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山小屋問題について       


立山・一ノ越[Sep 5, 2012]

さて、立山黒部アルペンルートで室堂まで来たというのに、全く歩かないのはつまらない。出張途中で疲れを残す訳にはいかないが、いつかまた来る時の予行演習ということで、立山登山道の一ノ越まで歩いてみることにした。

コースタイムは1時間弱。室堂に着いたのは1時過ぎなので、5時発の最終バスには余裕であろうと思われた。駅の周りを様子見してから1時10分過ぎにスタートする。室堂から東にそびえる立山連峰と、その南に続く室堂山の間、峠にあたる部分が一ノ越である。一ノ越には大きな山小屋があり、室堂からも見えるので目印になる。

歩き始めると、下が石畳なので結構歩きにくい。しかし一年のうちかなりの期間は雪と氷で凍結しているだろうから、この方が安全なのだろう。石畳道はくねくねと曲がりながら一ノ越まで続いている。ここまでは、特に装備がなくても大丈夫そうだ。とはいえ、この時期にもかかわらず下がアイスバーンという場所も一ヵ所残っていた。

しばらくはゆるやかな登り坂。何しろ標高が高いのであまりハイペースで進むと高山病に似た症状が出るおそれがある。ちょっと心配なのでスローペースで進む。何しろ出張途中で、次の日は朝からしっかり仕事が入っているのである。

この室堂から一ノ越のルートは、「孤高の人」加藤文太郎が登ったルートでもある(もっとも冬だが)。剱沢小屋で前のパーティーに追いついたところ、「ちゃんと案内人をつけて来い。案内人を雇う金がないなら冬山に来るな」と室堂に追い返されるのだが、直後に剱沢小屋は雪崩に襲われてしまうという場面がある。本当の話である。

新田次郎の小説にはそこまで書いていないのだが、この時加藤を追い返したパーティーのリーダーは華族の子息であった。それもあって、この時の捜索は当時としてはかなり大掛かりなものであったらしい(剱御前小舎のHPに当時の新聞記事がある)。

こうした背景を考えると、「カネのない奴は冬山に来るな」と言われた一介のサラリーマン加藤の心境は、たとえばミラージュのエグゼクティブルームに迷い込んだ私に、秋元康が「ここはミニマム1万ドルだから」と言ったようなものだろうと推し測れるのである。

一ノ越山荘が斜め上に近づいてくると、登り坂の勾配も険しくなる。道は狭くなり、しかも崩れた箇所が工事中で作業している人や資材があるので、すれ違いが困難である。そこに、立山まで登ってきたと思われる中学校の団体が連続して下りてきた。1クラス40名ほどをやり過ごすのも結構時間がかかる。それが6クラスほどあったので、かなり待ち時間があった。

とはいえそれが逆に休み時間になってよかったのか、一ノ越までの最後の急坂もそれほどバテずにクリアし、標高2700mの一ノ越へ到着。1時間10分ほどかかったものの、待ち時間を除けばほとんどコースタイム通り。私にしては上出来の部類である。時間さえあれば、あと300mも上がれそうな気がした。

一ノ越山荘の向こう側は、朝方抜けてきた後立山連峰。ここ立山は日本でも初めて氷河地形が確認された山崎カールがあり、他に何ヵ所も雪渓を望むことができる。ここまで高い場所に登ったのは、二十年くらい前に北横岳2480m以来のことで、新記録となる。(北横岳もピラタスロープウェイが2200mまで通じていて、たいして登った訳ではない)

山荘でスポーツドリンクを一気飲みして、下山する。今回は下山の際に重心を前に置くことを練習したらかなりのハイペースで前のパーティーを追い抜いてしまい、なんと30分で駅前広場まで下りてしまった。コースタイムを下回ったのは、山登り再開以来初めてである。その後、予定を大幅に上回る3時半のバスで富山に向かいました。

この日の経過
室堂駅前広場 13:10
14:20 一ノ越山荘 14:30
15:05 室堂駅前広場

[Oct 1, 2012]

登山道中ほどから室堂方面を振り返る。夏を過ぎたのに雪渓が残っていました。


一ノ越(建物の見えるあたり)までは標高差およそ300m。登山道を下りて来るのは、中学生の団体。


八方尾根から八方池 [Sep 22, 2012]

いつも一人で山登りなので、たまには奥さんを連れて行ってみようと思い、選んだのは八方尾根。ここは、標高770mのゴンドラリフト八方駅から3つのリフトを乗り継いで八方池山荘1830mまで一気に登り、そこから八方池2060mまでハイキングコースが整備されている。

JR白馬駅付近からジャンプ場やたくさんのリフトが見える八方尾根なのだが、ゴンドラリフトの駅までは狭い道を行くのでちょっと分かりにくい。私以外にも首都圏ナンバーの車が行ったり来たりしていた。ようやく駐車場に車を止めて、少し登ると駅。付近は閉まったままのお店が目立ち、貼り紙をみるとスキーシーズンのみ営業のようである。

子供が小さい頃はスキーに連れて行ったものだが、考えてみると二十年近くも前のことになる。スキーを履いていなければ、リフトの乗り降りも楽なものである。登りのリフトは視界が前方だが、時折振り返ると街並みがずいぶんと下に見える。長野県もここまで奥に入ると、無愛想なビルもあまりなく、外国のリゾートにいるみたいな景色である。

二台目、三台目のリフトを登る頃になるとだんだんガスが出てきて、見通しがきかなくなった。晴れていればかなり遠くまで見晴らせるはずなのだが、すぐ近くの山も霧にかすんでいる。リフトの終点となる八方池山荘からは、登山道(岩道)コースと木道コースに分かれる。奥さんの希望により木道コースを登ることにする。

このコースは傾斜が緩やかで、ほとんど普通に歩いているうちに1時間ほどで合流地点、標高2000mに着く。ここには水洗トイレが整備されていて、ハイキングの際には安心である。

石畳のようになっているハイキングコースを、さらに第二ケルン、八方ケルン、第三ケルンと通り過ぎて行く。このあたり、八方池からさらに上へ向かう登山者と、ヒールにスカートとほとんど下界の服装の人が混在していておもしろい。合流地点から30分ほどで八方池周辺へ。第三ケルンのある三角点の標高は2080mである。

お昼は八方池を見下ろす高台で、セブンイレブンで仕入れたゼリー飲料と菓子パン。1時間半ほどの登りなのでほとんど体力も使わず、もう少し登ってみたかったけれど、これ以上登ってしまうと帰れなくなるので今回はここまで。実はこの晩から大雨となったので、事故が多発している中高年登山者としてはこのあたりでよかったのであろう。

八方池は想像していたよりも小さくて、人が多かった。近くまで行ってみると水の中にたくさんのおたまじゃくしが泳いでいる。この池にはモリアオガエルがいるというから多分それだろう。モリアオガエルは9月頃に孵化して、冬までの1ヵ月ほどで成長するというから、短期間でがんばって生きて行かなければならない。冬は冬眠するのだろうか。

帰りは私は登山道、奥さんは木道を通って下る。登山道はかなりの急傾斜と書いてあったが、さすがに整備されていて危険個所はなかった。むしろ高水三山の方が危なかったくらいである。それでも八方池山荘に下りると奥さんが得意げな顔をして先に着いていたから、いずれにせよ私の上り下りは時間がかかるということである。

この日の経過
第一ケルン 11:00
11:55 八方池(昼食) 12:45
13:20  第一ケルン

[Oct 10, 2012]

八方尾根はスキー用のリフトを使って標高1830mまで登ります。


山の上はガスってました。後方にぼんやり写っているのは八方池。


水ノ塔山(スノーシュー) [Mar 27, 2014]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

3月末となると、春の山である。昨年はこの時期に雲取山に登ったのだが、今年は2月に降った大雪のため奥多摩・丹沢はまだ冬山である。ならば発想を転換して、この時期でもスノーシューで歩ける山に行ってみようということで、高峰高原を選んでみた。

上越新幹線で佐久平へ。ここからJRバスでアサマ2000スキー場まで登る。名前のとおり、すでに海抜2000mである。道路は除雪されているが、周囲はまだ雪が深い。ここから高峰温泉へは、冬の時期は車では行けない。宿の雪上車に乗って、1m以上積もった雪の中を進む。左右はスキー場のゲレンデである。

高峰温泉からは、各方向にスノーシューのコースがある。当初の予定ではそれほどアップダウンのない池の平湿原に行くつもりだったのだが、聞いてみたら途中の林道が雪崩のため通行止めとなっている。雪崩の危険がないのは山だということなので、急きょ水ノ塔山コースに行くことにした。

水ノ塔山は標高2200m。麓の高峰温泉からは250mほどの登りとなる。もちろん冬に行くのは初めてだが、夏には2度来たことがある。1回目は高校の林間学校で、水ノ塔山から篭ノ登山を経て高峰温泉に戻ってくるコースだった。水をあまり用意していなくて、たいへん喉がかわいたことを覚えている。もう1回は子供を連れて軽井沢の帰りに寄ったのだが、たいへん風が強くて途中で撤退したのだった。

宿でお昼を食べてから、スノーシューを装備する。この冬に新調したもので、ドッペルギャンガーアウトドアの製品。伸縮自在のストック2本が付いて1万円以内というお買い得品である。着脱も簡単にできるようになっている。その分取れやすいのではないかと心配したが結構足に密着して、少々もぐったりひねったりしたくらいではびくともしないのであった。

12時40分に高峰温泉を出発。宿のすぐ前から水ノ塔山へのコースが始まる。最初はスキー場のリフトに沿った登り坂で、踏み跡があるのでその上を行く。スキーでさえ20年近くやっていないしスノーシューは初めてなのでちょっと心配だったが、思っていたより足元は安定している。裏側に大きな金具が付いていて、これがアイゼンの役割を果たしているようだ。

と思ったら、一気に膝まで沈んでびっくりする。踏み跡は固くなっているのだけれど、そこをちょっと外すと深雪なので、際限なく沈んでしまうのだ。とはいってもスノーシューのおかげで膝くらいまでで何とか止まる。沈むだけではなく前に後ろに転んでしまう。ただ、何回か沈んで転ぶうちに要領が分かってきた。スキーと同様に膝にゆとりを持って、うまく体重移動をするのがコツのようだ。

ひとしきり登ると、うぐいす展望台というピークに達する。ここでうっかり行き過ぎてしまい、吹き溜まりの雪にずっぽり沈む。よく探したら、ピークからいったん林の中を下りていく赤テープがあるし、踏み跡もそちらに続いている。ただ、霧が出て来て展望がきかず、目指す水ノ塔山は中腹までしか見えない。

スノーシューでうぐいす展望台への斜面を登る。写真は振り返って高峰温泉方向。背後は高峰山。


霧が出てなかなか展望が開けない、わずかに池の平方面への林道方向が見えた。


翌日晴れてからよく見ると、高峰温泉の前にすぐ見えるのが、うぐいす展望台のピークである(下の写真)。そこから方向を変えていったん鞍部に下り、水ノ塔山への登りが始まる。ただしこの日は霧のせいで見通しが利かず、どこまで登ればいいのか全く分からなかった。

