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赤薙山 [Aug 3, 2020]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2020年は7月いっぱい梅雨が続き、8月に入ってようやく晴れた。

晴れたらいっぺんに暑くなるのは困ったものだし、コロナ第2波も確実に近づいている(というより、すでに来ているかもしれない)。再び自粛要請や緊急事態となる前に、行けるうちに山に行くことにした。

候補としたのは、おととし撤退した赤薙山である。暑いとはいえ標高1600mの霧降高原は30℃にはならないはずだし、前回はほとんど登山口までしか行っていない。

前回は東武電車を使ったが、いまの時期登山支度で電車に乗るのは気が進まないし、行動に自由も利かない。今回は車を使うことにした。混まないうちに着きたいので、1時半起床、午前3時前に出発ということになった。まだ暗く、寒いのでフロントガラスが曇る。

往きは安全策で柏から高速に乗る。東の空がぼんやり明るくなる中、東北道を走る。もう30年以上前、家族を連れて毎年のように北海道までドライブ旅行をしたことを思い出した。

青森から函館へのフェリーで寝るためには、夕方までに青森に着かなければならない。必然的に、朝早く家を出る必要がある。当時は、那須高原または安達太良サービスエリアで朝食をとることを目標に、朝3時とか4時に出発したものだった。

当時と比べて途中のインターチェンジやジャンクションが増え、景色は微妙に変わってはきているものの、遠くに見える山の形は当時もいまも変わらない。人口が半減する百年後も、おそらく変わらないだろう。

日光宇都宮道路を日光で出て、駅前を通り霧降高原道路に向かう。まだスキー場があった頃運転して来ているはずだが、あまり見覚えのない道である。登り勾配をずいぶん走って、駐車場のあるレストハウス前に着いた。午前6時前に到着。

赤薙山・女峰山にトレッキングする人は、レストハウス前でなく下の方の駐車場に止めることを推奨される。ほとんど離れていないし、24時間のトイレも用意されている。

それはそうと、支度をしている間も蜂だかアブだかのブンブン飛ぶ音がすぐ近くに迫ってきて、落ち着かないことこの上ない。車に入ると厄介なのでドアをいちいち閉めなければならない。虫よけスプレーは必須である。

虫よけスプレーに加えて、今回用意しなければならなかったのは「ヒルよけジョニー」であった。なにしろ、霧降高原キスゲ平園地のホームページに、「ヒルのご注意」が載っているのである。

丹沢や房総と同様、栃木にもヒルが増殖してしまったかと暗たんたる気持ちになったけれど、記事を読むと東照宮近くの滝のある近辺と並列で記載されており、稜線にはあまりいないような感触である。それでも、ジョニーを靴やスラックスに念入りに噴射した。

レストハウス前の景色は、前回とはまったく違ったものだった。何しろ日光駅前から霧降方面を見ると雲の中で、上では視界が20mほどしかなかったのである。

雲はあるものの今回はすばらしい展望で、小丸山まで登る天空回廊の全貌を一望のもとにとらえることができた。手前に見える丸山・小丸山の背後に、めざす赤薙山一帯のピークも見えた。おととしもこれくらい景色がよければ、無理して登ったかもしれない。

身支度が終わって、午前6時5分登頂開始。前回は9時半スタートだから、3時間半早いことになる。早出早着きは登山の基本。早起きして東北道を飛ばしてきた甲斐があった。

前回ここに来た時とは違い、天空回廊の全貌をみごとに見ることができた。


中間点にある東屋まではフック気味に登り、後半は小丸山まで一直線の登りとなることが、下から見ても分かる。


ずいぶん上に見えた丸山が近づく。後半戦では、この山のピークを下に見て登ることになる。


さて、今回の山は3月以来だから、まるまる4ヶ月間が空いたことになる。例年、夏場は足が遠のくのだけれど、4ヶ月以上ぶりというのはここしばらくなかったことである。

もちろん、コロナに伴う自粛が大きく響いている。山登り自体が3密になることはほとんどない(私の行く山では)と言っていいけれど、それでもまったく他人と会わないという訳ではない。当然、布マスクは持参した(奥さんに、一人の時はしなくてもいいんだからねと言われた)。

登りは苦しいのでしなかったのだけれど、早々にすれ違った人はちゃんとマスクをしていた(サンダル履きだったから、天空回廊を歩いてきたのだろう)。私も下りではちゃんと付けようと思って、実際に下りの天空回廊はマスク着用で下った。

おととしは視界がほとんどなかったけれど、登るにしたがって丸山が右前方に大きく見える。丸山に向かうハイキングコースもあるのだが、結構下って登り返すので、楽ちんのコースという訳ではなさそうだ。

さすがにしばらくぶりの山はきつくて、1000段目あたりで息が上がって、誰も来ないのを幸い階段に座り込んで休息。そんなふうにのんびり歩いて小丸山に着いたのは7時5分、まるまる1時間かかった。

前回はここから引き返したが、晴れた日の景色はすばらしい。低木と林の境目の尾根を登る先には、目指す赤薙山が見える。1/25000図によると、見えているのは奥社のある2203ピークで、その前に赤薙山があるのかもしれない。いずれにしても、ここからが初見の道になる。

小丸山は独標点ピークであるが、赤薙山へは下り坂なしでそのまま登る。木々のない道に見えたのだが、くるぶしのあたりまでササが伸びている。朝露に濡れるのと、ハチの巣やヒルに当たらないか不安な道である。

それと、このあたりからトンボをはじめとした虫や、ハチだかアブだかの羽音がひっきりなしに聞こえてくるのに閉口した。トンボはうるさいだけだが、ハチに刺されたりしたら困る。羽音だけでなく、時々体にぶつかるのだ。

「うるさいっっっっ!!!」と大声を上げながら登る。息がきれて立ち止まると、すぐに寄って来る。木々の生えているところなら巣が近いので威嚇しているのだろうが、広いガレ場で岩しかないのにやってくるのである。

このあたりは踏み跡が錯綜していて、それらしき道筋がいくつもある。いずれも、ササが伸びた踏み跡が続くと、突然ガレ場になる。大雨が降ると川になるようにも見えない地形なので、かつての火山活動によるものだろう。

ササ、ガレ場、ササ、ガレ場と歩きにくい道を1時間ばかり登り続けると、ようやく「焼石金剛」の標識の立つ場所に着いた。標識はササ原に立っていたが、名前からするとガレ場に付けられたもののようだ。

コースマップによると、ここでようやく小丸山から赤薙山までの中間点なのであった。すでに8時15分。小丸山から1時間10分かかっている。半分の距離でこの時間では、コースタイムの1時間30分で赤薙山まで着くのはとてもじゃないが無理である。

小丸山。前回は霧の中で何も見えなかったが、赤薙山までの登りルートが確認できる。見えるピークは2203mの奥社ピークで、赤薙山は見えにくいがその前にある。


小丸山から上は、ササが覆う不安な道。蜂がひっきりなしに来て、羽音が神経に響く。加えて、ササの朝露が足元を湿らせて、ヒルの不安が募る。


ササと交替交替に、ガレ場が現れる。いずれにしても歩きにくい道だ。


焼石金剛を過ぎると、この日一番歩きやすい尾根に出る。左側がきつい斜面でササ、右側がやや緩い斜面の自然林である。緑と深緑のコントラストの中間を登る。傾斜はそこそこあるが、でこぼこしていないので歩きやすい。

このあたりまで来ると、赤薙山と2203ピークの違いがはっきりする。2203ピークはまだまだ先に深緑の山容を示しているが、赤薙山はその手前にある少し淡い緑のピークであろう。WEB等をみると頂上から展望がないと書かれているが、なるほど林の中にあるように見える。

歩きやすい尾根はほどなく林に入り、暗いうっそうとした木々の中の急登となる。コースマップにはコメツガ、ダケカンバと書かれているが、いずれにせよ森林限界近くに育つ自然林で、幹も枝も曲がりくねっている。

日がさえぎられて涼しい風が吹いてきたのはありがたかったが、いままでにも増してハチの羽音がうるさい。暗くて見えないのか、歩いている私にぶつかるウェイトが結構重い。たまたま止まったのを見たら、結構大きなハチであった。

形的に、スズメバチではないのだが(帰って調べたらミツバチの大きい奴のようだ)、ありがたくないことに違いはない。北アルプスだったか、行動食にミックスフルーツを食べていたらハチが寄ってきた。私の体から甘いものが匂うのだろうか。

立ち止まるとすかさず近づいて来るので、休むに休めない。休めないからますます息が上がって汗をかく。汗をかくからますます虫が寄ってくる。悪循環である。

そんなふうに急ぎ足で歩いていたところが、段差のきついところで左のヒザが急に痛くなった。少しだけ平らで明るくなったところで立ち止まる。まだ頂上まで大分ありそうだ。

ハチは来るしヒザは痛いし、ここまでで引き返すか、と覚悟した。GPSを見るとまだ頂上まで標高差100mある。焼石金剛からかなり登ってきたはずなのに、まだ100mもある。

思えば、1/25000図を見ると小丸山から赤薙山までそれほど距離がないように見えるので、標高差400mにしても1時間と少しで登れるだろうと思っていた。歩き足りなければ、2203ピークまで歩こうと思っていたくらいである。

ところが、小丸山から2時間近く、麓から3時間登っても、まだ赤薙山に着かない。2203ピークどころか、その後に続く3つほどのピークを登り下りして、女峰山に達して戻ってくる人だっているというのに、久々とはいえこのペースはなんとしたことだろう。

実際、帰りに歩きやすい尾根ですれ違った二人連れに、小丸山まで下りる途中に抜かれてしまっている。ただでさえ歩くのが遅いのに、下り途中で3度ほど滑って転んでしまった影響もあって、へっぴり腰になってしまったのである。

5分ほど休んでいると息も落ち着いてきて、この時だけはハチが飛んでこなかった。少し気を取り直して、もう少しだから、と自らを励まして登り続けた。どうやら、ハチのせいで小休止をちゃんと取れなかったのがよくなかったようだ。

休んでから頂上までは、15分くらいだった。岩をつかんで登るような場所があり、急斜面でロープが出てくるところもあったが、この時だけはハチが飛んでこなかったのは幸いした。9時15分、小丸山から2時間、麓から3時間以上かかって、ようやく赤薙山頂上に到着した。

焼石金剛と呼ばれる地点を過ぎると、南側が開けた尾根に出る。ここまで登ると、手前の赤薙山ピークがはっきり区別できる。


後方を振り返ると、丸山の頂上はかなり下になった。


くじけそうになりながら、何とか赤薙山に到着。山名標の手前に三角点がある。


赤薙山頂上には、小さな石の祠とたいそう立派な木の鳥居があり、山名標が掲げられている。山名標の周囲は少し平らになって三角点標石が置かれているが、木々に囲まれて展望はあまりない。

ただ、三角点があるのだから昔は展望が開けていたはずであり、いまも祠の後ろあたり枝越しに北西側を望める場所がある。

赤薙山から北西に、日光連山を構成するいくつかのピークが連なっており、主峰である女峰山まで続いている。赤薙山まで3時間かかった私の足では女峰山までさらに5時間かかるので一日で戻って来れないし、そんなに長くハチに追いかけられたら神経が参ってしまう。

景色だけでも撮っておこうと枝の間のよさそうなアングルを探していると、これまでずっと上の方にあった雲が下りてきて、女峰山の頂上あたりを隠してしまった。2203ピークまではまだ下りてきていないものの、それより上は雲の中である。

長く休憩するとまたハチが飛んでくるので、9時半に出発。頂上にいる間は誰も来なかったし、焼石金剛まですれ違ったのも2人組だけ。この日赤薙山からの展望を少しでも楽しめたのは、この3人だけだったということになる。

再び暗い林に入り、足元に気をつけながら下って行く。結構な段差の個所もあり、滑りやすい粘土質の赤土が湿っていて、派手に滑った靴の跡がいくつも残っていた。30分ほどで歩きやすい尾根に戻った。

この尾根にきて再び見通しが開けたが、雲はここまで下りてきていて、南側の斜面から霧が次々と登ってくるのが見える。あれほど開けていた視界がみるみる小さくなり、小雨までぱらついてきた。

焼石金剛まで、1時間以上かけて登ったところを40分で下りる。ここからは再びササで覆われた踏み跡とガレ場の連続で、どこを下りても下には着くのだろうが、3回ほど滑って手と服を汚す羽目になった。

天気が下り坂のせいなのか、あまり休まず歩いたせいなのか、下りでは登りほどハチも虫も寄ってこなかった。はるか下にあった丸山が目の高さに近づくと、小丸山のシカ除けゲートが見えてきた。あともう少しである。

小丸山まで1時間半ほどで下りた。正午には下山できたらいいと思っていたので、ここまで下りてようやくほっとする。小丸山には混むというほどではないものの結構な人が登って来ていた。展望台の上は満員だったので、下のベンチに腰を下ろす。

デニッシュとレモンジュースを用意してあったのだが、赤薙山で昼食休憩はとれなかった。ハチが寄ってくると思って控えたのである。ここのベンチでミックスフルーツを開けて、やっと甘いものを口にすることができた。

下りの天空回廊は途中の東屋で息を整えただけで、休憩なしの30分でレストハウスまで下りた。あたりはすでに霧におおわれていて、一昨年ほどではないものの視界はほとんどなくなってしまった。

早起きして東北道を飛ばしてきただけのことはあって、朝一番で最高の展望を楽しめたのが今回の収穫である。車に戻ってから、麓にある日帰り温泉「ほの香」に寄って汗を流した。

この日帰り温泉は「ユーロシティ」というホテルの付属施設でホテルはかなりお高いのだが、日帰り温泉は600円とリーズナブルである。浴槽はそれほど大きくないが、自家源泉のアルカリ性単純泉で40数度で湧出というから沸かさずそのまま使っているのだろう。

全身びしょぬれになるほど汗をかいた後だったので、お風呂に入ってたいへんさっぱりした。お風呂から出ると、外は本降りの雨だったのでびっくりした。

例によってゆば屋「あしたか」に寄り、経費節減のため一般道で帰った。最後はくじけて高速を使ってしまったが。

この日の経過
霧降高原レストハウス(1329) 6:05
7:05 小丸山(1601) 7:10
8:15 焼石金剛(1876) 8:20
9:15 赤薙山(2010) 9:30
10:10 焼石金剛(1876) 10:10
10:55 小丸山(1601) 11:05
11:35 霧降高原レストハウス(1329) [GPS測定距離 5.2km]

[Sep 21, 2020]

ここまではすばらしくいい天気だったのに、登った途端に雲が多くなってきた。赤薙山の祠の後ろで景色が少しだけ開けているが、女峰山はすでに雲の中に入ってしまっていた。


帰り道では下からどんどん霧が上がってきた。さすが霧降高原である。下山時の景色は、前回とあまり変わらなかった。


下山後は日帰り温泉「ほの香」で汗を流す。お風呂を上がると本降りの雨になっていて驚いた。


至仏山(撤退) [Sep 15, 2020]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

赤薙山で久々に山歩きした後、次は尾瀬に行こうと思った。燧ヶ岳に登ったのは、もう何年も前のことである。コロナ自粛で山開きが遅れたけれど、直通バスも復活したし宿もやっているようだ。

だが全面再開という訳にはいかず、おなじみの御池ロッジが今年は休業である。ここがやっていないと、いろいろ計画に支障が出てくる。特に、帰りにお風呂に入れないので、そのまま帰るのはちょっと厳しそうだ。

あれこれ考えて、今年は群馬側から入ることにした。尾瀬には何度も来ているが、群馬側からは初めてである。至仏山に登った後、鳩待山荘に泊まり、尾瀬ヶ原から燧裏林道経由で御池に抜け、七入山荘で2泊目という計画である。

計画は立ったけれど、今度は天気がよくならない。8月中は暑いばっかりで、9月第1週は台風。第2週にも続けて強力な台風が来た。第3週も不安定な状態が続いたが、15日から16日は天気予報に雨のマークがない。

2日前に予約して、急いで支度した。そもそも山歩きが休み明け2戦目に加え、泊りがけは昨年以来である。尾瀬なので売店とかあるだろうと思って、食糧はいつもより控え目にした。

9月15日のバスタ新宿7時15分発の尾瀬行は、乗客が4人だけだった。「今日はすいてますから、席どこでもいいですよ。大きい荷物も隣に置いていただいて」と、女性の運転手さんに言われて、他の人から離れて後方の席に座った。

