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尾瀬・燧ヶ岳 [Sep 27-28, 2012]

さて、半年ほど山歩きを復活してきて、次なる課題は山小屋である。小学校~高校の林間学校以来、山小屋に泊まったことはない。もちろん単独行では初めてということになる。

WEBを見るといろいろな山小屋があるようで、あまりすごいところに当たってしまい、次から行く気がなくなってしまうと、結構投資してきている山道具が無駄になってしまう。家の奥さんによると、「ユニクロで千円のものが、無印で買うと三千円になる。それが山屋になると一万五千円。」だそうで、少なくとも元を取れるくらいやらないと後で何かと言われてしまう。

調べたところで最も無難なのは尾瀬のようなので、9月の平日の休みに予約してみる。尾瀬は十年ほど前に環境問題があってから予約して入山するのが基本である。原発問題で来訪する人が減っているとも言われ(何しろ尾瀬の大地主は東京電力)、震災復興で平日2千円引きというのもうれしい。

東武と野岩鉄道で会津高原尾瀬口まで、そこから会津バスに約1時間半乗って桧枝岐から御池(みいけ)、沼山峠まで入る。尾瀬に来るのは三十年以上ぶりで、その頃はまだ野岩鉄道が通っていなかった。鬼怒川温泉の少し北、五十里ダムからバスで3時間位かかったような気がする。五十里ダムにあった大きなバスターミナルは現在はなくなってしまった。

沼山峠からスタートしたのは2時半すぎ。ここから歩いて尾瀬沼まで。うっかりしたのは、沼山峠はすでにゴミ持ち帰り区間だったことである。バスの中で飲んだペットボトルは、そのまま持って入山することとなった。ここから本日の宿である尾瀬沼ヒュッテまで約1時間。前はここから尾瀬沼までの往復で日帰りしたのだけれど、今回は泊まりである。

途中、シニアの団体2組、それぞれ30人ほどが休んでいた。やっぱり尾瀬だけあって混んでいるのかなぁと思ったけれど、その後これだけの大人数のグループとすれ違うことはなかった。峠道が下りに入ると大江湿原。いつの間にか前後左右誰もいない。右手に明日登る予定の燧ヶ岳(ひうちがたけ)、木道の周辺は草紅葉、この景色を独り占めである。

途中で景色を見たりしていて、4時過ぎに尾瀬沼ヒュッテに着いた。平日ですいていたため、4畳半の個室を一人で使える。石鹸使用禁止ではあるがお風呂もあり、歯磨き洗面可、廊下には電気ポットがありお湯が使えて、トイレもきれいでしかもウォシュレット付き、それで2000円の震災復興補助がついて6500円というのはお安い。

お風呂に入って荷物整理をしていると、すぐに5時になって夕食である。大きな食堂には部屋ごとに食事が置かれていて、よく聞くところの先着順・入替制でない。ヤマメの一夜干し、山菜の天ぷら、ロールキャベツ、ポテトと野菜サラダ、桧枝岐そばの小鉢などなど。茸の炊き込みご飯と味噌汁はおかわり自由。こうなると生ビールも頼まずにはいられない。

尾瀬・大江湿原から望む燧ヶ岳(ひうちがたけ)。この日はよく見えたのですが・・・。

この日の宿、尾瀬沼ヒュッテ。初・山小屋なので安全策をとってみました。


この日の夕食。山小屋とは思えません。ビールはオプションです。


翌日は6時から朝食。夕食より人数が少ないのは、早立ちした人がいるためだろう。前日は7時半には寝たので睡眠は十分、朝もしっかり食べて、準備万端と思って外を見ると雨。急きょ雨具とスパッツを装備する。

天候が良ければ燧ヶ岳登山、悪ければ山麓を周回するコースを予定していたのだけれど、それほど大降りではないし風もなく、昼ごろには止みそうな予報だったので登ることにした。6時45分に出発、7時ちょうどに登山口の分岐を通過。登山道はもっとも傾斜がなだらかとされる長英新道である。

長英新道は、尾瀬の老舗である長蔵小屋の初代、平野長蔵さんの息子である長英さんの開いた道というところから来ているが、新道とはいっても戦前の話だからずいぶんと昔のことである。平野さん一族は尾瀬一帯をダム化する計画に反対したことでも有名で、もしここがダムになっていたらと考えると大変なことであった。

この長英新道、登山口から頂上の俎嵓(まないたぐら)まで4.5km、標高差は約700m、コースタイムは3時間である。25000分の1地形図を見ると最初はなだらかな山道が続いて、最後の1/4ほどが急斜面のようである。ところが、大分と歩いたのに急斜面に至らない。高度計をみても1800mくらいからなかなか上がらない。

2時間ほど歩きリュックを下してひと休みすると、そのすぐ先が急斜面の入口であった。このあたりからは断続的に木の階段が続く。WEB情報によると、この補修は最近行われたもののようだ。さらに1時間ほど歩くと、ときどき左右が開けた尾根道に出る。晴れていれば尾瀬全体を見渡すことのできるいい景色のはずだが、ガスって何も見えない。

小さな湿原を抜けてさらに登る。10時半を過ぎて連続行動4時間となる。そろそろゆっくり休みたいと思っていたら、突然、風景の開けたミノブチ岳頂上に出た。ここも前方は雲の中である。もっとも、そのためか誰も休んでいなくて、特等席で昼食休憩をとることができた。

宿でテルモスに入れておいたお湯を使って、アルファ米とレトルトカレー、インスタントカフェオレのお昼。時折肌寒い風が当たるので、温かいカフェオレがすごくおいしい。お昼休みの間、4~5人に抜かれたが、途中の登りで抜かれた人数を合わせても10人を超えたくらい。平日の雨天であまり登ってくる人はいないようである。

1時間弱のお昼休みで体力回復、俎嵓(まないたぐら)までの登り標高差約100mは余裕でクリアした。頂上まで休み時間を除くと4時間くらい。コースタイムを2、3割オーバーするのはいつものことである。燧ヶ岳の三角点はもう一つ別のピーク柴安嵓(しばやすぐら)にあるのだが、行ったとしてもガスの中なのでこのまま御池に抜けることにする。

俎嵓頂上で、御池から上がってきたと思われるグループの女性がかなり疲れていたように見えたのだが、そのことを思い出したのは下り始めてからであった。ここでもし柴安嵓まで往復して約1時間をかけていたら、最終バスに間に合わないことはほぼ確実であった。

朝の尾瀬沼。このあたりから燧ヶ岳が見えるはずなのに、雲の中です。この日は結局山頂付近も霧で、ほとんど展望が得られませんでした。


広場になっているミノブチ岳を過ぎると、巨大な岩塊でできている俎嵓(まないたぐら)頂上が見えてきます。あと少し!


燧ヶ岳のピークの一つ、俎嵓(まないたぐら)。標高2340m。頂上付近はこうした岩が重なっているところで、数十m下から岩をよじ登ってここまで来ます。


俎嵓(まないたぐら)頂上を出たのは12時20分。全体が岩で道がはっきりせず、おまけにガスで前方が見えないので行先に迷ったが、あたりをぐるぐる回っていたら「→御池」の表示が現れた。ここからのコースタイムは2時間半。下りはほぼ時間通りに進めるはずなので、3時過ぎに着いてゆっくり風呂に入れるだろうと思ったのだが、とんでもないことだった。

ここから御池への下りは、途中、熊沢田代、広沢田代という2つの湿原地帯があり、その前後の3区間はいずれも急傾斜になる。しかもぬかるみが多く歩きづらいという情報であり、迷いそうな場所も何ヵ所かあるという。その中で、迷いそうな場所にはテープが引かれていて問題なかったのだが、急傾斜とぬかるみは想像以上であった。

頂上からの急勾配をなんとか下ると、もとは溶岩流と思われるガレた沢筋の下り。足下が安定しないのでかなり歩きづらく、またスピードが出ない。でもここはまだ歩きやすかった方で、樹林帯の中に入ると1m以上の段差のある急な下り坂となる。ぬかるみどころか岩以外のところは水たまりになっていて、足を置く場所を選ぶのにも一苦労する。

なるほどここを上がってきたグループが大変だったのもよく分かる。はしごも鎖場もない初級レベルの道ではあるものの、相当に体力がいるし、下りの場合は滑るので転落の危険もある。ここで滑って岩に頭でも打ったら、かなりやっかいなことになりそうだ。

「慎重、慎重」と声に出しながら慎重に下る。このあたりから、抜いていく人もすれ違う人もいなくなった。もしかすると、御池に下る最終ランナーなのかもしれない。この時間から登ってくる人もいないだろうから、ここで大ケガでもしたら翌朝まで誰も見つけてくれない。携帯電話の圏外だから連絡も取れない。単独行の辛いところである。

1時間半くらいかかって熊沢田代に着いた。標高1900mと尾瀬沼・尾瀬ヶ原よりかなり高い場所にある高層湿原が、他に誰もいないため全くの静寂の中にある。時間があればぜひゆっくりしたいところなのだが、行程の1/3にコースタイムの半分かかってしまったので先を急ぐ。

熊沢田代と広沢田代の間も、またもや難しい岩道の下りである。これだけ水たまりやぬかるみが続くのは、日当たりの悪い北側の斜面ということもあるが、上に湿原があるので水の通り道になっているのではないかと思うくらいである。春先は雪が残ってアイスバーンになるというので、さらに困難な上り下りになるだろう。

思わず水たまりに突っ込んでしまったり、岩だと思って手を置くと苔の生えた地面だったり、だんだんと根気が続かなくなってくる。足下に気を取られて頭を太い枝にぶつけてしまい、いらついたあたりで木道になる。ようやく広沢田代、標高は約1700mである。

時計を見るともう3時。山時間でいうと行動を終えて山小屋に着いていなければならない時間である。時間設定の甘さにかなり反省。ほとんど休まずにそのまま御池に向かう。ここも引き続きの急坂で、思った以上に時間がかかる。疲れも出てしまい、ぬかるみにも水たまりにも突っ込み放題となる。

ようやく木道に入ったと思ったら、再び急坂となる。これは風呂も無理かなと思っていたらなんとか駐車場への道に出た。到着はちょうど4時。下りで3時間半、ほとんど休まないでコースタイムを大幅に超過してしまった。そういえばどこかのHPに、燧ヶ岳登山道は状況が良くないので、コースタイムより多めに見積もるよう書いてあったのを後から思い出した。

御池ロッジに急いで10分で風呂に入り、速攻で着替えてなんとか4時40分のバスに間に合った。そこから会津バス、野岩鉄道、東武鬼怒川線、野田線と乗り継いで、家に帰ったのが午後10時半。その日はそれほどでもなかったのに、翌朝になると足や膝が痛くてたまらなかったのは、やはり下り坂が予想以上に大変だったということなのでした。

この日の経過
沼山峠 14:30
16:00 尾瀬沼ヒュッテ(泊) 6:45
7:00 登山道分岐 7:00
9:00 1900m付近 9:15
10:45 ミノブチ岳(昼食休憩)11:30
12:05 俎嵓 12:20
13:40 熊沢田代 13:40
15:00 広沢田代 15:00
16:00 御池バス停
[Oct 26, 2012]

熊沢田代まではこうしたガレた沢筋を延々と下る。でも、ここはまだ歩きやすい方。


熊沢田代を振り返るおなじみのアングル。晴れていれば絶景となるところですが、霧と小雨で煙ってしまいました。


燧裏林道から尾瀬 [Oct 26-27,2012]

さて、尾瀬には先月行ったばかりなのに、山小屋が予想以上によかったので是非とも奥さんを連れて行きたくなって、紅葉にはちょっと遅いけれど再訪することにした。桧枝岐村営・尾瀬沼ヒュッテの営業は10月最終週までなので、混みそうな週末を避けて金曜日に予約する。2人なので車で御池まで。歩くコースは前回予備に考えていた燧裏林道である。

