11.2 日本古代史研究の問題点(続)
この項はBlogに掲載していない、ホームページ書下ろし(w)です。
11.2.1 日本古代史研究家のもう一つの問題点先日、Blog"Go Down Gamblin'"にコメントが投稿された。同一のコメント主から、何通か連続してである。何通か分をまとめて、内容を整理すると以下のとおりである。
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私も、ヤマト政権は、どの様に九州を征服したかと長年疑問に思っていました。
この度、堤克彦著「肥国・菊池川流域と百済侯国―茂賀の浦・江田船山古墳・鞠智城 (改訂版)」を読み、いままでの疑問が解決したように思っている次第です。
この著作は、九州の古代史の権威と称する人たちから「無視」され「バカ」にされているのですが、ご意見をお伺いしたい。
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最初は尋常にコメントに応対していたのだけれど、そのたびに本の紹介が入る。内容を説明することもなく、ヤマトの九州征服の疑問を解決するというのみ書かれていて、その理由は「私がそう思う」だけである。私の文章を読んでいる形跡もほとんどない。
こういうケースは過去にも何度か経験がある。これはコメントの名を借りてはいるが、本やホームページの広告宣伝なのである。そう判断せざるを得なかったので、コメントをすべて削除させていただいた。
その後、コメント主からは誤解を与えて申し訳ないとのお詫びメールが届いた。お詫びされたのに追撃するのは大人げないと思うけれど、このあたりに日本の古代史研究におけるもう一つの問題点があると思うので、しつこいけれど書かせてもらうことにした。
この傾向は、前回触れた日本史を専門とされる方々(自分の懐が豊かになる主張に偏向する)とは別な、いわゆる在野の研究者、歴史愛好者に多いという印象がある。直言すると、「日本古代史の真相は・・・・である。理由は、私がそう思うからである」という主張である。正直に言わせていただいて、カネのために主張する専門家に劣らず、学問の進展に害をなすと思っている。
念のため付け加えると、指摘した点について堤克彦という著者には、何の落ち度もない。この人が権威とされる方面からバカにされ無視されているかどうかまでは確認できないが、在野の研究者として成果を残されている方だという認識である(国会図書館に所蔵されている)。
ただし、この本を紹介したコメント主には、広告宣伝の意思を認めない訳にはいかない。というのは、国会図書館でこの本を実際に読んだのだけれど、肝心かなめの「ヤマト政権は、どの様に九州を征服したか」について述べられた本ではなく、それについての直接の記載も見当たらないからである。
この本はいくつかの小論文をまとめたものだが、述べられているのは熊本・菊池川流域には茂賀の浦と呼ばれる内海(ないし湖)があったことと、江田船山古墳は古代に百済から渡ってきた勢力により造られたのではないかということであって、それ以上の範囲を考察したものではない。
江田船山古墳がある以上、ここに古代、かなりの権力者がいたことは否定できないし、現在内陸部である場所が古代には内海・湖であったことは、それほど珍しくもない。アースダムの施工例も、古代まで遡ることが可能である。だから在野の郷土史研究家の指摘として、私はそれなりに評価できると思う。
ただ、私がブログで連載し、このホームページに述べてきた内容とほとんど関係ないということは、否定しようがない。それではコメント主は、なぜこのようなコメントを何度も投稿したのだろうか。
11.2.2 古代の痕跡は日本各地にある
ここでいったん本題から離れて、堤克彦著「肥国・菊池川流域と百済侯国―茂賀の浦・江田船山古墳・鞠智城 (改訂版)」について書いてみたい。というのは、私がコメントを読んで唐突な印象を受けたのと同様、読者にもまずこの本の内容を紹介しないと、私がなぜこんなにしつこく言うのか理解できないと思うからである(広告宣伝に乗ってしまったのだろうか)。
まず茂賀の浦である。古代史的にはあまり聞き覚えのない地名であるが、それもそのはずで、茂賀の浦と古代天皇家についての伝承は、江戸時代の文献に出てくるものだそうである。古代の天皇が当地の神(豪族?)に命じて、岩を蹴破って水を流し当地を制圧したらしい。
江戸時代に初出の史料がどこまで信頼できるか、という史料批判の観点はここではひとまずおく。縄文・弥生期に菊池川流域に内海ないし湖があり、古代遺跡は想定される水域の外に分布しているというのもそうなのだろう。ここにはかつてアースダムがあり、地震ないし自然災害により決壊したというのもありそうなことだ。
それらをすべて認めたとして、古代史的に従来の通説を否定することになるのだろうか。昔、内海だった場所が陸地になった事実は全国各地にある(例えば、大阪湾は奈良との県境付近まで入り込んでいた)。アースダムが造られたのは古代に遡ることが可能である。この地域が文明先進地であったことは、江田船山古墳と出土した銀錯銘大刀により、誰も否定しない。
著者のもう一つの主張は、その江田船山古墳の被葬者が、百済から渡来した氏族ではないかということである。確かに通説では、古墳出土の太刀に書かれた名前がワカタケル大王と読めることから、埼玉・稲荷山古墳と同じく大和朝廷に近い人物とみることになっている。
しかし、江田船山古墳の太刀に刻まれている銘は「獲□□□鹵大王」。本当にワカタケル大王と読むのかどうか、欠字が多すぎて確定しがたい。著者の推察する百済の蓋鹵王である可能性も当然ある。ただ、両方とも消えてしまった字が何かということなので、仮説以上のものにはならない。
仮説だから意味がないと言っているのではない。ある部分を推察せざるを得ないのであれば、それを補強する何かの根拠を示さなければ、読者は納得しないだろうと言っている。
