到着。下りて見たらすごい日差しである。身支度を整えて歩き始めると、熱気が身体にまとわりつく。手元の温度計をみると31℃、ちょっとこれは厳しいコンディションだ。
すぐに奥多摩周遊道路に入る。いきなり傾斜10度の注意標識である。考えてみれば、数馬と都民の森の標高差が300m。距離が4kmなのだから、平地を歩いたって1時間かかる。それを1時間10分がコースタイムなのだから、ほとんど平地並みに歩かなければならない。あっという間に汗が噴き出す。
途中に都民の森へショートカットする遊歩道があるはずだが、入口の案内が見当たらない。仮に見つかったとしても、三頭山の方向へはいったん谷へ下りて登り返す難路なので、周遊道路を登った方が早かったかもしれない。コースタイムどおり1時間10分で都民の森の行先表示が出てきた。
チェーンを張って立入禁止にしてある前に自動車で来たおじさんがたたずんでいた。「今日は休みで入れませんよ」「山には行けるでしょう」とチェーンをまたいで中へ。エントランスには誰もいない。
そういえば、バスの中にも都民の森休園を知らないで来たグループがあって、仕方がないから浅間嶺登山口で下車していた。私はそこまでは折込済だったのだが、ドラム缶橋通行止は想定外であった。
かなり汗をかいたので、日陰を探して一休みする。ヤマザキランチパック・ジャム&マーガリンを食べて栄養補給。「この水は飲めます」と書いてある水道があったので、ありがたく飲ませていただく。
都民の森の中も、周遊道路同様に急傾斜である。森林館まで急坂を登り、トンネルを越えてしばらく行くと登山口があった。計画では避難小屋経由三頭山西峰に登るつもりだったが、森林館まで来てしまうと鞘口峠経由東峰に登った方が距離的にかなり近い。
そう思ってコースを変更して、鞘口峠にはすんなり着いた。12時ちょうどだった。これなら1時過ぎには頂上に着けるだろうと思ったのだが、例によってこれは大甘だったのである。
都民の森休業日のため数馬から歩かなければならない。炎天下の奥多摩周遊道路から三頭山を望む。
都民の森は休業日。車は入れないが人は入れる。水を補給して先に進む。
森林館の奥から三頭山登山道となる。距離短縮のため鞘口峠ルートを選んだのがどうだったか。
さて、この日の計画だが10時数馬出発、11時過ぎに都民の森で、1時頃には頂上に着いて遅くとも2時までには下り始めるスケジュールであった。下りを3時間とみて、17時14分に峰谷橋を通過するバスに乗れば午後6時に宿に入れるはずである。
そして、もし都民の森までショートカットできれば距離が短縮されるので、うまくいけばドラム缶橋を通らなくても何とかなるのではないかと考えたのであるが、先に書いたようにショートカット道は見つけられなかった。見つかったとしても、結局同じくらい時間はかかっただろう。
ともあれ、鞘口峠まで12時に登って来れたので、この時点ではそんなに悲観はしていなかった。なんといっても「頂上まで1時間強」という触れ込みであり、「1時間強」とは1時間半より短く、少なくとも2時間はかからないはずなのである。
ところが、都民の森に入ってからもペースが上がらない。木々の繁った中を歩くので奥多摩周遊道路のような炎天下ではないものの、あいかわらず傾斜が急で息が上がる。加えて、水分が体から出て行くらしく、ふくらはぎが攣りそうな雰囲気である。
都民の森に入って1時間強で頂上どころか、ようやく見晴し小屋である。鞘口峠から頂上までの半分である。そして、すでに午後1時。よく考えれば鞘口峠が標高1100m、見晴し小屋が1400mだから、標高差300mを1時間なら当然なのだが、1時間強で頂上と思い込んだのが迂闊であった。
見晴し小屋のベンチに腰掛け、水を多めに飲む。この日は2リットルのプラティパスと500mlペットボトルを3本持ってきたのだが、プラティパスが凍ったままで1リットルほどしか水になっていない。それでも2.5リットルあるので何とかなるはずだったが、この時点まですでにペットボトル2本は空である。
水に加えて、エネルギーゼリーを摂ると、ふくらはぎの違和感はなくなってきた。それでも、まだ頂上まで半分あるので無理はできない。ゆっくり目のペースで歩を進める。
このあたりから、稜線を忠実にたどる登山道と、都民の森の「セラピー仕様」コースが別になっている。足の具合もあるのでセラピーコースをとる。思った通り距離は長そうだが、傾斜が比較的ゆるやかになったようだ。
見晴し小屋からさらに1時間、頂上直下の急坂を登ると、三頭山東峰手前の展望台に着いた。矢も楯もたまらず、展望台と一体化したベンチに座り込んでリュックを置く。
すでに時刻は午後2時を回っている。1時間強どころか、都民の森に入って3時間、数馬からだと4時間かかってまだ西峰に着かない。ドラム缶橋の通行止どころか、三頭山登山だけでも全然計画どおりにはいかなかったのである。
山頂で食べるつもりだったフルーツパックを開ける。甘くておいしいが、虫が寄ってきた。
再び、例の遭難グループのことを考えた。彼らも10時過ぎに都民の森から登り始めたということだが、頂上まてどれくらいかかったのだろう。20cmほど積雪があったというから、少なくとも午後1時、ゆっくり休んでいたら下山開始は午後2時を過ぎていたはずだ。
三頭山には避難小屋があるという報道があったけれども、避難小屋はドラム缶橋とは逆方向である。ひとたび奥多摩側に進んでしまったら、戻って避難小屋という発想は浮かばなかっただろう。そもそも、彼らが避難小屋を通って登って来たかどうか。
東峰を素通りしなければ手前にある展望台は見たはずであるが、少人数なら雨風を避ける場所はあるにしても、十数人避難できるほどスペースはない。結局、稜線で朝まで待つことになったのだから、展望台の方がまだましだっただろうが。
そして、日の長い5月下旬ならそれほどあせる必要はないけれども、3月であれば午後4時過ぎると暗くなる。天気が崩れて太陽が出ていないとなると尚更である。天気予報を見ていなかったとしても、暗くなったのは分かりそうなものだ。
都民の森の登山道はよく整備されているが傾斜が急で、いかんせん気温が高すぎてペースがあがらない。
予定よりも1時間以上遅れて午後2時過ぎてようやく東峰直下まできた。でも、なかなか頂上には着かない。
東峰には展望台があるが、すぐ先の中央峰にはベンチがあるだけ。ここから西峰はいったん下りまた登る。
当初予定では下山途中であるはずの午後2時過ぎ、まだ東峰下の展望台にいた。すでに午後5時台のバスは絶望的で、それよりも日が暮れるまでに下山できるかが心配になってきた。
ありがたいことに、東峰は展望台からすぐだった。木製の山名標と三角点があるが、ベンチなどはない。そのまま通過して、中央峰もすぐ先だった。こちらも東峰同様に木の山名標と、少し先にベンチが2脚ほど置いてある。都民の森休業日であり、誰もいなかった。
中央峰から西峰へは、いったん大きく下ってまた登る。さすがにここまで来ると、都民の森が休みにもかかわらず先客がいた。この西峰が3つの山頂の中でいちばん広い。山名標も鷹ノ巣山などと同様石造りの立派なもので、1524.5mと標高も刻まれている。数馬バス停からは約850mの標高差、久しぶりの長い登りだった。
ガイドブックにも書かれているとおり、眺めはすばらしい。北に展望が開けていて、六ツ石山から鷹ノ巣山を経て雲取山へと続く石尾根が雄大である。南方向は富士山があるのだが、この日は残念ながら雲に隠れて見えなかった。
問題は、すでに午後2時半を回っているということであった。そんなにゆっくりしてはいられない。プラティパスの氷が解けた分をペットボトルに移すと、ちょうど500mlあった。下りはこれで間に合わすしかない。再びリュックを背負い、15時10分前、あたふたと出発する。
ヌカザス尾根に入る道を探すが、西峰から直に下りる道はない。いったん中央峰方面に戻ったところに、鞍部からヌカザス尾根方面と書いてあったことを思い出した。急傾斜の坂を下って行く。
「ここからは都民の森ではありません」との表示に不安をかきたてられるが、歩き始めると意外と歩きやすい道だった。尾根は広く、傾斜は比較的緩やかで、地盤もほぼ平らで歩きやすい。登りではごつごつとした岩の道が多かったので、どちらが都民の森か分からないくらいだった。
この、三頭山からヌカザス山までの間で、例のグループが遭難騒ぎを起こしたのだった。雪がどのくらい積もっていたか不明だが、それほど難儀する道のようにも思えなかった。確かに標識等は少ないし、赤テープもほとんどないので分かりづらいけれども、尾根を外さないように気をつければ迷うような場所ではない。
ヌカザス山直前のツネ泣坂が急傾斜の下り坂で難所だが、ロープもあるし慎重に下りれば何とかなりそうだ。だから遭難騒ぎの一番の要因は、日が暮れて暗くなってしまったということにあったと思う。
アイゼンなしで何とかなる可能性はあるとしても、ヘッデンなしで夜道を下るのは無理である。そして、通報したのが午後6時を回ってからだというから、おそらく三頭山頂上の時点で、日没前に奥多摩側に下山するのは無理な時間だったのではなかろうか。無謀である。
さて、他人のことをどうこう言うよりも、自分自身が無事に下山しなければならない。三頭山西峰から30分ほどで鶴峠分岐、その少し先に作業道分岐がある。いずれも小菅村方面に下山が可能だが、ドラム缶橋が通行止とは知らないので下調べしていない。
唯一、吉備人地図のコピーに写っていたのは、ムロクボ尾根のコースであった。これさえ意図してコピーしたものではなく、たまたまイヨ山経由の画面でとれていたというだけである。