目印となるのは、木に付けられている赤テープである。とはいえ踏み跡と微妙にずれていることがあり、赤テープに直行すると深雪でもぐってしまうこともある。しかも、何人かが間違えたのだろう、赤テープと違う経路に続いていることも多い。トラバースして赤テープに戻れるケースもあるけれど、全く登れないルートで引き返すしかなくなることもあるから厄介である。

それでも、夏の場合はスイッチバックの行ったり来たりになるであろうルートが、雪の上なので自由に選べるのは楽しい。慣れてくると、わざと踏み跡のない場所を通って沈んでしまうのも楽しい。残念なのは展望がきかないことで、目指す水ノ塔山の頂上もあまりよく見えないし、通ってきた山麓方面も霧の中である。

急斜面を登り続けているうちに、なんとなく要領が分かってきた。スノーシューを地面に強く打ち込むようにして、爪(クランボン)で地面を確保するのがよさそうだ。そうすることによって、急斜面を最短経路で進むことができる。ただちょっと困るのは、つま先あたりが窮屈になって、ちょっと足が痛むところである。

かなりハードな運動なので、汗が噴き出てくる。時々、ストックを地面に突き立て、手袋を脱いで汗をふく。午後から晴れるという予報だったのでゴーグルも持ってきたのだが、依然として霧の中である。あるいは下から見ると、雲の中だったのかもしれない。

大分と標高を稼いだと思われる頃、岩に矢印で進行方向を示す印が見えてきた。そちらに進むのだろうと岩に近づいていくと、岩の周りが暖かいのか、雪が薄くなっていてかえって歩きにくい。どうやらこちらは夏道のようだ。林の方向に赤テープが見えたので、そちらに移動してさらに進む。

時計を見るともう3時近い。1時前にスタートしたので、5時に下りるためにはそろそろ引き返す必要がある。さすがに登りより下りの方が時間がかからないはずだし、切りのいいところまで着かないと中途半端である。さらに登ると、また岩に「↑」印が書いてあるところに出た。

頂上あたりまで登っても、まだ霧の中。ときどき横から霰が降ってきました。


翌日は快晴。右のピークが水ノ塔山で、頂上直下の雪があるあたりまで進出したと思われる。


周りをよく見ると、岩に書かれたペイントはそのまままっすぐ登ることを示している。ただ、ここから先は岩が露出していて、スノーシューで登るのは難しそうだ。右方向には林があり、その中に赤テープが見える。踏み跡もそちらに続いているようだ。直登の登り口に何か書かれている板切れが見える。近づくと、「スノーシューコース入口」と書いてあった。

背中のリュックから高峰温泉でもらったコース案内図を取り出す。水ノ塔山の頂上付近にはスノーシューコースは続いておらず、頂上直下を巻いて篭ノ登山方面に向かっているようだ。ということは、ここが終点ということである。最高到達点にストックを立てて記念撮影し、ここで引き返すことにする。ゆっくり休む場所がないのが残念だ。

反転して下りに移る。依然として、見通しはほとんど利かない。風も強くなってきて、しかも周りには誰もいない。麓から2時間ほど登ってきただけなのに、景色はまさしく冬山である。これが本当に冬山なら大変心細いところだ。出かける時に声掛けしてきたし、まさかスノーシューコースで遭難することもないだろうが、ここまで誰とも会っていないことは確かである。

意外だったのは、普通の下り以上にスノーシューの下りというのは歩きにくいことであった。おそらく夏道だとスイッチバックでくねくね下るのだろうが、スノーシューコースはほぼ最短経路を進むので傾斜が急である。それに、登りの時より傾斜がきつく感じる。かといってなだらかなコースを開拓しようとすると、また膝までもぐってしまう。前に倒れるのを心配して腰が引けると、後ろにひっくり返る。難しいものである。

しばらく下ると、登ってくる単独の人とすれ違った。「なんにも見えませんねー」と話をする。ここまでずっと人と会うことがなく、もし足でも折ったら大変だなあと思っていたので、ちょっと安心した。下った分少しだけ見通しが開けてきて、尾根道を進むコースがちゃんと見える。スキーで滑れれば一気に進みそうだが、スノーシューだと一歩一歩なのが残念である。

4時を過ぎて、あたりがちょっと暗くなってきた。ペースを上げるために、横向きでカニ歩きして下りる。これでかなりスピードアップした。心苦しいのは、踏み跡に変な段々を付けてしまうことだ。うぐいす展望台への鞍部まで下りてひと安心。ここで、また別のグループに追い抜かれる。登りでは会っていない人達なので、さらに先の篭ノ登山まで行ったのだろう。

最後のうぐいす展望台ピークへの登り下りをクリアして、宿に戻ったのは4時半頃。さすがに登りよりは時間がかからなかったものの、かなり苦戦した下りだった。通算4時間弱のスノーハイキングだったが、それだけで足腰がぱんぱんに張ってしまった。やはり中高年には、もっと平坦なコースがよかったようだ。とはいえ、初スノーシューでそこそこ登ったのはいい経験だった。

幸い高峰温泉は疲労回復に効果がある天然温泉なので、速攻で着替えて温かい湯船に向かったのでした。

この日の経過
高峰温泉 12:50
13:10 うぐいす展望台 13:15
14:00 2088m地点 14:05
14:50 頂上直下 14:55
16:05 うぐいす展望台 16:05
16:20 高峰温泉(GPS測定距離 2.6km)

[Apr 21,2014]

今回の到達点である巻き道分岐で撮影。スノーシューコースはここから頂上を巻いて篭ノ登山に続く。


慎重に尾根道を下る。スノーシューは登りより下りの方が難しかったです。


徳本峠&ジャンクションピーク [Jun 25, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

6月の終わりに、梅雨の中休みを狙って上高地に行くことにした。テント泊で経費を節減すれば、交通費の増える分を宿代の節約でカバーできるのではないかという胸算用である。小梨平をベースキャンプとして、天候が許せば2回のデイハイクをしようと計画を立てた。

上高地に行くのは2度目である。前回は登山ではなく観光だったので、大正池から明神まで梓川を遡り、対岸をバスターミナルまで戻るオーソドックスなコースを歩いた。したがって、明神より上流には行っていないし、標高差のあるコースも歩いていない。

そこで今回は、明神より上流へ行くコースと標高差のあるコースを選ぶことにした。まず初日は標高差のあるコースである。上高地からデイハイクとなると、徳本峠か、あるいは逆方向の岳沢が考えられる。今回は、徳本峠にした。徳本峠から霞沢岳方面に1時間歩いたところに、ジャンクションピークがある。1回目は、そこを目指す。

テント泊だから、日が暮れると眠り夜明けとともに起きる。午前4時に起きて朝の支度をし、デイパックを持って5時50分にスタート。着替えとかEPIガスはテントに置き、デイパックの中は雨具・ヘッデン等の緊急用品と行動食・非常食、水2リットルと地図類だけなので5kgにならないくらい。荷物が重くてへたばることはないが、2000mを超える山は久しぶりである。

久しぶりのテン泊なので心配したが思ったより熟睡できて、朝の体調は悪くない。前月の御前山よりずいぶん足が軽い。小梨平から明神まで、林間の道を歩く。

このあたりはほとんど平坦で、道幅も車が通れるくらい広い。ただ、明神に近づいたところで、川沿いで路肩が崩壊し、道幅の半分以上が崩れてしまっていた。もしかすると、このせいで明神のトイレが使用不能になっているのかもしれない。この箇所では林の中の迂回路に誘導され、さらにその奥に新しい林道が建設中であった。

この時間だと、まだ人はほとんど歩いてなくて、かわりにサルの群れが林道を川に向かっていた。私がすぐそばを歩いているのに、特に気にする様子もなく平然としている。そういえば、行きのバスで「サルや熊に絶対にエサは与えないでください」と注意があった。

崩壊地からすぐに、見覚えのある明神に到着。6時35分だから、キャンプ場から45分。河童橋・明神間が約1時間だから、キャンプ場まで歩いた分だけ短くなる。明神館前のベンチでひと休み。

さて、この日は標高差約900mのジャンクションピークが目標である。900mなら3時間というのが私の目安であるが、明神までの林道歩きも長いし、実際に歩かないとどのくらいかかるか分からないというのが正直なところである。「プロ・アドベンチャーレーサー」陽希くんは、上高地から霞沢岳まで登ってさらに蝶ヶ岳まで1日で歩いたが、私にはその半分でもきつい。

とはいえ、霞沢岳はいつか行ってみたい山であるので、その予行演習の意味もあって、ジャンクションピークを選んでみたのである。徳本峠・ジャンクションピーク間の約4倍が霞沢岳までの所要時間になるので、あまりに時間がかかるようならそもそも行くのは無理ということになる。

さて、明神から徳本峠の分岐まで、地図をみるとすぐのように感じたのだが、明神館が見えなくなってさらに林間を進み、橋をひとつ渡ってようやく分岐になった。7~8分はかかったと思う。

分岐のところには道標とともに注意書きの看板が立てられていて、ここから先は登山道なので登山装備がない人は入らないように、入る場合は必ず登山届を出すようにと書かれている。

そんなに険しい道なのだろうか、ヘルメットを持ってこないといけなかったかなと思ったが、よく考えるとこれはハイヒールと手提げバッグで入山するような観光客に対する注意だろう。実際に富士山では、そんな服装の外国人観光客が大勢入ってくると聞いた。地図・コンパスやヘッデン、雨具をちゃんと持っている人は、もちろん大丈夫なのである。

分岐を過ぎてしばらく、明神までの林道とほとんど変わらない平坦で広い道が続く。ただ、明神までは少ないとはいえ歩く人がいてすれ違ったり抜かれたりしていたのが、徳本峠への道に入るとほとんど誰もいなくなった。

朝の林道にはひと通りがなく、サルの群れが水を飲みに来ていた。サルも顔を洗うのだろうか。


明神を過ぎて7~8分歩くと、徳本峠方面への分岐となる。ここから先、登山装備がない人は入ってはいけないと書かれている。


分岐を過ぎ、林の中を徳本峠に向かう。しばらくは道幅の広い平坦な道が続く。


分岐を過ぎても当分の間は、砂利の敷かれた広い道が続く。タイヤの幅で轍(わだち)が2本続き、轍の間は草が生えている。常識的に考えると車が通った跡なのだが、この奥に何かあるのだろうか。30分ほど歩くと道は細くなり、本当の登山道となる。沢を渡る細い橋があったから、ここから先にはさすがに車は入れないはずである。

橋を渡ってしばらくすると、再び道が広くなった。さっきの橋を車で渡ることはできないから、歩行者のために広くなっているのだろう。うれしいことである。そして、いよいよ傾斜が急になってきた。

徳本峠への道は、黒沢という沢沿いを遡行していく。基本的には沢に並行して進むのだが、ときおりスイッチバックで標高を上げ、沢を十数m下に見る高い場所まで登ることもある。どことなく、甲武信ヶ岳の信濃川水源標への道に似ている。あの時は、早起きして登山道まで車で入ったためか足が重かった。今日は比較的足が軽い。

ガイドブックによると水場のある第1ベンチが休憩適地と書いてあるが、その前に沢と合流するあたりで、おあつらえ向きに登山道から河原に下りる道がある。たいして距離もないので、河原に下りてみた。水は岩の下にもぐってしまったのか、流れは見えないし音も聞こえない。ガレ場の適当な場所に腰を下ろすと、なんと明神岳・穂高岳が目の前にあった。

