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檜洞丸 [Nov 26, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

芦ヶ久保丸山から帰ってきて、「朝早くてしんどい」と弱音を吐いたところ、奥さんから「前から同じこと言ってるよ」と言われた。確かに、早起きして山に行くのが年々つらくなってきた。

山歩きにせよお遍路にせよ、早起きして歩くこと自体はそれほど苦にならない。七ツ石小屋の朝など、あまりにも好調で急坂をすたすた登ってしまったくらいである。つらいのは、早起きして家を出て、それから3時間以上も電車移動する場合である。歩き始めた時点でもう疲れている。注意力も散漫になっている。

このことは、奥多摩で乗り継ぎに失敗した時切実に感じたのだが、この間は芦ヶ久保までの西武線乗り継ぎで失敗して、歩くのがたいへんつらかった。もう60歳を越えて、朝早く起きて始発に乗り3時間超の移動というのは、負担が大きいのかもしれない。

なぜ3時起きして始発に乗るかというと、前泊するとおカネがかかるからである。休日パスも同じことで、交通費がずいぶん安くなる。奥さんに言わせると「2回行くところを1回にして泊まればいいのに」ということになるけれども、近距離で泊まるというのはもったいない気がする。

とはいえ、仮に1回1万円多くかかったとして、これから何回、山に行けるだろうか。この「中高年の山歩きシリーズ」にしたところで、前回の丸山まで7年間で78回、7で割ると11回である。安全のために年間10万円は決して高くないし、そもそもそんなに行けるかどうかも分からない。

ということで、これからはなるべく当日の長距離移動はやめることにした。目処としては2時間、つまり県内の車移動くらいが限界で、それより遠くには前泊対応しようと思う。となると、別に奥多摩・丹沢にこだわることもなく、もっと遠くの山だって射程内に入ってくる。

とはいえ、これまで登ってきて、次はここという山はいくつかあって、そのうちの一つが檜洞丸である。春の蛭ヶ岳で、稜線沿いに檜洞丸まで歩くという計画であったのに、疲れてしまって回避したのであった。いま考えても、初見で通過する距離が長すぎた。

せめて、西丹沢自然教室(現在はビジターセンター)から檜洞丸まで歩いておけば、はじめてなのは蛭ヶ岳・檜洞丸間だけになった。それだって一筋縄ではいかないけれど、最後が知った道か知らない道かの違いは大きい。という訳で、早めに歩いておきたいルートであったのだ。

問題は、神奈川県のホテルはみんな高いということであったが、WEBをいろいろ調べていたら、楽天トラベルで日曜日泊4千円台という手頃なビジネスホテルを見つけた。お遍路に行った時のポイントも使って早速予約、11月25日前泊で出かけることにしたのである。

前泊したのは本厚木駅前の「厚木シティホテル」。構造上、外の音はほとんど入らないものの、廊下の足音や隣室の話し声が響くのはやむを得ない。何しろ値段が手ごろなのと、朝食を午前5時から用意してくださるのはありがたかった。

500円で、パン、フリードリンク、ウィンナ、スクランブルエッグとサラダ、ヨーグルト、フルーツにマンゴープリンまで付く。コンビニでサンドイッチやジュースを買っても500円くらいはかかるので、コストパフォーマンスも高い。

ゆっくり支度して6時20分に出発。各駅停車で新松田まで移動して、7時15分発の西丹沢行バスに乗る。このバスが朝の渋滞で遅れたのはちょっと計算違いで、西丹沢ビジターセンターを出発できたのは8時45分になってしまったが、家を朝5時に出たとしてもこのバスには乗れないので、前泊した甲斐があったというべきである。

西丹沢自然教室(現・ビジターセンター)には、特別の思い入れがある。四半世紀前、子供がまだ小さい頃に何度か山歩きを試みたのだが、西丹沢は敷居が高くてなかなか登れなかったのである。

丹沢で登ることができたのは大山と加入道山で、西丹沢の中核まで入ることはできなかった。だから、西丹沢自然教室とかユーシンロッジと聞くと、当時行けなかったことが思い出される。ユーシンロッジはおそらく、20年前位が宿泊できる最後のチャンスだったのだろう。

ユーシンロッジにはしばらく前に行くことができたが、西丹沢自然教室は初めてである。バスを下りるとその自然教室だが、月曜日なので残念ながらやっていない。それでも、トイレは使用可能なので助かる。

しばらく林道を歩いて、沢のように見える登山口からツツジルートに入る。いきなり急登で引き続き桟道で汗が噴き出す。ただ、汗が出るということは体調が悪くないということで、朝3時起きよりも足は大層軽い。

西丹沢ビジターセンターは月曜日のためお休み。それでも何人かの登山客がいたのは、さすが人気のある丹沢。


登山口からいきなり急登あり桟道ありで驚いたが、ひとしきり登った後は、ゴーラ沢出合までほぼフラット。


紅葉は盛りを過ぎたというビジターセンター報告でしたが、まだまだ十分きれいでした。


終点までバスに乗っていたのは10人ほどで、みなさんビジターセンター前で支度している。林道で私を抜いて行ったシニア男性2人組は登山口に入らずまっすぐ進んだので、大室山に行ったのかもしれない。登山口に入ってすぐ、単独行の女性に抜かれた。他の人達は、畦ヶ丸に向かったのだろうか。

西丹沢ビジターセンターでは定期的に現地情報を更新していて、最新情報では「紅葉は盛りを過ぎた」ということだった。とはいえ、登山口からひとしきり登った後のトラバース道では、まだまだ赤や黄色にきれいに色づいていた。景色を楽しみながら1時間ほど歩いて、ゴーラ沢出合に到着。

ゴーラ沢出合は東沢にゴーラ沢が合流する場所で、白い岩が川幅全体にうず高く積み重なっている。以前歩いた尊仏の土平とよく似ているのは、地質も地形も似ているから当り前かもしれない。平らな石の上に腰かけて、1回目の小休止。この近くに水場があるということだが、よく分からなかった。

ちょうど歩き出そうとした頃、後続の2人組が小さく見えてきた。声からすると女性のようだが、できれば静かに歩きたいので早々に登り始める。ゴーラ沢出合からは急階段を登るとガイドブックにあるが、急なのは階段だけではなくその後の登り坂も同様である。これまでのような緩斜面は全くない。

どんどん高度を上げていくが、その割に息切れしないのは体調が悪くない証拠だろう。芦ヶ久保丸山ではこのくらいの時間でもう辛かった。もっとも、ここできつかったら頂上までもたないのであるが。

次の休憩地は「展望園地」とガイドブックにある。実際の道案内では「展望台」と書かれている。そのあたりまで登ってくると、西に大きく立ちふさがっていた畦ヶ丸が目の高さにまで下がってきて、その後ろから富士山が姿を現わす。そこが「展望台」で、ベンチが一つだけ置かれている。