ともかくも、ドラム缶橋が使えないとなると深山橋まで回らざるを得ず、そうなるとムロクボ尾根を下りる方がずいぶん近い。問題は、凶悪な急傾斜で遠回りするよりもっと時間がかかるというケースがありうることだ。
ヌカザス山へのルートでほとんど唯一の急傾斜であるツネ泣峠をなんとかクリアし、ヌカザス山分岐に16時15分に到着した。三頭山から1時間20分、ほぼコースタイムである。ここから深山橋までコースタイムは1時間40分、ただ、吉備人地図のコースタイムが当てにならないことはすでに学習済である。
西峰はもっとも頂上らしく、例の石造り山名標がある。後方に見えるのは石尾根だが、残念ながら富士山は雲の中でした。
西峰からいったん中央峰方向に下り、ヌカザス尾根に入る。「ここからは都民の森ではありません」の表示が不安をかきたてる。
ヌカザス尾根は1時間ほど幅の広いなだらかな尾根が続く。雪が積もってもなんとか進めそうな道に見えた。
イヨ山方面とムロクボ尾根の分岐はヌカザス山への最後の急登前にあったので、体力が温存できてたいへんありがたかった。
とはいえ、この尾根の下り口はいきなりまっさかさまの急降下である。吉備人地図でも(注)急傾斜ロープと書いてある凶悪な坂だ。ロープには1m置きに結び目が結ばれており、ロープをつかんで後ろ向きになり慎重に下りる。
この急傾斜をクリアすると、あとは比較的歩きやすかった。大きく迂回しながらスイッチバックを繰り返すような道で、なかなか進まない代わりに確実に標高が下がる。この状況では滑落の危険が少ないのが何よりありがたい。
午後5時が近づき、ずいぶん山の上にあった太陽が地平線近くにまで下がってきた。足下が暗くなる前にヘッデンを用意しなければならない。尾根の広くなったところで、リュックを下ろしてヘッデンを出し胸ポケットに入れる。ついでに、プラティパスからペットボトルに水を補給する。まだほとんど氷のままで、残りは半分少々。300mlといったところか。
そろそろアンテナが立たないかなと思って携帯をみると、ありがたいことにアンテナが2本立っていた。宿に電話を入れて事情を説明し、到着が遅くなることを連絡する。「気をつけていらしてください」と言っていただいた。そのとおり、とにかく安全にケガなく下山することが大切だ。
GPSで現在地の標高を調べると885m、奥多摩湖の標高が700mくらいだから、あと200m弱。1時間あれば何とかなりそうだ。しばらくして、樹間から奥多摩湖の水面が見えた。あそこまで下りればバスに乗れる。あと1時間で午後6時、深山橋のバスは18時23分、47分と19時08分。多少多くかかったとしても、バスの時間は大丈夫そうだ。
宿に連絡がついて、バスの時間もまず大丈夫、目指す奥多摩湖も見えてきた。あとの心配は、再び凶悪な急傾斜が出てこないかということと、残り少なくなった水である。
凶悪な急傾斜については、やはり奥多摩湖に下りる御殿山からの大ブナ尾根がたいへん滑りやすい急坂だったので心配したのだが、尾根の入り口を除くとロープもほとんど出て来ず、滑りやすい場所も少なかった(それでも足の爪はやられた)。
水の心配は、ここまできたら仕方がない。麓までもたせるよう節約して飲む。体温が上がっているのか、水分補給するとすぐ汗になって出てきて、また喉がかわく。もっと水を用意すればよかったといつもながら思う。
午後6時前、ようやく眼下にガードレールらしきものが見えてきた。それでも足下は急傾斜で、最後まで油断できない。胸ポケットに用意していたヘッデンは使わずに済んだが、これが冬であれば臼杵山の時のように暗闇をヘッデン頼みで下りることになっただろう。全く、他人のことは言えない。自分自身が、危ない目に遭わないようにきちんと計画して準備しなければならない。
舗装道路まで下りるとそこは三頭橋だった。渡っている途中に小菅方面からのバスが通り過ぎて行ったが、ここまで来ればあわてることはない。これを逃しても、30分後にまた来る。
三頭橋を渡ったところのお店に自販機があったので、500mlのコーラで久しぶりに思う存分水分補給する。結局ペットボトルの水は100mlほど残して下りることができたが、都民の森で補給しているので、家から持ってきただけでは足りなかったということである。
二つ目の深山橋を渡ってバス停へ。切り株のベンチに腰掛けると、ちょうど橋がライトアップされた。明るいうちに下りて来れたと思っていたが、危ないタイミングだった。バスに乗っている間にすっかり暗くなった。
奥多摩駅前の宿「鉢の木」に着いたのは7時20分過ぎ。片付けがあるだろうから先に食事しますと言ったのだが、「ゆっくりお風呂に入っていらっしゃい」と奨められ、まずお風呂をいただく。とにかく、無事に下りて来られてほっとした。
夕飯にビールの大瓶をいただいたところ、あっという間に汗になってしまった。さらにもう1本ビールと地酒「澤乃井」をいただき、自らの健闘に乾杯したのでした。
この日の経過
数馬バス停(686) 10:10
11:20 都民の森(990) 11:40
12:00 鞘口峠(1080) 12:10
13:05 見晴し小屋(1332) 13:10
14:10 東峰下展望台(1515) 14:20
14:35 三頭山西峰(1531) 14:50
15:15 鶴峠分岐(1419) 15:20
16:05 ヌカザス山分岐(1171) 16:10
17:00 ムロクボ尾根中間点(885) 17:05
18:30 深山橋バス停(698)
[GPS測定距離 12.7km]
[Jul 29, 2019]
ヌカザス山に近づいてツネ泣峠あたりで急傾斜となる。このあたりで進退窮まったか、あるいは暗くなってヘッデンがなかったか。
麦山浮橋(ドラム缶橋)が通行止のため、ヌカザス山分岐からムロクボ尾根にルートをとる。いきなりたいへんな急傾斜だが、危険個所はここだけだったのはありがたかった。
水位が下がった小河内ダム。現在の貯水量は75%前後で、これだとドラム缶橋は通行止になるようです。
奥多摩むかしみち [May 28, 2019]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
三頭山から下りてきた時には疲労困憊してこのまま帰ろうかと思ったくらいだったが、鉢の木で気持ちいいお風呂とビール大瓶2本と澤乃井で夕飯をいただいて泥のように眠ったら、翌朝の体調は悪くなかった。予定どおり「奥多摩むかしみち」を歩くことにした。
午前5時前からヘリの音がにぎやかだった。雲取方面で遭難でもあったかと思ったくらいだったが、この日は一日中ヘリが行ったり来たりしていたし、奥多摩駅前に警察の人もいたから、大規模な訓練かあるいはトランプ訪日による警備だったのかもしれない。
天気予報を見るとこの日は下り坂で、首都圏でも夕方には雨、早いところでは午前中から降り始めるとのこと。あまりゆっくりしてはいられない。当初の計画では駅から奥多摩湖へ歩く予定だったけれど、昼間はバスの間隔が長いので、朝7時38分発のバスで水根まで出てしまい、そこから駅へと引き返すことにした。
朝ご飯は7時からお願いしたので、食事前に支度を整えてしまう。この「鉢の木」は1泊2食8,000円の民宿なのだが、部屋は広いしトイレと洗面も部屋にあるので使いやすい。前日のハードな歩きが祟って階段の上り下りが厳しいが、それは自業自得というものだ。1泊して疲れが飛んでしまったのはありがたかった。
駅まで歩いて見慣れた西東京バスの乗り場へ。7時38分発の留浦行きバスは平日にもかかわらず半分以上埋まっていて、ほとんどが登山客であった。いくつものトンネルを抜けて奥多摩湖方面へ。この後は、山の中腹の道を戻ってくることになる。
水根バス停に8時前に到着。むかしみちの入口があるかどうか心配していたが、バス停のすぐそばに大きな地図看板が立てられていた。案内表示も分岐ごとに立てられているので、迷うことはない。
「むかしみち入口」の案内にしたがって、沢沿いの急坂を登って行く。舗装道路なのだが、結構な急傾斜である。三相三線の電線が走っているから上に人家があるのだろうけれど、バス通りからこれだけ登るのは大変だろうと思う。
途中でキャンプ場や六ツ石山登山道を分け、青目立不動尊のあたりで細い道に入る。青目立不動尊からはいい景色ということだが、この日は休業日で門扉が閉ざされている。その横にある細い坂道を登って行く。駅に向かうむかしみちは基本下り坂のはずだが、ずいぶん登るし、道自体が登山道である。
奥多摩むかしみちはかつての青梅街道である。そして、小河内ダムができるまでは、いま奥多摩湖のある場所にも人家があった。だからもともとの青梅街道はここまで山の上には上がらなかったと思われるが、おそらくダムの設備とかで通れなくなっているのだろう。いずれにせよ、生活道路であったことは確かと思われる。
さて、奥多摩むかしみちのWEB情報を探すと、古い記事の中に水根と奥多摩湖の間にトンネルがあると書いてある。ただし、このルートは現在では使われておらず、むかしみちの地図にも載っていないし案内表示にも書いていない。
案内通りに歩くと、こうやって水根の坂をずいぶん登ることになる。それでも、青目立不動尊のあたりがピークで、そこからは下り坂となる。そして、しばらくは崖に沿った細い道に、落石防止の網が張ってある。もちろん、車は通れない歩行者専用の細い道である。
そういう道をしばらく歩くと、左手に鳥居が見えた。浅間神社である。本当であればお社までお伺いすべきであるが、前日のハードワークとここまでの登りで足が痛い。申し訳ないが、むかしみちから二礼二柏手一礼でご挨拶する。浅間神社のすぐ先が中山集落であった。