外は曇り。群馬県に入っても、すぐ近くにあるはずの赤城の山が見えない。沼田ICで高速を下りて一般道に入る頃には、けっこうな勢いで雨が降ってきた。これは今日は無理かなと思っていると、峠を一つ越える頃には上がった。

群馬側からのアプローチは、福島側からに比べると開けている印象である。沼田ICから1時間ほどで片品村に入るが、セブンイレブンがあるし、市街地はずっと続いている。片品村から間もなく尾瀬戸倉である。

尾瀬戸倉もずいぶんにぎやかで、周辺は温泉旅館が並ぶ。ここでバスを下りて、乗合タクシーに乗り換える。ホームページでは乗合バスになっているが、乗る人も少ないのでバンである。

「鳩待峠まで行かれる方は、戸倉に連絡しておきますから、バスを下りたらすぐのところにある案内所で切符を買ってください」と運転手さん。10分ほど待つと、駐車場から2人が乗った乗合タクシーが到着した。計5人が鳩待峠に向かう。

鳩待峠までは狭いくねくねした坂である。この日は平日なので一般車でも鳩待峠まで入れるが、休日には車で入れるのは戸倉までで、すべての人が乗合バスに乗り換えなくてはならない。そういう場合はバスになるが、バスだと道幅一杯になりそうだった。

20分ほどで鳩待峠着。リュックを持って鳩待山荘に向かおうとすると、横のポケットに入れておいたはずのステッキがない。運転手さんに言ってもう一度車内を調べるけれども、どこにも見当たらない。

「戸倉の待合所に置いてきたんじゃないですか。案内所に電話して調べてもらったら」ということなので、乗合タクシーの領収書に載っていた番号にかけてみた。しかし、待合所にも案内所にも見当たらないという。どこで忘れただろうか。外した覚えはないから落ちたとすると、新宿までの間かもしれない。

鳩待峠の売店にはモンベルショップがあったことを思い出した。50mほど坂を登って、売店に入る。もちろんステッキはあったが、モンベル製は5900円、尾瀬のおみやげ用が2000円。持ってみるとやっぱり違ったので、高いけれどもモンベルにした。

売店を出て鳩待山荘に向かっていると、売店の女性が電話が入ってますとお店から追いかけてきた。出てみると、新宿から乗ったバスの中にステッキの忘れ物があったという。

ステッキの特徴を説明すると、確認してまた連絡をくれるという。これから山に入るけれども、夕方には鳩待山荘に戻ることと、ステッキは売店で買ったので、もし私ので間違いなければ着払いの宅配便で送ってくださいとお願いした。

数時間後の話になるが、ステッキは山から下りてくると鳩待山荘に届いていた。関越交通や戸倉案内所、乗合タクシーの皆様には、たいへんお手数をおかけしました。いずれにせよ、今回の山は開始早々多難なスタートとなったのでした。

関越交通尾瀬戸倉案内所。ステッキをバスに置き忘れて、たいへんご迷惑をおかけしました。


至仏山登山口。11時半時点ではまだ山頂付近は見えていた。このあたりは、少し前まで駐車場だったらしい。


ステッキのごたごたで20分ほど遅れてしまったが、11時半前に鳩待山荘に到着した。いったん大きいリュックを預けて、デイパックで至仏山を往復しようという計画であった。

ところが、荷物預けは問題なかったのだが、至仏山を往復するというと、山荘の人がそれはやめてくださいと言うのである。

「もう時間が遅いですし、今日は天気が不安定なので山頂は激しい雨になるかもしれません。至仏山は、できれば2時、遅くとも3時に下山できるようでないと、危ないです。」

燧ヶ岳ならともかく、登頂に2時間半の至仏山でお昼前で遅すぎると言われるとは思わなかったが、来る途中のバスで結構激しく雨が降った。ステッキ忘れで遅れたこともあるし、ここはおとなしく「分かりました。そうします」とアドバイスに従うことにした。

さて、2時下山を目標にするとなると、至仏山はもちろん小至仏山も難しい。笠ヶ岳分岐前にあるという、尾瀬ヶ原が見渡せるという原見岩あたりまでだろうか。いずれにせよ、今回は登る前から撤退決定である。

さて、入山届ポストのところに東電製作のミニパンフレットが置いてある。宿に着いてから確認してみると、「至仏山入山にあたって ・入山は朝9時までとしてください」と書いてあった。

至仏山は山ノ鼻からは登り専用とか、植生保護のため入山時期が限られるなどのローカルルールがある。私のガイドブックにはまだ書いてないけれども、最近そうなったのかもしれない。山小屋の人の指示には従うべきであろう。

時刻は11時半である。1時に下山にかかることにして、登山道に入る。しばらくなだらかな登り坂で、頂上まで行かないと決まったことでもありゆっくり進む。

気づいたのは、登山道の中央がえぐれているのは燧ヶ岳と同じなのだが、その低くなったところを歩きやすいように幅を広げてあって、底に小石が敷いてあることであった。

細くえぐれて足場が斜めっていると、歩きにくい上にひどく疲れる。燧ヶ岳がまさしくそうである。それと比べると、たいへん歩きやすく感じた。

鳩待峠から1kmはそうした緩やかな坂道で、1km過ぎると急な木の階段が現われる。ひとしきり登ると、小ピークをトラバースするように平らな木道となる。息がはずんだところなので、たいへんありがたい。

このあたりになると進行方向左側の景色が、木々の間から少しずつ開けてくる。至仏山から続く稜線の笠ヶ岳や、その向こうに上州武尊山があるはずだが、雲が多くてよく分からない。

1時間ほど歩くと、景色の開けた場所に出た。久しぶりに見る燧ヶ岳と尾瀬ヶ原である。大きい地塘もはっきり見える。大きな動物の形に見えなくもない岩があるので、ここが原見岩であろう。すばらしい展望である。

登山道はそれほど傾斜はきつくなく、燧ヶ岳と比べると歩きやすいように感じた。


一登りすると、いったん平らな木道になる。


木々の間から、稜線の景色が開けてきた。進行方向左側、笠ヶ岳の方向である。


制限時間にはまだ少し余裕があるけれども、次のチェックポイントである笠ヶ岳分岐まで標高差100mくらいある。上を見ると雲が流れてきて、至仏山や小至仏山はおろか、稜線すら見えない。景色のいいこのあたりで今日はお開きとしよう。

休憩所もベンチもなかったけれど、木段の表面がきれいだし、誰も下りてこないのでリュックを下ろして座らせてもらう。目の前は尾瀬ヶ原の大展望である。

燧ヶ岳の頂上近くからは一直線に至仏山まで見渡せる場所があったと思うが、ここ原見岩からは角度の関係か尾瀬ヶ原の入口あたりまでしか見えない。それでも、大きい地塘がいくつかはっきり見える。

燧ヶ岳も頂上近くは雲におおわれていて、柴安嵓、俎嵓などのピークを見分けることはできない。昔、2回目に登った燧ヶ岳はさえぎるもののない大展望だったが、あれはたいへんに恵まれたことだったのである。

今日登る予定だった至仏山頂方向を見上げると雲がどんどん流れてきて、心なしか厚い黒い雲のようである。宿の人の言うように、頂上近くは雨になっているかもしれない。

この頃になると、至仏山方向から何組かのグループが下山してきた。時刻はちょうど午後1時、そろそろ引き上げることにしよう。

帰ってからGPSで確認したところ、この日到達した原見岩は標高1912m付近。1/25000図だと1935の小ピークの下、がけのマークがあるあたりのようだ。

すると、笠ヶ岳分岐までは見込んだ通り標高差100mほど。小至仏山にはさらに100m登り、登って下って至仏山となる。あと1時間では難しいが、1時間半あれば登れるように思う。

奥多摩や丹沢の山ならこの時間でも何とかなりそうだけれども、尾瀬は東北の入口、それも2000mを超えるとなると甘く見ることはできない。例えば燧ヶ岳で午後2時半に頂上だとすると、私だってそれは危ないと思う。

そして、至仏山頂は蛇紋岩の露岩で、たいへん滑りやすいそうだ。暗くなる中あせって、あるいは雨でも降ってさらに滑りやすくなった場合、ケガの危険が急上昇してしまう。

もう一つ心配なのは、熊である。今年はコロナで人間の出足が遅い分、野生動物の活動エリアが広くなっていると聞く。ハチや虫は追い払うことができるけれども、クマだとそう簡単に逃げてくれるかどうか。

そんなことを考えながら、来た道を戻る。まだ1時を回ったばかりなのに、何だか暗くなってきて心細い。そんな時間でも、まだ登ってくる人達が何人かいた。上に登っても雲の中だろうから、どこかで戻ってくるのだろう。

鳩待峠の登山口に戻ったのは2時5分過ぎ。まさしく、宿の人のアドバイス通りに戻ってきた。

1900m付近まで登ってくると、尾瀬ヶ原・燧ヶ岳への展望が開ける。


原見岩は別名トカゲ岩ともいうそうだ。


ここまで登ってくると、至仏山頂は雲におおわれて見えない。


鳩待峠の下山口(登山口)付近は広場になっており、ベンチが何脚か置かれている。無事下りてきたので、ベンチに座って息を整えた。

この広くなっている場所にはかつて鳩待峠駐車場があって、自家用車やバスが上がって来ていたらしい。現在では、ここから50mほど下りたところに駐車場が移されていて、乗合タクシーも含めそこで発着する。静かだし排気ガスもないし、たいへん結構なことだと思う。

お昼前には私以外にほとんど人がいなかったのに、午後2時のこの時間には下山した人達でにぎわっている。尾瀬ヶ原の方から中学生の団体が上がって来て、先生がいちばん大騒ぎしている。

そうしたにぎわいを遠目で見ながら座っていると、「すみません」と声をかけられた。至仏山方向から下りてきた若い女性であった。

「下山カードって出すんでしょうか。登山カードしか置いてないのですが。」
「登山カードは出すけれども、下山カードって出したことないなあ。」
「登山カードと照らし合わせて、下りてきたかどうかチェックしないんですか。」
「ああ、そういう意味なら、登山カードは遭難しないかぎりいちいち見ませんよ。だから、下りてきたことを報告しなくても大丈夫。」
「そうなんですか。ありがとうございます。」

ということだったのだが、私も最初に登山カードを出した時は、出したものをちゃんと見るのだろうか、下山したことをどうやって確認するのだろうかと疑問に思ったものであった。昔の自分に聞かれたようなものである。

その後、羽根田さんとか山岳遭難関係の本を読んで、登山カードが実際どのように使われるのか知ったのだが、警察も登山カードを出せというだけで、それがどのように使われるのか説明することはほとんどない。

単独行は仕方ないとして、尾瀬に行くとだけ言って家を出た人もかなりの数にのぼるという。もし帰ってこない時に捜索願を出されても、尾瀬ヶ原を歩くだけなのか、燧ヶ岳なのか至仏山なのか平ヶ岳なのか分からなければ警察だって探しようがない。

だから、万一ケガをして下りてこられない可能性がわずかでもあるのであれば、登山届は出すべきである。ただ、警察だって知りたいのは入山時刻・下山予定・コースだけなので、携帯番号はともかく住所や氏名、ふりがなまでいらないんじゃないかと思う。

鳩待山荘に戻ると、バスに忘れたステッキが戻って来ていた。大清水から新宿行のバスで戸倉案内所に届けられ、乗合タクシーの人が持ってきてくれたのだろう。ありがとうございました。お手数をおかけしました。

案内された部屋は相部屋ということだったのだが、お布団が1セットしか置いてなかったので、急に泊まる人がいなければ1人で1部屋使える。WEBを見ると、東電経営の山小屋ではこうしたケースがままあるらしい。それを狙って平日に予約している訳だが。

お風呂が沸いていますと案内されたので、1階受付奥の浴室に向かう。一度に5、6人は楽に入れる広さがあるが、一度の利用は3人か4人にしてくださいと注意書きがある。3密回避のためである。幸い、一人だけであった。

尾瀬の山小屋では、原則として風呂は石鹸なしで入ることとなっているが、今年はコロナがあるのでシャンプーとボディソープが用意されていた。環境に配慮した自然素材のもので泡立ちはよくないが、タオルで拭くだけとはかなり違う。

この日の朝は3時起きだったので、wifiで翌日の天気予報をチェックして(TVがないのでネットでチェックするしかない。速度はかなり遅いが、鳩待山荘など東電系列の山小屋にはwifiがある)、7時過ぎには床についた。

さすがに標高1600mは寒く、掛け布団の上に毛布を重ねなければならなかった。この日の朝まで冷房なしでは寝られなかったのに、えらい違いであった。

さて、もう一つ書いておかなければならないのはGo To トラベルキャンペーンについてである。

鳩待山荘はキャンペーンの対象となっているので、免許証で住所を確認できると、宿泊料金が割引となる。通常料金9,000円のところ、Go To トラベル料金5,850円である。翌日の七入山荘も対象だったため、急きょ購入のステッキ代が出てしまった。

その昔、震災直後の尾瀬沼ヒュッテで復興補助2,000円があったが、それを上回る大盤振る舞いである。住所確認するということは、東京都在住だと9月現在では適用にならないということで、小池都知事への嫌がらせであろうがかなり不公平である。

個人的には、旅行会社が大々的に募集するツアーはともかく、個人旅行でそれぞれ別々の場所に行くのなら東京都とそれ以外を区別しなくてもいいのではないかと思う。10月以降、宿泊料金割引に加えて地域振興クーポンのようなものが付くらしい。東京の人も対象となるので、不公平がなくてよかったと思う。

この日の経過
鳩待峠(1591) 11:25
12:40 原見岩(1912) 13:00
14:05 鳩待峠(1591) [GPS測定距離 4.9km]

[Oct 19, 2020]

下山する頃には、鳩待峠はけっこうな人出だった。この後、尾瀬ヶ原方面から中学生の団体が帰ってきた。


前日はエアコンなしで眠れなかったのに、この日は毛布が必要になるとはさすが標高1600m。相部屋にならなかったのはありがたかった。


鳩待山荘夕食。この日の夕食は2人、チキンカツ、鴨のロースト(多分)、こんにゃくの刺身、すいとんなど。




尾瀬ヶ原・燧裏林道 [Sep 16, 2020]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

9月16日、遠征2日目。前日午後7時から寝ていただけあって、朝5時前に目が覚めた。一人部屋なので誰に気を遣うこともなく、至仏山登山口を正面に見る窓のカーテンを開ける。

すると、なんとしたことか、20~30m先の登山口さえ見えないほどの濃霧である。この日の天気予報は曇りのち晴れ。朝の霧は暑くなる兆しともいわれるが、現時点で展望がないことは間違いない。

驚くべきことに、朝の5時前にもかかわらず、すでにリュックを背負った何人かが広場にいる。尾瀬戸倉からの始発バス(乗合タクシー)は4時40分だからその便だろうか、あるいは鳩待峠まで車で来たのだろうか。

朝食は午前6時からだが、少し前に放送が入った。私ともう一人。他に素泊まりの部屋があったようだけれど、それでも各グループとも個室を確保できたようだ。

朝食は塩じゃけ、ハム、卵焼き、お新香に、納豆、ごはんですよ、味付け海苔、瀬戸風味などご飯のおともが一杯だった。ご飯はおかわりしていただいた。

出発したのは午前6時45分。その頃には霧はほとんどなくなっていたけれども、さすがに山の上は見えなかった。尾瀬ヶ原に向かって、下り階段を下り始める。

さすがに尾瀬のメインルートだけあって、階段の幅は広く、しばらく歩くとすぐにベンチがある。鳩待峠・山ノ鼻間の徒歩1時間の距離に、6つ7つあったのではないだろうか。確かに、登りだと傾斜がきついので、私だってベンチがほしい(こんなにはいらないが)。

こちら側から尾瀬に入るのは初めてである。福島側の沼山峠からだと、いったん登ってから尾瀬沼に向かって下る道になるけれども、傾斜はこちらより緩やかである。鳩待峠からは下る一方だが、傾斜は福島側よりもきつい。

右側からは何本かの沢が流れていて、水量が結構ある。尾瀬ヶ原に近づくにつれて、いよいよ川幅が広くなる。いつも尾瀬沼の方ばかり行くので方向感覚が妙になるが、鳩待峠も源流に近く、こちら側からも川は下っているのだ。