11時ちょうどに展望園地に到着し、水分補給とエネルギーゼリーで栄養補給。この日は水2.5㍑とお湯0.4㍑、食糧は夜の分まで持ってきている。水も食糧も十分で、あとは暗くなるまでに下山すればいい。バスは少々遅れたが、特に問題はなかろう。

休んでいる時に、シニア男3人組が下りてきた。場所を空けなくてはいけないかなと思ったら、休まずにそのまま下りて行った。この時間にここを通るということは、朝早くに登り始めたものと思われたが、一気に下れるというのは大したものである(帰りに下る時に痛感した)。

息が整ってきた時分に、後続の2人組が登ってきた。女性2人組であった。一人は早く登って、もう一人が追いつくのを待っている。さわがしく大声を出すのは後ろの人のようだ。追いつかれる前にリュックを背負って場所を空け、歩き始める。あわてていたので、日焼け止めを塗り直すのを忘れてしまった。

ゴーラ出合・展望園地間のコースタイムは1時間なので、ここまでコースタイムで登れている。私にしてはかなりのハイペースである。これまた、前泊した効果であろうと思われた。そして、後続の2人に休憩している間追いつかれなかったということは、私より速いペースという訳ではなさそうだ。

ここまで順調に登ることができたが、問題はここからである。檜洞丸まであと1.8km、標高差550mほどをコースタイム1時間半というのは、私には厳しいように思われた。とりあえず、次のベンチは標高1400m地点にある。そこまでまず登らなければならない。

相変わらず傾斜はきつい。ツツジコースという名前は穏やかだが、わずかの距離の間に標高差1000mを登るのだから傾斜は急に違いなく、そのことは1/25000図で分かっていたのだけれど、やっぱりきつかった。たまに木の階段になるが基本は岩交じりの急坂で、鎖も何ヵ所か出てくる。危険個所はほとんどなく、危ないとすれば下る時と思われた。

汗は絶え間なく噴き出してくるので、2.5㍑持ってきた水もすでに1㍑消費した。行く手には右からもう一つの稜線が見えてきている。あれが石棚山稜に違いない。とすると、その手前でベンチが出てくるはずなのだが、なかなか出てこない。コースタイムでは石棚山稜分岐に着いていい時間なのだが、かなり遅れているのは私のことだから仕方がない。

少し前から、太腿の上の方がぴくぴく痙攣するのが気になる。ふくらはぎが攣るのはしょっちゅうだが、この違和感は記憶する限り初めてのことだ。あるいは、午前5時に朝食の後、行動食しか取っていないのでHPが足りないのだろうか。

東沢とゴーラ沢が合流するゴーラ沢出合は、大きい岩がごろごろしていて尊仏の土平を思い出しました。平らな岩に腰かけて小休止。


ゴーラ沢出合を過ぎると、とたんに道が険しくなる。


ツツジコースと名前は穏やかだが、標高差約1000mを一気に登る厳しい道。それでも、熊笹ノ峰ルートよりも安全とのこと。


これじゃ稜線に合流しちゃうよと思っていたら、スイッチバックの踊り場のような場所にいきなりベンチが現われた。石棚山稜下ベンチ12時10分到着。展望園地から1時間10分。前のベンチで塗り忘れた日焼け止めを塗り、息を整えていたら2人組が追いついてきた。前回より休憩時間が少なくなったのは、私のペースが落ちているからに違いない。そそくさと席を空ける。

あまり休めなかったが、案内表示によると檜洞丸まであと0.8kmである。ということは、目の前の急坂を登り切れば石棚山稜分岐のはずで、そこまで行けば稜線なので休むところはあるだろうと思った。案の定、20分ほどで分岐までたどり着き、そこからなだらかになって折よく転がっている丸太もあった。腰かけてここで小休止する。

この日持ってきた食糧は、アルファ米のドライカレー、チョコレートワッフル、カロリーメイト、玄米ブラン、アーモンドとカシューナッツと盛り沢山であったが、実はこの中から夕食分を残しておかなければならなかった。だから、お昼は行動食ですまそうと思っていたのだけれど、さすがに休みが足りなかった。テルモスのお湯でインスタントのカフェオレを淹れてひと息つく。

休んでいる間に、2人組は私を追い越して行った。稜線は左に向けて続いているが、ここまでのような急傾斜ではない。ガイドブックではあと20分、案内表示の残り距離も0.6kmである。温かい飲み物をお腹に入れて、体力も回復した。あともう少しである。

ここから木の階段と木道の続くなだらかな道で、丹沢山の頂上近くと似た雰囲気だった。頂上のすぐ下に、ヘリから下ろしたと思われるフェンスや金属柱が大量に置かれていて、近くで作業中の人が2人いた。毎日登り下りするのも大変だろうから、青ヶ岳山荘に泊まり込みなのだろうか。水がない小屋だけに、大変そうである。

檜洞丸頂上に午後1時20分到着。8時50分に登り始めたから、休憩入れて4時間半、休憩なしだと3時間50分くらいで、コースタイム3時間半より20分くらい多くかかった。とはいえ、標高差1000mをこのくらいの時間であれば、私としては大健闘である。

1996年発行のヤマケイ・アルペンガイドでは檜洞丸について、「ブナなどの樹林に包まれている山頂からの眺めはあまりよくない」と書かれているし、そもそも1600mと丹沢では蛭ヶ岳に次ぐ高さがあるのに、三角点にも独立標高点にもなっていないことからして、百年以上昔から見晴しがよくなかったことは確かである。にもかかわらず、山頂は広くて明るい。

山頂はなだらかに広い。こんなに開けているとは思わなかったというのが第一印象であった。にもかかわらず、東京都の山にあるような立派な山名標はなく、それほど太くない柱に「檜洞丸」と書かれているだけである。

青ヶ岳山荘を経て臼ヶ岳、さらには蛭ヶ岳に向かう東側はすぐに下り坂で、あとは北も西も高原状になっている。ベンチの数も4つ5つある(もっとあったかもしれない)。南はいま登ってきた方向で、木の階段と木道で整備されていて、現在植林保護のための工事中である。

私同様ツツジコースを登ってきた2人組は、すでに通り過ぎた後であった。そういえば行きのバスの中で、蛭ヶ岳まで行くと話していたのはあの二人だったかもしれない。いずれにしろ、私を少々上回る程度のペースでは、ゆっくりしていたら蛭ヶ岳まで行く頃には暗くなってしまうだろう。

青ヶ岳山荘の方から単独行の女性が登ってきた。背格好からすると、朝方私をパスしていった女性のように思われた。そのまま、下山口方向に向かったので、もうお昼休憩はとうに済ませたようだった。