水根バス停を下りるとすぐ、むかしみちの案内看板がある。わかりやすいので助かった。
むかしみちに入ると、いきなり急傾斜。舗装道路なのだが、結構疲れる。
青目不動尊あたりがピークになるようだ。中には展望台もあるらしいが、この日は休業日で迂回しなければならなかった。
浅間神社のすぐ先が中山集落である。むかしみちのとおりに進むと急に車が何台か停まっている車道に出て、そこから逆V字型に引き返して再び細い山道になる。
歩道仕様のため車は通れないので、逆方向に車道が通じているのだろう。しかし、このあたりの国道は集落から標高差100mほど下のトンネルを通っている。国道に出るまで、かなりの急傾斜を下って行くものと思われた。
むかしみちとなっている山道も、いくらなんでも昔の青梅街道ということはないだろうという道だ。かなりの急傾斜を足元に気を使いながら下って行く。この時間でも、引き続きヘリが盛んに谷間を飛んでいる。小さな荷物のようなものを下げていたのはなんだろう。
急傾斜の斜面の先には、小河内ダムが見える。もう1時間以上歩いているのに、まだダムからほとんど歩いていないとは、駅までいったいどれくらいかかるだろうと考えてしまった。
ダムの水面の向こう側には、いくつかの峰々が見える。3つの峰がひときわ高く見える。おそらく左から鋸山、御前山、月夜見山だと思われた。前日登った三頭山は、月夜見山からさらに右方向の奥にあるはずだ。
山側の斜面には引き続き落石防止の金属網が張られている。その網を通り抜けて、小さな石がいくつか道の真ん中に転がっている。むかしみちという名前は穏やかだが、急坂あり落石ありでかなり厳しい。
中山集落からずいぶん下って、車道に突き当たった。右がむかしみちと案内がある。その方向に進むと、水道局の施設らしき門扉で行き止まりとなり、そこからヘアピンカーブで下に続いている。
このあたりから先は車も通れる幅の道路が続き、ここまでのような登山道という雰囲気ではなくなる。傾斜もずいぶんとゆるやかになり、想像していた「むかしみち」のイメージどおりの道となった。
ここでようやく、むかしみち唯一といっていい休憩所を見つけた。西久保休憩所である。簡易バイオトイレが1つだけあり、テーブル付のベンチが2脚ある。その傍らにはなぜか石灯籠が置かれていた。
前日の都民の森以来ひさびさに、腰を下ろしてゆっくりする。時刻は9時15分過ぎ、歩き始めて1時間半経っている。奥多摩湖から歩いた場合のコースタイムは3時間半なのだが、あと2時間で着くのだろうか。
そんなことを心配していたら、ぽつぽつと小雨が降ってきてあっという間に舗装道路の路面が濡れてしまった。空を見上げると日も差していて天気雨だが、午後には本降りになるという予報である。あまりゆっくりしてはいられない。
西久保休憩所の少し先が道所の集落で、登山家の山野井さんがこのあたりに住んでいるらしい。どの家なのかはよく分からなかった。広場には「消防訓練用」という高い建物があり、奥にも何軒か家があるらしかった。
このあたりは昔の青梅街道だけあって、かつて人や荷物が往来していた名残りが残っている。馬の水呑場という水場がある周辺は、かつて茶店も何軒かあったそうだ。いまはそういう店はないけれども、廃屋の扉に古いオロナミンCの看板が残っていた。
他にも、牛頭観音や耳の神様、縁むすび地蔵尊など、かつて信仰を集めた旧跡がみられるが、その中には落石防止ネットの中に囲われてしまったものもある。昔は耳が痛くなっても医者にかかることもできず、耳の神様に願をかけて直していただくしかなかった。ハードな時代である。
青目不動尊から西久保休憩所あたりまで、道幅が狭い落石注意の道が続く。
浅間神社は中山集落の間近にある。申し訳ないけれど、むかしみちから二礼二柏手一礼でお参りする。
やがて舗装道路に出ると、間もなく西久保休憩所となる。簡易トイレとベンチがあり、2日間歩いて初めてここでゆっくり休むことができた。
国道の白髭トンネルのすぐ脇を通る。ということは、トンネルが掘られる前はいま歩いているむかしみちが青梅街道だったということである。白髭トンネルと並行して走っている間は砂利道で、その間に弁慶の腕抜き岩と白髭神社がある。
弁慶の腕抜き岩は高さ3mほどの奇岩で、弁慶が腕を差して抜いたとされる大穴が開いている。奥多摩だから弁慶よりも将門の腕抜き岩の方がそれらしいが、まあ伝説なのでどうこう言うことではない。各地でヤマトタケルや弁慶が力任せで穴を開けているし、四国に行くとお大師様が網を投げてかついだ岩もある。
白髭神社は白髭の大岩という巨石をご神体とする神社で、古くは多くの信仰を集めたという。むかしみちの途中にあった耳神様と同様、こうした山の中では神頼みするしかない場面も多くあったということだろう。
白髭神社を過ぎてしばらくすると、境の集落である。ここも国道からはかなり高い場所にあると思うのだが、これまでの集落より家の軒数が多い。ここから谷の奥へ切れ込んでいく道となり、奥にきれいな建物がある。小中沢休憩所のトイレである。
ずいぶん奥多摩駅に近づいたせいだろうか、西久保休憩所のように簡易バイオトイレではなくちゃんとした水洗である。ただ残念なことに、座る場所が全くない。300mほど先に、1脚だけベンチがあった。
小中沢のトイレを過ぎると、むかしみちは再び国道方向に向きを変える。そして、行く手に車通りの多い道が見えて来ると、その前にずいぶん高くまで登る階段がある。きっとむかしみちは階段だろうと思ったら、案の定そうだった。
ずいぶん歩いてきてまたもや登りというはきびしいが、道がそう続いているのだから仕方がない。なんとか登り切る。コンクリの狭い道を案内にしたがって進むと、新興住宅街といった趣きの新築の街並みに出た。
これまでのむかしみち沿いの古い住宅地と全く違う。おそらく築年数も四五十年違うだろう。私同様にリタイアしたおじさんが、庭のテーブルにグラスとおつまみを置いて一杯始める準備をしていた。うらやましいことである。会釈をして通り過ぎる。
下り坂がずっと続くと思っていたら、前方に警察の派出所が見えた。派出所は私の記憶では国道沿いにしかない。せっかく階段を登ったのに、再び国道に戻ってきてしまった。道案内も見当たらず、どうやらどこかで間違えてしまったようだ。
ただしこの先は、羽黒三田神社などこれまで通ったことのある道が大部分だし、空模様も気になるので、このまま国道を駅まで歩くことにした。心配したようにこの時間バスはなく、逆方向に計画変更しただけのことはあった。
鋸山登山口を過ぎ病院を越えると、間もなく消防署、郵便局、駅まで続く商店街となる。さすがに国道は平坦で、羽黒三田神社からの道と違って登り下りがないのは楽だ。
駅に着いたのは11時30分。水根バス停から3時間40分で、最後までむかしみちを通ったら4時間はかかっただろう。時刻表を見ると10分後に電車だったので、更衣室(新設?)でそそくさと着替えてホームに急ぐ。この電車に乗れたことで、ラッシュ前に家に帰ることができた。
さすがに2日連闘はハードで、帰って2~3日はふくらはぎがひどく痛み、そのあと全身に疲れが出て、最後に腰に痛みが出た。それでも、山から下りてきて飲んだビールは、最高においしいものでした。
この日の経過
水根バス停(490) 7:55
8:25 青目立不動尊(587) 8:25
9:15 西久保休憩所(429) 9:30
10:30 小中沢休憩所(390) 10:35
11:00 琴浦橋(320) 11:00
11:30 奥多摩駅(302)
[GPS測定距離 9.6km]
[Sep 2, 2019]
西久保休憩所を過ぎると舗装道路が続く。牛頭観音、馬の水呑み場、弁慶の腕抜き岩などを見ながら下り坂を歩く。
時折、国道と並行して通っている場所がある。もともと「むかし道」が青梅街道で、国道は明治以降に整備された。
橋詰バス停前で国道に合流せず階段を登る。この後、交番前から琴浦橋バス停に出てしまった。雨もぱらついたので、そこから国道を奥多摩駅に向かった。
高尾山 [Oct 20, 2020]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
コロナ明けから2回山に行ったが、ともに頂上に立った気分を味わえなかった。
赤薙山はピークではあったのだけれど、すぐ後ろに女峰山へと続く稜線があって、頂上を極めたとはいえなかった。至仏山は入山9時までというローカルルールを知らず、途中で引き返さざるを得なかった。
それを踏まえて、次はどこの山と考えた時、高尾山から陣馬山への縦走がよさそうだと思った。たいへんポビュラーなコースで、以前から候補として考えていたのだが、なかなか行く機会がなかった。
高尾山なら高さも手ごろだし、奥多摩や丹沢で昨年の台風のダメージが依然として残っていることを考えると、今の時期に適しているように思える。
問題は空模様であった。10月に入ってぐずついた天気が続き、しまいには12月並みに寒くなった。困ったなと思っていたら、20、21日の2日だけ天気がもちそうな予報である。
八王子のホテルを予約して、一泊二日で行くことにした。高尾山から陣馬山までは距離があり、家から出ると1日で歩くのは難しい。帰りの便を考えると逆コースの陣馬山→高尾山の方がバスの時間を気にしなくて済む。
だったらいっそのこと、初日に高尾山に登ってしまおうと思いついた。縦走に思いのほか時間がかかった場合、最後の下りはケーブルカーにすることもできる。