燧裏林道は尾瀬ヶ原方面から御池まで、燧ヶ岳の北西面をつなぐルートである。途中にはいくつかの湿原があり、また標高差も200m位しかないので、楽勝だろうと考えていた。「林道」と名が付くのだから、「日原林道」をイメージしていたのも迂闊だったところである。歩いてみて初めて分かったのだが、燧裏林道は林道ではなくて、登山道なのであった。

家を4時に出て、御池に着いたのは9時前。身支度をして駐車場裏から林道に入る。ここは前回燧ヶ岳から下りてきたルートと重なるので、迷わずコースに入る。しばらく木道の登りで、それから湿原地帯となる。姫田代、上田代、横田代と続く。田代というのはこちらの言葉で湿原地帯のことである。

緩やかなアップダウンの木道を進むと、下からは見えなかった高さの池塘(ちとう・湿原地帯の湧水でできた池)が出現する。下草が薄くなっているあたりには、燧ヶ岳の方から水流が細い沢になって木道の下を流れているのも風情がある。こういう感じで尾瀬ヶ原まで続くと思っていたのだが、とんでもないことだった。

最後の湿原を過ぎたあたりから、木道ではなく階段と岩の登山道となる。燧ヶ岳の北西山麓にはいくつかの沢があり、勢いよく水が流れている。それはいいのだが、谷まで下ってまた尾根まで登ることを繰り返すので、全体の標高差はないにもかかわらず結構なアップダウンがある。そこを歩くものだから、平坦地とは違って疲れる。

さらに油断したのは、奥さんが一緒なので食糧や着替えを多めに持ち、しかも大きいリュックで来たものだから、いつもより重いのである。木道では何でもないのだが、アップダウンがあると急激にスピードが鈍る。加えて、「何で林道がこんななんだ」という精神的ダメージがあるので、ますます調子が出ない。

渋沢温泉小屋への分岐を過ぎて、そろそろ木道かと期待したにもかかわらず、道はいよいよ険しくなる。歩き始めて約2時間、いつまで歩いても太陽は左手である。尾瀬ヶ原に近づけば南向きになるので、太陽は正面になるはずなのに。時間的にはコースタイムよりかかっている訳ではないが、こんなはずでは・・・という思いが足取りを重くする。

ようやく風景が開けて、裏燧橋に出る。この橋は最近架け替えた新しい橋で、おそらく尾瀬一帯で最も大きい。広いガレ沢になっている渋沢を渡っていて、橋の上からまた残っている紅葉を楽しむ。御池まで上がってくる途中は紅葉が盛りなのだが、尾瀬に入るともう枯れてしまっている。このあたりは日当たりがいいので、まだ残っているのであろう。

結局、赤田代の休憩所に着いたのは午後1時過ぎ。林道突破に4時間かかった。村営の無料休憩所は、もう冬支度を始めている。天気が良かったので、休憩所前のベンチでお昼ごはんにした。ここまですれ違ったのは10人くらいで、そのうち3人は工事の人だった。休憩所周辺にも他に人はおらず、さすがにシーズン終わりの平日である。

風もなく日当たりのいい昼休みなのだが、動かないと寒いと奥さんが言うので20分ほどで出発する。地図でみると距離的には約半分である。ここからは木道だろうから飛ばせると思ったのだけれど、もちろんそんなに甘いものではなかったのでありました。

裏燧橋から渋沢を見下ろす。尾瀬の中は紅葉も終わりかけでしたが、まだ黄色や赤い木々がみられます。


ようやくたどり着いた尾瀬ヶ原無料休憩所。シーズンも終わりなので、これから板を打ち付けて冬支度です。


休憩所のある赤田代から、山小屋銀座の見晴(みはらし)までは、尾瀬ヶ原の東側を歩く。 見渡す限りの茶色の下草、いかにも秋終盤の風景である。しかも、うちを除いては人っ子一人見えない。いかに10月の平日とはいえ、尾瀬に人の姿がないというのはすごい。風もほとんどなく、自分達の足音しか聞こえない。おばさん連中の声高な話し声で景色がだいなしになることが多いが、その心配もまったくない。

見晴には山小屋が6、7軒固まっているのだけれど、1軒を除いて今年は店じまいであった。長く厳しい冬に備えて、出入口や窓を板で囲っている。今年は比較的暖かなのでまだ閉めるのは早いような気がするけれど、山では11月は冬である。撤収を急がないと、雪が降って人も荷物も動かせなくなってしまう。

時計をみるともう2時を回っている。3時くらいには宿に着くスケジュールを見込んでいたのだが、なかなかうまく行かない。尾瀬沼まであと6kmくらい。木道なら1時間半あれば大丈夫そうだ。尾瀬ヶ原と尾瀬沼を結ぶ尾瀬沼林道は燧裏林道よりポピュラーだし歩く人も多いので、きっとほとんどが木道であろう。

と思ったらとんでもない話で、ここも登山道だった。しかも、尾瀬沼の方が標高差で200mほど高いので、基本的に山登りである。何度も岩の道になってスピードが落ちる。早く木道になってくれと願うが、なかなか登山道は終わらない。体が軽い分、奥さんの方が先に行ってしまうのは悲しい。「パパの好きな木の道だよ」と言われて喜ぶのもつかの間、また岩の道になる。

すれ違う人もいなければ、後ろから来る人もいない。だんだん日も西に傾いてきた。もちろんヘッドランプは持っているけれど、日が落ちると危ない。休憩も取らず景色を楽しむ余裕もなく歩く。時間が分かるとかえってあせってしまうので、時計は見ずに体がつらくない範囲で急ぐ。

ようやく尾瀬沼が見えてきた。2時間くらいは山道を登ってきたように思ったのだが、時計を見るとまだ3時半すぎだった。後から調べたら、下り(逆方向)のコースタイムで登りを歩いたので、かなりのハイペースだったことになる。ここまで来れば、あとは木道だけで宿に着く。ようやく景色を見る余裕が出て、ついでに休憩もとってしまう。

あとは勝手知ったる道で、ちょっと予定より遅かったが4時半くらいに尾瀬沼ヒュッテに到着。今回は表側の部屋をもらえたので、窓から燧ヶ岳がよく見えた。風呂も食事も良くて(これは前回確認済)、奥さんにも気に入ってもらえたのは何よりであった。唯一残念だったのは、今週で終わりなので生ビールが終了してしまったことであった。

翌日は尾瀬沼から沼山峠まで1時間ちょっとの歩き。方向音痴の上に地図もろくろく見ない奥さんは帰りも行きと同じルートを戻ると思っていたようで、こんなに早く着くなら何でこっちを通って来ないのかと言われてしまった。そんなこと言っても、いろんな景色を楽しむのが山歩きなのである。

それはそうと、今回茶色い尾瀬を見てきて、緑と花の尾瀬もぜひ見てみたいと思ってしまった。とはいえ、人が多くておばさんがうるさいのは勘弁してほしいので、さてそれではどうするかということになる。悩ましいところだが、来年までゆっくり考えることにしよう。

この日の経過
御池駐車場 9:00
11:00 裏燧橋 11:05
13:00 赤田代(昼食) 13:30
14:15 見晴 14:20
15:45 沼尻 15:55
16:30 尾瀬沼ヒュッテ(泊) 7:30
9:00 沼山峠バス停

[Nov 12, 2012]

広い尾瀬ヶ原に、見渡す限り人がいない。それだけで来た甲斐があったというもの。

大江湿原から尾瀬沼、シンボルツリーの三本カラマツを望む。また来年!


燧ヶ岳again [Sep 27-28, 2013]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

秋になって涼しくなり、そろそろ山の季節である。スズメバチ大繁殖の噂なので、もはや9月末は晩秋となる尾瀬を選んだ。昨年は天気が悪くガスしか見えなかったので、再び燧ヶ岳に挑戦すべく、尾瀬沼ヒュッテを予約した。

昨年より早めに東京を出て、会津高原尾瀬口を11時のバスで桧枝岐に向かう。同じ路線のバスなのだが、時間によってコースが異なるためこの日は湯の花温泉を経由した。初めての風景が見られるのは楽しい。車両通行止めの沼山峠に着いたのは1時過ぎ。仕度をして1時30分に尾瀬沼への木道に入った。

今年の夏は暑いしスズメバチも怖いしで、山歩きは3ヵ月以上ぶりである。昨年来た時より経験は積んでいるものの、久しぶりで不安がある。ちゃんと歩けるかどうか半信半疑だったが、登り坂は意外とすんなりこなすことができた。前回より10分ほど短い時間で尾瀬沼ヒュッテ着。風景を見慣れて写真を撮る回数が少ないせいだったかもしれない。

まだ3時にもならないので、宿に荷物を置き尾瀬沼南岸を歩いて足慣らしする。こちら側は群馬県からの入山経路でもあるのだが、福島県側と比べると歩く人が少ないためか、やや道が荒れている。しかも、「クマ注意」の看板があり、さらには鐘まで置いてある。「早朝や夕方には鳴らしてください」って、そろそろ夕方なんですけど。

群馬県側への分かれ道である三平下のあたりまで来ると、ヘリコプターでの荷下し中であった。材木を何本もまとめて縛った束をヘリコプターで運んで降ろしてゆく。おそらく冬までの間に、傷んだ木道を修理するためだろう。よくみると、周囲には降ろした材木の束がいっぱい置いてある。ちょうどヘリコプターが来たので見ていると、20~30m離れているのに細かい水滴が飛んできた。30分ほど進んだあたりで、暗くなってきたので引き返す。

お風呂、夕食の後部屋でまったりしていると、館内放送で「ビジターセンターでスライド上映会があるので、ぜひご参加ください。」との案内があるので行くことにした。ビジターセンターは歩いてすぐなのだが、街灯などないから真っ暗である。ヘッドランプは部屋に置いてきてしまったので、携帯(通じない)のライトで足下を照らす。

スライド上映会では、ここ1週間の尾瀬の様子を撮影してきたばかりの映像で紹介してくれる。この時期は草紅葉が見事だが、よく見ると高山植物の花もわずかに残っているそうだ。6月の水芭蕉、7月のニッコウキスゲ満開の写真もあった。そういう時期は混むので、来るとしても定年後の平日ということになりそうだ。

40分ほどの上映会の後、ヒュッテに戻る時に見た星空はすばらしかった。二十年前に見た浜サロベツの星空を、久しぶりに見たような気がした。何しろ星が多すぎて、星座を見つけるのに苦労するほどである。星を見上げている間にもしんしんと冷えてきて、次の日は氷点下なんて声も聞こえる。何とかカシオペア、北斗七星、北極星を見つけて宿に戻った。

再びやってきました尾瀬。3本カラマツは根元にあと2本育っていて、あと何年かで5本カラマツになるかもだそうです。


朝の燧ヶ岳。今年は天気に恵まれました。


今回は可能であれば柴安嵓(しばやすぐら)まで行きたいと思っていたが、ヒュッテに着いて早々「明日の朝食は6時半からですが、大丈夫ですか?」と言われて半ば断念。昨年は6時から朝食だったので、朝の時点で30分の差は大きい。食事前に支度をすませたものの、出発は7時ちょうどとなった。

霧雨まじりの昨年とは違い、空は快晴、山頂がよく見える。ただ気温はそれほど下がらず、まだ早朝なのに薄着でちょうどいいくらい。浅湖(あさみ)湿原の登山口まで17分。ここから長英新道に入る。しばらくはなだらかな登りが続き、快調に距離を伸ばして行く。ところどころで道がぬかるんでいるのは昨年同様で、これは織り込み済である。

前回は休み休み2時間かかった1900m手前の急坂まで、今回は1時間半ほどでクリア。この時点で昨年のラップを上回った。ただ想定外だったのは休憩可能エリアに先客がけっこういて、ちゃんと休めなかったことである。やはり天気がいいと、たくさんの人が登ってくるということだろう。何と言っても百名山である。

急坂が始まると、さすがに時々休みを入れないとしんどい。それでも、前回は左右の景色が開けるまで相当歩いたような気がしたのだが、今回は比較的あっさりここまで来た。木々の間を歩くのも悪くはないが、向こう側の稜線や、下の景色を見るのはやはり気持ちがいい。時折左斜面が開けて、尾瀬沼の湖面がきらきら光るのが見える。