その女性が下りると山頂には私一人となり、驚いたことにあたりには何の音もしなくなった。寒いのでここまで鳥は上がってこないようだし、すぐ下で作業しているはずの工具の音も聞こえない。しーんとして、何かに音が吸い取られてしまったような静けさである。

標高1200mを越えて、ようやく檜洞丸の姿が見えてきた。


山頂直下は木道と木の階段で、丹沢山とよく似ている。ただし檜洞丸は、倒れたブナの木により歩きにくい状態となっている。


檜洞丸頂上。こんなに開けているんだというのが第一印象。かつてはブナが茂って鬱蒼とした雰囲気だったらしい。


予定よりやや遅れて到着した檜洞丸の頂上だが、あたりは何かに音が吸い取られたような静けさである。ここまで静かだと、こういう機会は二度とないのではなかろうかと思ってしまう。背負いかけたリュックを再びベンチに置き、見晴しがよくなった周囲の景色を改めて味わう。

東側には「ここから蛭ヶ岳まで4.6km、登り下りが連続する道です。梯子・鎖もあります。時間・体力に余裕をもって計画してください」と、蛭ヶ岳にあったのと同じ看板が掲げられていた。その向こうに、一段低く臼ヶ岳などの峰々が見え、同じくらいの高さに見えるのが蛭ヶ岳である。

蛭ヶ岳に続いて、いくつかの峰があり、その間の谷には崩れて白いガレ場が見えている。この春歩いた、鬼ヶ岩とか箒杉沢の頭だろうか。そうすると、3つ目くらいのピークが丹沢山で、そのさらに右、頂上に小屋が見えるのが塔ノ岳ということになる。

春に蛭ヶ岳まで歩いた時、ちょうど反対側からこちらの方向を見た。いまこうして蛭ヶ岳から塔ノ岳への稜線を見るのは何とも言えない気持ちである。かつて、ブナに囲まれて「眺めがよくない」と言われていた檜洞丸で、こうしてすばらしい景色を楽しむことができたのは予想外であった。

北側の道は犬越路に至る稜線である。こちらの看板には「ツツジコースより危険個所が多くあります」と書いてある。高速登山道・東海自然歩道になるのは犬越路よりも向こう側で、そこまでは鎖場や梯子があるとガイドブックにも載っている。時間に余裕のない時には、避けるのが無難なルートのようだ。

山頂でゆっくりしていたら、13時45分になった。早く山頂に着いたら帰りは石棚山稜から下ろうと思っていたが、残念ながらその余裕はない。それでも、下りのコースタイムが2時間だから、16時25分のバスには楽勝だろうと思って歩いていたら、あまりの急傾斜に全くスピードが出ないのである。

展望園地まで下りるのに1時間15分、ここですでに15時になった。さすがに疲れて一休みするが、登ってきた時にすれ違ったグループは休みなしで下って行ったので大したものだったのである。この時すれ違ったのは歩荷姿の何人かで、おそらく青ヶ岳山荘の関係者だろう。抜かれたのは2人で、もしかすると工事していた人達だったかもしれない。

展望園地を過ぎて、目の前の深い谷の下にゴーラ沢が見えた。あそこまで1時間で着くものだろうかと半信半疑になる。もし17時05分のバスに間に合わないと、2時間後のバスを待つよりも予約した中川温泉まで歩く方が早い。夕食はついていないので時間の心配はないが、できればそれは避けたい。

懸命にスイッチバックを下って、ゴーラ沢出合を16時に通過した。下り40分のコースタイムを55分かかっている。ただし、ここからは傾斜はほとんどない。バスの時間には目処が立ったが、今度は日が沈んで暗くなってきたのが心配になる。

ヘッデンをすぐ取り出せる場所に用意しつつ、それでも使わないにこしたことはないので、平坦なトラバース道を走るように飛ばす。ようやく桟道まで来た。行きには急坂だと思った最後の坂も、ゴーラ出合まで下ってきた急傾斜と比べるとさほどのこともない。舗装道路の林道まで出たのは午後4時半過ぎ、すでに足下は見づらくなっていた。

ビジターセンターに着いたのは16時45分。山頂から3時間、休憩時間を除いて2時間50分かかった。コースタイム2時間は、私にはとてもじゃないが無理である。ということは、春の蛭ヶ岳で予定通りここまで足を伸ばしていたら、かなりあせることになったのは間違いない。

バス待ちは私の他にもう一人と、車で来ていたグループが2台、すぐにあたりは真っ暗になり、私が最後の下山者であった。17時05分のバスでこの日予約した中川温泉に向かった。

下山中に足を滑らせて1回転倒したが、受け身をとったので大丈夫だった。また、左足の親指が痛んでマメができたかと心配だったが、幸い何ともなかった。ただ、翌日から久しぶりに両足の太腿が痛くなった。標高差600mは何回行ってもなんともなかったのに、標高差1000mだとやっぱり響くのであった。

この日の経過
西丹沢ビジターセンター(554) 8:50
9:50 ゴーラ沢出合(769) 10:00
11:00 展望台(1065) 11:10
12:10 石棚山稜下ベンチ(1412) 12:15
12:40 石棚山稜分岐(1513) 13:00
13:20 檜洞丸(1602) 13:45
15:00 展望台(1065) 15:05
16:00 ゴーラ沢出合(769) 16:00
16:45 西丹沢ビジターセンター(554) [GPS測定距離 10.5km]

[Jan 28, 2019]

檜洞丸から北方向。頂上には何ヵ所もベンチが置かれているが、私がいた時間はしーんと静まり返っていた。


東には、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳といった丹沢主脈が並んでいる。しばらく前に、向こうからこちらを見たのだ。


登りに時間がかかり過ぎて、下りも同じルートとなる。それでも、下山したのは16時45分、かなり薄暗くなっていました。別のルートなんてとんでもなかった。


仏果山・経ヶ岳 [Feb 18, 2019]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2019年の冬は、雪が少なかった。2度ほど積もった日はあったが、どちらかというと沿岸部で降雪量が多く山では根雪とならなかった。となると、ヒルが出ないうちに丹沢である。

1月に大台山から御殿山に登った際、最後の階段で息が上がってしまった。誰も通らなかったからよかったようなものの、誰か来たら邪魔だしみっともない。房総の300m級でへたばるとは、いかにアップダウンが激しいとはいえ無様である。

そんなことがあったので、この春はいきなり1000mを目指さず、低山から始めることにした。低山とはいえ、丹沢は低い山でも房総の倍はある。今回は、本厚木からバスで行ける仏果山・経ヶ岳を歩く計画を立てた。