ということで10月20日、火曜日。この日と翌日の水曜日だけは晴れる予報である。この日の朝まで雨が残り、木曜日には次の雨、なんとかと秋の空である。通勤ラッシュの終わった8時前の電車で都心に向かう。
都営線経由で京王線に入る。なんと、地下鉄からでも高尾山口行が直通運転していたが(全部笹塚までだと思っていた)、笹塚で特急に乗り換える。10時半過ぎには高尾山口に着いた。
5分歩いた清滝からケーブルカーとリフトが出ているけれど、そんなものに乗る訳にはいかない。高尾山口の駅から高尾山まで自分の足で登る。ハイキングコースは麓から整備されていて、稲荷山コースと琵琶滝コースというのが登山道らしい。
朝まで雨だったので、高尾山境内に近い琵琶滝コースを登ることにした。琵琶滝コースはケーブル清滝駅の左側を奥に入る。ちなみに、1号路の表参道は右側で、ここを下ってくる予定である。
しばらく舗装道路を進むと、左に登山道が分かれる。石碑が立っていて「高尾山琵琶滝水行道場」と彫ってある。琵琶滝とは、行者が滝行をする場所だったのだ。
琵琶滝コース(6号路)はケーブル清滝駅を左に入る。表参道(1号路)は右。
舗装道路から左の登山路に入り、琵琶滝コースへ。傾斜は比較的緩やか。
琵琶滝とは、山岳霊場の行場だった。道の雰囲気が清滝寺に似ていた。そういえば、ケーブルカーの山麓側も清滝駅というのだった。
登山道入口から10分ほど、緩やかな坂を登って行くと琵琶滝である。小さなお堂とそのすぐ脇に落差10mほどの滝があり、お堂の向かいに社務所のような建物がある。「一般の方にトイレをお貸しいたしません」「行者の写真撮影はご遠慮願います」と書いてある。
だったらハイキングコースを設定しなければいいのにと思わないでもなかったが、行場へのアクセスを整備するためにその方がいいのだろう。琵琶滝行場からは、参道側に直接上がる道もある。
琵琶滝を過ぎると、登山道には木の根が張り出してだんだん歩きにくくなる。ところどころで、登山道と沢が一体化して道の上を水が流れている。
歩いていて、四国遍路の三十五番清滝寺を思い出した。あそこも沢と登山道が一体化していて、上には滝があった。雰囲気もとてもよく似ている。そういえば、ケーブルカーの山麓駅も「清滝駅」という名前である。
もしかすると「清滝」というのは、滝行の行場を示す普通名詞だったのかもしれない。だとすると、三十五番は三十六番青龍寺より古い修験道の行場で、その名前からさんずいを取ると空海の学んだ唐の「青龍寺」になることから、清滝寺が先、青龍寺が後なのかもしれない。
(青龍寺は空海が唐から独鈷【密教の法具】を投げてここに落ちたから建てられたという伝説があるが、四国のどこに落ちてもその理由は成り立つ。そもそも、唐から投げて届く訳がないし。)
登山道沿いにはところどころ説明版が置かれていて、その場所の由緒や動植物を説明している。この説明板は全部で13あって、9より上は間隔が広くなっている。間隔が広くなったあたりから、いよいよ傾斜が急になる。
これまで傾斜がそれほどでもなかったのは沢筋の道だからで、こういう道は源流に近づくと急傾斜のスイッチバックとなることが多い。ガレ場を進み、沢筋を離れ、いよいよスイッチバックが始まる。そしてその後に、長い階段が現われた。
この階段は、YouTubeのかほちゃんの動画でも紹介されていたもので、いよいよ来ましたかという感じなのだけれども、丹沢のように長く続くことはない。考えてみれば高尾山は599mしかなく、琵琶滝コースのコースタイムも90分しかないのである。
かほちゃんと言えば、今回の高尾山・陣馬山の計画を立てるにあたって、動画を参考とさせてもらった。たいへん参考になった半面、その影響もあるのか思ったより人が多かった。彼女に文句を言う筋合いではないが。
階段を登りきるとベンチのある広場となる。向こうに見える舗装道路が頂上周回の5号路で、頂上はもうすぐのはずである。せっかくベンチが空いているので、いったん腰を下ろして一息ついた。
琵琶滝コースは、とても雰囲気のいい登山道だった。人もそれほど多く通らないし、想像していた高尾山の騒々しさみたいなものがなくて、普通に山登りをしている感じだった。
これまで来たことはなかったけれど、また来てみたい場所だと思った。しかし、そう思ったのはここまでだった。頂上まであと5分ほど登ると、そこはこれまでとは全く違う場所だったのである。
谷道の常として、谷から離れると急傾斜のスイッチバックとなる。
かほちゃんのYouTubeにあったように最後は長い階段。でも丹沢ほどではない。
コースタイム通り90分で山頂へ。平日なのに人だらけ。しかも縁日のような強烈な匂いがする。
高尾山頂は、登ってきた琵琶滝コースとは別世界だった。
まず鼻につくのは、縁日のイカ焼きのような匂いである。どこかでBBQでもやっているのだろうか。人もやたらと多い。「高尾山頂 599.15m」の山名標の前には入れ代わり立ち代わり記念撮影組が現われて、大騒ぎしながら写メを撮っている。
ベンチというベンチは、すべて満席である。BBQをやっている連中の一人が、汚れた皿を持ってゴミ箱を探していたが、当然そんなものはないので壁ぎわに放置していた。山にゴミを捨ててどうする。
ケーブルカーやロープウェイで頂上まで登ることのできる筑波山でさえ、ここまでひどくはない。頂上に神社があるのとないのとで違うのだろうか。間違いないのは、この連中に高尾山頂と多摩川河川敷の区別がついていないことである。
琵琶滝コースがよかっただけに、この落差は衝撃的だった。頂上には長居せず、少し下ったビジターセンターへ向かう。ビジターセンターは施設の一部がコロナ閉鎖となっていて、ほとんどひと気がない。騒ぎたい人には興味のないものだからだろう。
ビジターセンターの少し先に、丹沢方向に景色の開けた場所がある。霞んではいたけれども、いちばん背後に丹沢の山並みを望むことができた。
左に蛭ヶ岳、そこから犬越路までずっと下って、再び稜線が上がって大室山となる。その右側に、さらに白く霞んではいるものの、富士山の巨大な山容が立ち上がっている。
左に蛭ヶ岳右に大室山という景色をあまり見たことがない上に、さらにその右に富士山である。地図上で判断すると、高尾山から北東方向でこの位置関係となるが、高尾山より遠くだと高尾山の影になってこの景色は見られない。
もう少し見ていたかったが、ひっきりなしに現れるおばさんグループが、どこが富士山だのなんだのうるさいし、いつまでもいると他人の記念撮影の邪魔になるので場所を移った。
翌日歩く予定の小仏方向に少し下ったり頂上付近を少し歩いて、午後1時になったので下山することにした。
下山は最もポピュラーな薬王院、ケーブル駅経由の1号路である。まず薬王院まで、微妙なアップダウンがありそれ以上に距離がある。薬王院に近づくと、急な石段が続く。
薬王院に手を合わせて、参道を下る。ほどなく分岐があって、階段の男坂、スロープの女坂に分かれる。転ばないように女坂にした。さらにサル園前を過ぎてしばらく歩くと、ようやくケーブルカーの高尾山駅である。ここまで頂上から35分かかった。
思った以上に距離がある上に、急傾斜の石段があって歩きにくい道だ。ケーブルカーに乗らないつもりなら、最初から琵琶滝コースを下った方がいい。
ケーブルカーの高尾山駅から清滝駅までは、山上施設の車も利用する車道である。傾斜は急だが、簡易舗装が施されている。登山靴だったので、足腰に響いた。清滝駅から高尾山口までは、朝通った道である。高尾山口までケーブル高尾山駅から50分、麓まで休む場所はない。
高尾山口から京王線で八王子に出て、この日の宿である京王プラザホテル八王子に向かった。八王子に泊まるのは初めてだし、そもそも下りたこともなかった。ホテルはたいへんよかった。Go To トラベルで5,135円、さらに1,000円の地域クーポンが付く。
京王八王子駅からJR八王子駅まで歩いたけれども、目に付いた店もなくて、結局かつ屋に入った。千葉ニューのかつ屋とは微妙に味が違った。チェーン店なのに場所によって味が違うのはなぜだろう。
この日の経過
高尾山口駅(191) 10:55
11:15 琵琶滝(321) 11:20
12:20 5号路合流点(571) 12:25
12:35 高尾山(599) 13:00
13:35 ケーブル駅(484) 13:35
14:25 高尾山口駅(191)
[GPS測定距離 8.5km]
[Dec 14, 2020]
高尾山頂は臭くてうるさいが、少し離れると丹沢方面の眺めが開ける。一番背後の左の高い山が蛭ヶ岳、峠が犬越路で右が大室山。その右には富士山も見えた。
下りは薬王院・ケーブル駅を経由して1号路で。簡易舗装の急坂が続き足腰に響く。
今日の宿は京王プラザホテル八王子。八王子は下りるのも泊まるのも初めて。
陣馬山・景信山 [Oct 21, 2020]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
10月20日朝。8時には床に就いたのに、午前4時過ぎまでぐっすり眠った。前日にコンビニで買っておいたサンドイッチやヨーグルトで朝食をとり、支度をして6時20分前にホテルを出た。
この日は、陣馬高原下までバスの始発に乗って、そこから陣馬山、景信山、小仏城山、高尾山と縦走する計画であった。YouTubeのかほちゃんが12kgの荷物で歩いているコースであり、時間さえあれば私でも大丈夫だろう。
陣馬高原下行の始発には、6時過ぎの八王子発で間に合うとジョルダンに出ていたが、余裕をみて一本早くするのがマイルールである。そして、高尾駅を出てびっくりした。バス停がないのである。