標高2100mを超えたあたりから、さらに苦しくなる。ここまで自分としてはハイペースで来たのが響いているようだ。前の日に若干歩いて準備運動したとはいえ、3ヵ月ぶりの山だし、標高2000mを登ったのは春の雲取山以来である。標高1600m、マイルハイのデンバーでも、「caution altitude sickness(高山病注意)」の貼り紙があるくらいだから、やっぱり空気は薄いのだ。

最後の階段をはあはあしながら登って、昼食スペースのミノブチ岳に到着したのは10時12分。昨年より15分位遅く出たのに、30分以上早く着いた。過去1年の経験が生きているようでちょっとうれしい。ここもすでに先客が何人かいたが、尾瀬沼を見下ろせる岩の上に座る場所を見つけてリュックを下ろす。

山並みが何重にも重なって、壮大な景色である。ヒュッテでいただいたお湯でコーヒーをいれてゆっくり飲みながら、周りの人達が、「あれが男体山」「あれが日光白根山」と山座同定しているのを聞きながら、何にしてもきれいだなあと思う。燧ヶ岳は東北地区No.1の高峰であり、ここより高い山はないのだ。

背中の方向を振り返ると、主峰である俎嵓(まないたぐら)、柴安嵓が間近に迫る。こちらも、昨年来た時にはガスの中だった。頂上にかけて、多くの登山客が動いているのも見える。空の青、山の緑、言うことのない絶景であった。

さて、今回は俎嵓まで11時に着いたら柴安嵓に挑戦しようと決めていたのだけれど、もう10時半近い。出発が遅れたこともあり、あきらめてゆっくり休むことにする。お昼に用意したスティックのメロンパンをつまみながら、コーヒーをおかわりし、インスタントのお汁粉を食べたところで、テルモスのお湯がなくなった。

11時ちょうどになったので出発。昨年ここを出たのが11時半だから、30分速いペースで来ている。これならゆっくりお風呂に入ってくつろげると思っていたのだが、もちろんそれほど甘くはなかったのである。

ミノブチ岳からの俎嵓(まないたぐら)。山頂近くには多くの登山者が見えます。


昨年はガスで何も見えなかったけれど、今年は見事に尾瀬沼が展望できました。


ミノブチ岳から俎嵓(まないたぐら)までの道は、麓から見ると燧ヶ岳の頂上を構成しているあたりで、尾瀬全体を見渡せるのできわめて景色がいい。尾瀬ヶ原方向からの登山道であるナデッ窪の道と合流するあたりからは、尾瀬ヶ原の全貌を眼下に望むことができる。これもまた、尾瀬沼とはまた違った壮大な景色であった。

計算が違ったと思い始めたのは、前回40分ほどで来た俎嵓まで1時間かかった時である。気温が上がり始めたので汗をかくし息苦しい。前回はガスっていたので涼しく、呼吸も楽だった。今回はとにかく息苦しい上に、なかなかペースが上がらない。俎嵓の頂上近くで休憩している人も多くて歩く場所が限られてしまったことも、多少は影響したかもしれない。

俎嵓は多くの登山客で混雑している上、尾瀬沼、尾瀬ヶ原、御池の3方向から続々と後続組が登ってきて、ゆっくり休むスペースがないのは残念なことであった。登り以上の急坂を下り始めたのはちょうど12時。前回は12時20分だから、この時点で30分のリードが20分に縮まっている。

下り坂は北向きなので岩が湿っていてところどころ水がたまっている。よく見るとアイスバーンが残っていたりして、どうにも歩きにくい。歩くというより岩につかまりながら下の岩まで飛び降りるという感じで、スピードが上がらない。その上油断すると滑る。ステッキの先が粘土質の泥にはまって何度も抜けてしまう。昨年もそうだったが、今年も御池への下りは難行苦行であった。

ただ景色はすばらしかった。俎嵓からの下りでは、熊沢田代と、木道が通じていない東田代の湿原がきれいに見えた。岩が続く山道は苦しいけれど、湿原地帯の木道にたどり着くとほっと一息つける。熊沢田代には1時35分に着いて55分に抜ける。この時点で、通過時刻は昨年とほぼ同じ。30分のリードがなくなってしまった。

次の広沢田代に着いたのが3時。昨年はここから御池まで1時間かかったから、今年もまたゆっくりお風呂に入る望みは絶たれてしまった。気はあせるのだが足が進まない。途中で何組かに抜かれたのは仕方がないけれども、尻もち3回、転倒1回はいただけない。単独行でケガでもしたら、即遭難である。

広沢田代までは眼下に望む湿原が心の支えとなったのだが、ここから御池まではそういう楽しみがない。その上、こんなに続いてたっけとおもうほどの急勾配の連続である。下の写真はそのうちの一枚で、こういう岩の坂道が御池までで30分以上、俎嵓からの合計では約2時間に及ぶのであった。

もっとも、この下りで抜かれた6人組がヤマレコに記録を投稿していて、下り2時間半の予定が3時間15分、体力よりも気を使う下りだったと書いてあったので、きつかったのは私だけではなかったようである。かなり山慣れている人達だったようなので(帰りのバスの中で、前日は会津駒ヶ岳に登ったと話していた)、あのグループが3時間15分なら私の4時間は善戦だろう。

御池の駐車場までようやく下りてきたのが4時。御池ロッジの前で靴を洗ったり身支度して、お風呂に入ったのが4時15分。10分で出て着替えて、時間節約のためここでビールとお土産(岩魚の甘露煮)を買って、バス停に着いたのが35分。40分のバスには余裕で間に合った。ここから2時間弱、会津高原尾瀬口まで非常食の残りでビールを飲んでようやく一息。ここから野岩鉄道、東武と乗り継いで大層疲れて家に着いたのが11時。

結局今年もゆっくりお風呂に入れなかったし、登りはともかく下りで時間を短縮できなかったのは心残りであった。加えて、帰ってから3、4日は太ももが痛んで仕方なかった。やはり間隔を開けてしまうと、山登りは厳しいということなのかもしれない。それはともかく、珍しく好天に恵まれて壮大な景色を楽しめたのは収穫でした。

この日の経過
沼山峠 13:30
14:30 尾瀬沼ヒュッテ(泊) 7:00
7:17 登山道分岐 7:17
8:47 1900m付近 8:50
10:12 ミノブチ岳(昼食) 11:00
11:50 俎嵓 12:00
13:35 熊沢田代 13:35
14:55 広沢田代 15:05
16:05 御池
[Oct 26, 2013]

俎嵓から1時間半、ようやく熊沢田代に出ました。


御池への下りは、こんな道が延々と続きます(下から撮ってます)。さすがにバテました。


高原山(八海山神社) [Sep 4, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

6月から8月まで山はひと休み。夏で暑いということもあるが、スケジュール的に厳しかったのと、たまの休みに大雨だったりしたためである。

とはいえ、気候も涼しくなってきてそろそろ起動したい。9月4日はたまたま代休がとれたのと、天気も持ちそうなので栃木県北部の高原山に行ってみることにした。朝4時半に家を出発、星空がきれいに見えていて、しかも頭上にはオリオン座が輝いていた。そろそろ冬も近づいてきたという感じで意気揚々とスタートしたのだったが、そううまく運ばなかったのである。

東北道を北に進むと、最初は朝日がまぶしかったのに、だんだん雲が広がってきた。高速を下りると空が暗くなってきた。県民の森近くを通る頃には小雨がぱらついてきて、山の駅たかはらに着くと霧が濃くなっていた。おまけに、時間が早いせいか山の駅はまだやっていなくて、トイレを求めて大間々の駐車場まで入ることとなった。

最初の計画では、山の駅でトイレに行って小間々の駐車場から大入道、剣ヶ峰と一回りして帰ってくるつもりだったけれど、これでは計画変更せざるを得ない。車から外に出ると結構な強風で霧が流れている。見通しは20~30mといったところか。奥さんが「花子とアン」を見ている間に計画を立て直す。(なんとこの山の中で映るのだ)

今回の山は、しばらく来ていなかった体慣らしとして計画したものである。計画どおりコースをこなすことよりも、山歩きのカンを取り戻すのが本来の目的である。そうこう考えて、ハイキングコースである八海山神社までの往復に変更することにした。片道約1時間、標高差300m弱のコースとなる。「花子」も終わったので、レインウェアに身支度して出発する。

歩き始めは平坦な遊歩道である。奥さんが「なんで砂利を敷いてあるんだろう」と言うので、「子供でも歩けるようにだよ」と答える。コースは平坦だが、気象条件は厳しい。おそらく下界から見ると雲の中のはずで、霧が強風に流されてくる。せっかくここまで来たのだから、こういう天気になった場合の練習と思って歩く。

7、800m進んだところがミツモチ方面との分岐で、ここを右に折れて本格的な登山道に入る(ここに登山カード用ポストがある)。のっけから、結構な急こう配の岩の坂である。ここまではハイキングコースで、ここから登山道といった趣きである。レインウェアの下に2枚(アンダーシャツと長袖シャツ)着ていたので、すぐに汗まみれになる。一休みして長袖シャツの方を脱いだ。

それでも、流れてくる霧と吹き出す汗で、メガネが両面曇って前が見えない。距離で300~400m、標高差で200m余り登ったあたりで、稜線に出て傾斜が緩やかになる。登るには楽なのだが南からすごい風が吹いてきて、レインウェアを来ているのに体が冷える。気温は15度くらい、体感温度でも10度くらいと思われたが、もう少し寒くて風が強ければ、低体温症を起こしてもおかしくないと思うほどだった。

大間々駐車場ではこんな状態。登山客も家の他には2台しか止まっていませんでした。


標高差300m弱とはいえ、こういう道もあるのであなどれません。


ほぼ平坦な稜線を歩くこと10分ほどで、八海山神社への最後の登りとなる。急登というほどではないが、なにしろ風が強いのと、下がガレ場なので足場が安定しない。ようやく祠のところまで到着。大分時間がかかったように思えたけれど、実際にはコースタイムの約1時間でクリアしたようである。

晴れていれば関東平野を一望できる景勝地とのことだが、残念ながら視界20mくらいですべては霧の中である。山麓にあるダムどころか、高原山を構成する釈迦が岳や鶏頂山も濃い霧の向こうで、どこにあるのか分からない。風は依然として強く、残念ながら長居することもできない。

当初予定ではここから先に進み、剣ヶ峰というところまで行くつもりだったのだけれど、ここまで思ったより急坂もあって十分リハビリになったし、何しろ風が強くて低体温症にでもなったら大変だ。ただ奥さんに大丈夫かと聞くと、「全然何ともない。坂も楽だし」とのこと。背が低い分、風の影響が少ないのだろうか。

祠に手を合わせて、早々に下山する。下りは、「林間コース」と書いてある表示に従って北側の斜面に入る。とたんに風がほとんどなくなったのは、まともに南から吹いてくる風だったのだろう。行きのコース(見晴コースというらしい)は緩斜面→急坂→緩斜面→急坂と傾斜に緩急があったのだけれど、こちらのコースはまんべんなく下る分、傾斜はそれほど急ではない。

それでも時々急坂があって、岩はすべるし杖を突くと粘土質の地盤でもぐるし、神経を使う下りだった。燧ケ岳からの下りの北斜面とちょっと似たところがあった。普段は、登りで奥さんが先行、下りは私が先行するのだが、私があまりにのろいので奥さんが先に行ってしまった。こういう下り坂は何でもないのだそうだ。だったらそのうち燧ケ岳に連れて行ってやろう(トイレはないが)。

標高が下がるにつれてだんだん蒸してきて、小さな虫がまとわりつくようになった。ここまでは強風でそれどころではなかったのだが、まだ季節は夏、本当なら虫の多い時期なのである。霧だし地面も濡れて殺伐とした雰囲気であるが、周囲の木々はよく見るとシラカバのようだった。晴れて涼しい気候なら、気持ちのいい散策路だったのかもしれない。