小さな沢はいくつか合わさって、尾瀬ヶ原近くでは川上川となる。さらにいくつかの流れを合わせてヨッピ川となり、東電小屋のあたりで尾瀬沼から流れてきた沼尻川と合流して只見川となる。ちなみに、沼尻川・只見川が群馬・福島の県境である。

ということは、東電小屋あたりが尾瀬ヶ原では最も標高が低く、そこから尾瀬沼方向へも鳩待峠方向へも上って行く。だから「山ノ鼻」で、尾瀬ヶ原からみて山の先端だからその名が付けられたのであろう。

左手には至仏山が見えるはずであるが、朝方の霧がまだ深く残っていて山の中腹より上は見えない。だからという訳ではないが、特に休憩もせず一気に下る。

1時間で山ノ鼻に到着。ここにはビジターセンターや東電経営の至仏山荘、他にキャンプ場がある。この日は一張りテントが張られていた。私も毛布が必要だったくらいで、かなり寒かったはずである。

公衆トイレを使わせてもらう。ここからは、尾瀬ルール1回100円のチップ制である。それはともかく、「竜宮のトイレは使えません」「赤田代のトイレは使えません」など、心細い案内が貼られている。この日のルートは長い。少し心配になった。

2日目の朝は少し霧が出た。写真は鳩待山荘の部屋から撮影。


鳩待峠から尾瀬ヶ原まで、1時間ほど坂道を下る。こちら側から尾瀬に入るのは初めて。


尾瀬ヶ原の入り口、山ノ鼻に到着。ビジターセンター、キャンプ場、至仏山荘などがある。


今回、はじめて群馬側から尾瀬に入ったのだけれど、尾瀬ヶ原でも川上にあたるのが山ノ鼻と呼ばれる鳩待峠から下ってきたあたりで、至仏山付近からの沢が集まる川上川の水は、尾瀬ヶ原の方向に流れていく。

反対方向の尾瀬沼は尾瀬ヶ原より標高が高く、沼尻川となって尾瀬ヶ原に下りてくる。川上川はヨッピ川となり、沼尻川を合わせて只見川となり、北の三条の滝方向に流れていく。

急峻な谷川から標高差のほとんどない尾瀬ヶ原に下りてくるこのあたりが最も地塘のできやすい地形らしく、山ノ鼻周辺には大きな地塘がいくつもある。前日に原見台からこのあたりの地塘がよく見えた。

木道が伸び、地塘が点在し、正面に燧ヶ岳という、まさに「これが尾瀬」という風景の中を進む。気候は暑くもなく寒くもない。時節柄それほどの人出はないけれども、何十mかおきにひっきりなしに人が歩いて来る。

振り返ると、登るはずだった至仏山の雲が抜けて、頂上が見えてきた。山ノ鼻からの登山道は一気に登る急坂で、肩の部分で緩やかになり頂上へ続いている。その向こうには小至仏山、さらに遠くに、昨日登った原見台あたりのピークが確認できた。

山頂が見えたのは午前8時過ぎくらいで、その後もたびたび振り返って確認していたのだが再び雲に隠れてしまい、午前10時過ぎには見えなくなってしまった。山頂からの展望という意味でも、朝登った方がよさそうである。

尾瀬ヶ原はほぼ平らな高層湿原が続き、左右の林が迫ったり遠ざかったりする。地塘の水面に燧ヶ岳が映りこむ「逆さ燧」という場所もあった。

地塘のあたりの地面は泥炭層でできていて、地面の下にも水がたまっている。泥炭というのは、枯れた植物が分解されて土にならずそのまま炭化してしまったものである。土にならないのは、微生物やバクテリアがほとんどいないからである。

雪の多い寒冷地や、尾瀬のような標高の高い地域にできやすい。土でないので広葉樹や針葉樹が育つこともなく、生える植物はコケとかシダ、高山植物に限られる。以前、小淵沢田代の先でそういう場所を歩いたことがあるが、体重をかけると沈み込んで、何ともいえない妙な感触である。

人とすれ違う時にマスクをし、通り過ぎたら外しを繰り返していたら、なんだか面倒になってきた。尾瀬にしてはすいていることは間違いないのだが、できればもう少し静かに歩きたい。牛首の分岐点で休憩して地図を確認する。

このまま進めば竜宮から見晴という尾瀬のメインルートである。人通りは多くなっても少なくなることはない。それよりも北東に進路をとり、東電小屋を目指した方が人が少ないのではなかろうか。予定を変更し、ヨッピ橋から東電小屋をめざすことにした。

牛首から方向を変えると、風景が少し変わってくる。地塘が少なくなって、正面の林に向かって荒れ地のようになった中を進む。思った通り、向こうから歩いて来る人はほとんどいなくなった。

人の代わりに出てきたのは、小さなトカゲである。木道の上が温かくなっているので、日なたぼっこしているのだろうか。私の足音で急いで木道から下りてどこかに逃げてしまう。

トカゲが生きていけるようなエサがあるのだろうかと思う。小さな虫は飛んでいるからいない訳ではないのだろうが、大きな昆虫類はあまり見ない。だから小さなトカゲばかりなのだろうか。

いずれにしても10月半ばには気温が低くなるし、GWまでは雪が積もる。半年以上冬眠するとなると、短い夏の間にしっかり栄養補給しなければならない。トカゲも大変である。

山ノ鼻を過ぎると、いかにも尾瀬という風景が広がる。


振り返ると、前日登るはずだった至仏山が雲の切れ間から現われた。この後ほどなく、再び雲の中に入ってしまった。


尾瀬ヶ原のこのあたりは、大きな地塘が続く。水面に燧ヶ岳が映った「逆さ燧」。


木道の周囲に紫色のつぼみが見える。尾瀬に秋を告げる花、エゾリンドウである。

林がすぐ近くになってくると、ヨッピ橋が見えてくる。ヨッピ川は水量も多く、川幅も広い。羽根田氏の遭難本に、大雪の尾瀬を下りてきてヨッピ橋を渡るという記載があるが、なるほど橋のないところでは渡れないだろうと思った(冬なので足場の板は外されており、綱を渡ったらしい)。

ヨッピ橋は近年架け替えられた新しいもので、昔来た時はこのあたりは通行止となっていた。そのためか木道の板も最近新しくされていて、2018年とか2019年、2020年、つまりごく最近に入れ替えられたものである。

周辺は湿原というよりも雑種地のようになっていて、丈の高い木こそ生えていないものの、いわゆる雑草が多いように思えた。そういえば、「…田代」といいつつ全然湿原でない場所も、尾瀬にはいくつかある(田代とは湿原という意味)。

ヨッピ橋からしばらく歩くと、正面のやや高くなった場所に東電小屋が見えてきた。この方向から歩くと、玄関の反対側から小屋に向かうことになる。つまり、泊まる部屋から見える景色が、いま歩いている場所ということになる。

東電小屋で休憩できるかと少し当てにしていたのだけれど、「今シーズンは小屋の中での休憩はできません」と貼り紙がある。売店もやっている雰囲気ではなかったので、別館前のベンチで一休みするだけにした。

東電小屋の由来について説明書きがある。もともと東電の前身のひとつである電力会社が、気象観測と只見川の河川管理のために建てた管理用の小屋で、その後に登山客を泊めるようになったという。

尾瀬の山小屋の中では老舗で、すでに亡くなった私の父親も昔ここに泊まったことがある。当時は尾瀬ブームだったので、静かに歩くどころではなかったような気がするが。

そしてもし、当初の予定通り尾瀬がダムになっていたとしたら、東電小屋は山小屋ではなく、ダムの管理棟となっていたのかもしれない。

東電も昔は景気が良かったので、尾瀬全域の木道管理はいまでも東電が中心になってやっている。採算に乗る仕事ではないし、原発事故で余裕はないはずだが、今後も長く続けてほしいものである。

東電小屋から暗い森の坂道を一つ登ると、再び明るい湿原に出る。見晴と赤田代の中間点である。ここまでほとんど人に会わなかったが、また何人かとすれ違ったり抜かれたりするようになった。

ここからは以前歩いたコースを逆コースで歩くことになる。15分ほどで温泉小屋が見えてきた。赤田代と呼ばれる場所である。

赤田代の「赤」は鉄泉の赤で、小屋ができる以前からここで温泉が湧出していた。ただし湧出温度は低く、沸かさないと温かくはない。コロナの影響で東電系列の元湯山荘は今年はお休み、温泉小屋もこの時期秋のシーズンオフで休みだった。

前に来た時にお昼休みをとった、尾瀬原休憩所の前のベンチでひと休みする。休憩所は板が打ち付けられていて、少なくとも今年になってからは開けていない。トイレも使えないと山ノ鼻に貼り紙があった。

時刻は午前11時、予定していたより1時間早い。売店も休憩所もやっていないので、予定外に時間がかかることもない。前回ここから先4時間で踏破したから、逆コースとはいえ4時のバスには楽に間に合うだろう。

牛首から北東に向かい、東電小屋を目指す。人通りが少なくなり、木道は小さなトカゲの天下となる。


東電小屋が見えてきた。東電の前身である電力会社が気象観測と河川管理のために建てた小屋だったが、その後登山客を泊めるようになったと説明書きがある。


今年は閉めたままの尾瀬原休憩所。元湯山荘も今年は休業、温泉小屋は9月上旬休業で見たのは私以外に2、3組。


残すは燧裏林道である。前回(2012年)歩いた時は御池から赤田代まで4時間かかった。その時は奥さんが一緒だったので、今回はもう少し早く歩けるだろうと思っていた。赤田代(温泉小屋)に11時だったから、14時50分のバスに間に合うかと思った。

ところが、結果からいうと、前回同様4時間かかってしまった。前の時も書いたのだが、ここは名前こそ林道だが実際は登山道なので、7kmあまりのほとんどがアップダウンの繰り返しなのである。

中間点である裏燧橋まで、木の板が渡してあって落ちたらケガをするくらいの大きな沢が5つ、ガレ場を渡る程度の小さな沢はその倍くらいある。そのたびに、谷を下りてまた登り返すので、全体の標高差がほとんどないのに累積標高差は相当なのである。

まず、コースタイムで40分の最初のチェックポイント、三条の滝分岐まで50分かかった。このあたりに休めるところがないのは分かっているのでそのまま通過、しかし、次の裏燧橋がなかなか出てこない。

あまりに着かないので、立ったまま水分補給をしなければならなかった。ガレた大きな沢まで来たのでそろそろだろうと思っていたら、そこからまだ20分ほど先だった。見上げると裏燧橋が出てきた時にはほっとした。

ここまですでに2時間。天気は安定せず、暗い雲におおわれたり一転して強い日差しがのぞいたりする。裏燧橋のベンチで休んだ時には、日差しがあって暑いくらいだった。

今回は行動食をあまり持ってきていないので(売店とかあると思った)、ここではカロリーメイトしか残っていなかった。でも、固形物はちょっといいやと思うほどバテてしまった。いつものように、エネルギーゼリーとかフルーツを多めに用意しておけばよかった。

裏燧橋から後は田代(湿原)が続くだけだろうと思っていたら、そこまで出るのがまた大変だった。すでに通行止となっている渋沢小屋への登山道を通り過ぎ、再び沢を渡る。

御池方面から2人組が歩いてきたが、どこかの山小屋関係者のようだった。次に出会ったのは、林道補修中の人達。木道の上に、滑り止めの足場の板を釘で打っていた。木道全部を換えるほどの人通りはないので、ひとまずということだろう。木と釘なので、それほど長持ちは期待できなさそうだ。

湿原地帯まで出た時には裏燧橋から1時間が経過していた。ベンチがなかったので、誰も通らないのをいいことに木道に座り込んで休憩。まだ2時半前。14時50分のバスは無理だが、4時には楽勝だろう。

そこから後は、記憶していたようになだらかな起伏の木道である。20分ほど歩くと、広々とした田代の中に作り付けのベンチがある休憩所に出た。先客のご夫婦が出るところだったので、ベンチに落ち着いてリュックを下ろす。

お行儀は悪いけれど、仰向けになって足を伸ばした。途中、裏燧橋の前後でぽつぽつと雨が落ちてきたのだが、雨具を出すまでもなくここまできた。空はまだ雲が多いが、雨は完全に上がって青い空も少し見えている。

広い空を見上げながら、いい場所だと思う。風はほとんどなく、虫もいない。人も通らない。空気は澄んで、時間には余裕がある。もしかしたら、いまこの時しか経験できないかもしれない。

結局ここで20分ほど空を見上げていた。御池まであと20分くらいだと思っていたら30分以上かかってしまったのは計算違いだったが、それでもバス時刻の15分前には着くことができた。

御池ロッジが休みなので心配していたのだが、売店・トイレ・自動販売機は動いていた。コーラを買って、朝用意した水以外の飲み物を初めて口にした。この日の宿は七入山荘。御池からバスで15分ほどである。

この日の経過
鳩待峠(1591) 6:50
8:00 山ノ鼻(1420) 8:10
8:45 牛首(1404) 8:50
10:00 東電小屋(1411) 10:10
10:55 温泉小屋前(1426) 11:05
11:55 三条の滝分岐(1463) 11:55
12:55 裏燧橋(1496) 13:15
14:15 横田代(1587) 14:25
14:45 上田代(1613) 15:10
15:45 御池(1512) [GPS測定距離 18.3km]

[Nov 16, 2020]

燧裏林道に入ると、こういう沢が何度も現われ、そのたびに登ったり下ったりしなくてはならない。前回同様、突破には4時間かかった。


かつては多くの登山客が行き来した林道も、今日では訪れる人は少ない。それでも、木道の補修作業をしている人達と出会った。


広大な上田代の湿原。先客のご夫婦が出発したので、ベンチにあおむけになり20分ほど横になる。虫も来ないし、広い空だけが見えて最高の気分でした。


高原山(大入道) [Apr 20, 2021]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2021年前半は筑波山周辺に通っていたらいい季節になった。緊急事態で県境をまたいだ移動は自粛と言われているが、幸いに千葉県は対象外である。そろそろ遠出してもいい頃である。

わが家から筑波山が見えるのとちょうど同じ大きさで、つくばに行くと日光連山が見える。まだ頂上は白いが、今年は桜の開花も観測史上最速だから、前衛の山々なら大丈夫そうだ。しばらくごぶさたしている高原山に行くことにした。

高原山には何度か登っているが、釈迦ヶ岳まで行ったときのバテ方が印象に残っている。あの時は水をあまり用意しなかったのが不覚だったが、距離的に塔ノ岳・丹沢山と大差ない剣ヶ峰・釈迦ヶ岳にあれほど苦労するとは思わなかった。

前回はミツモチにしたのだが、やや物足りなかった。だから、今回は小間々から大入道回りで剣ヶ峰へ向かい、釈迦ヶ岳には足を伸ばさずに下山する計画を立てた。まだシーズン初めだし、足慣らし半分のつもりである。(実際は、そんなに甘くはなかった。)

2021年4月20日、家を出たのは3時半。高速料金節約のため16号を岩槻まで走って東北道に入る。下りるのは、最近できたばかりの矢板北スマートICである。矢板北PAに併設されていて、ETCのみのICである。

矢板北まで来たけれど、八方ヶ原までの道はやはり遠かった。ヘアピンカーブを延々と登って、大間々駐車場に着いたのは7時過ぎ。家から3時間半以上かかってしまった。駐車場にはすでに7、8台止まっていた。

身支度をして、この日は自然遊歩道に入る。この駐車場には何度か来ているが、これまでは八海山神社に向かったので自然遊歩道に入るのは初めてである。背後に見えるのは塩原の北、男鹿山塊だろうか。ここまで来ないと見られない山並みである。

自然遊歩道は林の中を下って行くので、駐車場で見えた雄大な山並みとはしばらくお別れである。石畳の道をゆるやかに下る。周囲は落葉の自然林で、幹が曲がりくねった木々ばかりである。ときおり緑が見えるのはマツやモミである。

落葉している木々には、いかにもカラマツという枝っぷりのものもあれば、ヒノキに似たものもある。シラカバに似た幹はダケカンバだろう。背の低いのはツツジで、ハイマツらしきものも含まれている。聞こえてきた鳥の声はシジュウカラだ。

人生の終盤になるまで、木とか鳥とかにほとんど関心がなかった。ようやく今の時期になって少しずつ自然の事物に興味を持つようになった。もっと若い頃から知っていればよかったのにと思う。