以前来た時にバス停であった場所は、ブルトーザーが入って工事中である。近くに案内書きがあって、バス停は100m先に移動したと書いてある。近くでよかった。南口にでも移動していたら、冷や汗ものである。
バス停前には10人ほどのグループがいて、このご時世に大声をあげて騒いでいる。年齢層がさまざまだからどういう集まりなのか分からないが、登山道は通行止で和田峠まで上がらないといけないとか言っているから、間違いなく同じルートである。朝から、気が重いことである。
陣馬高原下までの道のりは、かつてのように小学生が50人乗ってくることもなく、定時に陣馬高原下に到着した。大騒ぎグループが先に行かないかと少し待ったけれども、誰かを待っているようでなかなか出ない。午前7時になったので、先に出発した。
この道は、かつて醍醐丸から臼杵山に登った時に歩いた。峠まで舗装道路が続くが、傾斜が結構きつい。ひと汗かいたところで上に着ていたレインウェアと手袋を外して身軽になる。ちょうど大騒ぎグループが追い付いてきたところで、休むふりをして回避する。
和田峠までの後半はかなり距離のあるスイッチバックなので、大騒ぎが下まで響く。こんなのを一日聞かされたりしたら嫌だなと思う。後から思うと、これがこの日のケチの付き始めだったのだが、この時はこのグループだけだったので、それほど気にならなかった。
今回も前回と同じ70分で和田峠まで登った。最後、いきなりという感じで峠の茶店が見えて、同時にあの騒がしい声が聞こえてきた。「ここまではまだ序の口だぞ」とか言っている。少なくとも、山歩きに慣れた連中とは言い難い。
連中と少しでも距離をおきたくて、少し多めに休む。以前通った醍醐丸方向の林道の入口には、「通行止」の札が貼られている。昨年秋の台風被害は、一年経ったけれども全面復旧には至っていないようだ。
ようやく連中の声が聞こえなくなったので、いよいよ陣馬山にアタックである。陣馬山へは、醍醐丸とは逆方向、茶店の左の階段を登る。1/25000図を見ると、距離はあまりないのに標高差は150mほどあり、かなりの急傾斜が予想される。
そのとおり、急こう配の階段をひとしきり登ると100mほど平らになり、すぐに第二弾の階段が始まる。そして左にフックしながら第三弾が続くと、ようやく「陣馬山 0.1km」の標識となる。
ここからは緩い傾斜の幅広い階段となり、上に例の馬のモニュメントが見えてくる。さすがに、うれしくなる。あれが、この日の最高標高点である。和田峠からちょうど30分、8時50分到着。
頂上まで来たけれども、すでに出発したようで大騒ぎグループはいなかった。陣馬山の頂上は思った以上に広々としている。馬の立つ一角だけでなく、周囲が広い芝の広場になっていて、何軒かある茶店までの間隔も広い。眺望はまさに360度で、山並みは東西南北いずれにも続いている。
高尾駅北口のバス停付近は工事中で、場所が移ったかと思ってひやひやした。以前より100mほど奥になった。
陣馬高原下から陣馬山にショートカットする登山道は、橋の崩落により通行止めとなっている。2019年の台風の影響は、まだ随所に残っている。
和田峠までは以前通った道。和田峠から陣馬山まで、階段を登って直登。
陣馬山頂といえば、なんといっても馬の像である。何はともあれ、まず馬のところに行ってみる。朝早いせいか、まだ山頂にいるのは3人ほどであった。
モニュメントの銘板をみると、製作は昭和44年9月、八王子観光協会とある。寄贈者は京王帝都電鉄である。昭和44年といえば高度成長期、多摩ニュータウンの入居が始まる頃で、京王電鉄も運賃収入の飛躍的増大が見込まれていた時期である。
築後半世紀が経過、陣馬山のシンボルとして自他ともに許す存在ではあるが、徐々に疲れもみえているようである。この先、改修・建て替えの計画があるのかどうか、スポンサーはどこになるのか、いろいろ考えさせられる。
この日は晴れという天気予報であるが、この時間はまだ雲が多かった。富士山は見えず、近くの山もいくつかは雲におおわれていた。最も見晴らしが利いたのは登ってきた北方向で、左へ、つまり北西に稜線が続いている。
方向的にいうと一番奥の高い山は三頭山と思われるけれど、持ってきた1/25000図にそこまで載ってないし、近くに展望図も見当たらない。頂上の形が数馬から見るのと違うような気もしたけれど、帰って調べたらやっぱり三頭山だったようだ。
三角点があるはずなので探したのだが、どこにあるのか見つけられなかった。そうこうしている間に9時を過ぎ、平日にもかかわらず茶店のひとつが開店したようだ。温かいものでも買ってもう少しゆっくりしたかったが、先が長いので20分ほど休んで出発した。
後から考えると、景色といい人の少なさといい、ここがこの日のベストポジションだった。先のことは考えず、もっとゆっくりしておけばよかった。後になってこうしておけばよかったと思うのは、性格である。
陣馬山からの下りは、気持ちのいい尾根道であった。朝早いので、まだすれ違う人がほとんどいない。そして、このルートは私が「高速登山道」と呼んでいる関東ふれあいの道である。もともとハイキングロードとして指定されている上、各都道府県が整備しているので安全な道でもある。
ところが、このルートには危険な場所はほとんどないのだけれど、本当に歩きやすいのは20分ほどだけだった。徐々に道幅が狭くなり、微妙な起伏が出てくる。それほど顕著なアップダウンはないけれど、木の根が地面を覆って歩きにくい。
藤野方面への道を分ける奈良子峠からは、この朝出発した陣馬高原下への道標も出ていたのだが、昨年の台風の影響で通行止で、トラロープが張られていた。そこからもう少し歩くと明王峠である。
明王峠は景信山までの中間点より少し手前にあるので、もう少し早く着けると思ったのだが、時間を見ると10時を過ぎていた。陣馬山・景信山間は2時間と記憶していたが、何だか2時間では着かないような雰囲気である(帰ってから確認すると、140分とするガイドが多いようである。だとしたら、特に遅くはない)。
そして、このあたりから急に、すれ違う人抜いていく人が急に増えた。抜かれるのはともかく、すれ違う人はどこから登ってきたのだろう。高尾山からこの時間は無理だし、小仏からかな、と思っていた。
そして、若い人の何割かはマスクをしているのだけれど、年寄りはほとんどノーマスクである。トレランの人も当然マスクをしていないし、汗も飛び散る。何だか、頭が痛くなるような気がした。
和田峠から30分ほど、陣馬山頂に立つ馬のモニュメントが見えた。かなりうれしい。
この馬は、昭和44年というから高度成長期真っただ中の頃に、京王帝都電鉄の寄贈により建てられたものだそうだ。
陣馬山頂からはほぼ360度眺望が開けている。この日は先が長いのでひと休みして出発したけれど、もっとゆっくりしておけばよかった。
明王峠から堂所山を経て景信山への道は、何ヶ所かで稜線をたどるルートと巻き道で分かれる。だからその分だけ人通りは集中しないはずなのだが、ひっきりなしに人が通る。立ち△ョ△できないくらいである(しなかったが)。
人の多さより参ったのは、マスクもしないばあさま達がすれ違うのにしゃべるのをやめないものだから、向こうがコロナ感染者であれば間違いなくこちらにも感染してしまうと思われたことである。
私もマスクを持参して、急登以外は付けるようにしていたし、すれ違う場合は付けるか、少なくともタオルで口鼻をふさぐ。でも、ばあさま達はそんな配慮は絶対しない。死なば諸共、私が罹ったら他人にも感染させずにおかないという雰囲気を醸し出している。
よく知られるように、マスクは自分から出る飛沫を抑制するものであって、他人の飛ばす飛沫から身を守る効果はほとんどない(気休め程度である)。でも、それを言ってしまうと死なば諸共の人達はマスクをしないから(トランプのように)、細かいことを言わずに「マスクをつけてください」とだけ言うのである。
道幅は陣馬山直下を歩いた時より格段に狭く、すれ違うと1m未満の間隔になる。そして、道幅があってもぬかるんでいるところがあるので、実際に通れる場所は限られる。もし私がコロナに感染したら、間違いなく陣馬山・景信山間で感染されたに違いないと思いながら歩いた。
このあたりほとんど展望が開けないのだが、景色を楽しむどころではなかった。明王峠から1時間半、巻き道を通ってきたせいか腰を下ろすところもなく、ぶっ通しで歩いて景信山に到着した。
景信山は簡素な山名標が立っている付近を除いて、頂上一帯すべて景信茶屋の敷地のようになっていて、古い木の椅子とテーブルが所狭しと並べられ雑然とした雰囲気である。
どこまでが茶屋のお客さん用で、どこからが一般登山者用のものなのかよく分からない。この日は平日のため茶屋がやっていないので、適当なところに座らせていただく。
向こうに見える東屋は建材がしっかりしているので環境庁か自治体が作ったもののようだが、中が散らかっていて使用できる雰囲気ではない。
そのように雑然とした雰囲気にもかかわらず、眼前に広がる景色はすばらしい。八王子から立川、府中、多摩ニュータウンあたりが一望のもとにあり、新宿の高層ビル街もはるか遠くに望むことができる。
府中というくらいだから武蔵国府はこのあたりだったはずで、景信山とか高尾山は、武蔵の国見山であったと思われる。21世紀のいまでは新宿も遠いしそれ以上は見分けもつかないが、8世紀にはあのあたりは沼地である。おそらく国じゅうが一望のもとにあっただろう。