このルートの大部分は、個人的に高速登山道と呼んでいる関東ふれあいの道である。環境省の指導のもと、国・都道府県が予算をつけて整備・維持管理している。房総の奥の方には鎌倉幕府以来維持管理されていないような登山道もあるけれど(w)、高速登山道ならそのようなことはないだろう。

2019年2月19日、前の週は寒かったが、この日は高気圧が張り出していい天気になりそうだ。もっとも、あまり暖かい日が続くとヒルが出るので、このくらいの季節がいい。

朝一番の電車で都心に出て、小田急で本厚木まで。本厚木から宮ヶ瀬行きのバスに乗って、仏果山登山口に着いたのは午前8時半。雨も雪も少なかったせいか、宮ヶ瀬ダムの水位はかなり下がっていた。バス停前から登山道への階段がある。

宮ヶ瀬ダムは、塩水林道から丹沢山に登った時以来である。階段を上がってすぐに登山届ポストがあり、ヒル除けスプレーも置いてある。スプレーは空だった。まだヒルは出ないということでひと安心である。

それでもさすがに、道案内と同じくらい多く「ヒル注意」の看板が立てられていた。登山道入口には「クマ注意」の立札があり、つい最近クマの目撃情報があったということで驚いたが、登山道に入ると「ヒル注意」ばっかりだ。

山肌に沿ってなだらかに登山道が登って行く。房総ではあまり見かけない景色で、登りが長いのは厳しいけれど歩き甲斐がある。やがてスイッチバックの急坂になった。

この日は朝一番で3時間半の移動、しかも前日あまりよく眠れなかったにもかかわらず、体調は悪くない。足がスムーズに前に進むし、息もそれほど切れない。ちょっとうれしい。

ひとしきりスイッチバックを登ると、共同アンテナのような設備の横にベンチがあったので小休止。この日は寒くなさそうなので夏ズボンをはいて来たけれど、2月にしては暖かく汗もよく出る。

ベンチで一休みの後、再びスイッチバックの登りがあり、峠地形が見えてくると宮ヶ瀬越で稜線に出た。宮ヶ瀬越の「越」とは「峠」のことで、このあたりにはなんとか「越」という地名がいくつかある。

宮ヶ瀬越では休憩せずにそのまま高取山に向かう。15分ほど尾根道を進むと、話に聞いていた鉄骨造りの展望台が見えてきた。かなり高くて立派なものだ。9時55分、登山口から1時間20分で高取山頂上に到着した。

登山口からヒル除け設置場所を過ぎると、いかにも登山道らしい登りとなる。房総ではあまりみかけない道である。


登山口から1時間、峠地形が見えてくると間もなく宮ヶ瀬越である。ここからまず左へ進み、高取山を目指す。


高取山頂上には十数mの展望台が建つ。仏果山にも同じ仕様の鉄塔があるが、位置が違うので見える景色も微妙に違う。


鉄骨製の展望台に登ってみる。この日登った山々は標高も低いので、登山道の周囲を木々が取り巻いて見通しがよくない。せいぜい、葉の落ちた隙間から向こう側が見えるくらいだったのだが、20m近くある展望台の上は一番高い木よりさらに上にある。

さえぎるものは何もない絶景である。足下には宮ヶ瀬湖が広がり、湖にかかった2つの橋もすぐ近くに見える。橋を渡った向こう側が三叉路バス停で、そこから歩いて丹沢山に登ったのだった。ということは、三叉路から立ち上がる稜線が丹沢三峰、左に高く見えるのが丹沢山である。

南に目を転じると、見覚えのあるアンテナは大山、送電鉄塔の見えるあたりがヤビツ峠である。すると、そこから続くのが二ノ塔、三ノ塔から塔ノ岳への表尾根。塔ノ岳から丹沢山の間のピークが日高、龍ヶ馬場になる。

さらに蛭ヶ岳への稜線に見えるピークは、不動の峰と鬼ヶ岩、このあたりは手前の丹沢三峰の後ろになるので見え隠れしている。そして、蛭ヶ岳から伸びる最後方の稜線が、黍殻山から焼山の東海自然歩道ということになる。

これまで相模湾側からの丹沢主稜線に見慣れていたので、こうして逆側から見るとなんだか印象が違う。そして、丹沢から道志側に下っている山並みはあまり見たことがなかった。昨年蛭ヶ岳から下りた時は、一番向こうに見える稜線の逆側に出たのだ。

高取山の頂上には展望台だけでなくいくつかベンチやテーブルが置かれている。まだ時間が早かったので小休止にとどめ、水分補給だけで10時15分出発。再び宮ヶ瀬越まで戻って仏果山に向かう。

1/25000図を見ると、宮ヶ瀬から高取山と仏果山はほぼ同じ距離に見えるが、仏果山に行く方が時間がかかる。というのは、稜線が微妙に左ドッグレッグしていて、その間3つ4つコブがあって登ったり下りたりしなければならないからである。

そういえば以前、高原山の釈迦ヶ岳で同じようなことがあったのを思い出した。今回は幸いに、釈迦ヶ岳ほど苦労することなく、アップダウンを繰り返しているうちにピークが近づいて、ロープのある急登を登ると広くなった仏果山頂上に出た。午前11時、高取山から45分かかった。

高取山は私の他には1人しかいなかったのだが、仏果山はすでに3グループ4、5人がいて、お昼休憩をしている間にもさらに何グループも登ってきた。すべてシニアである。平日でこれだから、休日だとさらに人が多くなることだろう。混む前にお昼にする。

この日のお昼は、ジャムとクリームのコッペバン、定番のフルーツパック、パックのぜんざい、テルモスのお湯で淹れたインスタントコーヒーである。風もなく、お昼休みには何よりである。とはいえ、どんどんシニアが登ってきて騒がしくなってきた。少しあわただしいが出発する。

高取山と同様、仏果山にも鉄骨製の展望台が建っている。同じ景色だろうと思ったけれども登ってみた。すると、位置が違うので景色が微妙に違って面白かった。宮ヶ瀬ダムが遠くなり、代わりに大山が近づいていた。東側には、相模原市から多摩への景色が広がっている。

備え付けられていた展望台の銘板によると、発注者は愛川町で有限会社佐藤建設の施工、1988年2月完成とある。高さは13mで、もっとあるかと思った。高取山と構造も姿形も同じなので、おそらく同時期に作ったものと思われた。

1988年ということは昭和から平成に代わる時期であり、官房長官が小渕で総理大臣が竹下である。ということは、あるいはこの展望台は、例の「ふるさと創生1億円」によるものなのかもしれない。

再び宮ヶ瀬越に戻って、逆方向の仏果山に向かう。木々の間からピークが見えて来るが、尾根伝いに右から回り込むので結構時間がかかる。


山頂直下ではロープも登場する急登となる。


仏果山頂からの眺め。アンテナの立つ大山頂上から、表尾根、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳から黍殻山・焼山に至る丹沢山系が一望できる。