明神では、明神岳は上から迫ってくるような感じなのだけれど、徳本峠方向に遠ざかってかつ標高が上がったので、目の高さにピークがあるように感じる。さらに標高が上がって遮るもののない霞沢岳はさぞかしいい景色だろうと思った。今回はジャンクションピークまでだったけれど、この景色はこの後も樹間から目を楽しませてくれた。

ガレた河原でひと休みして出発すると、第1ベンチはすぐ先であった。ベンチ自体は傾いてしまって座るのは難しく、水場というのはすぐ横を流れている沢である。普通は水場といえば、地表に出てすぐの水であることが多いのだが、ここでははるか上から流れている沢の水を汲むようである。

ためしに水に触ってみると、冷たいことは冷たいがびっくりするほどではない。信濃川水源標の水がびっくりするほど冷たかったのを覚えているが、十数mでも地表を流れていると温まってしまうようである。ちょうど、水路を迂回させて田圃に入れる水を温かくしているのと同じ理屈であろう。

手持ちの水がなければここで汲んでいかなければならないが、まだ水は十分ある。この日はこのまま手持ちの水でやり繰りすることにした。(翌日に横尾の奥のワサビ沢で湧いていた水の方がずっと冷たかった。こちらは、特にガイドブックでは水場とは書いてなかったけれど)

第1ベンチを過ぎて、引き続き道はスイッチバックで標高を上げてゆく。この日唯一の梯子が現れるが、びっくりするほどの急傾斜ではないし、鎖やロープも現れない。荷物が軽かったせいかもしれないが、へたばることもなく歩くことができた。

次の第2ベンチは、ベンチというよりかつてベンチであった材木が置いてあるだけである。「徳本峠まで最後の水場」とあり、第1ベンチ同様に沢が流れてきているけれど、やはり地表に出てしばらく流れている水である。第1ベンチの沢よりかなり細いのは、上流だからだろう。

第2ベンチから上は、いよいよ沢から離れて登って行く。右手上の稜線も、だんだん近づいてきた。スイッチバックを3、4回繰り返すと、「徳本峠・島々」の標識に出た。残り距離が書いてないのが残念だが、いよいよ峠が近いような地形だ。さらに10分ほど登ると、「徳本峠0.2km」の標識のある分岐に到着。8時40分。予定していたよりも1時間早い。

明神から徳本峠のコースタイムは2時間半、ここまでかかった時間は休憩入れて1時間55分だから、コースタイムより速く登ってきたことになる。奥多摩でも丹沢でもコースタイムで歩けることなどほとんどないから、これは私にとって驚くべきことである。

分岐から30分ほど歩くと、道は本当の登山道となる。とはいえ、ずっと砂利が敷かれていて心配せずに歩ける道である。


標高が上がると、背後に明神岳・穂高岳の眺望が開ける。上に見えていた頂上がだんだん目の高さに近づいてうれしい。


明神から2時間で霞沢岳分岐に到着。コースタイムより速いのは、荷物が軽いとはいえ私にとって驚くべきことである。


さて、計画では徳本峠小屋でひと休みしてからジャンクションピークに向かう予定だったが、まだ時間が早いし体力にも余裕がある。残り標高差は300mほどなので、このまま直行することにした。「霞沢岳 4.3km」と書いてある方向に向かう。

しばらくは等高線に沿ったトラバース道が続くが、やや方向を変えるといよいよ本格的な登りが始まる。ここまでの登りとは、道幅も傾斜も全く違う本当の登山道である。ただ、路面には細かく砂利が敷かれて道は整備されている。

霞沢岳へは以前は登山道がなく、沢を詰め藪を漕いで上高地からの標高差約1200mを登ったという。近年になってようやく登山道が開かれたが、これには徳本峠小屋のスタッフはじめ有志のたいへんな努力があった。そのご苦労の甲斐あって、こうして体力のない私でも歩くことができる。ありがたいことである。

ただ、登山道としてはそれほど古くからあるものではないので、道幅が狭いのと休む場所がほとんどないのが厳しいところである。傾斜はかなりきつく、ジャンクションピークまでの標高差300mに対して距離は1kmほどしかないから、平均斜度は15度を上回るだろうか。これは私にとってかなりきつい坂である。

それでも、一晩眠ってここまで600mほどしか登っていないためか、それほどしんどい感はない。もし前の日に早起きしてバスに乗って、重い荷物でここまで登っていたら分からないが、へたばりそうにないのは心強い。

しばらく樹間から穂高岳方面への展望を望めたが、標高を上げるとやがて尾根の南側に出る。こちらは、新島々から徳本峠へと登ってくる方向である。いくつもの緑の尾根が続いていて、こちらもいい景色である。霞沢岳が見えないか西方向を窺うけれども、手前の大きな峰に遮られて見えないのは残念なことであった。

分岐点から登ること40~50分、ようやく上方向に峰が見えなくなってきた。スイックバックを何度かやり過ごすと、傾斜が目に見えて緩くなった。いよいよピークが近い。ジャンクションピークのあたりは、1/25000図によると高原状になっていて、丈の低い草が多い。水が流れた跡が深くえぐれていて、あと一歩で高層湿原になりそうな雰囲気である。

これまでの急傾斜から一転してほぼ平坦な道を元気百倍で進む。5分ほどで、ジャンクションピークの立札が立つ展望地に到着した。9時55分、霞沢岳分岐から1時間10分だから、私にしては快調といっていいペースである。

徳本峠小屋に泊まって霞沢岳を往復するコースタイムは8時間。ここまでの距離は霞沢岳のほぼ4分の1にあたるから、この日のペースで歩けば8時間から10時間の間で行って帰って来れることになる。これは、なんとかなりそうな数字でちょっとうれしかった。

ジャンクションピークはその名のとおり尾根の分かれ目になっていて、東に向かう霞沢岳への稜線と、南の島々方面に向かう稜線とに分かれる。そして、ジャンクションピークからは南への展望は開けているのだけど、残念ながら東への展望はない。霞沢岳を見るには、もう少し進まないと難しいようである。

せっかくのピークなので少しゆっくりしたかったのだが、一休みしていると大小いろんな虫が寄ってきた。そんなに大きくはないのだけれど、見るからに蜂の縞模様のある虫もいるので、腰を下ろしてゆっくりすることはできなかった。せっかくここまで登って来たのに名残り惜しかったけれど、山頂を後にする。

霞沢岳方面に向かうと、道はこれまでとは比較にならないくらい狭く険しくなる。ここは、近年になって開かれた登山道という。


ジャンクションピークのあたりは、地形図どおり高原状になっている。水が流れた跡が深くえぐれていて、丈の低い草も多く生えている。


分岐から1時間ちょっとで、ジャンクションピーク着。このペースで歩ければ、徳本峠小屋から日帰りで霞沢岳を往復することが可能である。


ジャンクションピークからの下りは、登りで感じた以上の急傾斜だった。この山域をはじめて歩いてみて、全体に傾斜はそれほど急ではないように感じていたのだが、朝一番で体力があったからそう感じただけで、結構な傾斜であった。

そして、なかなかスピードが出ない。霞沢岳分岐から1時間ちょっとでジャンクションピークまで登れたので、下りは40分か50分で着くだろうと思っていたら、とんでもない。なかなか下りれないのである。1時間近くかけて、ようやく徳本峠小屋へのショートカット分岐に着いた。

ショートカット分岐から小屋まではすぐだろうと思っていたら、ここもまた大変だった。まず、結構な登り坂である。この日はまだ早い時間だったのでそれほど消耗していなかったが、霞沢岳まで往復したら最後の難所となることは間違いない。

そして、ヌタ場のような歩きにくい場所を過ぎたら、行き先がよく分からなくなってしまった。明るくなっている上の方だろうと踏み跡を追っていくと、藪の中に入ってしまう。進めないこともないが、しばらく歩かれていないような道に見える。

仕方なく、間違いなさそうな太い道まで戻る。「展望台」と立て札が立っていて、いま進んだ方向の矢印には何が書いてあるのか字が薄くて読めない。下り方向には案内がないから、明神方面への道だろう。どこかで分岐を見逃したのだろうか。

もときたヌタ場の方向に戻ろうとしたその時、下の方から笑い声が聞こえてきた。これはと思って下り方向に進んでみると、木々の間、標高差で10mか15m下ったあたりに、建物があるのが見えた。徳本峠小屋は、いま迷っていた場所より下にあったのである。

このあたり、1/25000図を見れば明らかで、小屋は峠のすぐ上の独立標高点2160mから少し下った場所にある。しかし、ショートカット道は独標のすぐ横を通るので、小屋まではいったん登ってまた下ることになるのであった。11時25分、ジャンクションピークから1時間20分かかってやっと徳本峠小屋に着いた。

徳本峠小屋の前では、3人の先客が休んでいた。朝登ってくるときにすれ違ったのは1人だけだったのでどうなるかと思っていたら、平日の昼間に人がいるので少し安心した。売店に行ってみたが昼ごはんになりそうなものはカップラーメンくらいしかなかったので、コーラを1本買い非常食カロリーメイトとコーラでお昼にした。

小屋から少し離れ、テン場横のベンチで周囲を見回す。徳本峠小屋はWEBで見たのと同じで、手前に昔からの小屋が倒れる寸前という感じで建っていて、その向こうについ最近復活した小屋がきれいに建てられている。

明神から2時間ほどで登って来れるとはいえ、車が上がれる訳ではないので、荷物を上げるのは歩荷になる。そして、槍・穂高への主ルートではないので登山客も多くはない。小屋の人も常駐しているだけで大変だろう。近くに水場がなさそうなのも登山客以上に小屋の人にとって一苦労である。

よく知られるように、もともと上高地に入るのにトンネルなどなかったので、昔の登山者は新島々から谷筋を通り、ここを通って上高地に下った。かのウェストン氏もここを通った。だから、嘉門次小屋(ウェストン氏のガイド)は明神にある。昔はバスターミナルから入った訳ではないからだ。

この日は梅雨の中休みで天気もよく風もなく、たいへん過ごしやすい一日であった。欲を言えばもう少し涼しければ虫が少なく、ゆっくりしていられただろう。それでも下界に比べるとたいへん涼しいはずなのだが、虫にとっては千載一遇の好天で、炭酸の匂いをさせていれば寄ってくるのも仕方がない。

12時が近づいたので腰を上げる。小屋のまわりは木立ちに囲まれて展望はそれほどないのだが、テン場の隅に行くとようやく西方向が開けた。向こうに見えるのは、距離と高さから見て霞沢岳だろうか。そこから少し下って、ジャンクションピークの方向も見えた。

さすがにここからの下りは快調で、明神まで休みなく1時間45分で下りた。さらにベースキャンプのある小梨平まで1時間弱。午後3時前にはテントに戻ることができ、ゆっくり休んで着替えてから食事とお風呂のためクラブハウスへと向かったのでした。

この日の経過
小梨平キャンプ場 5:50
6:35 明神 6:45
7:30 黒沢河原 7:40
8:40 霞沢岳分岐 8:45
9:55 ジャンクションピーク 10:05
11:25 徳本峠小屋 11:50
13:35 明神 13:45
14:40 小梨平キャンプ場 [GPS測定距離 15.2km]

[Sep  3, 2018]