約1時間の下りで、駐車場の脇から大間々に到着。駐車してある車はわれわれの他には1台しかなかったが、もう1台増えていた。先に駐めていた車の持ち主は、この悪天候の中を釈迦が岳まで進んだのだろうか。

県民の森の中をショートカットし、西荒川ダムで湧水を汲んで売店でお昼を食べた。その頃になってようやく、高原山の頂上付近が薄い雲の向こうに見えてきた。今回は天気予報に裏切られたけれど、またそのうち再挑戦することもあるだろう。

この日の経過
大間々駐車場 8:25
9:30 八海山神社 9:35
10:50 大間々駐車場
(GPS測定距離 4.0km)

[Sep 29,2014]

八海山神社の祠。強風で休むこともできませんでした。


晴れていれば関東平野を一望できるすごい景色らしいのですが、このとおり視界は20mくらい。


会津駒ヶ岳[Sep 26, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

奥多摩・鋸山に行った次の週の金曜日に休みが取れた。2週続けての山で疲れが抜けないか心配だったけれど、天気も良さそうなので行くことにした。前にも書いたように、チャンスの時には続けざまにチャンスが来て、来ない時にはどうやっても行けなかったりするからである。

1週間前でも平日なので御池ロッジに空室があった。燧ヶ岳は2年続けて登ったので、今年は会津駒ヶ岳である。時間はかかるが危ないところはなさそうだし、景色もいいところのようだし、頂上に小屋とトイレがあるので奥さんも誘う。初めは金曜日泊で土曜日に登る計画だったが、低気圧も早く抜けてくれたし、空いている金曜に登って翌日は帰るだけの計画に変更した。

ただし、その日のうちに登るとなると出かけるのは夜中になる。1時半に起きて2時半に出発。東北道を宇都宮あたりまで走ってようやく夜が明けた。5時過ぎに西那須野塩原ICを抜けて、一般道を約2時間、奥さんと交代で運転。桧枝岐村には7時過ぎに到着。登山口の駐車場は十数台しか駐められないらしいのでちょっと心配したが、ラスト3台くらいで辛くも間に合った。

(登山口の駐車場に駐められないと麓にある登山者駐車場に駐車することになり、歩く時間が片道30分ずつ長くなる。だから平日の朝早くに着くことが望ましい。わが家の場合、早起きするより長い時間歩く方がつらい。)

身支度して歩き始めたのは7時30分。ガイドブックによく載っている急階段から登山道に入り、それから木の根におおわれた急坂の登りが始まった。なにしろ朝が早かったので体調が少し心配だったが、前の週の鋸山(というより愛宕山)の登りに比べると、それほどでもないような気がした。

ただ、すぐに息がはずんでしまうのであった。普段なら40~50分くらいは歩き続けられるのに、この日は20分に1回くらい立ち止まって息を整えなければならなかった。実は、帰りに気が付いたのだけれど、とっかかりの1/3くらいはとんでもない急傾斜で、登る時よりも下る時に大変なのだった。確かに愛宕山の方がもっと急かもしれないが、続く距離が違うのである。

鋸山のときは予習が不十分でかなりつらい思いをしたことから、この日はきちんと地図を調べてあった。標高差はおよそ1000m、駒の小屋の少し前の1990mピークまでずっと登りが続き、その後はほぼ平坦でアップダウンがある。標高差1000mで初見だと、私の場合は4時間くらいはかかりそうである。

予習効果に加えて、道標がかなり整備されていたのがありがたかった。登山口から山頂まで5.3km、水場分岐からは2.9km、駒の小屋からは0.7kmなので、水場分岐までがちょうど半分となる。途中にも山頂まで△△kmの標示がこまめに出てるので、大体どのくらい歩いたかが分かる。途中、5分休みを2回、小休止を何回か入れて、水場分岐には9時25分に到着した。

休み休み登っているのでかなり予定時間をオーバーしただろうと思っていたが、それほどではなかった。ここから先は、地図で見る限り等高線の幅が広くなっているので、少しは楽になるはずである。

滝沢登山口の急階段。この日は平日だったので、すぐ近くに車を止めることができました。ここから山頂まで5.3km、駒の小屋まで4.6km。


階段の後すぐに始まる急坂。登りではそれほど感じなかったのですが、下りではすごい傾斜というのが身にしみました。


水場分岐までの登りではほとんど展望が開けなかったが、ここを越えて少しずつ木々の間から目指す会津駒ヶ岳が見えてくる。天気も良くなってきて空は真っ青、周囲の木々は紅葉が始まっていて、すごくいい景色である。ここまで2時間、急坂を登ってきた甲斐があったというものである。

標高1700mを越えるあたりから、材木を組んで中に大きな石の入った階段が登場する。この階段は燧ヶ岳と同じ仕様であることもあって、水場分岐から上の道は長英新道と雰囲気がよく似ている。そして、長英新道と同じように、木組の階段はかなりバテるのである。朝も早かったし、ここまで700~800m登っているし、こころなしか空気も薄いように感じる。

登りのときは、息の切れ方、汗のかき方などから自分の体調を判断しつつ、早く登りが終わらないかなあと思いながら歩くので、余計なことを考えないのがいい。なぜ歩くだけでこんなに苦しくなるんだろうとは思うけれど、嫌な会社のことや、解決しなければならない問題とかが頭に浮かばないのは何よりである。

一方で、景色や木や花にあまり注意が向かないのが難点である。奥さんが「この花きれい」「あそこに紅葉が」などと言ってくれるのだけれど、「下りの時に言ってくれ」とはあはあしながら言わなければならないのがつらい。その奥さんはというと、「パパの後ろは休みが多くて楽」だそうだ。何で今日は後ろを歩くのかと聞くと、竜虎のように歩いていて発作が起きたら大変だからという。ありがたいことである。

途中で1回、階段に腰かけて足を伸ばして休む。奥さんに、「仕事に行く時と同じように弱音をはくんだから」と言われてしまう。登っている間じゅう、なんだかんだ泣き言をいっているのだそうだ。確かに登りはつらい。でも、とにかく一歩ずつでも登って行けば、いつかは頂上に着くはずと自分で自分を元気づける。

木組みの階段を登り続けて1時間ほど、ようやく前方が開けた。1/25000図の1990地点であろう。右手に駒ヶ岳から続く稜線があざやかに見える。木のベンチのある休憩所で一休み。上の方に駒の小屋が見える。表尾根から尊仏小屋が見えた感じとよく似ている。この距離感だと、標高差で100mくらい、時間にして30分ほどで着きそうだ。

きつい登りはここまでで、あとは緩やかな傾斜のはずである。背の高い木が少なくなって、道はほぼ平らになり、ところどころに池塘もある。会津駒ヶ岳頂上付近の湿原地帯に入ったようだ。これまでの山道から一変して、尾瀬ヶ原を歩いているような雰囲気である。しかし尾瀬ヶ原は標高1400m、燧ヶ岳の熊沢田代でも1800m、ここは2000mの高さにある。標高が高いだけに、もう草紅葉になっている。これもすばらしい景色だ。

しかし油断は禁物、ここの木道で奥さんが足を滑らせて転倒、脇の木に足をぶつけてしまった。幸い、ぶつけたところが痛むだけで歩くのには支障がないので、このまま続行する。私も経験があるがCR-Xのダメージ吸収能力はすばらしく、これは切ったと思っても打撲で済んでしまうのである。科学の進歩はすばらしいものである。

水場分岐を越えて標高1600mくらいから、右手の樹間からめざす会津駒ヶ岳が見えてくる。青空と紅葉、これこそ山の秋という景色です。


木の階段が終わると、視界が開けて気持ちのいい木道。このあたり標高2000mなので、燧ケ岳の熊沢田代より200m上にある高層湿原ということになる。


駒の小屋直下の登りは見た目ほど時間はかからなかったけれど、しばらく平らなところが続いた後なのでやっぱりつらい。なんとかクリアして、駒の小屋到着は11時過ぎ。水場分岐からは1時間半、登山口からは3時間40分で到着した。休み休み登った割には、目標の4時間からかなり短縮することができた。

駒の小屋には、会津駒ヶ岳寄りの池塘前と、小屋の前、合わせて8つほどのテーブルが置かれている。この日は平日だったこともあり、やや余裕のある状態であったけれど、休日など込み合う時には相席になるのかもしれない。さっそくバーナーでお湯を沸かし、奥さんと二人分のコーヒーを入れる。インスタントで砂糖ミルク入り、これが山では恐しくおいしいのである。

これは余談だが、この山行のちょっと前に、これまでのステンレス製クッカーが重いのでモンベルのアルミニウム製クッカーに代えてみたのである。ややかさばるけれども2人で行くとお湯もたくさん沸かさなければならないので、この日も活躍したのであるが、何とこのクッカー、さきの御嶽山で噴石が直撃したけれども頭をリュックでカバーしたので助かったという人のリュックの中に入っていたのと同じなのであった。

コーヒーと一緒に、奥さんはあんぱん、私はデニッシュでまずひと息。その間にもう一度お湯を沸かし、カレーうどんを作って半分ずつ食べる。これもまたおいしい。そうしている間にも後続の人達が次々と到着するが、幸いに休憩場所はいっぱいにはならず、ゆっくり休んで景色を見る余裕があるのは、何よりである。

正面にはいま登ってきた桧枝岐側の谷と、反対側の山が何重にも重なって見える。一番手前が桧枝岐に近い大中子山、白身山といった山並み、その後方が田代山・帝釈山から鬼怒沼山に至る稜線と思われた。さらに後方、ひときわ高くそびえているのは、日光白根山だろうか。

視線を左に移すと、間近にそびえるのは会津駒ヶ岳である。ちょうどミノブチ岳から、俎嵓(まないたぐら)を見上げるのと距離感も景色もよく似ている。登って行く人が小さく見えるのも同じである。駒の小屋まで登って来れば、後は引き返してもいいのだけど、せっかくだから頂上まで行ってみようと思うのは人情である。

さて、ここからの予定は二つあった。会津駒ヶ岳の頂上をきわめてそのまま下山するのが一つ。もう一つは先にある中門(ちゅうもん)岳まで往復してくるというルートである。途中でわれわれを抜いて行った単独行のおじさんが、「中門岳まで行くの?片道40分くらいだから、行っておいでよ」ということだし、この先はほぼ平坦だというのでそんなに苦しくないはずだ。

奥さんに聞くと足は大丈夫だというので、時間をみながら行ってみるかということになった。駒の小屋を出発したのが12時20分。2時に下り始めれば、4時半前くらいには登山口に戻れるだろう。

駒の小屋直下の登り。雲取山直下よりも短いけど、やっぱりきつい。草紅葉がすごくきれい。


駒の小屋から見た会津駒ヶ岳。残り標高差80mくらいなのに、これもかなりきつい。ミノブチ岳から見た俎嵓(まないたぐら)とちょっと似てる。


せっかくだから頂上までとは言っても、ここの最後の登りは非常にきつかった。標高差にしておよそ100m、下は木の階段なのに、なぜこんなにつらいんだろうと思うくらいの登りである。とはいっても、休むような広さの場所もないので、登り始めたら登り切るしかない。だから余計つらかったのかもしれない。

それでも頂上に着くと、駒の小屋から20分しか経っていなかった。濃密な20分であった。標高2133m、麓からの標高差1000m以上を歩くのは久しぶりである。会津駒ヶ岳の頂上はほとんど展望は開けないし、それほど広い場所でもないので、写真を撮ってすぐに出発する。下の写真で左が駒の小屋からの道、右が中門岳への道である。

とはいえ苦しい思いをしただけのことはあって、駒ヶ岳の下りから中門岳への稜線を見下ろすところの景色は、本日一番といっていいものであった。標高2000mの山頂に、延々と伸びる木道と湿原、ところどころに見える池塘は、しばらく立ち止まって見入ってしまうほどである。

しかし、実際に歩いてみると、この道は考えていたよりも楽なものではなかった。写真でも分かるように行く手には3つほどの小ピークがあって、決して平坦コースではない。かなりのアップダウンを乗り越えて進まなければならないのである。それと、一年の半分以上を雪の下で過ごすためか木道の痛みが進んでいて、平らなところはほとんどなく、左右どちらかに傾いている。