仏果山からの眺めを楽しんだ後、ちょっと失敗してしまった。当然まっすぐの道を進めばいいだろうと思って、展望台から下って行くのだが、これから進むべき経ヶ岳が見えて来ないどころか、どうみてもこれは宮ヶ瀬へ下りる道である。

すでに5分ほど下りてしまったので、面倒だからこのまま下山してしまうかと一瞬思ったが、時刻はまだ正午前。午後1時には麓に下りてしまう。それではいくらなんでも時間を余し過ぎる。仕方なく、いま下った道を登り返す。幸い、ほどなく展望台が見えてきて安心したが、10分ほどのタイムロスをしてしまった。

経ヶ岳方向へは、先ほど登ってきた急登のすぐ脇にあった「この先道幅狭く注意」の立札の横を進む。実は、さっき下りかけた道とこれから進む経ヶ岳への道は、高速登山道・関東ふれあいの道なのだが、朝から登ってきた道より厳しい道になってしまったのは予想外であった。

丹沢の低山でヤセ尾根というと、梅ノ木尾根の「この先は登山道ではありません」の標識がすぐ思い浮かぶが、ここのヤセ尾根も負けず劣らずのヤセ尾根だった。両側が鋭く切れ落ち、踏み外したら大変である。

関東ふれあいの道だと、こういう危険個所には両側手すりを設置していたりするところが多いのだが、ロープが引いてあるだけである。千葉の高速登山道とはレベルが違う。よく見ると谷の深さは梅ノ木尾根ほどではないが、それでも落ちたら大ケガ必至である。

そして、梅ノ木尾根の危険個所よりこちらの方が距離が長いような気がする。高速登山道どころか、関東ふれあいの道に入ってから急激にスピードが落ちてしまった。

半原方面への分岐あたりでようやく尾根が広くなり、足下も安定した。ゆるやかなアップダウンを乗り越えていくと、1/25000図の640ピーク、革籠石(かわかごいし)山に出た。ここで一休み。ずいぶん歩いたように思ったがまだ12時20分、仏果山から40分しか歩いていなかった。

さて、この日登ったのは仏果山といい経ヶ岳といい抹香臭い名前である。関東ふれあいの道なので山名由来など多くの説明看板が掲げられていたが、仏果山は室町時代の仏果禅師が座禅修行した山で、経ヶ岳は弘法大師がお経を納めた山という。

弘法大師がここまで来たとは思えないとしても、塔ノ岳を中心とした丹沢山系は古くから山岳修験の盛んだった土地である。また、大山は別名雨降山で、やはり古くから雨乞いの山であった。そうした背景があって、鎌倉時代以降、地域が開けて行くと同時に仏教も浸透していったものと思われる。

革籠石山から先、ようやく高速登山道らしく歩きやすい道が続く。とはいえ、朝から登り始めてすでに4時間、そろそろ足腰に疲れが出てきた。これから半原越まで150m下って、経ヶ岳まで150m登るのは、分かっていたとはいえ気が重い。

591ピークのあたりでは黒板を持った工事中の人達がいて、ちょうどお昼を食べている最中だった。付近には柱や網が何ヵ所か置いてあったから、鹿除け・猪除けの設置工事だと思われる。そこから半原越まで下りて行くと、林道にトラックが何台かとオートバイが止めてあった。

林道に交差したところが峠で、林道の逆側から経ヶ岳への登りが始まっている。いきなりのスイッチバックだ。ここまで下ってきたのに、その分また登らなければならないと思うと気が重い。この日一番高かったのは仏果山747mだが、累積標高差は優に1000mを超えていたと思う。

スイッチバックを登り切ってようやく稜線に出たと思ったら、今度は擬木の階段である。例によって土留めの土が流出していて、大変歩きにくい。下りてきたおじさんがやけにゆっくり歩くと思っていたら、すれ違う時に「足が痛くなっちゃって」と言っていた。標高が低いからといって楽とは限らないのである。

仏果山からは高速登山道のはずなのに、まるで梅ノ木尾根のようなヤセ尾根が続き油断できない。


1/25000図の640ピークには、革籠石山の山名標が立つ。このあたりまで来ると、道幅が広がり高速登山道らしくなる。


いったん標高488mの半原越まで下りて、経ヶ岳633mへの登りとなる。かなりきつい。


経ヶ岳への最後の登りはきつかった。長い階段が終わったと思ったらそこはまだ経石といういわゆる肩にあたる場所で、その先にまだ急登が待っていた。ようやく登り切った山頂は意外と広かった。半原越から35分、13時55分に到着。

私のすぐ後に登ってきたおじさんも、「今日一番きつかったですね」と言っていた。おそらく私と同様、仏果山から縦走してきたようだった。1/25000図で見るより、アップダウンがあって歩き応えのあるコースだった。

高取山・仏果山のように展望台はないけれども、ベンチがあって眺めがいい。三角点が置かれており、確かに測量するには具合のいい場所である。近くに、「丹沢の三角点」という案内看板が置かれている。塔ノ岳、丹沢山をはじめ主だった山にはほとんど三角点が置かれているが、檜洞丸だけはない。おそらく、昔は見通しが利かなかったためだろう。

ずいぶん南西に歩いてきたので、もう宮ヶ瀬湖は見えない。代わりに仏果山や半原越を経ていま歩いてきた稜線を見ることができる。東にも西にも、市街地が迫っている。ということは、アプローチには恵まれているということでもあろう。

さて、経ヶ岳から下山口である半僧坊バス停までは、ヤマケイアルパインガイドのコースタイムは1時間である。1/25000図を見ると、仏果山登山口から宮ヶ瀬越の倍近く見えるのだが、高速登山道だし、市街地が近いのでそんなものかと思っていた。

ところが、私の目見当の方がかなり正確で、実際に歩いたら1時間20分かかった。道もスイッチバックの急傾斜が多く、それほど時間短縮ができるとは思えない。

ヤマケイの担当者が歩けばそのくらいなのだろうが、ハイキング初心者も歩くであろう「関東ふれあいの道」なのだから、それなりの数字を載せてほしいものである(それに、経ヶ岳から革籠石山あたりのヤセ尾根は、初心者にはちょっと危険)。

もう一つ戸惑ったのは、千葉県だと関東ふれあいの道の行先表示には、目的地と残り距離がデフォルトで書かれているのだが、神奈川県の場合は目的地だけで残り距離が書いてないのである。同じ高速登山道でも都道府県によってやり方が違うようである。まさか、5kmに1基くらい置かれている石の距離表示を見ろという訳でもあるまいが。