この時頂上にいたのは10グループ30~40人くらいで、その風景をかぶりつきで見ることのできる最前列の席はすべて埋まっていた。やがて、一番騒がしい十数人が高尾方面に出発して行き(陣馬高原下までバスで大騒ぎしていたグループだと思う)、三々五々それに続いて、ようやく静かになった。
陣馬山からしばらくは、歩きやすい尾根道が続く。さすが「高速登山道」関東ふれあいの道だと思ったが、途中から道幅も狭くなり起伏も多くなる。
相模湖方面との分岐となる明王峠。峠に不動明王の石碑があることがその名の由来か。茶店は休日のみ営業のようだ。
景信山までの道は、道幅がせまく木の根が出て歩きにくい。やたら人が多くて、すれ違う人や追い抜いていく人で神経が疲れる。もし私がコロナに感染したら、ここに違いないと思いながら歩く。
時刻はまだ正午過ぎ。予定どおり高尾山まで歩くのに十分な時間が残ってはいるものの、高尾山に近づくとこれまで以上に人が多いはずである。そして、くさくて騒がしい高尾山頂を通るのも気が重い。
加えてこの先、小仏城山まで進むと、下山道が通行止めで通れないと高尾山のビジターセンターに書いてあった(WEBによると、車が通れないだけで人は通れるようである)。小仏バス停にエスケープするとしたら、ここが最後のチャンスである。
つらつら考えて、縦走はここまでにして小仏バス停にエスケープすることにした。事前の調べは十分ではないものの1/25000図はあるし、標高差はともかく距離はそれほどないので1時間ちょっとみれば大丈夫だろう。
バスは毎時40分のはずだったから、12時15分に出発して1時40分発を目指す。登山道はいきなりの急傾斜でびっくりしたが、考えてみればここから標高差400mを2km少々で下るのだから、傾斜は急である。その分すれ違う人も少なく、抜かれたのも麓まで5人だけだった。
静かに山道を下りながら、自分が歩きたいのはこういう山なんだと改めて思った。百名山にはあまり興味はないし、人が多い山になど行きたくない。この連載の最初の頃がそうだったように、私の行きたいのは本来、人があまり行かない山だったのである。
午後1時を過ぎた。急傾斜は変わらないものの、下の方から採石場の作業音のような音が聞こえる。もうそろそろ麓に着いてほしいところであるが、音が聞こえるだけで周囲は深い森の中である。今どこにいるのかも見当がつかない。
15分ほど下った頃だろうか、木々の間から構造物のようなものが見えた。そして、気がついた。しばらく前から響いていた騒音は採石場でもセメント工場でもなく、高速道路を通る車の音だったのである。ちょうど小仏トンネルの出口なので、よけいに反響しているのだろう。
高速道のすぐ脇に舗装道路に下りる階段があって、そこが下山口だった。下山口からバス停までなかなか着かないので少しだけあせったが、前を行くグループもあわてていないので、バスの時刻には間に合うんだろうと思った。
15分ほど歩いて、12時30分小仏バス停着。すでにバスが止まっていて、下山途中に私を追い抜いて行ったグループの顔も見えた。
40分の出発時刻にはすでにほとんど席は埋まっていたが、途中からリュック姿のハイキング客が乗ってきて、立つ人もいた。高尾山から下りてくるコースがある他、どうやら小仏城山からも歩くのは大丈夫であるらしい。それにしても、平日なのにこの混みようはさすがに高尾。私が普段行く山とは違う。
当初は、ケーブルカーで下って高尾山口の日帰り温泉で汗を流そうと思っていたけれど、乗り換えて高尾山口まで逆戻りするのも何だし、3密回避で入場制限になっている可能性が否定できない。これ以上、人が多い所に行きたくない。このまま家に帰ることにしよう。
小仏から高尾駅まで20分ほどで到着して、2時過ぎの特別快速に乗ることができた。予定ではまだ高尾山でケーブルを待っているはずの午後3時には新宿に着いて、4時半には家に帰ることができた。
日帰り温泉に入らないで浮いたおカネで、奥さんの好物である船橋屋の豆寒天を買って帰った。マスクなし話放題おばさんからの感染を心配したけれども、どうやらコロナに罹っていないようなのは何よりのことであった。
この日の経過
陣馬高原口(306) 7:00
8:10 和田峠(751) 8:20
8:50 陣馬山(854) 9:15
10:00 明王峠(738) 10:10
11:45 景信山(727) 12:20
13:30 小仏バス停(292)
[GPS測定距離 11.8km]
[Jan 11, 2021]
景信山は景信茶屋の私有地のような趣きで、古い木の椅子やテーブルが所せましと置かれて雑然としている。この日は平日で営業していなかった。
頂上は雑然としているが、眼前に広がる眺めはすばらしい。遠く、新宿高層ビル街も望める。高尾山もそうだが、武蔵国の国見山だったに違いない。
小仏への道を下りてくると採石場のような騒音がかなり前から響いているが、それは高速道路を通る車の音だった。下山口からバス停まで、15分ほど歩く。
赤杭尾根・真名井林道 [Nov 6, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
10月に行った鬼怒沼が予想外の雪とアイスバーンの世界だったので、もう少し暖かい山を歩きたいと思った。この時期だと奥多摩がいいのだが、まだ2年前の台風の影響が残っている。
日原方面行のバスは復旧したものの、西東京バスのHPには「小型バスしか走れませんので、次のバスまでお待ちいただくケースがあります」などと不気味なことが書いてある。登山道もまだ通行止めのところが多い。
どうしようかと思案していたところ、思い出したことがあった。川苔山の帰りの尾根道がいい景色だったような覚えがあるのだけれど、時間が遅くて急ぎ足の上に日が暮れて暗くなってしまったことがある。
昔の記録を調べたところ、あれは2012年、もう9年も前である。こうして行こうと思っているうちに時間切れになってしまうかもしれないのだなあ、と妙な感慨もあり、さっそく次の山行に計画したのである。
この尾根は赤杭(あかぐな)尾根といって、川苔山から下りてくる途中に赤久奈山がある。川苔山なら奥多摩より手前だし、バスに乗らなくてもJR駅から歩ける。川苔山まで足を伸ばすと前回と同じように日が暮れるので、途中のエビ小屋山までの計画とした。
(ちなみに、赤杭尾根と書くなら赤杭山と書くべきかもしれないが、1/25000図と山名標に敬意を表して赤久奈山とさせていただいた。)
2021年11月6日土曜日、普段なら少しでもすいている平日にするのだが、休日パスを使って費用を節約したいものだから、土曜日にした。午前5時の北総線始発で東松戸まで、JRに乗り換えて武蔵野線で西国分寺に向かう。暗いうちに家を出たのに、南浦和あたりでもう混んできた。
西国分寺より先は、もう座ることができないほどの混みようである。奥多摩方面に来るたびに次は泊りがけで来ようと思うのだが、根が貧乏なのでどうしても宿泊費・交通費で1万円が出せないのであった。
古里で下り、身支度をして駅の北側に向かう。前回ここを通った時は日が暮れて暗かったし、9年前なので記憶が定かでない。住宅街で急傾斜が続くのは、古里に限らずこのあたりどの駅もみんな同じである。
10分ほどで階段を登り、暗い森の中に入る。あまりにも暗いと思ったら、日差しが強いと思ってサングラスにしていた。それにしても、見覚えのない道である。前回は下り、今回は登りだけれど、こんな場所を通っただろうか。
ピンクテープを追っているうちに心細い道に入ってしまい、スマホのナビを見ると登山道とは全然違う場所を歩いている。なんと、造成中の杉林の中に入っていたのだった。標高差で50m、時間的には10分強余計な高さを登ってしまった。
スマホを頼りに正規の登山道に戻り、スイッチバックの急傾斜を登る。きついのは尾根に上がるまでの間で、サス尾根との合流点で稜線に上がるとそこから先は傾斜がずいぶん緩くなる。記憶していた赤杭尾根のイメージどおりの道である。
尾根に上がるまで40分ちょっとかかった。休んでいる間に単独行のシニア1名、次のズマド山分岐で川井方面から登ってきた2人に抜かれただけで、こちらから登る人は多くはないようだ。
「森林再生間伐事業箇所」の看板が頻繁に出てくる。このあたりは杉の人口林の多い場所で、午後に通る予定の林道も木材の運搬のために計画された道路である。登山道を境界に、自然林と人工林が整然と分かれる場所も多い。いまでこそ自然林が水源として重要だが、数十年前には木材になる人工林こそ重要だったのだ。
古里駅から登る道は、こんなところ通ったっけという心細い道。このあたりで造林中の道に入ってしまい10分ほどロスした。
サス尾根分岐で尾根にあがってからは、記憶していた歩きやすい尾根道。比較的ゆるやかな登り坂が続く。
赤杭尾根に乗ると、登山道を境にして自然林と人工林がきれいに分かれる場所も出てくる。
赤久奈山には、赤杭尾根を150度くらいUターンして左に進む。これまでは杉の植林が左、自然林が右だったが、今度は右が植林、左が自然林となる。山頂まではちゃんと踏み跡があるけれども、展望は開けない。
山頂には最初、「古里方面→」の手製プラ行先案内しか見えないけれども、左の茂みに三角点と手製山名標が見つかる。ベンチも広場もないけれども、座れるように丸太が置いてある。
10時40分赤久奈山着。9年前はこのあたりずっと素通りしてきたが、思った通りゆっくり登れる気持ちいい尾根である。標高は923.5mなので、古里駅からだと標高差600m以上登っていることになる。
とりあえず、リュックを下ろして休憩。3時に朝食だったのでここでお昼にするつもりだったが、テルモスにお湯を用意してあるのにカップを忘れてコーヒーが飲めない。予想に反して肌寒かったので残念なミスであった。