特にこの日は1時半起きで寝不足であり、左右に傾いた状態で約1時間歩いた結果、中門岳の標示のある池塘まで着いた時には、メニエールっぽく視界が定まらない状態でふらふらしてしまった。聞いたら奥さんもそうだというので、1/25000図の頂上はもう少し先だったのだけれど、もう1時20分だし、ここまでで引き返すことにした。

帰り道は駒ヶ岳頂上を経由しないので、おじさんの言うとおり40分で戻ってきて駒の小屋に着いたのが2時過ぎ。トイレに行って一休みしたら2時20分になってしまった。中門岳往復を1時間半のつもりが2時間かけてしまい、ちょっとあせる。この日は泊まりなので少し遅くなっても大丈夫だが、暗くなったら大変だ。

スイッチが入ったのか、下りは全速力で飛ばす。奥さんが「下りのパパは早い」と驚くくらいであった。中間点の水場分岐まで1時間ちょうどで下り、休憩していた10人くらいを抜いてそのまま休まずに下に向かう。最後尾でないから少しは安心だし、まだ若干の余力はある。

ところが、ここからが長かった。何しろ急傾斜なので、いちいち手がかり足がかりを探して3点確保しなければならないので、スピードが出ないのである。「こんな急坂登ってきたんだっけ?」と何回も言うくらい、苦戦した。こんなに急な坂を、休み休みでなければ登れるはずがなかったのであった。

4時半近くなり少し暗くなった。そろそろ登山口のはずなのに、スイッチバックの急坂はいつまで下っても終わる気配が見えない。標高差1000mの下りを2時間じゃ無理だよなあと思っていたら、急に目の前に階段の手すりが現れた。登山口である。最高にうれしくて、万歳してしまった。確か踊り場の下あたりで踏み板が一ヵ所腐っていたから、最後の最後まで注意しなければ。

車まで戻ったのは4時35分。下りは駒の小屋から2時間15分という超ハイペースであった。この日は寝不足の強行スケジュールにもかかわらず、登り下りとも基準コースタイムをクリアしたのはなかなかである。

それ以上によかったのは、普段は太ももやふくらはぎが3日4日痛むのに、今回はその日の夜中に痛んだだけで、翌日以降にそれほど影響が残らなかったことであった。 歳は取っても努力しだいで体は鍛えられると、少しだけ思っているところである。

この日の経過
滝沢登山口 7:30
9:25 水場分岐 9:35
10:45 1990m小ピーク 10:55
11:10 駒の小屋 12:20
12:40 会津駒ヶ岳 12:45
13:15 中門岳 13:20
14:00 駒の小屋 14:20
15:20 水場分岐 15:20
16:35 滝沢登山口(GPS測定距離 12.1km)

[Nov 17, 2014]

会津駒ヶ岳山頂。ここからはあまり展望はありません。


そして、会津駒ヶ岳直下から見た中門岳への稜線。木道がどこまでも続く気持ちのいい道ですが、見た目以上にアップダウンがあります。


尾瀬2015(小淵沢田代・尾瀬沼) [Sep 27-28, 2015]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

例によって夏の間は山に行かなかった。夏の低山は蜂とか虫がいるし藪もうるさいし、大量に汗をかいてしまうのであまり快くないということもある。秋のスタートは9月の最終週、そろそろ山は防寒着が必要になる時期である。久しぶりでもあり奥さんを連れてゆるいところということで選んだのは尾瀬。これで9月最終週は3年連続で尾瀬となる。

尾瀬へのアプローチ道路である国道121号線や352号線は、さきの豪雨の影響であちこちで土石流の跡が残っていた。道路脇に積み重ねられている土砂や枯れ木は、おそらく道路に流れていたものを片付けてそうなったものと思われた。また、橋桁に切り株や枯れ枝が大量に引っかかっているのは、橋の上まで水が来たということだろうか。工事中の片側規制も何ヵ所かあった。

「日本人って偉いよね。すぐに道路を通れるようにするんだから」と奥さんも感慨深げである。奥さんは風呂のない山小屋には断固として来ない。今回は風呂のある尾瀬ということで、奥さんも一緒に来たのである。午前5時に家を出て、7時過ぎに西那須野塩原IC、塩原を経由して会津に入るルートで、尾瀬御池には9時半頃到着した。

沼山峠までのシャトルバスは10時ちょうど。15分ほどで沼山峠バス停に着いた。朝が早かったので、売店でパンとインスタント豚汁で軽食をとって、10時30分に登山口に入った。この日の予定は、まず小淵沢田代に登り、そこから送電線の走っている記念碑地点まで歩こうという計画である。

尾瀬に入るまで道路の気温表示が17度くらいで少し肌寒かったため、レインウェアの上を防寒着替わりにしていたが、沼山峠までの登り階段で早くも汗だくになる。速乾肌着と長袖の登山シャツだけで十分である。峠から快調に下って、久しぶりの大江湿原。下の写真のように尾瀬沼方向は霧が出ていて見えない。もちろん、燧ヶ岳も見えない。

それでも奥さんは、「尾瀬だ尾瀬だ」と大喜びである。去年だって会津駒ヶ岳に来ているし、おととしは燧裏林道に来ているのに、「あれは山で、尾瀬じゃない」んだそうだ。奥さんにとって、木道だけの歩きで平らな湿原が広がっていないと尾瀬ではないらしい。

湿原はまさに草紅葉が色づいてみごとである。あと半月遅いと茶色になってしまう。「ルドベキアだ」「ワレモコウだ」と草紅葉の間から花を見つけて、奥さんもうれしそうである。「ワレモコウは止血作用があって、ゴルゴ13が根っこを食べたんだよね」と薀蓄を披露する。

湿原に出て5分か10分で小淵沢田代への分岐となる。ここから左に入り山道を標高差160mほど登ると、めざす小淵沢田代となる。すぐに山に入って、木道から山道になる。「また尾瀬じゃなくなった」と奥さんは不服そうである。

取り付きの登りは結構きついが、じきに傾斜が緩やかになる。ときどき道がぬかるんでおり、下が岩で水がたまっていたりするのは燧ヶ岳の北側斜面と似た雰囲気である。道は手入れされていて危険なところはない。

歩いているうちに、あたりがかなりうす暗くなっているのは気がかりなことであった。この日の天気予報は雨が降っても朝までで午前中の降水確率は20%、午後からは0%であった。にもかかわらず、森の中はうっそうとして全く明るくならない。それどころか、ときどき水滴が上から落ちてくる。これは雨だろうか、それとも木の枝から昨日の雨粒が落ちているのだろうか。

緩やかな登りを歩いていくと50分ほどで尾瀬沼方向からの道と合流し、間もなく小淵沢田代に到着した。ところが雨が本降りである。あわてて森の中へ引き返して雨宿り。せっかくの小淵沢田代なのに、見えるのは入口付近だけで、木道は途中から霧の中である。一度片付けていたレインウェアを再び広げて着る。幸い、ひと雨来た後は小降りになってきたようだ。

尾瀬初日は予報に反してぐずついた天気。大江湿原から尾瀬沼方向も霧がかかっていました。


小淵沢田代へは、山道を登る。ときどき道がぬかるんで燧ヶ岳の北側斜面のようになります。


尾瀬沼より標高で200mほど高いところにある小淵沢田代。草紅葉が鮮やかでした。(行きは雨だったので、この写真は帰り道)


着いたときは本降りの雨だったが、雨宿りをして元気一発ゼリーを飲んだり記念写真を撮ったりしているうちに、嘘のように霧が晴れて空が高くなった。

小淵沢田代はそれほど広くなく、5分も歩くと端まで行ってしまう。大きな池塘も確認できたのは一つだけだった。ただ、水はすごく多くて、木道の上が川になっている。ときどき靴が沈んでしまうほど深い水たまりもあるので、この先進むかどうか少し迷った。

そうしていたら、向こうの方向から四人組がやってきた。ということは、どうやら進めそうである。小淵沢田代からの出口がひどいぬかるみになっていて難儀したけれども、そこを突破すると緩やかな登り坂で歩きやすい。左右は熊笹なので手入れしないとすぐ藪になりそうだが、きちんと刈り払いされている。

ところどころ水たまりができていたり、道の中央が深くえぐれて歩きにくいところがあるところは、長英新道の下の方と似ている。

「これからどこに行くの?」と奥さんが聞くので、
「記念碑のあるところだよ」と答える。
「何の記念碑?」とまた聞くので、
「電線を引いたという記念碑だよ」と答える。
「なんで電線を引いた記念碑を見に行くの?」とさらに聞くので、
「目印になるからだよ」と答える。確かに何で記念碑を見に行くのか、計画を話していないので分からないだろう。

そもそもの発端は、ずっと若い頃から鬼怒沼湿原に行きたいと思っていて、いまだに行っていないということがある。鬼怒沼湿原から鬼怒沼山に登り尾瀬沼まで延々と縦走するルートは、以前は多くのガイドブックに載っていたが、途中でテント泊しないと難しいくらい長いので、最近はあまり紹介されないし、本によっては「荒廃気味」なんて書かれている。

今回の小淵沢田代から記念碑までのルートはそのロングルートの一部であり、鬼怒沼から尾瀬沼に向かう際の終盤にあたる。いつかこのルートに挑戦する場合に備えて、ぜひ歩いてみたいと思っていたのであった。

小淵沢田代から40~50分、群馬県側大清水からの道と合流すると間もなく、景色が急に開けて鉄塔が見えてくる。目的地に着いた。「達成感って、歳を取ると重要なんだって」と奥さんが分かったようなことを言うが、林の中の長い坂道を登ってきて、急に広い場所に出た開放感は何ともいえない。

登山道と直角に交わる送電線の下は幅100mほど防火帯のようになっていて、そちらに巡視道がある。以前は地図付きの看板があったようだが、見当たらなかった。記念碑の前に行ってみると、「只見幹線竣工記念 昭和三十四年五月」と彫ってある。私は生まれているが奥さんはまだ生まれていない。いずれにしても六十年近く前に建てられたものだ。

記念碑の足下に小さな立札があって、「尾瀬沼まで1時間約3km」「鬼怒沼まで7時間約16km」「送電線下は登山道にあらず」と必要な情報がコンパクトにまとめられていた。せっかくなので腰をおろせる場所を探す。送電線の下が休めそうなのでそちらに向かって進むが、乾いた芝生のように見えたのは湿原で、よく見ると池塘もあって座ったら濡れてしまう。

仕方なく記念碑の近くの熊笹の上に座って、コーヒーと菓子パンでお昼にする。朝沸かしたお湯をテルモスに入れてきたのだけれど、9時間近く経っているのでさすがに生ぬるい。2時になったので出発、この日の宿である尾瀬沼ヒュッテに向かう。小淵沢田代までの戻りは30分ほどでクリアしたのだが、小淵沢田代から尾瀬沼ヒュッテまでの道で大変苦労した。

というのは、大江湿原から小淵沢田代までは谷筋を登るので帰りは純粋な下りであるが、小淵沢田代から尾瀬沼へは稜線を一つ越えるので、標高差で60~70m登ってその分余計に下ることになるのであった。一番下の写真で、三本カラマツの真上に見える鞍部を越えて尾瀬沼に下ってくるのである。遠くから見るだけでも大変そうである。

もちろんちゃんと予習しておけば行きのルートで下りてきたのだけれど、あとは下りだけと思っていたのに10分以上登って、その分急傾斜の下り坂が延々と続くのだから参った。それでも3時半ちょうどに尾瀬沼ヒュッテに着いたから記念碑からは1時間半、まずまずのペースで歩くことができた。

小淵沢田代から記念碑までは緩い登り坂。熊笹が刈ってあり歩きやすくなっているが、ぬかるんでいるところもある。


坂を登りつめると、いきなりという感じで鉄塔と送電線、只見幹線記念碑が登場する。送電線下は防火帯のように見えるが、ちょっと進んだだけで池塘があり湿原化しつつある。


翌日、沼尻からの帰りに撮った小淵沢田代方向。小淵沢田代から尾瀬沼ヒュッテへは、中央と左ピークの鞍部を通るので、標高差で70mほど登ってから下ることになる。中央はもちろん三本カラマツ。