当り籤を引いてしまえばあとはROMで、新たに知識が入ってくることはない。RAMができるいまのうちに、書き込めることは脳のデータベースに書き込んでおかなければ後悔する。

なんてことを考えていると遊歩道の周囲が広くなって、「焚き火禁止」の無粋な看板が出てきた。そろそろ小間々のようだ。ゆっくり歩いたので小一時間かかった。

麓から見た高原山。中央の大きな頂上が釈迦ヶ岳、右手がこの日登った矢板市最高点ピーク、なだらかな稜線からやや高くなっているあたりが大間々駐車場。


大間々駐車場には何度か来ているが、自然歩道に入るのは初めてである。


ゆるい下り坂の周囲は、落葉樹の自然林が続く。気持ちのいい道だ。


自然歩道を歩いている時、やたらとおなかが鳴ってしまった。朝食が3時半だったので仕方ないのか、あるいは糖質制限の影響かもしれない。小間々駐車場の芝生に座ってエネルギーバーを1本食べる。

休んでいる間にも何台かの車が大間々に向けて登って行った。この小間々駐車場には1台も止まっていない。ここにはトイレがないし、すぐ下の学校平には山の駅たかはらがある。でも、使わなくても駐車場があるのは安心する。

ひと休みして大入道に向けて出発。来た道を少し戻り「焚き火禁止」の広くなったあたりが大入道登山道との分岐で、案内の看板(かまぼこ板)は、小間々から歩くとすぐ気がつくが大間々からだと逆方向で見えない。

どこが登山道でどこが落ち葉なのかよく分からないが、沢に向けて下るあたりになるとちゃんと道になっている。ひとつ目の沢は下りるまでの道がたいへん滑りやすいが、沢自体は水も流れておらず特に問題ない。問題はふたつ目である。

こちらは盛んと水が流れていて、岩が濡れて転倒の危険がある。そして、案内表示のとおりに進むと、行き止まりになってしまうのだ。

ここで役立ったのが今回から導入したスマホである。カシミールのアプリを入れてあるので見てみると、登山道は沢と直交して奥に向かっている。その方向なのは、水が流れている枝沢である。スマホの地図には水がないように描かれているが、地形的に枝沢があっておかしくない。

合流点から岩を登ると、しばらく先に赤いテープが見えた。そして、太い幹に何か巻いてあるのは、かつて赤いテープを巻いていたのが色が抜けてしまったものだった。あの木は、しばらく前から見えていた。テープが赤ければ、迷うこともなかったのだが。

さて、ここから大入道までがけっこうしんどい。渡渉した時の標高が1100mくらいだから、大間々から180mほど下っている。大入道は1402mなので、300m登り返す計算になる。

しばらく沢に沿って登る。流れている水がなくなってガレ場になると、高原山の主稜線が見えてくる。結構な登り坂で息が切れる。半分くらい来たかと思ってスマホのGPSを見るとまだ1200mくらい。100mしか登っていない。

沢道の常として、源流付近まで登りつめるとスイッチバックの急坂になる。ここも果たしてそのとおりだった。上を見ても、まだまだ先は長い。ただ、背の高い木が少なくなって、見通しがきくのが救いである。

十数回スイッチバックを切り返して、ようやく尾根まで登った。頂上は、尾根に上がるとすぐだった。10時15分到着。小間々から1時間10分のコースタイムに、1時間40分かかった。

ヤマケイが最近出した都道府県別登山ガイドには、大入道は木立ちの中で展望がないと書いてあるが、落葉樹の葉がないので背後の山並みが見える。たいへんいい雰囲気だった。予定より時間がかかっているので、ここでは元気一発ゼリーで栄養補給してすぐに出発した。

大入道への登山道は、来た道を少し戻る。「大入道→」の案内は、小間々から来ないと見えづらい。


沢を2つ越える。ひとつ目は沢に下るまでちょっと滑りやすく注意が必要。


ふたつ目の沢はどちらに進むのか迷わされる。本流と直交する枝沢を登るのだが、心細い道である。


大入道に登る時、行く手に頂上が見えたのであれが剣ヶ峰かと思っていたのだが、それは塩原方向の1641ピークだった。大入道と1641ピークの間には深い谷があって、ここから先、その谷から吹き上げてくる強風に苦しめられた。

この日はもう少し穏やかな予報だったはずだが、高気圧が張り出してくるのが遅れて、前日からの西高東低が続いたようである。午前3時半に家を出たもので、最新の情報を確認できなかった。

目の前の深い谷には、大きな道路は通っていない。1641ピークを含む向こうの山並みのさらに向こうが、西那須野塩原ICから塩原に出る400号線である。そして、1641ピーク、前黒山を経て続く稜線の先が明神岳で、明神岳の向こうがもみじラインである。栃木県でもかなり山深いところである。

明治の酷吏として知られる三島通庸知事が道を通そうとしたのはこのあたりだったかと思いながら、強風の吹き上げてくる谷沿いを歩く。このあたりまで来ると迷うような場所もない代わりに、立ち止まると寒いので歩き続けるしかない。

大入道からしばらく進んだあたりに、「縄文躑躅」(じょうもんつつじ)という立札が立っている。ツツジらしき群落もないし、立札の立っているのはツツジではない巨木である。もしかすると、大入道・剣ヶ峰間にある1447ピークの名前が縄文躑躅というのかもしれない。

ブログ掲載時にコメントをいただき、縄文躑躅というのはシロヤシオのことだと教えていただきました。ありがとうございました。

もう一つ小ピークを越えると、あとは剣ヶ峰への急登を残すのみである。標高差で100mほどある。谷を背にするので、強風が体を後押ししてくれることを期待したのだが、こういう時に限って横殴りの風が吹いてくる。この先が今日の最高標高だ、と自らをはげまして登る。

例によってスイッチバックである。稜線は見えているのだが、なかなか近づかない。振り向くと、歩いてきたのは谷底からの道のように見える。高原山はこれだからきつい。のんびりした尾根歩きなど、ほとんどないのである。

11時45分、なんとか剣ヶ峰まで登る。お札が貼ってある木の幹に小さな山名標があるだけだが、三角点があるので間違いない。大入道から1時間20分、ここはコースタイム通りだった。

剣ヶ峰には休める場所がないので、給水してそそくさと出発。30分ほどで八海山神社に着くはずだ。そして、ここを登るまで勘違いしていたのだが、いま登った剣ヶ峰はこの日の最高地点ではなかった。この後の矢板市最高地点ピークの方がさらに高いのである。

急登がしばらく続いた後、一転してなだらかな坂を登ったところが矢板市最高地点ピークで、剣ヶ峰より50m高い標高1590mである。いままで剣ヶ峰の方が高いとばかり思っていた。

大体において、剣ヶ峰というピークは最高地点につけられることが多い。特に展望も開けないし最高地点でもないのに、なぜ剣ヶ峰という名前がついたのだろう。それに矢板市最高地点ピークに、古くからの山名が付いていないのも妙である。

ここから後は、本当に下り坂である。足は軽くなったが、依然として強風が断続的に吹いてくる。北東の風ならピークを越えれば弱まっておかしくないのだが、もしかして風が巻いているのかもしれない。しばらく下ると、八海山神社に出た。

スイッチバックの急登をなんとか登りつめて三角点のある大入道へ。まだ木々に葉が繁っていないので、うっすらと背後の山並みが見える。


大入道と塩原の山並みの間には深い谷があり、そこから北東の強風が上がってきた。剣ヶ峰まで、かなり厳しい稜線歩きとなった。


剣ヶ峰までのスイッチバック。ここが本日の最高点、と自らを励ましつつ登る。


八海山神社まで下りてきて驚いたのは、トレードマークともいえる小さな屋根付きの祠がつぶれてしまっていて、ぺちゃんこの屋根だけが残されていたことである。

おそらく、強風のせいなのであろう。うずたかく積まれた石はそのままだけれど、祠はあったことしか分からない。その代わりなのか、お札のようなものが石積みの中に置かれていた。

ご丁寧にも、「古の」(いにしえの)と八海山神社の看板に書き加えられている。石積みの前まで進んで、二礼二拍手一礼で参拝、この日無事に登山できたことを感謝する。

それにしても、「古の」は余計だと思う。祠がくずれたとしても拝む人がいる限り、ここが八海山神社である。かつて高原山にあった修験道場はなくなってしまったが、この景色を見て、ここに神がいらっしゃると思う人はいるはずである。

四国石槌神社をはじめ、そうやってできた神社は少なくない。立派な社殿があるから神社なのではない。山や自然を神と敬う心があるから神社なのである。立札を書き足した人間は、建物がなければ神はいないと言うのだろうか。

さて、いつもなら祠のある一帯が眺めもよく絶好の休憩スポットなのだが、大入道から吹き続けている突風が依然としておさまらない。吹き曝しになるこの場所からもう少し下がった方が、風が弱まるかもしれない。

というのは、前に来た時に登山道から少し下がった場所で休んでいた土地のおじさんがいて、「ここはどんな時でも風があまり当たらないんだ」と言っていたことを思い出したのである。

八海山神社からしばらくは県民の森、矢板カントリーに向けて眺めが開けている場所が続く。おじさんが休んでいたのは登山道の奥側、下りる時は左にあったのだが、残念ながら記憶がさだかでなくどこだか分からなかった。

もう少しで林に入るというところ、ちょうど座れそうな岩があったのでそこで休むことにした。テルモスに持ってきたお湯でインスタントコーヒーを淹れ、カロリーメイトの残りと自然解凍されたセブンの冷凍パイナップルでお昼にする。

登山道から1、2歩入った場所なので、何人か通った人達には邪魔にならなかったと思う。振り返ると釈迦ヶ岳が大きく迫っている。最初来た時は、濃霧で20m先も見えなかったのだった。

ここから大間々駐車場まで、おなじみの道である。ここ最近で登山道を補修したらしく、杭を打って足場を作り階段状に整備されている。昔は、どこが本来の登山道なのか分からなくて、自然林の中をとにかく上に登って行ったのだった。

杭には番号が書かれていて、ミツモチの分岐あたりで60番くらいから始まり、登山口の鳥居あたりが1番である。あるところとないところがあるので丁石の代わりにはならないが、それでも目安にはなる。20番を切ると下の林道が見えた。

整備された分、登山道は限定されてしまって、とがった石が靴の底に当たり足の裏が痛かった。往きに登った大入道と違って、こちらは岩場の道で尾瀬とよく似ている。地球的には尾瀬も高原山もたいして違わないのだと思った。

この日の経過
大間々駐車場(1278) 7:30
8:25 小間々駐車場(1150) 8:35
10:15 大入道(1402) 10:25
11:45 剣ヶ峰(1540) 11:55
12:50 八海山神社下(1520) 13:10
13:50 大間々駐車場(1278) [GPS測定距離 8.8km]

[Aug 16, 2021]

八海山神社は強風のためか小さな社殿がつぶれてしまっていた。でも、「古の八海山神社」看板は余計。拝む人がいればどこだって神社である。


昔会った土地のおじさんが言った「不思議と風の当たらないところ」を探すが、よく分からない。ちょうどいい石があるあたりで昼食休憩。釈迦ヶ岳の眺めがすばらしい。


八海山神社から登山口までは、最近、登山道を整備したようだ。林道まで出て、あとは右足と左足を交互に出していれば着く。




日光男体山 [May 24, 2021]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

4月に高原山を歩いてから、あまり天気がよくない日が続いた。GWはもともと遠出する予定はなかったものの、槍ヶ岳と谷川岳で遭難事故があったように条件が悪かった。GWが明けるとすぐに梅雨時のような天気である。

もともとこの時期はどこを登るか選択が難しい。房総を歩く季節ではないし、丹沢はそろそろヒルが出る。いつもの年であれば奥多摩だが、数年前の台風被害の復旧がどうなったか不明だし、このご時世に長い電車旅は気が引ける。

となると高原山に続いて栃木方面ということになるが、山の上は雪が解ける時期で、登山道がどろどろではないかという心配がある。まして、今年は天候不順である。できればコンディションのいい時に登りたい。

そうこうする間に前回の山行から1ヶ月が過ぎた。あまり間を開けるのは望ましくないと思っていたら、5月最終週の降水確率が10%といっぺんに下がった。「てんきとくらす」の登山指数もCからAにジャンプアップである。取り急ぎ準備して、出かけることにした。

今回目指すのは日光男体山、日本百名山のひとつである。紅葉の時期ではないので大混雑はないとしても、休日に行くのはリスクが大きい。月曜日の早朝に家を出発して登り、その日は日光湯元に泊まる計画を立てた。

2000mを超える山も、標高差1000mを登るのもコロナ以来初めてである。累積標高差1000mは登っていると思うし、昨夏以来月一ペースを維持しているので足腰は大丈夫だと思うが、それでも高い山は緊張する。まして今回は、早朝出発である。

午前3時に家を出て16号線を北上、柏ICで高速に入る。3時50分に通過したので、深夜早朝割引が利く。遠出する時に30%は大きい。帰りは一般道なのでもっと安くなるが。

羽生PAで休憩し、ファミマで日焼け止めを買う。スマホに替えてまだ2ヶ月目、初めてPayPayを使う。日光宇都宮道路に入って、日光口で最後のトイレ休憩。いろは坂を登って中禅寺湖畔に6時半到着。

国道沿いに十数台分の駐車スペースがあり、階段の上に中宮祠の正門が見える。まだ空きがあったので国道沿いに止めたが、階段の上にも広い駐車場がある。すぐに本殿と登山者受付がある。

さすが男体山、まだ6時半だというのに登山者受付には何人か手続き中である。千円納めてお守り札をいただき、本殿で柏手を打って登山の安全を願う。身支度が終わって登山道入り口の鳥居をくぐると、6時45分になっていた。

鳥居に続いて、いきなりの階段である。段差が結構あって、左足に重心をかけると痛んだ。2時起きで寝不足のうえ、3時間半の運転でヒザにきているようだ。なるべく固いところに足を置かず、ゴムの緩衝材の上に乗るようにする。

15分ほど登ると遥拝所のある一合目である。メガネをかけた菅笠姿の銅像があったので、山頭火がこんなところまで来ているのかと思ったら、信者の方のようだ。このあたりまだ林の中で、山頂方面も中禅寺湖方面も見通しは利かない。

それにしても、のっけから急こう配である。ササ原を登っていくところは天空回廊の先とよく似ているが、足元は斜面だったり階段だったり、いずれにせよ歩きにくい。結構息が上がる。

それでも、30分ほど登ると舗装された作業道に出る。ここから四合目まで、ありがたいことに舗装道歩きである。「作業用車両に注意してください」と書かれているが、まだ朝早いせいか車は通っていなかった。

さきほどまでの急傾斜と比べると、天国のような歩きやすさである。これが麓から頂上まで続いていたらと思うが、ご神体にお参りする登山でそうそう楽はできない。

受付の際にいただいた注意書きによると、林道合流点から麓に向かうと第一いろは坂方面に出てしまうし、四合目から上で登山道に合流することはない。

もともとこの道路は、山体崩壊が多発する男体山の治山事業として行っているもので、登山客のために作られたものではない。苦しいけれども、登山道を進むしかないのである。

登山口の二荒山神社中宮祠。中禅寺湖畔にある。門前に駐車場があり、ここから登り始める。


中宮祠の奥の鳥居を過ぎると、いきなり段差のある階段状の道が続く。約15分で遥拝場のある一合目。


のっけから急登が続き息が上がる。三合目で林道に出た時はほっとする。


何度かヘアピンカーブを曲がって標高を上げていくと、30分ほどで再び登山道に入る鳥居が見えてきた。四合目である。新しい建物が道端にあり、社務所と書かれているが中には入れないようだ。

鳥居の先は、再び急傾斜である。小屋には入れないしベンチもないので、私を抜いて行ったじいさんが木の階段に腰かけて休憩している。その横を通り抜けて登って行く。

しばらくササ原のスイッチバックが続く。近いだけあって、空中回廊の焼石金剛と実によく似ている。虫が飛んでくるところもそっくりである。息を切らせながら登って行くと、昔の物置そっくりのトタンの建物が見えてきた。

急こう配なのでなかなかたどり着かないが、なんとかそのレベルまで登るとペンキで「五合目」と書いてある。時刻は午前9時少し前。登り始めて2時間と少しで五合目まで登ることができた。