経ヶ岳からしばらくなだらかな尾根が続くが、やがて急傾斜のスイッチバックとなる。林道と交差してそろそろ終わりかと思いきや、そこからがまた長い。

立ち止まってGPSを見て、現在位置を確認しようと思ったのだけれど、こういう時に限ってベンチが出てこない。結局、経ヶ岳から下山口まで休みなしで歩くことになった。

谷に向かって急傾斜を下り、堰堤を過ぎるとようやく道が広く平らになった。いきなり、車の音が間近に聞こえる。カーブをいくつか曲がると、国道に合流した。そのまま150mほど道なりに進んだ所に、半僧坊のバス停がある。

丹沢というとこれまで大山から西を多く歩いていたので、この山域は初めてであった。実際に歩いてみると、標高が低い割にアップダウンがあって時間がかかり、歩き応えがあった。しばらく房総を歩いていたので、2~3日は太ももが痛んだくらいだった。

景色も大変よく、朝一番で家を出ればそこそこの時間に歩き始められるので、移動による疲れも少ないような気がする。心配はヒルだけれど、2月であれば大丈夫そうである。

冬の丹沢は雪が積もったり寒かったりするけれども、このくらいの高さなら歩くのに不便はなく、ぜひまた来てみたい山域である。

この日の経過
仏果山登山口(213) 8:30
9:15 共同アンテナ付近(527) 9:20
9:40 宮ヶ瀬越(659) 9:40
9:55 高取山(705) 10:15
11:00 仏果山[昼食休憩](747) 11:40
12:20 革籠石山(640) 12:25
13:15 半原越(488) 13:20
13:55 経ヶ岳(633) 14:10
14:40 林道横断(430) 14:40
15:30 半僧坊バス停(105) [GPS測定距離 9.6km]

[May 20, 2019]

経ヶ岳への最後の登りはなかなかきつい。このルートを歩いてきた人と「今日一きつかったですね」と話になった。


二等三角点の立つ経ヶ岳頂上。標高600~700mの縦走だったが、結構歩き甲斐がありました。


経ヶ岳からの下りはたいへん長く、関東ふれあいの道なのに距離が書いてなかった。コースタイム1時間ではとても無理だと思う。


大山北尾根 [Nov 11, 2020]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2012年に開始した「中高年の山歩き」シリーズ、今回のレポートがめでたく100話目となる。

区切りの100話目の山を、どこにしようか以前から考えていた。10月に高尾・裏高尾に行って人疲れしたこともあり、ひと気のないこの山にまた行ってみたいと思った。その山とは、大山北尾根である。

このシリーズを書く以前にも、山に頻繁に行っている時期があった。四半世紀も前のこと、子供が小さかった時である。家族連れなのでそれほど高い山は難しかったが、なるべく人がいない静かな山を選んで登った。

その頃登った山の一つが、大山北尾根である。当時も大山はポピュラーだったが、北尾根はバリエーションルートの扱いだった。手元にあるヤマケイアルペンガイドの1994年版では、北尾根は点線すら入っておらずもちろんコース紹介もない。

ところが2014年版ではばっちり点線が入り、日向薬師、唐沢峠と並んでサブルートとして紹介されている。現在では、北尾根からの支尾根であるネクタイ尾根が、かつての北尾根的な位置づけのようである。

なぜ、北尾根がにわかに格上げとなったのだろうか。点線にもされない当時から、北尾根はほぼ危険がなく、歩きやすい尾根道とされていた。送電線管理の必要もあったのだろう、登山道もきちんと管理されていた。

思うにひとつの理由は、ヤビツ峠から奥に入ると交通の便がひじょうに悪く、車を路上駐車して歩く人が多かったからではなかろうか。現在もそうだが駐車スペースが十分でなく、多くの人が入り込むだけの余力がない。

もうひとつ考えられるのは、かつての丹沢にはあらゆる尾根、あらゆる谷に登山者が入り込んで、たいへん事故の多い山だったことである。

警察としては、行方不明で捜索願が出されれば放っておく訳にいかない。そして、大山周辺でも意外と山は深く、ときおり道迷いや転落事故が起こっている。大山にハイキングのつもりで登ってきた人達に、気軽に奥まで入ってほしくないというのが警察の本音であろう。

では、ガイドブックに載っていない大山北尾根をどうやって知ったかというと、それはパソコン通信によってなのであった。Niftyの会議室の中に北尾根のレポートがあり、バリエーションルートではあるがほとんど危険個所はなく、歩きやすいコースと紹介されていた。

家族で行ってみて、確かに鎖場、ロープはほとんどなく、道標はなかったけれど迷うような場所もなかった。危ないとは感じなかったが、距離はたいへん長く、帰り道では子供が泣きべそだったことを覚えている。

という訳で、いまでは大きく紹介されるに至った大山北尾根だが、交通の便が悪いことは昔も現在も変わらない。平日は秦野・ヤビツ峠間のバスが朝夕一本だけ。それに間に合わないと1時間半かけて蓑毛まで歩かなければならない。

では奥に進めば何とかなるかというと、大山ケーブルの始発に乗ったとしても一ノ沢峠、物見峠を経由して煤ヶ谷に着くのは夕方で、日が暮れる前に着くのは難しい。

「中高年の山歩き」シリーズでは、これまで丹沢へは公共交通機関を使うことにしていた。けれども、大山北尾根に行くとなると車ということにならざるを得ないのである。

ヤビツ峠に、新しいレストハウスが建設中でした。丹沢ホームの売店がいつも休みのせいかな。


イタツミ尾根を登り、阿夫利神社の参道に合流する。半分半分と記憶していたのだが、参道は最後の10分くらい。


大山山頂。まだケーブル始発組も登ってきていない時間なので、人も少なく静かでいい雰囲気。


2020年11月11日水曜日、天気予報は晴れ。絶好の登山日和である。4時半に家を出発。しかし、初っぱなから出足をくじかれる。この週から東名の集中工事が始まり、秦野中井までずっと車線規制されていたのである。

「岩沢さんはそんなこと言ってなかったじゃないか」と愚痴っても後の祭りである。往路は30分ほどの遅れで7時30分にヤビツ峠駐車場に着いた。あと4台分しか空いていなかった。

そそくさと支度をすませて出発。登山口はレストハウス建設中ということで、少し戻って迂回しなければならなかった。ヤビツ峠には丹沢ホームの売店があるが、開いているのを見たことがない。休める場所があるに越したことはない。

大山へはイタツミ尾根を登る。最初に急登があって、しばらくなだらかになって、再び急登となる。記憶では、半分はイタツミ尾根、半分は阿夫利神社の参道と覚えていたのだが、実際はほとんどイタツミ尾根で、最後の10分くらいだけが参道であった。