徳本峠小屋。WEBで見たとおり、前方に昔からの小屋がつっかえ棒に支えられて建ち、後方に最近建てられた新しい小屋がある。


テン場の隅から西方向が開けた。距離と高さからみて、霞沢岳かそれに続く稜線であろう。


明神方面へ少し下って、いま登ってきたジャンクションピークの方向を振り返る。頂上は高原状になっているので、下から見たのではよく分からない。


槍沢ロッジ [Jun 26, 2018]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

前日に徳本峠への「縦方向」を歩いたので、翌日は横尾方面への「横方向」である。標高差900mの登り下りをしたのでどこか痛くなるかと心配したが、テント泊にもかかわらず翌朝の体調もまずまずでどこも痛くない。眠りが浅いのは仕方ないけれど、真夜中の12時から2時くらいまでの記憶がないので、そこそこ眠れたようである。

今回の遠征では、テン泊で体調を崩さないことが最大の目的であり、計画通り歩けなかったとしてもあまり気にすることはないと思っていた。それでも、前日は予定通りジャンクションピークまで登ることができ、しかもコースタイムと比べても遜色ない速さであった。デイパックで荷物が軽かったとしても、気分のいいことである。

この日の計画を立てるにあたり、最初は涸沢まで往復することも考えてみた。しかし、往復するとコースタイムは11時間であり、朝の6時にスタートしても帰ってくるのは早くて夕方6時である。それも、コースタイムで歩ければの話であり、夕立などのアクシデントがあるともっと遅くなってしまう。

しかし、横尾折り返しとなると、今度は時間が短すぎて物足りない。その中間くらいの目的地はないかと探したところ、槍沢を遡上して槍沢ロッジまで横尾から1時間40分である。往復で約3時間、であれば上高地スタートで9時間となり、ちょうどいい時間になりそうだ。

問題は、横尾までの道は大丈夫としても、横尾から槍沢ロッジまでどうかということだが、標高差は200mほどなのでびっくりするほどの急傾斜ではなさそうだ。あとは人のあまり入らない荒れた道でないかということだが、なんといっても槍ヶ岳へのルートなので、そこそこ歩かれているはずである。ということで、このコースを選ぶことにした。

前日同様、午前4時には明るくなったので起床。EPIガスでお湯を沸かし、コーヒーとパン、野菜ジュースの朝食。まだ食糧には余裕があるけれども、食器を汚すと炊事場が遠いので簡単に済ます。仕度して、前日より10分早く5時40分に出発した。

前の日にはサルの群れに遭遇したのだけれど、この日は鳥にたくさん出くわした。森に棲む野鳥は当然として、鳩とか雀が多くいたのは意外だった。鳩の食べるような穀物とか豆類はあまりないような気がするのだが。

40分歩いて明神着。水分補給してすぐに出発。7~8分で徳本峠分岐となり、この日は左へ進路を取る。ガイドブックでは明神から徳澤、徳澤から横尾はそれぞれ1時間、顕著な起伏もなく上高地から明神と似たようなハイキングコースのはずである。

徳澤が近くなると、梓川沿いに出た。キャンプ場ではすぐ近くを水が音を立てて流れていたが、このあたりは砂利におおわれた河原である。対岸は明神岳から屏風岩へと続く涸沢へのコースになる。右の尾根は蝶ヶ岳・常念岳へと続く稜線で、正面に見える小さなピークが、槍沢と涸沢の分岐、つまり横尾のあたりになるのだろうか。

再び林の中に入り、しばらくすると「日本アルプス・徳澤ロッヂ」の看板が出てきた。このあたり、徳澤ロッヂ方向と徳澤園方向で道が入り組んでいるが、横尾方面へは徳澤園に進む。左手に公衆トイレが出て来ると、その向こうは広々とした草原となっており、いくつかテントが見える。徳澤キャンプ場である。

そういえば、この間「山と渓谷」の北アルプス特集に昔の写真がいっぱい載っていて、かつて徳澤には牧場があったそうである。言われてみると、このあたり一帯平らで開けていて、気候はもちろん冷涼である。牧場にはもってこいの場所であろう。

この号の昔の写真には、若い人がカニ型リュックを背負い、新宿に中央本線に上高地にあふれている様子も写っている。その頃私も同じような恰好で北海道に行っていたので、かなりなつかしい。上高地から涸沢方面へ、数珠つなぎの行列で登山者が山に向かっている。今や昔であるが、こんなに混んでいたら絶対に来ないと思う。

さて、このキャンプ場ではサルが悪さをするというWEB情報を見たことがあるが、トイレ前に注意書きがあって、「テントの外に食糧を置かないでください。野生動物が取りに来ます」「クマ、サル、イノシシ等でケガをしても責任は負いません」などものものしいことが書かれている。

トイレからテン場を通って水場まではずいぶんと距離がある。私の泊まった小梨平もかなり遠かったが、テントが少ないので余計に遠く感じた。水場は環境庁が整備したもので、地下から井戸水を上げていると書かれていた。炊事場のゴミは持ち帰りなので、小梨平よりも厳しい。

水場の隣に休憩ベンチがあり、そのベンチから登山道をはさんで徳澤園がある。明神には宿の前に自動販売機があったが、ここには見えない。ただし、食堂は朝からやっているので、ここまで来れば朝ご飯を食べることができる。徳澤園を右に入ると蝶ヶ岳への登山道となる。

資材運搬路はあるものの、上高地では一般の車両は通行できないので、上高地から明神、明神から徳澤と入るほどに人里離れたように思われる。それでも、徳澤ロッヂにしても徳澤園にしても山小屋というほど簡素ではなく、ホテルに近い感じである。もちろん、お風呂もある。

徳澤に近づくと、梓川の河原が目の前に広がる。対岸は屏風岩へと続き、右手は蝶ヶ岳への稜線となる。


徳澤ロッヂと徳澤園の間に広大な草原のテント場がある。ただし、野生動物注意。


徳澤園の食堂は、朝から営業しているようです。徳澤園の前を通ると、蝶ヶ岳への登山道となる。


徳澤園を過ぎて、林間の登山道を進む。すぐに左右に分かれるが、左の道は作業道のようで道標は右を指示している。引き続き道は平坦で、距離がどんどん出る。小梨平キャンプ場から横尾まで片道約12kmあるから、山歩きというよりもお遍路のようである。

10分ちょっと歩くと、梓川に大きな橋がかかっている。新村橋である。ここを渡り、屏風岩の上を通って涸沢に登ることもできる。距離は相当短くなるが、強烈なアップダウンがあるので時間は多くかかるというハードな道のりである。もちろん、渡らずに先に進む。

新村橋を過ぎて梓川の河原に、ずいぶん小ぶりの橋が見える。新村橋は数十mあるが、見た感じ数mしかなくて、河原の砂利の中を道が続いているようだ。その上にタイヤのような跡があるように見える。1/25000図にも電子国土にも載っていないが、新しく道ができたのだろうか。

やがて登山道から河原に入る道が出てきて、「資材運搬路・立入禁止」とトラロープが張ってあった。この運搬路は1/25000図にも載っていて、梓川右岸を上高地から新村橋の先まで伸びている。おそらくこの道が、河川敷から伸びているのだろう。

梓川沿いの道を1時間ほど進むと、行く手に茶色の建物が見えてきた。横尾である。徳澤寄りに大きな古い建物があり、営林署避難小屋と書いてある。避難小屋というからには荒天の時には避難できるのかもしれないが、入口にはトラロープが張られて入れないようになっている。

営林署避難小屋の隣が小ぶりのキャンプ場トイレ、その次に公衆トイレと水場、ともに真新しい。そしてその隣が横尾山荘である。こちらの建物もたいへん新しく、滝澤のホテルと比べると小振りだけれども奥多摩・丹沢水準からするとずいぶん立派な施設である。

滝澤に自動販売機がなかったので横尾にもないのかなと思っていたら、意外にも山荘前に3台の自動販売機が置かれていた。しかも、1台はビールである。ビールの自販機というのは、尾瀬では見たことがあるが奥多摩・丹沢ではない。しかも、山荘の外に置いてあるので、立ち寄りの登山者でも買うことができる。

さすがに午前中からビールを飲む訳にはいかず、400円の炭酸水を買ってベンチで一息つく。その間、徳澤方向から軽トラックが走ってきた。さきほど見た、河川敷の運搬路を通ってきたらしい。新しいベンチを設備したりいろいろ作業していたが、気が付くと自販機の空き缶がなくなっていたので、お掃除もしてくれるらしい。

山荘前のベンチからは正面に横尾大橋が見える。ここを渡ると屏風岩を回り込んで涸沢に至る。ここから涸沢まで登ると往復6時間かかるので、日帰りは難しいと思って回避した経緯にある。いま時刻は午前9時なので、涸沢に行くと休みなく歩いてもここに戻ってくるのは午後3時、小梨平キャンプ場に戻ると午後6時で暗くなる。

だから、槍沢沿いに槍沢ロッジに向かう計画としたのだが、それだとコースタイムは4時間なので午後1時にはここに戻って来られる。スムーズに歩けてお昼のメニューがあれば、槍沢ロッジで食べてくることもできる。キャンプ場に午後4時に帰れば、ゆっくりお風呂に入ることができる。

とはいえ、それは順調に歩ければの話なので、10分休んで出発する。横尾山荘の前を通って奥の標識、「槍ヶ岳」と書いてある方向へと進む。ここまでは登山道というよりも林道でほとんど平坦だったが、ここからは本当の登山道となる。

徳澤からしばらく、林間コースを歩く。やがて新村橋で、再び梓川沿いに出る。


徳澤から約1時間で横尾。手前の古い建物が営林署避難小屋。キャンプ場トイレ、公衆トイレと続いて、その奥が横尾山荘。ちらっと自販機が見える。


目の前の横尾大橋を渡って屏風岩に沿って進むと、涸沢へと至る。この日はここを渡らず横尾山荘前を槍沢方向に向かう。


横尾山荘から槍沢沿いに入る道は、これまでとは全く違った細い道なので最初はびびった。ただ、しばらく進んでも林間の平らな道だし、路盤には細かな砂利が敷かれて歩きやすいし、ちょうど槍ヶ岳方面から下山してくる大きなリュックの人達とすれ違ったので落ち着いた。よく見ると、奥多摩・丹沢の普通の登山道と変わりはない。

はじめのうち梯子や急傾斜があったが、その後は横尾までと同じ沢沿いの道で、違うのは道幅だけである。地面が簡易舗装をしたみたいに見える。これはおそらく地盤の関係で、安山岩系の細かな粒子が沢沿いの水分で固形化してしまったものと想像した。

左からは槍沢の水音が大きく響く。雪解け水で水量が増しているのだろう。来るまでは雪渓が残っているのではないかと少し心配したが、ここまでのところ残っているところはない。来る時にバスの運転手さんが、今年は雪が少ないと話していたことを思い出した。

右手は700~800m上に蝶ヶ岳から常念岳への稜線が続いているはずだが、傾斜の関係だろうか、100~200m上には空が見える。あそこが稜線だと思って沢を登って行くと、きっとひどい目に遭うんだろう。やがて、そこら中が水場ではないかと思えるくらい、森の中から水が湧いている場所に出た。

1/25000図では、横尾と一の俣の中間に位置するワサビ沢と書いてあるあたりである。地図に青線が描かれていないような細い流れだが、それだけ近くから湧いているということである。触ってみると、とても冷たかった。前日の徳本峠前の水場よりも、ずっと冷たい。