中宮祠から男体山頂上までのコースタイムは4時間である。余裕をみて5時間として、7時前に登り始めて12時頃に頂上に着けば、午後4時までには下りてこられるだろうという心づもりであった。

五合目まで2時間と少しならば、あと3時間あれば頂上は大丈夫だろうとこの時は思った。物置きのような避難小屋には作業用の材木などが置かれていたが、壁にベンチが建てつけてある。腰かけて、元気一発ゼリーで栄養補給。

9時5分に出発。さわやかな風が吹いてたいへん気持ちがいい。5月に入って風の強い日が多く心配したが、この日は風もなく天気も上々である。2、3日前まで雨だったので地面が湿って滑りやすいものの、まずまずのコンディションである。

五合目を過ぎると、これまで木々の隙間から見えていた中禅寺湖が見下ろせるようになった。たいへんいい景色だ。湖の向こうにある半月山や社山のピークも、目の位置より下に見える。

一方で、これまで岩交じりの土だった足元が、完全なガレ場となった。ただガレ場というだけでなく、急傾斜で足の置き場に迷うくらいである。ご神体であるためなのか、鎖やロープもほとんど下がっていない。

そして、このくらいの時間からたいへん気になったのは、人が多いことであった。ルートが限られる上に登るのに時間がかかるから、後ろに来られると横にずれて道を譲ることになる。息が切れるのと道をゆずるのとで、やたらと時間がかかる。

もう一つ困ったのは、五合目の次にある六合目の目印が、いつまでたっても出てこないことであった。仕方がないので、ベンチのようになっている足場の階段に座って少し休む。時刻は9時半、六合目に着いておかしくない時間である。

ここから先は、さらに厳しい急傾斜であった。ガイドブックでも、四合目から八合目までは等高線の密度が狭くてきついのは分かっていたけれども、普通の山だとスイッチバックしたりするので歩くコース自体は少しゆるやかである。しかしこの山は、ほとんどすべて直登の急傾斜なのである。

快適な林道歩きは四合目まで。ここから再び急傾斜の登山道が始まる。


五合目までは笹原の中のスイッチバックが続く。天空回廊の上あたりと雰囲気がよく似ている。虫が多いのも同じだ。


五合目休憩小屋に着いた。ここまで2時間少々で着いた時には、頂上まで着けないことになるとは思わなかった。


ずいぶん上に再度トタンの小屋が見えてきた時には、時間的にいってあれが八合目だと思った。しかし、四苦八苦して小屋の近くまで登ると、「七合目すぐそこ」とペンキで書いてある。

時刻はすでに10時半である。五合目から七合目まで1時間半、このペースでは九合目で正午、頂上に登ったら午後1時になってしまう。登るのに7時間なら下るのは少なくとも6時間、午後7時ではホテルの夕食に間に合わない。

小屋の中には腰かけるものがないので、小屋の前の平らな石に腰かけて休む。カロリーメイトで栄養補給。かなり標高が高くなっているのに、やたらと虫が多いのは赤薙山をほうふつとさせる。

さすがにこのペースでは、頂上まで行くのはあきらめた方がよさそうだ。時間さえかければ登れると思うが、下りる時間が足りない。頂上に山小屋があって今日の日程終了ならばいいが、男体山に山小屋はない。

とすると、八合目にあるという滝尾神社まで登って撤退ということになりそうだった。地図で見るとこの先は傾斜がゆるむようだし、とりあえずもう少しがんばろうと腰を上げる。

しかし、いつまで登っても傾斜はちっとも緩やかにはならなかった。休み休み標高を上げて、七合目の小屋の屋根が見えなくなってずいぶん経つのに、見上げるとどこまでも急傾斜のガレ場が続いている。

スマホのナビで現在地を確認しようとすると、なんとトラックがとんでもない図形を描いている。滝尾神社の上まで登って逆転してあらぬ方向に下り、8の字が重なったようになっている。つまり、現在地が分からない。スマホのGPSだとこうなるとは知らなかった。

おまけに、下りてくる人達が多くなって、後ろから前からどんどん人が来る。見上げると、急斜面から次々下りてきて、見ていると気持ちが悪くなる。かつて丹沢の大倉尾根でもあった「人酔い」である。

これはダメだとあきらめざるを得なかった。切りのいいところで八合目までは登りたかったが、この体調では仕方がない。人の通らないガレ場の端の方に座って、リュックを下ろす。時刻は11時半。五合目から2時間半、七合目から1時間近く登って八合目に着かないとは・・・。

しばらく休んで、付近の写真を撮って、誰もいなくなったのを見計らって立ち上がる。時刻は11時55分、当初計画では頂上に着いていたはずの時刻である。

30分かけて七合目まで下りて、さっきの平らな石に座ってビタミンCと葛根湯を飲む。何しろ気持ちが悪い。カロリーメイトもゼリーもまだあったけれど、食べたくも飲みたくもない。薬と水だけ飲んでゆっくりと下る。

5時間かけて登ったところは、下るのに4時間かかるのが普通である。だとすると中宮祠まで下りられるのは午後4時近くなってしまい、ホテルのチェックインぎりぎりである。場合によっては、電話しなければならない。

それは何事もなく下りられた場合で、急傾斜で滑って足でもくじいたら目も当てられない。とにかく、ケガをしないことが第一。慎重に慎重に、足を踏み外さないように下りる。

五合目を過ぎるあたりから、眼下に中禅寺湖の景色が広がる。


ようやく見えてきた小屋は八合目ではなく、七合目の物置小屋だった。にわかに先行きが不安になる。


七合目到着。五合目から七合目まで1時間半かかっている。この日到達した最後の標石。


ゆっくり下っているうちに、ようやくガレ場の急斜面が終わり、ササ原のスイッチバックとなった。このあたりになると体調が悪いのがおさまってきて、足取りもスムーズになってきた。五合目の小屋に午後1時40分、最高到達点から1時間40分で下りてきた。

登るのに3時間かかっていることを考えると大善戦である。この調子ならホテルに電話しなくてよさそうだと少し安心して、小屋に入って少し休憩。朝と違っていたのは、換気のためだろう、入口の戸も窓も開けられていたことであった。

水分補給だけで腰を上げる。この先の急傾斜は滑りやすくて難儀したが、転倒することもなく四合目で舗装道路に出る。ようやくほっとした。ゆるやかな高速登山道を右足と左足を交互に出しながら進む。

どうしてこんなことになったんだろうと考えながら歩く。朝2時起きの寝不足で、糖質制限中であまり物を食べていないけれど、これはあまり関係ないだろう。現に、カロリーメイトと元気一発ゼリーだけでそれ以上食べたくなくなった。

登山道のコンディションがよく分からなかったので、チェーンスパイクとか余分の食糧とかでリュックが重くなったのも急傾斜には響いた。途中の避難小屋にデポしていこうと思ったくらいである。

標高差1000mをしばらく登っていなかったことも大きいだろうけれど、それよりもむしろ、人が多い山を登ることがほとんどなかったので、人に酔ってしまったのが撤退に至った大きな要因のように思う。

そして、おそらく最大の要因は、時間が足りなかったことである。

体力的な問題や人が多いのを避けるためには、日の出とともに登山開始するくらいの時間的余裕が必要である。しかし、この登山道は二荒山神社の神域であるため、原則として午前6時の開門より前に入れない。

今回、開門と同時に入山したとしてもあと45分増えるだけで、頂上に着くのは無理だったように思う。となると、このルートは日帰りでは私には難しいというのが結論のようだ。

ガイドブックには初心者向けと書いてあるけれども、若い人でも息を切らせながら登っていた。そんなに簡単に登れるものではないし、日の入りまでかかっても大丈夫なくらいの時間的余裕がないとあせって余計に苦しくなる。最悪、滑ってケガをすることになりかねない。

そんなことを考えながら下りてくると、あっという間に三合目に着き、気がついたら一合目遥拝所で、すぐに中宮祠が見えてきた。四合目から中宮祠は1時間であった。

結局、5時間かけて登ったところを3時間半かからずに下りてきたことになる。昔から登りは苦手下りは得意だが、こんなことになるとは思わなかった。

ゆっくり片づけをして車を出す。この日の宿は湯元温泉。中禅寺湖畔から戦場ヶ原を越えて、15分ほどで着くはずである。

この日の経過
二荒山神社中宮祠(1283) 6:45
7:15 一合目(1350) 7:15
8:20 四合目(1667) 8:25
8:55 五合目(1804) 9:05
9:30 六合目見当(1929) 9:35
10:30 七合目(2060) 10:40
11:35 七合五勺見当(2154)[撤退] 11:55
12:20 七合目(2060) 12:25
13:40 五合目(1804) 13:45
14:15 四合目(1667) 14:20
15:20 中宮祠(1283) [GPS測定距離 6.9km]

[Sep 13, 2021]

なぜか現在位置が分からなくなってしまったスマホのナビ。急傾斜ではこのあたりが限界なのでしょうか。(バソコンソフトで再現しています)


最終到達地点から上を見上げる。時間的にこれ以上は無理でした。


下りも急傾斜で苦戦。五合目まで戻るころには体調も戻り、なんとか3時半前には下山できた。


男体山再挑戦 [Jun 8, 2021]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2021年5月の日光男体山は、残念な結果に終わってしまった。

頂上まで登れなかった原因はいろいろ考えられるが、最も致命的だったのは時間が足りなかったことだと思われた。コースタイム4時間とされているルートだが、あの等高線のたてこみ方は半端ではなく、私にはその時間では無理である。

どう控えめにみても、自分の体力であの登りには6時間かかる。中宮祠の開門時間に登り始めたとしても頂上に着くのは正午。前回でも2時半出発なのにさらに早起きしなければならず、しかもホテルの夕食に間に合わせるのは至難の業だ(ホテルおおるりはつぶれてしまったが)。

だとすれば、山登りの常として朝早くから歩き始める以外に方法はない。北から登る志津ルートは、朝早くからでも登ることができそうだ。距離はかなり長くなるが、その分傾斜はゆるやかになるはずである。

夜中に起きて高速に乗るのも体力面で余裕をなくすので、前日入りすることにした。荷物も、必要最小限にして水なしで5kg、水を積んでも8kg以内に収めるようにした。朝食をホテルで食べていけば、余分な食糧を持つ必要もない。

問題は、梅雨前線が南方に停滞していて、天気が不安定なことであった。週明けには天気が好転するというのでホテルを予約したのだが、好天どころか出発前日まで雨である。

すでに5月でも、山中には虫がたくさん飛んでいた。暖かくなればもっと多くなり、いつぞやの赤薙山のように蜂に悩まされて山歩きどころではなくなる。行くとすれば、梅雨入り前しかないのである。

2021年6月7日、ゆっくり家を出て一般道で日光に向かう。1泊多く泊まる分、高速代を節約しようという趣旨である。それでも、午後2時前にはいろは坂を登ってしまった。まだチェックインできないので、中禅寺湖スカイラインを登って半月山展望台に行ってみる。

ここから中禅寺湖をはさんだ男体山の風景が、ガイドブックなどに使われている有名な場所である。なるほど、すばらしい景色であった。本当は、こうやって景色を楽しむのも山の醍醐味のひとつであり、前回のハードスケジュールはその点でもよくなかった。

翌8日、目が覚めと3時15分だった。もう起きる時間だ。電気ポットでお湯を沸かし、前日買っておいたハムサンドとりんごヨーグルト、コーヒーで朝ご飯にする。朝早いのでフロントに誰もいないかと思ったらちゃんといて、キーを預けて4時過ぎに出発する。

志津に入る登山口は、梵字飯場跡駐車場である。光徳入口まで国道、そこから林道を走る。「普通車の通行はご遠慮ください」と怖いことが書いてあるが、すごい凸凹路面は三本松に向かう数十mだけで、裏男体林道に入ってからは普通に走れた。

幅員が狭いのですれ違いできる場所は限られるが、この時間なら奥に進む車しかないだろう。ゆっくり走って4時半過ぎに梵字飯場跡に到着した。まだ駐車した車はなく、この日の一番乗りであった。

「駐車場」と林道の両側に大きく書かれていて、20台ほど止められるスペースがある。その先に進もうとすると、「これから先駐車禁止」と大きな看板があるので、ここが梵字飯場跡と知らなくてもここに駐車するしかないはずである。

「梵字」というのはこのあたりの地名で、少し先に梵字の滝という滝がある。飯場跡というのはかつて工事用の宿舎があったものと思われる。男体山の治山事業は昭和30年代から行われているというから、このあたりに宿舎を作る必要があったのだろう。

身支度をして4時55分出発。道の状況が分からないため、ここからスパッツを付けて歩いたので、支度に時間がかかった。

梵字飯場跡駐車場に車を止めて、林道を歩く。林道の両脇には、これから先すべて駐車禁止と掲示がある。かつては志津峠まで入れた。


30分ちょっと登り坂が続き、湯殿沢が近づくと平坦になる。湯殿沢橋は最近造られた立派なもので、ここで男体山が目の前に現れる。


太郎山分岐を分けて再び登り坂となる。朝早く誰もいないので、陽希クンの真似をして「ちわー」と挨拶しながら歩く。


朝早い山の空気は澄んでしかも冷えている。道の両側は木々に囲まれて展望は開けないが、登山口からずっと登り坂である。熊鈴はもちろん付けているが、陽希クンの真似をして「ちわー」と大声であいさつしながら進む。

見通しの利かないカーブを何回か曲がって登ると、30分ほどで平坦な道になる(帰りに気づいたのだが、平坦どころか下り坂だった)。そして、車両通行止めの道とは思えないような広い道幅の新しい橋が架けられている。「湯殿沢橋」と銘板にある。

橋の向こうから、この朝初めて男体山がその全貌を現わした。何とも言えず雄大な姿である。気のせいか、中宮祠から見るよりも横に長いように映る。ここは標高1600m、中宮祠よりも400m上になる。

湯殿沢橋はその名の通り湯殿沢という沢に架かっているが、下を見るとガレ場で水は見えない。こういう場所を土石流が襲うのだろうから、砂防の意味もあって立派な橋なのだろう。この日の天気予報は午後からところにより雷雨。もしもの時は橋の下に避難できそうだとチェックする。

湯殿沢橋の少し先に太郎山に至る林道との分岐があり、分岐を右に進むと再び傾斜がきつくなる。しばらく平坦路を歩いただけなのにきつく感じる。基本的にはスイッチバックで標高を上げていくのだが、カーブがヘアピンほどきつくないのは、工事車両が入るためかもしれない。

梵字飯場跡から志津峠までのコースタイムは1時間半、ちょうどその時間で志津峠に到着した。林道はここで十字路になっており、まっすぐ進むと女峰山、左に折れると大真名子・小真名子山、男体山は右に折れる。10年くらい前のYouTubeをみると、ここまで車で入れたらしい。

ここから先は、舗装していない砂利道である。すぐに登山道が右に分かれる。「二荒山神社志津宮」と書いてある。何分も進まないうちに、林の向こうに立派なログハウス風の建物が見えてきた。志津小屋である。

志津小屋はもともと二荒山神社の社務所として建てられたもので、いまでも小屋の入り口には「志津宮社務所」の木札が掛けられている。内部は普通の避難小屋で、2階建て4ヶ所のスペースがある。非常用の毛布も干されているので、天候急変があった時など頼りになる。

ワープロ打ちの注意書きが貼ってあり「登山道は分かりにくい上、危険な場所もあるのでなるべく登らないでください」というようなことが書いてある。そんなことを言われても、梵字飯場跡から1時間半歩いてきた人が戻るとも思えないが。

せっかくなので、志津小屋で腰を下ろし最初の休憩をとる。ちょうど座れる高さに床があるのでありがたい。朝食は3時でいま6時半。3時間半だからそろそろエネルギー補給ということでエネルギーバーを1本。

10分休んで出発。小屋を出て右手が進路で、すぐに石造りの仏像が並ぶ祠の前に出る。小屋の前の祠(あちらが志津宮と思われる)に続き、無事登頂できるようお願いする。(小屋から左に進むとトラロープが張ってある。工事用道路と思われた。)

驚いたのは、小屋を出るといきなりぬかるみで、あっという間に登山靴もスパッツも泥だらけになってしまったことであった。そして、湿気があるせいか虫が多い。携帯用アースと坊虫スプレーで防御したものの、防げるような気がしない。