なかなか参道に着かないのでおかしいなと思って、合流前にあるベンチで水分補給したら、すぐに合流だった。すでに二十何丁目で、すぐ鳥居が見えてくる。

大山山頂には9時40分着、ヤビツ峠から2時間。私ならそんなものだろう。

まだケーブル始発で登った組も着いていない時間なので、頂上は人が少なく静かで、いい雰囲気であった。暖かく、風もない。頂上の休憩所からは東方向、厚木から横浜、遠く都内まで望めるすばらしい展望である。

トイレ横から西側に回ると、今度は富士山がはっきり見える。ちょうど三ノ塔のなだらかな頂上部分の上に、わずかに雪をかぶった富士山が見える。三ノ塔から伸びる表尾根、塔ノ岳、丹沢山、丹沢三峰までずっとつながっていて、蛭ヶ岳の頂上も覗いている。

景色は十分楽しんだのだが、このあたりにあったはずの北尾根に入る脚立が見つからない。前に来たのは三十年前だから記憶が定かではないが、アンテナ塔近くでそれほど探さなかったはずである。

しかし、アンテナ塔付近には昔なかったいろいろな施設ができていて、きれいに砂利が敷かれている。いまでは一般コースに格上げされたはずなのに、道標がないのは昔と同じなのだろうか。

トイレのすぐ近くの木にテープが結んであったので、これが目印かと思って坂を下ってみた。しかし、どの方向に進んでもシカ除け柵に突き当たってしまいそれ以上入っていけない。結局、このテープは何の意味もなかった。

休憩所に戻り、参道方向を探し、15分近く右往左往しただろうか。頂上の北方向は、やはりアンテナ塔である。もう一度戻ってよく探してみると、踏み跡がえぐれて奥に向かっている。アンテナ管理に使われているなら、建物の入口に向かうはずだ。

すると、通路から死角になったところに、脚立が置いてあった。ようやく見つかった、と越えようとすると、危うく踏み外しそうになった。この脚立、アンテナ塔側は踏板が4段しかないのに、奥側は6段ある。特注だろうか、それとも、違う段の物を分解・組み立てしたのだろうか。

大山山頂付近からは、三ノ塔の背後に富士山という壮大な眺め。YouTubeのかほちゃんが塔ノ岳に登った動画でも、富士山の雪が同じように映っていました。


北尾根への入口は、アンテナ塔の裏。脚立は通路からは死角になる。昔と場所が違ったので、15分ほど山頂の周囲を探し回った。


北尾根に入ると、標識はなく踏み跡が頼り。中央の木の根元、白黒に見える神奈川県の水源標識柱がピンクテープの代わりになる。


北尾根に入ると、標識は一切ない。踏み跡が頼りである。しばらく下った場所でモノレールに突き当たる。このあたり尾根が分かれているので分かりづらい。前に来た時はもっとピンクテープがあったと思うのだけれど。モノレールに沿って北に進む。

ピンクテープの代わりになるのは、神奈川県の水源標識柱である。白黒で遠くからでも目立つ。標識柱のところで立つと、次の標識注が見える。ピンクテープと同じ原理である。時々、青色や白色の柱が一緒に立っていることもある。北尾根は、厚木市と秦野市の市境なので、その関係だろうか。

しばらく歩くと、シカ除け柵が行く手を阻む。モノレールの脇は通れない。すると、少し先の太い木の幹に赤テープをぐるぐる巻きにしてあったのでそちらに進む。テープで行く先を示していたのはここ一ヶ所だけで、あとはなかった。

迷いそうな場所はこの2ヶ所くらいで、あとは広々とした尾根を道なりに下って行く。ほどなくモノレールも戻ってきて、水源標識柱も短い間隔で続いている。

水源標識柱ともう一つ、進路を確認する目安となるのは景色である。大山北尾根は県道の通る谷をはさんで丹沢山への稜線と並行して南北に続くので、谷までの途中にピークがあったらそれは道間違いである。一度、そういう支尾根に入りかけてあわてて戻った。

下る途中で、単独行の登山者二人とすれ違った。一人は普通のリュックを背負った人で、もう一人はカメラ道具一式を抱えていた。後から考えると、どこから登ってきたのだろう。ずっと北尾根を来たのだとしたら相当早い時間に出発しなければならないし、険しい支尾根を登ってきた様子ではなかった。

しばらく記憶したとおりの広い尾根道が続く。モノレールが分岐するあたりで少し紛らわしいところがあるが、北向きに、丹沢山が見える尾根を下っていけば間違いがない。神奈川県の標識柱も続いている。

紛らわしいところでは、前回子供を連れてきているのだから、そんなに険しいルートではなかったはずと思ってルートを探した。長かったという記憶はあるけれども、危ないとか迷うとかはなかったはずなのである。

モノレールが右に分かれていく尾根が、ネクタイ尾根である。下界のビルが見えるので明らかに方向が違うし、北尾根より勾配が急である。このバリエーションルートは唐沢峠まで続くが、いったん谷まで下るので大変な道である。

ネクタイ尾根分岐の後もモノレールに沿って進むが、もう一度尾根が分岐するあたりで林の中に消えていった。その方向へはシカ除け柵があるので、通れる方向に進む。山頂からこちら、脚立で柵をまたぐ場所はない。

中沢ノ頭が近づくと、結構なヤセ尾根が続く。足元は木の根っこで歩きにくいし、両側は切れ落ちているというほどではないが45度以上はあるだろう。こんなところに奥さん・子供連れで来るとは、無茶なことをしたものである。

いろいろな山に登った今なら、「西沢ノ頭」は西沢、「ミズヒノ頭」はミズヒ沢の源流にあたる山頂ということで、ミズヒは水源という意味と想像がつくが、そんなことも分からずにバリエーションルート(当時)を歩こうとしていたのである。

「西沢ノ頭」も「ミズヒノ頭」も、前に登った時から手作りの山名標はあったけれど、当時は色付きだったのにすっかり消えてしまって、文字が彫ってあるのがかろうじて分かるくらいになっている。年月の経過を感じさせられる。

途中からモノレールが並行して走る。いつのまにか林の中に消えていった。


標識柱とともに頼りになるのは景色。左手には塔ノ岳から丹沢山の稜線をずっと見通すことができる。シカ除け柵の網が写っている。


木立の向こうに、西沢の頭が見えてきた。


大山山頂から1時間で西沢ノ頭に到着。尾根から西沢ノ頭が見えた時は大分登るような感じなのだが、それほどのことはない。山頂の木に山名標があるだけで、他に標識もないしベンチもない。少し下がった場所にレジャーシートを広げ、お昼にする。

今回はあまり準備しなかったので、テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れて、カロリーメイトで昼食。デザートは例によってミックスフルーツである。朝食が3時半だったので、とてもおいしかった。(この後、夕食を食べられなくなるとは思わなかったが)