飲み水として補給するならこちらの方がかなり安心なように思うが、ガイドブックには水場とは書いていないし、この日は手持ちの水は十分ある。せっかくだが通り過ぎた。

ワサビ沢を過ぎて、再び槍沢沿いと林間を行ったり来たりする。傾斜はほとんどないので、かなり速く歩けているようだ。横尾から40分ほど歩いて、立派な橋を渡る。一の俣である。

橋を渡ったところが広くなっていて、「←槍ヶ岳 上高地→」という案内標が立つ。沢沿いに平らな石がいくつか置かれているので、ここで一休み。1/25000図をみるとこのあたりが標高1705mで、槍沢ロッジまであと標高差100m。ただし、最後に沢から50mほど登るので、そこがきついかもしれない。10分休んで出発。

一の俣を過ぎて、右手から山が崩れている落石注意の場所を通り過ぎ、もう一つ立派な橋を渡ると二の俣である。ここから先は、ずっと槍沢沿いを遡上する。

二の俣を過ぎて、とうとう対岸に雪渓が現れた。沢との合流点まで雪渓が下りてきて、そこで溶けて沢の水になっている。まだ6月なので山は暖かくなったばかり、よく見ると谷の上の方はずいぶん雪が残っている。

と言っていたら、沢のこちら側にも雪渓が現れた。杉の枯れ枝が積もっていて遠くから分からなかったが、下は雪であった。堅さを確かめ、乗っても崩れないところを慎重に通過する。幸い、沢のこちら側ではその1ヵ所だけであった。

もう少し歩いて小さな沢が合流するあたりを過ぎると、いよいよ槍沢ロッジに向けて沢筋を離れ、標高を上げていく。「もうすぐ槍沢ロッヂ がんばって!!」の立札が立つが、こういう看板の常としてもうすぐではない。石畳みの急坂を登り、階段状の道を登って、5~6分は歩かなければならない。

それでも、石垣と茶色い槍沢ロッジの建物が見えてくれば、あとはすぐである。10時35分槍沢ロッジ着。横尾からは1時間半、1/25000の間隔からすると、上高地から横尾までとそれほど変わらないくらいの速さで着くことができた。雪渓の場所を除き、危険個所もなかった。

横尾を過ぎるとにわかに道幅が狭くなり、ちょっとびびる。とはいえ、道幅が違うだけで横尾までと同じく沢沿いのなだらかな坂である。


一の俣、二の俣で橋を渡ると、いよいよ槍沢沿いの登り坂となる。雪渓が残っていることが心配だったが、幸いに1ヵ所だけであった。


1/25000図どおり、沢沿いから離れて少し急な坂を登ると、槍沢ロッジが見えてくる。かつて槍沢小屋はさらに上のババ平にあったが、雪崩の被害により現在地に建て替えられたそうだ。


槍沢ロッジは横尾から1時間半だから、上高地バスターミナルからは約5時間奥にある。槍沢を詰めて稜線に登れば槍ヶ岳で、あと4時間苦しめば天下の槍ヶ岳に達することができる。

今回は、槍沢ロッジで引き返して小梨平に戻ったが、この話をキャンプ場のスタッフさんに話したところ「どうせならババ平まで行けばよかったのに」という意見であった。ババ平という所を知らなかったのだが、帰ってから調べたところ、槍沢ロッジから1時間弱さらに登ったところ、以前槍沢小屋があった場所だそうである。

この旧・槍沢小屋は冬場の雪崩被害で現在の位置に移されたが、もともとの場所も河原が広く景色もいいので、現在もキャンプ場として利用されている。槍沢ロッジのスタッフにより水も引かれトイレも新築されて、なかなかいい場所のようである。ただ、この時は下調べが足りなくて、ババ平という地名さえ知らなかったのだ。

という訳で、この日の目的地である槍沢ロッジに着いた。時刻は午前10時35分。横尾から休憩を入れて1時間半だから、ほぼコースタイムである。

前日の徳本峠はかなり暑く感じたのだが、この日は沢沿いのためかそれほど暑さは感じなくて、むしろさわやかな風が流れていた。事前にWEBを見ると、ここ槍沢ロッジでは11時から昼食メニューがあるというのでそれを楽しみにしてきた。中に入るとこの時間でも大丈夫だったので、さっそくカレーライスをお願いする。

「中でも外でも食べれますよ」と言われたのだが、外だと小さな虫が寄って来るのでロッジの中にあるテーブルで待つ。

たいへんきれいな山小屋で、スタッフの人が掃除中である。みんな若い人だ。奥多摩・丹沢だと大抵おじさんの小屋番で、若い人というと奥多摩小屋の非常識小屋番(!)のようになってしまうのだが、こちらは若いのにみなさん礼儀正しい。これがあるべき姿とはいえ、うれしくなってしまう。

カレーライスは金属のお皿に乗っていて、1000円。メニューをみると牛丼や中華丼、焼き鳥丼もあって、すべて1000円均一である。食後は、インスタントコーヒーとポットのお湯が置いてあって、セルフサービス100円。これもまた気が利いている。

お昼ご飯を下から持ってくるのもおいしいが、こうして何時間も歩いた先に食べるものが置いてあるのもうれしい。横尾までは軽トラが入るが、もちろんここは歩荷とヘリのみ。沢がすぐ近くを流れているのは好条件とはいえ、山小屋のスタッフには頭が下がる。

おいしくカレーをいただいて、ロッジの前に出る。小屋の前が広くなっているのはヘリポートで、その奥へと登山道は続いている。そこに、三脚が立てられていて、添えられたカードに「槍が見えるよ」と書いてある。

備え付けてある双眼鏡をのぞくと、樹間からわずかに見える槍ヶ岳が拡大されている。肉眼でも見えるけれども、枝の間からわずかに穂先が望めるくらい小さくしか見えない。歩くとあと4時間、1/25000図では20cmほどなのに、ずいぶん遠くにあるのだなと思った。

そういえば、横尾から槍沢を遡る途中でも、方角的には谷の先は槍ヶ岳のはずなのだが、周囲の木々と岩に遮られて槍ヶ岳は見えなかった。ここまで来て、双眼鏡越しとはいえようやく間近に見ることができた。今回の遠征の締めくくりにふさわしい情景であった。

帰りは横尾まで1時間半、その後もそれぞれ1時間の林道歩きで徳澤、明神と通過し、15時半に小梨平キャンプ場に戻った。その日の夜中から大雨になったのだが、夕方の時点では風もなく天気もよく、テント泊最後の夜をのんびりと迎えたのでした。

この日の経過
小梨平キャンプ場 5:40
6:20 明神 6:25
7:25 徳澤 7:40
8:45 横尾 9:05
9:50 一の俣 10:00
10:35 槍沢ロッジ 11:10
12:35 横尾 12:45
13:45 徳澤 13:50
14:40 明神 14:50
15:30 小梨平キャンプ場 [GPS測定距離 27.6km]

[Oct 1, 2018]

槍沢ロッジでカレーライスの昼食。ここまで登って食べるカレーライスはおいしい。


ヘリポートには双眼鏡がセットしてあり、覗くと「槍が見えるよ」。


木々の間からうっすらと槍の穂先が見える。実際に目にするともう少し近くまで行ってみたくなる。

北 岳 [Jun 25-26, 2019]

   
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

次の山行はキャンプを予定していたのだけれど、梅雨に入ってしまい大気状態の不安定な日が続いた。去年のように梅雨の中休みがないものだろうかと待っていたのだけれど、なかなかそういうチャンスはない。天気が悪い日のテント泊は上高地で懲りたし、雨上がりで虫が多くなるのも嫌だ。

すると、天気予報では6月25日~26日の2日間だけいい天気という予報が出た。前日午前中まで雨で、翌日も雨というまさにピンポイントである。テン泊は無理でも、小屋泊まりなら大丈夫そうだ。(実際に、翌日には台風3号が接近した)

たまたま少し前のBS・新日本風土記の再放送で、農取小屋のじいさんが出ていた。農取小屋まで2日では難しいが(そもそも小屋の難易度が高すぎる)、せめて北岳くらいは何とかならないか。前の週からバスが走っていて、まだそれほど混まない時期でしかも平日である。

午前中のバスで広河原まで入って、白根御池小屋に1泊。翌朝は早出して北岳を往復、そのまま広河原に下りて16時40分のバスに乗ればいい天気のうちに戻って来られる。万一バスの時刻まで下山できない場合には、広河原山荘に後泊ということになる。そうならないよう、2日目はできるだけ早く行動しなければならない。

6月25日、始発電車で都心に向かう。7時のあずさに乗れればいいと思っていたが、6時過ぎに新宿。駅で50分待っているのも何なので、そのまま各駅停車に乗っていた。車内放送で、国分寺から特快に乗ると立川で大月行に接続するという。せっかくのご案内なので、そうすることにした。

甲府までこのまま各駅というつもりではなかったが、できるだけ先で特急に乗り換えれば特急料金が安く済むと思ったからである。しかし、この春からあずさが全席指定になったことまでは知らなかった。大月で駅の掲示を見てそれを知り、いったん外に出て甲府までの特急券を買う。750円と安く済んだが、車内で買うと少し高くなるらしい。

甲府駅には8時半着。バス停には見たところ20人ほどの登山客が並んでいたが、これなら座れるだろうとコンビニで飲み物を買っていた時間が余計だった。バスは普通の路線バスで、座席よりも立った客を乗せる仕様である。私の2、3人前ですべての座席が埋まり、立ってバスに乗ることになってしまった。

広河原まで2時間立ちを覚悟したのだけれど、幸いに立っているのは10人ほどでスペースには余裕があった。そして、夜叉神峠で10人ほど下りたので、甲府から乗った人は全員、最後の30分座ることができた。

贅沢は言えない。というのは、見た目80代のシニア添乗員2名が最初から最後まで立ったままなのである。この添乗員は案内とか切符の回収など昔の車掌さんの仕事の他に、林道に入ってからの対向車との無線連絡の仕事もしている。大型車がすれ違いできない狭い道である上に、カーブの連続で運転手が無線をやりながら運転というのは危険なためであろう。

11時少し前に広河原到着。広河原は南アルプスの玄関口という印象があるけれども、ビジターセンターとバス乗り場の他には何もない。ビジターセンターに入ると、トイレは水洗なのだが手洗いはアルコールである。往きはいいけれども汗だくで下りてきて顔も洗えないのは厳しいなと早くも帰りのことが心配になった。

通行止めゲートを越え、TVによく出る吊り橋を渡ると広河原山荘である。川に面した場所にベンチがあったので、登りに入る前にお昼にする。COMOの長期熟成パン、パインヨーグルト味である。食べている後ろを、プロパンガスのボンベを運ぶ業者さんが通り過ぎた。ここまでは車で運べるが、この先はヘリでしか運べない場所になる。

この日のリュックは11kg。いつもよりは重いが、キャンプ用品がないのでまだ大丈夫のはずである。歩き始めは意識してゆっくり歩く。後ろから来る人達にはパスしてもらう。見た目ゆっくりな人も、追い抜かずそれ以上にゆっくり歩く。数年前、いい気になって飛ばした大山で大変な目にあっている。