尾瀬沼ヒュツテは、日曜日の晩だというのに団体客で一杯だった。ここへ来るのは4回目になるが、夕食でテーブルが一杯になるのも、2階の部屋が満室になるのも、初めて見た。昼過ぎまでの雨が嘘のように夜は晴天で、仲秋の名月がきれいに見えた。

翌朝は団体客が早出してテーブルは半分くらいの埋まり具合。われわれ夫婦はゆっくり朝ごはんを食べ、この日は尾瀬沼を一周し沼山峠を越えて下山する計画である。前に一人で来た時に三平下までで引き返したので、そこから沼尻(ぬじり)までの間を歩いていないからである。

7時ちょうどに出発、気持ちいいくらい晴天で日焼け止めを塗った。長蔵小屋を越えてすぐに「沼尻休憩所のトイレが使えません」と注意書きがしてあった。トイレが使えないと、売店はどうするんだろうと一瞬思ったけれども、あまり疑問にも思わないで先に進む。

長蔵小屋から三平下までの木道では、前に来た時にヘリコプターで材木を荷下ろししていたのを見ている。そのことを思い出しながら歩いていると、足下の木道にはじめは「H26 」、次に「H25」と焼印が押してあるのを見つけた。今年は長蔵小屋付近を工事すると書いてあったから、尾瀬沼から三平下まではここ3年間で整備された木道が続くことになる。

それに比べると、三平下から先の状況は、なかなか厳しいものがあった。特に東京電力の設備がある建物を過ぎると、木道は斜めっているか折れているか穴が開いているかで、まともに見えるものも表面に苔が生えて滑りやすくなっている。実際、一回だけだが、踏み出した足元が滑って尻もちをついてしまった。

尾瀬沼の湖畔に近い場所では、3ヵ所くらい木道の地盤そのものが崩落していて、トラロープで立入禁止となっていた。「迂回路→」の標示に従って斜面を山側に上がって行く。迂回路はしっかり踏み固められていて、これが今年に入ってから急にできた道ではないことが分かる。迂回路以外でも登ったり下りたりが多い道で、途端に歩くスピードが鈍った。

ぬかるんだ道を苦労しながら進むと、ときどき湖面の方向が開けて北側の景色が広がる。尾瀬沼の向こうに、雄大な燧ヶ岳がアップになる。はじめは頂上が雲に隠れていたが、上空の風が強いらしく雲がどんどん流れていく。ついに頂上が現れた。あれがミノブチ岳でいつもお昼を食べる場所、奥に見えるのが柴安嵓と俎嵓だよ、と奥さんに説明する。

三平下から沼尻まで半分ちょっと歩いた頃、沼尻方面から歩いてきた単独行のおじさんとすれ違う。「沼尻の小屋が丸焼けだよ」と話しかけられる。「福島県警のテープが張ってあって、焼け跡で後片付けをしている」ということだ。「それでトイレが使えないって書いてあったんだ」と納得。尾瀬に来るというのに、その最新ニュースを知らなかったのだ。

「落雷で焼けたのかな?」なんて夫婦で話しながら、いよいよ沼尻に近づく。このあたりは再び湿原になっていて、木道の状態もいい。真ん前には燧ヶ岳がそびえ立つ。この30分くらいで雲がなくなって、頂上から麓まですべて見渡せるようになっている。ぐんぐん気温も上がってきて暑い。しかし尾瀬沼の水が尾瀬ヶ原へと下って行く沼尻川を越えると、焦げたようなにおいがして、行く手の木道が黒くなっている。

沼尻休憩所が、本当に丸焼けになっている。柱のいくつかは木炭状態で焼け残っているが、屋根も壁材もすべて焼けてしまっている。冷蔵庫や厨房の備品が見当たらなかったのは、焼けたのだろうかそれともすでに搬出したのだろうか。係りの人達が5、6人で、搬出する廃材をヘリコプター用に荷造りしていた。

帰ってから調べてみると、焼けたのは9月21日だからわずか1週間前。においが残っているのも無理からぬところであった。それにしても、沼尻休憩所が使えないと尾瀬ヶ原から尾瀬沼でもその逆方向でも、絶好の休憩スポットがなくなってしまう。今シーズンは仕方ないけれども、来シーズンには建て直されているといいなあ。

沼尻から尾瀬沼北岸を歩く。木道の状況は南岸とは比較できないほど整っていて、ほとんど散歩道のように歩くことができた。大江湿原に出てそのまま沼山峠に直行。楽勝だと思っていたら、3時間歩いた後の峠越えは結構厳しく、峠の休憩ベンチで一回休憩を入れなければならなかった。沼山峠に11時着。11時20分発のシャトルバスに乗って、車の置いてある御池に戻ったのでした。

この日の経過
沼山峠バス停 10:30
10:55 沼山峠 11:05
11:25 大江湿原分岐 11:25
12:20 小淵沢田代 12:45
13:35 只見幹線記念碑(昼食休憩) 14:00
14:25 小淵沢田代 14:25
15:30 尾瀬沼ヒュッテ(泊) 7:00
7:35 尾瀬沼山荘 7:45
9:00 沼尻 9:15
10:00 大江湿原分岐 10:05
11:00 沼山峠バス停 (GPS測定距離 初日 8.3km,2日目 9.9km 計 18.2km)

[Oct 12, 2015]

尾瀬沼南岸の木道は、かなり傷んでいます。特に沼山荘のある三平下から先は、木道が崩壊して迂回路を通るところが何ヵ所か出てきました。


沼尻に近づくと、ようやく雲がなくなって燧ヶ岳がきれいに見えるように。


9月21日に全焼した沼尻休憩所。まだ石油系のにおいが漂っている。係りの人達が焼け残った柱などをヘリで搬出する準備をしていました。


高原山(釈迦ヶ岳) [Nov 13, 2016]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

久しぶりの山は、2年前に登ったのに霧の中で何も見えなかった高原山である。紅葉狩りを兼ねて奥さんも一緒なので、あまりきつくない山ということで選んだつもりであった。行く前には、2時間半で登って2時間で下りて、鬼怒川に回ってかご岩温泉に入って、まつたかでゆばを買って帰ろうと話していたのである。

なんといっても、前回1539mの八海山神社まで登っている。釈迦ヶ岳は1794mでプラス250m、最後の頂上は急傾斜のようだが、それ以外は稜線伝いの歩きである。1/25000図を見ると、八海山神社から釈迦ヶ岳まで、距離的には丹沢の塔ノ岳~丹沢山と同じか短いくらいである。起伏のある稜線だから、あのイメージで考えていたのである。

家を午前5時に出て、柏から外環・東北道経由矢板ICまで。今回も、オリオン座が西の空に見え、冬の大三角形もくっきり現れていた。前回もそうだったのに、途中から雨になったのだ。矢板で下りて一般道を北へ。県民の森の標識を折れてしまい引き返す。前回もここで間違った。正解は矢板カントリーを目指して泉交差点を左折である。道がだいぶ新しくなっていた。

八方ヶ原に至る十数kmの登り坂では他の車はまったく見かけなかったのに、大間々の駐車場に着いてみるともう二十台以上が駐まっていて、残りあとわずかだった。支度して出発したのは8時半。これは予定どおりで、釈迦ヶ岳に11時、休憩して帰ってきて午後2時という計画だったのだ。

遊歩道をしばらく進み、登山道に入って傾斜のある道を登って行く。晴れているので、上が見えるのは安心である。前回は雨が降ってきて風が強いのに、歩き出すと暑いものだから、着たり脱いだり忙しかったが、今回はそうしたこともない。最初の急登をクリアし、眺めが開けた稜線に出て、あとはゆるやかな熊笹の道を登って行くと八海山神社が見えてきた。

今回はここまで途中休憩なしで、八海山神社到着は9時30分。前回より5分早かった。南への眺めが開けて、大パノラマが眼下に広がる。目前に見えるゴルフコースは矢板カントリークラブ。ここは35年前に来たことがある。600ヤードの超ロングホールがあって、第一打を200ヤード飛ばさないとOBになってしまうのだ。

先に登っていた地元のおじいさんの言うことには、日光連山の奥に見える男体山から左に15度のあたりに富士山が見えることもあるそうだ。この日は気温が上がりつつあるようで富士山は雲の中だったが、それでも広大な展望を十分楽しむことができた。

ここまでは全く問題はなく、しかも最終目標である釈迦ヶ岳も目の前にある。あと1時間もあれば着きそうだと思ってさらに油断してしまった。実際、あのくらいの距離感覚だと、それほど時間はかからないはずなのだ。ところが実際は直径と円周みたいなもので、登山道は向かって右の尾根からぐるっと回り込むのであった。

大間々駐車場からスタート。今回は快晴無風、絶好のコンディション。


見晴コースから八海山神社に向かう。強風でもない限り、こちらのコースの方が気持ちがいい。


前回は霧で何も見えなかったけれど、今回は抜群の眺め。間近に釈迦ヶ岳と、ちらっと鶏頂山。すごく近く見えたのに遠かった。


八海山神社にお参りし、石の上に座って少しゆっくりしてから出発。ここの標高が1539m。大間々が1278m、釈迦ヶ岳が1794mだから、標高差ですでに半分登っているということである。

さて、前回触れた大失敗というのは、水をあまり持ってきていないということであった。もちろん登山カードは作ってあり、そこには水1リットルと書いてあるのに(しかも奥さんと二人で確認しているのに)、500mlペットボトルとテルモスにお湯が400mlあるから大丈夫と思ってしまったのであった。標高差で半分登ったのだから、あとはそれほど水はいらないだろうと思って、八海山神社で半分近く飲んでしまう。

他にも、いつもは忘れずに持ってくる薬品類も目薬も、クエン酸もブドウ糖も持ってきていない。元気一発ゼリーすら用意していない。でも、最大の問題は水であった。しかも、車の中にはペットボトルがもう1本置いてあるのである。ただ、そういうことに気が付いたのはこの後の話で、八海山神社の時点では全く問題とは思っていなかった。

10分ほどなだらかな登りで、矢板市最高点に到着。このピークには名前が付いておらず、もう一つ先のピークには剣ヶ峰という立派な名前が付いているのに、高さは矢板市最高点の方が50m高い。ただし、林の中で展望は全くない。

まずいと思ったのは、この最高点ピークからの下りである。最初はこれは下山道で道を間違えているのではないかと思ったくらい、際限なく下る。しかし、方角を確認すると間違いない。とすると帰りはここを登り返さないといけないということである。登ったらあとは下るだけだと思っていたのは、大間違いであった。

ようやく下り終えて、剣ヶ峰下の三叉路に出る。2、3分で剣ヶ峰に登るけれども、ここも展望は開けていない。ただ、三叉路を過ぎたあたりで釈迦ヶ岳が見えて、八海山神社で見たよりも遠くなっているような気がした。剣ヶ峰通過が10時10分、これは予定どおりである。

計画とはおおいに違ったのは、ここからである。1/25000図では小さなコブが一つあるくらいで、あとはなだらかな稜線のはずなのに、たいていは起伏のある道で、平らになったかと思うと片側は崖のヤセ尾根で神経を使う。しだいに、いつもなら登りだとペースアップして先に行ってしまう奥さんが遅れ気味となる。聞いてみると「おなかがへった」という。

時刻は普段の日はお昼にしている11時。まだ釈迦ヶ岳には大分ありそうなので、少し広くなっているところで昼食休憩にする。何の気なしに見つけた場所だったが、帰ってからGPSに落としてみると1543mピークのあたりだった。ということは、剣ヶ峰と釈迦ヶ岳の中間地点であり、まだまだ先は長かったのである。

計画していた登り時間の2時間半は経過してしまったものの、あと30分もあれば登れるだろうとその時は思っていたのだが、それも大きな間違いであった。ただ、エネルギーを補給した奥さんは急に元気になり、いつものように登りでは私よりかなり先を飛ばしていく。急傾斜の坂をしばらく登り、いったん平らになる。しかし、釈迦ヶ岳はかえって遠ざかっているように見える。