志津小屋から10分ほどで一合目、さらに10分ほどで二合目に到着。非常に順調である。ぬかるみは嫌だが、息が上がるような急斜面はない。

二合目と三合目の間は大きな砂防ダムが作られた薙の脇を通る。「薙」とは男体山独特の地名で、土石流の跡のガレ場である。ガレた薙の近くは通らず、なるべく林に沿った安全な場所を登る。

林道は志津峠で十字路になっている。直進すると女峰山方面、左が大真名子・小真名山の登山道である。男体山はここで右方向へ進む。10年ほど前はここに駐車できたようだ。


志津峠から5分ほどで志津小屋。もともと二荒山神社志津宮の社務所で、いまもその表札が掛けられている。


二合目と三合目の間では、砂防ダムの横を通る。ロープは張ってあるが、なるべく木の生えている方を歩く。


砂防ダム沿いの道から、再び林の中に入る。展望はほとんどない。というよりも、えぐれた地面の一番低い場所を進むので、茶色い地面しか見えない。ぬかるんでいるので、先行者の足跡がたくさん見えるのが救いである。

このあたり、「保安林」の看板、オリエンテーリングみたいな黄色と赤の目印、それとピンクテープと踏み跡が目印となる。行先案内表示はない。「一合目」「二合目」の柱で正しく歩いていることを確認できるが、傾いている柱や見つからない合目もあった。

それでも、中宮祠からの登山道と違って、2歩歩いて息が上がり、3歩歩いて立ち止まるということはない。一生懸命ピンクテープを追い、踏み跡を確認し、看板を見て安心することを繰り返していると、早くも五合目まで来ていた。7時50分、志津小屋から1時間20分。

五合目ということは、あと半分ということである。中宮祠コースでは五合目まで2時間ちょっとなのに頂上まで着かなかったので油断は禁物だが、まずひと安心である。GPSをみると、すでに2000mを越えているようだ。前回、撤退したくらいの高さまで来ている。

ちょうどいい頃合いなので、岩に腰を下ろして小休止する。それほどバテていないが、エネルギーゼリーで栄養補給。10分休んで出発。これまで同様にピンクテープを追ってえぐれた地面を歩いたり、林の中の踏み跡をたどる。

20分で六合目、さらに20分で七合目を通過すると、前面の景色が開けてきた。近づいてみると、なんと数m先から山がくずれて茶色の地面がずっと下の方まで続いている。山体崩壊である。

WEBによると、この場所を「鼻毛ノ薙の突き上げ」と呼ぶらしいが、特に説明書きも案内表示もないので、山が崩れていて危ないと思うだけである。足がかりとなるものもないので、踏み込めば数百m下まで滑落してしまうだろう。

そんな急斜面を、シカかサルだろうか、動物の足跡が残されているのがシュールである。陥没しているあたりからトラバースして、いま私のいるあたりまで来たようだ。さすがにこわかったらしく、戻る足跡はない。

崩壊している箇所から数m隔てて、林の中に登山道は続いている。いますぐ地崩れすることはないにしても、いずれ何年もしないうちに登山道も飲み込まれてしまいそうだ。

大崩壊地の脇を登って林を横切ると、今度はガレ場の最上部でトラバースして反対側に渡らなければならない場所がある。ここはまさに薙の突端で、ここから麓まで急傾斜のガレ場が続いている。濡れて滑ったら、ちょっと怖い。

このあたりから、山頂を経由してこちら側に下ってきた何組かとすれ違った。いずれも小さなリュックに水だけ持ったトレラン仕様だったが、それにしても6時に中宮祠をスタートして、2時間余りで登頂してここまで来るのだからすごい。

鼻毛ノ薙と怖いトラバースを越えてしばらく登ると、八合目である。時間は午前9時過ぎ、たいへん景色がいいので、ここでもう一度腰を下ろす。

中宮祠からの登りも中禅寺湖や半月山が見えて景色はよかったけれど、雄大さという点ではこちらに軍配が上がりそうだ。正面に太郎山、そこから右に大真名子・小真名子山、さらに右に女峰山が全貌を現わしている。女峰山から続くピークでやや低くなっているのが、昨年登った赤薙山だろうか。

太郎山から左に目を転じると、山王帽子山から温泉ヶ岳といった日光湯元の山々。その稜線の彼方には、見覚えのある燧ヶ岳が顔をのぞかせている。温泉ヶ岳のさらに左に真打ちという趣で登場するのが、奥白根山。距離はあるのに、最も目立っている。

そして、それらの山々からいままさに登っている男体山の間には、人工物のほとんどない原生林が広がっている。いくら見ていても見飽きない景色であった。

とはいえ、ここまで来たら何としても頂上はきわめなくてはならない。景色は帰りにまた見ることにして、腰をあげる。というのも、前の晩やっていた天気予報では、大気の状態が不安定で午後ところにより雷雨というのである。急がなくてはならない。

志津からの登りは、こういうえぐれた場所に続くことが多い。ピンクテープや踏み跡を見逃さないことが大事。


七合目過ぎ、標高2200mあたりに大崩壊地「鼻毛ノ薙の突き上げ」。登山道は間際の反対斜面に続く。崩壊地に見える足跡は、シカかサルだろうか。


こちらから登ると、奥日光から女峰山まで一望できる。写真は大真名子・小真名山と女峰山。


八合目からしばらく林間のスイッチバックが続き、その上はガレ場の登りとなる。ガレ場といっても中宮祠コースのような極端な急斜面ではなく傾斜は比較的ゆるやかだし、小さな岩が多くてザレ場に近いかもしれない。

このあたりでも続々と頂上経由の人達とすれ違った。まだ9時過ぎだから、6時に登り始めたとして3時間、もしかするともっと遅くに登り始めたかもしれない。

こちら側に下りるのは初めてという2人連れに話しかけられた。「どこから登ってこられたんですか」と訊かれたので梵字飯場跡と答えたのだが、知らないようだった。

「志津小屋からバス通りまでだいたい2時間半ですよ」と説明したのだが、中宮祠コースを2、3時間で登ってくる人達はそんなにかからないかもしれない。

ザレ場のスイッチバックを息を切らせて登って行くと「九合目」の柱が見えた。ここまで来れば、もう大丈夫だろう。

裏九合目は頂上を構成する外輪山の一角にあって、何百mか先に奥宮の建物が見える。標高差はほとんどなく、ここから先は熊笹の平坦な道である。

振り返ると、女峰山、太郎山、奥白根山が一望のもとにある。登ってくるとき前に立ちふさがって見えた太郎山も、ここまで来ると目の位置より下にある。

裏九合目から頂上までの間に、何か建物でもあったような石造りの基礎のようなものが残っている。きちんとまっすぐに成形されているのでそれほど昔のものでもないようだが、何か建てられていたのだろうか。

志津小屋側から登ると、最初に頂上の刀身が見え、そこまで登ると三角点が確認できる。実はこの刀もご神体のようなもので、中宮祠側から登ると鳥居の先にひときわ高くなっているのである。

9時55分山頂着。10時に登れればいいなというのが当初の予定だったのだけれど、おそらくそんなにうまくはいかないだろうとも思っていた。梵字飯場跡から5時間、志津小屋からだと3時間半で登頂できた。

三角点からだと、岩の間を少し下りたところ、鳥居の前に鐘楼がある。せっかくだから、突かせていただく。その向こうにもう一つ鳥居があって、奥宮と社務所がある。社務所には誰もいないようだった。奥宮にお参りして、無事登頂できたことにお礼申し上げる。

ガイドブックによく出ている二荒山大神の銅像は奥宮のさらに向こう側、中宮祠コースから登ってきた場所で中禅寺湖を見下ろしている。頂上から見る中禅寺湖は先日見た七合目あたりよりもさらに遠く、湖畔の温泉街まで見分けることは難しい。

この時間、頂上にいたのは3、4組。休憩している人や記念写真をとる人などがいたけれども、それほど混みあっている風でもなかった。すでに7、8組すれ違ったから、早い人達は下山して行ったのだろうし、7時頃スタートした組はまだ着いていなかったのかもしれない。

奥宮にお参りした後、三角点からさきほどの建物らしき基礎のところに戻って昼食休憩にする。昼食とはいっても、糖質制限中であるのでフルーツミックスを食べて終わりにする。甘くてとてもおいしかった。ひと月に2度日光に来て、なんとか登頂を果たせたので喜びもひとしおである。

気がつくと、中禅寺湖の麓側から黒い雲が昇ってきている。さっきまで見えていた女峰山も、あっという間に雲に隠れてしまった。例によって霧降高原は霧の中。もしかしたら雨になっているかもしれない。

長居は禁物である。身支度を整えて、10時40分に下山を開始した。

頂上近くでは太郎山が目の下になる。後方には燧ヶ岳も姿を現わし、まさに絶景。


裏九合目からは頂上外輪山の一角にあたるため、ほぼ平坦な道を三角点まで。志津から登ると、三角点、刀、奥宮の順になる。


奥宮の傍らで中禅寺湖を見下ろす二荒山大神。男体山はかつて二荒山という名前だった。これを音読みした「日光」が、この地の地名となった。


まず平坦な裏九合目まで歩き、身支度を再確認して下り始める。ここからは滑りやすいザレ場の急傾斜なので、転んだり滑ったりに気をつけなければならない。

下りで気づいたのは、踏み跡がたいへん見つけやすいことであった。わざわざえぐれた低いところまで下りなくとも、その上のレベルの笹原を歩いていれば下りることができる。登りの時には気づかないことであった。

考えてみれば当り前で、目の位置よりも上にある踏み跡は見えない。目より下にあるから見えるのである。ただし、ピンクテープや看板、目印を確認することをおろそかにはできない。登りには通ってなかった道を下ることができたけれども、どこに下りるか分からない分岐もあった。

20分ほどで八合目まで下りる。展望が開けたところで確認すると、空全体が雲におおわれているものの、女峰山の頂上は再び顔を出した。すぐに降り出すことはなさそうである。太郎山も山王帽子山も見えているが、暗くなって冷たい風が吹き始めた。休憩せずに下山を急ぐ。

薙上部の怖いトラバースを慎重に通過し、鼻毛ノ薙を右に見ながら下る。再び林の中で見通しはきかない。踏み跡が見えるので登りより下りの方が歩きやすい。

そして、登りではあったはずの七合目、六合目の目印を見逃し、気がつくと五合目まで下りていた。時刻は正午少し前、1時間50分かけて登ったところを1時間ちょっとで下りたことになる。

あまり飛ばしてバテるのも嫌なので、小休止して水分補給。息が落ち着いたところで再び下りを急ぐ。またもや四合目・二合目の目印を見逃し、40分ほどで三合目、さらに40分ほどで一合目まで下りることができた。志津小屋までもう迷うことはない。

このあたりで人の話し合う声が聞こえたので、いまから登るのだろうか、それとも志津小屋で泊まりかなと思ったのだけれど、行ってみると誰もいなかった。1時25分志津小屋着。あとは林道歩きだけだ。

それにしても、この日は登り下りとも息が上がることもなく歩くことができた。「登山道が分かりにくいし危険な箇所もあるのでなるべく登らないで」というコースなのだが、中宮祠から登るより相当に登りやすい。

もちろん、当日長距離輸送をしなかったし、荷物も軽く出発も早くして万全を期したのだけれど、コース自体が自分には向いていたように思う。ということは、込み入った等高線が、標高差300も400も続くような山道は、もう避けた方が無難ということかもしれない。

そして、下山時は曇って暗くなってしまったけれど、晴れている時の日光連山の雄大な光景は印象深かった。丹沢や奥多摩でも頂上から山並みを望むことができるけれども、日光連山とは全然違う。

さて、志津小屋からの林道歩きでは、ササの葉に雨粒の当たる音がして何度かひやひやしたのだけれど、幸いに傘を出すこともなく、梵字飯場跡まで無事歩くことができた。

ところが、帰ってからGPSを確認すると、朝の梵字飯場跡から志津小屋まで1時間25分で登れているのに、下りの志津小屋から飯場跡は1時間半かかっているのである。

標高差が300mあるにもかかわらず、しかも雨が降りそうだと急いでいるにもかかわらず余計に時間がかかるというのはどうなんだろう。それだけ疲れていたということだろうか。

1時間半の林道歩きで、後ろから走ってきたトレラン組7、8人に抜かれたのだけれど、彼らから見たら相当バテて遅く見えたんだろうと思う。

たいへん気にしていた雨だが、ホテルに戻って露天風呂に入っている時すごい勢いで降り出した。天気も含めて、この日の山歩きはたいへん流れがよかったようである。

この日の経過
梵字飯場跡駐車場(1500) 4:55
5:40 太郎山分岐(1637) 5:40
6:20 志津小屋(1785) 6:30
7:50 五合目(2088) 8:00
8:50 八合目(2324) 9:00
9:55 男体山頂(2486) 10:50
11:55 五合目(2088) 12:00
13:25 志津小屋(1785) 13:35
14:20 太郎山分岐(1637) 14:20
15:05 梵字飯場跡(1500) [GPS測定距離 16.3km]

[Oct 18, 2021]

登りでは見えていた女峰山も雲の中。霧降高原はよくて霧、もしかすると雨になっているかもしれない。下山を急がねば。


八合目と七合目の間にある、薙のトラバース。左の急斜面は数百m下まで続いている。


熊笹に雨粒が当たる音が聞こえてひやひやしたが、梵字飯場跡に着くまで雨は大丈夫だった。ホテルで露天風呂に入っている時に降り出した。


那須岳(茶臼岳・朝日岳) [Sep 7, 2021]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

例年どおり7、8月を休んで、9月の声を聞くと山歩きの再開である。だが、2021年秋は2つほど留意事項が発生してしまった。

その第1は、コロナ感染拡大による緊急事態宣言である。わが印西市でも、市長の肉声テープを防災無線で流しているだけでなく、広報車まで回ってきた。不要不急の外出はするなというお達しである。

しかしながら、オリンピックもパラリンピックも日程通り開催しておいて、市民のみなさんは家にいろというのは理不尽である。地元出身の誰それがオリ・パラでメダルだの入賞だの横断幕を掲げている暇があるのに、Stay Homeとはちゃんちゃらおかしい。

本当に外出をやめてほしければ、きちんと補償してロックダウンするのが筋だし、国や県、市町村は率先してイベントを自粛すべきだろう。それをしないで各自の判断というのだから、自分でリスクをとって行動するのは自由である。

もう一つの留意事項とは、せっかくリピーターになろうとしていたホテルおおるりが突然クローズしてしまったことである。1泊2食6,500円で温泉付きの宿が確保できる得難い施設だったのに、残念なことである。

10いくつある施設のうち、関東では塩原のみ営業しているのだが、残念ながら今回は塩原方面でない。少し足を伸ばして、那須まで行こうと考えていたのである。おおるり系列以外で、どこか探さなければならない。

ところが、今度は天気が問題となった。2021年夏はお盆過ぎに梅雨寒となり、その後1週間ほど暑い日が続いたと思ったら、8月終わりから秋雨前線が停滞してずっと雨であった。予報では7日火曜日だけ晴れるというので、取り急ぎ準備して出かけることにした。

2021年9月7日朝、予定では国道294号で東北方面へ向かうつもりだったが、午前2時に目が覚めてしまう。仕方がないので、午前4時までに高速に入り深夜割引を使うことに予定変更。3時前に出発して柏ICから外環経由東北道に入る。

那須ICを抜けて目の前に山が迫ると、来てよかったと改めて思う。那須まで来るのは子供が小さい時以来だから、四半世紀ぶりになる。テーマパークのような建物が並ぶ華やかな通りを抜け、だんだん傾斜を増す坂道を登って行く。

まだ7時なので、ロープウェーは動いていない。その奥にある、峰の茶屋無料駐車場に向かう。百台以上駐車できる大きな駐車場だが、その一角で新たな建物を作るのか工事をしていた。それでも、悠々止められるスペースがある。

靴を履き替え、身支度を整えて7時15分出発。霧が濃くて、一瞬山が覗いたものの、すぐ霧に隠れてしまう。天気予報は晴れだけれど、山の天気は不安定である。工事中の仮柵に沿って進み、登山指導所の脇を通って、登山口の鳥居をくぐる。

登山口からは石組みの階段が続く。どこかに似ているなと考えて、そういえば塔ノ岳の大倉尾根がこんなだったと思い出した。でも、息が上がるほどきつくはない。午前2時起きだから男体山撤退の時と同じ条件である。オーバーペースにならないよう気を付けなければ。