大きな水音を聞きながら、沢に沿ってしばらく歩く。合流する小さな沢を越えると、直進する大樺沢ルートと離れて右に折れるのが白根御池小屋へのルートである。ここから標高差およそ600mの急坂であるが、なぜか登りではそれほどの急傾斜とは思わなかった。早起きして7時間の移動後ではあったのだが、まだ体力に余裕があったのかもしれない。

ここの登りでは目標にしやすいベンチが2つある。第一ベンチには12時35分に着いた。近くの案内表示に「広河原から登りで1時間20分」と書いてあったので、あんなにゆっくり登ったのにコースタイムより早いとびっくりした。次の第二ベンチまで20分と書いてあるのを消して40分とある。きっと登りが40分下りが20分なんだろうと思った。

表示どおり、40分で第二ベンチ。ここからしばらく登ると、ほどなくトラバースとなる。こんなに早くトラバース道に出られるとは思わなかったので、すごくうれしい。しばらくすると、「白根御池小屋まで20分」という看板が出てくる。あと20分ならすぐのはずなのだが、もちろんそんなに楽ではなかったのである。

甲府からのバスは満員で立たなくてはならなかった。初めての広河原は南アルプスの玄関口だが、北アルプスの上高地とは大分違う。


白根御池小屋へは標高差600mの登り。第一・第二ベンチが目標となる。ここは第二ベンチ。


第二ベンチから標高差150mほどで稜線だが、アップダウンがありそれほど楽ではない。「御池小屋まで20分」のこの看板から、往きは30分、帰りは35分かかった。


「白根御池小屋まで20分」の表示を見てうれしくなってしまったのだが、これは早合点であった。標高差のほとんどないトラバース道なのだがいくつも沢を越えるのでアップダウンがあり、距離もかなり長い。往きではここから30分かかった(帰りはもっとかかったのだが)。

それでも、それほど消耗せずに小屋が見えてきた時にはうれしかった。建物は見た目にも新しく、テントもいくつか見える。到着したのは14時35分。広河原から3時間15分だから、ほぼコースタイムである。帰りは2時間で下れると思ってしまい、翌日大変な目に遭うのだが、それはまだ後の話である。

受付をしてびっくりしたのは、建物が新しいだけでなくスタッフもみんな若くて、小ざっぱりしていたことである。男の子も女の子も20代そこそこで、みんなきびきびと働いている。農取親父の新日本風土記を見たばかりなので、あまりのギャップに驚いてしまった。

指定された布団は「シナノキンバイ青の4」、この部屋は8人部屋で、青というのは1人布団1枚の番号だった。赤の番号は2人で布団1枚である。赤にならなくてよかった。2階の隅にカーテンで仕切られた更衣室があり、トイレは1、2階とも水洗。廊下とトイレは常夜灯があるので、夜もヘッデンなしで大丈夫。ただし、部屋が一杯だと人を踏んづける危険はある。

夕食まで2時間以上あるので、着替えてゆっくりする。備え付けのサンダルで外に出てみた。白根御池は思ったより小さかったが、すぐ横の斜面はかなり上まで雪渓なので、夏になるとこれが溶けてもう少し池が大きくなるのだろう。

この池は日照りの時でも枯れることがないため、昔は雨乞いの儀式が行われたという。説明看板には牛の骨と書いてあったが、愛読する筒井功氏によると、雨乞いは古くは牛の生首がいけにえであったらしい。わざと穢れたものを投げ込むことにより、水神を怒らせて雨を降らせるのだという。

その後は小屋に戻り、大広間でビールを飲みながらまったり過ごす。大広間はフローリングで、ストーブが焚いてある。壁に寄りかかってビールをいただきながら、置いてあるガイドブックやコミックスを見る。コミックスの種類は「マスターキートン」や「のだめカンタービレ」などがあり、新旧ランダムであった。

夕方5時になり夕食。この日は天気がよく予約なしのお客さんもいたようで、5時と5時半の2回。私は到着も早かったので、5時の1番テーブルを指定された。すでにご飯とお吸い物がセットされていて、お代わりもスタッフがよそってくれる。

おかずはお重にセットされていて、酢豚(鶏かも)、タケノコとシーチキン、切干大根、ポテトサラダと刻みキャベツ、お新香、デザートに餡団子もある。食材の調達もヘリか歩荷なので、それを考えるとたいへんに手が込んでいる。もちろん、おいしくいただいた。

夕食後に、朝のお弁当が配られる。翌朝の朝食時間が5時からだったので、少しでも早く出たくて弁当に替えてもらったのだ。夕食が終わって部屋に戻る。この時は気付かなかったが、飛び込みのお客さんがさらに続き、談話室に使われていた大広間に泊まる人も出たのであった。

この日の朝が4時起きだったので、6時を過ぎたら布団で横になる。敷布団も掛布団も真新しかった。掛布団は羽毛布団が1人2枚。夜中にかなり冷えたので2枚とも使った。うとうとしている間に午後8時の消灯時間となった。部屋は8人満杯で、お向かいの人と足がぶつかるが、贅沢は言えない。かつての尊仏山荘のように大いびきの人がいないだけで十分である。

トイレに一度起きたら、頭痛がした。高山病の症状かもしれない。手探りでロキソニンを出して飲んだら次のトイレの時にはおさまっていた。熟睡できたのは3時間くらいだったが、時間を見ると午前3時になったので起きることにした。

荷物とお弁当を持って1階へ。大広間が使えると思っていたら寝ている人がいて使えなかったので、ロビーの椅子に座り常夜灯の下でお弁当の朝食。ポットにお茶が用意されていたのはありがたかった。暗くておかずが何だがよく分からなかったが、白いご飯に鮭の切り身、野菜炒め、梅干、ふりかけといったところだろうか。

食べている間に、何人か出発の用意をした人が下りてきた。やはり、早出の人はいるようだ。4時ちょうどに出発。東側・鳳凰三山の山際は少し明るくなっているが、これから登る北岳方向はまだ暗い。中空に、右側の欠けた下弦の月が光っている。

行先表示にしたがって登山道を目指すが、その方向は雪渓である。踏み跡があるのと、車の轍のような2本線が見えるのでここを登ればよさそうだが、先行者の姿は見当たらない。後から分かったのだが、この2本線はスキーであった。

雪が凍って滑るので、用意してきたチェーンアイゼンを装着する。こういう予定外の時間がかかるから、早く出るに越したことはないのだ。夏になると伸びた草をかき分けながらの急斜面で、まさに「草すべり」の名前のとおりになるらしいから、時間的にはかえって短く済んだのかもしれない。

白根御池小屋。標高2236m。建物はきれいで従業員さんも若い人が多い。お布団が柔らかくて気持ちいい。宿泊者は中トイレなので基本ヘッデンなしで大丈夫。


白根御池小屋夕食。この日のおかずは酢豚(鶏?)とポテトサラダ、タケノコとシーチキン、切干大根など。先日農取小屋のTVを見たばかりなので、その格差に驚いた。


翌朝は4時に出発する。白根御池湖畔からいきなりのアイスバーンで、チェーンアイゼンが役に立った。


さて、私がこれまで到達した最高地点は立山・一ノ越の2705m、泊まった最高地点は尾瀬沼ヒュッテの1670mである。北岳の頂上に到達すれば初めての3000m越えだし、白根御池小屋の2236mという高さで泊まったのも初めてである。

標高0mと比較すると2200mで酸素濃度が80%弱、3000mでは70%まで低下するといわれる。人により、あるいは体調によっては高山病の症状が出る危険がある。だからヒマラヤへの遠征では高地順応として薄い空気に体を慣れさせる必要があるが、日本で2番目の山に登るのだからそのくらいは注意しなければならない。

ということで、いくつか準備した対策があった。一つは、前に書いたように、意識してスローペースで歩くことである。後ろから来た人にはどんどん先に行ってもらい、コースタイムは気にしない。白根御池小屋から北岳まで4時間のコースタイムだが、仮に6時間かかっても大丈夫なように4時に出発したのである。

もう一つは、大きなリュックを小屋にデポして、サブザックで往復することである。持ったのはヘルメット、チェーンアイゼンと、ヘッデンやツェルトなどの緊急用品、あと水と行動食である。

出発時には5kg近くあったかもしれないが、歩いている間に飲む水の分が減って4kgほどになっているはずである。小屋を出る時、私同様早出のおじさんに「荷物小さくていいなあ。僕もそうすればよかった」と感心された。

草すべりの雪渓急斜面をチェーンアイゼンで登って行くと、ガレ場の登山道が地上に現れる。白根御池を見下ろすと、スキーのジャンプ台のようだ。後続グループの何人かが雪渓の下部に見える。

当初計画では、5時半に宿を出発して、9時に肩の小屋、10時に北岳頂上と考えていた。実際には4時にスタートしたので、1時間半余計にかかっても大丈夫である。小屋の朝食を食べたグループが出発するのは早くて5時半だろうから、計画同様1時間半のアドバンテージがある。できれば、北岳まで追いつかれずに歩ければ最高である。

それでも、意識してゆっくり登るというのは高地では忘れてはいけない。スイッチバックの急傾斜が続く中で、さきほど雪渓取り付きにいたグループに抜かれたけれども、まだ時刻は5時すぎたばかり。朝食後スタートの組はまだ宿を出ていないはずだ。

気がつくと、谷を挟んだ反対側、鳳凰三山の方向から、太陽が登ってきた。朝日に照らされて、北岳から池山吊尾根にかけての残雪が光っている。2日限りの好天、まさに束の間の太陽である。

ここ草すべりの斜面は休めるところが少なく、時折現れる緩斜面で平らな石を見つけて座るくらいである。登り始めて約2時間、小広くなったスペースに資材や道具箱が置かれている場所が現われた。「植生保護柵」の説明看板があり、シカの食害から保護するため柵を設けたと書いてある。そろそろ標高2800m、こんな高いところにもシカがいるんだ。

その柵のすぐ上が、沢ルートへの分岐であった。ここで抜かれた単独行の女性から「富士山はどちらでしょうか」と聞かれた。「もう少し高い場所なら見えるんじゃないでしょうか」と返事したのだが、実際に、ここと小太郎尾根分岐の間で、池山吊尾根の向こうから富士山が現われたのだった。

下山時の話になるが、このあたりでカメラや録音機材、無線を持った10人ほどのグループがロケをしていた。前日に白根御池小屋に泊まったおばさんの話では、ロケをしているのは工藤夕貴らしい。「ほら、井沢八郎の娘の」と話していたのだが、若い連中は井沢八郎なんて知らないだろうと傍から聞いていて思ったのだった。

私の若い頃、カラオケで「ああ上野駅」を唄うオヤジはまだ何人かいたものである。それにしても、ここまで登って来るのに広河原から5時間はかかる。いくら自然派とはいえ、なかなか大変である。しかも好天はこの2日だけで、次の撮影は1週間2週間先になる。そうするとまた、5時間登って下りてを繰り返さないといけない。

植生保護柵分岐からは比較的傾斜が緩やかになり、やがて上の方に雪をかぶった稜線が見えてきた。小太郎尾根分岐である。先が見えてきたのでうれしくなる。そして、スイッチバックを登って雪の稜線に出た。向こう側からは、これまで見えなかった南アルプスの峰々が姿を現わす。