私の方はこのあたりから水不足が気になり出した。こうなると、天気がいいだけにただでさえ発汗する。その上帰りにこれだけ登りがあるかと思うと、残っている水で足りるかどうか心配になった。テルモスのお湯も、お昼休憩で半分飲んでしまった。

釈迦ヶ岳への最後の急斜面になり、固定ロープの引かれている場所もある。この頃から下りの登山者と頻繁にすれ違うようになり、待ち合わせるケースも多くなる。結構な人数が登っているようだが、駐車場がほぼ満杯であったのだから当り前といえば当り前である。

この登りは、北側の尾根ということもあり、道の左右にはほんのり雪が残り、登山道は霜でぬかるんですべりやすくなっていた。お昼を食べた1500mあたりでは、木の根に腰かけることもできたくらいなのに、1600m越えたあたりから手を付くと泥だらけになる。途中、鶏頂山への分岐があり、そこから最後の最後、もう一段登る。

なんとか急傾斜をクリアして、釈迦ヶ岳に着いたのは12時15分。奥さんよりも10分ほど遅れたようである。お昼休みの1543mピークから1時間もかかってしまった。大間々駐車場からは休憩を入れたとはいえ3時間45分。2時間半で計画していたのだから、準備不足もはなはだしいということである。

八海山神社で一休み。後方は矢板市最高点ピーク(だと思う)。


矢板市最高点の無名ピーク。三角点の剣ヶ峰よりも高く、ここからの下りで早くも弱気になる。


剣ヶ峰のあたりから撮った釈迦ヶ岳。ちっとも近づかないのは、尾根伝いに回り込んでいるため。


釈迦ヶ岳頂上はまさに360度の大パノラマで、苦しんで登ってきただけのことはあった。よく知られているようにこの頂上には釈迦如来の大仏が置かれていて、八海山神社、三角点とともに頂上の3点セットとなっている。熊笹の中に向こう側からの道も合流していて、おじさん達が話しているのを聞いたところでは東荒川ダムの方から登ってくる道のようだった。

鶏頂山はもちろん、日光連山や男体山がさらに近くに見える。一方で、八海山神社では近くに見えていた矢板カントリーは遠くなっていて、なるほどかなり歩いてきたんだなあと思った。間近に見える山々は頂上が少しだけ白くなっているだけだが、その向こう、おそらく尾瀬と思われるあたりは、山全体が白く雪をかぶっていた。

ということで少しは景色を楽しむことはできたのだけれど、相当バテていたのと、南側は逆光で見えづらかったので、ろくに写真も撮らなかったのはもったいないことであった。帰り時間と水のことが心配で、半分残していたお昼のパンを食べて、12時35分そそくさと出発する。

ここまででテルモスのお湯は飲みきってしまい、ペットボトルの水は200mlくらいしか残っていない。これであのきつい登り返しをクリアできるだろうか。なんで今回に限って予備の水を持たなかったのだろう。お遍路の時でさえ、手つかずのペットボトルを1本、必ず持って歩いていたというのに。

おまけに、治療中の歯が痛くなり、その痛みが移って目も痛い。こういう時に限って、目薬も痛み止めも置いてきてしまっている。奥さんにそう言うと、「ここでロキソニン飲んだら、眠くなるよ」と指摘されてしまった。確かにそうかもしれない。ともかく、あるものでやって行くしかない。車に戻れば、水はあるのだから。

釈迦ヶ岳からの急傾斜をなんとか下り切ったが、その頃から全くペースが上がらなくなった。お昼を食べた1543mピークに戻ってきたのが午後1時45分。普段は下りは2/3くらいの時間で飛ばせるのに、むしろ下りの方が時間がかかっている。これは尋常でないバテ方であった。ここから後は、完全に奥さんのペースについていけず、離れて歩くことになってしまった。

1543mピークでは奥さんの水を分けてもらう。もう自分の水は100mlくらいしか残っていない。お遍路では500mlを何度も一気飲みしていたことと比べると、天の地ほど違いがある。あと2時間以上かかるのは間違いないのに、これだけの水でやっていけるのだろうか。

下って登る大きな登り返しが、ここから3つくらいある。飲んだらなくなってしまうので、1つ大きな登りをこなすごとに1口だけ口に含むようにする。最初は舌が乾いてきて、それが喉に達して、最後の方は喉の奥の方まで乾燥しきってしまった。「のどが渇く」というのは本当に喉が乾くのだなあと変なところで感心する。

帰ってからGPSのデータを見ると、釈迦ヶ岳から1543mピークまで65分、1543mピークからさらに70分かかって八海山神社だから、帰りの計画時間2時間では八海山神社にさえ着けないという状況であった。奥さんは八海山神社で待っていて、「あんまり来ないから、車に戻って水持ってきてあげようかと思ったよ」と言われてしまった。

ただ、奥さんによると、釈迦ヶ岳に登っていた人達はみんな「思ったより遠かった」と言っていたということだから、地図で見るよりタフなコースであることは確かなようである。もう日が傾いているので、早々に下り始める。

帰りは林間コースを選んだのだけれど、行きと同じ見晴コースの方が良かったようだ。少なくとも、最後の数百mは砂利道の方が早く歩けたと思う。最後は脱水症状さえ心配したくらいだったが、何とかうがい1杯くらいの水を残して大間々駐車場へ。車の中に置いてあったペットボトルでようやく水分を補給したのであった。

駐車場に着いたのは4時10分過ぎ。朝はほぼ満杯だった駐車場も残っていたのは3台だけ。それも帰りの準備をしていたので、麓に着いた最後のグループだったようである。

山の4時過ぎはもう暗くなりかけていて、これ以上遅くなったらヘッデンが必要になるほどであった。今日のコースだと、もう少し早く出なければいけないということである(実際、朝の駐車場は我々より早い人達ばかりだった訳だし)。それよりも、どんなに楽そうに見えても、山で油断してはいけないということが改めて身にしみた一日であった。

すでにこの時間「山の駅たかはら」も閉まっていて、追加の水を補給できたのは十数km下った県道沿いのローソンだった。楽しみにしていた日帰り温泉も行けず、ゆば直売も閉まっていて、日光市内のココスで夕飯を食べて高速で帰った。ただ、疲れていてお腹も空いていたので、ココスのハンバーグはたいへんおいしかった。

この日の経過
大間々駐車場 8:30
9:30 八海山神社 9:40
10:10 剣ヶ峰 10:15
11:00 1543p(昼食) 11:15
12:15 釈迦ヶ岳 12:35
13:45 1543p 13:50
15:05 八海山神社 15:05
16:10 駐車場 (GPS測定距離 10.3km)

[Dec 5, 2016]

釈迦ヶ岳直下は、かなりの急傾斜が続く。1/25000図で見当はついていたのだが。


釈迦ヶ岳頂上の、三角点、八海山神社、釈迦如来像の3点セット。周囲は360度のパノラマですが、バテすぎていい写真が撮れませんでした。


釈迦ヶ岳の登山道途中からみた、剣ヶ峰と矢板市最高点ピーク。ここを回って戻らなければならない。しかも水不足。


高原山(ミツモチ) [May 2, 2017]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2017年のゴールデンウィークはリタイア後初の大型連休であった。リタイアしているからといって毎日が休みということはなく、学校と同じように毎日職業訓練所ポリテクセンターに通っているので、平日は自由にはならない。幸い、5月の1日2日だけは訓練もお休みになったので、奥さんと山に行くことにした。場所は、昨年の秋痛い目に遭った高原山である。

平日とはいえゴールデンウィーク中であるので、早めに予約をとらなくてはならない。以前から気になっていた小滝鉱泉を5月1日泊で予約して、天気次第で1日ないし2日に登る計画を立てた。

そして、5月1日は大気の状態が非常に不安定となり、関東各地で落雷やゲリラ豪雨があった日である。幸い、栃木県北部では大荒れということはなかったものの、それでも雨風が一時強まったので、弾力的な計画にしてよかったということである。翌日は朝から五月晴れ。風はやや強かったものの、まずまずの山日和となった。

宿から大間々駐車場までは30分ほど。これまで2回の高原山は日帰りの忙しいスケジュールだったけれど、今回はゆっくり眠って体力は十分、車窓から見る景色もいままで以上に雄大である。9時過ぎに、八割方埋まった駐車場に到着すると、まだ頭に雪を被っている日光連山が間近に見えた。

さて、今回はどの日に登るかはっきりしなかったので、八海山神社からミツモチというコンサバティブなルートとした。昨年秋は釈迦ヶ岳往復で大バテしたので、そのときの原因となった水は多めに持ったものの、それほどきついコースではないはずである。

まずは八海山神社に向けて遊歩道を進む。いきなり、真新しい「クマ注意」の看板が掲げられていてびっくりするが、人の多い山なので出くわすことはないだろう。しばらく歩いて、登山道入り口の分岐点。ここから八海山神社へ往復して、帰りは分岐点を先に進んでミツモチに行く予定である。

来る途中の八方ヶ原林道では山桜も葉桜になっていたが、標高1500m近いので新緑もまだ目立たない。ときどき林道でピンクの花が咲いていて、何の花だろうと奥さんと話していたのだが、アカヤシオという花らしい。このアカヤシオも、後から行ったミツモチで一枝蕾になっていたくらいだった。

八海山神社へは登山口から急勾配を登り、いったん緩やかな尾根道となり、最後にまた岩場の急勾配を登る。もう3回目になるので見慣れた道で、それほど疲れることもなく標高を上げる。緩やかな尾根道に乗り上げると、眼下に矢板市内から茨城県までの眺めが広がる。この日は急ぐこともないので、景色のいいところで小休止を取りながら登った。

稜線に登ってから八海山神社まで、南西から南東にかけての景色が広がる。すぐ下に見えているなだらかな山が、これから登るミツモチだろうか。さらにその下には、矢板カントリークラブのフェアウェイがくっきり見えている。

この矢板カントリー、私が社会人2年目のときに回ったコースである。600ヤード近い超ロングコースがあって、ティーショットを200ヤード飛ばさないとOBになってしまう谷越えだった。その頃自分は前途洋洋だと思っていたのだけれど、40年近く経って想像とはかなり違っていたなぁと思い出す。それでも、今からやり直す時間は残されていないのであった。

そんなことを考えていたら、にわかに風が強くなってきた。雄大な景色を楽しみたいのは山々だが、そろそろ時間である。10時30分出発。いったん分岐点まで下りて、南のピークであるミツモチに向かう。

前日の不安定な天気から一転して、この日は快晴。大間々駐車場からの道も快適。


3回目の登りなので、かなり慣れてきた。八海山神社まではひと登り。


八海山神社からは日光連山から茨城県まで180度の大展望。


八海山神社を後にして、ミツモチ分岐点に向かう。下り始めてすぐ、「ミツモチ→」の細い登山道があるが、どこをどう通るか分からないので安全策で太い道を下りる。平日とはいえ、連休中なのでこれから登ってくる人達も多い。気のせいかうちの夫婦と似たり寄ったりの年恰好の二人連れが多い。

分岐点に下りて右に折れる。道は駐車場からの砂利道が続いている。車両通行止めであるが、ジープでも走れそうな道である。分岐点からミツモチまで2.8kmと表示がある。地図で見るとずっと下りなのだが、微妙に登り坂である。急勾配を下ってきてすぐなので、ちょっとしんどい。

道の両脇からは熊笹が伸びていて、その中をカタクリの花が咲いている。南斜面で日が差すとあたたかいのでもっと花が咲いていていいような気がするが、金精道路が開通したのはゴールデンウィーク前なので、まだまだ寒いということなのだろう。日光連山はまだ雪をかぶっているし、間近に見える釈迦ヶ岳も谷筋は白く雪が残っている。