私は、欠字が多い以上確定するのは難しいものの、江田船山古墳も稲荷山古墳も「ワカタケル大王」の可能性が大きいとみる。補強する根拠は、中国正史にみえる倭王武の上表文と時期や内容が一致することである。日本で「ワカタケル」と呼ばれていた大王が、中国に朝貢するにあたり「倭王武」を名乗った可能性が大きいとみている。(ただし、通説とは異なり、倭王武は雄略天皇ではない。詳しくはこちら。)
ただし、「ワカタケル大王」があるからといって、この地の豪族が百済からの渡来人でなかったとは限らない。そうであって全く不思議ないのである。百済=親天智、新羅=親天武と一律に決まっていた訳でもあるまい。故郷を離れて日本列島に来た以上、自らが生き残るため最も可能性のある有力者と結びついたはずだからである。
日本各地に、規模の大きい古墳、古墳群は数多くある。関東では旧毛野国の領域である栃木・群馬・埼玉が多いけれども、私の住む印西市にもあるし、すぐ近くの安食にある房総風土記の丘は大規模な古墳群である。その領域は成田市街に及ぶ。
文字記録は残っていないけれども、それらのうちいくつかが渡来氏族による可能性は相当ある。当時、中国・朝鮮半島の方が先進地域であり、そこから移ってきた人達が高度な技術や高い交換価値を持つ財産を多く持っていたと思われるからである。
そうした郷土の古代の姿について想像することは楽しいし、遠い将来、何かの出土品によりそれが証明される日も来るかもしれない。しかし、郷土が古代日本の中心地であって、わが国の古代史を動かしてきたと主張するには、なお多くのハードルが残されているとみなくてはならない。
繰り返しになるが、おおむね以上の内容について考察しているこの本から、「ヤマト政権は、どの様に九州を征服したか」についてのサゼッションを読み取ることは、私には難しい。
11.2.3 シンギュラリティ以降に期待するという意味
私はこのホームページを書くにあたって心掛けてきたのは、単に「私はこう思う」と主張するのではなく、「通説では<A>とされているが、私は<非A>であると考える。その理由は・・・・である。」という書き方にしようということである。単に自分の主張だけでは選挙演説と変わらないからである。
「通説」、「私の仮説」、「通説が否定される理由」はワンセットであって、それらが揃っていないと検証のしようがない。500年前までは「太陽が地球の周りを回っている」のが通説だったのだから、通説に反する仮説を提唱することは自由であり、学問の進展に有益である。ただ、きちんとした理由を示さないと、ただの言いっぱなしになる。
冒頭述べたコメント主の意見を要約すると、「これこれの本はすばらしい。なぜかというと、私が感心したから」ということにしかならない。私の読解力に問題があるとして、どこを読んでそう思ったか示さなければ検証しようがない。
コメント欄を提供している私の主張に反するものでも、補強するものでもない。そもそも、コメントは本文と関係する内容についてするのがマナーで、本文を読むのは最低限の礼儀である。質問は、書かれている内容についてするものであって、それと関係ない自分の疑問についてするものではない。
高校の授業だって大学の講義だって質問は説明された内容に対して行うものであって、人生の悩みとか今日何を食べるかを聞くものではない。そういう質問は、家族や友人にするか、ちゃんとカネを払ってカウンセラーにするものだろうと思う。
ところが、在野の研究者や歴史愛好者の中には、そのあたりが分からない人達が多くいるというのが私の印象である。
私が考えたことはすばらしいので、すべての人は私の考えを無条件に受け入れるべきである、と思っているとしか考えられないケースに何度か遭ってきた。それが本当に正しい考えであったとしても、そんなことは聞きたくない。
コメントで唯一私の書いた内容と関連するのは「ヤマトが九州をどう征服したのかいままでの疑問が解決した」であるが、私の読解力ではどこにそんなことが書いてあるのか分からなかった(アースダムを蹴破って?)。その他に、コメント主の言い分で検証できる内容は見当たらない。
学問の進展、古代史の探求がどこまで重要か各個人に認識の差があるのは承知しているが、少なくともホームページを開設している私も、意見を寄せる読者も、そういうものが重要だと思って振舞ってもらわないと場が成り立たない。自分の考えだけを主張する人達は、そういうもの(学問の進展、真理の探求)を信じていないのである。
シンギュラリティという概念がある。AIの成長がこのまま進めば、近い将来コンピュータの知能が人間の知能の総和を超えるだろうという理論である。
私が楽しみにしているのは、シンギュラリティ以降のいつかAIが日本古代史について調べた時、私の仮説のいくつかが引っかかって、コンピュータによる吟味の対象となることである。
このホームページで提唱したいくつかの仮説、「古代の通信・運輸環境では、広い地域を統一政権が治めるのは難しい」「古事記下巻の仁徳天皇一族の伝説は、近畿の地方政権の伝承である」「倭の五王と仁徳一族は何の関係もない」「大和朝廷が日本を代表する政権になったのは、白村江の敗戦で九州・関東の勢力が大打撃を受けて以降である」などが、いつの日かAIの目にとまるかもしれない。
それをAIが、「興味ある仮説」と評価するのか「取るに足らない仮説」ととるのかは分からない。いずれにせよ、データベースから引っ張るのも、判断するのも1秒以下のことである。
でも、その時私は、とっくの昔にこの世にいない。そんな未来に、私の考えたことがどこかで何かに使われる可能性を想像しただけで、うれしくなる。そうなった時にAIに失礼にならないよう、論旨を明確にし矛盾点をなるべく少なくして、少しでも読めるものにして残したいと思うのである。
[Aug 7, 2020]