4番の番号札の付いた地点まで登ってくると、何と峰の茶屋への中間点と案内がある。男体山の一合目と同じくらいじゃないかと思った。実際、駐車場から峰の茶屋まで標高差は255mしかなく、現在地(中の茶屋跡)まで140mしか登っていない。時間的にも中宮祠から一合目と変わらない。

ロープウェイが動いていない時間なので、峰の茶屋駐車場から歩いて登る。背後に見えるのは茶臼岳ではなく朝日岳。朝方は霧になったり晴れたりしていた。


駐車場から道案内にしたがって登山道へ。鳥居をくぐるとまるで塔ノ岳の大倉尾根のような石段が続く。


霧で見えないが、晴れると向かいに谷を挟んで朝日岳の崩れた中腹が目前に迫る。春に男体山を登ったおかげで、このあたりは余裕でした。


これまでの経験上、秋シーズン最初に登る山ではたいてい苦戦している。昨年は赤薙山で四苦八苦したし、奥多摩の本仁田山で撤退したこともある。夏場に標高差のある歩きをしていないので、どうしてもブランクが響くのである。

そのこともあって、それほど標高差のない那須岳を秋の初戦として選んだのだが、期待どおりここまでは順調である。峰の茶屋までコースタイムの50分でクリアし、避難小屋外のベンチでいったん休憩。

峰の茶屋は現在は無人の避難小屋だが、かつては名前のとおり茶屋があったらしい。このあたりは茶臼岳・朝日岳の鞍部にあたり、道端からわずかながら水が出ている。昔は細い沢があって、そこで得た水を使って小屋を営んでいたのかもしれない。

登ってくる時は霧の中だったが、峰の小屋まで登ると晴れ間が覗いた。それでも、まだ霧が行ったり来たりして、山が見えたかと思うとまた白く霞んでしまう繰り返しだった。

峰の茶屋から左に進むと茶臼岳、右に進むと朝日岳である。今朝起きるまではロープウェーを使う予定で、茶臼岳から峰の茶屋を経由して朝日岳の計画だったので、予定通りまず茶臼岳に向かう。

方向からして、目の前にそびえるのが茶臼岳だと思った。確かに茶臼岳なのだが、見えているのは外輪山の一番外側で、硫黄鉱山跡を右に見て斜面を登りきると、さらに内側に岩壁が登場する。そう楽はさせてもらえない。

しばらく外輪山を回り込んで、再びガレ場の登りとなる。段差も結構あって、尾瀬の爼嵓に似ている。登ってようやくお釜口。名前からして内側外輪山の一角なので、少し上に見えるのが頂上と思われた。

ここでロープウェイから登る登山道と合流して、お釜を半周すると茶臼岳頂上である。午前9時前、駐車場から2時間かからずに茶臼岳登頂。

まだロープウェイ始発組は着いていないらしく、山頂には3~4組しか姿が見えない。話声が聞こえなくなると、霧の中で石造りの神社と岩が積み重なった山頂はとても静かである。

百名山の多くは頂上に「百名山」を謳っているが、ここはそういうこともない。那須岳神社の石の祠と、平成24年度国立公園整備と書かれた山名標があるだけである。何も見えないし聞こえない、とても神秘的な雰囲気だった。

少し下の岩に座って、エネルギーゼリーで栄養補給。朝食はファミマで買ったメロンパンを食べただけなのだが、それほど空腹にならないのが不思議である。

10分ほど休んで、腰を上げる。再度峰の茶屋まで下って、今度は朝日岳に登らなくてはならない。来た道を通って戻る。お釜を半周して、再び俎嵓のような積み重なった岩を下って行く。

下りは登りよりも足の置き場が難しくて、なかなかスピードが上がらない。それでも、外輪山で振り返ると、頂上でずいぶん多くの人が騒いでいるのが見えた。ロープウェーの第1陣が到着したようだ。

峰の茶屋が見えるくらいまで下ると、ようやく霧も薄くなってきて、向こう側の朝日岳が望めるようになってきた。峰の茶屋の正面の剣ヶ峰は登らず、中腹をトラバースするのだが、その登山道に人が列をなしているのが見える。

どうやら、茶臼岳に登る人はロープウェーから、朝日岳に登る人は駐車場からと棲み分けができているようで、私のように峰の茶屋から茶臼岳に登り、戻って再び朝日岳という人はそれほど多くないようだ。

実際、茶臼岳への往復ですれ違ったのは十人かそのくらいだったけれども、朝日岳への往復では二、三百人は間違いなくいただろう。那須というとみんな茶臼岳に登ると思っていただけに、ちょっと意外であった。

50分足らずで峰の茶屋避難小屋へ。ずいぶん楽だなと思ったのですが、この後茶臼岳へも朝日岳へもきつい登りで、小屋はちょうど鞍部にあるのでした。


茶臼岳へは何重かになっている外輪山を登る。最後の外輪山「お釜」でようやくロープウェーからの登山道と合流する。


茶臼岳頂上は霧の中で見通しがなかった。ただ、何も見えないし何も聞こえない神秘的な雰囲気だった。下る頃になって、ロープウェー組が退去して登ってきた。


茶臼岳頂上から40分ほどで峰の茶屋に戻り、そのまま朝日岳方向に進む。

剣ヶ峰中腹の巻き道はすれ違いが困難なほど狭く、しかもどちら方向も人数が多い。歩くのが遅いので気がつく限り後ろの人に道を譲ったけれど、切りがないくらい人が多い。

この日は唯一の晴天で、また翌日から雨模様という予報である。人が多いのもうなずけるけれども、時間に自由がきく単独行や少人数のパーティーだけでなく、十人以上のグループが何組もいたのには驚いた。どうやって調整したのだろう。

聞くとはなしに聞いていたら、いちばんすごいのは白河の小学5年生の団体で、例年の学校行事なのでバスで来て登っているそうである。目的地は青少年自然の家だというから、北温泉よりずっと先。夕方まで着くのかという長丁場である。

「青少年の家?そんな遠くまで。」「時節柄どうなんですかね。」と話してる人がいたが、そう言っている方も自粛要請を無視しているので説得力がないのであった。

さて、恵比寿大黒岩のあたりまではゆるいアップダウンなのだが、そこから先は結構な傾斜の急坂である。しかも、ほとんど緑のないガレ場を登っている人達が見えるので、あんな上まで登るのかと登る前から弱気になるような傾斜である。

そして、その急傾斜に、ほとんど間隔もなく人の群れがとりついているのである。こんなに密なのはよくないだろうと思い、あまりひどかったら途中で引き返そうと思いつつ急斜面を登り始めた。

足元の岩は一枚岩でステップが切れないので、削岩機か何かで岩を削って段を作っている。それでも滑りそうな場所には鎖があるが、幅がないので登りと下りがはちあわせるとどちらかが譲らなくてはならない。下から見たら、数珠繋ぎになっていたのはこれである。

しかし、結構な急登の連続なのだけれども、意外に息が上がらず、狭い登山道で図体のでかいのが立ち往生するという無様なことをせずに済んだ。春の男体山の厳しい経験がプラスになったのかもしれない。

1/25000図をみる限り、恵比寿大黒岩から朝日岳は岩崖沿いを歩く厳しいルートながら、等高線の間隔はそれほどでない。しかし、部分的には男体山以上の傾斜があり、そもそも男体山の4~7合目に鎖場はない。

2度ほど急傾斜を登ると崖沿いをへつる平らな鎖場があり、さらにもう一度急傾斜があってようやく「朝日岳の肩」である。三本槍岳方面に向かうにもここまでは登らなければならず、なかなか大変な登山道である。

しかし、ここを小学生の団体は越えていったのである。監視員のじいさんが、「できればここは通ってほしくないんですがね」と言っていたのもなるほどという道であった。

肩から朝日岳も、結構な急傾斜に見えたけれども、実際に登り始めると見た目ほどてはなく、途中で休憩を入れるまでもなかった。午前11時、朝日岳頂上着。恵比寿大黒岩から30分ちょっと。標高1896mは茶臼岳より20mほど低いが、茶臼岳より高くまで登ってきた印象であった。

朝日岳へは、いったん峰の茶屋避難小屋に戻って剣ヶ峰を巻く。茶臼岳から下ってくると、これから進む登山道が見える。


急登が始まる恵比寿大黒岩の前あたりからは、朝日岳に登る一団が見える。あんな高いところに登るのかとかなり気持ちが萎える。


いよいよ、この日一番の急登が始まる。


急傾斜を苦労して登ってきただけあって、朝日岳頂上からの眺めは格別であった。

北側を望むと、熊見曽根(くまみのそね)から1900mピーク、清水平を経て三本槍岳に至る稜線が目の前に見える。稜線の手前側は崩壊して茶色だが、稜線のあたりは緑が映えてすばらしくいい景色である。

その緑の稜線を、おそらく小学生の団体と思われる団体が連なって歩くのが見える。まるで虫みたいだが人間である。普通の山だと高い木があってさえぎられるのだが、それがないので歩く人までくっきり見える。

すぐ近くの会津駒ヶ岳でも頂上は見通しが利かないので、森林限界ということではないと思われる。おそらく、ここは火山帯なので、頂上付近は樹木が育たないのであろう。那須以外ではあまり見ることのできない景色である。

振り返って南側を望むと、茶臼岳が霧に隠れたり現れたりしている。朝方は霧が立ち込めていた駐車場から避難小屋までの登山道もくっきり見えている。まさに、茶臼岳の中腹を左下から右上に斜めに登山道が作られているのである。時折霧が晴れると、車を止めた駐車場まで見えた。

ただ、朝日岳の頂上は狭いので、一度に多くの人が登ってくると密になってしまう。切りのいいところで、下りて場所を譲ることにした。朝日岳の肩まで下る途中にベンチがあったから、そこで休めるはずだ。

ところが、いくつかあるベンチが満員である。けしからんことに、いくつかのベンチをリュック置き場にしている連中がいた。おそらく、さきほど騒いでいた老人会と思われた。自分達以外は人間ではなく、鳥か虫だと思っているに違いない。

仕方ないので、峰の茶屋避難小屋まで戻ることにしたが、ここでもまた、数少ないベンチを2つ占領して、タバコを盛大にふかしているシニア夫婦がいた。きっと奥さんが嫌だから離れて吸っているのだろうが、周りの人だってみんな嫌である。

仕方がないので、朝と同じく小屋の外壁に作り付けのベンチに腰を下ろし、頂上恒例のフルーツを食べて一息つく。この日はファミマの冷凍パイナップル、下りてくる途中お腹が鳴ったので、練乳フランスパンも食べた。

那須岳には山中にトイレがなく、登山道が狭いうえにひっきりなしに人が通るので、結局麓まで約6時間トイレに行かずに済ませた。それもあって自分としては急いだ結果、ほぼコースタイムで往復できたのは上出来であった。

その晩ヒザが痛んでバンテリンのお世話になったが、翌日にはなんともなくそれ以降も痛むところはなかった。秋の休み明け緒戦で予定通り登れてどこも痛くならなかったというのは、数年来なかったことである。

最後にひとつ付け加えたいのは、おおるり閉館を受けて探した新たな宿泊場所のことである。今回選んだのはファミリーロッジ旅籠屋の那須店。素泊り1人1泊5,500円で値段は手頃である。

10部屋足らずの小規模な宿で、部屋に入るまでは昔のバンガローみたいだったが、中はビジネスホテルと同じである。ベッドはクイーンサイズでむしろビジネスホテルよりワイドである。地デジ、BS、Wifi完備。

コーヒーやお湯、電子レンジ類はフロントの共有スペースに行かなければならないし、時節柄部屋から出るとマスク着用、飲食は部屋でという対応となっていたけれど、まあ、安心して泊まれる宿である。次回は、那須店以外の旅籠屋を試してみるつもりである。

この日の経過
峰の茶屋駐車場(1470) 7:15
8:00 峰の茶屋跡避難小屋(1725) 8:10
9:00 茶臼岳(1915) 9:15
10:20 恵比寿大黒岩下(1740) 10:25
11:00 朝日岳(1896) 11:10
11:55 峰の茶屋跡避難小屋(1725) 12:10
13:10 峰の茶屋駐車場(1470) [GPS測定距離 7.9km]

[Nov 15, 2021]

なぜか、いつものようにくじけることもなく朝日岳の頂上に到達した。ここからは、熊見曽根、三本槍岳への眺めがすばらしい。ちょうど晴れて、雄大な稜線を望むことができた。


帰りは、茶臼岳の中腹を斜めに走る登山道を下って駐車場に帰る。ここからロープウェイに乗るには、また登って下らなくてはならない。


「おおるりショック」対応のため、今回は旅籠屋那須店を利用。素泊まり1人1泊5,500円。入るまでは昔のバンガローみたいですが、中はビジネスホテルと同じ。


鬼怒沼 [Oct 25-26, 2021]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

さてこれから秋の山だ、と張り切った途端に帯状疱疹になってしまった。 本も読めなければディスプレイを見ることもできない状態が1週間ほど続き、発疹が水膨れになりかさぶたになって治るまで約1ヶ月を要した。ルーティーンの散歩は早めに復帰したけれども、しばらくは様子を見ながらぼちぼち歩くしかなさそうだ。

この秋に予定していた一つは、実は半世紀前から行きたかった山であった。奥鬼怒温泉郷、私がその存在を知った当時は、まだ電気が通っておらずランプの宿と言われていた。奥鬼怒スーパー林道が開通したのが1993年、それ以前はまさしく秘境の宿だったのである。

2021年10月25日、ファミリーロッジ旅籠屋鬼怒川店を午前4時半に出た。有料道路を避けて気味悪い廃墟ホテル群の横を通り、川治ダムから県道を川俣方面に向かう。まだあたりは真っ暗である。

川俣ダムを渡る頃になって、ようやく周囲が明るくなってきた。ダムまでは昔より道が広くなったけれど、ダムより先は昔と同じくねくね道路である。熊肉料理の店(営業しているのだろうか)を過ぎるとまもなく川俣温泉、そして女夫渕(めおとぶち)である。午前6時ちょうど、1時間半かかって駐車場に着いた。

来る途中真っ暗だしすれ違う車もなかったので、駐車場はがらがらだと想像していたのに、なんと数十台止まっていたのには驚いた。ここにはかつて女夫渕温泉ホテルがあり、ホテル廃業後も温泉だけ営業していたと聞くが、いまでは何も残っていない。

休憩所とトイレだけの駐車場だが、すぐ横にauの基地局があるので家に最後のメールをする。ここより先、携帯の電波は届くかどうか分からない。

駐車場から橋を渡ると、すぐ右手に遊歩道への階段が現れる。この登りは階段だけではなくさらに続き、そこから急傾斜を下って再び鬼怒川沿いに出る。「鬼怒の中将乙姫橋」と銘板にある、立派な橋である。

乙姫橋から先は広い歩道とガイドブックにはあるのだが、そんなことはなくてここから先も登り下りのある登山道である。どうやら、土砂崩れで崩落してしまったらしい。基本的には、登山道に毛が生えた程度の道が続く。

日光澤温泉までは道幅のある遊歩道をのんびり行けばいいと思っていただけに、これは予定外のハードな道であった。しかも、路面が岩交じりのごつごつした道でたいへん歩きにくい。

そして、川から離れてまたガレ場に出たりするのだけれど、いつまで歩いても八丁の湯が見えてこない。1時間ちょっとで八丁の湯、そこから10分で加仁湯、さらに10分で日光澤だと思いこんでいただけにつらかった。まるで、槍沢ロッヂへの道のようである。もうすぐと書いてあっても、全然すぐではない。

1時間半歩いて、ようやく八丁の湯の前に出た時にはほっとした。ここから先は車も通れる幅の太い道が日光澤まで続く。そして、奥鬼怒温泉郷は3軒の宿がぽつんぽつんと点在しているのではなく、3軒ともほとんど同じ場所にあるというのは、歩いて初めて分かったのであった。