ミツモチへの道は八海山神社への分岐から伸びている青空コースと、大間々駐車場に直接向かうやしおコースの2つがある。この日は先に八海山神社に登ったので青空コースでミツモチに向かい、やしおコースで駐車場に帰る予定である。青空コースは基本的にすべて砂利道の車道規格で、そのまま県民の森へ下りて行くようであった。

傾斜は全体になだらかに下っていて、登山というよりもハイキングである。途中、釈迦ヶ岳が展望できる広場があるが、それ以外はひたすら砂利道が続く。1/25000図を見る限り下る一方のように読めるのだが、ときどき微妙に登り坂となる。こういう坂は意外としんどい。

途中で掲げてあった案内板によると、このルートには昔、釈迦ヶ岳で山岳修行する人達が寺を建てていて、100年くらい前には堂宇があったということである。その後火事があって焼けてしまい、再建しようとしたところ材木を曳いてきた牛がどうしても急坂を登らないので、仕方なく寺は麓に建てて現在に至っているということである。

青空コースの道はけっこう長く、四、五十分かかってようやくミツモチに到着した。広場になっていて木のテーブルと椅子があり、70m上には展望台がある。ここからの眺めがまたすばらしい。ちょうど正午なのでお昼休憩にする。休んでいるちょっと先に、一枝だけアカヤシオが咲きそうになっていたので、先着していたおじさんおばさんグループが写真を撮っていた。

帰りはヤシオコース。こちらは青空コースとは打って変わって登山道である。登山道なので道幅は狭く、登ったり下ったり傾斜が間断なく続く。とはいえ、釈迦ヶ岳への道ほどではなく、ひとしきり登ってまた下って繰り返しでいいトレーニングになる。

他のグループはみんな青空コースを戻って行ったので、あまり通る人がいない。それが原因なのか、カタクリの花が道のど真ん中に咲いていて、何度も踏みそうになった。1時間ちょっとで、駐車場のすぐ近くに戻る。奥さんによると、行きに通った青空コースより気持ちがよかったそうである。

車で5分ほど下りた「山の駅たかはら」に寄って顔を洗い、せっかくなのでソフトクリームを頼んだ。おいしかった。4時間ほどの山歩きだったが全く疲れるということはなく、翌日も足腰に痛みが残ることはなかった。たまには、こんなゆるい山歩きがあってもいい。実は、釈迦ヶ岳もこのくらいだと予想していたのだが、そんなことはなくて痛い目にあったのである。

この日の経過
大間々駐車場 9:10 →
10:10 八海山神社 10:30 → 
11:40 ミツモチ 12:10 →
13:30 大間々駐車場 [GPS距離 8.7km]

[May 29,2017]

いったん急坂を下りて、今度はミツモチに向かう。青空コースはほとんど砂利道。


ミツモチには、展望台と休憩所がある。八方ヶ原では咲いていたアカヤシオがこのあたりではまだ蕾でした。


帰りのやしおコースは一転して山道。アップダウンが結構ありましたが、まあ、釈迦ヶ岳ほどではない。


霧降高原天空回廊(赤薙山撤退) [Aug 29, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

6月に上高地でテン泊した後、7月は信じられないほどの酷暑が続き、8月は1週間おきに台風が来た。定期的に山に行きたいのに、そんなこんなで2ヵ月、間が開いてしまった。

10月には第9次のお遍路を予定していて、あと2ヵ月を切った。今回の区切り打ちでは横峰寺、雲辺寺と標高の高い札所があり、締めくくりに金毘羅さまにお参りする予定である。相当綿密に足慣らしをしておかないと、息切れをしてしまうおそれがある。

ということで、8月の終わりに涼しくなる日がありそうだったので、急きょ山に行くことにした。目的地は日光・霧降高原。ここは登山道まで延々と続く階段、天空回廊があることで有名である。ここを歩いておけば金毘羅さまの練習をすることができる。

当初は、前泊して女峰山まで足を伸ばすつもりだったが、主として経費面の問題から日帰りにすることになった。そうすると女峰山まで行くのは無理で、途中の赤薙山までという計画とした。それでも標高差は700mあり、しばらくブランクがあったので結構きついだろうとは思っていた。

8月29日水曜日、栃木県北部の降水確率は午前10%、午後30%である。大気の状態が不安定で、方々で雷雨の心配があるというから、正午過ぎたら下山するくらいでないと危ない。とはいえ、7月以来続いている35℃にはならないというのは、汗っかきの私にはたいへんありがたい。

千葉ニューから北総線と東武線各駅停車を乗り継いで、東武日光駅に着いたのは午前8時過ぎ。電車を下りると涼しい風が吹いていた。鹿沼あたりで水たまりがあったのは心配したが、日光駅前では雨は落ちていなかった。

しかし山の方に目を向けると、中腹あたりから雲に覆われていて頂上を見ることはできない。上が濃霧で見晴らしがないのは仕方ないとして、この春の奥多摩のように、登って雨だと辛いことになる。

8時45分に霧降高原行のバスが来た。乗客は3人。2人はすぐに下りて、私一人を乗せてバスは山道を登って行く。霧降の滝あたりで雲の中に入ると、やっぱり雨だった。降水確率の低い午前中にこれでは、午後はどうなってしまうのだろうか。

30分ほど乗って霧降高原バス停に着くと、辺りは霧の中で真っ白、雨は小止みなく降り続いている。さすがに霧降高原名前のとおりと感心したが、家から4時間かけて来た結果がこれでは泣きそうになる。

レストハウスに入って身支度をしていると、「バスで来られたんですか」とビジターセンターの人に話しかけられた。「こんな天気ですから、危ないと思ったら引き返してくださいね」ということである。とはいえ、ここまで来たのだから天空回廊だけでも登りたい。上半身だけレインウェアを着、リュックカバーを付けて、9時30分レストハウスを出発。

レストハウスのすぐ横から天空回廊は始まっている。階段の段数は1,445段だから、1,368段の金毘羅さまより多い。足慣らしとしては十分ではあるが、計画ではそこから標高差300mの赤薙山まで登ることになる。それがどうかという状況である。

ともあれ、1400段の階段をこなさなければ始まらない。ステッキを持ちレインウェアのフードをかぶって登り始める。始めはなんということもない登りで、100段、200段とすいすい登れる。雨は止む気配はなく、メガネが水滴ですぐ濡れてしまうが、とりあえず快調である。丹沢でも奥多摩でも階段は苦手なのだが、この日はすいすい登れた。

ちょうど中間地点に避難小屋があり、雨が降り続けるのでひと息つく。前にも後ろにも人っ子ひとり見当たらない。この避難小屋には屋根があるのだが、壁が2方向しかなくその壁にも大きな窓が開いていて雨が当る。そほど居心地がいい訳ではないので、息が落ち着いたところで後半戦にかかる。

その後半戦がしんどかった。1400段のうち後半700段は、避難小屋から直線で登る一方で、折れたり曲がったりしない。登っても登っても先が見えない感じで、気分的にかなり疲れる。そして、いよいよ雨が激しくなってきた。

階段は18段ずつくらいで踊り場になるのだが、ベンチとか座るところはないし、手すりに寄りかかろうにも雨でびしょ濡れである。結局、ひたすら登り続ける他はなく、そんな具合で1000段を超えたあたりでとうとう息が上がってしまった。

踊り場2つくらい登るとヒザに手を当てて息を整えて、という連続で、なかなかペースが上がらない。体も熱くなってきて、休むたびに汗が雨と一緒に踊り場に落ちるのだった。

1300段までは100段ごとに階段に「XX段目」の表示があって目印になったのだが、なぜか1400段目はなくて、まだかなあと思いながら登って行くと、いきなり1445段目に到達した。汗と雨でびしょ濡れなのだが、終点の小丸山展望台には屋根がなく、おまけに1445段から展望台までさらに20段ほど登らなければならなかった。

東武日光駅で山の中が雲に隠れていたので嫌な予感はしたのだけれど、標高1300mの霧降高原は雨。見通しはほとんど利かない。


天空回廊はスキー場のリフトを撤去した跡に建てられたという。段数1,445で標高差は237mある。


前半は軽快に登ったのだが、1000段目あたりから完全にへたばる。中間地点にある避難小屋から残り700段は、直線コースを登る一方となり大変きつい。


1445段を登り切ったら休憩所があるだろうから、しばらく休みつつ天気の具合を見ようと思っていたのだが、登ったところが屋根のない展望台というのは予想外であった。仕方がないので、雨が落ちてくる中をベンチに腰掛ける。じっとりお尻が濡れてくる。フードをしたままだと暑いので、頭も雨に打たれるままである。

リュックの中からモンベルの軽量折り畳み傘を出す。改めて周囲を見回すと、深い霧に覆われて視界がほとんどない。キスゲ平という場所なのたが、ニッコウキスゲは時期が違うし、他に花も見当たらないし下界も見えない。ただ、この雨の中、トンボがたくさん飛んでいるのが妙な景色だった。

雨の中じっと座っているのも何なので、息が整ったところでもう少し上まで登ってみる。天空回廊は終わったが石畳の登り坂に続いて擬木の階段があり、鹿除けのゲートをくぐったところに小丸山の山名標が立っていた。標高1601mというから、塔ノ岳よりも丹沢山よりも高い。

そういう高さなのだが、東屋もなければベンチもない。晴れていれば下草に腰を下ろしてのんびりできるのだけれど、雨はいよいよ本降りである。ピークの少し先で赤薙山方面と丸山方面の分岐があり、湿った砂地に赤薙山に向かう足跡があるのだが、どう見ても一つだけで心細い。

ここにも天候の回復を待つ場所がないということは、この先もおそらくないだろう。降水確率は午後の方が高く、この先ますます雨が激しくなる可能性が大きい。初見の山でエスケープルートも避難できる場所も分からないとすれば、先に進むのは危険である。

と考えて、ここまでで撤退することにした。引き上げるとなると、帰りのバスの時間が気になるが、11時台は20分と45分。それを逃してしまうと午後1時台までバスは来ない。ということで11時台のバスを目指すことにし、10時40分に下山開始した。

それまで誰とも会わなかったのに、下山を始めると次々と登ってくる人達とすれ違った。最初は中高年の女性2人組で、リュックを持った登山装備だったので、おそらく私と同様女峰山方面に足を伸ばすつもりだったと思われる(私のすぐ後にレストハウスに戻ってきた)。

次にすれ違ったのは、西洋人の女性2人組で、傘を差して展望デッキからあたりの風景を見ていたが、霧以外何も見えないのは気の毒なことであった。最後は中国人の男女で、日本語が読めなかったらしく鹿除けゲートが開けっ放しだった。

この天空回廊は、1990年頃まで営業していた霧降高原スキー場の跡地に作られているもので、若い頃に子供を連れて来たことがある。季節は忘れたがスキーシーズンではなく、にもかかわらずリフトは営業していて、リフト乗り場のすぐ脇に沢の水を引いていたのがたいへん冷たかったことを覚えている。

リフトの乗り継ぎ地点に開店休業状態の食堂兼売店があって、いま駐車場になっているあたりがその建物だったようである。現在のレストハウスも2階がレストランになっていて、こういう天気とは知らずに車で来た家族連れが何組か上がって行った。

私はバスの時間があるので、濡れた服を着替えてからホットコーヒーをお願いして、ようやくひと息ついた。この夏はたいへん暑かったので、この時期に寒くて冷たい思いをするとは思わなかった。

東武日光駅まで下りて来るとやっぱり雨は降っていなかった。夕飯は食べて帰ると奥さんに言って出てきたものだから、駅弁を2つ買ってお土産にした。

この日の経過
霧降高原レストハウス 9:30
10:05 小丸山展望台 10:40
11:10 霧降高原レストハウス [GPS測定距離 2.1km]

[Oct 23, 2018]

小丸山展望台はこの状況。上まで登って東屋がなかったのは予想外で、雨に降られながら休憩して天候回復を祈る。


この日は小丸山まで到達したところで、雨が本降りになり撤退。初見の山でこの天気ではやむを得ない。


天空回廊には何ヵ所が展望スペースが設置されているが、この天気だし、手すりはびしょびしょで休むことはできませんでした。この天気でも登ってくるのは外人さん。

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