仕方がないのでホイップクリーム入りメロンパンと水でお昼。登山道から100mほど奥に入った場所にあるので誰も来なかったが、20分ほど休んで登山道に戻ると下りてくる人達と何組もすれ違った。この時間に川苔山から下りてくるには、6時くらいから登り始めたのだろうか。
ときおり尾根の左側が開けて、樹間から川苔山の横に長い姿が見え隠れする。標高1000mくらいで傾斜がゆるくなるので、幅広の特徴ある山容である。
しばらく進むと、林道が右から合流する。右後方を振り返ると、何台かのオートバイが止まっているのが見える。ここまで登ってこれたということは、少なくとも歩いて下りるのは問題なさそうだ。そして、直進する林道にはトラロープが張ってあり「車両通行止」の紙が下がっている。
記憶では、このまま林道を直進して川苔山に至るはずだが、右手の斜面に踏み跡が続いている。トラロープに不安を覚えて踏み跡を進んだのだが、ここがまた余計な登り下りで、無駄に体力を消費してしまった。記憶していたとおり、結局林道と合流する。
その後の林道は路肩が崩れていたりして車の通行はできないが、歩く分には問題がない。そして、「←川乗山」の消えかけた木製行先表示に従って急斜面の登りが始まる。
さて、このあたりでスマホのナビ画面が消えてしまい、あとどのくらい登ればエビ小屋山なのか分からなくなってしまった。時刻はそろそろ正午、見上げると登りはまだまだ続きそうだ。少なくとも、標高差50mでは足りないだろう。
帰ってから調べると、この日の最高到達点は標高1021m、エビ小屋山は1147mだから、まだ標高差100mあったのである。結果的には、ここで撤退したのは正解だった。
この日は、下りで予定している真名井林道がどのくらい時間がかかるか不明だったので、12時をめどに下山しようと思っていたのである。スマホのナビが使えなくなったので、余計に登る気力がなくなってしまった。
標識にしたがって赤久奈山に150度ほど戻る。ここも、西側が人工林で東側が自然林。
赤久奈山は赤杭山とも書くが、読みは同じ「あかぐなやま」。三角点があるけれど、いまでは見通しは利かない。
さらに進むと、樹間から川乗山が見えてくる。
帰ってからGPSで確認したところ、この日の最高到達点は標高1021m付近。エビ小屋山の独標点が1147mだから、まだ標高差120mほど登らなければならなかった。この後の林道歩きがよく分からなかっただけに、撤退は正解だったろう。
急傾斜の山道を下り、林道に出て合流点まで戻る。普通に歩くと砂利道の林道を通行止のトラロープの地点まで戻る。9年前に来た時、林道の右側が広くなっていたような記憶があるのだが、そういう場所はなかった。
林道合流点から、真名井林道に向かう。登りの時に止まっていた何台かのオートバイはすでにいなくなっている。あるいは、この駐車スペースが記憶していた広場だったのかもしれない。
歩き始めてしばらくコンクリの簡易舗装で路面の凸凹がほとんどなく、遠くには紅葉も見えてすばらしく歩き心地のいい道だった。何にせよ、登山道と違って右足と左足を交互に出していれば麓に近づくのがすばらしい。
しかしながら、5分も進むと簡易舗装は砂利道となり、さらにその砂利さえなくなって大きな岩の凸凹道になってしまった。ちゃんと下を見て歩かないと、靴底に岩が当たって痛くて仕方がない。
真名井沢に下りるまでの間、大きなヘアピンカーブが3ヶ所あり、南東から北西、さらに南東、さらに北西と180度方向転換する。どの地図をみても距離も所要時間も載っていない。標高差が同じなら所要時間も同じという経験則から、最大3時間という見込みがあるだけである。
最初のヘアピン、次のヘアピンを曲がったあたりで、引き返してから1時間が経過した。2つ目から3つ目の間が最も距離が長い。ちょうど工事用の砂利置き場のように広くなっている場所があったので、リュックを下ろして休憩にした。
休憩後も、同じような路面状況が続く。時折簡易舗装の整った路面が出てくるけれども、基本的に橋とか路肩補強とか工事をしている場所の近くだけで、すぐに砂利道から岩道に戻る。路面すべてが落ち葉に覆われている場所もかなりある。
2週間前に歩いた奥鬼怒スーパー林道よりもワイルドな状況である。スーパー林道は八丁湯と加仁湯の送迎バスがあるからまだ使われているけれども、この真名井林道はおそらく使われていない。オートバイのライダーが入るくらいかもしれない。
途中で水力発電施設みたいな場所があったが再び林の中になり、最後のヘアピンカーブを曲がって作業用プレハブが見えたけれども、これもすでに廃屋だった。真名井沢を渡る橋で向こうからくる林道と合流するが、路面状況は相変わらずである。
それもそのはず。林道の始点はバス通りから入ってすぐの場所で、そこにはバリケードが設置されていた。バリケード横の隙間にも大きな岩が置かれていて、オートバイ組は結構無理して入ってきたのだなあと麓まで下りて来て気づいたのだった。
バス通りに合流してすぐ上日向のバス停。時刻表を見るけれども、当然こんな時間には走っていない。行先案内が出てきて川井駅まで3.3km。もう午後2時20分なので、3時20分川井発の電車はぎりぎりである。
結局、赤杭尾根の合流点から真名井林道入り口までまる2時間、そこから川井駅まで50分、合計3時間弱かかった。何とか電車の時間には間に合ったが。
この日の経過
JR古里駅(280) 8:15
9:00 サス尾根分岐(465) 9:10
9:45 ズマド山分岐(690) 9:45
10:40 赤久奈山(923) 11:00
11:50 エビ小屋山麓(1021) 11:50
12:50 真名井林道工事跡(704) 13:00
14:20 真名井橋(326) 14:20
15:10 JR川井駅(253)
[GPS測定距離 16.9km]
[Jan 17, 2022]
林道と合流した後、急傾斜が始まる。1147m独標点のあるエビ小屋山まで行きたかったが、まだはるか上なのに予定時間となってしまい下山する。
真名井林道に入った直後は路面もよく景色もすばらしいが、すぐにあまりメンテしていない林道になってしまう。
真名井林道入口はバリケードで車両通行止めとなっていた。終点で見かけたオートバイ組は横から入ったのかな。
槇寄山・笹尾根 [Nov 17, 2021]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
2021年10月は3日ごとに雨が降り、朝晩も冷えて山という天気ではなかった。11月に入りいい天気の日が続いたのだが、10月の低温が響いて日光の山の上はすでに氷と雪だった。紅葉の前に雪、順番を間違えた気候である。
それでは、毎日天気だからいつでも山に行けるかと言うと、そういう訳にもいかない。この11月は、コロナワクチンの接種があって日程に制限があった。結局、10日間隔で日光鬼怒沼、赤杭尾根、今回の笹尾根と3連闘になった。
2021年11月17日、今回は奥多摩の奥の方になるので、日帰りには無理がある。そうでなくても、前回の赤杭尾根は朝3時起きでつらかったし、目標だったエビ小屋山まで到達できずに撤退している。いつまでも若くはないので、前・後泊することにした。
選んだのは東横イン秋川駅北口。ビジネスホテルに泊まるのは、お遍路の時以来になるだろうか。大き目のバッグに着替えとリュックと山荷物を詰め込み、当日はリュックに必要なものだけ持って歩く計画である。
秋川駅から始発に乗って武蔵五日市へ。バスは6時18分発の数馬行。これは朝2のバスだが、5時台のバスは五日市に泊まらないと無理である。乗客は2人、その1人は上川乗あたりで下りた。私の向かう笹尾根に、もっと遠くから登るのかもしれない。
7時10分過ぎに登山口のある仲の平に到着、身支度を整えて7時20分登山開始。バス停からしばらく集落の中の舗装道路なのだが、これがまた急傾斜でいきなりしんどい。前泊したので体は楽だけれど、急坂に足腰が痛む。
このあたりの民家はまだ人が住んでいる。バスでJR駅から1時間入ったにもかかわらず、どの家にも軽トラが止まり、すでに活動し始めている家もある。いちばん上の民家の右に、登山道が続いている。ここでようやく、傾斜がゆるやかになった。
この日前半戦の槇寄山(まきよせやま)の登りは、バス停から最終民家までが一番きつく、登山道に入って少し緩くなり、大平(数馬)からの登山道と合流してさらに緩くなる。登り始めが一番きつくて、だんだん楽になる面白い登りである。
この登りのコースタイムが、吉備人地図では1時間55分である。アルパインガイドの1時間35分とかなり違う。吉備人地図はコースタイムが相当いい加減なのだが、私だってこんなにかからないという設定であった。
この尾根は槇寄山北東尾根といい、標高が上がるにしたがって歩きやすくなる。地元の人が作ったらしい「国定忠治遠見の柱」(マジックで書いてある)が立つけれども、もちろん上州まで見えるわけではない。谷越しに浅間尾根が見えるだけである。
数馬から登ってくる大平分岐を過ぎると、小ピークを巻くトラバース道が続く。最後は急登を覚悟したのだけれど、そんなこともなく西原峠到着。西原(さいはら)とは、峠の向こうにある上野原の集落名である。
西原峠からひと登りで槇寄山到着。9時5分だから、登り始めて1時間45分である。吉備人の1時間55分を参考としていたから、予定より相当早く着いてしまった。