前日に県立だいや川公園から見た限りでは、翌日の鬼怒沼があんな景色とは想像できなかった。


鬼怒川を4時半に出たのに、女夫渕に着いたのは6時だった。途中ほとんど車はなかったのに、駐車場に何十台と止まっていてびっくり。


女夫渕から日光澤温泉までは奥鬼怒遊歩道を歩く。楽勝だと思っていたけれど、相当きつかった。八丁の湯までがとにかく遠かった。


コースタイム1時間40分の女夫渕・日光澤間に2時間以上かかり、日光澤温泉に到着したのは8時20分になった。予約時に、登りで通る時に手続きしてくれと言われていたので、ちょうど車のところにいたご主人に声をかける。

「上は雪ですよ。足元大丈夫ですか」
「一応、モンベルの登山靴なんですよ」

数日前に尾瀬周辺が雪とは知っていたけれど、登山道以外のところに積もっているくらいだろうと思っていた。登山靴は林道歩きが長いのでローカットを穿いてきたが、ちゃんと靴底のグリップは利くはずである。

朝食が3時だったので、玄関前の切り株椅子に腰かけてカロリーメイトで栄養補給。番犬のサンボが目の前に来て見ている。でも、「犬に食べ物を与えないでください。病気になります」と書いてある。だめなんだって、とお断りすると玄関前に戻って行った。

ちょうど奥さんも出てこられて、「2時から入れますから」とご案内いただいた。だいたい3時くらいに戻る予定です、とお話ししたところ、「4時までには入るようにして下さいね」と念押しされる。

まだ9時前だから大丈夫とは思うが、心配そうな口ぶりである。この時間で間に合わないことはないだろうと思う。とはいえ、谷間にある宿だから4時にはかなり暗くなっているはずだし、予報では午後から雨である。(結局、ぎりぎりになるのだ)

ところが、出発早々ミスをしてしまう。写真を撮りながら坂を登っていると、だいぶ登ったのに分岐が出てこない。スマホのナビで確認すると、なんと根名草山の登山道に入り込んでいた。あわてて戻る。

言い訳になるけれども、ガイドブックに「日光沢温泉から先は、いよいよ山道になる」と書いてあるので、そういう道だと思い込んでいた。実際は、あと700m、15分ほど先のヒナタオソロシの滝分岐まで、奥鬼怒遊歩道の続きである。

鬼怒沼方面と根名草山方面の分岐は宿から上がってすぐそこで、なんでこれを見逃したかというほど大きく書いてある。鬼怒沼方向に折れてすぐ温泉神社がある。二礼二拍手一礼で道間違いはこれくらいにしてほしいと、登山の無事をお願いする。

結局、鬼怒沼に向かったのは8時45分頃になってしまった。この時点で、予定より1時間遅れである。ただ、鬼怒沼山まで行くつもりで計画を立てていたので、鬼怒沼で引き返せばまだ余裕はあるはずだ。

新しくきれいな筬音橋(おさおとばし)を渡って、再び鬼怒川左岸を歩く。再び、八丁の湯でスーパー林道になる前の遊歩道規格である。左手に2つ3つと砂防ダムが連続して、川音がひときわ高く響く。

ヒナタオソロシの滝分岐を右に折れて、いよいよ山道が始まる。ガイドブックでは、八丁の湯・加仁湯間、加仁湯・日光澤間、日光澤・オロオソロシ展望台間はほとんど同じ距離に見えるのだけれど、とんでもない。前者2つは10分か15分の距離だが、日光澤より先は1時間以上かかる。

途中で斜面を見上げながら、まだ着かないのかなあと何度も小休止する。沢筋から尾根筋への典型的なスイッチバックの急坂である。ようやくオロオソロシの滝展望台に着いたのは、10時ちょうどだった。日光澤温泉から1時間15分かかった。

宿の前でそそくさと食べたカロリーメイトでは足りなかったので、リュックを下ろしてインスタントコーヒーとあんパンでお昼にする。このあんパンで、かなりHPが戻ってきた。(結局、これが最後の栄養補給になる)

オロオソロシノ滝は、滝と言うよりもオロオソロシ沢(根名草山の急斜面を流れる)の急流を対岸から見るという雰囲気で、水らしきものは見えるのだけれど、華厳の滝とか湯滝みたいな幅広の滝ではない。でも、ここでようやく対岸の展望が開けるのである。

登山道の傾斜はここまでがきつくて、ここから先は比較的緩くなる。しかしながら、ここから先は雪が出てくるのだった。

鬼怒沼への登山道は、日光澤温泉の渡り廊下をくぐって進む。すぐ先が根名草山登山道との分岐なので、ぼんやりして見過ごさないよう注意(私が間違えた)。


ヒナタオソロシ展望台の分岐で遊歩道と分かれる。傾斜がきつくなるのはここから。


オロオソロシ展望台で前面の眺めが開けるが、滝そのものは細くてよく見えない。傾斜はここから緩くなるが、路面に雪が出てきてスピードは出ない。


オロオソロシ展望台から上はやや傾斜がゆるくなるのだけれど、今度は太ももがぴくぴく痙攣し始めた。

以前のように固まって発作みたく動けなくなるというほどではないが、痛いしひどくなりそうで不安である。スラックスの上からもみながら、だましだまし歩く。ガイドブックには20分ほどで着くと書いてある日光白根山展望台まで、40分かかった。

ここでは根名草山の右後方、稜線の向こうから日光白根山が顔をのぞかせた。それほど距離はないはずなのに、ずいぶんと白くぼんやり見える。一応カメラで撮ったのだが、残念ながら写っていなかった。

直後の標識では、鬼怒沼まであと1.4km。ここから等高線の間隔が広いので傾斜はそれほどでもないはずだが、標高1800mを越えてとうとう路面がアイスバーンと化した。このあたりから木道が始まるが、木道の上の氷、最も滑りやすいパターンである。

これまで以上に慎重に歩く。こうなると、チェーンアイゼンを持ってきた方がよかったと思うが、今年5月の男体山で結局荷物のままで終わった苦い経験があるので、今回は持ってきていない。

そして、以前、燧ヶ岳から御池へ下りる途中の登山道が、熊沢田代より下はぬかるんで水気を多く含んでいたことを思い出した。おそらく、高層湿原の下の登山道にはどうしても水が出るので、気温が低くなれば当然凍り付いてアイスバーンとなる。ここも上に鬼怒沼があるので、燧ヶ岳と同じ条件となるのだ。

そして、ますます太ももの痙攣がきつくなる。徐々に範囲が広がってふくらはぎに近づいているのも不気味だ。こうやって足が攣るのも、久しぶりのことである。

そして、これも今更ながら思い出した。かつて足が攣った三条の湯にしても丹沢山にしても、房総・元清澄山にしても、燕山・加波山にしても、全部寒い時期だったのだ。

この時も、おそらく気温は0度に近い。私の足の痙攣は、疲れとか水分不足というよりも、寒さで起こるものだったのである。これまで、寒さに関してほとんど注意していなかった。迂闊なことである。

頭上の杉の木から断続的に雪の塊が落ちてくる。住宅地の屋根にある雪止めの氷と違って、直撃してもケガをすることはないだろうが、それでもびっくりして転ばないとは限らない。左右上下に気を配りつつ進んでいくと、突然目の前にシカが現れた。

段差があるので手は届かないものの、2~3mの至近距離にいて、ササの葉を食べている。こちらを気にしてはいるものの、お腹が空いている方が先に立つらしく食べるのをやめない。

木の皮を食べるくらいだから、ササの葉も食べるのだろうとその時思ったのだけれど、帰ってから調べるとササは冬の間のシカの主食だそうだ。

登山道がそちらに続くので、申し訳ないが近づくとのっそりと遠ざかって行った。それほど大きくなかったので今年の春生まれたシカだろうか。あんまり警戒心がないと、銃を持ってたら撃たれてしまうよ。

ここから上で、3組ほどのパーティーとすれ違った。シニア夫婦、女性の単独行、シニア夫婦の順である。日光澤温泉泊の私だからこの時間から登れるので、女夫渕まで戻るとしたらギリギリの時間かもしれない。

さて、当初予定では引き返すはずの12時を過ぎた。鬼怒沼まで0.7kmを過ぎたので、あと30分くらい。足も攣りそうだし引き返すかとも思ったが、あまりにも目的地が近すぎる。場合によっては着いてすぐに引き返すことになるかもしれないが、進むしかないと覚悟を決める。

残り0.4kmを過ぎたが、まだ鬼怒沼は見えない。とはいえ、頭の上に稜線があるような状況ではないので、それほど長くはかからないはずだ。足元に気を使いながら進む。傾斜はもはや気にならない。木道の上に厚く張り付いている氷だけが相手である。

と、木々の間から人工物が目に入った。あれは、ガイドブックによく出てくる鬼怒沼の案内看板ではないだろうか。近づいて行くと、まさにそうだった。林を抜けて、鬼怒沼高層湿原に入った。12時25分到着。

日光白根山展望台を過ぎると木道が出てくるが、あいにく雪で凍り付いている。あと1.4km、行けるのか?


木道の上は完全にアイスバーン、慎重に進む。ここまで来たら、行くしかない。


至近距離にシカさん登場。よほどお腹が空いていたのか、夢中でササの葉を食べていました。


12時25分、引き返し予定時刻を過ぎたけれど、なんとか鬼怒沼に到着した。 ガイドブック等で見覚えのある看板は、林から出てすぐ鬼怒沼の入り口に掲げられている。湿原の中に向かっている木道は2本あり、1本は凍っているが1本は乾いていた。その乾いている木道脇に、ベンチが置かれていて休むことができる。

さて、到着時間によってはすぐ戻らなければならないと思っていたが、せっかくだから少し奥まで入ってみよう。日光澤温泉からだいたい3時間半で登ってきたから、下りは3時間とみてあと30分くらいしかない。栄養補給している時間はない。

鬼怒沼高層湿原はほぼ平坦に広がっていて、進行方向は白く霞んでいる。天気がよければ燧ヶ岳が正面に見えるはずだが、行く手が白いのはきっと雲なんだろう。尾瀬沼からだって燧ヶ岳は雲の中ということがしばしばあるから、いくら近くても見えない時は見えない。

正面やや右手に見えるのが鬼怒沼山で、左の2141m独標点と右の2140m三角点の双耳峰である。計画ではあそこまで進む予定だったが、この路面状況ではいずれにしろ無理だったろう。

風はほとんどないが寒い。おそらく、氷点下まで冷えこんでいるはずである。しばらく乾いていた木道も再び氷結してしまった。それも、登山道のアイスバーンとは違って固く厚く凍っているのでたいへんすべりやすい。木道の境も不明瞭で、一度ずぼっと足を踏み込んでしまった。

見渡す限り誰もいない。最後にすれ違ったのは、単独行の女性だっただろうか夫婦2人だっただろうか、いずれにしても30分以上前にすれ違ったので、私がこの日最後の登山者と思われた。

奥(北)に向かって進むと、左右(東西)にも広く湿原が広がっているのが分かるけれども、地塘は凍り付いて湿原は雪で真っ白である。ベンチを一つ通過して、さらに方向表示の柱があるあたりまで進む。

行ってみると「大清水 6.0km」と書いてある。ここまでは鬼怒沼と奥鬼怒温泉だけが表示されていたけれども、ここまで来ると向こう側の表示が出てくるのだ。ただし、大清水へは物見山を越える険しい道で、もちろんこの時間では誰も向こうから来ない。

そろそろ引き返そうと思って振り返ると、いままで見えていなかった日光方面の山々が急に見えたのでびっくりした。

手前に見えるのは日光澤温泉から登山道がつながっている根名草山、その右の釣り鐘型に見えるのが金精山と思われた。温泉ヶ岳もこの方向のはずだが、根名草山に隠れた向こう側にあるものと思われた。

かなり苦労したけれども、なんとか所期の目的を達成することができた。これなら、登山記録に「鬼怒沼(撤退)」と書かなくてよさそうだ。時刻は12時45分、あとはケガをせずに日光澤温泉に下りるだけである。奥様に、「遅くとも4時までには戻ってくださいね」と言われているのだ。

樹林帯からいきなり景色が開けて鬼怒沼に到着。あたりは一面の銀世界。晴れていれば後方に燧ヶ岳のはず。


日本一標高の高い高層湿原は、まっさきに冬になる高層湿原でもありました。バックは鬼怒沼山。


時間が押していたので、鬼怒沼の真ん中くらいで引き返す。すると今度は日光方面の根名草山や金精山が間近に迫る。


さて、登りでは転倒しなかったが、アイスバーンで危ないのはむしろ下りである。ケガでもして動けなくなったら、最後の登山者なだけに翌朝まで誰も助けに来てくれない。

最も気を付けなくてはならないのは、標高1800mくらいまで。木道が凍っている日光白根山展望台までの間である。

慎重な上にも慎重を期して、かかとを強く踏み込んで滑らないよう細心の注意をして下りる。ぬかるみや水たまりに気を使っていられない。ともかく滑らないことが第一である。スピードは二の次である。

そう思っていたのに、この区間で都合3回滑った。2回はしりもちをつくくらいで済んだのだけれど、1度は派手に滑って右手で受け身をとらなければならなかった。おまけに、滑った瞬間に太ももが痙攣して、下が水たまりなので尻餅もつけず難儀した。

幸い、動けなくなるほどではなかったので、足をひきずりながら下り続ける。靴の中に水が入ったような感触があったけれど、がまんして歩く。鬼怒沼から0.4km、0.7km、少しずつ遠ざかる。第一目標の日光白根山展望台には、午後2時ちょうどに着いた。

アイスバーンのひどいところは通過したはずなので、いったん荷物を下ろして服装を整える。一生懸命下っている間にスラックスがずり落ちてきて、たいそう歩きにくい。午後から雨の予報だが、雪が融ける音なのか雨音なのかはっきりしない。すでに、日光白根山が見えなくなっている。

麓に近づくほど気温も上がってきて、太ももの痙攣もおさまってきた。30分ほどでオロオソロシ展望台。ここまで来れば大丈夫。まだ4時まで1時間半ほどある。そういえば、登りのこの場所でアンパンとコーヒーでお昼にしてから、水分補給だけで何も食べていない。

ここから先は雪もまったくなく、普通に歩いて下りることができた。最後の遊歩道ではまだ着かないのかと思ったけれど、午後4時に15分ほど残して日光澤温泉に到着することができた。

それでも、ご主人からは「予定時間より遅かったし、ローカットの靴なので大丈夫かと話してたんですよ」と言われてしまった。

「木道が凍ってて転んでしまって。あまり速く歩けませんでした。一応、モンベルの登山靴なんですよ」と言い訳。正直なところ、転んだのは靴のせいではなく、歩き方が悪かったせいだと思う。できればチェーンアイゼンがあった方がよかったが、木道を傷めるので良し悪しかもしれない。すれ違った人達もしてなかったし。

部屋に帰って着替えると、手足を何ヶ所かすりむいていたのと、左足親指の爪が真っ黒に変色していたのに気がついた。幸い、日光澤温泉はすり傷、打ち身、筋肉痛に効能がある。太ももの痛みは数日続いた。

予報通り夜になって大雨になり、露天風呂でゆっくりしようという目論見はくずれてしまった。翌朝まで降り続いていたので、上下レインウェアにリュックカバーも装備して出発、大事をとってスーパー林道経由とした。

右足と左足を交互に出していれば着くだろうと思っていたら最初の1時間はずっと登り坂で、最後の方にヘアピンカーブで一気に標高を下げるというハードな道だった。それでも日光澤温泉から2時間ちょっとだから、時間的には登りの遊歩道経由とほとんど変わらなかった。

この日の経過
女夫渕駐車場(1110) 6:15
7:55 八丁の湯(1304) 7:55
8:20 日光澤温泉(1400) 8:45
10:00 オロオソロシ展望台(1631) 10:20
11:00 日光白根山展望台(1820) 11:10
12:25 鬼怒沼(2023) 12:45
14:00 日光白根山展望台(1820) 14:10
14:40 オロオソロシ展望台(1631) 14:45
15:45 日光澤温泉(1400) 8:00
10:15 女夫渕駐車場(1110) [GPS測定距離 23.3km]

[Dec 20, 2021]

下りのアイスバーンは登り以上に気を付けなければならない。注意していたのに、3回滑って転んだ。


鬼怒沼から2時間でオロオソロシの滝展望台まで下りてきた。あと1.3km、もう雪はない。午後4時までには戻れそうだ。


翌朝はスーパー林道経由で女夫渕まで戻る。まだ紅葉もまばらなのに、上は雪とは驚いた。時間的には、遊歩道で登ったのとあまり変わらない。


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