雪を被っていたのは小太郎尾根分岐に至る北側の斜面で、アイゼンなしで50mほど登るとすぐ雪のない登山道に出た。6時40分、小太郎尾根分岐に到着。すでに標高は2872m、過去最高地点を更新した。今回もっともハードと想定していた草すべりからの急斜面を登り切ったが、まだ余裕があるし、時間も十分にある。あとは頂上まで行くだけである。

草すべりの最上部からさらに急傾斜が続く。鹿害防止の保護柵の先が沢を登るコースとの分岐で、このあたりから比較的楽になる。


小太郎尾根分岐が近づくと池山吊尾根の向こうから富士山が顔を出す。下山時にこのあたりでロケをしていた。同宿のおばさん情報によると工藤夕貴らしい。


ようやく稜線の下まで来た。雪を被っている上が小太郎尾根分岐。


小太郎尾根分岐からしばらく、なだらかな稜線歩きである。後方に甲斐駒ヶ岳、左に鳳凰三山、右に仙丈ヶ岳を望み、天気は絶好。少し風が冷たいが、それで空気が澄んでいると思えば何でもない。来てよかったと思った。

小太郎尾根分岐から肩の小屋まて約30分。途中1ヵ所に岩稜帯が現われたので用意したヘルメットを装着する。このあたりはすでに森林限界を越え、ハイマツと小さな草花が生えているだけ。岩の上にペンキで丸印や矢印、×点が描かれているのは、いよいよ3000mという気分である。

肩の小屋には7時20分到着。予定した時間より1時間半以上早く、うれしくなる。白根御池小屋から3時間20分は、ほぼコースタイムである。せっかくここまで早く来たのだから頂上までさっさと行ってしまおうと、小休止してすぐに出発した。

肩の小屋から北岳頂上までは40分と肩の小屋のHPに書いてあるし、ガイドブックのコースタイムもそう書いてあるのだが、実際には40分では着かない。ほとんど岩の上を進むのでそんなに飛ばせないし、下る人とのすれ違いもあるので待ち時間もある。私の場合、登りに55分、下りに50分かかった。

頂上かと思って岩を登って行くと、そこが頂上ではなく一度下ってまた登るを2、3回繰り返す。いくつめかのカーブを過ぎると、前方に横長の頂上と、その上に立つ人達が間近に見える。ついに日本第二の高峰、北岳頂上である。

山頂到着は8時半。肩の小屋から1時間近くかかったけれども、それでも予定よりかなり早いし、白根御池小屋からの登りを4時間半でこなしたのは自分でも上出来である。山頂直前で、昨日も抜かれたおじさんに追いつかれた。「あれー、どこで抜かれたかなあ?」と言うので、「早くに出発しましたから」と答えた。なんだかうれしい。

早く着くことができたので、山頂ではゆっくりして景色を楽しむ。北岳の山名標と三角点は登ってきてすぐの場所にあるが、最高点は少し間ノ岳方向に進んだ場所にある。三角点は3192.5m、最高点は3193mである。

最高点まで進んで、間ノ岳方面を望む。眼下の鞍部には、北岳山荘が見える。稜線は間ノ岳、さらに農取岳へと続く。農取小屋は間ノ岳から下った鞍部にあり、ここからだと4時間くらい。11時に山頂を出れば午後3時には着く。白根御池小屋泊ならば、農取親父に「Too late」と言われることはなさそうだ。4時過ぎて着く人は、おそらく逆方向から登ったんだろう。

ちなみに、羽根田氏の遭難本に今回のルートとよく似た事例が載っている。ただ、その事例は広河原に14時着で白根御池小屋までコースタイム以上かけて歩くという時点で計画がおかしいし、翌朝7時半出発で肩の小屋に12時着というペースならもっと早出しろということである。

この事例はおそらく高山病の可能性が大きいと思うが、単独行するならもっとちゃんと計画すべきで、山小屋には少なくとも15時到着が原則。こういう人こそ単独で山に登ってはいけない。遭難して当り前である。(この事例では北岳山荘17時着で翌日道迷い遭難)

山頂の東側にはまだ雪が残っているが、登山道は南北に通っているので雪の上を通ることはない。山名標は仙丈ヶ岳をバックに掲げられていて、このポイントで写真を撮る人が多かった。先ほどまで強かった風も山頂では弱くなり、景色を楽しむのにこれ以上ない好条件となった。

午前9時が近づくと、山頂には次々と後続グループが登ってきた。聞き覚えのある声が多かったので、おそらく白根御池小屋で朝食後スタートした組が3時間~3時間半かけて登ってきたものと思われた。私もそろそろ下山するとしよう。

難所・草すべりを完登、小太郎尾根分岐で稜線に出る。北岳までもうすぐだ。


小太郎尾根分岐から30分で肩の小屋。ここから見える北岳は三角点より前の峰なので、肩の小屋のコースタイム40分ではちょっと厳しい。


北岳頂上に向けての岩稜帯。このあたりではヘルメット装着。岩にペンキで矢印が描かれているので、それを追って歩く。


計画では10時の下山予定が9時になったので、来た道を戻らずに間ノ岳分岐から八本歯のコルを経由して帰ろうかと一瞬思った。しかし、1/25000図を見ると相当に距離があるし、登る途中で見えた八本歯のギザギザがかなり凶悪に見えたので、予定どおり来た道を戻ることにした。この判断はたいへんよかった。

肩の小屋に戻ったのは9時45分。休憩して何か飲もうとも思ったのだが、まだ標高差1000m以上あるのにビールという訳にはいかないし、ドリンク類はそれほど冷えていそうでない。水も白根御池小屋までもちそうだったので、何も買わずに引き上げたのは申し訳なかった。せっかくこんな高地で営業しているので、何か協力したかったのだが。

一息ついて、下りに向かう。小太郎尾根分岐までの道は、気持ちいい稜線歩きだ。今度は正面に甲斐駒ヶ岳、その後ろに八ヶ岳、左に仙丈ヶ岳、右に鳳凰三山である。朝方は逆光で見にくかった鳳凰三山がよく見える。地蔵岳のオベリスクが天に向かってそびえていた。

先週書いたように、小太郎尾根分岐かの下りではロケ隊に会った。狭い登山道なので、登山者が来るたびによけるのが大変そうだった。下りは登りと違って息が切れないので、このあたりは快調。11時半には白根御池が見えてきた。

最後の雪渓ではツボ足で行こうとして滑って転んだので、登り同様にチェーンアイゼンを着けて下りる。着脱の時間がかかったので、白根御池が見えてから小屋に着くまでずいぶん長かったが、12時20分に到着。

考えていたよりかなり早かったので、小屋でカレーライスと桃のソフトクリームでお昼にする。カレーができるまでの間、荷物を整理する。桃ソフトはソフトクリームというよりシャーベットだったが、標高2200mで冷たい物が食べられれば文句ない。時間がなければカロリーメイトの予定だったので、カレーライスはご褒美である。

ゆっくり休んで、午後1時前に出発。登りは3時間ちょっとだったので、下りはコースタイムの2時間は無理としても、2時間半くらいだろう。3時半には広河原に着けるから、ビールでも飲もうかなどと気楽なことを考えていた。ところがここからの下りが、今回遠征で最高にきつかったのである。

白根御池小屋からのトラバース道は長いのが分かっていたので、「あと20分表示」まで30分以上かかったけれど特にどうとも思わなかった。小屋までは軽いサブザック、小屋でデポしたリュックに詰め替えて10kgと重くなったので、まあ多少は時間がかかっても仕方がないと思っていた。

ところがスイッチパックの下りに入ってから、まったくスピードが上がらないのである。登る時は急傾斜でも休み休み行けばそれほどにも感じなかったのだけれど、下りでは転げ落ちそうなくらいの傾斜に見えて、しかも段差は半端なかった。そのたびに一度止まって、手掛りを確保して、ようやく足を下ろすという連続である。

第二ベンチまで休みなしに下ったのに、白根御池小屋から1時間10分。登りで1時間ちょうどだったから、登りより下りの方が時間がかかっている。これは予想外であった。

第二ベンチから第一ベンチも遠かった。このあたりになるとヒザに力が入らなくなって、段差を下りるたびに息を整えなければならない状況である。これは参った。朝4時に出発したからよかったようなものの、予定どおり5時半スタートだったら確実に間に合わなかっただろう。

後ろから来るグループにパスしてもらうのだが、追い抜かれるとあっという間に見えなくなってしまうほどのスピード差である。自らを叱咤しながら急傾斜を下る。自分が情けないが、そんなことを思っていても仕方がない。まだバスの時刻には間に合いそうだ。

第一ベンチに午後3時前到着。10分休んで3時ちょうどに出発。ここから登りで1時間20分。バスが16時40分だから何とかなりそうだけれど、こんなに苦戦するとは思わなかった。よく考えれば北岳頂上からすでに標高差1000m下っているのだから、体が動かないのも無理はないのだが。

沢コースの分岐で時間を見ると15時55分。何とか間に合いそうだ。しかし、ここから先の緩やかな下りでも、足がなかなか前に進まない。後続グループに、どんどん追い抜かれる。広河原山荘でビールなんてとんでもない話で、何とか体をひきずってバスターミナルに急ぐ。広河原バスターミナル着は16時15分。白根御池小屋から3時間20分かかった。

ついに北岳頂上が見えた。平らな頂上の左に三角点があり、右が3193mの最高点。言うまでもなく、富士山の次に高い。


北岳最高点から三角点方向。東斜面に残雪が見える。左後方に甲斐駒ケ岳、その後ろに八ヶ岳。


こちらは間ノ岳方向。三角点から下った鞍部に、北岳頂上小屋の屋根が見える。


なんとか16時45分の最終バスに間に合った。広河原ビジターセンターに水がないことは分かっていたので、汗を拭いてバスを待つ。

さて、こういうときのために「ふくだけシャワー」というタオル大のウェットティッシュがある。今回の山行では用意していなかったもののホームセンターに行けばいろいろな種類のものを売っている。山小屋は風呂がないところが大部分なので、泊りがけの時には用意しておくべきであろう。(さっそく買った)

ということで、汗臭いままで甲府までのバスに乗る。来る時と違って席は半分くらいしか埋まっていない。乗車券売り場のおじさんのいうことには、1つ前の便がたいへん混んでいたようであった。

夜叉神・芦安から乗ってくる人もほとんどおらず、席に余裕があるまま市内に入る。しかし、ここからが難儀だった。平日の夕方6時であるから、帰宅ラッシュに巻き込まれてバスが進まないのである。20分ほど遅れて甲府駅に着いた。

さて、ここからの予定であるが、できればひと風呂浴びて帰りたい。すでに甲府なので、特急に乗れば1時間余りで新宿まで戻れる。甲府駅の周囲にはサウナも温泉も見当たらないので、各駅に乗って10分ほどの石和温泉に行ってみた。

事前にWEBで調べたところでは、入浴施設が遅くまでやっていて、駅まで送迎バスも出ているらしい。中には、そのまま仮眠室で翌朝まで休めるところもあるようだ。手元にタブレットがないので確証はないものの、おそらく駅まで行けば何か案内があるだろう。

と思ったのだが、石和温泉駅の周囲はきれいに区画整理されているものの、日帰り温泉の送迎バス乗り場などどこにもない。案内板も何も見当たらず、どうやら電車利用の一見客は想定外のようだ。温泉街まで結構距離があって歩くにはつらいし、タクシーを使ってまで行きたくない。