休んだ場所が平らではなかったので、立つ時に腰が痛かった。そういえば前回は、西沢ノ頭にもミズヒノ頭にも4人休めるだけのスペースがなかったので(いまもない)、送電鉄塔のところまで休憩をとらなかったのである。

西沢ノ頭で休んだので、そこから10分ほどのミズヒノ頭では写真を撮っただけで通過した。西沢ノ頭の前にはヤセ尾根があったけれど、過ぎてからは再び広い尾根で、ミズヒノ頭までは爽快である。

しかし、ミズヒノ頭からは、急こう配の下り坂である。しかも、これまで頼りにしてきた神奈川県の水源標識柱も見当たらない。この道でいいのだろうかと思う頃、眼下に送電鉄塔が見えてくる。

方向が合っていることは分かったが、まだ鉄塔の先端よりもずいぶん上である。水平距離は300mかそこらに見えるから、ずいぶん急な下りである。普通の登山道ならロープが下がっているかもしれない。

ようやく鉄塔先端くらいまで下り、滑らないよう懸命に歩を進めるうちに鉄塔の真ん中あたりまで来た。そしてどうにか、鉄塔の足元までたどり着くと、そのすぐ先にコンクリートの土台が見えた。ようやく、北尾根の終着点に着いた。

終着点とはいっても、北尾根の末端は一の沢峠を経て宮ヶ瀬湖の近くまで続く。だが、ヤビツ峠に車を止めてあるので、これ以上先に進むと戻るのが大変なのである。

大山北尾根には標識はなく、ベンチ等も全く置かれていない。唯一、完全な平面があるのは送電鉄塔の土台のコンクリであり、ここをベンチ代わりに座ることもできる。

ずっと昔、子供を連れてきた時もここで休んで、UPIガスでラーメンを作って食べさせた。これは、その前に荒船山に行った時に、震えるほど寒かったのにおにぎりとお稲荷さんだったのを反省して買ったのであった。

子供は2人なので、どっちに先に食べさせたのだろう。きっと二つに分けて、兄ちゃんと妹に食べさせたんだろうな、としばし物思いにふける。

記憶の中の大山北尾根はもっとのどかな尾根道だったのだけれど、歩いてみると結構ハードである。もちろん、自分が30代から60代になってしまったことも大きいのだけれど、きっと、子供を連れてきて楽しかったんだろうな、と思う。

家の奥さんが、「子供と遊んでやっているんじゃなくて、親が楽しませてもらっている」とよく言っていた。何十年たってみると、本当だなあと思う。こうして思い出して楽しむことができるのだから。

西沢の頭の前あたり、結構なヤセ尾根が続く。昔、小さい子供を連れてきたのは無茶だったか。


ミズヒノ頭を過ぎると、送電鉄塔に向かって急こう配の下り坂。方向は間違いないけれど、ヒザに来る。


送電鉄塔のコンクリに座って、静かに景色を見ながら昔のことを思い出す。写真は、鉄塔越しに見たミズヒノ頭といま下りてきた斜面。


名残り惜しいけれど、あまり長居すると帰りの高速が混んでしまう。1時少し前に腰を上げる。

送電鉄塔の先、すすきの原っぱを越えたところに分岐があり、「← 県道」と、北尾根で初めて標識があった。県道の反対側の表示は、プラスチックの標識が折れてなくなっていた。

ここから県道まで、吉備人の地図には40分と書いてあるのだけれど、そんなに簡単ではないだろうと思っていた。標高差が400m近くある急斜面の下りだからである。

案の定、県道までは1時間近くかかった。昔はなかったと思う樹脂製の足場が整備されていたけれども、それでもそんなにスピードは出ない。途中に紅葉がきれいに残っている場所もあったけれど、それを見た他は下るだけで一生懸命である。

県道に近づくと、車の音がするだけでなく、チェーンソーの音が聞こえてくる。県道70号線に沿って流れる藤熊川の両岸で土木工事を行っている音だった。

藤熊川はここからすぐ近くの宮ヶ瀬ダムにつながっているのだけれど、なんと、宮ヶ瀬ダムまでの県道は丹沢ホームより先は台風から1年以上経った現在も通行止めである。

県道ですらその状態だから、登山道は推して知るべしだろう。中央道の相模湖インターからヤビツ峠という計画もあったのだが、その道では来られない。キャンプ場から先は通行止なので、塩水橋から丹沢山というコースも厳しいかもしれない。

県道合流からの帰り道も、記憶していたとおり長かった。それに、標高差400~500m下った後の登りだから、舗装道路とはいえしんどい。ようやくBOSCO前まで着いた時にはほっとした。

青山荘からヤビツ峠まではショートカットの登山道があるので、入り口を探してうろうろしていたのだけれど、よく分からなかった。そのうちに、青山荘の奥様(だと思う)が出ていらして、

「この道は補修してないから、県道行った方がいいよ」

と教えてくださったので、ありがたくそうさせていただいた。台風以来補修していない登山道よりも、右足と左足を交互に出していれば着く県道の方が、安全・安心である。

そういえば、子供達を連れてきた時、青山荘を過ぎて泣き出したことを思い出した。あの時は菩提峠に車を止めたと思うので、もうすぐである。しかし、子供の足で大山登って北尾根歩いて、下りてきてまた県道歩いてはつらかったろうな、と今更ながら思う。

ヤビツ峠まで戻ったのは3時10分過ぎ。今回も、日帰り温泉に寄ることはできなかった。3時半に出発したのに、東名の集中工事に巻き込まれて、家まで5時間かかった。往きに3時間かかって予定外だったが、それどころではない5時間である。その5時間の間、休憩なしトイレもなしで過ごせたのには、自分でも驚いた。

この日の経過
ヤビツ峠駐車場(761) 7:50
8:55 参道合流前ベンチ(1043) 9:00
9:40 大山(1252) 10:15[後半15分は登山口探し]
11:20 西沢の頭(1094) 11:50[昼食休憩]
12:05 ミズヒノ頭(1050) 12:05
12:40 送電鉄塔(913) 12:55
13:50 県道合流(527) 13:50
14:30 青山荘(654) 14:35[登山道入ろうか迷う]
15:10 ヤビツ峠駐車場(761) [GPS測定距離 11.9km]

[Feb 15, 2021]

送電鉄塔から県道まで、標高差で400mほど下る。急斜面には樹脂製の足場が作ってあった。昔はなかった。


県道に下りる途中に、紅葉のきれいな場所が残っていた。ここより上では、すでに落葉してしまっているところがほとんどである。


県道を40分歩いて青山荘前へ。ここから道標にあるようにヤビツ峠へのショートカット道があるが、奥様(たぶん)に「補修してないから県道の方がいいよ」と教えていただいた。

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この図表はカシミール3Dにより作成しています。



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