頂上には三角点と、テーブル付のベンチが2脚置いてある。私ひとりではもったいないくらいの広さである。風もなく日が差してきて穏やかだが、三頭山の方向を見ると雲が峰を隠している。この日までは好天という予報なのだが、山の上に来るとそうでもないみたいである。
仲の平バス停を下り、笹尾根を見上げる。一番奥に見えるのが槇寄山だろうか。
槇寄山までの登りで一番きついのは集落の中である。民家の間、急傾斜の舗装道路を登りつめて、登山道に入ってようやく傾斜が少しゆるくなる。
大平(数馬)方面からの登山道と合流した後は、ほとんどが小ピークを巻くトラバース道。それほど息が上がらずに西原(さいはら)峠を経て槇寄山に到着。
槇寄山からの笹尾根は、これぞ尾根道という感じのすばらしい歩き心地である。
なだらかなアップダウンで息があがるような場所はなく、木々が展望をさえぎっている点だけが玉に瑕である。しかし、楽なのは2つ3つ起伏を越えてクメタケタワの表示のある道標までで、そこから先は急登が始まるのだった。
それは、事前に1/25000図を見て見当はついていたのだけれど、実際に急登が始まるとこれまでがゆるかった分余計にきつく感じる。そして、最初は傾斜がきついだけだったのが、次第に岩交じりのとがった斜面となる。
木間から見える三頭山方面の稜線の高さまで来たと思っても、まだまだ登りは続く。この日の登りでは、バス停から集落内の舗装道路と、クメタケタワからハチザス沢ノ頭までのここの登りが一番きつかった。
とはいえ、槇寄山からハチザス沢ノ頭まで、吉備人地図には1時間45分と書いてあるので、きついのは当り前と覚悟していた。とはいえ、このコースタイムも大甘だった。クメタケタワまで25分、そこからハチザス沢の頭まで45分、合計1時間10分で着いてしまったのである。
この日は前泊したのでいつものように長い電車の疲れもなく、夜中に起きて早出した訳でもないのでテンポよく歩けたというのはあったにせよ、私レベルでコースタイムの7割なんてことは考えにくい。吉備人がちゃんと計っていないに違いない。
さて、いくつかの急登を乗り切ってハチザス沢の頭で都民の森に出た。右左に行先案内が林立し、ベンチが2脚置いてある。ここで一息つくことにしてリュックを下ろす。まだ10時半にならないけれど、テルモスに入れてきたお湯でインスタントコーヒーを淹れる。
お昼にしたのは、ファミマの練乳クリームフランスパンである。このところ、ヤマザキランチパックからバケット風に好みが移行している。引き続き風もなく穏やかだ。振り返ると、今来た急傾斜への登山道入口に「ここから先は都民の森ではありません」と書いてある。
都民の森でないからといって登山道がきちんとしていない訳ではないが、ここから先でケガとか道迷いしたら自己責任になりますということであろう。そういえば、奥多摩湖方面のハチザス山に向かう場所でも、そう書いてあったことを思い出した。
都民の森の方向から、2人3人と登ってくる人達がいた。仲の平から槇寄山を経てここまで、民家の庭にいた地元の人以外とは誰とも会わなかったのに、さすが都民の森である。直通バスでこの時間はきついだろうから、車で来た人達だろうか。
ハチザス沢の頭から大沢の頭まで標高差でさらに100mほど登るが、都民の森だけあって路面は歩きやすく遊歩道といった雰囲気である。ここは「深山の道」という遊歩道で、そう書いた看板がいくつか立っている。
大沢の頭は1482mの独標点で、都民の森では「大沢山」と表記してある。三頭山への稜線でここがひときわ高くなっていて、周囲の展望も開けていい景色である。ここにもベンチが置いてある。
山梨方面の峰々もよく望めて、雲が少なければ富士山も見えるのかもしれない。この日は残念ながら、2つ向こうの道志くらいが限界で、そこより遠くは見えなかった。そして、さらに人が増えてきた。ここから少し下った鞍部付近に、避難小屋があるはずである。
槇寄山からの笹尾根は、クメタケタワという地点を過ぎると途端に急傾斜になる。1/25000図で見当はついていたんだけど、やっぱりきつい。
ハチザス沢ノ頭で都民の森の標識に出会う。登ってきた方向には、「この先は都民の森ではありません」と書いてある。そういえば、ヌカザス山方面にもそう書いてあったなあ。
さすがに都民の森に入ると、登山道というより遊歩道らしくなる。この日の最高標高となる大沢ノ頭1482m(都民の森では「大沢山」と表記)付近では、景色が開けて眺めがいい。
大沢の頭から坂を下っていくと、5分とかからずにログハウス風の屋根が見えてくる。三頭山避難小屋である。
奥多摩近辺の避難小屋はどこも大きくて立派だが、この三頭山避難小屋もたいへん立派な造りである。御殿山避難小屋や鷹ノ巣山避難小屋より大きいのではなかろうか。
中に入ると土間とテーブル、一段高く広い板の間がある。そして、壁を隔てて、水洗ではないがトイレも備えられている。寒い時など、小屋の外に出なくてもトイレに行けるようになっている。
しかしながら入口ドアに貼り紙がしてあって、「新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、当面の間、緊急時を除き、避難小屋の使用を控えてください」と書いてある。緊急時として想定されているのは大雨や雷など急な天候急変だろうから、普通に歩いてきてここで宿泊するのはやめてくれということであろう。
とはいえ、知らないでここまで来てこの貼り紙を見たとしたら、都民の森に車を止めていなければ麓まで下りることは難しい。もう暗くなって危ないという意味で、緊急時に含まれるのだろうか。
トイレには小さなタンクが置かれていて、「使用時にはタンクから水を流してください」とあるのだが、残念ながら空であった。「親切な方は空になったら汲んできてください」とも書いてあるが、残念ながら水場の位置は書いてない。まさか、標高差200mほど下りた沢沿いの水場ではないだろうけれど。
原則として使用自粛とのことだから、中の様子をちらっと見ただけで失礼する。避難小屋から下りてすぐのところがムシカリ峠で、まっすぐ進むと三頭山、右に折れると三頭の滝方面の分岐である。
三頭山は前回登ったので、ここで下りる予定であった。ただ、道案内に「三頭大滝まで30分」と書いてあったのは予想外だった。まだ11時半過ぎ。大滝まで30分で下りられるのなら、予定の1本前のバスに余裕で間に合う。
結論から言うと、都民の森がどういう考えであの表示をしているのかまったく不明で、吉備人地図でさえ50分と書いてあるのだからせいぜい40分だろうと思う。もちろん私も30分なんてとんでもなく、50分近くかかった。
大滝まで下りる登山道は三頭沢沿いに続いていて、下りるにしたがって水量が増える。20分ほど下りたところにポリバケツに沢の水を集めた場所があって、おそらくここが避難小屋の水場だろう。盛大に水が出ていた。
傾斜が急なのと足元が石畳なので、滑りそうでスピードが出ない。「下りでは転倒しないよう注意してください」とわざわざ書いてある。そんなことを言うくらいなら、「大滝まで30分」などと案内するなということである。
12時半に三頭大滝着。ちょうど滝に対面して滝見橋という展望台兼の橋が架けられていて、たいへん迫力がある。混んでいる時にはここに大勢並んでしまうのだろうが、この日は私の他に2、3組しかいなかった。
三頭大滝からメイン施設の森林館まで、ウッドチップの平坦な遊歩道が15分ほど続く。森林館からエントランスまでは下り坂なので5分ほどで着き、予定1本前の1時5分発の連絡バスには、15分ほど余して下山することができた。
私の山行で、計画より短い時間で下りることなどほとんどない。今回は参考とした吉備人地図のコースタイムがあまりに余裕含みなのが大きな要因だったが、スケジュールにも余裕があったのがよかったように思う。前泊・後泊付けた時に限って、予定より短く下りてこられるというのはちぐはぐなような気もするが。
あと、今回の山で驚いたのは、これまでとは比較にならないくらい水を飲まなかったことである。
約6時間の登り下りで500mlが余ってしまった。そういえば、前々回の鬼怒沼、前回の赤杭尾根も用意した水を余したのだが、ペットボトル1本で足りたというのは自分でも体質が変わってきたと思う。かつては、水がなくて死ぬ思いをしたのだ。
今回の場合、下山途中に水場があるのが分かっていたから、リラックスしてのどが乾かなかったという要素もあるだろうが、なんといっても大きいのは10kg超の減量である。
肉の荷物が減ったのに加え、やたらと持っていた水を減らすことができれば、さらに登るのが楽になるはずである。
この日の経過
仲の平バス停(670) 7:20
8:20 大平分岐(965) 8:20
9:15 槇寄山(1188) 9:20
10:10 ハチザスの頭(1400) 10:20
10:45 大沢の頭(1482) 10:50
11:10 三頭山避難小屋(1433) 11:20
12:20 三頭の滝(1100) 12:25
12:50 都民の森エントランス(995)
[GPS測定距離 9.0km]
[Feb 7, 2022]
三頭山避難小屋は大きくて立派。トイレも水洗ではないが小屋の中にある。ただし、「コロナのため緊急時以外は小屋の利用を控えてください」とのこと。
避難小屋のすぐ下にあるムシカリ峠には「三頭大滝まで30分」と書いてあるが、とてもじゃないがそんな時間では着かない。吉備人地図の50分が普通の人の足で着く時間。
三頭大滝。正面に「滝見橋」という展望台兼の橋があって、かぶりつきから見ることができる。ここから都民の森エントランスまで約20分。
次の山
この図表はカシミール3Dにより作成しています。