ということで、結局次の電車で甲府駅に戻り、高速バスで帰ることにした。幸い、席には余裕があって隣が空席だったので、風呂に入っていないのを気にしなくてもよかったのはありがたかった。

ただ計算外だったのは、コンビニに寄る時間がなくパーキングで休憩時間もなかったことから、自販機で買った飲み物と非常食のカロリーメイトで夕飯にするしかなかったことである。昼食を白根御池小屋でとったので非常食が残っていたからよかったものの、これがなかったら厳しいところだった。

新宿に着いたのは午後10時過ぎ。ここからは一杯飲んで帰る人達と一緒の電車で、酒やらギョウザやらケンタッキーのにおいが車内に充満していて、自分のことはあまり気にならなかった。

家に着いたのは11時半近くなった。朝3時起きで日本第二の山に登り、一気に下りてきてその日のうちに家に戻ってこれたのは大したものである。下りる時たいへん痛んだ足も、それほどひどいことにはならず、2019年春の山が無事終わったのは何よりのことであった。

この日の経過
広河原(1529) 11:20
11:45 大樺沢分岐(1649) 11:45
12:35 第一ベンチ(1909) 12:45
13:25 第二ベンチ(2079) 13:35
14:05 あと20分表示(2212) 14:05
14:35 白根御池小屋(2236) 4:00
5:15 草すべり上部(2527) 5:20
6:05 植生保護分岐(2737) 6:10
6:40 小太郎尾根分岐(2872) 6:50
7:20 肩の小屋(3015) 7:35
8:30 北岳(3193) 8:55
9:45 肩の小屋(3015) 9:55
10:20 小太郎尾根分岐(2872) 10:25
10:50 植生保護分岐(2737) 11:00
12:20 白根御池小屋(昼食)12:55
13:30 あと20分表示(2212) 13:30
14:05 第二ベンチ(2079) 14:10
14:50 第一ベンチ(1909) 15:00
15:55 大樺沢分岐(1649) 15:55
16:15 広河原(1529) [GPS測定距離 初日 3.2km,2日目 9.0km 合計 12.2km]

[Oct 14, 2019]

この日は好天で、登山道から仙丈ヶ岳が雄大な姿を見せた。後方には中央アルプスの峰々、右奥には遥かに雪をかぶった北アルプスを望む。


帰りの肩の小屋から小太郎尾根分岐までの道。この日ほとんど唯一、私好みのゆるやかな稜線でした。朝方は逆光で写せなかった鳳凰三山がちらっと見える。


小屋に戻ってデポしたリュックを回収し、カレーとソフトクリームで昼食。この後、広河原まで下るのがきつかった。


山小屋問題について

ヤマケイオンラインに、山小屋の経営が厳しいという特集が載っている。山小屋の経営者も従業員も山が好きで、骨身を惜しまず山岳救助や登山道維持に尽力しているのに、それでも赤字経営なのは何とかならないかという趣旨である。

このことについては、個人的にたいへん違和感を感じている。あまり同意は得られないかもしれないが、ボケてしまわないうちに書き残しておきたい。

まず違和感の第一は、現在の山小屋関係者の善意は信じるとしても、過去からずっとそうであったかどうかである。

ほとんどのお寺ではいまや経営が苦しい。檀家からのお布施や法事の際の収入では生活は成り立たず、立地に恵まれていれば墓地を分譲するか、さもなければ他に収入がないとやっていけないという。

それは否定しないけれども、江戸時代にさかのぼればお寺さんは特権階級で、お寺というだけで収入は保障され、檀家に対する生殺与奪の権力すら有していた。

だから、神仏分離になると廃仏毀釈の嵐が吹きまくり、お寺は庶民の目の敵にされた。このとき廃寺となった寺は多く、興福寺もずいぶん規模が縮小した。いまだに鹿児島県には寺院が少ない。

それでも、第二次大戦前は村落共同体が生活の中心だったし、自由参入できる余地も限られていたので、経営環境に大きな変化はなかった。ところが、大戦後に産業構造が変化し、農業専業者が数%という状況になり、村落共同体は崩壊した。

サラリーマン世帯の多くはお寺に盆暮れお布施をする習慣はないから、多くのお寺にとって収益減となる。それはお寺の経営努力が足りないことだけが原因ではないし、檀家の信心が足りないせいでもない。

山小屋にも、客が押し寄せて仕方ない時期があった。そういう時代には「頭が高い」山小屋関係者が少なくなく、日本アルプスでもその名残りがある小屋がある。

「お客様は神様」だとは思わないが、だからといって山小屋の主が威張る理由にはならない。ただでさえ、追い出されれば行く場所がない山小屋は、利用者の立場が弱いのである。

私が若い頃のユースホステルがそういう感じだった。雑魚寝でセルフサービスでたいした食事も出さないのに、「泊めてやってる感」満載だった(その分安かったが)。その後、次々とつぶれていま残っているのはわずかである。

私自身は山小屋でそういう目に遭った例が少ないが(ない訳ではない)、いろいろ当たると、以前はそうでもなかったことが推察される。

だとすれば因果応報、かつては断るほど客が来て、雑魚寝でも文句も言わず(畳1枚に3人!)、しかも威張っていられたのにそうでなくなった。飯はうまくなければ文句が出るし、コロナのおかげで清潔にしなければならず、おまけに自然保護だ環境保全だとうるさい。

売り手市場が買い手市場になっただけで、利用者も山小屋関係者も以前と違う訳ではない。なのにその時代、山小屋関係者から畳1枚に3人は詰め込み過ぎじゃないかと不満が出なかったのは、それだけいいこともあったということである。

山小屋の経営がたいへん厳しいということだが、関係者が善意でやっているから応援しなければいけないという訳ではなかろうと思う。


違和感の第二は、山小屋は誰でも自由に作れるんですかということである。

問題になっている山小屋のほとんどは国立公園の中にあって、自由に建物を作ることができない。それどころか、道路だって自由に通れない。食材の輸送や人員の確保に費用がかかるのは、初めから分かっているのである。

仮に私が、アメリカのIT長者くらいカネがあって、社会還元のため山小屋を提供したいと思っても簡単にはできない。おそらく、現在ある山小屋を買収して、いちいち許可をとって施設を改修する以外方法はない。

そもそも人手が足りてないのに遭難事故対応や登山道維持をしなければならないのは、国立公園内でカネをとって営業するバーターである。それは、許認可権をもつ国や地方公共団体と山小屋の間で解決すべき問題で、利用者に丸投げするものではない。

さらに言えば、利用者は山に登る前にすでにかなりの経済的負担をしている。北アルプスで言えば、駐車場料金や通行禁止区間のタクシー代、割高な首都圏からのバス代である。

ヤマケイの記事では横尾山荘でトイレの管理までしなければならないと問題にしているが、沢渡で払った駐車料金や上高地までのタクシー代はそういうことに使われないんですかということである。

従来、そういうことはあまり問題にならなかった。というのは、上高地の奥で山小屋を経営しているのは、沢渡や新島々の人達だからである。ところが、駐車場にも空きが目立つようになると、収入減でやっていけないという話になる。

だから、山小屋の宿泊費を上げるとか、別途入山料を取るという解決策が出てくる。入山料くらい取ればいいと思うけれども、一度取ればそれが既得権になり、赤字だから値上げという繰り返しになる。

そもそも、国立公園内にある山小屋の多くは、法律ができる前からあったという既得権で営業している。参入してくる競争相手がいないのだから、環境変化に伴う浮き沈みは自己責任の範疇である。

似たような事象で、いまたいへん苦々しく思うのは中国人観光客の増加である。

北海道に行ったら、旭川の上野ファームも富良野周辺も中国人だらけで騒がしくて仕方なかった。騒がしいだけなら我慢するが、JRの座席を大荷物で占領して、乗車率4分の1でも座るところがない状況である。

にもかかわらず、コロナで中国人観光客が減ってたいへん困るという人達がいて、どこかの空港では直行便が復活したので着飾ったお姉さま達が「歓迎光臨」の横断幕でにこにこしていた。

収入が減るから中国人でも誰でもという考え方と、山小屋経営が成り立たないから利用者や行政が何とかしろという考え方は、五十歩百歩、似たようなものと思うのは私だけだろうか。



もうひとつの、そしておそらく最大の違和感は、そもそも自然保護と利便性・収益性は相反することである。

WIN-WINだの環境との共生だのきれいごとはいくらでも言えるが、結局のところ自然保護とは、人間が入っていない状態に戻すことである。だから、誰も行かないのが最もすぐれた方法である。

水田だって自然破壊で、自然保護するには水路も埋めなくてはならないしコメ以外の植物も成長させなくてはならない。イノシシが来るのも当然自由だし、害虫を害虫と思うのは人間の都合である。

登山道を整備して、高山植物の生えている場所に入らないようにするのも人間の都合で、そもそも山に入らなければ高山植物にとって一番いい。登山道に柵をしたり擬木を置いたりするのは立派な自然破壊である。

山小屋まで物資を上げるのに費用がかかるというけれども、大規模な宿泊施設を作るから大量の物資が必要になる。大規模な宿泊施設が必要なら道路や下水道整備もセットのはずで、道路を作れないなら大規模施設をそもそも認めなければいい。

一般登山者が7~8時間歩かなければ着かない場所に、何百人も泊まれる施設があって、先週述べたように自由な参入が認められていない。経営が厳しいからといって、利用者に負担増を求めるより前にすることがありそうだ。

自然保護のためにそうすることが必要だという理屈だが、年間数万人も来ること自体が自然破壊である。道路や上下水道を通さなければ自然だとでも思っているのだろうか。

みんなが列をなして富士山に登ったり、槍の穂先や剱岳のタテばい・ヨコばいに行列を作っているのをみると、周辺を整備するか入山規制するかどっちかにしろと思う。

ヤマケイ記事の横尾山荘でいえば、私が行った時に梓川の河原を軽トラックが走ってきて、横尾山荘の自販機にビールやジュースを補充しているのを見た。空き缶を回収してくれるのはありがたいが、一般登山者は3時間歩かないと来れないのである。

もちろん、山で飲むビールはたいへんおいしいけれど、そうした利便性を提供するために許可が出て車が入れるというのは釈然としない。飲みたい奴は自分で運んできて、ゴミを持ち帰ればいいのだ。

もっと言えば、山小屋できちんとした食事が出るというのもよしあしで、フードロスもあるし人件費もかかる。自分で持ってきた食糧を食べるのがあるべき姿だが、山小屋は必ずしもいい顔をしない。みんながバーナーを使えば、当然山火事のリスクも増大する。

だから本来は、国立公園の指定など最小限にすべきで、指定した場所は国が責任をもって管理すべきである。登山道の管理など本当は山小屋の仕事ではないし、遭難したら登山者の自己責任である。

「山と渓谷」も、ウェアやギアの広告料で商売している利用者でない側の利害関係者で、利用者負担の増大を印象付ける意図がありそうだ。そういうことを続けると、いずれお寺やユースホステル(やボクシングマガジン)と同じ道をたどることになるだろう。

わざわざ来なくてもいいですよとアナウンスしている場所にあえて行くのは、脳にある種の欠陥がある人だけである。

[Sep 21, 2023]

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この図表はカシミール3Dにより作成しています。

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